☆ 本のたび 2021 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.1924『最後の人声天語』

 この「人声天語」は文藝春秋で2003年から連載されていたもので、著者が2020年1月13日に心不全で急逝されるまで続いていたそうです。だから、この本の最後が2020年2月号の「和田誠さんと話したかったこと」です。しかも、自ら2019年は「死者の当たり年」と言い、その最後のところで「和田さんにお目にかかって直接その話しをしたかったのに、それはかなわなかった。残念だ。」と書いていて、まさか自分自身が亡くなるとは予想もしていなかったようです。
 そして、最後の原稿は中野翆さんの「ツボちゃん、ほんとうに逝っちゃったんだね」です。まさにセカセカした性格だったそうですが、告別式の日は好きな相撲を何人かで国技館のマス席で観戦する予定でチケットまで自ら手配していたそうです。やはり、人生というのは一寸先のことは誰にもわからないようです。
 それにしても相撲好きは少年時代からだそうで、「少年時代はテレビと相撲雑誌で満足していたが、今は会場に足を運ぶ。両国国技館には毎場所4回、大阪や名古屋に通うこともある。しかもそのあとでのテレビ(録画したもの)の復習も欠かさない。」というから恐れ入ります。
 私はほとんどというか、まったく相撲や野球を見ないのでその気持ちはまったくわからないのですが、この本を読む限り、5回に1回は相撲と野球の話しが出てくるので、その好きさ加減がよくわかります。
 2020年1月号の「なぜますます画一的な人間を育てようとするのか」で、入試改革で記述式問題を増やそうという意見には賛成するが、なぜ反対する人たちが多いのかわからないと書いています。たしかに、○X式は採点する側にしてみれば、簡単だと間違いもないとは思います。でも、これだけでは、本当の入試にはならないのではないかと私も思っていました。また、本を買う場合も、通販だと簡単に手に入りますが、リアルな書店なら、眺めているうちにおもしろそうな本と出会う機会もあります。たとえ辞書を引いたとしても、電子辞書なら簡単に回答がでますが、その隣におもしろいことが書いてあったとしても、それはできません。でも書籍の辞書なら、それもできるし、引くだけでなく読むことだってできます。
 私の知り合いは、もし無人島に1冊しか本を持っていけないとするなら、何を持って行きますかという質問に、広辞苑と答えたそうです。たしかに、これなら、暇に任せて読めそうな気がします。
 下に抜き書きしたのは、先に掲げた中野翆さんの「ツボちゃん、ほんとうに逝っちゃったんだね」のなかに書いてあったものです。おそらく、これが本の最後によく載っている「解説」にあたるところのようです。
 だとすれば、私はあまり著者の坪内祐三さんを知らないので、これを載せました。
(2021.5.10)

書名著者発行所発行日ISBN
最後の人声天語(文春新書)坪内祐三文藝春秋2021年1月20日9784166612970

☆ Extract passages ☆

 坪内さんはイヌ年生まれだった。それとは全然関係ないものの、私は坪内さんと会うと「犬だよね、まるで」と頭の中で笑うことが多かった。神保町の吉本屋街や新橋の呑み屋街を何かクンクンと、かぐようにして早足で歩く後ろ姿。おかしな話をする時の、黒いボタンのような丸い目。さっきまで憤然としていたのに、ひとしきり吐き出すと、コロッと変わって、いつもの愉快な「ツボちゃん」に戻っている。そういうところも犬っぽかった。
(坪内祐三 著『最後の人声天語』より)




No.1923『つぎに読むの、どれにしょ?』

 ここ最近、新型コロナウイルス感染症の変異ウイルスや4月25日からの東京、大阪、京都、兵庫の4都府県を対象に、緊急事態宣言を発令されたこともあり、どうしてもウイルスや健康に関する本を選んでいたようです。
 でも、4月26日に地元の小学生たちと学校林活動や山野草の観察会などで子どもたちと接する機会があり、マダガスカルのバオバブの樹のしおりを差し上げたりして、『星の王子さま』を思い出しました。でも、児童書にも楽しい本がいろいろとありそうで、この本の副題が「私の親愛なる海外児童文学」とあったので、読んでみることにしました。
 著者は長野県松本市の生まれで、児童書専門店の「ちいさなおうち」を営んでいたこともあり、評論社営業部などを経て、現在は実家の広報を担当しているそうです。つまりは、小さな時から児童書に親しみ、今現在もその仕事に携わっているわけですから、児童書に疎い私にとっては未知の分野です。だからこそ、楽しみにして読み始めました。
 最初に『ローラの物語』シリーズの『長い冬』の「小さな喜びを大切にクラスことの豊かさ」です。著者が谷口由美子さんの講演会で聞いたことだそうですが、この本の翻訳をされた石田アヤさんが、「長い冬を生きぬいたインガルス一家と、長い戦争を生きぬいた日本人を重ね合わせて翻訳をした」といいます。そういえば、今は新型コロナウイルス感染症の影響で三度目の不要不急の外出自粛がもとめられ、この楽しいはずのゴールデンウイークも多くの人たちは自宅で過ごさなければならないようです。つまり、心情的にはまさに長い冬を耐え抜かなければならないようなもので、これがいつまで続くか見通せないのも不安です。しかし、いつかは必ず春は来ると信じていますが、「ローラたちのように、些細な出来事を楽しみ、小さな喜びを大切に日々を過ごすことの豊かさにあらためて気づかされました。今回読み返してみて、いまこそ! 多くの人たちにこのお話を読んでほしいなと思いました。」と書いています。
 この本は海外児童文学を紹介していますから、ほとんどの方は翻訳されたものを読みますが、その訳者によって文学としての味付けが変わってしまうような気がしていました。そのことについて、「リンドグレーンが好き」でつながった翻訳家の石井登志子さんとの対談で、石井さんは、「いまでも私は、「原文を大切に」と思っています……。けれど、実は翻訳っていうのは完璧に正しい翻訳は存在しないのだということが、だんだんわかってきました。たとぇば、「I am a girl」といった簡単な文でも「私は女の子です」「私は少女よ」「ウチは女や」とか、いろんなふうに訳せますからね。大塚先生の訳を原文と合わせてみると、原文では地の文のところが会話で表現されているところもあるし、原文どおりではないわけですが、日本語として、わかりやすければ、いいのです。」と話しています。
 とくに、児童文学の場合はわかりやすくなければダメでしょうから、なるほどと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「ヒナギク野のマーティン・ピピン」というお話しを紹介しているところの言葉です。
 とくに児童文学という分野は、ある意味で子どもたちに物語のなかに引き込む魔力が必要だと思います。大人と違って、子どもたちは入り込みやすいし、それが子どもたちにとっての文学のおもしろさのような気がします。このような言葉を読むと、もう一度児童文学でも読んでみようかな、と思います。
 著者は、「おわりに」の最後に、「自分にとって大切な物語を持つことは、とても幸せなことです。本と向き合う時間は自分だけのものですが、本が思いがけない世界へ連れて行ってくれることだってあります。」と書いていて、私もつれて行ってほしいなと思いました。
(2021.5.8)

