☆ 本のたび 2021 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.2013『新薬という奇跡』

 新型コロナウイルス感染症が世界中に広まってから、そのワクチンや治療薬のことがマスコミでも取りあげられ、今まで知らなかった世界の製薬会社の名前も取りざたされています。しかも、ワクチンを2回接種すると後は大丈夫と思っていたら、3回接種しないとダメとか、新たなオミクロン株に効果があるのかないのかとか、いろいろなニュースが流れてきます。
 まさに、今の時代ほど製薬会社に目を向けざるをえないことは、なかったような気がします。そして、たまたま図書館でこの本を見つけ、すぐに読むことにしました。というのは、私の知り合いで薬学部の先生が何人かいて、いっしょに海外旅行もしたことがあり、そのときに薬草の話しやそれが薬になるまでのエピソードを聞いたことがあります。たとえば、20数年前に中国雲南省に行ったときに「喜樹」を見つけたときに、これが抗がん剤に使われているとか、その花を数年前に見つけたときには、その話しを思い出したりもしました。この本のなかに、『「植物時代」に植物を調べて新しい分子を探索したり、「合成化学時代」に既存の分子に対する新しい合成化学的修飾法を探索したり、「土壌時代」に上壌を調べて新しい抗菌薬を探索したりするのとはちがった。ジェネンテック社は、タンパク質でできた有用な薬をつくれそうなDNA断片を求めてヒトゲノムをくまなく調べた。ただし、バイオ医薬品の候補が眠っているライブラリーは新しいものだとしても、新薬探索のパターンはほかのライブラリーの場合と変わらない。要するに、有用な新薬を見出すことは極端に難しく、探索が続くほどいっそう困難で時間が長くかかるようになる。』と書いています。
 そういえば、ある国の国境沿いを花を訪ねて車で走っていたとき、偶然にもケシの栽培畑を見つけたことがあります。写真を撮ろうとしたとき、運転手は早くしないと撃たれるかもしれないといわれ、早々のていで逃げたことがあります。そのとき、なぜあんなにもきれいな花がアヘンになるのか不思議でした。しかも、このアヘンはシュメール人によって、紀元前3400年に使われたらしく、「ハルジル」といい、その意味は「歓喜の植物」だそうです。
 その後に聞いたのですが、この本にも書いてあり、「長い年月をかけて、ほとんどの植物は、昆虫や動物から食べられないようにするため、さまざまな毒素をつくるように進化してきた。それに対抗して、動物や昆虫は植物の毒素から身を守る方法を進化させてきた。肝臓の酵素で毒素を分解したり、毒素が中枢神経系に入らないようにする血液脳関門をつくりあげたりしたのは、その例だ。植物性化合物は、植物界と動物界のあいだで絶えず繰り広げられている軍拡競争の産物であり、生物学的な死闘は今も続いている。科学者の推測によれば、ケシ類がオピュートを産生する生化学的経路は、もともと昆虫の攻撃を防ぐ神経毒をつくるために進化したという。」そうです。
 つまりは、花を食べられないようにしないと種子が実らないし、その結果、子孫を残せないというわけですから、動けない植物たちにとっては、まさに対抗措置というわけです。
 この本の副題が「成功率0.1%の探求」とあり、なにを根拠にこのような数字が出てきたのかと思っていたら、訳者の「あとがき」に「ドラングハンターが提案した創薬プロジェクトのうち経営陣から資金が提供されるのが5パーセント、そのなかで新薬発売にこぎつけるのは2パーセント。つまり、ドラングハンターが薬で人間の健康を改善できる見込みはわずか0.1パーセントしかない」と書いてあり、さらに「高度な教育を受けて最先端の研究所で働くドラッグハンターの大多数が、全キャリアを通じて新薬を1つも世に送り出せない。ドラッグハンターたちは、そんな厳しい闘いに挑んでいるのだ。」とあります。よく土壌のなかから新しい抗菌薬を創り出し、その特許料が数百億円にもなるという話しをマスコミなどで聞きますが、それこそそのような確率は、さらにさらに低くなるのかもしれません。
 下に抜き書きした第11章「ピル」のところに書いてあったものを読めば、その確率の低さは、ある意味奇跡に近いものだということがわかるはずです。
 おそらく、この章だけでも、意義のあるノンフィクションの大作になるかもしれないと思いました。この本そのものは、文庫本にしては厚みがあり、参考文献や付録を含めて428ページもありますが、そのどこを読んでも新薬開発の大変さが描かれていて、とてもおもしろかったです。
 この本が今年最後に読んだ本になりましたが、いかにも今年を象徴するような1冊でした。明日は新年ですが、なるべく早く新型コロナウイルス感染症が収束して、安らかな1年になることを願っています。
(2021.12.31)

書名著者発行所発行日ISBN
新薬という奇跡(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)ドナルド・R・キルシュ&オギ・オーガス 著、寺町朋子 訳早川書房2021年6月25日9784150505752

☆ Extract passages ☆

 ピルは、大手製薬企業の科学研究所や販売チームの会議から生まれたのではなかった。まず、ウシの妊娠を急がせたがったスイスの酪農家たちが、ちょっと変わった解剖学上の発見をした。次に、ある獣医学教授がこの知見を発表したことがきっかけとなり、排卵抑制薬としてのプログステロンが特定された。偏屈な一匹狼の化学者が、単におもしろいパズルだからという理由でプログステロンの合成法を見出した。二人の七十代の女性解放活動家が、経口避妊薬をつくり出すという自分たちの夢をかなえるため、信用を失った生物学者に自羽の矢を立てた。敬虔なカトリンク教徒で根っからの理想主義の婦人科医が、経口避妊薬の世界初となる臨床試験の実施に賛同した。その生物学者と婦人科医は協力し、プエルトリコで臨床試験をおこなって連邦法や州法、さらには医療倫理も巧妙に逃れ、有害な副作用の明らかな徴候にも目をつぶった。彼らが、カトリック教徒のボイコットを恐れる製薬企業をようやく説得でき、その薬の製造が始まったのは、女性たちが、その企業が販売していた薬の一つを、避妊という適応外の日的で勝手に使っていたことに運よく気づいたあとのことだった。このようなわけで、一言でいえば新薬の開発は恐ろしく困難なのだ。
(ドナルド・R・キルシュ&オギ・オーガス 著『新薬という奇跡』より)




No.2012『ご機嫌剛爺 人生は、面白く愉しく!』

 著者の本は読んだことがありませんが、表紙の写真がいかにも古本屋というところで、ニコニコと楽しそうに古本を選んでいる姿につい読もうと思ったのです。
 私も中大で学び、時間があると神保町で本を探して歩いたこともあり、昔から古本に興味があり、つい最近は、南陀楼綾繁さんの『古本マニア採集帖』を読んでから、また古本に目覚めたような気がします。そもそも本そのものが好きだからこそ、このような『本のたび』も書いているわけです。
 著者は、もともと博報堂に勤めていたそうで、会社の風土が自由闊達だったからか、「第三志望の人生を体験したからこそ言えることですが、一仕事がすべて」と思い込まずに気楽に考えるくらいが、ちようどいい。仕事はあくまで仕事であり、人生のすべてではない。会社に勤めたからといって、それまでやってきた趣味を諦めることはないし、むしろ「趣味こそが本業だ」くらいの気分で勤めた方が長続きする、というのがわたしの持論です。実際、会社員になったからといって、好きな趣味を中断することはありませんでした。ギターを弾く時間、本を読む時間、映画を見る時間。全部、大切にしていましたね。」といいます。
 あるいは、時代が今よりも良かったのか、今なら、仕事をしっかりやらないのならやめてください、と言われかねないかもしれません。あるいは、今のIT関連の会社なら、それ以上にゆるゆるで、でこでなにをしていても、仕事さえちゃんとやってくれればそれでいい、と言うかもしれません。
 ただ、どちらにしても、著者のように明るく楽しく仕事ができれば、それはそれでいいことです。
 これは著者に一貫したものの考え方で、下にも抜き書きしましたが、面白がるというのは大切なことだと私も思います。だから趣味にしても、著者は、読書、映画、野球、ギター、カンブレーなど、小中高校生の時代から続いているそうで、これらが遊びの発端にもなっているそうです。
 それで思い出したのですが、私のおじさんがアメリカで仕事をして帰国し、そのお土産におもちゃの拳銃を買ってきてくれました。そのころ、宍戸錠のガンプレーが流行っていて、学校から帰ってくると毎日いかに拳銃を素早く撃てるかという練習をしていました。そして、ベルトのホルダーから何秒で取り出し撃っておさめるか、というたわいもない練習をしていました。そして、最後に煙もでない銃筒をフッと息をかけて消すという仕草までやっていたのです。そういえば、今もお抹茶をほぼ毎日飲んでいますが、もともとは京都のあるお寺を訪ねたときに、住職からお茶室でお茶を点ててもらったのがきっかけで、その何気ないゆったりした佇まいに、魅了されたからです。住職に尋ねると、まだまだ未熟だというのですが、何年ぐらいすればいいのかと聞くと、終わりはないというので、そのころからお茶を習い始めました。
 そのときに思ったのは、お茶の世界というのは、日本の伝統的なものがほとんど入っているし、ある程度年を重ねてもできるのがいいとも思いました。その前から古い陶磁器などが好きで、よく骨董屋さんにも行っていたので、入りやすかったのかもしれません。たしかに著者がいうように、最初は「その世界を知りたい」という好奇心から始まるといいますが、これはたしかなようです。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「PRマン時代、スペイン」の最後のところに書いてあったものです。
 ここにも、第3志望の就職先だったからというような書き方ですが、むしろ、だからこそ著者の個性が生きたともいえそうです。そして、「知恵と工夫で仕事は面白くなる」といいます。私もそうですが、おもしろがってやるからこそ、人が興味を持ってくれるのかもしれません。
(2021.12.28)

書名著者発行所発行日ISBN
ご機嫌剛爺 人生は、面白く愉しく!逢坂 剛集英社2021年10月30日9784087880687

☆ Extract passages ☆

 どうせやるなら、楽しむ方が得。どんな仕事でも、一所懸命やってみると、自然と面白みが見つかってくるものなんです。強調したいのは、面白みは最初から見つかるものじゃない、ということ。最初はたどたどしかった手元が、徐々に慣れてスピードアツプしていく、その過程が面白い。そうやっているうちに、小さな仕事でも何かの役に立っている、と気づくときがきます。
 大河の一滴であったとしても、流れを成す一滴であることに変わりはない。
 だから、難しく考えずに面白がるのが、こつなのです。
(逢坂 剛 著『ご機嫌剛爺 人生は、面白く愉しく!』より)




No.2011『魚にも自分がわかる』

 ええっ、本当に魚にも自分がわかるの、というのが第一印象でした。でも、類人猿などの実験では、しっかりと自分自身のことを認識しているという研究があり、それはわかっていたのですが、魚というと少し違うのではないかと思っていました。それと、もう一つの疑問は、どうしてそのような実県ができたのか不思議でもありました。
 この本の副題は、「動物認知研究の最先端」ということで、すごく読んでみたいと思いました。
 そういえば、進化論で有名なダーウィンも鏡をつかってそれに近いことをやっていましたし、学者でなくても、たとえば動物園などの飼育員なども興味本位でしたいたかもしれませんが、こういうことはしっかりとした実証実験が大切です。
 この本の第1章「魚の脳は原始的ではなかった」のなかで、「デボン紀(約4億年前)に広大な淡水域が出現し、そこに入り込んだ硬骨魚類が大繁栄した。そのなかに、ユーステノプテロンという肉鰭類の魚がいた。その仲間が陸に上がり、イクチオステガと呼ばれる原始的な四肢動物へと進化し、そして両生類ヘと繋がっていく。 ユーステノプテロンの仲間は、陸上脊椎動物の魚類段階のご先祖様である。この魚の非常に貴重な脳の化石が見つかっている。どうやら死んだ後、粘土より細かい砥粉のようなものが入り込み、脳が化石化したらしいのだ。その化石を見るとユーステノプテロンの脳構造と脳神経がわかる。驚いたことに、魚段階の遠い祖先の脳神経も、ヒトと同じく12本なのである。」と書いてあり、この本の最初の段階で、魚にもヒトに近い脳神経があるといいます。
 つまり、魚にも自分がわかるということを、論理的に説明したのがこの本のようです。
 その魚、つまり実験に使われたのはホンソメワケベラという魚で、沖縄のサンゴ礁などによくいる魚のようです。しかも、近くの熱帯魚店で6〜7pほどのホンソメワケベラが1匹500円ほどで売られていたそうで、これは東南アジアから空輸されてくるといいます。まさに、常に研究を考えていると、このような巡り合わせがむこうからやって来るという感じです。
 そういえば、著者は「おもしろい研究をするための三原則」をあげていますが、そのなかに「3つ目の鉄則は、自分が不思議だと思うことや気になることは、幾つでも、 いつまでも 考え続けることだ。簡単に済ませ、わかった気になり適当に終わらせてはいけない。幸運の女神は準備ができているものに微笑む、というパスツールの言葉がある。ある問題や関連のあることを、いつも頭で考え続けていることが、準備である。そうして、考え続けている問題と一見何も関係がなさそうな物事との類似性や関連性に気づくことが新しい発想や発見につながり、そこから話が始まる。」と書いています。
 それで思い出したのが、ある植物学者の話で、新種を見つけるためには今までの植物を知らなければならない、といつも話していました。そして、いつもフィールドワークをかかさないのですが、その普段の努力こそが大切で、その積み重ねがあるとき、新種との出会いをつくってくれるのではないかと思っています。
 下に抜き書きしたのは、「終わりに」のところに書いてあったもので、自分の研究の流れを総括したようなところです。
 たしかにぶれるのはよくないと言われますが、ぶれるからこそわかることだってあると私も思っていました。たとえ一貫した考え方といっても、それではあまり進展はなかったということと同じです。
 この著者の言葉は、多くの若者たちにも勇気を与えてくれるのではないかと思います。
(2021.12.27)

書名著者発行所発行日ISBN
魚にも自分がわかる(ちくま新書)幸田正典筑摩書房2021年10月10日9784480074324

☆ Extract passages ☆

 幼いころからの「動物の行動や進化を扱う研究者になる」との思いは、少しもぶれなかったが、最初は魚の研究を志し、修士課程ではヒトやサルに転向し、博士課程からまた魚に戻った。こうして見ると、研究の中身と対象動物についてはブレまくりの人生だった。しかし、結果的にではあるが、案外これがよかったと思っている。このブレぶりが、魚を対象にした鏡像自己認知と、そして魚の自己意識というこれまでにない奇抜なテーマに結びついたように思う。もし魚だけを研究していたら、あるいはサルだけを研究していても、こんな研究テーマには繋がらなかっただろう。
(幸田正典 著『魚にも自分がわかる』より)




No.2010『私はカーリ、64歳で生まれた』

 この本の題名を見たとき、すぐにはどういう意味なのかわかりませんでした。もしかすると、64歳までの記憶がなく、そのときから急に記憶が回復したのかとか、あるかどうかはわかりませんが、生まれたときから老人のような姿だったのかとか、いろいろと考えましたが、先ずは読むしかないと思いました。
 最初のころは、小さいときの思い出ばかりで、なぜ64歳なのかという疑問はそのままでした。ところが50歳のころに夫のスヴェンと一緒にアイルランドに移り住み、そこで出合ったビョーンから「レーベンスボルンの赤ちゃん」の話しを聞き、少しずつ過去を掘り起こすようにしてわかってきたそうです。
 やはり、人というものはなんとか自分のすべてを知りたいと思うし、著者もいうように「人生において待てば待つほど、自分の本当のアイデンティティーを知るチャンスが減ると思っていた。その疑間を先延ばししてきたが、しかし疑間が消えることはなかった。最近は時間がなくなっていくと感じていた。日々、より不安を感じていた。生みの両親が分からないままになるのではないかと。」と考えるようです。
 私もこのナチスによるアーリア人増殖のための施設「レーベンスボルン(生命の泉)」があったことはまったく知りませんでした。しかも、とっくに戦争は終わっても、彼らや彼女たちはこの恐ろしい「アーリア人の生殖プロジェクト」の被害者であり続けます。おそらく一生涯続くことでしょう。でも、自分の一人息子のローゲルが日本大使館の広報部で働いたことで、日本の還暦のことを知り、60代で生まれ変わり、第二の人生を生きるチャンスをもらえたと書いていて、改めて日本人の生き方を考える機会にもなりました。
 まさに還暦という考え方は、それまでの人生をいったんリセットできるということでもあります。これは便利なことで、還暦後の生き方を実り多いものにすれば、それだけでいい人生だったと考えられるということです。おそらく、著者カーリは、そのように考えたのかもしれません。
 著者は、「話すこと」のなかで、12歳の生徒たちに「私のメッセージは、いじめについてだった。私はヒトラーの産物となった。彼は、赤ちゃんの私にラベルを貼った。彼は私に誰であるか、この世でどう生きるべきかを指示しようとした。しかし私は、T/5431ではなかった。私は私だった。カーリだった。誰にもラベルを貼らせてはならない。自分が誰であるか、誰にも決めさせてはいけない。自分自身が、この世でどんな人であるかを決めるべきだ。自分でこの世界で誰と一緒にいたいか、決めるべきだ。誰でも選択できる。怒ったり、怒りを鎮めたりする選択肢がある。悲しんだり、悲しみを追いやったりすることもできる。」と話し、差別やいじめなど、そして偏見に対しても誰もがこのような思いをしなくてもいい世界の実現が大切だと伝えたそうです。
 下に抜き書きしたのは、64歳になって始めて、自分の赤ちゃんのときの写真を見たときの印象です。
 おそらく、このときになって始めて、自分の歴史をすき間なくわかったときだったのではないかと思います。だから、この本の題名、『私はカーリ、64歳で生まれた』をつけたのではないかと思いました。
 この赤ちゃんの写真は、ノルウェー政府からの封筒で、なかには1930年代と40年代の公的記録といっしょに入っていたそうです。これでレーベンスボルンの子どもであつたことがはっきりしたことになります。
 だとすれば、彼女はまさに戦争の被害者であり、今では絶対に考えられないナチスの被害者でもあったといえます。学生のころ、ヴィクトル・E・フランクルの「夜と霧」みすず書房版を読みましたが、とても同じ人間のやることとは思えませんでした。でも、この本を読むと、たしかにそれが現実にもあったと思わざるをえませんでした。
 しかも、著者も言うように、「ユダヤ人を虐殺したのと平行して、自分たちの人口をひそかに添えかさせようとしていた」というから、背筋が寒くなります。
 おそらく、戦争というのは、人を人とは思わなくなってしまう、いや人と思ったら戦争などはできなくなってしまうと思います。今、新型コロナウイルス感染症の影響で世界中が大変ですが、そのような時でもこの広い世界のどこかで戦争や内戦があり、虐殺が繰り返されているかもしれないのです。やはり、私は戦争は絶対に反対です。
(2021.12.25)

書名著者発行所発行日ISBN
私はカーリ、64歳で生まれたカーリ・ロースヴァル・ナオミ・リネハン 著、速水 望 訳海象社2021年9月17日9784907717346

☆ Extract passages ☆

 私はその時64歳だった。それまで、赤ちやんの頃の自分の写真を見たことがなかった。スヴェンは、自分の幼少期の写真がたくさん入っているアルバムを持っていた(私はそれらをじっくり見て、彼のえくぼや着ていた小さな洋服を指差したりしていた。しかし、これは違っていた。全く理解できなかった。なぜ60歳を超えた私に、赤ちゃんだった時の写真を送つてきたのだろう。誰が送つてきたのだろう。そして何を意味するのだろう?
 私にとって青天の霹靂だった。自分が赤ちゃんだった時の写真はない、と思い込んでいた。私の人生は、シーモンとヴァールボリが孤児院から私をマレクサンデルに引きとるまでは存在しなかった。
(カーリ・ロースヴァル・ナオミ・リネハン 著『私はカーリ、64歳で生まれた』より)




No.2009『平成写真少史』

 副題が『「写真の終焉」から多用なる表現の地平へ』で、個人的な印象からすると、写真が終焉したとは思っていません。でも、多様なる表現の時代なったとは思っていて、もともとは高校生のときに山岳部に入り、山の写真を撮ったりしていて、さらに25歳ごろからは植物の写真を撮ることに夢中になり、それが今も続いています。ただ、最初のころは白黒写真が主流で、あの色のない世界からその色を想像するだけでも楽しかったことを覚えています。それがカラーになり、さらにネガからポジになり、銀塩からデジタルになり、その流れが変わっても、ずっと植物写真を撮っています。
 それでもこの流れのなかで一番大変だったのは銀塩で撮った写真をデジタル化することで、私の場合はミノルタのフィルムスキャナーを使いましたが、使いすぎたせいか途中で壊れてしまい、同じものをもう1台買いました。しかも時間もかかり、自宅を建て直したときにその作業をしたのですが、約2年間ほどかかり、それでも全部はできませんでした。
 現在では、すべてデジタルカメラで撮って、以前はDVDでブルーレイなどにも保存していたのですが、今は内蔵ハードディスクと外部のハードディスクに保存し、特に大切な写真データはブルーレイにも焼いて残しています。それでも、デジタルの保存には若干の不安もあります。
 では、これからの写真はどのようになるのか、飯沢耕太郎氏は、「今後の写真は二つの道に分かれて歩むだろうと予測する。それは「世界の眺めと写真家の美意識を両方とも封じ込めたオリジナルプリント」の追求と、発明以来の膨大な蓄積をデータとして巨大コンピユータシステムに蓄積し、自由な組み換えから写真相互の関係を見いだしていく「バベルの図書館」とする。」といい、特にデジタル化時代の可能性としてはアーカイヴの発展にあると予想しているそうです。
 これは、私もそのように考えていて、私自身の写真もハードディスクに保存していると、いつでもそれらを見ることができるだけでなく、加工もできます。特に思うのは、以前の加工ソフトではできなかったことが、最新のAIソフトだは簡単に補正ができたり、撮ったときよりも数段きれいに加工もできます。ということは、昔撮った写真データをそのまま残しておくと、いつでも加工し直すことができるということになります。これは便利です。
 しかし、昔のフィルム時代の写真も、東日本大震災のときのことを考えれば、いいこともあります。この本では、「東日本大震災は、写真技術の歴史的な転換期に起きたことに重要な意味が見いだせる事象である。デジタル時代になっていたからこそ被災者自身がその立場を記録して発信でき、フィルム時代の写真がいまだ手元に残っていたからこそ家族アルバムは救済され得たのだ。特に後者は、デジタル写真時代の写真家たちにとっては、物理的な写真の重さと手触りとを知る機会でもあつた。その発見が、当 事者と非当事者との一線を超えようとする、新しい表現への模索の契機となっている。」と著者も書いています。
 また、アマゾンなどのインターネットによって本なども手軽に注文できることから、既存の出版流通が衰退し書店も減少しましたが、その反面、趣味性の高い写真集などを扱う書店やブックフェアなどは世界各地に広がってきています。日本でも、新型コロナウイルス感染症が流行する前は自主ギャラリーも増えたそうで、今は少部数の写真集出版は元気なようです。私などもお手軽に自分の撮った写真をまとめて小冊子をつくれる時代になりました。
 下に抜き書きしたのは、印刷システムのデジタル化についてです。
 著者は「表現者のインフレーション」のなかで、「出版不況になって以降、小出版社の活動とともに盛り上がったのが、……写真家個人や少数のグループによる出版活動だ。個々の写真家やグラフィック・デザイナーらが個人レーベルをつくり、取次などの出版流通を通さず、インターネットやオフ会の場で直接読者に届けるということが一般化した。」と書いています。
 これは、ときどき読む写真関係の雑誌などでもよく取りあげられていて、これも写真界の大きな流れではないかと私も思います。
(2021.12.23)

書名著者発行所発行日ISBN
平成写真少史鳥原 学日本写真企画2021年8月1日9784865621044

☆ Extract passages ☆

 DTPはまず新間の制作プロセスから本格化し、やがてPCやソフトウエアの急速な進化によって個人制作が普及し、「ZINE」と呼ばれる自作の簡素な小写真集が相次いで刊行されるようになった。さらに2000年代には、インターネットを通じて小ロットの印刷物を簡単に発注、短時間で制作できるようになる。紙の種類などを規格化することで印刷コストも大幅に低減した。
 小出版の技術革新は、インディペンデントな出版を活性化させた。
(鳥原 学 著『平成写真少史』より)




No.2008『クジラのおなかに入ったら』

 あと10日ほどで今年も終わりですが、師走ということもあって、なんとなく気ぜわしい毎日が続いています。こういう時は、ゆっくり本を読むこともできなくて、さらっと読める本を探しました。すると、先日の新聞の書評欄に載っていたこの『クジラのおなかに入ったら』という本を図書館で見つけ、読むことにしました。
 今までクジラって、遠くの南氷洋か北極海にいると思っていたのですが、この本には「今、世界では91種の鯨種が確認されている。そのうち日本周辺では、なんと41種もの鯨類が確認されている。ご存じのとおり、日本は南北に細長く、四方を海に囲まれた島国だ。オホーツク海、日本海、大平洋、瀬戸内海、東シナ海とさまざまな海域に面している。そのため多くの鯨類を確認できる。と書いてあり、ビックリしました。
 たしかに先日読んだ縄文時代の人たちもクジラを捕っていたそうですし、さまざまな資料にもクジラの話しは出てきますが、どうしてもクジラは南氷洋などで捕鯨船が捕まえるという印象が強く、日本近海でという印象はほとんどありませんでした。
 また、この本のなかにストランディング調査という言葉が何度も出てきますし、著者の研究の中心になっているようですが、これは「ストランディング(stranding)とは、strandの動名詞形で、陸に乗り上げてしまった状態を指す。日本ではストランディングという言葉で、漂着・座礁・混獲。迷入を表すことが多い。ニュースを見ていると、よく漂着と座礁という言葉が出てくるが、あいまいに使用されている印象を受ける。専門家の間では、漂着とは沖で死んだ個体の死体が打ち上がることをいい、座礁とは生きたまま浜辺に打ち上がってしまうことを指すことが多い。混獲とは漁師さんの網に海棲哺乳類が誤って入ってしまうことをいい、迷入とは漁港や河川に迷い込んでしまうことをいう。」そうです。
 わたしたち素人は、そこまで深く知らなくてもいいと思いますが、こういう研究をしている人もいるんだという印象のほうが強かったです。
 この本のなかで特に印象的なことは、窪寺恒己先生に教えていただいたそうで、「嘘をつかないように気を付けないといけない」ということです。私も植物が好きで山野で見つけた植物などの名前を、たしかこのような名前だったと思い込んだり、あるいはこのような場所にあるはずがないと考えたりすることもあります。著者も、「種同定をしないと!と焦っていたときに、種まで落とせず、悩んで悩んで、確信はもてないけど、たぶんこの種……と無理やり種に落とし込んでしまおうとしたことがある。嘘をついてはいけない、というのはとてもシンプルだけど難しい。」と書いています。
 もちろん、この場合は嘘というよりは推量とでもいえるものですが、このようなときには、「この死んでしまった個体のもっていた情報を最大限引き出すためにも、私は標本に誠実に向き合わなぃといけない。そう思いながら、無理やり種同定をしないよう気を付けるようになった。たとえ種まで落とせなくても、その上の属や科まででも十分意味のある餌生物情報になる。」と書いていて、なるほどと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第2章の「鯨類研究者への道」のコラムに書いてあったものです。
 よく、テレビなどでもクジラは捨てるところがないという報道をみたことがありますが、著者が北海道大学水産学部の学園祭、北水祭でクジラ食文化に出合ったときの印象です。この日は札幌のクジラ料理のお店から、おかみさんが直接指導に来てくれたそうで、料理の基本からクジラ料理に関することまで、さまざまなことを教えてもらったそうです。この出店は、津軽海峡などで目視調査のためのフェリー運賃を稼ぐためだそうで、まさに多くの人たちに支えられているということがわかります。
 私が小さいときには、ジャガイモを煮るなかによく鯨肉が入っていたのを記憶していますが、その他に鯨のベーコンや大和煮の缶詰などは食べたことがあります。おそらく、専門店に行けば、もっといろいろなクジラ料理があるのではないかと思っています。
(2021.12.20)

書名著者発行所発行日ISBN
クジラのおなかに入ったら松田純佳ナツメ社2021年12月3日9784816371059

☆ Extract passages ☆

 クジラを食べる、ということにそもそもなじみがなかったので、クジラの食べられる部位について調べてまとめることにした。調べてみて驚いたことに、日本ではクジラは内臓を含め何から何まで利用していた。胃や腸は牛や豚でも目にするが、腎臓も食べるなんて!筋肉も体の場所ごとに名前が付いていて、なかでも尾びれに近い尾身や舌にあたるさえずりがとてもおいしいらしい。
(松田純佳 著『クジラのおなかに入ったら』より)




No.2007『万年筆のインク事典』

 私が万年筆を使うようになったのは、高校生になり、その記念に万年筆と時計を親から買ってもらい、なんとなく大人に近づいたような気持ちになったことを今でも覚えています。それ以来、ずっと万年筆を使い続けていますが、以前はそれほどの頻度で使っていなかったこともあり、インクはカートリッジを使っていましたが、あるときから、たくさん字を書くことからカートリッジではもったいないと考え、コンバーターを使うボトルインクにしました。
 もちろん、そのころから万年筆もいろいろと買い集め、一時は保存ケースまで用意していたときがあります。一番好きだったのはシェーファーで、ペリカンやモンブランなども使っていました。今は、セーラーなども使いますが、よく使うのはパイロットの「ジャスタス95」です。この良さは、ペン先の弾力を自分に合わせることができることで、とても重宝してます。しかも、自分の名前を万年筆に彫っていて、今回調べてみると、十数本名前を彫ったのがありました。
 インクは、高校生のころはブルーの色を使っていましたが、大学生になってからは黒色で、ここ10数年はセーラーの超微粒子顔料インク「極黒」を使っています。これは50mlのボトルインクですが、旅行用などに同じ「極黒」のカートリッジも使います。ただ、これだけはセーラーの万年筆でないと使えないので、旅行のときだけ使います。
 この本によると、インクはこの顔料インクの他に、染料インクもあり、これは水に溶けやすいので耐水性は劣りますが、万年筆本体のトラブルが少なく、扱いやすいそうです。さらに古典インクというのもあり、一般的には鉄分と酸を含んだインクのことで、紙に書くことでインク内の鉄分が酸化し、色が定着して黒に近い文字色になるそうです。これは、長期保存や公文書に適しているそうで、私は使ったことがありません。
 そういえば、私の使っている顔料インクは、原料となる顔料が細かな微量子が溶けずに混ざっていて、乾くと目詰まりを起こしやすいそうです。私の場合は、定期的に水で手入れをしているので、書けなくなったことはありません。この本には、「万年筆のお手入れ方法」が載っていて、水を入れたグラスなどにインクを注入する方法でなんどか繰り返し、コンバーターを外してペン先を水に一晩つけておきます。そして、それを取り出して、水道水などでなんどか洗い流し、ペンとコンバーターの水分をしっかりとティッシュペーパーなどで拭き取り、よく乾かしてから保管します。私の場合は、その間は違う万年筆を使い、少し休ませてあげます。
 この本に出てくるガラスペンなども使ったことがありますが、壊れやすいことや、インクをつけるのが面倒臭いこともあり、今ではまったく使いません。
 この本を読んで、こんなにもいろいろなインク色があるとは思いもしませんでした。副題が「和の色を楽しむ」とあり、もう少し時間のゆとりでもできたら、いつかはチャレンジしてみたいものです。
 下に抜き書きしたのは、著者が「はじめに」のところで書いたものです。
 たった10年ほどでこれだけのインクを収集できたとはビックリです。もし機会があれば、私もしてみたいと思いますが、このコロナ禍のなかでは、インクを求めての旅行は難しそうで、通販ではちょっと味気ないような気もします。
(2021.12.17)

書名著者発行所発行日ISBN
万年筆のインク事典武田 健グラフィック社2021年10月25日9784766135619

☆ Extract passages ☆

 万年筆インクの魅力に惹かれ、さまざまなインクを集めるようになったのは2010年のこと。日本には各メーカーが出している定番のインクのほかに、ご当地インクと呼ばれるインクが存在することを知ったのもそのころです。
 その土地の風物詩がモチーフとなったインクや、店主のこだわりのつまったインクにはどれも色にまつわるエピソードがあり、その文具店を訪れてお店の人の話を聞きながらインクを集める楽しさも味わうことができます。ときにはそのインクの舞台となった場所に出かけるのも旅の醍醐味となりました。
 そんな日本各地に存在するインクを「日本の伝統色」というテーマで分類したのが本書です。
 色にまつわるエピソードとともに、古くから日本人になじみのある伝統色の奥深さも味わっていただけたら幸いです。
(武田 健 著『万年筆のインク事典』より)




No.2006『おいしい暮らし 南インド編』

 有沢さんの『おいしい暮らし 北インド編』を読んだことがあり、南インドのケララ州にも行ったことがあるので、懐かしさもあり読みたくなりました。この本のなかにも出てきますが、ココナッツカレーやサモサなども美味しかったことなどを思い出しました。
 そういえば、北インドやネパールなどでは毎日紅茶のチャイを飲んでいましたが、南インドではコーヒーが多く、カリカット大学の植物園の園長さんに自宅に招待されたときも食後はコーヒーでした。インドは紅茶とばかり思っていたのですが、ニルギリに行く途中のスパイスロードでコーヒー豆の栽培もあったので、この本の「インドは紅茶と思われがちだが、南インドでは紅茶よリコーヒーを好む人が多い。我が家では紅茶をほとんど飲まない。毎日何度もコーヒーを流れる。北インドの人達が日に何度もチャイを飲むのと同じように。……南インドはコーヒーの生産地であり、紅茶の栽培以前からコーヒーは栽培されていた。インド産のコーヒーを知らない人は多いが、生産量は世界で8番日を誇る。ただしほとんどが国内消費なので海外ではあまり知られていない。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 この本は、以前読んだ『おいしい暮らし 北インド編』と同じように、『味覚春秋』に「インド四方山話」として連載しているエッセイをまとめたようで、今回は南インド編としています。私は北インドはなんどか行き、南インドは1度しかないのですが、それでも12年に1度しか咲かないクリンジの花を見ることができたし、ゾウにも乗り、またお茶畑やスパイス畑なども見ることができました。そのときは、南インドは大洪水に見舞われ、渡航延期だと思われたのですが、2週間ほど前に飛行場が使えるようになったということでした。いろいろな思い出のある南インドですが、この本にも書かれていて、とても楽しく読むことができました。
 そういえば、この本にスープはサンスクリットが語源だといい、「サンスクリットのsupaが語源だとか。suは素晴らしい、paが飲むで、素晴らしい飲みものという意味だそうだ。」とあり、ネパールの友人宅にホームスティしていたときに、毎日ダルスープが出てきたことを思い出しました。彼に、毎日このダルスープを飲んでいて飽きないかと話しをすると、日本人だった毎日味噌汁を飲むだろうといわれ、納得しました。
 ムンバイではカンヘーリー石窟を実に行きましたが、その途中でたくさんのスラム街を見ました。運転手は、これでも以前よりはだいぶ少なくなってきたということでしたが、この本には、「どうしてスラム街が多いか。ムンバイは2011年の統計によると1kuにおよそ2万5000人が住む世界でも人口密度の最も高い都市の1つなのだ。勿論インドの産業の中心地なのだから人口の流人は止まらない。ということでムンバイの人口の約60%の人がスラム街で生活しているのだ。上空から見るムンバイがそれを語っている。」と書いてありました。私がムンバイに行ったのは2018年9月から10月にかけてですから、この統計よりはだいぶ解消しているようにも思いますが、それでも強烈な印象として残っています。
 下に抜き書きしたのは、ムンバイに行ったときに見たタバワーラーについてです。
 そのときには、相手の自宅から会社まで弁当を運ぶ仕事があるというだけで驚きでした。しかし、この本を読むと、それには深い事情があるようで、なるほどインドは奥が深いと思いました。
 もし、新型コロナウイルス感染症が収束したら、ぜひまた、インドに行きたいと思いました。
(2021.12.16)

書名著者発行所発行日ISBN
おいしい暮らし 南インド編有沢小枝教育評論社2021年10月20日9784866240466

☆ Extract passages ☆

ダバワーラーは自分の担当地域の家から弁当を預かり職場に届ける。ムンバイ郊外からムンバイ市内まで電車に乗り届けるその姿はムンバイの風物詩の一つになっている。一人のダバワーラーが受け持つ弁当の数は30個〜40個ほどだというが、よく間違わずに届けるものだと感心する。……
 ムンバイの市街地は半島の先端部にあり、郊外から電車通勤する人達が大半だ。日本の通勤ラッシュより過酷な通勤に弁当を持って行くことが難しいということでダバワーラーが活躍する。ならばレストランで昼食をとれば良さそうなものだと思うが、そうはいかない各自の事情があるそうだ。ムンバイはインドで一番の商業都市で全土から人が集まっている。様々な宗教的背景がある人達が多く、食べてはいけないものも宗教で複雑に違う。そういう事情から弁当が一番となるのだろう。
(有沢小枝 著『おいしい暮らし 南インド編』より)




No.2005『へんろ宿』

 最近はほとんど小説は読まなくなったし、さらに時代小説となれば、まったく読んだことがありません。でも、今回はこの「へんろ宿」という題名に惹かれました。というのは、四国八十八ヵ所をお遍路したときに、へんろ宿には泊まらなかったのですがお遍路さんの特別料金で格安に泊めてもらったり、お接待を受けたり、そのときのことを思い出したのです。もしかすると、四国のへんろ宿の話しではないかとも想像しました。
 でも、そうではなく、へんろ宿を営んでいる市兵衛さんが四国八十八ヵ所のへんろ宿のようなものを江戸につくりたいと思ったのだそうです。そこを書いたくだりは「なにしろこの宿は、金儲けのためにやっている宿ではなく、お客が心置きなく過ごせることを一番の大事としている。市兵衛が昔四国の寺を巡礼した時に、所々でへんろ宿に世話になった。その時に、――江戸でもこういう宿があれば……。そう考えて始めた宿だ。」と「名残の雪」のなかで書いています。
 そして、そのときに、「四国遍路で市兵衛が泊まったへんろ宿は、主たちもきさくで、まるで自分のうちに帰ったような気分に浸れた。相宿になった客とも一期一会とはいえ、なぜか自然と心にある物を吐露できる、そんな雰囲気があったのだ。加えて安価で、客を選ばない。宿探しで困っている人を受け入れてやるのはむろんのこと、主と客の間の垣根が感じられないことに感心したのだった。」と続けています。
 そういえば、私も四国八十八ヵ所をお遍路していたときには、1ヵ所のお寺で合うと、その日は何ヶ所かで同じ人たちと出合います。すると、いつの間にか「また、お会いしましたね」と挨拶を交わすようになり、数日経ってからまた合うと、懐かしくさえなるから不思議なものです。
 そのなかに、おばあちゃんに連れられた幼稚園児のような女の子がいて、しかも、輪袈裟をかけて金剛杖を持ち、ご朱印帳を入れた錦の巡礼バックを首から提げて、ご朱印をいただく度に、しっかりと手を合わせ、その御朱印を見てニコッと笑い、丁寧にバックにおさめていました。その仕草が、なんとも可愛らしくて、つい、自分の孫娘のことを思い出しました。そして、なぜ二人でお詣りしているのか、それも気にはなりましたが、10回ほど出合いましたが、挨拶だけでした。
 この『へんろ宿』の文庫本には、「へんろ宿」のほかに、「名残の雪」「蝉の時雨」、さらには書き下ろしの「通り雨」がおさめられています。そのすべてが市兵衛佐和夫妻が両国橋を渡った回向院前で営む「へんろ宿」のなかでの話しです。それぞれに読み応えはありますが、とくに「名残の雪」などは、市兵衛さんが元350石の旗本、笹岡家の嗣子であったのにお家断絶になつたという設定なので、なぜか旗本退屈男のような雰囲気も感じられました。さらに、勧善懲悪もあり、最後はめでたしめでたしで終わるテレビの水戸黄門のような雰囲気さえもあります。
 下に抜き書きしたのは、縄田一男氏の「解説」に書いてあったものです。
 やはり、小説の場合は抜き書きして残すというところもほとんどなく、流れのなかで読んでしまい、いつのまにか終わってしまいます。だから、ここでは、人情について書いてあるところを、抜き書きしました。
 たまには、この冬でも、小説を読んでみたいと思いました。ただ、読み始めると、切りがなくなり、時間を忘れて読んでしまうのが少々怖いところではあります。
(2021.12.14)

書名著者発行所発行日ISBN
へんろ宿(新潮文庫)藤原緋沙子新潮社2020年11月1日9784101391656

☆ Extract passages ☆

藤原緋沙子は作品のシリーズ名に"人情"の二文字を使うことがあるが、決して、いま時代小説界にあふれ返っている、判でおしたような人情ものとは違う。文字通り、作中人物たちの切れば血の出るような人生を通じての″人情″なのである。
 宿 それは、たとえば、山本周五郎や藤沢周平といった先達たちへの憧憬が生み出したものではなかろうか。
(藤原緋沙子 著『へんろ宿』より)




No.2004『七転びなのに八起きできるわけ』

 著者の名前は浅暮三文で、「あさぐれみつふみ」と読むそうです。始めて読みましたが、毎回「私はミステリー小説家である」から始まるところをみると、やはりあまり読むことのない分野の方です。でも、この本の題名を見たとき、たしかに転んだところから数えると、七転び八起きではなく、七転び七起きでなければおかしいと思い、読むことにしました。
 この本のなかでの記述でよかったのは、「高嶺の花」はシャクナゲかもしれないというところです。その部分を抜書きすると、「多くの説では「高嶺の花」はシヤクナゲであるという。なんでも霊峰ヒマラヤ山脈の標高3,800〜5,000メートル付近に自生する高山シャクナゲ(アンソポーゴン)などを「高嶺の花」と呼ぶらしいのだ。確かに日本でたとえるなら、富士山頂あたりに咲いている花だから、気軽に入手できないだろう。」と書いてありました。
 実は、このアンソポーゴンというシャクナゲを求めて私はネパールに行ったことがあり、実際に4,000mほどのところで見つけました。シェルパの人たちは、この枝先を集めて、乾燥させ、線香のように使っていました。花にも香りがあり、きれいですが、高山の花ということもあり、栽培はとても難しいようです。
 でも著者は、昔はこの高嶺の花は手の届く桜だったのではないかと考えているようです。
 それとおもしろいと思ったのは、「耳に胼胝ができる」という発想から、記憶についての話しです。それは、「海馬は生きるために必要と判断した情報を長期的な記憶として残す。だから繰り返し同じ情報を海馬に送ると「あ、これは生きるために必要だ」と勘違いして脳に定着するのである。この繰り返しは記憶の達人によると最低7回だという。一方で人間は忘れやすい生物である。ドイッの心理学者エビングハウスは記憶した内容がどのぐらいの時間経過で忘却するかを調べた。……20分後で内容の42%、1時間後で56%である。したがって同じことを7回、20分以内の間隔で繰り返し続ければ確実に相手の脳に定着するはずである。」と書いていて、つまり、20分以内に同じことを7回繰り返せば、それはしっかりと脳に定着し、忘れないということです。
 これが本当かどうかはわかりませんが、ひとつの暗記法としては有効かもしれません。それと、これはもう少し確実なようですが、しゃっくりを止める方法です。この本では、「横隔膜の痙攣であるしゃっくりを止めるのに医学的根拠があるのは、「迷走神経を刺激する方法」だ。これは腹部まで続いている脳神経で、内臓の運動に大きく関わっている。それを刺激するには「両耳の穴に指を入れて30〜60秒押さえ続ける」。」と書いてあり、もし、しゃっくりが出て止まらないときには、試してみようと思っていますが、まだその兆候はなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、「一線を画す」というところにあった、飯豊山の境界線についてです。
 私も飯豊山には登ったことがあり、1泊目は大日杉小屋に泊まり、2泊目は切合小屋に泊まりましたが、この切合小屋には福島県の方が管理者として住んでいて、食事も準備していただいたようです。その時にうかがったのですが、福島県会津地方では成人になるとこの山に登るのがしきたりになつているということでした。
 この抜き書きを見つけ、なるほどと合点できました。そういう意味では、それだけお山信仰があったということにもなります。
(2021.12.12)

書名著者発行所発行日ISBN
七転びなのに八起きできるわけ浅暮三文柏書房2021年10月10日9784760154067

☆ Extract passages ☆

昔の境界線はおおむね山や河川で区切られていた。そんな中、日本に珍しい境界線がある。福島、山形、新潟の三県にそびえる飯豊山には幅が1メートル程度の細長い県境が7.5キロに渡って延びている。山形と新潟に挟まれた福島県の領域を示すものだ。
 このヘビのように延びる福島の県境は、明治に新潟の県域が整理された際、福島県民にとって信仰の対象であった飯豊山を手放すまいとして福島からの登山道を死守したためである。秋田と山形にそびえる鳥海山も山頂を迂回するような不自然な県境を有しているが同様の理由からだ。
(浅暮三文 著『七転びなのに八起きできるわけ』より)




No.2003『百葉帖』

 題名を見たとき、「百葉帖」ってなんだろう、と思いました。でも、すぐに葉が百と気づき、それを集めたものではないかと思い、表紙にも裏表紙にもたくさんの写真が並んでいました。中を開いて見ると、想像していた通りに葉の写真があり、そこにコメントが載っていて、次のページにその植物を活けた写真が載っていました。
 なるほど、植物というと花が中心ですが、葉も千変万化ですから、自然にはとんでもなくおもしろい葉があります。たとえば、ヤブレガサですが、もし、このような傘を間違ってさしてしまうと、そのショックはそうとうなものだと思います。また、「紺照鞍馬苔」という植物は知らなかったのですが、この本には、「造花といわれたら、あっさり信じてしまいそうだ。玉虫色といったらいいのか、見る角度によって色が変わる。天然の色、しかも園芸種でもない。中国南部原産、日本でも一部の地域で野生化している。不思議な色の葉は、さらに不思議を隠している。トルコブルーに近い青い葉は、水につけると青が消える。水中では、ごくふつうの緑の羊歯だ。……かなりの日陰好き。むしろ、直射日光が当たり過ぎると、葉が焼けて枯れてしまう。かさはあっても重さのない葉は、乾燥にも弱い。」とあり、著者は「しゃぼん玉の葉」のようだと書いていました。
 著者は、はじめのところで、「日本にいると、いつも無数の葉に囲まれています。ふだん、気にすることもないけれど、考えてみたら、地球に緑なくしては、われわれの存在すらおぼつかない。ごく当たり前の存在は、無二の存在でもあると思います。」と書いていて、すぐ身近にあるものの存在がとても大切なものだと再認識させてくれます。
 私も植物が大好きで、栽培も好きなので、花だと数日から数週間しか楽しめないのですが、葉だと常緑樹だと1年中楽しめます。また落葉樹でも、春先の芽生えから秋の紅葉や黄葉まで、さまざまな変化があり、これも楽しいものです。そういえば、1枚の葉から植物名がわかるという図鑑があり、ときどき見ていますが、葉にも個性があることがよくわかります。
 だから、このような本が企画されたのではないかと思います。11月まで、チャの花が咲いていましたが、この本に、チャの木は境木だという話しが載っていました。考えてみれば、あまり大きくはならないので、邪魔にもならないし、比較的丈夫なので枯れることも少なく、似た木としてはツバキやサザンカもありますが、花が咲けばまったく違うことがわかります。また、寒いところでは無理ですが、お茶の葉に使うこともできます。ここ小町山自然遊歩道のチャの木は新潟県の村上産のものですが、ここでは寒すぎて、葉が固くなり、お茶としては使えないようです。でも、花は真っ白できれいなので、植えてあります。
   この本に出てくる植物でメタセコイアがあり、これを始めて見たのは中国四川省でした。これが生きた化石といわれるものかと見上げた記憶がありますが、その木の大きさのわりには葉はとても繊細で、少しの風にも揺れているようでした。それから数十年経ちますが、日本でもだいぶ植えているようで、米沢市内にも記念樹として植えられているのを見つけました。この松かさもかわいらしく、あるレストランではアルマイトの容器に入れて飾ってありました。
 下に抜き書きしたのは、コナラ(小楢)について書いてあるところです。
 生け花は、コナラとヤマラッキョウをアルミの菓子型の器に活け、それを木製のアイロン台のようなテーブルに載せてありました。コナラの葉は、秋になって黄葉して、本の少しだけ赤味が混じったもので、初秋のイメージでした。
 ここ小町山自然遊歩道には、コナラやミズナラがたくさんあり、いつも眺めていますが、このような小さな世界に活けられると、また、違う風情が楽しめるようです。
(2021.12.10)

書名著者発行所発行日ISBN
百葉帖雨宮ゆか 著、雨宮秀也 写真エクスナレッジ2021年10月5日9784767829364

☆ Extract passages ☆

 家具材に、炭にと、もっぱら実用の木だけれど、花生けに用いてみると、季節によって変ゎる葉の様子がよくわかり、にわかに興味が湧いてくる。
 春、お彼岸あたりは新芽。開きかけの葉は自銀色がやさしい。夏は虫喰いの跡があるのを選んで、森の木らしさを強調してみる。秋の末には、黄金色の葉を。大木になった小楢の下にいると、光が降ってくるよう。光のかけらを分けてもらうつもりで、生ける。
(雨宮ゆか 著『百葉帖』より)




No.2002『縄文へ還ろう』

 2018年6月25日から28日にかけて、大人の休日倶楽部のチケットを利用して東北一周の旅に出ましたが、このとき三内丸山遺跡も観ることができました。さらに、その同じ年の秋に東京国立博物館で開催された特別展「縄文―1万年の美の鼓動」を観て、またまた感動しました。自分のなかにも、この縄文の心があるかどうかはわかりませんが、この本も読んでみようと思いました。
 この本の副題は「三内丸山遺跡、五大文明への道」で、著者は、この縄文は世界に冠たる文明で、世界四大文明に勝るとも劣らないもので、これを加えて「世界五大文明」のひとつに数えられてもいいのではないかと主張しています。というのも、「まえがきに代えて」のなかで、「ヨーロッパを代表とする大陸の人々は、新石器革命によって農耕をおこなうようになり、定住するようになると、自然と共生しないで自然を征服しようとしてきました。人工的な村の外側には人工的な機能を持つ耕作地(ノラ)があり、ムラの周りの自然は開墾すべき対象だったのです。一方、縄文は、狩猟、漁労、採集によって定住を果たしたため、ムラの周りに自然(ハラ)を温存してきました。自然の秩序を保ちながら、自然の恵みをそのまま利用するという作戦を実践し続けてきたわけです。しかも、そうした生活が、一千年や二千年どころでなく、一万年以上続いたのです。」と書いています。このような自然と共生しながらの文化は、欧米や大陸にはありません。だからこそ、五大文明のひとつとして選んでもいいのではないかといいます。
 そういえば、縄文時代の展示会にもありましたが、三内丸山遺跡に行ったときの説明では、中央の谷と北側斜面から廃棄ブロックが見つかったそうです。そこには、いろいろなものが出土し、この本にも土器や石器以外にも木製品や動植物の遺体、骨角器、樹皮性の袋、敷物、組紐なども大量にあったそうです。
 しかし、びっくりしたのは、その魚介類の骨の多さで、「マグロ、マダイ、ブリ、マダラ、メカジキ、スズキ、シイラ、サワラ、ネズミザメ、ツノザメ、ホシザメ、ヒラメ、カツオ、クロダイ、アカエイ、ガンギエイ、クロソイ、イシダイ、ボラ、アナゴ、ソウダカツオ、サバ、ニシン、アイナメ、イシガレイ、ウシノシタ、キツネメバル、エゾメバル、タケノコメバル、コノシロ、ニベ、マアジ、カマス、サヨリ、オニオコゼ、フグ、カワハギ、ウミタナゴ、マイワシ、カタクチイワシ、ベラ、ウグイ、ドジョウなどです。魚以外ではイカ、タコ、カニ、シャコエビ、ウニも見つかりました。貝類はアワビ、イガイ、シオフキ、マガキ、アカザラガイ、ヨメガカサ、アカニシ、イシタダミ、シジミ、カワシュンジュガイなどの多種にわたります。」とありました。このなかには、私の知らない魚や貝類もあり、いかに豊かな食生活を送っていたかがわかります。
 そして、それらを獲るために骨を利用して釣り針や、大きな魚を捕る刺突具やモリなども作っていたそうです。今でも青森県に行くと、新鮮な魚介類が豊富で、それも旅行の楽しみですが、縄文の昔からそれらを食べていたことに驚きます。
 でも、あの大きなマグロを捕るやり方をこの本にも書いてありますが、綿密な共同作業が必要だったと思います。そして、フグなどは、毒があることをどのように知ったのか、興味もあります。まさか、キノコの毒のようにニオイをかいでというわけにはいかないでしょうから、多少の犠牲はあったのではないかと思います。
 また、クリの利用は三内丸山遺跡を訪ねたときに案内人からも聞きましたが、すでに栽培をしていたそうで、この本にもしっかりと書かれていました。しかも、保存法もあったようで、その生活の知恵には興味が尽きません。
 下に抜き書きしたのは、第1章の「食から見た三内丸山遺跡と縄文の生活」の最後に載っていた文章です。
 この話しの前に、いろいろな理由で自殺を選ぶ人たちが増えているので、もし迷ったら、平和に暮らしていた縄文人のことを考えてください、といいます。
 たしかに、この便利な時代に縄文にもどれといわれても難しい話しです。今の地球の温暖化の問題でも同じですが、なかなか昔の生活にはもどれないようです。しかし、それでも、その昔の心にもどることはできるかもしれません。そういう意味では、このような本を出す意義もあります。
(2021.12.7)

書名著者発行所発行日ISBN
縄文へ還ろう大岡清二・佐藤 力 共著たま出版2021年4月15日9784812704486

☆ Extract passages ☆

 迷ったら自然を見てください。自然界には楽しみがたくさんあります。目で感じ、触って感じ、声を出して歓喜し、自然界の音を耳で楽しみ、日で食べ物の美味しさを感じてください。自然の前では皆平等です。
 傷つけ合い、苦しめ合うようなことはもうやめにしましょう。
 三内丸山遺跡に来て、どうか考えて欲しいのです。平和に暮らしていた縄文人たちの足跡を、その日で見て確かめてほしいと思っています。
 縄文の平和な時代には戻れなくても、せめて失われた心だけでも縄文に還りましょう。そうすれば、心に余裕と愛が戻ってきます。
(大岡清二・佐藤 力 共著『縄文へ還ろう』より)




No.2001『古本マニア採集帖』

 前回のNo.2,000回目のときに予告したように、今回は南陀楼綾繁さんの『古本マニア採集帖』です。しかも、この本の初版第1刷発行日は2021年12月15日で、奇しくも私の誕生日と同じでした。著者も、この本のなかで、「本への執着が呼びおこしたような出会いだ。偶然だが、必然でもある。」と書いていますが、私もそのように思いました。
 この本の「おわりに」のところで、古本マニアのイメージについて、「ヒマさえあれば古書店をめぐり、古書日録やネットオークションをチェックする。即売会には初日の開場前に並ぶ。本の数が多すぎて整理ができず、いつも買ったはずの本を探している。地震で自宅の本の山が崩れたことを嬉々としてSNSでつぶやく。」と書いています。
 これに従うと、私の学生時代は古書街が近かったこともあり、このイメージに近いものがありましたが、今は本を集まりすぎると管理が大変なこともあり、なるべく図書館から借りて読むようにしています。それでも、専門書や植物関係の本は図書館にはないし、いつも手もとにないと調べようがないので、自然と集まります。整理はするのですが、いつの間にか本棚からはみ出し、その前に積んで置くようになり、いつの間にか部屋中本だらけの様相です。まあ、これは仕方のないことと、半分は諦めています。
 そういえば、「理想の本を追い求めるひと」の小野高裕さんの、「これまで集めてきた本を一か所に並べて、晩年を過ごせたら幸せですね。本棚にはそれまでの自分が詰まっていると思うんです。」という言葉に、たしかに私もそう思っています。私は本仲間に、本棚に並べておくと、その背表紙だけからでも、その本の内容が浮かんでくると話していますが、そのなかに埋もれて暮らすのもいいかな、と思っています。
 また、「英国の釣り文化を読み説くひと」の錦織則政さんが、釣りの本に魅せられるようになったきっかけを、「ある有名な釣り人は「最良の釣りは水の中でなく活字の中で行われる」と云っています。辛いことも愉しいこともみんなまとめて、書物の中で釣りが再現されているのです。とくに昔の人が書いた文章にはそのエッセンスが凝縮されているので、古書を集めたくなるんです。」といいます。私も、もともとはシャクナゲも好きで日本だけでなく、海外からも原種シャクナゲを個人輸入したこともあり、ここ10年ぐらいは、苗よりも写真を撮ることに夢中になっています。
 つまり、写真を整理するために海外の本を手に入れたり、さまざまな植物関係の本を集めたり、年齢とともに栽培より調査研究のほうがおもしろくなってきています。おそらく、体力的なこともありますが、増えすぎたシャクナゲの鉢植えの雪囲いの大変さもあるからです。そこで、昨年からの新型コロナウイルス感染症で海外も国内も旅行できないこともあり、大きな鉢植えを孫たちといっしょに小町山自然遊歩道に植え込みました。それで、だいぶ管理が楽になり、これ以上増やさないようにしようと思っています。
 下に抜き書きしたのは、私の「シャクナゲと本を追い求めるひと」のなかで取りあげていただいたものです。
 このとき、大型本を2冊送っていただいたのですが、この『森へ――ダリウス・キンゼイ写真集』と『北米インディアン悲詩――エドワード・カーティス写真集』です。もちろん、今でも大切にしている2冊ですが、これを送ってくれた出版社の社長も、現在は会長ですが、今も友人としてお付き合いをしています。
 今でも話しをすると、あのブータン王国にいっしょに行きたいという話しになります。
 人との出会い、本との出会い、どちらも南陀楼綾繁さんがいうように、偶然だが、必然のような気がします。
(2021.12.5)

書名著者発行所発行日ISBN
古本マニア採集帖南陀楼綾繁皓星社2021年12月15日9784774407500

☆ Extract passages ☆

「この本も大切にしているんです」と関谷さんが見せてくれたのは、『森へ――ダリウス・キンゼイ写真集』(アポック社出版局、1984)という大判の本だった。アメリカ開拓時代の森の伐採を撮影した写真集で、中上健次が解説を書いている。
「『BE-PAL』で紹介されているのを見て、本屋に注文したらすでに絶版でした。その後、ブータンに行ったとき、たまたまこの出版社の社長と同室になったんです。後日、彼がこの本を送ってくれました」
 本への執着が呼びおこしたような出会いだ。偶然だが、必然でもある。
(南陀楼綾繁 著『古本マニア採集帖』より)




No.2000『〈弱さ〉を〈強さ〉に』

 たまたま読み始めて、この『本のたび』を書こうとしたら、今回が2,000回だと気づきました。意外と無頓着な話しですが、これが現実です。本当は南陀楼綾繁さんの「古本マニア採集帖」を取りあげ、そこに私のことを「シャクナゲと本を追い求めるひと」として紹介してあり、2021年12月15日に発行される予定です。数日前に自宅に届いたので、サラッと見ましたが、まだ読むというところまではいかなかったのです。
 だから、これは次の2,001回目のときにでもと考えています。
 さて、この『〈弱さ〉を〈強さ〉に』ですが、副題は「突然複数の障がいをもった僕ができること」で、著者は14歳のときに留学していたイギリスで身体の変調を感じたそうです。そもそも中学のとき不登校になり、居場所が感じられず、人生をやり直すという意気込みで留学した矢先のことです。2ヶ月後には帰国せざるをえなくなり、いくつかの病院を受診したそうですが「ストレス」との診断だったそうです。そしてこども病院で、若年性急性糖尿病と診断されましたが、病院側もそれほど深刻な状況とは受け止めてなかったようで、入院して約3時間後には心肺停止になってしまったそうです。それから1週間、危篤の状態が続き、脳波のグラフが動かず、医師から両親は脳死状態だと告げられたそうです。それから約2週間ほどたち、「まだら昏睡」が続き、入院して3週間が過ぎたころから昏睡状態から目覚めたそうです。そのときの様子を著者は、「ラジオの音、医師や看護師の会話、両親の声……まわりの状況は理解できても、反応を返すことがまったくできず、両親は「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下している」と医師から説明を受けていました。」と書いています。
 もっとも辛かったのは、痛みを伝えられないことで、痛み止めを使わないので、生身を切り裂かれるような激痛だったそうです。でも、その痛みを伝える術がなく、恐怖におびえながら過ごしていたといいますから、反応できないことのつらさがよくわかります。
 その著者が、大学に入り、さらに大学院に入って研究をし、博士論文も書き上げます。そして、自分を当事者とした研究をし、当事者研究や自己表現の可能性を広げ、さまざまな介助のあり方を探ります。その強い意思は、どこからくるのだろうかと、読みながら思いました。
 そして、「おわりに」のところで、「僕は介助なしでは何もできません。しかし、だから多くの人とかかわり、深く繋がり、ともに創りあげる関係性を築いていける、それが僕の〈強み〉になっています。能力がないことが〈強み〉なのです。自分だけで何もできないことは、無能力と同義ではないのだと思います。」と書いています。その介助なしには何もできないということの気づきこそが、「強さ」につながっていったということがわかります。おそらく、健常者にしても、本当は人というのは他の人の助けを借りてしか生きられないということを理解すべきではないかと思います。この本の中で、自身も脳性マヒの当事者であり、医師であり、研究者でもある熊谷晋一郎氏の話しが出てきますが、誰でも依存なくしては生きていけないのです。ただ、健常者はむしろその依存できるものの数が多いし、それを意識しなくても生活が成り立つといいます。
 この本を読みながら、人が生きていくのはみな同じだと強く感じました。今、テレビや新聞などを見ても、新型コロナウイルス感染症だけでなく、生きづらさのようなものがあります。だからこそ、下に抜き書きしたような考え方も必要ではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、養護学校の高等部2年生のときに出会った溝口勝美先生の言葉です。
 それまでは、「障がいが治らないなら死ぬしかない」と考えていた著者にかけたもので、大きな転機になったそうです。その先生が、著者のことを「ガラス細工」にたとえたそうですが、だからことこのような言葉をかけてくれたような気がします。
 このまず1年の生活は、大学に入学したときには「よし。4年は生きてみよう!」に変わったそうです。
(2021.12.2)

書名著者発行所発行日ISBN
〈弱さ〉を〈強さ〉に(岩波新書)天畠大輔岩波書店2021年10月20日9784004318989

☆ Extract passages ☆

先生は僕に、「まず1年、生きてみないか。1年経ったら、またそこで考えよう」と言ってくれました。そのときの僕にとって未来とは、真っ暗で何も見えないものでしたが、1年先ならば……と、生きる力を与えてくれたのです。弾  当時の僕には1年間を生きるのがぎりぎり精一杯で、春が来るたびに、「とりあえず、もう1年頑張ってみよう」と自分を奮い立たせることの繰り返し。施設を出て、地域で暮らすことはまったく想像がつかず、かといってこの施設にずっといるくらいなら死んだほうがマシだ、と思っていました。退院して、両親の介護のもと自宅で過ごすようになってからも、この1年サイクルの生活は、大学に入るまでの6年間、ずっと続きました。
(天畠大輔 著『〈弱さ〉を〈強さ〉に』より)




No.1999『私が本からもらったもの』

 副題が「翻訳者の読書論」とあり、8人の翻訳者と編著者の駒井稔さんとの対談集です。
 この本を手に取ったときに、この出版社の 「書肆侃侃房」はどのように読むのかさえわかりませんでした。そこで最後のページを見ると、発行所名にカナが振られていて、おそらく私以外にも読めない方がいるのだろうと安心しました。この発行所は福岡市にあるそうで、地方の出版社が元気なことはうれしい限りです。
 この本の第2夜は早稲田大学文学学術院教授で翻訳家の貝澤哉さんで、その最初のまとめのなかで「本は、まるでタイムスリップものやタイムマシンもののSF冒険ドラマのように、過去の見も知らぬ場所や、まったく異なる文化・文明、別世界とのありえないコンタクトを可能にし、本来不可能なはずの死者との対話すら難なく実現してくれる。つまり原理的には、そもそも本を手に入れること、読むこと自体が、異界への瞬間移動であり、常識的で変哲もない日常からの脱出であり、それによって自分が生まれ変わり、周囲の世界への見方もがらりと変ってしまうことを意味している。」という書いてあり、なるほどと思いました。
 本を読んでいるだけで、どんな世界にも行けるということはありえることです。また、自分が経験をしてなくても、その経験者の本を読むと、なんとなく経験をしたことがあるような気持ちになってきます。それがいいことか悪いことかはわかりませんが、ある程度の感情移入がないと本に没頭はできないと思います。
 もちろん、評論的な本などの場合は、ある程度、批判的に読むことも必要ですし、まったく役に立ちそうもないことでも、他山の石ということだってあります。だいぶ前のことですが、中国雲南省に行ったときに、ある植物を見るためだけに1日車で走りましたが、とうとう見つけることができず徒労に終わりました。でもそのとき、ある学者がないということだけでもわかったからよかったといいました。そのときは、なんとも腑に落ちなかったのですが、しばらく経ってから、ないということも一つの大事な情報だと気づき、納得したことがあります。
 これがもし本だったら、すぐにでも納得できたかもしれません。
 しかし、今なら、実際に自分が経験したことと、本を読んで知り得たことには、大きな違いがあるということがわかります。それでも、すでになくなってしまったことなら、体験することもできないわけですから、本を読むしかありません。
 この本では、翻訳家の方々、ドイツ文学の鈴木芳子さん、ロシア文学の貝澤哉さん、フランス文学の永田千奈さん、英米文学の木村政則さん、英米文学の土屋京子さん、フランス文学の高遠弘美さん、ドイツ文学の酒寄進一さん、日本文学の蜂飼耳さん、8名の翻訳家に話しを聞きました。それぞれに個性があり、とても興味が持てました。次は、この人たちが翻訳をされた文学を読んでみたいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、英米文学翻訳家の木村政則さんの話しです。
 私自身も教養を高めようとか、知識を得るためにとか考えず、本を読むのが好きだから読むだけです。若い時には、本を読んでいると遊んでいると思われそうで、隠れて読んでいました。そういえば、その習慣は中年まで続いていたようです。
 最近は、自分の部屋で読むことが多いので、誰にも気兼ねなくのんびりと読んでいますが、その時間がとても楽しいです。
(2021.11.30)

書名著者発行所発行日ISBN
私が本からもらったもの駒井 稔 編著書肆侃侃房2021年10月6日9784863854871

☆ Extract passages ☆

「教養って何ですか?」と間かれて、「いかに暇をつぶせるかですね」と答えた人がいるんですよ。僕はそのときに「なるほどな」と思った。僕は日常的に「つまらない」という言葉を口にする人が駄目なんです。「何か今日つまんないね」とか、どこかに行つて「つまらない」とか言う人とは二度と会わないことにしている。それはお前がつまらないんだ、と感じてしまうんですね。なんでもいいから1時間空いたら、この1時間をつぶすことができない人って、たぶんその人は教養がない人だというふうに思うので。ですから僕は、本が自分の人生を豊かにするとかと思って読むことはまったくないです。こんな言い方をしたら悪いかもしれないけど、大いなる暇つぶしだと思っています。
(駒井 稔 編著『私が本からもらったもの』より)




No.1998『失われた色を求めて』

 2021年2月11日にNHKの「日本の色 ―吉岡幸雄の仕事と蒐集―」を観て、染色の仕事も大変だなと思いました。でも、失われた色をなんとか再現するということも、とても大切なことだと実感しました。
 その後、同じNHKで「失われた色を求めて」の再放送が今年の8月15日にあり、その番組のタイトルは「失われた色を求めて 植物染め・伝統100色を今の世に」でした。その番組のなかで、染司よしおか5代目の吉岡幸雄さんが2019年9月30日に心筋梗塞のため急逝したことを知りました。73歳だったそうです。
 この本の「初出一覧」を見ると、あちこちに書いた文章が、この一冊にまとめられているようで、すぐにでも読みたくなりました。著者は、まさに失われた材料や手法を求めて「色の世界」を旅した方で、日本の伝統色の豊かさは世界に例がないといいます。たとえば、青系の色だけでも、藍、紺、群青、露草など20以上の名称があるそうです。
 しかも、その染色法にしても、この本のなかで詳しく書いていて、秘するところがないのもとても潔いと思いました。たとえば、緑を染色するには、「藍と黄を掛け合わせて緑を得ることになるのです。たとえば、刈安とか黄葉といった黄色系の染料を藍で染めた布や糸に加えて染色めるのです。藍を先に染めるか、黄を先に染めるか、とくに決まりはありませんが、私の工房では、藍を先に染めて、黄を染めるという手順が通常におこなわれます。ですから、薄い藍に黄を濃く染めれば、「萌黄色」「鵜萌黄」「鵜色」「若菜色」「若苗色」「若草色」「柳色」「裏葉色」といったような、春まだ浅い季節の明るい緑色をあらわすことができます。反対に、濃く藍を染めたものに黄を加えますと、「木賊色」「蓬色」「青緑色」「鶯色」や、さきほど松の色名であげました「千歳緑」「常磐色」「松葉色」、さらには「苔色」「海松色」といったような濃く、またはくすんだ緑の色が得られるのです。」というように、つぎつぎと微妙な色合いの話しが続き、ちょっと戸惑うところもありました。
 そういえば、だいぶ前にインドに行ったときに、自分の記念品としてインド更紗の敷物を買ったことがあり、今でも大切に使っていますが、このインド更紗の染色については、「インドでは、ミロバランの実などタンニン酸系の染料が植物繊維には低温で染まりつき、かつ金属塩を定着させやすい性質をもつことを利用して、まず木綿をタンニン酸で染め、その時に同じ染液のなかに水牛の乳も加えて繊維をやや動物性にしてさらに金属塩を定着させやすくする。インドにおいて更紗に使用する染料は主に六葉茜という多色性の染料で、 これは明攀で媒染すると赤に、鉄塩では黒に、その混合液では紫にと、一つの染料で何色かに変化するものである。この性質を利用して、前に記したようにあらかじめ下染めした木綿布に、黒くしたい所は鉄塩で、赤く染めたい個所は明攀で、紫系の色は明攀と鉄塩を混ぜた液で塗り、六葉茜の根を煎じて摂氏六十度以上の染液に浸けると、それぞれの色相に発色する。さらに藍や緑の色を加えたい場合はそれ以外の個所は蝋伏せにして藍で浸染し、緑にはそこにさらにミロバランの花の黄色を挿し染めする。」と書いています。
 おそらく、このやり方を知ったとしても、できる人はほとんどいないのではないかと思います。それでも、インド更紗の染色法を後世に残すかのように、微に入り細に入り、書き記してあります。もしかすると、後々の人がインド更紗の染色をしてみたいと思えば、これらを参考にすればできるかもしれません。
 「あとがき」に、この本は、著者が亡くなられてから、それまで書いた無数の原稿を集めて厳選し、再構築されてできたと書いてありました。そして、現在は、「染司よしおか」の六代目は娘さんの吉岡更紗さんだそうです。この名前を知ったとき、著者はそうとうインド更紗にこだわりがあったのではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「U 私の色見本」のなかで、秋になって落葉樹の葉が「朽ちる」ことについて書いてあるところです。
 ちょうど、甲子大黒天本山の参道のイチョウ並木の葉が落ち始めたころに読んでいたので、この部分がはっきりと見てわかりました。それにしても、色をこのようにしっかりと見つめていたことに驚きました。そして、その鋭敏な色彩感覚は、持って生まれた才能ではないかと思いました。
 もし機会があれば、ぜひ読んでほしい一冊です。
(2021.11.28)

書名著者発行所発行日ISBN
失われた色を求めて吉岡幸雄KADOKAWA2021年9月30日9784000222419

☆ Extract passages ☆

 秋になると、落葉樹の葉は緑から黄、赤へと色づき、そして茶色になって枯れてゆきます。その過程を「朽ちる」といいます。朽葉というのは、緑から紅葉へと色が移ろって散るまでの木々の葉の色をあらわしているのです。
 たとえば銀杏ですが、銀杏の葉はいきなり緑から黄色になるのではありません。まず緑が鮮やかさを失い、渋い緑色になります。その状態を青朽葉といいます。そして鮮やかな黄色になったあと、わずかに黄茶色へと変わりはじめるときが黄朽葉です。あるいは紅葉のように、赤茶色に変わりはじめるのが赤朽葉です。このような色名にも、往時の人の移りゆく葉の変化を克明に観察する眼を感じることができます。
(吉岡幸雄 著『失われた色を求めて』より)




No.1997『新型コロナと向き合う』

 岩波新書の新刊案内を新聞で見て、これは読んでみたいと思い、図書館から借りてきました。それから気づいたのですが、著者は新型コロナウイルス感染症が拡がり始めた初期の段階から、日本医師会会長で、まさに初動の緊迫した半年間をその対策に全力で対応された方と知り、この本を読みながら、難しい対応に当たられたことがよくわかりました。
 副題は、「―「かかりつけ医」からの提言」なっていますが、それは第3章の「かかりつけ医」の果たす役割についての部分で、特に第1章の「〈ドキュメント〉新型コロナウイルス感染症との半年間」は、その臨場感がひしひしと伝わってきました。それこそ、毎日、テレビで報道されている内容の裏のところで政府との折衝や医師会としての取り組み方など、その当時は知り得なかった大切なところが記されていました。そして、その時々のことを、今さらながらも振り返り、なぜPCR検査が迷走してしまったのかなど、はっきりとわかりました。それこそ、国民だけでなく、医師会も行政側もこの新型コロナウイルス感染症に振り回されてしまったことが、頷けます。
 私は2020年3月2日の午後2時10分に成田空港から直行便で中国雲南省の昆明まで行く予定で、航空券も予約していました。帰国は3月16日午後1時10分ですから、その日のうちに自宅に戻れるし、今までは上海か北京などで乗り換えしなければならなかったのですが、中国東方航空の初めての運行でした。しかし、2月初旬には航空会社から欠航の連絡がはいり、払い戻しをうけました。だから、実質的な損害はまったくなかったのですが、やっと入れると思っていた秘境がまた遠のいたという感じはしました。だから、新型コロナウイルス感染症には、とても関心がありました。今、自分のことなどを思い出しながらこの本を読んでいましたが、直接、感染症に関わっていたお医者さんたちの苦労もよくわかりました。
 新型コロナウイルス感染症は、感染症法に基づく指定感染症に指定されるそうですが、それらを振り返ってみると、先ず日本で新型コロナウイルス感染者が確認されたのは2020年1月15日です。そして指定感染症(2類相当)に指定されたのが2月1日で、政令が施行されました。その後、二度の政令改正(2月14日、3月27日)を経て、3月27日には外出自粛要請なども新たに追加されました。でも、この指定は1年限りの時限措置だそうで、2021年1月には翌年の2022年1月31日までの指定延長とする政令改正がおこなわれました。
 このように見てくると、政府の政策が新型コロナウイルス感染症の対策に追いついていないことがわかります。しかも、毎日マスコミなどで報道されるのですが、その流れがイマイチわからず、むしろ風評に流されてしまっていたように思います。やはり、こういう未曾有の感染症と向き合うには、バラバラのメッセージではなく、政府の責任者がしっかりと国民に向かって発信をすることが大切です。
 たとえば、この本に載っていましたが、台湾では、「2020年1月20日以降、毎日定時刻に政府の責任者が記者会見を行い、感染流行状況の説明など国民に向けたメッセージを発信していたという話を聞きました。今どこまでわかっていて何がわかっていないのか、感染状況の現状と今後の見通しとなる推計はどうなのか、予防するにはどうすればよいのか、感染したらどうしたらよいのかなど、国民の不安に応え、安心を取り戻すメッセージを発信し続けるリスクコミュニケーションが重要です。」と書いてありました。
 では日本ではどうだったかというと、いろいろな立場の人たちがそれぞれの立場から発言し、それをマスコミの人たちが自由に解釈して放映するので、それらの話しを誰が責任を持つのかさえもうやむやだったような気がします。
 この本を読みながら、治療にあたる医師の立場と感染症を封じ込めようとする行政側の立場と、その他の立場などの流れが少しは理解できました。もちろん、それぞれの立場から全力で対応していることはわかりますが、これからはもう少し効率的に即効性のある対応が必要ではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「かかりつけ医」について書いてあるところです。
 この文章の後のほうで、お医者さんたちにとっては「病」と向き合うのは日常ですが、普通野人たちにとっては「思いがけない非日常の出来事」だといいます。たしかに、病気になれば心配ですし、この先どのようになるかなど、さまざまな疑問や不安、さらには葛藤があります。それらに応えてくれるのが「かかりつけ医」というわけです。私にもかかりつけのお医者さんがいますが、昔からのカルテが残っていて、それらを参考にして現在の病気も診てもらえます。今年の新型コロナウイルス感染症のワクチンも、そこで接種してもらいました。一日でも早くという人もいますが、少しばかり遅れたとしても、安心感が違います。
 この第3章「かかりつけ医」の果たす役割を読んで、本当に大切だと思いました。
(2021.11.25)

