☆ 本のたび 2021 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.1896『レイシズム』

 この本の初出は、1940年にアメリカの Modern Age 社から出たそうで、その後、イギリスやアメリカの改訂版などが出て、著者が亡くなった1948年後も1959年版、2019年版などが出版されているそうです。
 この『レイシズム』は、講談社学術文庫のための新訳で、とても読みやすく感じました。そもそも著者のルース・ベネディクトは、『菊と刀――日本文化の型』の著者としても知られ、これは今も絶版にならずに読まれ続けているそうです。
 おそらく、だいぶ前に読んだような気もしますが、新訳ということで読み始めました。でも、トランプ前大統領のときにレイシズムの兆候のようなものがあったので、改めて深く思うものがありました。第1部の「人種とは何か」のなかで、はっきりと人種と国家領土とは無関係だし、それらの理由もはっきりと書いています。そして第2部では「レイシズムとは何か」と具体的な内容に踏み込んでいます。
 この「レイシズム」を辞書で引くと、「人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然であるという思想」とあり、いわゆる人種主義です。これに対して、著者は、「ある民族集団が先天的に劣っており、別の集団が先天的に優等であるように運命づけられている、と語るドグマ」のことであるといいます。
 これは、おそらく人種的偏見を持った民族主義のようなもので、この本には、これをはっきりと否定し、「人種というのは遺伝によって受け継がれた身体的特徴の組み合わせに過ぎず、大昔に野蛮であったこととか、現代において立派な文化を誇っていることとは関係がない。かつて粗野な生活を送っていたとしても、その人種が現在においても劣等であるということには決してならない。」と書いています。これ本が、第二次世界大戦のさなかに書かれたことにびっくりします。そして、その後の歴史を知っている私たちにすれば、その洞察力はすごいものがあります。
 たとえば、昨年のアメリカ大統領選挙のときでも、このレイシズムを感じました。あのアメリカ議会に乱入したときの映像を見たときに、これが現代のアメリカなのか、と驚愕しました。そして、この本の「この世界の現況では、あらゆる差別を撤廃するなんて全く実現不可能なことと思われるだろう。しかしこれは単に人種差別をなくすためだけのプログラムではない。ただマイノリティの人権を法律によって保護するよう求めているのでもない。少数派の生活を保障することは、 マジョリティの側も、つまり今のところ迫害する側に立っているひとも、将来の生活について安心できるよう仕組みを作ることである。そうでなければ、どんな条文も、保護政策も、結局はまた新たな犠牲者を、絶望を忘れるための生贄を探し出してくることだろう。」と書かれたところを読んだときには、まったく今でも同じような問題を抱えていると感じました。
 人を更生させるということも同じで、とくに若者の場合は家庭内に問題があり、結果的にそこから非行に走ることが多いようです。だから、1対1で話しをして、相手の不満などを優しく聞いていると、だんだんと相手も変わってきて、話しを聞くようになってきます。そして、そこに信頼関係が築ければ、あるとき、ピタッと非行が止まることもあり、何度か私も経験をしたことがあります。やはり、その相手の環境を変えることが大切で、次に一人じゃないことを気づかせることも大事な要素です。
 また、人それぞれに長所と欠点を持っています。その長所を伸ばすということも相手が成長するためには必要なことです。この本にも書いてありましたが、私たちの視力は欧米人とほとんど変わりはないようです。でも、ネパールに行ったときに、まだ飛行機は来ないだろうと言ったら、もう、山の端のところまで来ているとシェルパの人が言いました。でも、私にはまったく見えません。それから少し経ってから飛行機の音が聞こえてきて、やっと見えるようになったのです。おそらく、彼らの目の視力は少なくても4.0ぐらいはあると思いました。
 下に抜き書きしたのは、第8章「どうしたら人種差別はなくなるだろうか?」の「人種差別をなくす方法」に書いてあったものです。
 このような文章を読むと、まさに今もこの本に書いてあることが何度も起こっていることがわかります。そして、「人種差別をなくす方法」をいつも考え、いかに民主主義を護っていくかと同じように継続的に実行していくことの大切なのかが実感できます。
 この本を読んで、ほんとうに良かったと思いました。皆さまにもお勧めいたします。

(2021.2.25)

書名著者発行所発行日ISBN
レイシズム(講談社学術文庫)ルース・ベネディクト 著、阿部大樹 訳講談社2020年4月8日9784065193877

☆ Extract passages ☆

 異人種に対して本能的な敵愾心があるのだとか、目に見える差異があるから反発するのだとかは机上の空論であって、人種差別の本質を考えるうえで大した意味はない。人種の対立を理解するためには、人種とはなにかではなく、対立とは何であるかを突き止める必要がある。人種差別として表面化したものの奥に、あるいはその根本に何があるのかを知る必要がある。文明を自負する私たちが差別をなくそうとするなら、まずは社会の不公正を解決する手立てを見つけなくてはならない。人種とか宗教に寄りかかるのではない形で不公正を是正して、そのことを一人ひとりが共有財産とする必要がある。権力の無責任な濫用をなくし、日々の尊厳ある生活を可能にしてくれる方策ならば、それがどの領域で行われるのだとしても、人種差別を減らす方向に働くだろう。逆に言えば、これ以外の方法で人種差別をなくすことはできない。
(ルース・ベネディクト 著『レイシズム』より)




No.1895『科学とはなにか』

 このBLUE BACKSシリーズは、よく読みますが、ちなみに本棚をチラッとみただけで、30数冊はありそうです。ということは、科学に興味や関心はあるということなのかもしれません。
 この本の題名にも『科学とはなにか』とありますし、副題は「新しい科学論、いま必要な三つの視点」とあり、おもしろそうだと思い、読み始めました。特に、東日本大震災で福島第一原発の事故があり、その信頼も少し揺らいできているように思います。また、科学者と一般の人たちとの距離感もあり、何をどのように研究しているのかさえもわからないという人さえいます。
 この本では、科学技術のガバナンスとして、「もう少し過激な表現を使えば、科学技術をいかに「飼い慣らす」かともいえる。基礎研究であろうと実用化された技術であろうと、科学技術は時に人々に大きな被害を与える。原爆のようにもともと人を殺傷することを目的として開発されたものに限らず、原子力発電のように本来は人々の生活を豊かで快適なものにすることを目的にしていた技術であっても、事故が起これば多くの人々の生活を破壊する。科学技術を活かすも殺すも、その社会的デザイン(飼い慣らし方)によるところが大きいのだ。もちろん、このデザインを考えるのは、科学技術の「外側」の人間だけの役目ではない。専門家たちも重要なプレイヤーである。ぼくたちは、科学技術は暴走するものとして、事故を起こすものとして、さまざまなバッファーを用意しておく必要がありそうだ。」と書いています。
 たしかに、2011年の東日本大震災のときの福島第一原発の事故は、多分に人災的なものもありそうです。それまで、原発は絶対に安全だという神話は、科学者の方から発信されたから信じたわけで、もし政府や官僚の方からだけ発信されたとしても、ある程度は疑っていたかもしれません。それほど、科学者の言葉には重みがありました。
 でも、今は、政府や官僚などと同じように、科学者の言葉といえども懐疑的にみるようになったと思います。
 この本のなかで、科学者と一般人との間にある、ある種のわかりにくさを解消するために、日本建築の「縁側」のような考え方を活用しようと提案していますが、これはいいことだと思います。「公と私のあいまいな境界に、日本の家屋は「縁側」を設置している。公式にその家を訪問する人は、表玄関から自身を名乗って入らなければいけない。しかし縁側では、裏口からご近所さんが入ってきて、一緒に座ってお茶を飲んでほっこりしたりしている。それが許されるあいまいな領域が縁側だ。日本における専門家と一般社会の関係を見ると、科学技術と社会のあいだにも縁側があるように思える。これをもっと活用しよう。」とあり、越えがたい垣根を取り払うためにも、これは大切なことだと思います。
 そもそもこの本はもとは、2018年9月から2020年3月までに講談社のウェブサイトに掲載された11回の連載ですが、最初はそれをまとめて1冊にする予定だったようです。でも、なかなか統一感のある1冊にはならず、新たに書き下ろすようなつもりで再編集したものです。なかなか手が込んでいますが、科学という大きなくくりの中でまとめるわけですから、大変だったようです。これらのことは、「あとがき」に詳しく書かれていましたが、ある意味、この本の内容にはあまり関わりないことですが、本をつくるということからすれば、とても興味のあるものでした。
 下に抜き書きしたのは、今はあまりにも当たり前になっているスマホのカメラですが、その開発秘話です。
 読んでしまえば、なるほどと簡単に思ってしまいますが、その着眼点はすごいと思いました。それこそ、科学と技術の融合、さらには使う人の視点というものではないかと思いました。
 あらためて自分が常に使っているスマホを眺めて、おそらくこのようなユーザー視点から開発され、しかもアプリなどもそうではないかと思いました。また、これからは、時計なども、いろいろと機能が加わり、いろいろな使い方が生まれてくるような気がします。いわゆる、「スマートウォッチ」です。

(2021.2.22)

書名著者発行所発行日ISBN
科学とはなにか(BLUE BACKS)佐倉 統講談社2020年12月20日9784065221426

☆ Extract passages ☆

これは当時、J-フォンにいた電気工学エンジニアの高尾慶二が箱根でロープウェイに乗った際、乗り合わせた女性がせっせと携帯メールを打っているのを目撃し、目の前の景色の美しさを伝えているのならば、いっそ「携帯電話で写真を撮れるようにし、それをメールで送ることができたらもっと便利になるのではないか」と思いついたことに端を発している。
 興味深いことに、高尾は「開発者である前に、生活者である自分が最も欲しいと思う機能を具現化した」と述懐している。これはまさに、技術の新しい機能が技術開発側の視点ではなく、ユーザー側の視点からなされたことを示している。
(佐倉 統 著『科学とはなにか』より)