書名著者発行所発行日ISBN
つぎに読むの、どれにしょ?腰高綾乃かもがわ出版2021年2月1日9784780311419

☆ Extract passages ☆

 どんなタイミングで、どの本が自分にとって特別な存在になるかは誰にも決められません。ふと手にとった本がそうかもしれないし、急に読み返したくなって読んだ本が、特別な一冊になることだってあると思います。
 もう二度と同じような体験はできないかもしれませんが、また、いつ物語の魔法にかかってもいいように……素敵な本に出会う準備はしておきたいなと思います。
(腰高綾乃 著『つぎに読むの、どれにしょ?』より)




No.1922『免疫力 正しく知って、正しく整える』

 またまた健康に関する本ですが、昨年に引き続き大型連休も遠くには出かけられないし、近場でもみんなでワイワイと騒ぐこともできないので、この新型コロナウイルス感染症のこともあり、自分自身の健康についてに考えてみようと思いました。
 もともと、著者は寄生虫の研究者で、1983年に寄生虫体内のアレルゲンを発見したことで有名です。だから、現在、第4派ともいわれる新型コロナウイルス感染症についても、あまりに清潔にし過ぎることでその免疫力まで失ってしまうと警鐘を鳴らしています。たとえば、手洗いについても、「皮膚常在菌のつくる皮脂膜は、天然の保湿成分です。皮膚にとつて、皮脂膜ほど優れた保湿剤はありません。しかしほとんどの人は、その皮脂膜を薬剤で洗い落とし、「手がカサカサするから」と、人工的につくられた高価な保湿剤をぬっています。……私は、ふだんの手洗いは流水で10秒で十分と考えています。皮膚常在菌の皮脂膜があれば、外から付着したウイルスなどの病原体は十分に洗い流せます。反対に、皮膚常在菌は洗い流さず、守ることができます。それだけでは心配というならば、人の多い場所に出かけたときには、流水で20秒くらい流せば、平時は十分だと思います。」と書いています。
 ただ、これはあくまでもふだんのことで、現在のように新型コロナウイルス感染症が拡がっているうちは、しっかりした対策をとる必要があると思います。
 考えてみれば、お店に入るときでも、入口に備えられている消毒液を使わないと、なんとなく入りにくいし、誰かが見ていて注意されるような気がします。私などは、入るときだけでなく、出るときも念のため消毒液を使うこともあり、流水で手洗いしたでけで十分だといわれても、つい心配になります。
 そういえば、現実の恐怖と「恐怖に対する不安」とは違うと書かれていましたが、それもなるほどと思いながら、それらはしっかりと冷静に見て、「本当に恐れるべき恐怖」と「恐れることのない、つくられた恐怖」を見分けられるようにしなければと、この本を読みながら思いました。
 第3章で「免疫力を上げる食べ物、下げる食べ物」を書いていますが、時には肉も食べ、魚や野菜や果物などいろいろなものを食べ、免疫力を下げる食べ物は極力避けることが大切なようです。そして、つねに笑うことも必要で、「人間の子どもは1日に300回も笑うそうですが、大人になるとわずか17回です。笑うことほど簡単で楽しい健康法はないのに、もったいないことです。」と書いてあり、たしかに孫といっしょに遊んでいるといつも笑いが絶えませんが、大人だけになるとあまり笑わなくなるようです。
 L・ベーク博士が、健康な医学生52人を対象に、1時間のコメディビデオを鑑賞させ、その前後の免疫力を測定するという実験を行ったそうですが、それによると、「NK細胞の活性も、抗体の量もそれぞれ増加し、その効果はビデオ鑑賞後12時間以上も続いたということです。なお、笑うと活性化するのはNK細胞ばかりではありません。他の免疫システムもおしなべて活性化することがわかっています。」とあり、やはり笑うということは、いろいろな面においてもそうとうな効果があるようです。
 下に抜き書きしたのは、人は生まれたときから微生物とともに生きているわけだから、すべてを敵視することなく、ある程度は共生することも大切なことだといいます。
 たしかに、ウイルスだって宿主がいなければ生きていけないわけですから、自分自身の免疫力を高めながら共生することもありだと思いました。
(2021.5.6)

書名著者発行所発行日ISBN
免疫力 正しく知って、正しく整える(ワニブックス/PLUS/新書)藤田紘一郎ワニ・プラス2020年7月5日9784847061660

