☆ 本のたび 2017 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.1383 『老人の壁』

 あの『ばかの壁』という大ベストセラーを書いた養老孟司さんと、イラストレーターなどをしている南 伸坊さんの対談を1冊にまとめたもので、とても読みやすかったです。
 考えてみれば、どちらもユニークな考え方をされるので、意外な展開もあり、読んでいても楽しくなりました。
 たとえば、「養老 ヘビ嫌いはクモ嫌いじゃないんですよ。クモ嫌いはヘビ嫌いじゃないんです。どっちかになる可能性が高い。 南 そうなんですか。 養老 そうでしょう。ヘビを大嫌いな人がいてね、そういう人は、クモは平気なんですよ。 南 僕も、クモはそんなに嫌いでもないですけど。 養老 ああ、だったらヘビがダメなんだ。 南 ヘビはだめですね。うちの奥さんはクモが大好きです。あー、ほんとだ。ヘビは嫌いだな。 養老 そうですね。どっちかになるみたいな気がする。」という対談を聞いて、本当かな、と思いながら、ヘビの嫌いな人を思い浮かべると、たしかにクモはそれほど怖がらないような気がしました。
 おそらく、科学的な根拠なんてないでしょうが、長い間の経験から、そのような傾向があるというでしょう。そういう判断も、大事なことです。
 すべてが科学で割り切れるわけでもないし、むしろ、そのほうが楽しみがあります。わからないからこそ、おもしろいと思えるのです。
 たとえば、南 伸坊さんが、「漢方では、よく効く薬は、下品(げぼん)って言うそうです。上品(じょうぼん)、下品とあって、下品(げひん)って書くんですけども、ものすごくよく効く薬っていうのは「下品」って言われてる。薬が効いたら、さらに多くするっていうのは、西洋医学的な僕らの最近の人の考え方で、漢方では逆に、効いたら減らす。漢方には長い間の蓄積があって、それは西洋医学的な考え方の、ぜんぜん逆だったっていうことらしいです。」と発言されていますが、これだってそうです。
 もともと病気は、「気の病い」と書くぐらいですから、本来の自然治癒力を引き出したほうがいいわけです。もともと薬は毒ですから、治すきっかけとして使い、それから少しずつ減らしていくというのは、理にかなっています。
 あるいは、「一病息災」という考え方もあります。病気が悪い、というだけではなさそうです。
 また、おもしろいと思ったのは、南さんの「海野和男さんて人の『世界のカマキリ観察図鑑』て本にあったんですけど「カマキリと猫は似ている」っていってて、カマキリも自分が威嚇行動をして、それが効かないと思い知ったとき、照れ隠しに体をなめたりするそうなんです。カマキリが少し可愛くなりました。」と言うと、養老さんがローレンツの本に犬にもそのような行動があると書いてましたと答えています。もちろん、人間にもこのような照れ隠しみたいな行動があり、みんな似ていると思いました。
 下に抜き書きしたのは、この本の題名になった、老人の壁につながるフレーズです。この言葉の前に、写真を撮影する趣味についてのことがあり、それも含めて老人は好きなことをすればよい、というところにつながります。今更、名誉も欲もないので、好きというだの動機でものごとを始めるというのもありだと思いました。
 そして、その養老さんの言葉に、南さんが「老人の壁を越えると、作品の自分がいる」と答えています。
 皆さんも、もし老人になったら、好きなことをして、老人の壁を越えてみてはいかがでしょうか。
(2017.5.25)

書名著者発行所発行日ISBN
老人の壁養老孟司・南 伸坊毎日新聞出版2016年3月25日9784620323657

☆ Extract passages ☆

修行と同じですよ。修行っていうのは、自分を完成させるための作業ですね。一番いいのはね、比叡山の千日回峰行。あんなものやったって、誰も儲かりません。GDPが増えるわけでもない。だけど、何が残るかって、本人が残るんですよ。それをやった本人が残るんです。それが「作品」ということです。
 だから、自分が作品であるような、作品としての自分を完成させるつもりで、好きなことをやれば、老人としての時間を本当に楽しめるんじゃないかな。
(養老孟司・南 伸坊 著 『老人の壁』より)




No.1382 『身近な自然の観察図鑑』

 地元の小学生たちの野外体験学習や春の山野草展などがあり、たくさんの鉢植えを見ていると、やはり自然そのものの山野草たちを見てみたくなります。
 それで、天気が良いときには、ほとんど小町山自然遊歩道に出かけます。今の時期、必ず山野草たちに出会えます。そこで、この本を読んでみました。
 著者は、現在、沖縄大学人文学部こども文化学科教授だそうで、沖縄の学生たちとのさまざまな活動もここで紹介されています。もちろん、山形とは気候も違うので、まったく見たこともないような植物の名前が出てきたりします。でも、それも想像するとおもしろいですし、ネットで画像を見ると、さらに興味が持てます。
 よく子どもたちにもタンポポの話しをするのですが、最近、ネットを見ていたら、ゴムタンポポというのがあって、ほんとうにゴムノキのような生ゴムをとれるようになり、研究が進められているそうです。この話しも出ていますが、ここでは旧ソビエトの話しとして、「かつて旧ソ連では、自国内で天然ゴムがつくれないかと、寒冷地で栽培可能な植物の探索が行われました。そうして発見され、栽培されたのが、タンポポと同じキク科タンポポ属のゴムタンポポという植物です。僕は実際にゴムタンポポを見たことがありません。しかし、この話を聞いて、ひらめくものがありました。ゴムを生産するゴムタンポポという植物があるのなら、道ばたのタンポポからもゴムを採取することができるのではないかという思いつきです。どんな方法がいいのかまではわからなかったので、いきあたりばったりでやってみることにしました。タンポポの花茎を1本ずつ手折っては、その傷口から出てくる乳液を、顕微鏡用のスライドグラスにこすり取り、水分を蒸発させながら、次々に手折ったタンポポの乳液をこすりつけるという、ごく単純な方法です。」と書いています。
 ところが現在では、ゴムノキの生産が東南アジアなどに限定されており、もしかして、疫病などの原因で供給不安のリスクを懸念する声も上がっています。そこで、アメリカ・オハイオ州立大学の研究チーム、さらにはタイヤメーカーのブリヂストンやコンチネンタルなども産学連携コンソーシアム「PENRA」を中心として、研究が進められているそうです。
 ここで使われているのが、カザフスタンの原産である「ロシアタンポポ」で、おそらく、この本に出てくるゴムタンポポではないかと思います。
 このPENRAのプロジェクトは、2020年には終了するそうで、そのときに詳細な事業計画と生産者向けのガイドラインが公開される予定だそうです。たかがタンポポですが、いろいろな素質を秘めているようです。
 また、この本でおもしろい見方だと思ったのは、「作物はすべて、もとをたどると、人間の作り出した環境に勝手に生えることのできた草、すなわち雑草がはじまりです。そのまま放置されたものが、現在の雑草で、人間に選ばれたXIP待遇の雑草が作物です。雑草は作物の兄弟分にあたるのです。」とあり、作物がとくにXIP待遇とは思いませんが、人間により選別されてきたことだは間違いありません。
 そのような見方をすれば、雑草だって、作物につながるようないろいろな性質を備えているかもしれません。そう考えれば、雑草の生き方から、いろいろと学べると思いました。
 下に抜き書きしたのは、ドングリを実際に食べるのはどんな動物かということで、私はてっきりリスだと思っていました。ところがそうではなく、アカネズミやヒメネズミなどのネズミ類だそうです。
 やはり、人の話を鵜呑みにしたり、先入観で考えてはダメだということです。そういう意味では、これなどもその通りで、ぜひ読んでみてください。なるほどと、納得するはずです。
(2017.5.23)

書名著者発行所発行日ISBN
身近な自然の観察図鑑(ちくま新書)盛口 満筑摩書房2017年4月10日9784480069542

☆ Extract passages ☆

 なぜ、リスはドングリが嫌いなのでしょう。
 それは、ドングリの多くにタンニンが含まれているからです。タンニンを口にすると渋みを感じますが、タンニンにはタンパク質と結びつく性質があります。つまり不用意にタンニンを取り込むと、体内のタンパク質と結びつき、それを体外に運びさってしまうのです。ドングリを食べると、栄養をとったつもりが、逆に体の栄養が奪われてしまうというわけです。……しかし、あまりに「おいしい」実だと、動物が利用するばかりで、散布が行われない可能性もあります。そこで、「適度」にまずくなるよう、タンニンがまぜられている、そんなふうに思えます。
 実際に野外でドングリの散布にあたっているのは、アカネズミやヒメネズミなど、ネズミ類です。これらのネズミ類には、タンニンを不活性化するためのしくみがあり、そのた めにドングリを利用することができるのです。
(盛口 満 著 『身近な自然の観察図鑑』より)




No.1381 『正しいコピペのすすめ』

 この『本のたび』でも、一番いいと思ったところを引用し、さらにはこれだけは本を読むなら知っていてほしいと思うところも引用しています。
 でも、毎回、引用していても、著者から献本などはありますが、引用をしないでくださいと注意されたことは一度もありません。それでも、やはり今の時代ですから、著作権に対して無関心ではいられません。
 この岩波ジュニア新書は、とてもわかりやすく著作権について解説していますし、具体的にこれはダメとかいいとか書いているので、とても参考になりました。
 引用に対しても、「守りたい引用ルール」というのを別項目に5つに分けてありますので、これを下に抜き書きしました。
 もし、著作権に関して引用することに不安を感じているなら、ぜひ、これだけは守っていただきたいと思います。もちろん、私自身だって例外ではなく、これだけはしっかりと守っていかなければと思っています。
 そもそも著作権のルールというのは、この本にわかりやすく解説してありますが、「「11人で」「ゴールキーパー以外は手を使わない」というサッカーのルールは誰でも知っています。著作権ルールもそんなに難しくありません。「他人の作品は、無断で使ってはダメ」「会社で買ったワープロソフトをコピーして職場で使い回してはダメ」など、多くの人が常識として認識しているものばかりです。しかし、教わらないと分からないサッカーの「オフサイド」のように、著作権の世界でも、習わないと分からないルールがあります。オフサイドを知らないと正式のサッカーができないように、著作権の基本ルールを知らないと社会生活を送る上で思わぬ不都合が起きるかもしれません。」ということで、なるほどと思いました。
 さらに、この本を読んでいるときに、京都大学の今年の入学式で昨年のノーベル文学賞受賞者であるボブ・ディランの歌詞を山極寿一総長が式辞で引用し、それを同大学のホームページに掲載しました。それを日本音楽著作権協会(JASRAC)が京大に歌詞使用料が発生する可能性があると連絡したそうです。でも、この本でも指摘していますが、ボブ・ディランの曲には、他の曲からとったメロディーや詩があるそうです。それだけでなく、クラシックの世界でも、たくさんそのような例があるそうです。
 また、あのシェイクスピアも、「《マクベス》《リア王》《ハムレット》などシェイクスピアのほとんどの作品には、彼が模倣した既存の作品があることが分かっています。4大悲劇のひとつ《リア王》には、同時代に「レア王とその三人娘の実録年代記」という「オリジナル」が存在していました。大胆にも、シェイクスピアはどの作品も、登場人物の名前をほとんどそのまま使っているありさまで、「種本があります」と公表しているようなものです。著作権という概念のなかった時代の文化活動だったのだと読み取れます。先行作品を真似ることについて、戯曲を書く人もまわりの人も抵抗があまりなかったのではないでしょうか。ただ、下館氏に聞いてみると、当時すでにシェイクスピアは同業他者から「盗作野郎」と言われていたそうです。」と書いています。
 もちろん、今の時代であっても、シェイクスピアの戯曲を忠実に演じられる場合もありますが、大幅に改変されることもあり、たとえば「ウエストサイドストーリー」などは、今でも最初に観たときの印象が残っています。だとすれば、真似ることでさらに高みに上るということもあります。
 著者も、「もしかして「創造の秘密」とは私たちが過去に受け取った何かが組み合わさって、フュージョン(融合)を起こし、表現される点にあるのではないでしょうか。つまり、創造とは「無から有」でなく、「既存の素材の組み合わせ」なのかもしれません。そして、何をどのように組み合わせるかというその方法にこそ、私たちが通常「創造」と呼ぶ行為があるように考えられないでしようか。」と書いています。
 この本の「あとがき」のところで、コピペ時代を生きるための12ヵ条を記載していますが、その11番目に、「コンテンツは大事だが、実体験も大事だ。体験はコピーできない。」とあり、この「体験はコピーできない」というところに強く惹かれました。たしかに、山野を歩けば、風のそよぎや野鳥のさえずり、川のせせらぎなど、いろいろな音が聞こえてきますし、そこには音だけでなく、五感をフルに全開しても気づかないような微妙な余韻もあります。言葉にもできないのだから、伝えるすべもありません。
 これからは、むしろ、このような実際の体験こそが大事にされると思います。
 下に抜き書きしたのは、この『本のたび』でも毎回使っている引用について、守りたい引用ルールです。
 そういえば、とくに論文の多くが「引用で占められている」という現実もあり、むしろ質の高い論文の証しであるとまでいわれることもあります。だから、一般の方には読みにくいのですが、この引用ルールだけは知っておく必要があります。
(2017.5.20)

書名著者発行所発行日ISBN
正しいコピペのすすめ(岩波ジュニア新書)宮武久佳岩波書店2017年3月22日9784005008490

☆ Extract passages ☆

 守りたい引用ルール
(1)自分のコンテンツとの脈絡において必要性があること(目立たせたいというアイキャッチの目的や飾りの目的では使えない)
(2)自作のコンテンツに「パーツ」(部品)として取り込むこと
(3)自分の造った部分と引用部分が、カギカッコなどによって明確に区別されていること
(4)自分の作った部分と引用部分のメイン(主)とサブ(副)の関係が明確であること(引用された部分がメインとなってはならない)
(5)引用部分の出所を明示すること(読む人が確認できるように、書籍や論文、ウェブサイトについてのデータをきちんと記載する)
(宮武久佳 著 『正しいコピペのすすめ』より)




No.1380 『屋久島ジュウソウ』

 私が屋久島の宮之浦岳を縦走したのは2005年でした。この本に出てくる『屋久島ジュウソウ』も2005年5月某日で、私も5月31日に屋久島に行き、6月4日に帰ってきたので、ほとんど同時期です。
 でも、これは本を読んでから知ったことで、最初は、この本の題名に興味を持ち、読み始めました。しかも、旅をしている最中です。
 というのは、5月16日から18日まで、東京で開催されている美術館の特別展を観たいと思い上京し、上野の東京国立博物館の「茶の湯」を観て、それから東京国立近代美術館の「茶碗の中の宇宙」や出光美術館の「茶の湯のうつわ」なども観ました。
 しかも、泊まったところの近くに「虎屋」があり、そこでは上生もおいてあるので、それを1個だけ買って、部屋で茶杓を削りながら、お抹茶を点て、自服で飲みました。もう、お茶尽しでした。その合間や電車の中で読んだのが、この本です。
 ですから、この本の中で特に身につまされたのは、「時間を忘れ、思いきり、心ゆくまで本を読みたい! とつねづね思っている人間にとって、旅行は格好の機会だ。つぎの旅行までは……と、気になる長編に手をつけずにいる人も多いだろう。私も出発のだいぶ前から「今回はどれを持っていこうかな」と足しげく書店に通い、書棚をチェックしている。勢いあまって、スーツケースの半面を埋めつくすほどの本を買ってしまったりもする。」というところです。
 もちろん、スーツケースの半面を埋め尽くすようなことはしませんが、何を何冊持って行くかといつも旅の準備の8割以上は考えています。そして、旅に出るときだけではなく、普段の時も、たとえば中国に行くとすればこの本を持って行こうとか、美術館を訪ねるならこの本を持って行こうとか、いろいろと考えて本を購入します。知らない街で一人静かに本を読む、それがなんともいえない楽しみの一つです。
 今回はこの本など数冊を持ってきましたが、すべて読めるものではなく、読む本がなくなると微妙に寂しくなるから、ちょっと多めに持ってきているだけです。
 さて、この本ですが、私が2005年に登ったときと同じコースでしたが、違うのはガイドを含めて6人という集団と、私にもガイドは付いてくれましたが、ほとんどは単独行動でした。というのは、ヤクシマシャクナゲを見たいというだけの登山なので、ほとんど他の興味はないに等しかったのです。
 だから、この本の中で、参加者に一番の思い出は聞かれて、4人が登り終わったホテルでの夜のことをあげていました。つまり、登ることが想像していたより大変だったので、それが終わったことの安堵感のほうが勝っていたようです。
 私の屋久島の旅は、10年ぶりに咲いたヤクシマシャクナゲの花を見ることが主目的で、それは大満足でした。だから、歩いていても、ほとんど疲れたという印象もなく、ただ花を眺め、写真を撮るということだけでした。
 そして、新高塚小屋に泊まり、翌朝、縄文杉に下りましたが、ほとんど人がいなくて、ゆっくりと眺めることができました。しかも、雨が少し降っていたこともあり、幽玄な雰囲気でした。やはり、屋久島の森には、雨が似合います。翌日は白谷雲水峡に旅の途中で知り合った方に案内されて行きましたが、晴天だったのに、前日の雨でしっとりとして苔も生き生きしていました。
 それ以来、10年以上も経っていますが、未だヤクシマシャクナゲの花は全山を埋め尽くすような咲き方はしていないようです。
 あの時の体力があるかどうかは問題ですが、もう一度、宮之浦岳を縦走してみたいと思っています。
 下に抜き書きしたのは、旅をしていると、必ず良いことと悪いことがあり、微妙にそのバランスがとれているような気がするという意見です。
 私はどちらかというとあまり悪い印象はないのですが、たまたま鈍感だから感じにないのかどうかはわかりませんが、いつも楽しい旅ばかりです。でも、少し冷静になって考えれば、このようなことも起こりえるかもしれません。
(2017.5.18)

書名著者発行所発行日ISBN
屋久島ジュウソウ(集英社文庫)森 絵都集英社2009年2月25日9784087464023

☆ Extract passages ☆

 様々な国を旅して一つだけたしかに言えるのは、どんな土地にも善なるものと悪なるものとが絶妙なバランスで混在する、ということ。感じの良い税関の係員に出会ったあとには、それを回収するがごとく感じの悪いタクシードライバーに遭遇する。立てつづけに不快な人物に接したあとには、途方もないお人良しにめぐりあう。地球をぐるりと一周したら、すれちがう善と悪の数はきっと絶妙な帳尻の合わせかたをするだろう。
(森 絵都 著 『屋久島ジュウソウ』より)




No.1379 『ガーデニングとイギリス人』

 大修館書店というと、先ずは諸橋轍次「大漢和辞典 全15巻」など、辞典・事典類を思い浮かべますが、まさかガーデニング関連の本を出されていたとは思いませんでした。
 おそらく、深層心理のなかには、なぜという思いもあって、さらにイギリスの庭園に対する興味もあって、読み始めたようです。副題は『「園芸大国」はいかにしてつくられたか』で、興味をそそる内容でした。
 というのも、2014年7月4日から15日まで、イギリスの庭園を見てきたので、それを思い出したということもあります。そのときは、この本にも書かれているキューガーデンやウイズレーガーデンなどやハンプトンコートで開かれている園芸ショーなど、いろいろと見てきました。しかも、これは予定ですが、今年の8月下旬にもイギリスに行かないかと誘われているので、もう一度、イギリスの園芸について調べてみたいと思ったのです。
 この本によると、もともとイギリスは植物相も貧弱だし、生物多様性にも欠ける地域だったそうですが、決して不毛な土地ではなかったといいます。この本の目的は、「イギリス人の庭園や園芸、植物に対する関心を文化史的に辿り、イギリス社会およびイギリス文化の特質を浮き彫りにすることにあるが、「文化」 が政治的・経済的に利用されるだけでなく、捏造さえされることを提示することにもある。」ということで、それらのことを具体的に述べるにあたって、著者は相当な資料を集めたといいます。
 たとえば、2004年が創立200周年を迎えた王立園芸協会の記念事業の一環として開催されたテイト・ブリテンの「庭園の美術展」において、館長のスティーヴン・デューカー氏は、「ガーデニングは、現代のイギリスにおいてもっとも人気のある広く普及した余暇活動である。ある時期、それは、詩や政治の世界においてイングランド人のナショナル・アイデンティティを表出するものとして機能し、社会階層間の力関係や表現の分野においても重要な役割を果たした。18世紀に、風景庭園は、絵画や建築、彫刻、文学の成果を取り入れて高級芸術に昇格し、愛国芸術への転向の一端を示した。そして、近年では、審美的感性と知的教養のしるしとしての庭園は、園芸雑誌やテレビ番組、王立園芸協会が主催する毎年恒例のチェルシーのフェスティバルにおいて繰り広げられる、激しい様式戦争を呈するに至っている。」と述べているそうです。
 たしかに、このような丹念に調べ上げられた資料を読むのは、ある意味、退屈さを感じるときもありますが、たしかに、とか、なるほど、という気持ちも起こります。
 そういう意味では、この本はイギリスのガーディニングの歴史を知るにはとても有意義な1冊です。
 そして、また引用になりますが、イギリスが今のようなガーディニングの国といわれるようになった理由を、『サンデー・タイムス』の記事は、「穏やかな気候に恵まれていることが幸いした。地球上のあらゆるところから、熱心な知識欲と収集家の執念を併せもったプラント・ハンターたちによって、何世紀にもわたって持ち込まれた莫大な種類の植物を育てるのに適していたからである。植物を育てようとする愛情が水面の波紋のように広がり、都市や郊外でわれわれは園芸にいそしんだ。かつては必要のためであった、食糧や衣料や治療薬のための栽培が、われわれの本性を表すものとなり、国民的趣味となったのである」と、簡略にまとめています。
 これを読むと、なんとなくその全体像がつかめるような気がします。
 下に抜き書きしたのは、伝統と歴史のあるイギリスの芝生に関する逸話です。これは本当の話なのかどうかはわかりませんが、さもありなん、と思わせるものがあります。
 ぜひ、皆さんも、ここだけでも読んでみてください。この本1冊を全部読むのはなかなか大変で、久しぶりに1週間程度かかりました。
(2017.5.16)

書名著者発行所発行日ISBN
ガーデニングとイギリス人飯田 操大修館書店2016年10月10日9784469246032

☆ Extract passages ☆

 手入れの行き届いた芝生の庭はいまもイギリス人の自慢の一つであるが、それを如実に物語るエピソードが、イギリスのパブリック・スクールの生活を描いた名著、池田潔の『自由と規律』に語られている。ケンブリッジのトリニティ・コレッジの庭で、参観に来たアメリカの大富豪が見事な芝生に感嘆し、そこでローラーを押しているみすぼらしい身なりの園丁にチップをつかませて、芝生の手入れの秘訣を尋ねる。園丁は、「水をやりなさい」「ローラーをかけなさい」と答える。要領を得ない返事にむっとした富豪がさらにチップをはずむと、園丁は 「それを毎日繰り返して、500年経つとこうなるのだ」とこともなげに答える。その園丁が実はトリニティ・コレッジの学寮長で、真空放電の研究でノーベル賞を受けた実験物理学の泰斗、勲爵士J.J.トムソン教授であった。20世紀に入ってアメリカが大国として台頭し、イギリスの斜陽が次第に明らかになってきた時代におけるイギリス人の自国意識を表すエピソードでもあるのだが、芝生の庭に対するイギリス人の愛着を明らかにするものである。
(飯田 操 著 『ガーデニングとイギリス人』より)




No.1378 『人生の意味が見つかるノート』

 5月13〜14日と三沢春の山野草展があり、その準備や山野草の名前付けなどで、なかなか本を読む時間がありませんでした。
 でも、この本は小冊子なので、少しずつ、時間を区切って読むことができました。出版社は「アスコム」というところで、おそらく、初めてここのを読んだような気がします。
 日本の出版社でも、大小含めていろいろあるでしょうが、これからは、なるべく聞いたこともない出版社の本を読んでみたいと思いました。
 この本の著者は、表紙にも「2800人を看取った医師が教える」とありましたが、1991年に山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程を修了したそうで、救命救急センターや農村医療に従事したあとに、横浜蘇生病院ホスピス病棟に勤務し、2006年「めぐみ在宅クリニック」を開院したといいます。
 しかも、2015年には、一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を設立し、一人でも多くの方々が、生きてきてよかったと思える最後を迎えることができるようにと全力を尽くしているそうです。
 たしかに、この本を読むと、そのことがよくわかります。
 具体的には、この「めぐみ在宅クリニック」では、ディグニティセラピーをおこなっているそうです。これは「患者さんに、ご自身の人生を振り返っていただくというものです。患者さんの人生にいかに価値や意味があったかを、患者さんご自身に知っていただくと同時に、患者さんと周りの方の間に、たとえ患者さんがこの世を去っても、決して消えることのない粁をつくつていただく。」というのが目的だそうです。
 もっと具体的には、「患者さんに「あなたが一番生き生きしていたのは、いつごろですか?」「あなたが人生から学んだことで、ほかの人たちに伝えておきたいのは、どんなことですか?」といった質問にお答えいただき、その回答の内容を、私たちが、患者さんから大切な人への手紙という形にまとめます。」ということでした。
 だから、この本のなかには、要所要所に質問が書いてあり、それに回答を書く場所が添えられています。だから、ほんとうに小冊子ですが、さらにそのようなスペースがありますから、誰にでも読みやすくなっています。
 そして、心に響くことがいくつも書いてあり、たとえば、「苦しみを通してしか知り得ないこと、学べないこと、手に入れられないこともたくさんある」と書いてあり、たしかに苦しみはできれば避けて通りたいと思うのが普通ですが、その苦しみだって考えようではありがたいことに通じるのではと思いました。
 下に抜き書きしたのは、人間はいろいろな苦しみや悩みがありますが、それは自分が願う希望と現実のギャップから生まれることが多いといいます。たしかに、そうです。体力的にできないのにしてみたいといっても、それはしょせん無理ということです。
 だとすれば、あまり悩んだり苦しまないためには、希望と現実のギャップを少しでも埋めればいいということになります。
 ぜひ、皆さんも考えてみてください。
(2017.5.12)

書名著者発行所発行日ISBN
人生の意味が見つかるノート小澤竹俊アスコム2017年2月1日9784776209331

☆ Extract passages ☆

 あらゆる苦しみは、「こうだったらいいな」という希望と、現実とのギャップから生まれます。そのため、努力などによって希望を実現するか、現実に合わせて希望の設定を変えることで、解消できる苦しみもあります。
 加齢による身体能力の衰えに悩んでいるなら、食事や運動によって身体機能をできるだけ維持するよう努めるか、あるいはあまり身体に無理をさせないよう、生活の仕方を変える。
 ほしいものが高くて買えず、苦しみを感じているなら、何とかしてお金をつくるか、手持ちのお金で買えるもので我慢する。
 このようにして希望と現実のギャップを埋めれば、一部の苦しみは取り除くことができます。
(小澤竹俊 著 『人生の意味が見つかるノート』より)




No.1377 『四季の植物』

 今日5月9日の午前中に、地元の小学生3〜4年生の授業の一環として、植物の話しをしてきました。これは三沢春の山野草展に小学生たちも参加してもらうこともあり、そのオリエンテーションの意味もあります。
 だから、この本を選んだ訳ではないのですが、たまたま新刊として出ていたので求めたのです。著者とは、1988年5月にインドのマナリーにいっしょに行ったことがあり、わが家にも来ていただいたことがあります。今でも年賀状の交換をしていますが、その世界の植物を自分の目で見ようという積極的な探究心はすごいと思います。
 だから、その著者の本ですから、ぜひ読みたいと思いましたし、その時期もタイムリーでした。
 もう小野川ではヤマザクラも散ってしまいましたが、このサクラを漢字で書くと「桜」ですが、旧字は「櫻」でした。これを覚えるのに「二かいの女がきにかかる」などというのを聞いたことがあります。でも、その意味までは考えませんでした。著者は、「纓は糸偏が示すように冠を結ぶひもで、瓔は偏が玉から転じ、玉を連ねた飾りである。旁の嬰は宝貝を二つに組み合わせた女性の首飾りから作られた漢字とみられる。では、サクラの木のどこがそれに当るかといえば、サクランボである。二つ連なり、光沢があって美しい実が、宝貝の女性の首飾りに似ると見立てられたのである。サクランボのように長い柄で二つが組み合わさる果実は、珍しい。つまり、櫻は花に因んだ名ではなく、シナミザクラの果実に基づくのである。」とあり、まさかサクランボにつながるとは及びも付きませんでした。
 また、ハギの語源についても、一般的には「生え芽」とする説が有力ですが、著者は、「ハギの語源は「生え芽」とする説もあるが、私は枝を箒に使った「掃き」ではないかと考える。葉は伐ると夏でもすぐ落ち、小枝が多く、箒にしやすい。小豆島では昭和三十年代まで、冬休みにハギの枝を集め、学校で使う箒を作ったと聞く。その年に伸びた若い枝は柔軟性があり、籠に編まれた。牛馬を農作業に使役させていた頃は飼料にもされていた。」と書いていて、なるほどと思いました。
 やはり、各地を訪ね歩き、植物だけでなく、いろいろなことに興味を持っている方の話しは納得できるし、おもしろいと思います。権威者が言ったから、というのではなく、自分で観て考えたというところに好感が持てます。
 ヒイラギの話しなどもそうですが、植物を多方面からの視点で見つめ直すということは、とても大事だと思いました。
 下に抜き書きしたのは、アジサイについて書いたところで、これは初耳でした。しかも、そのアジサイとホタルを読み込んだ和歌があるというのも初めて知りました。
 ここ小野川温泉は、ほたるの里でもあり、藤原定家の「あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば よひらの数の 添うかとぞ見る」というのをぜひ覚えておきたいと思いました。この「よひら」とは4弁の意味で、アジサイの装飾花の萼が4枚で大きく目立つことからの表現だそうです。
 とすれば、昔の歌人たちも、しっかりと自然の姿を見て歌を詠んでいたということに感心しました。
(2017.5.9)

書名著者発行所発行日ISBN
四季の植物(ちくま新書)湯浅浩史筑摩書房2017年3月10日9784480069481

☆ Extract passages ☆

 この陽と陰との両面は、近代まで続く。アジサイの花の色変わりを七変化と表現、移り気な心にたとえ、また、化花(ばけはな)、幽霊花の名で呼ばれるなど気持悪く思われる一方で、軒下にかけ、戸口に吊し、門守(かどもり)として厄除けや蓄財を願う俗信もあった。アジサイの名を集財(あづさい)にかけて、金が集まると見立てたのである。
(湯浅浩史 著 『四季の植物』より)