書名著者発行所発行日ISBN
新型コロナと向き合う(岩波新書)横倉義武岩波書店2021年10月20日9784004319009

☆ Extract passages ☆

「かかりつけ医」とは、なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師です。
 相談は医療の入口であることからすれば、かかりつけ医は医療の道案内人ともいえます。
(横倉義武 著『新型コロナと向き合う』より)




No.1996『和製英語』

 和製英語で思い出すのは、学生のころに喫茶店に入ると、「モーニング サービス」を頼んでいました。それはコーヒーの他に、厚切りのトーストとゆで卵が付いてきて、それが朝食代わりでした。今はあるかどうかわかりませんが、とてもお得でした。
 でも、英語の先生からこの「モーニング サービス」は日本以外では通じないと聞き、それが和製英語との出会いでした。この本には、著者が「morning service」と聞いて、「mourning service(哀悼の儀式)」と思い込み、ばつの悪い思いをしたと書いてありました。英語では「breakfast menu」というそうですが、この「モーニング サービス」も、もしかすると死語に近くなっているかもしれません。
 それと、和製英語のなかでも、外国人から「どのような仕事をしてますか?(What do you do?)」と聞かれ、サラリーマンとかOLとか答えてしまいます。それでは、具体的にどのような仕事かはっきりとはわかりません。この本では、「"what do you do?"という質問は、具体的にどんな職種であるのかを知るために発せられるのであって、会社、学校、農場、工場などの物理的な労働環境についてだけを知るために発せられるのではありません。"what do you do?"という質問によって知りたいと思っているのは、その人の価値観やストレス、関心事など、その人の性格を知るために役立つことであって、また、それによってそのあとどのように会話を続けていくのが最善なのか手がかりをつかもうとしているのです。」と書いてあり、英語そのもののずれというよりは、考え方のずれのような気がしました。
 また、レストランなどでレモンティをたのむ場合、英語では"tea with a slice of lemon"というそうですが、ほとんどの人がレモンティとかアメリカンコーヒーなどといいます。それだって和製英語です。日本国内では通用したとしても、外国に行ったときには、まったく通じないそうです。
 おもしろいと思ったのは、トランプです。そういえば、前アメリカ大統領はトランプ(Donald John Trump)氏ですが、この本では、「このtrumpという言葉は、16世紀に、triumph(勝利)という言葉のかわりに、カードゲームの際に使われるようになったところに語源があります。そして、トランプ以外の文脈の中でも使われます。利益を得るために使われる手段、特に驚きの要素を含むものはtrumpです。Come up trumpsは、思いもよらず成功した、とか思っていたより上手くいった、という意味です。また、オーストラリア英語でtrumpは、職権のある人、つまりほかの人に対して権力のある人のことを指します。子供の俗語では、楽器のtrumpetの音がおならの音と似ていることから、おなら(fart)という言葉のかわりにtrumpが使われます。」と書いてありました。
 これを読んだとき、つい、なるほどと思いました。日本語で使うトランプは、英語ではplaying cardsとか、単にcardsというそうですが、これも納得です。
 下に抜き書きしたのは、著者が英語よりもしっくりくる和製英語として選んだスキンシップ(skinship)です。
 その説明にあるように、英語では長い言葉を使わなければならないのに、日本ではスキンシップというだけで、「友好的もしくは愛情のある身体的接触」を直感的に伝えることができます。この後に出てくる小児医療の世界でよく使われているのにkangaroocareという言葉があるそうですが、これは「スキンシップ」を利用した療法だそうです。それは、「まるでカンガルーがその子を自分の袋に入れて生活するように、お母さんができるだけ長時間赤ちゃんを抱っこすることでお母さんと未熟児や病気の赤ちゃんの間にきずなを育てるというもの」だそうで、おもしろいネーミングです。
 英語でも日本語でも、言葉の世界はとてもおもしろいと思いました。
(2021.11.23)

書名著者発行所発行日ISBN
和製英語(角川ソフィア文庫)スティーブン・ウォルシュKADOKAWA2020年1月25日9784044005375

☆ Extract passages ☆

 実際のところ「スキンシップ」は、英語でいうmotller-child bonding(母子のスキンシップ)を簡潔で適切に表す和製英語です。最近の日本では、母子間にかぎらずさまざまな種類の温かく友好的な身体的接触を表すのにこの言葉がよく使われているようです。
 したがって、friendly or loving physical contact(友好的もしくは愛情のある身体的接触)やbondingと英語では説明できるでしょう(Bondingというのは友情や相互支援の強いきずなをつくることを意味します。要するに、肉親関係を通じて自然に出てくるようなきずなをつくることです)。
(スティーブン・ウォルシュ 著『和製英語』より)




No.1995『観音力』

 何年か前に玄侑宗久さんの講演を聞き、とてもおもしろかったので、何冊か本も読みました。先月には、福島の信達三十三観音をお詣りし、お堂の前で観音経を唱えましたが、観音さまはその唱える音を観ていてくれると書くと改めて思いました。
 普通は音を聞くのですが、観音さまは音を観るというのは、なぜだろうと思い、たまたま図書館でこの本を見つけ、読むことにしたのです。
 そういえば、観音経では観世音菩薩ですが、般若心経では観自在菩薩です。同じ菩薩なのに名前がなぜ違うのかと思っていましたが、「アヴァローキテーシュヴァラ」を鳩摩羅什は「観世音菩薩」と訳し、唐の玄奘三蔵は「観自在菩薩」と訳したのだそうです。つまり、翻訳者の意図がそこにあるのではといい、「どういうわけか、誰かが亡くなった場合、通常お葬式が済むまでは『般若心経』はよまない。『般若心経』のメインテーマは「空」だから、四大分離して「空」に還る死に際してはよんでもよさそうだと思うのだが、やはり「空」という智慧よりも、観世音菩薩の慈悲のほうがそういう場には相応しいということなのだろう。」と書いてありました。
 たしかに、浄土真宗の本願寺派でも大谷派でも般若心経は唱えませんし、また日蓮宗でも同じです。浄土宗では祈願などのときにはとなえますが、葬儀ではとなえません。やはり、宗派による違いはありますが、葬儀ではあまり唱えないようです。
 この「空」という智慧も、ある意味、気の持ちかたでもあり、あると思えばありますし、ないと思えばないとようなものです。私も聞いたことがありますが、この本にもアメリカでの研究が載っていて、「アメリカの研究者たちですけども、80歳以上の人たち50人に集まってもらって、50日間、同居生活をしていただいた。その環境は、すべて80歳代の人たちが20代だった頃のもので揃えたんです。カーテンの柄も懐かしいその頃のデザイン。テレビをつけると、その頃の番組をやっているんです。ラジオをつけても、その頃の音楽が流れてくるんです。いわゆる懐メロですよ。自分の若い頃の音楽に、ひたれるわけですね。そうやって50日間暮らしたあげくに、精しい健康診断を受けてもらった。いちばん年をごまかせないのが、皮膚圧です。この皮膚圧が30代に戻っていたという人が、30%もいたというんですよ。だから、なぜ年をとるのかというと、60なんだから、こういうふうな感じかなという、あなたの中の脳のソフト。その通りに実現してしまうということです。」と書いてありました。
 この話しは私もある講演で使ったことがあり、人というのは自分の思いで考えているので、私は幸せだとおもえば幸せになれるし、私は不幸だと思えば、そのときから不幸になってしまうのです。日本の諺でも、「笑う門には福来る」というのがあるでしょう。つまり笑っているから福はあとからやって来るという意味でもあり、人の思いというのはとても大事です、と話した記憶があります。
 だから、若々しい福を着ているだけで、なんとなく若くしていられるし、気持ちもだんだんとそうなってきます。つまり観音さまのように、自由自在にこの世の中を観られるようになること、それこそが観音力ではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、火渡りについてです。しかも、ある事情で小指をつめた話とからめて書いています。
 そういえば、知り合いで山仕事をしている人が指を切断する事故にあったことがあり、これと同じような話しをしていました。指先がないのに、痛みを感じるというのです。やはり、人というのは、脳からのいろいろな指図で動いているとその話しを聞いて思いました。
(2021.11.20)

書名著者発行所発行日ISBN
観音力玄侑宗久PHP研究所2009年3月11日9784569706160

☆ Extract passages ☆

あれって不思議に熱くないんですよ。じつは熱さを感じる脳機能が休んだ状態になってるんです。だって、脳がそう感じなければ、熱くはないわけでしょう。もちろん、熱くないからといって、火のついた薪の上ですから、立ち止まったらやけどします。熱くないけど、やけどするんです。でも、タッタッタッタッて普通に歩いていくと、熱くもありませんし、まったくやけどもしません。
 逆のケースもありますね。例えば、小指がなんかの事情で詰められてしまった。でも、小指の痛さを感じる脳内の神経というのは、そのまま残ってるわけですね。特定の場所にあります。そうすると、そこが反応すれば、ないはずの小指が痛いということが起こるわけです。ない小指が痛いんですよ。凄いですねえ。しかしこれもさっきの火渡りと、じつは同じ原理なんですね。つまり、指がなくとも痛みを脳が感じるように、脳さえ感じない状態に持ち込めば、痛くもないし熱くもなくなったりするわけです。
(玄侑宗久 著『観音力』より)




No.1994『スイーツ歳時記&お菓子の記念日』

 最近は、毎晩、お抹茶を点て、お菓子を食べています。もともとお茶は好きですが、おそらく、というよりは間違いなく甘党であることは間違いなさそうです。
 だから、この本を図書館で見つけたときには、迷うことなく借りてきました。そして、今、読んでいるわけです。
 それにしても、よく買うのが「わらび餅」ですが、だいぶ昔からあると思っていたら、この本には「基本的にはわらび粉に水と砂糖を加え、火にかけて練り、容器に流して固め、小切りにしてきな粉をまぶす。なお、ここに吉野葛を加えると、より弾力のある口当たりと、なめらかな口溶け感を与えることができる。ところでこのお菓子の足跡をたどると、明治8年に行われた奈良遊覧会に初めて出品され、それを機にスポットライトが当たったという。以来これは奈良の名物として広く知られるようになっていった。」と書いてあり、ビックリしました。おそらく、この本と出合わなければ、日本の昔からある伝統的なお菓子と思っていたかもしれません。
 ちなみに、私の一番好きなわらび餅は、天童市の「腰掛庵」のもので、日持ちは常温で2日ですが、食べ始めるとあっという間です。小箱なら、1人で全部食べられます。
 あちこちでわらび餅を食べていますが、おそらく、ここのが一番私の口には合っているみたいです。
 そういえば、洋菓子も好きで、今でこそ栗色のモンブランがありますが、昔はモンブランというと黄色いケーキでした。それがモンブランだと思っていたのですが、この本には「あれは実は白餡に砂糖と黄色い色素を加え、マロンの香料などを混ぜて練り上げたものなのだ。太平洋戦争後しばらくは物資も豊かではなかった。それでもお菓子屋さんはそれらしいものを作ろうと、一生懸命頭を捻り、手持ちの材料、身の回りにあるもので仕立て上げた。こうしてでき上がったのがあの黄色いモンブランである。」と書いてありました。
 しかも、値段も安かったので、だいぶ食べたような気がしますが、いまさらあれは本物のモンブランではないといわれても、困ってしまいます。じつは、今でも見かけると、つい買ってきて食べますが、著者もいうように、あの黄色いモンブランには、「日本人パティシエによって手掛けられた秀逸な創作である」と私も思います。最近では、ちょっと郷愁みたいなものもありますが、お菓子の味には懐かしさもあるようです。
 わらび餅も好きですが、到来物で好きなのは京都の満月の「阿闍梨餅」です。これはお店の書いたものを見ると、餅粉をベースにして、卵をはじめとする様々な素材を練り合わせた生地に、丹波大納言小豆の粒餡を包んで焼いた和菓子だそうです。どちらかというと、生菓子というよりは半生菓子のようで、日持ちは常温で製造日から5日です。昔は京都に行くと必ず買って帰ったものですが、新型コロナウイルス感染症が流行してからは行くこともままならず、最近では通販もしてくれるので、とても助かっています。
 もし、島根県松江の風流堂から送ってもらうと、送料だけで1,150円ですが、お菓子屋さんによっても違うので、消費期限なども調べてから注文します。それでも、居ながらにして世界中のお菓子を食べることができるので、通販というのも有難いと思います。
 下に抜き書きしたのは、求肥について書いてあったところです。
 求肥は、おそらく餅と何かを混ぜたのだろうと漠然と思っていたのですが、牛の脾臓に似ているからというのは初耳です。和菓子だけでなく、西洋のお菓子についても、その名前の由来が書いてあり、とても楽しく読むことができました。
 ぜひ、ここで知ったお菓子を、なんらかの機会に食べてみたいと思つています。
(2021.11.17)

書名著者発行所発行日ISBN
スイーツ歳時記&お菓子の記念日吉田菊次郎松柏社2021年9月10日9784775402801

☆ Extract passages ☆

 求肥とは? そもそもは牛の牌臓に似ているとして牛脂とか牛牌と字が当てられていたというが、肉食から離れていった古人は、この表記を避けて求肥の文字を当てて書き改めたとか。
 さて、この求肥、京においては寛永時代に親しまれていたが、江戸には未だなかった。しばらく後、西国から移り住んだ中島浄雲なる人の子孫が神田鍛冶町で「丸屋播磨」なる店を開き、これを売り出したところたちまち人気を得て、丸屋求肥として江戸名物のひとつになったという。今日ではこの求肥、いろいろな場面で副材料のひとつとして便利に使われている。
(吉田菊次郎 著『スイーツ歳時記&お菓子の記念日』より)




No.1993『「非モテ」からはじまる男性学』

 この「非モテ」という言葉は初めて聞いたのですが、第1章に書かれているのは、「モテることのない、モテから疎外されること」とあります。たしかに、あまり女性と縁のない男性はいると思ってましたが、これほどまでとは考えていませんでした。書かれている内容が本当だとすれば、この問題はとても大事なことだと思いました。
 私たちの年代は、その気になりさえすればほとんどの人たちが結婚し、家庭をつくっていた時代でした。ところが、今の時代は近所を見ても、中年になっても若い人たちもなかなか結婚できないでいるようです。今は少子化が問題だとこの前の自民党の総裁選でも力説していた候補者がいましたが、その前提となる結婚もできないとすれば、それこそ大問題です。
 著者自身が「非モテ」で、それを研究テーマにしてきたこともユニークだと思うけれど、それを「ぼくらの非モテ研究会」としてゆるいグループをつくり、たとえば自分が勝手に執着する女性をイメージ化して女神として執着することを、この非モテ研で話し合うことで、女神を対等な存在として、あがめることではなく経緯を持ってアプローチすることで、執着と情熱の境界を見極めるようにすることなど、いろいろな成果があったといいます。
 やはり、もてないことにはなんらかのもてない理由があり、この非モテ研でさまざまな活動を通してそれらをあぶり出すということがこの本に描かれています。著者は、現在はコロナ禍ですぐには会うことが難しいけど、オンライン会議などでしばしば夜中にもオンラインミーティングが開催され、ほどほどに支え合う男性同士の関係が築かれてきているといいます。そして、「非モテ研は、いわばできるだけ「非モテ」をこじらせないためのグループと言えるだろう。孤立感や自己否定感や罪悪感。それは当事者に過度なセルフネグレクトや自罰をもたらしたり、女性への過度な執着や、恨みに転化したりする可能性がある。非モテ研は語り合いを通して苦悩の中身を整理することで、昔悩をこじらせないようにぎりぎりのところで踏みとどまろうとする実践の場である。そして、踏みとどまれなくても、こじらせても、訪れることが可能な空間でもある。その場は不安定にさまよう男性たちに、常に開かれている。」といいます。
 そういう意味では、男性も男性であるがゆえのさまざまな悩みや苦しみがあり、それらを人には言えないような雰囲気があり、一人で悶々と悩み苦しんできたことが、このような非モテ研で同じような悩みや苦しみをかかえている男性同士が語り合うことによって、つまり言語化することによって理解しやすくなったり、解決といいえないまでもよい方向に進むことは期待できます。もちろん、このような問題には正解はないでしょうが、前向きにとらえられるというだけでも、大きな救いにはなると私は思います。
 下に抜き書きしたのは、第2章の「ぼくらの非モテ研究会」のところで、「非モテ」のつらさとか苦悩を書いていますが、そこの部分です。
 そして、「自身の苦悩の原因を特定の説明に還元してしまうという危険性を回避しながら、「非モテ」の苦悩の背景や、発生のメカニズムを細かく探れるのではないか。」と提案しています。おそらく、この「問題の外在化」による当事者研究の場になっているのではないかと思いました。
(2021.11.15)

書名著者発行所発行日ISBN
「非モテ」からはじまる男性学(集英社新書)西井 開集英社2021年7月21日9784087211764

☆ Extract passages ☆

「非モテ」という苦悩の原因を内在化させた場合、それは第一章で確認した「ラベリングとしての非モテ」のように、自分の身体や性格の特徴や傾向が苦悩をもたらしているという説明になる。もしかしたらそのせいで、過度な劣等感に苦しむことになるかもしれない。
 一方、「女をあてがえ」論のように自分の苦しさをもたらすのは女のせいだ、と決めつける論理は「原因の外在化」と言えるだろう。当然ながら女性の意思を無視してパートナーシップを結ぶなど不可能であり人権侵害的な論理なので、なんの展望も見込めない。
(西井 開 著『「非モテ」からはじまる男性学』より)




No.1992『本能――遺伝子に刻まれた驚異の知恵』

 本能というと、いかにも何も考えずに動いてしまうという印象がありますが、この本を読むと、決してそんな簡単なものではないということに気づかされます。今年の読書週間の最後に、この本と出合えてよかったと思いました。
 よくテレビなどで、餌を隠して餌の少ない時期に食べるように保存するという話しを聞いたことがありますが、たとえばカラスなどは、「カラスは舌の下に食べ物を詰め込む袋がありますが、ここに時に30〜40個もの種子を詰め込み、貯蔵場所に運びます。ところが1か所の貯蔵場所に貯蔵する種子量はわずか4〜5個です。したがって多くの種子を貯蔵するためには、多くの貯蔵場所を用意しなければなりません。実際、カラスは実に数百〜数千か所の貯蔵場所に3万個以上もの種子を貯蔵します。……このカラスの種子貯蔵は9〜10月ですが、それを取り出して食べるのは翌春から翌夏にかけてです。貯蔵から掘り出しまでの期間は、長い場合は数か月にも及びます。果たしてカラスはこんなに多くの種子貯蔵場所を、そんなに長期間覚えていられるのでしょうか。」と書いてあります。そして、この本には、さらに「観察によると、カラスは覚えていることが分かりました。こうして掘り出される種子は貯蔵した種子の3分の2にもなります。貯蔵場所の多さから考えると、この数字は大変高いと見るべきでしょう。」とあります。
 まさにカラスの記憶力はすごいもので、よくカラスにイタズラすると覚えていて、後から仕返しされるという話しを聞いたことがあります。たとえ帽子を深々とかぶっていたとしてもわかるというから不思議です。私が小さいとき、羽根を痛めたカラスが飛べないでいたので、駐在所に聞いたら治るまで育ててもいいといわれ、しばらく餌をあげて育てたことがあります。小学校から帰ってくると、すぐカァカァと鳴いて挨拶をしてくれます。治ってから放してからも、しばらくは屋根の上に時々来てカァカァと鳴いていました。
 ここ小野川温泉はホタルの里としても有名ですが、アメリカに棲息しているフォツリス・ベルシコロルというホタルのメスは驚くべきテクニックで餌をとると書いてあり、ビックリしました。普通は光の言葉でオスとメスが出合って交尾すると、ほとんどオスの発光に返答しなくなります。ところがこのベルシコロル種のメスは交尾後も他種のオスの発光に反応しその種の発光パターンで応えるそうです。つまり、自分たちの光の言葉だけでなく、他種の光の言葉も理解し、操っているわけです。そこまでは、単純にスゴイなと思いました。ところがそれからがもっとスゴイことをするのですが、著者の言葉によると、「例えばこの他種をA種とすると、ベルシコロル種のメスはA種のオスがA種特有の発光パターンで発光しながら飛んでいるのを認めると、それに返答発光するのです。それも、でたらめなパターンの発光ではありません。なんと、A種のメスの発光パターンで応えるのです。……A種のオスは成りすましメスの発光に誘引されて飛んで近づき、そして着地して成りすましメスのところにやってくるからです。こうしてついにベルシコロル種のメスとA種のオスが相まみえて、めでたく国際結婚が成立するかと思いきや、突如そこは惨劇の場と化します。なんと、ベルシコロル種のメスはA種のオスを捕まえて食べてしまうのです。」とあります。
 まさに、スゴイというよりはとても残酷な話しです。オスというのは、カマキリにしてもなんかとんでもなくわびしい存在のようにも見えてきます。
 それでも、このような遺伝的特質も生きるためには必要なもので、人間だけでなくいろいろな生きものにあるそうです。たとえば、アカゲザルのメスは母系社会ですから、メスを中心にして生活をしています。この本によると、「この社会では社会的順位の高いメスはメスの子を、逆に社会的順位の低いメスはオスの子をより多く産むことが、それぞれのメスの繁殖にとって有益です。なぜかというと、上位のメスの高い地位を引き継ぐのは、母系社会ではメスの子だからです。メスの子は親の高い地位の恩恵をうけて、生存や繁殖がより首尾よく進行します。これに対して、オスの子は生殖年齢に至る前に母親の高い地位と縁切りして集団を出て行くので、母親の高い地位の特典を活かすことができないからです。実際、アカグザルのメスは社会的順位に応じて息子と娘を産み分けていることが知られています。」といいます。
 人間の場合、なかなか産み分けるということはできないようですが、他の動物たちはいろいろな能力を持っているようです。
 下に抜き書きしたのは、人間が危険な状況に陥ったときの反応についてです。というのは、先月の22日に福島の信達三十三観音をお詣りしていたときのこと、第17番札所の大沢寺観音のお堂へ向かうときのこと、あちこちから野生のサルの声が響き、さらにイヌの鳴き声も聞こえました。私には野犬のようにも思え、怖くなりました。さらにその途中にはクマやイノシシを捕まえる大きなワナまであり、やっとお堂に着きました。いつも観音経などを唱え、ゆっくりお詣りするのですが、少し早口になったようで、その最中にもすぐ近くでサルの声が聞こえました。帰りは、10分ほどかかる車も入れない山道を足早に戻りました。その次の第16番札所の法明寺観音で、その話しをしたら、最近はあの近くの人たちも怖くて他に移住したそうで、誰も近づかなくなったと聞き、改めて心臓がドキドキし、下に書かれているような状態になりました。
(2021.11.12)

書名著者発行所発行日ISBN
本能――遺伝子に刻まれた驚異の知恵(中公新書)小原嘉明中央公論新社2021年8月25日9784121026569

☆ Extract passages ☆

このような危険を予感させる状況は、直ちに脳と自律神経に働きかけます。自律神経は消化管や心臓、血管、肺などの活動を自律的に制御している神経系ですが、人が危険を察知す ると一気に活動を高めます。副腎からはアドレナリンやコルチブールなどのホルモンが放出されます。
 体はこれに敏感に反応します。心臓は大きく収縮/弛緩を繰り返すと同時に、拍動速度を高めます。心拍数は平静時の2〜3倍に急上昇します。これは自転車のペダルを15分くらい 一生懸命に漕いだときに達成されるレベルの心臓の活動に相当するといわれます。
(小原嘉明 著『本能――遺伝子に刻まれた驚異の知恵』より)




No.1991『ブックフェスタ』

 副題が「本の磁力で地域を変える」で、著者は礒井純充さん他9人が名を連ねています。出版社は、一般社団法人の「まちライブラリー」で、大阪市中央区の住所になっていました。おそらく、この出版社の本を読むのは、始めてです。
 それでも、本そのものは私も好きですし、その本を使ってどのような町おこしをするのかにも興味はあります。しかも、新型コロナウイルス感染症が広まってから、人を集めて何かをするというのはなかなか難しく、そこも知りたい部分でした。著者のお一人、森田秀之さんは、「Stay home」で多くの方が感じたのは、「よりゆっくり、より近くへ、より曖味に」なったことではないでしょうか。と問いかけます。そして、「最初はみんな戸惑ったわけですが、それが次第に慣れていった。「うちにいなさい」といわれ、他者と共に過ごす場所というものが、実は自宅同様にすごく貴重だったと気づいたのではないか。まちライブラリーなども、他者と共に過ごす場所として、人々がすごく大切な場所だと感じるようになってきているのではないか。」といいます。
 たしかに、私自身にしても、今まではなるべく遠くへと思っていたのですが、それができなくなって始めて県内を旅するようになり、改めて近場の良さを感じることができました。きれいな景色も、美味しい食べ物も、みな近くにあると感じました。灯台もと暗しといいますが、まさにその通りでした。
 さらに一番身近なすぐ近くの小町山自然遊歩道をほぼ毎日歩くと、今まで気づかなかった自然の営みにも触れ、毎日カメラを持って出かけるようになりました。そして、いつの間にか写真がたくさんあるので、それを今年の春先に『小町山自然遊歩道の四季 ―2020年 不要不急の外出自粛の1年―』と題して、1冊の小冊子にまとめました。
 この本のなかで、奥多摩ブックフィールドメンバーの力徳裕子さんが、『「オントロジー」と言いますか、「書物」は、森の木と水でつくった紙に、人が文字を刻むことで成立しています。一書物―は風景と密接に関係していて、ここにはそれらがあります。実際に足を運んで、空気を感じて、本の世界に遊ぶ。非日常な時間の中で、心も身体もチューニングして、また日常に戻ってゆく。そんな場所になっていけばいいなと思っています。』と話していますが、考えてみればその通りです。
 「オントロジー」というのは、もともとは哲学の用語で、「存在」を意味しているそうですが、最近では、対象世界をどの様にとらえたかを記述するものという意味で使うことが多いようです。つまり、書物を森のなかの木と水と考えても、それほど違和感はないと思いました。ここ小町山自然遊歩道を歩いていても、植物図鑑に出てくるような植物もあれば、あまりにも一般的な植物で図鑑にも取りあげられないようなものまで、いろいろあります。
 私も本は大好きですから、「本の磁力で地域を変える」とか、兵庫県たつの市の認知症ライブラリーの「安心して認知症になれるまちを目指して」とか聞くと、なんかうれしくなります。みんなでなんとかすれば、「微力だけど無力じゃない」と思えます。
 下に抜き書きしたのは、橋爪紳也さんの「ブックツーリズム」のところに出てくる話です。
 これは一般の方々とともに、「本を媒介としてさまざまな目的で楽しむ場所をつないで旅をすることを提唱していきたい」という話しの後にでてきます。そういえば、私も旅のなかで本を読むことを楽しみにしている一人ですが、Bookにそのような意味があるとは考えもしませんでした。
(2021.11.9)

書名著者発行所発行日ISBN
ブックフェスタ礒井純充 他まちライブラリー2021年9月18日9784908696053

☆ Extract passages ☆

 原点に立ち返るならば、「Book」と「Tourism」という言葉には親和性があります。そもそも、「Book」という言葉は旅行用語でもあるのです。「Book」の語源はブナの木でできた紙のことを指し、それを束ねたものが「Book」です。そこから「Booking」という言葉ができました。記帳するという意味ですが、特に旅行の場合では、宿や乗り物を予約することも「Booking」と言います。……また、「Tourism」という言葉にするとまったく異なる響きになります。後ろに「ism」という言葉がありますので、一定の主義・主張をもって旅をすることを意味します。
(礒井純充 他 著『ブックフェスタ』より)




No.1990『植物たちのグリム童話』

 本の題名の「植物たちの」に惹かれて、読み始めました。監訳は井口富美子さん、編訳は吉澤康子さんと和爾桃子さんです。題名の前に「夜ふけに読みたい」とあり、なぜなんだろうと思いながら読んでいました。
 グリム童話は、「本当は怖いグリム童話」という本もあるぐらいですから、大人になって改めて読んでみると、たしかに怖いと思うところがあります。この本にも出てくる「灰かぶり」もそうですが、継母の2人の連れ子によるいじめが次々と続き、辛い日々を送ります。そしてシンデレラのようにお城での舞踏会で残された金色の靴を王子が持ってきて、その靴を履いた娘と結婚するというと、上の娘が履こうとしても親指が入らないので母親がナイフを渡し、自分で親指を切り落としたり、次は下の娘が履くとかかとが入らないのでそれを切り落としたり、最後の灰かぶりの娘が履くと、ぴったりと入り、目出度く結婚することになりました。ところが、それで終わりではなく、結婚式に出席した上の姉と下の姉は、行く時に2羽のハトに片方の目玉を突っつかれ、返りには残りの目玉も突っつかれて、とうとう一生目が見えないまま過ごすことになったそうです。
 たしかに意地悪をするのは悪いことですが、一生目が見えなくするというのも理不尽なような気がします。あるいは、「マレーン姫」の話しのように、7年間も光の入らない塔のなかに閉じ込められたり、このような話しがたくさん出てくるのがグリム童話です。
 でも、「本当の花嫁」の話しのなかには、「ふたりが菩提樹のそばを通りかかると、数えきれないほど蛍が群れています。菩提樹は枝を揺すって、かぐわしい香りを振りまきました。階段には花が咲き乱れ、部屋からは異国の鳥たちの歌声が聞こえてきます。大広間には宮廷の人々がみんな集まって並んでいます。花婿と本当の花嫁を結婚させるために、牧師さまもふたりを待っていました。」などという、おだやかできれいな描写もあり、つい、引き込まれながら読み終えました。
 この『植物たちのグリム童話』の前に、『動物たちのグリム童話』が出ているそうで、こちらも題名の前に「夜ふけに読みたい」とあるそうですから、いわば対になっているような本です。
 機会があれば、こちらも読んでみたいと思いました。
 今年の読書週間は10月27日から11月9日までですので、もう1冊ぐらいは読めそうです。だいぶ寒くなってきたので、ちょっと暖かくして本を読みながら、熱いコーヒーなど飲むと楽しい夜を過ごせます。  下に抜き書きしたのは、「訳者のあとがき」にあったもので、植物にもお国柄というのがあり、ヨーロッパでは花といえばバラを思い浮かべる方が多いといいます。でも、花を愛でるというのは、昔は王侯貴族が中心でしたから、今とはだいぶ違うように感じられました。
(2021.11.6)

書名著者発行所発行日ISBN
植物たちのグリム童話グリム兄弟 著平凡社2021年7月21日9784582838756

☆ Extract passages ☆

 それぞれの気候風土に合った動物と植物の両方がそろって初めて土地ならではの「顔」や「声」が完成するわけですが、元からいた野生動物や野草以外にも、人間がよそから連れてきて根づかせた動植物はたくさんあります。それらをひっくるめての土地柄あるいはお国柄と思っていただければ間違いないでしょう。……ただ、植物が与えるイメージは動物とやや違い、特に花はだいたい受け身の女性や恋愛などに関連付けて語られます。昔のコーロッパの宮廷では、「花園へ行きましょう」を、「わたしと恋をしましょう」という誘い文句に使ったそうで、ドイツ各地の宮廷でも、もちろん知られていたことでしよう。
(グリム兄弟 著『植物たちのグリム童話』より)




No.1989『不要不急』

 この本の著者は、横田南嶺・細川晋輔・藤田一照・阿(おか)純章・ネルケ無方・露の団姫(まるこ)・松島靖朗・白川密成・松本紹圭・南直哉の各氏です。同じような扱いになっているところを見ると、それぞれに原稿を寄せたもののようです。副題は「苦境と向き合う仏教の智慧」で、住職にある僧侶です。
 著者は、それぞれに活躍している方たちで、不要不急ということに対しても、いろいろな考え方があると思いました。
 一番、しっくりときたのは、細川晋輔さんの木の元だけが大事ではなく、それだけでは「山の林が幹や根だけでは貧相です。しっかりとした根本から伸びた枝葉は山を彩り、たくさんの生物を育んでいくのです。夏になれば木陰をつくり私たちに涼風をもたらしてくれます。また、秋には美しく色づき、私たちの目を潤してくれます。紅くなった葉は、冬になると落ちて肥料になり来たるべき春に備えてくれているのです。このように、私たちの身の回りにある「不要不急」と呼ばれるものは、私たちの人生に奥行きと彩りを与えてくれるものであったのです。」と話しています。
 考えてみれば、不要不急だから取るに足らないものではないと思います。むしろ、今回のコロナ禍があったからこそ、大きな気づきもあったと私は思っています。たとえば、旅行というと、なるべく遠くへと行きたいと思っていたのが行けなくなり、とうとう県外へ行くこともできにくくなりました。そこで、今年は湯殿山の丑年ご縁年なので、たまたま庄内の感染者がほとんどいなかったので、出羽三山をお参りできました。しかも、県民割りというのでだいぶ安くなるので、同じ旅館に2泊すると、時間もゆったりします。前々から食べてみたいと思っていた鶴岡の「アル・ケッチャーノ」で食べたら、旅館から夏旅クーポンをもらい、それで支払うことができました。
 旅行だけでなく、今までは一人で食事に行くとなんとなく心苦しかったのですが、お客さまが少なくなり、一人で行っても大歓迎です。そこで本を読んでいても、お客さまが少ないので、他の人の気になる視線もありません。
 もちろん、外出するときにはマスクをしてアルコールなどで手などの除菌し、感染予防に気を付けていますが、今までよりも一人でゆっくりと食事を楽しむようになったと思います。そして、ほとんど人のいない月山や蔵王、吾妻山など、山に上る機会も増え、歩くことでむしろ健康になったようです。山では、ロープウェイやリフトに乗り降りするときだけはマスクをしますが、誰も歩いていない山道ではマスクを外し、思いっきり深呼吸をしながら山の空気の美味しさを味わいました。
 おそらく、この新型コロナウイルス感染症とは、これからも長いつき合いになると思いますが、ワクチンを接種し、これから出るだろう治療薬があれば、そんなに怖がることもなくなるのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、阿(おか)純章さんの「要に急がず、不要に立ち止まる」のなかに書いてあったもので、私の問題は"私"であるということです。
 それを具体的に指し示したのがこの文章で、なるほどと思いました。そして、だいぶ前に、ある画家からバックを先に描くと聞き、そのことを思い出しました。私もほぼ毎日、植物の写真を撮っていますが、バックに不要なものが写り込むと、主題が際立ちません。だから、とても気になります。
 そういう意味では、白い紙に「私」と書くということは、すごく納得できました。
(2021.11.3)

書名著者発行所発行日ISBN
不要不急(新潮新書)10人新潮社2021年7月20日9784106109157

☆ Extract passages ☆

 白い紙に「私」と書いて見せて「何が見えますか」と尋ねれば、誰もが「私」という字が見えると答えるだろう。「私」と書いてある白い紙が見えるとは答えない。「私」と同時に白い部分も見ているはずなのに、「私」だけにとらわれてしまうと、その周りにある余白に気づかないのだ。「私」の生き方、「私」の利益、「私」の目的、「私」の評価……「私」ばかりで余白がないと、「私」にしばられてかえって窮屈な生き方になってしまう。
「私」にふりかかる様々な苦悩、ままならない人生を誰かのせいだ、社会のせいだ、政治のせいだと「私」の問題の原因を外に向けたがるが、よくよく考えると自分の周りにある世界と自分が分断対立していることに要因があって、「私」の問題はつきつめれば「私」が問題なのだ。「私」の周りには広大な余白があるのに、私たちはそれを不要不急として排除するような生き方をしてきてしまったのではないだろうか。
(10人 著『不要不急』より)




No.1988『アイルランド妖精物語』

 この本を読みたいというよりは、この本を出している「戎光祥(えびすこうしょう)出版」に先ず興味を持ちました。というのは、初めて聞く出版社で、ネットで調べてみると、歴史、城郭、神道などに関する書籍の出版・販売をしているそうです。さらに、鉄道やホビー、ミステリなど様々なジャンルの書籍も扱っているそうで、ただたんに私が知らなかっただけのようです。それでも、会社の名前からもわかるように、最初は祝詞(のりと)の解説書・例文集や、多様な神道の形態を信仰ごとにまとめた「神仏信仰事典シリーズ」などを出版していたそうで、それから神道文化や日本史を題材とする書籍も出版するようになってきたようです。
 それはさておき、アイルランドから日本に来た方に英会話を習ったことがあり、そのとき一緒だった女子高生たちが夏休みにアイルランドに語学研修に行ったことがあり、さまざまな話しを聞きました。たとえば、毎日ジャガイモ料理だったとか、妖精の話しもたしかそのときに聞いたような気がします。
 おもしろいと思ったのは「オシンと妖精の姫」というお話しで、フィオナ騎士団のオシンという騎士が狩りの獲物を運んでいるときに、常若の国の王の娘ニアヴが助けようと声をかけてきたそうです。その顔は「猪豚頭」なので一瞬ためらったそうですが、騎士は女性に恥をかかせるわけにいかないとして、手伝ってもらったそうです。でも、なかなか運べなくて、騎士団の他の方が助けにくるまでここで夜を明かすことにしました。そして、常若の国の王が娘の夫が王位を奪うと予言されたので、ニアヴの顔に魔法をかけて猪豚に変えてしまったそうです。しかし、フィオナ騎士団の誰かと結ばれたなら元通りの顔になると話したそうで、それならばと2人は落ち葉の褥で結ばれました。すると、金髪の真の顔があらわになり、海の向こうにある常若の国に案内することになり、そこは食べ物にも酒にも不自由なく、毎日がお祭りのようだったそうです。しかし、3年が過ぎたころ、オシンは分かれも告げずに来てしまったことが悔やまれ、なんどか戻りたいと話し、ここに来るときに乗ってきた白馬に乗り、その馬から下りないと約束し、地上に戻りました。ところが、なにもかもが深い草のなかに埋もれ、土地の者に聞いてもフィオナ騎士団のことも300年も昔の話しだといいます。そこで諦めて帰ろうとすると、道の真ん中に大きな石があり、村人たちが難儀をしていたので、巨人となったオシンはその岩を馬上からどかそうとしたら、鞍の腹帯が切れ、落馬してしまったそうです。地上に降りてしまったので、妖精の白馬はいななきながら帰ってしまったそうです。そして残されたのは、老いさらばれたオシンだけだったそうです。
 この話しを読んだときに、なぜか日本の「浦島太郎」を思い出しました。乙姫様と妖精の娘だし、海の中の竜宮城と海の先の常若の国、最後は一瞬にして老人になるというのも、なんとなく同じような話しです。つまり、妖精の物語も日本の童話も、ある意味では似通っているのかもしれないと思いました。
 たとえば、妖精学で「子供部屋の妖精」と分類するそうですが、「水辺の他にも、子供に悪さされたくない果樹園の花木の番人や、早くベッドに入らせたい親たちのための方便として妖精が生み出された。これらを「子供部屋の妖精」と妖精学では分類する。自分が子供の頃、遅くまで外で遊んでいると、ピエロがやって来て、サーカスに売られる、と脅されたが、人擢いピエロもまた彼らの仲間なのだろう。」とこの本に書いてあり、国が違っていても、子どもも大人もみな同じように考えるものだと感じました。
 下に抜き書きしたのは、第6章の「女神の乳房」の最後に書いてあったものです。
 たしかに妖精譚というのは、誰にでも見えたりするのではなく、そう思えるような人にしか感じ取れないようです。そして、アイルランドで最も著名なストーリーテラーの一人であるエディ・レニハン氏の本によると、「妖精や幽霊が消えた理由に、電灯、ラジオ、テレビと共に、便利な車の普及を上げている。徒歩や馬車であれば、そういう不可思議な場所は、ちゃんと不可思議な場所として私たちの前に現れる。しかし車では、あっと言う間に飛び去ってしまう。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 私は今、各地の三十三観音霊場をまわってお詣りしていますが、スコットランドの妖精が出そうなところは、日本にはまだまだあるというのを感じています。でも、スコットランドでは開発などでそういう場所がだんだんと消えてなくなっているそうですが、日本では霊場といわれるような場所をこれからも守っていければと痛切に思っています。
(2021.11.1)

書名著者発行所発行日ISBN
アイルランド妖精物語高畑吉男戎光祥出版2021年7月20日9784864033947

☆ Extract passages ☆

 妖精譚や物語は、何の役にも立たないかも知れない。けれど知っている、覚えているからといって、荷物になる訳ではない。何の道具も要らず、ただ語り、静かに耳を傾ければ違った世界を見せてくれる。物語を楽しむことは同時に、彼らがやって来られる隙間を心に持つことなのかも知れない。
 どうしても時間に追われ、効率を優先してしまいがちになるけれど、時には『便利な乗り物』から降りて、自分の足で『その土地』を歩いてみようと思った。
(高畑吉男 著『アイルランド妖精物語』より)




No.1987『日本人の忘れもの』

 今年の読書週間は第71回で、10月27日から11月9日までです。今回の標語は、「最後の頁を閉じた 違う私がいた」です。
 たしかに、いい本と出合うと、違う自分になれそうな気がします。だから、これからもいい本をたくさん読んでみたいと思っています。
 さて、この本ですが、2003年10月発売ですから、すでに20年近い年月を経ていますが、そのときでさえ忘れものがあるとすれば、さらに忘れたものが増えている可能性もあります。あるいは、そこで反省をして、むしろ思い出し改善されたものもあるかもしれません。10年一昔といいますから、その倍の時間が経ったとすれば、いろいろなことが変化しているはずです。たとえば、この本のなかで携帯電話のことが出ていますが、それがスマホになり、さらにその弊害が際立ってきているような気がします。
 また、郵政改革についても、たしかに良い面はありますが、成果優先になったことから保険などは不正がかなりあり、摘発された事案もありました。各地にあった郵便局もだいぶ整理され、僻地に住む人たちにとっては不便になったようです。もちろん、良いことがあれば悪いことがあるのも世の常ですが、みんなに良いことというのはほとんどないようです。それでもやらなければならないことはあり、私はこれ以上赤字国債を増やさず、少しでも減らす努力は必要だと感じています。
 この本はたまたま手に取っただけで、著者が衆議院議員だったことも第一次橋本内閣で農林水産大臣になったことも恥ずかしながら知りませんでした。
 読み始めのころは、ちょっと愚痴が多すぎるような気がしていましたが、政治とお金の話しや公務員のことになると、なるほどと思うところもあり、後から議員だったと知ったときには、なるほど、知り得る立場にあったんだと思いました。
 また、2002年の帝京大医学部事件を取りあげていますが、今年になってからも「帝京グループ」創業一族のお家騒動として話題になり、マスコミなどでは「学園」理事長の兄と「大学」トップの弟の間に生じた軋轢ではないかと書いています。でも、突き詰めればやはりお金の問題らしく、20年近く経っても変わらないこともあると感じました。
 しかし、大きく変わったこともあり、たとえばこの本の第3章の「民間自力の株価対策を」のなかで、株価が8千円を割り込もうとするという話しがありましたが、現在の株価は2万8千円を超えていて、先月には3万円の大台を超えたときもありました。考えてみると、株価というのは経済のひとつの指標ではありますが、これだけで景気が良いという判断はできません。この本のときには、株価を維持するためにも大きな減税をすべきだと経済団体から要望が出ていたようですが、著者は民間が自力で株式買取機構を作るべきではないかと提案していて、その当時でさえ巨額な赤字を国債の発行で穴埋めしていたのですから、将来に禍根を残さないためにもそれは必要だと思いました。
 また、自動車についてもいろいろと書いています。そして、自動車の排気ガスに含まれる窒素化合物や硫黄酸化物などが酸性雨の原因になるなどの指摘もありましたが、まさか今のような電気自動車の普及や自動運転などの開発など、その当時では予想もつかないことが起きています。
 このような本を読むと、その時代のことがわかるだけでなく、現在までのさまざまな変化を知ることで、今がよく見えてきます。
 また、第4章の「未来を占う」で、人口減少によりとくに若い労働者が少なくなり、大切な運送にたずさわるトラックの運転手にも事欠くだろうと書いていますが、今現実にイギリスではEUからの離脱や新型コロナウイルス感染症などの影響もあり、外国人の運転手が激減し、ガソリンを運ぶ車の手配さえできなくなり、多くの人たちがガソリンスタンドに並んでいる様子をテレビなどの報道で見ました。まさに危惧された問題ではなく、現実の大きな問題でもあります。
 この本のなかで、異質なのが「孫娘との対話」で、そのなかで「どうしてこんなにも可愛いのか、私にもわからない」と書いていますが、ちょうど同じ年頃の孫娘を持っているので、実感としてその気持ちがわかります。これだけは、無条件で賛成です。
 下に抜き書きしたのは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の、日本人に対する印象です。
 たしかに明治時代のころの「まつり」というものには、いろいろなつながりを保つ工夫があったと私も感じています。
(2021.10.30)

書名著者発行所発行日ISBN
日本人の忘れもの大原一三時事通信社2003年10月1日9784788703605

☆ Extract passages ☆

 彼の第一の指摘は、「家のまつり」「村のまつり」「国のまつり」を通じて、日本人は多神教的日本の伝統の中に日本人形成の土壌があるという。家のまつりを通じて祖先の霊魂の平安を祈ることは子孫の厳粛な義務で、それが家族の絆を強く結びつける。またむらの氏神の例祭には村人挙げて寄付を出し、神楽や踊りを催す。これは地域社会の意志が家の意志を補強して、ゆるやかな戒律が無意識のうちに家とむらの秩序を形成してきた。
(大原一三 著『日本人の忘れもの』より)




No.1986『自閉症の息子をめぐる大変だけどフツーの日々』

 子どもはみんなかわいいと思いながら、その子どもたちが大人になるとかわいさがなくなってきます。それが成長かもしれませんが、ある意味、寂しさもあります。
 でも、いくつになっても子どもらしさを失わない人たちもいて、それもひとつの個性ではないかと思っています。ただ、ご家族の方々は大変だろうなと思っていますが、この本の題名『自閉症の息子をめぐる大変だけどフツーの日々』をみて、大変だけどフツーだと知り、なるほどと思いました。
 著者は、読売新聞のヨミドクターを担当し、現在は編集長だそうで、そこに2020年1月から2021年1月まで連載していたコラム「アラサー目前! 自閉症の息子と父の防備録」全25回をもとに大幅な加筆をしたものだそうです。この「ヨミドクター」というのは、読売新聞の医療・健康・介護サイトです。
 この本を読んでいて、最初は大変だなあ、と思いましたが、少しずつその大変さのなかにもたくさんの喜びがあると感じるようになりました。また、家族の中でも、特に兄弟は微妙な関係だろうなと思っていましたが、心の奥底まではわかりませんが、それを当たり前として受け取っているようでした。ただ、このような家庭環境の知り合いがいますが、兄弟のなかでも男の子と女の子でもだいぶ違うようです。その女の子は、将来自分が世話をするということで看護師になりましたが、結婚して、それから先のことは会っていないのでわかりません。
 大変だと思ったのは、息子さん(ここでは「洋介」という仮名で出ています)のトイレの話しで、『「しまじろう」のビデオにあったトイレの歌を「卜、卜、卜、卜、トイレ……」と口ずさみながら、簡単にオムツを卒業して、トイレでできるようになった。それは他の子よりも早いくらいだったのだが、大人になった今は紙パンツをはいている。ステップを踏んで着実に成長していくのが一般的な子育てなのかもしにないが、障害のある子の場合には、必ずしも当てはまらない。これに直面した親は焦り、失望する。「こうした成長の仕方も個性であり、その子にとっては自然なことなのだ」と受け入れられるまでには時間がかかるものだ。』とあり、少しずつでもよくなるわけではないことを知りました。
 また、「小学校時代はストレスがあったのか、頭を自分でたたいたり、傷のかさぶたをはいだりと、自傷傾向が見られた時期もあり、朝には顔が血だらけだったこともある。ツバ飛ばしには長く悩まされ辟易したが、わが子が血だらけになることに比べれば、まだましだ。自分の頭をたたいて手足のかさぶたをはぐくらいなら、壁をたたいて壁紙をはいでくれたほうがいい。毎朝、うんちだらけになっていたとしても、あの血で赤黒くなった顔を思い出せば、全然気が楽に思える。きれいにすればいいだけのことだから。自傷の多い子の親御さんは、ほんとに大変だと思う。自分の頭を血が流れるまでたたき続けたり、壁に打ちつけ続けたり。自傷によって、さらに障害を負うことだってあるのだ。」と書いていて、部屋の壁紙がはがされてしまっても、うんちだらけになったとしても、自分の子が血だらけになった姿を見るより全然気楽だというから、すごい覚悟です。
 もし、自分だったらできるかといえば、なんとも返答のしようがありませんが、著者もいうように、このように思えるまでには、それ相当の時間がかかっているようです。だとすれば、わが子となれば、だんだんとそのような気持ちになっていくのかもしれません。この本のなかで、「子どもが親を選んで生まれてくる」という話が出ていましたが、たしかにそういう面もあるのではないかと思います。そして、その子どもといっしょに暮らしているうちに、さまざまな学びを経験し、共に成長するのかもしれません。さらに、その家族たちが住む地域の人たちとのつながりにも広がっていけば、大きな連帯感が生まれてくるような気がします。
 下に抜き書きしたのは、著者と小児科医の松永正訓氏の対談のなかで、松永氏が話した言葉です。
 たしかに障害児や障害者の自立にとっては、地域の大きな編み目のような共生社会が大切だと思いました。家族だけでなんとかしようと思っても、できることもあればできないこともあります。いろいろな意味で、これからのコロナ時代には、地域全体で見守るという流れをつくらないとダメではないかと思いました。
(2021.10.27)

書名著者発行所発行日ISBN
自閉症の息子をめぐる大変だけどフツーの日々梅崎正直中央公論新社2021年8月25日9784120054563

☆ Extract passages ☆

障害児って孤立して生きられないし、生きるべきでもない。できないことがあるから、人に助けてもらうことがあります。助けてもらうことで人と人のつながりが生まれ、それが共生社会だと思うんです。その中で生きることが、障害児、障害者にとっての自立だと僕は思っています。自立とはみんなと一緒に暮らすこと。自立と対極にある言葉は孤立なんです。
(梅崎正直 著『自閉症の息子をめぐる大変だけどフツーの日々』より)




No.1985『かわいい古代』

 著者は知らなかったのですが、発行所の光村推古書院は京都にいるときによく目にしていて、とくに写真集などでは有名でした。この表紙のかわいらしい造形を見て、読んでみたいと思いました。でも、知らず知らずのうちに与謝蕪村の「かわいい」からの流れのように感じました。
 この本は、2017年5月から2018年9月まで、中日新聞・東京新聞の毎水曜日夕刊に連載された「かわいい古代」67編に加筆・修正し、さらに4編の新しい原稿を加えたものだそうです。そういえば、東京国立博物館の平成館で2018年7月3日から9月2日まで開催された特別展「縄文―1万年の美の鼓動」を観ましたが、そのとき展示されていたものも、この本にいくつか取りあげられていました。
 やはり、目玉は国宝の火焔型土器(新潟県十日町市 笹山遺跡出土 縄文時代(中期) 前3,000〜前2,000年)で、この本では、「縄文土器で唯一の国宝である。縄文土器と言いながら、縄目文様は施されていないというのが、まことにユニーク。今から約5,300年前の信濃川中流域という限られた地域で、500年間だけ作られた。縄文土器と言えばこの土器が頭に浮かぶほど、インパクトは絶大である。土器の内側に焦げの痕があることから、実際に使っていたこともわかっている。」と説明されていました。
 この過剰な装飾の土器をほんとうに使ったのだろうかと展示されているのを見て思ったのですが、土器の内部に焦げの痕があるといいますから、やはり使ったのでしょう。使いにくいというよりは、使うと壊れやすそうなので、そちらの方がむしろ心配でした。
 そういえば、9月7日に蔵王温泉の「ル・ベール蔵王」に泊まりましたが、ここは岡本太郎の定宿だったらしく、フロント近くに直筆の大きな額が飾られていました。岡本太郎も、この縄文土器が好きだったらしく、「芸術は爆発だ!」と言いながら、このような火焔を描いていたのをテレビなどで見たことがあります。また、益子の島岡達三も縄文土器からヒントを得て作陶しましたが、私もその縄文の水指を持っています。
 考えてみれば、縄文時代は研究によると1万3千年以上も続いたといいますから、その流れを今も引き継いでいると考えても間違いではなさそうです。
 この本のなかで一番笑ったのは、「挙手人面土器」です。これは長野市片山遺跡から出土したもので、土器表面に浮かび上がるニコッと笑ったような顔と、土器の口縁部からウサギの耳のように上に伸び出た突起部分が腕で、しかもそこに手のひらまで作られているそうで、いかにも頭の上で「OKで〜す」といわんばかりの表情です。これを見れば、世の中すべて大丈夫ですよ、と言われているような気分になります。もちろん、文章だけではなかなか伝わらないので、もし機会があれば、この本を手に取り、見ていただければすぐわかります。ちなみに、その写真は111ページに載っています。
 下に抜き書きしたのは、「おわりに」のところに書いてあるもので、「かわいい」と「ユーモア」に溢れているというのがとくに印象的でした。
 日本人はあまりユーモアがないといわれますが、古代の人たちはこんなにもユーモアをもって暮らしてきたと考えれば、あながち大変だったことばかり強調することもないのではないかと思います。むしろ、これからの時代、生きるのが大変だからこそ、ユーモアをもって伸びやかにという姿勢が大切だと感じました。
(2021.10.25)

書名著者発行所発行日ISBN
かわいい古代譽田亜紀子光村推古書院2021年7月28日9784838106141

☆ Extract passages ☆

 自然に命を預けて生きていく縄文時代を経て、食料を生産することが可能になった弥生時代。代償として争いや貧富の差が生まれ、その社会が発展した形で倭と呼ばれた古墳時代は、東アジアの中で交渉と駆け引きを繰り返しながら列島の人々は生きてきました。どの時代も食糧不足の不安は尽きず、外的要因に翻弄されながら生きぎるを得ないのに、彼らが作り出したものは「かわいさ」と「ユーモア」に溶れているのです。
(譽田亜紀子 著『かわいい古代』より)




No.1984『与謝蕪村』

 与謝蕪村は俳人としてのほうが有名で、おそらく、「春の海 終日のたり のたりかな」や「菜の花や 月は東に 日は西に」、今の時期なら「山は暮れて 野は黄昏の すすきかな」などの句はつい口ずさみたくなるほど親しまれています。
 でも、あるとき、美術館で観た与謝蕪村の掛け物の絵がとても印象に残り、これは俳画とは違うのではないかと思いました。そして何度か観ているうちに、その親しみやすい画風に興味を持ちました。そして、この本を図書館で見つけ、即借りてきました。その副題が『「ぎこちない」を芸術にした画家』とあり、ますます読んでみたくなりました。
 この本は、なんとなく展覧会用の図録みたいで、写真も多く、解説もとてもわかりやすかったです。たとえば、私もこれが俳画かと疑問をもったことも、「俳句に簡単な絵を付けたのが俳画だという概念を、蕪村は変えてしまった。文字と絵は、画面の上で、それぞれの役割を超えて、ぎこちなく、頼りない線や形となって、一つのものと化している。そして、時に緩やかに、時にふわっと、時にどっしりとした造形の響きを奏でるのである。」と書いてあり、今流行の「へたうま」のはしりではないかとさえ思いました。
 たとえば、表紙絵になったうさぎの餅つきにも見える絵には、「涼しさに 麦を月夜の 卯兵衛哉」という俳句も添えられていて、さらにこのときの体験を絵と文で「涼しさに」自画賛として残っていて、この本にも写真が掲載されています。その解説を読むと、蕪村が28歳のころの夏に秋田県の九十九袋の里に泊まったときのこと、夜中にゴトゴトと音がするので外に出てみると美しい月夜だったそうです。その広いお寺の庭で宇兵衛さんという老人が昼間の暑さを避けてこの夜にムギを搗いていたと話したことで、この「涼しさに 麦を月夜の 卯兵衛哉」という句が生まれたということです。でも、この作品は蕪村50代から60代ころの作品だといいますから、その秋田のことを思い出してつくったということになります。
 ただし、このときに老人から聞いたのは「宇兵衛」なのに、俳句では「卯兵衛」とあり、私には詳しくはわかりませんが、「餅をつくウサギ」と「ムギを搗く宇兵衛さん」だから、「宇」を「卯」に変えてしまったのかもしれませんが、これだって、絵と文が添えられているからこその妙味です。
 与謝蕪村の生涯は、ほとんど知らなかったのですが、この本によると、1716(享保元)年、大阪市都島区の毛馬で生まれたそうで、20歳ころには江戸に出てきて、俳諧の道に進んだようです。そして27歳のとき、師匠の早野巴人が亡くなると北関東に移り、この間に松尾芭蕉の『奥の細道』の足跡を訪ねたり、上に記した秋田などにも行ったようです。そして36歳のときに京へ上り、3年後には丹後の宮津に移り住み、42歳の9月に京へ戻ったそうです。この「与謝」という姓は、丹後に与謝という地名があり、それにちなんで名乗るようになったとこの本には記されています。
 京に戻ってから、2年ぐらいは四国の讃岐に赴いた以外は、68歳で亡くなるまで、京で暮らしたようです。どこから絵を描き始めたかですが、絵はそうとう早くから独学で描いていたらしいのですが、蕪村独特のスタイルは京の後半期、50代の中頃からではないかとこの本には書いてありました。
 たしかに、同時代の絵師、たとえば池大雅や伊藤若冲などと違い、俳画とも見られるような独特のスタイルには味があります。この本を何度も見かえしましたが、それぞれになんとも言えないような雰囲気があり、楽しめました。
 下に抜き書きしたのは、最近でもよく使う「かわいい」という気持ちについてです。
 日本人は、このかわいいという言葉に、いろいろな意味を込めて使いますが、与謝蕪村の絵などにもその気持ちが込められているように思います。もし機会があったら、ぜひ手にしていただきたい本です。
(2021.10.24)

書名著者発行所発行日ISBN
与謝蕪村府中市美術館 編・著東京美術2021年3月13日9784808712037

☆ Extract passages ☆

 かわいいと思う気持ちは不思議なもので、何をそう思うかは人それぞれだし、現代では色々なものに対してこの言葉が使われている。ただ、一つ言えるのは、弱いもの、強くないもの、立派ではないものに心が吸い寄せられ、かわいいと思う、そういう原理のようなものがあるのは確からしいということだ。かわいい子犬をリアルに描いた円山応挙は、子犬という弱いものの姿をそのまま伝える絵を描いた。っまり、題材のかわいらしさから生まれた、かわいい絵である。だが、かわいいものの表現手法は、それだけではない。形の表し方そのものの弱さもまた、心を動かすのである。
 蕪村は、江戸時代の「かわいいもの描き」の中でも、その手法の名手だろう。
(府中市美術館 編・著『与謝蕪村』より)




No.1983『沖縄自然探検』

 この岩波ジュニア新書は、ジュニア向けということもあり、とてもわかりやすく、今まで10冊程度は読んでいます。私はまだ沖縄に行ったことがないし、今は新型コロナウイルス感染症の拡大でさまざまな規制があり行けそうもありませんが、いずれ収束したときには行ってみたいと思っています。ということで、先ずは行く前に沖縄のことを勉強しておこうと思って、この本を読むことにしました。
 この本では、沖縄本島はもちろんですが、その他に与那国島、石垣島、西表島、宮古島にも行きます。私が一番行きたいのは石垣島で、その理由は高校生のとき山岳部にいて、訓練のひとつとして天気図つくりがあり、ラジオの天気情報を聞きながらします。そのときの第一声が「石垣島、東南東の風、風力3……」などと石垣島から始まるのです。たいした理由ではありませんが、日本の南の果てというイメージがあり、そのころから行ってみたいと思っていました。ところが、屋久島までは行きましたが、その先の沖縄へも行ったことがありません。行政区分では種子島から与論島までは鹿児島県で、沖縄島以南の島々は沖縄県に属しているそうですから、つまり沖縄県にはまだ行ったことがないというわけです。
 この石垣島の白保のサンゴ礁は、世界的にも貴重なものだそうですが、ニュースなどでサンゴの白化現象というのを聞いたことがあります。この本で初めて知りましたが、「白化現象とは、サンゴの体内に共生している褐虫藻という藻類が体外に抜け出して、サンゴが自くなってしまう現象です。白化したサンゴは弱ってしまい、その状態が続くと死んでしまいます。」といい、だからこの白化現象が起こるとサンゴ礁が絶滅するので、大きな問題です。
 そういえば、この島で、大きなモダマという巨大なマメが紹介されていましたが、私は東南アジアでこのモダマを見たときには、ビックリしました。これは、あの「ジャックと豆の木」のモデルになったマメではないかとさえ思いました。これをお土産にとも考えましたが、私のスーツケースには収まりきらないので諦めました。
 それと、この石垣島にはジュゴンの伝説がいろいろと残っているそうですが、八重山諸島の新城島では、琉球王国時代には王府にジュゴンをとって税としておさめていたというから、これもビックリです。ということは、食べていたということでもあり、それほどたくさんのジュゴンがやってきていたということでもあります。
 どうも、石垣島のことばかりになってしまいましたが、この他にもいろいろな島々のことが書いてありますので、ぜひ自分でこの本を読んでいただきたいと思います。そうそう、この本は「ゲッチョ先生と行く 沖縄自然探検」ですが、このゲッチョ先生というのは、著者が埼玉の私立高校で理科教員をしていたときのあだ名だそうです。
 下に抜き書きしたのは、宮古島の先の池間島のアダンニーの浜でさまざまな漂着物と出合ったときの様子です。
 よく、おもしろい植物と出合うところは、浜辺か水辺かではないかといわれています。というのは、たとえば水辺だと上流からいろいろな種が流れてきて、その付近に定着するのです。だから、あまり上流まで歩いて行かなくても、いろいろな植物を見ることができます。それと同じなのが浜辺ですが、この場合は世界とつながっているので、思いがけない植物の種と出合うこともあります。まさに、植物のロマンではないかと思います。
 著者のおじさんは、西表島に行ったときに、海の上を水牛で渡れる由布島に行くかとレンタカー会社の人に聞かれたとき、行かないといい、そのときに子どもたち(あかりと太陽)に「有名な観光地なら、自分たちでも行けるだろう。だから、いつもどおり観光地は素通りさ。」と話したことがとても印象的でした。
 私も、どちらかというと、誰でも行く観光地をちょっとばかり敬遠する傾向があります。
(2021.10.21)

書名著者発行所発行日ISBN
沖縄自然探検(岩波ジュニア新書)盛口 満岩波書店2021年6月18日9784005009367

☆ Extract passages ☆

 浜には、漂着物がたくさん流れ着いていました。その中に、海流散布をする種たちもあります。ゴバンノアシ、モモタマナ、サキシマスオウノキ、サガリバナ、オキナワキョウチクトウ(ミフクラギ)、ククイノキ、ハスノミカズラ、ワニグチモダマ、アブラギリの仲間などなど。台湾から流れてきた丸っこい形のマテバシイのドングリが1つと、オニガシのドングリも1つありました。おじさんが予想していた以上に、いろいろな種が落ちています。
 あかりと太陽も、思わぬところで話がつながったので、あらためて漂着する種たちに興味をもつたようです。
(盛口 満 著『沖縄自然探検』より)




No.1982『ブックセラーズ・ダイアリー』

 副題が「スコットランド最大の古書店の1年」で、しばらく故郷のスコットランドを離れていて、帰省したときに立ち寄った老舗古書店「ザ・ブックショップ」を衝動買いしてしまい、その古書店の1年間の日記がこの本になったというわけです。
 本のところどころに寒いという話しが出てきますが、この古本屋さんのある場所はスコットランドのウィグタウンですが、私は2017年エジンバラに行ったことがあり、9月初旬なのにセーターを着ないと寒くて王立エジンバラ植物園のなかを歩けなかったことを思い出します。さらに郊外にある分園では、いくら歩いても汗をかくこともなく、そこのカフェで熱い紅茶がとても美味しかったことも思い出しました。
 このときは、エジンバラ市内の古書店で、シャクナゲのイラストがきれいな本を探し出し、買い求めました。今、部屋を見渡すと、旅先で買い求めた本があり、それらを見るとそのときの旅の様子まで思い出され、楽しんでいます。
 この本を読むと、2014年の日記ではありますが、さらに本屋さんも古書店も経営は大変になってきているようです。とくにアマゾンが出てきてからは、その影響が顕著で、この本のなかで、「過当競争が価格破壊を引き起こしたせいで、ネットの書籍販売は道楽か、広大な倉庫と破格の郵便料金契約をあわせ持った、ひと握りのプレーヤーが支配する巨大産業かの対極になってしまった。スケールメリットが支配する世界では、中小規模の業者が立ち向かうすべはない。そのすべての中心に位置するのはアマゾンだ。書店業界が抱える問題を全部そのせいにするわけにはいかないにせよ、誰にとってもアマゾンが状況を一変させてしまったことは確かだ。」と書いています。
 この当時は著者もアマゾンのネット販売をしていましたが、「エピローグ」を読むと、現在はやめてしまったようです。でも、古本屋を続けているところをみれば、少しは直接手にとって本を見るということや、キンドルなどを使う電子書籍などに対する否定的な見方などが広まっているようです。
 おもしろいと思ったのは、「個人の蔵書の買取価格を売り手と交渉しているあいだ、目の前に並んだ本は宝物のようにきらきらと輝いて見える。ところが値段が決まって握手を交わし、小切手がぼくの手を離れた瞬間、それはずっしり重たいだけの荷物に変わってしまう。箱に詰めて車に積み込み、降ろして仕分けし、ネツトに入力し、値札をつけて棚に並べるまで、投資した金はびた一文回収できない。」と書いていて、そのあとで「突然「仕事」になってしまうからだ」といいますが、私もそうだと思います。趣味というのは、たとえば植物が好きだといっても山草屋をすれば、おそらくそのような感情が生まれるのではないかと思います。それでも、著者は、過去にソーントンの『百合』のような稀覯本に出合ったりするから、この仕事がやめられないといいます。
 そういえば、私の知り合いの山草屋も、たまに珍しい植物が手に入ったりするので、それが楽しみで続けているということでしたが、それと似たようなものです。
 私もそうですが、自分が収集した本が、もし私がいなくなったらどうなるのだろうかと考えるときがありますが、おそらく、ブックオフなどで二束三文の値段で買い取られて終わりではないかと思います。自分の本は自分にとっては大事な宝物ですが、他の人にとっては単に重いだけの品物に過ぎません。かさばるので置き場所にも困ります。著者は本の買い取りに行って、「蔵書を撤去するということは、その人の存在を完全に破壊することでもある――どんな人間だったかという最後の証拠を自分が消してしまうわけだから。」と書いています。そして、そのことは、「子どもを亡くした親が、長い問子ども部屋に指一本触れずに残しておくように」するというのと同じ気持ちではないかといいます。
 たしかに、蔵書を見ると、その人の生き様や考え方などが色濃く表しているような気がします。だから、本当はこのような読書記録は残したくなかったのですが、若い人たちに少しでも本のおもしろさが伝わればいいと思いながら、これを書いてきたのです。
 下に抜き書きしたのは、6月18日水曜日のところに書いてあったものです。
 たしかに、私も整理せずに積み重ねてあったりすると、つい、そこを見てしまいます。これは本だけでなく、若いときによく通った骨董屋さんでも同じで、品物を持ち込んだ仲買人が帰るのを待って、値札を付ける前に見たものです。それは、何が入っているかわからない期待感からかもしれません。
 今では、ネットオークションですから、掲載された写真を見てしまうので、そのときのようなワクワク感はなくなりました。すべて昔の方がよかったとは思いませんが、人生に緊張感はあったような気がします。これは、もしかすると年のせいかもしれませんが。
(2021.10.18)

書名著者発行所発行日ISBN
ブックセラーズ・ダイアリーショーン・バイセル 著、矢倉尚子 訳白水社2021年8月10日9784560098554

☆ Extract passages ☆

 古書業者なら誰でも言うと思うが、たとえ十万冊の在庫がきちんと分類され、明るくて暖かい店の棚に整然と並んでいたとしても、照明もろくに当たらない暗くて寒い隅っこにまだ開けていない本の箱を置いておいたら、客はあっというまに見つけて漁り始める。未整理で値のついていないうぶ荷の磁力は強烈なのだ。もちろん格安の掘り出し物を見つけたいという期待もあると思うが、ぼくの見立てではそれ以上に、プレゼントを開けるときのわくわく感のようなものではないかと思う。
(ショーン・バイセル 著『ブックセラーズ・ダイアリー』より)




No.1981『ミャンマー政変』

 2021年2月1日、ミャンマー国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問らが高速されたというニュースを聞き、びっくりしました。私がミャンマーを訪ねたときには、まだ国軍が実権を握っているときで、ナマタン(Namataung)国立公園に入るのに国の許可だけではなく軍や地方の許可も必要でした。
 それが数年後には許可なしで入れるようになり、またいつかは行きたいと思っていましたが、このクーデターで先行きは不透明になりました。副題は「クーデターの深層を探る」で、なぜ起きたのかを知りたいと思いました。
 読んでみると、ミャンマーという国も複雑さがよくわかります。たとえば、ミャンマーには先住民族のリストがあるそうですが、現在のリストには、カチン、カヤ、カレン、チン、ビルマ、モン、ラカイン、シャンという8つの主要部族の下に、135もの民族が名を連ねているそうです。さらに数年前に問題になったロヒンギャは、もともとのミャンマー人ではないとして認めていません。つまり、ミャンマーは多民族国家で、「ワ自治管区」のように「ワ州連合軍」という兵力を持ち、中央政府や国軍さえも自由に立ち入ることのできないところもあるそうです。この本によれば、ここでは中国の援助を受け、中国の紙幣が使われ、商店の看板なども中国語が多いそうです。
 だから、これらの少数民族がそれぞれに軍事力も持っているとすれば、なかなか統一するのは大変です。さらに、ナマタン国立公園はバガンから西へ車で5時間ほどのところにあり、ここにチン州の最高峰ビクトリア山(地元ではMt. Nat Ma Taungといいます)は標高3,053mあり、ところどころに少数民族の集落があります。そこに、なんとキリスト教の教会がありました。なぜ、このような山奥に教会があるのかと尋ねると、イギリスの植民地だったときに、多数派のビルマ人をおさえるために少数民族を優遇する政策をとり、キリスト教も広めたそうです。だから、もとは上座部の仏教徒だったのがキリスト教徒になり、今も宗教の違いからくる考え方の相違があるといいます。
 スーチー氏は、2020年にロヒンギャ問題で適切な対応をしていないとして、サハロフ賞の受賞者としての活動資格を停止されましたが、今回のクーデターで4度目の自宅軟禁となり、いかなる活動もできなくなってしまいました。
 この本には、2021年2月1日にクーデターが起こる以前のことも書かれていて、ある意味、国軍がスーチー氏のNLDから今までの利得権益を次第に削がれつつあることもあったからとも書かれています。また、仏教徒とイスラム教徒との対立がSNSを使うようになったことで、さらに誹謗中傷されることで対立が深まったこともあるようです。ネットは真実を知るためには重要なアイテムですが、それを反社会的な使い方をすれば、止めどなく深味にはまり込んでしまいます。
 この本には、国軍のクーデター後に拘束されたフリージャーナリストの北角裕樹氏のことも書いてあり、4月18日夜に拘束される前にも拘束されたそうで、まさに懸命な取材をされていたことがわかります。5月14日に日本に戻ることができ、今でも日本国内でミャンマーの情報発信をしているそうです。
 下に抜き書きしたのは、「あとがき」に書いてあったものです。
 私にしてみれば、たった1回訪ねた国ではありますが、仏教国で、ある村に行ったときに、とても親切にしてもらったり、たくさんの思い出があります。それよりも、ビクトリア山頂で見た真っ赤なシャクナゲ、これはネパールなどにあるアルボレムと同じ仲間ですが、分類的には、ここにしか自生しないシャクナゲです。
 だから、今でもこのときに撮ってきたシャクナゲの写真を見て、楽しんでいます。そして、この写真を私の名刺にも印刷し使っています。
 ある意味、私の理想とするシャクナゲの1つであることは間違いありませんので、いつか、政情が安定したら、もう1度行ってみたい国でもあります。
(2021.10.15)

書名著者発行所発行日ISBN
ミャンマー政変(ちくま新書)北川成史筑摩書房2021年7月10日9784480074126

☆ Extract passages ☆

 21年2月1日早朝、クーデターの一報に触れたときには、不思議な感覚に包まれた。
 半分以上は驚き。残りの半分弱は「起きてしまったか」という、一歩引いたような気持ちだった。
 国軍が憲法上、特殊な地位にあり、総選挙後はNLD政権への不満を強めているという知識が頭にあった。ミャンマーにしろ、前年まで駐在していた隣国のタイにしろ、クーデターは過去に何度か起きていた。
 だが、ほどなくして、冷めて眺めていられるほど、状況は甘くないと痛感することになった。市民の強い反発に、国軍は妥協や反省を露ほども見せず、一方的に宣言した「非常事態」のもと、平和的な抗議活動でさえも、暴力で抑えつけはじめた。
(北川成史 著『ミャンマー政変』より)




No.1980『九十歳のラブレター』

 本の題名の意味がわからず読み始めましたが、「序 その朝に」であなた(妻)が亡くなられたところから話しが始まります。でも、「1 血のメーデー」を読んだだけで、これはあなたに捧げたラブレターだとわかりました。つい、この本を読んで、私の連れ合いにも読んでみたらと手渡したぐらいです。
 でも、いくら社会学者でいろいろな記録を残しているとしても、二人のことをこれだけしっかりと覚えているということはスゴイと思いました。むしろ、おぼえてしまうような楽しい出来事が多かったのかもしれないとさえ感じました。旅行だってそうですし、飛び切り美味しかったレストランでの食事などもそうです。いや、何気ない日常の細々としたことも書いてあるので、著者の性格なのかもしれません。
 そういえば、「23 妻は夫を」のところで、「ふたり、それぞれに不自由だからこそ、いっしょにいる歓喜と安心感があったのだ。あなたが逝ってしまったあと、ぼくたちのことをよく知っている看護婦さんが、「よく介護なさっていましたね」となぐさめてくれた。でも、なんべんでもくりかえすけれど、あれは「介護」というものではなかった。ぼくにとってあれはかけがえのない「よろこび」だったのである。あなたもきっと、おなじことをかんがえてくれていたにちがいない。だからごく自然に「妻は夫を……」というセリフがぼくたちの食卓の会話のなかにでてきたのであろう。」と書いています。
 この「妻は夫を……」というのは、食卓で著者が「妻は夫をいたわりつ……」という1節を口にしたら、そのあとをすぐに「夫は妻に慕いつつ」とつづけてくれたことを思い出してのことです。でも、この時代に生きてきたからこその話しで、今では浪曲など聴いたことがないという人だっています。つまり、その時代に生きてきたからからこその連帯感のようなものです。よく「歌は世につれ、世は歌につれ」といいますが、私も連れ合いといっしょに車に乗っているときなどは、昔のフォークソングなどをよく聴くようになりました。
 また、著者はこの文章の前に、お互いに病気をかかえながら支え合って、まさに「ふたりそろって一人前だなあ」と話していますが、だからこそ介護ではなく「よろこび」につながっていたようです。介護というと、助けてやっているという印象がありますが、互いに補い合っていると考えれば、まさにお互いの病気を助け合う仲間、著者の言葉でいうと「戦友」です。
 この本を読んで、このような夫婦はいいな、と思いました。同じような経験を重ね、同じように思い合い、同じ思い出を共有するからこそ、老後も楽しく暮らせるようです。つまり、接点の多い夫婦は、共通の楽しみもあります。それらが多ければ多いほど、このような『九十歳のラブレター』が書けるのかもしれません。
 最近は個性が大切だといいますが、二人寄り添う個性だってあるはずです。いや、二人がよければ、人にとやかく言われる筋合いはありません。一流の学者さんが、このように夫婦の日常を、ある意味、赤裸々に書いてくれると、あっ、似ているところがあると思ったりします。人って、違うようで、意外と似ているところもあります。最後の最後まで、このように思い続ける夫婦って、いいな、と率直に感じました。
 下に抜き書きしたのは、「24 ニンチごっこ」の1節です。
 先日読んだ本、No.1977『「脳が老化」する前に知っておきたいこと』の「はじめに」のところに、85歳以上の人の4割、90歳以上の人の6割、そして95歳以上の人の8割近くが認知症に罹患すると書かれていましたが、遅かれ早かれ、何れは認知症になるということです。
 だとすれば、このように「ニンチごっこ」にしてしまえば、楽しい老後が送れそうだと思いました。これはぜひ、参考にさせてもらいます。
(2021.10.12)