☆ Extract passages ☆

 地球上に無数にいるウイルスのうち、人に病気を起こすウイルスはわずか1パーセントで、残りの99パーセントは病気を起こさないとも見られています。
 それでもときには風邪を引き、食あたりを起こすでしようのこれは、原因となる微生物に勝てるだけの免疫力が、今の自分の身体にないからです。
 ただし、私たちの免疫力は、特定の病原体と接するたびに学習し、抗体の力をだんだんと強めていきます。このことはお話ししました。ですから、免疫力を高めるためには、微生物とふだんから適度に接する生活が重要です。
 一方、ウイルスのほうも学習します。ウイルスの目的は、宿主となる人を殺すことではなく、寄生することだからです。感染拡大の初期は、自分の子孫を増やすために、感染力を高めます。それによって病原性も強まります。ですが、やがてウイルスも学習します。病気を悪化させて宿主が死んでしまったら、自分たちも生きていられない、ということに気づくのです。
(藤田紘一郎 著『免疫力 正しく知って、正しく整える』より)




No.1921『最新研究が示す 病気にならない新常識』

 この大型連休に、健康に関する本をよく読んでいるような気がします。いつもの年なら、そんなことを考えている余裕もないのですが、新型コロナウイルス感染症の第4波とかいわれるとますます収束のめどが立たず、外出もままならないようです。
 考えてみると、科学というのは仮説から定説になっても、それがひっくり返されるのは当たり前で、医学の常識でも次々と新しい常識が生まれてくるのはよくあることです。昨日までこのようにしているといいといわれても、次の日にはそれは病気になりやすいといわれることさえあります。だとすれば、今現在の『病気にならない新常識』とは何だろうと思って読み始めたのがこの本です。
 よく健康は食事からといいますが、この本では、「長野モデル」から学べる理想の食事として、次の10ヵ条を掲げています。それは、
@食事に時間をかけること=よく噛むことは、病気にならないために有効
Aよく噛むことは、肥満も抑制する
B野菜に含まれる「適度な毒」が、ストレスヘの抵抗力を強くする
C白ワインよりも赤ワインの方が、ポリフェノールが多く健康には良い
D味噌とキノコは、動脈硬化や心臓病、認知症の予防、またアンチエイジングに有効
E健康に良いとされる日本食の中でも「1975年頃」の食事が理想的
F肉の中では、赤肉(牛、ブタ)よりも白肉(鶏)の方ががん予防には良い
G豆腐や納豆は、健康にとても良い
H地中海食(たっぷりの野菜と果物、精白していない全粒穀物、適量の魚や鶏肉、赤ワイン)も、心臓病や生活習慣病予防、また認知症予防にも有効
I免疫力を高める亜鉛、ビタミンC、ビタミンDは、サプリメントではなく食事から、亜鉛を含む肉、貝、レバー、ビタミンCは緑黄色野菜や果物、ビタミンDは魚、キノコでしっかり摂る
 と書いてありました。
 このなかで、「1975年頃」の食事に関しては、この本のなかで、東北大の都築毅博士のマウスをつかった研究を載せていますが、15年間隔で4つの年代、1960年、1975年、1990年、2005年の日本の1週間分の献立を再現し、それらを冷凍乾燥させ、粉砕・攪拌して均一化した「日本食飼料」作成し、それぞれをマウスに8ヶ月与えて、その後の体への影響を調べたそうです。すると、1975年の日本食で育ったマウスが肝臓の中性脂肪量や肝臓コレステロール量が低かったそうで、血糖値に対するリスクも下げることがわかつたそうで、さらに肥満も少なかったといいます。
 つまり、1975年の日本食は、他の年代に比べて、植物性タンパク質、不飽和脂肪酸、グリセミック指数の小さい炭水化物の割合が多いそうで、よくいわれる「まごわやさしい」まは「まめ」、ごは「ごま」、わは「わかめ」、やは「やさい」、さは「さかな」しは「しいたけ」、いは「いも」だそうです。
 また、睡眠も大切で、昔はやったものに睡眠学習というのがありましたが、この睡眠が意外と記憶と深い関わりがあるといいます。それは、「海馬は記憶の「一時保管庫」となっています。でも、一時保管庫なので、保管できる記憶の量には限りがあります。毎日毎日、海馬に記憶をため続けると、あっといぅ間にパンクしてしまいます。ある時を境に、新しいことが全く記憶できない、あるいは新しいことは記憶できるが、以前の記憶が古いものから順々に失われていく、という事態が生じてしまいます。このような事態を避けるために、深い睡眠であるノンレム睡眠中に、海馬に一時的に保管された記憶を、記憶の「長期保管庫」である大脳皮質にゆっくりと移動させているのです。大脳皮質に移動させたものを「長期記憶」といいます。」と書いてあり、まさにパソコンのように海馬がメモリーで、大脳皮質がハードディスクのようなものです。だから、ときどきはデフラグをしないと記憶の呼び出しに時間がかかるようになるので、それも必要な作業だということでした。
 下に抜き書きしたのは、「おわりに」に書いてあったもので、「ストレスが持続すると、身体に害をもたらす」という遺伝子が残っているかぎり、古典的なヘルス・メンタルヘルス対策が大切だといいます。
 たしかに、あまりにも当たり前のことのように感じますが、著者も言うようにこれに尽きるのかもしれません。
(2021.5.3)

書名著者発行所発行日ISBN
最新研究が示す 病気にならない新常識(新潮新書)古川哲史新潮社2021年1月20日9784106108907

☆ Extract passages ☆

・十分な睡眠、すなわち8時間の睡眠をとること
・運動をすること
・バランスのとれた食事を摂ること
・緊密な社会的なつながりを保つこと

(古川哲史 著『最新研究が示す 病気にならない新常識』より)