No.1376 『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』

 毎年、ここ三沢地区では、春の山野草展をしています。今年で41回目の開催ですが、その行事に地区の小学生3〜4年生も参加します。具体的には、地元の山に入って、山野草を学んだり、許可をいただき1株だけわけてもらい、それを鉢植えにして展示します。
 そのときに、児童たちに話しをするのですが、やはり自然と接するときの心構えみたいなことを小学生にもわかるように話すのがなかなか大変です。だから、というわけでもないのですが、たまたまこの本を図書館から借りてきて読みました。
 この本のなかに書いてある「生態系サービス」ということをもっと簡単にして話したことがありましたが、そもそもこの考え方は、「米国の環境経済学者ロバート・コンスタンザらは、1997年、『ネイチャー』誌に論文「世界の生態系サービスと自然資本の価値」を掲載し、生物多様性が人間の生活にとってどういうサービスをもたらしているかを評価することの重要性を打ち出した。……生態系サービスには、まず、食料・水・木材のような「供給サービス」、気候・洪水・疾病などに影響する「調整サービス」、レクリエーションや精神的な恩恵を与える「文化的サービス」、という人間に直接利益をもたらしてくれる三つのサービスがあり、そして、それらのサービスを裏で支える、栄養塩循環・土壌形成のような「基盤サービス」があるとされた。」と書いています。
 たしかに経済学的な考え方かもしれませんが、ある程度の数量化を試みるためには、必要な枠組みのような気がします。私も学生のころに、社会会計学という新しい社会科学に挑戦したことがありますが、ある一つの政策を実施することによってその成果はどのぐらいになるかという価格比較は大事だという考え方です。数字で表すことによって、比較できます。
 そうして導き出されたさまざまな数量化によって、比較ができるようになり、それが合意形成へと進むことになります。この合意ということもなかなかくせ者でして、この本でも、「現場でおこなわれている「合意」の多くは、完全に意見が一致したというよりも、信頼関係のうえの妥協だったり、相互理解による納得だったりする。ちゃんと話しあったし、こちらの意見も聞いてもらったし、相手の気持ちもわかったし、何より同じ時間を共有して信頼関係ができたし、といったことが、つまり「合意」なのである。合意の本質は多角的なコミュニケーションに基づく納得であり、合意形成とは、納得へ向けての多面的なプロセスの束である。」と書いています。
 つまりは、多くの人たちの意見を集めて合意にもっていくためには、あまりにも広い範囲に呼びかけるのではなく、ある程度、相互関係のあることが大切だということになります。
 この本を読むまでは、おそらく自然を再生するさまざまなノーハウが書いてあるのかと思ったのですが、実際にはさまざまな人たちの話しを聞いたり、その場所を見たり、そして歩くことが大切だということのようです。
 下に抜き書きしたのは、この本の最初で紹介のような形で掲載されている宮城県石巻市北上町の小滝集落の岩のりに遠藤栄吾さん、大正15年生まれの方の話しです。
 山には山の決まりみたいなものがありますが、海にも海の決まりや昔からのやり方があると思いました。
 そして、そのような再生産に結びつくような考え方は、とても大事だと思います。
(2017.5.6)

書名著者発行所発行日ISBN
歩く、見る、聞く 人びとの自然再生(岩波新書)宮内泰介岩波書店2017年2月21日9784004316473

☆ Extract passages ☆

「フノリなんかはね、採らないと、岩に余計な草がつくんだ。ノラというノリみたいな草がついて、食用に適さなくなる。だから採ったほうがきれいなのが生えてくるんだ」。
 へえ、と思う。これは意図的な資源管理をしているということになる。採ることで、次の年もちゃんとフノリが生えてくるというわけだ。
 さらに遠藤さんはこうも教えてくれた。「繁殖時期に採ったノリを、水で洗ってその水をじょぅろで岩にかけるんですよ。そうすると、すぐ密着してしまうんだ。流れないんです」。
 これはつまり種付けだ。ノリの胞子を岩に注ぎ、次の資源再生をうながす。
 岩のりの採集と言えば自然のものを自然のまま採集していると考えられがちだが、必ずしもそうではない、ということを小滝集落の磯物採集は示してくれる。
 遠藤さんは、さらに興味深い話をしてくれた。かつて、岩のりがつきやすいように積極的に岩場を改変していたという話だ。
(宮内泰介 著 『歩く、見る、聞く 人びとの自然再生』より)




No.1375 『喜びから人生を生きる!』

 この本は、たまたま図書館で手にした1冊ですが、副題の「臨死体験がおしえてくれたこと」や、まえがきをウエイン・W・ダイアー博士が書いていて、ちょっと興味を持ちました。
 そのまま少し立ち読みをしましたが、286ページもある本なので、もう少し内容を知りたくて、借りてきました。7冊ほど借りてきたなかの1冊です。
 著者は、インド人の両親のもとでシンガポールで生まれ、2歳のときに香港に移り、人生のほとんどを香港で暮らしているそうです。臨死体験をしたのは2006年の初めで、そのことは本のなかでも詳しく書いています。
 では、臨死体験をして、向う側の世界に行ったときはどのようなものかというと、著者は「時間のあらゆる点を同時に知覚できるというのは、向こう側の世界での明確な理解に役立っていましたが、今それを思い出したり、説明しようとすると混乱が生じます。直線的時間が存在しない時、出来事の連続性ははっきりしなくなり、それについて話すと不自然な感じがしてしまうのです。五感の制限により、私たちは時間の一つの点に集中させられ、これらを一列につなげて直線的現実を創り上げているように思えました。さらに、私たちの身体の制限された知覚が、目で見え、耳で聞こえて、触ることができ、匂いを嘆ぎ、味わえる範囲に閉じ込めているのです。でも、身体的制限がなくなった私は、時間や空間のあらゆる点と同時に関われるようになりました。」と書いています。
 つまり、時間も空間も、いろんな点で自由になったということです。身体的制限がなくなったということは、五感の制限もなくなったということです。だから、どこへでも自由自在に関われるということです。
 むしろ、言葉で言い表せないほどの自由さみたいです。
 また、ではその臨死体験をした後のことを、これも著者は、「今の人生が終わったあとも生き続けると知っているので、肉体的な死を恐れておらず、今自分がいる場所以外のところへ行きたいという願望もなくなりました。もっと地に足をつけて、死後のことよりも、今この瞬間のすばらしさにすべての注意を向けようと思っています。」と言い切っています。
 でも、それはインドで考えられているような輪廻転生ではなく、時間がただ存在し、自分がその時間の中を移動しているように感じられたそうです。つまり、時間は早く進んだり遅く進んだりだけではなく、前後左右に動いているということです。
 ただ、そのような状況は、ちょっと理解できません。そもそも、それが時間だとはなかなか理解できないのです。
 しかし、この現実世界は「表現するための遊び場」だという言い方は、なんとなくわかるような気がします。それは、現実的にこの身体がなければ表現のしようがないからです。たとえば、演劇でも映画の世界でも、出演者が実際にいなければ、表現する人はいないわけですから、それでは困ります。
 でも、下に抜き書きしたように、「信念は、自分が確かだと思っているものだけを受け入れ、他のものはすべて閉め出してしまいます。」というのは、理解できます。よく、信念を持てといいますが、むしろその信念こそがいろいろなことに気づかせてくれる邪魔をする場合があります。
 この本に書かれていることがすへて信じられるかというとなかなかそこまではいきませんが、このような考え方はあるとは思いました。
(2017.5.3)

書名著者発行所発行日ISBN
喜びから人生を生きる!アニータ・ムアジャーニ 著、奥村節子 訳ナチュラルスピリット2013年6月15日9784864510820

☆ Extract passages ☆

気づきとは、判断せずに、何が存在していて、何が可能かを理解することを意味します。気づきを得れば、防御する必要がなくなります。それは成長とともに拡大していき、すべてを取り囲み、ワンネスの状況に近づけてくれます。そこは奇跡が起こる場所なのです。それに比べて、信念は、自分が確かだと思っているものだけを受け入れ、他のものはすべて閉め出してしまいます。
 ですから、私の癌の治癒は、信念によるものではありません。臨死体験は純粋な気づきの状態で、その時、これまで持っていた教えや信条は完全に消えていました。この状態が、私の身体の修復″を許したのです。言い換えれば、私の癒しに必要なのは、信念を捨てることでした。
 生きることへの強い欲求を完全に手放した瞬間、私は死を体験しました。そして、死にゆく中で、まだその時は来ていないと悟ったのです。自分が望んでいたものを進んで手放そうとした時、本当に自分のものだったものを受け取りました。それは、望んでいたものよりはるかに大きな贈り物でした。
(アニータ・ムアジャーニ 著 『喜びから人生を生きる!』より)




No.1374 『空海! 感動の言葉』

 この文庫本は、3月に四国八十八ヵ所のお遍路に行くときに持って行ったのですが、実際に行ってみると、各札所を巡拝するだけで精一杯でした。そして夕方からは、翌日の行程を考えたり、宿泊の宿を手配したりと、なかなか時間がなく、予定の半分も本を読むことができませんでした。
 いつもの旅なら、電車などの移動時間でも読めるのですが、今回は自分で運転したので、それもできませんでした。それで、今頃になってから、読み出したというわけです。
 この本葉、もともとは2003年に鈴木出版から発行された『弘法大師空海のことば』を文庫化したものだそうで、新しく編集したものだそうです。たしかに、題名を変えただけでも、その本の印象はだいぶ変わります。
 また、まさに法話をするような雰囲気で書かれているので、読みやすいこともあり、理解もしやすかったようです。でも、簡単にしてしまい、なんか、本質が抜けてしまったのではないかと思わせるところもありました。このあたりの、さじ加減が難しいと思います。
 でも、読者は普段はあまり宗教にかかわりのない一般の方々でしょうから、わかりやすいということも大事です。
 たとえば、空海で有名な言葉は、「弘法は筆を選ばず」というのがありますが、実際には遣唐使として中国に渡ったときに筆の作り方も学んできたといいますし、著者も「空海さんは淳和天皇が皇子のとき、狸の毛で楷書用、草書用などの書体に合わせてつくらせた「国産品第一号」の筆を献上しました。この「能書は……」ということばは、そのときの献上文の一節です。空海さんは天皇に、「陛下が良い書をお書きになろうとお思いになられましたら、どうかその書体に合わせた筆をおもちください」と申し上げたのです。」と書いています。
 空海の言葉は、『遍照発揮性霊集』には、「能書は必ず好筆を用う」と書かれているそうです。
 これでは、あまりにも当たり前過ぎますが、やはり、それが真実なんでしょう。いくらがんばったとしても、小学生が持つような筆で、掛け物のような文字は書けないことぐらいはわかります。でも、心のどこかに、そうは言っても筆だけではないという気持ちがあり、このような言い方がされてきたのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、空海の『真言付法伝』の1節だそうで、「大弁は訥なるが若し」の説明として書かれたものです。
 たしかに、講演などで人を感動させるのは、上手なしゃべができる人よりは、訥々と話す人のほうが多いようです。
 ぜひ、この言葉を胸に秘めて、これからは話してみたいと思いました。
(2017.4.30)

書名著者発行所発行日ISBN
空海! 感動の言葉(中経文庫)大栗道榮中経出版2011年2月25日9784806139843

☆ Extract passages ☆

 和尚は、人の心と心が以心伝心するとか、相手の話に感応することを、いつも音叉の話にたとえます。
 人間はひとりひとり心のなかに音叉をもっていて、相手の発する声の周波数がこちらの音叉の周波数に合わないと、音叉は共鳴しません。そうかと思うと、人と会話をしていて、こちらが何気なくいったことばに相手がすっかり感動して、突然涙ぐんだりすることがあります。それは、こちらが相手の音叉と同じ周波数の苦を出したために、相手の音叉が共鳴して鳴りだしたのです。相手の音叉が共鳴するのは、こちらのことばのなかに「真心」がこもっているからです。人は真心のこもったことばに感動するのです。少しでも相手を利用して自分の利益にしようとするような気持ちをもって話せば、相手の音叉は鉛のようにびくとも動きません。
 真心のこもったことばは、立て板に水のようなおしゃべりからは出てきません。むしろ人は感動すると、ことばが出ないものです。感激すると涙で声がつまってしまいます。
(大栗道榮 著 『空海! 感動の言葉』より)




No.1373 『先入観はウソをつく』

 この本のタイトルだけでもインパクトがあるのに、副題は「常識や定説を疑い、柔軟な発想を生む方法」とあり、見つけたらすぐに読んでみたくなりました。
 やはり、本の題名や装丁というのは、中味と同じぐらい大事なものだと思いました。
 そして、書き方が具体的なこともあり、一気に読んでしまいました。でも、やはり人が訪ねてきたりすると中断してしまうのは仕事柄しかたがありませんし、年を重ねると目を休ませることも大事なので、結果的に2日もかかってしまいました。
 では、先入観というのはすべて悪いかというとそうではなく、著者は、「先入観という言葉を辞書で引くと、「前もって抱いている固定的な観念。それによって自由な思考が妨げられる場合にいう」 と書かれています。つまり、人は先入観があるばかりに、物事をそれだけで判断してしまうということが、日常生活のなかで多々あるのです。もちろん先入観は悪いことばかりではありません。……人間の脳は、朝起きてから夜寝るまでの間に、膨大な情報を脳内で処理し、選択と決断を繰り返し、必要な情報だけをインプットしています。情報処理するだけで人は多くのエネルギーを使い、消費しますから、脳が容量オーバーしないようにするために、人は先入観を持つようにできているのです。当然ですが、人生の経験値が多い分、先入観は子どもより大人のはうが多くなります。それだけに年をとるにつれ、頭が固くなると言われますし、反対に子どもほど「考え方が柔軟だ」と思われるのは、先入観が少ないからです。」と書いてありました。
 そう、考えれば、たしかに先入観はとても大事なことですが、それだけですべてを判断してしまっては困ることもあります。さらに、新しいことを学ぶこともあまりできません。それでは、時代が変わったり、海外に旅行に行ったりしたときに、とまどってしまいます。
 そこで著者は、「受け入れ箱」と「比較箱」というイメージを大脳のなかにつくることを提案しています。
 そして、先入観を80%とすれば、「受け入れ箱」を10%、「比較箱」を10%ぐらいにするというものです。たとえば、自分の考えと違ったとしても、先ずは「受け入れ箱」にいったん入れて置いて、翌日ぐらいには「比較箱」で自分の先入観とその新しい自分と違う考えを比較するのだそうです。
 そうすれば、すぐに判断できなくても、いったんは聞く耳を持つことができます。そして、ある程度は時間をかけて咀嚼することも可能になるというわけです。
 たとえ時代が変わったとしても、外国に行ったとしても、それなりに受け入れ体制は整うことになります。もちろん、最終的にはそれらをすべて受け入れるわけではなく、たとえば、外国から帰国すれば、もとの考えに戻ってしまうことはあり得ます。
 それでも、自分の先入観を見直すきっかけにはなります。
 下に抜き書きしたのは、日本とヨーロッパの戦の違いについての話しです。これを読むまでは、ほとんど意識してなかったのですが、たしかに江戸時代までの戦では、一般のほとんどの民衆は、命や財産を失うことは少なかったようです。このような説明をされると、なるほどと納得してしまいます。
 これは、戦というものに対する先入観ですが、戦といえども、日本とヨーロッパでは違うということを、改めて考えました。
 さらに、今、天皇後継の問題でいろいろな議論がなされていますが、このような深い存続の意義があることにも考えさせられました。
(2017.4.28)

書名著者発行所発行日ISBN
先入観はウソをつく(SB新書)武田邦彦SBクリエイティブ2017年2月15日9784797389180

☆ Extract passages ☆

……フランス人の技術者もこう言っています。
「私たちが学校で歴史を学んだときに、戦争を行うのは相手の兵士を殺すだけでなく、そこに住んでいる住民や財産もかっさらってしまい、そうして領土を広げていくというのが、 私たちヨーロッパに住む者の考え方だと教わりました」
 ところが日本人は違います。殿様同士で争いごとが起きたとき、両者の兵を交えて戦い、その勝者が領土を得られるというのは、当然のことでありますが、だからといって戦をし たから町民や農民の身に被害が及ぶなんてあり得ないのです。
 それではどうしてこういう常識が生まれてしまったのか。それは日本が「国」だったからです。日本は今からおよそ2000年前にできてからというものの、殿様であれ、武士であれ、町民であれ、農民であれ、すべてが日本国民であり、その上には必ず天皇が存在していました。そのため、徳川家が豊臣家との戦いで勝利しても、町民や農民はすベて天皇に所有権がある」という認識をされていたために、戦で傷つけられるようなことは一切ありませんでした。
(竹田邦彦 著 『先入観はウソをつく』より)




No.1372 『にほんご万華鏡 3』

 この本の装丁を見て、そのイラストに惹かれて、先ずは手に取りました。
 そして、読んでみると、とても洗練された日本語で書かれていて、その世界にどっぷりと浸かったように読みました。なるほど、というところや、初めて知ったことなどもあり、楽しく読ませていただきました。
 この本の題名の前に、「天国からの贈りもの」とあり、どのような意味でこのような形容詞がつけ加えられたのかな、と思いましたが、読んでみて納得しました。
 著者は、2015年8月に大腸ガンで亡くなられたそうで、享年62歳だったそうです。
 10年ほど書き続けた、法律家たちの交流誌『ニューズレター』のエッセイを集めたのがこの本で、すでに2冊出されているようです。いずれ、それらも読んでみたいと思っていますが、下に抜き書きしたように、おそらくこの仕事を継続したかったに相違ありません。この文章は「妻への言葉 あとがきにかえて」を書いた夫の小野寺久氏の言葉です。
 この本を読んで、初めて知った言葉に「狐之を埋めて狐之をあばく」というのがあります。この「あばく」というのは、パソコンではでないようで、本には「手偏に骨」という文字でした。そして意味は、「狐は捕らえた獲物を土の中や雪の中に埋めて貯蔵しておき、必要な時に掘り起こす習性があります。しかし、狐は疑い深いので、埋めた食べ物を何度も掘ったり埋めたりして確認します。すると、ライバルの狐や他の動物に隠し場所を気付かれてしまい、横取りされてしまいます。このように、疑い深すぎて、自ら物事をぶち壊してしまうことをいいます。用心深さも度を超すと愚かさにつながります。出典は春秋時代の『国語(呉語)』です。」とあり、やはり、あまりにも慎重過ぎるとそれが災いをもたらすかもしれないと思いました。
 また、身につまされたのは「秋の入り日と年よりはだんだん落ち目が早くなる」という、あまり聞いたことはないのですが、実感として感じるようになってきました。
 あちらが痛い、こちらの調子が悪い、というのは前より多くなってきたようですし、回復に時間もかかるようになってきました。
 それでも、本を読むにはほとんど差し支えないので、毎日、本だけは離せません。
 そういう意味では、この『本のたび』も、私の楽しみのひとつかもしれません。
(2017.4.25)

書名著者発行所発行日ISBN
にほんご万華鏡 3小野寺牧子中央公論新社2016年9月25日9784120048913

☆ Extract passages ☆

 彼女自身が仕事を継続することは叶いませんでしたが、彼女の蒔いた種がどこかにつながればと思っています。言葉は、人の心を、人生をも変えることが出来ます。彼女の思いが社会的に共有され、人々の豊かな人生のために少しでも貢献できるとしたら、嬉しい限りです。彼女を亡くしてからは見えない風景が見え、聞こえない会話が聞こえるように思えます。彼女が命を懸けて教えてくれたものは、医師としてあるべき患者への思いやりや心配りだったように思います。
(小野寺牧子 著 『にほんご万華鏡 3』より)




No.1371 『ブックカフェものがたり』

 この本を見て、最初は「ブックカフェ」というのは、単に本とカフェを組み合わせているのか、と思ったのですが、いろいろなバリエーションがあるようです。
 もちろん、いまさらネットカフェをしたいと思って読み始めたわけではなく、ただ本もコーヒーなどの飲み物が好きという単純な理由からです。それでも、快適な読書空間づくりに少しは役立つかもしれないと考えました。
 そして、本を読みながら、美味しいコーヒーを飲めれば最高ですから、そのような期待も少しはありました。
 でも、実際には、これからネットカフェを開きたいという方の指南書のようなもので、あまり期待したものとは違うようです。でも、このようなネットカフェが増えてくれればいいな、と単純に考えましたが、この本が出版されたころの話しで、この巻末に掲載されたお店もだいぶ少なくなってきたようです。それも、大手の三省堂書店が大丸東京店に開いた「BOOKS & CAFF」もやめたみたいですし、詳しく調べれば開いては閉じたりの世界のようです。
 もちろん、商売としてなりたつには、いろいろな大変な問題もあります。それらは、この本にも書かれていますから、これから開きたい方にはぜひお読みいただきたいと思います。
 でも、それでもやりたいというのは、「ミハス・ピトゥー」を開業した原田裕一さんのように、「未知のことは山ほどありました。でもそれは行動で補なうしかない。その積み重ねでした。人間の力というのは、経験から生まれると僕は思っているんです。行動すること、それだけです。頭のなかで描いていても、なにも始まらない。作家の宇野千代さんの言葉で、「生きることとは行動することである」「才能とはすなわち情熱である」という言葉があって、そのふたつは、僕のすごく好きな言葉ですね。」と、言い切れるような熱血漢がいいかもしれません。
 あるいは、「カフェ・オーディネール」を開いた秋元高志さんのいうように、「図書館を想像してみてほしいのですが、本に囲まれるのってどこか厳粛なムードがありますよね。下北沢の街はどうしても雑多な感じがするので、雑貨屋などの雰囲気ではなく、もっと静かで、ゆったりと過ごせる空間をつくりたかった。美味しいコーヒーがあって、ジャズが流 れていて、書籍がたくさん置いてあって、カウンターでは皆、本を読んでいる、あとはなにもいらない――そういう風景がいいなと。僕の頭の中にあるイメージの根底にはジャズ喫茶があって、そこでは皆、読書をしているんです。そう、現代版のジャズ喫茶のような感じですね。」というように、自分の想い描くイメージがしっかりしているとかが必要だと思います。
 下に抜き書きしたのは、このネットカフェを開きたいという方たちの共通する思いだそうです。
 たしかに、「のんびりしてほしい」というのはわかりますが、それがいかに商売からかけ離れたものか、それが開いたときのギャップになりそうです。
(2017.4.22)

書名著者発行所発行日ISBN
ブックカフェものがたり矢部智子・今井京介ほか 著幻戯書房2005年12月15日9784901998154

☆ Extract passages ☆

 取材をすすめるにうちに気付いたこと――それは、彼らがみな「ゆっくりしていってほしい」という思いでブックカフェを開いていることである。商売を第一に考えるなら、本はその場で読まずに買って帰ってもらいたいだろうし、カフェならお客さんの回転が速いほうがいいはずだ。けれど彼らは口をそろえて「楽しんでほしい」「のんびりしてほしい」と言う。ものを売ったり、提供したりするだけでなく、そこに留まってなにか考えたり、あるいはなにも考えなかったり。そんな「なにか」が見つかるところ。それがブックカフェというものなのだろう。
(矢部智子・今井京介ほか 著 『ブックカフェものがたり』より)




No.1370 『星に願いを、いつでも夢を』

 なんか聞いたことがあるような題名だなあ、と思っていたら、最後の「あとがき」で、実在した時代の名曲を2つ組み合わせてタイトルにしたと書いてありました。なぜというと、今は「願い」も「夢」も消滅しつつあるからだといいます。
 だからといって、あの時代がよかったのかというと、冷静に考えれば、少なくとも今よりは大変だったと思います。むしろ、大変だったからこそ、願ったり夢をみたりしたのではないかとさえ思います。
 しかし、今のなんともとらえどころのない時代がいいかというと、それもなかなか肯定はしたくありません。そこが難しいところです。
 そういえば、「誰が正しいか、何が正しいかなど、考えない。自分が間違っているかどうか、そんなことはどうでもいい。自分と反対意見の人は、それだけでもう敵だ。しかも論理的というだけで、嫌悪感を覚える。重要なのは論理ではない。感情だ。声高に、自分と同じような価値観を叫ぶ人には喝采を送る。何が幸福なのかなど、決して考えない。悪いのは、自分以外の人、自身以外の世界のすべてだ。誰も自身を好きになってくれないとわかっている。」と書いていますが、まるで、ある国の大統領みたいではないか。
 というより、世界中がそのような傾向になり、だからこそ選ばれてしまったといえるのかもしれません。
 でも、それはやはりおかしいと思います。まさに言いっ放しの世界のようです。論理もなにもないような前近代的な考え方のようでもあります。
 攻撃されるよりも先に、攻撃してしまえというようなものです。
 著者は、また、何かに出会うために必要なものは、好奇心かもしれないし冒険かもしれないと書き、つまりは「リスクを取る」ということではないかといいます。このリスクが他のリスクを呼び寄せ、多くの出会いを引き寄せるのではないかといいます。それを、「リスクの隣に、多くの出会いが潜んでいる」と表現しています。
 たしかに、これはありだと思います。リスクのない出会いなんて、なんの役にも立たないものです。そのリスクを引き受ける覚悟こそが、本当は必要なのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、そのリスクについてのことを書いています。
 歳を取ると、なるべく無難なことをしたがります。ちょっと言い方を変えれば、慣れ親しんだものが一番楽です。でも、たまにはそれ以外のことをすることによって、新たな楽しみと出会えるのではないかと思っています。
(2017.4.18)

書名著者発行所発行日ISBN
星に願いを、いつでも夢を村上 龍KKベストセラーズ2016年11月30日9784584137581

☆ Extract passages ☆

 歳を取ると、リスクを取るのも限定的になるし、嗜好などは保守的になる。わたしは、食事でも知らない店には行きたくないし、知らない人と合うのもおっくうになった。そういった雰囲気が今の社会には充ちている。「内向き」といわれる若者はそういう年寄り、大人たちの価値観に従っているだけだ。
 わたしも、不要なリスクなど取りたくない。わたしがリスクを取るのは、小説のモチーフを選ぶときだけだ。「なんでこんな面倒なテーマをわざわざ選ぶのだろう」と思いながら、渋々、リスクと向かい合っている。
(村上 龍 著 『星に願いを、いつでも夢を』より)




No.1369 『漱石と煎茶』

 お菓子とくれば、次はお茶かコーヒー、あるいは紅茶などの飲み物なので、ここでは煎茶について考えてみたくなりました。
 しかも、今はなぜか夏目漱石が改めて読まれているとかで、ある種のブームみたいになっているそうです。いつもは、ブームと聞いただけで避けてしまうのですが、今回は「坊ちゃん」の松山市を訪ねたこともあり、読んでみたくなりました。
 著者の小川後楽は、煎茶の小川流6代目家元だそうで、ほとんど煎茶について知らないこともあり、その煎茶についても興味がありました。抹茶は、もう40年以上もしているので、なんとなくわかりますが、煎茶はその道具のことすらわかりません。
 漱石が、「草枕」のなかで、「取り上げて、障子の方へ向けて見る。[中略]茶碗を下へ置かないで、其儘口へつけた。濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずく宛落して味って見るのは閑人適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得て居るが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液は殆んどない。只馥郁たる匂が食道から胃の中へ沁み渡るのみである。と書いているそうですが、この「一しずく宛落して味って見る」といわれても、あまり実感としてわかりませんでした。そこで、玉露を買ってきて、試してみると、たしかにほんの少しお湯を入れて飲むと、たしかに美味しいのですが、なんとも物足りないのです。お抹茶だと、それなりの量があるので、ゆっくりと楽しめるのに、人しずくずつでは、少なすぎます。
 そこで、思い切って多く茶葉を入れてお湯も多めにすると、あの甘さは喉の癒やしに奪われてしまうのか、どうもわからなくなってしまいます。
 つまり、いろいろと試してはみたのですが、お茶を飲むというのは、喉の渇きを癒やすためのものでもあり、それはそれでもいいのではないかと思いました。
 この本には、売茶翁の名がときどき出てきますが、だいぶ前から売茶翁の書いた軸が欲しくて、探したことがあります。ところが、なかなか真筆はなく、未だ持って手に入らないでいます。その売茶翁のことについて、「煎茶道中興の祖、売茶翁の煎茶は、茶を売って身過ぎする単なる一服一銭ではなく、尊王の「有心」を秘めたものであった。そのことを見抜いていた一人に、尊王派の志士たちの精神的支柱ともされた頼山陽がいた。そうした尊王の精神的部分を広げた「煎茶」が、可進によってさらに具体的な内容を伴って成長する。尊王の象徴としての「煎茶」が、より確かなものとして、近世の歴史に深く刻まれていくことにもなる。」と書いてありました。
 さらに下に抜き書きしたのは、漱石がいかに売茶翁に関心を寄せていたかについての文章です。
 まさか、その俳句まで作っていたとは、この本を読んで初めて知りました。たまには、お抹茶だけでなく、このような本を読みながら煎茶も飲んでみたいと思いました。
(2017.4.15)

書名著者発行所発行日ISBN
漱石と煎茶(平凡社新書)小川後楽平凡社2017年1月13日9784582858235

☆ Extract passages ☆

 漱石も早くから売茶翁に関心を抱いていた。売茶翁を詠み込んだ最初の句、「梅林や角巾黄なる売茶翁」は32歳の時、山川らと『草枕』の舞台小天温泉に出かけた翌年のことだった。さらに、その年の終わりにはもう一句「水仙や髯たくわえて売茶翁」の作を残している。見事な髭を蓄えた前田案山子が、漱石の目の前で、手慣れた手つきで小さな煎茶器を扱い、「濃く甘く、湯加減に出た、重い露」を振る舞ってくれる姿に、思わず売茶翁を重ね見る思いになっていたのだろう。「舌の先へ一しずく宛落して」味わった茶は、深く印象づけられていたのだろう。
(小川後楽 著 『漱石と煎茶』より)