No.1894『大人のカタチを語ろう』

 著者は2020年1月21日にくも膜下出血で倒れて病院に救急搬送され、翌22日に手術を受けて、2月には退院されたそうです。おそらく、その後はリハビリなどをしていると思いますが、この新型コロナウイルス感染症が拡大するなかですから心配ですが、連載もされていますから、回復していることは間違いなさそうです。
 大人といわれて、私が一番考えるのは、仕事です。つまり、仕事をして家庭を支え、その仕事を通して社会とつながり、いくらかでも社会貢献をしたり人のために役立ちたいと思っています。もちろん、その仕事にはお金が絡んでくるのですが、私の学生のときの先生は、お金を第一義に考えてはならないとよく話しをされていました。それは、この本でも書いてあり、「金に翻弄される人間になるな、というのが、私の考えである。所詮、金は人間がこしらえた価値を量る道具でしかない。人間がこしらえたもので、人間が悲劇の中に立たされるのは、愚か以外の何ものでもない。……金は厄介なもので、持てば人間を傲慢にさせる。当人がそう思っていなくとも、言葉の端々や文章の中に、傲慢さは出る。金を持つ人間には、己のその傲慢さは見えない。」と書いていて、なるほどと思いました。
 たしかにお金がなければ生活はできませんが、それがすべてではないと思います。お金ですべてが買えるといった人がいますが、これこそ傲慢の極みです。
 絶対にそのような気持ちでこの大切な人生を生きたいとは思いません。
 また、この本の第4章「故郷」の引力のところで、旅について書いてますが、「旅をすることで人はさまざまなことを得るのだと思うが、旅の途上にあると、初めて目にする土地であればことさらに、その折々は興味を抱き、こんな人たちがいて、こんなふうに生きているのだ、と感心する。しかし夜になり、街の灯りが消え、安いホテルや木賃宿のベッドに横になり、天丼を見つめていると、――自分はなぜこんなふうに見知らぬ土地でこうしているのか? と問うことになる。若い時の旅は、何かを探し求めてきまようのだろうが、その興味、意欲が強いうちは、己のことをなかなか考えられない。それでも旅を続けていけば、否応なしに、人は己と対峙せぎるをえない。」と書いています。
 この文章を読んで思いだしたのが、私の友人で、若いときに海外を放ろうしていて、中東のある飛行場の近くの安ホテルに泊まったとき、急激な腹痛で七転八倒したそうです。病院に行くこともできず、ただ、3〜4日寝っぱなしでうなっていたとか、そのときに、自分はなぜこんなことをしているのかと自問自答したそうです。それから、彼はアメリカに渡り、したい仕事を見つけ、現在は自分が創業した会社の会長として後進の指導にあたっています。
 彼も、脳梗塞で倒れてから、リハビリをしてなんとか以前に近いところまで回復していますが、それをきっかけとして自己とあらためて対峙したのではないかと思います。やはり、何もないときに自分を見つめ直しなさいといわれてもなかなかできませんが、旅とか病気とか、普段の日常から外れたときにだと、できるようです。
 そういう意味でも、私はよく旅に出ますが、もちろん興味や関心があるからでしょうが、このような側面もあるのではないかと思っています。
 下に抜き書きしたのは、祈るという行為についての著者の言葉です。
 これは、友人かどうかは本に書いてなかったからわからないが、屈強な体躯の持ち主で、まずはくたばらないと思っていた彼が末期癌を患い、「俺は死なない。俺には"永遠"ってやつが見えてきた」と言い、その翌日に病院から亡くなったという連絡があったそうです。家族も身寄りもないので、医療費の片付けに病院に行ったときの看護師さんに言われたことです。
 たしかに、私も祈ることによって救われるということはあると思っています。

(2021.2.19)

書名著者発行所発行日ISBN
大人のカタチを語ろう伊集院 静集英社2019年12月10日9784087816709

☆ Extract passages ☆

「今までいろんな末期癌の患者さんの最期を見てきましたが、あんなにおだやかで、私には笑っているようにさえ見えた方は初めてでした」
「そうですか」
――それはあいつが何かに出逢ったからでしょう。と彼女に言っても理解しないと思った。
 私には彼が出逢ったものの正体はわからない。それが神でも、″永遠″でもかまわない。ただそれは、祈るという行為をはじめたことで何かが起こったのだろうと想像した。悪くはない気がした。
 男の一件から、私は積極的に神社仏閣に足をむけるようになった。かたちだけでもと、祈ることもはじめた。
(伊集院 静 著『大人のカタチを語ろう』より)




No.1893『和食の地理学』

 この本も何気なくとったのですが、たまたま去年の私の誕生日に発行されたので、読むことにしました。本を読むきっかけというのは、ある意味、何でもいいわけで、読もうとする後押しをしてくれればいいように思います。
 でも、読んでみて、なるほどと思うところもあり、最後は読んでとてもよかったと思いました。
 それと、食事にはアルコールがあれば、より楽しめるとも思いました。ある地方の名物料理も、その土地の地酒があれば、より印象深いものになりそうです。この本の著者は、かなりいけそうで、日本車だけでなく麦酒やワインなどにも精通していて、題名が『和食の地理学』なのに、第8章では「ブドウ園とワイナリーの文化的景観」のなかで、山梨の日本ワインに少しだけ触れ、あとはオーストラリアやイタリアなどのブドウ園やワイナリーを取りあげています。でも、その味の表現は、「すっきりしたコクのある、腰の強い味」などと日本酒に使うような言葉です。
 それがどうのこうのということではありませんが、私がまったく飲めない質なので、いささかうらやましくもあり、ついこのような言いぐさになるのかもしれません。
 私の友人のなかに、まったく飲めないのに、オーストラリアやニュージーランドに行ったときに、その土地のワインを買って帰国する人がいます。聞くと、お土産にすると喜ばれるといいます。たしかにたしなむ人にとっては喜ばれるかもしれませんが、もし、私が買ってプレゼントすると、飲まないことを知っているので、単に酔狂と思われるかもしれません。
 よく、お茶の宣伝などで富士山と茶畑などの写真がありますが、この茶畑の畝の形にも時代的な変化があるそうで、この本を読んで初めてわかりました。著者によると、「1つ目の種類は、……手摘みの茶ノ木のやや不規則な形状である。2つ目の種類は、かまばこ型の畝である。この形状は、各畝の両側から2人(多くの場合夫婦によって)がかりで、袋付の大きなハサミによって茶葉を刈り取った結果として生じた形である。……3つ目の種類は、茶葉を刈り取った後の畝がやや平坦に見え、また畝間の間隔が非常に狭いのが特徴である。平坦地や緩やかな傾斜の茶園に見られるこのような畝の形状は、人が乗って操作する、乗用茶摘み機による作業の結果としてできたものである。従って、比較的新しい形状でもある。」と3つの種類が載っています。
 ということは、イメージだけは2つめの手刈りのかまぼこ型ですが、今、普通に見られるのは、おそらく乗用茶摘み機による平坦な形ではないかと思います。
 茶畑でさえそうですから、昔のイメージからするとだいぶ変わってきた作業風景もありそうです。そういえば、身近な田んぼを考えただけでも、田植えは手植えから田植機械になり、農繁期などという言葉さえあまり使われなくなってきました。あっという間に終わるからです。収穫した稲を干すのもハセにかけたり稲ぐいにかけたりすることから、コンバインで収穫してそのまま乾燥機に入れておしまいというところがほとんどです。
 下に抜き書きしたのは、その稲の種もみについての話しです。
 近くに農家の方がいるので、ある程度のことは知ってはいましたが、契約農家の種もみ生産について詳しくは知りませんでした。おそらく、意外と知らない方もいるかと思い、ここに掲載しますので、読んでみてください。

(2021.2.17)

書名著者発行所発行日ISBN
和食の地理学(平凡社新書)金田章裕平凡社2020年12月15日9784582859621

☆ Extract passages ☆

 稲種センターでは、種もみをつくるための種もみを厳重に管理し、販売計画に従って契約農家に栽培を委託する。契約農家での栽培手順は食べる米の栽培と変わらないが、普通の3倍以上の手間が必要だという。例えば農家は毎日、早朝や夕刻に水田に入り、異質な稲を抜き取って品種の純粋さを維持する。こうして契約農家の種もみ生産は、高い発芽率と純粋な品種を維持すべく、細心の注意を払って行われるのである。
 このセンターの近くには、1坪(約3.3平方メートル)にも満たない区画が並んでおり、それぞれの区画ごとに、背の高い稲や生育度の違う稲が育てられていた。それぞれ違う品種の稲であった。花粉が混じって自然に交配が起こらないのかと質問したが、まずその心配はないという。品種ごとに稲の開花期が違うのが最大の理由であった。万一開化期の近いのがあれば、それを相互に近づけることはない。
(金田章裕 著『和食の地理学』より)




No.1892『こころの匙加減』

 何気なくとった1冊ですが、まさか100歳の方の本とは思いませんでした。たしかに、今では100歳も珍しくありませんが、副題に「100歳の精神科医が見つけた」とあり、現役の医師ということで、読んでみたくなりました。
 でも、この本が出版されたのは2016年ですから、現在は何をされているのかと思い調べてみると、桜美林学園のホームページに「橋幸枝先生(医療法人社団秦和会 理事長)が、2020年1月16日、享年103歳をもって逝去されました」と出ていました。なぜ学園のニュースに載っているのかと思い、さらに調べてみると、医師免許取得後、地元の病院勤務を経て、1953年に桜美林学園へ校医として2年間赴任されたそうです。そして、この本にも出てくる秦野病院は、1966年に神奈川県秦野市に開院し、そして開業医になったということです。
 ちょうど1年前のことで、なにがしかの縁を感じました。
 おそらくその当時は、精神病院というと、いったん入院するとなかなか出てこられないとか、閉ざされたイメージがありました。著者は、「年月が流れ、向精神薬の研究開発が飛躍的に進むと、薬の効果で良くなるケースが増え、従来の精神科の治療スタイルががらりと変わりました。そのため、「精神科の病棟は、より開放すべき」「長期入院は不要」「治療は入院より、通院で」という方針が国から打ち出され、私たちも従うことになりました。このように方針が大きく変わるときは、現場は少なからず影響を受けます。たとえば、本来は入院していたレベルの患者さんが、通院治療に切り替えたゆえに、事件や事故を起こしてしまうという例もありました。このような問題を見るにつけ、「絶対の正解」はないのだろうと思えます。」と書いていて、ひとつのことに執着しすぎると本当に必要なものを見失うといいます。たしかに、今、このときの大きな問題でも、解決策が見つかり、あれよあれよという間に良い方向に進むことがよくあります。
 今日も新型コロナウイルス感染症のニュースが流れましたが、この感染症だって、新型だから当然かもしれませんが、最初のころの症状や経過とだいぶ違ってきています。若者は無症状が多いといっていたのが、無症状だったとしても後遺症は残る場合もあるといいますし、ワクチンさえできれば怖くはないといっていたけれど、変異種には効かないかもしれないと変わってきたり、まだまだ本当のところはわからないようです。
 だとすれば、ニュースに一喜一憂するよりは、自分たちができる感染予防をしっかりする、つまり三密にならないようにするとか、手洗いやうがいなど基本的なことをするしかないようです。まさに、匙加減です。
 下に抜き書きしたのは、「さみしくなったら、緑を育ててごらんなさい」という暮らしの匙加減のところに書いてある文章です。
 私も植物は大好きで、たくさん育てているからわかりますが、春になって新しい芽が出てくるときは、ほんとうに嬉しいものです。毎日世話をしていると、毎日違う表情を見せてくれます。ただ、今は雪の中ですが、だからこそ、春の芽生えは飛び切り嬉しく感じるのかもしれません。
 そして、昨年もそうでしたが、自宅でこれら植物の管理をしていると、遠くに出かけることもできませんし、毎日が張りのある暮らしができます。ここでは、まだほとんどの植物たちは雪の中なのでもう少し待たなくてはならないのですが、早くあの可愛らしい新芽を見たいものです。

(2021.2.14)

書名著者発行所発行日ISBN
こころの匙加減橋幸枝飛鳥新社2016年9月16日9784864105125

☆ Extract passages ☆

 まず、観察力が磨かれます。これは脳を鍛えたり、認知症を遠ざけることにひと役買ってくれるでしよう。
 また観察することで想像力もかき立てられるので、よい時間潰しになります。
 そして、「精一杯生きようとしている」という植物の無言の声に気づくことができれば、″孤独な気持ち″なんて、あっという間に吹き飛んでしまいます。
 人の心というものは、孤独なまま放置していると、どんどん感度を鈍らせていきます。たとえて言うと、喜怒哀楽といった感情の波が、さざ波のように小さくなり、やがて凪になり、ついには引き潮になって干上がってしまうのです。……また、植物を育てることには、必ずドラマティックな展開がつきまといます。それは「芽吹き」など、新しい変化が起こることです。
(橋幸枝 著『こころの匙加減』より)