No.1920『専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話』

 著者も書いているように、新型コロナウイルス感染症についてさまざまな情報が流れ、新型ということで今までなかった感染症で極端なことをいえば誰もわからなかったのです。だからといって、あまりに正反対の情報が流れると、一般の人はとまどってしまいます。そういう意味では、『専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話』というのは、時期を得た本だと思い、読むことにしました。
 この本を読んで初めて知ったのですが、「人類をもっとも死にいたらしめている動物は何でしょうか」という問いに、私は戦争などを考えると、人間だと直感的に思いました。ところが、2014年からビル・ゲイツ氏がオフィシャル・ブログ"Gates Notes"に公開しているデータでは、「2015年の3位は「ヘビ」で、年間およそ6万人。2位は「人間」で、年間およそ58万人。その残酷な人間を圧倒してぶっちぎりの1位に輝いた(?)のは、「蚊」です。年間の殺人数は、およそ83万人です。」と書いてありました。
 蚊が媒介する感染症と聞いてすぐに思い出すのはマラリヤで、その他にも日本脳炎やデング熱などもあります。そういえば、2017年8月29日からイギリスに行ったときに、キューガーデンの方からマダガスカルに行くという話しをうかがい、いっしょに行こうという話しにまで進みました。喜んで帰国して、来年はマダガスカルに行けると思っていたら、イギリスの方からメールが来て、今、マダガスカルはペストが流行っていて行けないということでした。この本にも、そのマダガスカルのペストについて記載があり、「2017年にはマダガスカルの首都アンタナリボなどで肺ベスト患者のアウトブレイクがあり、2300人以上が感染、200名を超える死者が出ました。このケースを見てもわかるとおり、8〜10パーセント程度と致命率が高いのがベストの特徴です。治療をしなければ、致命率はエボラ出血熱よりも高くなります。ペストの病原体は、ペスト菌(Yersinia pestis)という細菌です。ノミの吸血によって感染する腺ペスト、ネズミなどの齧歯類や感染したヒトから飛沫感染する肺ペスト、それらから進展するペスト敗血症の3つに分類されます。ふだんはノミと齧歯類のあいだをサイクルしているペスト菌が、そのどちらかからヒトにも感染し、さらにヒトからヒトヘの感染も起こるのです。」とあり、行かなくてよかったと思いました。でも、2019年9月から10月にかけて行くことができ、念願だったバオバブの樹をたくさん見て、植樹もしてきました。
 やはり、感染症は怖いので、流行期には絶対に近づかないということが一番です。そういれば、いつかはその機会が訪れ、行けるようになると思います。
 では、この感染症を避けるためにすることの基本は、何よりも「手洗い」が有効だそうです。水で洗い流すだけで心配なときは、アルコール消毒液も新型コロナなどには有効だそうですが、ノロウイルスなどにはあまり効果がないそうです。ポイントは時間をかけて丁寧に洗い流すことだそうで、石けんを使うのもいいそうです。ただ、「うがい」はあまり科学的な根拠がないそうですが、やってはいけない理由もないとのこと、やはりこまめな手洗いが重要みたいです。それと、「マスク」は大切です。
 下に抜き書きしたのは、「おわりに――コロナに終わりはあるのか」に書いてあった文章です。
 たしかに、終わるかどうかは誰にもわかりませんが、これからも慎重に動きを見守る必要はあると思います。だとすれば、これからも基本的な感染対策を引き続き行うことは大切です。
(2021.5.1)

書名著者発行所発行日ISBN
専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話(幻冬舎新書)忽那賢志幻冬舎2021年3月5日9784344986138

☆ Extract passages ☆

……ワクチンを接種したらそれで終わり、感染対策も不要、というわけではありません。ワクチン接種が始まった後も一人ひとりが、
・屋内ではマスクを装着する
・3密を避ける(特に職場での体憩時間や会食)
・こまめに手洗いをする
 といった、基本的な感染対策を引き続き行うことで、この100年に1度の厄災に立ち向かっていきましょう。
(忽那賢志 著『専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話』より)