No.1368 『作家のお菓子』

 本も好きだし、お菓子も好きということで、なんとなく手に取った1冊です。
 このシリーズは写真も多く、編集も図録的で、楽しく読むというか、見せていただきました。なかには、これは食べてみたいと思うお菓子もありました。
 それよりも、食べたことのあるお菓子も多く、たとえば、松江風流堂の「朝汐」や「山川」などは先月いただいたばかりですし、京都の松屋常磐の「味噌松風」などは、関西に行くとほとんどと言っていいほど、買ってきます。
 また、同じ京都の田丸弥の「白川路」はお茶の先生が大好きだったこともあり、これは必ず買ってきていました。でも、亡くなられてからは、あの喜ぶ顔が見られないこともあり、ちょっと遠ざかっています。
 お菓子にも、自分史がありそうです。
 最初は赤瀬川原平氏の話しで、写真も好きだったそうで、いろいろな思い出の写真も掲載されていました。胃が弱かったそうで、甘納豆を一粒一粒楽しんで食べていたとあり、そういえば、甘納豆にもその豆の種類により大小があり、胃の調子により食べられていいだろうな、と思いました。それに、爪楊枝でも挿しておけば、手も汚れないから、これはマネをしようかとも考えました。
 奥さんの赤瀬川尚子さんの文章のなかに、「仲間が集まれば、こし餡派、粒餡派に分かれ「粒餡論争」と称して話を楽しんでいた。いつか旅のお土産でいただいた「むらすゞめ」には薄い半月の外皮に炊き上がったばかりのような粒餡が包まれている。それには破顔で喜んでいた。」とあり、そういえば私は絶対に粒あん派だと読みながら思いました。
 この本の最後のほうに、「現代において、おやつや菓子は、どう食べようが、その人の自由であって、何の気兼ねなく、いつでも口に出来る。また地方の銘菓も電話ひとつ、インターネットで簡単に手に入る時代である。しかし、今、作家が好きだった菓子を食べることで、彼等の好みを知ると同時に、文章に活写された時代の雰囲気を想像しながら、ゆっくり味わってみたい。」と書かれていました。
 たしかに、作家によってだけではなく、時代によっても菓子は変わっていきますし、地方の銘菓でさえ、もしかするとなくなってしまうかもしれません。今は、そんな時代です。だからこそ、このような本が出るのかもしれない、と思いました。
 下に抜き書きしたのは、濱田庄司氏の孫の濱田友緒氏の「体と心の栄養」と題した文章です。お酒を飲めなかったというのは、初めて知りました。
 濱田庄司氏の子である晋作氏の作品やその子の友緒氏のと、いくつか持っています。抹茶碗などはあまり使わないのですが、湯飲みはときどき使うので、次には好きなお菓子を準備してお茶でも飲んでみたいと思いました。
(2017.4.12)

書名著者発行所発行日ISBN
作家のお菓子(コロナ・ブックス)コロナ・ブックス編集部 編平凡社2016年11月16日9784582635065

☆ Extract passages ☆

 食通というより健啖家であった濱田庄司。とにかく、うまいものを沢山食べた。そして、その活力で自身の作陶や民藝運動の主導、益子焼の発展への尽力や後輩の育成、日本中世界中の工芸品民芸品の収集などに邁進した。
 酒が飲めなかった庄司は、ビールの代わりにウィルキンソンのミネラルウオーターとバヤリースのオレンジジュースを食事に合わせていた。もちろん甘党なので、菓子類をこよなく愛した。菓子にはもっばら緑茶を、猫舌なので慎重にすすって飲んでいた。
(コロナ・ブックス編集部 編 『作家のお菓子』より)




No.1367 『わたくしたちの旅のかたち』

 今は旅番組は国内外とも盛んに放映されていますが、昔の海外の旅というと「兼高かおる 世界の旅」ぐらいしかありませんでした。
 でも、それを見ても、海外に行けるとはほとんど思ってなくて、行けるのはほんの一部の特殊な人だけと思っていました。今のように、隣のおじさんおじちゃんまで行ける時代が来るとは、考えもしませんでした。
 だから、ある意味、単なるあこがれで見ていたのかもしれません。この本の著者紹介をみると、取材国は約150カ国、地球を約180周、1年の半分を海外取材に費やしたと書いてあります。そういう意味では、まさに旅番組の先駆者のようです。
 前回読んだ『宗心茶話』も、高橋睦郎が堀内宗心に聞き書きをしてつくられた本でしたが、今回は二人の対談本で、なんとなく似ています。聞かれて、つい語ってしまうというのもあるのではないかと思いました。
 たとえば、曽野さんが「でも、旅行中は、なるべくコンディションを整えておきたいでしょう。わたくし、そんなときはヒューマニズムを捨てるんです。たとえば中近東のレストランへ行くと、店のおやじさんが、まずはピタという薄いパンを山盛りにして持ってきてくれますでしょ。すぐ前の道ではロバが糞をしていて、それが挨と一緒に舞い上がっているような道端のお店です。持ってきてくれたピタは熱々なんだけれど、少なくとも挨はたかっているんです。そういうところでは、身勝手ですが、ピタは必ず下から抜いて食べました。一番上のピタは、挨やいろいろな菌をかぶっているでしょう。申し訳ないのだけれど、それは慣れている土地の方に食べていただくしかないな、と(笑)。旅ではそういう利己的な自分とも向き合います。」と語りますし、他のところでは、環境によって悪人にでもなれるといいます。たしかに、これは本音だろうと思います。
 また、旅に出て初めてわかることとして、兼高さんが、「わざわざ苦労するという体験が大事なんです。現代の方々は、みなさん忙しいでしょう。若い方でも会社勤めの方なら、朝家を出て職場へ行き、夜まで働いて帰宅する。毎日それの繰り返し。たまに同僚やお客さんとお酒を飲みに行くことはあっても、それも多くは似たような顔ぶれです。それでは新しいアイディアなど浮かぶはずがありません。旅に出れば、日常のすべてから切り離されます。初めて見るもの、おもしろいものに触れれば脳が活性化します。海外へ出るという体験は、自分を成長させるための近道でもあるのです。」と話してますが、なるほどと思います。私といっしょに自生のシャクナゲを見に行った方ですが、もっといろいろな種類のシャクナゲを見ることができると思ったと話していましたが、自然のなかでは1種類でもなかなか見つけるのは大変です。でも、それを見つければ、その自生地の環境や生育状況などを深く観察すると、いろいろな性質が見えてきます。それが大切なんです。もし、種類だけを見たかったら、植物園に行ったほうが確実です。
 でも、自然のなかには、人間の想像を遥かに超えた何かがあるかもしれません。その何かは、行って見なければわからないことなので、そこが魅力でもあります。
 下に抜き書きしたのは、聖書の言葉、「叩けよ、さらば開かれん」について曽野さんが語っているところです。
 たしかに、その言葉通りの解釈ですが、もっと深い意味があると思っていたので、ちょっと肩すかしをくらったような気持ちでした。
(2017.4.10)

書名著者発行所発行日ISBN
わたくしたちの旅のかたち兼高かおる・曽野綾子秀和システム2017年2月11日9784798049144

☆ Extract passages ☆

 兼高さんがおっしゃったように、聖書の時代には、日暮れまでにやってきた旅人には寝床と水、それからパンを与えなければならなかったそうです。
 ところが、旅人たちは時間を守らず、もうすっかり夜がふけた頃になってやってくるんです。どの家もすでに扉を閉めていて、旅人がいくらドンドン叩いても「帰ってくれ」と冷たく突き放します。掟では「日暮れまで」となっているのですから、扉を開けないのは当然ですよね。
 でも、旅人はしつこくドアを叩くんです。しつこくすれば、しまいには根負けして扉を開けてくれるからです。「叩けよ、さらば開かれん」は、そこからきています。つまり、しつこさのすすめなんです。
 わたくしなどは 「しつこい人って、いやね」と文句の一つも言いたくなりますが、聖書のなかでは、しつこいことがいいことです(笑)。これも砂漠を生き抜くための知恵でしょう。聖書は、砂漠を旅する人にとつて第一級の教科書だと思います。
(兼高かおる・曽野綾子 著 『わたくしたちの旅のかたち』より)




No.1366 『宗心茶話』

 前々から読んでみたいと思いながら、そのままになっていたのですが、前回で『なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?』を読み、また思い出しました。
 こちらの副題は「茶に生きる」ということで、お茶人として長く茶道に関わってこられた方なので、その茶道についてにとても興味がありました。だいぶ前になりますが、あるテレビ番組で拝見したこともありますが、淡々としたお点前に、むしろ長い修練の姿をみたようにも感じました。話しぶりも、そうでした。
 そういえば、もともとは京大の理系で、その道に進もうと考えていたのでしょうが、家庭の事情等で堀内家を嗣ぐことになり、だからこそ、一生懸命精進して、今のような淡々としたお点前になったのかもしれません。でも、その言葉の端はしに、科学的な見方があり、たとえば、「活性のある水も煮沸しますと、水分子の周囲を覆っている衣がだんだんと脱落して、とれていく。煮沸を加えるたんびに衣が落ちていって、こんどほ中身どうしがくっつき合って物質がだんだん大きくなり、水から分離して沈殿してしまう。こうして有効成分がなくなり活性の少なくなった水が老化した水ということになります。そういう訳ですから、お茶では湯を沸かす時にはかならず傍に水指を置いといて、煮沸して沸騰すると、湯を汲み出して使うたんびに水指から新しい水を加えながら、湯量を保っていく。量の上で保つだけでなく、質の上でも活性を保っていく。そういう意味で老化を防ぎながら水を使っていくという、そういうしかたがお茶の中にある訳なんでございますね。」ということなどは、ほとんどの人が水の足りなくなったのを補給する程度にしか考えていなかったのに、と思いました。
 また、「お茶本来はむしろさまざまな人を平等に受け入れるもので、経済的なことも同様です。もちろん茶道具には高価なものもございますが、それがなければお茶ができないということではなく、そういうことを茶人が自覚をして流されない生き方をすることが大切です。お茶では、亭主は常に主導的なものです。自分のお茶はこれであるという自信を持ってお茶をすることです。これは大寄せの茶会ではむつかしいことかもしれませんが、個人の茶事では可能です。茶事の客は、亭主の気待ちになって楽しみ合うことが大切です。」のように、淡々と述べていますが、なるほどと思います。
 ある、有名なお寺の住職であり茶人の方が、講習会で「お金のない人はお茶をするな」と言ったそうですが、このような茶人がいるから、お茶はお金がかかると誤解されてしまうのです。
 そういう意味でも、堀内宗心宗匠には、元気でいてもらいたいと思います。やはり、自分もあのようになりたいという、そういう人物がいてこそ励みになるのだと思います。
 下に抜き書きしたのは、5月の薫風のことから、風呂の話しや風通しの話しの後に出てくる言葉です。
 ここにも、理系らしいものの考え方がにじみ出ているように感じました。写真もたくさんあり、気持ちよく読むことができる本です。
(2017.4.8)

書名著者発行所発行日ISBN
宗心茶話堀内宗心 語り下ろし・高橋睦郎 聞き書き世界文化社2010年11月1日9784418103171

☆ Extract passages ☆

 風といいますと、今申しましたように肌で涼しさを感じるということでは触覚ですが、視覚でもありますね。風が通って外の緑の木々が動くとか。障子を開けると、外の風の動きが目に入ってきますから、視覚的にも涼しく感じます。また聴覚でもあります。木々や竹の葉ずれの音とか、やっぱりいいものでございますね。
 もう一つ、嗅覚、これは大切ですね。そもそも、薫風というのは薫る風ですから、青葉若葉の匂いとか、水の匂いとか、土の匂いとか、光の匂いというのもあるかもしれませんですね。
(堀内宗心・高橋睦郎 著 『宗心茶話』より)




No.1365 『なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?』

 副題は「日本文化の最高到達点」とあり、むしろ、題名より、こちらのほうに興味がありました。
 前回は『茶碗と日本人』を読みましたが、お茶をするには茶碗などの道具が必要です。だからといって、高価なものばかりでは、ゆったりとお茶を楽しむことができません。なぜなら、落として割れたらどうしようかとか、もしキズでもついてしまったら、などと考えるからです。もちろん、この本の題名にあるような一流の人なら、そのような心配などしないでしょうが、私たちは美術館などで見るような道具でお茶をしてみたいと想いながらもできないでしょう。
 でも、そのお茶の道具がなければお茶は点てられないので、最低限のものは必要です。なるべくなら、たった一つでも自分のお気に入りのものがあれば最高です。
 それが私にとっては、茶碗です。でも、一般的には、床にかける軸と言われています。茶席に入って、最初に拝見するのは床の軸ですし、それから床の間にあるものを見て、場所を炉や風呂の前に行き、釜などを拝見します。その順序からいっても、やはり掛け軸が大事だとわかります。
 よく聞くのは、何が書いてあるのかわからないといいますが、わからないなりに見ていると、なんとなくわかってきます。むしろ、あまり説明的な文句より、端的で余韻があると思います。シェークスピアの『ハムレット』に、「簡潔は知恵の神髄」という言葉があるそうですが、なるほどと思います。この本では、「多弁には無駄口が多いので、人の心に入っていかないで周囲に拡散していってしまう。一方、短い言葉は一直線に相手の心の中に入っていく。それを噛み砕いてみると、中には珠玉のような警句が入っている。短いからこそよく噛んで消化でき、その含蓄の深さを味わうことができるのである。また、短いが故に、そこから自分の考え方が広がっていったり、さまざまな観点からさまざまな考え方を自分自身で導き出してきたりすることができる。書かれている教えそのものに感動すると同時に、それに触発されて「自己啓発」も行なわれるのである。掛け軸一つであるが、そこから自分の人生の正しい道が見えてくることも少なくない。」と書いてありました。
 やはり、著者の仕事がビジネスコンサルタントということもあり、自己啓発という言葉が出てくるのもうなずけます。
 だからこそ、「お茶」をたしなんでいる方も多く知っていて、このような本を書かれたのではないかと思いました。
 そういえば、戦前も名を残すような経営者たちは、こぞってお茶をしていたようです。しかも、その経済力を背景に、名だたる茶道具の名品を集め、それが今も財団法人として美術館の収蔵庫に残っています。
 この本でも取りあげていますが、「要は、仕事ができるだけでは、人間性に欠けるところが出てくるのである。いわゆる「教養」を身につける努力を怠ってはならない。教養とは人間的な幅であり厚みであり、さらには深みである。それは、社会の中における自分の立場や位置をきちんと見極めたうえで、自分に始まり人々へと幸せの輪を広げていこうとするバランス感覚である。機械的にならない程度における機能性を重視し、スムーズに事を運んでいく器用さでもある。自分の人格を高めると同時に、人の人格についても関心を抱いて一緒に向上していこうとする。美に対する感覚を研ぎ澄まして、本物は尊重するが偽物を排するという潔癖さも必要である。社交的なマナーを身につけているので、人に不快感を与えることはない。」とあり、これらを満足させてくれるのが茶道だといいます。
 下に抜き書きしたのは、お茶の道にはゴールがないという最後に書かれている文章です。ゴールがないからこそ、おもしろいのではないかと私などは思っています。
(2017.4.6)

書名著者発行所発行日ISBN
なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?山崎武也PHP研究所2014年1月6日9784569816449

☆ Extract passages ☆

 お茶の道はゴールのない道である。生涯学習であるから、卒業をすることはできない。だが、途中で区切りをつけることはできるし、そうしたほうがいい場合も少なくない。前進ばかりするのではなく、時どきは後戻りもしてみる。それは反省することでも、学習の半ばにおける一時的「集大成」をすることでもある。
 習ったことと自分のしていることが異なっていることに気づくはずだ。それは自分自身のスタイルが出来上がりつつあることにほかならない。作法は画一的だが、自分自身の「味」が出ている茶道になっている。それは自分の価値ある資産である。その味に、さらに新たな味つけをしてみる。
(山崎武也 著 『なぜ、一流の人は「お茶」をたしなむのか?』より)




No.1364 『茶碗と日本人』

 私はお茶をしているので、もちろん茶碗にも関心があります。というより、もともと陶磁器が好きなので、その集めたものを使うのに最適なのが茶道だったというのが本音です。
 でも、40年以上も続けていると、どっちが先でもどうでもよく、つい、このような本を読みたくなります。
 そういえば、その茶道具のなかでもとくに好きなのが茶碗です。この本でも、「茶道具の場合、かならずしも茶碗だけではないが、個体を識別し、名前をつけ、愛情または愛着を寄せる。視覚だけでは満足せず、掌に入れ、撫でて愛玩する。こうして視覚以外に触覚や重量感覚を動員した鑑賞態度ができあがる。先に述べた「手取り」の感覚はその一要素となるのである。なかでも茶碗は直接に手にとり、口をつけるものである。」とあり、自分の口が触れることからも好みがはっきりと出るのかも知れません。
 ここでいう「手取り」とは、別のところで説明してますが、「やきものに関して「手取りが重い」とか「手取りが軽い」とかいうとき、それは文字どおり手に取ったときの感じ、とくに重量に関わる表現である。しかし、たんなる重さをいうなら、ただ「重い」「軽い」ですむ。わざわざ「手取り」というのは、それが視覚と結びついた相対的な重量感覚の表現だからである。ということは、このことばが使われるとき、話し手には、手に取ろうとする器に対して、意識的にせよ無意識的にせよ、重さの予測があるということにほかならない。」と書いています。
 たとえば、暗く重そうな色の茶碗やザクッとした土のものなどは、なんとなく重そうな感じがしますが、ところが手に持つとあまり重くないときがあります。これなどは、やはり「手取りが軽い」と表現しますし、その逆に軽そうな作りなのに重いものもあります。そのときには「手取りが重い」といいます。
 まったく見た目と実際に手に取ったときの間隔の相違です。よく、ゆがんだような茶碗がありますが、これだって、お茶を飲むときの口当たりは、ちゃんと考えられているものです。
 もちろん、モノによっては、せっかく熱いお茶を点てたのに、熱すぎて手に持てないものもあり、これでは、せっかくのお茶も楽しめません。おそらく、磁器より陶器の茶碗が多いのも、雅味だけでなく、実用的なこともあるようです。
 下に抜き書きしたのは、韓国では「マクサバル」と表した「粗末で雑な」井戸茶碗が、なぜ、日本の茶人たちに受け入れられたのかに注目して書いたところです。
 利休たちがいいものだと表したから受け入れられたものではなく、それなりの素地があったと思います。これらの茶碗は、2013年に「井戸茶碗」展としてたくさん展示され、その図録も買い求め手元にありますが、それをあらためて見てみると、なるほどと思います。その鑑賞の手引きは、この本では高麗茶碗の研究者の赤沼多佳さんのことを記していますが、それによると、「かねて茶人たちが大井戸の特色としてあげてきたのはつぎの七つだという。いわく、「胴にめぐる轆轤目、竹節状の高台、高台内の兜巾、枇杷色の釉色、総釉であること、高台周辺に梅華皮が多いこと、さらに見込みに目跡が残っていること」ですが、私もこれらの茶碗をたくさん見ていますが、これらすべてを含んでいる茶碗のほとんどは博物館所蔵かもしれません。
(2017.4.4)

書名著者発行所発行日ISBN
茶碗と日本人吉良文男飛鳥新社2016年12月23日9784864105255

☆ Extract passages ☆

 結論的にいえば、井戸茶碗に代表される高麗茶碗の受容には、道具に個別性を求める侘びの茶人たちの要求が基にあったと思われる。その茶碗史的背景には、極めて規格化志向の強い中国陶磁には満たされないが、かといって、茶陶としてはいまだ独自の器形や装飾の表現形式をもたない日本のやきものでは使えるものがないという茶人側の事情があったのだろう。そこで「発見」されたのが朝鮮半島南部の民窯の製品だった。一定の規格のなかにありながらも個々には自由度が高く、侘びの茶人の茶碗として使えるやきものがあったのだ。華美を避けながら個別性を追求する当時の先端的な茶人たちの要請を満たすもの。それが高麗茶碗だった。
(吉良文男 著 『茶碗と日本人』より)




No.1363 『もう人と同じ生き方をしなくていい』

 副題は「私の人生心得帖」で、50年間に出版した100冊近くの本から、選んでもらったものを1冊にまとめた本です。
 活字も大きく、短い文章なので、さても読みやすく、サラッと読むことができました。でも、ちょっと時間が開いたときに読むので、2日ほどかかりました。
 一番印象に残ったものは、下の抜き書きのコーナーに書き入れましたが、この他にもいろいろとありました。
 たとえば、『「私はもう年だから、こんな赤いものを着たら恥ずかしい」とか、「こんなことをしたら、誰かに何か言われるんじゃないか」とか、自分を小さく押しこめる。感動を大事にする人は、「私はこの色が好きだから」とか、「これをやっていると楽しいから」とか、自分の気持ちに正直になって、それを外へ向かって表現する。だから、「赤が好き」といって着ている人は赤がよく似合うし、「年だから」といっている人は不思議と赤が似合わない。』と書いてますが、女性ならすぐにでも納得できるのではないかと思います。
 また、「年をとることはすべてが減ってくることを意味する。まず持ち時間、体力、そしてお金である。持ち時間や体力は目に見えないが、お金は目に見える。老後のことを考えると、お金は大切だし、無駄に使うことはできない。上手に使う方法を身につけたい。そのためにメリハリをつけること。どーんと使うところは使う。節約するところは節約する。これからのお金は子供のためではなく、自分自身のために使えるのだ。好きなことにお金をかけて、どうでもいい部分はカットする。そのあたりを大胆にしたい。」ということも、まさに身につまされつつあることです。
 先ずは、体力の衰えは確実に近づきつつありますし、それにつれて持ち時間も少なくなつてきたと感じます。もちろん、お金もそうですが、仕事が仕事なので、年をとったからできないというわけではないので、体力さえ続けばなんとかなりそうです。
 そういえば、私はお茶が趣味なので、どうしても女性の方が多いのですが、「年をとったら特に異性の友達は必要だ。夫婦もどちらか一人になったとき、異性の友達がいれば救われる。特に妻が先に亡くなると夫は生活できず後追いをするケースが多い。仲のいい夫婦ほど喪失感が大きく、ウツ病になった知人もいる。出かけるときは、異性の友達を探そう。音楽会しかり、絵の展覧会しかり、女なら男を誘っていこう。」というのは賛成です。
 やはり、食事に行っても同性だけより食べるものが多彩になりますし、時間もそれなりにかかります。でも、崩れないのがよいのではと思ったりします。
 下に抜き書きしたのは、『持たない暮らし』という本に書かれた文章で、たしかに前に読んだような気がしますが、たしかにその人の趣味や大切にしているものを見れば、なんとなくわかるような気がします。
 つまりは、そのようにわかるのだから、趣味や持ち物には気をつけようという警句でもあります。
(2017.4.2)

書名著者発行所発行日ISBN
もう人と同じ生き方をしなくていい下重暁子海竜社2016年7月15日9784759315004

☆ Extract passages ☆

 趣味や大切にしているものを見れば、その人がわかってしまう。ものを見れば人がわかる。ものはすでにものではなく、人間を表現するものになっている。
 恐ろしい。口で上手につくろおうとも、ごまかそうとも、持ちものを見れば、大事にしているものがわかってしまう。
(下重暁子 著 『もう人と同じ生き方をしなくていい』より)




No.1362『サラダの歴史』

 この本の「食の図書館」シリーズは、「オリーブの歴史」などを読んだことがありますが、写真などが多く、とてもわかりやすかったので、読むことにしました。
 予想通り、というか、写真もきれいで、サラダの盛り付けも食欲が呼び起こされるようでした。むしろ、今まで読んだのより、素材も大事だが料理はそれ以上かもしれないと思いました。
 とくに、外国に行くと、なかなかサラダを注文することができません。というのは、水環境が良くないので、野菜を生で食べることに躊躇してしまいます。自宅では、ほぼ毎日食べているものを食べないと、なんとなく物足りなく感じます。だから、ここは生でもオーケーといわれると、必ずサラダを注文します。しかも、その材料や盛り付けに、その国独特のものがあり、そのような下地があるから、つい、この本を手に取ったのかもしれません。
 でも、一口にサラダといってもいろいろあり、この本でも、「私たちがサラダと呼ぶタイプの料理は、シンプルにもできれば、野菜以外の多くの材料も加えて、比較的凝った料理にもできた。この時点でサラダへのアプローチはシンプルなものと贅沢なもののふたつに分かれ、その流れが引き継がれて「サラダ」という言葉を簡単に定義するのを困難にしている。」と書いています。
 たしかに、この本に載っている写真のいくつかは、それだけでも料理として通用するものですし、あるいは、まったくシンプルにレタスにドレッシングをかけただけのものもあります。
 でも、それだってサラダです。生の大根を細切りにして醤油とマヨネーズで和えたものも、実にシンプルですが美味しいものです。
 だから、サラダはお手軽だからいいということもあるし、手間を掛ければいくらでもかけられる楽しみもあるということです。
 この本のなかで、日本のサラダについても触れていて、「さわやかな日本のサラダの例としては、海藻とキュウリに米酢、砂糖、塩のドレッシング[三杯酢]、春雨とキュウリに醤油、米酢、ゴマ抽、砂糖、塩を混ぜたドレッシング、ダイコンとワカメ、水菜、カイワレ大根のサラダに、醤油、酢、ゴマ抽、砂糖のドレッシング、エビとキュウリのサラダ、海藻とキュウリのサラダなどがある。」と書き、それを「さわやか」としている点がとても印象的でした。
 こうして考えてみると、いつも食べているものには、意外と関心がなく、それが当たり前と思いがちですが、この本を読み、世界にはいろいろなサラダがあると知ってしまうと、むしろ日本のサラダの良さがわかるような気がします。
 つまり、外国に行ってみて、初めて日本の良さに気づくようなものです。
 イギリスのジャコモ・カステルヴュトロが1614年に『イタリアの果物と野菜』という本で、春のサラダについて書いています。
 これを読むと、今の私たちのサラダに対する想いと似通っているかのようです。先ずは読んでみてください。
(2017.3.31)

書名著者発行所発行日ISBN
サラダの歴史ジュディス・ウェインラウブ 著、田中未知 訳原書房2016年12月23日978456205392

☆ Extract passages ☆

「このよろこばしい季節に、おいしくて優雅で健康的なグリーンサラダを食べるよろこびを言葉で表現するのはほとんど不可能だ。その理由はふたつあると私は思う。まず、冬に食べていた熱を通したサラダには、もう飽き飽きしてしまっていること。そして、新鮮な緑の野菜は目でも楽しむことができ、味覚を満足させ、何より私たちの健康に本当に役立ってくれる。退屈な冬のあいだに蓄積された、すべての憂鬱と不健康な体液を追い払ってくれるのだ」
(ジュディス・ウェインラウブ 著 『サラダの歴史』より)




No.1361 『日本のブックカバー』

 この本は、読むというよりは眺めて楽しむというような、いわば写真集のようなものです。
 でも、本を包むだけというか、本をそじないようにカバーする紙を、こんなにもたくさん集めて本にするというのは、すごいことだと思いました。
 この本のページを繰りながら、これ見たことある、これは今でも本棚にある、とか、いろいろな想いがわき上がってきました。やはり、書皮って、あなどれないなと思いました。私的にはブックカバーというほうがしっくりきますが、書皮というのは中国語で「本の表紙」という意味だそうで、発音が「シューピー」といい、なんともかわいらしいものです。
 そういえば、だいぶ前のことですが、ブックカバーに凝ったことがあり、革製とか和紙製とか、あるいは布製など、いろいろと集めたことがありました。もちろん、今でもありますが、やはり面倒くさいこともあり、たとえば文庫本だと、読む前に本体だけにして、読み終わったら、また包んで本棚に並べてしまいます。旅行のときなども、すべてこのようにして、帰ってきてから、また同じようにしてやはり本棚に並べます。
 だから、最近ではほとんどブックカバーをしないし、そういえば本屋さんでもしてくれないのですが、おそらく頼めばしてくれるのかもしれません。
 この本を読んでから、昔のブックカバーを取り出し見てみると、やはり懐かしく、買ったときの思い出まで蘇ります。たとえば、東急ハンズで買ったものとか、旅行先で手に入れたものなど、いろいろとありました。
 この本の「ブックカバーに書かれた名言」のコーナーでは、「本の中に なにがある 家がある 家の中に なにがあるか 宇宙がある」や、「Deep impression will enrich our mind.」なども、なるほどと思いました。そういえば、私専用のしおりには、インドのブッタガヤで撮った大塔に朝日のあたっているところの写真に「A room without books is like a body without a soul.」という言葉を入れてあります。
 やはり、人の考えることって、みんな同じだと思います。
 でも、このなかに、三省堂書店の「本読む楽しさが広がるなら、紙でも電子でもいいと思う」というのがあり、これには賛成できなかったです。やはり、紙の質感とか、本棚に並べてあるときの背表紙の想いとか、実際に目にする紙の本には、そのすべてがつまっています。しかし、電子本は、読むための道具を媒介しなければ見ることも読むこともできません。
 手にとって1ページずつ繰りながら楽しむことができないのは、私はイヤです。もちろん、電子ブックのほうがいいという方もおられるでしょう。これだけは、好みも関係するので、なんともいえませんが、たとえば、この本に掲載されているブックカバーにしても、紙の本でなければ必要ともされないのです。
 下に抜き書きしたのは、最後に書かれていた「本への誠意と敬意が漂う「書皮」の文化」からのもので、橋本光司さんの文章です。
 ここで紹介されていましたが、あるアメリカから来られた女性が、「書店で本を買ったら、ただでこんなカバーをかけてくれてビックリ。アメリカじゃ、ありえない!」って話していたそうです。やはり、日本っていいな、と思いました。
(2017.3.30)

書名著者発行所発行日ISBN
日本のブックカバー書皮友好協会 監修グラフィック社2016年9月25日9784766129328

☆ Extract passages ☆

 それぞれの書皮の違いは、本という小さな文化を扱う書店が込めるメッセージの違いでもある。書皮には作り手のセンスの違いがある。マニアはそこに注目する。
 書皮を数多くコレクションすることで、出版文化の最前線を担う、多くの書店の本への熱い想いがそれだけたくさん感じとれる。書店で働く人の顔が見えてくる。
(書皮友好協会 監修 『日本のブックカバー』より)