書名著者発行所発行日ISBN
九十歳のラブレター加藤秀俊新潮社2021年6月25日9784103541516

☆ Extract passages ☆

このことばをそのまま深刻につかうことにはおたがい抵抗があった。だから、そういう物忘れがあると、ふたりで「あ、 ニンチだ」といって笑い飛ばすことにした。だって、ふだんの暮らしにたいした実害があるわけではないではないか。先週おコメを買ったばかりなのに、今週も買う。べつだん困ったことではない。うちでふたりで暮らしているかぎリニンチは許容範囲であり、また、ごく自然な自作自演の喜劇のごとくであった。いろんなニンチで怒ったり、言い合ったり、不機嫌になったりすることもあったが、おおむね最終的には「あ、またニンチだ」と指さしあって、あはは、とおたがい笑ってすませた。
(加藤秀俊 著『九十歳のラブレター』より)




No.1979『宮本武蔵 五輪書』

 この「NHK100分de名著ブックス」シリーズは、とてもわかりやすく、先々月の8月にも『法華経 誰でもブッダになれる』を読みました。
 今回は、吉川英治著の『宮本武蔵』の影響が強すぎて、どこまで史実で、どこからが創作なのかがはっきりしないので、あまり読みたいとは思いませんでした。それでも『五輪書』には興味があり、いつかは読んでみたいと思っていました。それで、手始めにこの「NHK100分de名著ブックス」シリーズで基礎知識だけでもと思ったのです。
 読んでびっくりしたのは、考えれば当たり前かもしれませんけど、昔の刀の勝負は当然真剣ですから、生死がかかっています。武蔵は13歳から29歳までに60余度の勝負をして、一度も敗れていないということはすごいことです。あの有名な佐々木小次郎との戦いは、船の櫂を削った木刀で闘ったと吉川英治の『宮本武蔵』には書いてありますが、実際は4尺32寸余りの長さの木刀を準備して時間通りに行ったそうです。なぜかというと、小二郎は3尺の白刃を使っていたそうで、武蔵はこの刀の長さが勝敗を決すると考え、意表を突くと同時に、小二郎の長い剣の強みを消そうとしたと伝えられています。もちろん、木刀とはいえ、頭を一撃すれば一撃で絶命することもあります。それより、武蔵の相手を知ってさまざまな準備をするという姿勢こそ大切です。
 武蔵の剣術の稽古法は5つです。これは「形を覚えるのではなく、形の稽古によって大刀を遣う自分の感覚を磨くことが大事なのです。技の原理をつかんで稽古法を絞り込み、それを繰り返す中で自分の感覚を研ぎ澄ませていく。そのうえで、稽古したことが、実戦のあらゆる場合に有効となるように、不断に心掛けて工夫していく。こうして着実な鍛練を積み重ね、より自在に動けるように努力することこそ、武蔵が伝えようとした自己を磨きあげる極意なのです。」と書いていて、ここに武蔵の考え方が詰まっています。
 そもそもこの『五輪書』は、もともとは仏教の「地・水・火・風・空」という五輪からきていますが、武蔵のいう五輪とは、剣術だけでなく武士としての生き方に関わるものですから、それらを五巻に分けて考えていくという体裁をとっています。
 つまり、著者の考え方をそのままここに記すと、「「地の巻」では、自らの来歴を書くとともに、正しい道の地盤を固める巻として武士の道のあらましを示します。武士は剣術を基礎として道を学ぶが、兵法は剣術だけでなく、武家の法すべてに関わることを論じます。「水の巻」は、器に応じて変化し、一滴から大海にもなる水のイメージによって、兵法の核として、武士が常に鍛練しておくべき剣術の鍛練法を説いています。「火の巻」は、小さな火がたちまち大きく燃え広がるイメージによって、一人の剣術の戦い方の理論は、千人、万人の合戦にも応用できることを示します。「風の巻」は、「その家々の風」として他の流派について、その誤りを指摘して、自らの理論の正しさを確かめています。「空の巻」は、何事にもとらわれない空のイメージによりつつ、自らを絶えず省みながら鍛練を積み重ねていくことを説きます。道理を体得すれば道理にとらわれない自由な境地が開かれ、実の道に生きることができるとしています。」ということです。
 だからこそ、この『五輪書』をまとめたのは、寛永20(1643)年に岩戸山の霊巌洞にこもって起筆しますが、1年後に病気をし、細川藩で後援をしてもらっていた家老に説得され城下に戻り、看護を受けながら書き続け、正保2(1645)年5月19日に亡くなるまでの間に書いています。しかし、未完成ながらここまでとして、亡くなる7日ほど前に直弟子にこの『五輪書』を譲っています。そして、最後に自分の生涯を振り返り、21箇条の短文をまとめた『独行道』を記しています。
 下に抜き書きしたのは、著者が『五輪書』の内容をまとめたものです。
 これを読むと、宮本武蔵はつねに具体的に現実的に書いています。免許皆伝に与えるような書きものではなく、初心者でも絶えず修行や実践を繰り返していくことで身につけられるように書いています。だからこそ、今日まで『五輪書』が連綿と伝えられてきたような気がします。もちろん、今の時代にも応用できることがたくさん書かれています。やはり古典といわれる本には、今に伝えられるべきものがあるということです。
(2021.10.10)

書名著者発行所発行日ISBN
宮本武蔵 五輪書(NHK100分de名著ブックス)魚住孝至NHK出版2021年7月25日9784140818619

☆ Extract passages ☆

 日常生活から、隙のない全身一体の「生きたからだ」で動き、剣を取れば「太刀の道」に即して太刀を遣う。敵に対すれば、意識せずとも、予め「場のかち」を取り、常に戦いの主導権を握って、自らは一身なりも心も直にして」動き、逆に敵には無理な動きとなるように仕向けて崩していく。そうして敵の崩れが生じるや、即、意識せずとも正確な打ちが出る。「惣体自由」、すなわちからだは「やはらか」であり、伸びやかで「自由」であるが、その時々の状況や時節の拍子・勢いに適っているので、「おのづから打、おのづからあたる」――。
(魚住孝至 著『宮本武蔵 五輪書』より)




No.1978『頭が良くなる文化人類学』

 この本の題名を見て、なぜ文化人類学を学ぶと頭が良くなるのだろうと思いました。しかも副題は、「人・社会・自分」――人類最大の謎を探検する、とあり、ちょっと大げさかなとも思いました。
 でも、文化人類学には興味があり、新型コロナウイルス感染症が広がる前までは、植物や辺境の民の生活に関心があり、よく訪ねました。この本に出てくるところにも行ったことがあり、思い出したりしました。そういう意味では、とてもおもしろく読みました。
 「はじめに」にも書いてありますが、人というのは意外と常識にとらわれたり、当たり前だと疑わなかったりします。でも、そこに大きな落とし穴があるので、それを「やわらかいあたま」で「裏から斜めから、横から後ろから」光を当てようというのがこの本です。だから人類最大の謎を探検するという副題が生まれたようです。
 たとえば、人は命のある動物を食べることにはいささか抵抗があり、でも食べたいとすれば、何らかの方法を考えます。それが名前を変えるということで、「日本ではウシもブタもニワトリも食べるための家畜だ。その肉を定められた調理法に則って改変し、食卓に上らせてしまえば料理になる。名前もウシ丼ではなくギュウ丼、ブタカツではなくトンカツ、ニワトリツクネではなくトリツクネだ。つまリウシ、ブタ、ニワトリでは生きた動物、ギュウ、トン、トリにして初めて人が食べるべき食べ物になるというわけだ。英語でも、生きたウシはcow、bull、肉になるとbeefと区別するし、ブタも,pigとpork、ヒツジもsheepとmuttonで全く別名だ。と書いてあります。
 たしかに、日本だけでなく英語圏などでもほぼ同じようだと思いました。つまり、人は生きものを食べなければ生きていけませんから、それをいかに抵抗なく食べるかということで考え出されたのではないかと思いました。
 このような事例がたくさん載っていて、最近はあまりカードをつくらなくなっているのですが、今回は8枚ほどつくりました。それだけ、興味を引くことが書いてあつたということです。
 また、「自然界には、イヌの声も、ツクツクボウシの声も、ピューマの声も、雨の音も存在する。しかし、それをどう聞くかは、それぞれの民族の文化しだい。そして、いったんどう聞くベきかを学習させられると、その通りにしか聞こえなくなってしまうし、生活環境にない音は決めようがないから、聞こえてはいても、どういう音かはわからない、ということになる。つまり人は、虫の声も雨の音も、文化というアンプを通して聞いている。」とあり、たしかにそうだと思いました。9月12日のNHKの『ダーウィンが来た!』という番組で、「不思議いっぱい!鳴く虫の演奏会」というのがあり、日本で見られる鳴く虫は200種以上もあるそうです。しかも、昔から日本人に親しまれてきて、和歌などにもよく詠まれていますが、外国の人たちにとっては、これらの音はノイズにしか聞こえないそうです。この番組のなかでは、スズムシやコオロギなどの鳴く虫を商会していましたが、その音色を聞いているだけで秋の夜長の風情が感じられました。そして、小さな体で大きな音を出す巧妙な仕組みや恋にケンカに音を巧みに利用する驚きの生態も明らかにされ、食い入るように見てしまいました。
 やはり、これも長い間の日本人の築き上げてきた文化かもしれないと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第22講「実は、人は自分の出す音が大嫌いなのだ」に書いてある「なぜか植物分類学より細かく分類する民族がいる」に書いてあったものです。
 そういえば、これと同じようなものにイヌイットの人たちは白色を表すのに何10通りもの色名があると聞いたことがあります。これも、生活していくために必要だからそのようなことになったと考えれば、納得できます。
 まさに、世界にはいろいろな人たちが暮らしているとこの本を読んで思いました。
(2021.10.7)

書名著者発行所発行日ISBN
頭が良くなる文化人類学(光文社新書)斗鬼正一光文社2014年6月20日9784334038069

☆ Extract passages ☆

 ナバホインディアンは、植物名を1000以上持っている。さらにフィリピンの山岳民族ハヌノオ人は、植物のさまざまな部位や特性を表す語を150も持ち、それにもとづいた植物分類が1800種もあるという。……人はあらゆるものを分類して認識、記憶、伝達などを行うが、その分類は、それぞれの民族が独自に決めているし、どの程度細かく分類するかは、それぞれの民族の生活に即し、何を重要と考えたかによって違う。
(斗鬼正一 著『頭が良くなる文化人類学』より)




No.1977『「脳が老化」する前に知っておきたいこと』

 この本の「はじめに」のところで、85歳以上の人の4割、90歳以上の人の6割、そして95歳以上の人の8割近くが認知症に罹患すると書かれていて、まさに人生100歳時代を考えると、少しでも早めに「脳が老化」するというのはどういうことか知りたいと思いました。
 でも、知ったからといって回避できるわけではなさそうで、むしろそれと似たような「うつ病」になったら、これは治せるそうだから気を付けたに越したことはなさそうです。昔はボケ老人というと徘徊したり、訳のわからないことを口走ったり、ちょっとやっかいな印象がありましたが、最近ではそれに合わせた介護も進んでいるようです。
 よく身体の老化より、心の老化のほうが早くくると聴いたことがありますが、この本では40代ころからくる人もいるそうで、それはちょっと早すぎるのではないかと思いました。でも、著者は精神科医として30年以上も高齢者医療に携わっているそうで、臨床現場でたくさんの脳のCTやMRIを撮っていて、人間の脳で最初に老化が始まるのは前頭葉で、ここの萎縮は40代からその萎縮がわかるそうです。
 とはいえ、人によって心の老化というか、感情の老化というか、違うわけですから、なるべくそうならないように気を付けることはできます。著者の長年の経験では、幸せを感じつつ、楽しく趣味に没頭したり、身体を動かしたりして明るく楽しく日々を過ごすことで、免疫力も上がり、ガン化を押さえることもできるといいます。
 アメリカのペンシルベニア大学精神科のアーロン・ベック教授は、有名な「認知療法」を開発しましたが、弟子のフリーマンは「不適応思考の12パターン」を提唱したそうです。これはうつ病に罹りやすいということよりも、いろいろな意味で気を付けなければならないことばかりで、とても参考になると思い、ここに書き出すことにしました。
 その1は、「二分割思考」です。これは何でも「2項対立」的なとらえ方をしてしまうことで、たとえば「成功か失敗か」とか「敵か味方か」、「善か悪か」「白か黒か」というように、その結果を二分割させてしまうということです。2つ目は「過度の一般化」で、あるできごとが多くのなかの一例に過ぎないのに、それがいかにも一般的なものであるかのようにとらえ、その一事だけで決めつけてしまう考え方です。3つ目は「選択的抽出」で、複雑で多様な状況のなかで、「ある一面」だけを注目し、その他の側面を無視してしまう考え方です。4つ目は「肯定的な側面の否定」で、肯定的な側面であるのに、価値がないとかたいしたことがないなどと、否定的な見方をしてしまうことです。5つ目は「読心」で、接する相手の心の奥の気持ちや意図を自分勝手に決めつけてしまい、「この人はこういうことをするつもり」だと根拠もないのに勝手に解釈してしまうことです。6つ目は「占い」で、これから起こることについて、「否定的な予想」をして、自分でそれを事実ととらえてしまう」ような考え方です。7つ目は「「破局視」で、将来起こるできごとが破局すると決めつける考え方で、この本には世紀末になると、「隕石が地球に落ちて、人類のほとんどが滅亡する」という例がのっていて、このまま寝たきりになってしまうのではないかというのもこの破局視の思考だといいます。8つ目は「縮小視」で、おもに自分の行為を「自ら過小に評価する」ということです。9つ目は「情緒的理由づけ」で、すべてを情緒的に判断してしまい、「正しいか正しくないか」ではなく、「好きか嫌いか」が判断基準になっていて、そのことに気づかないときです。
 10は「べき思考」で、「〜すべきである」とか「〜でなければならない」という言い方とか考え方が支配しているときです。これは比較的わかりやすく、意外と普通の人でも陥りやすい思考法です。11は「レッテル貼り」で、あるできごとに「レッテル」を貼り、それだけで仕分けがすんだと考えてしまうことです。そうすると、いったんレッテルを貼ってしまうとそこだけにこだわり、客観的な判断はできなくなります。そして12は「自己関連づけ」で、自分という要因以外の複数の要因が関連しているのに、「自分が最大の要因だ」と考えてしまうことです。たしかに責任を感じることはいいでしょうが、それがすべて自分一人で背負い込むのはうつ的な気分の引き金になりやすいと著者はいいます。
 以上がフリーマンの「不適応思考の12パターン」ですが、これはうつ病予防だけでなく、常日頃に考えておかなければならないことばかりですので、ぜひ肝に銘じてほしいと思います。
 下に抜き書きしたのは、著者が茨城県のとある病院に依頼されて、月に2回、認知症の患者さんを診ていたそうですが、同じ頃に東京都内の高級住宅地にある病院の認知症の患者さんも診ていたので、その比較をしているところです。
 これを読んで、今の新型コロナウイルス感染症とあわせて考えると、これからは大都市より田舎のほうが暮らしやすいというのがはっきりとしてきたように思います。
(2021.10.4)

書名著者発行所発行日ISBN
「脳が老化」する前に知っておきたいこと(青春新書)和田秀樹青春出版社2019年6月15日9784413045711

☆ Extract passages ☆

茨城のほうは、ボケてきて、徘徊とまではいかなくても、近所で道に迷っている場合でも、近所の人が患者さんを見かけて、ああ、迷子になっているなと思うと、患者さんをその人の自宅まで連れて帰っくれていたのです。
 それに加えて、茨城の患者さんは、農業や漁業をずっとやっていて、ボケが始まっていても、それなりに仕事を続けている人が多いこともわかりました。
 それに対して、東京都内の認知症の患者さんの場合は違いました。当時はまだ、認知症の人がいたら近所に知られたくないという風潮だったため、患者さんを家に閉じ込めて、外に出さないようにしていることが多かったのです。
(和田秀樹 著『「脳が老化」する前に知っておきたいこと』より)




No.1976『種から種へ 命つながるお野菜の一生』

 著者の肩書きは「植物観察家」と書かれていて、ちょっと興味が湧いたので、プロフィールをみると、1986年生まれで、東京農業大学で造園学を学んだのち、青年海外協力隊として中国で2年間、砂漠緑化活動をしてきたようで、2018年にフリーの植物ガイドをしているそうです。
 だから、植物の専門家ということではないので、植物観察家という珍しい肩書きを使っているようです。もちろん、専門家や研究者より植物のことはとても詳しいという方を何人も知っていますが、これからはむしろ、この著者のような切り込み方もあっていいのではないかと思います。この本も、本当の研究者では思いつかないようなことがたくさん書かれていて、いかにも素人が知りたいことばかりです。
 そういえば、今年の9月初旬にミョウガの花がたくさん咲き、写真を撮りました。そこで、この本のなかに「みょうがのルーツには不明なことが多いのですが、分かっていることもあります。それは、日本で流通しているみょうがは遺伝情報を含む染色体の関係で、実や種が付きにくい種類なのだということ。なので、日本ではみょうかを種ではなく、地下茎を植えて増やします。たまに実がなったみょうがが見つかると新聞で取り上げられるくらい珍しい現象なので、わたしも毎年楽しみに観察していますが、まだお目にかかれたことがありません。」と書いてあるところを見つけました。でも、ここ小町山自然遊歩道にあるミョウガは、ここ数年、実がなるようです。その写真も撮っています。
 たしかに、ネットにその写真を掲載すると珍しいとか、初めて見たというメールが多いようです。そのときに調べたときには、「ごく稀に夏から秋にかけて温度が高い時に実を結ぶことがある」とあり、湿度が90%の日が1ヶ月ほど必要と書いてあるものもありました。ここは、湿度はかなりありますが、だからといって、なんども実がなるのはここの個体の特徴ではないかと思っています。
 また、著者が「おわりに」のところで、「人が関わっているものが野菜であるならば、野菜とは文化そのものであるとも言えるのではないでしょうか。それぞれの野菜には原産地があり野生植物として生きていたときがあります。人にとって有用だと思われた植物は、世界各地で選抜され交配され、その姿をどんどん変えていき、ついにはキャベツの結球のように、野生植物としては考えにくいつくりをした野菜まで生みだされたのです。品種改良の歴史には、多くの人の苦労や喜びがあったのだろうと想像できます。何気なく口にしている野菜は、当たり前に与えられているものではなく、先人たちが工夫して作り上げてきた文化そのものだったのだということに気付かされました。」と書いてあり、たとかに野菜は文化だと思いました。
 私もシャクナゲの交配をしているからわかりますが、交配というのは気の長い作業です。とくにシャクナゲの場合は、交配して種子を播き、そこから育った樹に花が咲くまでは、長いものだと20〜40年もかかります。でも、誰かがしなければ、新しいシャクナゲは生まれないのです。もちろん、野生種もいいですが、自分でいいと思う新しい種をつくるのも夢があります。この年になり、20代のころに播いたシャクナゲに花が咲くと、小躍りして喜びます。もう、それが良いとか悪いとかは問題外の話しで、咲いてくれたというだけで嬉しいものです。
 下に抜き書きしたのは、ゴーヤのツルについての話しです。夏になると、あの苦い野菜が食べたくなるから不思議ですが、日よけとしても人気で、最近は植えている人も多いようです。だからなのか、あちこちからいただく機会がありますが、自分では育てたことがありません。
 そのゴーヤのツルが途中でまく方向が変わるとは知りませんでした。やはり、植物たちは、動けないので、それなりの生きる工夫をいろいろとしているようです。
 もし、見つけたら、ぜひそのツルを見てみたいと思います。
(2021.10.2)

書名著者発行所発行日ISBN
種から種へ 命つながるお野菜の一生鈴木 純雷鳥社2021年6月22日9784844137764

☆ Extract passages ☆

 ほら! 途中でつるのまく方向が変わっているのが分かるでしょうか?
 これはゴーヤーに限らずつる性の植物がよく行う方法で、つるのまく向きを途中で変えることによって、引っ張られる力に強くなり、かつ戻る力も増すことになるのだとか。
 先ほどのきゅうりのつるも、よく見ると途中でまく向きが変わっていました。こんなところにも工夫が仕込まれているのですね。
(鈴木 純 著『種から種へ 命つながるお野菜の一生』より)




No.1975『霊長類ヒト科動物図鑑』

 だいぶ前に図書館から借りてきて読んではみたものの、仕事がいそがしくなり途中で返しました。ところが、また図書館で本を探していると、今年の7月22日に購入したというゴム印が押され、しかも真新しい感じなので、改めて読んでみることにしました。
 やはり、女性の目線は違うと思ったり、さすがは脚本家だと感じるところがあったりして、楽しく読むことができました。私はほとんど最後に書いてある「解説」を読まないのですが、たまたま今回は吉田篤弘さんの解説を読むと、なるほどと思いました。それは、「本書は小説集でもなければ、ドラマのシナリオ集でもない。けれども、向田さんのどの作品よりも、「到らぬ人間の到らぬドラマ」のエッセンスが惜しみなく注がれているように思う。しかも、多くの場面において、主人公は向田邦子なのである。いかに自分がすべって転んできたかを、身をもって、巧みに声色を変えながら演じている。本書を読んだときに向田さんの声を感じるのは、そうした理由によるものかもしれない。」とあり、これからは「解説」も読まなければと思いました。
この本のなかで、これは怖いと思ったのは、「ヒコーキ」に書いて会った文章で「私は、生れてはじめて飛行機に乗ったとき、あれは25年くらい前に、たしか大阪へ行くときだったが、友人がこういうはなしをしてくれた。いざ離陸というのでプロペラが廻り出した。一人の乗客が急にまっ青な顔になり、「急用を思い出した。おろしてくれ」と騒ぎ出した。「今からおろすわけにはゆきません」。とめるスチュワーデスを殴り倒さんばかりにして客はおろしてくれ、おろせと大暴れして、遂に力ずくで下りていった。そのあと飛行機は飛び立ったが、離陸後すぐにエンジンの故障で墜落した。客は元戦闘機のパイロットであった。」とあり、こんな場面に自分が立ち会ったら怖いだろうなというか、死んでいたかもしれません。
 これはプロペラ機ですし、今ではスチュワーデスという言葉もほとんど使われなくなりましから、そうとう昔の話しですが、もし、何度もプロペラ機に乗ったマダガスカルに行く前だったら、離陸するときには身体がこわばったと思います。現在は新型コロナウイルス感染症の影響で、昨年からまったく飛行機に乗っていないので怖くはありませんが、やはりヒトというのは、いろいろなことがあるから怖いし、おもしろいようです。
 今年は郵政創業150年を記念して、ポストにデコレーションがされていますが、この本のなかで「ポストには、さまざまな人生がつまっている。運命や喜怒哀楽や決断や後悔が、四角い薄い形になってつまっている。雑駁な街のなかで、あそこだけにはまだ夢が残っているような気がしている。」と書いてあり、さすがドラマのシナリオみたいだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「浮気」に書いてあったものですが、いつも買いものをしているこじんまりとしたお店の前を、別な有名なお店の袋を提げて通るときの気持ちのようだと表現しています。そういえば、私も成り行きでたまたま別な床屋さんで整髪をしてもらい、いつもいっている床屋さんの前を通らなければならなかったときなどに、そのような思いを感じたことがありました。しかも、またいつもの床屋さんに行くのが恥ずかしいのか、つい、たまたま行った床屋さんの常連になったこともあります。
 若いときって、感情だけでは割り切れないものがあります。
(2021.9.30)

書名著者発行所発行日ISBN
霊長類ヒト科動物図鑑(文春文庫)向田邦子文藝春秋2014年7月10日9784167901417

☆ Extract passages ☆

 有名のほうで、3千円だか4千円を買い、小ぢんまりのほうは100円か120円のものしか買わない。申しわけなさに身を縮めることもあるし、どこで買おうと客の自由じゃないか、卑屈になることはないんだと、チクリと痛い分だけわざと平気を装ったりする。浮気をして帰った人間が、うしろめたい分だけカラ威張りをする気持がすこし判るのもこんなときである。
(向田邦子 著『霊長類ヒト科動物図鑑』より)




No.1974『日々翻訳ざんげ』

 この本は、もともとは翻訳者ネットワーク『アメリア』2017年7月から2020年9月まで掲載されていたものをまとめたもので、翻訳という仕事がわからなかったので読むことにしました。ところが、意外とおもしろくて、翻訳という仕事もなかなか大変ですが、興味を持ちました。とくに語学が堪能だと思いがちですが、著者自身はそうでもなかったというので、とても馴染みやすく感じました。
 副題は「エンタメ翻訳この40年」で、やはり翻訳の世界も流れはあるそうです。だから新訳というのが出てくるようで、以前使われていた言葉があまり使われなくなったり、特に差別用語とかなどについてはけっこう気を遣うようです。そういう意味では、著者がいうように、「同じものを10人が訳せば、10通りの訳ができあがるように、同じ人間が同じものを10回訳しても10通りの訳になるのではないか。翻訳というのはつくづく一過性であり、″生木のようにくすぶり続ける"ことを宿命づけられているものだと思う。」というものらしいです。
 たしかに、明治時代に翻訳されたものは古文調のようですし、昭和の時代に翻訳されたものは、やはりそれらしい雰囲気を持っています。だからこそ、その時代にあった新訳が生まれてくるようで、そのほうが読みやすいようです。
 この本を読んでいて、翻訳者が迷うののに「は」と「が」の使い方もあると知り、これは翻訳者だけではなく、ありふれた文章を書く場合などでも同じです。参考になると思うので、ここに抜書きしますが、「は」と「が」の問題は、「日本語表現の永遠のテーマのように思うが、その使い分けについて私は次のふたつの定義を一番のよりどころにしている。ひとつは国語学者、大野晋先生の有名な定義、未知の主語には「が」がつき、既知の主語には「は」がつくというやつ。……もうひとつは(正確な引用でなくて申しわけないのだが)作家の井上ひさし氏の「は」はやさしく提示し、「が」は鋭く提示するというものだ。」と書いています。もし迷ったときには、このふたつの定義を思い出せばだいたい解決できるそうです。
 たしかに、私もときどき迷うことがあり、とても参考になりますが、もし現在のようなインターネット社会ではないときには、翻訳する作業も大変だったと思います。編集者にお願いして、電話やファックスで確認したこともあるそうですが、今はほとんどがメールだそうです。たまたま昔の質問リストを見なおしてみると、ほとんどがネットで解決できるそうで、もし行ったことがない場所でも、Googleマップですぐに確認できます。これは私も使っていますが、帰国してから不明なところがあれば、ネットで確認すると、ほぼそれだけで理解できます。今では、図書館に通うことも、百科事典に頼ることもありません。地図帳だって、あまり開く機会がなく、過去に行ったところも日にちさえもGoogleマップで思い出したりします。
 でも、著者は、「楽になったかというと疑問符がつく」といい、楽になったぶん、何かを失ってしまった気がしないわけではないと書いています。もちろん、なんでもそうですが、便利になればそれにともなって失うものもいろいろあります。
 下に抜き書きしたのは、翻訳についての話しです。たしかに、翻訳をするには、そうとう精読しなければならず、しかも何度も何度も読み返さなければできないと思います。
 だとすれば、この言葉は翻訳者にすれば当たり前の話しだと思いますが、何気なく翻訳本を読んでいる私たちにしてみれば、納得できることです。次に翻訳本を読むときには、この『日々翻訳ざんげ』に書かれていることを思い出しながら、じっくりと読んでみたいと思います。
(2021.9.28)

書名著者発行所発行日ISBN
日々翻訳ざんげ田口俊樹本の雑誌社2021年2月20日9784860114558

☆ Extract passages ☆

翻訳というのはある意味、究極の精読である。だからたいていの場合、訳者は(当否は別にして)われこそ原書の一番の理解者だといつたぐらいの自負を持っているものだ。
(田口俊樹 著『日々翻訳ざんげ』より)




No.1973『理系研究者の「実験メシ」』

 理系そのものは好きですし、そのような考え方も大切だと思っています。この実験メシも、やはり理系研究者でないと考えつかないようで、副題が「科学の力で解決! 食にまつわる疑問」です。
 とはいえ、理系というと、きっちりと理論的に推し進めるという印象がありますが、著者はそうでもないようです。「実験メシ」とはいえ、第5章の「ポケットポップコーン」では、たった1個のポップコーンをつくることになりますが、いくら実験とはいえ、ポップコーンをたった1個を口に運ぶ人はほとんどいないと思います。それでは味わいもないし、たくさん放り込んで口のなかでもぐもぐと食べるから食べ応えがあるのです。もちろん、世界最小の調理器具ということで実験するのですから、ある意味、仕方のないことですが、それって実用的じゃないよなと思います。むしろ、研究者ならポケットに入るぐらいの調理器具で、防災の時などにしっかりと使えるものを発明してもらいたいと思います。
 それでも、著者のちょっとボタンのかけ違いのような実験は楽しくおもしろく、つい読んでしまいました。
 たとえば、自転車に乗って、そのついでにバターをつくろうという第6章「自転車バター」では、もともと研究室であまり動かずに実験などをしているから太り始めたのが原因で、少しは以前に乗っていた自転車にでも乗って運動したらということから始まります。でも、ただ乗るだけではつまらないから、乗りながらバターをつくれないかと考えます。
 さすが研究者ですから、バターはどうやってつくれるかを考えます。それは、生クリームがバターになる理屈は「クリームの中には脂肪が入っている。その脂肪はうすい膜で覆われていて、振ると、膜が破れて、中の脂肪どうしがつながる。さらに振ると、脂肪がつながって、間に空気が入った状態になる。この状態がホイップクリームである。さらに振り続けると、水分が離れて、さらに脂肪どうしがくっつく。これがバターの状態である。」といい、著者も最初は生クリームからホイツプクリームになり、最終的にバターになることは知らなかったそうです。もちろん、私も知らなかったのですが、研究者だからなんでも知っているわけではなく、知らないことをすぐ調べるということが大切です。
 今は、ネットでいくらでも調べることはできるので、私のような素人にも便利ですが、昔の研究者は、図書館や資料室に通っていろいろなことを調べたと考えると、時間がいくらあっても足りなかったのではないかと想像します。
 そういえば、No.1964『国語辞典を食べ歩く』のなかで、醍醐、つまり熟酥から最上の醍醐をとるという説明がありますが、これは涅槃経の聖行品のなかにあり、「牛より乳をとり、その乳から酪(バター)をつくり、また酪から生酥(しょうそ)をつくり、さらに生酥からは熟酥(じゅくそ)を採り終に熟酥から最上の醍醐をとる、この醍醐を服用するとどんな病気でもたちどころによくなる」と説かれていて、つまり「この経の意味をもって薬師如来が両手にささげておられる宝の壺のなかには醍醐がはいっているとされる」と書かれていますが、このバターつくりの方法も、おそらくは最初はこのようなことだったのではないかと思いました。
 つまり、研究というのは実用的だけでなく、まさかこんなことがという意外性も大切なことで、自転車に乗りながらバターをつくることだって、もしかして災害の時につかう手回しライトのように、必要になるのかもしれないと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「コラム8」に書いてあったもので、よく「身体に悪いものほどおいしい」という法則について、書いてあるところです。
 たしかに、身体に必要なものほどおいしく感じないと、それほど食べたいという気力も薄れるので、そのように進化してきたのだろうと私も思います。ただ、おいしいからといって、たくさん食べるから、結果的には成人病になりやすく、身体に悪いということになります。つまり、世のなかは、なんでも「ほどほど」が一番だと思いました。
(2021.9.25)

書名著者発行所発行日ISBN
理系研究者の「実験メシ」(光文社新書)松尾祐一光文社2021年5月30日9784334045425

☆ Extract passages ☆

僕たちの体を作る材料やエネルギーを、僕たちは食べもので得ているわけだが……、生命の維持に必要なエネルギーや細胞などの素材、そして遺伝物質DNAの材料は、脂質、糖質、タンパク質などにはかならず、これらを多く合む食品はステーキやラーメンやアイスクリームであったりするわけだ。具体的な例を挙げるとすると、細胞の骨格や、生命活動に必要な酵素を作るタンパク質は、アミノ酸が結合して作られているが、このアミノ酸自体がそもそも旨味を感じられるようにできている。アミノ酸の一つにグルタミン酸があるが、これは「味の素」に代表される旨味調味料の原料そのものだ。脂っこい、甘いものが体に悪いというのは、摂り過ぎる場合なのである。
(松尾祐一 著『理系研究者の「実験メシ」』より)




No.1972『弘法大師の世界 諡号下賜1100年』

 以前はよく「太陽」を読むというか、見ていましたが、近ごろは何度かみたことのある企画が多く、つい本屋さんでパラパラと開いてみるだけでした。
 しかし、今回の「別冊太陽」は弘法大師の世界で、しかも弘法大師の諡号を下賜されてから1100年という節目の年なので、もう1度しっかりと触れてみたいと思いました。さらに、2017年2月28日から3月15日まで、四国88ヵ所をお詣りしてきたこともあり、その札所霊場などの写真もあり、つい懐かしくなったこともあります。
 さらにこの弘法大師という諡号を醍醐天皇に上奏したのが、醍醐寺の観賢僧正であり、そのいきさつも書いてありました。それによると、「空海への大師号は、延喜18年(918)10月と同21年10月の2度にわたる東寺長者観賢の上奏により、醍醐天皇より下賜されました。なお、観賢がお願いしたのは「本覚大師」でした。なぜ、大師号がこの時期に上奏され、下賜されたのでしょうか。大師号の下賜に中心的な役割を果たした人物が3人います。観賢と寛平法皇(宇多天皇)と醍醐天皇です。最初の上奏から下賜されるまでの3年間で、この3名がかかわった最大の出来事は、「三十帖策子」の回収とその天覧でした。「三十帖策子」は、在唐中の空海が経典・儀軌など150部を筆録した枡形の小冊子で、東寺経蔵に秘蔵されていました。貞観18年(876)、空海の甥にあたる真然が高野山に持ち出して弟子の寿長・無空へと伝え、延喜16年6月、随身していた無空が山城国囲提寺で亡くなったあと、無空の弟子たちが分散所持していました。このままでは根本の法文が空しく散逸してしまうとの報告を受けた醍醐天皇は、その回収を観賢に命じます。すべてを回収できなかった観賢は、寛平法皇のカをかりて全部を回収し、延喜18年3月、天覧に供しました。醍醐天皇は翌19年11月、「策子」を収納する革筥を贈り、東寺経蔵に秘蔵することを命じたのでした。この天覧の場には、寛平法皇も臨席されていたでしょう。「策子」を目にし、空海の入唐のご労苦を偲ぶとともに、その大いなる恩恵を語るなかで、大師号のことが話題になったのではなかつたでしょうか。」と書いていて、ちょっと長い引用になりましたが、このつながりこそが大切だと思ったからです。
 現在は、この「三十帖策子」と皮筥は、京都の仁和寺に蔵されているそうです。それにしても、現在まで大切に全てがそのままで残っているというのは、とても素晴らしいことです。
 実際、空海の入唐するまでのことではっきりわかっていることは5つしかないそうです。
@延暦7年(788)、15歳、舅の阿刀大足(あとのおおたり)について本格的に勉学を始めたこと。
A延暦10年(791)、18歳、都にあった大学の明経科に人学したこと。
Bほどなくして、1人の沙門から虚空蔵求聞持法を授けられ、一心に修して神秘体験を得たこと。
C延暦16年(797)、24歳、『聾瞽指帰』1巻(のちに『三教指帰』と改題)を著して仏道に進むことを宣言したこと。
D延暦22年(803)、30歳、遣唐使船に乗りこむ直前、得度・受戒をすませて正式の僧となったこと。
 の5つです。特に15歳以前のことはほとんどわからないそうです。そういえば、唐から帰ってきてからもわからない空白期間があり、ある意味、だからこそ全国に弘法大師伝説があるのかもしれません。
 そういえば、2017年に四国88ヵ所をお詣りしたとき、巡礼の案内書には「倶舎論」などにあるように88の煩悩をお遍路をすることにより1つずつ消滅させていて修行ですというようなことが書かれていました。そこで、この本にはどのように書かれているかと思い読んでみると、定説はなく、「釈尊の舎利をまつったインドの八大霊塔に出来するという説、厄年(男性42、女性33、子ども13)の合計説、『三十五仏名礼懺文』の35仏と『観薬王薬上二菩薩経』の53仏を足した数とする説、熊野九十九王子の影響説、「米」字を分解したという説など」があると列記していました。私は、どちらかというと、88という数字に永遠性を持たせているのかと思っています。
 下に抜き書きしたのは、大師号の「弘法」という意味について書いてあるところです。
 ここでは、恵果和尚との関係で取りあげられていて、なるほどと納得できました。ぜひ、読んでいただければと思います。
(2021.9.22)

書名著者発行所発行日ISBN
弘法大師の世界 諡号下賜1100年(別冊 太陽)竹内孝善 監修平凡社2021年7月18日9784582922905

☆ Extract passages ☆

「弘法利入」は、空海が師・恵果和尚の人となりを記した場面で、和尚のただ1つの願いは「弘法利入」であったといっています。「弘法利入の至願」は、弘仁6年(815)4月、帰国後ちょうど10年、機縁の熟するのを俟ち、満を持して密教をわが国に広め定着させる運動を本格的に始めるにあたって書いた『勧縁疏』に見られます。そこでは「いま、この最勝最妙なる密教の教えを弘め人々を救いたい、ただそのことだけを願って、特にご縁のある方々に密教経論を書写する助力をお願いしたい」といっているのです。
 困難に出遭ったとき、空海が必ず指針とされたのが恵果和尚の人となりであり、その言葉でした。
(竹内孝善 監修『弘法大師の世界 諡号下賜1100年』より)




No.1971『誰も知らないとっておきの 世界遺産ベスト100』

 この本の52番目の「1000年栄える、海に臨む断崖絶壁の5つの村」を読んでいて、8月15日に放映されたTBS「世界遺産」で見たイタリアの「アマルフィ海岸」を思い出しました。同じイタリアだし、写真を見ると、テレビで見たような海際に立ち並ぶ建物がとても似ていました。しかし、この本に取りあげられていたのはイタリアのリグーリア州にあるポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群で、リグーリア海に面しているところだそうです。
 ちなみに、「アマルフィ海岸」というのは、ナポリに近いソレント半島の30qにわたる海岸で、テレビで見たのですが、険しい断崖に張り付くようにしてカラフルな建物が林立していました。ここはイタリアでも人気のリゾート地で、雄大な海岸もあり、切り立った山々もあり、そこは絶景トレッキングルートでもあるようです。
 一方、この本に出てくる海に臨む断崖絶壁の5つの村は、1980年代までは訳1000年の間、船でしか行けないような陸の孤島だったそうです。しかも、ポルトヴェネーレは詩人のバイロンが絶賛した「詩人たちの入り江」と呼ばれる小さな港町で、だからこそ、あまりかわらない風景を保ち続けてこれたのかもしれません。
 そういう意味では、たしかに、この本の題名にある『誰も知らないとっておきの 世界遺産ベスト100』も、なるほどと思いました。
 この本に出てくる世界遺産で、私のいったことのあるところは少なく、そのなかでも、特に印象に残っているのはミャンマーのバガンです。ここには2013年3月5日に行ったのですが、大きなシュエサンドーパゴダに上り、遠くを流れるイラワジ川に落ちる真っ赤な夕陽を見たことが思い出されます。この本を読むと、現在では高さ60mのバガン・ビューイングタワーの屋上から見ることができるそうですが、実際にパゴダに上り、下るときの怖さを味わったからこそ、思い出に残っているのかもしれません。
 この本を読むと、自分で歩かないと見ることができない世界遺産がけっこうあるようです。なかには、ハンガリーのホルトバージ国立公園のように、園内は車の使用が禁止されているので、12人乗りの馬車に揺られて見なければならないところや、カナダとアメリカ合衆国にまたがるウォータートン・グレーシャー国際平和国立公園のように公園北東部のメニーグレーシャーからグリンネル氷河まで往復5〜7時間のハイキングをしなければならないところもあるようです。
 だとすれば、この本に出てくる世界遺産を巡るには、お金も必要ですが体力だってなければできないようです。
 2021年6月現在の世界遺産は1121件だそうです。そのうち文化遺産が869件(78%)、自然遺産は213件(19%)、複合遺産は39件(3%)ですから、文化遺産が圧倒的に多いようです。私は、どちらかというと自然遺産のほうが好きなので、さらに体力が必要です。
 そういえば、この本のペルーのワスカラン国立公園の説明の中で、プヤ・ライモンディの花の話しが出てきますが、これは標高4千を超こえるアンデス山脈のボリビアからペルーにかけて生えるパイナップル科の植物です。葉の部分は幅や高さが4mほどの球形になるのに70〜100年ほどかかります。そして開花が近づくと地表から最大で12mにもなる花茎を伸ばし、たくさんの花を咲かせますが、花が咲くと枯れてしまいます。だから、「センチュリー・プラント」とも呼ばれています。
 いつかはこの雄大な花を見てみたいと思ってますが、今現在、新型コロナウイルス感染症の影響でほとんど自宅にいます。だからなのか、このような本をなんとなく選ぶということは、そろそろどこかへ行きたいというシグナルなのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、5番目に取りあげられている「初めてなのになぜか懐かしい百済の古都」に書かれていたものです。
 現在、日本と韓国の関係はぎくしゃくしていますが、No.1967『人口から読む日本の歴史』でも取りあげたように、もともとは深い結びつきがあったようです。この本でも、日本から4万人ほどの援軍を差し向けるほどの関係だったとすれば、その後のいろいろな問題があったとしても、考えるべき時に来ていると思います。
 歴史は繰り返すといいますが、悪いことだけではなく、もともとの親しい関係に戻るということもあるのではないか、とこの本を読んで思いました。
(2021.9.19)

書名著者発行所発行日ISBN
誰も知らないとっておきの 世界遺産ベスト100(SB新書)小林克己SB クリエイティブ2021年7月15日9784815609924

☆ Extract passages ☆

我が国に仏教や漢字を伝え、唐・新羅との白村江の戦いでは、日本が4万の援軍を差し向けた同盟国でもあった。減亡後は多くの百済人が日本に亡命。新聞、雑誌で「百済特集」をすると大きな反響があり、百済の地に旅した日本人が、なぜか「初めてなのに懐かしい」と感じるほど日本とは因縁浅からぬ土地だ。……
 475年、高句麗により陥落して、都を錦江沿いの熊津に移す。「公山城」は高さ110mの小山の上に2660mの城壁を築いた山城で、25代武寧王陵の木棺からは日本にしかない木材が使われていたことから、日本との深い結びつきがうかがわれる。出土した金製冠装飾(国宝)は、国立公州博物館に展示されている。
(小林克己 著『誰も知らないとっておきの 世界遺産ベスト100』より)




No.1970『世の中どうにかなるもんだ』

 たまたま図書館から借りてきた本をみな読んでしまい、何か読む本はないかなと思って探すと、読みかけのこの本が出てきたのです。途中まで読んでいましたが、もともとはあちこちから拾い集めてきたような文章ばかりなので、どこから読み始めてもいいわけです。
 しかも、「どくとるマンボウ」シリーズを読んだ方にはわかると思いますが、実話かユーモアかわからないところもあり、一気に読めます。まさにすき間の時間に読むには、うってつけでした。それでも、著者の父は斎藤茂吉で、山形に疎開していたこともあり、そのときの話しがところどころに出ていて、たとえば、「故郷の山形でも、自分の歌碑は蔵王山に一カ所しか作らせなかつた。それも弟が、「いい石工が四人もいるから、今のうちに作れ」とせっついて、それでようやく納得したらしい。」と書いています。
 じつはこの歌碑を2008年8月7日に私も見ていますが、蔵王熊野岳山頂に建てられたのが昭和9年8月で、『陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に建つ』の歌が刻まれています。県の公式サイトにも、「茂吉が生前建立を認めた唯一の歌碑(碑のために作歌、原寸大で揮毫)で、生家のある上山市金瓶を向いて建つ」とあり、茂吉は建立5年後の昭和14年7月8日にここまで登り、歌碑を見たそうです。
 斎藤茂吉記念館の調べによると、歌碑は全国に163基あり、その他に記念碑などもあり、相当数あるようですが、この熊野岳山頂に建つ歌碑は大きく、とても立派です。
 この本のなかにもお母さんの話が出てきますが、長男の斎藤茂太さんの本のなかにも出てきます。それを読むと、海外旅行が大好きで、毎年でかけていたそうですが、この本の最後の「母の味」のなかで、著者は、「私はそもそも母の世話をするために同行したはずであった。ところが、逆に世話ばかりされていて、彼女は病気をするどころか、最後まですこぶる元気であった。私のほうが、強行日程にへばり気味であった。なにせ朝五時に起きたりすることも度々なので、ふだん昼まで寝る習慣の私には苦手なのである。その日の見物を終え、疲れてベッドにひっくり返っている私にむかって、母はけろりとして言った。「あたしももういよいよ最後だから、その前になんとかして南極へ行ってやろうと思うの」」と書いてありました。
 このとき、著者の母親の年齢は70歳だったそうですが、斎藤照子をネットで調べてみると、昭和時代後期の旅行家と書いてあり、1895−1984とあることから89歳で亡くなられているようです。それにしても、いかに旅行が好きだったかがわかるエピソードです。
 下に抜き書きしたのは、文学とは縁遠かった著者が、父親の歌に感銘し、文学開眼は茂吉の歌からもたらされたものだったと話しています。
 これだけ素直に父の存在を認めてしまうというのがすごいと思いました。普通、なかなか照れてしまい、父の影響などの話しをしないのですが、さすがどくとるマンボウさんだと思いました。この文章のなかで、信州に発つというのは、松本高等学校へ行ったときのことです。
(2021.9.17)

書名著者発行所発行日ISBN
世の中どうにかなるもんだ北 杜夫河出書房新社2014年10月30日9784309023281

☆ Extract passages ☆

 私は家が焼けてから、小金井の叔父の家で厄介になっていた。そこで父の『寒雲』という歌集を貰い、私は信州に発った。ほとんど初めて読む父の歌に、意外にも感銘した。それで、やがて苦労をして『赤光』『あらたま』からの自選集『朝の螢』を手に入れて、むさぼり読んだ。この方が遥かに私の胸を打った。つまり、私が幼い頃遊んだ青山墓地とか、私がそこに生れて嫌だった狂院とかが歌に詠まれていたからである。自分の口から言うのもおかしいが、私の本当の文学開眼は、茂吉の歌からもたらされたものと言ってもよい。
(北 杜夫 著『世の中どうにかなるもんだ』より)




No.1969『認知症 そのままでいい』

 認知症というと、あまりなりたくないと思いますが、この本の序章では、「厚生労働省研究班の調査(2012年)によれば、認知症の年代別人口は85〜89歳では40%、90〜94歳では60%を超える。つまり、 この年代になれば、ほぼ2人に1人が認知症である。これを「特別な病気」と捉えることはおかしいではないか。」と書いてあり、認知症には根治療法がないとすれば、「性別や性格などと同様の、高齢に伴って現れる本人の個性、属性と考えたほうがいいのではないか」とあり、それでも読んでみようと思ったのは、おそらく自分もなるかもしれないと思ったからです。
 序章の「認知症を喜んで受け入れること」のなかで、島根県隠岐の島のことが書いてあり、「約40年前、全国の調査で、ある地域だけが認知症(当時は「痴呆」)が少ないことが注目された。島根県の隠岐の島である。何か秘密があるのかと原因を調べたら、他の地域で「痴呆」だといって問題にしている行動を、島の人たちは高齢者の当然の振る舞いだと受け止め問題視していなかったことがわかった。そのために、痴呆の数として統計に上がってこなかったのだ。」そうです。たしかに、高齢者になると当然なのだと思えば、認知症だという意識もないわけです。
 そして、この話しの前に、「もともと日本の社会は、「ボケた老人」を地域社会でありのままに受け入れていたのではないか。道を間違えふらふらしている老人をみたら声をかけて案内し、意味の不明な会話をする老人がいても適度に受け答えして会話に付き合い、家に間違って入ってくる人がいてもそれなりの態度で迎えてお茶を出す、というような敬意と寛容さをもった近隣の社会がたしかにあった。その人たちを尊敬することはあっても「迷惑」という人は少なかった。」と書いてありました。  これはたしかに大切なことで、そういえば私の子どものときも、還暦を過ぎた人たちは、今の還暦の人たちと比べると、確実に20年以上は年をとっていると感じたものです。だから、老人はそのようなものと考えていたようで、特別な存在でもなかったと思います。ただ、長生きしてすごいなぁ、と思っていました。
 よくアルツハイマーという言葉は聞きますが、この本によると、「アルツハイマー病の初期は、脳の障害は記憶に関する部位を中心としたごく一部分であり、その他の95%は正常である。周りの人と感情を交流させたり、思いを伝えたりする会話ができることはもちろん、その会話の場での理解力は認知症になる前とほとんど変わらない。そのため、自身の物忘れなど認知上の変化にはとんどの人は気づいている。周囲からどう思われているか、についても一般の人以上に敏感である。だからこそ、傷つきやすい。これは心が正常だからこその反応である。」といいます。そういえば、私のお茶の先生も、アルツハイマーでしたが、歩けなくなるまで、椅子に座っても、お茶を教えてくれました。ときどき、本などを参考にすることはありましたが、まったく教え方に不都合はありませんでした。おそらく、亡くなる直前まで、少しの物忘れはあったとしても正常だったと今でも思います。
 下に抜き書きしたのは、自己肯定感の回復についてで、医療機関の治療者や介護者はもちろんのこと、家庭であっても大切なことと書いてありました。
 しかし、このようなことを書かなければならないということは、医療関係者の間でも忙しさのあまりときどきはできていないということのようです。しかも今は新型コロナウイルス感染症の影響で、施設も診療時間も圧迫されています。毎日のニュースで、救急車を呼んでも来てくれない、来てくれても受け入れてくれる病院がなく立ち往生している、ということが多くなっているそうです。それでは満足な治療はできませんし、とくに認知症などの患者さんは緊急を要さないからという理由で後回しにされているのではないかと想像できます。だとすれば、一日も早いコロナの収束を願うばかりです。
(2021.9.15)

書名著者発行所発行日ISBN
認知症 そのままでいい(ちくま新書)上田 諭筑摩書房2021年7月10日9784562058556

☆ Extract passages ☆

 認知症臨床でもっとも大切にしたいことは、本人の「自分はこれでよいのだ」と思える自己肯定感を回復することであり、失われつつある自信と役割を取り戻すことである。これは、本来まず家庭内で心がけ成し遂げておきたいことであり、そのためには、 これまで述べたように本人をいまのままでよいと認めたいのである。もっとよくなってほしい、もっと穏やかにしていてほしい、と家族が願うのは十分理解できる。しかし、根治療法のない現在、それを実現する一番の近道が、本人をそのままでよいと受け入れることなのである。たやすく成就はできないだろうが、診察の場でもできることがある。それが本人の話に耳を傾け、対話することである。
(上田 諭 著『認知症 そのままでいい』より)




No.1968『紅茶スパイ』

 この本は、読みたい読みたいと思いながら、なかなか読めないでいた1冊です。そこで、9月6日から8日まで月山や蔵王に行く機会に、ホテルで読もうと持って行きました。副題は「英国人プラントハンター 中国を行く」で、私もなんどか中国に植物を訪ねて行ったこともあり、親近感を持っていました。ところが読んでみると、いわば産業スパイのようなもので、あの当時によく中国の奥地まで行き、植物を持ち帰ったなとびっくりしました。
 読み始めるとおもしろく、二晩で読んでしまい、私も行ったことがある地名に出くわすと、なんとなく懐かしくさえあります。しかも中国だけではなく、インドカルカッタ、現在では「コルカタ」といいますが、私もカルカッタ植物園に行き、ベンガル菩提樹を見ましたし、またイギリスのキューガーデンにも行き、そこの資料室にあるたくさんの標本も見せていただきました。ここは2〜3日ではほんのさわりぐらいの資料しか見ることはできませんでしたが、それでも念願だったジョセフ・ダルトン・フッカーの『The Rhododendrons of Sikkim-Himalaya』の1849年から1851年にかけて出版された原本を見せてもらい、大感激でした。
 だから、この本を読みながら、自分の経験を思い出したり、本当に楽しい時間を過ごしました。ただ読むだけより、そういえば中国の雲南省の山奥でおいしいお茶をご馳走になったことや、荷物が重くなり辛くなったことなども思い出し、それでもそれらの植物が今手もとで花を咲かせていることが奇跡のようなことかもしれないと思いました。
 この本のなかで、フォーチュンがチェルシー薬草園の園長になったことが書いてありましたが、ここを訪ねたことがあり、「チェルシー薬草園は、1673年に薬剤師組合によって創設されたイギリスで2番目に古い植物園である。現在は4エーカーと広くはないが、牧歌的な雰囲気の都会のオアシス的存在として、ロンドンの中心地に近いスローンスクエア駅界隈のおしゃれな一角にある。高い赤レンガ塀に囲まれたその植物園は、世界じゅうの珍しい植物や薬用植物の生きた博物館でもある。フォーチュンの時代には、薬物学研究(薬草や野菜の治療薬、香油、粉末薬、シロップ剤、塗り薬、軟膏)の実験所であるだけでなく、ヴィクトリア時代の目新しい植物や神秘的な植物が生きたままたくさん展示されていた。」と書いてあり、たしか薬草園としてはヨーロッパでも一番古いと聞いたことがあります。
 ここの入口はとても小さく、知らないで通り過ぎる人もいるようで、私たちもなんどもその辺りを歩いてやっと見つけました。でも、中に入ると、そこはオアシスのような空間で、ベンチに座って本を読んでいる人もいました。それがまた、とても絵になるような雰囲気でした。
 では、フォーチュン自身はお茶をどう考えていたかというと、きわめて有益な植物であり、栽培すれば利益はあまねく広がるといい、それを飲めば元気はつらつとなり頭脳明晰となると書いています。そして、誰でもが好きになり、誰からも高く評価されているとイギリスに報告しているそうです。だからこそ、命をかけて中国奥地まで行き、違法だと知りながらも任務を遂行したのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、フォーチュンが安徽省の奥地からチャノキの苗木と種子なんとかあつめてきたのを上海のデント商会の庭園でそれらを梱包し輸送する準備をしているときの様子です。私も30数年前に、ブータンでシャクナゲの苗木や種子を採取し帰国するときに、日本の植物検疫を受けるために根をきれいに洗ったり、リストを作ったしたときのことを思い出しました。これは違法でもなんともなく、ブータンの人たちも採取に協力してくれました。
 ただ、そのころはどのようにして持ち込めば日本で活着するかわからず、ほんとうに心配しました。しかし、フォーチュンの場合は違法に海外に持ち出すわけですから、とんでもなく大変だったと思います。しかし、この時はいろいろな障害で、結果的には失敗だったようです。
 私の場合は、ブータンから持ち帰ったシャクナゲの何本かは、今年の春に咲きましたし、草ものも元気で少しずつ増えています。自分もそのような経験をしているので、この本はとても興味深く読むことができました。
(2021.9.12)

書名著者発行所発行日ISBN
紅茶スパイサラ・ローズ 著、築地誠子 訳原書房2011年12月26日9784562047574

☆ Extract passages ☆

フオーチュンは毎朝、帽子をかぶり手袋をして庭園に現れ、熱心に挿し木や接ぎ木をし、種を袋詰めしてラベルを貼り、苗木にも名札をつけた。ヒマラヤ山麓の実験農国に、およそ1万3千本の高木と1万粒の種を船で送るつもりだった。1万粒の種は20リットル弱もあったが、その価値は量にあるのではなく、朝露に濡れたワン家の茶畑で何週間もかけて種の詰まった果実を拾い集めた大変な作業にあった。念のためフォーチュンは、集めた種と苗木を分けて荷造りし、4隻の船に分乗させることにした。そうしておけば、1隻が座礁したり災難にあって船荷がだめになっても、他の船のものは無事だからだ。
(サラ・ローズ 著『紅茶スパイ』より)




No.1967『人口から読む日本の歴史』

 久しぶりに講談社の学術文庫を読みましたが、やはり理解するのに時間がかかり、なんとかそれでも読み通すことができました。この本の初刷りは2000年5月ですが、第37刷が2020年7月で、今でも読み続けられていることがわかります。
 最後の「学術文庫版あとがき」を読むと、2000年3月18日の日付けがあり、さらにそのなかに、この本は1983年にPHP研究所から刊行した『日本二千年の人口史』の改訂版であると書いています。つまり、この本に出てくる資料は2000年より前のものだということです。それで思ったのですが、よく織田信長は「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」と謡いながら舞うと、猛然と出陣したと伝えられていますが、じつは江戸時代でさえも、30歳程度ではなかったかと書いています。そして、「江戸時代の日本人の寿命(出生時平均余命)はとてもそこまでは達していなかった。出生時平均余命が50歳を超えたのは、第二次大戦後の1947年であった。この年に調査された第8回生命表で、男50.1歳、女54.0歳と、初めて50台に乗ったのである。第1回生命表(1891〜98年調査)では男42.8歳(松浦公一による改作値では37.1)、女44.3歳(同29.4)でしかなかった。」とあります。
 ということは、私たちの年代あたりから寿命が延び始め、今年7月30日に厚生労働省が発表した簡易生命表では、2020年の日本人の平均寿命は女性が87・74歳、男性が81・64歳となり、ともに過去最高を更新したそうです。つまり、必ずしも長寿だからいいというわけではありませんが、そこだけを見ると一番よい時代に生まれたということになりそうです。
 また、この本を読んでびっくりしたのは、江戸時代に作成された宗門人別改帳を長期にわたって残されているのは米沢、南部、会津、宇和島など数藩に過ぎなかったということです。ということは、しっかりした人的な資料を作成し、政策に繁栄させていたということがわかりました。さらに「三くだり半」というのは、男性側からの一方的な婚姻の破棄だと思っていたのですが、じつは「少なからぬ数の離縁状が、離婚して再出発を期した妻の側の要請によって書かれたものであるという。つまり「三くだり半」は、婚家を離れた嫁が、再婚する自由を保証したものであった(高木侃『三くだり半―江戸の離婚と女性たち』)とわかり、意外でした。
 やはり、人を中心とした歴史の見方というのは、とても大切だと思いました。
 この「三くだり半」の話しのあとに、結婚後の10年以内に妻が死亡することが多いのも江戸時代の特徴だと記しています。つまり、出産にともなう妊婦死亡率が高かったということでもあります。そして、結婚して20年を過ぎると、今度は夫の死亡が増加しますが、それは妻の平均余命が大きかったということで、夫と妻の年齢差もあったということがわかります。さらに、男性の場合は45歳以前、また女性では30歳以前に離死別した場合には、8割以上の男女が再婚したそうで、江戸時代には再婚をしないと生活が大変だったのではないかと想像しました。しかし、男性は55歳、女性は45歳を過ぎると、再婚はほとんど皆無だったそうです。ということは、生活のためという理由もあながちないわけではなさそうです。
 こうして、この本をじっくりと読むと、日本の歴史のなかで人という存在がぼやっとしてはいますが、生き生きと甦ってくるような気がします。でも、この本が改訂され出版されたのが21年前ということですので、新たな資料なども書き加えて再改訂版でも出れば、ぜひ読んでみたいと思います。
 下に抜き書きしたのは、日本への海外からの来住のいくつかの波を書いてあるところです。
 日本は、島国だから純粋な日本人だけの国と思いがちですが、そうではないようです。たしかに、渡来人の流入を考えないと、日本の大きな流れを考えることはできないようです。これは人口増加ということだけではなく、稲作などの導入や技術などを含めて考えることの必要性を感じました。
(2021.9.10)

書名著者発行所発行日ISBN
人口から読む日本の歴史(講談社学術文庫)鬼頭 宏講談社2000年5月10日9784061594302

☆ Extract passages ☆

 海外からの来住はいくつかの波を持っていた。2200年くらい前に稲をもち北九州に定着した越人の集団、1800年前に漢の支配から逃れて来た人々、4世紀に高句麗経由で入り、のちに朝廷を築いたとされる騎馬民族の大きな移動の波、5世紀後半から6世紀における朝鮮からの多数の技術者の渡来、7世紀における百済からの大量移住などが主なものであろう。いずれの場合にも、大陸における政治。社会の動向が背景にあった。
(鬼頭 宏 著『人口から読む日本の歴史』より)




No.1966『「食」の図書館 べリーの歴史』

 前回に引き続き、グラフィカルな本ですが、この「食」の図書館シリーズは、とても写真が多く、見ていて飽きのこない本です。そして、日本では意外となじみのない食べものもあり、とても興味がそそられます。
 このベリーの本も、最近ではブルーベリーやラズベリーなどは知られていますが、以前から桑の実、この辺りでは「くわご」といって食べていましたし、北海道には「ハスカップ」もなどもあります。このハスカップの実がほしくて、30数年前に小町山自然遊歩道の奥のほうに北海道から5本ほど苗木を取り寄せ植えたのですが、野生のサルに食べられたらしく、今では1本もなくなりました。管理が悪かったのか、ちょっと残念です。
 そういえば、2014年7月にイギリスに行ったときに、ケンブリッジ近くのフライさんのところに寄り、そこでいただいた自宅で朝採りされたラズベリーも記憶に残る美味しさでした。それが意外に紅茶とよくあいます。この本では、このラズベリーのことを「民俗学者リチャード・フォークワードは1884年の著書『植物の伝承 Plant Lore』のなかで、「ラズベリーの夢は、成功、結婚生活の安泰、恋人の忠誠、外国から届く古報を暗示している」と書いた」そうで、ラズベリーの学名は、ラテン語で「アイダの赤い茂み」という意味の「Rubus idaeus (ルバス・イダエウス)」からきているようです。また、2017年8月から9月にかけてイギリスのエジンバラに行ったときにも、いろいろなベリーとの出合いがありました。
 この本のなかの写真で、1938年に撮影された「ニュージャージー州の湿原でクランベリーを収穫する人々」というのが掲載されていますが、ハンプトンコートで開かれていた園芸博に行ったときに、その大きな池のなかに枠で図案化されたクランベリーが浮かんでいたことがあり、それを思い出しました。
 私はベリーのなかでもブルーベリーが好きで、それは目に良いからという理由もあります。しかし、本当に目に効くのかどうかはわからず、「ブルーベリーの眼機能改善効果」という論文を読むと、「多くの日本人はブルーベリーが視力改善に効果があると思っているが、ブルーベリーの眼機能に関する研究はほとんどなされていない。本研究ではブルーベリーが眼機能を改善するか否かを調べた。7人の健康成人に10gの乾燥ブルーベリーを摂取させ、4時間後に眼機能を評価した。暗順応時間、視野、流涙量(シルマー試験で評価)、まばたき回数、自覚所見には改善は見られなかった。」と書いてありました。だから、効果はないかもしれませんが、おいしいし目にもいいかもしれないと思っていると、少しは違うのではないかと思っています。
 この本の最後に、「ベリーは食べ物であり、飲み物であり、薬でもある。また、私たちを楽しませてくれ、伝説を語り、それぞれの地域性を明確に打ち出す存在だ。ベリーは小さく愛らしい果実だが、過小評価されるべきではない。ベリーが不思議な魅力で私たち人間を惹きつけて止まないのは、紛れもない事実なのだから。」と締めくくっています。
 下に抜き書きしたのは、日本でも観光農園などの「もぎ取り」で、アメリカなどではけっこう古くからあるものでした。
 でも、日本では「お安く手にいれましょう」というよりは、新鮮な果物をみずからもぎ取る楽しさみたいなものが中心ですが、今の新型コロナウイルス感染症の拡がりのなかでそれも難しくなっているようです。
(2021.9.5)

書名著者発行所発行日ISBN
「食」の図書館 べリーの歴史ヘザー・アーント・アンダーソン 著、富原まさ江 訳原書房2020年11月30日9784562058556

☆ Extract passages ☆

 市場向けのベリー生産が各地で広がるにつれ、客が自分で果実を摘み取る、いわゆるPYO(pick your own)やユービック(U-pick=you pick)と呼ばれるベリー農園が登場し、新鮮なベリーを低価格で収穫する場を都会の人々に提供するようになった。1910年代初頭には、アメリカの新間や雑誌にユービックのベリー農国の広告が掲載され始める。キャッチフレーズは「ベリーを摘んで、お安く手にいれましょう」だった。
 ベリー類はリンゴとともに最も一般的なユービック作物だ。新鮮なベリーは出荷中に傷みやすく、また収穫時には機械よりも人の手による仕事量のほうが多いという性質からユービックというシステムに適している。
(ヘザー・アーント・アンダーソン 著『「食」の図書館 べリーの歴史』より)




No.1965『ゴフスタイン つつましく美しい絵本の世界』

 孫が小さいときには、よく絵本を読んであげましたが、最近はほとんど触れる機会がなかったのですが、図書館の新館コーナーにこの本があり、開いて見ると、絵がとてもかわいらしく、つい借りてきてしまいました。この本を孫に見せると、ほんとうにかわいいよね、と反応してくれました。
 そして、それらの絵だけではなく、2007年5月にニューヨークの郊外、ウェストチェスター郡の自宅でのインタビューなども掲載されていて、どのような想いから絵を描いたり文章を書いているのかなども語っています。
 たとえば、インタビューアーに「ご自身の家族と、本のなかと、ふたつ家があったような」と言われて、ゴフスタインは「私には弟がいて、仲よく遊んでいましたが、姉や妹はいません。それでも、本では姉や妹がいる人のお話を読めたので、姉妹がいることがどんなことかを知っているんです。他にも私の知らないすてきな習慣だったり、楽しい友だちがいることも、本を通して知っています。良い本には真実が書かれていると信じているので、本のなかの体験がすばらしければ、それは人にちゃんと影響を与えるし、そういう意味では本のなかでの体験は、本当の人生の体験と同じことだと言えると思います。」と答えています。
 つまり、さまざまな本を読むことによって、自分だけでは体験できないこともできるようになる、といいます。やはり、絵本を作るにはたくさんの本を読んだり、いろいろな体験を重ねないとできないようです。
 また、このあとで、「すべてのことがそうだと思いますが、大切なのは自分は何をどれだけできるかということじゃなく、何をやりたいか、ということだと思うのです。大学時代、才能のある学生たちがまわりにいっぱいいて、とてもショックを受けました。でも、すべてをやろうと走りまわるのではなく、長い時間をかけて、本当にいるものといらないものをちゃんと見つける。自分のやりたいと思うひとつのことを見つけて、一生懸命打ち込めば、それがどんどん成長していくのです。」と答えています。
 たしかに、想いや体験だけでなく、「何をやりたいのか」を突き詰めていく姿勢も大事なことです。
 下に抜き書きしたのは、ゴフスタインの言葉をまとめてあるところからです。
 この次のところに、私の伝えたいこととして「私の本で伝えたいことのひとつは、自分が信じる何か良いものを作るために力を注ぐ人生の、美しさと誇りなのです。」という文章も載っていました。
 最後まで読むと、いろいろなことを書いてはいても、その想いが一貫しているというのが実感です。
(2021.9.2)

書名著者発行所発行日ISBN
ゴフスタイン つつましく美しい絵本の世界柴田こずえ 編平凡社2021年5月21日9784582838725

☆ Extract passages ☆

 私が書ぃているすべての物語は、すでに自然のなかに存在していると感じています。私の仕事は、ただそれに合せるだけ。静かに、辛抱強く、そして決してあきらめることなく。
(柴田こずえ 編『ゴフスタイン つつましく美しい絵本の世界』より)




No.1964『国語辞典を食べ歩く』

 若い頃は、もし無人島にたった1冊だけ本を持って行けるとすればどんな本を持っていきますか、と問われると、『広辞苑』と答えるぐらい国語辞典が好きでした。もちろん、今でも好きですが、最近は重くてかさばるので、手もとには電子辞書を置き、それで遊んでいます。
 そういうことをしていたので、この本を見つけると、すぐに読み始めました。とくに読み比べているのは、『岩波国語辞典(第8版)』や『三省堂国語辞典(第7版)』、『新明解国語辞典(第8版)』、『明鏡国語辞典(第3版)』の、著者がいうところの小型国語辞典ビック4です。その他に中型として、『広辞苑(第7版)』や『大辞林(第4版)』、『大辞泉(第2版)』、そして大型の『日本語大辞典(第2版)』なども登場します。
 私の電子辞書には、『広辞苑(第7版)』と、『新明解国語辞典(第7版)』、『明鏡国語辞典(第2版)』などが入っていますが、意外と役立つのは『角川類語新辞典』や『現代カタカナ語事典』などで、ヒマがあると『歳時記』なども読んでいます。すると、おもしろい言葉や使える話しなどが載っていて、楽しくて数時間も事典を見ているときがあります。
 この本を読んでいて、何気なく使っている日常的な言葉のほうが奥が深いことを感じました。たとえば、「あまりに日常的なものを国語辞典で調べる人は少ない。しかし、日常的だからこそ記述が難しい。意味や使い方や語史を書こうと思えば無限に書けるが、紙面は有限である。だから「なにを記述するか」は「なにを記述しないか」をも表現する。……「いったこと」より「いわなかったこと」を想像して察知できるようになると、世界は倍以上広がるから、絶対そのほうが豊かな人生になるのです。」というのは、たしかにあります。これこそ、行間を読むという言葉にあたると思います。
 私は植物が好きで、日本にもともとからあるサクラソウが、なぜあえて「日本サクラソウ」といわなければならないのか、と少し疑問に思っていました。その疑問に答えてくれたのが「レトロニム(retronym)」ということで、この言葉をネットで調べると「後から登場した他の物事と区別する必要が生じたために、元からあった何かに対して後から遡って改めて付けられた言葉のこと」とありました。この本では、「「レトロニム」ってご存じだろうか。あとから出てきた概念の影響で、それと区別する必要が出てきた言葉のことだ。たとえば「まわらないすし」。そもそもまわらないのが基本形だつたはずなのに、「回転ずし」が登場してきたおかげで、というかむしろそちらのほうが庶民的になってしまったがために、わざわざ「まわらないすし」と表現しなければ、「回転ずしではないほうのすし屋」を表現できなくなった。ほかにも、携帯電話の登場で昔からある家に据え置きの電話を「固定電話」といわなければならなくなったし、「洋室」の登場で従来の部屋は「和室」と表現されるようにもなった。トインに至ってはいまや「和式」と表記されているほうが少数である。「アナログ時計」もレトロニム。デジタルの登場でわざわざそれまでの時計に「アナログ」と添えなければならない。」と書いてあり、まだまだいろいろありそうです。
 つまり、自分のほうが先だと思っていても、あとから優勢なものが出てくれば、それに席を譲らなければならないようなもので、言葉の世界にも流れがあると思いました。
 また、日置昌一・日置英剛『ことばの事典 新訂増補版』(講談社、1989年)に、醍醐という言葉の説明があり、「釈迦のさいごの説法であるといわれる涅槃経の聖行品のなかに「牛より乳をとり、その乳から酪(バター)をつくり、また酪から生酥(しょうそ)をつくり、さらに生酥からは熟酥(じゅくそ)を採り終に熟酥から最上の醍醐をとる、この醍醐を服用するとどんな病気でもたちどころによくなる」ととかれていることから出たことばであり、この経の意味をもって薬師如来が両手にささげておられる宝の壺のなかには醍醐がはいっているとされる」と書かれているそうです。私も醍醐寺にいて、醍醐水も飲んだことがあり、このような話しを聞いたことがありますが、このように文字で事典に記述されていると、さらに納得します。
 下に抜き書きしたのは、「結びにかえて」のところに書かれていたものです。たしかに、国語辞典は「知るキッカケ」になるのは間違いないと私も思います。
 この本の最後に、この本で取りあげられたすべての国語辞典を紹介していますが、いくつかは知らないものもあり、まだまだこれからだと思いました。そういう意味では、知るきっかけにはなったと思います。
(2021.8.31)

書名著者発行所発行日ISBN
国語辞典を食べ歩くサンキュータツオ女子栄養大学出版部2021年7月10日9784789554602

☆ Extract passages ☆

 国語辞典も、だれかの言説も、すべて「知るキッカケ」です。最終的に自分の頭で考え、自分で判断しなければなりません。その面倒くささを受け入れることが、知性なのではないかと思うのです。そう考えると、国語辞典は思考のキッカケが詰まりまくっている良書です。これはまちがいない。
(サンキュータツオ 著『国語辞典を食べ歩く』より)