No.1891『自分を励ます 英語名言 101』

 岩波ジュニア新書の1冊ですから、若い世代向けですが、私の英語はそれより劣りそうなので、英語の勉強を兼ねて読みました。
 思っていた通りの内容で、英語の文法などもくわしく書いてあり、とてもわかりやすい内容でした。ただ、若い人向けなので、そこに照準を合わせた名言で、もう少しひねりがきいていてもよかったかなと思いました。
 私は昔からサン=テグジュベリが好きで、とくに子どものときは『星の王子さま』が大好きでした。そういえば、そのことを「日本の古本屋」のなかの「シリーズ古本マニア採集帖」に取りあげられていますので、もし機会があれば読んでみてください。著者は南陀楼綾繁さんで、取材に来られたのは昨年の9月でした。
 そこで、ここでもサン=テグジュベリの名言を1つ、「It is only with the heart that one can see rightly ; what is essential is invisible to the eye. (訳:心によってのみ正しく見ることができる。本質的なものは目には見えないのだ。)」、とりあげます。
 このような名言にはバラエティがあり、本当に大切なものはお金では買えない、とかもあり、ぜひ若い人たちにも伝えていきたいものです。今の時代、「お金で買えないものはなにもない」なんて考える人はほとんどいないでしょうが、数10年前には、マスコミでもこのような発言があり、ビックリしたことがあります。
 そういえば、そのころは自分探しとかいうのが流行っていましたが、イギリスの脚本家、バーナード・ショーは、「Life isn't about finding yourself. Life is about creating yourself. (訳:人生の目的は自分を見つけることではない。人生は自分を作り出すためにある。)」という名言をこの本では取りあげています。
 これなども、経験してみないとわからないことがたくさんあり、しもしないで探そうといってもできないことは日の目を見るよりあきらかです。
 私がバーナード・ショーは、生涯独身でしたが、ある女優さんに「わたしの容姿とあなたの頭脳を持った子どもが生れたら、素晴らしいと思いませんか?」と迫られたとき、彼は「わたしの容姿とあなたの頭脳をもつ子どもができたら悲惨です」からと断った話しは有名です。たしかに、彼は皮肉屋でしたが、「あなたが人生で一番影響を受けた本は何ですか?」と問われて、「銀行の通帳かな?」と答えたこともそうですが、たんなる皮肉ではなく、あるものの本質を突いているような気がします。
 下に抜き書きしたのは、99番目に取りあげられた名言です。今、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡がり、その収束のめどさえたっていません。
 このような感染症は、誰でも感染します。お金があろうとなかろうと、白人でも黄色人でも黒人でも、関係なくかかります。いわば、平等にななるといってもいいのかもしれません。でも、ある専門家は、男性より女性のほうが感染する確率は少ないといいます。
 でも、このような情報だって、いつ覆されるかわからず、お互いに気を付けるしかなさそうです。

(2021.2.12)

書名著者発行所発行日ISBN
自分を励ます 英語名言 101(岩波ジュニア新書)小池直己・佐藤誠司岩波書店2020年12月18日9784005009282

☆ Extract passages ☆

It is only when the rich are sick that thev fully feel the impotence of wealth.
訳: 金持ちは病気になったときに初めて富の無力さを心から感じる。(ベンジャミン・フランクリン、1706-1790、アメリカ合衆国、政治家)
(小池直己・佐藤誠司 著『自分を励ます 英語名言 101』より)




No.1890『超クリエイティブ』

 この本の題名を見て、なかには何が書いてあるのか気になり、副題をみると『「発想」×「実装」で現実を動かす』とあり、ますますわからなくなりました。でも、わからないままにしておくのもどうかと思い、読み始めました。
 ちなみに、クリエイティブというのは、「はじめに」に書いていて、「クリエイティブとは、ちょっとやそっとの努力では変えられない凝り固まった社会の現実に、新しい意味を与えることで、未来を切り拓く力です。」とあります。辞書をひくと、クリエイティブは「創造する」とあり、「創造」という言葉をみると、「新たに造ること」と書いてあります。つまり、今の新型コロナウイルス感染症の時代には、この時代だからこその突破口があるということです。
 この本を読んでいると、自分もできそうな気がして、ワクワクしました。人をワクワクさせることも、クリエイティブだと思いました。
 もちろん、今までもクリエイティブという言葉はいろいろなところで使われてきましたが、とくに広告業界では売るためで、この本では「広告代理店の仕事の大部分は、言うなれば、価値の「証明」でした。価値の証明は、 コミュニケーションの領域です。あらかじめ、すでにわかっている商品・サービスの価値を、より魅力的に見えるよう広告をつくり、メディアに載せて多くの人に伝播する。もちろん魅力的な広告をつくるのにセンスと技術が必要です。これを狭義のクリエイティブと呼ぶとすれば、本書で取り扱う、すなわち僕がこれからの時代に必要だと考えているのは広義のクリエイティブと言えます。」と書いていて、第1章のところで、この広義のクリエイティブについて丁寧に説明しています。
 たしかに、新型コロナウイルス感染症が拡がってきて、外出自粛や働き方が変わってくると、さまざまなところで変化が起きてきます。今まで満員電車で何時間も通勤をしていたのに、リモートワークになれば、その浮いた時間で何か新しいことをしたくなります。あるいは、会社に着ていくスーツはあまり着ないので、普段着の着心地の良いものを買うようになります。今まで、みんなが持っているからとブランド品を買っていたのに、外出をしなくなるとそれも必要を感じなくなります。
 このように考えて行くと、今まで、一極集中はダメだから首都を移転しなければという動きがあったけど、結局はできなかったのが、むしろ一般の会社が本社機能を地方に移転しようという動きもみられるようです。著者は、「収入8割、労働6割」と書いていて、つまり収入が8割になったとしても、働く時間が6割になればいいと考える人が多くなったといいます。たしかに、首都圏で働いていた人でも、もし収入が8割になったとしても、地方で住めば家賃も安いし、新鮮な野菜なども安く買えます。それで労働時間が減れば、家族と過ごす時間も、あるいは一人で自分の趣味にあてる時間が増えれば、いいわけです。むしろ、その方がいいと考える若い人たちも増えているように感じます。
 いままでは仕様がないと諦めていたことも、新型コロナウイルス感染症の影響で、せざるを得なくなり、そのほうがよかったということもありそうです。だとすれば、これができない、あれもできないと考えるより、クリエイティブに考えて、いろいろとできることを考え、そしてしていった方が楽しいと思います。
 下に抜き書きしたのは、自ら変化を起こすためのクリエイティブな思考法、「トリプルA」についてです。この「トリプルA」というのは、アンガー(anger)、アライアンス(alliance)、アクシデント(accident)の頭文字です。
 著者は、この「トリプルA」がこの複雑な時代において、その本質をとらえ、世界の複雑性を踏まえたコアアイデアを発想し、実装していくプロセスとして役立つといいます。たしかに、この流れは考え方を整理する上でも、大切だと思いました。

(2021.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
超クリエイティブ三浦崇宏文藝春秋2020年10月30日9784163912837

☆ Extract passages ☆

 怒れ――。5年後の未来はわからないけれど、今、胸の内にある怒りは確かに社会とつながっている。怒りを社会課題と向き合う思考の立脚点に、現実を変えるパワーにしよう。
 連帯せよ――。その怒りは世の中の多くの人もまた共通して抱えているものかもしれない。一人よりも共に闘ったほうが新しい価値は生まれる。
 事件を起こせ――。多くの人を驚かせ、感情を揺さぶる事件性を宿すものが変化の触媒となる。新しい価値が生まれるLき、それは既存の価値観においてはアクシデントでしかない。
(三浦崇宏 著『超クリエイティブ』より)




No.1889『コモンの再生』

 内田 樹さんの本は何冊かは読んでいますが、その独特な切り込み方がスッキリしていて、とてもわかりやすいと思っています。
 この本は、『GQ JAPAN』に連載しているエッセイを単行本化したそうで、2016年以降のものをまとめたそうです。この『GQ JAPAN』というのは知らなかったのですが、『VOGUE』の姉妹誌だそうで、これだって名前こそ知ってはいますが、読んだことはありません。ですから、このなかのエッセイはまったく初めて読むものばかりです。
 この題名の「コモン(common)」というのは、辞書的な解釈は形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味だそうです。でも、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」のことで、どちらかというと、この名詞的な使い方のようです。つまり、日本でも村落共同体には「共有地」を持っていて、薪をひろったり、堆肥のための草刈りをしたり、かや葺き屋根のカヤを刈ったりしていましたし、そこでの共同作業もありました。つまり、「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」ということです。
 だから、著者も、いつでもなにかの機会にこの本を読んでそのなかに参考にするものがあればという気持ちのようです。
 著者独特の考え方のひとつとして、たとえば、「苦学するというのは、要するに、親や先生や周りの人間たちが口を揃えて「そんな大学のそんな学科に行くな」と言っても、それに従わないで自分のしたい学問をすることです。苦学できた時代には、僕たちは自分の行きたい学科を選ぶことができた。もちろん、親たちはその頃も今と同じで「実学」を子どもに求めました。でも、子どもたちはそれを聞かないことができた。「哲学がやりたい」とか「映画を作りたい」とか「天文学がやりたい」とか「シュメール語がやりたい」とか、全然お金になりそうもない非実学分野にふらふらとさまよい込んだ。子どもってそういうものですからね。」と書いていますが、たしかに昔は苦学生がいて、役に立ちそうもない学問を必死にしていたという印象があります。
 私の知り合いでも、親からはまったく仕送りがなかったけど、親族のお菓子屋さんでアルバイトをして、念願の国家公務員になった方もいたし、海外に飛び出し、その後の消息がつかめない方もいます。いろいろな生き方ができた、そのような時代でした。
 ところが、入学金や授業料が高くなり、学生のアルバイトだけでは払えなくなり、さらには奨学金をもらっても、卒業してからの負担がのしかかり、なかなか自分の思うようなことができなくなってきたように思います。著者の考え方は、たしかに私もその通りだと思える部分もあります。
 なんか、斜に構えたようなところもありますが、世の中は真正面から見るだけではなかなか本質が見えてこないこともあります。そのときには、著者のようなものの考え方がすっきりと馴染むこともあり、読んだ後味もスッキリします。
 そういえば、著者の『サル化する世界』というのがありますが、これもとても楽しかったことを思い出します。
 下に抜き書きしたのは、前安倍政権でも感じたのですが、権力者の考えることはいずれも似通っていて、この権力の誇示にしても同じです。
 この話しを読んで思いだしたのがギリシャ神話の『シーシュポス』で、神を欺いたシーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂におして運ぶという罰を受けました。しかし、せっかく山頂まで運び終えるとすぐに、その岩はまた転がり落ちてしまいます。カミュはこの神話から、生きる人間のむなしさを描きました。

(2021.2.7)

書名著者発行所発行日ISBN
コモンの再生内田 樹文藝春秋2020年11月10日9784163912929

☆ Extract passages ☆

 権力者がその権力を誇示する最も効果的な方法は「無意味な作業をさせること」です。合理的な根拠に基づいて、合理的な判断を下し、合理的なタスクを課す機関に対しては誰も畏怖の念も持たないし、おもねることもしません。でも、何の合理的根拠もなしに、理不尽な命令を強制し、服従しないと処罰する機関に対して、人々は恐怖を感じるし、つい顔色を窺ってしまう。
(内田 樹 著『コモンの再生』より)