No.1360 『悩みどころと逃げどころ』

 正体不明の社会派ブロガーちきりんさんと、格闘ゲーマーの日本人初のプロ梅原大吾さんとの対談です。ちょっと異色な取り合わせですが、そのつながりは読むとわかります。
 最初は学校教育の問題から始まり、人生の悩みどころと逃げどころをそれぞれの立場から鋭く指摘し合うので、どんどんとその言い方に引き込まれていきます。やはり、対談で1冊の本をつくるのは大変だと思いますが、この本のようにミスマッチぐらいのほうがおもしろく読めます。
 私はまったくゲームをしないので、格闘ゲームといわれてもまったくどのようなものなのかもわからないのですが、ほとんど学校で眠っていたといいながらも、その論理的な言い方はすごいと思います。でも、学校がおもしろくなかったという側の代表としては、2010年にアメリカ企業と契約を結びプロゲーマーに日本人として初めてなったわけですから、それなりの説得力もあります。それでも本人は、最初のころは履歴書に書くべきことがほとんどないということにガックリしたことや麻雀のプロを目指したこともあったそうです。でも結果的には、また格闘ゲームに戻ってきてからはまったくぐらつかなくなってきたといいます。
 一方のちきりんさんは、それこそ学校ではいい成績をとり、国立大学に入り、証券会社勤務から米国留学、そして外資系企業勤務を経て2011年から文筆活動に入ったそうです。この流れからすると、まさに一般的ないい人生ですが、だからこそ、学校教育の長所と短所がわかるのではないかと思います。
 でも、おもしろいことに、ウメハラさんのほうが学校教育は必要だといい、ちきりんさんは今のままではどうしようもないといいます。しかもこの本のなかで2015年にベネッセが調査した「第5回学習基本調査」のなかの「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」と考える子どもの割合は、小学5年生では78.1%、中学2年生では60.6%、高校2年生では50.9%もいるそうですから、あまり昔と変わっていないような気がします。
 おもしろいと思ったのは、ゲームだから勝たなければと思っていたのですが、ウメハラさんは「勝ち負け自体はいろんなことに左右されるので、勝った負けたに一喜一憂してもしかたない。だからこそ僕が重視するのはプレーの内容なんです。今回トライしたプレーが、今後の高い勝率につながると思える動きだったなら、たとえその対戦で負けてても、プロとして結果を出したと思えるし。」といいます。そしてちきりんさんが、それはウメハラさんのような立場だから言えるのではないかというと、「だって競争である限り、全員が勝者になれるわけがない。でしょ? もし結果がすべてだとしたら、大半の人、つまり敗者はどうなるんですか?」と答えます。
 そういわれれば、そうです。プロというのは、たとえゲームの世界であったとしても、お金を稼がなくてはならないし、その底辺の愛好者を増やさなければならないでしょう。そして、さらに興味深い発言は、「前に「金は鋳造された自由である」というドストエフスキーの言葉を人から聞いて、そのとおりだなって思ったんです。たとえば1億円あれば、1億円分の自由が手に入る。その分、働かなくてもいいし、あればあっただけ選択肢が広がって、好きなことができる。でも最近わかったのは、お金で手に入る自由っていうのは、物理的な自由なんですよね。精神的な自由に関しては、お金が入れば入るほど制限が多くなって、むしろ損なわれてしまうことも多い。」というわけです。
 まだ1981年生まれながら、人生を達観したような発言をするんです。「いい人生」を送るためには、たくさんお金があればいいなんていわないのです。
 やはり、ほんとうにゲームが好きなんだ、と思いました。
 下に抜き書きしたのは、多くの人たちといっしょにゲームを楽しみたいというところでのウメハラさんの言葉です。これは、ちきりんさんのコメントが経験の裏付けがあるせいか、なるほどと思いました。
(2017.3.29)

書名著者発行所発行日ISBN
悩みどころと逃げどころ(小学館新書)ちきりん・梅原大吾小学館2016年6月6日9784098252749

☆ Extract passages ☆

ウメハラ 知り合いから聞いたんですが、アフリカのことわざに「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」って言葉があるんだそうです。まさにそう だと思いますね。
ちきりん それ、よくわかります、日本企業ってね、日本人男性だけで意思決定をしたがるんです。女も外国人も入れたくない。日本人男性に関しても、仕事第一じゃない奴はダメ。価値観の違う奴は仲間に入れたくない。理由は、そのほうが「早く行けるから」です。……
 でも、インド人やら中国人やらシリア人やらが入り始めたら、「早く」は進めない。いちいちめんどくさい。でも、「遠くに行く」には、明らかにそっちのほうがいい。多様性を欠く組織では刺激が少なくて発想が拡がらないし、クローズドな環境って人間関係が固定するので、遠慮や上下関係が生じる。だから「遠くに行く」ためには、オープンで多様性に富んだ組織になることが必須なんです。
(ちきりん・梅原大吾 著 『悩みどころと逃げどころ』より)




No.1359 『世界一ありふれた答え』

 この本の題名、『世界一ありふれた答え』を見ただけで、読もうと思いました。
 ありふれた答えというだけでも、なんとなく興味をそそられるのですが、それが世界一とその前につけば、そんなにもありふれたことって何だろう、と思いました。
 そして、読み始めてすぐに、これは小説だったんだと気づきました。思えば、最近はほとんど小説は読んでいなかったなあ、と思いました。そして、だいぶ前のある時期には小説ばかり読んでいたこともあったし、そういえば、詩ばかり読んでいたこともありました。そうそう、随筆や写真集にのめり込んでいたときもあったなあ。
 考えてみれば、この「本のたび」を最初からみてもらえれば、まったくジャンルにこだわらないことがわかってもらえるかも知れません。
 この小説は、うつ病、この中では「ウツ病」とカタカナで書いてありましたが、主人公の女性が「積木まゆこ」で、男が「雨宮トキオ」で、やはりひらがなとカタカナです。この違いはなんだろう、と先ずは考えました。思うに、ひらがなは何となく優しい漢字がするし、カタカナは何となく突っ放したような堅さが感じられます。二人とも、そのウツ病にかかり、同じクリニックに通っているという設定です。
 でも女性は旦那を市会議員に育てたと思っていたが、相手に好きな人ができて離婚されてしまい、今までの自分って何だったんだろうと考え、ウツになってしまいました。男性は有名なピアニストでしたがジストニアという病気からウツになってしまい、まさにウツ病同士という関係から知り合いになり、近づいていきます。
 私の知り合いにもウツ病の方がおられ、もともとはとても明るく、なんでも気軽に引き受けてくれたのですが、あるときから家に閉じこもるようになり、人を避けるようになったようです。あの明るい方がと思いましたが、この小説を読むと、なるほどと思います。
 他人は、以前の明るさと今の人を寄せ付けない暗さとを対比して考えがちですが、そこには深くて暗い淵が横たわっているかのようです。その淵になんとか橋を架けて、少しずつ行き来できるようになればしめたものです。
 この小説では、女性も男性も、なんとか橋を架けることができるようになったところまでを描いていますが、おそらくは、あとは時間の問題でしょう。
 そして何年かして、気がつくと、深くて暗い淵が横たわっていたことも、そこに橋が架かっていたということすらも忘れてしまうでしょう。そうすれば、ウツ病が治ったということなのかもしれません。
 ただし、その深くて暗い淵が横たわっていたことはあくまでも事実ですし、ただ単に忘れて過ごしていることのことです。
 でも、みんなそのような深くて暗い淵が横たわっていることをときどき考えながら生きているのかもしれません。それを思い出させるのが、病気だったり、突然の不幸だったりするわけです。
 まさに、これがありふれた人生でもあります。
 下に抜き書きしたのは、そのウツ病から立ち直るきっかけになったと思われる言葉です。ぜひ、ウツの人もそうでない人も読んでみていただきたいと思います。
 でも、久しぶりに小説を読んでみて、やはり小説というのは一気に読んでしまいたいものだと思いました。
(2017.3.27)

書名著者発行所発行日ISBN
世界一ありふれた答え谷川直子河出書房新社2016年10月30日9784309025094

☆ Extract passages ☆

 同じだからこそ、人は違いにこだわるのだ。すべての人の共通点は生きているということ。カノンもセリナも私もトキオも生きているという点で同じなのだ。違いなどない。
 ほんとに陳腐でありきたりのそのことになかなか気づかなかったのは、個性的であれ、人とは違うことをしろと言われ続けて、それが重要なことなのだと思い込んでいたからだ。自分が取るに足りない存在であることを認めるのは、思いのほかむずかしい。
(谷川直子 著 『世界一ありふれた答え』より)




No.1358 『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』

 この本は題名からだけでは内容がわからず、先ずはとりあえず読んでみるかと思って、読み始めました。でも、少し読んでも、半分まで読んでも、その核心部分はなかなかわからず、結果的にはすべて読み終わって、だからいろいろと考えることが大事なんではないかと思い至りました。
 しかも、この本の「あとがき」に、この原稿は10時間ぐらいで書き上げたと書いてあり、その途中で、「庭」の発想が得られたとあり、おそらく第5章の「考える「庭」を作る」という部分ではないかと思い、下にその一部分を抜き書きしました。最後に読んでみてください。
 著者は、現在は庭作りと工作にほとんどの時間をそそぎ、残りの時間でこのような原稿書きをしているそうです。もともとは大学で教える工学博士でしたが、今は退職しています。でも、読んでみると、工学というよりは文学的な香りがしました。
 ちなみに、今、国立新美術館で2月22日〜5月22日まで「草間彌生 わが永遠の魂」という企画展が開かれていますが、初めてその作品を見たときには、何を描いているのかさえもわかりませんでした。でも、この本のなかで、「現代アートは、このような目的をもはや持っていない。芸術として描かれる絵は、それが何を描いたものかを伝えるためにあるのではなく、作者がどう感じたのか、ということを訴えるものになった。どう感じたかというのは、「山だ」とか「花だ」という具体的なものではなくて、たとえば「凄い」とか「椅麗だ」という感情である。個人の感情を言葉ではなかなか言い表せないが、それを絵で表現するのだ。ある芸術家は、具象画を描いて、自分が見たものを素直に他者にも見てもらいたいと思うし、また別の芸術家は、自分が感じたものそのものを絵にしようとする。「凄い!」という感動を絵にするのである。これが抽象画だ。その絵を見た人が、「凄い!」と感じれば、気持ちは伝わったことになる。何が描いてあるのかわからなくても、ただ「あ、椅麗だ」と感じれば、それが抽象画が伝えたかったものかもしれない。」という文章を読んで、なるほどと思いました。
 この本では、この「なるほど」と思えることも大事だと書いてあり、それに気づくことも喜びの一つだといいます。そして、その積み重ねで知性が磨かれ、成長し、常に修正されていくといいます。まさに、この「なるほど」からの変化が、「生きていることの価値」といっても過言ではないと書いています。
 たしかに、新たなことを知るということは喜びですし、一つを知ることによって次々と知ろうとする連鎖反応が広がっていきます。だからおもしろいのです。おもしろがる、というのも私はとても大事なことではないかと思っています。
 それと、「もしも」という疑問や問いかけも大事なことです。この本では、「実は、想像という行為のほとんどは、この「もしも」という仮定からスタートしているといっても良い。というのは、まったく新しいものをゼロからイメージすることが、面倒だし、難しいからだ。存在するもの、知っているものを足掛かりにして、そこから「連想」する方が考えやすい。たぶん、幼児は、まったくゼロから抽象的なイメージを持つことができるだろう。成長するほど、現実の具体的な情報を取り込むため、それによって思考の自由度が抑制されてしまう。」といいます。
 だから、そういう自由度が抑制された状態を頭が固いというのです。
 この本を読みながら、自分の頭は固いか固くないか、それをときどき思い出してみようと思いました。
(2017.3.25)

書名著者発行所発行日ISBN
人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか(新潮新書)森 博嗣新潮社2013年3月20日9784106105104

☆ Extract passages ☆

 庭の手入れから連想したことではあるけれど、抽象的思考の場は、まさに「自分の庭」のようなものだ。それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することができる。でも、それほど簡単ではない。外部の影響に敏感で、天候にも左右されるし、そこで育ったある樹が成長しすぎて、ほかのものに日が当たらなくなってしまうこともある。害虫もいるだろうし、植物の病気だってある。放っておいたら、すぐに雑草に支配されてしまい、もうそこにいるだけで鬱陶しい。つまり、考えることが面倒な頭になってしまうのだ。
(森 博嗣 著 『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』より)




No.1357 『グリム童話と森』

 題名からだけでは、この本の内容がまったくわからなかったのですが、副題の「ドイツ環境意識を育んだ「森は私たちのもの」の伝統」で、なんとなくわかり、しかも表紙の絵のところに、内容が抜き書きされていたので、理解できました。
 もともとヨーロッパの森だけでなく、ほとんどの国の森は村人みんなの共有林みたいなもので、自由に入って必要なものを採ってきて生活していたと思います。日本のような農耕民族は、山菜を採ったり、薪やたき付けを採ったり、いろいろな山の恵みをみんなで分け合って生活していたようです。また、ヨーロッパのような牧畜の民は、その森に家畜を放したり、家を建てるときの木材を切りに行ったり、これもまた、森の恵みをみんなで共有していたと思います。
 この本でも、「古来人びとはこう信じてきた。川、野原、森、それだけでなく、この世の中にあるものすべては、神が創造したもの。自然がもたらす実り、魚、果実、木の実は、神が人間に等しく与えてくれたものである。だから、土地、森、川は、誰か特定の人間の持ち物ではない。そこから採れるものも誰のものでもない。自然と自然の実りはみんなのものであり、共同体内のすべての人が平等に享受する権利がある。これが農民たちの、古くから伝わってきた常識だった。だから何人も森を「自分のものだ」と言ってはならないし、「柵で囲ったり」してはならないのである。1354年のアルテンハスラウ慣習法は(ヘッセン州南東部にある村)、「何人も、己の財産を増やさんがために自分の森を所有するべきではないこと、森は村のものだということは、誰もが知っている」と明記している。」と書いていますありました。
 ところが、その森を権力者が囲い込みをしたり、その利用者から税金のようなものをとったりするようになれば、さまざまなトラブルが起こります。この本でも、それらの数々の裁判沙汰を取りあげています。
 このような背景があれば、その森を護っている猟師や森番は村人からの反感をかうことが多く、それがさまざまな民話に登場する理由でもあると書かれていました。
 そして、グリム童話の時代になると、森に対するさまざまな考えが生れ、それらを集約して、「童話の森」、「ロマン派の森」、「農民の森」、それと「近代林学の森」の4つにこの本では分けています。
 その「童話の森」の背景にあったのが「ロマン派の森」で、「ロマン派文芸人たちは、森をせわしない世間とは隔絶した空間として、世俗を超越した価値を教えてくれる存在として想い措いた。彼らにとって、森は人生の旅に疲れた人に安らぎと慰めを与えてくれる、本来の自分を見出すことのできる場所なのであった。アイヒエンドルフは「森のさざめき」を詠い、C・D・フリードリヒは朽ちゆく修道院廃墟をとりまく森を描いたが、この《森》はどこか現実に存在する木の生えた場所ではなく、詩人や画家の憧れが投影されている心象風景であった。」といいます。
 このような森ロマンのイデオローグは、リール(1823〜1897)だとして、その著作『民衆/民族の自然史』のなかの「人間はパンのみで生きるのではない。たとえ木材が必要なくなったとしてもなお、我々は森を必要とする。ドイツの「Volk(民衆/民族)」には森が必要なのだ。(中略)我々人間の外側を温めるために乾燥した木材が必要でなくなっても、内なる人を温めるために、生気に満ちた緑なるもの(=森)は、より一層不可欠になるのだ。」を引用しています。
 そして、このような考え方が、現在のドイツの環境運動へとつながっているのではないかと思います。そのような目で、グリム童話をあらためて読んでみることもいいのではないか、とこの本を読んでみて思いました。
 そこで、私もこの本のある部分を抜き書きして、グリム童話と森の話しを閉めたいと思います。
(2017.3.23)

書名著者発行所発行日ISBN
グリム童話と森森 涼子築地書館2016年12月29日9784806715290

☆ Extract passages ☆

森は、グリム童話において物語展開の重要な舞台であり、第7版では、およそ半数に森が登場する。だからといって、主人公たちは特にチャンスを求めて森の中に入っていったのではない。何等かの理由で、森へ行かざるを得ない状況になり、不本意で入った森の中で、人生を好転させる出来事が起こる。白雪姫は森に捨てられた後、森の小人たちに会い、さらには王子と出会い結婚するに至る。ヘンゼルとグレーテルも森に置き去りにされた。自ら望んで入っていたわけではないが、森に入ったおかげで新たな人生を手に入れることができたのだった。森に捨てられなかったら、白雪姫は不仲の継母と暮らしつづけ、ヘンゼルとグレーテルは貧しいままだっただろう。
(森 涼子 著 『グリム童話と森』より)




No.1356 『0からわかる 空海と高野山』

 四国八十八ヵ所をお遍路して戻ってから、数日経ちましたが、今回買い求めたお大師さま関連の本がまだあるので、読んでいます。でも、松岡正剛著『空海の夢』は厚いので、なかなか読めないでいます。
 この本は、四国お遍路に持って行った何冊かの1冊で、朝7時ころにお遍路をはじめて、午後5時頃まで昼食のほかはほとんど休まずに動いているので、思っていたほど本は読めませんでした。だから、こうして、帰ってきてからも読んでいるわけです。
 でも、題名通り『0(ゼロ)からわかる』というように、簡単にわかりやすく書いてはあるのですが、他の本を何冊も読んでから読むと、いささか物足りないように思いました。1つ1つの説明も簡単ですし、とても短く納まっています。だから初心者にとってはいいのかもしれませんが、第4章の「もっと空海を知る小事典」のなかの空海ゆかりの寺院や四国八十八ヵ所霊場などは、とても役立つました。
 また、空海が伝えた密教とは何かの説明、「もともと仏教の開祖・釈迦は呪術的なものを嫌い、修行者が呪法などを修するのを禁じていた。しかし、古代インドでは蛇を除けるために呪文を唱えるなど呪術的行為が日常生活と結びついていたため、そうしたものを完全に排除することはできなかった。これがのちに密教に発展する核となった。その後、仏教が布教の基盤としていた都市が衰退し、農村中心に勢力を拡大していたヒンドゥー教などに圧迫されるようになると、農民などにもアピールできるように、呪文などの呪法や他宗教の神より強い尊格(明王)が説かれるようになった。やがて、仏教本来の悟りを得るための教義と、それらの呪術的要素を統合する試みがなされるようになり、複雑で難解な教理が完成された。この教義が完成された投階を中期密教または「純密」といい、それ以前を初期密教または「雑密」と呼ぶ。」とうまく説明されていました。
 つまり、お大師さまが日本にもたらしたのはこの純密で、それに新たな思想を盛り込んでいるように思います。それを具体的に表現し実現させようとしたのが高野山のような気がします。しかし、それがすべて実現できなかったわけで、それらは弟子たちに残された課題だったのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、いつごろからお大師さまが入定したといわれるようになったか、についての文章です。
 実際に空海の直弟子たちは空海の葬儀をしているわけで、実慧は「薪尽き、火滅す。行年六十二。」と書いているそうです。
(2017.3.20)

書名著者発行所発行日ISBN
0からわかる 空海と高野山(知的生き方文庫)渋谷申博三笠書房2015年7月10日9784837983477

☆ Extract passages ☆

 では、奥之院で入定しているという伝説は、いつ頃からいわれるようになったのだろうか。はっきりしたことはわからないが、一時衰退していた高野山を観賢(853〜925)が復興した頃であるらしい。
 観賢は空海に弘法大師号を追贈することに尽力した人物であるが、醍醐天皇が号とともに袈裟も奉献すると決めたため、これを届けるため空海の廟の中に入ったとされる。すると、そこには生きているときの姿そのままの空海が端座していたという。
 観賢は空海の伸びていた髪とヒゲを剃り、新しい衣を捧げたとされる。
 この人定伝説の広まりにより、弘法大師伝説は時空の制約から自由になった。この伝説がないと、弘法大師の話は過去のものとして語らなければならないが、いまも入定しているということになれば、現代の話にもなりうるのである。
(渋谷申博 著 『0からわかる 空海と高野山』より)




No.1355 『弘法大師空海と出会う』

 四国八十八ヵ所をお遍路して、3月15日に戻ってきました。
 でも、実際には3月11日に第88番札所の大窪寺をお詣りし、そこからまた第1番札所の霊山寺に戻り、そこでもご朱印をいただき、翌12日には徳島港からフェリーに乗り和歌山港まで行き、そこからまた車で途中根来寺にまわりましたが、ちょうど岩出マラソンがあり、その道が通行止めで入れませんでした。しかたないので、すぐに元の道に戻り、高野山に行き、お大師さまの御廟でお礼詣りを済ませました。それから、お大師さまに毎日生身供を調理する御供所のわきにある納経所で、最後のご朱印をいただきました。
 そのあたりからこの本を読み始めたのですが、著者が四国八十八ヵ所第28番札所の住職でもあることもあり、ところどころにお大師さまと四国八十八ヵ所の関連なども書いてあり、すごくわかりやすく感じました。
 たとえば、第24番最御崎寺に行く少し手前にある「御厨人窟」にまわったのですが、「御厨人窟の東側には、もう一つの小さな洞窟があり、「神明窟」と呼ばれている。この神明窟こそが大師が求聞持法を修した場所であって、御厨人窟は、食事や寝泊りに用いた居住スペースであったという意見もある。御厨人窟の最も奥には、土佐藩主によって寄進された石の両があり、愛満権現、宝満権現という二神が祀られている。江戸時代の遍路案内書には、昔この洞窟には人に危害を加える毒龍が棲んでいたが、大師がその龍を退治し、窟内にこの二神を祀ったと紹介されている。鎌倉時代に成立した、高野山の奥之院に関する覚書『奥院堂塔興廃記』によれば、奥之院の御廟橋の手前にはかつて小さな社が二つあって、愛慢、愛語という二神が勧請されており、御厨明神と呼ばれでいたという。同書にはさらに、御厨明神は土佐の国の神で、密教の法を喜び、大師に影のように随身して守護する存在であるとも記されている。御厨明神の名称が御厨人窟のそれに由来し、愛慢神が愛満権現に相当することは明らかであり、もう一方の愛語神が宝満権現と同一の存在であることも想像に難くない。」とあり、10日ほど前にまわったばかりなので、すぐに理解できました。
 また、「高野山のみならず、大師が修行を重ねたとされる太龍寺山(大瀧ケ嶽)や石鎚山などの四国の霊跡を訪ねると、そこには必ず、大自然の美しい景色が広がっている。大師は、自然環境と人間との関係を、『声字実相義』の中で次のように述べている。「内色定んで内色に非ず、外色定んで外色に非ずして、互いに依正と為る」〈心をもつ人間と、それを取り囲む自然環境は、対立するものではなく、互いに主となり従となり、一つにつながっている〉「内色」とは人間をはじめとする生物を、「外色」とは容れ物としての自然環境を意味する言葉である。大師は、それらが主客を超えて相互依存の関係にあるといっている。その関係性を、密教の専門用語では「互為依正」という。」なども、難しい言葉で書いてはありますが、直感的にわかりました。
 やはり、百聞は一見にしかず、のようです。
 このような宗教の言葉や学術用語などは、とてもわかりにくいのですが、今回の四国八十八ヵ所のお遍路をして、いろいろなことが理解できたように思います。
 ちなみに、下に抜き書きしたのは、四国八十八ヵ所の紹介として、いろいろなところに書かれている意味づけですが、比較的新しいとは思っていましたが、まさか昭和の時代になってからのことだと書いてあり、妙に納得しました。
(2017.3.18)

書名著者発行所発行日ISBN
弘法大師空海と出会う(岩波新書)川崎一洋岩波書店2016年10月209784004316251

☆ Extract passages ☆

阿波、土佐、伊予、讃岐の四つの国をそれぞれ、『大日経』に説かれる四転説、すなわち悟りへ至るための四つのプロセスである発心、修行、菩提、涅槃に当てはめる説も、四国 遍路の重要な教義である。「発心」とは、悟りを求める意欲を起こすこと、「修行」とは、文字通り悟りに向かって修行すること、「菩提」とは、自己への執着を離れ、他者を思いやる慈悲の心をもつこと、「涅槃」とは、苦しみのない穏やかな悟りの世界に入ることを意味する。
 しかし、四国遍路に教義として四転説が取り入れられたのは、昭和になってからのことであるといわれ、意外にその歴史は新しい。
(川崎一洋 著 『弘法大師空海と出会う』より)




No.1354 『空海のこころの原風景』

 今、四国八十八ヵ所をお遍路しながら、この本を読んでますが、だからこそその内容がスーッと入ってくることがあります。
 たとえば、この本は第1章「空海の原風景」、第2章が「仏のこころ」、そして第3章が「空海のこころを生きる」ですが、とくに第1章と第3章のなかの文章がすぐに理解できるところがありました。
 たとえば、第3章の第5項の「大師信仰を生きる」のなかの、「遍路と関わる大師信仰に「遊行大師の信仰」があります。これは、大師が高野山から下山し、自分と縁のある土地や旧跡をたずね歩いているという信仰です。この信仰は、平安時代後期には成立していたようです。それは、その頃活躍した真言宗の中興の祖といわれる覚鑁上人が、「日々の影向をかかさず、処処の遺跡を検知す」(大師は、今も毎日かかさず姿をお見せになり、これまで自分が人びとのために行った事業の跡や、修行や行道の旧跡などを見て回っておいでになるのです)という言葉を遺していることからもわかります。」と書いてあり、このようなことが、今も四国のお遍路信仰につながっているように思います。
 だから、お遍路しているときにお大師さまに助けられたとか、夢に出てきたとかいうことも、この遊行大師信仰の1つだと思います。私も、歩きながら、もしかすると、今もいっしょに歩いてくださっているかもと思いました。少なくとも、ここは昔お大師さまが歩かれたところを、自分も歩いているんだという想いが強くしました。
 また、最澄が空海に「理趣釈経」を借用したいと求めてきたときの手紙に、「海のように深く広い心の世界、すなわち悟りの世界に到達しようと思うのならば、まず何よりも悟りの世界へ向かう船に乗り込むこと、そして棹さして進むことが第一です。乗る前に船や筏のあれこれを論ずべきではありません。」と書いていますが、まさにこれなどは理論より実践を重んずる空海の考え方を強く表しているように思います。
 もともと、空海は「虚空蔵求聞持法を四国の大滝嶽などで行っていますが、深い山中で修行する空海の姿勢は、大学中退のときからずっと続いていました。結果的には、山中ではなく太平洋を目の前にした土佐の室戸崎で虚空蔵求聞持法を成就しますが、人里離れた大自然の中に修行地を求めるこころは、終生持ち続けていくことになります。」とありますが、今歩いている四国八十八ヵ所には、この修行地が残っています。
 まさに、そこを歩きながら、御大師さまの足跡を探しているかのようです。でも、ただ本のなかで想像するよりも、こうして、その修行地を観ただけでも、まったく違います。本当に、今回は思い切ってここまで来た甲斐があります。
 まだ、もう少しかかりそうですが、最後は高野山の奥の院にお詣りして、満願のお礼をお大師さまにお伝えしたいと思っています。
 下に抜き書きしたのは、『性霊集』のなかの文章をわかりやすくしたものですが、お大師さまは綜芸種智院という一般庶民のための大学を開設しますが、その教育理念を考えさせるような言葉です。
 このなかの「一味だけでおいしい料理をつくれない」と言ってますが、原文では「一味美膳をなさず」とあるそうです。
 まさに、何でもできる人の何でもすべきであるというような教えです。でも、たしかに、そうだと思います。
(2017.3.15)

書名著者発行所発行日ISBN
空海のこころの原風景(小学館新書)村上保壽小学館2012年12月8日9784098251506

☆ Extract passages ☆

 あらゆる菩薩やすぐれた賢者や聖者たちは、仏教の学問と世間のさまざまな学問を学ぶことによって悟りの智慧を獲得したのです。たとえば、一味だけでおいしい料理をつくったり、一音のみですばらしい演奏をした人は、未だかつていません。広く学ぶことは、身を立て成功する上での要であり、国を治める知識を得る上での大道です。生死の苦を断ち、涅槃の楽しみを受けるのも、さまざまな学問を総合的に学んだからです。
(村上保壽 著 『空海のこころの原風景』より)




No.1353 『空海入門』

 この本はだいぶ前に購入し、そのままにしていたのですが、今回の四国八十八ヵ所のお遍路に持ってきて、読みました。やはり、自分のものにしてしまうと、いつ読んでもいいとかんがえるからなのか、なかなか読むきっかけがつかめません。
 この本は、最初は祥伝社から1984年3月に『空海入門』として出版され、この私の今読んでいる文庫本は、中公文庫の1冊として『空海入門』という同じ題名で出ているものです。発行が1998年ですから、もう20年近くも前の本ですが、歴史上の人物などはまったく色褪せない内容になっていました。むしろ、古本で安く買えるから、とてもいいことだと思っています。
 これは著者の個性かもしれませんが、ある意味、自分なりの強い思い入れなどもあり、わかりやすい反面、これって本当なのかなと疑問に感じるところもあります。もちろん、古いことなので、どれが正しいとか違うとかなど、言えませんし、とくに空海は20歳前後から31歳までと、唐から帰国してからすぐの2年間ほどはまったく足取りがつかめないから、なおさらです。ただ、24歳で『三教指帰』を書いたということは、間違いないそうで、そのことだけしかわからないということになります。
 ここ、四国を歩いていると、その空白の期間のことが伝説としてだいぶ残っています。
 たとえば、この本でも、「この"空海"という名前は、たぶん『華厳経』にある「虚空功徳海」という文句から採ったものであろう。しかし彼は、その名前のなかに、生まれ育った四国讃岐の抜けるような青い空と、明るい南国の海のイメージを読みこんでいたはずだ。空海には包容力があった。」と書いていますが、たしかに3月始めでも、ここは南国の空と海の印象があります。とくに、雪国から来たこともあり、すごく開放的な風景が広がっています。
 先日も室戸岬の御厨人窟(みくろど)という洞窟を見ましたが、ここで真魚は「虚空蔵求聞持法」を修したそうです。この修法は、虚空蔵の真言を1日1万回(おそらく20時間ほどかかります)、それを100万遍唱え続けます。もちろん、もっと細やかな作法はありますが、おそらく100日前後はかかりますが、すると真魚の口に金星(明け方に東の空に輝く)が飛び込みんできて、その瞬間、「空」と「海」が輝きを放ったそうです。つまり、いつもの風景とまったく違いはなかったのですが、その二つが今までとは違って見えたということです。そこから自らの名を空海と改めたといわれていますが、実際に私の見た御厨人窟は道路より上にありました。でも昔はもっと海岸端にあり、そこから見えるのは空と海だけだったそうです。だから、著者が言うように「虚空功徳海」のような思いつくヒントはあったと思いますが、一番のきっかけは、やはり具体的な空と海の存在感だったと思います。
 また、空海が久米寺で『大日経』と出会ったときのことですが、「第2章以下がわからない……というのは、当然のことである。『大日経』の最初は、哲学的な部分である。これは、仏教経典を読んできたものには、それなりに理解できるところである。しかし、第2章以下は、だいぶ様子がちがう。そこでは、テクニック(技法)が述べられているのである。マンダラの描き方とか、護摩の焚き方とか……。それらは、実際に手を取って教えてもらわぬと、容易にわかるものではない。それで空海は、唐に渡る決心をした、といわれている。」と書いています。
 たしかに、密教は哲学的なものだけではなく、実際に「虚空蔵求聞持法」のような修行も大切にしています。それは、直接に具体的に教えてもらわなければ、わからないものです。
 そういう意味では、下に抜き書きしたように、真言や印を結ぶなど、わからない部分がたくさんあります。それは、理解するとかわかるということではなく、それをそのまま受け入れるということでもあります。
 今、四国の四国八十八ヵ所のお遍路をしていると、それが実感としてスッと入ってくるような気がしています。もう少しお遍路の旅が続きますが、この時間を大切に歩きたいと思っています。
(2017.3.10)