No.1963『パッケージツアーの文化誌』

 新型コロナウイルス感染症の影響が大きかったのは、いろいろあるでしょうが、旅行業界もそのひとつです。しかも、インターネットが広く普及することによって、今まで旅行業者でいろいろなチケットなどのサービスをしてもらっていた人たちも、オンラインで宿や交通手段のチケットが簡単に手配できるようになり、私などもここ15年ほどは旅行社に出向いたことはありません。
 そのような状態に移行しているときに、新型コロナウイルス感染症が広まり、不要不急の外出ができなくなり、さらに最近でも他県へ出かけることは避けてくださいといわれれば、旅行どころではなくなります。しかも、他県に行くと、病院に行ったときに届けなければならなかったり、病人のお見舞いもできなくなります。そのようなときに、この本を見つけ、もともとパッケージツアーで出かけたのは30数年前のことで、それからは自分で手配して出かけているので、あまりそのことは知らなかったのです。でも、この本を読んで、パッケージツアーにもいろいろな良さがあると思いました。
 でも、自由旅行とパッケージツアーにはどうしても違いがあり、この本では「観光と食事を事前にすべて決めておかねばならない。これを最大の不自由ということもできる。自由旅行者の最大の自由さたる所以は、自らの日程を自らがその日、その時点で選択・決定しうるというところにあった。出発前にその日の自らの胃袋の調子もわからないのに、どんな食事か決定するというのは、所詮、通常のパッケージツアーと同様、レディメイドの旅行商品ということになる。」と書いてありました。
 それにしてもビックリしたのは、マス・ツーリズムが普通ならなかなかできないことを、その希望を可能にするといいますが、あの北海道の富良野のラベンダー畑にもあったことです。この本には、「ラベンダー畑には遊歩道で近づくことはできても、直接手を触れることはファーム富田では禁じられていた。そこで大手旅行会社は自社独自のオリジナル体験としてラベンダー摘み取り体験をさせている。近畿日本ツーリストの国内パッケージツアー「メイト」では、有料で入場して花畑を見物する上富良野フラワーランド内の敷地に自社所有のラベンダー畑を持ち、そこで「メイトオリジナル体験」としてラベンダー摘みをツアー参加者に楽しんでもらっている。JTBもまた、フラワーランドの少し手前に「JTBファームふらの」というラベンダー畑を持っており、そこで「旬の体験メニューでお楽しみ」とパンフレットに表示してラベンダー摘みができるようになっている。」といいます。
 たしかに、過剰サービスかもしれませんが、ラベンダーを摘んでみたいと思う人たちにとっては、喜ばれるかもしれません。そこまで考えてパッケージツアーを企画するというのは、新たな経験価値を生み出すといえそうです。
 私はときどき楽天トラベルを利用するのですが、この会社の前身は「まったくの他業種である日立造船コンピュータ(現・日立造船情報システム)によってだった。1996年のことである。最初は宿泊予約サイト「ホテルの窓口」として出発し、1999年には「旅の窓口」と改称、2003年には楽天グループに買収され、「楽天トラベル」となった。消費者がインターネット上でホテル予約や格安航空券を購入できるようになったのである。」とあり、今までの旅行会社のような店舗ではなく、自宅にいながらインターネットでホテル予約や格安航空券を購入できるようになったのです。たしかに、著者は「破壊的イノベーション」と書いてますが、既存の旅行会社にしてみれば、まさにその通りです。
 下に抜き書きしたのは、終章「コロナ以後」はどうなるか、に書かれていたものです。たしかに、これだけ観光産業が大打撃を受けてしまうと、なかなかその先のことは考えられないのですが、パッケージツアーは必要だという根拠のひとつです。
 自由に自分で計画を立てて動けるうちはいいのですが、ある程度年を重ねてくると、お膳立てをしてもらって旅行するのもいいかもしれないと、最近は思うようになりました。この本の最後に、「パッケージツアーなどの旅行商品と自由旅行の両方の旅にそれぞれ良さがあることを知るからこそ、本書の趣旨に理解を示していただけたものと感じている。」と書いてあり、この本の編集にあたられた方への感謝が述べられています。
(2021.8.28)

書名著者発行所発行日ISBN
パッケージツアーの文化誌吉田春生草思社2021年6月11日9784794225238

☆ Extract passages ☆

 中小旅行会社にとって海外へのパッケージツアーは、他社からの申し込みを受付ない新聞募集旅行や会員制による閉ぎされた組織内募集旅行といった旅行商品とは異なる意義を有する、旅行業界全体に開かれたオープンな旅行商品なのである。中小旅行会社の多い第二種、第三種旅行業者は海外への募集型企画旅行を自社で造成することはできないが、パッケージツアーを造成する大手旅行会社と受託契約を結ぶことで各社のパッケージツアーを販売することができた。自社の顧客にも安心して参加できる海外旅行を販売できるのだ。
(吉田春生 著『パッケージツアーの文化誌』より)




No.1962『鉄道無常』

 副題は「内田百聞と宮脇俊三を読む」で、2人の作家の本を読み比べながら、鉄道のおもしろさを際立たせていくような本です。内田百聞は『阿房列車』などの作者として、鉄道の初めからのマニアとして、さらに宮脇俊三は戦前から戦後にかけて、さらに新幹線が開通してからの『時刻表2万キロ』の作者として、取りあげています。まさに、2人とも無類の鉄道マニアであることは間違いないことです。
 とくに、昨年からの新型コロナウイルス感染症で海外はもちろん、国内の旅行もなかなかできにくい環境になり、ちょうど「大人の休日倶楽部 2021年8月号」に、「Web限定 大人の休日パス」発売の記事が載っていて、利用期間は9月7日から16日だそうです。東日本・北海道スペシャルは26,620円、東日本スペシャルは15,270円でした。この東日本の旅には、新型コロナウイルス感染症が拡がる前には、ほぼ毎回利用していて、思い出もたくさんあります。この本に出てくる米坂線や羽越本線などにも乗り、ほぼ毎日乗り放題の旅を楽しみました。しかし、昨年と今年はなかなか出かけようという気持ちにもなれず、むしろ不要不急の外出は控えてしまいます。もうワクチンは2回接種しているからいいのではないかという気持ちと、まだまだ感染が怖いという気持ちが葛藤しているかのようです。
 そういえば、百聞が還暦を迎え、第1回目の「特別阿房列車」の旅が行われたのですが、昭和24年のことです。この年に私は生まれたのですが、このころの還暦は日本人の平均寿命はまだ60才にも満たなかったそうです。それから始めた「阿房列車」シリーズですから、自分が生まれたころからの鉄道の様子がこれを読むとわかります。そして、これからいかに平均寿命が伸びたのかも個人的実感です。
 しかし、百聞は若くなかったからこそ、なじみを大切にしたのだし、この本です、「故郷であれ、宮城道雄であれ、ノラ(行方不明になった飼い猫)であれ、松浜軒であれ。「常」を愛しすぎたからこそ、百聞は「常」を失うことにに深く傷ついたのだ」と思います。今の時代は、いろいろなものがありすぎて、なかなかひとつにこだわるということが難しくなってきています。「常」を大事にしたいと思いながら、時代の流れに流されてしまっているのが今の人たちです。だからこそ、百聞のような生き方に共鳴するのかもしれません。
 また、どちらも鉄道マニアかもしれませんが、今のような鉄道おたくではありません。最近のおたくは自分しか見えていなくて、鉄道写真を撮るにしても人の土地に勝手に入り、ときには邪魔だと立木さえ切ってしまうといいます。これでは、嫌われてしまいます。むしろ、子供心を忘れないような、ある意味、ほほえましいような立居振舞が必要です。そういう意味では、このお二人にはそれが感じられます。
 この本を読んで、女流作家ならではと思ったのが、鉄道が好きという心の持ちようの男女差についてです。「男性は「所有」を求め、女性は「関係」を求める生き物であると精神科医の斎藤環氏は記しているが、鉄道の世界にも、それは当てはまるのではないか。鉄道に関する多くの知識を得ること。多くの路線に乗ること。模型等の物品の収集。……そんな行為に夢中になる男性鉄道ファンは、「鉄道」という世界そのものを所有したがっているように見える。対して女性の場合は、知識や経験、物品等の集積にはこだわらず、「列車に揺られている感じが好き」という人が多い。鉄道と自分との間に生じる心地よい関係が重視されているのであり、その時の車両が何であるかや、どんなダイヤで走っているかには、さほど興味が無いのだ。」という分析です。これはたしかにあると、私も思います。
 下に抜き書きしたのは、宮脇さんの言葉ですが、たしかにこれこそが時刻表好きというか、鉄道好きの方たちの楽しみのような気がします。
 というのは、ビートたけしがお茶は縛りがあるから楽しい、という話しをしたことがありますが、ある意味、縛りのなかでいかにそれを打ち破るかでもあります。なんでもいいとか、どうでもいいからといわれれば、むしろ何をしていいかさえもわからなくなります。縛りの中で楽しむ、これはなるほどと思いました。
(2021.8.25)

書名著者発行所発行日ISBN
鉄道無常酒井順子KADOKAWA2021年5月28日9784041109892

☆ Extract passages ☆

 宮脇は、今はなき雑誌「旅」で一冊丸ごと宮脇俊三特集が行われた時(2000年9月号)、時刻表の魅力について、「″線路に縛られていると言う窮屈さ″と″それによる輸送効率のよさ″」と答えている。百聞もまた、晩酌しながら耽読するような時刻表好き。二人とも、線路時刻表とに縛られることを、楽しんでいるのだ。
 しかし彼等は、いやいや縛られているのではなく、緊縛状態の中でもがくことに、快楽を見出している。時刻表を駆使して旅のプランを練り、車窓風景の中から、自分独自の視点で何かを発見する。彼らは、もがきたいからこそ、積極的に縛られているのだ。
(酒井順子 著『鉄道無常』より)




No.1961『TREE』

 以前は著者のC.W.ニコルさんの書いたものとか話題とか、いろいろ読んだり聞いたりしたのですが、最近はほとんどないようです。たまたま、米沢市内に用があり、しかも少し待たなければならないようなのに本を持ってこなかったことに気づき、すぐにブックオフで選んだのがこの本でした。読むにつれ、自分自身の昔に触れたような気がして、あっという間に時間が経ったようです。
 帰宅してから調べたら、2020年4月3日に長野市の病院で直腸がんにより亡くなられたそうで、79歳だったそうです。日本が好きで、1980年に麻莉子さんと結婚し、1995年には日本国籍を取得して、本人の言によれば「ウェールズ系日本人」と称していたそうです。日本における戸籍名は、「ニコル シーダブリュー」です。
 もともとは1962年に空手を学ぶために来日し、その前はカナダで水産調査局や環境保護局での技官などをしていたそうです。そして、またカナダにもどり、モントリオールの漁業調査局の北極圏生物ステーションで水産哺乳類技師となり、バンクーバー島やノバスコシア州で調査捕鯨の仕事に従事したり、イヌイットと暮らしながら北極圏であざらし観察に出かけたり、それから、この本にも出てくるエチオピアのシミエン国立公園の猟区管理人となったようです。そして、再び来日し、日本大学で日本語および水産学を学び、それから、捕鯨の物語を書くために和歌山の太地に1年余生活したこともありました。
 だから、この本のクジラの保護に関する話しなどは、まさに現実的です。イヌイットと暮らしたこともあり、たとえば「アザラシを狩り、獲物を解体し、それを分配するという一連の作業を通じて、若い人たちが身をもって大切な道徳を学んでいくことができるのです。協力、忍耐、分かち合い、それから自らの属する集団への責任などといったことです。同じように、女性たちが行うアザラシの皮や脂や肉などの加工作業も、やはりいま述べたのと同じ文化的伝統を伝えていくための大切な手段になっています。分かち合いというのは、イヌイットの道徳の中でもとても重要なものです。北極地方では地域によっては、血族の結束を強めるために家同士で獲物を分け合ったり、ときには別の集落にまで送ったりするところさえあります。そのように分かち合うものの中で一番重要なのが、このアザラシなのです。」と、モントリオールで開かれた国の委員会の席上で述べたといいます。これなどは、一緒に生活をしたからこそわかることで、単なる環境保護活動家では考えも及ばないものです。
 この本は、もともと『アニメージュ』の1988年8月号から1989年7月号に連載されたもので、宮崎駿さんとの対談は、1987年8月号に掲載されたものだそうです。私はあまりアニメに関心はないのですが、これはアニメ雑誌のパイオニアで、徳間書店から発行されています。そのつながりで、この本も徳間書店発行になっています。
 下に抜き書きしたのは、屋久島で10日間ほど滞在し、縄文杉などを見たときの話しです。
 私も2005年にヤクシマシャクナゲを見るために屋久島に行きました。このときは、鹿児島大の先生から10年ぶりぐらいに満開に咲きそうだという連絡をいただき、ガイドさんも紹介してもらい登りました。6月1日は宮之浦岳まで行き、満開のヤクシマシャクナゲを楽しみ、その日は新高塚小屋に泊まりました。よく2日は縄文杉を朝に見て、ゆっくりと下り、ウイルソン株にもまわりました。ガイドさんはいても、一人旅ですから、ほんとうにゆっくりです。
 そこでニコルさんと同じようにその株のなかで、きれいな流れを見つけました。ほんとうにキラキラとして清冽な感じです。すると、ガイドさんは、きれいに見えますが、この上のところに数10年前までトイレがあったので、おそらく今もその影響があると思うので、飲まないようにということでした。
 この忠告がなければ、飲んでいたかもしれません。私の場合は、特に海外の場合は一人旅であっても、山に入る場合はその地に精通したガイドさんを頼みます。ネパールなどのときには、ガイドさんと腕っ節の強そうな荷物を持ってくれる方も頼むと、安心して山に入ることができます。
 これらは、映像だけではなかなか理解できないことで、久しぶりにニコルさんの本を読み、自分自身のことなども思い出しました。
(2021.8.22)

書名著者発行所発行日ISBN
TREEC.W.ニコル徳間書店1989年9月30日9784195540518

☆ Extract passages ☆

 雨の中をリュックを背に、私は歩いてその木を見に行った。途中、私たちは「ウィルソン株」を訪れた。これまた巨大な、そしておそらくは同じくらい古い木だ。けれども江戸 時代のいつごろかに伐採されているから、いまは切り株しか残っていない。現在、その切り株は中がうろになっており、自然にできた入り口から中に入ることができる。大昔に死んだその木の切り株の内側は、まわりが高い壁にとり囲まれ、そこにはなんとも美しい清らかな泉があった。きらきらした金色の砂と雲母のかけらの上を、水は輝きながら流れていた。小さな神社まで祭られていた。うろは中学生が200人ほどぎゅうぎゅう詰めにして入れるほどの大きさである(以前にやってみたそうだ)。
(C.W.ニコル 著『TREE』より)




No.1960『お茶の味』

 著者は京都寺町の一保堂茶舗主人の奥様で、まさにお茶の話しを書くにはうってつけの方です。私も京都に行くと、ときどき一保堂茶舗に寄り、お抹茶を買いました。この新型コロナウイルス感染症が拡がってからは、なかなか京都に行くこともできず、仙台の三越デパートで買ったりもしましたが、宮城県の感染者が急増してからは、そこにも行けなくなってしまいました。
 京都では、お茶席でお詰めがわからないときには、「一保堂茶舗で、茶銘は『今昔(いまむかし)』です」とか言えばいいと教えられたこともあります。それぐらい、京都では有名なようです。
 さて、以前よりお茶を飲む機会が増えてきたように感じるのは、おそらくペットボトルのお茶が自販機ですぐ買えるからのようです。その前はカンのお茶が出てましたが、やはりキャップができたほうが飲みやすいし、安心感もあります。だから、以前は甘みのあるジュース類が多かったのですが、今ではいろいろなお茶があり、そのときの気分で選んで飲んでいます。でも、喉が渇いたから飲むというだけで、お茶を楽しむというところまではいっていないような気がします。
 この本では、「お茶を急須で俺れることや茶ガラの後始末が面倒臭い方にとっては、ペットボトルのお茶はまことに便利なもの。しかしお湯を沸かしてお茶を淹れる場面でこそ楽しめる、ゆったりした時間、そのときどきに変化する風味、そしてお茶本来の美味しさがあります。」と書いています。
 たしかに、急須でお茶を淹れるとおいしいです。30年ほど前に、その急須に凝って、50個以上もあつめたことがあります。それは、どうしても急須の色つやがよくなったころにそそぎ口が欠けたりするのでお茶屋さんに聞いたら、急須は釉薬がかかってないのが多いから、どうしても少しずつ水分が急須にしみこみ、脆くなりやすいということでした。だから、2〜3ヶ月使ったら、取り替えて別な急須を使うようにローテーションすればいいのではないかといわれ、なるほどと思いました。それが少しずつ買い足すことになり、いつの間にかたくさんの急須があつまるきっかけになったようです。そのとき思ったのは、その急須の違いが、味にも影響するようだということです。
 お茶の味といえば、茶葉の摘み取りのときにも、そうとう気をつかっているそうで、「若い新芽ばかりを摘んだ茶葉をそのままひとまとめにしておくと、酸化が始まり熱くなっていきます。日本茶はこの酸化を止めるために、その製造工程の最初に蒸して製茶するのが特徴です。同じお茶でも紅茶や中国茶と大きく違うところです。昔は摘み取った茶葉を薄く広げてできるだけ重ならないようにしていました。今では集められた茶葉を入れた大きな籠の中に冷風が送り込まれ、できるだけ変化を抑える工夫がなされています。」ということでした。
 そういえば、スリランカに行ったときに、茶畑でたくさんの人が茶葉を摘んでいましたが、あまり気にしている様子もありませんでした。でも、製茶工場に行くと、その摘み取られてきた茶葉が広げられて、大きな送風機のようなもので風が送り込まれていたことを思い出しました。紅茶を作るときとは違うかもしれませんが、茶葉を酸化させない工夫は同じようなものなのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、お茶は水で淹れてもおいしいと書いてあったところです。
 そういえば、昔、山登りの時に水場があり、そこでお抹茶を点てて飲んだことがあります。たしかにおいしかったことだけは覚えていますが、その後はあまり機会がなく、水や氷水で淹れたお茶を飲んだことはありませんでしたが、これを機会に、煎茶を水淹れで飲んでみたいと思いました。また、時には、ガラス製の抹茶碗で水でお茶を点て、それに氷を浮かべてもおもしろいと思いました。
(2021.8.20)

書名著者発行所発行日ISBN
お茶の味渡辺 都新潮社2015年2月25日9784103390718

☆ Extract passages ☆

「お茶は、水からでも淹れられます」とお伝えすると「えっ―」と驚かれる方がたくさんいらっしゃいます。
 お茶はお湯で淹れるもの、と決めつけず、ぜひ水でも淹れてみてください。いつもより甘み際立つお茶を楽しめます。
 煎茶や王露の抽出時間は、常温の水なら約15分がめやすです。1煎目はお場で淹れ、2煎目は氷水で淹れてみる……こんな楽しみ方も出来ます。
(渡辺 都 著『お茶の味』より)




No.1959『法華経 誰でもブッダになれる』

 今まさに旧盆まっさかりですが、新型コロナウイルス感染症の拡がりのなかで、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置、さらには夏休み中の行動について「都道府県を越えた移動はできるだけ避けてほしい。どうしても必要な場合は検査を受け、小規模かつ分散で行ってほしい」という政府の要請などで、今年もお盆は静かなようです。
 それで、この「NHK100分de名著ブックス」シリーズは、とてもわかりやすいので、これで法華経の中味に触れてみたいと思い、読み始めました。
 著者は、サンスクリット版「法華経」の現代語の訳者で、もともとは2019年11月にアンコール放送された「法華経」のテキスト(本放送は2018年4月)を底本にして、さらに一部を加筆・修正し、新たに特別章「対立と分断から融和へ」と読書案内を収載したものだそうです。
 このシリーズは、すでに5〜6冊程度は読んでいますが、いずれもわかりやすく、重要な部分が丁寧に解説されていて、もう少し関連する本を読んでみようと思うほどです。この本も、そうでした。
 たとえば、「三車火宅の譬え」は知っていましたが、「資産家は自分で子どもたちを抱えて連れ出そうと思えばできた。でも、そうはしなかった。ここに仏教の特質が出ていると思います。相手が納得していないのに強引に外に連れ出すのではなく、子どもたちが自分で自覚し、自分たちの意志で脱け出してくることを尊重しているのです。つまりここで釈尊は、超能力や神がかり的な救済を説いたのではなく、方便など言葉を駆使して、子どもたちの自覚的行動を促しているのです。」という意味までは、考えていませんでした。
 たしかに、火事の家から子どもたちを助け出すということが目的ではあっても、自分で考えてその行動に出るということが大切です。この三車の「玩具の牛の車」と「本物の牛の車」で表現されていることも、ちょっと見ただけではその違いはわからないとしても、まったく違うものだと理解することが重要なことになります。ところが、人というのは、見た目だけで判断したり、それ以外はあまり感心がなかったりします。
 今回のオリパラもそうですが、人種的偏見も性別なども、ある意味、固定観念から考えているのではないかと思うときがあります。むしろいろいろな人間がいるからこそオリパラを見ていても感動するわけで、そういう意味からすると、この法華経の一節「例えば、カーシャパ(摩訂迦葉)よ、陶工が同じ粘土で種々の容器を作るようなものである。あるものは黒糖の容器となり、あるものはバターの容器、あるものはヨーグルトや牛乳の容器、あるものは不浄なものの劣った容器となる。粘土に多様性はないけれども、中に何を入れるかということだけで、諸々の容器の多様性が認められるのである」という意味をしっかり考えてもらいたいと思います。
 ここで「不浄なものの劣った容器」とはありますが、それらだって容器そのものがそうだと言っているわけではなく、それこそ個性です。まさにいろいろあって、それでいいのです。
 この本に出てきますが、もともと平等というのは仏教語で、呉音の読み方です。つまり呉音で読むということは、それが仏教語だからです。しかし、私が習った経典の読み方は、この平等を「へいとう」という漢音です。おそらく、あまりにも平等という言葉が安易に使われていることもあり、わざわざ漢音で読むようになったのではないかと思います。やはり、仏教でいう平等は、権利の平等という現実的なことばかりではなく、「精神的・宗教的な意味での平等」を意味しています。
 やはり、お釈迦さまは、2500年前に、すでにこの平等観を持っていたということに、むしろ驚かされます。
 下に抜き書きしたのは、「薬草の譬え」です。
 これは、第5章「薬草喩品」(第5)に書かれているそうで、私は植物が好きなので、どうしてもこのような植物がらみの言葉にひかれてしまうようです。
(2021.8.17)

書名著者発行所発行日ISBN
法華経 誰でもブッダになれる(NHK100分de名著ブックス)植木雅俊NHK出版2021年6月25日9784140818572

☆ Extract passages ☆

「この三千大千世界に生えている草や、灌木、薬草、樹木、小樹、大樹は、若くて、柔らかい茎、枝、葉、花を持ち、そのすべては、雲によって放出された雨水から、能力に応じ、立場に応じて、水を吸い上げる。それらは、同一の雲から放出された同一の味の雨水によって、それぞれの種類に応じて発芽し、生長し、大きくなる。それぞれに花と実を着け、それぞれに名前を得るのである。しかも、それらの薬草の群落や、種子の集団は、すべて同一の大地に生えて、同一の味の雨水によって潤されるのだ」
(植木雅俊 著『法華経 誰でもブッダになれる』より)




No.1958『河合隼雄』

 この平凡社の「STANDARD BOOKS」シリーズは、何冊かは読んでいますが、代表的な文章をいくつか集めているので、ザクっと知るにはとても役立ちます。そのなかで、気に入ったものがあれば、じっくりと読むこともできます。いわば、平凡社らしい百科事典のようなものです。
 副題は「物語とたましい」で、その人なりの人生の物語もありますが、学生時代にフルートを購入する資金稼ぎのために数学を教える「河合塾」を開いたそうで、あの有名な河合塾とは違います。進学塾の河合塾は、英文学者の河合逸治によって「河合英学塾」として開校し、その後「河合塾」と改称したそうです。この本の著者は、その後、高校教師のかたわら、京大の大学院で心理学を学び、日本人で初めてユング研究所で分析家の資格を取得したそうで、肩書きは臨床心理学者で、2007年に亡くなられています。
 そういえば、1990年62歳のときの「遠くを眺める」のなかで、「現代の社会は――特に日本は――忙し過ぎる。1分1秒を争うことに人々は力を注ぎ過ぎて、大切なことを忘れてしまっていることが多いように思われる。いつもいつも「遠くを見る」ことばかりやってたら、足元の危険にやられてしまうから、それほど常にというのではないが、日の疲労を休める程度には、時々「遠くを眺める」ことが必要と思われる。それによって、人生が少し豊かになるのではなかろうか。」と書いてますが、私もその通りだと思います。
 私は大学で経済学を学びましたが、そのころはマクロ経済とミクロ経済といい、巨視的な見方と微視的な見方が必要だと教えられました。つまり、経済を大きな拡がりのなかで見ることも大切だし、細かい狭いなかを見ることも必要だということです。よく俯瞰的なといいますが、鳥の目になったような気持ちで全体を見渡すことの大切さを著者は書いているような気がします。
 そういえば、1997年69歳のときの「音のない音」という文章のなかに、「人間の幸福というものもこのようなものだろう。幸福の絶頂にあるようなときでも、それに対して深い悲しみ、という支えがなかったら、それは浅薄なものになってしまう。幸福だけ、ということはない。もちろん、フルートの音しか一般の人には聞こえないのだが、それがよい音色であるためには、音のない音がそれを支えているように、幸福というものも、たとえ他人にはそれだけしか見えないにしても、それが厚みをもつためには、悲しみによって支えられていなくてはならない。」と書いてありました。
 これは、学生時代に学習塾までしてフルートを買ったのですがやめてしまい、58歳からまた吹き始め、そのとき習ったプロの先生からメロディーを吹くだけでなく、その下についている和音がどうなっているか考えながら吹くようにといわれたときに考えたそうです。
 今、まさに、今日から旧盆です。今自分がいるのもご先祖さまのおかげと考えれば、たとえその姿が見えなくても感じることはできます。聞こえることや見えることだけがすべてではありません。むしろ、聞こえないいものや見えないことにこそ、大切なことがあると感じることが、このお盆の大切な心ではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、1992年63歳のときの「型を破る」のなかの文章です。
 ある意味、型どおりのことをするのが一番楽ですが、それだけではなかなか前に進みませんし、おもしろくもありません。ときには、まったく違うことをすると、おもしろいことに出くわします。私の場合は、車で旅行に行くときには、行く時と帰りの道を違うところを通るようにしています。そうすると、1つや2つは、今まで出合ったことのないとんでもないことに出くわします。また、それが楽しいんです。
 だから、旅はなるべくなら1人で出かけたほうがいい、と思っています。
(2021.8.13)

書名著者発行所発行日ISBN
河合隼雄(STANDARD BOOKS)河合隼雄平凡社2021年5月25日9784582531794

☆ Extract passages ☆

後で考えると何でもない、むしろ自然とさえ思えるようなことでも、自分が型にはまった考えにとらわれていると自由に動けないものなのである。そんなときに、とらわれることなく行動していたら、それにかかわる人々の嬉しさ、楽しさは倍加するはずである。そうでありながら、われわれはせっかくの機会を、型にとらわれすぎて逃がしてしまっていると思われる。
 咄嵯のときに型を破って自由に行動する、これも修練によって、だいぶ上手になってゆくのではなかろうか。毎日の生活のなかで、そのような修練をしてゆきたいものと思っている。
(河合隼雄 著『河合隼雄』より)




No.1957『絵本作家の森のいえ便り』

 著者のaccototoというのは、ふくだとしおさんが"toto"で、ふくだあきこさんが"acco"で、ご夫婦の2人には二女一男がいて、この本にも登場します。2人は絵本やイラスト、壁画などを夫婦で制作しているそうで、この本のなかにもそれらが描かれています。
 彼らの絵本はまだ読んだことがありませんが、この本を読むと、主人公はクマのようで、その他にもいろいろな生きものが登場します。
 つまりは、自分たちが住む軽井沢の森の家を中心としたお便りです。ここに移り住むまでは都会のオフィス街に住んでいたそうですが、「はじめに」にも書いてありましたが、「ここの暮らしでは向こうからやってくる。冬の真っ白な雪景色から、春が近づくにつれフキノトウが顔を出し、夏になれば葉の色がどんどん濃くなっていく。道端には本の実や植物の種が落ちているし、鳥や虫の声もあたりまえに聞こえてくる。すぐそばにある自然は、知らないことの方が山ほどあること、それを学ぶ楽しみを教えてくれるんです。」とあります。
 たしかに、私もそのようなところに住んでいるので、それらが実感としてわかります。特に昨年から今年にかけては新型コロナウイルス感染症の影響から外出自粛せざるをえなくなり、手持ちぶさたになると小町山自然遊歩道に出かけました。すると、日によっても時間が違ってもいろいろな自然との出合いがあります。たとえば、早朝に行くと、まだ開かなかったキキョウのつぼみが少しずつ開き始め、まさに折り紙を展開するようなものです。そして、朝食を食べてもう1度行くと、もうすっかり開いていて、虫なども来ています。そして、夕方にまた行くと、開ききった花がほんの少しだけつぼまったように感じます。まさに一瞬一瞬の出合いがあるというのが実感です。
 そのようにして自然と触れ合うと、湿度にだって変化があります。著者は、「爽やかに感じる5月の風のあと、梅雨がやってきて、しっとりとした空気に変わる。そのあとギラギラとした太陽とともに、ベタッと肌にまとわりつくような空気を感じる日もあります。湿度の変化を肌で感じるからこそ、ある日を境に変わった外気の冷たさに敏感になるのかもしれません。そして、ぐんぐんと成長していた葉のパワーも、この日でばたっと終わるような気がします。その生命力のコントラストも不思議と感じられて、夏の終わりを悟るのです。」と書いています。
 たしかに、この辺りでは、旧盆の前後から、とくに夕方が多いのですが、このような外気温の変化があります。そんなとき、もう暑い夏も終わりだなと感じます。
 この本は、絵本作家らしく、ところどころに絵本の挿絵があり、ゆっくりと読めました。そして、自分たちの子どもといっしょに自然のなかで楽しく暮らしている様子が手に取るようにわかります。また、表紙に載っているツリーハウスをつくる様子も描かれていて、ほんとうに楽しそうです。私も、このようなツリーハウスを作ってみたいと思いましたが、雪の始末とかを考え、諦めてしまいましたが、今でもその夢が心のどこかでくすぶっているようです。
 下に抜き書きしたのは、新型コロナウイルス感染症の影響で外出自粛になり、なかなか外に出ずらい流れのなかの様子を描いたものです。
 私の場合もそうですが、47年かけて集めてきたものを小町山自然遊歩道に植えてきましたが、この自粛で海外はもちろん、国内の旅行もなかなかできなくなりました。それでも、ここにカメラをぶらさげて出かけると、コロナ禍のことも忘れて、植物の不思議さに心を奪われてしまい、なんとも清々しくなります。そして、家にもどり、パソコンで写真の整理をしていると、それらを集めたときの思い出が蘇り、毎日が楽しく過ごせました。
 そして、今年の春には、それらの写真をまとめて、『小町山自然遊歩道の四季―2020年 不要不急の外出自粛の1年―』という小冊子をつくりました。今年も、小町山自然遊歩道でたくさんの写真を撮っているので、冬のヒマなときにでも、またまとめようかと思案しています。
 考えようによっては、できないことばかりのなかでも「できること」を考えただけで、楽しくなります。それも、生き方のコツではないかと思っています。
(2021.8.10)

書名著者発行所発行日ISBN
絵本作家の森のいえ便りaccototo幻冬舎2021年5月25日9784344037922

☆ Extract passages ☆

 家の中に「いていい」ではなく、「いなければならない」。そんな経験は今までしたことがなかったからこそ、自分の内側と外側を見つめ直す機会となりました。自分の心を整えるためにも、外側に触れることは大事。外に出られないとなってはじめて、外を感じるものを欲している自分に気づかされました。accoはこの期間、子どもが眠ったあとにどれだけ海外ドラマを見たり、早起きして旅行記や探検記を読んだりしたことか― 自分の気持ちをマイナスにしないよう、無意識に外に向かうようにしていたのかもしれません。外に広がる自然の風景にも、どれだけ励まされたか。幸いにも庭に出られることが気持ちを解放してくれました。
 たとえ外に出られなくても、心を元気にしてくれるのは、季節によって変化する太陽の光、風、匂い、植物の表情を感じること。家にいながら外を眺め、自然と対話することが、気持ちをちょっとラクにしてくれる。それもここでの暮らしが教えてくれたことです。
(accototo 著『絵本作家の森のいえ便り』より)




No.1956『コロナ後を生きる逆転戦略』

 No.1952『京大 おどろきのウイルス学講義』を読んで、「新型コロナウイルスの「次」に来る、動物由来のウイルスは何か?」とあり、では、このコロナ禍のあとをどう生きたらいいのかと思っていました。
 この本の副題は、「縮小ニッポンで勝つための30ヵ条」で、以前から問題になってきた少子化と高齢化などとからみ、新型コロナウイルス感染症が蔓延したからどうのこうのという問題ではなさそうです。いずれ大きな問題として目の前に立ちふさがるのが、否応なくコロナによって顕在化したものもあるようです。たとえば、少子化が進めば、会社だって人手不足になり、テレワークに踏み切らざるをえなかったわけです。行政側もなんどか提言はしてきたようですが、会社は通勤するもので、自宅で仕事はできないという考え方から抜けだせなかったのを、今回のコロナは半ば強制的にせざるを得なくしたわけです。おそらく、今まではなかなか踏ん切られなかったものが、今回のコロナでしなければならなくなったことはたくさんあると思います。
 このテレワークについて、この本には、「テレワークとはそれ自体が目的ではなく、デジタル技術を使って生産性の向上を明確にすることに意味がある。かりにコロナ禍が完全に終息して昔のような日常が戻り、全社員が出社できる状態が実現したとしても、生産性向上を明確にする働き方を進めるほかないのである。会社に集まって働くにせよ、在宅にせよ、地区ごとのサテライトオフィスに集まるにせよ、会議の回数を減らし、仕事を仕上げる時間を区切り、実労働時間の中でどこまで成果を上げるかが問われる働き方に変わっていかざるを得ないだろう。人事評価も変わらざるを得ない。業務の指示をより明確化し、誰が何をするかという基準も厳格に決め、達成度を細かくチェックしていかないと、一人ひとりの生産性の底上げはできない。」といいます。
 そういえば、決済のはんこをなくすという政府の方針でしたが、先日もある事務局から原稿料の代わりの図書券が送られてきて、「同封の領収書にご記入・押印の上、返信用封筒にて返送していただきますよう」とあり、今までとまったく同じでした。すでに送った写真も印刷したものでなければならず、原稿も手書きで送ったのですが、依頼の連盟会長さんのところだけ「印略」と印刷されていました。この本にも書いてありましたが、いまだにファックスで送らなければならなかったり、送ったあとに電話で確認したりと、むしろかえって手間がかかるようになったかもしれません。
 よく、少子化を何とかしなければといいますが、では、なぜ少子化すると困るのかというと、この本では2つの側面があるといいます。つまり「働き手の減少と、消費マーケットの縮小だ。この2つは裏表の関係でもある。働き手世代=主たる消費世代だからだ。企業の経営者は、まず働き手が減ることに対して恐怖心を抱く。業績は景気にも左右されるが、人手不足はこれからずっと続くからだ。……だが、企業がいくら人手をかき集め、生産体制、提供体制を維持しても「売る相手」がいなければ意味がない。……そもそも収入が増えていない現状で、高齢者に限らず国民一人ひとりの消費額は伸びていない。むしろデフレまで起こしていたのが、昨今の日本だ。」といいます。
 このコロナ禍のなかでも中国が元気がいいのは、やはり人口が多いからのようで、GNPの比較でも、それがはっきりと現れています。そういえば、イギリスがイギリス病といわれたときも、海外からの移民を多数引き入れたことにより解消した例もあります。
 下に抜き書きしたのは、この本のなかで何度か出てくる「戦略的に縮む」についてです。
 たしかに今までのような生活ができなくなるとすれば、それを見直し、新しい生活を考えて行かなければならなくなるというのは当然です。これこそ、最近流行りの断捨離です。ただ、言葉だけが先行してなかなか実際に踏み込む人が少なかったようですが、新型コロナウイルス感染症の蔓延のなかでできるできないということより、しなければならなくなったと思います。
 だとすれば、これらも含めて、これからの生活様式をある程度考え直さなければならない時期に来ているのは間違いなさそうです。
(2021.8.8)

書名著者発行所発行日ISBN
コロナ後を生きる逆転戦略(文春新書)河合雅司文藝春秋2021年6月20日9784166613076

☆ Extract passages ☆

 いままで通りにいかないのなら、その中で効率よく社会を回していく仕組みを考え直さなければならない。捨てるものを捨て、諦めるものは諦めることだ。
 真っ先に捨てなければならないのは、過去の成功体験である。戦後の焼け野原から高度成長を成し遂げたような奇跡は、もう訪れない。
 その代わり、残すと決めたものを徹底して磨き上げていくことに、活路を見出すほかない。「戦略的に縮む」ことが、どうしても必要なのだ。みなが「このままではいけない」と感じている、このタイミングを逃してしまえば、この国と、この国に住む我々は、本当に終わってしまうだろう。
(河合雅司 著『コロナ後を生きる逆転戦略』より)




No.1955『最後に残るのは本』

 この本は、祖父江慎さんと米澤敬さんの「あとがきに代えて」のなかで、工作車の新刊案内「土星紀」に連載された「標本箱」というエッセイ・シリーズの原稿がもとになっているそうですが、意外と知らない方のものも多く、楽しめました。この本の最後に、再録するにあたって連絡できなかった執筆者や著作権者がいるということは、やはり世の中の移り変わりの激しさを物語っているのかもしれません。
 それにしても、本との付き合い方は、人それぞれです。なるほどと思ったのは、養老孟司さんの「やはり本には、時により場合によって、向き不向きがあるらしい。必要なときに間違った本を読んでも、なにもならない。ただ、五十歳を越えて、思うことがある。本のジャンルや内容を問わなければ、自分の年令に近い人が書いた本が、あんがい気が合う本だということである。考えてみれば当り前だが、誰だって、子供から始まり、青春期を過ぎて、成人から中年、老人となる。それぞれの時期に合った本と言えば、それぞれの年代の著者が書いた本であろう。そう思うと、児童書というのがむずかしいこと、よい児童書は、大人が読んで面白いものであること、それがなぜかが、なんとなくわかる。子供は本を書かないから、当り前であろう。」というところで、これは本音だなと感じました。私も、若い方から老練な方まで、ときには絵本なども読みますが、やはり同年代の方が書かれたものに多く共感するようです。音楽もそうで、若い子が聴いている音楽もいいなと思いますが、ときにはのんびりと私が青春のときに聴いたフォークソングなどを聴いています。そうすると、その当時の情景が思い出され、なんとなく若くなったような気さえしてきます。
 たしかに本というのは不思議なもので、自分がたいした経験もしないのにいろいろな体験談を読むと、したような気にしてくれたり、行ったことがないところでも、紀行文を読むと行ったような気になったりします。1人の人間が経験できることはたかが知れていますが、だからこそ本を読んで膨らませることも必要ではないかと思うときもあります。ただ、やはり行ってみないとわからないのも事実で、百聞は一見に如かずというのはたしかにあります。
 そういえば、行ったところの写真を集めて1冊にまとめようとすると、なかなか難しいものです。この本には、「作品集を作るときに、どういった順番で作品を収録したらよいかについてたいへんに悩む。それはまさに並べてみなければわからないといったことなのだが、そこに見えるものとそこには直接に見えないものとの流れのバランスを取るということに悩んでいるのではないかと思う。」という藤幡正樹さんの文章が載っていましたが、その順番を決めることは本当に難しいものです。私の場合は、日付けを一番に考えますが、もしそれが植物の場合には花色とか植物の性質とか大きさとか、いろいろなことを勘案して順番を決めます。また、1ページに何枚の写真を使うかとか、写真そのものが横か縦かなども大切な要素です。だから、これらの作業は、なるべくなら冬の時間のあるときにするようにしていますが、それも楽しみのひとつです。
 このようにして作った本なども書棚にあり、ときどき押し出し法でそこからはみ出した本は別な目立たないところに置き、さらに時間が経つとまとめてブックオフなどに出して整理します。その選ぶときどきの心理状態を考えると、つい、そのままに置いておくことが多く、つまりは結果的に本が部屋の大部分を占めてしまうということになります。
 下に抜き書きしたのは、この本の題名になっている「最後に残るのは本」を書いた多田智満子さんのエッセイの一節です。
 私も何度も整理を繰り返しながら、今も本が増殖しているので、人ごとではありません。特に、学生から自宅に戻るときとか、自宅を改築したときとか、相当な本を処分したのですが、それでも数年のうちに元のように身動きがとれなくなるほど本に囲まれてしまいます。もし、私が亡くなったら、それでも残るのはこれらの本かもしれないと、この本を読みながら思いました。
(2021.8.5)

書名著者発行所発行日ISBN
最後に残るのは本提靖彦+葛生知栄+米澤敬 編工作舎2021年6月20日9784875025290

☆ Extract passages ☆

「最後に残るのは本だ。」
 これはカストロの場合、「自分が死んでも、自分のことを書いた本は残る」という意味かもしれないし、「作家が死んでも作品は残る」かもしれないし、「いかにインターネットがはびこっても、書物は最後まで残る」ということかもしれない。あいにく私の語学力不足のため、どういう文脈で語られたのかよく分からないが、それだけにいろいろと自由な解釈ができて楽しい言葉であった。とくに、ここで「最後に」に相当する語がu(uの上にダッシュがある)ltimoで、これは英語では「究極の」というニュアンスの強い語だから、私などは「本こそは究極のもの」と強引にねじ曲げて想像してみたりする。
(提靖彦+葛生知栄+米澤敬 編『最後に残るのは本』より)




No.1954『生物学的に、しょうがない!』

 できないものはできない、と思うのですが、それが生物学的にできないといわれれば、しょうがないから納得せざるを得ません。それがこの本の内容です。著者は進化心理学者で明治大学情報コミュニケーション学部の教授で、専門は認知科学と遺伝子情報処理だそうです。
 それにしても、昔の狩猟採取時代と比べられても、いささか違和感があります。でも、自分に都合のよいことが書いてあったりすると納得します。たとえば、人生が空しく感じられるのは、何ごとも最大化を目指す人でマキシマイザー、つまり完璧主義者です。そして、適度に満足する人はサティスファイザーで、今の状態に意義を見出し、楽しむことができる人だそうです。考えてみれば、いくら完璧を目指しても時代によって、あるいは周りの環境によってできることもあれば、できないことだってあります。だとすれば、今の状態のなかで楽しめたほうが幸せだと私も思います。
 そういえば、私もものを捨てられないのですが、それも太古の昔から必要最小限度のものしかなく、そうでないと獲物を追って移動できなかったからだそうです。それが文明の時代になり、家を建てて定住するようになり、ものを所有するようになり、結果的に家のなかがもので溢れるようになったといいます。だから、その昔のものがなかったときに片付ける必要がなかったことが、今も引きずっているということです。つまり、片付けられないのは、あるいは捨てられないのはしょうがないということです。でも、この本では、「もうやらなくなった趣味の道具や、流行の去った雑貨が「まだ使えるし、いつかまた使うかも」と整理できないまま放置されるのです。仮に使おうと思っても見つからない所有物は、ないも同然です。片づけの妨げになるので、捨てたほうがいいでしょう。ところが、捨てると財産を失う気がして捨てられないのです。すでに価値がなくなっているのに、愛着だけが残り、所有にこだわるのです。あなたが物を捨てられないのも、ごくあたり前です。現に少しなら物を所有していたほうが、生活に有利ですよね。でも片づけられなくなるのは、物の持ち過ぎなのです。」とはっきり書いてあり、メルカリで売り払いましょうと、いいます。私はメルカリで売ったことも買ったこともないのでどの程度の値段になるのか見当もつきませんが、おそらく売るときはとんでもなく安くなり、買うときにはそこそこの値段になりそうです。
 後悔についても、おもしろいことが書いてありました。「祖先の時代、狩猟採集の失敗を後悔して、成功率が上がりました。後悔した結果、獲物の行動パターンや、木の実が熟する時期を習得でき、食べ物が豊富に手に入るようになったのです。このように、後悔すると行動の成功率が上がるので、本来後悔はいいことなのです。」とあり、でも後悔するときというのは嫌な感じの体験をともなっていることが多いので、嫌な感じがするといいます。つまり、覚えているというのは、恐怖や怒りなどで興奮しているからで、そのときには脳からノルアドレナリンという神経伝達物質が分泌されるから、その作用で記憶力も上がるのだそうです。
 そういえば、楽しいことより哀しいことや困ったことなどを覚えているのも、この作用なのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、幸福感についてです。
 これはなるほどと思い、カードに記したのですが、意外と幸せとはと聞かれても具体的には答えられないものです。たしかに幸せだと思っても、その先のことを考えると、ネガティブになってしまいます。
 それを、旅行にたとえたことで、よく理解できました。
(2021.8.2)

書名著者発行所発行日ISBN
生物学的に、しょうがない!石井幹人サンマーク出版2021年6月20日9784763139078

☆ Extract passages ☆

生物学的に感情は、動物の行動を起こしたり方向づけたりするものです。現状が満ち足りた状態であると、新たな行動を起こさなくてよいので、感情が喚起される必要がないのです。つまり、幸せなはずの状態では、幸福感は乾季されないことになります。
 じつのところ幸福感は、「これからよい状態になるぞ」という期待によってもたらされるのです。あなたも「体みをとって旅行に行くぞ」というときには、幸福感に包まれるけれど、いざ行ってみると意外に気疲れも多く、思ったほど幸せではないという経験があるでしょう。
(石井幹人 著『生物学的に、しょうがない!』より)




No.1953『不思議の国のロンドン』

 私もイギリスには2回ほど行き、この本に出てくる大英博物館や自然史博物館、たまたま開催していた「マチス展」を見たくてテート・モダーンに行ったり、もちろんキュー・ガーデンは何日かかけて標本館や資料室も案内していただき、さらにはリッチモンドに住んでいる方を訪ねて夕食をご馳走になったりもしたことがあります。だから、つい懐かしくて、何度も地図と照らし合わせながら読むので、つい時間がかかりました。でも、いつまで読まなければならないということもないので、のんびりゆっくりとページを繰りました。
 そして、読み終わったら、またイギリスに行きたくなりました。そのために、この本に出てくる興味のありそうなところをピックアップしました。
 たとえば、キュー・ガーデンからリッチモンドまでは二階建てのバスで行きましたが、夕方だったのでその周りの景色はほとんど覚えていません。リッチモンド橋からの眺望とか、「リッチモンド・パークに続く坂道、そのヒル・ストリートから眺める蛇行するテムズ河の豊かさ、限りなく包み込んでくれる深い緑、それらが全てが1つの風景となる」とか、見てみたいと思います。そういえば、ここはロンドンから少し離れていますが、いかにもセレブの人たちが住んでいる雰囲気はありました。もともと、このパークという意味は、私有地ということで、おそらくイギリスですから狩猟をしていたところのようです。
 もちろん、キュー・ガーデンは何度行っても楽しいところで、この本には「駅周辺にはカフェやレストランが軒を連ねるが、しばらく歩くと住宅街が広がっている。その住宅街の突き当りに、大きな門があり、その向こうに広大な庭園空間がある。週末になると、駅周辺にサンディ・マーケットが開かれ、自家製チーズ、パン、お菓子、B級グルメの屋台、木製のインテリア、花屋などのテントが並ぶ。地元の人々が、家族と一緒に、夫婦で、あるいは犬を連れてやってくる。音楽の余興もあり、駅周辺は一般市民の憩いの場となる。キュー・ガーデンズという庭園環境が与える潤いを感じる。」と書いています。この駅というのは、地下鉄ディストリクト・ラインのキュー・ガーデンズ駅のことで、この駅前のポストが日本の昔のポストのようで、あとから考えたら、郵便システムそのものがイギリスから導入されたと思い、なるほどと思いました。また、このキュー・ガーデンの大きな門から右折してしばらく歩くと、右側にクラシックカーが2台駐まっているレストランがあり、いつかはここで食べてみたいと思いながら、まだ実現していません。
 そういえば、この本で知ったのですが、今、ロンドンではビーガンが流行っているそうですが、私はベジタリアンと同じようなものと考えていのですが、違うようです。「ベジタリアンが、肉食を拒否することに対して、ビーガンは牛乳、 ヨーグルト、チーズなどの酪農製品からはちみつや魚から取ったスープエキスも摂らない。それは、食品に限ってはおらず、サプリメントや化粧水から衣料についても徹底している。ビーガンが目指すことは、菜食に徹することにより、動物愛護運動に呼応し、地球の環境問題の解決となることである。」と書いてあり、イギリスらしく動物愛護の精神からきているようです。
 でも、今でも狩猟は盛んなようで、シャクナゲが増えすぎると馬で駆け回りながらウサギなどを撃てないということで、つまり密生したシャクナゲの下に隠れてしまうからで、シャクナゲ撲滅運動などというものがあります。私などは、シャクナゲのほうがいいのではないかとも思うのですが、どこの国も伝統というのは大切に守っていきたいと思うようです。
 下に抜き書きしたのは、日本の彩色の豊かさについて書いてあったところです。
 よくイギリスは食事がおいしくないとか、毎日「フィッシュ・アンド・チップス」だとかいわれていますが、ピーターバラに行ったときに食べたウサギ肉はとてもおいしかったです。しかも、メニューの掲示が窓のところに立てかけてあって、外からでもわかるようになっていました。
 でも、外国に行ってはじめてわかる日本の良さもあり、そのひとつが食事です。おそらく、食べ慣れているからかもしれませんが、日本ほどおいしく、バラエティに富んでいる国はないと思います。
(2021.7.31)

書名著者発行所発行日ISBN
不思議の国のロンドン臼井雅美PHPエディターズ・グループ2021年6月12日9784909417510

☆ Extract passages ☆

 日本の菜食の豊かさは、食材の豊かさにあると思う。四季を通じて栽培される野菜や果物が豊富であり、日本の農家の品種改良への取り組みから質も極めて高い。納豆、豆腐、味噌などの大豆の発酵食品に加え、のり、わかめ、ひじきなどの海藻が日常的に摂取されている。イギリス人たちは、 一般に、枝豆は食べるが納豆は食べないし、はやりの巻きずしののりは食べるがわかめのおひたしやひじきの煮物は食べない。
 日本の禅寺で出される精進料理も、一種のビーガン・メニューである。
(臼井雅美 著『不思議の国のロンドン』より)




No.1952『京大 おどろきのウイルス学講義』

 新型コロナウイルス感染症がおさまって次はどのようなウイルスがくるのかと思っていたら、この本を見つけました。しかも、内容紹介の最初に、「新型コロナウイルスの「次」に来る、動物由来のウイルスは何か?」とあり、まさにこれを読みたかったと思いました。
 この本を読んでビックリしたのは、人間の遺伝子って、生まれたときから死ぬまで同じと思ってたら、途中で書き換えられるらしいと書いてありました。とくに脳はかなり変化するらしく、だとすれば親からもらった遺伝子より、自分自身の努力が実を結ぶかもしれないと思い、考えてしまいました。この本によれば、「人間は生まれてからずっと同じ遺伝子情報を保っているように思われていますが、遺伝子情報はところどころ書き換えられています。生まれたときのDNAと死ぬときのDNAは部分的には違っています。特に、脳はかなり変化をし、生まれたときの脳のDNAと大人になってからの脳のゲノムDNAは違います(もちろん脳細胞全部が変わるわけではありません)。DNAが書き換えられる要因の1つが、レトロウイルスに似ているレトロトランスポゾン(逆転写酵素をもつ、移動可能な塩基配列)と呼ばれるものです。動物によっては逆転写酵素によって内在性レトロウイルス由来の細胞のDNAを書き換えている可能性もあります。」とあり、いわゆるウイルスがその書き換えをしているというから不思議なものです。
 だとすれば、ウイルスも病気を起こすこともありますが、人間の役に立っているものもあるということです。
 そういえば、人間はもともと海に住んでいて、陸に上がるようになったと聞いたことがありますが、そこにもウイルスが作用していると書いてありました。それは、「古代に感染したレトロウイルスがゲノムDNAに新たな配列を書き加え、内在性レトロウイルスとして生物に受け継がれていった。その内在性レトロウイルスの配列を使って酵素を作り出して、乾燥しない保湿成分を作れるようになった。こうした進化によって、哺乳類が陸の上で生きていけるような最適の皮膚を獲得した。生物は、少しずつ皮膚の機能を変え、魚類から両生類へ、両生類から爬虫類へ、爬虫類から哺乳類へと適応進化をしていきました。そこに古代のレトロウイルスがかかわっていると考えられます。」と書いてあり、まだ仮説の段階のようですが、人間が生きていく段階で、さまざまなウイルスの影響を受けているということだけは間違いなさそうです。
 そういえば、一昨年の秋、マダガスカルに行くときに、ある方から狂犬病の予防接種をしていったほうがいいと言われました。もし、人間が狂犬病ウイルスに感染し発病すると、水を飲むときに咽喉頭や全身の痙縮が起こって、水が怖くて飲めなくなるそうです。それを恐水症というそうですが、死に直結する恐ろしい症状です。それは狂犬病のイヌに噛まれたところからそのウイルスが神経を伝わって脳に到達し、脳の細胞で増殖するからだそうです。
 それだけでなく、マダガスカルでいろいろなウイルスから自分を護るための予行演習をしてきたので、今回の新型コロナウイルス感染症についてもある程度の知識はあり、これだけでもしっかりと守っていればというガイドラインのようなものを身につけることができたと思っています。
 下に抜き書きしたのは、なぜウイルスが世界中に拡がるようになってきたのかの理由についてです。
 たしかにスペイン風邪のときは戦争が大きく影響したといいますが、今でもそうだとは考えもしませんでした。その他の理由は、たしかにその通りだと私も思います。だとすれば、これからだって、今回の新型コロナウイルス感染症のように世界中を混乱させてしまうウイルスが生まれる可能性はあります。
 これらも含めて、これからの生活様式をある程度、考え直さなければならない時期に来ているのかもしれません。
(2021.7.27)

書名著者発行所発行日ISBN
京大 おどろきのウイルス学講義(PHP新書)宮沢孝幸PHP研究所2021年4月29日9784569849348

☆ Extract passages ☆

 昔は、地球上のある地域でヒト新興ウイルス感染症が広がったとしても、その限られた地域で広がって終わりでした。
 ところが、今は、世界中に広がりやすくなっています。その理由は、主には3つほど考えられます。
1 都市化
2 交通の発達
3 戦争
 新型コロナウイルスは、中国から世界に広がりました。中国が以前のように、あまり地域間の移動が活発ではない国であったとしたら、中国の一部地域のみの感染症で終わったかもしれません。
 しかし、現在の中国は都市化し、人々が密集して住んでいます。自動車や電車などの交通手段も発達し、感染地域と周辺の往来が盛んです。また、経済が発展して中国人は豊かになりましたので、飛行機に乗って世界中を観光旅行しています。
(宮沢孝幸 著『京大 おどろきのウイルス学講義』より)




No.1951『なんで山登るねん』

 7月19日から庄内に出かけ、20日に月山に登り、21日は月山の古い行者道を歩いてきました。そのときに持って行ったのがこの文庫本と『京大 おどろきのウイルス学講義』という新書版です。
 なぜこの本を持って行ったのかと聞かれても、先ず軽くてかさばらず気楽に読めるものだからのようで、この本はだいぶ前にブックオフの100円コーナーで買ったものです。もともとは『なんで山登るねん わが自伝的登山論』として山と渓谷社から1978年に出版されたもので、続々版まで出ているところをみると、けっこう読者はいるようです。
 高校生のころ、山岳部だったので毎週山に行き、ひとりのときには文庫本を持って行き、頂上でおにぎりを食べ、本を読んで、帰りのバス時間に間に合うように下ってきました。そのときのことが思い出され、今回の月山にも文庫本を持って行く予定なので、少し茶色くなったページ数の多そうなのを選びました。あとからページ数を見たら、342ページあり、これでは読み終わらないと逆に安心しました。そして、残りは20日に泊まった月山の志津温泉の五色亭で読みました。
 おそらく、昔の山やさんたちは、このような考えの方が多かったようで、私も久しぶりにその雰囲気を思い出しました。山には山関係の本が馴染みます。
 たとえば、「山へ登りはじめたころ、「山では、喰うて、寝て、キジをうつことが先決や」ということを、よく聞かされました。たしかに山登りには、登ることと同時に、そうした「生きる」ための根源的な能力が必要とされます。北山あたりに出かけ、ゴロ寝をすると、ヒンヤリとした地面の感触を全身に感じ、なんだか、大地の霊気が浸みこんできて、全細胞がよみがえるような気がします。そんな時には、落語の『寿限無』ではないですが、山は登るところではなくて、「食う寝る所に住む所」という気がしますし、「生き抜く知恵を得る所」だという風に思ったりもするのです。」と書いてあり、たしかにその通りと思いました。
 山で食べると、どんなものでもおいしく感じられ、それも山登りで腹が減っているからということもありますが、食べ過ぎるほどです。7月20日に月山に登るときも、湯野浜温泉の旅館を出て、月山までの間のコンビニでおにぎりでも買おうと思いながら運転していたのですが、もう少し先にもあるだろうと思いながら、とうとう「米の粉の滝ドライブイン」まで来てしまったのです。そこで中に入りお店の方に聞くと、「今ちょうどご飯が炊きあがったばかりだからおにぎりをにぎってあげる」と言われ、その炊きたてのご飯でにぎって、持ちやすいようにとケースに入れてくれました。そのおにぎりを姥ガ岳の尾根筋で食べたのですが、まだほのかに温かく、山登りだからと強めに塩をつけてくれたせいか、とてもおいしかったです。
 そういえば、山というとよく話題に上るのが、「なぜ山に登るの」と聞かれ、「そこに山があるから」という話しです。これはエベレスト遠征隊の歓送迎会でその隊員だったマロリーがある貴婦人に聞かれたときのことだそうで、マロリーは返答に窮し、つい「Because it is there.」と答えたそうです。つまり「そこに山があるから」という意味です。でも、こんなはぐらかすようなことを言ったとしたら、やはりそうとう答えに窮したのではないかと著者も書いています。
 また、この本にはトイレの話しがときどき出てきますが、外でする場合、男の場合は「キジ打ちに行く」といいますが、私もネパールのアンナプルナを眺めながらやったのはとても爽快で、今でも思い出すことがあります。でも女性の場合は「お花摘みに行く」といいますが、今の時代にはいささか不都合な言葉ではないかと思いますが、人気のある山には公衆トイレが設置されていて、外ですることは緊急事態をのぞいてはなさそうです。こんなところも、山登りの時代差が感じられます。
 下に抜き書きしたのは、日本の山と海外の山とのちがい、そして結果的にはその山登りも違ってくるというのは当然かもしれません。
 よく、日本の山はもともと信仰の対象だったからというのがありますが、たしかにこの有機物的な自然のちがいもあるとこの本を読んで思いました。そういえば、私も山岳部のときにやった「沢のぼり」などというのは、海外ではあまり考えられません。
(2021.7.24)

書名著者発行所発行日ISBN
なんで山登るねん(河出文庫)高田直樹河出書房新社2002年5月20日978430940653

☆ Extract passages ☆

 もともと、山頂まで草木が生え、小鳥がさえずり、その裾には、魚の泳ぐ清流があるというような、有機物的な自然として、日本の「山」がありました。そこへ、空気も薄く、草木もなく、雪と氷の、生命の存在を拒否するというような、無機物的自然としての「山」において発達してきた山登りの形が輸入されてきた。ここに、なにがしかの混乱の原因があるのでしょう。
 とにかく、ぼくが思うには、「有機物的な自然」に対しては、それに適した対応があるし、「無機物的な自然」に対しては、それなりの対応形があるだろう、ということです。ここのところをはっきりさせておかないと、たとえ話ですが、氷河の上で「山菜」をさがす、というようなケッサクなことがおこるでしょう。
(高田直樹 著『なんで山登るねん』より)




No.1950『摩訶不思議な生きものたち』

 著者はNHKの『生きもの地球紀行』や『地球! ふしぎ大自然』などを制作しているプロデューサーで、たしか最後のところに名前が出てくるのを何度か見たことがあります。でも、誰が作っているのかなどあまり関心がなく、この本を読んでみてはじめて、その大変さがわかりました。
 それと、あの番組をつくるのはたくさんの方々の関わりがあって出来上がるのであって、いわば共同作業です。そのまとめ役がプロデューサーのようです。そういえば、私も海外に植物を見に行くだけなのに受け入れ先の機関や研究者、さらにその地域の道路に精通している運転手、などなどとの連絡が必要です。そうでないと辺境の地には入れないのです。そういえば、植物の仲間2人で四川省の奥地に行ったときには、いくら道端でおもしろい植物を見つけても、この道路は駐めることはできないと言われれば諦めるしかないのです。
 だから、この本を読んでいて、このような取材をするための準備は大変だし、先ずはその企画が通るかどうかが大切です。そのためにはそこに行きたいとかそこで見てみたいという情熱がなければできません。行ったから必ず見れることもないし、その映像が撮れる裏付けもありません。またそこに行き着いたとしても、いろいろな障害は付きものです。たとえば、この本にも出てきますが、ヒルはやっかいです。私も2018年9月にインドのケララ州に12年に1度しか咲かない花を見に行ったときも、5〜6分おきにヒルを確認しながら歩いていました。このヒルは、「噛み付くときに、麻酔薬と血液を固まらなくする成分をだすので、噛まれてもまったく気がつかない。宿に帰って靴を脱ぐと、靴下が血まみれになっているので、ようやく気がついてかなり落ち込む。ヒルに食いつかれたことに気がつくと、真っ赤に染まった血をみでパニックになり、すぐに取りたくなる。しかし、無理やり引き離すと、皮膚に食い込んだアゴが残ってしまい、化膿するので厄介だ。そこで役に立つのが、日本製の肩こり治療薬だ。メントールの成分が入っているから、僕たちは肌に塗るとスッとして気持ちがいいが、ヒルは非常に嫌がるため、自分から離れてくれるのだ。」といいます。
 このことを知っていれば、持って行くのにと思いましたが、実はその場所に行って初めてヒルが多いということを知ったのです。そういえば、ブータンの密林に入ってシャクナゲを見たときもヒルが木から落ちてきて、襟首から入ったことなどを思い出しました。しかも、数日経ってからかゆみが出てきて、その赤みがとれるのは数ヶ月もかかります。今でも、そのときに履いていたジーンズに血のりが残っています。
 また、トラについても、その撃退法など、おもしろいと思いましたが、ぜひこの本を読んで見てください。私の場合は、この本に出てくるところに何度か行ったこともあるし、さらにそのテレビ番組を見たこともあります。たしかに、「誰かに話したくなる」という気持ちがよくわかります。
 下に抜き書きしたのは、オランウータンについて書いてあるところで、私もカリマンタンで見たことがあります。あのオスの「フランジ」といわれる頬の出っ張りが出てくるものと出てこないものがいて、それは本人の気持ち次第だというから不思議なものです。つまり、自分はこの地域で一番強いと思ったらフランジが発達してくるし、その自信がないなら発達はしないそうです。ただ、「フランジオス」は他のオスと必ず闘わなければならないので、それはそれでかなり厳しい世界です。というのは、フランジというのは、1度出してしまうと引っ込みがつかないというから不思議なものです。
 ここでは、それではなく、オランウータンの子育てについてです。私も川向かいにいるオランウータンの親子連れを見ましたが、やはり子どもというのか可愛いもので、目がくりくりとしてとても印象的でした。
(2021.7.21)

書名著者発行所発行日ISBN
摩訶不思議な生きものたち岡部 聡文藝春秋2021年4月15日9784163913155

☆ Extract passages ☆

 オランウータンは、野生動物の中で子育てに最も時間をかける。1度に産む子どもの数は1匹だけで、独り立ちするのに7年から8年を要するため、実に慎重に育てていく。その甲斐あって、生まれた赤ちゃんが大人になる確率は94パーセントとされる。これは、野生動物としては驚異的な数字で、最先端の医療システムが整つた先進国なみの高さなのだ。
 野生動物が大人になれる確率は高くても50パーセントほど。オランウータンは、並外れて子育てが上手い。母親は常に、子どもと一対一。目を離すことはほとんどない。単独生活のため、仲間から伝染病をもらうこともなく、仲間同士の争いに巻き込まれることもほとんどない。常に高い本の上で生活するため、天敵となる生きものもほとんどいない。オランウータン特有の単独生活が、子育てに有利に働いているのだ。
(岡部 聡 著『摩訶不思議な生きものたち』より)




No.1949『たもんのインドだもん』

 私もインドが大好きで、何度も行ったことがありますが、どちらかというとお釈迦さまの故郷という印象が強く、ネパールの友人と2人で行ったときなどは、四大仏跡を中心にまわりました。というのも、彼はシェルパで仏教徒なので、彼にとっても喜びでした。
 この本にも書いてありましたが、「インドの街中には、目的をもたずにぶらぶらしている人がとても多い。昼間から仕事もしないでぼんやりしているおじさん、なにを買うでもなく店先で話しこんでいるおばちゃん、バス停のベンチに根を生やして新間を読むおじいさん、売る気があるのかないのかわからない風体で品物を並べる露天商……。路上で人間観察をしているだけであっという間に時間が過ぎてしまう。」とあり、これは私も感じました。
 だから、粗末な腰掛に座ってチャイを飲みながら、何時間でもいられるのです。こっちもヒマで声を掛けたら、すぐに近くの人たちが集まってきて、聞かなくてもいいことをいろいろと教えてくれます。むしろ、聞かれることの方が多く、逃げ出すこともあります。だから、インドではヒマをもてあますということはあまりなかったと思います。むしろ、早くホテルに帰り、部屋のなかでゆっくり本を読みたいと思いました。
 そういえば、この本にありましたが、インドやネパールの家に招待されると、先ずは家のなかを隅々まで案内してくれます。「ここが寝室だよ、ここがお風呂、お祈りの部屋……と隠さず見せる。年ごろの娘さんの自室もおかまいなし。バーンとドアを開けられて、こっちが戸惑うくらいだ。ひと通り部屋を見終わったあとにリビングに戻り、 一緒にお茶を飲む。」というような順序になります。初めてのときに、これが私たちの寝室だとか娘さんの部屋だとか言われても、なんとも気恥ずかしいだけでしたが、あるとき、そのお宅にホームスティしなければならなくなり、案内してもらっていたこともあり、すぐになじめました。たまたま、その長女がオーストラリアに留学していたこともあり、その部屋に1週間ほど利用させてもらったとき、その様子を電話したら、むしろ喜んでくれたのでビックリしました。それからは、さらにその家の居心地がよくなり、ネパールに行くたびにお世話になりました。その娘さんも結婚され、案内状はいただいたのですが、残念ながら新型コロナウイルス感染症の影響で結婚式には参列できなくて残念でした。
 この本は、「みんなのミシママガジン」に2013年4月から2016年4月にかけて連載したものだそうで、それらに加筆補正し、書き下ろしを加えて1冊にしたそうです。表紙の題名の上に、鯨の絵が描かれ、そこに「オモシロイモン コーヒーと一冊」と添え書きがあり、潮をふいたところに「9」とあるところをみると、そのシリーズなのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、「音楽はめぐる」に書いてあったものです。
 私も似たような経験があり、ネパールに行くと必ずまわる音楽関係のお店があり、そこでCDなどを買ってきたこともあります。ネパールでは、トレッキングに行くと、夜などにはガイドさんやポーターなどが夕食を食べたあとに歌ったり踊ったりします。そのなかでも私が好きだったのは「レッサムピリリ(レッサン・フィリリということもあります)」という曲で、それを皆で輪になって踊りながら歌うと、即座に仲良しになれます。
 そのCDを買ったときに、この曲はどんな内容ですかときくと、「曲名の「レッサム」とは「絹・シルク」を意味で、「ピリリ」とはそれがひらひらとはためく様子を表している」のだそうです。つまり「愛する人を思ってざわめく胸の内を絹がはためく様子に例えて歌う」ラブソングみたいでした。
 でも、今でもそのCDを聴くときがありますが、その内容より、あの雄大なヒマラヤの山々を思い浮かべています。
(2021.7.17)

書名著者発行所発行日ISBN
たもんのインドだもん矢萩多聞ミシマ社 京都オフィス2016年9月4日9784903908816

☆ Extract passages ☆

 ぼくは音楽そのものよりも、音楽のまわりを取り囲む空間や人びとが好きだった。そういう体験を通して音楽に触れてきたんだ、とそのときはじめて気がついた。パソコンや携帯端末からあらゆる国の音楽が簡単に取り出せても、そこにいたるまでの物語がない。それはずいぶん貧しい世界のように思えた。
(矢萩多聞 著『たもんのインドだもん』より)




No.1948『世界ヤバすぎ! 危険地帯の歩き方』

 この本は6月29日からの庄内への旅行で持ち出した1冊で、温泉に入りながら読むには、ちょっと違和感がありました。でも、私の旅もこれと似たようなところが多く、旅のテクニックなどはとても参考になりそうと思いながらも、読むのが遅れ遅れになりました。
 著者のことはまったく知らず、危険地帯を好き好んで歩くというのも、若いからできるのかなと思います。そういえば、私もインドのコルカタで友人と2人で植物園に行き、そこで知り合った若者のバイクで彼の自宅に行ったことがあります。そこでその家族といっしょにカレーを食べ、これこそが本当のインドのカレーだと思っていました。でも、今なら食中毒が怖くて、あんなことは絶対にしませんし、彼にバス停まで送ってもらい、バスに乗りホテルまで帰りましたが、それだって、一歩間違えば危険だらけです。まさに、「若気の至り」です。
 でも、著者が書いているように、その当時の旅と今の旅の様子がほんとうに変わりました。著者は「これらのほかにも多くのものが消えていった。喫煙席のある飛行機が消えて喫煙所ができた。ウォークマンはMDウォークマンになり、カセットテープ屋が消滅。ゲーム機もゲームボーイやPSPなどの専用機体はなくなり、スマホだけになった。スマホが進歩したことでホテルの「予約」や支払いの「電子決済」が旅の基本スタイルになり、宿屋のカウンターでの値段交渉も見られなくなった。」といいます。そういえば、買い物の値段交渉なども楽しみのひとつでしたが、今では現金支払いよりカード決済になり、ほとんどが定価販売のようです。
 最近では、以前はパスポートに出入国のスタンプが押され、あとから思い出す縁にもしたのですが、現在は「自動化ゲート」が進み、パスポートと指紋の照合により本人確認を行い,自動的に出入(帰)国手続きを行うことができるシステムです。つまり、ディスプレイの表示に従って操作するだけで、スタンプはありません。たしかに混むときなどは便利ですが、やはりスタンプを希望する人もいるようで、案内には「自動化ゲートの通過後,出国手続時には航空機への搭乗前,帰国(上陸審査)手続時には税関検査前までに,各審査場事務室の職員にお申し付けください」と書いてありました。そういえば航空券もなくなり、これも保管しておいてあとから見ることもできなくなりました。
 この本のなかで、簡単に旅を楽しむ方法として書いてあったのが、「まず、旅というのは「好奇心を満たす最良の手段」だと思っている。特に外国に行く場合、到着した場所は確実に異文化なので、知りたいと思いさえすれば、好奇心を刺激する要素がたくさんあるはずだ。だが、私のように世界中のあちこちをそれなりの頻度で歩き回っているとどうしても好奇心がわいてこないこともある。そんな場合にどうするのか。私がそんなモードになった時には決まって実行することがる。「途中下車」や「思いつきで行動する」である。バスでも電車でも地下鉄だって構わないので、予定していないものに飛び乗ったり、途中駅で下車するのだ。ここには私なりの目的がある。「別にどこに行くわけでもない」という感覚を取り戻したいからだ。」といいます。
 この「別にどこに行くわけでもない」という感覚は、私にも理解できます。つまり目的がないからこそ旅は自由なのです。縛られていては、旅ではないのです。自由にほっつき歩くことこそ旅の醍醐味です。
 下に抜き書きしたのは、あとがきにかえてと題して「旅をはじめよう」に書いてあったものです。私も人生を旅にたとえるのはおかしいと思っていたので、この考え方に賛成です。
 それと、旅に出るというのは、新しい出合いをもとめているからで、それは人だけでなく見たこともない風景だったり、植物だったりもします。つまり、好奇心が旅立ちを誘うようです。ところが、昨年からの新型コロナウイルス感染症の影響で海外はもちろん、県外にもなかなか出かけられない状況が続いています。病院に検診に行っても、県外に出かけましたかと聞かれるので、それもできません。
 仕方がないので、小町山自然遊歩道を歩いて、収束してからすぐにでも旅に出ることができるように体力だけは保持しておきたいと思っています。
(2021.7.15)

書名著者発行所発行日ISBN
世界ヤバすぎ! 危険地帯の歩き方丸山ゴンザレス産業編集センター2020年11月13日9784863112803

☆ Extract passages ☆

 旅を人生に例える人は多い。だが、私は似て非なるものだと思っている。人生を途中でやめたりすることはできなくても、旅ならば可能だからである。しかも何度だってやり直すことができる。私のように「もう辞めた!」と思った人でも、知りたいこと、見てみたいこと、会ってみたい人、食べてみたい料理、感じてみたい温度、触れてみたい空気があることを新たに知ってしまったら、「また旅に出たい」と思ってしまう。これらはすべて好奇心への飢えとして括ることができる。つまり、私にとって、旅とは好奇心を満たすための最良の手段となっているのだ。そして、好奇心とは人間を成長させる最大のファクターである。
(丸山ゴンザレス 著『世界ヤバすぎ! 危険地帯の歩き方』より)




No.1947『山頭火を行く』

 私も種田山頭火の俳句は大好きで、ときどきその書かれた本などを見ています。俳句は、どちらかというと読むというよりは、見ながらいろいろなことを考えているような気がします。
 目次の前の扉のところに、山頭火の「所詮、乞食坊主以外の何ものでもない私だった、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だった、浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ。水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。」と抜書きしてあります。
 たしかに山頭火は、旅人でありつづけた俳人でした。2017年2月28日から3月15日まで、四国88ヵ所の遍路をしましたが、何ヶ所かに山頭火の句碑が建っていました。そのひとつ、3月9日にお詣りした第73出釈迦寺の参道に「山あれば山を観る」と大きく彫られた句碑がありました。この本には、「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」とあり、その隣のページに山間の流れの写真がありました。
 この本を見て、たしかに山頭火の句と写真の相性はいいかもしれないと思いました。もし、機会があれば、私も山頭火の句に似合いそうな写真を撮りながら歩くのもいいのではないかと思いました。
 たとえば、この本の中に出てくる「ともかくも生かされてゐる雑草の中」という句に、秋の半分落ちてしまったかのような紅葉の写真が添えられていましたが、私なら、雑草がはびこるなかにたった1本だけ息づいているあまり目立たない草を撮ってみたいと思いました。
 もちろん、いろいろな取り合わせがあるはずですし、この本とは違う写真をあえて選ぶというのもおもしろそうです。
 下に抜き書きしたのは、写真家の著者が「あとがき」に書いてあるもので、美しさを見つけて写真を撮るという行為も似たようなものと喝破しています。
 私も、それこそ口幅ったいかもしれませんが、毎日小町山自然遊歩道を歩いていても、毎日新しい発見があります。それを写真にして、昨年は1冊の小冊子をつくりました。たった72ページですが、それだけ撮るものがあったということです。
 今年も新型コロナウイルス感染症がなかなか収束しないので、今年も雨の日をのぞいてほぼ毎日小町山自然遊歩道にカメラをぶら下げて行ってます。
(2021.7.12)

書名著者発行所発行日ISBN
山頭火を行く 四宮佑次 写真ランダムハウス講談社2006年11月1日9784270001608

☆ Extract passages ☆

 山頭火における行乞は「歩く、作る、飲む」である。歩くことにより「あらゆるものの美しさ」をあらためて見つけたのであろう。日はばったいが「歩き、作り、飲む」は、写真家の私にとっても共通するものだ。
(四宮佑次 写真『山頭火を行く』より)