No.1888『ぐっどいう゛にんぐ』

 本をパラパラと開くと、短い文章が並び、たくさんの絵もあり、著者が描いたそうです。でも、ページが印刷されていないので、思い出して戻ろうとしてもその手がかりがありません。たしか、この辺りかなと思いながら、探すしか方法がないのです。これは非常に不便ですが、慣れてくると、意外と簡単に目的の箇所にたどり着けるから不思議なものです。
 著者は、小さなときからこのような小さなノートを作っていたそうで、本人の言葉によると、「子供のときからお話のようなものを書いていた。小説とは云えない。どちらかというと、詩に近かった。しかし、詩でもない。いずれも短いもので、その短い「なんだかよく分からないもの」を小さなノートに書いていた。」といいます。
 たしかに、この本も、小説でも随筆でもない、だからといって詩でもないような文章が並んでいます。でも、そのなかに、これはおもしろい表現だなと感ずるところがあり、たとえば、
「試してみた。同じ店で同じパンを買い、同じ店でバターとマスタードとハムとレタスを買い、同じ店でパン切り包丁とバター・ナイフを買った。レタスの水分をとるためのベーパー・タオル、マスタードを瓶からすくいあげる木べら――そんなものまですべて同じものにした。手順もそっくり同じ。同じひとつのダンスを踊るように寸分違わず、われわれは、それぞれにサンドイッチをつくった。完成。同じ皿に盛り付け、トマトとポテト・チップスを添えて、コーヒーも入れた。しかしだ。何もかもが違っている。その味、その食感、舌にパンが触れた最初の瞬間からして、彼女のつくったサンドイッチの方が美味しい。」という文章も、なんとなく、文章にしなくても直感的にわかるような気がします。
 だって、同じ材料を使ったとしても、料理人が違えば味も違うわけで、その些細なひとつひとつが大きな味の違いになると思います。
 でも、このように何から何まで同じにしたということが大切なことで、それでも違ってくるのがサンドイッチだけでなく、いろいろあるということです。
 また、「昔の風景が撮れるカメラというのを私は浅草で買ったのです」という文章があり、そのカメラ屋の店主に聞くと、「撮ってごらんなさい」と含み笑いをしたと書いています。私は即座に、カメラで撮った風景はすぐ過去の映像ではないかと思いました。つまり、撮っていくそばからすべて過去の風景になっていくのが当たり前です。今の瞬間を切り取るという表現がありますが、そのときの今は一瞬で、すぐに過去のものになってしまうというのが現実です。
 このような話しも、このように提起されないと気づかなかったかもしれないと思いました。また、人間が冬眠するという発想も奇抜かもしれないけど、一呼吸置いて考えるには、楽しいことだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、笑顔が好きという文章です。著者は他のところで、「好き」という言葉はあまり使いたくないと書いていますが、この本では、けっこう使っています。そのひとつがここの部分です。2回も使っていて、「笑う」という言葉は5回で、笑顔は2回です。
 でも、最後の「楽しく過ごしたいですよ」という言葉は、今の新型コロナウイルス感染症が拡大している状況では、なおさら身にしむ言葉です。
(2021.2.4)

書名著者発行所発行日ISBN
ぐっどいう゛にんぐ吉田篤弘平凡社2020年11月20日9784582838527

☆ Extract passages ☆

 みんな、笑ってる。
 僕は君の笑顔が好きです。
 というか、僕はみんなの笑顔が好きなんだと思う。
 「みんな」というのは、みんなのことだけど、
 たとえば、鳥たちは笑わないのか、と思う。犬や猫はどうなんだろう。
 笑っているよね? 笑いたいときがあるよね?
 じゃあ、鉛筆はどうか。もちろん、鈴筆だって、笑いたいですよ。
 楽しく過ごしたいですよ。
(吉田篤弘 著『ぐっどいう゛にんぐ』より)




No.1887『新型コロナの科学』

 今年の節分は2月2日で、2日が節分というのは明治30(1897)年以来のことで、じつに124年ぶりのことです。ちなみに4日が節分だったのは昭和59(1984)年でした。つまり、節分は2月3日だというわけではないのです。この暦を割り出すのは、国立天文台の暦計算室で、暦要項として官報に記載されています。それには、国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、朔弦望、東京の日出入、日食・月食なども含まれます。
 さて、この本ですが、副題は「パンデミック、そして共生の未来へ」です。たしかに、昨年の1月16日に日本で最初の感染者が見つかり、1年以上経過していますが、現在も非常事態制限が発出されています。いつ収束するかというよりも、現実問題としていかに共生していくかに変化しているような気がします。
 もともとこのウイルスという言葉は、この本には「カタカナで書いているが、ウイルスは日本語である。1953年、日本ウイルス学会が創立されたとき、ヴァイラス(Virus、英語)でもなく、ヴィールス(Virus、ドイツ語)でも、ヴィリュス(Virus、フランス語)でもなく、ウイルスという名前で学会を作ったのが始まりである。」と書いています。それまでは、日本では「病毒」と言っていたそうですが、これは今も中国で使われているそうで、今回の新型コロナウイルスの中国名は「新型冠状病毒」だそうです。
 著者は、この「病毒」のほうがわかりやすいと書いていますが、すでにウイルスというのが一般にも浸透しているので、いまさら「病毒」といわれても混乱するだけのような気がします。
 そういえば、同じコロナウイルスのSARSウイルスのときには、ちょうどネパールに行こうと考えていたときだったのでよく覚えているのですが、2003年3月にWHOから「グローバルアラート」が出され、とうとうその年はネパールに行けませんでした。でも、その年の7月5日に終息宣言がだされたので、結果的には翌年の2004年には行くことができました。この本には、新型コロナウイルスと比べると、SARSの症状は急激かつ劇症であるために、いきなり肺炎になりやすかったといいます。そして、「急激な進行、そして高い致死率が、結局SARSウイルスの収束を早める結果となった。SARSの患者は、コロナ感染者のように動き回って感染を広めることはできず、死に至る。ホストがつぎつぎに死ぬと、ウイルスは生きる場を失い、自らも消え去るほかにない。」といいます。
 ところが今回の新型コロナウイルスの場合は、國松淳和医師によると、「潜伏期間がほどよく長い」、「最初はまさしく”ただのかぜ”にしかみえない」、「全員が重症化するわけではない」、「高齢になればなるほど死亡率が高い」、「多くの人の、”命”ではなく”距離や会話”を奪うウイルス」ということです。つまり、なかなか手強い油断ならないウイルスです。とくに、1年以上も続くと、人と人との関係すら断ち切られてしまうような気がします。
 だから、先ずはワクチンや治療薬の開発が進むことを願うしかなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、新型コロナウイルス感染症を収束させる一番の決め手といわれているワクチンについてです。
 この本でも免疫というのは、「自然免疫」と「獲得免疫」があり、この獲得免疫に相当するのがワクチンですが、なかなか一般的にはわかりにくいものです。でも、このようなたとえ話だと、とてもよく理解できると思い、ここに掲載させてもらいました。
(2021.2.2)

書名著者発行所発行日ISBN
新型コロナの科学(中公新書)黒木登志夫中央公論新社2020年12月25日9784121026255

☆ Extract passages ☆

 ワクチンは、感染してから免疫に至る過程を安全なかたちで再現し、身体に免疫を作ろうという戦略である。このため、相手とそっくりなまがいものが、ワクチンとして使われることになる。ワクチンを投与すると、感染と同じ免疫のメカニズムが動き出す。樹状細胞がワクチンを取り込み、ヘルパーT細胞を介して免疫を発動し、病気を治すという戦略である。
 ワクチンは、釣り餌のようなものである。生きている餌を使うこともあれば、死んでいる餌、疑似餌を使うこともある。餌をすりつぶした練り餌もある。どのような餌を作るかがワクチンの成否を握っている。
(黒木登志夫 著『新型コロナの科学』より)




No.1886『歌う外科医、介護と出逢う』

 前回は『がんと外科医』で、今回は『歌う外科医、介護と出逢う』で、どちらも何気なく手に取っただけで、外科医にこだわって選んだのではありません。ただ、結果的にそうなっただけですが、しかも肝臓という臓器でもつながっていました。
 そして、どちらの本からも、外科医の大変さが伝わってきましたが、特に若い人の命を救ったときは外科医としての仕事の大きな喜びと書いてありました。この本の著者は、小児外科医ということもあり、いろいろなところで手術に立ち会ったようです。第1章から第2章までは、外科医としての話ですが、第3章から第7章までは高齢者医療と出逢ってからの話しが中心です。だから、どちらかというと、介護と出逢ってからの話しが活き活きと書かれているような気がします。
 この本のなかで、「平穏死」という言葉が出てきますが、つまりは「最後は食べられなくなって死ぬ」ことで、つまり餓死だとはっきりと書いています。いわれてみれば、それこそ自然なことで、老衰というのもこのことだと感じました。別な本で読んだのですが、そのような状態になると苦しさはないといいます。まさに大往生です。
 いまでもときどき思い出すのですが、最後の最後にお医者さんが細い身体の上から心臓マッサージをしていたのが忘れられません。こんなことをしなくてもいいのにと思いながら、一生懸命にしてくださっている姿をみると、なかなかもういいですとは言えませんでした。でも、今ははっきりともういいですと言えそうな気がします。もちろん、私も人生最後の段階で、特別な延命治療を受けたいとは思いませんし、自然体で死を受け止めたいと願っています。
  「死に方としてよく望まれるのは、PPK、つまリピンピンコロリですが、それと対称的なのが、NNKといわれ、一時期はネンネンコロリ(寝たきりになっての死)とされていましたが、最近はニンニンコロリ(認知症になっての死)とも椰楡されています。しかしながら、ピンピンコロリというのはあくまでも机上の空論、理想に過ぎません。もしあちこちでピンピンコロリがあったら、世の中、不審死の山となり、我々医師はたまったものではありません。」と書いていますが、私の知り合いで、母親をくも膜下出血でなくした方がいて、少しでも看病したかったという言葉が今でも残っています。
 現実問題として、あまりにも過重な介護も大変ですが、だからといって何もできないというのも心の負担になってしまいます。やはり、医療や介護を受けながら、どのように看取られて逝くかということが問題ではないかと著者は書いています。
 下に抜き書きしたのは、「ユマニチュード」についてですが、そもそもユマニチュードというのは、1980年にクロフェンスタインが「人間らしくある」状況を「ネグリチュード」を踏まえて、ユマニチュードと命名したそうです。つまり、この本によれば、「ユマニチュードとは、加齢によってさまざまな機能が低下した高齢者が、最期の日まで尊厳をもって暮らしていけるよう、ケアを行う人々がケアの対象者に、「あなたのことを、私は大切に思っています」というメッセージを常に発信し、その人の「人間らしさ」を尊重する状況である」と1995年に定義しているそうです。
 この4つの他にも人間関係をつくるための5つのステップや150を越える実践技術などがあるそうですが、あくまでも基本はこの4つの柱だそうです。
 たしかに、認知症の高齢者でも、このように接してもらえれば笑顔になると思いました。
(2021.1.30)