書名著者発行所発行日ISBN
空海入門(中公文庫)ひろさちや中央公論社1998年1月18日9784122030412

☆ Extract passages ☆

密教では、沈黙の大宇宙仏が"毘慮遮那如来″と呼ばれるのに対して、この雄弁の大宇宙仏を"大日如来″と名づける。
 ただし、大日如来は雄弁に真理を語っておられるが、そのことばは人間の言語ではない。宇宙の真理は宇宙語でもってしか表現できない。つまり、大日如来は、象徴言語・宇宙言 語でもって喋っておられるのだ。したがって、その言語をマスターした者だけが、それを理解できるのである。
 その意味で、大日如来の教えは、一般大衆には「秘密」である。密教というのは、この「秘密仏教」の意であって、特別な修行によって象徴言語をマスターせねばわからぬ仏教である。釈迦牟尼仏(釈尊)がわたしたち人間に理解可能なように、大宇宙の真理を人間語に翻訳して教えてくださる仏教――それが"顕教"である――とは、まるでちがって、密教は原語の仏教なのだ。それだけに難解だし、真理のレベルも高次元である。密教とは、そんな仏教である。
(ひろさちや 著 『空海入門』より)




No.1352 『15歳の「お遍路」』

 今、ちょうど四国八十八ヵ所を巡拝していますが、日中は次々と巡拝するので、まったく余裕がないのですが、夕食を食べると少しヒマがあるので、もってきた本を読んでいます。
 これも文庫本なので、気軽な気持ちで読み始め、なるほで、15歳でお遍路するとうのは、このような気持ちなのか、と思いました。しかも副題は「元登校児が歩いた四国八十八ヵ所」とあり、実際にこの本を読むと、中学1年の2学期から3年までの約3年間ほど、学校に行ってなかったようです。
 そして、2003年の秋に、父親の四国八十八ヵ所の歩き遍路の地図を作るための調査に同行し、翌年に通し打ちをしてみないかと父親に言われ、いろいろと考えた結果、自分で判断し8月10日、東京を出発したそうです。この本は、その四国八十八ヵ所の通し打ちのことを書いたものです。
 もちろん、そのきっかけは不登校ということもあるでしょうが、自分の妹、空海、「くみ」と読むそうですが、母親と同じように心臓病なので、その平癒も願ってのことです。
 でも、15歳だな、と思うのは、51番札所の石手寺でイラク戦争のクラスター爆弾で犠牲になった少女の写真を見て、「人に伝える写真を撮りたい。真実を伝える写真家になりたい、そう思う。僕が目指すもののひとつ、写真家という通が、太く、より確かなものに変わった瞬間だった。」と書いていました。ところが、「おわりに」のところで、「僕は将来、教師になりたいと思っている」と書いていて、学校に行くことの意味を見つけられずに悩む子どもたちの支えになりたいといいます。
 たしから、遍路を始めたときと、それから少しずつ変わりはじめ、最後には脱皮するかのように変わってしまうのかもしれませんが、そう変われることもすごいことだと感じました。
 さらに、「文庫本化にあたって――8年目のあとがき」のなかで、当時と変わらない夢である教師を目指しているといい、さらに「自分で学校を作ること」がその先にあるといいます。いわば、夢はさらに広がっているようです。
 でも、このように夢が広がっていくのは当たり前のことです。まだ23歳の若者ですから。
 それもこれも、この本を読んで、この四国八十八ヵ所を歩いてお遍路をしたという経験が基礎にあると思いました。たとえば、お接待にしても、「今までお接待は人助けだと思って受けていたのだが、そうではなくて、お接待を通して、骨は僕たちお遍路さんを応援してくれているんじゃないだろうか、と。お接待にもいろいろあるけど、どれも気持ちがいっぱいこもっている。僕らはその気持ちに励まされ、勇気づけられるのだ。」と書いてますし、「今の時代、車やバイク、それに電車など、さまざまな移動手段がある。なぜ、そういった便利で快適なものを使わずに、「歩き」にこだわるのか、と。それは、歩くことでしか見えない世界があるからだと思う。歩きの巡礼はとにかく時間がかかる。時間がかかるぶんだけ、出会いの数も増える。これが、一番重要なことだと僕は確信している。お遍路をしていて一番楽しいこと、それは「人との出会い」だ。お遍路は、人との触れ合いを通して、自分を磨いていく場所なのだと思う。もうひとつ。すべてのお寺を歩き通したときの達成感は、車やバイクを使うよりすごいのではないか、とも僕は考えている。それはたぶん、今後の自信にもつながるはずだ。」とも書いています。
 やはり、15歳でしか味わえない四国八十八ヵ所詣りがあると思いました。
 でも、それと同じように、67歳にならないとわからない四国八十八ヵ所詣りもあるはずです。今、実際に車ではあるが、四国八十八ヵ所を巡拝していて、いろいろと考えることもあります。
 下に抜き書きしたのは、お遍路終盤の78番札所の郷照寺のベンチで休んでいるときのことで、遍路を始めたときとはだいぶ違うなあ、と思ったところです。四国八十八ヵ所を巡拝して変わった15歳の姿を、ぜひ読んでみてください。
(2017.3.6)

書名著者発行所発行日ISBN
15歳の「お遍路」(廣済堂文庫)岡田光永廣済堂出版2012年12月30日9784331655016

☆ Extract passages ☆

 この53日間、いろいろなことがあった。東京での生活では体験できないようなことばかりだった。野宿をしたり、知らない人の家に泊まったり、山で遭難しかけたり、数え切れないくらいの貴重な体験をしてきた。今思うと、どれも本当に楽しかった。
 これらのことを通じて、僕にはいろいろな変化が起こつた。これまで、自分より年上の人はなぜか恐ろしく、避けていた部分があった。だが、必然的に大人と向き合う機会も増えたことで、ひとりの人間として劣等感を感じずに大人と接することができるようになった。また、ここではすべてのことを自分でしないと生きていけない。これまで親に甘えていた部分も、自分でしっかりやらないといけないのだ。そのため、なんでも自分で判断して行動することができるようになった。
(岡田光永 著 『15歳の「お遍路」』より)




No.1351 『空海! 感動の四国八十八箇所の歩き方』

 今、ちょうど四国八十八ヵ所を巡拝しています。
 自宅を出たのは2月28日で、ここ四国に入ったのは3月1日です。もちろん最初は第一番札所の霊山寺にお詣りし、ここからお遍路の旅が始まりました。だいぶ昔ですが、ここだけはお詣りしたことがあり、フェリーで徳島港に着き1泊、翌日には四国を離れました。だから、あまり印象はありません。
 ところが今回は四国をぐるりと回るお遍路の旅ですから、ほぼ2週間ほど、まだどれだけかかるかも検討尽きませんが、まだまだ徳島県で、いわば「発心の道場」といわれるところです。毎日、ナビや地図、案内書を読みながらの運転で、まさに訪ね歩くような感覚です。
 この本には、お大師さまが42歳の厄年のときにこの八十八の霊場を創られたと書かれてありますが、それはないと思います。おそらく、後世の人たちがお大師さまを慕って、修行されたところを歩いていたのが、いつの時代かに今のような形になったのではないかと思います。
 また著者は、こどもの厄年は13歳、女性の厄年は33歳、男性の厄年は42歳、それらを全部合わせると88になるとも書いています。だからといって、そのような数字から88を考えるよりは、8そのものを漢字で書くと末広がりで、それが2つもあれば、永遠へとつながります。だから、私も28日、つまり8の付く日に出発したわけではないのですが、後から考えれば、なんとでもそのようなつながりは見つけられます。
 著者は、この四国八十八ヵ所の第13番の大栗山大日寺のお生まれだそうで、この山号から苗字の大栗があるのかもしれないと思いました。だから、生まれたときから四国八十八ヵ所のお遍路さんとつながっていたわけで、そのことだけで、ぜひ読んでみたいと思ったのです。
 そのようなことから、旅の宿で読んでいるのですが、四国八十八ヵ所の案内書というよりは、なぜお詣りしてあるくのかということに主眼がおかれているかのような本です。たとえば、お遍路の旅は十三仏をめぐる旅でもあり、初七日のお不動さまは「発心」、二七日のお釈迦さまは「修行」、三七日の文殊さまも「修行」、四七日の普賢さまも「修行」、五七日のお寺像さまも「修行、、六七日の弥勒さまも「修行」、七七日のお薬師さまも、さらに百ヵ日の観音さま、一周忌の勢至さま、三回忌の阿弥陀さま、七回忌の阿しゅくさままでは「修行」で、やっと十三回忌の大日さまが「菩提」、三十三回忌の虚空蔵さまで「涅槃」に至ります。つまりは、ここ四国八十八ヵ所の徳島県が「発心」、高知県が「修行」、愛媛県が「菩提」、香川県が「涅槃」となっています。なるほど、と思いました。
 この本の中で、お接待にも触れていて、「四国に住んでいる人々は、お遍路さんのことを(弘法大師の身代わり)と信じて尊敬しています。お遍路の旅をしていると、かならず"ちょっとお遍路さん、お接待させてください!″と呼び止められます。そして、ミカンやふかし芋やら、お茶やらお金やら、その人なりのお接待をします。そのときのお遍路さんのマナーは、@何をいただいても、絶対に"いらない!″などと断ってはいけません。それは供養ですからありがたく頂戴してください。Aそのうえで、"あなたのお名前は?″と尋ね、たとえば"中村です″と答えられたら、"中村家先祖代々菩提のために、南無大師遍照金剛″と三回お唱えください。これがお接待を受けるときのマナーです。」とあり、これを参考にもしました。
 別な案内書には、納め札を差し上げるとも書いてあり、どちらも似たようなことなので、あまり気にも留めませんでした。
 下に抜き書きしたのは、江戸時代の大田蜀山人の狂歌ですが、たしかに自分に関係ないと思っているのとないのとでは、感じ方も違います。
 ぜひ、その違いを感じてみてください。
(2017.3.3)

書名著者発行所発行日ISBN
空海! 感動の四国八十八箇所の歩き方(中経文庫)大栗道榮中経出版2011年6月2日9784806140672

☆ Extract passages ☆

 江戸は天明期を代表する文人・狂歌師の太田蜀山人(南畝、1749−1822)が「死ぬことは、人のことだと思うたに、おれが死ぬとは、こいつたまらん」と歌ったそうです。漢詩文、酒落本、狂詩、狂歌などで人気が高く、多くの随筆を残した酒脱な文人ですら、自分が死ぬときになると、あわてふためくのです。やがて通らなければならない道であることはよくわかっているのですが、まさか、それが「今日」とは誰も思いたくありません。
 しかし、この世は無常です。いいえ、はかないのではありません。いつも一定の早さで移り変わっているだけなのです。
(大栗道榮 著 『空海! 感動の四国八十八箇所の歩き方』より)




No.1350 『世界で一番 他人にやさしい国・日本』

 「悪智恵」の次は、やさしい国の話しですから、いかにも乱読も甚だしいような気もしますが、肉を食べたあとは野菜も食べないとというような感じで選んでみました。
 というよりは、ちょっと立ち読みをしたときに、著者のマンリオ・カデロさんはサンマリノ共和国の駐日特命全権大使や駐日各国大使の代表を務められたとあり、そのような方から日本が世界で一番やさしい国だと書かれれば、それはぜひに読んでみたいと思いました。
 人は悪く言われるより、良く思われたほうがいいわけで、悪智恵の本にもたしかそのようなことが書いてあったと思います。
 この本は、第1部『世界が学ぶべき「日本モデル」』をマンリオ・カデロ氏が書き、第2部『自然に感謝する日本人の心』を加瀬英明氏が書いています。それぞれにリンクする部分があり、それで1冊になったのではないかと思いました。
 第1部では、日本のすぐれたところに触れながら、サンマリノ神社を建立したことなどにも触れています。とくに印象的だったのは、アメリカについて「アメリカという国は、自国で成功を得られなかった移民によってつくられた、新興国である。アメリカの有名な精神医学者によれば、移民は粗野で暴力的な存在であり、残念なことに、アメリカ人のDNAにバイオレンスとして、脈打っている。アメリカは世界でもっとも高い犯罪率を誇っているから、バイオレンス映画をつくるのは、お得意なお家芸となっている。それがすべての分野に及んでいる。たしかに、アメリカについて賞賛すべきことは、山ほどある。……だが、メダルには裏側があるのだ。」書いています。今年のアメリカのテレビ報道を見ていると、これが如実に的を得ているように思いました。
 また、加瀬氏の「埼玉県にAさんという、代々農業に携わってきた友人がいて、四季ごとに、旬の新鮮な作物を送ってくれる。地元の名士だ。あるとき、「どうして『ことば』は、言葉と書くのか、知っていますか?」とたずねられた。私が知らないと言うと、「木は葉が落ちてしまうと、いったい何の木なのか、分かりません。だけど、菓によって、どのような木か、すぐに分かります。人も言葉によって、どのような人か、すぐに分かります」と、言った。それ以来、私は言葉を発するときには、言葉を選ばなければならないことを、教えられた。」と書いていますが、なるほどと思いました。
 近頃は不用意な発言が多くなったように感じられていたので、とくにそう思ったのかもしれませんが、時代もそのように動いているようです。ツイッターやラインで思いつくままにつぶやくことなどもそうですが、ヘイトスピーチなどもそうです。もうすこし、相手のことを考え、おだやかに話せないものかと思っています。  下に抜き書きしたのは、「おわりに」に書いてあった、日本は世界のなかでも身障者にもっともやさしい社会だった一つの例として掲げてあるものです。
 とくに勝海舟の曾祖父の話は知りませんでした。ぜひ読んでみてください。
(2017.2.28)

書名著者発行所発行日ISBN
世界で一番 他人にやさしい国・日本(祥伝社新書)マンリオ・カデロ/加瀬英明祥伝社2016年11月10日9784860294557

☆ Extract passages ☆

 勝海舟の曾祖父は、農家の子で、全盲の按摩師だった。金貸しをして小金を貯め、息子に最下級の武士の株を買った。幕府は身障者保護に手厚く、盲人にだけ、金貸しを営むことを、許していた。
 江戸時代の日本は、二人の世界的な盲人を生んだ。
 杉山和一(1610年〜1694年)は、中国の太く長い鍼を、今日の日本の筒に入った細く、短い鍼にかえた管鍼法を、つくった。
 和一は今日の和歌山の武家の子だが、さまぎまな苦難を乗り越えて、五代将軍綱吉の侍医となった。綱吉は和一に説得されて、1680年から全国の30カ所に、盲人に6年以上教える、杉山流鍼治導引稽古所を開設した。
 一方、ヨーロッパにおける最初の盲人学校が、フランスで1784年に、開校した。日本の104年後に当たる。
 もう一人の塙保己一(1746年〜1821年)は、今日の埼玉県の農家に生まれ、幼時に失明した。
 人が音読したものを暗記して、江戸時代を代表する大学者となった。666冊にのぼる『群書類従』によって知られるが、保己一が取り組んだ史料編纂は、東京大学史料編纂所が引き継いでいる。
 ヘレン・ケラーが昭和12(1937)年にはじめて来日したときに、東京・渋谷の温故学会にまっ先に駆けつけた。女史はここに置かれた保己一の机を、縋るようにして撫でた。
 女史は幼いときから、母から東洋の日本に塙保己一という、全盲の偉大な学者がいたことを聞かされて、手本にして努力したのだった。
(マンリオ・カデロ/加瀬英明 著 『世界で一番 他人にやさしい国・日本』より)




No.1349 『「悪智恵」の逆襲』

 副題は「毒か?薬か? ラ・フォンテーヌの寓話」です。つまり、ラ・フォンテーヌの寓話を取りあげながら、日本人にはなじめないような「悪智恵」を授けようとするような本です。
 たとえば、最近の中国や韓国の「反日」問題にしても、この本では、「日本人はというと、もともと忘れっぽく、憎しみを持続させることのできない民族なので、自分たちがアメリカへの憎しみを持続できなかったのと同じように、中国や韓国も日本への憎しみを持続できないと勝手に思い込んでいたのである。遠く離れていれば憎しみは、決して消えはしないが、いつかは薄らぐ。これは、ラ・フォンテーヌの言うように一つの真理ではある。しかし、真理だからといって、それが敵対しあった者同士に等しく認められるとは限らない。そうなっては困るとする党派がどちらかの国の政治の実権を握れば、「憎しみを忘れるな」が合言葉になるのもまた真理だからである。」と書いていて、なるほどと思いました。
 副題の毒か薬か、ということについては、2005年にノーベル生理学・医学賞を受賞したマーシャルとウォレンによって発見されたピロリ菌がその例として論評されていますが、この本を読むまで、わかりませんでした。わからないから、著者もピロリ菌を駆除する抗生剤を飲んだようです。おそらく、知っていれば、どのようにしたか興味のあるところです。
 そのことに関しては、ニューヨーク大学の微生物教授のマーティン・J・ブレイザーの言葉を引用して、「わたしたちは、病原菌として発見されたピロリ菌が両刃の剣であるということを発見した。年をとれば、ピロリ菌は胃がんや胃潰瘍リスクを上昇させる。一方で、それは胃食道逆流症を抑制し、結果として食道がんの発症を予防する。ピロリ菌保菌率が低下すれば、胃がんの割合は低下するだろう。一方、食道腺がんの割合は上昇する。古典的な意味でのアンフィバイオーシスである」と書いていて、さらにプレイザーは抗生剤登場以後に出現した新しい病気、すなわち、喘息、アレルギー、肥満、若年性糖尿病、自閉症などは、幼児期に過剰な抗生剤を投与したことにより、体内細菌が失われたためではないかと大胆な仮説を立てているそうです。
 そういえば、日本でも体内の寄生虫がいなくなったことが、ある種の病気がひどくなった原因ではないかと言われています。まさに毒か薬か、というよりも、毒でなければ薬として効果もないということなのかもしれません。
 そう考えれば、結局は薬をなるべく使わないほうがいいのではないかと思ってしまいます。でも、病気になってしまえば、そうも言ってはいられません。そこで悩んでしまうのが、人間という生きものなのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、人の心理として、「やるな」といわれればしたくなったり、「覗くな」といわれれば、かえって覗きたくなったりするのを、心理学的に説明してるところです。
 それをラ・フォンテーヌは「星占い」の寓話で説明しているそうです。つまり、予言や占いを聞きたがるのも、未来はバラ色であると信じたい人間の心理がそうさせるのだそうで、まさに幸福追求願望がなせることだといいます。
(2017.2.26)

書名著者発行所発行日ISBN
「悪智恵」の逆襲鹿島 茂清流出版2016年11月29日9784860294557

☆ Extract passages ☆

 人間の記憶というのは、命令を受けると、それが肯定命令であろうと否定命令であろうと、つまり「覗け」であろうと「覗くな」であろうと、とりあえず、その行為を中立状態で、つまり「覗く」という行為を、そのまま「原形」で脳の中にキープしておくものだといわれる。
 この記憶の定着により、「覗く」という行為に初めて注意が向けられるようになる。これを精神分析では「注意の備給」という言葉で呼んでいる。この「注意の備給」を受けると、それまで意識にさえのぼらなかった行為が無意識の中で光を放つようになる。このような状態では、「覗け」も「覗くな」もほとんど同じ命令になるから、何かのきっかけでその行為を始める条件が整うと、「覗く」ことを始めてしまうというのである。
(鹿島 茂 著 『「悪智恵」の逆襲』より)




No.1348 『春夏秋冬 雑談の達人』

 前回読んだ『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』という本が、とても哲学的で、言い回しがわかりにくく、なかなか読み進めなかったのと比べて、この本は題名の通り雑談なので、あっという間に読み終わってしまいました。まさに、雑題していたかのように、あっという間でした。
 だから、どうこう言うのでは無く、本を読むのも緩急があったほうがいいと思いました。
 著者はプロフィールによると、1974年生まれで俳人だそうです。私はあまり俳句に詳しくないのでわかりませんが、「いるか句会」や「たんぽぽ句会」を主宰しているそうで、2016年度のNHK俳句選者にもなっていますから、その世界では名の知れた俳人なんでしょう。
 でも、若くして俳人というのも、なんとなく違和感があります。俳句をやる人は、茶人帽などをかぶり、渋めの着物などを着て、ちょっとゆったりと歩く姿が似つかわしいような気がしますが、今どきの俳人は、この本を見る限り、颯爽としています。でも、ちょっと世間になじめないような雰囲気は持っているようです。
 そういえば、TBS系バラエティー「プレバト!!」(木曜午後7時)の俳句コーナーが人気だそうで、なんどか見たことがありますが、あの夏井いつきさんの添削で出演者の俳句が劇的に変わるのは、見ていても飽きさせません。
 おそらく、そのような俳句への関心の高まりもあって、このような本も出版されたのかもしれません。
 また、読みやすかったのは、あちこちに書かれたイラストが軽快で、後ろに書かれていたプロフィールをみると、石川ともこさんで、2005年には第1回ほぼ日マンガ大賞で入選されたこともあるそうです。とくに、ネコのイラストがかわいらしかったです。
 この本のなかにも、著者の分身だと思われる「俳句先輩」が飼っているのがネコの「こよみ」で、要所要所で大事な役をしています。
 この本の流れは、やはり春夏秋冬で、そのときどきの季語を交えて雑談をするという構成になっています。
 たとえば、春の若葉のころには、「若葉には、○○若葉と名がついているものがあります。家庭の庭木としてよく見かける柿の葉は柿若葉。つややかに光る萌黄色が新鮮です。ほかにも、朴若葉、樫若葉、蔦若葉など、樹木の種類によって呼び名があります。谷の若葉は谷若葉、寺院の若葉は寺若葉、里の若葉は里若葉。樹木のある場所や状態によって言い方が変わります。こんな表現を知っていると、日常の散歩や旅先での会話が豊かになりそうですね」と書いてあります。
 下に抜き書きしたのは、同じ春でも、秋との違いを物思いの季語から話しをしているところです。たしかに、春と秋では違いますから、それを季語という俳句の常套手段を使って雑談をするということも、意外性があっておもしろいと思いました。
(2017.2.24)

書名著者発行所発行日ISBN
春夏秋冬 雑談の達人堀本裕樹プレジデント社2016年10月21日9784833421942

☆ Extract passages ☆

 春は、とらえどころのない憂いや哀しみを感じる季節。春愁には、春愁、春思、春恨といった言い方もあります。花が咲き、鳥がさえずる、心が浮き立つ季節なのに、ふいに物思いに誘われたり、春眠をむさぼってせつない思いをしたりしてしまう。あまり深刻ではない物思い。そんな春の哀愁を、春愁といいます。
 同じ物思いでも、秋の物思いは秋思です。傷秋、秋懐、秋あはれも仲間の言葉で、春にくらべるともの寂しい、哲学的な愁いです。
(堀本裕樹 著 『春夏秋冬 雑談の達人』より)




No.1347 『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』

 今月初めに『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?』という本を読みながら、豊かさって、なんとなく理解できるけど、じゃあ、その先の幸福って何、というとなかなか理解できなかったのです。それで、この本をたまたま図書館で見つけ、読んでみました。
 たしかに、一番理解しやすいのが健康とお金があると幸福というのがありますが、ではどれぐらい健康でお金があると幸福なのかというと、これが人それぞれではないかと思うのです。たくさんあればと思う人もいるし、ほどほどが一番だと思う人もいるだろうし、あるいは少ない方がより幸福感があるという方だっています。
 この本では、「健康やお金の不足による不幸はいわば「地に足の着いた」不幸であり、まさに現実的な不幸なので、それらに直面しているときは他の不幸が瑣末なものに見えます。皮肉なことに、そうした「地に足の着いた」不幸は、その他の日常的な心配事や不満をかき消してくれるのです。健康やお金の不足による不幸は、その意味で、優先順位の高い不幸だと言えます(鍋に春菊を入れるとすべて春菊の味になってしまうのが許せない、と言った知人がいましたが、健康やお金の不足もこれに似ています)」と書いていますが、なるほどと思いました。
 また、幸福を考えるとき、過去のことや未来のこと、あるいは今の今、現実を考えることでも、いろいろな考え方があります。あるいは、過去や未来についての雑念や妄想から離れるために、今のこの一瞬をとらえようとすることだってあります。つまり、今のこの一瞬が幸福なら、それを続けていけばいいという考え方です。
 この本のなかで、マサチューセッツ大学ストレス・クリニックの元医院長であるジョン・カバットジンは、マインドフルネスについての本のなかで、「食べる瞑想」というものについて書いたものを抜き書きしています。それは『マインドフルネス ストレス低減法』、春木豊訳、北大路書房、にあるそうですが、それを再掲しますと、
 まず最初に、レーズンを観察することに注意を集中します。初めて見るようなつもりで観察します。指でつまんだ感触を確かめ、色や表面の状態に注意をはらいます。こうしていると、レーズンやほかの食べものについてのいろいろな思いがわきあがってくるのに気がつきます。観察しているうちに、好きとか嫌いといった思いや感じも生まれてきます。
 次に、しばらくレーズンの匂いをかぎ、最後に、うまく口に持っていくために腕が手を持ちあげ、心と体が食べものを予期して唾液を出すのを意識しながら、唇にレーズンを乗せます。そのまま口に入れ、一粒のレーズンの本当の味を確かめながら、ゆっくりとかみしめます。
 十分にかんだら、飲みくだすときの感触を確かめながら飲みこみます。飲みこむという行為でさえ、意識的に休験することができるのです。飲みこんでしまうと、自分の体が、レーズン一粒分だけ重くなったような気がします。実際にそう”感じる”ことができるかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、第5章「付録・小さな子どもたちに」に書かれていたことです。この本のなかでも、とくに平易にかいてあり、とても理解しやすいものでした。
 ついでに、もう一つ抜き書きしておきますと、「一つの遊びにむちゅうになると、とても楽しい気もちになります。そのときは、ほかの人のしていることも、ほかの遊びも、気になりません。「あれもしたい、これもしたい」と思って、いろいろな遊びをちょっとずつバラバラにやっていると、なんとなく楽しくありません。ほかの人のしていることに、イライラしてくることもあります。いちどに一つのことだけをしていると、きみはだんだん「集中」ができるようになります。もし遊びに集中できるようになったら、ほかのことでも、すこしずつ、ためしてみましょう。」とありました。
 これは別なところでも触れていることから、著者の考え方だと思いますが、1つにずつ遊ぶということは、集中する意味においても、大事なことではないかと思います。
(2017.2.23)

書名著者発行所発行日ISBN
幸福はなぜ哲学の問題になるのか青山拓央太田出版2016年9月25日9784778315351

☆ Extract passages ☆

「どうして勉強をしないといけないのか」。この質問には、たくさんの答えがあります。そうした答えのうちの一つは、「今いる世界の外に出たくなったとき、出るための力になるから」です。……
 今いる世界から出たくなったとき、いろいろな勉強をしてきた人は、そのためのじゅんびができています。いろいろな勉強をしておくことは、いろいろな出口をつくっておくことでもあります。
 そして、今いる世界が好きな人も、一生そこにいられるとはかぎりません。学校はかならず卒業しますし、町や家庭も変化していきます。そして、なによりも、きみ自身がどんどん変化していきます。
 今いる世界がきらいな人も、今いる世界が好きな人も、外には別の世界があると知っておくことは大切です。今いる世界がすべてだと思うと、つまらなくなったり、くるしくなったりします。
(青山拓央 著 『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』より)




No.1346 『さよなら、ストレス』

 この本は、前回読んだ本と同じ日に発行されたようで、後から書き入れるときに気づきました。もちろん、読もうかと思ったときには、題名や目次や簡単な内容のチェックはしますが、出版社や発行日などはまったく気にもなりません。一番は、やはり内容です。
 この本の副題は「誰にでもできる最新「ご機嫌」メソッド」とあり、私自身はあまりストレスを感じないのですが、毎日をご機嫌で過ごすことができれば、そのほうがいいと思いながら、読みました。
 よく、何ごともポジティブに考えるとよいといいますが、著者は、これを不快対策思考としてあまり良いことではないと考えているようです。なぜかというと、先ずは外科医を変えようとする、2つめは行動をとる、3つめは気にしない、考えない、忘れる、そして4つめはプラス思考、ボジティブシンキング、の4つをあげていて、これには限界があるといいます。
 では、どうするかというと、意味づけをしないということが肝心だと書いています。人はどうしてもすべてのことに意味づけをしてしまい、それがかえってストレスになりがちだというのです。
 著者は、「すべてのことに意味がないのだ、ということを言いたいのではありません。そもそも意味の付いてないものに、人間は意味付けをして、その結果、苦しんでいるという ことを、もう少し客観視して、意味の暴走から脱却してはどうかと提案しているのです。これが、ご機嫌マネジメントのやり方です。どんな事象にも、本来は意味など付いてないのです。それに意味付けをしているのは人間だけです。それは人間が意味の生き物だから仕方ありません。しかし、それに気づけないと、意味はどんどん暴走して、私たちを苦しめていくことになるのです。すべての事象に対して意味を考えるよりも、そもそもどんなことにも意味など付いていないのだと考える方が、受け止めやすいし、真実でもあります。」と書いていて、それがご機嫌メソッドのやり方ですといいます。
 たしかに、意味づけをするというのは良いこともありますが、悪いこともあります。だからといって、一律にしないというのも、やはり考えてしまいます。
 していることに意味があるとか意義があるという思いも、時には必要です。動物のように何も考えずにしているというのも、ちょっとおかしな話しです。人間だからこそ、考えるわけで、それを否定されてしまっては立つ瀬もありません。
 私は、ストレスがあるのは仕方ない、むしろ、そのストレスに負けない強さが必要だと思いました。
 下に抜き書きしたのは、いかに楽しくやることが大切かということについてです。これには大賛成です。ぜひ、読んでみてください。
(2017.2.20)