No.1946『感染症と経営』

 副題が「戦前日本企業は「死の影」といかに向き合ったか」で、たしかに今の新型コロナウイルス感染症が収束してからの世界、そして日本はどうなるのかと心配です。
 そういえば、No.1942『やはり死ぬのは、がんでよかった』にも書かれていましたが、現代の人々は死という大きな問題をほとんど考えずに生きているといいます。しかし、この新型コロナウイルス感染症の影響で瞬く間に死と向き合わざるを得なくなったようです。しかも、毎日感染者の数や死者数などがニュースで流れますから、意識しないわけにはいきません。
 しかも、聞くところによると、最初のころは感染者が家庭から出ると村八分的な扱いを受けたり、は会社に戻ろうとすると嫌がられたりしたそうです。おそらく、これからもコロナワクチンを接種したかどうかで、いろいろな扱いの違いが出てきそうです。だとすれば、この新型コロナウイルス感染症収束後の経営も違ってくるのは当然かもしれません。
 著者は、この影響を「現在はどのような人であっても、人と接触する中で新型コロナウイルス感染症に感染し、あるいは自分が他人に感染させてしまうリスクがある。その結果として一部の人は死に至る。死に至らなくても、入院となった結果として、これまでの生活とは異なる生活を送ることを余儀なくされる。またそのような中で、とりわけ自営業者やフリーランサーの場合にはこれまでのような方法で収入を得ることが難しくなるかもしれない。新型コロナウイルス感染症は、このような日常の中に潜む将来の不確実性を人々に認識させることになった。」と書いています。
 これらのことは、ほぼ毎日ニュースなどでも取りあげられ、テレビのワイドニースなどでもさまざまな立場からコメントされています。最初のころは、営業自粛といわれても、そんなには長くないだろうと安易に考えていたのに、緊急事態宣言が解除された6月20日以降もお酒の提供はさまざまな制限がされています。もちろん、飲食店は直接影響を受けますが、そのお店にお酒を売っている酒屋さんもすごい打撃です。その反面、ノンアルコールが急激に伸びているそうで、その流れをつかむのはとても難しいと思います。
 著者は、終章「コロナ後」の経営で、次のようにまとめています。「企業との間で関係を構築することで、人々は死の可能性に対して直接的に(労働者の生活・衛生環境の改善、死や病気の場合の生活保護)、あるいは間接的に(企業と労働者との長期的な雇用関係の構築、消費者の「騙される」可能性の低下、株主へのリターンの維持・向上)に対応することができるようになる。ここでは個人の死や病気を考えたが、実際には新型コロナウイルス感染症がもたらす将来の不確実性はこれにとどまらない。新型コロナウイルス感染症については、いわゆるロックダウンや外出自粛の要請により、労働者にとっては働けなくなり、収入が減る可能性がある。」ということなどは、1年半の経験からでも理解できることです。
 おそらく、コロナワクチンを接種したとしても、しばらくは新型コロナウイルス感染症の影響は残りそうです。たとえば、イギリスなどでも、接種を受けた方でもコロナに再感染したというニュースがありました。だとすれば、なおさら、この本でなんども書いてあるように「死の影」と向き合うことになりそうです。
 もちろん、人は生まれたときから死ぬことに決まっています。ただ、この新型コロナウイルス感染症がこんなにも広まらなければ、あまり思い出すこともなく過ごすことができました。そういう意味では、戦前の人たちと同じように「死の影」と向き合わざるをえないようです。
 下に抜き書きしたのは、新型コロナウイルス感染症が拡がりつつあるとき、リモートワークが脚光を浴びたときがあります。その流れが今も続いていて、オリンピック開催中もなるべくならリモートワークで仕事をしてくださいと政府は要請しています。
 でも、これだってリモートができる仕事とできない仕事があり、特に製造業などは絶対にできないようです。また、できる業種にしても、ある程度の対面は必要で、それがないと意思の疎通を図ることは難しいという話しも聞きます。
 だからこそ、下に抜き書きしたところなどは、しっかりと考えてほしいものです。
(2021.7.10)

書名著者発行所発行日ISBN
感染症と経営 清水 剛中央経済社2021年5月10日9784502377419

☆ Extract passages ☆

リモートワークの拡大により企業で働くことの意味が問い直されているが、労働者にとっては企業で働くことで将来の不確実性を回避することができ、また分業と協業により生産性を向上させることができることが重要な点である。言い換えれば、分業と協業ができ、将来の不確実性を低下させることができるのであれば、働く場所はどこであってもかまわない。要は分業とその中での協業(組織的な意思決定の調整)が可能であることと、企業が一雇用を提供し、急に解雇したり、賃金を切り下げたりしないことが重要なのである。リモートワークがそのまま脱組織を意味するわけではないことには改めて注意が必要だろう。
(清水 剛 著『感染症と経営』より)




No.1945『宗教と日本人』

 前回の『廃仏毀釈』(ちくま新書)でも感じたのですが、日本人は意外と宗教に無関心だったりして、日本には本当の宗教は根付かないといわれたり、おそらく日本人でさえも、どのようにとらえているか各個人でも宗教観が違うような気がします。
 副題は、「葬式仏教からスピリチュアル文化まで」とあり、この題を見ただけでもその多様性がわかります。著者は、「あとがき」のなかで、「神仏や自然、死後の世界への信仰を抱いている人々は一定数いるだろう。だが、そうした人々は少数であり、信仰の観点だけからでは日本の宗教は捉えきれない。これが本書の立場である。宗教を信仰だけでなく、実践と所属も合わせた視座から捉え返すことで、非合理に見える振る舞いの背後にある合理性や感情が見えてくる。」と書いていますが、なるほどと思います。たしかに、最近のスピリチュアル文化などの場合、ほとんど宗教を意識させないような工夫が多く見受けられます。それは、オカルト的な新興宗教が社会問題になったり、あまりにも縛りが多いように感じる教団の体質などからある程度の距離を起きたいという意識なのかもしれません。
 だから、サム・ハリス氏のように、宗教をスポーツのようなカテゴリー概念として用いることもこれからはあるように思います。同じ宗教でも、本格的な信仰をするとか、あるいは宗教の疑似体験でもいいから癒やしをうけたいとか、いろいろなものがあってもいいし、これからはますますその傾向が強くなっていくような気がします。
 著者は、スピリチュアル文化は、「スピリチュアル文化では、特に瞑想が非宗教的な技法として好まれ、たとえばマインドフルネスによって深い癒しを得て、過去にも未来にも囚われない理想的な精神状態に到達するといったことが言われる。だが、こうした言説は、実のところ、修行によって魂を浄化し、悟りの境地にいたるといった考え方と大差ないのである。そうした点で、スピリチェアル文化は、科学との親和性を保つための宗教の再構築と言える。宗教と科学の融合が主題として説かれ、世界の説明原理として、力、気、念、宇宙、大自然、内なる神といった、よリニュートラルな概念が頻出する。科学的言説を意識し、それを取り込む過程であからさまに宗教的な神が殺され、世俗社会の文化や価値観と相性の良い信仰や実践が生み出されているのである。」といいます。
 テレビなどのマスコミで取りあげる場合などは、とくにこのような意識は顕著にみられます。まさに宗教とは一線を画したような味付けです。
 しかも、宗教者でない、マスコミ受けするような評論家的な方々の意見として取りあげると、さらに宗教色は薄まります。もちろん、それが狙いなのでしょうが、著者が指摘するように、この流れはまだ続きそうです。
 下に抜き書きしたのは、日本の仏教を葬式仏教として非難されつつも残ってきたのはなぜかという問いに対するものです。
 今まで、何度か今のままの仏教はほんとうの仏教という宗教ではないといわれてもきました。それでも、江戸時代からの流れが今も続いているのです。だとすれば、続いていることの意義もある程度は考えなければならないと思います。
(2021.7.7)

書名著者発行所発行日ISBN
宗教と日本人(中公新書) 岡本亮輔中央公論新社2021年4月25日9784121026392

☆ Extract passages ☆

 なぜ地獄も浄土も信じないのに戒名を貰い、僧侶を導師にして葬式を行うのか。それは、死者を送る作法として、葬式仏教を利用するのが便利だからだろう。そもそも葬儀は死者のためだけに行うものではない。その人の今後の不在を社会に告知し、悲しみを表現し、遺族を慰安する実践として、葬式仏教は長い時間をかけて整備され、日本社会に定着してきた。
 宗教社会学者の櫻井義秀は、自身の体験も踏まえながら、葬式がもたらす感情に関わる効能を指摘している。枕経から告別式までの一連の儀礼は、それに集中することで悲嘆の感情を和らげてくれる。そして、次々と訪れる親族や知人との感情交流は、人間関係の強化・再確認の機会になるというのである(『これからの仏教葬儀レス社会』)。
(岡本亮輔 著『宗教と日本人』より)




No.1944『廃仏毀釈』

 この本も6月29日からの旅行で持ち出した1冊で、せっかく湯殿山の丑年ご縁年にお詣りに行くのでと考えたのですが、旅先で読むにはちょっと重い内容でした。でも、出羽三山をお参りしながらなので、副題の「寺院・仏像破壊の真実」を考えることができました。そういう意味では、この本を持っていくことは正解だったと思います。
 6月29日は湯殿山にお詣りし、翌30日には、宿でもらった「やまがた夏旅クーポン」を利用して「アル・ケッチャーノ」で昼食を食べ、先ずは国宝「五重塔」に行きました。いでは文化記念館の道路向かいの駐車場に車を駐め、随神門から石段を下りました。ここを下りながら、愛知県知立市にある二層の塔は、当時の神官や氏子たちが上部の相輪を取り外し、屋根を入母屋造り瓦葺きに改造し、さらに刈谷藩主土井利教に「知立文庫」が書いた扁額を掲げるなどして「これは塔ではなく宝庫である」と申し出て、破壊から守りました。それらを考えれば、この五重塔が取り壊されずに残ったのは、廃仏毀釈が激しかった出羽三山のなかでは、ある意味、奇跡的なことだったのではないかと思いました。ここには、もともとは聖観世音、軍荼利明王、妙見菩薩が安置されていたのですが、現在は大国主命を祭神としてまつっているそうですが、その歴史などを考えながら荘厳な五重塔を下から仰ぎ見ました。この本では、「五重塔は神仏分離で寺院に与えられ、ほかに移転することになったが、多額の経費を要することなどから対応に時間を費やし、結局は神社の所有となった」とあり、今では出羽三山のシンボルとなり、いろいろなパンフレットに写真も載っています。
 こうして考えてみると、ただ神祇官や神官や国学者たちに廃仏毀釈を先導され破壊行為をしたのではなく、この本には、手向の修験者は「手向の修験300坊で復飾、改名した修験者は、神社から自坊に帰ると僧に戻り、読経をしていたともいわれる」と書いています。たしかに、信仰というのは、上からいくら押さえつけられたとしても、もともとの信仰を簡単に捨てられるものではありません。この手向の集落を歩いて、たしかに仏教的なものはありませんが、それらを感じさせる雰囲気はありました。たとえば、随神門も、元を正せば仁王門だったのですが、平田篤胤門下の急進派が宮司になり、徹底的に廃仏毀釈をしたことから、月山と羽黒山から手向に至る寺院堂塔113棟のうち、85棟が取り壊されたそうです。
 そういえば、2017年に四国88ヵ所をまわったときも、ひとつの境内に2ヵ所の札所があり、これはどのような経緯でこのようになったのかと思い、案内板などを見ましたがそれには何も触れていませんでした。ところがこの本には、「68番札所はもともと琴弾八幡宮で、神恵院はその別当寺だった。神仏分離の際には神恵院が札所となり、八幡宮に神官が不在だったこともあって、宝物類の配分などの分離作業は円満に進んだとされる。八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は琴弾山麓の観音寺の境内に移転する。寺領寺財が制限された神恵院の院主は生活に困窮したという。神恵院は檀家も持っていなかったことから、69番札所の観音寺の境内に本尊を移すことになった。こうして観音寺の西金堂を神恵院本堂として、「ひとつの境内に二か所の札所」という特異なかたちで存続することになったのである。これ以降、神恵院は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として現在に至っている。」と書いてあり、これで納得しました。
 また、ここだけでなく、四国88ヵ所をまわって神仏分離政策のひずみがあちこちに見られ、その当時の寺院などの苦労をひしひしと感じました。
 もちろん、大変だったのは神社も同じで、「明治時代の末期から起こった合祀、整理政策により、多数の神社が合併ゃ遷座を余儀なくされることになる。神仏分離と神社合祀は、近代日本の国家体制が強制したものであり、太平洋戦争以前には反省や検証することは難しかったにせよ、戦後の社会ではもう少し早くに顧みられるべきだったのではないだろうか。」と著者も書いています。
 下に抜き書きしたのは、出羽三山をお参りしながら考えたことでもあり、とても大切なことだと思い、ここに書き写しました。
 神仏分離や廃仏毀釈の嵐が過ぎて150年ほど経ちますが、まだまだその後遺症ともいうべきことがたくさんあります。だとすれば、その歴史的、宗教的なねじれをもう1度見直し、考える機会が必要です。そして、それを回復できれば有難いと思うのは、私ひとりだけではないと思っています。
(2021.7.4)

書名著者発行所発行日ISBN
廃仏毀釈(ちくま新書)畑中章宏筑摩書房2021年6月10日9784480074072

☆ Extract passages ☆

 幸か不幸か、廃仏毀釈の嵐を潜り抜けて、ほかの寺院に遷座されたり、博物館に収蔵されたりしている仏教美術は決して少なくない。破壊行為で失われたものをよみがえらせることはできないが、こうした流転をたどってみることには、近代史を見直す意味があるだろう。また神社に隣接していた神宮寺の痕跡を探ってみることもできる。あるいは、廃仏毀釈を免れた堂塔と、その現在の状況を、神仏分離・廃仏毀釈の「文化的景観」として観るのはどうだろうか。
(畑中章宏 著『廃仏毀釈』より)




No.1943『わたしの世界辺境周遊記』

 6月29日から、本当に久しぶりに温泉へ泊まりに行きました。まだ、県外に出るのは少しためらわれるので、今年は丑年ということで、丑年ご縁年の湯殿山などにお詣りし、庄内の由良温泉に行きました。せっかくここまで来たので、同じ旅館に2泊し、ゆっくり本も読みました。その1冊がこの『わたしの世界辺境周遊記』です。
 副題は「フーテン老人ふたたび」で、そういえば、この著者の『雲表の国―チベット踏査行』はとてもおもしろく、何度か読みました。この本のなかにも「6 ヒマラヤ山麓の「桃源郷」―ブータン」があり、とても懐かしく思い出しながら読みました。その他にも私が行ったところがいくつかあり、今でもよく覚えています。
 そういえば、この本に出てくるブータンの首都ティンプー郊外にあるタシチョゾンの回廊に「宇宙図」があり、このヒマラヤの辺境に宇宙を真上から眺めたようなマンダラがありました。この本ではパロのゾンにあると書いてあり、「現代では人間が地球を外側から、宇宙空間の方向から眺めはじめている。太陽系の外に出て、その外側から見返す目を持つようになった人間は、生命の条件である大気や光や水や土、 つまり風輪、火輪、水輪、土輪を備えた地球そのものの有限を知った。つまり人間は精進して他の生命に生まれ変われたとしても、それを永遠に保つことはできない。輪廻転生も永世も地球や太陽系あっての話で、その地球もやがて滅びるものと感覚されてしまったとき光彩を失う。」とあり、海も見たことがないのになぜこのような宇宙図を描けたのかと不思議に思いました。
 もちろん、何枚も写真を撮ってきましたし、その後、ネパールに行ったときにこれと似たような宇宙図を見つけ、買い求め、今も手もとにおいてときどき眺めます。でも眺めれば眺めるほど、その視点のすごさにびっくりします。
 それ以来、ときどきマンダラを買い求めるようになり、現在では50点以上も収集し、「大黒さまのホームページ」でも公開しています。そして、宇宙図だけでなく、その象徴的な図案、またその斬新なデザイン力に驚かされます。もし、興味があれば、このホームページを見てみてください。
 著者は、「14 南極にもっとも近い島」のなかで、旅の記録の日記に「元気なうちに歩きのこした世界中を旅行しょう。足腰のしっかりしているうちに、五大陸の未知の土地をたずねよう。もう、5年しかないのだよ。たったの1800日間だ。日本の男の平均寿命の歳まで。もうすぐなのだ。もう5年、なんとか元気で、海に山に、氷河地帯に、砂漠地帯に旅して、生きていることをたしかめたい。こころの通いあうほんとうの友と。わたしは今、72歳、この50年、じつによく働いた。われながらよく働いたとおもえるほど働いた。……」と書いています。じつは、私も今年で72歳、よく働いたかどうかはわかりませんが、あと5年、いや今は平均寿命も少しは伸びているのであと10年ぐらいは海外旅行をしてみたいと思っています。
 下に抜き書きしたのは、「2 「死んだらどこへゆくのかと嘆くなアーナンダよ」と釈尊は戒める」に書いてあるもので、日本人はインドというとベナレスの印象を持っていると書いていて、私に言わせればさらにインド人はターバンを巻いていて、カレーを食べているという印象があるように思います。
 しかし、インドほどごった煮の世界はなく、最近では新型コロナウイルス感染症のインドで確認された感染力の強い「デルタ株」もあり、なかなかわかりにくい国でもあります。でも、インドは昔から天竺であり、仏教が生まれたところでもあり、日本人は親しみを感じていたと思います。
(2021.7.1)

書名著者発行所発行日ISBN
わたしの世界辺境周遊記色川大吉岩波書店2017年11月14日9784000612319

☆ Extract passages ☆

 わが国の人にとってのインドは、デリーよりもカルカッタよりもベナレスの印象からはじまる。聖なる河ガンジスに面したヒンズー教最大の聖地で、人びとはその遺骸を灰にして流してもらうことを切望している。ガンガの神に抱きとめられることによって、人は来世でよりよい生に生まれ変われると信じているからである。
 それならば哀悼の念で厳粛に静寂が保たれているかと思うと、まったくそうではない。ガンジスの河岸には数キロにわたって数万の群衆が騒音を立てて生きているのである。遺体を焼いている近くで、大声でモノを売る商人、また洗濯をしたり、沐浴をし、祈り、談笑する人びともあり、それぞれが独自の生き方を主張してはばからない。
(色川大吉 著『わたしの世界辺境周遊記』より)




No.1942『やはり死ぬのは、がんでよかった』

 この本は、今月に人間ドックで検査中に半分ほど読み、それから1日で読み終えました。病院のなかなので、医療関係者や受診者の方々に本の題名が見えないようにして、読んでました。
 特段、悪い本を読んでいるわけではないのですが。題名が題名なので、少しは気にかかりました。すでに『どうせ死ぬなら「がん」がいい』という新書は持っていますし、『大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】』なども読んでみたいのですが、どうもお医者さんが書くような内容ではないような気がします。でも、ある意味、お医者さんの立場からこのような本を書くから、おもしろいのかもしれませんが、今、人間ドックを受けながら、その受ける意味は「検診業界を潤し、病院の経営安定や医者の生活保障の役に立っている」からで、心の広い方はお続けいただきたいといわれれば、なんとも心おだやかではありません。
 著者の好きな学説は、「治療の4原則」だそうで、「治療の根本は、自然治癒力を助長し、強化することにある」といいます。つまり、「P131」です。
 だから、これまで一度も解熱剤や鎮痛剤などのたぐいを使ったことはないといいます。
 たしかに、風邪を治す薬はないといいますし、ある程度は自然治癒力を高めるようにしていけば、それが一番いいとは思います。でも、やはり一般人は、病気になると心配だし、もっと悪くなったらどうしようと考えてしまいます。
 ただ、ある程度の年齢になれば、自分の身体をしっかりと使ってきたのだし、どんなものにも耐用年数はあると思ってますから、ある程度の思い切りは必要です。少しばかり歩くのが不自由でも、今までの倍の時間がかかってもいいだろうし、誰から補助してもらっても仕方ないと思います。
 ただ、少しでも健康寿命を延ばす努力はしていきたいと思っています。
 そういえば、著者の「生活習慣病の特徴は、「治らない」「治せない」「予防できない」「すぐには死なない」です。なぜ、治らないのか。それは、ひとことでいえば、うつらない病気だからです。肺炎とか赤痢などのようにうつる病気(感染症)は、完治する可能性があります。しかし、高血圧や糖尿病などの生活習慣病は、他人にうつることはありません。……うつる病気は、肺炎菌や赤痢菌などのように、原則、私たちの身体の外にあります。」といい、たしかに自分の内から出てくる生活習慣病は治せないというのは卓見です。
 そして、これらの病気の原因は「ご先祖さんから受け継いだ糖尿病になりやすい素質、高血圧になりやすい体質、それにあまり運動もせずにたらふく食べる食習慣、塩辛いもの好きなどという悪い生活習慣、さらに老化もからんで、40歳過ぎぐらいから発症してくる病気です。」から、どこから考えても予防もしにくいようです。
 でも、だからといって絶対に予防できないというわけではなく、生活習慣をしっかりと見なおし、少しでも押さえるような工夫はできると思います。
 下に抜き書きしたのは、仏教の「生老病死は苦」について書いてあるところです。
 一般的には「苦」は苦しいという解釈をしてしまいますが、私のインドの友人もこの世はどうにもならないとよく話してました。だから、少しでも良いことをして、来世には今よりもよい人生を生きたいと願うといいます。
 そういう意味では、仏教というのは諦めではなく、積極的な生き方でもあると私は感じています。
(2021.6.28)

書名著者発行所発行日ISBN
やはり死ぬのは、がんでよかった(幻冬舎新書) 中村仁一幻冬舎2021年3月25日9784344986176

☆ Extract passages ☆

例えば、「生老病死は苦」という言葉がありますが、「苦」は苦しいという意味ではなく、原語ではドゥフカといって「思い通うにならない」という意味になります。
 つまり、人生は思い通りにならないものだということです。思い通うにならない人生を思い通りにしようとするから苦しくなるのです。どうせ思い通うにならないのなら、思い通うにならなくてもいいと明らめればいいのです。そうすれば、気持ちが楽になります。
 また、仏教の根本教理といわれる『般若心経』に「色即是空 空即是色」という言葉があります。これは「こだわらず、とらわれず、あるがまま受けよ」という教えです。
(中村仁一 著『やはり死ぬのは、がんでよかった』より)




No.1941『植物のいのち』

 この本の著者のものは、何冊か読んでいますが、いずれも興味深いもので、この本を図書館で見つけたときには、すぐに借りることにしました。
 「はじめに」のところで、新型コロナウイルス感染症との戦いで、人は外出自粛、マスクの着用、密閉・密集・密接という三密を避けるなどの対策をとっていますが、植物は大昔から、これらを避ける生き方をしてきたといいます。つまり、もともと植物は、動きまわることはありませんし、飛沫を飛ばすような言葉をしゃべらないし、過密な状態を避けるようにして生きてきました。
 だとすれば、著者がいうように、「私たち人間が新型コロナウイルスから自分のいのちを守ろうとしている方策は、植物たちがいのちを守るために身につけていることと一致しているのです。私たちと植物たちとは、同じしくみで生きているのですから、私たちが気づいたいのちの守り方が、植物たちのいのちの守り方と一致していても不思議ではありません。」というのはあり得ます。いや、むしろ植物たちのほうがこの地球上で暮らしている時間がずっとずっと長いわけですから、当然のことかもしれません。
 そういえば、春になって花が咲くのを不思議にもなんとも感じていない方が多いのですが、よく考えてみると、やはり不思議です。目もないのに春をどこで感じるのか、不思議といえば不思議です。よく春になると、いつ桜が咲くのかという桜前線が話題になりますが、これだって積算温度が大切だといいます。でも、それはいつから計るのかとか、いつも同じ気温だとすればどこで判断するのかとかが気になります。
 植物の種を蒔くとき、いっせいに芽だしをするために冷蔵庫に入れて十分に寒さに当ててからまくといいのですが、たとえばサクラなども冬の寒さがないうまく咲けないそうです。ということは、積算温度だけでなく、冬の寒さも大切だということになります。
 今回の新型コロナウイルス感染症のことについて、在ニューヨーク総領事山野内勘二大使が「春の来ない、冬はない。朝の来ない、夜はない、雨の後には虹が出る。」と日本語ニュース番組(FCIモーニングニュース)で話したそうです。まさに、植物たちはあまり当てにならない温度だけでなく、しっかりと季節を感じていたということになります。
 私も子どもたちに植物の生き方から、いろいろと学ぶべきことが多いと話すことがあります。そういう意味では、この本はとても参考になります。
 下に抜き書きしたのは、第5章「植物のからだと寿命を支える力」のところに書いてあった「樹木の分化全能性」についてです。
 そういえば、ノーベル賞を受賞した山中山中伸弥教授は、iPS細胞を2006年に誕生させ、これからの再生医療を実現するために重要な役割を果たすと期待されています。この細胞は「人工多能性幹細胞」と呼び、英語では「induced pluripotent stem cell」と表記するので、その頭文字をとって「iPS細胞」と呼ばれているのです。
 でも、そのあたりにたくさんある木々は、大昔から分化全能性を持ち、長寿であったわけで、いろいろな意味で私たちはもっともっと植物に学ぶべきことがあると思いました。
(2021.6.25)

書名著者発行所発行日ISBN
植物のいのち(中公新書) 田中 修中央公論新社2021年5月25日9784121026446

☆ Extract passages ☆

 樹木のからだは、根、茎、幹、芽、葉っぱなどが、すべて、細胞からできています。特に、樹木の場合には、それらの細胞には、歳を重ねたものもありますが、新しく生まれたものがあります。そして、細胞には、「1つの細胞は、どんな形やはたらきをしていても、1つの完全な個体をつくる」という分化全能性があります。
 そのため、歳を重ねた細胞のはたらきが衰えたときや失われたときには、若く元気な細胞がそのはたらきを担うことができます。
(田中 修 著『植物のいのち』より)




No.1940『つのじまん つのくらべ』

 この本は「いきもの写真館B」だそうで、@もAも同じ著者で、ともに楽しそうな本です。機会があれば見てみたいと思います。特に@の「べんりなしっぽ!ふしぎなしっぽ!」はなんともおもしろそうで、一昨年、マダガスカルで見たキツネザルたちを思い出しました。
 著者は、元上野動物園の園長さんだったそうで、よくこんなにもつののある動物たちの写真を集めたと感心しました。たしかに、つののある動物たちはいろいろいますが、ここ小町山自然遊歩道にもニホンカモシカがいたり、小さいときにはヤギを飼っていたこともあり、いろいろなことを思い出します。たとえば、先日も小町山自然遊歩道でヤグルマソウの写真を撮っていたら、その先に2頭のニホンカモシカがいて、向こうもビックリしたでしょうが、こちらもちょっと慌てました。というのは、その間隔が5メートルもなかったようです。
 慌てたといえば、ネパールで出合った「ヤク」は、とても立派なツノを持っていて、大きさもニホンのウシよりも大きくふさふさした毛に覆われていました。私が撮りたいと思って近づいたのはシャクナゲの大木で、その近くにそのヤクがいて、とても怖くて近づけませんでした。シェルパに聞くと、とくに野生のヤクは怖いというので、その場をそっと離れました。
 また、2018年の9月から10月にかけて、南インドのケララ州に12年に1度しか咲かないクリンジの花を見に行ったことがありますが、そのときに「ニルギリタール(Hemitragus hylocrius)」というウシ科タール属に分類される動物を見ました。一見するとヤギのようにも見えますが、南西ガーツ山脈の山岳熱帯雨林の山岳地帯の草原に生息していて、絶滅が心配されている危惧種だそうです。この本には出てきませんが、ツノもありますが、その優しそうな目がとても印象的でした。
 ガイドさんによれば、タミル語では「wurrai」といい、この語は「goat」を意味する「aadu」に由来しているそうです。つまり、私がヤギと思ったのもあながち間違いではなさそうです。
 この本のなかで、とくに印象に残ったのは「ヘラジカ」で、この本のなかの印象というよりは、星野道夫さんの写真集に出てくるヘラジカの雄姿です。あの堂々としたツノの大きさには圧倒されます。もともと植物は好きですが、動物は怖いというのが先にたち近づきがたい印象しかないのですが、写真集などで見ると、このたった1枚の写真を撮るには何日も何日も粘ってシャッターを切ったんだろうなと思っいます。しかも、まさに命がけの撮影だってあります。
 下に抜き書きしたのは、「シカのなかま」に書かれていたもので、このシカのなかまでメスにもツノがあるのはトナカイだけで、オスは左右一対の2本のツノが毎年1貝抜けかわるのだそうです。
 この本のなかに、サンタクロースの乗るソリを曳くトナカイの話しが載っていましたが、トナカイのオスはメスより早くツノが落ちてしまうので、クリスマスのころにはオスにツノがないそうです。つまり、そのころにツノがあるのはメスだけなので、サンタクロースのソリを曳くのはメスではないかと著者はいいます。
 でも、おそらく普通の人にとっては、そこまで考えないので、どちらでもいい話しですが、なるほどと思いました。
 それよりも、シカのオスは繁殖シーズンが終わりツノが抜け落ちると、また伸びてくるまではおとなしく暮らしているそうですから、その静かな暮らしもいいものではないかと思いました。私も古希を過ぎ、人と角突き合わすこともなくなり、毎日が静かに過ぎていくようで、いわばツノのないおだやかな生活をしています。
(2021.6.22)

書名著者発行所発行日ISBN
つのじまん つのくらべ(いきもの写真館) 小宮輝之 文・写真メディアパル2021年3月16日9784802110525

☆ Extract passages ☆

 オスは、天敵に対してよりも自分のなわばりに入ろうとするライバルのオスジカに対して角を使い戦うことが多いのです。戦わなくても立派な角を見てライバルは尻込みし、退散することもよくあります。角は繁殖シーズンが終わる春先に落ちてしまい、また伸びてくるまで、おとなしく静かにくらすのです。
(小宮輝之 文・写真『つのじまん つのくらべ』より)




No.1939『渋沢栄一』

 このミネルヴァ日本評伝選というのを読んだ記憶はほとんどないのですが、巻末の案内を見ると、相当数あるようで、これを機会に他も読んでみようかと思いました。
 この本の副題は、「よく集め、よく施された」とあり、いかにも渋沢栄一らしさを表しているようです。この言葉は、清浦奎吾がこのように評した(原資料は『竜門雑誌』580号、5ページ)そうで、お金を稼ぐだけでなく、教育事業や社会事業、そして慈善活動のためにも資金を集め、その使われ方にも注意を払いながら、恵まれない方々にも届くことを心がけていたという意味でもあります。
 でも、最近とくに注目されるようになってきたのは、2021年のNHKの大河ドラマで取りあげられたり、新しい日本銀行券のデザインに渋沢栄一の肖像が採用されることに決まったことなどのようです。しかし、韓国ではこの新しい紙幣に対する反発があるらしく、その根っこには韓国で最初の紙幣の肖像に渋沢栄一が使われたことのようです。そういえば、韓国の経済紙「ソウル経済」の2017年のコラムに、「不法と強権と武力により、民間銀行が国の通貨を発行した」と書いてあるそうです。
 ところがこの本には、「このように支店業務が発展した背景には、当時の朝鮮・韓国における通貨制度が不備で、鉄銭、銅銭、真鍮銭、銀貨、葉銭、紙幣等が混在し、通貨の交換に円滑を欠いていた事情があった。こうした状態を打開するために、1895年には韓国政府との特約に基づいて開港場で通用する銀行券を発行する役割を第一銀行支店(釜山、仁川両支店及び京城出張所、同出張所は1903年に支店)が引き受けることになった。こうして近代的な金融制度、通貨制度の整備が遅れていた韓国において、第一銀行はその役割を代替することとなった。この時に発行されたのが、渋沢栄一の肖像のある第一銀行券であった。」とあり、この違いが日韓両国の歴史認識の違いではないかと思いました。
 おそらく、このようなことだけを考えても、認識の違いがあるのだから、社会の隅々まで考えれば、相当な食い違いはあるはずです。だとすれば、お互いがしっかりと向き合って、渋沢のいうように政治家を入れずに民間ベースで考えることが大切だと思います。そうすれば、あまり利害関係でぶつかることもなく、選挙の思惑でゴールポストも動くということもなくなりそうです。それをあの時代にはっきりと言っていたことは、卓見です。
 下に抜き書きしたのは、島田昌和氏の研究による渋沢栄一が関わった会社の概要です。
 一般的には渋沢が関与した企業は500社ほどあるといいますが、島田氏によれば、『渋沢栄一伝記資料』全58巻には、約350社の関係資料が掲載されているそうです。そして、株式会社などの枠組みを作り出すために国立銀行条例や立会略則の編纂などによって企業制度そのものに必要な要件に対する知識や経験なども、渋沢にもとめられたといいます。さらに「それだけでなく、栄一が取引所を設立して株式の売買に途を拓いたとはいえ、とりわけ明治の前半期には株式の流通には限界があり、必要な資金を株式会社などの制度によって集めるのは、対人信用に基づく人的なネットワークに依存する面が大きかった。だから、栄一を発起人などに加えることは、会社の設立のために資金を集めようとする起業家にとって頼りになる存在であった。そして、井上馨をはじめとする政界とのパイプをもつ栄一は、必要な場合には政府の補助などを獲得することにも大きな役割を果たすことが期待できた。」と書いています。
 そして、それらの企業が今も存続し発展していることを考えれば、先賢の目があったことは間違いないなさそうです。
(2021.6.20)

書名著者発行所発行日ISBN
渋沢栄一(ミネルヴァ日本評伝選)武田晴人ミネルヴァ書房2021年4月10日9784623091652

☆ Extract passages ☆

第一に日本煉瓦製造、東京製綱、東京人造肥料、東京海上保険、石川島造船所、王子製紙、東京瓦斯、札幌麦酒の各社のように、それまでの日本には存在しなかったまったく新しい欧米の知識や技術を導入した業種がきわめて多いこと、第二に日本鉄道、北海道鉄道、北越鉄道、若松築港、門司築港、磐城炭礦、長門無煙炭礦の各社のように鉄道、港湾、炭鉱などの近代経済のインフラといえる業種が多いこと、第三に、主要な役職者として関わる場合には、一業種一社を基本原則としていたこと、第四に、鉄道や炭鉱などのように同一業種でも複数会社の役職につく場合、地域的に折り重ならないことを原則としていたこと、である。
(武田晴人 著『渋沢栄一』より)




No.1938『人間の器』

 著者の丹羽宇一郎氏と聞いて、真っ先に思い出したのは、伊藤忠の役員時代に不良債権処理を進めながら西友からファミリーマートの株式を取得するという、あまりにも相反する戦略をしたことです。この本にも書いてありましたが、それまでの商社といえば農産物や鉄、石炭といった資源を海外から買い付けて販売することだったようですが、その商社特有の収益構造を変えなければ未来はないと考え、不良債権処理後の攻めの新規事業としての戦略だったそうです。だからこそ、翌年から黒字に転換し、大幅増収につながったといいます。
 たしかに、大きな人間の器がなければ達成できなかったと思い、つねづねどのように考えているのかと考えて、読み始めました。
 そのひとつに、大きな企業といえども、ダイバーシティ(多様性)が必要だといいます。「年齢、性別、国籍、学歴、職歴などの多様性があるほど、企業組織はポテンシャルを高め、しなやかな強さを持ちえます。さまざまな「違い」を持つ人間が1つのことを協力してやると、とんでもない力が生まれたりします。違いがあるからこそ互いに刺激を受け、創造的な化学変化が起きるのです。同じような考え方をしている人や感覚が近い同年代の人とばかりつき合っていては、発想も行動も画一的になっていき、個性もどんどんなくなっていくものです。人は人と違うからこそ、生きる意味があります。」と書いています。
 つまり、「意見」というのは、ある意味「異見」であり、それらを認め合うからこそ、そこに新たな創造が生まれてくるのです。しかし、小さな企業でワンマン経営でうまくいっているところもありますが、それを基準にして考えることはできません。
 また、人間個人にもこのような考えが当てはまると思ったのは、「アリとトンボにたとえるなら、どんな仕事でも最初はアリの精神で地べたを這うようにコツコツと努力をする時期が必要です。これが仕事の上台となります。アリの努力をする時間を経なくては、トンボのように複眼で空から俯瞰して、先を見通しながら仕事をすることはできません。」と書いていて、たしかにその両方が必要だと思いました。
 たとえば、経済学でもマクロ経済学とミクロ経済学のようなものがあって、どちらに片寄っても、まっとうな見方や考え方が出来にくくなってきます。おそらく、すべての分野でも、同じことがいえそうです。
 しかも、今の時代は、とくにこのようなダイバーシティという考え方は大切で、このような視点を欠くと、とんでもない見当違いの異見が飛び出したりします。そのためにも、今の状況を分析するだけでなく、さまざまな分野の本を読むことも必要です。
 下に抜き書きしたのは、第2章「人間の器」は仕事で変わる、に書いてあったものです。
 著者は、「読書は人間をつくる上で欠かせないものであると確信して」いるといいます。そして、「もう40年以上、私は寝床につく前に毎日欠かさず30分以上、読書をしています」と書いています。そういえば、私も本を読むことが好きで、学生のころから毎日時間があると読んでいました。しかも、まったく興味本位で選ぶので、あまりジャンルにはこだわりません。
 この『本のたび』を見ていただいてもわかるように、まったくランダムです。もともとは植物関係の本が中心でしたが、仕事の関係や年齢の変化など、いろいろな要素があるとは思いますが、これからもあくまでも興味のおもむくままに読み続けていきたいと思っています。
(2021.6.16)

書名著者発行所発行日ISBN
人間の器(幻冬舎新書)丹羽宇一郎幻冬舎2021年3月25日9784344986183

☆ Extract passages ☆

 読書は世界をより広く知る手がかりを与えてくれます。考える力を鍛え、想像力を伸ばし、人格を陶冶してくれます。読書によって得た知識は、生きる力になります。
 ただ知識だけでは十分ではありません。知識という燃料を燃やして人生に生かすには、加えて経験も必要です。
 経験したことを、持っている知識に照らしあわせて吟味、検証すると、知識は修正され、それを元にまた新たな行動が生まれます。つまり、知識と経験は相互にフィードバックし合って、その人の血や肉になっていく。要は知恵という結晶になるわけです。私は身体を使って経験したことと、頭の中にある知識が混じり合って生まれる知恵こそ、人生を力強く切り拓いていくェンジンだと考えています。
(丹羽宇一郎 著『人間の器』より)




No.1937『回想のすすめ』

 先月に米沢市から「脳ドックの案内」があり、申込みが多数の場合は抽選で半額の補助があるということなので、申込みましたがダメでした。つまり、補助が出ないということで、脳ドックを受診しないことにしました。あまり気になることもないし、ダメだということはしなくてもいいからかもしれないと良い方向に考えて、その分でおいしいものでも食べようと思いました。
 この本の副題は「豊潤な記憶の海へ」とあり、長生きをすればするほど、痴呆症でもない限りはいろいろな記憶がありそうです。私もヒマがあるときには、パソコンのなかに入っている昔の写真をスライド映写して見たりしていますが、意外と楽しいものです。著者も、回想の糸をたぐるということで、「現代人の最大の敵はストレスだといわれる。癌の原因の一つにもストレスがあげられている。ストレスを避けよ、という声は私たちの周囲にみちあふれているが、ではどうストレスを克服するかについては的確な答えはない。そういうとき私は、過去の記憶のなかから何ともいえず嬉しかつたこと、幸せだった瞬間のことを回想することにしている。どんな人にでも、そんな楽しかった日々の記憶の一つや二つはあるものだ。記憶の海にもぐって、手探りでそれをさがす。回想の糸は自分でたぐらなくては訪れてはこない。」と書いています。
 私は、だいぶ前から写真を整理するのに必ず年月日を入れてあります。そして、それらを西暦の年でまとめていますから、いつでもそれらの写真を開いて見ることができます。また、海外の旅などの場合は、それを1つにまとめて、たとえば「20190925-1007マダガスカル」としてあるので、このホルダーに入っているのは2019年9月25日から10月7日までマダガスカルに行ったときの旅の写真ということがわかります。
 この分類法でずっとやってきたので、2000年問題のときには焦りましたが、ほとんど影響はありませんでした。
 ただ、記録の媒体はフロッピーからCD、さらにPDやDVDからBDへと変化してきましたが、今はBDとハードディスクの併用で記録をしています。このあたりは、デジタルデータの弱みかもしれませんが、いくつかに分けて記録してあると、少しは安心できます。
 著者は、電子辞書をよく使うそうですが、私もそうです。やはり、広辞苑を持つには重すぎますし、たった1つの電子辞書のなかに、いくつもの辞書が入っているのでとても重宝します。すでに、4〜5台は使い古しました。
 下に抜き書きしたのは、第2章「回想の守をめぐって」のところに書いてありました。
 たしかに、回想はその個人にとっては貴重な財産かもしれませんが、他の人にとってはあまり関係がないような気がします。だとすれば、一人で、あるいは夫婦で楽しみながら回想することはいいけど、それを他人に同じような話しをすれば、むしろ嫌がられるかもしれません。
 だから、同じ経験や同じような人生を歩いた人たちとの交流こそ、大切なことではないかと思います。この本にも書いてありますが、まさに竹馬の友こそ、いつまでも共通の思い出に浸れる仲間です。
(2021.6.13)

書名著者発行所発行日ISBN
回想のすすめ(中公新書ラクレ)五木寛之中央公論新社2020年9月10日9784121506955

☆ Extract passages ☆

 思い出にひたるということは、一般的には、うしろ向きのわびしい行為のように思われているようだ。
 しかし、回想こそは個人にとって決して失うことのない貴重な資産ではないのか。インフレーションで失われることもない。国家権力によって奪われることもない。時とともに色あせるどころか、むしろ色鮮やかに立ち上ることもある。長く生きたことで、若い人たちよりはるかに多くの蓄積があるのだ。その回想の引き出しをあけて、独り過去の歳月をふり返る時間は、誰にも侵すことのできない個人の黄金の時間である。体験は一時のできごとに過ぎない。しかし、その記憶ははるかにながく私たちの内面に生き続ける。
(五木寛之 著『回想のすすめ』より)




No.1936『野の花拡大図鑑』

 副題が「道ばたに咲く花たちの美しくて不思議なカタチ」とあり、自分も写真を撮りながら、拡大してみると本当におもしろいと感じていたので、読むというか、見ることにしました。植物の説明もあり、なるほどと思うところもありますが、やはり野の花たちの写真集のようでした。
 そういえば、この前、写真を撮って来た花のなかに、キジムシロかミツバツチグリかと迷うのがあり、この本を見ました。ところが、キジムシロだけは載っていたのですが、ミツバツチグリは載っていませんでした。でも二者択一ですから、キジムシロでなければミツバツチグリですから、結果はミツバツチグリでした。この本のキジムシロの説明で、花の裏側から撮った写真が載っていて、「5枚のがく片の外側に、さらに5枚の副がく片がある。がく片と副がく片は、大きさやカタチが異なる。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 それから2週間ほどたって小町山自然遊歩道に行くと、今度はキジムシロが咲いていて、すぐにわかりました。
 また、5月下旬にシャガの花が咲き、クローズアップで撮ると、ほんとうに複雑なカタチをしていました。この本には、「花びらは、外花被片(外側の花びら)3枚と内花被片(内側の花びら)3枚からなる。外花被片は青紫色や橙色の模様があり、縁はフリルのように切れ込む。雌しべの花柱も先が花びらのようになっている。」というので、改めて撮ってきた写真を見ると、たしかに雌しべが花びらのようになっていました。
 ここでは、10月から咲き始めるハキダメギクは、もともと熱帯アメリカから帰化した1年草だそうで、この本には書いてなかったのですが、小石川植物園の掃き溜めで見つかり、それで和名がついたと聞いてました。しかし、それに近いコゴメギクだった可能性もあるとこの本には書いてあり、私は植物分類の先生たちがハキダメギクとコゴメギクとを間違えることはないと思います。たとえ、私でもわかるぐらいの差異はありますから、その可能性は限りなくゼロに近いのではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」のところに書いてあったものです。
 私は、どちらかというと花をマクロレンズで撮るので、花そのものをじっくりと眺める方ですが、一般的には花を見てきれいだと思う方のほうが多いと思います。今はスマホもマクロレンズが付いている機種もあり、さらにはこれから発売される機種に顕微鏡の機能が付いたものも出るそうです。だとすれば、ますます花のクローズアップは簡単にできるようになるので、ますます楽しみです。
 ぜひ、皆さまもチャレンジしてみましょう。
(2021.6.10)

書名著者発行所発行日ISBN
野の花拡大図鑑岩槻秀明日本文芸社2021年3月10日9784537218121

☆ Extract passages ☆

「えっ、こんなところにこんな模様があったの?」
「この花びらの構造はこうなっていたんだ…」
 と、わたし自身、新しい気づきの連続でした。
 知っているつもりであった野花でも、改めてていねいに観察すると、まだまだ新しい発見があるものなんだと新鮮な気持ちになりました。……
 ぜひ皆さんも散歩がてら見つけた野花を、超接写で撮影し細部まで観察してみていただければと思います。きっと自然観察の幅がぐんと広がること間違いなしです。
(岩槻秀明 著『野の花拡大図鑑』より)




No.1935『世界一孤独な日本のオジサン』

 この新型コロナウイルス感染症の拡大のなかで、なかなか外出しにくくなり、人との交流も制限されています。ということは、家につごもりをせざるをえなくなり、家族のない人たちは孤独になりがちです。新聞などを読むと、このような引きこもりにより精神障害も増えているそうです。
 それだけでなく、もともと日本のオジサンたちは、コミュニケーションがあまり上手ではなく、つい、「男は黙って○○麦酒」みたいに押し黙ってしまいがちです。もちろん、私自身もそれなりの自覚はあるのですが、では本当に孤独なのかと問われれば、そうではなさそうです。この本のなかで、自分が孤独かどうかを確かめる簡単なチェックシートがあり、その質問に答えると、「全く問題なし」ということでした。
 では、孤独のリスクはというと、この本には「孤独のリスクは、@1日たばこ15本吸うことに匹敵、Aアルコール依存症であることに匹敵、B運動をしないことよりも高い、C肥満の2倍高い、と結論づけた。また、2015年のホルトランスタッド教授の研究では、70の研究、340万人のデータをもとに、「社会的孤立」の場合は29%、「孤独」の場合は26%、「一人暮らし」の場合は32%も死ぬ確率が高まるとの結果を導き出した。2005年のオーストラリァの研究では、子供や親戚などとの関係性は長寿と関係はなかったが、友達が多い人は、ほとんどいない人より長生きすることがわかった。」などと書いてありました。
 これをそのまま読めば、やはり孤独というのは、相当なリスクがあります。でも、誰だって一人でいたかったり、人に邪魔をされたくなかったり、孤独というものにもたくさんいいことがあります。少なくとも、私はそう感じます。とくに旅行に行くときには、よく一人旅をします。一人なら、自分の好きなところに行けるし、好きなものも食べられるし、本を読みたいときには、誰にも遠慮することはありません。今は新型コロナウイルス感染症の拡がりのなかで、海外はもちろん、国内でもなかなか遠くへはいけません。ただ、県内や近県なら、旅の半分くらいは一人で行きます。
 それでも、もともと人間というのは社会的動物です。たとえば、ある研修で刑務所に行ったことがありますが、そこに独房があり、ほとんどの受刑者がそこに入ることを嫌がるそうです。この本にも、「社会性を持った動物は、身体的な痛みと孤立、どちらを選ぶのか、という選択を迫られた時、身体的な痛みを選ぶのだという。刑務所において「独房監禁」が最も残酷な罰の1つであることを考えれば、納得がいく。孤独が常態化すると、その「苦痛」に常にさらされることとなり、心身に「拷問」のような負荷を与えてしまう。身体のストレス反応を過剰に刺激し、ストレスホルモンであるコルチゾールを増加させる。高血圧や白血球の生成などにも影響を与え、心臓発作などを起こしやすくする。遺伝子レベルでも変化が現れ、孤独な人ほど、炎症を起こす遺伝子が活発化し、炎症を抑える遺伝子の動きが抑制される。そのため、免疫システムが弱くなり、感染症や喘息などへの抵抗力が低下し、病気を悪化させる。」そうです。
 やはり、なんでもそうでしょうが、孤独というのも良いときと悪いときがあり、つねに同じような状態でいるというのは望ましいことではなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、イギリスのエコノミスト誌に載っていた文章だそうです。
 たしかに、日本の場合はこれとはだいぶ事情が違うようですが、私自身のこととして考えれば、仕事の責任から少し離れられるということだけでも、だいぶ気楽です。よく、仕事をしたくても定年でできないという方もおられますが、今までたくさんの仕事をしてきたので、これからは自分の時間を持ちたいと思っています。今日は天気がよいとわかれば、そのままカメラを持って外に出かけます。今日はなぜかイタリアンが食べたいと思えば、知り合いのレストランに行きます。今まで、したくてもできなかったのですから、これからは少し自分自身のために時間やお金を使いたいと思っています。
 そこを考えれば、この英エコノミスト誌の分析は正しいと思いますが、はたして日本人はそのように考えるかどうかは、いささか疑問です。
(2021.6.8)

書名著者発行所発行日ISBN
世界一孤独な日本のオジサン(角川新書)岡本純子KADOKAWA2018年2月10日9784040821887

☆ Extract passages ☆

 年を取れば幸福になるという傾向について、英エコノミスト誌は「年を重ねるほど、争い事が少なくなり、争い事に対するよりよい解決法を見出せる。感情をコントロールすることができ、怒りっぼくなくなる。死が近づくと、長期的なゴールを気にしなくてよくなり、今を生きることが上手になる」と分析している。
(岡本純子 著『世界一孤独な日本のオジサン』より)




No.1934『花粉症と人類』

 花粉症というのは1つの文明病かと思っていましたが、この本を読むと、そうとう昔から人類に大きな影響を与えてきたようです。
 しかし、私は花粉症になったことはなく、そのつらさはわからないのですが、近くに何人かの花粉症罹患者がいるので、間接的にはわかります。その人たちを見るたびに、なんとかならないものかと思います。
 最近では、著者がいうように、「こうしてみると、花粉症を含むアレルギーの歴史は、医学史としてよりは、むしろ環境史あるいは文明史として描かれる必要があると理解できる。とくに、レイチェル・カーソン[1907ー64]やセロン・ランドルフ[1906ー95]らの功績により、免疫学者や臨床医たちのあいだでは「アレルギーは単なる免疫システムの不具合ではなく、環境や生態系のダメージによって引き起こされた危機に対処するための、極めて適切な身体の防御反応である」との認識が共有されるようになった。つまり、花粉症は、極めて適切な身体の反応なのである。要するに、花粉が悪いのでも、私たち患者の個人個人が悪いのでもない。まさに適切なことが起こっているのだ。」という認識が広まり、一時の文明病的な扱いではなくなってきたようです。
 話しは違いますが、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種で、「アナフィラキシー」という言葉をよく聞きますが、この本にはノーベル賞学者であるフランス人生理学者シャルル・ロベール・リシェが1902年に、イヌを用いてクラゲ毒の免疫の研究をしていたときに、3〜4週間後の2度日の注射によってイヌがショック死した現象に対して名付けたものだと書いてあります。ということは、ワクチン接種でイヌがショック死するような症状が出る可能性もあるということで、ワクチンというのは大切な治療法であると同時に怖いこともあると思いました。
 それと、この本を読んで、花粉というのはとても壊れにくく、丈夫であるということもわかりました。あの目には見えない極小の花粉が、時には数千年も地中に埋もれて秘蔵されるというからすごいものです。これによって、ネアンデルタール人がシャニダール洞窟の埋葬箇所で花を手向けたということもわかったといいます。この話しは、別な本で読んだのですが、この本には詳しく書いてあり、改めてネアンデルタール人の優しさを感じました。
 下に抜き書きしたのは、第6章「花粉光環(コロナ)の先の世界」に書いてある「共生への道」についてです。
 たしかに、寄生虫病がほぼ壊滅されたり、動植物や土壌微生物との接触が減ったりしたことでアレルギーになりやすくなったのではないかという話しもあります。でも、だからといって、今さら回虫を自分の身体のなかで飼ったり、もう少し不潔な環境に慣れたほうがいいといわれたとしても、今の子どもたちや若い人たちにはできないでしょう。
 だとすれば、なんらかの新しい共生を考えなければならないし、少しでも花粉を飛ばさない技術の開発も大切なことです。著者たちは、スギ花粉を飛ばさないようにパルカットという薬剤を開発し、散布実験を重ねているそうです。ただ、それにも多額の経費がかかり、たとえば人工林の面積が約10万ヘクタールとすれば、全面散布をすれば、無人ヘリの経費が1ヘクタールあたり5万円、パルカットが1ヘクタールあたり50リットルで5万円として、合計100億円だそうです。
 この他にも無花粉スギや少花粉スギなどの植林もされているそうで、少しずつでも改善されればいいと思いながら、読み終えました。
 すると、その「あとがき」のなかで、花粉症に対する著者の個人的な感慨が述べられていて、「スギ花粉症は、日本という国が、私たち庶民やその周囲の環境を置き去りにして経済成長を追い求めたことに対する警告であると思われて仕方がない。荒唐無稽な思いつきに思われるかもしれないが、本書で縷々述べてきたように、花粉症という疾患は、単なる健康問題ではなく、現代人のわがままな振る舞いによって環境生態系との間にねじれが生じ、そのきしみやゆがみが私たちの身体反応に変化をもたらし、結果として花粉症という歴史的産物として表出したものと考えるほかない。したがって花粉症対策を講じるにあたっては、地球生態系との関係修復を視野に入れた人類史的なタイムスパンが必要となる。」といいます。
 さらに、英語で健康というのはヘルシー(healthy)というのは、ヒール(heal)、つまり癒やすという動詞から派生した言葉で、健康イコール無病ではなく、病気になっても回復する力を備えていることを意味すると書いています。このことは、健康ということを考えるときに、とても重要な示唆を含んでいるように感じました。
(2021.6.5)

書名著者発行所発行日ISBN
花粉症と人類(岩波新書)小塩海平岩波書店2021年2月19日9784004318699

☆ Extract passages ☆

 花粉症が文明病として出現した産業革命以降、現代人は科学技術の発展を謳歌する 方で、自然界のさまざまなものとの共生をおろそかにしてきた,現代人は、その結果として自分自身との共生すら失い、健やかなるべき心と体に失調をきたしてはいないか。痛みが私たちに出血による命の危険を告げてくれるように、花粉症もまた、私たちに共生の大切さを示唆してくれているのではないかと私は思う。為す術もなく花粉症に襲われるとき、私は自らの無力さを噛み締めながら、そんなことを考えている。
(小塩海平 著『花粉症と人類』より)




No.1933『しつこく わるい食べもの』

 著者は小説家だそうですが、読んだことがなく、この本が最初です。表紙のイラストがいかにもいろいろなものを食べている印象があり、食べものに興味があるので、読むことにしました。もちろん、毎日食べるものに興味がない人もいるかもしれませんが、ほとんどの人は興味や関心があると私は思っています。
 この本に載っているほとんどは、ホーム社文芸図書WEBサイト「HB」に2018年12月から2020年10月まで掲載されたもので、とくに興味深く読んだのは、新型コロナウイルス感染症が拡がってからの部分です。著者本人もこのようなときに食べるものの連載を続けるのに迷いが生じたそうですが、それに日付けを入れることによって記録になるのではと思ったと最後のところで書いています。そして、「仕事の合間に数十分、好きな茶器で好きな茶を淹れ、甘いものを食べる。胃を満たす目的でないその時間が、自分が信じるものを肯定してくれる気がした。世の中が変わっていったとしても、好きな香りや好きな時間は変わらないことを確認したかったのだと思う。自粛期間中は儀式のように茶をして、小さな不変にすがりついていた。いや、昔から、揺らぐと茶を淹れていた。自分のかたちを確かめるように。それで先の不安がなくなるわけではないけれど、自分が自分でいる時間を作ることが私にとっては大切だった。」と書いています。
 たしかに新型コロナウイルス感染症が拡がってからは、今までの生活が一変してしまいました。今までは普通にできていたことができなくなったり、どこへでも出かけられたのが、非常事態宣言のところへは出かけられなかったり、私は歯医者さんに行っていたので、県外へ出かけると申し出ないとダメになりました。
 このような窮屈な毎日に、私もゆっくりとお抹茶を点てて、静かに味わうと心がノンビリできます。すると、いつの間にか、お茶はカテキンがあり、免疫力も上がるので、ウイルスにも効くのではないかと思って毎日のようにお抹茶を飲むことになり、今も続けています。やはり、著者がいうように、自分の時間を持つということも大切なことではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、「鼻で食う」というところに書いてあったもので、今のようにマスクをかけなければ外出もままならないご時世だからこそ、こういうこともありそうだと思いました。この「鼻で食う」という表現は、ちょっと品がないかなと思いましたが、よく考えると、なるほどと思います。
 これは京都では滅多にお目にかかれない醤油団子を、醤油団子を焼く芳ばしい匂いがマスクに遮られていたからあまり食べたいとは思わなかったという話しです。たしかに、香ばしさなどというカオリは大事なもので、食事だけでなく、いろいろなものに関わってきます。その鼻をマスクでつねに覆っていれば、あまり気にしなかったことだけど、さまざまな副作用もあるのではないかと思いました。おそらく、コロナワクチンを接種したとしても、しばらくの間はマスクは手放せないようなので、ますます本気でカオリということも考えなければならのではと思います。
(2021.6.2)

書名著者発行所発行日ISBN
しつこく わるい食べもの千早 茜集英社2021年2月28日9784834253436

☆ Extract passages ☆

 日差しの強さは肌や日で感じる以外にも、アスファルトの灼ける臭いや地面の水分が蒸発する匂いで気づく。頭で意識していなくとも、体は「む、夏が近づいてるな」「今日はなかなか烈しいな」と反応する。 マスクをしているとそれがないので、想像している以上に暑さが負担となってのしかかってくる気がする。家に帰ってからばててしまう。
 思い返してみれば、買い食いが減った。デパートの催事場も素通り、たい焼きやいか焼きの屋台があっても眺めているだけ。……
 それはきっと匂いのせいだと思う。醤油団子を焼く芳ばしい匂いがマスクに遮られていたから。目だけで団子を見て、匂いのしない団子、と私の体は認識し、冷めている、と判断したのだろう。そのため、その場で齧りつきたいという欲望が日覚めなかった。
 嗅覚の判断は速い。きっと、頭で考えるよりもずっとずっと早く感情を動かす。
(千早 茜 著『しつこく わるい食べもの』より)




No.1932『それでも僕は歩き続ける』

 著者の田中陽希さんという方は、何をしている人なのかもわからなかったのですが、表紙の南アルプスの奥茶臼山で真っ黒に日焼けして豪快に笑っている姿がとても印象的で、読んでみることにしました。また、チャレンジを続けているというアドベンチャーレースというものも知りませんでした。
 著者は、第7章「これからの時代を担う若者たちへ」というところで、「アドベンチャーレースって、本当に何が起こるかわからない競技なんですね。手つかずの大自然の中、数百キロ先のゴールを目指して、地図とコンパスを頼りに何日も道なき道を進むわけですから。ランやカヤック、マウンテンバイクなど、セクションごとに種日も異なりますじね。優勝すると予想されていたチームが、レースの途中、メンバーの脱落によって棄権することもあります。一般的な他のスポーツに比べると不確定要素が多いので、ある意味、どのチームにも入賞や優勝の可能性はあるといえます。」ということは、番狂わせがあるということで、いわば甲子園の高校野球のように何が起こるかわからないということです。
 だからこそ、そこにおもしろさがあるわけで、ほとんど野球の試合を見ない私でさえも、地元の野球チームを応援したくなるようなものです。
 でも、この本にも書いてありますが、同級生たちに、そのような生活をしていてどこで収入を得ているのかとか、その日本百名山ひと筆書きの旅の経費はとうして捻出しているのかという疑問はあります。しかし、具体的には書いてありませんが、いわゆる冒険家という仕事をしている人たちには、それなりのスポンサーが付いているのではないかと思います。そういえば、私の知っている登山家の方も、知り合いの企業にスポンサーになってもらい、自分が来ている服にスポンサーの企業名を縫い込んでいましたし、ときどき、その企業に呼ばれて講演会などをしていました。そのときにお会いしたのですが、ときどきテレビ等で報道されることも大切だと話していました。
 この本の著者も、NHKなどで報道してもらったからこそ、知名度も上がり、さらに挑戦をし続けられたのかもしれません。
 著者は、目標について、「それは階段の途中であって、決してゴールではないんです。通過点にすぎないと僕は思っています。夢を達成するためには目標を一つひとつクリアしていくわけですけれど、夢の先にもまた次の夢があるはず。夢は変化していいものであって、必ずしもひとつに決めなければいけないというものではないと思います。」と書いています。
 たしかにチャレンジを続けるには、次々と新たな目標を立てて、それをクリアーしたらその次の目標を立てなければなりません。そして、いつの日か、それも体力的な問題か、それ以外の問題かは別にして、収束せざるを得なくなるはずです。とくに運動系の選手たちにとっては、これは大きな問題だと思います。
 でも、だからこそ、チャレンジをし続けることが大切なのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、百名山の旅をして気づいたことだそうです。
 もちろん、歩いている途中ではいろいろなことを考えていたと思うのですが、このような気づきはやり遂げたからこそわかったものです。やらずに何かを言うよりは、先ずやってみる、それが大切だと思いました。
(2021.5.30)

書名著者発行所発行日ISBN
それでも僕は歩き続ける田中陽希平凡社2021年3月17日9784582838510

☆ Extract passages ☆

 この百名山の旅で、僕は気づいたことがあります。それは、どんなことがあっても最後までやり遂げることの大切さ。
 百名山ひと筆書きを踏破したとき、周うの人たちの僕を見る目ががらりと変わりました。それまで僕には登山の実績はまったくなく、アドベンチャーレースの経験しかなかったわけですから。もし仮に僕が99座で終わっていても、1座で挑戦が終わったとしても、意味は同じで、評価してはいただけなかったと思います。
 僕は当初、「成功してもしなくても、チャレンジすることに意味がある」と思い、挑戦を決断したわけですが、実際には、百名山を踏破していなかったら、いまの自分はなかったでしょう。
(田中陽希 著『それでも僕は歩き続ける』より)




No.1931『バートランド・ラッセル 幸福論』

 ラッセルの「幸福論」といえば名著ですが、今までなかなか読む機会がありませんでした。このNHK100分de名著ブックスのシリーズは、「サン=テグジュベリ 星の王子さま」水本弘文著や「松尾芭蕉 おくのほそ道」長谷川櫂著、「良寛詩歌集」中野東禅、などを読み、とてもわかりやすかったので、この本も読んでみることにしました。
 副題は「競争、疲れ、ねたみから解き放たれるために」とあり、自分自身が幸福になれた理由として3つあげています。それは、「@「自分がいちばん望んでいるものが何であるかを発見して、徐々にこれらのものを数多く獲得したこと」。A「望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨ててしまったこと」。B「自分の欠点に無関心になることを学」び、「だんだん注意を外界の事物に集中するようになった」こと。」と書いてます。
 つまり、「果実が落ちてくるのを待つだけでは幸福になれない」といい、何か新しいものを発見したり、積極的にそれらを獲得するようにすることです。
 よく、幸福論というと、アランとヒルティなどの名前も浮かびますが、ラッセルの場合は「自分で変えられる」ということを重視していると著者はいいます。たしかに、この本を読んでいて、私もそう思います。単なる楽観主義とも違うし、運を天に任せるということでもなく、あくまでも自分の人生を自分で切り開いていこうとする姿勢です。
 哲学というのは、どうもわかりにくいと思われがちですが、著者は「かつて哲学の父ソクラテスは、「哲学の目的は、善く生きることだ」といいましたが、これは、ラッセルが『幸福論』の中で述べている「幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである」と重なると思います。よい人生を送りたいのであれば、私たちは幸福にならなければいけません。そして幸福になるためには、自分自身が幸福になると同時に、人々が幸福になれる社会をつくっていかなければならない。私たちは、自分に対し、社会に対し、そのような働きかけをしていかなければいけないのだと思います。」と書いていて、まさに哲学は幸福になれる社会をつくるために大切なことだといいます。
 下に抜き書きしたのは、昨年からの新型コロナウイルス感染症の拡がりのなかで、外出自粛やオンラインなどで、どうしても内向きになってしまい、できないことばかりをとりあげてしまいがちです。それでは、ますます生きにくくなり、ウツ状態に陥ってしまう方も多くなりつつあるといいます。
 だからこそ、むしろできることの方に、しかも外向きに考えるべきです。そういう意味では、ラッセルの説く客観的な生き方を実践するいい機会かもしれません。やはり、このような時代だからこそ、ポジティブシンキングが必要です。
 さて、次はどの「NHK100分de名著ブックス」を読もうかな、と考えながらこれを書きました。
(2021.5.27)

書名著者発行所発行日ISBN
バートランド・ラッセル 幸福論(NHK100分de名著ブックス)小川仁志NHK出版2021年3月25日9784140818510

☆ Extract passages ☆

 それを避けるためには、「何ができるか」を考えるよりほかありません。とりもなおさずそれは、内側ではなく自分の外側にあるものに目を向けることを意味するのです。言い方を変えると、人生の多角化、多様化といった感じでしょうか。
 ラッセルはその象徴的営みとして、色んなことに興味をもち、趣味を増やすことを説いていました。その分人生の可能性は広がるからです。奇しくも日本では、コロナの自粛生活中、家でできる趣味や、換気のいい外でできる趣味、あるいは一人で楽しめる趣味を始める人が増えました。実際そういう人たちは、比較的新しい日常を楽しんでいるように見えます。
 ビジネスにおいても同じだと思います。できなくなってしまったことを嘆くより、むしろウィズコロナを「コロナを使って」という意味にとらえ、やり方を変えたり、新サービスを生み出したりしてイノベーションにつなげている企業は元気があります。
(小川仁志 著『バートランド・ラッセル 幸福論』より)




No.1930『安いニッポン』

 この本を読むまで、安いことは消費者にとってはいいことだと単純に考えていましたが、実はそうでもないようです。この本の副題が『「価格」が示す停滞』というように、価格が安いといろいろな意味で停滞してしまうといいます。たしかに、考えてみると、あのバブルがはじけてからは、ほとんどのものがあまり値上がりはしていないようです。
 そして、安いことはいいことではないかという、どこか他人事のように感じていたのは私だけではなさそうです。たとえば、100円ショップのダイソーでは、台湾だと基本価格は49台湾ドル(180円)でそれより高いものもあり、アメリカは1.5ドル(約160円)、ニュージーランドでは3.5ニュージーランドドル(約270円)、タイは60バーツ(約210円)、イスラエルは10シェケル(約320円)だそうです。つまり、同じ商品を買っても、このように価格が違うわけで、タイでは210円でも中間層には大人気だそうです。この価格差は物流費、人件費や賃料などの現地経費、関税や検査費などもその理由で、とくに人件費の高騰が大きいということです。
 だから、新型コロナウイルス感染症が拡がるまでは、インバウンドで爆買いがよく話題になりましたが、たとえばタイから来ればダイソーの商品を半値で買えるわけですから当然です。しかも、ホテル代も食費も日本は安いので、いわば昔のバブルの時代の日本人のように商品を買えるのです。
 でも、それに頼っていたところほど、今度は新型コロナウイルス感染症の拡がりで、大きなダメージを受けてしまいます。この本は、それらの影響も書いてあり、とても参考になりました。
 やはり、日本の生産性の低さが世界でも際立ち、たとえば車についても、「特にドイツは「需要が低いときでも絶対にもうかるように」と、需要変動のボトムに合わせた生産能力で生産設備を持つ。そのため、例えば自動車ならディーラーに行くと「納期は半年後」と言われることもよくある。だが自動車に限らずドイツ製品はブランドで差別化されているので、多少の価格差で消費者が他ブランドに流れることは少ないという。つまり、市場で欠品しても消費者は待つしか選択肢がないのだった。一方で、日本は欠品しないように需要変動のピークに合わせて生産能力を持つため、需要が落ち込んだときに値下げをしてしまう。」といいます。
 それでも、最近は新しい車を購入しようとすると、だいぶ待たなければならないようで、少しはドイツのやり方に近づいてきているのかもしれません。
 いずれにしても、まさか日本が知らず知らずのうちにG7のなかでも最下位になってしまっていたとは気づきませんでした。しかも、それが安定していたと思っていた「安さ」が原因だったとは。
 下に抜き書きしたのは、アメリカのコロンビア大学教授伊藤隆敏氏のインタビューからです。氏は「日本の『安さ』は、いずれ日本に返ってくる」といいます。これは、いい意味ではなく、大きな問題として返ってくるということですから、今のままでいいわけではありません。
 この『安さ』から脱却するためには、若者や低所得者など消費性向の高い人々の所得を引き上げることが最も重要なことだといいます。たしか、多くの人たちがこのようなことを話していましたが、今こそこれを実現するように政財界に考えてもらいたいと思いながら、読み終えました。
(2021.5.25)

書名著者発行所発行日ISBN
安いニッポン(日経プレミアシリーズ)中藤 玲日経BP2021年3月8日9784532264536

☆ Extract passages ☆

「日本の購買力」が落ちた根本原因は、実質賃金が上がらないため、海外の成長している経済に比べて、日本の家計がどんどん貧しくなっていることにある。なぜ賃金が上がらないか? それは日本の労働者の生産性が上がらないからだ。なぜ生産性が上がらないか? 人工知能(AI)など21世紀に必要とされるスキルを学生や労働者が習得できる環境を、大学も企業も提供していないからだ。
 企業は労働者の専門性を高める人の育て方をしておらず、専門性を高めた労働者の給料をより高くすることをしていない。「落ちこばれも出さないけれども、傑出した人材も出てこない」という状況になっている。将来国際的に活躍できる人材が少数になれば、日本人はグローバル企業や国際機関のトップポジションを獲れなくなる。日本企業もトップは外国人、日本人は一般労働者となり、所得が海外に流出して、さらに日本が貧しくなる。
(中藤 玲 著『安いニッポン』より)




No.1929『花の季節ノート』

 著者がNHKの気象予報を担当していたときから、自然の移り変わりなどの話しをしながら天気の予報をしていたことなどを楽しく見ていました。そして、もうそんなにも季節が変わってしまったんだと思うこともしばしばでした。まだ、若い時ですから、仕事に忙しく、自然の変わり目すら気づかなかったのかもしれません。
 もともと、高校生のころは山岳部だったこともあり、天気にはとても関心があり、ラジオを聞きながら天気図を書いたこともあります。もちろん、その天気図を見て、登山を諦めたこともあり、気象予報の大切さは身を以て感じていました。
 また、山に登ると高山植物もきれいで、よく写真も撮っていました。でも、今のようなデジカメでないので、限られたフィルムを大切に使い、帰ってから現像をしてみないと写真の出来はわからず、その待つ間も楽しみのひとつでした。もちろん安いカメラでしたし、三脚など持ってないので息を弾ませながらの撮影では、手ぶれも多く、満足できる写真は少なかったようです。
 この本の写真も楽しみで、季節感があり、俳句や詩などに通じるものを感じました。家内もいっしょに読んでいたので、写真の撮り方が似ているね、と言われ、改めてよく見ると、たしかにそうでした。だから、親近感を感じたのかもしれません。
 そういえば、私のFaceBookに「オオイヌノフグリ」の写真を載せ、その名の由来を書き添えたとき、こんなにもきれいな花なのにこの名前はないよ、という返信をいくつかいただきました。私もそう思っていたので、この本に「学名はベロニカ・ペルシカ。ベロニカは、十字架を背負ってゴルゴタの丘を登るイエスの顔の汗をぬぐった伝説上の女性の名で、その布にはイエスの顔が現れたといいます。この可憐な花に、和名のオオイヌノフグリは実に気の毒です。歌人の木下利玄は、この花を「空色小花」の名で詠んでおり、『植物方言集』(八坂書房)はこの花の方言に「ホシノヒトミ」をあげています。」と書いてあり、私なら「ホシノヒトミ」がいいかなと勝手に思っています。
 また、スミレの花のところで、「ドイツではスミレは春の女神が歩いていく足跡に咲き出る」という言い伝えがあるそうで、これなどもなるほどと思いました。このスミレ、本当の「スミレ」と名付けられたもののほかは、すべて○○スミレと別名があります。この本には清少納言の『枕草子』にあげられている「ツボスミレ」がとりあげられています。ここの小町山自然遊歩道には、「タチツボスミレ」がたくさん自生していて、これも春の女神が歩いていった足跡に咲き出たと考えると、自然と笑みがこぼれてきます。
 下に抜き書きしたのは、いかにも気象キャスターをしていた著者らしい表現だと思いました。後ろの経歴をみると、1949年に気象庁に入り、定年退職後に気象キャスターを務めたそうで、フリーになってからもエッセイなども書いていて、私も『暮らしの気象学』などは読んでいます。
(2021.5.22)

書名著者発行所発行日ISBN
花の季節ノート倉嶋 厚 文、平野隆久 写真幻冬舎2006年7月25日9784344012103

☆ Extract passages ☆

 春は高気圧と低気圧が三、四日周期で交互に通るので、「花七日」の間に「久方の光のどけき春の日(紀貫之)」と「花にあらし」がそれぞれ一、二回はあります。咲いた花が風雨に打たれるその姿を人は人生にたとえ、「世の中は月にむら雲、花に風、思うに別れ、思わずに添う」などと、世の中はとかくうまくいかぬものだと嘆息したのです。
 人生の花が開いて、これでもう一安心と思うと、突然風雨がやってきて、予想外の番狂わせが起こる……人生の旅路は、起伏の多い道がどこまでも続いています。
(倉嶋 厚 文、平野隆久 写真『花の季節ノート』より)




No.1928『野生のカメラ』

 いつも思うのだが、野生の動物を撮るカメラマンは、ただ待つしかないので、とても大変です。しかも、国内なら何度かチャレンジできるものの、海外の、しかも辺境の地ならもう二度と行けないかもしれないので、そのプレッシャーはとんでもないものではないかと想像します。
 でも、私がマダガスカルに行き、ワオキツネザルを撮ろうとしたとき、そこのガイドさんたちはその習性や動きをよく知っていて、ピンポイントで案内してくれました。おそらく、野生動物を撮るカメラマンも、そのようなガイドさんに案内されて撮っているのではないかと思っていたら、この本を読んで、やはり優秀なガイドさんたちがついていることを知り、納得しました。
 もちろく、野生動物だけではなく、自然界の生きもの、たとえば植物にしてもその土地のことをよく知るガイドさんは絶対に必要です。そうでなければ、最初から何も知らずに探すことなんて、あまりにも時間ばかりかかり、非効率です。当然、私のように植物を見てみたいという場合も、ガイドさんは必要です。たとえば、中国雲南省の奥地に行くときなどは、中国科学院の先生に案内してもらいます。やはり、海外の場合はとくにそこに住んでいる方でなければわからないことばかりですし、もし、何かあったときのことを考えれば、さらに安心感が増します。
 この本を読んで、やはりフリーになったときが一番やり甲斐はあるけど、収入は不安定だし、生活は大変だと思いました。でも、そこを突き抜けられるかどうかが、その後のチャレンジにつながっていきます。できるとか、できないとか考えるよりは、やり続けることで見えてくるものがきっとあるはずです。著者も好きだから続けられたといいますが、カメラやレンズなどをさまざまに工夫しながら、より良いショットを目指してきたことがよくわかります。
 たとえば、その当時はパノラマ写真は専用のカメラがなければ撮れなかったのですが、「いかに広角レンズで撮影しようと(きわめて特殊なレンズやパノラマカメラを除けば)、ひとつのフレームに入るアングルは限られる。したがって、1枚の写真だけでは大群の中のごく一部しか切り取れないわけで、いってみれば表現そのものが制約されてしまうわけだが、その映像をつなぎ合わせることで、撮影者が見た世界を再現することが可能になり、写真を見る人にもそのときの雰囲気、臨場感を強く味わってもらうことが可能になる。それはデジタル写真の可能性を示唆するもので、観客にもデジタル映像が出来ることのひとつのヒントをあたえたものになったといえる。」と書いていて、そういえば、私もオーストラリアの大平原をデジタルで撮ったことを思い出しました。また、電光の写真なども、「幸いなことに、私が立っていたところは雨が降っていなかったから、三脚にカメラを据えたまま、遠雷を見ながら撮影が続けられた。1時間の間に30枚ほど写したが、雷光というのは、そのつど位置も光り方も形も違うから、現像するまではどんな風に写っているかはわからない。」とあり、今なら、撮りながら画像を確認できるのにと思いました。
 私も、夜にゲンジボタルと発する光を撮りながら、現像から出来上がってくるのを待って初めて、その出来が確認できるたことを思い出しました。今なら、その場で確認し、さらに感度を増減しながらも撮れるし、いまやデジタルカメラでないと撮れないものもあり、カメラ技術の進歩はすごいものです。それでも、著者は、「ただ、私は単に出会いを記録するだけでなく、自分なりの思いを一枚の写真として残したいと思っている。そのためには、被写体である動物や自然について良く知ること、あるいは知ろうとすることが必要だ。」と書いています。
 下に抜き書きしたのは、トラを撮りたくて出かけたインドでのことから、野生動物の撮影の大変さについて書いてあるところです。
 トラが出そうな保護区を何ヵ所か選び、1ヶ月間ほどロケハンをしたとき、先ずは確実に撮ることが大切で、このときのことは今でも強く印象に残っているそうです。
 たとえば、植物などでも同じですが、行く時に見つけて、帰りに撮ろうと思っていても、なぜか予定が変更されそこを通らなくなったことも何度かあります。また、上り道で見つけたのに、同じ道を下ったのにも関わらず、見つけられないことも何度かありました。だから、私も撮りたいと思ったときには、先ずは撮ってしまうことが大切だと思っています。
(2021.5.20)