書名著者発行所発行日ISBN
歌う外科医、介護と出逢う(学術選書)阿曽沼克弘京都大学学術出版社2020年12月10日9784814003044

☆ Extract passages ☆

 ユマニチュードは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの柱から成り立ちます。まず、「見る」こと。認知症の人の正面で、日の高さを同じにして、近い距離から見つめます。……
 次に、「話す」こと。優しく前向きな言葉を使って、繰う返し話しかけます。……
 3つ目は「触れる」こと。認知症の人の体に触れてスキンシップをはかることも重要です。……
 最後は「立つ」ですが、正確に言うと、「立つことの支援」です。寝たきりにならないよう自力で立つことを大切にします。
(阿曽沼克弘 著『歌う外科医、介護と出逢う』より)




No.1885『がんと外科医』

 この本を読んでいて、専門的なことが多く、手術の詳細を書かれたところを見ても、外科医というのは大変な仕事だと思いながらも、その内容はなかなか理解できませんでした。たとえば、「肝臓は右上腹部に位置する体重の約2%の重量のある臓器で(体重60sの人なら1200g)、腹腔内で最大の臓器である。腹部臓器が収められている腹部の内腔スペースを腹腔と呼び、腹腔を開くことを開腹と呼んでいる。肝臓はまた、右の第8-10肋骨に囲まれているため、開腹して肝臓の切除をする場合には、みぞおちから臍までの切開だけでは手術のための十分な視野が得られない。臍上から真横に切開を加える必要があり、さらに今回は腫瘍が大きいため、13本ある肋骨のうち、上から9番目の第9肋骨に付着した肋間筋を切り上げて、肺が収まっている胸腔というスペースに入り込み、十分な術野(手術をおこなううえでの臓器の配置)を確保することにした。」と書いてありましたが、肝臓というのは意外と大きな臓器だとかけっこう奥の方に収まっているとかはわかります。でも、そこに至る手術の過程や内容などは、なかなか理解できません。それでも、「我慢して丹念に作業を続ける」とか、「我慢に我慢を積み重ねて」という内容には、外科医の大変さと責任感がひしひしと伝わってきました。
 それが後半になると、たまたまこの『本のたび』のNo.1646『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』の著者坂井律子さんの話しになり、にわかに本の内容に引きつけられました。つまり、先に患者としての思いなどを読んでいて、次はその主治医としての考え方と手術の内容などを知ったからです。このNo.1646を読んでいたときには、私の友人がS状結腸がんでなくなったと知ったときでした。その数ヶ月前に、彼からのメールで肝臓などの臓器にも転移しているので抗がん剤治療をしているとのことでした。
 そのときに全国がんセンター協議会の生存率共同調査(2018年6月集計)を見ると、病期別5年相対生存率は、友人の結腸がんの場合は全症例では76%ですが、膵臓がんの場合は8%前後だそうです。もちろん、そのステージによっても変わりますからなんともいえないのですが、坂井律子さんの場合は、「膵がんの肝転移再発に対して、全身化学療法後のコンバージョン手術に挑み、さらなる再発に対して再度化学療法を導入したが、初回切除から2年半の経過でお亡くなりになった」とこの本には書いてありました。つまり、その間に『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』を書いたわけです。
 そういえば、今年に入ってからも首都圏などには緊急事態宣言が発出されましたが、この本の著者は、「あとがき」のなかで、「日々刻々変化する感染者数や世間の動向をフォローし、じっと耐えながら対策を立てて行動し続けることは、日頃われわれがおこなっている、患者データに気を配りつつ進める臨床の現場の仕事の感覚と非常に似通っている。患者さんの病状は必ずしもわれわれの思い通りには改善しないし、同様に、ウイルスも人間社会の思い通りにはならない。今回のコロナウイルス感染対策の流れを見ていると、各国で有効だとされる政策が意外にそうではなかったり、有効と目された治療薬がランダム化比較試験の結果、生存には寄与していないことが明らかになったりしている。一方、当初他国から疑間視された三密を避けることをスローガンにした日本の罰則を伴わない自主的隔離政策が、強固なロックダウンを強いている先進国の対策に劣らず有効であるとされたり、他方で環太平洋地域の中では特筆すべき結果でもないとする冷静な見解が加えられたりしている。このように、複雑な自然界の変化を理解し、本質を科学的に解析、対策を立てることはなかなか容易ではないのだ。われわれの日常診療の中でも、良かれと思った処置が必ずしも功を奏さなかったり、あるいは意外な処置が患者さんの状態を改善させたりする。ヒトの体という自然をコントロールするのは容易ではないと日々痛感している。」と書いています。
 たしかに、がんも新型コロナウイルス感染症もこれさえやれば大丈夫とはいかないようです。だからこそ、しっかりした対策をしなければならないのだと痛切に感じました。
 下に抜き書きしたのは、肝臓の働きについてです。大事な臓器だとは知っていましたが、こんなにもいろいろな働きをするとは理解できていませんでした。むしろ、自分はお酒を飲まないから大丈夫だと勝手に考えていたのかもしれません。
 人間の身体のなかのすべては、必要だからあるのだと改めて思いました。少しでも大事にしながら、元気で老後を暮らしたいと思っています。
(2021.1.28)

書名著者発行所発行日ISBN
がんと外科医(岩波新書)阪本良弘岩波書店2020年11月20日9784004318569

☆ Extract passages ☆

 肝臓は胃、十二指腸、小腸、大腸という体内の消化管から「門脈」という静脈系の血流を受け、@タンパクの合成や糖分の貯蔵などの代謝機能、A分解・解毒機能、B消化液である胆汁の産生、などを担っている。食事によって得られた糖分を貯蓄し、必要なときにタンパクを合成してわれわれの体を作り上げたり、お酒の成分であるエチルアルコールを代謝してアセトアルデヒドを介して水と二酸化炭素に分解したりする。肝機能が低下すると、タンパクを合成する機能や消化機能が低下し、低タンパク血症ゃ低栄養状態になる。
(阪本良弘 著『がんと外科医』より)




No.1884『ルポ 人は科学が苦手』

 この本を読みながら、1月8日のトランプ米大統領の支持者が米連邦議会議事堂へ乱入した事件などを考えると、まさにそうかもしれないと思いました。
 副題は「アメリカ「科学不信」の現場から」で、あの様子を見ていると民主主義などとはだいぶかけ離れた、まさに相当昔の出来事のような気がしました。この本のなかで、リック・シェンクマン氏は、「数百万年間にわたり小さな集団で暮らした野生の生活では、「恐れ」と「怒り」が重要な役割を果たしていたと考えている。野生動物に襲われる危険と隣り合わせの生活では「恐れ」が重要だったし、小さな集団をまとめたり敵と戦ったりする時には「怒り」が大きな力になった。そして、「恐れ」と「怒り」の本能は現代の私たちの脳にも、しっかりと受け継がれているようだ。」といいます。
 たしかに、子供でもわかるようなウソをほぼ毎日ツイッターで流していて、それでアメリカの大統領になったのですから、とても信じられませんでした。でも、この本を読んで、いろいろな恐れが土台にあって、それを克服できるようなメッセージを聞けば、それに縋ろうとするだけでなく、それを信じて、反対派にその怒りの矛先を向けることは考えられないことではありません。
 もうひとつ、この本を読んで初めて知ったのは、「フラット・アーサーズ」という、実は「地球が平ら」だと考える人たちが今もアメリカにはいるということです。しかも国際会議も開かれていて、2017年11月に南部ノースカロライナ州で開かれたときには約500人も参加したそうです。普通の日本人なら、宇宙から映像を見れば一目瞭然だというかもしれませんが、あのアポロ計画で月面着陸したことさえも、「NASAが映画会社を巻き込んで光明に作り出したフィクション」だといいます。
 それなのに、UFOの存在を信じて、ニューメキシコ州のロズウェルに「国際UHO博物館」があり、かなりの見学者がいるというから驚きです。
 また、進化論さえも信じない方が相当数いるようで、創造論の世界観を再現した「創造博物館」があり、ここでは約6000年前に神が創造したという聖書の話しが生きています。そここの展示責任者のティム・チャイフィーさんに、そういう考え方では学校のテストに落第しないのかと著者が聞いたそうですが、彼は、「中学1年の時、理科の授業で出された地球誕生にっいてのテストで、『先生は約46億年前と教えたけれど、僕は約6000年前だと信じている』と答えた。先生は、それを間違いとはしなかつた。私の信仰を認めてくれた」といいます。おそらく日本だったら、絶対に間違いとされると思いますが、アメリカは違うようです。そういえば、大統領就任式のとき、聖書に片手を置いて宣誓するわけですから、これはありえると思いました。
 よく、アメリカは科学万能だと勘違いする方もいますが、意外と信仰心が優先されることも多いようです。
 ただ、科学を否定されると困るのも事実で、たとえばトランプ大統領が地球温暖化を疑うような発言をされ、結果時には世界の潮流に背を向けたことです。このようなことは、たくさんあり、今までのアメリカはどうしたのかと疑問にさえ思っていました。
 この本を読んでわかったことは、地球温暖化を強く主張されるといままでの仕事がなくなるということもあり、それで大きな損をするということもあります。だとすれば、そんなことはないといって、その流れに背を向けてしまうということです。その人たちに理解してもらうというのは、至難のことです。
 下に抜き書きしたのは、科学的だからとしてその事実だけに頼りすぎては伝わらないとして、2018年2月に開催された「米国科学振興協会」で司会をされたマーク・バイヤー氏の話しです。
 たしかに、科学を否定する人だっているわけで、そのような人たちにもわかつていただくことがこれからは大切だと思いました。
(2021.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)三井 誠光文社2019年5月30日9784334044107

☆ Extract passages ☆

 バイヤー氏は古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉を引用して、情報を伝える上で重要なことを紹介した。
「アリストテレスは演説に大切なものとして3つを挙げた。 一つはロゴス(Logos=論理)。論理的であり、事実であるということだ。これはじつは3分の1でしかない。アリストテレスが次に挙げたのはエトス(Ethos=信頼)だ。聞き手と話し手の関係であり、話し手の信用の問題だ。私はこのセッションを自己紹介から始めた。議会で長く働いた経験を伝えることで、『この人は何かを知っているのだろう。話を聞く価値はある」と思ってもらうためだ。三つ目はパトス(Pathos=共感)だ。この3つの要素が効果的なコミュニケーションに必要だ。」
 科学者が冷徹な論理にしたがって事実を話しても、「信頼」と「共感」がなければ、うまく伝わらない。「事実だけで十分ということは決してない」。バイヤー氏はそう指摘した。
(三井 誠 著『ルポ 人は科学が苦手』より)