書名著者発行所発行日ISBN
さよなら、ストレス(文春新書)辻 秀一文藝春秋2016年10月20日9784166610983

☆ Extract passages ☆

 苦しんでいればいずれ楽しいこと、すなわち結果が来るというのは妄想で、何の根拠もありません。結果とは、やるべきことを高い質でやり遂げた人に与えられるご褒美です。したがって、やるべきことをいかに楽しく感じながらやれるようにしていくか、そこに目を向ける必要があるのです。
 そこで重要なのが、人間にしか感じることのできない高等な感覚の、一生懸命を楽しむことです。他のどんな動物も一生懸命を楽しむことができません。人間だけの特権です。子どものころはみなそれができたはずです。
(辻 秀一 著 『さよなら、ストレス』より)




No.1345 『研究するって面白い!』

 この岩波ジュニア新書のシリーズは、たしかにジュニア向けかもしれませんが、とてもわかりやすく、興味のある分野についてはよく読みます。
 今回の本も、副題は「科学者になった11人の物語」で、科学者って、研究するって、どのようなことだろうかと思ったのが読むきっかけです。私は植物が好きなので、植物分類学の先生たちとは交流もあり、いろいろなことを聞きますが、その他の研究者たちのことはほとんどわかりません。毎日、どのような研究をしているのかと思いました。
 図書館で何気なく手に取って、そのまま借りてきたのですが、まさかその科学者たちがすべて女性だとは思いもしませんでした。だから表紙のイラストも、今どきの女子高生が描かれていたのかと、後から思いました。
 でも、今は女性もいろいろな分野で研究をしていますし、こころざしは同じでしょうから、読み進めると、やはり女性ならではの大変さとかが書かれていて、むしろ男性よりは研究者になるのは大変かもしれないと思いました。
 それでも、この本の編著者である伊藤由佳里さんは、「確かに研究というのは自分の疑問を解明する作業なので、得意だからできるというものではなく、もっと知りたいという好奇心こそが研究の原動力になります」と書いていて、なるほどと納得しました。
 しかも研究というのは、まったく新しいことにチャレンジするわけですから、試行錯誤もあり、行き詰まりも必ずあると思います。でも、この本に登場した11人の研究者は、遠回りをしても、それを自分の研究に役立てていると思いました。そして、それも長い道のりには必要だったのかもしれないといいます。やはり、そのようなある意味、おおらかさも必要ではないかと思います。
 たとえば、小島晶子さんの植物の葉の研究では、「植物の葉の表が濃い緑色で、裏は表よりも薄い色をしていることは、皆さんご存知だと思います。葉の表と裏では、主な役割が少し違います。葉の表側は柵のように並んだ細胞が効率よく光を受け取り、光合成を行います。裏側は細胞が海綿状に並んで空間があり、裏側の表面に多くある気孔を通して、光合成や呼吸に必要なガス交換、蒸散を行います。シロイヌナズナやトマトなどの研究から、葉の表と裏では働く遺伝子が異なることがわかっています。しかし、どのように表と裏の細胞ができるのかは、まだわからないことも多いです。」といい、このわからないことを、なんとかわかるようにしたいと研究しています。
 そして研究は、ただ毎日研究の対象物と向き合うだけでなく、多くの人たちとの出会いも大切だといいます。「人との出会いはあなたの人生をより豊かなものにしてくれます」と書いていますが、それは研究の世界でも同じで、読者の方々も素敵な出会いがありますようにと願っているそうです。
 下に抜き書きしたのは、現在、アメリカのマサチューセッツ州にあるハーバード大学公衆衛生学部で研究をしている加藤知世さんのマラリア研究のことについてのことです。
 この研究の大変さは、マラリア原虫が今までの薬が効かなくなる薬剤耐性型になり、新薬開発とのいたちごっこの様相を呈していることのようです。たしかに、とくにアフリカなどでは、まだまだいろいろな病気が猛威をふるっています。だから、このような地道な研究が必要なことで、今までいろいろな研究者たちが関わってライブラリーと呼ばれる分子化合物のコレクションのなかから、望まれる薬理活性のある分子を探し出す(スクリーニングする)ことは、とても根気のいる作業だそうです。これらを読むと、新薬の開発というのはお金だけではなく、とてつもない時間もかかっていると思いました。
(2017.2.18)

書名著者発行所発行日ISBN
研究するって面白い!(岩波ジュニア新書)伊藤由佳里 編著岩波書店2016年10月20日9784005008414

☆ Extract passages ☆

 マラリア原虫はヒトと蚊を宿主として広がっていきます。そのため薬による感染者の治療と新たな感染を防ぐ対策をたてていく、その両方を行うことが重要です。ワクチンは未だ完成されておらず、感染を防ぐ方法はマラリアを持つ蚊に刺されないことに尽きます。かつて先進諸国では、マラリア治療薬の普及と共に蚊避け薬剤や殺虫剤の使用などで感染の広がりを抑え、マラリアの根絶に至りました。ではなぜ現在もマラリアが流行している地域があり、その危険性が強調されるのでしょうか。幾つかの理由が挙げられます。一つには、蚊のいなくなる季節の無い流行地においては、蚊をコントロールすることがそれ以外の地域に比べ、はるかに困難だからです。もう一つの理由、そして一番問題となっているのは、マラリア流行地において薬の効かないマラリア原虫(薬剤耐性型)が増えたことです。
(伊藤由佳里 編著 『研究するって面白い!』より)




No.1344 『入門! 進化生物学』

 イギリスに行ったとき、ロンドンの自然史博物館にまわり、その踊り場にある大きなダーウィンの石像の脇で写真を撮りました。その後、キューガーデンの標本館にまわったときも、ダーウィンの塑像がありました。やはり、ダーウィンと生物学は切っても切り離せないものだとそのときに感じました。
 この本の副題も、「ダーウィンからDNAが拓く新世界へ」とあり、随所にダーウィンのことが書かれていました。
 ときどき、ダーウィンはウォーレスから来た手紙の内容を参考にして進化論を考え出したのではないかという論調もありますが、この本では、「ダーウィンに思いもよらない悩ましい手紙が届いた。東南アジアで独り研究を続けていたA・R・ウォーレスからの手紙である。ウォーレスはマレーで、東南アジアの生物について博物学的な研究をしていたが、奇しくも現生生物の生物学的由来について、ダーウィンの考えとほとんど同じ考えに達していたのだ。ダーウィンの虎の子の自然淘汰の考えもそっくりであった。ウォーレスの手紙を読んでしまったダーウィンは大変困惑した。ウォーレスの手紙を無視すれば、この科学的発見を不正に自分のものにすることになるが、一方でウォーレスの業績だけを公にすれば、自分のこれまでの努力は無に帰してしまう。困り果てたダーウィンは、友人の地質学者のライエルに相談した。ライエルは早速生物学者のJ・D・フッカーと相談し、ウォーレスとダーウィンの論文の両方を同時に専門誌に載せることにした。ダーウィンが『種の起原』を刊行する1年前の1858年のことである。」ときれいにまとめられていました。これを読み、なるほどと納得しました。
 フッカーは、『シッキム・ヒマラヤのシャクナゲ』という自らが東ヒマラヤの植物調査に行き、それらをまとめた本を出版し、キューガーデンの園長も務められました。もともとダーウィンとも親交があったといいますから、つながりはあったと思います。
 おそらく、ほとんどの学説が横並びで研究されていることもあり、だれが先というのは難しいと思います。だとすれば、出るきっかけが良かったとか、タイミングの問題とかに左右されやすく、ダーウィンとウォーレスのように同時掲載というのは、一番良さそうに思います。でも、今の時代はパソコンで世界とつながっていて、秒単位まで確定されてしまいますが、それだと勇み足も多いようで、じっくり考えるということができなくなりそうです。
 この本のなかで、イギリスのオオシモフリエダシャクという蛾の話しが載っていますが、2014年7月11日にオックスフォード大学の植物園を訪ねたときに、その途中で、煤で汚れた壁がそのまま残されていました。聞くと、他のところはすべて壁を洗浄したのだが、これぐらい汚れていたことを明らかにするために残してあるということでした。そのことを思い出して、この蛾の話しを読むと納得できました。それは、「1850年以前、暗色型の頻度は低く、ごくまれにしか観察されなかった。しかしその後、ガの環境が大きく変化した。当時のイギリスは産業革命の影響で工業が隆盛し、煤煙などの副産物がまき散らされていた。そのためイギリスの工業地帯では、樹皮の地衣類が死滅し、斑模様の樹皮が黒っぼい煤などで覆われるようになっていた。これと並行してイギリスの工業地帯では、暗色型のガが増えていった。そしておよそ100年後の1950年ころになると、これらの地域のオオシモフリユダシャクのはぼ100パーセントが暗色型のガで占められるようになった。この100年間に、暗色型の頻度が増加したのだ。このことは紛れもなく暗色型のガが、今まさに目の前で進化したことを意味していた。」と書いています。
 そしてその後に、環境改善がとられたことから、樹木の地衣類も復活し、これと平行して暗色型は減少し、斑型が増加したそうです。
 ということは、人間のいろいろなことが他の生きものにも大きな影響を与えているということになります。やはり、この地球という惑星は、人間だけのものではなく、すべての生きもののためにもあるということが、これらからわかります。
 下に抜き書きしたのは、この本に出てくる進化生物学についてのことです。手っ取り早く進化植物学というのを知るには、ここの部分を先ずは理解することです。
(2017.2.16)

書名著者発行所発行日ISBN
入門! 進化生物学(中公新書)小原嘉明中央公論新社2016年12月25日9784121024145

☆ Extract passages ☆

ダーウィンの進化説は、生物学のいろいろな分野の検証研究によって確かな裏づけを得、多くの研究者から広く支持されるもっとも根幹的かつ普遍的な生物学学説として認められるに至っている。そればかりではない。進化学はさらに多分野の生物学研究者の参入を得て研究のすそ野が広がると同時に、より一層深く追究された。その結果、進化学は現在、生物学全体を巻き込んで進化生物学として大きく発展しっつある。そのなかでも木村資生が打ち立てた中立進化説は「自然淘汰による生物の進化」というダーウィン説を超える、全く新しい進化学の発展であろう。
(小原嘉明 著 『入門! 進化生物学』より)




No.1343 『俳句世がたり』

 読もうと思っていて、なかなか読む機会がなかったのですが、世界ラン展を見ることになり、その移動のときに読み始めました。
 やはり、旅の友はかさばらない文庫本や新書版で、しかもあまりかたぐるしくない内容がベストです。それでリックに入れたのがこの本で、とても楽しく読むことができました。
 先ずは著者の語るような書き方がとても読みやすく、しかもその時事に選ばれた俳句もあまり知られていないのが多く、改めて俳句の楽しさを知りました。
 それと、たとえば絆という文字ですが、じつは「絆という文字は、牛馬をつなぎとめる綱が本義とか。束縛、苦役。してみれば絆をときはなつのが人権の祭ではないですか。」と書いてますが、昨今はまったく違うような意味に使われているような気がしました。
 また、篠原鳳作氏というのは知らなかったのですが、この文章を書いている80年前の方だそうで、「あじさゐのたまより侏儒よ駈けて出よ」という句が載っていました。このたまは、漢字で書いてあり、けまりのことです。この侏儒というのは小人のことで、この本ではフェアリーというほうがわかりやすいと書いています。
 このあじさゐについてのところで、この名は「はやい話が紫陽花は、アジサイではないんですってね。そもそもは唐の詩人白楽天が、某寺の庭の、紫色で香ばしい花木に、紫陽花となづけて詩を詠じた。その詩が本邦へ渡来して、平安時代に漢和辞典をつくるときに、これをアジサイにあてたのが起こりとか。アジサイは、香ばしくもなし、じつは日本原産で、中国へ渡ったのは後世のこと。あちらでは綉球花、八仙花となづけているとか。なんのことやら。そこでいまや新聞などではアジサイとカナ表記と決めている。ただし歳時記では、広辞苑でも、紫陽花はアジサイです。いまさらねぇ、誤用だろうが千年の実績にものをいわせて日本語なのだ。」とありますが、本当にいまさら語源がどうのこうのといってもおかしな話しです。
 このように、季節やそのときの時事問題などをからめて俳句の話しをするのですが、著者が1927年生まれですから、昔語りのようなところもだいぶあります。とくに震災や戦争の悲惨さなど、だいぶ思い出して書いているようです。
 でも、関東大震災のこととこの前の東日本大震災のことをダブらせながら書くことができるのは、ほんの少数はです。今書き残さないと、もしかすると忘れ去られてしまうかもしれません。そういう意味では、俳句という緩衝材を間にして語るのもいいことだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、あのフーテンの寅さんこと、渥美清さんの俳句です。まさに物事に囚われないおおらかな雰囲気が伝わってきます。何よりビックリしたのは、俳句をつくっていたことです。
 この掲げた2つの句とも、ほんとうに人柄を偲ばせます。
(2017.2.13)

書名著者発行所発行日ISBN
俳句世がたり(岩波新書)小沢信男岩波書店2016年12月20日9784004316343

☆ Extract passages ☆

 お遍路が一列に行く虹の中  風天
 風天は、ご存じフーテンの寅さんこと渥美清の俳号です。句集『赤とんぼ』の解説によれば、右は歳時記にも載っている代表作で、平成六年(一九九四)六月、六十六歳のときの作。この二年後に亡くなられたのでした。
 遍路は、春の季語。四国八十八カ所の札所巡礼は行程三百余里千二百キロ、健脚で四十日はかかる由。そもそもは修行で季節を問わぬが、行楽的要素が増せばやはり春か。……
一列に行く虹の中。ユートピアヘ架かる七色の橋。
 虹は、夏の季語です。はてね。一句に二季とは。いや、あまり杓子定規にこだわるのはいかがなものか。ところで下の句の、朝寝は春の季語、昼寝は夏の季語です。風天氏は百も承知の寝返りですね。
 朝寝して寝返りうてば昼寝かな  風天
(小沢信男 著 『俳句世がたり』より)




No.1342 『ときめく和菓子図鑑』

 世界ラン展2017を見ようと計画しているので、東京に出たときに和菓子を買おうと思っています。
 いつも、いわゆる和菓子の老舗で、代表的なものを買って帰るのですが、毎回となるとまだ食べたことがないものがなかなか浮かびません。そこで、この本を見ながら、考えようとしました。
 でも、写真はとてもきれいですが、ほとんどがすでに食べたことのあるものしか掲載がなく、何度も読み返しました。最後に載っていた「日本の銘菓紀行」なども、あまりにも有名店だけで、その地方の人しか知らない隠れた名店というものではないようです。ただ、「お土産に困ったときに役立つ!!」とありますから、それさえ持っていけば喜ばれるというお菓子です。
 それでも、花見だんごのところで、「桜は、春になって山から下りてきた田の神様が宿る木とされていたため、かつで庶民にとっての花見は、豊作を祈願して神様と過ごす時間でした。だんごを食べるようになったのは、慶長3年、豊臣秀吉が京都の醍醐で開いた大茶会の折、日本中の甘味を集めて披露したことが始まりといわれています。」と書かれていました。
 たしかに、桜の語源はこの他にもたくさんあり、私が好きなのは、古事記に出てくる「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」の「木花」がサクラを表すのではないかといわれ、「サクヤ」から「サクラ」に変化していったというものです。
 また、夏になると麩まんじゅうが食べたくなるのですが、これは昔からあったのではなく、明治天皇が「麩嘉」に生麩で菓子を考案してほしいと要望したことからつくられたといわれているそうです。これは知りませんでした。
 わが家から買いに行ける範囲内では、川西町の「十印」と飯豊町の「香月」の麩まんじゅうが美味しいようです。とくに香月のものは、昨年からつくられるようになったもので、口に入れたときのツルッとした舌触りとのど越しが良かったようです。
 さて、東京に出たときには、どこの和菓子を買うか、まだ迷っています。
 昨年の11月に上京したときには、とらやの上生をお土産に買いました。そういえば、この上生について、この本で紹介しています。
 それを下に抜き書きしたので、ぜひ、見てみてください。これを読むと、和菓子も日本の代表的な文化だ、と思います。
(2017.2.11)

書名著者発行所発行日ISBN
ときめく和菓子図鑑高橋マキ 文、内藤貞保 写真山と渓谷社2016年12月30日9784635202374

☆ Extract passages ☆

 和菓子の中でも、江戸時代に茶の湯の発展に伴って生まれた芸術性の高いお菓子を「上生菓子(上菓子)」といいます。京菓子を始めとする上生菓子は、四季の移ろいを楽しむ茶道と深く問わり合っているため、「五感」で季節を感じる仕掛けに満ちています。
 たとえば「きんとん」。あんこのまわりに、そぼろあんを箸で寄せて丸くしたシンプルな和菓子ですが、素材の扱い方、そぼろの色や大きさなどにより、表現は無限。職人さん曰く「その日の朝、山の端を見て作る色を決める」とも。さらにその表現の可能性を広げるのは「銘(名前)」。和歌や故事にちなんだものもあり、その背景には、日本の季節や文学・芸術が平成の今もしっかりと息づいているのです。
(高橋マキ 文、内藤貞保 写真 『ときめく和菓子図鑑』より)




No.1341 『ビアトリクス・ポターが愛した庭とその人生』

 ビアトリクス・ポターといわれても、どのような人で、どこの国の人かも、まったくわかりませんでした。でも、表紙のイラストなんとなく見たことがあるだけで、それ以上のことはまったくわかりませんでした。
 それでも、副題のような「ピーターラビットの絵本風景」とあり、なんとなくもしかするとと思いました。
 少し読み進めると、イギリスのことだとわかり、イギリスなら一昨年行ったときのことを思い出しながらさらに読み進めると、「原稿を適当なルートを通じて出版社に送る手助けをしたのは、レイ・カースル邸で夏をすごしていた当時からの友人で、湖水地方の保護運動の先導者だったハードウイツク・ローンズリー牧師だった。しかしどの出版社からも次々に断り状が届く。ついにあきらめたビアトリクスはタイトルを短くする。そして『ピーターラビットのおなはし』に変えて、自費出版することにした。1901年12月16日付の白黒印刷の初版、250部はすべて売りきれた。そこで翌年2月に200部を増刷。そのあいだにフレデリック・ウォーン社が考えなおし、挿絵をカラー刷りにして、本の出版を引き受けると言ってきた。こうして1902年に『ピーターラビットのおはなし』は出版された。」というところまできて、やはりあの有名な『ピーターラビットのおはなし』のことだとわかったのです。
 でも、最初はその出版を誰も引き受けてはくれず、自費出版をしたということは、ちょっと信じられませんでした。でも、ここの場所は、イギリスでも片田舎で、おそらくあまりなじみがなかったのではないかと思います。それでもあきらめなかったビアトリクス女史はすごいと思いました。
 この本の全体の構成は、第1部が「園芸家としての人生」、第2部が「ビアトリクスの庭の一年」、そして第3部が「ビアトリクスの庭を訪ねて」です。だから、『ピーターラビットのおはなし』そのものではなく、それが生み出された背景というか、ビアトリクスの園芸家としての側面を描いています。だからこそ、興味を持ったともいえます。
 たとえば、「今も昔も庭いじりの好きな多くの人がそうであるように、ビアトリクスもときどき他人さまの庭からこっそり植物をもらってきては、自分の庭に植えていた。ともかく〈サタースウェイト夫人によると、どこかからくすねてきた植物はよく育つそうです。昨日はゴウダソウをこっそりもらってきました。なんと庭に山と積まれたゴミのなかにあったんです!〉。ビアトリクスは園芸に詳しくなるとともに「手癖」も悪くなってきたことを、ミリーに告白している。」とあり、日本の花どろぼうは泥棒じゃない、というのと同じようなニュアンスがあります。しかし、今の時代はそうはいきません。いくらたくさん植えてある花でも、人のものは人のものです。絶対に採ってはいけません。
 下に抜き書きしたのは、ビアトリクス・ポターの残したものについてです。女史は、遺言によって、4,000エーカーの土地をナショナル・トラストに所有権を委譲したのです。だから、ビアトリクス・ポターの庭などもわかるし、今でも親しむことができるのです。
 そういえば、イギリスに行ったときに、「フィッシュアンドチップス」が飽きたので、ある地方でしっかりとメニューを見たら、ウサギの肉を使った料理がありました。私も昔は食べたことがあるので、それを注文し、とても美味しかったことを思い出しました。そこの料理人に聞きますと、地方ではよくウサギの肉は食べると言います。
 ただ、あのかわいいウサギを食べるの、といわれると困るので、あまり口外しないだけのようです。まあ、そういわれれば、たしかにそうですよね。
(2017.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
ビアトリクス・ポターが愛した庭とその人生マルタ・マクドウェル 著、宮本陽子 訳西村書店2016年11月13日9784890137541

☆ Extract passages ☆

 わたしたちがいまイングランド北西部のカンブリアの湖水や丘陵地帯、コテージや牧場の景観に接することができるのは、ビアトリクス・ポターとポターの絵本のおかげである。現在も湖水地方の湖畔には別荘は並んでいない。ぎざぎざのまるで脊椎のような丘陵地帯に、この地に似つかわしくない別荘は一軒もない。ビアトリクスは著作だけでなく、土地という遺産を後世に残してくれたのだ。
 さらにまたビアトリクスは庭も残した。それがヒルトップを取りかこみ、訪れる人を招き入れてくれる。庭はいつまでももとのままの姿をとどめていることはできないが、それでも、稀にみる素晴らしいひとりの女性が植物と庭づくりに寄せた関心がいかに深いものであったかを、いつまで思い起こさせてくれる。
(マルタ・マクドウェル 著、宮本陽子 訳 『ビアトリクス・ポターが愛した庭とその人生』より)




No.1340 『なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?』

 淡交社の本は、茶道の裏千家の系列なので、日本文化に関する本も多く出版されていて、よく読みます。この本も、昨年末に発行されたもので、お正月に読むには最適な内容ですが、なにぶん、お正月は忙しいので、この時期になってしまいました。
 今年の旧正月は1月28日で、すでに終わり、節分も過ぎてしまいました。でも、このようなことは、いつ知っておいてもいいのではないかと気を取り直し、読み始めました。
 この題名にある「のし袋」というときの「のし」を漢字書くと「熨斗」ですが、これは鮑を伸すということだとは知っていましたが、中国ではこの熨斗はアイロンだとは知りませんでした。考えてみれば、洗濯物を伸すのはアイロンですが、鮑を伸すのにアイロンは使わないとのこと、つまり、これは伸すという意味だということです。
 では、なぜ鮑かというと、この本では、「神秘な海の底から採取される海産物の中でも鮑は、時として真珠を抱いている事がありました。養殖技術のなかった古人にとって、白く美しく気品のある輝きを放つ天然の真珠は、白玉真玉と称えられる宝珠で、常世から潮にのってやってくる神の霊力を抱いた聖なる恵みとして、特に大切にされました。そして、そんな玉を抱く鮑も、特別な霊力を備え持つ貝として珍重されたのです。神がかった力の背景を持つ鮑を贈り物とするという事は「あなた様の末永い繁栄と健康を祈ってその霊力を持った鮑を添えてお贈りします」という想いが込められる事になります。最高の礼を尽くした贈答品として鯛や鯉などの魚類、雉や鶴などの鳥類とともに、酒と伸した鮑(熨斗鮑)を奉書紙に包んで贈る事がもっとも礼を尽くした贈答の作法とされ、酒と鮑は対のように扱われました。と書いてありました。
 たしかに鮑は食べても美味しいし、なかなか採れないので貴重品です。その貴重な鮑を伸して使うということだけではなく、その鮑と真珠がつながっているとは思いもしませんでした。。やはり、これは当たり前としてやり過ごすのではなく、なぜだろう、と考えることは大事だと改めて思いました。
 また、水引の色についても、「中央の皇帝は黄龍といい黄、北の玄武は黒、東の青龍は青、南の朱雀は朱、西の白虎には白が配当されています。古代においての色への対し方は、美しさを求めるという事のみならず、色には霊力があると解釈され、その色を定められた位置に配置する事によって、様々な祈念を込めたのでした。数ある色の中でも青・赤・黄・白・黒の五色が不浄を祓い、魔を退ける力があるとされ、それら色の霊力によって神聖な場所が守護されると考えられていたのです。とあり、紅白とかの意味合いも書いてありました。私のところでも、例大祭にはこの五色の布でご本尊さまとの縁をつなぐのですが、「相撲の土俵上の吊り屋根には土俵を囲むように四隅には青・赤・白・黒の房が下がり、土俵の土が黄色を表して、勝負の場を聖域として保っているのです。」とあり、なるほどと思いました。
 下に抜き書きしたのは、品物やお金を包むことについての意義です。これも何気なくしていますが、ぜひ読んでみてください。
 やはり、文化というのは、奥が深いようです。
(2017.2.8)

書名著者発行所発行日ISBN
なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?(淡交新書)齋藤和胡淡交社2016年12月23日9784473041500

☆ Extract passages ☆

 人様に何か品物を差し上げる時の包装紙は、自分と相手との結界です。穢れや不浄が付いた品は相手に贈れません。包装された品は大切に扱われていた事の証しでもあり、品物を清浄に保ち、自身や外の穢れが相手に移らないようにとの配慮となるのです。そこには日本人の贈答文化への思い入れが根底にあるわけです。祝儀として金銭をお渡しする時も同様で、私たちは金銭の姿を見せたままで人様に差し上げるという行いはしません。熨斗包みに包むという行為は、その包み紙は外と中との紙一重からなる結界を表しているからです。
(齋藤和胡 著 『なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?』より)




No.1339 『万年筆インク紙』

 この題名に惹かれて読み始めましたが、普通の本と違い、章立てはなく、すべてブルーというか、ブルー系というか、もしかするとブルーブラックかもしれませんが、その色で印刷されていました。でも、黒色の活字と違い、とても読みにくく、慣れるまではなかなか取っつきにくく感じました。
 おそらく、万年筆のインクの色に合わせたようで、紙がほんの少しベージュがかっているので、慣れれば読むのは少し楽になりました。もともと西洋では、万年筆のインクといえば、ブルーブラックが定番でした。これ色は、酸化鉄溶液に青の染料を混ぜてつくるのだそうですが、その酸化鉄が反応して黒くなることで、つまりはその変化していく度合いで、いつ書かれたものなのかを特定できるからだそうです。
 でも、いろいろな歴史的変遷はあったにしても、今の書籍のほとんどは黒色で印刷されているので、眼がそれに慣れています。だから、読みやすいというよりは、慣れの問題かもしれませんが、あえてブルーブラックにすることもないのではないかと思いました。
 そもそも、私自身も万年筆は大好きで、おそらく使わない日はないかと思います。その数も外国製のものから国内産のものまで、数えたことはないのですが、30本以上は持っていて、常に使っているのは5本程度です。インクは、いろいろと試行錯誤の結果、今はセーラーの「極黒」のボトルを使っています。これは顔料系なので耐光性に優れ、真っ黒な色がとても気に入っています。インクの箱には、「セーラー製の万年筆以外には使用しないでください」と但し書きがありますが、超微粒子のナノインクなので、目詰まりなどはないと思い、他の万年筆にも使っています。
 たしかに、ボールペンの場合は黒色とか赤色とかというようないわば原色ですが、万年筆のインクはメーカーによって様々です。たとえばブラックにしても、パーカーのブラックパーカーは少し青味が感じられるし、モンブランのミステリーブラックは少し赤みのかかった色合いになります。ペリカンのブラックインクは、もともと絵具メーカーだったこともあり、鮮やかな黒色をしています。もちろん、日本のメーカーもいろいろで、先に取りあげたセーラーの「極黒」もいいですし、パイロットの「色彩雫」もいいようです。だから、ボールペンと違って、この色の差は無限にいるといっても過言ではないようです。
 下に抜き書きしたのは、この万年筆とボールペン、ここではボールポイントと言っていますが、そのインクの色についてです。
 おそらく、普通はここまで考えないでしょうが、こだわるということは、ここまで考えるということだと思いました。
 そういえば、このインクで紙に書かれた文字について、いかにも著者らしい言い回しがあります。たとえば「万年筆の軸のなかにあるインクが、ペンポイントから紙の上へ移っていく。字のかたちにペンポイントを動かすから、紙の上に移ったインクは字になる。字は次々に紙の上に出来ていく。それらの字は一定の意味をなすつながりのなかにある。字はいくつもつながって、意味を作っていく。意味とはなにか。字を書いていく人が頭で考えたことだ。字とは思考のことだ。思考をインクで紙の上に仮に固定したものが、字だ。」と書いていますが、当たり前というか、普通はそこまで考えないで無造作に紙に書いています。
 そこが、字を書くのを仕事にしている作家たる所以だ、といわれればたしかにそうだと思います。
(2017.2.7)

書名著者発行所発行日ISBN
万年筆インク紙片岡義男晶文社2016年11月20日9784794969392

☆ Extract passages ☆

ボールポイントのたとえばブルーは単なるブルーであり、どのメーカーのものもブルーはブルーです、ということになっている。微妙な差異を問題にしないブルーが、ボールポイントのブルーだ。万年筆のブルーは、微妙な差異こそ、ブルーなのだ。ボールポイントのブルーが個人と無関係なブルーなのだとすると、万年筆用インクのブルーは、ブルーという色が個人的であることの延長として、いくらでも差異のある、したがって数多くのブルーが、理屈としては際限なく存在する。
(片岡義男 著 『万年筆インク紙』より)




No.1338 『心は天につながっている』

 去年の夏休みに、孫を連れて那須高原に遊びに行って泊まった近くの美術館に、金澤翔子さんの書がたくさん掲げられていました。
 ここの美術館は写真を撮ってもよかったので、何点か撮らせてもらいましたが、それを思い出しながらこの本を読ませてもらいました。書もとても力強く、一字が多いのですが、それでも迫力がありました。
 その後で、たまたま山形県立美術館で金澤翔子さんの個展があったのですが、お盆ということもあり、なかなか時間がなく観に行けなかったのですが、地元紙にその内容がカラーで載りました。
 それで、この本が図書館に並んでいたので、すぐに借りてきて読みました。
 新聞などでは、障害を持ちながらとか、ダウン症のとか、必ずついて回った書き方をしていたのですが、この本の副題も「ダウン症の書家、愛と勇気の贈りもの」とありました。でも、そうだとしても、それだけでは多くの人を感動させることはできないと思います。
 ジッと観ていると、直接心に響くものがあり、その字に大きなメッセージがたくさんつまっているように感じました。
 また、天才というような賛辞もありましたが、私は天才といえども、相当な努力がなければ花開かないと思っています。かのエジソンでさえも、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」と言ったそうですが、実はそうではなく、「私は1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になると言ったのだ。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」とある会見の席で答えています。
 でも、その努力することはあくまでも当然のことで、さらに成功するためにはほんの少しのひらめきが大切だと言いたかったようです。つまりは、何ごとにも努力が前提だということになります。
 この本のなかで、母親の泰子さんは、「翔子は10歳の時、普通学級から遠くの学校の身障者学級に転校させられ、悲しくて休学してしまった。それは辛いことであった。孤立してしまい、途方に暮れた。どこへとも行方も知れず、膨大に迫りくる時間の中、余りにやるせなく、翔子に般若心経の大作を書かせようと思い立った。毎日毎日、272文字を擁する心経を書き続けた。10歳の、しかも知的障害の翔子には難しすぎる挑戦であった。私に叱られ、泣きながら翔子は書いた。今でもこの時の心経の真書には涙の痕がある。どんなに叱られても弱音は吐かなかった。何時間でも書いた。翔子の優れた持続の力は、このとき身についた。今ではこの作品が一番人気がある。孤立した深い悲しみの中で名作が生まれた。闇の中には大きな光が待ち受けているものだ。」と書いています。
 やはり、持って生まれたものだけではなく、人には見せないような相当の努力をしているからこそ、私は花開いたのではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、やはり母親の泰子さんが書かれたもので、翔子さんの無垢な姿を描いています。
 これなども、つねに脇に寄り添わなければわからないことではないかと思います。機会があれば、ぜひ読んでみてください。
(2017.2.4)