書名著者発行所発行日ISBN
野生のカメラ吉野 信光人社2007年4月15日9784769813392

☆ Extract passages ☆

 写真家というのは誰でもそれなりのイメージを抱いて被写体に向かう。私にも私なりのイメージがあるのだが、相手が野生動物の場合は、必ずしもイメージどおりにいかない。あまり事前のイメージに固執していても、相手が突然姿を消したり、予想外の行動に出ることのほうが大半である。
 だから、その瞬間、最高だと思うアングルでフレーミングして確実に写すようにしている。ともかく、このときが野生のトラの姿を確実に写せた最初の日となった。
(吉野 信 著『野生のカメラ』より)




No.1927『おいしい暮らし 北インド編』

 インドは私も好きで、何度か行ったことがあります。その目的のひとつはブッタの故郷だからで、あとはあの猥雑さも嫌いではないようです。また、南インドのケララ州には、12年に1度しか咲かないというクリンジの花を見に行ったこともあります。
 この本は、もともと『味覚春秋』という月刊誌に「インド四方山話」として連載されていたものをまとめたそうで、インド人と結婚したとはいえ、インドを訪ねるようになって13年ほどだといいます。でも、1ヶ月程度の旅とはいえ、インド各地に親戚などがいて、いろいろなつながりがあるから、普通の人たちより濃密な旅ができると思います。私も、インドへは6〜7回は行ったと思いますが、一人旅が多かったのでとてもゆったりできました。
 そういえば、この本のなかで、お釈迦さまつながりでヴァラナシやナーランダ、霊鷲山やボードガヤーなどに行ったときのことが書かれていましたが、ほぼ、同じようなコースで2012年12月にまわったことがあります。霊鷲山に行ったのは、たまたまその1ヶ月ほど前の11月8日に三井記念美術館で「近江路の神と仏 名宝展」で出会った百済寺蔵「紺紙金字妙法蓮華経序品第一」の見返のところに、お釈迦さまが霊鷲山で法華経を説いているのが描かれていました。それを観て、しかもこの年は初めて置賜33観音霊場が連合ご開帳した記念の年でもあったので、なんとか今のラジギール、つまり王舎城の近くの霊鷲山に行ってみたいと思い、その日に航空券を予約し、12月4日に出発したのでした。
 この本では、その霊鷲山で、「2500年前のこの場所にブッダが座り、今私の目の前にある山々の風景を同じように目に入れていたのかと思うと、不思議な感覚に襲われる。ブッダと同じ景色を見ている私がいる事の不思議さが胸に込み上げてくる。」と書いていますが、私も同じように思いました。
 ただ、著者の場合は、天気があまりよくなく、朝日が昇るところは見られなかったようですが、私の場合はすっきりとした日の出を拝むことができました。そして、特別に朝早く開けてもらい、警察官に護衛までしてもらい、暗い山道をお月さまと星空を眺めながら上り、誰もいない山頂でゆっくりできました。
 そういえば、この本にナスの原産地はインドだと書いてありますが、私もそのナスの原種を植物園でみたことがあります。この本では、「調べてみたら、ナスの原産地はインド西ベンガル州コルカタからタミル・ナードゥ州チェンナイに向かう東ガード山脈あたりだそうだ。インド原産と言われるだけあり、ナス料理が食卓に出される頻度も高いのだろうか。」と書いてあり、確か私の記憶では2500年も前から食べていたそうで、ということはお釈迦さまも食べたと思われます。日本人はとてもナスが好きですが、インドでもナスを使った料理を何度か食べたことがあります。
 下に抜き書きしたのは、チキンカレーについての話しです。やはり、インドといえばカレーですが、私がもっともインドやネパールで食べたのもこのチキンカレーが多かったようです。
 日本にいても、インド料理のお店に行くと、やはりチキンカレーを頼むので、一番なじみがあります。そういえば、南インドケララ州に行ったとき、植物園長のサブさん宅に招かれ、そこの料理のおばちゃんがココナッツをかき出すところを見せてもらったことがあり、日常的にココナッツを使っているのがよくわかりました。
(2021.5.17)

書名著者発行所発行日ISBN
おいしい暮らし 北インド編有沢小枝教育評論社2020年12月21日9784866240343

☆ Extract passages ☆

 インドには数多くのチキンカレーがある。インドはとても大きい国で、大きく分けても北インド、南インド、東インド、西インドず各地方で使うスパイスも異なるので必然的に味も違ってくる。また北インドではギーやクリームを多く使うが、南インドではコヨナッツミルクを使う。東インドはマスタードオイルを多く使い、西インドは全て取り入れているような料理を出す。
 ベジタリアンや牛肉や豚肉を食べない人が多数のインドにおいて、ノンベジ(ノンベジタリアン)の人が好むのがチキンだ。味、辛さ、香り、濃度など各地域、各地方に数々のチキンカレーが存在するのも領ける。私もコルカタ、デリー、ムンバイなどいろいろな場所のチキンカレーを食べたが、やはり我が家のチキンカレーが一番だ。インド人はみな我が家が一番なのだが……。
(有沢小枝 著『おいしい暮らし 北インド編』より)




No.1926『ふくしま 人のものがたり』

 福島というと、今年は東日本大震災から10年の節目ということもあり、やはりそれを思い出します。そして、先日は「3.11 東日本大震災の真実 〜未曾有の災害に立ち向かった自衛官「戦い」の現場〜」というDVDを借りてきて、見たりもしました。何度見ても、まさに身の毛もよだつようなものでした。この本の中心は大震災というよりは、福島第一原発の事故などの話しで、その困難ななかでがんばっている方たちのことについて書いていました。
 その人たちとは、大留隆雄さん、田中徳雲さん、菅野榮子さん、今野寿美雄さん、関場健二さん・和代さん、です。みな福島第一原発の近くに住み、人生を変えざるを得なかった人たちです。とくに心に残ったのは、関場和代さんがまったく放射線量のことも知らずに何度か自宅のあった浪江町津島赤宇木に通い、自宅に残してきたネコを救い出しに4月17日に戻ったそうです。そのときの様子を、「和代さんが自宅に通じる橋の上で「たそがれていた(和代さんは私に話してくれる時に、そう表現した)」時に入って来た車があった。「なんですか?」と和代さんがぶっきらぼうに問うと、「そちらこそどうしたんですか?」と答えが返り、「ここの家の者です」と言うと相手は驚いて、「ここがどれ位の線量か判りますか?」と聞かれた。判らないと答えると、測ってみましようと言って測ってくれ、「これは大変だ。500ミリシーベルトもあります。ここに居てはいけません」と伝えられ、その時初めて汚染が判って、和代さんは総毛立ったという。」と書かれていました。
 その前にも、4月2日から9日まで、やはり自宅に置いてきたネコが心配で戻り、外には出ずに、家のなかも窓に目張りをしたりぬれタオルで口元を覆ったりしてすごしたといいます。しかし、500ミリシーベルトのなかで何日もすごしたわけですから、総毛立たないわけはないと思います。
 そして、自宅に戻る途中での検問所でも警官から線量について何も言われなかったそうですから、もしかするとその警官も知らなかった可能性もあります。だとすれば、正確な報道がいかに大切かがよくわかります。著者は、「大人、なかでもえらい人たちは嘘をつく」と何度か書いていますから、この福島第一原発の大事故は想定外の出来事だと簡単にはすますことのできない大問題です。まさに人災です。
 この本を読み終えて、さて、なにを書き残そうかと思ったとき、1つ1つの印象があまりにも強烈過ぎて、まとまりませんでした。そして、多くの人たちに、この福島の人たちの心の叫びを知ってほしい、いや、もっともっと考えてほしいと思いました。そのためにも、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
 そして、多くの人たちも原子力発電や原子力の仕組みや科学的根拠などを知る努力が必要だと思いました。まさに、知らないからこそ、嘘や風評にまどわされたり、しっかりした対応ができないのではと思います。もちろん、正確な情報を知る立場にいる人たちも、それを包み隠さず公表することが前提になります。
 下に抜き書きしたのは、津島の人たちと関場健二さん・和代さんがいっしょに「ふるさとを返せ津島原発訴訟」の原告となり、意見陳述したときの話しです。よく賠償金の話しがクローズアップされますが、それ以上にふるさとを失ったことの心の痛みも大きな問題です。
 私自身も、もし、今暮らしているここの場所から永久に出なければならないとしたら、今までのすべてを失ってしまうような気に絶対になるはずです。
(2021.5.15)

書名著者発行所発行日ISBN
ふくしま 人のものがたり渡辺一枝新日本出版社2021年2月25日9784406065597

☆ Extract passages ☆

 オオルリ、コガラ、ヒガラ、ウグイスなどの野鳥が囀り飛び交い、サンショウウオが棲み、ヤマメが泳ぐ。子どもの頃から川で魚を獲り、山では春には山菜、秋にはキノコ、栗やアケビも採って食べてきた。経済的には豊かではなかったが、自然を相手に心豊かで楽しい日々を送ってきた。健治さんは定年後には、そこでキノコを採ったりまた、キノコやワラビ、フキを栽培して生計を立てていくことを楽しみにして、ヒラタケ、舞茸、タモギタケなどキノコの栽培に取り掛かっていたところだった。ふるさとを奪われたばかりではない。思い描き、実現に向けて歩み始めていたこれからの日々をも奪われたのだ。
(渡辺一枝 著『ふくしま 人のものがたり』より)




No.1925『そこに工場があるかぎり』

 著者の作品で一番最初に思い浮かべたのは、「博士の愛した数式」で、映画も観ました。主演は博士役の寺尾聰で、家政婦として働くシングル・マザーの杏子役が深津絵里、しかも交通事故の後遺症で記憶が80分しかもたなくなってしまったという設定になっていました。その老博士と杏子とその息子との関わり合いがとても優しく、そこに老博士の語る数式の美しさもあり、もう一度DVDで観てみたいと思っていました。そのようなときに、この本と出会い、内容もわからず読み始めました。
 この本の最初の工場は、東大阪市の株式会社エストロラボという会社でしたが、会社名からはどのような仕事をしているのかまったく想像も出来なかったのですが、「細穴屋」といわれても、それでもわかりませんでした。金属に細い穴をあける、と書いてあり、それでも具体的には理解できませんでした。しかも、社長さんは家業を継いだわけでもなく、金属加工に興味があったわけでもなく、女性だけで工場を立ち上げたわけですから、まさに数式通りにはいかないことです。
 具体的には、細穴放電加工というそうですが、「火花のエネルギーによって金属に穴をあけるのである。細穴放電加工機という機械を使い、電極、と呼ばれる加工器具(細長い針金状の棒。耳鼻科や歯科でよく見かける医療用の器具に似ている)から、加工すべき相手に向かって電気エネルギーを加え、その際に発する火花で金属を溶かし、穴をあける。原理は雷と同じらしい。電極の形によって、型彫り放電加工、ワイヤ放電加工、細穴放電加工の3種類があり、エストロラボでは3つめの細穴を専門にしている。穴の大きさは最小で直径0.1ミリ(100ミクロン)まで。深さは穴径の10〜200倍以上。切削でできない領域が加工できる。」と書いてあり、数式と同じで、なかなか理解しにくいものでしたが、社長さんの「穴は基本中の基本です」という言葉でなるほどと思いました。
 この本では、6つの工場を取りあげていますが、それぞれに興味深く、なんども読み返しながら読み続けました。
 琵琶湖近くの丘の上でボートをつくっている桑野造船株式会社のところでは、ボートとカヌーの違いを、「進行方向に対し、ボートは後ろ向きに座り、カヌーは前向きに座ります」とあり、なるほどと思いました。そして、ボート競技は、「ゴールに背を向ける唯一のスポーツではないか」とあり、そういう解釈もあり、意味深いものだと感じました。だからこそ、コックス(舵手)が必要なんだとも考え、いろいろな見方考え方もあるものだと思いました。
 6つめの東京都葛飾区にある北星鉛筆株式会社は、もともと文房具が好きなこともあり、「1本の鉛筆で線を引いてゆくと、50キロメートルになるという。ボールペンでは1.5キロメートル、サィンペンでは700メートル。この数字を見れば、鉛筆がいかに大きなエネルギーを隠し持っているか、明らかだ。50キロメートルにも及ぶ果てしない旅路を伴走し、自らは姿を消す。書きつけた人と、書きつけられたものにすべてを捧げ、自らは退場する。」と表現され、たしかにその通りだと思いました。
 しかも、小学生のころ、川西町にあった三菱鉛筆の工場見学をしたとき、その作る工程を見たことがあり、この本の中での製造過程をなつかしく思い出したりしました。そして、だいぶ前に、イギリスの大英博物館で記録するのに、鉛筆が他の筆記具のなかでも筆跡が残るというのを聞いたことがあり、そこに2度も行ったのにその真偽を聞いておけばよかったと後悔もしました。
 下に抜き書きしたのは、「あとがき」のところで書いてあったもので、工場への思い入れのようなところです。
 そういえば、あるテレビ番組のなかで、工場紹介みたいなものがあり、普段はなかなか見ることができない工程を見て、とてもおもしろいと思ったことがあります。おそらく、著者はながらくそのような思いでいたのが、このような本にまとめられたようです。
 しかも、この「あとがき」で、それまで取材させてもらった工場が、今の新型コロナウイルス感染症の拡がりのなかで、どのような影響があるのかをメールなどで確認されたといいます。もちろん、もろに影響を受けたところや、ほとんど影響を受けなかったところもあったようですが、このような丁寧な取材のもとにつくられた本なので、とても興味深く読みました。つい、続編も期待してしまいました。
(2021.5.13)

書名著者発行所発行日ISBN
そこに工場があるかぎり小川洋子集英社2021年1月31日9784087816945

☆ Extract passages ☆

工場にはさまざまな魅力が詰まっています。建物自体の面白さ、独自の秩序、機械や道具類の精密さ、製品に対する情熱、誇り、そして人間の手の繊細さ。挙げていったらきりがありません。たとえ無機質なほどに整備され、管理された工場であったとしても、ものを作る現場である以上、そこはやはり人間の知性と感情が詰まった場所と言えるでしょう。ならば取材して書く価値があるはずだ。という結論に達したのです。
(小川洋子 著『そこに工場があるかぎり』より)




No.1924『最後の人声天語』

 この「人声天語」は文藝春秋で2003年から連載されていたもので、著者が2020年1月13日に心不全で急逝されるまで続いていたそうです。だから、この本の最後が2020年2月号の「和田誠さんと話したかったこと」です。しかも、自ら2019年は「死者の当たり年」と言い、その最後のところで「和田さんにお目にかかって直接その話しをしたかったのに、それはかなわなかった。残念だ。」と書いていて、まさか自分自身が亡くなるとは予想もしていなかったようです。
 そして、最後の原稿は中野翆さんの「ツボちゃん、ほんとうに逝っちゃったんだね」です。まさにセカセカした性格だったそうですが、告別式の日は好きな相撲を何人かで国技館のマス席で観戦する予定でチケットまで自ら手配していたそうです。やはり、人生というのは一寸先のことは誰にもわからないようです。
 それにしても相撲好きは少年時代からだそうで、「少年時代はテレビと相撲雑誌で満足していたが、今は会場に足を運ぶ。両国国技館には毎場所4回、大阪や名古屋に通うこともある。しかもそのあとでのテレビ(録画したもの)の復習も欠かさない。」というから恐れ入ります。
 私はほとんどというか、まったく相撲や野球を見ないのでその気持ちはまったくわからないのですが、この本を読む限り、5回に1回は相撲と野球の話しが出てくるので、その好きさ加減がよくわかります。
 2020年1月号の「なぜますます画一的な人間を育てようとするのか」で、入試改革で記述式問題を増やそうという意見には賛成するが、なぜ反対する人たちが多いのかわからないと書いています。たしかに、○X式は採点する側にしてみれば、簡単だと間違いもないとは思います。でも、これだけでは、本当の入試にはならないのではないかと私も思っていました。また、本を買う場合も、通販だと簡単に手に入りますが、リアルな書店なら、眺めているうちにおもしろそうな本と出会う機会もあります。たとえ辞書を引いたとしても、電子辞書なら簡単に回答がでますが、その隣におもしろいことが書いてあったとしても、それはできません。でも書籍の辞書なら、それもできるし、引くだけでなく読むことだってできます。
 私の知り合いは、もし無人島に1冊しか本を持っていけないとするなら、何を持って行きますかという質問に、広辞苑と答えたそうです。たしかに、これなら、暇に任せて読めそうな気がします。
 下に抜き書きしたのは、先に掲げた中野翆さんの「ツボちゃん、ほんとうに逝っちゃったんだね」のなかに書いてあったものです。おそらく、これが本の最後によく載っている「解説」にあたるところのようです。
 だとすれば、私はあまり著者の坪内祐三さんを知らないので、これを載せました。
(2021.5.10)

書名著者発行所発行日ISBN
最後の人声天語(文春新書)坪内祐三文藝春秋2021年1月20日9784166612970

☆ Extract passages ☆

 坪内さんはイヌ年生まれだった。それとは全然関係ないものの、私は坪内さんと会うと「犬だよね、まるで」と頭の中で笑うことが多かった。神保町の吉本屋街や新橋の呑み屋街を何かクンクンと、かぐようにして早足で歩く後ろ姿。おかしな話をする時の、黒いボタンのような丸い目。さっきまで憤然としていたのに、ひとしきり吐き出すと、コロッと変わって、いつもの愉快な「ツボちゃん」に戻っている。そういうところも犬っぽかった。
(坪内祐三 著『最後の人声天語』より)




No.1923『つぎに読むの、どれにしょ?』

 ここ最近、新型コロナウイルス感染症の変異ウイルスや4月25日からの東京、大阪、京都、兵庫の4都府県を対象に、緊急事態宣言を発令されたこともあり、どうしてもウイルスや健康に関する本を選んでいたようです。
 でも、4月26日に地元の小学生たちと学校林活動や山野草の観察会などで子どもたちと接する機会があり、マダガスカルのバオバブの樹のしおりを差し上げたりして、『星の王子さま』を思い出しました。でも、児童書にも楽しい本がいろいろとありそうで、この本の副題が「私の親愛なる海外児童文学」とあったので、読んでみることにしました。
 著者は長野県松本市の生まれで、児童書専門店の「ちいさなおうち」を営んでいたこともあり、評論社営業部などを経て、現在は実家の広報を担当しているそうです。つまりは、小さな時から児童書に親しみ、今現在もその仕事に携わっているわけですから、児童書に疎い私にとっては未知の分野です。だからこそ、楽しみにして読み始めました。
 最初に『ローラの物語』シリーズの『長い冬』の「小さな喜びを大切にクラスことの豊かさ」です。著者が谷口由美子さんの講演会で聞いたことだそうですが、この本の翻訳をされた石田アヤさんが、「長い冬を生きぬいたインガルス一家と、長い戦争を生きぬいた日本人を重ね合わせて翻訳をした」といいます。そういえば、今は新型コロナウイルス感染症の影響で三度目の不要不急の外出自粛がもとめられ、この楽しいはずのゴールデンウイークも多くの人たちは自宅で過ごさなければならないようです。つまり、心情的にはまさに長い冬を耐え抜かなければならないようなもので、これがいつまで続くか見通せないのも不安です。しかし、いつかは必ず春は来ると信じていますが、「ローラたちのように、些細な出来事を楽しみ、小さな喜びを大切に日々を過ごすことの豊かさにあらためて気づかされました。今回読み返してみて、いまこそ! 多くの人たちにこのお話を読んでほしいなと思いました。」と書いています。
 この本は海外児童文学を紹介していますから、ほとんどの方は翻訳されたものを読みますが、その訳者によって文学としての味付けが変わってしまうような気がしていました。そのことについて、「リンドグレーンが好き」でつながった翻訳家の石井登志子さんとの対談で、石井さんは、「いまでも私は、「原文を大切に」と思っています……。けれど、実は翻訳っていうのは完璧に正しい翻訳は存在しないのだということが、だんだんわかってきました。たとぇば、「I am a girl」といった簡単な文でも「私は女の子です」「私は少女よ」「ウチは女や」とか、いろんなふうに訳せますからね。大塚先生の訳を原文と合わせてみると、原文では地の文のところが会話で表現されているところもあるし、原文どおりではないわけですが、日本語として、わかりやすければ、いいのです。」と話しています。
 とくに、児童文学の場合はわかりやすくなければダメでしょうから、なるほどと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「ヒナギク野のマーティン・ピピン」というお話しを紹介しているところの言葉です。
 とくに児童文学という分野は、ある意味で子どもたちに物語のなかに引き込む魔力が必要だと思います。大人と違って、子どもたちは入り込みやすいし、それが子どもたちにとっての文学のおもしろさのような気がします。このような言葉を読むと、もう一度児童文学でも読んでみようかな、と思います。
 著者は、「おわりに」の最後に、「自分にとって大切な物語を持つことは、とても幸せなことです。本と向き合う時間は自分だけのものですが、本が思いがけない世界へ連れて行ってくれることだってあります。」と書いていて、私もつれて行ってほしいなと思いました。
(2021.5.8)

書名著者発行所発行日ISBN
つぎに読むの、どれにしょ?腰高綾乃かもがわ出版2021年2月1日9784780311419

☆ Extract passages ☆

 どんなタイミングで、どの本が自分にとって特別な存在になるかは誰にも決められません。ふと手にとった本がそうかもしれないし、急に読み返したくなって読んだ本が、特別な一冊になることだってあると思います。
 もう二度と同じような体験はできないかもしれませんが、また、いつ物語の魔法にかかってもいいように……素敵な本に出会う準備はしておきたいなと思います。
(腰高綾乃 著『つぎに読むの、どれにしょ?』より)




No.1922『免疫力 正しく知って、正しく整える』

 またまた健康に関する本ですが、昨年に引き続き大型連休も遠くには出かけられないし、近場でもみんなでワイワイと騒ぐこともできないので、この新型コロナウイルス感染症のこともあり、自分自身の健康についてに考えてみようと思いました。
 もともと、著者は寄生虫の研究者で、1983年に寄生虫体内のアレルゲンを発見したことで有名です。だから、現在、第4派ともいわれる新型コロナウイルス感染症についても、あまりに清潔にし過ぎることでその免疫力まで失ってしまうと警鐘を鳴らしています。たとえば、手洗いについても、「皮膚常在菌のつくる皮脂膜は、天然の保湿成分です。皮膚にとつて、皮脂膜ほど優れた保湿剤はありません。しかしほとんどの人は、その皮脂膜を薬剤で洗い落とし、「手がカサカサするから」と、人工的につくられた高価な保湿剤をぬっています。……私は、ふだんの手洗いは流水で10秒で十分と考えています。皮膚常在菌の皮脂膜があれば、外から付着したウイルスなどの病原体は十分に洗い流せます。反対に、皮膚常在菌は洗い流さず、守ることができます。それだけでは心配というならば、人の多い場所に出かけたときには、流水で20秒くらい流せば、平時は十分だと思います。」と書いています。
 ただ、これはあくまでもふだんのことで、現在のように新型コロナウイルス感染症が拡がっているうちは、しっかりした対策をとる必要があると思います。
 考えてみれば、お店に入るときでも、入口に備えられている消毒液を使わないと、なんとなく入りにくいし、誰かが見ていて注意されるような気がします。私などは、入るときだけでなく、出るときも念のため消毒液を使うこともあり、流水で手洗いしたでけで十分だといわれても、つい心配になります。
 そういえば、現実の恐怖と「恐怖に対する不安」とは違うと書かれていましたが、それもなるほどと思いながら、それらはしっかりと冷静に見て、「本当に恐れるべき恐怖」と「恐れることのない、つくられた恐怖」を見分けられるようにしなければと、この本を読みながら思いました。
 第3章で「免疫力を上げる食べ物、下げる食べ物」を書いていますが、時には肉も食べ、魚や野菜や果物などいろいろなものを食べ、免疫力を下げる食べ物は極力避けることが大切なようです。そして、つねに笑うことも必要で、「人間の子どもは1日に300回も笑うそうですが、大人になるとわずか17回です。笑うことほど簡単で楽しい健康法はないのに、もったいないことです。」と書いてあり、たしかに孫といっしょに遊んでいるといつも笑いが絶えませんが、大人だけになるとあまり笑わなくなるようです。
 L・ベーク博士が、健康な医学生52人を対象に、1時間のコメディビデオを鑑賞させ、その前後の免疫力を測定するという実験を行ったそうですが、それによると、「NK細胞の活性も、抗体の量もそれぞれ増加し、その効果はビデオ鑑賞後12時間以上も続いたということです。なお、笑うと活性化するのはNK細胞ばかりではありません。他の免疫システムもおしなべて活性化することがわかっています。」とあり、やはり笑うということは、いろいろな面においてもそうとうな効果があるようです。
 下に抜き書きしたのは、人は生まれたときから微生物とともに生きているわけだから、すべてを敵視することなく、ある程度は共生することも大切なことだといいます。
 たしかに、ウイルスだって宿主がいなければ生きていけないわけですから、自分自身の免疫力を高めながら共生することもありだと思いました。
(2021.5.6)

書名著者発行所発行日ISBN
免疫力 正しく知って、正しく整える(ワニブックス/PLUS/新書)藤田紘一郎ワニ・プラス2020年7月5日9784847061660

☆ Extract passages ☆

 地球上に無数にいるウイルスのうち、人に病気を起こすウイルスはわずか1パーセントで、残りの99パーセントは病気を起こさないとも見られています。
 それでもときには風邪を引き、食あたりを起こすでしようのこれは、原因となる微生物に勝てるだけの免疫力が、今の自分の身体にないからです。
 ただし、私たちの免疫力は、特定の病原体と接するたびに学習し、抗体の力をだんだんと強めていきます。このことはお話ししました。ですから、免疫力を高めるためには、微生物とふだんから適度に接する生活が重要です。
 一方、ウイルスのほうも学習します。ウイルスの目的は、宿主となる人を殺すことではなく、寄生することだからです。感染拡大の初期は、自分の子孫を増やすために、感染力を高めます。それによって病原性も強まります。ですが、やがてウイルスも学習します。病気を悪化させて宿主が死んでしまったら、自分たちも生きていられない、ということに気づくのです。
(藤田紘一郎 著『免疫力 正しく知って、正しく整える』より)




No.1921『最新研究が示す 病気にならない新常識』

 この大型連休に、健康に関する本をよく読んでいるような気がします。いつもの年なら、そんなことを考えている余裕もないのですが、新型コロナウイルス感染症の第4波とかいわれるとますます収束のめどが立たず、外出もままならないようです。
 考えてみると、科学というのは仮説から定説になっても、それがひっくり返されるのは当たり前で、医学の常識でも次々と新しい常識が生まれてくるのはよくあることです。昨日までこのようにしているといいといわれても、次の日にはそれは病気になりやすいといわれることさえあります。だとすれば、今現在の『病気にならない新常識』とは何だろうと思って読み始めたのがこの本です。
 よく健康は食事からといいますが、この本では、「長野モデル」から学べる理想の食事として、次の10ヵ条を掲げています。それは、
@食事に時間をかけること=よく噛むことは、病気にならないために有効
Aよく噛むことは、肥満も抑制する
B野菜に含まれる「適度な毒」が、ストレスヘの抵抗力を強くする
C白ワインよりも赤ワインの方が、ポリフェノールが多く健康には良い
D味噌とキノコは、動脈硬化や心臓病、認知症の予防、またアンチエイジングに有効
E健康に良いとされる日本食の中でも「1975年頃」の食事が理想的
F肉の中では、赤肉(牛、ブタ)よりも白肉(鶏)の方ががん予防には良い
G豆腐や納豆は、健康にとても良い
H地中海食(たっぷりの野菜と果物、精白していない全粒穀物、適量の魚や鶏肉、赤ワイン)も、心臓病や生活習慣病予防、また認知症予防にも有効
I免疫力を高める亜鉛、ビタミンC、ビタミンDは、サプリメントではなく食事から、亜鉛を含む肉、貝、レバー、ビタミンCは緑黄色野菜や果物、ビタミンDは魚、キノコでしっかり摂る
 と書いてありました。
 このなかで、「1975年頃」の食事に関しては、この本のなかで、東北大の都築毅博士のマウスをつかった研究を載せていますが、15年間隔で4つの年代、1960年、1975年、1990年、2005年の日本の1週間分の献立を再現し、それらを冷凍乾燥させ、粉砕・攪拌して均一化した「日本食飼料」作成し、それぞれをマウスに8ヶ月与えて、その後の体への影響を調べたそうです。すると、1975年の日本食で育ったマウスが肝臓の中性脂肪量や肝臓コレステロール量が低かったそうで、血糖値に対するリスクも下げることがわかつたそうで、さらに肥満も少なかったといいます。
 つまり、1975年の日本食は、他の年代に比べて、植物性タンパク質、不飽和脂肪酸、グリセミック指数の小さい炭水化物の割合が多いそうで、よくいわれる「まごわやさしい」まは「まめ」、ごは「ごま」、わは「わかめ」、やは「やさい」、さは「さかな」しは「しいたけ」、いは「いも」だそうです。
 また、睡眠も大切で、昔はやったものに睡眠学習というのがありましたが、この睡眠が意外と記憶と深い関わりがあるといいます。それは、「海馬は記憶の「一時保管庫」となっています。でも、一時保管庫なので、保管できる記憶の量には限りがあります。毎日毎日、海馬に記憶をため続けると、あっといぅ間にパンクしてしまいます。ある時を境に、新しいことが全く記憶できない、あるいは新しいことは記憶できるが、以前の記憶が古いものから順々に失われていく、という事態が生じてしまいます。このような事態を避けるために、深い睡眠であるノンレム睡眠中に、海馬に一時的に保管された記憶を、記憶の「長期保管庫」である大脳皮質にゆっくりと移動させているのです。大脳皮質に移動させたものを「長期記憶」といいます。」と書いてあり、まさにパソコンのように海馬がメモリーで、大脳皮質がハードディスクのようなものです。だから、ときどきはデフラグをしないと記憶の呼び出しに時間がかかるようになるので、それも必要な作業だということでした。
 下に抜き書きしたのは、「おわりに」に書いてあったもので、「ストレスが持続すると、身体に害をもたらす」という遺伝子が残っているかぎり、古典的なヘルス・メンタルヘルス対策が大切だといいます。
 たしかに、あまりにも当たり前のことのように感じますが、著者も言うようにこれに尽きるのかもしれません。
(2021.5.3)

書名著者発行所発行日ISBN
最新研究が示す 病気にならない新常識(新潮新書)古川哲史新潮社2021年1月20日9784106108907

☆ Extract passages ☆

・十分な睡眠、すなわち8時間の睡眠をとること
・運動をすること
・バランスのとれた食事を摂ること
・緊密な社会的なつながりを保つこと

(古川哲史 著『最新研究が示す 病気にならない新常識』より)




No.1920『専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話』

 著者も書いているように、新型コロナウイルス感染症についてさまざまな情報が流れ、新型ということで今までなかった感染症で極端なことをいえば誰もわからなかったのです。だからといって、あまりに正反対の情報が流れると、一般の人はとまどってしまいます。そういう意味では、『専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話』というのは、時期を得た本だと思い、読むことにしました。
 この本を読んで初めて知ったのですが、「人類をもっとも死にいたらしめている動物は何でしょうか」という問いに、私は戦争などを考えると、人間だと直感的に思いました。ところが、2014年からビル・ゲイツ氏がオフィシャル・ブログ"Gates Notes"に公開しているデータでは、「2015年の3位は「ヘビ」で、年間およそ6万人。2位は「人間」で、年間およそ58万人。その残酷な人間を圧倒してぶっちぎりの1位に輝いた(?)のは、「蚊」です。年間の殺人数は、およそ83万人です。」と書いてありました。
 蚊が媒介する感染症と聞いてすぐに思い出すのはマラリヤで、その他にも日本脳炎やデング熱などもあります。そういえば、2017年8月29日からイギリスに行ったときに、キューガーデンの方からマダガスカルに行くという話しをうかがい、いっしょに行こうという話しにまで進みました。喜んで帰国して、来年はマダガスカルに行けると思っていたら、イギリスの方からメールが来て、今、マダガスカルはペストが流行っていて行けないということでした。この本にも、そのマダガスカルのペストについて記載があり、「2017年にはマダガスカルの首都アンタナリボなどで肺ベスト患者のアウトブレイクがあり、2300人以上が感染、200名を超える死者が出ました。このケースを見てもわかるとおり、8〜10パーセント程度と致命率が高いのがベストの特徴です。治療をしなければ、致命率はエボラ出血熱よりも高くなります。ペストの病原体は、ペスト菌(Yersinia pestis)という細菌です。ノミの吸血によって感染する腺ペスト、ネズミなどの齧歯類や感染したヒトから飛沫感染する肺ペスト、それらから進展するペスト敗血症の3つに分類されます。ふだんはノミと齧歯類のあいだをサイクルしているペスト菌が、そのどちらかからヒトにも感染し、さらにヒトからヒトヘの感染も起こるのです。」とあり、行かなくてよかったと思いました。でも、2019年9月から10月にかけて行くことができ、念願だったバオバブの樹をたくさん見て、植樹もしてきました。
 やはり、感染症は怖いので、流行期には絶対に近づかないということが一番です。そういれば、いつかはその機会が訪れ、行けるようになると思います。
 では、この感染症を避けるためにすることの基本は、何よりも「手洗い」が有効だそうです。水で洗い流すだけで心配なときは、アルコール消毒液も新型コロナなどには有効だそうですが、ノロウイルスなどにはあまり効果がないそうです。ポイントは時間をかけて丁寧に洗い流すことだそうで、石けんを使うのもいいそうです。ただ、「うがい」はあまり科学的な根拠がないそうですが、やってはいけない理由もないとのこと、やはりこまめな手洗いが重要みたいです。それと、「マスク」は大切です。
 下に抜き書きしたのは、「おわりに――コロナに終わりはあるのか」に書いてあった文章です。
 たしかに、終わるかどうかは誰にもわかりませんが、これからも慎重に動きを見守る必要はあると思います。だとすれば、これからも基本的な感染対策を引き続き行うことは大切です。
(2021.5.1)

書名著者発行所発行日ISBN
専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話(幻冬舎新書)忽那賢志幻冬舎2021年3月5日9784344986138

☆ Extract passages ☆

……ワクチンを接種したらそれで終わり、感染対策も不要、というわけではありません。ワクチン接種が始まった後も一人ひとりが、
・屋内ではマスクを装着する
・3密を避ける(特に職場での体憩時間や会食)
・こまめに手洗いをする
 といった、基本的な感染対策を引き続き行うことで、この100年に1度の厄災に立ち向かっていきましょう。
(忽那賢志 著『専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話』より)




No.1919『星野道夫 約束の川』

 このSTANDARD BOOKSのシリーズは、寺田寅彦や今西錦司など、何冊か読んでいますが、小さい本なので読みやすく、よくその著者の特徴が出ている文章が載っています。
 この星野道夫さんのものも、読んだことのある文章が7割以上ありましたが、それでも思い返しながら読むことができ、楽しかったです。たとえば、「木の実の頃」という文章も何回か読んだのですが、「『ブルーベリーの枝を折ってはいけないよ。おまえの運が悪くなる』その母親はよく運の話をした。なぜそうしてはいけないのかと聞くと、″運が悪くなるから″と答えた。人の持つ運は、日々の暮らしの中で常に変わってゆくものだという。それを左右するものは、その人間を取りかこむものに対する関わり方らしい。彼らにとって、それは「自然」である。彼らは、漠然とした、本能的な自然への恐れを持っている。日常生活の中での、ひとつひとつの小さな関わり。そこにタブーという説明のつかない自然との約束がある。それは僕たちが失くしてしまった、生き続けてゆくための、ひとつの力のような気がする。」のところなどは、何度読んでもなるほどと思いました。
 このアラスカのような広大な空間で生きていくためには、自然と共存するというか、自然に対する畏れがないと生きられないと思います。この本のなかでも、飛行機のプロペラが折れ曲がってしまい、飛べなくなり、部品がくるまでどうしようもなかったと書いています。いくら文明の利器だとしても、それにも限界があるということです。自然と折り合いをつけながら生きていくしかないわけで、おそらく今の時代であっても、このようなところでは人間の存在なんてものは、とても小さいと思います。
 そういえば、ベースキャンプをつくるとき、テントを張る場所を時間をかけて選ぶと書いてありましたが、私もネパールに行ったときには、なるべくロッジに泊まらず、テントを使います。というのは、ロッジそのものが不衛生ということもありますが、テントだと自分の気に入ったところに張ることができます。たとえば、アンナプルナの山麓を巡ったときには、テントの入り口を一番よく見えるところに向けると、朝起きたときに山々が黄金色に輝く風景を寝ながら眺めることができます。そして、シェルパの方に熱いお湯を持ってきてもらい、そこで自分でお茶を点てて飲むと、最高の気分です。もちろん、夕方の風景も素晴らしく、自分の好きなコーヒーを持って行くので、自分でドリップして楽しみます。
 もちろん、夜は外に椅子を出して、夜食をほおばりながら、星空を眺めます。もし、ロッジに泊まればわざわざ外に出ないとできないので、つい見なくなります。一度などは、テントの半分を持ち上げて、星空を眺めながら眠ったこともあります。でも、このときは、友人のシェルパからあまりにも不用心すぎると注意されました。
 この星野のさんの本を読みながら、あるところで開催された「星野道夫の宇宙展」の図録を引っ張りだして見ました。たとえば、動物はもちろん、トーテムポールなども、文字だけではなかなかイメージがつかめないものも写真だとストレートに伝わってきます。
 そういえば、だいぶ前に見た『星野道夫の仕事』全4巻、朝日新聞社刊、などに出ていた写真なども思い出しました。この本の文章を読みながら、もしかすると、あの本に出ていた写真かな、などと推測するのも楽しかったです。
 それにしても43歳で亡くなるというのは、あまりにも早すぎます。この本のなかに、フェアバンクス郊外の森を買い、そこに家を建てたことが「家を建て、薪を集める」というところに書いてありますが、1990年で38歳のときのことです。つまり、単純に計算すると6年しか住んでおらず、その半分近くは写真を撮り歩いていたことになります。
 下に抜き書きしたのは、「雪、たくさんの言葉」のところに書いてあった文章です。
 実は私も別なところで聞いたのですが、アラスカ原住民の雪の白さを表現するのにいろいろな白色の表現があるそうです。日本人も、白色の表現に純白から乳白色まで、いくつかの段階があります。たとえば、純白でも真っ白というふうにいうこともあります。だとすれば、雪のなかで1年の半分以上も暮らしている人たちにとっては、もっといろいろな表現があるはずです。それを、ホワイトだけで表現のにはどだい無理があります。
 そして、まったく雪の降らない地方の人たちにすれば、それを理解しようとしても難しいのではないかと思います。だからといって、ダメということではなく、理解しようとする努力は、どんなときにも必要ではないかと思います。
(2021.4.29)

書名著者発行所発行日ISBN
星野道夫 約束の川(STANDARD BOOKS)星野道夫平凡社2021年2月10日9784582531770

☆ Extract passages ☆

 いつかこんな話を聞いたことがあった。変わりゆくアラスカをめぐり、アラスカ原住民とアメリカ政府との間で開かれたある話し合いの席でのこと。一人のエスキモーの老人がこんなことを言ったという。
「わしらは自分たちの暮らしのことを、自分たちの言葉で語りたい。英語では、どうしても気持ちをうまく伝えられん。英語の雪はsnowでも、わしらにはたくさんの雪がある。同じ雪でも、さまざまな雪の言葉を使いたいのだ」
 この話が妙に記憶に残っている。暮らしの中から生まれでた、言葉のもつ多様性。アラスカの冬を、雪の世界を、彼らの言葉を通して旅してみたい。ひとつひとつの雪の言葉に隠された、生命の綾をたどってみたい。
(星野道夫 著『星野道夫 約束の川』より)




No.1918『カベを壊す思考法』

 著者の名を見て、すぐにNo.1903『歴史を活かす力』を思い出しました。すごくわかりやすい書き方で、ぐいぐいと引っ張って行くように感じられました。
 そこで、この本も読んでみようと思い、図書館で借りてきました。今は新型コロナウイルス感染症の影響もあって、遠くへ出かけられないので、時間があれば本を読むのですが、そうそう本屋さんで買ってばかりはいられません。もちろん、もう本棚がいっぱいで、その棚の前にも本が積み重なり、部屋の領域をますます狭くしていることも、借りてくる理由のひとつです。
 この本は、2010年6月に英治出版から刊行された『「思考字句」をつくれ』を加筆修正し、大幅に改訂したものだそうで、そういえば、前に読んだ『歴史を活かす力』も「文藝春秋digital」の連載「腹落ちする超・歴史講義」2019年11月7日から2020年8月27日までのものを、大幅に加筆し再構成したものでした。どちらも、今の時代に添わせたように改訂していて、これはこれでとても興味深く読みました。
 著者は、直感を大切にしているといい、「直感の精度はその人のインプットの集積で決まります。だからこそ、日ごろから読書をしたり、さまざまなジャンルの人に会ったりして経験の幅を広げ、インプットの量を増やしておくことが大切なのです。そのように努めれば、直感の精度は確実に高まります。常に、「人、本、旅」で勉強しなければいけないのです。」と書いていますが、まったくその通りだと思います。
 私も人と会って話しをするのは好きですし、本も旅も大好きです。
 ところが、この新型コロナウイルス感染症の影響で遠くへ出かけることはできなくなり、さらに海外に行くのはまったくできません。このような状況では、心配なくできることといえば読書ぐらいなものです。
 だから、毎日時間があると本を読んでいますが、読めば読むほどいろいろと興味が湧き、好奇心の赴くままに夜遅くまで読んでいます。もし、目が悪くなり、本が読めなくなったら、どうしようかとさえ思います。でも、数年も経てば、自由に旅ができるようになるかもしれないので、それまではゆっくり本でも読むしかなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、第3章「自分に必要な情報のつかまえ方」のところに書いてある「1つのところでじっとしているほど危険な生き方はない」といいます。つまり、ホームグラウンドとアウェーとでは、当然のことですがアウェーのほうがたくさんのインプットが得られるということです。
 たとえ、それが危険を伴うとしたとしても、安全に気を配りながら、進むということです。著者は街歩きのモットーは「迷ったら細い道を選ぶ」と書いていますが、私もネパールなどで1人で歩いているときには、細い裏通りの道を歩くようにしています。そうすると、庶民の暮らしぶりがわかったり、昔懐かしい物売りの姿に出合ったり、なかなか楽しいものです。
 そして、著者も言うように、「小さな危険」にぶつかる経験を重ねることによって、「大きな危険」直感で判断し、避けることができるようになります。もちろん、危険を推奨するわけではないのですが、危険もない安全な道だけを選んで歩いていると、ますますこじんまりとしたおもしろみのない生き方になるのではないかと思います。
(2021.4.27)

書名著者発行所発行日ISBN
カベを壊す思考法(扶桑社新書)出口治明扶桑社2021年3月5日9784594087333

☆ Extract passages ☆

踏み出した先は、きれいに舗装された街並みからは遠く離れた辺境の地です。そこには標識もなく足元は石ころだらけ。迷ったり転んだりして怪我をすることもあれば、はじめて会う人たちと言葉が通じず孤独にさいなまれることもあるでしよう。
 でも、だからこそ一刻も早く、そこに足を踏み出すべきだと思うのです。辺境での対処の仕方は、辺境に身を置き、そこで失敗を繰り返すことからしか学べません。そして、そうやっていったん知識やスキルを獲得してしまえば、もはや辺境は恐るべき未知のフィールドから、勝手知ったる自分のホームグラウンドになってしまうのです。
(出口治明 著『カベを壊す思考法』より)




No.1917『科学で大切なことは 本と映画で学んだ』

 この本の題名を見て、すぐにロバート・フルガム著『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』を思い出しました。
 そういえば、栗下直也著『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)や千田琢哉著『人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。』(日本実業出版社)などもありました。でも、この本は科学という広い分野のことを、本や映画などから引き出していて、とても興味深く読むことができました。
 著者は、「あとがき」の最後に「2020年師走の仙台にて」と書いていますが、今、仙台は「まん延防止等重点措置」の対象地域となり、それと合わせて、3月18日に県独自で出した緊急事態宣言を5月5日まで延長するそうです。経歴をみると、現在は東北大学特任教授だそうです。ここから、これまでのサイエンスライターにいたる流れをみると、「思い起こすと、物書きを始めた当初、ぼくは科学エッセイストを名乗っていた。「はじめに」で書いたとおり、出発点が、ミステリー雑誌に掲載されたエッセイで、その後は、小冊子や企業広報誌などからの依頼原稿が主たる執筆活動だった。やがて科学雑誌などの仕事も増えたこともあり、翻訳活動も含めて、科学ジャーナリスト、次いでサイエンスライターを名乗るようになった。経歴としては、ほぼ40年になる。」といいます。
 でも、この世界は、特に学歴とか資格とかないところで長く活躍するというのは、むしろ大変だと思います。ある意味、好きでないとできないのかもしれません。
 私もサイエンスものは好きですが、とくに知的好奇心をくすぐるところが、読んでいて飽きません。この本で初めて知ったこともあり、たとえば、長崎大学名誉教授で産婦人科医の増崎英明さんによると、「胎児は、子官という密室の中で眠り続けながらも、目や口を開けたり閉じたり、顔の表情を変えたり、しゃっくりをしたり、鼻から羊水を吹き出したり、驚かされることばかりだという。それと、いちばん大事な仕事は、羊水を飲んではオシッコをすること。これで羊水の量はほぼ一定に保たれると同時に浄化されているらしい。先生はなんと、胎児の膀胱を観察することで、オシッコの量と回数を10時間連続で観察したとか。まさに好奇心の塊である(それに付き合った妊婦さんも偉い)。その結果、胎児は60分ごとに30ccのオシッコをしていることがわかった。一日に換算するとおよそ700ccという計算になる。」そうです。
 まさに胎児は、単細胞からスタートして羊水のなかで生きる水生動物となり、生まれると今度は陸生動物になるわけで、すべての生物は昔は海水のなかにいたというのもリアリティがあります。
 そういえば、この本のなかで、胎児は何ごとにかかわらず見知らぬものを恐れ、年長者の行動をじっと見て模倣する性質が生まれつき備えているそうです。やはり、どんな国や民族であっても、文化というのはその中で伝えられてきたものであり、また伝えて行かなければならないものだと思います。
 下に抜き書きしたのは、ホタルのシンクロニシティについての話しです。
 私の住む小野川温泉はホタルの里としても有名で、ゲンジボタルやヘイケボタルの他にヒメボタルも棲息しています。このヒメボタルは、車で行き、駐車灯をつけると、それに合わせて点滅を繰り返します。なぜなのかと思っていましたが、それが数学的に説明できるというのにはビックリしました
 ただ、それが説明できることと、ホタルたちの実際の行動の意図とはまったく違うので、自然界というのは不思議世界のワンダーランドです。
 それにして、微分方程式と聞いただけでちょっと身をひいてしまいますが、さらに非線形微分方程式と聞けばますますわけがわからなくなりそうです。科学は好きですが、数学はいまだもって苦手な分野です。
(2021.4.24)

書名著者発行所発行日ISBN
科学で大切なことは 本と映画で学んだ渡辺政隆みすず書房2021年2月10日9784622089780

☆ Extract passages ☆

 それにしてもなぜ、ホタルの雄はシンクロするのか。それに関しては、以前から、交尾相手の雌を引き寄せるため(雄どうしのコンテスト)とか、捕食者回避(みんなで光ればこわくない!)など、生物学的な説明がなされてきた。問題は、どうやってシンクロするのかである。個々のホタルが全体を見渡して意図的に同調するのは不可能だろうし、単純に隣のホタルに合わせるだけではウエーブができるのが関の山である。
 じつは、指揮者もいないのに複数の周期的な活動がシンクロする現象はホタルにとどまらない。心臓の細胞から天体の運動まで、生物無生物を問わず広く見られるのだ。このような広範にして複雑怪奇な現象を扱うにあたっても、数学が有力な武器となる。実際、非線形微分方程式という、聞いただけでも怖じ気づきそうな数学の力を借りると、ホタルの謎を解く光明が見えてくる。
(渡辺政隆 著『科学で大切なことは 本と映画で学んだ』より)




No.1916『今日も言い訳しながら生きてます』

 なんとなく表紙のイラストがユニークなので手に取りましたが、著者が韓国の仁川(インチョン)に住んでいる方とは思いもしませんでした。でも、文章に不思議なやわらかさを感じ、ずるずると読んでしまいました。
 そういえば、表紙のイラストも、ボクシングなのに靴を脱ぎ、右足で白い布を掲げ、左手でグローブをしたままコーヒーを飲んでいるような感じです。白旗を掲げ、試合を放棄している姿です。そういえば、「プロローグ」で、1度きりの人生なのだから、どうせなら楽しく生きたほうがいい、と書いていますが、まさにそのようなイラストにも見えます。
 そして、「人に振り回されるくらいなら、誰にも認められなくてけっこうです」のところで、「もちろん、人に認めてもらえれば最高に気分がいいけれど、認めてもらうことを望み始めたら、物事が複雑になっていく。人から認められることばかり望む人は、結局、人に振り回されてしまう可能性が高い。さらにもっと広く、世の中から認められたいと思ってしまったら……そのときは世の中に振り回されてしまうだろう。この人生は誰かから認められるための人生じゃないはずだ。自分の人生なのだがら、誰かにいいように操られたりするなんて御免だ。」と書いていて、私が伝え聞く韓国の方とは違うようです。
 でも、逆に考えれば、このような考えが少数派なら、これはこれで貴重な意見になり、この本を出す意義もたしかにあります。
 そのこともそうですが、今の新型コロナウイルス感染症の世界的拡がりのなかで、さまざまな不安が世の中にたくさんあります。たとえば、仕事のこと、家庭のこと、外出することなど、心配の種は尽きません。著者は、それらにあまりにも強く依存しているから不安なのではないかといいます。お金がなくて生活できなくなる不安とかもそうで、それを『魂の退社』稲垣えみ子著、東洋経済新報社刊、を参考にしながら、「彼女は今、自分が心からやりたいことをしながら生きている。お金がたくさんあるからではない。お金に対する恐怖に打ち勝った者だけが享受できる自由だ。」といいます。
 そして、「会社員もフリーランスも不安なのは同じだ。僕らが不安な理由は、あまりにも何かに依存しすぎているからかもしれない。何かがないと生きていけないと思い込みすぎている状態なのだろう。」と書いて、自分自身も懐具合が厳しくなってくると、食費を節約するために外食を減らし、スーパーへの買い物を極力減らし、冷蔵庫の整理をしながら食べていくそうです。そして、この冷蔵庫の整理を、かなりクリエイティブな作業で、冷蔵庫のなかの食材を組み合わせて何を作るかを考えるのも、創意工夫が試されるといいます。
 つまり、なんでも考え方次第で楽しくできるということです。
 下に抜き書きしたのは、「つらいときこそ、笑おう」のところに書いてありました。
 日本でも、「笑う門には福来る」といいますから、笑っていることって、本当に大切なことだと思います。そして、笑っているうちに、いいことがやって来て、その笑いが引き寄せてきたのではないかと思うことが1度や2度ではありません。
 たしかに、今、日本と韓国では、なかなか意思の疎通がうまくいっていないようですが、こういうときこそ、言い合うのではなく、笑い合おうというのが、意外と解決の糸口なのかもしれないと、この本を読みながら思いました。
(2021.4.21)

書名著者発行所発行日ISBN
今日も言い訳しながら生きてますハ・ワン 文・イラスト、岡ア暢子 訳ダイヤモンド社2021年1月26日9784478111710

☆ Extract passages ☆

 人生は、近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だという言葉の通り、僕の人生には笑いが絶えない。
 これを書きながら、大人と子どもの違うところを一つ発見した。
 つらいことに直面したとき、子どもは笑わないが、大人は笑うというところである。年齢からくる余裕なのか、あきらめなのか、はたまた悟りなのかわからないが、笑えるというのは大きな力だ。
 つらい世の中を生きていくときには、怒りよりも笑いが助けになってくれる。
(ハ・ワン 文・イラスト『今日も言い訳しながら生きてます』より)




No.1915『食料危機』

 この題名のあとに、「パンデミック、バッタ、食品ロス」とあり、いずれも気になることだったので、読むことにしました。
 まさに今、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックのさなかにあり、緊急事態宣言が解除されるとすぐにまた感染者が増加し、第4波ではないかとささやかれています。だとすれば、経済をまわしていくためには解除しなければならず、そうすると感染者が増えていくという悪循環に陥ってしまいます。ところが、このような状況下においても、生きものはすべて食べなければ生きてはいけないので、やはり「食料危機」は大切な問題です。
 このコロナ禍の時代と食品ロスについて、この本では、「全体として言えるのは、「食べ物が限られた量しかない」「めったに入手できない」と意識することで、明らかに購買行動や消費行動が変わり、あるもので賄おうとする工夫が生まれ、無駄や廃棄が減るということだ。これを、いち消費者のみならず、事業者も心得ることで、世界の食品ロスは格段に減り、ひいては食料を必要としている人への分配がより多くなる。「自分が食品ロスを減らしても、途上国の困窮者にその食料を渡せるわけじゃないから減らしても無駄」と主張する人を見かける。まず、自分の国に経済的困窮者が存在していることを知ってほしい。そして、食料の無駄や廃棄が生み出す環境の悪化が、より食料生産を減少させることを理解し、意識や行動を変えていってほしい。」と書いています。
 また、2019年9月に行ったマダガスカルについて、国際農研の白鳥佐紀子さんの話しで、「マダガスカルの農村では主に米を作っているが、その単位当たり収量は他の国や地域と比較して低く、十分な生産ができているとは言えない。家計収入の多くを米販売の収入に頼る農家もよくみられるが、収入が季節によって変動するうえ、同時期に他の農家も米を販売して価格が低下することもある。収入が不十分で不安定であることは貧困につながる。米だけを食べていても栄養バランスは満たされないため、他にも多くの種類の食品を食べることが望まれるが、例えば動物性食品などは比較的高価であり、貧しい家計ではなかなか手に入らない。」と書いてありました。
 私が行ったときには、ちょうど田植えの季節で、あちこちで田園風景を見ました。それと、別な問題は、炭焼きによる自然破壊で、大きな木がほとんどないところもあります。そして、その炭は都会でも煮炊きや暖房に使うそうで、道路の脇にたくさん積まれていて、遠くまで運ばれていくそうです。これでは、ますます木が切られて、砂漠化してしまいそうでした。
 やはり、自分が行ったことのある地域に関しては、やはり強く興味があり、関心もあります。びっくりしたのは、2019年の統計で、世界で中程度あるいは重度の食料不安に見舞われている人の半数以上はアジアに住んでいて、さらに三分の一以上がアフリカに住んでいるそうです。これは大変なことで、同じアジアに住む日本人にしてみれば、しっかりと考えなければならないことです。
 この本の第5章「私たちができる100のこと」のなかで、一人一人が今日からでもできることがまとめて書かれています。たとえば、「1 すぐ食べるなら店頭では手前に置いてある賞味期限・消費期限の近づいた値引き商品から買う」とか、「2 お腹がすいたままで買い物に行かない(空腹時にはそうでない時より64%無駄買い金額が増えるという米国の研究者のデータあり。1000円で済む買い物が1640円になるイメージ)」という具合に、とても具体的に書かれています。
 もし、興味があったら、ぜひ読んでいただければ、これからの食料危機を少しでも回避できるかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、イタリアの人たちの考え方についてです。
 著者が日本在住のイタリア人に、「このような助け合いの精神に基づく活動が生まれたのはなぜか」と尋ねたところ、「キリスト今日の精神があるからではないか」といわれたそうです。しかし、国民のほとんどがキリスト教徒という国は他にもありながら、なぜイタリアだけなのりかわからないと書いています。
 おそらく、それが国民性ではないかと思いました。そして、それこそが見返りをもとめない布施の精神だと感じました。
 どちらにしても、このような助け合いの精神はとてもいいことではないかと思いました。
(2021.4.18)

書名著者発行所発行日ISBN
食料危機(PHP新書)井出留美PHP研究所2021年1月5日9784569848303

☆ Extract passages ☆

……(イタリア)市民の生活に定着しているエスプレッソだが、お金がなくて飲めない人もいる。そこで、自分の分に加えて「次に来る誰かの分」まで払ってあげる。それが「カフェ・ソスペーゾ」(Suspended Coffee:保留コーヒー)だ。
 しかし、2020年のコロナ禍でカフェが閉まってしまい、「カフェ・ソスペーゾ」ができなくなってしまった。代わりにイタリアで生まれたのが、日常食であるパン(パーネ)が買えない誰かのために、余分にパンを買って、パン屋やスーパーに預けておく「パーネ・ソスペーゾ」である。
(井出留美 著『食料危機』より)




No.1914『真実をつかむ』

 この副題「調べて聞いて書く技術」を見て、最初は記者が書いたものとは思いませんでした。でも、読むとすぐにわかり、たしかに記者も調べて聞いて書くことには違いないと思いました。
 それでも、まさかNHKの記者だった人が書くとは思わなかったのですが、読んでいて、その当時のニュースを思い出すこともあり、なかなか大変な仕事だと改めて思いました。では、なぜNHKの記者がこのような本を書こうかと思ったのか、そのことを序章「記者の秘密を明かすワケ」で書いています。それによると、「仕事は何事も、ちょっとしたコツをつかむことで驚くほどうまく進むようになる。取材もそうだ。コツをつかむまでがなかなか大変で、私自身「これがもっと早くわかっていたらなあ」と感じることが多々あった。本書でそのコツを明かそうと思う。現役の記者の方々のお役に少しでも立てれば、そして多くの方、とりわけ将来の選択肢を模索している若い皆さんに、取材の醍醐味を知ってもらえればと願う。」といいます。
 この本を読んで、特ダネをとることの大変さもわかりましたが、それ以上にその記事を報道することの可否の判断も大切な仕事だと理解できました。つまり、これらの記事が社会に及ぼす影響も考えてのことです。
 このときに考えるのは、たとえば裁判などど強い立場と弱い立場があれば、訴える人がどんな不当な状況におかれているかなど、それらも伝えていくという姿勢が大切です。しかし、どうしても権力と結びついた立場を擁護してしまうのが一般的なので、むしろその反対の立場の気持ちをしっかりと代弁することも必要だと感じます。やはり、伝え方ひとつで、流れが変わることがあり、そのことについてもこの本には触れられています。
 この本のなかで、なるほどと思ったのは、取材のときになるべくメモをとらないという姿勢です。その理由は、「メモを取っていると、いかにも「取材を受けている」という印象を相手に与える。もちろん取材をしているのだが、その意識が薄れた方が本音の話が出やすい。だからメモはなるべく控える。まして、初対面の相手に直撃取材に行った時などは、メモは決して取らない。とにかく相手とのやり取りに集中し、発言を記憶し、その場で切り返しを考えて言葉をつなぐ。「取材されている」という印象を極力薄めるように努める。そして取材先の方と別れた後、見えないところで大急ぎでメモを残す。記憶が薄れないうちに。」と書いています。
 たしかに、メモをとっていると、話しがときどき止まってしまいます。私もある聞き取りで、なるべくメモらないようにしていますが、そのほうが話しの流れがよく、いろいろなことが聞けます。たまたまですが、2人で行ったときに、もう1人の方がしっかりとメモをとる方で、ときどき聞き返します。そうすると、だんだんと話しのテンポが悪くなり、内容も紋切り型のようになるのがわかります。やはり、本当は話すつもりはなかったのですが、ついしゃべってしまったというような内容がこちらとしては欲しいのです。
 また、私の場合は講演を頼まれたときにも、話す内容などはしっかりと準備していきますが、その原稿は懐にしまっておいて、机の上には出さないようにしています。そうすると、聞いて下さる方たちの表情もわかり、話している内容がわかっているか、それともわからないのかも見えてきます。また、話しの流れもスムーズにいくので、話しやすいようです。
 下に抜き書きしたのは、「人の不幸」を取材する意味についてです。
 というのは、ときどきニュースを見ていて思うのですが、被害者なのにあそこまで強引に取材をしなくてもいいのではないかという場面が多いからです。たしかに報道の大切さはわかりますが、どうしても違和感を感じていました。
 しかし、「不幸が二度と起きない世の中につなげていくため」というためには、しっかりと報道することも大切で、ますます現場で取材をしている記者たちのご苦労が理解できました。もし機会があれば、読んで見てください。
(2021.4.15)

書名著者発行所発行日ISBN
真実をつかむ(角川新書)相澤冬樹KADOKAWA2021年2月10日9784040823805

☆ Extract passages ☆

 私たちは事件の被害者、加害者、その周囲にいる人、多くの関係者を取材する。それは多くの人の「不幸」を取材することでもある。……
それは被害者のご遺族も、加害者の関係者も、大勢の方を傷つけることになっただろう。では私たち記者が「人の不幸」を取材する意味は何か?「人の不幸」を報じることで、不幸が二度と起きない世の中につなげていくためだ。それがなければ、「人の不幸」を取材する意味はない。
(相澤冬樹 著『真実をつかむ』より)




No.1913『ニッポン巡礼』

 表紙は日本のかや葺き屋根の家で、手前で焚き火をしている写真でした。なんとも古びた感じで、しっとりした情緒が感じられました。でも、著者はアメリカ人で、なぜこのような日本の風景に魅せられているのか、それを知りたいと思いました。
 すると、「はじめに」のなかで、1994年に白洲正子さんとの「本物とは何か」という対談のことに触れ、それ以来、白洲さんのものを見る厳しい目からたくさんのことを教わったといいます。そして、古民家再生の仕事をするなかで、全国を走り回り、ますますその世界に癒やされ魅せられていったといいます。むしろ、日本人が忘れてしまったものを教えてもらうような気持ちをこの本を読みました。
 この本を書くことで、「日本を旅する行為、つまり「ニッポン巡礼」には、心の琴線に触れる発見がたくさんあると同時に、儚さへの憂い、とめどなく進む破壊に対しての恐怖が常に同居しています。日本では、こうした感情をスリルとして楽しむべきなのでしょうか。今回の旅は甘くほろ青いものでした。」といいます。
 私も、新型コロナウイルス感染症が流行する前までは、このような気持ちでいました。でも、この感染症の影響で、海外からの旅行者がほとんど来れなくなり、日本人も不要不急の外出自粛の要請などで、遠くへ旅行に行くことはできなくなりました。そこで、ほとんど感染者がいなかった会津の観音さまをお詣りしようと出かけましたが、今まであまりにも近いので行かなかったところに、日本的な素晴らしさを感じました。たとえば、柳津の「瀞流の宿 かわち」に泊まったときに見た只見川の夜霧の風景とか、会津三十三観音第21番札所の「左下り観音」などです。この観音堂は、だいぶ歩いたところにあり、中腹の岩にへばりつくように三層閣で五間四面の舞台造りのみごとなお堂です。この廻り縁に立つと、近くには大川の清流を見下ろし、遠くに磐梯山まで望むこともできました。しかも、人っ子一人いないので、まったくの独り占めです。
 おそらく、ほかにも知られていないところがあると思いますが、この本に書いてあった、南会津の前沢集落にも行ってみたいと思います。ここは昔ながらのかや葺き屋根の曲り家があるそうで、私の小さいときにこういう農家の家に行ったことがあります。玄関の脇に牛や馬などを飼い、たしかカイコも飼っていました。まさにいろいろな生きものといっしょに生活していました。この南会津には、この他にも南泉寺の鐘楼門もあり、この写真を見て、白川郷の明善寺の茅葺きの鐘楼門を思い出しました。たしかに、白川郷も大内宿も独特の雰囲気を持ったところですが、観光客が多すぎます。
 だから、著者は、「私には執筆家としての責任もあります。これまでは自由にいろいろな場所を取材して、美しい景観や文化的価値の高い町や村を紹介することが私の楽しみでもありました。しかし、オーバーツーリズムの時代では、知る人ぞ知る京都の寺院や、三浦半島の静かな人り江について、どこまで紹介していいのか、慎重に考えるようになっています。もう一歩踏み込んで「旅の哲学」に思いを馳せると、本来の紀行文がどんなものだったか、気になってきました。『おくのほそ道』にしても、松尾芭蕉は、読んだ人に自分の足跡を辿ってもらおうという発想は一切なかったと思います。昔の紀行文には、「世界にこんな面白い場所があるんだ」ということを著者が紹介した時、読者は想像を膨らませ、心の中で人事にしようとする姿勢がありました。」と書いています。
 たしかに、昔なら行きたくても行けなかったでしょうし、それで満足できたかもしれません。ところが、今はテレビ等で放映されると、あっという間にその情報が拡散され、さらにSNSなどでも個人の情報ですら、大きな影響を及ぼします。だとすれば、そろそろ考えなければならない時期にきているのかもしれません。
 考えてみれば、下に抜き書きしたものも同じで、あまりにも人工物に頼った公共工事などもそうだと思います。
 家の近くを流れる鬼面川でも、コンクリートでかためた護岸を作る予定でしたが、反対運動が功を奏して、そのかわりに洪水のときに一時的に水を貯めておく遊水池を確保することにしました。今では、そこに野鳥が来たり、昆虫がたくさん棲みつくようになりました。さらに、以前より水かさが増すこともなくなり、洪水の危険も少なくなってきたように思います。
 コンクリートで作ったものには、劣化する危険や壊すときの高額な負担もありますが、自然そのものの遊水池は、永久にそのままです。これからは、旅行だけでなく、生活そのものも昔の生活から多くのことを学ばなければならない時期にきていると思っています。
(2021.4.12)

書名著者発行所発行日ISBN
ニッポン巡礼(集英社新書ビジュアル版)アレックス・カー集英社2020年12月22日9784087211467

☆ Extract passages ☆

公共工事に依存した地域は、次から次へと過剰な工事を繰り返します。それが変えられない日本の仕組みであるならば、そうした工事の代わりに、毎年、立派な予算をつけた「海岸の大掃除部隊」を編成したらどうでしようか。これなら大規模工事がなくなっても、島民の生活は今まで同様に保証されますし、同時に浜と海もきれいになって一石二鳥です。
(アレックス・カー 著『ニッポン巡礼』より)




No.1912『気候変動から世界をまもる30の方法』

 冬の比較的ヒマな時期になると、今年はどんな植物を小町山自然遊歩道に植えようかとか、どこへ植物たちと出合うために出かけようかと考えます。しかし、今現在、新型コロナウイルス感染症がなかなか収まらない状況もあり、出かけることもままなりません。
 今年も海外に出かけるのは無理かな、と思っていたら、なぜかネパールの氷河湖はいまどのようになっているか心配になりました。ネパールの友人たちといっしょにシャクナゲを見に行ったときに、もし氷河湖が決壊したら村や人々が流され、大災害になるという話しでした。でも、その村にはまだ電気もなく、気候変動に影響を及ぼすような生活はしていません。しかし、先進国といわれるような国々は、すでに多くの二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスを排出していて、それらが自然や人間活動にも大きな影響を及ぼしています。だとすれば、その責任の多くは今までそれらの温室効果ガスを排出してきた先進国にあり、率先して取り組まなければならない問題です。
 そのようなことを考えていたとき、この本に出会いました。
 たとえば、「2019年に起こった気象災害によって住むところを追われた人びとが一番多かったのは、インドの500万人、次いで、フィリピンとバングラデシュが2位で、それぞれ410万人、そして3位が中国で400万人が住むところを失いました。ほとんどがモンスーンの降雨、洪水、サイクロンや台風によって避難しなければならなくなった人びとです。この アジアの4カ国で、全体の約70%以上になります。」と書いてあり、そのインドのケララ州に私が行ったのは2018年9月20日でしたが、8月の大洪水のときにはコチ・ネイバル空港も閉鎖され、12年に1度咲くという花を見られないかもしれないと思いました。ところが、9月中旬に再開され、なんとか行けたのですが、道路のあちこちが崖崩れで通れず、迂回したところもありました。そして、10月3日に帰国したのですが、その数日後にまた豪雨におそわれ、受け入れてくれたインドの教授から「もし数日帰国が遅れていたら帰れなくなったよ」と言われました。
 これはインドだけの話しではなく、2018年7月には広島や岡山などで台風7号による豪雨で、2万棟以上の被害が出て、3万人以上の方々が避難されました。ほんとうに近年は、大きな台風が日本列島を横切り、今までかんがえられないような大被害をもたらしています。おそらく、これも地球温暖化で海水温が上昇したのではないかとこの本にも書いてありました。思い出せば、千葉県内でも台風の影響などで停電などがあり、避難生活を余儀なくされたところもかなりあったようです。
 この本で初めて知ったことですが、コスタリカは約70年ほど前に日本に次いで平和憲法をつくり、常備軍を廃止しているそうです。そして、その軍事費を教育費などにあて、現在でも国家予算の3割ほどが教育費だそうです。さらに、「コスタリカはここ5年、98%以上を水や風、太陽などの自然の力を使う再生可能エネルギーでまかなっており、その内訳は水力が約78%、残りを風カ10%、地熱エネルギー10%、そして太陽光発電0.8%」だといいます。まさにカーボンフリーを目指している世界トップの国のようです。しかもコスタリカは乾季と雨季がはっきりしているので、乾季の終わり頃には水不足が起きますが、その水力発電を補うために地熱発電に力をいれているのだそうです。
 つまり、この計算からいくと、残り0.2%が火力発電ですが、あくまでも火力発電は緊急時のバックアップ電源と考えていて、実際にもここ数年は稼働することなくメンテナンスだけにとどめていると書いてありました。
 下に抜き書きしたのは、26番目の「持続可能な農業を取り戻したい」(中澤健一)のなかに書いてあったものです。
 このように文章にしてみると、今の暮らしがいかに多くのエネルギーを消費しているかがわかります。やはり、今の便利な生活を一人一人が考え、少しでも地元産の野菜を使ったり、自分で野菜を育てるようなことをしなければならないと思いました。私のところでもミニトマトを庭の片隅に植えていますが、ほんとうにおいしく、なる時期にはトマトをまったく買わなくても間に合います。
 でも、以前はミニトマトだけでなく、いろいろな野菜を作っていましたが、野生のサルが出没してからは、つくることをやめました。とても残念ですが、仕方のないこともあります。
(2021.4.9)

書名著者発行所発行日ISBN
気候変動から世界をまもる30の方法国際環境NGO FoE Japan 編合同出版2021年1月15日9784772614450

☆ Extract passages ☆

 数千キロ離れた海外の農地で化学肥料と農薬を使って生産し、航空機で輸送し、冷房された工場で加工調理し、プラスチックで包装し、冷凍冷蔵トラックで運び、スーパーの店頭に並び、自家用車で買い物に行く。現代の食料システムでは私たちが食事から摂取するエネルギーの10倍をはるかに超えるエネルギーが消費されています。
 同じ献立でも、地元産食材を使った場合の食材の輸送に伴う二酸化炭素排出量は、輸入食材を使って調理した場合と比べ、約47分の1に縮小されるという試算もあります。日本でもほんの数十年前までは、多くの国民が農村で暮らし、お米や野菜を自らの手で作り出していました。そこには無駄な輸送や加工エネルギーも過剰なパッケージ包装もありませんでした。
(国際環境NGO FoE Japan 編『気候変動から世界をまもる30の方法』より)




No.1911『老いる意味』

 この本の副題は「うつ、勇気、夢」で、自分が体験した老人性うつ病などから書き始め、健康や明日に向かって夢を見ることの大切さなどについて書いています。
 私自身も、古希を過ぎたあたりから、歳をとったという自覚らしきものがあり、このような本を読むようにもなりました。ある意味、人生の先輩からどのようの歳のとり方がいいのか、教えてもらいたいということかもしれません。
 たとえば、身辺整理についてですが、じつはつい最近、近くの方が突然亡くなり、残された遺族はどこになにがあるかもわからず、大変だったと聞きました。預金通帳はもちろん、実印や保険証券など、まったくどこにしまってあったのかさえわからず、だいぶ時間がかかったといいます。やはり、ある程度の年齢になったら、大切なものは1ヵ所にまとめておいて、気に入った写真があれば、それを使ってもらうように頼んでいてもいいと思います。著者は、「身辺整理を進めていくと、身軽になるというより、見通しがよくなる感じがする。春や夏の樹々より、冬木立は見通しがいい。それと同じようなものである。自分自身の見通しをよくすることを目的としながら、人から見ても、すっきりしていると感じられるようにする。」と書いていますが、たしかに身辺整理をすると身軽になるばかりでなく、他の人から見てもすっきりして感じられるかもしれません。
 また、著者もいうように、「なんでも買い足していれば、物とゴミとの区別がつかなくなっていく」というのも当然のことです。とくに、思い出の物などというのは、その人にとっては宝物のように大切だかもしれないけど、他人にとってはゴミのようなものにしか見えないものもたくさんあります。これらだって、自分が整理できるうちにしっかりと整理して、最後は物はなく思い出だけにしてしまうことも身辺整理だと思います。
 また、「一味一会」ということも、なるほどと思いました。著者は、「ある時期から私は、まずいと感じるものを無理して食べるのはやめた。贅沢に聞こえるかもしれないが、いつまで普通に食事できるかわからないのだから、そのうちの一回でも無駄にしたくないからである。食事は食べ直しがきかない。まずいと感じたものを我慢して食べれば、それでお腹は張ってしまうので、一回を失う。そのほうが「もったいない」と考えている。」といいますが、私もこの歳になると、あまり食べられなくなるし、さらに、いつ、まったく食べられなくなるかもしれません。しかも、身辺整理でないですが、食べるものはカタチが残らないから、自分が美味しく食べられればそれだけでいいわけです。
 お茶の世界では一期一会といいますが、食べものだって、そのときどきの出会いです。それを大事にしながら楽しめるなら、それこそいいことだと思います。
 私もなんどかお茶会をしましたが、珍しい茶道具よりも、美味しかった懐石料理のことをよく思い出します。しかも、自分たちで料理をしてお出ししたときのことなどは、鮮明に覚えています。12月になり、寒くなったころ、お抹茶も口切りなどをしておいしくなったころに、その年にとれたダイコンを厚切りにして、いろいろな味噌をつくり、勝手に「大根茶事」などと銘打って、やったこともあります。ケーキを作るのが得意の方がいて、「クリスマス茶会」もしたことがあります。
 下に抜き書きしたのは、第5章の「老人は、明日に向かって夢を見る」というところに書いてあった読書の型です。
 このホームページは『本のたび』なので、読書そのものと深く結びついているので、あえてこれを選びました。でも、私としては、老人になってからの読書は好き勝手なジャンルから選んでもなんら差し支えないと思っています。
 おそらく、この『本のたび』をみて、これが論より証拠かな、と思った方がいても不思議ではなさそうです。
(2021.4.6)

書名著者発行所発行日ISBN
老いる意味(中公新書ラクレ)森村誠一中央公論新社2021年2月10日9784121507181

☆ Extract passages ☆

 読書には大別すると三つの型がある。
 第一型は、自分の知識や教養を高めるための読書である。人間としての情緒を高め、現代人としての基礎的教養を身につけることができる。これはとくに精神が柔軟な「若者の時代」に期待される読書である。……
 第二型は、職業に関する読書である。弁護士が六法全書を読み、医者が医学書を読み、銀行員が金融経済の本を読むように、職業生活上、必要不可欠の読書である。専門知識は日々アップデイトしていかなければならないので、怠ることはできない。「現役時代の読書」だ。……
 第三型は、趣味や娯楽に関する読書、エンターテインメントの読書である。小説や詩集などもこれに入る。料理の好きな人にとっての料理本、写真が好きな人の写真集などもこれに含まれるであろう。「どの世代にも共通する読書」といえる。
(森村誠一 著『老いる意味』より)