No.1919『星野道夫 約束の川』

 このSTANDARD BOOKSのシリーズは、寺田寅彦や今西錦司など、何冊か読んでいますが、小さい本なので読みやすく、よくその著者の特徴が出ている文章が載っています。
 この星野道夫さんのものも、読んだことのある文章が7割以上ありましたが、それでも思い返しながら読むことができ、楽しかったです。たとえば、「木の実の頃」という文章も何回か読んだのですが、「『ブルーベリーの枝を折ってはいけないよ。おまえの運が悪くなる』その母親はよく運の話をした。なぜそうしてはいけないのかと聞くと、″運が悪くなるから″と答えた。人の持つ運は、日々の暮らしの中で常に変わってゆくものだという。それを左右するものは、その人間を取りかこむものに対する関わり方らしい。彼らにとって、それは「自然」である。彼らは、漠然とした、本能的な自然への恐れを持っている。日常生活の中での、ひとつひとつの小さな関わり。そこにタブーという説明のつかない自然との約束がある。それは僕たちが失くしてしまった、生き続けてゆくための、ひとつの力のような気がする。」のところなどは、何度読んでもなるほどと思いました。
 このアラスカのような広大な空間で生きていくためには、自然と共存するというか、自然に対する畏れがないと生きられないと思います。この本のなかでも、飛行機のプロペラが折れ曲がってしまい、飛べなくなり、部品がくるまでどうしようもなかったと書いています。いくら文明の利器だとしても、それにも限界があるということです。自然と折り合いをつけながら生きていくしかないわけで、おそらく今の時代であっても、このようなところでは人間の存在なんてものは、とても小さいと思います。
 そういえば、ベースキャンプをつくるとき、テントを張る場所を時間をかけて選ぶと書いてありましたが、私もネパールに行ったときには、なるべくロッジに泊まらず、テントを使います。というのは、ロッジそのものが不衛生ということもありますが、テントだと自分の気に入ったところに張ることができます。たとえば、アンナプルナの山麓を巡ったときには、テントの入り口を一番よく見えるところに向けると、朝起きたときに山々が黄金色に輝く風景を寝ながら眺めることができます。そして、シェルパの方に熱いお湯を持ってきてもらい、そこで自分でお茶を点てて飲むと、最高の気分です。もちろん、夕方の風景も素晴らしく、自分の好きなコーヒーを持って行くので、自分でドリップして楽しみます。
 もちろん、夜は外に椅子を出して、夜食をほおばりながら、星空を眺めます。もし、ロッジに泊まればわざわざ外に出ないとできないので、つい見なくなります。一度などは、テントの半分を持ち上げて、星空を眺めながら眠ったこともあります。でも、このときは、友人のシェルパからあまりにも不用心すぎると注意されました。
 この星野のさんの本を読みながら、あるところで開催された「星野道夫の宇宙展」の図録を引っ張りだして見ました。たとえば、動物はもちろん、トーテムポールなども、文字だけではなかなかイメージがつかめないものも写真だとストレートに伝わってきます。
 そういえば、だいぶ前に見た『星野道夫の仕事』全4巻、朝日新聞社刊、などに出ていた写真なども思い出しました。この本の文章を読みながら、もしかすると、あの本に出ていた写真かな、などと推測するのも楽しかったです。
 それにしても43歳で亡くなるというのは、あまりにも早すぎます。この本のなかに、フェアバンクス郊外の森を買い、そこに家を建てたことが「家を建て、薪を集める」というところに書いてありますが、1990年で38歳のときのことです。つまり、単純に計算すると6年しか住んでおらず、その半分近くは写真を撮り歩いていたことになります。
 下に抜き書きしたのは、「雪、たくさんの言葉」のところに書いてあった文章です。
 実は私も別なところで聞いたのですが、アラスカ原住民の雪の白さを表現するのにいろいろな白色の表現があるそうです。日本人も、白色の表現に純白から乳白色まで、いくつかの段階があります。たとえば、純白でも真っ白というふうにいうこともあります。だとすれば、雪のなかで1年の半分以上も暮らしている人たちにとっては、もっといろいろな表現があるはずです。それを、ホワイトだけで表現のにはどだい無理があります。
 そして、まったく雪の降らない地方の人たちにすれば、それを理解しようとしても難しいのではないかと思います。だからといって、ダメということではなく、理解しようとする努力は、どんなときにも必要ではないかと思います。
(2021.4.29)

書名著者発行所発行日ISBN
星野道夫 約束の川(STANDARD BOOKS)星野道夫平凡社2021年2月10日9784582531770

☆ Extract passages ☆

 いつかこんな話を聞いたことがあった。変わりゆくアラスカをめぐり、アラスカ原住民とアメリカ政府との間で開かれたある話し合いの席でのこと。一人のエスキモーの老人がこんなことを言ったという。
「わしらは自分たちの暮らしのことを、自分たちの言葉で語りたい。英語では、どうしても気持ちをうまく伝えられん。英語の雪はsnowでも、わしらにはたくさんの雪がある。同じ雪でも、さまざまな雪の言葉を使いたいのだ」
 この話が妙に記憶に残っている。暮らしの中から生まれでた、言葉のもつ多様性。アラスカの冬を、雪の世界を、彼らの言葉を通して旅してみたい。ひとつひとつの雪の言葉に隠された、生命の綾をたどってみたい。
(星野道夫 著『星野道夫 約束の川』より)




No.1918『カベを壊す思考法』

 著者の名を見て、すぐにNo.1903『歴史を活かす力』を思い出しました。すごくわかりやすい書き方で、ぐいぐいと引っ張って行くように感じられました。
 そこで、この本も読んでみようと思い、図書館で借りてきました。今は新型コロナウイルス感染症の影響もあって、遠くへ出かけられないので、時間があれば本を読むのですが、そうそう本屋さんで買ってばかりはいられません。もちろん、もう本棚がいっぱいで、その棚の前にも本が積み重なり、部屋の領域をますます狭くしていることも、借りてくる理由のひとつです。
 この本は、2010年6月に英治出版から刊行された『「思考字句」をつくれ』を加筆修正し、大幅に改訂したものだそうで、そういえば、前に読んだ『歴史を活かす力』も「文藝春秋digital」の連載「腹落ちする超・歴史講義」2019年11月7日から2020年8月27日までのものを、大幅に加筆し再構成したものでした。どちらも、今の時代に添わせたように改訂していて、これはこれでとても興味深く読みました。
 著者は、直感を大切にしているといい、「直感の精度はその人のインプットの集積で決まります。だからこそ、日ごろから読書をしたり、さまざまなジャンルの人に会ったりして経験の幅を広げ、インプットの量を増やしておくことが大切なのです。そのように努めれば、直感の精度は確実に高まります。常に、「人、本、旅」で勉強しなければいけないのです。」と書いていますが、まったくその通りだと思います。
 私も人と会って話しをするのは好きですし、本も旅も大好きです。
 ところが、この新型コロナウイルス感染症の影響で遠くへ出かけることはできなくなり、さらに海外に行くのはまったくできません。このような状況では、心配なくできることといえば読書ぐらいなものです。
 だから、毎日時間があると本を読んでいますが、読めば読むほどいろいろと興味が湧き、好奇心の赴くままに夜遅くまで読んでいます。もし、目が悪くなり、本が読めなくなったら、どうしようかとさえ思います。でも、数年も経てば、自由に旅ができるようになるかもしれないので、それまではゆっくり本でも読むしかなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、第3章「自分に必要な情報のつかまえ方」のところに書いてある「1つのところでじっとしているほど危険な生き方はない」といいます。つまり、ホームグラウンドとアウェーとでは、当然のことですがアウェーのほうがたくさんのインプットが得られるということです。
 たとえ、それが危険を伴うとしたとしても、安全に気を配りながら、進むということです。著者は街歩きのモットーは「迷ったら細い道を選ぶ」と書いていますが、私もネパールなどで1人で歩いているときには、細い裏通りの道を歩くようにしています。そうすると、庶民の暮らしぶりがわかったり、昔懐かしい物売りの姿に出合ったり、なかなか楽しいものです。
 そして、著者も言うように、「小さな危険」にぶつかる経験を重ねることによって、「大きな危険」直感で判断し、避けることができるようになります。もちろん、危険を推奨するわけではないのですが、危険もない安全な道だけを選んで歩いていると、ますますこじんまりとしたおもしろみのない生き方になるのではないかと思います。
(2021.4.27)