書名著者発行所発行日ISBN
心は天につながっている金澤翔子 書、金澤泰子 文PHP研究所2016年10月26日9784569834047

☆ Extract passages ☆

 翔子が想いをめぐらす範囲は、せいぜい明日のお昼ごはんぐらいまでなので、未来を想って不安になったり恐れたりしない。将来に希望や目標を持ったりしないし、過去を振り返り悔やんだりなどもしない。目標や計画を持たないということは、その刻その刻を100パーセント生きられる。
 予測的な不安がないので、いつもわくわくと楽しい。いつもニコニコしている。
 翔子には「できない」ということはないのです。今していることがやりたかったこと、今、手に入っているものが欲しかったものなのです。その世界を想ってみてください。不満や不安、嘆きがないのです。
(金澤翔子 書、金澤泰子 文 『心は天につながっている』より)




No.1337 『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?』

 ホセ・ムヒカ(愛称ペペ)を知らない人はいないでしょうが、ウルグアイの第40代大統領(2010〜2015年)になった方で、テレビなどでも「世界でいちばん貧しい大統領」として紹介されていました。
 彼は、このことについて、「私は「貧しい」という評判のようですが、少しも自分を貧しいとは思っていません。いまあるもので満足しているだけです。とても豊かです」と冒頭の挨拶のところでも述べています。
 たしかに、テレビに写る家も車も質素ですし、一国の大統領とは思えません。でも、人の前に現れると、多くの人たちが寄ってきて握手を求めますし、その人気はすごいものです。しかも、2005年まで奥さんのルシアさんと長く暮らしてきたのですが、高齢になったこともあり、自分たちの農園を社会に寄付するために結婚という手続きをしないと、相続問題が出てくるからとのことです。だから、大統領になるために入籍したのではなく、あくまでも社会に役立てて欲しいという願いからだといいます。
 ゲリラ活動をして、4回も投獄されましたが、4度目は1972年から1985年までの13年間でした。その投獄されている間に、自分を救ってくれたのは読書だったといいます。このときの様子を池上解説では、拷問やどうしようもない孤独と栄養失調がムヒカ氏の心と体をむしばんだといいます。それが9年間ほど続きましたが、10年目からは読書が許され、手紙も出せるようになったそうです。
 ホセ・ムヒカ氏は、「私を救ったのは、読書でした。牢獄では科学系の本しか許されませんでしたから、生物学に始まって、農学、医学、獣医学、人類学、いろいろなジャンルの本を読みました。一日中どっぶり読書に浸りながら人間とは何なのか、自分に問いかけたのです。……するとある日突然、頭がぽっかり開いた感じがしました。開放的な、青く澄んだ空が頭の中に広がったのです。獄中で孤立無援の状態を経験したからこそ、いかに「わずかなもので幸せになれるか」を学んだ気がします。私たちをひどく扱った人間を憎む気にもなりませんでした。つけ加えるなら、心が折れなかったのは、バスクの不屈の血を半分ひいているからかもしれませんね。ええ、そう確信しています。」と語っています。
 このバスクの血というのは、父親がスペイン人で母親がイタリア人で、その間にバスク地方があることで、ここのバスク語を話す人たちの独立運動を指しているのかもしれません。
 そして、この投獄で覚ったのは、やはり暴力で世の中を変えることはできないということだといいます。それよりも、勝つことではなく、歩み続けること、何度でも起き上がってやり直す勇気を持つことだと力説します。そして、大統領になったのも、「貧しい人々を救いたい」という気持ちからでした。
 下に抜き書きしたのは、この獄中での生活で「消費社会への疑問」だったこともあり、「足るを知る」ことこそ大切なことだと話す部分です。
 そして、これこそが、ホセ・ムヒカ氏が日本人に言いたかったことかもしれません。
(2017.2.2)

書名著者発行所発行日ISBN
池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?池上 彰角川書店2016年10月19日9784041048344

☆ Extract passages ☆

幸せは富によって得られるものではないということです。わずかなものでも幸せは得られる。富が幸せをもたらしてくれると考えてはいけません。幸せとは恐れを抱かないこと。明日の生活に恐れを抱かないことだと思います。……
 ところが、日本もそうだと思いますが、比較的豊かになると、手にしている富を失うことを恐れるようになります。豊かであるのに、後退を恐れるがゆえに幸せではないということもあり得ます。これは、貧困から脱け出した後で後退を恐れるようになった中流階級の典型的な苦悩です。
 一方、生活向上のために闘っている人々は幸せです。なぜなら、恐れではなく「希望」を持っているからです。貧しいかもしれませんが、幸せなのです。
(池上 彰 著 『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った ほんとうの豊かさって何ですか?』より)




No.1336 『真理の探究』

 この本の副題は「仏教と宇宙物理学の対話」ですから、仏教学者の佐々木閑氏と物理学者の大栗博司氏の対談が中心で、最後の特別講義は大栗氏が『「万物の理論」に挑む』で、佐々木閑氏が『大乗仏教の起源に迫る』です。
 まさに、対局にあるような感じの対談ですが、読んでみると、そうでもないような気がしてきました。いや、むしろ似ているところもあり、とても興味深く読むことができました。
 佐々木氏は、「宇宙の真ん中に自分がいるという世界観が私たちの苦しみを生み出す根本原因だ」とお釈迦さまは見抜いていたといいますが、考えてみると、確かにそうだと思います。世の中は、自分中心に動いているわけではないし、生きる意味だって、人それぞれです。自分で見つけるしかないわけです。
 佐々木氏は、「煩悩の……その中でいちばんの親玉は「無明」という名の煩悩です。「明」というのは「知恵」のことですから、無明とは知恵がないこと。簡単に言うと、「愚か」ということです。愚かさにもいろいろありますが、これは物事を正しく客観的に見ることができない本能的な欠陥のこと。この「無明」を消すことができれば、あらゆる煩悩が消えます。」と書いています。
 つまり、自分の考えと現実のあり方にズレが生じ、それが苦しみの原因だといいます。
 それでも人は生きていかなければなりません。では、絶望せずに生きるにはどうすればいいか、それをこの本ではいろいろなところで語っています。たとえば、キリスト教やイスラム教の場合は、「肉体は死んでも魂は死なない。その死なない魂には永遠の安楽が約束されている」と考えるそうです。
 ところが仏教は、自分の力で生きる意味を見つけていかなければならないというわけですから、なかなか困難な道でもあります。そこにこそ、大乗仏教が生まれる素地があったのではないかといいます。
 そういえば、科学というのは、すべてのものにきちんと整合性があると思っていましたが、大栗氏はこの本のなかで、ベイズ推定というのを紹介しています。それは、「ベイズ推定というのは、もともとは確率や統計の理論ですが、新しい経験をすることによって、確率の評価をどんどんアップデートしていくという考え方です。「経験に学ぶ」ということを、数学的に表現したのがベイズ推定です。たとえば、……かつては多くの人々が原子力発電を安全なものだと思っていましたが、東日本大震災のときの福島の事故によってその信頼性が揺らぎました。そうやって、経験を通じてものの見方を修正していくことを、数学的に表現したのが、ベイズ推定です。」と書いています。
 これは数学ではなく、論理学だと思うのですが、数学にもこのような推定というのがあるというのか新しい発見でした。
 下に抜き書きしたのは、佐々木閑氏の話しのなかに出てきた釈迦の教えについてのことです。
 この発言の前に、大栗氏は、一神教の場合は、とくにイスラム教はそうですが、宗教の教えをそのまますべてを受け入れなければならないけれど、仏教の場合はどうですか、という質問をされています。
 たしかに、一神教の場合は、信じるか信じないか、あるいは白か黒かの二択を迫る傾向があるように思います。でも、仏教は違います。
 これを読んで、やはり仏教とその他の一神教との違いがわかります。もし機会があれば、この本を読んでみて、宗教と科学について考えてみるのもいいかと思います。
(2017.1.31)

書名著者発行所発行日ISBN
真理の探究(幻冬舎新書)佐々木閑・大栗博司幻冬舎2016年11月30日9784344984394

☆ Extract passages ☆

 もちろん、釈迦の教えを一から十まで丸ごと信じなければ仏教信者ではない、と主張する人たちもいます。しかし仏教は絶対者の言葉を人々に説き広めるという使命を持たない宗教ですから、釈迦の教えを丸ごと信じようが部分的に信じようが、あるいは全否定しようが、それによってほかの誰かから福をもらったり罰を受けたりすることはありません。言ってみれば、仏教という道具をどう使って、どう生きるかは各人の判断に任された自己責任の世界なのです。
 私自身は、輪廻は信じておりませんが、その上に釈迦が構築した世界観――自分の努力によって煩悩を消し、それによって苦しみから逃れる――という部分は、自分の役に立つと信じています。その意味で、私は仏教の信奉者なのです。
(佐々木閑・大栗博司 著 『真理の探究』より)




No.1335 『世界植物記 アジア・オセアニア編』

 この本は写真集なので、読むというよりは見るというようなもので、時間があるときに何度も開き、何度も見ました。大判で、本そのものも重かったのですが、とてもきれいな印刷でした。
 この本に出てくる場所に行ったこともあるし、その植物を直接見たこともあり、とても懐かしく感じました。でも、おそらく、このような写真を撮るには、それなりの時間をかけなければ撮れないと思いました。
 すでに、『世界植物記 アフリカ・南アメリカ編』が既刊されているそうですが、そのなかで見たいのはインド洋に浮かぶソコトラ島でしか見ることのできない「リュウケツジュ」ぐらいで、それ以外はあまり興味がありません。やはり、この『世界植物記 アジア・オセアニア編』は自分で行ったことのあるところも多く、とても興味がありました。
 でも、期間を別にすれば、ヒマラヤへ行ったのは7回だそうで、ネパールのクンブー、ジャルジャレ、アンナプルナ、ランタン、そしてブータンだそうですから、私もそれぐらいは行っています。でも、あまり期間がないこともあり、そんなに標高の高いところまでは登っていないので、やはり植物相も違います。
 一番の違いは、この本にはいろいろな植物がまんべんなく掲載されていますから、とても見応えがあります。しかし、私の場合は、中心がシャクナゲで、あとはそのまわりにある植物だけですから、とても違います。
 この本では、ブータンのシャクナゲの写真が載っていましたが、その説明は、「ブータンで見られるツツジ属は、「Flora of Bhutan」によれば46種。ヒマラヤ山系では、針葉樹林帯から森林限界に至る、標高2000〜4500m付近まで自生している。さまざまに種分化し、色、形ともにバラエティに富み、どれも目を引く美しい花を咲かせる。」とあり、これも見事な写真でした。
 また、そのブータンに行ったときに、ある方がレウム・ノビレのタネをいただいたので、その小苗を私もわけていただきました。現在もそれを育てていますが、なかなか大きくはなりません。そこで、大阪で世界花博があったときに、ブータン館でそれが飾られていたので担当者に聞くと、花が咲くと枯れてしまうということでした。
 つまり、わが家のレウム・ノビレがまだ生きているのは、花が咲かない、つまり元気に育っていないからだというわけです。まあ、残念ですが、花が咲けば枯れてしまいますから、まあ、仕方ないようです。
 下に抜き書きしたのは、もともと写真集なので、とても文章が少なく、写真の説明のようなところばかりでしたが、その中でも、私もミャンマーで見たことのあるヒマラヤザクラについてのことです。
 そういえば、たしかブータンでも見たことがあり、写真にも撮りました。しかし、30年ほど前のことですし、そのサクラが日本のサクラの祖先だとは思いませんでした。
 しかも、数年前に、たまたまある方から種子をいただき、それを播いたら、5本育ったのです。おそらく、花が咲くまではまだまだかかるかと思いますが、この本に載ったような花が咲くまで、なんとか育てたいと思いました。
(2017.1.28)

書名著者発行所発行日ISBN
世界植物記 アジア・オセアニア編木原 浩平凡社2016年11月16日9784582542547

☆ Extract passages ☆

 ヒマラヤザクラは萼筒が太く、花弁が落ちにくいので花期が長い。咲き進むにつれて、しべを中心にどんどん赤みが増していくので、すがれるほど全体が濃く、派手な色になっていく。パキスタン、チベット南部、ネパール、ブ一夕ン、ミャンマー北部、中国雲南省の標高1300〜2200m付近に分布している。高さは10〜15m、花の直径は3pほど。萼筒をのぞくと、肉眼で分かるほど蜜がたまっていて、木を揺するとぽたぽたと降ってくるほどだ。
 ヒマラヤザクラは、秋咲きで常緑である。このヒマラヤザクラが、日本の桜の祖先であるという説がある。ネパールはヒマラヤのイメージから、寒い場所と勘違いされることもあるが、緯度は亜熱帯気候の沖縄と同じである。日本が大陸と地続きだった大昔、ヒマラヤザクラは、寒さや乾燥などの厳しい環境に適応するために、秋に葉を落として冬は休眠し、春に花を咲かせるという進化をとげて、北に布域を広げていった、というのである。
(木原 浩 著 『世界植物記 アジア・オセアニア編』より)




No.1334 『「ひとり」の哲学』

 この本を読み始め、以下の文章に出会いました。すると、その悲しげな様子に、その先になかなか進めなくなりました。
 「土佐の国へ行し時、城下より三里ばかりこなたにて、雨いとう降り出て日さへくれぬ。道より二丁ばかり右の山の麓に、いぶせき庵の見えけるを行て宿乞けるに、としの頃四十ばかりなる僧のひとり炉をかこみ居しが、食ふべきものもなく風ふせぐべきふすまもあらばこそといふを、雨だにしのぎ侍らん外に何をか求め侍らんと、強てやどかりてさ夜更るまで相対して炉をかこみ居るに、この僧初にものいひしより後は一言もいはず、坐禅するにもあらず。睡るにもあらず。ロのうちに阿弥陀ぶつと唱ふるにもあらず。何やうの物語しても只微笑するばかりにて有し。おのれおもふやう、こは狂人ならめと。其夜は炉のふちに採て暁にさめて見れば、僧も炉のふちに手枕してうまく寝居ぬ。」
 で、これは『続日本随筆大成』2の113ページ、「寝ざめの友」という題として掲載されているそうです。
 書いた方は近藤万丈といい、実家が良寛がよく滞在したことのある玉島にある造酒屋だそうです。そういえば、私もこの玉島の円通寺近くの国民宿舎「良寛荘」に泊まり、史跡を訪ね歩いたことがありましたが、ここ玉島から直接新潟に帰ったのではなく、1790年に国仙禅師から印可、つまり修行を終え一人前の僧侶になったという証明をいただき、その翌年の34歳のときに、国仙禅師が「好きなように旅をするが良い」と言い残すようにこの世を去ったことから、諸国行脚を始めたそうです。そして48歳のときに新潟に戻ったのです。
 その14年間、父の訃報を聞いても帰らなかったのですが、あまり詳しくはわからないようです。
 でも、この文章を読むと、土佐にいたことは間違いなさそうです。
 しかし、国上山の五合庵にいるときのような、明るさや清々しさはほとんど感じられません。むしろ、悲しげな様子がひしひしと伝わってきます。
 このことは、良寛の本はいろいろと読んではいても、あまり書かれていなかったと思います。この『荘子』の本1冊というのも、とても印象的です。
 新潟の五合庵には、なんどか行きましたが、たしかに冬などは里まで下りて托鉢をするのは大変だろうなと思いました。だから、足腰が弱ってからは里に住まいを移されたぐらいです。
 でも、そうではあったとしても、その五合庵では、寂しさとか悲しさとか、悲壮感のようなものはまったく感じられなかったのです。
 おそらくは、修業時代と諸国行脚の長い年月の間に、それらを突き抜けて、自分なりのスタンスを見つけられたのではないかと想像しました。
 下に抜き書きしたのは、第1章の親鸞の「ひとり」のところで、良寛について触れている部分です。
 たしかに、良寛さんの和歌や漢詩を読むと、なかなかその両方に精通していたことはわかりますが、そのつながりがよくわかりませんでした。このように言われれば、たしかにそのような気もします。
(2017.1.26)

書名著者発行所発行日ISBN
「ひとり」の哲学(新潮選書)山折哲雄新潮社2016年10月25日9784106037931

☆ Extract passages ☆

 良寛はどうやら道元の禅に心を寄せようとするときほ、漢語系の言葉の海にわが身をひたそうとしている。それにたいして、親鸞の和黄の世界にこころを近づけようとするときは、いつのまにか和語系の和歌の泉に近づこうとしているようにみえる。漢語系の「心」と和語系の「こころ」の使い分け、である。……
 僧か俗かにこだわらない。出家か在家かに引きずられない、自在な「ひとり」がそこにいる。
 近代の入口に立つ「ひとり」といってもいいだろう。近代人の良寛が、いわぜ親鸞と道元という二人の中世人をゆったり媒介する仕事をやっている。禅から浄土へ、浄土から禅へと橋わたしをしている目由人の「ひとり」である。
 そんな良寛の道を歩いていけば、道元が親鸞のそば近く、もう一つの「ひとり」の道を歩いていた姿がみえてくるだろう。
(山折哲雄 著 『「ひとり」の哲学』より)




No.1333 『現代美術コレクター』

 現代美術に興味があって読み始めたというよりも、いつの時代でも、新しいものは珍しいもので奇抜さを持っていると思っていたので、いわば恐いもの見たさからの挑戦でした。
 でも、「マインドフルネス」という言葉に納得し、その後に出てくる「ありがままの心でアートを見る」を読み、なるほどと思いました。
 そして、そこに早大の熊野弘昭教授の「茶を飲むこと、花を生けることに集中していくと、全ての雑念が取り払われ、「マインドフルネス」になるという。とすると、日本人が愛してやまない作法とは、その気配りを集中させることで、雑念を取り払う「マインドフルネス」だったことになる。千利休は茶道を通じて、「マインドフルネス」の体験を繰り返すことで、あらゆる物の価値を雑念無く見ることができるようになったのではないか。それまでの茶道では、唐様の輸入された貴重な陶器を使うことが通例だったが、利休は無名の瓦職人、長次郎の作った真っ黒な楽焼を茶道に持ち込んだ。既成の概念をひっくり返して、むしろ単純な土臭い焼き物の中に「わび・さび」という新しい美を見出した。作法そのものが、新しい美を生み出したのである。「マインドフルネス」とは、一人一人が新しい美を一人一人見出す方法だとも言えよう。」と書かれているのを読み、お茶を40年も続けてきたので、これには本当に同感しました。
 この本の最初に登場したのは、草間彌生さんです。昨年、文化勲章を受けられ、一躍時の人となったようですが、ほとんどの人があの赤く染めた人は誰、と思ったのではないでしょうか。その草間さんが、今年の2月22日〜5月22日まで、国立新美術館開館10周年の特別展で、「草間彌生 わが永遠の魂」が開かれる予定です。そのプロフィールには、「前衛芸術家、小説家。1929年長野県松本市生まれ。幼少より水玉と網目を用いた幻想的な絵画を制作。1957年単身渡米、前衛芸術家としての地位を築く。1973年活動拠点を東京に移す。1993年ヴェネツィア・ビエンナーレで日本代表として日本館初の個展。2001年朝日賞。2009年文化功労者、「わが永遠の魂」シリーズ制作開始。2011年テート・モダン、ポンピドゥ・センターなど欧米4都市巡回展開始。2012年国内10都市巡回展開始、ルイ・ヴィトンとのコラボレーション・アイテム発売。2013年中南米、アジア巡回展開始。2014年世界で最も人気のあるアーティスト(『アート・ニュースペーパー』紙)。2015年北欧各国での巡回展開始。2016年世界で最も影響力がある100人(『タイム』誌)。2016年文化勲章受章。」と紹介されていました。
 この経歴を見ても、やはり、現代美術とは私もほとんど接点がなかったと思いました。
 ところが、日本人は非対称性が好きといい、「例えば、茶の湯の席で歪んだ茶碗を愛でたり、美しく完成された茶碗を数奇者が面白みに欠けるとわざわざ割ったりする。そこには「絶対的な」「完全な」自然に対して「人間は不完全である」との思いが反映されている。「完全な」自然に対立するように完全さを目指す西欧的美とは異なり、むしろ自分たち人間の限界を「不完全」な美として表すこと、これこそが大拙の強調する日本の美ということになる。今、現代アートにもその美は受け継がれている。」と書かれていて、鈴木大拙の『前と日本文化』の中の文章を引用しながら、書いています。これを読んで、なるほど、そういう気持ちで現代アートを見ればいいのかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「マインドフルネス」という言葉についてです。この言葉がパーリ語からきているとは思ってもいませんでした。
 おそらく、よくいわれる「無」になることと、同じ延長線上にあるように感じました。
(2017.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
現代美術コレクター(講談社現代新書)高橋龍太郎講談社2016年10月20日9784062883931

☆ Extract passages ☆

 マインドフルネスとは、パーリ語のサティという言葉を英訳したもので、日本語では「気づき」にあたる言葉だが、日常的な「気づく」という意味と混同してはならない。「見出すこと」とも言い換えられ、つまり本質に気づくということである。
「マインドレス」という言葉を想像していただくとより分かると思う。何かにとらわれてしまって自分の心が無くなってしまっている状態を「マインドレス」という。
 アルコール依存症の人は、アルコールを飲みたいという衝動からはなかなか抜けきれない。「飲みたい、飲みたい」ということ以外、考えられなくなってしまう。そんな極端な場合でなくても、鬱や恨みに対しては、人は自動的な反応を繰り返して、露悪的な症状を繰り返してしまう。あるいは、もう変えることのできない過去のトラウマ(精神的外傷)にとらわれていて、そこから抜けられない人もいるだろう。
 それらのとらわれすべては、マインドレスな状態ということになる。そこから距離をとって本来のマインドを取り戻す、何にもとらわれないで、あるがままの豊かな自分の心を受け止めようというのが「マインドフルネス」という言葉である。
(高橋龍太郎 著 『現代美術コレクター』より)




No.1332 『鳩居堂の歳時記』

 前回の本とジャンルはまったく違いますが、イラストや写真がとても多いのは、似ているといえばとてもよく似ています。この本も、写真1枚に1ページの文章がついているという感じで、ある程度は鳩居堂が取り扱っている賞品もたくさん掲載されています。
 もともと、鳩居堂が監修していますし、しかも出版社は主婦の友社の完全子会社で、同社から発行する雑誌・書籍等の編集製作会社として設立されたそうです。だから、本の編集も、どちらかというと雑誌的な内容で、読みやすいといえばそうかもしれません。
 そもそも、ここ鳩居堂は、京都にいたときにはよく行きましたし、たまに東京に出張したときにも、銀座の鳩居堂には寄ります。ところが、最近はいろいろなところに和物文具を扱うお店も増えたことや、どうしても手に入れたいものなどは通販という手もあり、鳩居堂に行かなければという機会も少なくなってきました。
 そのときに、この本を見て、あの京都の少し薄暗い和の空間を思い出しました。
 この鳩居堂は、1663年に熊谷直実から数えて20代目の熊谷直心が薬種業として創業したのが始まりだそうです。それが今では、香や書道用品だけでなく、「和の専門店」として多彩な賞品を扱っているそうです。それらが、たくさんの写真でこの本でも紹介されています。
 たとえば、「土用」についての記述では、右に「訶梨勒」の写真が載り、左のページにはその説明などが載っています。それをここに書き出してみると、「夏の土用の頃は暑さも厳しく、心身ともに体力がいる頃です。鰻だけでなく、土を安定させるとされる水神に関係する「う」の字のついたもの、梅干し、うどん、うりなどを食べたりします。また、この時期に採れるゲンノショウコなどの薬草は、一年で一番効能が高い時期であることから、湯に入れて「丑湯」として入浴するなど、各地にはさまざまな習わしもあります。写真の「訶梨勒」は、室町時代の仏典に登場する、優れた薬効の果実・訶梨勒に似せた飾りです。実を袋に入れて床柱に飾ると、邪気を祓うとされる魔除けでした。吊るされている訶梨勒の糸は五色。これもまた陰陽五行にまつわる色となっています。」とあり、もし訶梨勒がわからなくても、写真を見るとよくわかります。
 このような写真と文章が対になったような本は、最近、多いような気がします。それだけビジュアル化が進んでいるのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、私自身が好きな言葉、「山笑う」ということについて書いてある部分です。
 ここ小野川の冬は厳しく、今年は雪が少ないですが、例年なら2mを越すこともざらにあります。ところが、いくら大雪でも、春になるととけ出して、まさに「山笑う」季節となります。そのときが、一番好きなんです。
(2017.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
鳩居堂の歳時記広田千悦子主婦の友インフォス2016年10月31日9784074021291

☆ Extract passages ☆

 「山笑う」とは、もともとは中国(北宋)の画家・郭熙(かくき)が、季節ごとに生み出した季語のひとつとされています。夏は「山滴る」、秋は「山装う」、冬は「山眠る」。春夏秋冬、どれも見事な表現です。
 明治の頃、文学者であり俳人でもあった正岡子規は、「故郷や/どちらを見ても/山笑ふ」と詠みました。俳句の世界でも、普段からなじみ深い、身近な山々を愛でることばとして遣われています。
(広田千悦子 著 『鳩居堂の歳時記』より)




No.1331 『世界を食べよう! 旅ごはん』

 本の題名は『世界を食べよう! 旅ごはん』ですが、英語で書かれていたのが『Travel & Food』で、このほうが読んでみた後では内容にふさわしいような気がします。簡単に言ってしまえば、旅をしてそこで食べたもの、です。
 アジアの旅でおいしかったのは1位がベトナムで、2位は香港だったそうで、その1位に並ぶほど満足したのがシンガポールの「ホーカー」という小さなストールが並ぶ屋内屋台街だったそうです。そのところに書かれていたのが、「ごはんがいいと、旅の9割は決まるもの」という台詞で、たしかに食べるものって大事だなあ、と思います。
 もともと、この本を選んだきっかけは、表紙のイラストのかわいらしさと、なかにたくさん描かれているイラストのおもしろさ、です。また、少し写真も載っていて、すべてが食べものという明快さも気に入りました。
 この本に出てくる国に、行ったこともあれば、まだ行ったことのないのもあり、そうそうと思い出したり、行きたいなあと憧れたり、いろいろの気持ちが混じり合いながら読みました。なかでも、中華料理は少ない人数ではいろいろ食べることはできないので、少なくても5〜6人に行かないと楽しめません。ましてや、ペキンダックなどという高い料理を頼むときには、それなりの人数がいないと個人負担が大変です。
 この本のなかで、ビールやワインなどのアルコール飲料の話しもたくさん出てきますが、飲めない人にとってはサーッと読み進め、自分の好きな料理のところはイラストを参照しながら、どのような味なのかな、と想像したりしました。でも、食べものは、やはり食べてみないことにはわからないので、この本を参考にして行ってみたいと思いました。
 そのなかでも、「リゾート入門」のインドネシアのバリ島には、著者もあまり興味がなく、友人の結婚式に招待されたので行ったようですが、実は私も昨年といっても先月ですが、グアムに行きました。私もおそらく、間違っても行こうとは思わないところですが、移動もなく、同じ部屋なので荷物をそのままにしておけて、とても楽でした。
 そういえば、インドネシアのジャカルタやボゴール、カリマンタンなどに行ったことがありますが、著者と同じように感じたのは、ビュッフェが充実していて、おそらく200種以上の品々が並んでいたように思います。だから、もう、目移りしてしまい、たしかホテル サンティカ ボゴール (Hotel Santika Bogor)でしたが、何泊かしたのにそれでも全部は食べきれませんでした。だから、もし、機会があれば、もう1度行ってみたいと思います。
 この本のなかで初めて知ったのですが、フランクフルトにベットレストランがあるそうで、「ベッドレストランだなんて、「どうやってごはん食べんの!?」と思っていたら、マットレスのお座敷といったところ。小さな盆卓といい、日本の懐石料理か居酒屋に感銘を受けたんじゃないかしら。張りめぐらされた薄い絹の布が、ピンクの照明に染められ、心地よいアンビエント音楽が流れています。中央には、レコードを回すDJブース。予約制でみんな同じ時間に同じコースを食べはじめるのだけど、前菜はおごそかにはじまり、メインにいくころにはビートやボーカルが入ってどんどん盛り上がってくる。そしてデザートに向かって、徐々に静かに着地してゆくのです。こんなの、はじめて。料理の出し方や盛りつけにも相当遊び心が散らされていて、食事というよりはエンターテイメントを体感している感じでした。」と書いてありました。
 このベットレストランは「Silk」というそうですが、トレンドショップの宿命なのか、すでに閉店してしまったそうです。ちょっと残念です。
 下に抜き書きしたのは、はじめて海外旅行に行ったイギリスでの旅ごはんの思い出です。とても食べられなかったそうですが、それでも最初に各ぐらいですから、強烈な思い出になったようです。
 そして、私もそうですが、B級のほうが、食べたときの印象が深くなるように思います。
(2017.1.20)

書名著者発行所発行日ISBN
世界を食べよう! 旅ごはん杉浦さやか祥伝社2016年10月10日9784396615796

☆ Extract passages ☆

 たとえ自分の口には合わなくても、それも全部、愛おしい思い出になるのが旅の力。はじめての外国の街のにおい、春の夕方の陽の光、不安げな友達の顔、緊張と興奮。20年以上たった今も微笑ましく、鮮やかに思い浮かべることができます。
 それから何度も旅をして、たくさんのおいしいやびっくり、しあわせな旅ごはんを味わってきました。おもに軽食やB級、とかたよってはいるけど、旅の記憶とともに描きとめた味、みなさんにも一緒に楽しんでもらえますように!
(杉浦さやか 著 『世界を食べよう! 旅ごはん』より)