No.1910『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』

 2021年2月17日から医療従事者からワクチン接種が始まり、この日は125人だったそうですが、順次進められているようです。しかし、3月11日にはアストラゼネカの新型コロナウイルスワクチン接種でオーストリアで女性が死亡するなどがあり、イタリアやデンマークなどでは予防的措置として一部または全ての接種停止に踏み切ったというニュースが流れました。考えてみれば、開発には最短でも数年かかるといわれていたのに、これでほんとうに臨床試験がちゃんとできたのだろうかと心配していました。そこで、この本を見つけ、読んでみることにしました。
 たしかに、なぜだろうと疑問に思っていたことがわかったりしましたが、むしろ疑問が生まれたりもしました。この本は、現在アメリカの国立研究機関で研究をしている峰宗太郎研究員と、日経ビジネス編集部に属する山中浩之氏との対談で構成され、第8章の「根拠の薄い話に惑わされない思考法」だけ、鈴木貞夫名古屋市立大学大学院医学研究科教授がその対談に加わっています。このなかで、鈴木教授の「アイスクリーム理論」がおもしろく、「北半球では夏は暑いからアイスクリームが売れますよね。そして、夏は海に出かける人が増えて、海難事故が起きます。「夏→アイス」「夏→海の事故」は因果関係がありますが、それぞれは独立した事象です。でも、「アイスクリームが売れると、海で事故に遭う人が増えるんだ」という取り違えって、案外やってしまうものなのです。」と鈴木教授が話すと、今度は峰研究員が、「そうです。アイスも海の事故にも共通の原因(夏の暑さ)があるから、数字には相関がある。そこまではいいんですが、「だから、アイスの販売を禁止すれば海での事故が減る」というアイデアというか、謎理論が出てくることがあるわけですよ。」と続けます。
 この話しを聞いていると、世の中にはこの手のことがよくあるような気がして、なるほどと思いました。
 そういえば、新型コロナウイルス感染症のファイザー社のワクチンもそうですが、2度打たなければならないのはなぜかと山中浩之氏が質問すると、峰研究員は、「具体的には、免疫記憶といって、「メモリーB細胞」「メモリーT細胞」が、1回目の刺激を受けたとき、つまりこの場合は感染をしたか、ワクチンを受けたかですけれども、そのときにたくさん増えます。そのうちの一部が、メモリーと言って、記憶しながらレスト、体む状況になります。このレストの状況にいる細胞は、次に同じ刺激が入ると、即応部隊になってわーっとすぐに反応するんですね。既知の敵に関してはもう瞬時に自然免疫と同じぐらいの速度で反応します。なので、2回日は即座に抑え込みができると。」と答えます。そしてさらに、「1回目のワクチンの段階での、細胞への刺激が不十分なことがあるんですね。なので、これを十分に刺激してあげるために、ブーストしてあげる。実はこれも、2回目も同じT/B細胞が刺激されてさらにブーストするというんじゃなくて、対応できるレパートリー、さつき言ったレパトアの中での割合を増やしているんだ、ということも分かっていたりします。」と、さらに付け足しています。
 やはり、対談ですから、素人の山中浩之氏の突っ込みこそが普通の人の感覚でしょうから、このなぜワクチンは2度も打たないとだめなのという質問も、素人目線です。それに峰研究員が専門家の立場からしっかりと説明してくれるので、とてもわかりやすかったのです。
 下に抜き書きしたのは、第9章の「誰を信じるのか、信じていいのか?」というところで、述べていることです。
 たしかに、今回の新型コロナウイルス感染症に関しても、最初のころに高齢者で成人病などの既往歴のある方は要注意といわれていましたが、若い人でも重症化することもあり、後遺症などについてはまったくわからなかったのですが、けっこう長引く方もいて、いろいろな意見が出ては引っ込んでいきました。もちろん、新型ですから当然でしょうが、それでも、それらのなかにはいかにも眉唾らしきものも混ざっていたと今では思います。
 この峰研究員の言葉は、新型コロナウイルス感染症についてだけではなく、その他の病気などについても同じで、さらにはものの考え方にも当てはまるような気がします。それで、ここに抜書きさせてもらいました。ぜひ読んでみてください。
(2021.4.3)

書名著者発行所発行日ISBN
新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実峰 宗太郎・山中浩之日経BP2020年12月8日9784532264505

☆ Extract passages ☆

要は自分で考えていないから、その不確定要素に対して判断が付かない。不安が消せない。そこを解消できるのが大事なことの一つです。
 そして自分で考えるためには、結局、個々人の「しなやかさと、強さ」が必要なんですよ、手に入れてもらいたいものはこれなんです。
 個人個人が、時には苦い、だけど正しい理解、事実をしなやかに受け止めて、ある程度強くなっていかないと、この先の時代を乗り越えるのが難しい。「それでどうすればいいの」とばかり聞いているうちは、やはり強さが足りないんですょね。
 答えがないと安心できない、とか、回答をすぐに与えてほしい、とか。そういう姿勢だと、トンデモな本を読んだら、すぐそっちに引っ張られちゃうでしょう。
(峰 宗太郎・山中浩之 著『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』より)




No.1909『老いへの「ケジメ」』

 斎藤茂太さんの本は、何冊か読んでいますが、とても読みやすく、すぐ頭に入ってきます。
 それと、書いてあることも、だいたい想像でき、たまに先読みをしてしまうこともあります。でも、著者の人柄なのか、なるほどと思いながら読んでいます。
 そういえば、先日、あるSNSにお抹茶を点てて、買ってきた和菓子といっしょに写真を撮って載せたのですが、ある方からお菓子と抹茶碗が似合っているというコメントがありました。たしかに、なるべくお似合いの茶碗を選んでいたのですが、たくさんあるのですかと問われ、数えてみました。もちろん、箱に入ったものもあり、正確ではないのですが、少なくとも50個以上はありそうです。
 そのなかの数点を飾っていて、そのなかからお菓子に合わせて選んでいて、さらに季節が変わるとそれを取り替えていました。やはり、お茶は季節感も大切なので、知らず知らずのうちに数が増えていきます。目の前にないと、あまり考えもしないのですが、この本に書いてある「モノに対する未練を少なくすることは、アイデンティティをモノで感じるのではないような、別の生きがいを見つけることではないだろうか。たとえば、旅を趣味にするとか、絵を描くとか、そういう「行為」によって自分の存在感を感じるような生活を実現する。旅にいったらなるべく土産モノは買わない。思い出だけが財産となるような、そういう旅行を心がける。この世の未練を少なくすることは、モノに頼るような生活でなく、生きがいを充実させることだと思う。生きがいは、充実すれば充実するほど、いい人生だったと感じるから、それだけ未練が少なくなる。」を読んで、そろそろ私も断捨離をしなければと思いました。
 そして、これからはモノよりもすることを最優先し、なるべくカタチとして残らないよう心がけたいと思います。そして、あるものを手を替え品を替え、今持っているものだけで楽しむことも大切なことです。
 この本を読んで、年1会はいい顔をした写真を撮るというのも大切だと思いました。というのは、ここ1ヶ月の間に亡くなられた方がいて、2人とも葬儀で使う写真がなくて困ったのを見ていたからです。なんとか探して、間に合わせたのですが、あくまでも一時凌ぎです。
 そういえば、5〜6年前に2人で中国四川省に行き、彼が冗談で遺影に使う写真を撮ってやるといいながら、九寨溝で何枚か撮りました。ところが、皮肉なことに、彼が2年前にS状結腸がんで亡くなられ、遺影を準備してもらった私のほうは、まだまだ元気で暮らしています。だからといって、人間はどこでどうなるかはわからないので、これも大切なことだと思います。著者は、「あの世に旅立ったとき、かねて伝えておいた引き出しを開けると、預金通帳にハンコ、家の権利書、連絡すべき人びとのメモ、形見分けのメモ、遺言書、葬式の段取り、それに遺影となるべき写真まで入っていれば、まさに至れり尽くせりということになる。ここでポイントとなるのが、最後の仕上げとしての遺影だ。「あの人は、自分の遺影まで残していつた」といわれるのは、この日があることを覚悟し、準備を怠らなかつたということだろう。」と書いています。
 たしかに、このように準備をしたとしても、葬式の段取りまでしてしまうというのは、ちょっとやり過ぎのような気もしますが、それは後に残された人たちによっても違います。それが強制と感じられるようなら、問題だと思います。
 下に抜き書きしたのは、第2章のなかの「こころの整理のひとつとして、夢を持つ」に書いてあったことで、これは大切なことだと思いました。
 よく、夢というと、若い人たちの専売特許のように思っている人もいますが、夢というのは、誰にとっても大切なものだと思っています。ただ、どのような夢かといわれれば、その年、その歳に応じたものがあるのは当然で、むしろできるかどうかとはあまり関係ないような気がします。
 私は、この本を読む前から、そうありたいと思っていたので、迷わずこれを抜書きしました。

(2021.4.1)

書名著者発行所発行日ISBN
老いへの「ケジメ」斎藤茂太新講社2015年6月26日9784860815325

☆ Extract passages ☆

 計画は、立てるまでは楽しいが、一度立ててしまうと後は実現するだけしか楽しみがなくなってしまう。だが、夢は違う。かなえばうれしいが、かなわなくてもそのことを考えているだけで十分に楽しい。それが夢を持つ効用である。
 夢を持ち続けることで、気持ちのめりはりが維持できる。
 実現するかもしれないけれど、かなわないかもしれない。そんな気持ちでいるだけで、こころが豊かになる。
(斎藤茂太 著『老いへの「ケジメ」』より)




No.1908『「食」の図書館 エビの歴史』

 この『「食」の図書館』シリーズは、何冊か読みましたが、カラー写真もたくさんあり、特に海外のことに関しては知らなかったことが多々ありました。それで、この本も図書館で見つけ、読んでみようと思ったのです。
 私もそうですが、日本人はエビ好きが多く、この本を読むと、意外と外国でもエビ好きが多いようです。でも、もともとはエビが獲れるところでは相当昔から食べているようですが、そこから離れているところでは痛みやすいこともあり、食べる機会は少なかったようです。
 そういえば、西アフリカのカメルーンでは、昔から食べていたようで、「実際、国名のカメルーン(Cameroon)自体が「小エビ」を意味するポルトガル語「カマラウン(camarao)」が由来なのである。カメルーンの国民的料理である「ンドレ(ndole)」は、ピーナツ、ンドレという苦みのある青菜、それに熱を通したエビを組み合わせたものだ。また料理に複雑な風味を出すため、グレービーソースに乾燥エビをくわえるレシピも多数ある。」と書かれています。
 だから、エビがたくさん獲れるところでは、いろいろな料理をして食べていますが、それがどこでも食べられるようになったのは、エビを冷凍する技術が確立されてからで、その普及の一助になったのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期にアメリカ南部の観光地に多くの旅行者が訪れるようになり、それが戦後も自動車や飛行機の急速な発展により、さらに旅行ブームになったからだそうです。
 やはり、異国情緒を楽しむには、それまであまり食べていなかったエビがとくに喜ばれ、多くのレストランで新鮮なシーフードやフルーツを南国の味として提供したそうです。そして、旅先で食べたエビ料理を自分の家でも食べたいと思ったときに、冷凍エビが多量にお店に並ぶようになったというわけです。
 そういえば、エビの天麩羅は和食の定番ですが、じつはイエズス会の宣教師たちがそのレシピを伝えたのだそうです。つまり、宣教師たちを国外追放にしたのですが、彼らが伝えたエビの天麩羅のレシピだけは残ったというわけです。この本によると、「四季の斎日[四季の祈りと断食を行う期間で、肉食を避ける]に食べる、エビに衣をつけて揚げる料理だ。カトリックの典礼暦で年に4回あるこの斎目を、ラテン語では「カトゥール・テンポラ(quatuor tempora)」という。日本人はこのエビの揚げ物をもっと自分たちに合うものにできるのではないかと考え、手をくわえた。まず揚げ油を、数種類を混ぜてもっと軽いものにした。揚げる温度についてもいろいろと試し、衣を薄くした。揚げ方も工夫した。そしてこれを「エビのでんぷら」という名にした。」というわけです。
 これが正しいかどうかはわかりませんが、この本にはそのような由来が書かれていました。
 下に抜き書きしたのは、殻付きエビについての話しです。
 殻が付いていると、ほんとうに食べにくいのですが、殻が付いていたほうが美味しく感じます。なぜだろうか、と思っていたのですが、このように理由があったのだと知りました。見た目だけではないとわかり、納得しました。
(2021.3.30)

書名著者発行所発行日ISBN
「食」の図書館 エビの歴史イヴェット・フロリオ・レーン 著、龍 和子 訳原書房2020年12月23日9784562058563

☆ Extract passages ☆

 料理人はたいてい殻付きエビを買うのを好む。まず、殻はエビの身の鮮度や風味を守り、傷つくのを防ぐ。さらに、腕がよくやりくり上手な料理人は、エビの殻(と頭)を使えば、クリームやトマトソース、スープ、シチュー、リゾットやマリネに最適のダシがとれることを知っている。後述するように殻にはさまざまな栄養がたっぷり含まれ、煮るとそれらが簡単に煮汁に出るのだ。
(イヴェット・フロリオ・レーン 著『「食」の図書館 エビの歴史』より)




No.1907『「超・長寿」の秘密』

 特に長生きしたいとは思いませんが、老後を元気に過ごしたいとは思います。もし、自分のことは自分でなんでもできるなら、長生きもいいかな、とは思っています。でも、入院しながらとか介護をうけながらとか、それで長生きをしたいとは思っていません。
 この本の副題は、「110歳まで生きるには何が必要か」とあり、長生きするにはするだけの理由があると思って、この本を読み始めました。
 この本では、長生きする方には、楽しそうに生きているのがわかるといいます。つまり、屈託なく、湯会に過ごしているそうです。普通の老人は、どうも年を重ねると頑固になりがちです。これは自分の考えに固執するだけでなく、モノに対しても執着します。著者は、「融通の利かなさ、モノや自分の考えに対する一種の「依存症」の発来は、イライラ感や不機嫌さを増し、不幸な気持ちにさせます」と書いていて、さらに、最近の研究では、これらが高じてくると認知症を進めるということがわかってきたそうです。
 だから、そうならない長寿者は、認知症にもならず、笑顔でいられるのかもしれません。
 2012年の内閣府の調査では、80歳以上の方で、自分が健康であると思っている人、普通と思っている人、良くないと思っている人の割合は、ほぼ3分の1ずつだったといいます。そして、これからの人生100年の時代には、100歳まで生き生きと生活して115歳の天寿を全うする人たちと、あっぷあっぷで100歳まで周りの人たちの介護でなんとか生きている人たちと、二極化すると著者はいいます。
 だとすれば、前者のように生きたいと思うのは当然です。
 よくあそこは長生きの家系だとか、あそこは短命な家系だとか、もうすでに決まっているかのようなことを言う人がいますが、すべてが家系で決まるわけでもDNAで決まるわけでもありません。ただ、世の中には、新潮新書『言ってはいけない 残酷すぎる真実』橘玲著、のように、ある程度は決まっているかのように書いてある本もあります。私も読んだことがありますが、そこまで言わなくても、ということが書いてあります。
 でも、私は『「超・長寿」の秘密』の著者が、医局員の結婚式でスピーチをしたようなことを信じたいと思います。これはちょっと長いのですが、ここに掲載しますと、「本日は、「ヤマメとサクラマス」の話をしたいと思います。これが、その写真です。サクラマスのほうが、はるかに大きく立派な姿をしています。2匹は見た目も、大きさも違いますが、実は同じ遺伝子を持った同じ魚で、生まれた時の姿形はまったく同じです。それでは、どうしてこれほど違うようになったのでしょうか。同じ生物種でも、個性というものがあります。泳ぐことが速くて力が強いものと、運動が苦手なものがいます。彼らは自分の生まれた川で、流れに逆らって体を向け、上流から流れてくるエサを捕って成長します。体力的に恵まれたものは上流に陣取り、流れてきたエサを真っ先に食べます。体力的に劣ったものは下流に押しやられ、おこぼれのエサしか食べられません。その積み重ねで、上流の魚は体が大きくなり、下流の魚はやせて、どんどんその差は大きくなります。このように言うと、みなさんは上流の魚、すなわち体の大きなものがサクラマスになると思われるかもしれません。しかし、事実はその逆です。下流にいるひ弱な魚がサクラマスになるのです。下流にいる体の小さな魚は、その場で競争することをやめます。ここでは負けてしまうことが目に見えていると悟り、発想を転換。一大決心をして下流に下り、見たこともない海に出て行ったのです。海は塩分も多く、流れも複雑で、さまざまな敵が待ち構えています。多くは死んでいったでしょう。しかし、そのなかに、新しい環境で、川より豊富にあるエサを食べることに成功するものが出てきます。そうした魚がサクラマスに成長し、故郷の川に錦を飾って戻ってくるのです。」という話しです。
 つまりは、「人よりやや劣るかもしれないと思える遺伝子を自分が持っていても、その特性を逆に強みに変え、前進するチャレンジ精神が大切なのです。」と著者は締めくくっています。
 下に抜き書きしたのは、「寿命は見た目が9割!?」のところに書いてあったものです。
 たしかに、いつも若々しく振る舞っている方は、動きも軽やかですし、笑顔も素敵です。つまり、自分からつねにそうしてきたことが、ある種の記憶になり、そして未来を変えていくのかもしれません。だとすれば、そのように振る舞っていくほうが、幸せにもなれそうです。
(2021.3.28)

書名著者発行所発行日ISBN
「超・長寿」の秘密(祥伝社新書)伊藤 裕祥伝社2019年6月10日9784396115722

☆ Extract passages ☆

この2人は一卵性双生児です。もちろん、よく似ていますが、明らかに"老け方"に差があります。
 一卵性双生児の染色体は、生まれた時の遺伝子はまったく同じですが、その遺伝子に起こったエピゲノムの変化を見ると、異なります。つまり、生まれたあとのエピゲノムの変化の違いが、2人の見た目を大きく変えたのです。
 70歳以上のデンマーク人の双子187組を12年間追跡した結果、外見が実際の年齢よりも若く見えるほうが長生きしたことも報告されています。
(伊藤 裕 著『「超・長寿」の秘密』より)




No.1906『世界は贈与でできている』

 副題は「資本主義の「すきま」を埋める倫理学」で、この贈与の考えはどこかで読んだと思いっていましたが、この本のなかに内田樹さんのことが書いてあり、そこではっきりと思い出しました。
 でも、その贈与論とは違うといい、内田さんが「人間であるならば、受け取った贈与に対する反対給付義務を感じなければならない」という規範性は強制であり、自責の念としてかんじられるとしています。そして、むしろ、「自身が受け取った贈与の不当性をきちんと感じ、なおかつそれを届けるべき宛先をきちんと持つことができれば、その人は宛先から逆向きに、多くのものを受け取ることができるからだったのです。だから贈与は与え合うのではなく、受け取り合うものなのです。」という結論が導かれます。
 これを読んで、インドに行ったときに、「バクシーシー」といわれて、何度か喜捨をしましたが、彼らは感謝の言葉を口にしませんでした。よく見ていると、喜捨した人のほうが感謝しているようにも感じられました。インドの友人は、それが布施だよ、とこともなげに言ったのが今でも強く印象に残っています。
 お釈迦さまは、「布施ができるほうが幸い」という話しをされています。つまり、受け取る方がいるからこそ布施が成り立つわけで、ある意味、この『世界は贈与でできている』という本の著者の考えに近いものを感じました。
 たしかに、受け取ってくださる方がいなければ、布施は成り立ちません。これは、一般的な生活においても同じことです。受け取り、そして与えるという関係は、たしかに相互交流です。どちらが主というわけでもなく、どちらが従ということでもありません。お互いに主であり従でもあります。
 この本のなかで、孫が見たいという話しが載っていて、その前に、「子がすこやかに成長することを通して、親は自身の贈与が意味あるものだったと一応は納得できます。ですが、人間は社会的な存在でもあります。身体的な成長というだけではなく、精神的な成長にいたったか否かが贈与をうまく渡せたか否かの指標となります。」と書いてあり、そして、最終的には「贈与の宛先である子がふたたび贈与主体となるという事実を通して初めて完了したと認識できるのです。」といいます。
 つまり、それが祖父母にとっては孫が生まれて初めて、それらの贈与の義務から解放された証しになるわけです。だからこそ、無条件でかわいがれるのは、ある種の余裕と考えることもできます。
 下に抜き書きしたのは、第9章「贈与のメッセンジャー」のところに書いてあり、贈与は市場経済の「すきま」にあるといいます。
 つまり、資本主義はすべてのものやサービスを「商品」にしてしまうので、まさに私たちはそれら商品で覆い尽くされているようなものです。その「すきま」に贈与というものがあるといいます。
 そういえば、「お金で買えないものはなにもない」と豪語した経営者がいましたが、まさに資本主義の究極の姿だったのかもしれない、とこの本を読んで思いました。そして、むしろ、贈与という市場経済の「すきま」を考えられる程度の余裕があったら、あのような発言は生まれなかったのではないかと考えました。
(2021.3.25)

書名著者発行所発行日ISBN
世界は贈与でできている近内悠太ニューズピックス2020年3月13日9784910063058

☆ Extract passages ☆

他者から贈与されることによって「商品としての履歴が消去されたもの(値段がつけられなくなったもの)」も、サービスではない「他者からの無償の援助」も、市場における交換を逸脱する。それゆえに、僕らはそれに目を向けることができ、それに気づくことができるのです。
 だから、贈与は市場経済の「すきま」に存在すると言えます。
 いや、市場経済のシステムの中に存在する無数の「すきま」そのものが贈与なのです。
(近内悠太 著『世界は贈与でできている』より)




No.1905『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』

 最近の旅の本は、新型コロナウイルス感染症の影響で海外ものはほとんどなく、新刊もそれ以前に行ったときのものがほとんどです。この本も、そうでした。
 それでも、このコロナ時代で大変な「国境なき医師団」を推察することはでき、とても興味深く読みました。そのなかでも、アンマンの再生外科病院の壁に描かれていた絵を説明してくれた医療ディレクターのイブ・ブルースさんの「マーティン・トラバースという素晴らしいアーティストがこれを描いてくれたんです。全部きれいな草花ですよね。左からポピー、コーヒー、バラ、菖蒲、ジャスミンになっていて、それぞれがパレスチナ、イエメン、イラク、ヨルダン、シリアを表しているの。患者は違う国から違う文化を持ってきて、同じ希望のもとで生きる。それがこの病院のモットーだから」という話しは、印象的でした。
 著者は、その花の間に蝶が描かれていて、おそらく医療者をあらわしているのだろうと書いていました。
 それにしても、著者たちがイスラエルに入国するときにパスポートにスタンプを押さないと書いていて、そのことはある方からも聞いていました。でも具体的には知らなかったのですが、「P14」ということで、もしイスラエルのスタンプが押されているとアラブ諸国に入りにくくなるということはありそうです。この本に出てくる舘さんによると、特にイランはイスラエルのスタンプがあると絶対に入れないといいます。
 そういえば、イスラエルに住んでいる方と少しだけつながりがあり、もし機会があればと誘われているのですが、入国の審査の厳重さとか読んでいると、軽い気持ちで行けそうな場所ではなさそうです。よくニュースなどでパレスチナ自治区という言葉が流れますが、実際には「そもそもパレスチナは自治区とはいえ、イスラエルによる厳しい移動制限がかけられていて、区域内には多くのチェックポイントがある。パレスチナの人びとは、それらのチェックポイントでしばしば足止めされ、通行を許可されない場合もある。通勤、病院の予約、家族のお迎え、映画の始まる時間、生活をするうえで大切な計画や約束は、チェックポイントを守る兵士の気まぐれによってたびたび破られてしまうのだそうだ。」と著者はいいます。
 もちろん、お互いに自分たちの命がかかっているのですから、慎重になるのは仕方のないことです。たんなる気まぐれとばかりはいえないと思います。それが、紛争地の現実だと知り、いささか気が滅入りました。
 しかし、そのような状況下でも「国境なき医師団」は活動しているわけで、すごいことだと思います。むしろ、このような人道的活動が世界中の人たちに認知されるべきだと思いました。No.1898『希望の一滴』の中村哲さんのときも感じたのですが、なぜこのような人たちの活動に制限を加えるのか理解できません。そして、2021年2月27日に、中村哲さんの記念碑が地元の福岡県朝倉市の筑後川に築造された山田堰前の展望広場に完成したそうです。
 たしかに顕彰するということは大切ですが、なぜアフガニスタンのために尽力してきたのに殺されなければならなかったのかという憤りは強く感じます。
 下に抜き書きしたのは、OCB(オペレーションセンター・ブリュッセル)所属のジョルシンさんの話しです。こういう方も「国境なき医師団」を支えているんだな、と思いました。
 彼女はアンマンに8ヶ月弱いて、その週いっぱいで帰国することになっていたそうです。平均で18ヵ月ずつミッションに参加して、最長はインドでの20ヵ月とか。その話しを読んで、もし自分がもう少し若かったらできるかといったら、それでも無理ではないかとつくづく思いました。
(2021.3.21)

書名著者発行所発行日ISBN
ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行くいとうせいこう講談社2021年1月18日9784065222348

☆ Extract passages ☆

「6ヵ月じゃ現地の変化がわからないんですよ。9ヵ月過ぎるとようやく見えてくる。だからやるなら長期で臨んで、業務を見直し、改善し、そして安定させるとこまでやりたいんです」
 そして長期の滞在から帰るとゆっくり休む。
「とはいえ、間に必ずエマージェンシー入れるようにしてるんです」
 つまり緊急事態に対応する短めのミッションに参加することで、MSF本来のスピリットを忘れずに済むとジョンシルさんは言った。すごいストイシズムだと胸を打たれ、
「やっぱり緊急だと心構えも違いますか?」と聞くと、答えは明快だった。
「例えば3ヵ月なら無理もきくんですよ。エボラでアフリカに入った時もそうでした。もう必死で。あの、赤ん坊の上にタンスが倒れそうになったら、お母さんが飛び込んで助けるじゃないですか、絶対。あれと同じで力が出ちゃうんです。考える暇もなく、体が先に動いてる。心構えがあろうがなかろうが」
(いとうせいこう 著『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』より)




No.1904『ホンモノの偽物』

 この本の題名「ホンモノの偽物」とはなんだろう、と思ったのがこの本を読むきっかけでした。副題は「模造と新作をめぐる8つの奇妙な物語」とあり、表紙にダイヤモンドが描かれていました。このなかで、GEがダイヤモンドを製造するという話しも載っていて、相当前からダイヤモンドは炭素であるとわかっていたものの、それをどのようにすればダイヤモンドになるのかはわからなかったようです。
 ただ、この本では、その製造されたダイヤモンドが工業用に使われているうちは問題なかったのですが、それが「ラボグロウンダイヤモンドはダイヤモンド産業に具体的かつ有形の影響を与えうるものになった。そしてその後の数十年のうちに、科学と工業の世界の仮説から、現代のダイヤモンド市場に具体的な影響を持つ有形物になった。今日、ダイヤモンド販売者は、ラボグロウンダイヤモンドの物質的真実を、21世紀の消費者にふさわしい象徴、文化的規範に変換しようと取り組んでいる。20世紀はラボグロウングイヤモンドを現実のものに変ぇた。それが天然物と同等の真正なものになるか、すなわちホンモノになるかどうかは21世紀次第だ。」といいます。
 私もテレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』は好きでよく見るのですが、イギリスでも『アンティーク・ロードショー』というのが1977年から放送されているそうで、鑑定士がイギリス中に出張し、地元の人たちが持ってくる骨董品の価値を査定するそうで、カナダやアメリカなどでも放送されているといいます。やはり、いつの時代もホンモノと偽物があり、世の中を惑わせているようです。
 そして、偽物というのは、ホンモノより立派に見えるようです。この本には、「すべての偽物に共通しているのは、本物にしては立派すぎるということだ。スパニッシュ・フォージャーの絵画やウィリアム・ヘンリー・アイアランドのシェイクスピア、ヨハン・ベリンガーの模造化石のようなものは、専門家たちの懐疑論を正当化しているように思える。つまり、アート、人工遺物、骨董品の世界で、壮大な、世界を揺るがすような、バラダイムを変えるような、前例のない新発見は偽物だと考えられる、なぜならたしかにほとんどが偽物だからだ、ということである。」と書かれていて、『開運!なんでも鑑定団』でも、かつて中島誠之助さんが曜変天目茶碗をまぼろしの茶碗として、すごい金額を提示していましたが、後からそれを造った本人が現れ、訂正されたこともありました。おそらく、ホンモノと偽物との問題は、当然ながらひっくり返ることもあります。
 この本の中でおもしろいと思ったのは、アメリカでバナナが紹介されたのは、1876年のフィラデルフィア万国博覧会のときで、それまではほとんどのアメリカ人は天然のバナナを食べたことがなかったそうです。しかし、それより10年以上も前に、人工のバナナフレーバーがあり、使われていたといいます。つまり、ある意味、偽物のほうが先に拡がり、あとからホンモノが入ってきたというようなことです。そして、天然のバナナが入ってきてからも、人工のバナナフレーバーの人気は衰えなかったようです。
 しかも、このフレーバーの問題は、その作る過程で「天然」にするか、あるいは「人工」にするかの問題もあり、現代では細かな食品表示や成分リストなどの法規制があるので、はっきりとわかりますが、最終的には「天然」はよい、「人工」はわるいと単純に判断できないということもあります。
 このような問題は、製造されたダイヤモンドにもあり、たとえば、現在ダイヤモンドを掘っているところはアフリカのコンゴ民主共和国やアンゴラ、シェラレオネ、コートジボワールなどの国で、その収益が暴動や武器の取引、テロなどの資金になっているかもしれないので、むしろ製造されたダイヤモンド、これをラボグロウンダイヤモンドといいますが、これを使いたいという人たちもいます。つまり、安いだけではなく、採掘による人間と環境の犠牲もなく、人為的に価格をつり上げられた天然のダイヤモンドは買わないという選択もあります。
 それと、第8章の「旧石器時代を生き返らせる技法」のなかで、フランスのドルドーニュ県のヴェゼール川の左岸で発見されたラスコーですが、ここも有名な洞窟壁画です。たまたま、2016年11月から開催された特別展『世界遺産 ラスコー展』で「クロマニョン人が残した洞窟壁画」が実物大で再現されたのを見ました。これは600頭もの動物のなかで、ひときわ大きく描かれた黒い牝牛の姿が思い出しますが、ここは現在誰も見ることはできないので、非常に貴重な経験でした。この本では、「この洞窟の最も有名な壁画は《牡牛の広問》だ。動いているかのように見える全長5.2メートルの牡牛をはじめ、36種の生物が描かれている。パブロ・ビカソはラスコーを訪れ、「わたしたちは1万2000年のあいだに何も学んでいない」と言ったという」と書いてありました。
 下に抜き書きしたのは、「結 大英博物館に見られるように」のなかに書いてあったものです。
 最初にイギリスのアーティスト、バンクシーが大英博物館のローマ時代のコレクションの部屋に行き、ガラスケースに「ベッカム・ロック」と名づけられたものを貼り付け、3日間も展示されてしまったことなどを紹介し、偽物もひとつの分類であるといいます。そして、それを理解するには、オープンな存在であることが必要だとしています。
(2021.3.19)

書名著者発行所発行日ISBN
ホンモノの偽物リディア・パイン 著、菅野楽章 訳亜紀書房2020年11月6日9784750516714

☆ Extract passages ☆

 偽物に必要なのは、ストーリー、 エピソード、多層的なコンテクスト、「そんなの信じられない」という事例、劇的な暴露、捏造品や贋作を追いかける科学の進化、真正だとみなされる(それがあれば)成り行きである。変化のない一生を送るモノはなく、それは「ホンモノの偽物」も同様だ。
(リディア・パイン 著『ホンモノの偽物』より)




No.1903『歴史を活かす力』

 この本は、「文藝春秋digital」の連載「腹落ちする超・歴史講義」2019年11月7日から2020年8月27日までのものを、大幅に加筆し再構成したものだそうです。読んでみると、たしかに新しい視点で書かれていて、とても興味を持ちました。
 たとえば、次のお札の顔になる渋沢栄一について、「あちこちの実業家に「こんなことやったらええで」とアドバィスし、火をつけてまわる触媒のような人でした。個人的には「花咲かじいさん」のようなイメージを抱いています。」と書いていて、たしかに岩崎弥太郎などのような財閥を築かず、生涯で約500の会社の設立に関わったというからすごいことです。
 この本の副題は「人生に役立つ80のQ&A」で、未来のことは誰にもわからないわけで、唯一、手がかりになるのは過去に起こったできごとですから、そういう意味では今の新型コロナウイルス感染症の時代でも、とても参考になることが書かれていました。たとえば、モンゴル帝国が滅びた直接の原因は地球の気候変動だそうですが、さらに「モンゴル軍は、中国雲南省やビルマヘ遠征したとき、各地のペスト菌をノミと一緒に持ち帰りました。モンゴル軍や商人の移動に伴って草原地帯のネズミが保菌し、地域によっては、当時の人口の三分の一から半分が死んだといわれるほどペストが大流行します。」と書いてあります。そのペスト菌が黒海を経由してヨーロッパに伝播し、ここでもおおくの人たちが亡くなっています。つまり、よその土地からきた病原菌はそこの人たちの体内に免疫がないので、猛威をふるいます。2019年12月から拡がり始めた新型コロナウイルス感染症も、世界中の誰にも免疫がないので、世界中で大流行しました。
 だから、世界の歴史の裏側にも、このウイルスなどの感染症が大きく作用していたことは間違いなさそうです。
 それと同じぐらい、気候変動も大きく作用したようで、この本には、「ローマ帝国も大元ウルスも、リーダーの失敗で滅びたのではなく、きっかけは地球の気候変動でした。産業革命以前に滅びた大帝国のほとんどは、気候変動に伴う諸部族の移動や病原菌の移動が主な原因となっています。産業革命までは農業が主たる産業でしたから、当たり前といえば当たり前です。人間に失敗があったとすれば、気候変動によって大帝国は滅びるものだということに気づいて対処しなかったことかもしれません。」と書いてあります。
 また、仏教推進はの蘇我氏と反対派の物部氏との対立については、「技術の塊である仏教の導入によって、日本にはこれまでにいなかった種類の職人が育ち、まったく新しい雇用が生れました。このような大きな経済効果をもたらす話に、みんなが乗らないはずはありません。物部氏が「仏教は日本の伝統を壊す」と反対したところで、儲からないので誰も賛同しません。「みんなが儲け話をしているときに、このおっさん、何をごねてるんや」というように見られていたのかもしれません。」とわかりやすい言葉で解説していますが、そういうこともあったと思います。
 たしかに、いつの時代も、遠くから来た人たちが発展の起爆剤になります。たとえば、地方の活性化なども同じで、その土地に長く住んでいる人たちよりも、まったく関わりの無い人たちが来て、新しいことを始めるというのが多いようです。だからこそ、このような目で歴史を見直すことが必要なのだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、世界のどこでも中華料理が食べることができますが、それについての話しです。
 私も海外に行き、その土地の料理に飽きると、本当は和食を食べたいのですが、生ものはどうも危ないので、一番安全な中華料理を食べます。私の知り合いで、中華料理を食べるとき、必ず北京ダックを頼む人がいますが、おそらく好きだからでしょうが、これを食べるとその国の中華料理の味がわかるといいます。そういえば、日本の中華料理も日本人に合わせた味なので、そういう味わい方もありそうです。
(2021.3.15)

書名著者発行所発行日ISBN
歴史を活かす力(文春新書)出口治明文藝春秋2020年12月20日9784166612918

☆ Extract passages ☆

 どんな食材でも中華料理にできるのは、宋の時代に高温の油で揚げたり炒めたりする調理法が開発されたおかげです。アツアツの油で炒めれば、たいていの食材は殺菌されてお腹を壊すことはありません。
 この調理法が完成したのは、宋の時代に「火力革命」が起きたことが要因です。石炭とコークスによって比較的簡単に高温にすることが可能になったのです。これによって製鉄技術が高まり、鉄製農機具を作れるようになり、農業の生産性が飛躍的に向上しましたが、料理の世界では、高温の油で調理する中華料理の原型がその頃に誕生したのです。
 つまり、この調理法さえ知っていれば、どこに住もうと、その土地で手に入る食材を使って中華料理が作れるのです。……世界中で中華料理が食べられるのは、中国人が各地に移り住んだからだけではなく、現地の食材を簡単な方法で調理することができたからなのです。
(出口治明 著『歴史を活かす力』より)




No.1902『ブッダと歩く神秘の国スリランカ』

 2011年3月11日、東日本大震災のとき、私はスリランカにいました。
 ここには、インドのブッタガヤで見たボダイジュの親木があると知ってから、行きたかったところです。3月10日に成田を出発し、その日にバンダラナイケ国際空港に着き、ネゴンボ(Negombo)のホテルに宿泊、翌日にはヌワラ・エリヤ(Nuwara Eliya)の山のなかに入っていました。そして、山から宿に着くと、真っ先に日本が大地震で大変なことになっていると教えられました。さっそく、宿の人が何度も電話を自宅にかけてくれて、数時間後につながったのですが、自宅は被害がないとわかっただけで、東北全体がとんでもない大津波の被害を受けたということでした。
 それから10年、たまたまこの本を図書館で見つけて、行ったところもあるので読んでみることにしました。著者は、1969年7月18日にスリランカのキャンディで生まれたにしゃんた(Nishantha)さんで、羽衣国際大学教授だそうです。そういえば、キャンディには、13〜14日と滞在し、仏歯寺やPeradeniyaの植物研究所の標本館などを訪ねました。
 さて、この本ですが、私が訪ねたところもあり、鮮やかに思い出され、とても懐かしく感じました。たとえば、アヌラーダプラですが、スリランカに行きませんかと誘ってくれた教授に、もしここにまわるなら行きたいと正直に話したら、行程に組み込んでくれ、3月15日にスリーマハ・ボーディヤを見ることができました。ここのボダイジュは、お釈迦さまが悟りを開かれたブッタガヤにあったもので、ここから株分けをして紀元前3世紀にここに植えられたものです。ちなみに、現在のブッタガヤのボダイジュはここから株分けされたもので、まさに3代目になります。
 私が訪ねたときには、ここを軍隊が護っていて、いかに大切にされてきたかということがわかりました。もちろん、そこから落ちた葉を拾うこともできずに、半分諦めかけたときに、なかで護っていた方が数枚を拾ってくれ、私に手渡してくれました。もちろん、今も大切に持っていますが、私のところにはブッタガヤの3代目のボダイジュの葉もあります。
 あまり旅先でお土産を買うということはないのですが、このような思い出の品はいくつかあり、それをときどき引っ張りだしては楽しんでいます。
 そういえば、14日の早朝に仏歯寺をお詣りし、朝食後に再び訪ね、そのなかに掲げられていた仏教物語の絵を1枚1枚写真におさめてきたので、それらもパソコンでときどき見ています。むしろ、カタチにならない思い出のほうが置き場所も必要ないし、これからの終活にはとても理想的です。
 でも、この本にも出てきますが、アルウィハーラ寺で行李葉椰子に書かれた経典を見て、そして、そこで名刺の大きさに自分の名前をシンハラ語で書いてくれたので、そこで見たような経典を買い求めてきました。やはり、写真ではわからない、実物の重みみたいなものは感じます。また、Hakgala Gardensでいただいた「サンドペーパー・バイン(Sandpaper Vine)」の葉も、まさにサンドペーパーのような肌触りなので、今は標本にしています。
 下に抜き書きしたのは、スリランカの人たちの仏教徒としての生活がわかるものです。そういえば、キャンディで泊まったのは、この本にも出てくるかつてのイギリス総督の住まいをホテルにしているところで、そのすぐわきのスピーカーから早朝にお経を詠む声が聞こえてきます。
 それで目を覚まし、せっかくの機会なので仏歯寺にお詣りに行きましたが、着いてすぐに仏歯がおさめられている塔の扉が閉じられてしまいました。しかたなく、その前で般若心経を唱えていると、立派な衣装を着た門番が戸を開いてくれて、なかに招き入れてくれたのです。そこで、その仏歯のおさめられた金色の容器の前でしっかりとお詣りできたのです。
 よく、スリランカの人たちは日本人に対して親近感を持っているといわれますが、ほんとうにそうだと思いました。そして、写真を撮りたいというと、撮ってよい場所まで案内してくれて、そこから撮ることができました。
(2021.3.12)

書名著者発行所発行日ISBN
ブッダと歩く神秘の国スリランカにしゃんたキノブックス2015年9月25日9784908059186

☆ Extract passages ☆

満月の中でも、5月はさらに特別です。スリランカでは、ブツダが生まれた日と、悟りを開いた日、入減(亡くなった)の日が、5月の満月の日だったと信じられているからです。5月の満月の日には、ブツダの生涯を祝う「ウェサック」という名の祭が、スリランカ中で盛大に開催されます。
 大小さまざまな仏教関連の行事が目自押しのスリランカ。スリランカ人は日常的に、仏教の話を読み、聞き、語ります。この国は仏教と切り離すことも、仏教抜きにして語ることも不可能で、スリランカのどこを切っても、旅を充実させてくれる仏教の香りがぷんぷん漂ってきます。
(にしゃんた 著『ブッダと歩く神秘の国スリランカ』より)




No.1901『北欧が教えてくれた、「ヒュッゲ」な暮らしの秘密』

 この本の題名に使われている「ヒュッゲ」とは、何だろうと思って読み始めました。最初のほうで、この「ヒュッゲとは、デンマークとノルウェーの「居心地のよい雰囲気」というニュアンスを伝える言葉。「仲間との絆」や「思いやり」も意味します。気づきが自分の内面に目を向けることなら、ヒュッゲは自分の外面、人とのつながりやまわりのものに目を向けること。自分の人生や人とのふれあいにおける、ささやかなできごとによろこびを見いだすことです。」と説明されています。
 よく、北欧デザインという言葉を聞きますが、おそらくその流れにあるような気がしました。たとえば、イケアのようなものですが、そのビジョンとビジネス理念については、ホームページには「より快適な毎日を、より多くの方々に」、それがイケアのビジョンです。イケアのビジネス理念は、「優れたデザインと機能性を兼ね備えたホームファニッシング製品を幅広く取りそろえ、より多くの方々にご購入いただけるよう、できる限り手ごろな価格でご提供すること」です、と書かれています。
 この本を読むと、たしかにそういう意味が「ヒュッゲ」にはあります。
 また、この本には、さまざまな料理のレシピまで載っていますが、そのどれもが自然素材をうまく使っていて、素人にも作りやすそうです。ただ、私は料理がほとんどダメなので、ただ見るだけでした。その料理のまとめのところで、「料理は人と人をつなげる」とあり、次の4つのことが書いてありました。
 ∞北欧にはみんなでティータイムをたのしむフィーカや、週末に集まって食事をする習慣がある。
 ∞自分はもちろん、だれかのために料理をつくり、ともにテーブルを囲む幸せを感じて。おいしい料理を囲めば笑顔でうちとけ、わかりあえる。
 ∞子どもにとっては、人とのつきあい方や成熟した考え方をやしなう学びの場にもなる。
 ∞レシピも人から人へ。見よう見まねでつくるほうが身につく。
 とあり、料理が「ヒュッゲ」な暮らしにとって、とても大切な役割をしているそうです。しかも、それらの料理が北欧風の食器に盛られて出されれば、さらに雰囲気が増します。私が好きな食器は、アラビアのマグカップです。それを外に持ち出してコーヒーを飲んでいるだけで、風を感じ、木々の声が聞こえてくるようです。
 下に抜き書きしたのは、イギリスの作家ロバート・マクファーレンが「いにしえの方法、歩き旅」のなかで述べていることだそうです。
 たしかに、この自然享受権とは、自然と親しむためにはとても大切な権利で、それが古くから認められているということはさすが北欧です。今の日本では、自分の土地であっても焚き火をするにはいろいろな問題があるし、消防署の許可がいることもあるいいます。
 そういえば、私がイギリスに行ったときにも、いろいろなトレイルが各地にあり、そこを自由に歩けると聞き、それが権利として認められているということでした。私もその一部を歩いたのですが、たまたまですが、そこに咲くヒースを見たときには、いかにもイギリスの風景だと感じました。
(2021.3.10)

書名著者発行所発行日ISBN
北欧が教えてくれた、「ヒュッゲ」な暮らしの秘密シグナ・ヨハンセン 著、柴田里芽 訳日本文芸社2017年11月30日9784537215311

☆ Extract passages ☆

「北欧の人々の自然享受権という慣例がうらやましい。この法律は、数世紀にもわたる封建制度を経験することがなかったために、地主階級に代々服従することがなかった地域で生まれた。市民は害をおよばさないかぎり、未耕作の土地をどこでも歩くことができる。また、たき火をしたり、ほかの人の敷地内で野宿をしたり、花や本の実や果実をつんだり、川で泳げる」。
(シグナ・ヨハンセン 著『北欧が教えてくれた、「ヒュッゲ」な暮らしの秘密』より)




No.1900『みんなの民俗学』

 民俗学というと、どうも柳田國男や折口信夫、宮本常一などを思い浮かべるのですが、どうも、それとは違い、口頭伝承や民間伝承を重視してきた旧来のやり方とは異なっているようです。そこで、この本の最初に、民俗学というのはどのような学問かについて、「民俗学とは、人間(人びと=〈民〉)について、〈俗〉の観点から研究する学問である。ここで〈俗〉とは、@支配的権力になじまないもの、A啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの、B「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの、C公式的な制度からは距離があるもの、のいずれか、もしくはその組み合わせのことをさす。本書のサブタイトルにある「ヴァナキュラー(vernacular)」は、この〈俗〉を意味する英語である。」と書いていて、副題の「ヴァナキュラーってなんだ?」にも触れています。
 ですから、この本では、喫茶店のモーニングサービスや、B級グルメ、さらにはパワーストーンやパワースポットまで取りあげています。そして、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡がるなかで、「アマビエ」もある意味でブームになっていますが、それも解説しています。
 そういえば、私も大学時代には、授業を受けるより先に、先ずは喫茶店に行き、そこでモーニングサービスを食べて、仲間たちと情報交換をして、休講などを知ったこともあります。ほぼ、日曜日以外は毎日その喫茶店に行き、なかには小田原から通っていた旧友は、休講とわかっていてもここに顔を出し、そして数時間だべったりして帰ったということもありました。だから、このモーニングサービスのところを読んでいて、だいぶ昔の学生生活を懐かしく思い出しました。
 本の効用は、新しい知識を得ることだけではなく、古い事柄を思い出したり、それを土台にして、いろいろな想像を巡らすこともあります。
 またパワーストーンにしても、その流れはあまり理解していなかったのですが、この本では「バワーストーンは、もともとアメリカのニューエイジ(新しい神秘主義的運動)を起源 とする宗教グッズとして、1980年代に日本へ輸入されたものである。パワーストーンが日本に入って間もない1990年代のはじめ頃、ちょうど私は大学院生で新宗教の研究をしており、宗教現象にアンテナを張っていたので、パワーストーンが日本のニューエイジ関係者を中心に受容されていくのを直接目にしていた。パワーストーン信奉者にインタビューしたこともある。パワーストーンに対する当時の私の印象は、ニューエイジ関係者だけがこれに関心を持っており、世の中に広く浸透しているわけではないというものであった。それに対して、2000年代以降は、いわゆるスピリチュアル・ブーム(メディアを介して広がった精神的。霊的なものに対する一連の強い関心)の中で、特定の層を超えて広く世の中に受け入れ られているといえそうである。」と書いてあり、著者が大学院生のときだから、その流れははっきりととらえられていたようです。
 下に抜き書きしたのは、一連のアマビエ現象についても、 フォークロレスクの観点で捉えることができるとしています。そして、それらがどのようにして摺物としてつくられていったのだろうか、と書いています。
 そして、その少し後に、江戸時代の摺物は現代のタブロイド紙のようなもので、「あることないこと、虚実入り混じった記事を面白おかしく描き出したものが少なくない」という森田健司氏の『かわら版で読み解く江戸の大事件』彩図社、2015年)を参考にして、「仮にアマビエ系怪物伝承の発端が、実在の人物による幻視であったとしても、これが摺物に取り上げられていく過程で、誇張を合めた創造的な図像化が行われたことは十分想像できる。」としています。
 私もいくつかのアマビエ系の怪物伝承から摺物業者の手で、それらしく図像化されたのではないかと考えていたので、とてもよく理解できました。それにしても、流行というのはすごいもので、あっという間に拡がり、今現在でも新型コロナウイルス感染症の収束の兆しすら見えないのにあまり取りあげられなくなってきたようです。
 むしろ、そのような状況を考えると、そのとき時のこのような俗な流れも記録しておくことが大切だと思いました。
(2021.3.7)

書名著者発行所発行日ISBN
みんなの民俗学(平凡社新書)島村恭則平凡社2020年11月13日9784582859607

☆ Extract passages ☆

江戸時代、アマビエに類似した怪物の話は多く伝えられていたらしい。アマビコ(海彦、尼彦、天EI子)、神社姫など、疫病の流行を予言したり、自分(=怪物)の姿を写して持っていれば疫病から守られると語ったりした怪物についての摺物がいくつも残されている。
 もっとも、これらの怪物伝承のそもそもの出発点がどのようなものだったのかは、いまとなっては誰にもわからない。どこかの誰かが海中から出現する不思議な生き物を幻視し、それについて語った内容が記録されたのか、あるいは最初から摺物業者がこれらの怪物を創作してそれを摺物に描いたのだろうか。
(島村恭則 著『みんなの民俗学』より)




No.1899『こころ 曇りのち青空』

 前回の中村哲さんの『希望の一滴』に続いて、地方新聞社が発行する本を読みましたが、地方にはまだまだ地道な活動をしている方々がいるんでしょうね。この本も、副題は「Dr.あやこ 精神科医の処方箋」という通り、各地で診察に当たってこられた著者のもので、たいへん示唆に富む内容でした。
 たとえば、「枠づけ」というものは「境界線をつくることで、気持ちが引き締まったり、規律を守りやすかったりするということだ。反対に、我慢強くない患者さんを周囲がとても甘やかすと、患者さんのわがままが増長して症状が悪化することがある。」と書いています。
 この「枠づけ」というものも、たとえば子育てなどでも大変役立つ考え方のように思います。それだけでなく、自分自身に対しても、一定の枠づけをしておいたほうが生活の乱れや無理などを未然に防ぐことができそうです。たとえば、小遣いなどもそうですし、人間関係などもそうで、少しは窮屈かもしれませんが、そのなかで精一杯いろいろなことができると考えれば、羽目を外さないで生きていけそうです。
 また、流れ的には「枠づけ」と同じようなものですが、選択肢を絞るということも大切だと著者は言います。「人はあれこれ迷ったり心配したりするのが好きだが、選択肢が1つしかないと悩もうとしても悩めない。「行くこと」を先に決めておくと余計な心配や迷いがないので、そのぶん身体の回復にエネルギーを集中できるのかもしれない。」とあり、そういえば、あるセールスマンが売る種類を広げるより、むしろ絞ったほうが売上が伸びると話していたことを思い出しました。
 なんでも同じかもしれませんが、たくさんの選択肢があれば選ぶのに時間がかかると、むしろ選べないこともあります。この場合のように、精神的に追い詰められている人にとっては、選択肢を1つに絞ることも必要だと思います。著者は、「退路を断ち、選択肢を1つにする。その覚悟が、持っている力を最大限に引き出してくれる。「一念岩をも通す」じゃないけれど、願望を先に決め、迷いなくそれに向かっていると、念願がかないやすい。」書いていて、たしかにそうだと思います。
 ただ、私などは、いろいろある選択肢のなかで、どれがいいかと悩んでいるそのことも楽しみの1つですから、まさに人それぞれだと思います。
 下に抜き書きしたのは、こころのブレーキの外し方に書いてあったもので、うつ病がなかなか治らない方に「不安や思い込みなどのブレーキがかかっている」といいます。
 なかには、アクセルを踏みながら、ブレーキもかけていることもあるそうで、なかなかこのこころのブレーキに気づかない方も多いそうです。だとしたら、その外し方として下のようなことを考えればと教えてくれています。私も、この「自分が見たことのない景色は見えない」というフレーズになるほどと思いました。だからといって、テレビ等で放映された風景を観ても、なかなかわからないこともあります。
 たとえば、私が中国四川省の黄龍に言ったときに見た風景は、まさに見てみないとわからないような絶景でした。今、そのときに撮った写真で、本のしおりを作って使っていますが、見るたびにそのときの風景が甦ってきます。
(2021.3.4)

書名著者発行所発行日ISBN
こころ 曇りのち青空北村絢子山梨日日新聞社2018年12月26日9784897106304

☆ Extract passages ☆

人間には「自分が見たことのない景色は見えない」という特徴がある。……
 そう。人間は体験することで、立場が変わることで別の景色を見、別の思いを経験し、その結果、今までできないと「呪文」をかけていたことがやれていたりする。私だけ特別だろうか。いや、そんなことはない。実は誰にでも平等に変化の機会は訪れている。「機会」だと気づいていないだけだ。
 そんな時、後ずさりしないで一歩前に進んでみよう。自分では気づけないからこそ、素直に人の忠告を受け入れながら、または訪れた機会を逃さず、人は変化することで違う景色を見ることができる。人の忠告を受け入れること、機会を生かし一歩踏み出してみること。それが心のブレーキが外れるきっかけとなり、成長へと自分を運んでくれる気がする。
(北村絢子 著『こころ 曇りのち青空』より)




No.1898『希望の一滴』

 中村哲さんは、アフガニスタンのジャララバードで、2019年12月4日の朝に車に乗っていたところを武装集団に道をふさがれ、銃撃を受けて死亡しました。同行していた運転手1人と警備員4人も死亡したそうです。
 このニュースを見て、なぜアフガニスタンの復興支援のためにあれほど頑張っていたのに、寄りによってアフガニスタン人によって殺害されなければならないのかと強い憤りを感じました。その後の捜査で、運転手が1人逮捕されましたが、首謀者はTTP地方幹部だということでした。ところが、今年の1月29日に仲間とパキスタンの首都カブールで襲撃事件を起こし、その現場で警備員に撃たれて死亡したということです。生前、彼は「共犯者が(中村さんを)撃ってしまった」と懇意にしていたTTPのメンバーに話していたそうです。
 だからといって、生き返ってくるわけではないのですが、少しは救われたような気持ちになりました。このニュースは、今月2月10日の朝日新聞デジタルで知ったばかりで、発信者はバンコクの乗京真知さんです。
 そのような想いでいたときに、この本を見つけました。本の副題は、「中村哲、アフガン最後の言葉」で、第1部は西日本新聞の朝刊に寄稿連載された「アフガンの地で」、第2部は、同じ西日本新聞の夕刊、そして第3部は西日本新聞の朝刊に寄稿連載された「アフガンの地で」とペシャワール会報号外、第4部はペシャワール会報からの原稿をまとめたものだそうです。この第4部のペシャワール会報142号は、2019年12月4日に発行されたもので、まさに銃弾に倒れたその日のものです。
 そもそも、医師であった中村さんがなぜ灌漑事業までしなければならなかったのかがイマイチ理解できずにいました。それが、第1部に「PMSはもともと医療団体で、1990年代から山村部に無医地区診療モデルを目指していた。転機は2000年、凄まじい干ばつとの遭遇であった。アフガンの山村部は自給自足の農民がほとんどで、水不足は飢餓と難民化に直結する。 一時診療所の周辺は一本一草も生えない荒野に帰し、村民は一斉に難民化した。WHO(世界保健機関)は同年6月、飢餓線上400万人、餓死線上100万人と警告を発し、餓死者が続出する中、医療だけでは命を助けられないことを思い知った。行政も僻地の末端までケアできる態勢ではなく、技術者も皆無であった。いきおいPMSが住民と協力して灌漑事業を進める以外に打開策がなかったのである。」と書かれていて、納得しました。でも、クナール川というアフガニスタン最大の水量を誇る川から直接取水するためのカマ堰が8年もの歳月をかけて完成したのが2019年2月です。その10ヶ月後に殺されたわけで、これは絶対に人間として納得できるものではありません。
 もともと中村さんが井戸掘りを始めたのが2000年で、「診療を待つ間に、体が冷たくなっていく子供を母親が抱きしめている」ことから、2006年までに1600ヵ所の井戸をほったといいます。そして2003年から本格的に用水路建設に着手し、「百の診療所より一本の用水路を」と近隣の農民の助けを借りて進めていったそうです。もちろん、その現地の人たちにも賃金を渡すので、それが生活の助けにもなります。そして、2019年までに用水路で潤うようになった土地は、16,500ヘクタールで、その広さは福岡市の約半分に相当するといいます。そのこともあって、アフガニスタン政府から、名誉市民権を授与されています。
 それで思い出すのですが、ネパール友好協会が小型の水力発電を寄贈しようとしたとき、私の友人がなるべくならそのお金でネパール製の水力発電の機械を購入したいと話していたことです。というのは、日本製はたしかに優秀だが、故障すると日本から技術者を呼んで修理しなければならず、それが高額になることからついそのままになってしまうといいます。ところがネパール製だと、すぐに修理ができ、いつまでも使えるそうです。この本では、すでに日本では行われていない用水路工事ですが、住民地震の手で維持可能な技術で作るので、将来にわたって維持できると書いてありました。
 この本を読んでとくに印象的だった言葉は、「西側には時計があるが、我々には時間がある」というフレーズです。たしかにアフガニスタンは、長い内線のなかでいつ果てるともない戦争状態のなかで、それでもいずれは外国軍は去って行く、今までの歴史のなかでも、「攻め込んだ者が音を上げて去っていった」といいます。そのような悲惨な状態のなかでつぶやかれたアフガンの人の言葉には、諦めてはいない粘り強さを感じました。
 下に抜き書きしたのは、2001年の夏、著者の次男が悪性の脳腫瘍に罹り、それを聞いたペシャワールのPMS病院の事務長が「ザムザムの水」という聖水を届けてくれたときのことです。それを著者は心魂込めて祈り、一縷の望みを託して、毎日数滴ずつをジュースに混ぜて与え、回復を祈ったそうです。
 私もガンジス河のほとりに立ち、その聖水を汲む人たちを見ましたが、「ザムザムの水」はメッカ巡礼の際に持ち帰り、大切に保存していたものだそうです。まさに、聖水です。
 著者は、このような気持ちを持っているからこそ、アフガニスタンの人たちに受け入れられたのではないかと思いました。
(2021.3.1)

書名著者発行所発行日ISBN
希望の一滴中村 哲西日本新聞社2020年12月25日9784816709883

☆ Extract passages ☆

 医師生活の最後の奉公と見て手を尽くしたが、次男は宣告された通りに死んだ。享年10歳であった。ザムザム水の効き目がなかったではないかと、のちに心ない冗談を言う者もいたが、胸中に残る温かい余韻を忘れることができない。我々の持つ世界観、いわゆる「科学的常識」は、しばしば味気ない理屈と計算で構成されている。水を届けた者のまごころがうれしかっただけではない。あの水は、紛れもなく「聖水」であったと思っている。さかしい理屈の世界から解放され、その奥に厳然とある温かい摂理を垣間見られたことに、今でも感謝している――今日も川のほとりで眺める水は、天空を映してあくまで青く、真っ白に砕ける水しぶきが凛として、とりとめもなく何かを語る。
(中村 哲 著『希望の一滴』より)




No.1897『遊行を生きる』

 この本は、月刊『清流』に2012年5月号から連載し、約5年がかりでこの1冊になったそうです。それが元になったとはいえ、1年以上かけて大幅に書き換えたそうです。
 副題は「悩み、迷う自分を劇的に変える124の言葉」とあり、まさにこの本も悩みに悩んで書かれた本のようです。
 この遊行とは、インドの古くからの生き方で、日本でもいろいろな方がこれについて書いています。でも、著者は、流れというよりは、この生き方を多層的にとらえ、若くしても遊行があるといいます。そして遊行を、『「遊行」とは、人によっては、解脱、煩悩から自由になることを目標にする時期だといいます。でも僕は字の通り、「遊び、行く」と考え、フラフラしてもいいと考えています。この時期こそ、自分の好きな仕事や、やりたいことをするときでもあるのです。「遊行」を、死に向かうための厳かな時間と考えず、野垂れ死にしてもいいほどに自由になれる時間と考えると、人生がおもしろくなります。人生が楽になります。「遊行」とは、 一人の人間が子どもの頃のような、自由な心で生きること。先入観などにとらわれず、こだわりなど捨てて、″遊び″を意識するのです。さまざまな殻を打ち破って、姓名のもっと根っこの部分で世界を生きることです。』と解釈しています。
 いわゆるインドの遊行期というのは、古代インドの理想的な生き方の分類で4番目です。これは、人生の最後の期間で、普通は森羅万象とこの世の真理を知ることにより物質世界の煩悩を離れた生き方を指します。もう少し言うと、今までの日常生活から解放されて自由に生き、そして遊びの感覚で精神的に放浪することを意味します。でも、著者は、この遊行期を人生の4番目とは考えず、学生期、家住期、林住期、遊行期のいずれのときも、「遊行」を意識したほうがいいと書いています。
 著者は、「僕はかねてから、「よい人生はよい言葉でつくられる」と信じて生きてきました。自分の言葉や、古今東西の偉人や天才たちが格闘の末にたどり着いた含蓄のある言葉 ……。そんな哲人たちの言葉を自分流に噛み砕いたり、発酵させたりしながら、人生のバイブルにしてきました。」と書いていて、そういえば、私も『大黒さまの一言』というサイトのなかで、毎週、日本や世界の名言を載せています。これを始めたのは2001年1月8日でしたから、かれこれ20年になります。1年を単純に52週とすれば、この20年間で1,040もの名言などを取りあげたことになります。
 このほとんどが読んでいた本のなかに出てきたもので、これらの名言を思い出すたびに、その本の内容もかすかですが思い出されます。
 下に抜き書きしたのは、第1章『「遊行」を意識すると生きるのが楽になる』のところに書いてあるもので、この3つを忘れなければ人生を愉しく過ごせるといいます。
 たしかに、この「ホモ・ルーデンス」という意味は、「遊ぶ生きもの」ということです。つまり、人間は遊ぶようにできているということでもあります。
 だとすれば、いかに時間を忘れるほど楽しく過ごせるかということは、とても大切なことだと思います。
(2021.2.27)

書名著者発行所発行日ISBN
遊行を生きる鎌田 實清流出版2017年2月1日9784860294540

☆ Extract passages ☆

ホモサピエンスが「出アフリカ」を果たした背景にあるもの、それは「好奇心」です。好奇心は人間を成長させます。人類の歴史の中で、常に新しいものをつくりだす源泉は好奇心です。
 好奇心は若い時代特有のものではありません。いくつになつても好奇心はもち続けられるし、それがあれば、人間は元気になれる。
「好奇心」「陽気でいること」「人間は負けるようにはつくられていない」
 この3つを忘れなければ、どんな絶望に出合っても、人生をおもしろくつくり直すことができるのです。
(鎌田 實 著『遊行を生きる』より)




No.1896『レイシズム』

 この本の初出は、1940年にアメリカの Modern Age 社から出たそうで、その後、イギリスやアメリカの改訂版などが出て、著者が亡くなった1948年後も1959年版、2019年版などが出版されているそうです。
 この『レイシズム』は、講談社学術文庫のための新訳で、とても読みやすく感じました。そもそも著者のルース・ベネディクトは、『菊と刀――日本文化の型』の著者としても知られ、これは今も絶版にならずに読まれ続けているそうです。
 おそらく、だいぶ前に読んだような気もしますが、新訳ということで読み始めました。でも、トランプ前大統領のときにレイシズムの兆候のようなものがあったので、改めて深く思うものがありました。第1部の「人種とは何か」のなかで、はっきりと人種と国家領土とは無関係だし、それらの理由もはっきりと書いています。そして第2部では「レイシズムとは何か」と具体的な内容に踏み込んでいます。
 この「レイシズム」を辞書で引くと、「人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然であるという思想」とあり、いわゆる人種主義です。これに対して、著者は、「ある民族集団が先天的に劣っており、別の集団が先天的に優等であるように運命づけられている、と語るドグマ」のことであるといいます。
 これは、おそらく人種的偏見を持った民族主義のようなもので、この本には、これをはっきりと否定し、「人種というのは遺伝によって受け継がれた身体的特徴の組み合わせに過ぎず、大昔に野蛮であったこととか、現代において立派な文化を誇っていることとは関係がない。かつて粗野な生活を送っていたとしても、その人種が現在においても劣等であるということには決してならない。」と書いています。これ本が、第二次世界大戦のさなかに書かれたことにびっくりします。そして、その後の歴史を知っている私たちにすれば、その洞察力はすごいものがあります。
 たとえば、昨年のアメリカ大統領選挙のときでも、このレイシズムを感じました。あのアメリカ議会に乱入したときの映像を見たときに、これが現代のアメリカなのか、と驚愕しました。そして、この本の「この世界の現況では、あらゆる差別を撤廃するなんて全く実現不可能なことと思われるだろう。しかしこれは単に人種差別をなくすためだけのプログラムではない。ただマイノリティの人権を法律によって保護するよう求めているのでもない。少数派の生活を保障することは、 マジョリティの側も、つまり今のところ迫害する側に立っているひとも、将来の生活について安心できるよう仕組みを作ることである。そうでなければ、どんな条文も、保護政策も、結局はまた新たな犠牲者を、絶望を忘れるための生贄を探し出してくることだろう。」と書かれたところを読んだときには、まったく今でも同じような問題を抱えていると感じました。
 人を更生させるということも同じで、とくに若者の場合は家庭内に問題があり、結果的にそこから非行に走ることが多いようです。だから、1対1で話しをして、相手の不満などを優しく聞いていると、だんだんと相手も変わってきて、話しを聞くようになってきます。そして、そこに信頼関係が築ければ、あるとき、ピタッと非行が止まることもあり、何度か私も経験をしたことがあります。やはり、その相手の環境を変えることが大切で、次に一人じゃないことを気づかせることも大事な要素です。
 また、人それぞれに長所と欠点を持っています。その長所を伸ばすということも相手が成長するためには必要なことです。この本にも書いてありましたが、私たちの視力は欧米人とほとんど変わりはないようです。でも、ネパールに行ったときに、まだ飛行機は来ないだろうと言ったら、もう、山の端のところまで来ているとシェルパの人が言いました。でも、私にはまったく見えません。それから少し経ってから飛行機の音が聞こえてきて、やっと見えるようになったのです。おそらく、彼らの目の視力は少なくても4.0ぐらいはあると思いました。
 下に抜き書きしたのは、第8章「どうしたら人種差別はなくなるだろうか?」の「人種差別をなくす方法」に書いてあったものです。
 このような文章を読むと、まさに今もこの本に書いてあることが何度も起こっていることがわかります。そして、「人種差別をなくす方法」をいつも考え、いかに民主主義を護っていくかと同じように継続的に実行していくことの大切なのかが実感できます。
 この本を読んで、ほんとうに良かったと思いました。皆さまにもお勧めいたします。
(2021.2.25)

書名著者発行所発行日ISBN
レイシズム(講談社学術文庫)ルース・ベネディクト 著、阿部大樹 訳講談社2020年4月8日9784065193877

☆ Extract passages ☆

 異人種に対して本能的な敵愾心があるのだとか、目に見える差異があるから反発するのだとかは机上の空論であって、人種差別の本質を考えるうえで大した意味はない。人種の対立を理解するためには、人種とはなにかではなく、対立とは何であるかを突き止める必要がある。人種差別として表面化したものの奥に、あるいはその根本に何があるのかを知る必要がある。文明を自負する私たちが差別をなくそうとするなら、まずは社会の不公正を解決する手立てを見つけなくてはならない。人種とか宗教に寄りかかるのではない形で不公正を是正して、そのことを一人ひとりが共有財産とする必要がある。権力の無責任な濫用をなくし、日々の尊厳ある生活を可能にしてくれる方策ならば、それがどの領域で行われるのだとしても、人種差別を減らす方向に働くだろう。逆に言えば、これ以外の方法で人種差別をなくすことはできない。
(ルース・ベネディクト 著『レイシズム』より)




No.1895『科学とはなにか』

 このBLUE BACKSシリーズは、よく読みますが、ちなみに本棚をチラッとみただけで、30数冊はありそうです。ということは、科学に興味や関心はあるということなのかもしれません。
 この本の題名にも『科学とはなにか』とありますし、副題は「新しい科学論、いま必要な三つの視点」とあり、おもしろそうだと思い、読み始めました。特に、東日本大震災で福島第一原発の事故があり、その信頼も少し揺らいできているように思います。また、科学者と一般の人たちとの距離感もあり、何をどのように研究しているのかさえもわからないという人さえいます。
 この本では、科学技術のガバナンスとして、「もう少し過激な表現を使えば、科学技術をいかに「飼い慣らす」かともいえる。基礎研究であろうと実用化された技術であろうと、科学技術は時に人々に大きな被害を与える。原爆のようにもともと人を殺傷することを目的として開発されたものに限らず、原子力発電のように本来は人々の生活を豊かで快適なものにすることを目的にしていた技術であっても、事故が起これば多くの人々の生活を破壊する。科学技術を活かすも殺すも、その社会的デザイン(飼い慣らし方)によるところが大きいのだ。もちろん、このデザインを考えるのは、科学技術の「外側」の人間だけの役目ではない。専門家たちも重要なプレイヤーである。ぼくたちは、科学技術は暴走するものとして、事故を起こすものとして、さまざまなバッファーを用意しておく必要がありそうだ。」と書いています。
 たしかに、2011年の東日本大震災のときの福島第一原発の事故は、多分に人災的なものもありそうです。それまで、原発は絶対に安全だという神話は、科学者の方から発信されたから信じたわけで、もし政府や官僚の方からだけ発信されたとしても、ある程度は疑っていたかもしれません。それほど、科学者の言葉には重みがありました。
 でも、今は、政府や官僚などと同じように、科学者の言葉といえども懐疑的にみるようになったと思います。
 この本のなかで、科学者と一般人との間にある、ある種のわかりにくさを解消するために、日本建築の「縁側」のような考え方を活用しようと提案していますが、これはいいことだと思います。「公と私のあいまいな境界に、日本の家屋は「縁側」を設置している。公式にその家を訪問する人は、表玄関から自身を名乗って入らなければいけない。しかし縁側では、裏口からご近所さんが入ってきて、一緒に座ってお茶を飲んでほっこりしたりしている。それが許されるあいまいな領域が縁側だ。日本における専門家と一般社会の関係を見ると、科学技術と社会のあいだにも縁側があるように思える。これをもっと活用しよう。」とあり、越えがたい垣根を取り払うためにも、これは大切なことだと思います。
 そもそもこの本はもとは、2018年9月から2020年3月までに講談社のウェブサイトに掲載された11回の連載ですが、最初はそれをまとめて1冊にする予定だったようです。でも、なかなか統一感のある1冊にはならず、新たに書き下ろすようなつもりで再編集したものです。なかなか手が込んでいますが、科学という大きなくくりの中でまとめるわけですから、大変だったようです。これらのことは、「あとがき」に詳しく書かれていましたが、ある意味、この本の内容にはあまり関わりないことですが、本をつくるということからすれば、とても興味のあるものでした。
 下に抜き書きしたのは、今はあまりにも当たり前になっているスマホのカメラですが、その開発秘話です。
 読んでしまえば、なるほどと簡単に思ってしまいますが、その着眼点はすごいと思いました。それこそ、科学と技術の融合、さらには使う人の視点というものではないかと思いました。
 あらためて自分が常に使っているスマホを眺めて、おそらくこのようなユーザー視点から開発され、しかもアプリなどもそうではないかと思いました。また、これからは、時計なども、いろいろと機能が加わり、いろいろな使い方が生まれてくるような気がします。いわゆる、「スマートウォッチ」です。
(2021.2.22)

書名著者発行所発行日ISBN
科学とはなにか(BLUE BACKS)佐倉 統講談社2020年12月20日9784065221426

☆ Extract passages ☆

これは当時、J-フォンにいた電気工学エンジニアの高尾慶二が箱根でロープウェイに乗った際、乗り合わせた女性がせっせと携帯メールを打っているのを目撃し、目の前の景色の美しさを伝えているのならば、いっそ「携帯電話で写真を撮れるようにし、それをメールで送ることができたらもっと便利になるのではないか」と思いついたことに端を発している。
 興味深いことに、高尾は「開発者である前に、生活者である自分が最も欲しいと思う機能を具現化した」と述懐している。これはまさに、技術の新しい機能が技術開発側の視点ではなく、ユーザー側の視点からなされたことを示している。
(佐倉 統 著『科学とはなにか』より)




No.1894『大人のカタチを語ろう』

 著者は2020年1月21日にくも膜下出血で倒れて病院に救急搬送され、翌22日に手術を受けて、2月には退院されたそうです。おそらく、その後はリハビリなどをしていると思いますが、この新型コロナウイルス感染症が拡大するなかですから心配ですが、連載もされていますから、回復していることは間違いなさそうです。
 大人といわれて、私が一番考えるのは、仕事です。つまり、仕事をして家庭を支え、その仕事を通して社会とつながり、いくらかでも社会貢献をしたり人のために役立ちたいと思っています。もちろん、その仕事にはお金が絡んでくるのですが、私の学生のときの先生は、お金を第一義に考えてはならないとよく話しをされていました。それは、この本でも書いてあり、「金に翻弄される人間になるな、というのが、私の考えである。所詮、金は人間がこしらえた価値を量る道具でしかない。人間がこしらえたもので、人間が悲劇の中に立たされるのは、愚か以外の何ものでもない。……金は厄介なもので、持てば人間を傲慢にさせる。当人がそう思っていなくとも、言葉の端々や文章の中に、傲慢さは出る。金を持つ人間には、己のその傲慢さは見えない。」と書いていて、なるほどと思いました。
 たしかにお金がなければ生活はできませんが、それがすべてではないと思います。お金ですべてが買えるといった人がいますが、これこそ傲慢の極みです。
 絶対にそのような気持ちでこの大切な人生を生きたいとは思いません。
 また、この本の第4章「故郷」の引力のところで、旅について書いてますが、「旅をすることで人はさまざまなことを得るのだと思うが、旅の途上にあると、初めて目にする土地であればことさらに、その折々は興味を抱き、こんな人たちがいて、こんなふうに生きているのだ、と感心する。しかし夜になり、街の灯りが消え、安いホテルや木賃宿のベッドに横になり、天丼を見つめていると、――自分はなぜこんなふうに見知らぬ土地でこうしているのか? と問うことになる。若い時の旅は、何かを探し求めてきまようのだろうが、その興味、意欲が強いうちは、己のことをなかなか考えられない。それでも旅を続けていけば、否応なしに、人は己と対峙せぎるをえない。」と書いています。
 この文章を読んで思いだしたのが、私の友人で、若いときに海外を放ろうしていて、中東のある飛行場の近くの安ホテルに泊まったとき、急激な腹痛で七転八倒したそうです。病院に行くこともできず、ただ、3〜4日寝っぱなしでうなっていたとか、そのときに、自分はなぜこんなことをしているのかと自問自答したそうです。それから、彼はアメリカに渡り、したい仕事を見つけ、現在は自分が創業した会社の会長として後進の指導にあたっています。
 彼も、脳梗塞で倒れてから、リハビリをしてなんとか以前に近いところまで回復していますが、それをきっかけとして自己とあらためて対峙したのではないかと思います。やはり、何もないときに自分を見つめ直しなさいといわれてもなかなかできませんが、旅とか病気とか、普段の日常から外れたときにだと、できるようです。
 そういう意味でも、私はよく旅に出ますが、もちろん興味や関心があるからでしょうが、このような側面もあるのではないかと思っています。
 下に抜き書きしたのは、祈るという行為についての著者の言葉です。
 これは、友人かどうかは本に書いてなかったからわからないが、屈強な体躯の持ち主で、まずはくたばらないと思っていた彼が末期癌を患い、「俺は死なない。俺には"永遠"ってやつが見えてきた」と言い、その翌日に病院から亡くなったという連絡があったそうです。家族も身寄りもないので、医療費の片付けに病院に行ったときの看護師さんに言われたことです。
 たしかに、私も祈ることによって救われるということはあると思っています。
(2021.2.19)