書名著者発行所発行日ISBN
カベを壊す思考法(扶桑社新書)出口治明扶桑社2021年3月5日9784594087333

☆ Extract passages ☆

踏み出した先は、きれいに舗装された街並みからは遠く離れた辺境の地です。そこには標識もなく足元は石ころだらけ。迷ったり転んだりして怪我をすることもあれば、はじめて会う人たちと言葉が通じず孤独にさいなまれることもあるでしよう。
 でも、だからこそ一刻も早く、そこに足を踏み出すべきだと思うのです。辺境での対処の仕方は、辺境に身を置き、そこで失敗を繰り返すことからしか学べません。そして、そうやっていったん知識やスキルを獲得してしまえば、もはや辺境は恐るべき未知のフィールドから、勝手知ったる自分のホームグラウンドになってしまうのです。
(出口治明 著『カベを壊す思考法』より)




No.1917『科学で大切なことは 本と映画で学んだ』

 この本の題名を見て、すぐにロバート・フルガム著『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』を思い出しました。
 そういえば、栗下直也著『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)や千田琢哉著『人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。』(日本実業出版社)などもありました。でも、この本は科学という広い分野のことを、本や映画などから引き出していて、とても興味深く読むことができました。
 著者は、「あとがき」の最後に「2020年師走の仙台にて」と書いていますが、今、仙台は「まん延防止等重点措置」の対象地域となり、それと合わせて、3月18日に県独自で出した緊急事態宣言を5月5日まで延長するそうです。経歴をみると、現在は東北大学特任教授だそうです。ここから、これまでのサイエンスライターにいたる流れをみると、「思い起こすと、物書きを始めた当初、ぼくは科学エッセイストを名乗っていた。「はじめに」で書いたとおり、出発点が、ミステリー雑誌に掲載されたエッセイで、その後は、小冊子や企業広報誌などからの依頼原稿が主たる執筆活動だった。やがて科学雑誌などの仕事も増えたこともあり、翻訳活動も含めて、科学ジャーナリスト、次いでサイエンスライターを名乗るようになった。経歴としては、ほぼ40年になる。」といいます。
 でも、この世界は、特に学歴とか資格とかないところで長く活躍するというのは、むしろ大変だと思います。ある意味、好きでないとできないのかもしれません。
 私もサイエンスものは好きですが、とくに知的好奇心をくすぐるところが、読んでいて飽きません。この本で初めて知ったこともあり、たとえば、長崎大学名誉教授で産婦人科医の増崎英明さんによると、「胎児は、子官という密室の中で眠り続けながらも、目や口を開けたり閉じたり、顔の表情を変えたり、しゃっくりをしたり、鼻から羊水を吹き出したり、驚かされることばかりだという。それと、いちばん大事な仕事は、羊水を飲んではオシッコをすること。これで羊水の量はほぼ一定に保たれると同時に浄化されているらしい。先生はなんと、胎児の膀胱を観察することで、オシッコの量と回数を10時間連続で観察したとか。まさに好奇心の塊である(それに付き合った妊婦さんも偉い)。その結果、胎児は60分ごとに30ccのオシッコをしていることがわかった。一日に換算するとおよそ700ccという計算になる。」そうです。
 まさに胎児は、単細胞からスタートして羊水のなかで生きる水生動物となり、生まれると今度は陸生動物になるわけで、すべての生物は昔は海水のなかにいたというのもリアリティがあります。
 そういえば、この本のなかで、胎児は何ごとにかかわらず見知らぬものを恐れ、年長者の行動をじっと見て模倣する性質が生まれつき備えているそうです。やはり、どんな国や民族であっても、文化というのはその中で伝えられてきたものであり、また伝えて行かなければならないものだと思います。
 下に抜き書きしたのは、ホタルのシンクロニシティについての話しです。
 私の住む小野川温泉はホタルの里としても有名で、ゲンジボタルやヘイケボタルの他にヒメボタルも棲息しています。このヒメボタルは、車で行き、駐車灯をつけると、それに合わせて点滅を繰り返します。なぜなのかと思っていましたが、それが数学的に説明できるというのにはビックリしました
 ただ、それが説明できることと、ホタルたちの実際の行動の意図とはまったく違うので、自然界というのは不思議世界のワンダーランドです。
 それにして、微分方程式と聞いただけでちょっと身をひいてしまいますが、さらに非線形微分方程式と聞けばますますわけがわからなくなりそうです。科学は好きですが、数学はいまだもって苦手な分野です。
(2021.4.24)