No.1330 『続・サイエンス小話』

 この副題も少し長くて、「身近な食物から好奇心を育む本」です。たしかに、サイエンスといわれてもなんとなく漠然としていますが、身近な食物といわれれば、かなり限定されてきて、おそらくは知っている食物が多いのではと思われます。
 たしかに読んでみると、毎日食べているものや、お正月などのお目出度いときに食べるものなど、いろいろな食物について4ページにまとめてあります。だから、途中で読むのをやめても、次に読むときには、新しい気分で読むことができます。
 これは、忙しい1月には、有り難い本です。
 でも、考えてみれば、前回の『ありがたい植物』とつながっていて、知らず知らずのうちに、好奇心のつながりがあるのではないかと思いました。  たとえば、サトイモについては同じような話しが載っていますが、こちらの本では、農学博士で応用微生物学の研究者らしく、「里芋は、約84%が水分で、炭水化物含量は約13%です。100gあたり58Kcalで、同量のサツマイモの約半分程度ですから、とても低カロリーといえます。独特のぬめりとねっとりした食感が特徴的です。また、皮を剥くときは、ヌルヌルするので注意が必要で、指先がチクチタしたり軽くなったりすることもあります。ぬめりの主成分はムチンで、里芋の他、オクラ、ヤマノイモ、モロヘイヤ、ナメコなどヌルヌルした食物全般に含まれている物質です。」と、その説明にも違いが見られ、とても興味深く思いました。
 また、この本で初めて知ったのに、マヨネーズの話しが載っていましたが、「市販のマヨネーズには、卵の黄身だけを使う卵黄型(ヨーロッパ型)と黄身も自身も使う全卵型(アメリカ型)の2つのタイプがあります。一般に、卵黄型は味が濃厚で、全卵型はあっさりしていて、旨みが強いといわれています。キューピーマヨネーズは、卵黄型の代表、味の素のピュアセレクトマヨネーズは、全卵型の代表です。…… ちなみに、マヨネーズ発祥の地は、スペインのミノルカ島といわれています。そこで、オリーブオイルと卵とレモン汁を使ったソースがつくられ、港町マオンの名にちなみ「マオネーズ」と名付けられたとのこと。その後、このマオネーズが、マヨネーズになったとの説があります。」と書かれていました。
 下に抜き書きしたのは、チョコレートの原料であるカカオについてです。先月12月にグアムに行ったのですが、お土産屋さんのほとんどが置いていたのは、ゴディバ(GODIVA)のチョコでした。
 このブランドを知らない人はいないでしょうが、昨年のチョコ通が選ぶ高級チョコブランド・トップテンの第一位を獲得したのもこのゴディバでした。
 それで、このチョコをお土産に買ってきたのですが、このような固形のチョコの歴史は意外と新しいのにビックリしました。でも、なぜグアムとこのゴディバのチョコが結びつくのか、未だにわかりません。
(2017.1.18)

書名著者発行所発行日ISBN
続・サイエンス小話中西載慶東京農大出版会2016年10月27日9784886944627

☆ Extract passages ☆

チョコレートの原料であるカカオは、アオギリ科の木本植物で、学名をテオブロマ・カカオ(Theobroma cacao)といいます。テオブロマとはギリシャ語で「神の食べ物」という意味とのことで、植物学者のリンネが命名したといわれています。カカオの原産地は中南米と考えられ、メキシコでは、紀元前から、カカオ豆を妙ってすり潰したものに、蜂蜜を加えて飲んでいたといいます。また、貴重品として珍重され、貨幣としての価値ももっていたと伝えられています。16世紀ごろ、メキシコに遠征したスペイン人により、疲労回復や滋養強壮に効果のある苦い水として紹介され、ヨーロッパ全体に広まりました。長い間、飲み物あるいは薬として利用されていたようですが、19世紀に入り、飲み物としてのココアと固形のチョコレートが生まれ、現在に至っています。
(中西載慶 著 『続・サイエンス小話』より)




No.1329 『ありがたい植物』

 副題が少し長くて、「日本人の健康を支える野菜・果物・マメの不思議な力」です。これを読めば、なんとなく内容がつかめますが、本の題名だけでは、なにがありがたいのかわからないような気がします。
 もちろん、植物の力は偉大なもので、とてもありがたい存在ですが、ありがたい植物というと、なんとなく縁起のよい植物と思えなくもありません。たとえば、キチジョウソウとか四つ葉のクローバーとか、いろいろあります。でも、読んでみると、そうではなく、植物そのものが人間にとってたいへんありがたい存在だということがわかります。
 しかし、題名から考えさせるというのも企画者の手腕かもしれないと思うと、それもありかと思いました。だって、この前に読んだ本の題名が『植物のあっぱれな生き方』ですから、流れ的には同じではないかと思います。
 さて、日本人の長生きに寄与していて野菜や果物、そして和食にとって必要な根菜や葉菜やイモ類など、さらには発芽野菜、そしてこれら和食のパワーを助ける果物たち、そして最後に日本人がよく食べる野菜などについて書いています。
 それにしても、この時期はよくミカンを食べますが、アメリカなどではテレビを見ながら簡単に食べられることから「TVフルーツ」といわれているのだそうです。でも、人気ランキングでは、2位だそうで、一位はイチゴです。ちなみに三位はモモ、四位はナシ、五位はリンゴ、六位はブドウと続きます。ちょっとわからなかったのは、リンゴの日が11月5日だということです。これもやはり語呂合せで、「いい(11)リンゴ(5)」だといいますが、いいはいいとして、5がなぜリンゴになるのかと考えましたが、この本には、5日は、05日で、0はその形から「輪」と考えられ、「リン」と読ませるのだそうです。つまり、05で「リンゴ」というわけです。
 でも、バナナの日はすごくわかりやすく、8月7日、つまりバ(8)ナナ(7)です。なんか、日本は「○○の日」をつくるのが好きなようで、これら果物にもそれぞれに日が決まっているそうです。
 そういえば、イチゴの「あまおう」ですが、これは2001年に福岡県で生まれ、2005年に品種登録されたのですが、この名前は、「あ」は赤いの「あ」、「ま」は丸いの「ま」、「お」は大きいの「お」、「う」はうまいの「う」だそうです。つまり、「赤い、丸い、大きい、うまい」の頭文字を並べたものだそうです。
 この本で初めて知ったのに「冬至の七草」というのがあり、それはレンコン、ナンキン、ニンジン、ギンナン、キンカン、カンテン、ウンドンの7つです。ナンキンはカボチャのこと、そしてウンドンはウドンのことだそうで、これらにはすべて、「○ン○ン」がつきます。2回も「ン」がつくので、「運がつく食材」といわれ、縁起の良い野菜ともいわれるそうです。
 だから、ありがたいというのかもしれませんが、ここらでは、冬至に小豆カボチャを食べると中風にならないといいますから、流れ的には同じなのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、果物はなぜきれいな色をしているかという疑問に答えているところです。本当のことは、果物に聞いてみたいような気もしますが、これでも納得しました。
 だから、熱帯の果物たちは、色鮮やかだったんですね。
(2017.1.15)

書名著者発行所発行日ISBN
ありがたい植物(幻冬舎新書)田中 修幻冬舎2016年11月30日9784344984424

☆ Extract passages ☆

この理由の1つは、動物に「もうおいしくなりましたよ」とアピールして食べてもらうためです。動物に食べてもらったら、そのときに種子がまき散らされます。あるいは、動物が種子ごと飲み込んでくれたら、糞としてどこかで出されます。
 そうすると、植物は動きまわることなく新しい生育地に移動することができます。あるいは、生育する地域を広げることができます。ですから、種子が完熟すれば、動物に食べてもらうというのは、植物にとって、1つの大きな理由なのです。
 もう1つの理由は、果実の中の種子を紫外線から最後まで守るためです。すなわち、完熟するまで、種子を紫外線から守るのです。ですから、ナスやトマトの実は、強い太陽の光に当たると、ますます濃いきれいな色になります。紫外線が多いという逆境の中で、いろいろな種類の果実がきれいに色づいていくという意義は、植物が子孫を守ることなのです。
(田中 修 著 『ありがたい植物』より)




No.1328 『花の男 シーボルト』

 この本はだいぶ前に購入していたのですが、なかなか読むきっかけがなく、たまたま昨年の9月に上野の国立科学博物館で企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」(2016年9月13日〜12月4日)と、両国にある江戸東京博物館で開かれていた「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」(2016年9月13日〜11月6日)を観るために上京したときに、新幹線の中で読み始めました。
 どちらもおもしろかったのですが、とくに科博のシーボルトは、11月に上京した折りにも見ることができました。
 でも、この本は、そのときも持参したのですが、つい、東京で手に入れた本を読んでしまい、そのままになっていました。そこで年明けにまた思い出し、最後まで読んだのです。
 けっこう、このように断片的に読むことがあり、それでも、少し読み返すだけで思い出すので、本を読むことの良さを感じたりします。本葉、思い出のよすがにもなります。
 この本ですが、ヨーロッパの植生は意外と単純だと聞きますが、その理由があまりよくわからなかったのですが、ここに「地球には寒暖の周期がある。最終氷期が去ったのが今から1万年はど前であった。私たちは今その後の温暖期(後氷期)に生きている。寒冷化が進むと、氷河が発達し、極地方だけではなく南方の温帯圏へと広がっていった。氷河の拡大と南下にともない、植物は分布域をより温暖な地域に移動し避難した。だが、ヨーロッパでは最後に高い衝立のように立ちはだかるアルプス山脈に前進を阻まれてしまい、最終間氷期に栄えた植物は最終氷期に絶滅を余儀なくされたのである。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 また、シーボルトは特別な使命を帯びて日本にやって来たとのではないかというところで、「余談だが、私自身もヒマラヤを中心とした地域で、植物を中心に据えた学術調査に携わってきた経験を持つ。調査によって収集した植物標本や生きた植物、種子などを研究目的で日本に持ち帰るわけだが、今日でもこの種の収集品の持ち出しには、相手国側の政策や国の方針ばかりでなく、その時々の政府の担当官の判断で異なった対処をせまられたものである。学術調査に収集は不可欠なことであり、調査や研究が必要とする欲求は、それが禁制品だからという理由だけで抑えられるものではない。私自身もこうした葛藤としばしば闘った苦い経験をもつ。」と書いていますが、このことについては私自身もこのような思いをしたことが何度もあります。
 たしかに、それらはその国のものですが、植物を研究するためには、生の植物が必要だということもあり、タネもダメといわれれば、ただ見て帰ってくるだけです。それでは、ほとんどその後の成果はないと同じです。いくら写真を撮って来たとしても、写真ではわからないこともあります。
 特に植物の場合は、育ててみて初めてわかることも多いと思います。だから、植物愛好者は、植物を見るだけでなく育ててみたいのではないかと思うのです。
 下に抜き書きしたのは、シーボルトが日本から持ち出した生の植物の種類です。おそらく、このようにたくさんの植物がヨーロッパにもたらされたのは始めてで、とくにテッポウユリは大きなインパクトを与えたようです。
 この本の後のところに、この球根は同じ重さの銀と取引されたと言い伝えられていると書かれているので、相当な値打ちがあったのではないかと思います。
(2017.1.12)

書名著者発行所発行日ISBN
花の男 シーボルト(文春新書)大場秀章文藝春秋2001年12月20日9784166602155

☆ Extract passages ☆

 シーボルトは帰国に際して、出島の植物園に集め、植えていた、膨大な生きた植物のコレクションをオランダの船ハウトマン号に積載した。が、すでに述べたように、シーボルト事件のために、彼自身はこれに乗船することができなかった。
 これらのコレクションの中には、後にバミューダリリーと呼ばれ、園芸界に華々しいデビューを飾るテッポウユリの鱗茎、さらにイカリソウ類やギボウシ類の根茎などがあった。幸いにもハウトマン号は無事に航海を終え、これに載せた植物137種類が1829年7月ライデン植物園に到着した。しかし、57種類は枯れ、1844年まで生き残っていたのはわずか40種類足らずだったが、それでも生き残った植物だけでヨーロッパの人々を驚かすに十分なインパクトがあった。シーボルトが1844年に公表した、日本などアジアから導入した植物名リストに、このときに移入された植物に『1829. VS. HL.』という略号が与えられていたため、それがどんな植物であったかが判るのである。
(大場秀章 著 『花の男 シーボルト』より)




No.1327 『パブロフの犬』

 この本はとてもおもしろく、時間を見つけては読んでいたので、2日ほどで読み切りました。副題は「実験でたどる心理学の実験」で、別な本で読んだ実験内容もいくつかありました。
 この本の題名の「パブロフの犬」はあまりにも有名な実験ですが、簡単にいってしまえば、1890年代後半から1900年代前半にかけてロシアの生理学者イワン・パプロフが行った実験で、犬を対象として選び、条件づけによって、自然のままでは反応しない刺激に対する反応を引き出せるとしたものです。
 この本の中で一番興味を持ったのは、トルコ生まれの社会心理学社ムザファー・シェリフの実験です。ちょっと長いですが、要約してみると、次のようになります。
 先ず白人の中流家庭の12才の少年、しかも今まであったことのない22人にサマーキャンプに招き、11人の2つのグループに分けます。
 そして第1週にはグループの接触はなく、それぞれに水泳やハイキング、あるいは野球の練習をしてグループ独自の文化を育てました。一方のグループは自らを「イーグルス」と呼び、もう一方は「ラットラーズ」と名乗り、グループ名をTシャツと旗にステンシルで記しました。
 次に研究者たちは数日にわたり、2つのグループに野球、綱引き、タッチ・フットボール、テント張り競争、宝探し競争などで競わせ、勝ったグループにはトロフィー、個人にはメダルとブレードが4枚あるツールナイフが与えられ、敗者には何も与えられませんでした。テント張り競争までは互角でしたが、宝探し競争では、研究者がイーグルスが勝つように不正な操作をしたので、イーグルスのメンバーは勝ち、勝利に歓喜し、一方のラットラーズのメンバーは落胆し、黙って地面に座っていたそうです。
 その後、ピクニックが実施されたときに、途中で遅れたグループが到着したときには、先のグループが用意されていた食事をすべて平らげてしまいました。
 ますますグループ間の不和が増大し、嘲ったり、相手の旗を燃やしたり、相手の小屋を荒らして窃盗すら行ったそうです。どちらのグループも興奮してしまい、研究者が強制的に両グループを引き離さなければならなかったそうです。
 そして、2日経っても、落ち着きは取り戻したそうですが、溝は埋まらなかったといいます。
 そこで、研究者は、キャンプ地の丘の上にある給水設備のパイプに麻布を詰め、強制的に停止させ、これを修理するためにはおよそ25人が必要だとアナウンスし、両グループの志願者がいっしょに丘に上り、すでに喉が渇いていたこともあり、協力して水道パイプにつまっていた麻布を取り除きました。
 そして、少年たちには映画を観てもよいけれど、待ちから映画フィルムを取り寄せるのに15ドルかかるけど、研究者が補助するのは5ドルだけだと話します。そのことについて、活発な話し合いが行われ、投票で両グループが差額を自己負担することに決定し、全員で映画を楽しんだそうです。
 さらに、両グループをトラックでシダー湖に連れて行ったとき、トラックが立ち往生してしまいます。復旧に力を貸してほしいと言われ、両グループは共同でトラックを引っ張り出します。この作業のあとで、2つのグループの間で、日替わりで全員のための食事をつくるという取り決めがなされました。
 最終日には全員が同じバスで家路につき、途中の休憩場所では、一方のグループが手にしていた賞金5ドルを提供し、全員のための飲み物を購入するまでになっていたそうです。
 そして、オクラホマシティに近づくと、バスの前方に座っていた両グループのリーダー格の少年たちが「オクラホマ」を歌い出し、他の少年たちも前の方に座席を詰めたり、立ったりして、合唱に加わったそうです。そして、とくに仲良くなった相手との再会を約束する少年も多く、連絡先を交換しあった少年も何人かいたといいます。
 この実験についてシェリフは、「ほぼ同規模のグループ構成にしたため、個人レベルでの差異がグループ間対立の原因にはなっていないと考えています。少年たちが賞品をめぐって競争することになると、敵意と攻撃的態度が見られるようになりました。どちらか一方のグループのみが手にできるリソース(資源)をめぐっての競争だったからです。」と結論づけています。
 この実験は、1961年頃のものですが、今の時代もほとんど変わっていません。資源獲得をめぐって、国と国が争い、個人と個人が争い、なかなか平和的に解決する方向には行っていないようです。ただ、この実験から見えてくるのは、協力してことに当たれば、仲良くなれるということです。
 このほかにも、たくさんの興味ある実験が載っていますから、興味のある方はお読みください。多くのヒントが得られると思います。
 下に抜き書きしたのは、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの家族とのふれ合いと研究についての協力です。
 あの、写真で見る限り、とても家族といっしょにいるときの雰囲気はないのですが、こういう話しを聞くと、やはりほのぼのとしたものを感じます。
(2017.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
パブロフの犬アダム・ハート=ディヴィス 著、山崎正浩 訳創元社2016年11月20日9784422116273

☆ Extract passages ☆

 チャールズ・ダーウィンは家庭的で、子どもたちと庭に出るのが好きでした。子どもたちを助手として協力させることもあり、花壇に沿って子どもたちを整列させ、笛を合図にどの種類の花蜂(ミツバチやマルハナバチなど)がどの種類の花に止まっているかを記録させることもありました。このような独創的な方法で、ダーウィンは短時間のうちに膨大なデータを集めることができたのです。
 ミミズの研究でも子どもたちの協力を得ています。植木鉢の中に多数のミミズを入れ、子どもたちにミミズを刺激するよう指示しました。ミミズに光を当てましたが、目を持たないミミズは何の反応も示しません。光を強くし、しかもミミズの先端部に当てるとようやく反応したのです。
 子どもたちは笛を吹き、ミミズを怒鳴りつけ、ファゴットとピアノを演奏しましたがミミズはまったく反応しません。しかしミミズをピアノの上に直接置いてから鍵盤を押して音を出すと、すぐに反応したのです。ミミズは音は聞こえなくても、楽器の振動を感じることはできると思われました。
(アダム・ハート=ディヴィス 著 『パブロフの犬』より)




No.1326 『文具に恋して。』

 正月もこの時期になると一段落するので、この本を手にしたら、あっという間に読んでしまいました。
 私もどちらかというと文房具が大好きで、今でも普通に万年筆を使っていますが、その数も半端でないほど持っています。でも、高額なものではなく、あくまでも使うための万年筆ですから、傷が付いてもペン先がすり減ってももったいなくないものばかりです。
 インクは、カートリッジだとすぐになくなるので、ボトルインクを使っています。最近の好みは、セーラーのナノインク「極黒」です。それを重ねておいて、いつまで持つかなあ、と考えながら使っています。
 そういえば、この万年筆のインクの色ですが、日本では黒が多いようですが、外国に行くとブルーブラックが多いような気がします。だから、外国製の万年筆を買うと、ほとんどがこの色のカートリッジが付いてくるようです。でも、私の場合はコンバーターでボトルインクを使うので、このいらなくなったブルーブラックのカートリッジばかりが残っています。そういえば、今は「極黒」を使っていますが、以前は万年筆はシェーファーで、インクは「JET BLACK」でした。それしか、使いませんでした。でも、年とともに、ペン先がやわらかいほうが良くなり、今はパイロットのJUSTUS95を使い、その日の調子に合わせて、ペン先の柔らかさを調整しています。
 もう、文房具のことになると、話しは尽きません。つまり、やはり、文房具が好きだということなんでしょう。
 この本でもノートの話しが出てきますが、このノートのストックも相当あります。以前、気に入って使っていたノートが廃版でなくなり、手に入らなくなったことがありました。それで、気に入ると、たくさん買い込んでしまいます。そういえば、イギリスに行ったときも、自分のものは、本とノートだけでした。しかも、このノートは、ハロッズの文具売り場で、何時間も粘って選んだものです。
 著者は、文房具を感性で選ぶとして、「文房具の感性面を気にかけていると、人と話す機会が増えるんですよ。と同時に、文房具の感性面はそれ自体がひとつの楽しみでもあります。子供のころの私が鉛筆の音を楽しんでいたように、文房具は、見たり触わったり喚いだりして楽しむことができるんです。だから、私の楽しみかたは誰とでも共有できるはずです。文房具って、機能以前にまず、気持ちよくて美しいものなんです。機能は説明しなければ伝わりませんが、感性は言葉を必要とはしません。だまっていても人と繋がれる。」と書いています。
 でも、私の場合は文房具は使いやすいものが一番で、さらに見て楽しければさらにいいと思っています。さらに、たとえばボールペンだって、複写の場合は細字のもの、サインするなら太字のもの、濡れるかもしれないと思えば油性のもの、などと使い分けています。
 最近こっているのは、アートペンです。いわゆるカリグラフィーで使うようなペンで、おもしろい字が描けます。これもその太さで字が変わるので、いくつか持っています。
 下に抜き書きしたのは、文房具を選ぶときの色についてです。ここでは、おじさんなら黒をおすすめするといってますが、その基本はほとんどの方に似合う色だからだそうです。
 ここでは、おじさんは格好いいと書いていますが、なんとなくリップサービスのような気がします。
(2017.1.8)

書名著者発行所発行日ISBN
文具に恋して。管 未里洋泉社2016年10月7日9784800310347

☆ Extract passages ☆

 私は、歳を重ねた男性は格好よさの「加点」を狙うよりも「減点」を減らしていくスタイルのほうがいいと思うんです。おじさまは無理に格好つけずとも、ここまで人生経験を積んできたという事実だけで十分に格好いいではないですか。
 したがって後は、減点、つまりお腹が出ているとかズボンがヨレヨレだとかの「格好悪い要素」を極力なくすだけです。その意味でおじさまは、若者よりもより格好よさに近い存在と思うのですが、いかがでしょうか。……
 加点がハマればよいのですが、万が一外してしまった際には、せっかく積み重ねてきた年齢の魅力が台無しになつてしまうリスクがあります。
(管 未里 著 『文具に恋して。』より)




No.1325 『タタタタ旅の素』

 この本を読み始めたのは、去年の、といっても先月12月なのですが、旅に出たときに持っていき、その途中で読み終わらなかったので、この正月に持ち越したというわけです。でも、お正月も忙しかったので、とうとう今日までになってしまったというわけです。
 もともと、だいぶ前に古本屋で買ったもので、いつか旅に出るときにでも持っていこうと思っていたのです。
 旅というと、やはり、お土産も気にかかりますが、私はほとんど買わないのですが、著者も気持ち的にはそのようで、「いったい何のために旅へ出たんだ。日常のしがらみから解放されて、慌ただしさやイライラをしばし忘れようと思ったのではなかったのか。他人への義理を果たすため、あくせくしなきゃならないのはおかしい。やめましょ、やめましょ。全部部忘れて、楽しいことだけして帰りましょ。「おみやげは?」と聞かれて、「ない」と答え続けていれば、人は慣れるはずである。コイツにおみやげを期待するのはやめようとあきらめる。あきらめさせるだけでは申し訳ないので、私も他人に期待しない。「来週からハワイへ行くの。おみやげ買ってくるからね」そう言われると即座に、「おみやげなんか買わなくてよろしい。おみやげバナシだけでじゅうぶん。余計なことに時間を使わないで、せいぜい楽しんでいらっしゃい!」と、おおらかバアチャンのように送り出すことにしている。」といいます。
 でも、さすが佐和子さん、いらないと言っても買っきてくれたら、断るのも失礼だからとしぶしぶながらも受け取るそうです。しかも、おみやげというのはもらうとうれしいものだそうです。
 私なら、自分が気に入って買うのならわかるが、他人からのお土産でこれはいいと思うものは少ないようです。それでも食べてなくなるものならいいのですが、飾るモノならほとんどありません。だから、人にも買わないし、もらわないようにしています。
 著者は、「基本的に私は、旅には深刻すぎない程度のトラブルが不可欠だと思っている。トラブルの一切ない旅は、安心ではあるけれど、あとの印象が薄くなる。ああ、あの旅行はほんとうにきつかった、エライ目に遭ったと語れるものほど、思い出深いのだ。」と書いていますが、これはその通りだと思います。
 私も、美味しかったとか、いい天気に恵まれたときの旅より、台風で予定が変更になったとか、飛行機のトラブルで行けなかったとかのほうが、より鮮明に覚えていて、いつの間にか楽しい思い出深い旅に変わっていることもあります。やはり、トラベルとトラブルには相関関係がありそうです。
 下に抜き書きしたのは、いろいろな国の匂いについて書いてあるところです。もちろん、これらの国には行ったことがないけど、インドやネパールに行ったときに、飛行場から一歩外に出ると、不思議ななんともいえない匂いが押し寄せてきます。これは実感です。
(2017.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
タタタタ旅の素(文春文庫)阿川佐和子文藝春秋2002年7月10日9784167435127

☆ Extract passages ☆

 空気が違う。どこからともなく、馴染みのない匂いが漂ってくる。その瞬間が好きである。ああ、見知らぬ土地へ来たんだなあという感慨がふつふつと湧いてくるというものだ。
 たとえば私にとって初めての外国だったハワイの空港に降り立ったときは、ムワッとなま暖かい風とともに、甘い花の香りがした。そのうれしかったことといったら「ウヒョー」と飛び上がりたいくらいであったのをはっきり覚えている。
 仕事で行ったエチオピアの空港は、それまで嗅いだことのないピリッと鋭い香辛料の匂いがした。バンコクやクアラルンプールは、エチオピアとはまた違う香辛料だかニンニクだか、食欲をそそる不思議な匂いが、湿った空気の間からときどき強烈に漂って鼻の先を刺激した。
 ニューヨークは何度訪れても都会の匂いがする。でも東京とはぜんぜん違う匂いだ。乾燥した空気となめした革と排気ガスと甘い香水の混ざったような、緊張感に満ちた大人の匂いである。
 そしてパリは、葉巻とタバコと強い香水とさまざまな体臭と妖しいエスニックな匂いが混ざり合っている。
(阿川佐和子 著 『タタタタ旅の素』より)




No.1324 『温泉はなぜ体にいいのか』

 新年明けまして、おめでとうございます。
 今年もこの『本のたび』をよろしくお願いいたします。
 なんとなく続けていますが、それでも回数を重ね、今回で No.1324 となりました。まさに「塵も積もれば山となる」です。
 この本は、いつも小野川温泉に入りながら、なぜ温泉はいいのかとか、この温泉という言葉はいつ頃から使われているのか、などということを知らなかったので、たまたま図書館にあったこともあり、借りてきて読み始めました。ただ、お正月なので、時間を見つけては読み続けましたが、もともとは『旅行読売』に7年半連載した「日本温泉物語」に大幅な加筆や訂正し、さらには新たに書き下ろしたものなどを加えて再編集したものだそうで、細切れに読んでも理解できました。
 この寒い時期はとくに温泉は有り難いものなので、その思いを新たにしました。とてもおもしろかったです。
 たとえば、この温泉という言葉は、平安末の『色葉字類抄』巻上に「温泉」の用例が出ていて、「イデユ」とカタカナがふられているそうです。そして、だいぶ時代が下がって松尾芭蕉の『おくの細道』には、「をんせん」と読むべき4ヶ所の温泉が出てくるといいます。
 しかし、温泉の言葉が一般的に使われるようになったのは、江戸時代の後期で、「『江戸名所図会』(天保5〜7〔1834〜36〕年)には、42か所の温泉、また八隅盧菴の有名な『旅行用心集』(文化7〔1810〕年)には292か所の温泉が出てくる。この頃にはもう、「温泉」を「ゆ」ではなく「をんせん」と読む習わしが定着していたと思われる。……アメリカ人ヘボンが編集した『和英語林集成』(慶応3〔1867〕年)……「ON-SEN ヲンセン、温泉、n.A hotspring/Syn.IDE-YU」……このヘボンの辞書から、江戸後期には「温泉」が広く日本人の日常語になっていたことが推測できる。また、幕末から明治には、「をんせん」と今日の「おんせん」の発音の区別はなくなり、「温泉(おんせん)」が日常語化していったものと思われる。」と、詳しく説明されていました。
 つまり、温泉という言葉の歴史は比較的新しく、それまでは、ただ単に「ゆ」と言っていたそうで、古い書物には「由」という漢字を当てていたそうです。また、あの有名な温泉のマークは、一番古いといわれているのが群馬県安中市の磯部温泉で、温泉会館横の公園に「日本最古の温泉記号」という記念碑が建っているそうです。
 やはり、いろいろなものに、そのルーツがあるというわけです。
 また、おもしろいと思ったのは、温室経ともいうべきものがあり、正式には『仏説温室洗浴衆僧経』というそうで、8世紀に日本に渡来したそうです。これは沐浴を説いたもので、具体的には「燃火、浄水、燥豆など、入浴に必要な七物をととのえれば、七病を除き七福が得られるという。以来、温室洗湯は寺院の大切な事業となり、競うように湯屋が建設された。現存する奈良の東大寺の大湯屋などはその代表的なもので、庶民にも入浴させたのである。いわゆる「施浴」である。」と書かれていました。
 このようなお経があるとは思ってもみませんでしたが、お寺と湯屋とのつながりは深く、歴史もあるとはわかっていました。でも、これでつながります。
 下に抜き書きしたのは、小野川温泉のことについて書いてあったところです。
 そして、そこに温泉になぜ美肌効果があるのかということについても触れています。ぜひお読みいただき、小野川温泉の入浴に来てみてください。
(2017.1.4)

書名著者発行所発行日ISBN
温泉はなぜ体にいいのか松田忠徳平凡社2016年11月25日9784582836516

☆ Extract passages ☆

 小野川のように硫化水素を含んだ温泉は、科学的にも美人の湯といっていいだろう。皮膚の古い角質層を除くうえ、殺菌作用がある。しかも角質層に含まれるメラニン色素を溶かし、同時に紫外線から肌を保護する働きもあるから美肌効果が高い。……
 温泉にはスキンケアの基本である「洗浄作用」「保湿作用」「活性作用」がある。なかでも美肌効果が高いのは弱アルカリ性の温泉。ただし、高温だと皮脂が洗われ過ぎて乾燥す るので、ぬるめの湯を選ぶのがポイントだ。
(松田忠徳 著 『温泉はなぜ体にいいのか』より)




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