No.1883『地図にない国を行く』

 最近、新型コロナウイルス感染症の急激な拡大で、まだまだ遠くへは行けそうもないと思うと、なおさら旅に出たいという想いが募ってきます。だからなのか、最近読む本は、旅つながりのものが多いような気がします。
 でも、この題名を見たときに、今どき地図のない国なんてあるのかと疑問に思いました。ただ、地図が不正確な国はありそうで、もしかするとそのような国なのかとも思いました。著者は、「ともかくグーグルの時代、宇宙を遊弋する観測衛星のデータは、地上20センチの物体さえも鮮明な画像として地球の人々に送り届けてくれる。外国の町を歩いていても、スマホのGPSで目的地や行きたい博物館などの行き方も分かる。これほど便利な時代はかってなかった。約三百年前、殿中「松の廊下」で起きた吉良上野介への刃傷沙汰は、4日間かけての早駕籠で赤穂に伝わった。いま世界のいずこかで起こる災害もテロ事件も、祝賀のお祭りもSNSの発達により、世界各地で同時に見ることができる。」と書いています。
 たしかに、毎日、世界中の新型コロナウイルス感染症のことも伝えられ、さらにはSNSでトランプ大統領が呼びかけ、支持者が連邦議会議事堂を一時占拠したことなども即時に世界中に伝えられました。おそらく、本格的に5G時代に入れば、そのような状況がさらに加速することは間違いなさそうです。このようなときに、この地球上にいまだ地図に描かれない場所なぞあるはずがないと思います。
 ただ、地図ですぐいろいろな世界の状況がわかるはずもなく、この本で取りあげたボルネオ島、ミャンマー、ネパール、ブータン、そしてインドなどもそうですが、その国の端から端まで見て歩くというわけではなく、しかも人によって見方が違います。同じものを見たとしても、感じ方もちがえば、そのとき時の状況も違います。
 ただ、テレビなどで見ても、気温や湿度、ニオイなど、まったく伝わってこないのですが、このような本だと理解できます。そういう意味では、今、新型コロナウイルス感染症の影響で海外には行けないので、このような本を読んで想像を膨らませ、もし海外に行けるようになったら行ってみたいと思いました。また、戦後生まれではなかなか理解できない戦時中の話しなども詳しく書いてあり、初めてわかったこともあります。一昨年、マダガスカルに行ったとき、日本軍と戦ったという砲台の跡を見て、こんなにも遠くまで来て闘っていたんだと知りました。いつか、そのようなところに行ったときには、花でも手向け、慰霊したいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、ネパールの外交などについて書いてあるところですが、たしかにそのその通りだと思います。たとえば、インドを嫌って、インドが日本と3時間の時差があるが、ネパールとの時差は3時間15分です。ネパールの友人に聞くと、たった15分だが、同じでないというところが大事だといいます。
 また、ネパールの仏教徒は高山に住むシェルパ族などで、カトマンドゥに住むネワール族はヒンドゥー教徒です。友人の家に泊めてもらい数週間過ごし、帰国するときに無事の祈りをしてくれましたが、それもヒンドゥー教のやり方でした。
 やはり、ある程度の長い期間いるか、親しい友人がいて、本音で話してくれないとなかなかわからないことも多いようです。この本に出てくるパシュパティナートも、ここに入れるのはヒンドゥー教徒だけで、入口に門衛が立っていて一人一人チェックしています。ただ観光客は、寺院の後ろからのぞき込むようにして火葬場などを撮影していました。だから、友人といっしょだからといえ、私も寺院のなかには入れませんでした。
(2021.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
地図にない国を行く宮崎正弘海竜社2019年6月24日9784759316667

☆ Extract passages ☆

 ネパールは外交的に誇りを重んじ、時に頑固でさえある。ブータンのように一辺倒の純朴、木訥、純真きはない。つまり北に中国、南にインドという大国に挟まれた地政学上の宿命を受け入れ、したたかに健気に生きている英知がある。
 ネパール国民は仏教をあつく信仰している上に向学心が高く、親切で日本人を尊敬している。
(宮崎正弘 著『地図にない国を行く』より)




No.1882『地球のはしからはしまで走って考えたこと』

 本には、著者の肩書きが「アドベンチャーランナー」とあり、これって何と思いました。そのような経木があることを、まったく知りませんでした。
 この本によると、「実際のところ明確な定義はないが、「砂漠、山岳、極寒の氷雪、ジャングルなど厳しい大自然を舞台に道なき道を進む」、「賞金なし」、「自給自足のセルフ サポート」が基本ルールの世界一過酷なマラソンのことだ。多くは距離200キロ以上のステージ制で、毎日決められた距離を設定時間内に走る。夜は同じ場所で選手一同が野営し、翌朝一斉にスタートする。そして各ステージの総合タイムで順位を競う。」と書いてあります。
 たとえば、最初にチャレンジした「ゴビ・マーチ」の場合は、48キロ、40キロ、40キロ、41キロ、67キロ、14キロの6ステージに分かれ、合計250キロとなっていて、各ステージには「チェックポイント」が設けられており、水の補給のみが許されているそうです。つまり、それ以外は自分で持って走らなければならないそうで、その途中で何が起きても自分の力だけで切り抜けなければならないという過酷なレースです。
 私も修行をしたからわかりますが、修行中はある一定の範囲から出ることは許されず、一番困るのは病気やケガなどをしたときです。そこから出られないというのはまさにそのことで、このアドベンチャーランナーの場合には「万が一に備えてドクターもいて、足のマメが潰れたり、爪が剥がれたり、捻挫ゃ骨折した際に治療をお願いすることができる」そうです。しかし、修行の場合は、それもないのです。一度、そこから出れば、最初からやるしかありません。
 この本を読んでいて思ったのは、どんな世界も最初にチャレンジする方はたいへんだな、ということです。まさに、右も左もわからない状態ですから、やってみないと何もわからないわけです。少し進んでは戻り、あるいは方向転換をし、次に進むしかないのです。しか、このアドベンチャーランナーの場合は、主催者によって、かなり内容が違うようで、それらのことも毎回考えなくてはならないとすれば、やはりたいへんです。
 このような状況のなかで、たとえば2015年にチャレンジした「ザ・トラック」というオーストラリアの荒野を521qを走ったとき、「ここから少し勝負してみようと3位集団についていくことにした。現状の順位や走りに慣れてしまった体に鞭を打つことで、自分の中の未知なる潜在能力を引き出したかった。長く走っていると、つい今のポジションを守るという理由をつけて、現状維持に慣れてしまうことがある。そのまま放っておくと守り一方になる。それが習慣になることは嫌だ。」と書いています。
 どんな状況のなかでも挑戦し続けるという意識が大切だと、思いました。これでいいと思った瞬間から、あとは惰性で動いてしまいます。そういう意味では、アドベンチャーランナーだけでなく、いろいろなものに挑戦しようとする方々にも大きなヒントを与えてくれそうな気がします。
 下に抜き書きしたのは、地球のはしからはしまで走って知り合った人たちの生き方です。
 たしかに、世界中にはいろいろな人たちがいますが、とくにアドベンチャーランナーをしようとする人たちには、「ろくに走れなくても長距離レースに参加する人、60歳を超えてもなお高みを目指す人、言葉が話せなくても海外レースに飛び込んでいく人」などがいたと書いています。
 たしかに、何ができないから、というのはできない理由を探しているだけかもしれません。本当に前に進む人たちは、いい意味で前のことしか考えないからできるようです。
(2021.1.20)

書名著者発行所発行日ISBN
地球のはしからはしまで走って考えたこと北田雄夫集英社2020年10月31日9784087880465

☆ Extract passages ☆

 みんなまわりの目なんで気にしてはいない。目分はできない、自分は弱い、そのことを真正面から受け入れた上で自分なりの挑戦をしている。決して独りよがりではない。家族や友人に感謝しながら生きている。過酷な自然環境で死をリアルに感じるから、むしろ生きるありがたみをより深く感じている。プライドや見栄など無駄な飾りや邪念は捨てて、ただ人間としての命をまっとうしようとしている。そんな人たちに出会うことで、僕も「この命をどう使い切るか」と本気で思うようになった。
(北田雄夫 著『地球のはしからはしまで走って考えたこと』より)




No.1881『世界を変えた100のスピーチ 下』

 私が思い出すスピーチといえば、バラク・オバマが「イエス ウィ キャン!」といったことを思い出しますが、たまたまそれがこの本でも取りあげられていたので、図書館が借りてきました。読み始めて気づいたのですが、これは下巻で、ということは上巻もあるはずで、ネットで調べてみると、2020年9月19日に発売されていました。これは、何らかの機会にぜひ借りてこなければと思いました。
 スピーチや演説は、たった一言で世界を大きく変えることができます。おそらく、この本で取りあげられているスピーチは、そのような力を持っていると思いながら、読みました。でも、思いつきで話したことが残るというのは案外まれなことで、何度も何度も推敲して話されたことが多いと思いました。たとえば、初めて月に降り立ったニール・アームストロングの「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」というコメントは、いくつかの説があるようですが、本人は月面陸船から月に降りるのを待っているあいだに考えたと語っています。しかし、彼の弟のディーン・アームストロングは、アポロ11号の打ち上げの数ヶ月前に原稿を作っていたと明かしています。あるいは、NASAの広報担当者がその場にふさわしい感動的な言葉を考えてアームストロングに託したという人もいます。
 でも、いずれにしても、多くの人たちに感動を与えたことに違いないことだけは本当です。英語では「One small step for [a] man,one giant leap for mankind.」というそうですが、やはり本人の話した言語で聞いたほうが、より良く聞こえるような気がします。
 それにしても、この本に書いてあった「地球の大気圏外に人間を運び、宇宙空間にある別の天体に降り立たせることが1969年にはどれほど並外れた大事業だったかを、私たちはつい忘れてしまう。宇宙飛行に必要な技術の大半は1から開発されたもので、そのほとんどは初期のミッションで試験済みだったとはいえ、今日の基準から見れば、その多くはまだ初歩的なものに過ぎなかった。たとえばアポロの誘導コンピューターのメモリは64キロバイトしかなかった。アームストロングが月面の安全な着陸地点に向かって月着陸船を操縦していたとき、コンピューターが過負荷の状態になったのは無理もなかった。」ということは、自分もパソコンを組み立てて使っていたので、よくわかります。メモリーの64キロバイトというのは、0.0625メガバイト(MB)で、今のメモリーは桁違いのギガバイト(GB)やテラバイト(TB)を普通のパソコンでさえ使っています。だから、その程度の機能のコンピューターで月に着陸し戻ってくるというわけですから、すごいことだったと理解できます。
 また、世界を変えたスピーチのなかには、つい口を滑らせてしまったものもあるようで、たとえばビートルズのジョン・レノンが1966年8月12日に「僕らはイエスより人気がある」と発言したことが新聞などに掲載され、大きな騒ぎになったこともありました。そして、その10年後に、その発言に憤ったマーク・チャップマンはジョン・レノンの背後から4発の弾丸を撃ち込んで殺害したといいます。まさに、命取りの一言だったわけです。
 下に抜き書きしたのは、フェイスブックの創業者であるマーク・ザッカーバーグがハーバード大学の卒業式の式辞のなかで述べた言葉です。この言葉は、月に人類を送るために30万人以上が働いたことや、世界中の子供たちにポリオの免疫をつけるために数百万人のボランティアが活動したこと、そして数百万人以上がフーバーダム建設に協力したことなどを紹介したあとに述べたことです。
 彼は2017年にハーバード大学の名誉学位が授与され、卒業する学生たちに式辞を述べましたが、そういえば、あのマイクロソフトを友人のポール・アレンといっしょに創業したビル・ゲイツも同じハーバード大学を中退したのですが、2007年に名誉学位を授与され、その卒業式のときに式辞を述べているのだから不思議なものです。
(2021.1.18)

書名著者発行所発行日ISBN
世界を変えた100のスピーチ 下コリン・ソルター 著、大間知知子 訳原書房2020年9月30日9784562057870

☆ Extract passages ☆

今度は私たちが偉大なことを成し遂げる番です。みなさんはおそらくこう思っているでしょう。ダムの作り方など知らないし、百万人もの人々が関わる事業をどう始めればいいのかもわからないと。
 しかしひとつ秘密を教えましよう。最初は誰にもわからないのです。アイデアは完全な形になってから浮かんでくるわけではありません。取り組んでみて初めて明確な形が見えてくるものです。だからとりあえず始めてみる必要があります。
 映画や大衆文化はその点で大きく間違っています。アイデアが一瞬にしてひらめくという考えは危険な嘘です。それではアイデアが浮かばないうちは、何もできないと思ってしまうでしょう。すぐれたアイデアの種を持っている人が、一歩踏み出すのを妨げることになります。
(コリン・ソルター 著、大間知知子 訳『世界を変えた100のスピーチ 下』より)