書名著者発行所発行日ISBN
科学で大切なことは 本と映画で学んだ渡辺政隆みすず書房2021年2月10日9784622089780

☆ Extract passages ☆

 それにしてもなぜ、ホタルの雄はシンクロするのか。それに関しては、以前から、交尾相手の雌を引き寄せるため(雄どうしのコンテスト)とか、捕食者回避(みんなで光ればこわくない!)など、生物学的な説明がなされてきた。問題は、どうやってシンクロするのかである。個々のホタルが全体を見渡して意図的に同調するのは不可能だろうし、単純に隣のホタルに合わせるだけではウエーブができるのが関の山である。
 じつは、指揮者もいないのに複数の周期的な活動がシンクロする現象はホタルにとどまらない。心臓の細胞から天体の運動まで、生物無生物を問わず広く見られるのだ。このような広範にして複雑怪奇な現象を扱うにあたっても、数学が有力な武器となる。実際、非線形微分方程式という、聞いただけでも怖じ気づきそうな数学の力を借りると、ホタルの謎を解く光明が見えてくる。
(渡辺政隆 著『科学で大切なことは 本と映画で学んだ』より)




No.1916『今日も言い訳しながら生きてます』

 なんとなく表紙のイラストがユニークなので手に取りましたが、著者が韓国の仁川(インチョン)に住んでいる方とは思いもしませんでした。でも、文章に不思議なやわらかさを感じ、ずるずると読んでしまいました。
 そういえば、表紙のイラストも、ボクシングなのに靴を脱ぎ、右足で白い布を掲げ、左手でグローブをしたままコーヒーを飲んでいるような感じです。白旗を掲げ、試合を放棄している姿です。そういえば、「プロローグ」で、1度きりの人生なのだから、どうせなら楽しく生きたほうがいい、と書いていますが、まさにそのようなイラストにも見えます。
 そして、「人に振り回されるくらいなら、誰にも認められなくてけっこうです」のところで、「もちろん、人に認めてもらえれば最高に気分がいいけれど、認めてもらうことを望み始めたら、物事が複雑になっていく。人から認められることばかり望む人は、結局、人に振り回されてしまう可能性が高い。さらにもっと広く、世の中から認められたいと思ってしまったら……そのときは世の中に振り回されてしまうだろう。この人生は誰かから認められるための人生じゃないはずだ。自分の人生なのだがら、誰かにいいように操られたりするなんて御免だ。」と書いていて、私が伝え聞く韓国の方とは違うようです。
 でも、逆に考えれば、このような考えが少数派なら、これはこれで貴重な意見になり、この本を出す意義もたしかにあります。
 そのこともそうですが、今の新型コロナウイルス感染症の世界的拡がりのなかで、さまざまな不安が世の中にたくさんあります。たとえば、仕事のこと、家庭のこと、外出することなど、心配の種は尽きません。著者は、それらにあまりにも強く依存しているから不安なのではないかといいます。お金がなくて生活できなくなる不安とかもそうで、それを『魂の退社』稲垣えみ子著、東洋経済新報社刊、を参考にしながら、「彼女は今、自分が心からやりたいことをしながら生きている。お金がたくさんあるからではない。お金に対する恐怖に打ち勝った者だけが享受できる自由だ。」といいます。
 そして、「会社員もフリーランスも不安なのは同じだ。僕らが不安な理由は、あまりにも何かに依存しすぎているからかもしれない。何かがないと生きていけないと思い込みすぎている状態なのだろう。」と書いて、自分自身も懐具合が厳しくなってくると、食費を節約するために外食を減らし、スーパーへの買い物を極力減らし、冷蔵庫の整理をしながら食べていくそうです。そして、この冷蔵庫の整理を、かなりクリエイティブな作業で、冷蔵庫のなかの食材を組み合わせて何を作るかを考えるのも、創意工夫が試されるといいます。
 つまり、なんでも考え方次第で楽しくできるということです。
 下に抜き書きしたのは、「つらいときこそ、笑おう」のところに書いてありました。
 日本でも、「笑う門には福来る」といいますから、笑っていることって、本当に大切なことだと思います。そして、笑っているうちに、いいことがやって来て、その笑いが引き寄せてきたのではないかと思うことが1度や2度ではありません。
 たしかに、今、日本と韓国では、なかなか意思の疎通がうまくいっていないようですが、こういうときこそ、言い合うのではなく、笑い合おうというのが、意外と解決の糸口なのかもしれないと、この本を読みながら思いました。
(2021.4.21)

書名著者発行所発行日ISBN
今日も言い訳しながら生きてますハ・ワン 文・イラスト、岡ア暢子 訳ダイヤモンド社2021年1月26日9784478111710

☆ Extract passages ☆

 人生は、近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だという言葉の通り、僕の人生には笑いが絶えない。
 これを書きながら、大人と子どもの違うところを一つ発見した。
 つらいことに直面したとき、子どもは笑わないが、大人は笑うというところである。年齢からくる余裕なのか、あきらめなのか、はたまた悟りなのかわからないが、笑えるというのは大きな力だ。
 つらい世の中を生きていくときには、怒りよりも笑いが助けになってくれる。
(ハ・ワン 文・イラスト『今日も言い訳しながら生きてます』より)