書名著者発行所発行日ISBN
大人のカタチを語ろう伊集院 静集英社2019年12月10日9784087816709

☆ Extract passages ☆

「今までいろんな末期癌の患者さんの最期を見てきましたが、あんなにおだやかで、私には笑っているようにさえ見えた方は初めてでした」
「そうですか」
――それはあいつが何かに出逢ったからでしょう。と彼女に言っても理解しないと思った。
 私には彼が出逢ったものの正体はわからない。それが神でも、″永遠″でもかまわない。ただそれは、祈るという行為をはじめたことで何かが起こったのだろうと想像した。悪くはない気がした。
 男の一件から、私は積極的に神社仏閣に足をむけるようになった。かたちだけでもと、祈ることもはじめた。
(伊集院 静 著『大人のカタチを語ろう』より)




No.1893『和食の地理学』

 この本も何気なくとったのですが、たまたま去年の私の誕生日に発行されたので、読むことにしました。本を読むきっかけというのは、ある意味、何でもいいわけで、読もうとする後押しをしてくれればいいように思います。
 でも、読んでみて、なるほどと思うところもあり、最後は読んでとてもよかったと思いました。
 それと、食事にはアルコールがあれば、より楽しめるとも思いました。ある地方の名物料理も、その土地の地酒があれば、より印象深いものになりそうです。この本の著者は、かなりいけそうで、日本車だけでなく麦酒やワインなどにも精通していて、題名が『和食の地理学』なのに、第8章では「ブドウ園とワイナリーの文化的景観」のなかで、山梨の日本ワインに少しだけ触れ、あとはオーストラリアやイタリアなどのブドウ園やワイナリーを取りあげています。でも、その味の表現は、「すっきりしたコクのある、腰の強い味」などと日本酒に使うような言葉です。
 それがどうのこうのということではありませんが、私がまったく飲めない質なので、いささかうらやましくもあり、ついこのような言いぐさになるのかもしれません。
 私の友人のなかに、まったく飲めないのに、オーストラリアやニュージーランドに行ったときに、その土地のワインを買って帰国する人がいます。聞くと、お土産にすると喜ばれるといいます。たしかにたしなむ人にとっては喜ばれるかもしれませんが、もし、私が買ってプレゼントすると、飲まないことを知っているので、単に酔狂と思われるかもしれません。
 よく、お茶の宣伝などで富士山と茶畑などの写真がありますが、この茶畑の畝の形にも時代的な変化があるそうで、この本を読んで初めてわかりました。著者によると、「1つ目の種類は、……手摘みの茶ノ木のやや不規則な形状である。2つ目の種類は、かまばこ型の畝である。この形状は、各畝の両側から2人(多くの場合夫婦によって)がかりで、袋付の大きなハサミによって茶葉を刈り取った結果として生じた形である。……3つ目の種類は、茶葉を刈り取った後の畝がやや平坦に見え、また畝間の間隔が非常に狭いのが特徴である。平坦地や緩やかな傾斜の茶園に見られるこのような畝の形状は、人が乗って操作する、乗用茶摘み機による作業の結果としてできたものである。従って、比較的新しい形状でもある。」と3つの種類が載っています。
 ということは、イメージだけは2つめの手刈りのかまぼこ型ですが、今、普通に見られるのは、おそらく乗用茶摘み機による平坦な形ではないかと思います。
 茶畑でさえそうですから、昔のイメージからするとだいぶ変わってきた作業風景もありそうです。そういえば、身近な田んぼを考えただけでも、田植えは手植えから田植機械になり、農繁期などという言葉さえあまり使われなくなってきました。あっという間に終わるからです。収穫した稲を干すのもハセにかけたり稲ぐいにかけたりすることから、コンバインで収穫してそのまま乾燥機に入れておしまいというところがほとんどです。
 下に抜き書きしたのは、その稲の種もみについての話しです。
 近くに農家の方がいるので、ある程度のことは知ってはいましたが、契約農家の種もみ生産について詳しくは知りませんでした。おそらく、意外と知らない方もいるかと思い、ここに掲載しますので、読んでみてください。
(2021.2.17)

書名著者発行所発行日ISBN
和食の地理学(平凡社新書)金田章裕平凡社2020年12月15日9784582859621

☆ Extract passages ☆

 稲種センターでは、種もみをつくるための種もみを厳重に管理し、販売計画に従って契約農家に栽培を委託する。契約農家での栽培手順は食べる米の栽培と変わらないが、普通の3倍以上の手間が必要だという。例えば農家は毎日、早朝や夕刻に水田に入り、異質な稲を抜き取って品種の純粋さを維持する。こうして契約農家の種もみ生産は、高い発芽率と純粋な品種を維持すべく、細心の注意を払って行われるのである。
 このセンターの近くには、1坪(約3.3平方メートル)にも満たない区画が並んでおり、それぞれの区画ごとに、背の高い稲や生育度の違う稲が育てられていた。それぞれ違う品種の稲であった。花粉が混じって自然に交配が起こらないのかと質問したが、まずその心配はないという。品種ごとに稲の開花期が違うのが最大の理由であった。万一開化期の近いのがあれば、それを相互に近づけることはない。
(金田章裕 著『和食の地理学』より)




No.1892『こころの匙加減』

 何気なくとった1冊ですが、まさか100歳の方の本とは思いませんでした。たしかに、今では100歳も珍しくありませんが、副題に「100歳の精神科医が見つけた」とあり、現役の医師ということで、読んでみたくなりました。
 でも、この本が出版されたのは2016年ですから、現在は何をされているのかと思い調べてみると、桜美林学園のホームページに「橋幸枝先生(医療法人社団秦和会 理事長)が、2020年1月16日、享年103歳をもって逝去されました」と出ていました。なぜ学園のニュースに載っているのかと思い、さらに調べてみると、医師免許取得後、地元の病院勤務を経て、1953年に桜美林学園へ校医として2年間赴任されたそうです。そして、この本にも出てくる秦野病院は、1966年に神奈川県秦野市に開院し、そして開業医になったということです。
 ちょうど1年前のことで、なにがしかの縁を感じました。
 おそらくその当時は、精神病院というと、いったん入院するとなかなか出てこられないとか、閉ざされたイメージがありました。著者は、「年月が流れ、向精神薬の研究開発が飛躍的に進むと、薬の効果で良くなるケースが増え、従来の精神科の治療スタイルががらりと変わりました。そのため、「精神科の病棟は、より開放すべき」「長期入院は不要」「治療は入院より、通院で」という方針が国から打ち出され、私たちも従うことになりました。このように方針が大きく変わるときは、現場は少なからず影響を受けます。たとえば、本来は入院していたレベルの患者さんが、通院治療に切り替えたゆえに、事件や事故を起こしてしまうという例もありました。このような問題を見るにつけ、「絶対の正解」はないのだろうと思えます。」と書いていて、ひとつのことに執着しすぎると本当に必要なものを見失うといいます。たしかに、今、このときの大きな問題でも、解決策が見つかり、あれよあれよという間に良い方向に進むことがよくあります。
 今日も新型コロナウイルス感染症のニュースが流れましたが、この感染症だって、新型だから当然かもしれませんが、最初のころの症状や経過とだいぶ違ってきています。若者は無症状が多いといっていたのが、無症状だったとしても後遺症は残る場合もあるといいますし、ワクチンさえできれば怖くはないといっていたけれど、変異種には効かないかもしれないと変わってきたり、まだまだ本当のところはわからないようです。
 だとすれば、ニュースに一喜一憂するよりは、自分たちができる感染予防をしっかりする、つまり三密にならないようにするとか、手洗いやうがいなど基本的なことをするしかないようです。まさに、匙加減です。
 下に抜き書きしたのは、「さみしくなったら、緑を育ててごらんなさい」という暮らしの匙加減のところに書いてある文章です。
 私も植物は大好きで、たくさん育てているからわかりますが、春になって新しい芽が出てくるときは、ほんとうに嬉しいものです。毎日世話をしていると、毎日違う表情を見せてくれます。ただ、今は雪の中ですが、だからこそ、春の芽生えは飛び切り嬉しく感じるのかもしれません。
 そして、昨年もそうでしたが、自宅でこれら植物の管理をしていると、遠くに出かけることもできませんし、毎日が張りのある暮らしができます。ここでは、まだほとんどの植物たちは雪の中なのでもう少し待たなくてはならないのですが、早くあの可愛らしい新芽を見たいものです。
(2021.2.14)

書名著者発行所発行日ISBN
こころの匙加減橋幸枝飛鳥新社2016年9月16日9784864105125

☆ Extract passages ☆

 まず、観察力が磨かれます。これは脳を鍛えたり、認知症を遠ざけることにひと役買ってくれるでしよう。
 また観察することで想像力もかき立てられるので、よい時間潰しになります。
 そして、「精一杯生きようとしている」という植物の無言の声に気づくことができれば、″孤独な気持ち″なんて、あっという間に吹き飛んでしまいます。
 人の心というものは、孤独なまま放置していると、どんどん感度を鈍らせていきます。たとえて言うと、喜怒哀楽といった感情の波が、さざ波のように小さくなり、やがて凪になり、ついには引き潮になって干上がってしまうのです。……また、植物を育てることには、必ずドラマティックな展開がつきまといます。それは「芽吹き」など、新しい変化が起こることです。
(橋幸枝 著『こころの匙加減』より)




No.1891『自分を励ます 英語名言 101』

 岩波ジュニア新書の1冊ですから、若い世代向けですが、私の英語はそれより劣りそうなので、英語の勉強を兼ねて読みました。
 思っていた通りの内容で、英語の文法などもくわしく書いてあり、とてもわかりやすい内容でした。ただ、若い人向けなので、そこに照準を合わせた名言で、もう少しひねりがきいていてもよかったかなと思いました。
 私は昔からサン=テグジュベリが好きで、とくに子どものときは『星の王子さま』が大好きでした。そういえば、そのことを「日本の古本屋」のなかの「シリーズ古本マニア採集帖」に取りあげられていますので、もし機会があれば読んでみてください。著者は南陀楼綾繁さんで、取材に来られたのは昨年の9月でした。
 そこで、ここでもサン=テグジュベリの名言を1つ、「It is only with the heart that one can see rightly ; what is essential is invisible to the eye. (訳:心によってのみ正しく見ることができる。本質的なものは目には見えないのだ。)」、とりあげます。
 このような名言にはバラエティがあり、本当に大切なものはお金では買えない、とかもあり、ぜひ若い人たちにも伝えていきたいものです。今の時代、「お金で買えないものはなにもない」なんて考える人はほとんどいないでしょうが、数10年前には、マスコミでもこのような発言があり、ビックリしたことがあります。
 そういえば、そのころは自分探しとかいうのが流行っていましたが、イギリスの脚本家、バーナード・ショーは、「Life isn't about finding yourself. Life is about creating yourself. (訳:人生の目的は自分を見つけることではない。人生は自分を作り出すためにある。)」という名言をこの本では取りあげています。
 これなども、経験してみないとわからないことがたくさんあり、しもしないで探そうといってもできないことは日の目を見るよりあきらかです。
 私がバーナード・ショーは、生涯独身でしたが、ある女優さんに「わたしの容姿とあなたの頭脳を持った子どもが生れたら、素晴らしいと思いませんか?」と迫られたとき、彼は「わたしの容姿とあなたの頭脳をもつ子どもができたら悲惨です」からと断った話しは有名です。たしかに、彼は皮肉屋でしたが、「あなたが人生で一番影響を受けた本は何ですか?」と問われて、「銀行の通帳かな?」と答えたこともそうですが、たんなる皮肉ではなく、あるものの本質を突いているような気がします。
 下に抜き書きしたのは、99番目に取りあげられた名言です。今、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡がり、その収束のめどさえたっていません。
 このような感染症は、誰でも感染します。お金があろうとなかろうと、白人でも黄色人でも黒人でも、関係なくかかります。いわば、平等にななるといってもいいのかもしれません。でも、ある専門家は、男性より女性のほうが感染する確率は少ないといいます。
 でも、このような情報だって、いつ覆されるかわからず、お互いに気を付けるしかなさそうです。
(2021.2.12)

書名著者発行所発行日ISBN
自分を励ます 英語名言 101(岩波ジュニア新書)小池直己・佐藤誠司岩波書店2020年12月18日9784005009282

☆ Extract passages ☆

It is only when the rich are sick that thev fully feel the impotence of wealth.
訳: 金持ちは病気になったときに初めて富の無力さを心から感じる。(ベンジャミン・フランクリン、1706-1790、アメリカ合衆国、政治家)
(小池直己・佐藤誠司 著『自分を励ます 英語名言 101』より)




No.1890『超クリエイティブ』

 この本の題名を見て、なかには何が書いてあるのか気になり、副題をみると『「発想」×「実装」で現実を動かす』とあり、ますますわからなくなりました。でも、わからないままにしておくのもどうかと思い、読み始めました。
 ちなみに、クリエイティブというのは、「はじめに」に書いていて、「クリエイティブとは、ちょっとやそっとの努力では変えられない凝り固まった社会の現実に、新しい意味を与えることで、未来を切り拓く力です。」とあります。辞書をひくと、クリエイティブは「創造する」とあり、「創造」という言葉をみると、「新たに造ること」と書いてあります。つまり、今の新型コロナウイルス感染症の時代には、この時代だからこその突破口があるということです。
 この本を読んでいると、自分もできそうな気がして、ワクワクしました。人をワクワクさせることも、クリエイティブだと思いました。
 もちろん、今までもクリエイティブという言葉はいろいろなところで使われてきましたが、とくに広告業界では売るためで、この本では「広告代理店の仕事の大部分は、言うなれば、価値の「証明」でした。価値の証明は、 コミュニケーションの領域です。あらかじめ、すでにわかっている商品・サービスの価値を、より魅力的に見えるよう広告をつくり、メディアに載せて多くの人に伝播する。もちろん魅力的な広告をつくるのにセンスと技術が必要です。これを狭義のクリエイティブと呼ぶとすれば、本書で取り扱う、すなわち僕がこれからの時代に必要だと考えているのは広義のクリエイティブと言えます。」と書いていて、第1章のところで、この広義のクリエイティブについて丁寧に説明しています。
 たしかに、新型コロナウイルス感染症が拡がってきて、外出自粛や働き方が変わってくると、さまざまなところで変化が起きてきます。今まで満員電車で何時間も通勤をしていたのに、リモートワークになれば、その浮いた時間で何か新しいことをしたくなります。あるいは、会社に着ていくスーツはあまり着ないので、普段着の着心地の良いものを買うようになります。今まで、みんなが持っているからとブランド品を買っていたのに、外出をしなくなるとそれも必要を感じなくなります。
 このように考えて行くと、今まで、一極集中はダメだから首都を移転しなければという動きがあったけど、結局はできなかったのが、むしろ一般の会社が本社機能を地方に移転しようという動きもみられるようです。著者は、「収入8割、労働6割」と書いていて、つまり収入が8割になったとしても、働く時間が6割になればいいと考える人が多くなったといいます。たしかに、首都圏で働いていた人でも、もし収入が8割になったとしても、地方で住めば家賃も安いし、新鮮な野菜なども安く買えます。それで労働時間が減れば、家族と過ごす時間も、あるいは一人で自分の趣味にあてる時間が増えれば、いいわけです。むしろ、その方がいいと考える若い人たちも増えているように感じます。
 いままでは仕様がないと諦めていたことも、新型コロナウイルス感染症の影響で、せざるを得なくなり、そのほうがよかったということもありそうです。だとすれば、これができない、あれもできないと考えるより、クリエイティブに考えて、いろいろとできることを考え、そしてしていった方が楽しいと思います。
 下に抜き書きしたのは、自ら変化を起こすためのクリエイティブな思考法、「トリプルA」についてです。この「トリプルA」というのは、アンガー(anger)、アライアンス(alliance)、アクシデント(accident)の頭文字です。
 著者は、この「トリプルA」がこの複雑な時代において、その本質をとらえ、世界の複雑性を踏まえたコアアイデアを発想し、実装していくプロセスとして役立つといいます。たしかに、この流れは考え方を整理する上でも、大切だと思いました。
(2021.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
超クリエイティブ三浦崇宏文藝春秋2020年10月30日9784163912837

☆ Extract passages ☆

 怒れ――。5年後の未来はわからないけれど、今、胸の内にある怒りは確かに社会とつながっている。怒りを社会課題と向き合う思考の立脚点に、現実を変えるパワーにしよう。
 連帯せよ――。その怒りは世の中の多くの人もまた共通して抱えているものかもしれない。一人よりも共に闘ったほうが新しい価値は生まれる。
 事件を起こせ――。多くの人を驚かせ、感情を揺さぶる事件性を宿すものが変化の触媒となる。新しい価値が生まれるLき、それは既存の価値観においてはアクシデントでしかない。
(三浦崇宏 著『超クリエイティブ』より)




No.1889『コモンの再生』

 内田 樹さんの本は何冊かは読んでいますが、その独特な切り込み方がスッキリしていて、とてもわかりやすいと思っています。
 この本は、『GQ JAPAN』に連載しているエッセイを単行本化したそうで、2016年以降のものをまとめたそうです。この『GQ JAPAN』というのは知らなかったのですが、『VOGUE』の姉妹誌だそうで、これだって名前こそ知ってはいますが、読んだことはありません。ですから、このなかのエッセイはまったく初めて読むものばかりです。
 この題名の「コモン(common)」というのは、辞書的な解釈は形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味だそうです。でも、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」のことで、どちらかというと、この名詞的な使い方のようです。つまり、日本でも村落共同体には「共有地」を持っていて、薪をひろったり、堆肥のための草刈りをしたり、かや葺き屋根のカヤを刈ったりしていましたし、そこでの共同作業もありました。つまり、「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」ということです。
 だから、著者も、いつでもなにかの機会にこの本を読んでそのなかに参考にするものがあればという気持ちのようです。
 著者独特の考え方のひとつとして、たとえば、「苦学するというのは、要するに、親や先生や周りの人間たちが口を揃えて「そんな大学のそんな学科に行くな」と言っても、それに従わないで自分のしたい学問をすることです。苦学できた時代には、僕たちは自分の行きたい学科を選ぶことができた。もちろん、親たちはその頃も今と同じで「実学」を子どもに求めました。でも、子どもたちはそれを聞かないことができた。「哲学がやりたい」とか「映画を作りたい」とか「天文学がやりたい」とか「シュメール語がやりたい」とか、全然お金になりそうもない非実学分野にふらふらとさまよい込んだ。子どもってそういうものですからね。」と書いていますが、たしかに昔は苦学生がいて、役に立ちそうもない学問を必死にしていたという印象があります。
 私の知り合いでも、親からはまったく仕送りがなかったけど、親族のお菓子屋さんでアルバイトをして、念願の国家公務員になった方もいたし、海外に飛び出し、その後の消息がつかめない方もいます。いろいろな生き方ができた、そのような時代でした。
 ところが、入学金や授業料が高くなり、学生のアルバイトだけでは払えなくなり、さらには奨学金をもらっても、卒業してからの負担がのしかかり、なかなか自分の思うようなことができなくなってきたように思います。著者の考え方は、たしかに私もその通りだと思える部分もあります。
 なんか、斜に構えたようなところもありますが、世の中は真正面から見るだけではなかなか本質が見えてこないこともあります。そのときには、著者のようなものの考え方がすっきりと馴染むこともあり、読んだ後味もスッキリします。
 そういえば、著者の『サル化する世界』というのがありますが、これもとても楽しかったことを思い出します。
 下に抜き書きしたのは、前安倍政権でも感じたのですが、権力者の考えることはいずれも似通っていて、この権力の誇示にしても同じです。
 この話しを読んで思いだしたのがギリシャ神話の『シーシュポス』で、神を欺いたシーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂におして運ぶという罰を受けました。しかし、せっかく山頂まで運び終えるとすぐに、その岩はまた転がり落ちてしまいます。カミュはこの神話から、生きる人間のむなしさを描きました。
(2021.2.7)

書名著者発行所発行日ISBN
コモンの再生内田 樹文藝春秋2020年11月10日9784163912929

☆ Extract passages ☆

 権力者がその権力を誇示する最も効果的な方法は「無意味な作業をさせること」です。合理的な根拠に基づいて、合理的な判断を下し、合理的なタスクを課す機関に対しては誰も畏怖の念も持たないし、おもねることもしません。でも、何の合理的根拠もなしに、理不尽な命令を強制し、服従しないと処罰する機関に対して、人々は恐怖を感じるし、つい顔色を窺ってしまう。
(内田 樹 著『コモンの再生』より)




No.1888『ぐっどいう゛にんぐ』

 本をパラパラと開くと、短い文章が並び、たくさんの絵もあり、著者が描いたそうです。でも、ページが印刷されていないので、思い出して戻ろうとしてもその手がかりがありません。たしか、この辺りかなと思いながら、探すしか方法がないのです。これは非常に不便ですが、慣れてくると、意外と簡単に目的の箇所にたどり着けるから不思議なものです。
 著者は、小さなときからこのような小さなノートを作っていたそうで、本人の言葉によると、「子供のときからお話のようなものを書いていた。小説とは云えない。どちらかというと、詩に近かった。しかし、詩でもない。いずれも短いもので、その短い「なんだかよく分からないもの」を小さなノートに書いていた。」といいます。
 たしかに、この本も、小説でも随筆でもない、だからといって詩でもないような文章が並んでいます。でも、そのなかに、これはおもしろい表現だなと感ずるところがあり、たとえば、
「試してみた。同じ店で同じパンを買い、同じ店でバターとマスタードとハムとレタスを買い、同じ店でパン切り包丁とバター・ナイフを買った。レタスの水分をとるためのベーパー・タオル、マスタードを瓶からすくいあげる木べら――そんなものまですべて同じものにした。手順もそっくり同じ。同じひとつのダンスを踊るように寸分違わず、われわれは、それぞれにサンドイッチをつくった。完成。同じ皿に盛り付け、トマトとポテト・チップスを添えて、コーヒーも入れた。しかしだ。何もかもが違っている。その味、その食感、舌にパンが触れた最初の瞬間からして、彼女のつくったサンドイッチの方が美味しい。」という文章も、なんとなく、文章にしなくても直感的にわかるような気がします。
 だって、同じ材料を使ったとしても、料理人が違えば味も違うわけで、その些細なひとつひとつが大きな味の違いになると思います。
 でも、このように何から何まで同じにしたということが大切なことで、それでも違ってくるのがサンドイッチだけでなく、いろいろあるということです。
 また、「昔の風景が撮れるカメラというのを私は浅草で買ったのです」という文章があり、そのカメラ屋の店主に聞くと、「撮ってごらんなさい」と含み笑いをしたと書いています。私は即座に、カメラで撮った風景はすぐ過去の映像ではないかと思いました。つまり、撮っていくそばからすべて過去の風景になっていくのが当たり前です。今の瞬間を切り取るという表現がありますが、そのときの今は一瞬で、すぐに過去のものになってしまうというのが現実です。
 このような話しも、このように提起されないと気づかなかったかもしれないと思いました。また、人間が冬眠するという発想も奇抜かもしれないけど、一呼吸置いて考えるには、楽しいことだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、笑顔が好きという文章です。著者は他のところで、「好き」という言葉はあまり使いたくないと書いていますが、この本では、けっこう使っています。そのひとつがここの部分です。2回も使っていて、「笑う」という言葉は5回で、笑顔は2回です。
 でも、最後の「楽しく過ごしたいですよ」という言葉は、今の新型コロナウイルス感染症が拡大している状況では、なおさら身にしむ言葉です。
(2021.2.4)

書名著者発行所発行日ISBN
ぐっどいう゛にんぐ吉田篤弘平凡社2020年11月20日9784582838527

☆ Extract passages ☆

 みんな、笑ってる。
 僕は君の笑顔が好きです。
 というか、僕はみんなの笑顔が好きなんだと思う。
 「みんな」というのは、みんなのことだけど、
 たとえば、鳥たちは笑わないのか、と思う。犬や猫はどうなんだろう。
 笑っているよね? 笑いたいときがあるよね?
 じゃあ、鉛筆はどうか。もちろん、鈴筆だって、笑いたいですよ。
 楽しく過ごしたいですよ。
(吉田篤弘 著『ぐっどいう゛にんぐ』より)




No.1887『新型コロナの科学』

 今年の節分は2月2日で、2日が節分というのは明治30(1897)年以来のことで、じつに124年ぶりのことです。ちなみに4日が節分だったのは昭和59(1984)年でした。つまり、節分は2月3日だというわけではないのです。この暦を割り出すのは、国立天文台の暦計算室で、暦要項として官報に記載されています。それには、国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、朔弦望、東京の日出入、日食・月食なども含まれます。
 さて、この本ですが、副題は「パンデミック、そして共生の未来へ」です。たしかに、昨年の1月16日に日本で最初の感染者が見つかり、1年以上経過していますが、現在も非常事態制限が発出されています。いつ収束するかというよりも、現実問題としていかに共生していくかに変化しているような気がします。
 もともとこのウイルスという言葉は、この本には「カタカナで書いているが、ウイルスは日本語である。1953年、日本ウイルス学会が創立されたとき、ヴァイラス(Virus、英語)でもなく、ヴィールス(Virus、ドイツ語)でも、ヴィリュス(Virus、フランス語)でもなく、ウイルスという名前で学会を作ったのが始まりである。」と書いています。それまでは、日本では「病毒」と言っていたそうですが、これは今も中国で使われているそうで、今回の新型コロナウイルスの中国名は「新型冠状病毒」だそうです。
 著者は、この「病毒」のほうがわかりやすいと書いていますが、すでにウイルスというのが一般にも浸透しているので、いまさら「病毒」といわれても混乱するだけのような気がします。
 そういえば、同じコロナウイルスのSARSウイルスのときには、ちょうどネパールに行こうと考えていたときだったのでよく覚えているのですが、2003年3月にWHOから「グローバルアラート」が出され、とうとうその年はネパールに行けませんでした。でも、その年の7月5日に終息宣言がだされたので、結果的には翌年の2004年には行くことができました。この本には、新型コロナウイルスと比べると、SARSの症状は急激かつ劇症であるために、いきなり肺炎になりやすかったといいます。そして、「急激な進行、そして高い致死率が、結局SARSウイルスの収束を早める結果となった。SARSの患者は、コロナ感染者のように動き回って感染を広めることはできず、死に至る。ホストがつぎつぎに死ぬと、ウイルスは生きる場を失い、自らも消え去るほかにない。」といいます。
 ところが今回の新型コロナウイルスの場合は、國松淳和医師によると、「潜伏期間がほどよく長い」、「最初はまさしく”ただのかぜ”にしかみえない」、「全員が重症化するわけではない」、「高齢になればなるほど死亡率が高い」、「多くの人の、”命”ではなく”距離や会話”を奪うウイルス」ということです。つまり、なかなか手強い油断ならないウイルスです。とくに、1年以上も続くと、人と人との関係すら断ち切られてしまうような気がします。
 だから、先ずはワクチンや治療薬の開発が進むことを願うしかなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、新型コロナウイルス感染症を収束させる一番の決め手といわれているワクチンについてです。
 この本でも免疫というのは、「自然免疫」と「獲得免疫」があり、この獲得免疫に相当するのがワクチンですが、なかなか一般的にはわかりにくいものです。でも、このようなたとえ話だと、とてもよく理解できると思い、ここに掲載させてもらいました。
(2021.2.2)

書名著者発行所発行日ISBN
新型コロナの科学(中公新書)黒木登志夫中央公論新社2020年12月25日9784121026255

☆ Extract passages ☆

 ワクチンは、感染してから免疫に至る過程を安全なかたちで再現し、身体に免疫を作ろうという戦略である。このため、相手とそっくりなまがいものが、ワクチンとして使われることになる。ワクチンを投与すると、感染と同じ免疫のメカニズムが動き出す。樹状細胞がワクチンを取り込み、ヘルパーT細胞を介して免疫を発動し、病気を治すという戦略である。
 ワクチンは、釣り餌のようなものである。生きている餌を使うこともあれば、死んでいる餌、疑似餌を使うこともある。餌をすりつぶした練り餌もある。どのような餌を作るかがワクチンの成否を握っている。
(黒木登志夫 著『新型コロナの科学』より)




No.1886『歌う外科医、介護と出逢う』

 前回は『がんと外科医』で、今回は『歌う外科医、介護と出逢う』で、どちらも何気なく手に取っただけで、外科医にこだわって選んだのではありません。ただ、結果的にそうなっただけですが、しかも肝臓という臓器でもつながっていました。
 そして、どちらの本からも、外科医の大変さが伝わってきましたが、特に若い人の命を救ったときは外科医としての仕事の大きな喜びと書いてありました。この本の著者は、小児外科医ということもあり、いろいろなところで手術に立ち会ったようです。第1章から第2章までは、外科医としての話ですが、第3章から第7章までは高齢者医療と出逢ってからの話しが中心です。だから、どちらかというと、介護と出逢ってからの話しが活き活きと書かれているような気がします。
 この本のなかで、「平穏死」という言葉が出てきますが、つまりは「最後は食べられなくなって死ぬ」ことで、つまり餓死だとはっきりと書いています。いわれてみれば、それこそ自然なことで、老衰というのもこのことだと感じました。別な本で読んだのですが、そのような状態になると苦しさはないといいます。まさに大往生です。
 いまでもときどき思い出すのですが、最後の最後にお医者さんが細い身体の上から心臓マッサージをしていたのが忘れられません。こんなことをしなくてもいいのにと思いながら、一生懸命にしてくださっている姿をみると、なかなかもういいですとは言えませんでした。でも、今ははっきりともういいですと言えそうな気がします。もちろん、私も人生最後の段階で、特別な延命治療を受けたいとは思いませんし、自然体で死を受け止めたいと願っています。
  「死に方としてよく望まれるのは、PPK、つまリピンピンコロリですが、それと対称的なのが、NNKといわれ、一時期はネンネンコロリ(寝たきりになっての死)とされていましたが、最近はニンニンコロリ(認知症になっての死)とも椰楡されています。しかしながら、ピンピンコロリというのはあくまでも机上の空論、理想に過ぎません。もしあちこちでピンピンコロリがあったら、世の中、不審死の山となり、我々医師はたまったものではありません。」と書いていますが、私の知り合いで、母親をくも膜下出血でなくした方がいて、少しでも看病したかったという言葉が今でも残っています。
 現実問題として、あまりにも過重な介護も大変ですが、だからといって何もできないというのも心の負担になってしまいます。やはり、医療や介護を受けながら、どのように看取られて逝くかということが問題ではないかと著者は書いています。
 下に抜き書きしたのは、「ユマニチュード」についてですが、そもそもユマニチュードというのは、1980年にクロフェンスタインが「人間らしくある」状況を「ネグリチュード」を踏まえて、ユマニチュードと命名したそうです。つまり、この本によれば、「ユマニチュードとは、加齢によってさまざまな機能が低下した高齢者が、最期の日まで尊厳をもって暮らしていけるよう、ケアを行う人々がケアの対象者に、「あなたのことを、私は大切に思っています」というメッセージを常に発信し、その人の「人間らしさ」を尊重する状況である」と1995年に定義しているそうです。
 この4つの他にも人間関係をつくるための5つのステップや150を越える実践技術などがあるそうですが、あくまでも基本はこの4つの柱だそうです。
 たしかに、認知症の高齢者でも、このように接してもらえれば笑顔になると思いました。
(2021.1.30)

書名著者発行所発行日ISBN
歌う外科医、介護と出逢う(学術選書)阿曽沼克弘京都大学学術出版社2020年12月10日9784814003044

☆ Extract passages ☆

 ユマニチュードは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの柱から成り立ちます。まず、「見る」こと。認知症の人の正面で、日の高さを同じにして、近い距離から見つめます。……
 次に、「話す」こと。優しく前向きな言葉を使って、繰う返し話しかけます。……
 3つ目は「触れる」こと。認知症の人の体に触れてスキンシップをはかることも重要です。……
 最後は「立つ」ですが、正確に言うと、「立つことの支援」です。寝たきりにならないよう自力で立つことを大切にします。
(阿曽沼克弘 著『歌う外科医、介護と出逢う』より)




No.1885『がんと外科医』

 この本を読んでいて、専門的なことが多く、手術の詳細を書かれたところを見ても、外科医というのは大変な仕事だと思いながらも、その内容はなかなか理解できませんでした。たとえば、「肝臓は右上腹部に位置する体重の約2%の重量のある臓器で(体重60sの人なら1200g)、腹腔内で最大の臓器である。腹部臓器が収められている腹部の内腔スペースを腹腔と呼び、腹腔を開くことを開腹と呼んでいる。肝臓はまた、右の第8-10肋骨に囲まれているため、開腹して肝臓の切除をする場合には、みぞおちから臍までの切開だけでは手術のための十分な視野が得られない。臍上から真横に切開を加える必要があり、さらに今回は腫瘍が大きいため、13本ある肋骨のうち、上から9番目の第9肋骨に付着した肋間筋を切り上げて、肺が収まっている胸腔というスペースに入り込み、十分な術野(手術をおこなううえでの臓器の配置)を確保することにした。」と書いてありましたが、肝臓というのは意外と大きな臓器だとかけっこう奥の方に収まっているとかはわかります。でも、そこに至る手術の過程や内容などは、なかなか理解できません。それでも、「我慢して丹念に作業を続ける」とか、「我慢に我慢を積み重ねて」という内容には、外科医の大変さと責任感がひしひしと伝わってきました。
 それが後半になると、たまたまこの『本のたび』のNo.1646『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』の著者坂井律子さんの話しになり、にわかに本の内容に引きつけられました。つまり、先に患者としての思いなどを読んでいて、次はその主治医としての考え方と手術の内容などを知ったからです。このNo.1646を読んでいたときには、私の友人がS状結腸がんでなくなったと知ったときでした。その数ヶ月前に、彼からのメールで肝臓などの臓器にも転移しているので抗がん剤治療をしているとのことでした。
 そのときに全国がんセンター協議会の生存率共同調査(2018年6月集計)を見ると、病期別5年相対生存率は、友人の結腸がんの場合は全症例では76%ですが、膵臓がんの場合は8%前後だそうです。もちろん、そのステージによっても変わりますからなんともいえないのですが、坂井律子さんの場合は、「膵がんの肝転移再発に対して、全身化学療法後のコンバージョン手術に挑み、さらなる再発に対して再度化学療法を導入したが、初回切除から2年半の経過でお亡くなりになった」とこの本には書いてありました。つまり、その間に『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』を書いたわけです。
 そういえば、今年に入ってからも首都圏などには緊急事態宣言が発出されましたが、この本の著者は、「あとがき」のなかで、「日々刻々変化する感染者数や世間の動向をフォローし、じっと耐えながら対策を立てて行動し続けることは、日頃われわれがおこなっている、患者データに気を配りつつ進める臨床の現場の仕事の感覚と非常に似通っている。患者さんの病状は必ずしもわれわれの思い通りには改善しないし、同様に、ウイルスも人間社会の思い通りにはならない。今回のコロナウイルス感染対策の流れを見ていると、各国で有効だとされる政策が意外にそうではなかったり、有効と目された治療薬がランダム化比較試験の結果、生存には寄与していないことが明らかになったりしている。一方、当初他国から疑間視された三密を避けることをスローガンにした日本の罰則を伴わない自主的隔離政策が、強固なロックダウンを強いている先進国の対策に劣らず有効であるとされたり、他方で環太平洋地域の中では特筆すべき結果でもないとする冷静な見解が加えられたりしている。このように、複雑な自然界の変化を理解し、本質を科学的に解析、対策を立てることはなかなか容易ではないのだ。われわれの日常診療の中でも、良かれと思った処置が必ずしも功を奏さなかったり、あるいは意外な処置が患者さんの状態を改善させたりする。ヒトの体という自然をコントロールするのは容易ではないと日々痛感している。」と書いています。
 たしかに、がんも新型コロナウイルス感染症もこれさえやれば大丈夫とはいかないようです。だからこそ、しっかりした対策をしなければならないのだと痛切に感じました。
 下に抜き書きしたのは、肝臓の働きについてです。大事な臓器だとは知っていましたが、こんなにもいろいろな働きをするとは理解できていませんでした。むしろ、自分はお酒を飲まないから大丈夫だと勝手に考えていたのかもしれません。
 人間の身体のなかのすべては、必要だからあるのだと改めて思いました。少しでも大事にしながら、元気で老後を暮らしたいと思っています。
(2021.1.28)

書名著者発行所発行日ISBN
がんと外科医(岩波新書)阪本良弘岩波書店2020年11月20日9784004318569

☆ Extract passages ☆

 肝臓は胃、十二指腸、小腸、大腸という体内の消化管から「門脈」という静脈系の血流を受け、@タンパクの合成や糖分の貯蔵などの代謝機能、A分解・解毒機能、B消化液である胆汁の産生、などを担っている。食事によって得られた糖分を貯蓄し、必要なときにタンパクを合成してわれわれの体を作り上げたり、お酒の成分であるエチルアルコールを代謝してアセトアルデヒドを介して水と二酸化炭素に分解したりする。肝機能が低下すると、タンパクを合成する機能や消化機能が低下し、低タンパク血症ゃ低栄養状態になる。
(阪本良弘 著『がんと外科医』より)




No.1884『ルポ 人は科学が苦手』

 この本を読みながら、1月8日のトランプ米大統領の支持者が米連邦議会議事堂へ乱入した事件などを考えると、まさにそうかもしれないと思いました。
 副題は「アメリカ「科学不信」の現場から」で、あの様子を見ていると民主主義などとはだいぶかけ離れた、まさに相当昔の出来事のような気がしました。この本のなかで、リック・シェンクマン氏は、「数百万年間にわたり小さな集団で暮らした野生の生活では、「恐れ」と「怒り」が重要な役割を果たしていたと考えている。野生動物に襲われる危険と隣り合わせの生活では「恐れ」が重要だったし、小さな集団をまとめたり敵と戦ったりする時には「怒り」が大きな力になった。そして、「恐れ」と「怒り」の本能は現代の私たちの脳にも、しっかりと受け継がれているようだ。」といいます。
 たしかに、子供でもわかるようなウソをほぼ毎日ツイッターで流していて、それでアメリカの大統領になったのですから、とても信じられませんでした。でも、この本を読んで、いろいろな恐れが土台にあって、それを克服できるようなメッセージを聞けば、それに縋ろうとするだけでなく、それを信じて、反対派にその怒りの矛先を向けることは考えられないことではありません。
 もうひとつ、この本を読んで初めて知ったのは、「フラット・アーサーズ」という、実は「地球が平ら」だと考える人たちが今もアメリカにはいるということです。しかも国際会議も開かれていて、2017年11月に南部ノースカロライナ州で開かれたときには約500人も参加したそうです。普通の日本人なら、宇宙から映像を見れば一目瞭然だというかもしれませんが、あのアポロ計画で月面着陸したことさえも、「NASAが映画会社を巻き込んで光明に作り出したフィクション」だといいます。
 それなのに、UFOの存在を信じて、ニューメキシコ州のロズウェルに「国際UHO博物館」があり、かなりの見学者がいるというから驚きです。
 また、進化論さえも信じない方が相当数いるようで、創造論の世界観を再現した「創造博物館」があり、ここでは約6000年前に神が創造したという聖書の話しが生きています。そここの展示責任者のティム・チャイフィーさんに、そういう考え方では学校のテストに落第しないのかと著者が聞いたそうですが、彼は、「中学1年の時、理科の授業で出された地球誕生にっいてのテストで、『先生は約46億年前と教えたけれど、僕は約6000年前だと信じている』と答えた。先生は、それを間違いとはしなかつた。私の信仰を認めてくれた」といいます。おそらく日本だったら、絶対に間違いとされると思いますが、アメリカは違うようです。そういえば、大統領就任式のとき、聖書に片手を置いて宣誓するわけですから、これはありえると思いました。
 よく、アメリカは科学万能だと勘違いする方もいますが、意外と信仰心が優先されることも多いようです。
 ただ、科学を否定されると困るのも事実で、たとえばトランプ大統領が地球温暖化を疑うような発言をされ、結果時には世界の潮流に背を向けたことです。このようなことは、たくさんあり、今までのアメリカはどうしたのかと疑問にさえ思っていました。
 この本を読んでわかったことは、地球温暖化を強く主張されるといままでの仕事がなくなるということもあり、それで大きな損をするということもあります。だとすれば、そんなことはないといって、その流れに背を向けてしまうということです。その人たちに理解してもらうというのは、至難のことです。
 下に抜き書きしたのは、科学的だからとしてその事実だけに頼りすぎては伝わらないとして、2018年2月に開催された「米国科学振興協会」で司会をされたマーク・バイヤー氏の話しです。
 たしかに、科学を否定する人だっているわけで、そのような人たちにもわかつていただくことがこれからは大切だと思いました。
(2021.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)三井 誠光文社2019年5月30日9784334044107

☆ Extract passages ☆

 バイヤー氏は古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉を引用して、情報を伝える上で重要なことを紹介した。
「アリストテレスは演説に大切なものとして3つを挙げた。 一つはロゴス(Logos=論理)。論理的であり、事実であるということだ。これはじつは3分の1でしかない。アリストテレスが次に挙げたのはエトス(Ethos=信頼)だ。聞き手と話し手の関係であり、話し手の信用の問題だ。私はこのセッションを自己紹介から始めた。議会で長く働いた経験を伝えることで、『この人は何かを知っているのだろう。話を聞く価値はある」と思ってもらうためだ。三つ目はパトス(Pathos=共感)だ。この3つの要素が効果的なコミュニケーションに必要だ。」
 科学者が冷徹な論理にしたがって事実を話しても、「信頼」と「共感」がなければ、うまく伝わらない。「事実だけで十分ということは決してない」。バイヤー氏はそう指摘した。
(三井 誠 著『ルポ 人は科学が苦手』より)




No.1883『地図にない国を行く』

 最近、新型コロナウイルス感染症の急激な拡大で、まだまだ遠くへは行けそうもないと思うと、なおさら旅に出たいという想いが募ってきます。だからなのか、最近読む本は、旅つながりのものが多いような気がします。
 でも、この題名を見たときに、今どき地図のない国なんてあるのかと疑問に思いました。ただ、地図が不正確な国はありそうで、もしかするとそのような国なのかとも思いました。著者は、「ともかくグーグルの時代、宇宙を遊弋する観測衛星のデータは、地上20センチの物体さえも鮮明な画像として地球の人々に送り届けてくれる。外国の町を歩いていても、スマホのGPSで目的地や行きたい博物館などの行き方も分かる。これほど便利な時代はかってなかった。約三百年前、殿中「松の廊下」で起きた吉良上野介への刃傷沙汰は、4日間かけての早駕籠で赤穂に伝わった。いま世界のいずこかで起こる災害もテロ事件も、祝賀のお祭りもSNSの発達により、世界各地で同時に見ることができる。」と書いています。
 たしかに、毎日、世界中の新型コロナウイルス感染症のことも伝えられ、さらにはSNSでトランプ大統領が呼びかけ、支持者が連邦議会議事堂を一時占拠したことなども即時に世界中に伝えられました。おそらく、本格的に5G時代に入れば、そのような状況がさらに加速することは間違いなさそうです。このようなときに、この地球上にいまだ地図に描かれない場所なぞあるはずがないと思います。
 ただ、地図ですぐいろいろな世界の状況がわかるはずもなく、この本で取りあげたボルネオ島、ミャンマー、ネパール、ブータン、そしてインドなどもそうですが、その国の端から端まで見て歩くというわけではなく、しかも人によって見方が違います。同じものを見たとしても、感じ方もちがえば、そのとき時の状況も違います。
 ただ、テレビなどで見ても、気温や湿度、ニオイなど、まったく伝わってこないのですが、このような本だと理解できます。そういう意味では、今、新型コロナウイルス感染症の影響で海外には行けないので、このような本を読んで想像を膨らませ、もし海外に行けるようになったら行ってみたいと思いました。また、戦後生まれではなかなか理解できない戦時中の話しなども詳しく書いてあり、初めてわかったこともあります。一昨年、マダガスカルに行ったとき、日本軍と戦ったという砲台の跡を見て、こんなにも遠くまで来て闘っていたんだと知りました。いつか、そのようなところに行ったときには、花でも手向け、慰霊したいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、ネパールの外交などについて書いてあるところですが、たしかにそのその通りだと思います。たとえば、インドを嫌って、インドが日本と3時間の時差があるが、ネパールとの時差は3時間15分です。ネパールの友人に聞くと、たった15分だが、同じでないというところが大事だといいます。
 また、ネパールの仏教徒は高山に住むシェルパ族などで、カトマンドゥに住むネワール族はヒンドゥー教徒です。友人の家に泊めてもらい数週間過ごし、帰国するときに無事の祈りをしてくれましたが、それもヒンドゥー教のやり方でした。
 やはり、ある程度の長い期間いるか、親しい友人がいて、本音で話してくれないとなかなかわからないことも多いようです。この本に出てくるパシュパティナートも、ここに入れるのはヒンドゥー教徒だけで、入口に門衛が立っていて一人一人チェックしています。ただ観光客は、寺院の後ろからのぞき込むようにして火葬場などを撮影していました。だから、友人といっしょだからといえ、私も寺院のなかには入れませんでした。
(2021.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
地図にない国を行く宮崎正弘海竜社2019年6月24日9784759316667

☆ Extract passages ☆

 ネパールは外交的に誇りを重んじ、時に頑固でさえある。ブータンのように一辺倒の純朴、木訥、純真きはない。つまり北に中国、南にインドという大国に挟まれた地政学上の宿命を受け入れ、したたかに健気に生きている英知がある。
 ネパール国民は仏教をあつく信仰している上に向学心が高く、親切で日本人を尊敬している。
(宮崎正弘 著『地図にない国を行く』より)




No.1882『地球のはしからはしまで走って考えたこと』

 本には、著者の肩書きが「アドベンチャーランナー」とあり、これって何と思いました。そのような経木があることを、まったく知りませんでした。
 この本によると、「実際のところ明確な定義はないが、「砂漠、山岳、極寒の氷雪、ジャングルなど厳しい大自然を舞台に道なき道を進む」、「賞金なし」、「自給自足のセルフ サポート」が基本ルールの世界一過酷なマラソンのことだ。多くは距離200キロ以上のステージ制で、毎日決められた距離を設定時間内に走る。夜は同じ場所で選手一同が野営し、翌朝一斉にスタートする。そして各ステージの総合タイムで順位を競う。」と書いてあります。
 たとえば、最初にチャレンジした「ゴビ・マーチ」の場合は、48キロ、40キロ、40キロ、41キロ、67キロ、14キロの6ステージに分かれ、合計250キロとなっていて、各ステージには「チェックポイント」が設けられており、水の補給のみが許されているそうです。つまり、それ以外は自分で持って走らなければならないそうで、その途中で何が起きても自分の力だけで切り抜けなければならないという過酷なレースです。
 私も修行をしたからわかりますが、修行中はある一定の範囲から出ることは許されず、一番困るのは病気やケガなどをしたときです。そこから出られないというのはまさにそのことで、このアドベンチャーランナーの場合には「万が一に備えてドクターもいて、足のマメが潰れたり、爪が剥がれたり、捻挫ゃ骨折した際に治療をお願いすることができる」そうです。しかし、修行の場合は、それもないのです。一度、そこから出れば、最初からやるしかありません。
 この本を読んでいて思ったのは、どんな世界も最初にチャレンジする方はたいへんだな、ということです。まさに、右も左もわからない状態ですから、やってみないと何もわからないわけです。少し進んでは戻り、あるいは方向転換をし、次に進むしかないのです。しか、このアドベンチャーランナーの場合は、主催者によって、かなり内容が違うようで、それらのことも毎回考えなくてはならないとすれば、やはりたいへんです。
 このような状況のなかで、たとえば2015年にチャレンジした「ザ・トラック」というオーストラリアの荒野を521qを走ったとき、「ここから少し勝負してみようと3位集団についていくことにした。現状の順位や走りに慣れてしまった体に鞭を打つことで、自分の中の未知なる潜在能力を引き出したかった。長く走っていると、つい今のポジションを守るという理由をつけて、現状維持に慣れてしまうことがある。そのまま放っておくと守り一方になる。それが習慣になることは嫌だ。」と書いています。
 どんな状況のなかでも挑戦し続けるという意識が大切だと、思いました。これでいいと思った瞬間から、あとは惰性で動いてしまいます。そういう意味では、アドベンチャーランナーだけでなく、いろいろなものに挑戦しようとする方々にも大きなヒントを与えてくれそうな気がします。
 下に抜き書きしたのは、地球のはしからはしまで走って知り合った人たちの生き方です。
 たしかに、世界中にはいろいろな人たちがいますが、とくにアドベンチャーランナーをしようとする人たちには、「ろくに走れなくても長距離レースに参加する人、60歳を超えてもなお高みを目指す人、言葉が話せなくても海外レースに飛び込んでいく人」などがいたと書いています。
 たしかに、何ができないから、というのはできない理由を探しているだけかもしれません。本当に前に進む人たちは、いい意味で前のことしか考えないからできるようです。
(2021.1.20)

書名著者発行所発行日ISBN
地球のはしからはしまで走って考えたこと北田雄夫集英社2020年10月31日9784087880465

☆ Extract passages ☆

 みんなまわりの目なんで気にしてはいない。目分はできない、自分は弱い、そのことを真正面から受け入れた上で自分なりの挑戦をしている。決して独りよがりではない。家族や友人に感謝しながら生きている。過酷な自然環境で死をリアルに感じるから、むしろ生きるありがたみをより深く感じている。プライドや見栄など無駄な飾りや邪念は捨てて、ただ人間としての命をまっとうしようとしている。そんな人たちに出会うことで、僕も「この命をどう使い切るか」と本気で思うようになった。
(北田雄夫 著『地球のはしからはしまで走って考えたこと』より)




No.1881『世界を変えた100のスピーチ 下』

 私が思い出すスピーチといえば、バラク・オバマが「イエス ウィ キャン!」といったことを思い出しますが、たまたまそれがこの本でも取りあげられていたので、図書館が借りてきました。読み始めて気づいたのですが、これは下巻で、ということは上巻もあるはずで、ネットで調べてみると、2020年9月19日に発売されていました。これは、何らかの機会にぜひ借りてこなければと思いました。
 スピーチや演説は、たった一言で世界を大きく変えることができます。おそらく、この本で取りあげられているスピーチは、そのような力を持っていると思いながら、読みました。でも、思いつきで話したことが残るというのは案外まれなことで、何度も何度も推敲して話されたことが多いと思いました。たとえば、初めて月に降り立ったニール・アームストロングの「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」というコメントは、いくつかの説があるようですが、本人は月面陸船から月に降りるのを待っているあいだに考えたと語っています。しかし、彼の弟のディーン・アームストロングは、アポロ11号の打ち上げの数ヶ月前に原稿を作っていたと明かしています。あるいは、NASAの広報担当者がその場にふさわしい感動的な言葉を考えてアームストロングに託したという人もいます。
 でも、いずれにしても、多くの人たちに感動を与えたことに違いないことだけは本当です。英語では「One small step for [a] man,one giant leap for mankind.」というそうですが、やはり本人の話した言語で聞いたほうが、より良く聞こえるような気がします。
 それにしても、この本に書いてあった「地球の大気圏外に人間を運び、宇宙空間にある別の天体に降り立たせることが1969年にはどれほど並外れた大事業だったかを、私たちはつい忘れてしまう。宇宙飛行に必要な技術の大半は1から開発されたもので、そのほとんどは初期のミッションで試験済みだったとはいえ、今日の基準から見れば、その多くはまだ初歩的なものに過ぎなかった。たとえばアポロの誘導コンピューターのメモリは64キロバイトしかなかった。アームストロングが月面の安全な着陸地点に向かって月着陸船を操縦していたとき、コンピューターが過負荷の状態になったのは無理もなかった。」ということは、自分もパソコンを組み立てて使っていたので、よくわかります。メモリーの64キロバイトというのは、0.0625メガバイト(MB)で、今のメモリーは桁違いのギガバイト(GB)やテラバイト(TB)を普通のパソコンでさえ使っています。だから、その程度の機能のコンピューターで月に着陸し戻ってくるというわけですから、すごいことだったと理解できます。
 また、世界を変えたスピーチのなかには、つい口を滑らせてしまったものもあるようで、たとえばビートルズのジョン・レノンが1966年8月12日に「僕らはイエスより人気がある」と発言したことが新聞などに掲載され、大きな騒ぎになったこともありました。そして、その10年後に、その発言に憤ったマーク・チャップマンはジョン・レノンの背後から4発の弾丸を撃ち込んで殺害したといいます。まさに、命取りの一言だったわけです。
 下に抜き書きしたのは、フェイスブックの創業者であるマーク・ザッカーバーグがハーバード大学の卒業式の式辞のなかで述べた言葉です。この言葉は、月に人類を送るために30万人以上が働いたことや、世界中の子供たちにポリオの免疫をつけるために数百万人のボランティアが活動したこと、そして数百万人以上がフーバーダム建設に協力したことなどを紹介したあとに述べたことです。
 彼は2017年にハーバード大学の名誉学位が授与され、卒業する学生たちに式辞を述べましたが、そういえば、あのマイクロソフトを友人のポール・アレンといっしょに創業したビル・ゲイツも同じハーバード大学を中退したのですが、2007年に名誉学位を授与され、その卒業式のときに式辞を述べているのだから不思議なものです。
(2021.1.18)

書名著者発行所発行日ISBN
世界を変えた100のスピーチ 下コリン・ソルター 著、大間知知子 訳原書房2020年9月30日9784562057870

☆ Extract passages ☆

今度は私たちが偉大なことを成し遂げる番です。みなさんはおそらくこう思っているでしょう。ダムの作り方など知らないし、百万人もの人々が関わる事業をどう始めればいいのかもわからないと。
 しかしひとつ秘密を教えましよう。最初は誰にもわからないのです。アイデアは完全な形になってから浮かんでくるわけではありません。取り組んでみて初めて明確な形が見えてくるものです。だからとりあえず始めてみる必要があります。
 映画や大衆文化はその点で大きく間違っています。アイデアが一瞬にしてひらめくという考えは危険な嘘です。それではアイデアが浮かばないうちは、何もできないと思ってしまうでしょう。すぐれたアイデアの種を持っている人が、一歩踏み出すのを妨げることになります。
(コリン・ソルター 著、大間知知子 訳『世界を変えた100のスピーチ 下』より)




No.1880『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』

 毎年、お正月には餅をのどにつまらせてしまう事故が多くなりますが、それ以外でも、私の経験では一度むせかえるとなかなかのどがピリピリして治らないことがあります。もしかすると、それなども飲み込む力が弱まってきたからではないかと思っていたら、この本を見つけました。
 なんとも強烈な題名ですが、たしかに胃瘻や点滴などの食事以外での栄養補給ではなんとも味気なそうです。もし歯がなくなったとしても、やはり口から食べたいというのが本音です。そのためには、と思いながら、あっという間に読んでしまいました。この時期は、朝夕は静かなので、読書時間はあります。
 食べるということはとても巧妙な仕組みだそうで、この本では「食べ物を口に入れ、咀嚼してのどに送り、それらを飲み込むときには、「喉頭を上げる(のど仏が上がる)」→「気管の入り口を閉じる」→「食道を開く」→「食べ物を食道へ送り込む」という一連の動きが、わずか0.5〜0.8秒の間に行われています。なんと1秒にも満たない時間で、この複雑な動きがなされているのです。」と書いてあり、さらに、むせるというのは、この「奇跡のような連携ブレーは、ほんの少しでもタイミングがずれるとうまくいかなくなります」といい、そのサインがむせるということだそうです。
 つまり、本来なら食道に送られるはずの食べものが気管のほうに落ちてしまったこで、むせたり、せき込んだりするということです。だから、すぐに困るということではなく、のどの機能が落ち込んでいることのサインですから、気を付けたり、のど筋トレなどをして飲み込む力を回復させなければならないということです。
 そういえば、新型コロナウイルス感染症の流行でうがい薬を使う機会が増えていますが、この本では、それについても注意を促しています。それは、「実は、感染予防という目的であれば、水うがいで十分です。口やのどの乾燥を防いで免疫カアップにつながりますし、水がのどの粘膜に付着した細菌やウイルスを洗い流してくれます。殺菌消毒効果が強いうがい薬は、病原菌だけでなく口の中にいる有用な菌まで殺してしまうので、咽頭痛が生じます。長期間使用していると、国の中の細菌バランスを崩してしまうことが指摘されているので、頻繁に使用することはおすすめできません。」と書いています。
 そして、水うがいだけで心配なら、緑茶でうがいすることを勧めています。たしかに、緑茶にはカテキンが含まれ、それは風邪などのウイルスを殺す強力な殺菌作用があるといろいろなところで言われています。孫に聞いたら、小学校でも実践しているそうで、これはぜひ実行したいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、のど周辺の筋肉も衰えるのものどの老化サインだそうです。
 最近は、新型コロナウイルス感染症の影響で、三密だけでなく、会食するときには少人数で、あまり話しをせず、短時間ですませるようになどといわれ、どうも声を出す機会が少なくなってきているように感じます。だとすれば、別な方法で声を出すようにしなければと思います。
 たとえば、音読をするとか、誰もいない自然のなかで歌を歌うとか、工夫次第でいろいろありそうです。もちろんカラオケでもいいわけですが、室内のカラオケで感染が拡がったというニュースを聞いたことがあるので、なるべくなら野外のほうが良さそうです。
(2021.1.15)

書名著者発行所発行日ISBN
誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい(幻冬舎新書)西山耕一郎幻冬舎2020年11月25日9784344986077

☆ Extract passages ☆

「声のかすれ」や「人とあまりしゃべらない」ことと同じなのですが、「声が小さくなること」も、のどの老化サインです。
 声帯は声を大きく出すほど大きく動きます。もともと声が小さい人は、それだけのどが老化しやすい、ということになりますし、年をとって大きい声が出せなくなった場合は、のどの筋肉が衰えているサインです。
 声帯を動かす筋肉は、いくつになっても鍛えることができますし、使うほど強くなっていきます。ふだんから声が小さいと指摘される人も、大きな声を出せるように、のど筋トレを行うことをおすすめします。
(西山耕一郎 著 『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』より)




No.1879『自然に生きる力』

 著者はモンベル創業者で、副題は「24時間の自然を満喫する」で、英語で「Do what you like.Like what you do.」とも書いています。
 この意味は、「好きなことをやりなさい。そして、やっていることを好きになりなさい」ということだとこの本には書いてあり、これはアメリカの友人から教えてもらった言葉だそうです。そして、自分では「それが何であれ、自分で選んだ道なのだから、もっと楽しみなさい」というメッセージだと解釈しているそうです。
 たしかに、自分のしたいことを探して悩んでいる方もいますが、すんなりと見つかることも少ないような気がします。だとすれば、縁があって今の仕事に就いたのだから、それを好きになることも大事なことのような気がします。著者は、自分が好きな山登りの道具をつくるために今の仕事に就いただけのことで、この本のなかでも「登山家のための商品をつくること」が自分のやりたかったことだと書いています。
 私もモンベルのものを使っていますが、たしかに機能的だし、使いやすいと思います。以前はちょっと高いと思いましたが、これだけの機能性をもとめれば当然の価格だと最近は思っています。とくに、海外に行くとわかりますが、Tシャツなんかはとても乾きやすく、夜に洗濯すると次の朝には着ていくことができます。ただ、野点セットは、あまりにも高くて、これを使ってお茶を点てようとは思いません。お茶を点てるに絶対に必要なものは、お抹茶と茶筅です。茶杓なんかは、プリンの匙でも代用できますし、茶碗だってなんでも使えます。とはいうものの、10年ほど前から、プラスチックの容器に入るような筒茶碗の小さめなものを持って行くと、今、お茶をしているような雰囲気になれます。
 茶杓は、自分で削って、小さめなものを持っていきます。お菓子は以前は現地で探して見繕いますが、もし見つからなかったら困るので、海外の場合などは虎屋の一口羊羹を持っていくことがあります。
 私も山は好きなのですが、著者は「山が好きな理由はいくつもありますが、そのひとつが「登山には勝ち負けがない」ことです。「100メートルを何秒で走れるか」を競い合うものでもなければ、相撲や柔道のような勝ち負けもありません。登山にはさまざまなスタイルがあるし、天候や季節によって条件が違います。優劣をつけることにあまり意味がない。登山も冒険も、人と比べるものではなく、自らへの挑戦です。」と書いていますが、たしかにそうです。ところが高校で山岳部に入っていたとき、登山にも点数をつけようということがあり、テントの張り方やザックのパッキング、さらには登山の時間なども参考にするということでした。私が部長だったこともあり、そんなことに左右されずに、純粋に登山そのものを楽しもうと部員に話したことがあります。
 著者は、この本のなかで、自分の手相を「マスカケ線」であるといい、この手相の持ち主は「お金に不自由しない人」だそうだと書いています。でも、実際にはお金に不自由しないのではなく、お金に不自由したと思ったことがないだけだといいます。たしかに、あるないというのは、主観的なもので、不自由を感じなければそれでいいと私も思います。そして、じつは私も「マスカケ線」があり、手相の本を初めて見たときにビックリしたことがあります。
 下に抜き書きしたのは、コメディアンの萩本欽一さんの話しから、いっそ台本を捨ててみることも大切ではないかと書いてあるところです。
 どうも、台本があると少しの寄り道もできなくて、なんとなく型どおりに進むだけです。間合いも、計ったようなもので、隙がないだけにおもしろみもありません。そういえば、山なども気候に左右されるだけでなく、自分の体調にも、いっしょに登る人たちの思いにも左右されるので、登るたびごとに違います。だから、おもしろいし、また行きたいと思うのかもしれません。
  (2021.1.12)

書名著者発行所発行日ISBN
自然に生きる力辰野 勇KADOKAWA2020年11月25日9784041093788

☆ Extract passages ☆

 台本通りにいかないのが人生です。そこをアドリブで切り抜けていくのが醍醐味です。大きな目標を決めたら、あとはその時々で瞬問的に判断し、決断をしながら対応しなけねばなりません。
 台本をあてにしすぎると、予想外の事態が発生したときに、うろたえてしまうことがしばしばあります。……
 そもそも、野遊びには台本がありません。自然の中は、予定外のことばかり起きます。台本があったほうが実力を発揮できる人もいれば、私のように、ないほうがうまくいく人間もいます。
 いっそのこと、台本を持たない人生を楽しんでみるのもいいかもしれません。
(辰野 勇 著 『自然に生きる力』より)




No.1878『「食」の図書館 豆の歴史』

 この『「食」の図書館』シリーズは、少し前に『「食」の図書館 コーヒーの歴史』を読んだことがあり、カラー写真などが多く掲載されていて、とても読みやすかったのを思い出しました。それで、即、読むことにしました。
 著者は、フードシステム・インストラクター、食と文化の研究者、料理研究家などの肩書きが書かれていて、現在はアメリカのアリゾナ州に住んでいるそうです。
 この本を読んで、一番びっくりしたのは、「訳者あとがき」にも書いてありましたが、「豆は負け犬」という書き出しです。日本では、豆は主役ではないものの、間違っても負け犬などと表現されるものではなく、むしろ好意的に思っている方がほとんどだと思います。もし、豆がなければ、日本の料理は考えられないと考えている人すら多いのではないかと思っています。
 それなのに「負け犬」という表現は気になりますが、その後を読むと、欧米の人たちにとっては肉が主役であって、豆類は肉を食べられない「貧者の食べもの」だと考えられたからのようです。この他にも、これは違うということがありましたが、外国人の書いたものを読む楽しみは、ものの考え方の違いが浮彫にされたり、意外な発見があったりするので、それは楽しみのひとつです。
 たとえば、日本人にはなじみ深い小豆に関しても、この本では「アジアの食文化でよく見かける小豆は、もっぱらお菓子の材料として利用されている。小豆はおよそ1000年前に中国から日本に伝わり、どちらの国の料理にも欠かせない素材となった。その後、韓国、インド、台湾、タイ、フィリピンにも普及した。繊細な風味に加え、小豆を入れた料理が深い赤に染まることからとりわけ重宝されている。中国では春節(新年)など祝日用のお菓子作りに小豆が用いられる。小豆を煮て砂糖を加えた餡と呼ばれる練り物は、饅頭や餅菓子に詰めたりのせたりする。水に浸せば大豆のように豆乳になり、炒ればヌニャのようにスナックになり、焙煎すればコーヒーの代用にもなる。」と説明していますが、なんとも歯がゆい解説です。日本人だったら「餡を饅頭や餅菓子に詰めたりのせたりする」といわれれば、すぐ餡子の饅頭や大福などを思い浮かべますが、他国の人ならすぐには理解できないてしょう。ましてや、焙煎してコーヒーの代用になるといわれても、飲みたいと思う人はいないはずです。
 そういえば、ネパールに初めて行ったときに、彼らの食事にも豆は欠かせないものでした。毎日、ダール豆を煮込んだスープ、これを「ダール」といいますが、日本の味噌汁のように食べます。ときには、日に三度も食事のたびに出ることもあります。ネパールの友人に飽きないのかと聞くと、こんなに美味しいものだから飽きるということはない、と言い切りました。まさに国民食のようなものだと思いました。考えてみれば、日本の味噌汁だって、その味噌の原料は大豆ですから、豆の仲間です。食べ方は違っていても、豆に対する思いというのは、やはり欧米人とは違うとこの本を読んでいて思いました。
 下に抜き書きしたのは、第3章「豆の文化」に書いてあった「新世界の豆」についてですが、それ以外にもこの時代に動いていったもののリストです。
 これをみると、今食べているものの多くが、この大航海時代にもたらされたことに驚くばかりです。もちろん、ここにも書いてありましたが、すぐに受け入れられたものもあれば、300年ほどの歳月がかかったものもあります。でも、七面鳥と煙草、そして豆だけはすぐに受け入れられたというから、やはりそこは豆の力です。
 もし、このあとにも『「食」の図書館』シリーズのなかで興味のあるものがあれば、読んでみたいと思いました。
  (2021.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
「食」の図書館 豆の歴史ナタリー・レイチェル・モリス 著、竹田 円 訳原書房2020年10月28日9784562058549

☆ Extract passages ☆

 大西洋を渡って旧世界に到来した品々は、そのほとんどが南米大陸原産だ。じつに壮観なリストを次に挙げよう。ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、アボカド、パイナップル、チョコレート、バニラ、コショウ、そして、金、銀、ゴム、チューインガム、キニーネ。リストには豆類も含まれる。ピーナッツ、バタービーン、リマ豆、ベニバナインゲン、いんげん豆などなど。
 新大陸も恩恵を受けた。コロンブスはのちにさまざまな品種の小麦、ひよこ豆、サトウキビをカリブ海諸島にもたらした。ヤムイモとささげは、旧世界の探検家たちがアフリカから奴隷を連れてくるようになったときに伝来した。
(ナタリー・レイチェル・モリス 著 『「食」の図書館 豆の歴史』より)




No.1877『吉岡幸雄の色百話 男達の色彩』

 この本は、なんと重い本かと思ったのが第一印象です。327ページですが、おそらく印刷をきれいにしようとして、紙質も選び抜いたからではないかと思います。
 そして、出版社を見ると世界文化社ですから、納得しました。それにしてもビックリしたのは、いくら物語の世界とはいえ、『源氏物語』のなかで光源氏が桜色の直衣を着て花見に行ったことが書かれているそうで、おしゃれというか、さすが雅なものだと思いました。
 この本のなかには、カラー写真が随所にあり、それだけでも初春らしい雰囲気の本でした。ただ残念なことに、著者の吉岡幸雄氏は2019年9月30日に心筋梗塞のために73歳で急死されたそうです。ですから、この本はちょうど1周忌にあわせて出版されたことになります。
 著者は、「吉岡幸雄の紫」ということも書いていて、そうとう紫色にはこだわっていたようです。ところが、この紫色を出す「紫草」という植物はやっかいで、花は白いのですが、その根に紫の色素を含んでいるそうです。しかも、2年以上育てないと根に紫の色素を蓄えないらしく、水分が多いと根腐れを起こしやすいといいます。でも、昔の人は、花が白花なのにその根が紫色の色素を含むということで名づけたということは、しっかりとその植物を見ていて名前をつけたのではないかと想像します。
 それにしても、染色というのは大変な作業です。たとえば、この紫色ですが、この本によると、「椿灰は紫の発色剤の役目を担う。工房の庭で、自家製の貴重な椿灰をつくるのは、代々大事な務めになっている。 深紫に染めるのに8日間の日数を要する。それも毎朝、紫草の根を叩いて、新鮮な染液をとらねばならない。 「紫は灰指すものぞ海石相市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢へる児や誰れ」 「万葉集』に、紫の染色方法さながらを詠んだ、男の恋歌がある。」と万葉集の歌まで紹介しながら書いていて、とても興味深く読みました。
 そういえば、山形県はベニバナの栽培が多いのですが、これを使って染める場合に必ず烏梅というものを使うそうです。これは、その名の通り、烏のように真黒な梅という意味で、しかも白梅の実を使ってつくるというから不思議なものです。現在では、奈良市の月ヶ瀬というところで作っているそうですが、たった1軒しかないそうです。しかし、この烏梅がないと紅花の鮮烈な赤い色にはならないそうで、伝統的なものはさまざまなところで支えられていると感じました。
 たとえば、染色で使う灰汁ですが、これはわら灰から作るのですが、その残りの灰は捨てるのではなく、ある程度貯めておいて、春から夏にかけて陶芸家が釉薬に使うためにもらいに来るそうです。つまり、わら灰から作る灰汁も灰も、それぞれに使い道があるということです。
 下に抜き書きしたのは、天平勝宝4(752)年4月に東大寺大仏殿の開眼法要の導師を努めた菩提僊那僧正のことです。
 彼は、インドから中国、そして奈良の都へとやって来ただけでなく、聖武天皇に請われて、大仏開眼という大儀式を担った僧侶です。そのときの開眼で使ったのが「開眼縷(る)」で、そのことを初めて知っただけでなく、東大寺1250年慶讃大法要で使ったこの五彩の「開眼縷」の写真を見て、その色合いの素晴らしさにも感じ入りました。
 そして、今でもこのような復元ができる方がいらっしゃるということに驚きました。
(2021.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
吉岡幸雄の色百話 男達の色彩吉岡幸雄世界文化社2020年9月30日9784418204151

☆ Extract passages ☆

 その盛大な儀式の演出に、色彩に関して興味深いものがある。「開眼縷」という紐のことである。僊那(菩提僊那僧正のこと)は儀式の頂点を、開眼、すなわち大仏の眼に筆を入れる場面と考えた。大仏の眼に筆を入れる瞬間の喜びを、1万人もの参列者に伝えるのに、大仏の顔に近づいて、自らが墨の筆を握り、入れる。その筆には縷、すなわち長い紐が結びつけられていて、その紐は大仏殿の前庭に参集した人びとに長く幾本となくのびている。それを皆が手にとり、眼に墨を入れる感動を分かち合い、功徳にあずかるという工夫であった。
(吉岡幸雄 著 『吉岡幸雄の色百話 男達の色彩』より)




No.1876『人類はパンデミックをどう生き延びたか』

 今年最初の本を何にしようかと思いましたが、先ずは仕事に合間に読むので手軽な文庫本にして、それから昨年は新型コロナウイルス感染症の拡がりが続く中で、年末年始も不要不急の自粛だったこともあり、この『人類はパンデミックをどう生き延びたか』を選びました。
 あらためて、感染症は歴史をも変えてしまうような大きな影響を与えたことがわかり、そして、おもしろいと思ったのはその感染症を人命を救うためにつかったことがあると知り、興味を持ちました。それは、1943年のナチス時代のローマで実際にあったことで、この本には、「当時、ローマ市内を流れるテヴェレ川の中州には、修道院が経営する「ファーテ ベネフラテッリ病院」が建てられていたが、10月16日を境として、そこには「K症候群」という正体不明の病気の治療を受ける患者たちが増えていった。結核を意味するイタリア語と発音が酷似していることから、ファシスト党政権の軍警もナチス兵たちも感染を恐れ、K症候群患者が収容されている病棟には近づこうとしなかった。」と書いてあります。
 しかし、この病院にもこの年の10月末にナチス兵が病棟内の捜索にやってきたことがあったそうですが、スタッフの冷静な対処で、その惨状を聞いただけではやめに切り上げて帰ったそうです。つまり、これは「医長ジョヴァンニ・ボロメオをはじめ、心ある医療スタッフや修道士たちの狙いで、K症候群はユダヤ人を匿うために考案した偽りの病気だった」ということです。でも考え方を変えれば、感染症はそれほど怖い存在だったということです。
 この本のなかには、その怖さがこれでもかというほど書いてありますが、あの有名な」メイフラワー号」が1620年12月26日にマサチューセッツ湾沿岸部に接岸したときには、その地域の原住民はスペイン人などが持ち込んだ天然痘に感染して、ほぼ全滅していたということです。そのことを、ピルグリム・フアーザーズは「神が感染症を遣わして、われらの行く手を清掃し給うた」と言ったそうで、武力の行使も物々交換をすることもなく土地を手に入れたことに感謝の祈りを捧げたと書いてありました。
 しかも、このことを知った植民者たちは、友好を装い、天然痘患者が身にまとっていた毛布を贈りったというから言葉を失います。まさにこれは現代の生物兵器そのものです。
 これとは逆に、感染症が拡がったことで、大きな発見をした人もいて、それはアイザック・ニュートンです。彼は、リンゴが木から落ちるところを見て「万有引力の法則」を発見したという話しは有名ですが、実はこの話しには感染症も関係しています。というのは、彼の故郷は東イングランドにある田舎町ウールスソープでしたが、「二ユ―トンは、19歳のときにケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。出だしこそよくなかったが、学びのコツを身につけてからは他の追随を許さない成長を見せ3年余りで卒業。その後は同大学で数学を教えることになっていたが、折あしくペストの流行により大学が一時閉鎖されたので、ニュートンはウールスソープに戻り、静かに研究生活を送る。そのなかで大発見に至ったのである。」ということです。
 そういえば、昨年の3月から6月にかけて、多くの学校で臨時休校や閉鎖があり、行きたくても行けないような状況が続きました。ニュートンは教えるほうの立場とはいえ、同じように閉鎖で1年ほど行けなかったわけですが、この間に「万有引力の法則」だけでなく、数々の発見をしているそうです。私もニュートンが学んだトリニティ・カレッジやそのリンゴの木を実際に見ましたが、写真を撮っただけですから、やはり同じには考えられないようです。
 下に抜き書きしたのは、祇園祭や茅の輪くぐりの由来で、これももともとは863年に咳逆(がいぎゃく、インフルエンザ)が流行したことから始まったようです。
 この話しは、いろいろなところでバリエーションもありますが、流れはほとんど同じようなものです。ちょっと長いですが、ここに書き出しますので、興味のある方は読んで見てください。
  (2021.1.3)

書名著者発行所発行日ISBN
人類はパンデミックをどう生き延びたか(青春文庫)島崎 晋青春出版社2020年5月20日9784413097543

☆ Extract passages ☆

 祗園とは京都祗園にある八坂神社のことで、祗園の神とは「武塔神」を指す。これは「素戔嗚尊」の別名で、生前の仏陀が暮らした祗園精合の守護神「牛頭天王」とも同一視される。
 この神と感染症の関係については、「出雲国風上記」と同時期に編纂された「備後国風上記」逸文に次のような話が見られる。
 北の海の住む武塔神が南海に住む女神を訪ねていったとき、途中で日が暮れてしまった。そこで蘇民将来と巨旦(こたん)将来兄弟がいる集落で一夜の宿を借りようとしたところ、裕福な巨旦将来には断られたが、貧しい蘇民将来からは温かくもてなされた。
 それから数年後、他の神々を従えた武塔神が蘇民将来の家を訪れ、茅でつくった茅の輪を贈り、蘇民将来の子孫はすべてこれを腰に着けておくようにと告げて立ち去った。後年、感染症が流行したとき、茅の輪を着けた蘇民将来の子孫以外の者はみな死んでしまった。
 869年6月の祇園御霊会はこの神話を受けて開催されたもので、現在も多くの神社で「茅の輪くぐり」という病除けの神事が行われ、「蘇民将来之子孫也」などと記された護符の類が売られているのも同じ理由による。
(島崎 晋 著 『人類はパンデミックをどう生き延びたか』より)




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