No.1880『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』

 毎年、お正月には餅をのどにつまらせてしまう事故が多くなりますが、それ以外でも、私の経験では一度むせかえるとなかなかのどがピリピリして治らないことがあります。もしかすると、それなども飲み込む力が弱まってきたからではないかと思っていたら、この本を見つけました。
 なんとも強烈な題名ですが、たしかに胃瘻や点滴などの食事以外での栄養補給ではなんとも味気なそうです。もし歯がなくなったとしても、やはり口から食べたいというのが本音です。そのためには、と思いながら、あっという間に読んでしまいました。この時期は、朝夕は静かなので、読書時間はあります。
 食べるということはとても巧妙な仕組みだそうで、この本では「食べ物を口に入れ、咀嚼してのどに送り、それらを飲み込むときには、「喉頭を上げる(のど仏が上がる)」→「気管の入り口を閉じる」→「食道を開く」→「食べ物を食道へ送り込む」という一連の動きが、わずか0.5〜0.8秒の間に行われています。なんと1秒にも満たない時間で、この複雑な動きがなされているのです。」と書いてあり、さらに、むせるというのは、この「奇跡のような連携ブレーは、ほんの少しでもタイミングがずれるとうまくいかなくなります」といい、そのサインがむせるということだそうです。
 つまり、本来なら食道に送られるはずの食べものが気管のほうに落ちてしまったこで、むせたり、せき込んだりするということです。だから、すぐに困るということではなく、のどの機能が落ち込んでいることのサインですから、気を付けたり、のど筋トレなどをして飲み込む力を回復させなければならないということです。
 そういえば、新型コロナウイルス感染症の流行でうがい薬を使う機会が増えていますが、この本では、それについても注意を促しています。それは、「実は、感染予防という目的であれば、水うがいで十分です。口やのどの乾燥を防いで免疫カアップにつながりますし、水がのどの粘膜に付着した細菌やウイルスを洗い流してくれます。殺菌消毒効果が強いうがい薬は、病原菌だけでなく口の中にいる有用な菌まで殺してしまうので、咽頭痛が生じます。長期間使用していると、国の中の細菌バランスを崩してしまうことが指摘されているので、頻繁に使用することはおすすめできません。」と書いています。
 そして、水うがいだけで心配なら、緑茶でうがいすることを勧めています。たしかに、緑茶にはカテキンが含まれ、それは風邪などのウイルスを殺す強力な殺菌作用があるといろいろなところで言われています。孫に聞いたら、小学校でも実践しているそうで、これはぜひ実行したいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、のど周辺の筋肉も衰えるのものどの老化サインだそうです。
 最近は、新型コロナウイルス感染症の影響で、三密だけでなく、会食するときには少人数で、あまり話しをせず、短時間ですませるようになどといわれ、どうも声を出す機会が少なくなってきているように感じます。だとすれば、別な方法で声を出すようにしなければと思います。
 たとえば、音読をするとか、誰もいない自然のなかで歌を歌うとか、工夫次第でいろいろありそうです。もちろんカラオケでもいいわけですが、室内のカラオケで感染が拡がったというニュースを聞いたことがあるので、なるべくなら野外のほうが良さそうです。
(2021.1.15)

書名著者発行所発行日ISBN
誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい(幻冬舎新書)西山耕一郎幻冬舎2020年11月25日9784344986077

☆ Extract passages ☆

「声のかすれ」や「人とあまりしゃべらない」ことと同じなのですが、「声が小さくなること」も、のどの老化サインです。
 声帯は声を大きく出すほど大きく動きます。もともと声が小さい人は、それだけのどが老化しやすい、ということになりますし、年をとって大きい声が出せなくなった場合は、のどの筋肉が衰えているサインです。
 声帯を動かす筋肉は、いくつになっても鍛えることができますし、使うほど強くなっていきます。ふだんから声が小さいと指摘される人も、大きな声を出せるように、のど筋トレを行うことをおすすめします。
(西山耕一郎 著 『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』より)




No.1879『自然に生きる力』

 著者はモンベル創業者で、副題は「24時間の自然を満喫する」で、英語で「Do what you like.Like what you do.」とも書いています。
 この意味は、「好きなことをやりなさい。そして、やっていることを好きになりなさい」ということだとこの本には書いてあり、これはアメリカの友人から教えてもらった言葉だそうです。そして、自分では「それが何であれ、自分で選んだ道なのだから、もっと楽しみなさい」というメッセージだと解釈しているそうです。
 たしかに、自分のしたいことを探して悩んでいる方もいますが、すんなりと見つかることも少ないような気がします。だとすれば、縁があって今の仕事に就いたのだから、それを好きになることも大事なことのような気がします。著者は、自分が好きな山登りの道具をつくるために今の仕事に就いただけのことで、この本のなかでも「登山家のための商品をつくること」が自分のやりたかったことだと書いています。
 私もモンベルのものを使っていますが、たしかに機能的だし、使いやすいと思います。以前はちょっと高いと思いましたが、これだけの機能性をもとめれば当然の価格だと最近は思っています。とくに、海外に行くとわかりますが、Tシャツなんかはとても乾きやすく、夜に洗濯すると次の朝には着ていくことができます。ただ、野点セットは、あまりにも高くて、これを使ってお茶を点てようとは思いません。お茶を点てるに絶対に必要なものは、お抹茶と茶筅です。茶杓なんかは、プリンの匙でも代用できますし、茶碗だってなんでも使えます。とはいうものの、10年ほど前から、プラスチックの容器に入るような筒茶碗の小さめなものを持って行くと、今、お茶をしているような雰囲気になれます。
 茶杓は、自分で削って、小さめなものを持っていきます。お菓子は以前は現地で探して見繕いますが、もし見つからなかったら困るので、海外の場合などは虎屋の一口羊羹を持っていくことがあります。
 私も山は好きなのですが、著者は「山が好きな理由はいくつもありますが、そのひとつが「登山には勝ち負けがない」ことです。「100メートルを何秒で走れるか」を競い合うものでもなければ、相撲や柔道のような勝ち負けもありません。登山にはさまざまなスタイルがあるし、天候や季節によって条件が違います。優劣をつけることにあまり意味がない。登山も冒険も、人と比べるものではなく、自らへの挑戦です。」と書いていますが、たしかにそうです。ところが高校で山岳部に入っていたとき、登山にも点数をつけようということがあり、テントの張り方やザックのパッキング、さらには登山の時間なども参考にするということでした。私が部長だったこともあり、そんなことに左右されずに、純粋に登山そのものを楽しもうと部員に話したことがあります。
 著者は、この本のなかで、自分の手相を「マスカケ線」であるといい、この手相の持ち主は「お金に不自由しない人」だそうだと書いています。でも、実際にはお金に不自由しないのではなく、お金に不自由したと思ったことがないだけだといいます。たしかに、あるないというのは、主観的なもので、不自由を感じなければそれでいいと私も思います。そして、じつは私も「マスカケ線」があり、手相の本を初めて見たときにビックリしたことがあります。
 下に抜き書きしたのは、コメディアンの萩本欽一さんの話しから、いっそ台本を捨ててみることも大切ではないかと書いてあるところです。
 どうも、台本があると少しの寄り道もできなくて、なんとなく型どおりに進むだけです。間合いも、計ったようなもので、隙がないだけにおもしろみもありません。そういえば、山なども気候に左右されるだけでなく、自分の体調にも、いっしょに登る人たちの思いにも左右されるので、登るたびごとに違います。だから、おもしろいし、また行きたいと思うのかもしれません。
  (2021.1.12)

書名著者発行所発行日ISBN
自然に生きる力辰野 勇KADOKAWA2020年11月25日9784041093788

☆ Extract passages ☆

 台本通りにいかないのが人生です。そこをアドリブで切り抜けていくのが醍醐味です。大きな目標を決めたら、あとはその時々で瞬問的に判断し、決断をしながら対応しなけねばなりません。
 台本をあてにしすぎると、予想外の事態が発生したときに、うろたえてしまうことがしばしばあります。……
 そもそも、野遊びには台本がありません。自然の中は、予定外のことばかり起きます。台本があったほうが実力を発揮できる人もいれば、私のように、ないほうがうまくいく人間もいます。
 いっそのこと、台本を持たない人生を楽しんでみるのもいいかもしれません。
(辰野 勇 著 『自然に生きる力』より)




No.1878『「食」の図書館 豆の歴史』

 この『「食」の図書館』シリーズは、少し前に『「食」の図書館 コーヒーの歴史』を読んだことがあり、カラー写真などが多く掲載されていて、とても読みやすかったのを思い出しました。それで、即、読むことにしました。
 著者は、フードシステム・インストラクター、食と文化の研究者、料理研究家などの肩書きが書かれていて、現在はアメリカのアリゾナ州に住んでいるそうです。
 この本を読んで、一番びっくりしたのは、「訳者あとがき」にも書いてありましたが、「豆は負け犬」という書き出しです。日本では、豆は主役ではないものの、間違っても負け犬などと表現されるものではなく、むしろ好意的に思っている方がほとんどだと思います。もし、豆がなければ、日本の料理は考えられないと考えている人すら多いのではないかと思っています。
 それなのに「負け犬」という表現は気になりますが、その後を読むと、欧米の人たちにとっては肉が主役であって、豆類は肉を食べられない「貧者の食べもの」だと考えられたからのようです。この他にも、これは違うということがありましたが、外国人の書いたものを読む楽しみは、ものの考え方の違いが浮彫にされたり、意外な発見があったりするので、それは楽しみのひとつです。
 たとえば、日本人にはなじみ深い小豆に関しても、この本では「アジアの食文化でよく見かける小豆は、もっぱらお菓子の材料として利用されている。小豆はおよそ1000年前に中国から日本に伝わり、どちらの国の料理にも欠かせない素材となった。その後、韓国、インド、台湾、タイ、フィリピンにも普及した。繊細な風味に加え、小豆を入れた料理が深い赤に染まることからとりわけ重宝されている。中国では春節(新年)など祝日用のお菓子作りに小豆が用いられる。小豆を煮て砂糖を加えた餡と呼ばれる練り物は、饅頭や餅菓子に詰めたりのせたりする。水に浸せば大豆のように豆乳になり、炒ればヌニャのようにスナックになり、焙煎すればコーヒーの代用にもなる。」と説明していますが、なんとも歯がゆい解説です。日本人だったら「餡を饅頭や餅菓子に詰めたりのせたりする」といわれれば、すぐ餡子の饅頭や大福などを思い浮かべますが、他国の人ならすぐには理解できないてしょう。ましてや、焙煎してコーヒーの代用になるといわれても、飲みたいと思う人はいないはずです。
 そういえば、ネパールに初めて行ったときに、彼らの食事にも豆は欠かせないものでした。毎日、ダール豆を煮込んだスープ、これを「ダール」といいますが、日本の味噌汁のように食べます。ときには、日に三度も食事のたびに出ることもあります。ネパールの友人に飽きないのかと聞くと、こんなに美味しいものだから飽きるということはない、と言い切りました。まさに国民食のようなものだと思いました。考えてみれば、日本の味噌汁だって、その味噌の原料は大豆ですから、豆の仲間です。食べ方は違っていても、豆に対する思いというのは、やはり欧米人とは違うとこの本を読んでいて思いました。
 下に抜き書きしたのは、第3章「豆の文化」に書いてあった「新世界の豆」についてですが、それ以外にもこの時代に動いていったもののリストです。
 これをみると、今食べているものの多くが、この大航海時代にもたらされたことに驚くばかりです。もちろん、ここにも書いてありましたが、すぐに受け入れられたものもあれば、300年ほどの歳月がかかったものもあります。でも、七面鳥と煙草、そして豆だけはすぐに受け入れられたというから、やはりそこは豆の力です。
 もし、このあとにも『「食」の図書館』シリーズのなかで興味のあるものがあれば、読んでみたいと思いました。
  (2021.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
「食」の図書館 豆の歴史ナタリー・レイチェル・モリス 著、竹田 円 訳原書房2020年10月28日9784562058549

☆ Extract passages ☆

 大西洋を渡って旧世界に到来した品々は、そのほとんどが南米大陸原産だ。じつに壮観なリストを次に挙げよう。ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、アボカド、パイナップル、チョコレート、バニラ、コショウ、そして、金、銀、ゴム、チューインガム、キニーネ。リストには豆類も含まれる。ピーナッツ、バタービーン、リマ豆、ベニバナインゲン、いんげん豆などなど。
 新大陸も恩恵を受けた。コロンブスはのちにさまざまな品種の小麦、ひよこ豆、サトウキビをカリブ海諸島にもたらした。ヤムイモとささげは、旧世界の探検家たちがアフリカから奴隷を連れてくるようになったときに伝来した。
(ナタリー・レイチェル・モリス 著 『「食」の図書館 豆の歴史』より)




No.1877『吉岡幸雄の色百話 男達の色彩』

 この本は、なんと重い本かと思ったのが第一印象です。327ページですが、おそらく印刷をきれいにしようとして、紙質も選び抜いたからではないかと思います。
 そして、出版社を見ると世界文化社ですから、納得しました。それにしてもビックリしたのは、いくら物語の世界とはいえ、『源氏物語』のなかで光源氏が桜色の直衣を着て花見に行ったことが書かれているそうで、おしゃれというか、さすが雅なものだと思いました。
 この本のなかには、カラー写真が随所にあり、それだけでも初春らしい雰囲気の本でした。ただ残念なことに、著者の吉岡幸雄氏は2019年9月30日に心筋梗塞のために73歳で急死されたそうです。ですから、この本はちょうど1周忌にあわせて出版されたことになります。
 著者は、「吉岡幸雄の紫」ということも書いていて、そうとう紫色にはこだわっていたようです。ところが、この紫色を出す「紫草」という植物はやっかいで、花は白いのですが、その根に紫の色素を含んでいるそうです。しかも、2年以上育てないと根に紫の色素を蓄えないらしく、水分が多いと根腐れを起こしやすいといいます。でも、昔の人は、花が白花なのにその根が紫色の色素を含むということで名づけたということは、しっかりとその植物を見ていて名前をつけたのではないかと想像します。
 それにしても、染色というのは大変な作業です。たとえば、この紫色ですが、この本によると、「椿灰は紫の発色剤の役目を担う。工房の庭で、自家製の貴重な椿灰をつくるのは、代々大事な務めになっている。 深紫に染めるのに8日間の日数を要する。それも毎朝、紫草の根を叩いて、新鮮な染液をとらねばならない。 「紫は灰指すものぞ海石相市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢へる児や誰れ」 「万葉集』に、紫の染色方法さながらを詠んだ、男の恋歌がある。」と万葉集の歌まで紹介しながら書いていて、とても興味深く読みました。
 そういえば、山形県はベニバナの栽培が多いのですが、これを使って染める場合に必ず烏梅というものを使うそうです。これは、その名の通り、烏のように真黒な梅という意味で、しかも白梅の実を使ってつくるというから不思議なものです。現在では、奈良市の月ヶ瀬というところで作っているそうですが、たった1軒しかないそうです。しかし、この烏梅がないと紅花の鮮烈な赤い色にはならないそうで、伝統的なものはさまざまなところで支えられていると感じました。
 たとえば、染色で使う灰汁ですが、これはわら灰から作るのですが、その残りの灰は捨てるのではなく、ある程度貯めておいて、春から夏にかけて陶芸家が釉薬に使うためにもらいに来るそうです。つまり、わら灰から作る灰汁も灰も、それぞれに使い道があるということです。
 下に抜き書きしたのは、天平勝宝4(752)年4月に東大寺大仏殿の開眼法要の導師を努めた菩提僊那僧正のことです。
 彼は、インドから中国、そして奈良の都へとやって来ただけでなく、聖武天皇に請われて、大仏開眼という大儀式を担った僧侶です。そのときの開眼で使ったのが「開眼縷(る)」で、そのことを初めて知っただけでなく、東大寺1250年慶讃大法要で使ったこの五彩の「開眼縷」の写真を見て、その色合いの素晴らしさにも感じ入りました。
 そして、今でもこのような復元ができる方がいらっしゃるということに驚きました。
(2021.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
吉岡幸雄の色百話 男達の色彩吉岡幸雄世界文化社2020年9月30日9784418204151

☆ Extract passages ☆

 その盛大な儀式の演出に、色彩に関して興味深いものがある。「開眼縷」という紐のことである。僊那(菩提僊那僧正のこと)は儀式の頂点を、開眼、すなわち大仏の眼に筆を入れる場面と考えた。大仏の眼に筆を入れる瞬間の喜びを、1万人もの参列者に伝えるのに、大仏の顔に近づいて、自らが墨の筆を握り、入れる。その筆には縷、すなわち長い紐が結びつけられていて、その紐は大仏殿の前庭に参集した人びとに長く幾本となくのびている。それを皆が手にとり、眼に墨を入れる感動を分かち合い、功徳にあずかるという工夫であった。
(吉岡幸雄 著 『吉岡幸雄の色百話 男達の色彩』より)




No.1876『人類はパンデミックをどう生き延びたか』

 今年最初の本を何にしようかと思いましたが、先ずは仕事に合間に読むので手軽な文庫本にして、それから昨年は新型コロナウイルス感染症の拡がりが続く中で、年末年始も不要不急の自粛だったこともあり、この『人類はパンデミックをどう生き延びたか』を選びました。
 あらためて、感染症は歴史をも変えてしまうような大きな影響を与えたことがわかり、そして、おもしろいと思ったのはその感染症を人命を救うためにつかったことがあると知り、興味を持ちました。それは、1943年のナチス時代のローマで実際にあったことで、この本には、「当時、ローマ市内を流れるテヴェレ川の中州には、修道院が経営する「ファーテ ベネフラテッリ病院」が建てられていたが、10月16日を境として、そこには「K症候群」という正体不明の病気の治療を受ける患者たちが増えていった。結核を意味するイタリア語と発音が酷似していることから、ファシスト党政権の軍警もナチス兵たちも感染を恐れ、K症候群患者が収容されている病棟には近づこうとしなかった。」と書いてあります。
 しかし、この病院にもこの年の10月末にナチス兵が病棟内の捜索にやってきたことがあったそうですが、スタッフの冷静な対処で、その惨状を聞いただけではやめに切り上げて帰ったそうです。つまり、これは「医長ジョヴァンニ・ボロメオをはじめ、心ある医療スタッフや修道士たちの狙いで、K症候群はユダヤ人を匿うために考案した偽りの病気だった」ということです。でも考え方を変えれば、感染症はそれほど怖い存在だったということです。
 この本のなかには、その怖さがこれでもかというほど書いてありますが、あの有名な」メイフラワー号」が1620年12月26日にマサチューセッツ湾沿岸部に接岸したときには、その地域の原住民はスペイン人などが持ち込んだ天然痘に感染して、ほぼ全滅していたということです。そのことを、ピルグリム・フアーザーズは「神が感染症を遣わして、われらの行く手を清掃し給うた」と言ったそうで、武力の行使も物々交換をすることもなく土地を手に入れたことに感謝の祈りを捧げたと書いてありました。
 しかも、このことを知った植民者たちは、友好を装い、天然痘患者が身にまとっていた毛布を贈りったというから言葉を失います。まさにこれは現代の生物兵器そのものです。
 これとは逆に、感染症が拡がったことで、大きな発見をした人もいて、それはアイザック・ニュートンです。彼は、リンゴが木から落ちるところを見て「万有引力の法則」を発見したという話しは有名ですが、実はこの話しには感染症も関係しています。というのは、彼の故郷は東イングランドにある田舎町ウールスソープでしたが、「二ユ―トンは、19歳のときにケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。出だしこそよくなかったが、学びのコツを身につけてからは他の追随を許さない成長を見せ3年余りで卒業。その後は同大学で数学を教えることになっていたが、折あしくペストの流行により大学が一時閉鎖されたので、ニュートンはウールスソープに戻り、静かに研究生活を送る。そのなかで大発見に至ったのである。」ということです。
 そういえば、昨年の3月から6月にかけて、多くの学校で臨時休校や閉鎖があり、行きたくても行けないような状況が続きました。ニュートンは教えるほうの立場とはいえ、同じように閉鎖で1年ほど行けなかったわけですが、この間に「万有引力の法則」だけでなく、数々の発見をしているそうです。私もニュートンが学んだトリニティ・カレッジやそのリンゴの木を実際に見ましたが、写真を撮っただけですから、やはり同じには考えられないようです。
 下に抜き書きしたのは、祇園祭や茅の輪くぐりの由来で、これももともとは863年に咳逆(がいぎゃく、インフルエンザ)が流行したことから始まったようです。
 この話しは、いろいろなところでバリエーションもありますが、流れはほとんど同じようなものです。ちょっと長いですが、ここに書き出しますので、興味のある方は読んで見てください。
  (2021.1.3)

書名著者発行所発行日ISBN
人類はパンデミックをどう生き延びたか(青春文庫)島崎 晋青春出版社2020年5月20日9784413097543

☆ Extract passages ☆

 祗園とは京都祗園にある八坂神社のことで、祗園の神とは「武塔神」を指す。これは「素戔嗚尊」の別名で、生前の仏陀が暮らした祗園精合の守護神「牛頭天王」とも同一視される。
 この神と感染症の関係については、「出雲国風上記」と同時期に編纂された「備後国風上記」逸文に次のような話が見られる。
 北の海の住む武塔神が南海に住む女神を訪ねていったとき、途中で日が暮れてしまった。そこで蘇民将来と巨旦(こたん)将来兄弟がいる集落で一夜の宿を借りようとしたところ、裕福な巨旦将来には断られたが、貧しい蘇民将来からは温かくもてなされた。
 それから数年後、他の神々を従えた武塔神が蘇民将来の家を訪れ、茅でつくった茅の輪を贈り、蘇民将来の子孫はすべてこれを腰に着けておくようにと告げて立ち去った。後年、感染症が流行したとき、茅の輪を着けた蘇民将来の子孫以外の者はみな死んでしまった。
 869年6月の祇園御霊会はこの神話を受けて開催されたもので、現在も多くの神社で「茅の輪くぐり」という病除けの神事が行われ、「蘇民将来之子孫也」などと記された護符の類が売られているのも同じ理由による。
(島崎 晋 著 『人類はパンデミックをどう生き延びたか』より)




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