No.1915『食料危機』

 この題名のあとに、「パンデミック、バッタ、食品ロス」とあり、いずれも気になることだったので、読むことにしました。
 まさに今、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックのさなかにあり、緊急事態宣言が解除されるとすぐにまた感染者が増加し、第4波ではないかとささやかれています。だとすれば、経済をまわしていくためには解除しなければならず、そうすると感染者が増えていくという悪循環に陥ってしまいます。ところが、このような状況下においても、生きものはすべて食べなければ生きてはいけないので、やはり「食料危機」は大切な問題です。
 このコロナ禍の時代と食品ロスについて、この本では、「全体として言えるのは、「食べ物が限られた量しかない」「めったに入手できない」と意識することで、明らかに購買行動や消費行動が変わり、あるもので賄おうとする工夫が生まれ、無駄や廃棄が減るということだ。これを、いち消費者のみならず、事業者も心得ることで、世界の食品ロスは格段に減り、ひいては食料を必要としている人への分配がより多くなる。「自分が食品ロスを減らしても、途上国の困窮者にその食料を渡せるわけじゃないから減らしても無駄」と主張する人を見かける。まず、自分の国に経済的困窮者が存在していることを知ってほしい。そして、食料の無駄や廃棄が生み出す環境の悪化が、より食料生産を減少させることを理解し、意識や行動を変えていってほしい。」と書いています。
 また、2019年9月に行ったマダガスカルについて、国際農研の白鳥佐紀子さんの話しで、「マダガスカルの農村では主に米を作っているが、その単位当たり収量は他の国や地域と比較して低く、十分な生産ができているとは言えない。家計収入の多くを米販売の収入に頼る農家もよくみられるが、収入が季節によって変動するうえ、同時期に他の農家も米を販売して価格が低下することもある。収入が不十分で不安定であることは貧困につながる。米だけを食べていても栄養バランスは満たされないため、他にも多くの種類の食品を食べることが望まれるが、例えば動物性食品などは比較的高価であり、貧しい家計ではなかなか手に入らない。」と書いてありました。
 私が行ったときには、ちょうど田植えの季節で、あちこちで田園風景を見ました。それと、別な問題は、炭焼きによる自然破壊で、大きな木がほとんどないところもあります。そして、その炭は都会でも煮炊きや暖房に使うそうで、道路の脇にたくさん積まれていて、遠くまで運ばれていくそうです。これでは、ますます木が切られて、砂漠化してしまいそうでした。
 やはり、自分が行ったことのある地域に関しては、やはり強く興味があり、関心もあります。びっくりしたのは、2019年の統計で、世界で中程度あるいは重度の食料不安に見舞われている人の半数以上はアジアに住んでいて、さらに三分の一以上がアフリカに住んでいるそうです。これは大変なことで、同じアジアに住む日本人にしてみれば、しっかりと考えなければならないことです。
 この本の第5章「私たちができる100のこと」のなかで、一人一人が今日からでもできることがまとめて書かれています。たとえば、「1 すぐ食べるなら店頭では手前に置いてある賞味期限・消費期限の近づいた値引き商品から買う」とか、「2 お腹がすいたままで買い物に行かない(空腹時にはそうでない時より64%無駄買い金額が増えるという米国の研究者のデータあり。1000円で済む買い物が1640円になるイメージ)」という具合に、とても具体的に書かれています。
 もし、興味があったら、ぜひ読んでいただければ、これからの食料危機を少しでも回避できるかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、イタリアの人たちの考え方についてです。
 著者が日本在住のイタリア人に、「このような助け合いの精神に基づく活動が生まれたのはなぜか」と尋ねたところ、「キリスト今日の精神があるからではないか」といわれたそうです。しかし、国民のほとんどがキリスト教徒という国は他にもありながら、なぜイタリアだけなのりかわからないと書いています。
 おそらく、それが国民性ではないかと思いました。そして、それこそが見返りをもとめない布施の精神だと感じました。
 どちらにしても、このような助け合いの精神はとてもいいことではないかと思いました。
(2021.4.18)

書名著者発行所発行日ISBN
食料危機(PHP新書)井出留美PHP研究所2021年1月5日9784569848303

☆ Extract passages ☆

……(イタリア)市民の生活に定着しているエスプレッソだが、お金がなくて飲めない人もいる。そこで、自分の分に加えて「次に来る誰かの分」まで払ってあげる。それが「カフェ・ソスペーゾ」(Suspended Coffee:保留コーヒー)だ。
 しかし、2020年のコロナ禍でカフェが閉まってしまい、「カフェ・ソスペーゾ」ができなくなってしまった。代わりにイタリアで生まれたのが、日常食であるパン(パーネ)が買えない誰かのために、余分にパンを買って、パン屋やスーパーに預けておく「パーネ・ソスペーゾ」である。
(井出留美 著『食料危機』より)




No.1914『真実をつかむ』

 この副題「調べて聞いて書く技術」を見て、最初は記者が書いたものとは思いませんでした。でも、読むとすぐにわかり、たしかに記者も調べて聞いて書くことには違いないと思いました。
 それでも、まさかNHKの記者だった人が書くとは思わなかったのですが、読んでいて、その当時のニュースを思い出すこともあり、なかなか大変な仕事だと改めて思いました。では、なぜNHKの記者がこのような本を書こうかと思ったのか、そのことを序章「記者の秘密を明かすワケ」で書いています。それによると、「仕事は何事も、ちょっとしたコツをつかむことで驚くほどうまく進むようになる。取材もそうだ。コツをつかむまでがなかなか大変で、私自身「これがもっと早くわかっていたらなあ」と感じることが多々あった。本書でそのコツを明かそうと思う。現役の記者の方々のお役に少しでも立てれば、そして多くの方、とりわけ将来の選択肢を模索している若い皆さんに、取材の醍醐味を知ってもらえればと願う。」といいます。
 この本を読んで、特ダネをとることの大変さもわかりましたが、それ以上にその記事を報道することの可否の判断も大切な仕事だと理解できました。つまり、これらの記事が社会に及ぼす影響も考えてのことです。
 このときに考えるのは、たとえば裁判などど強い立場と弱い立場があれば、訴える人がどんな不当な状況におかれているかなど、それらも伝えていくという姿勢が大切です。しかし、どうしても権力と結びついた立場を擁護してしまうのが一般的なので、むしろその反対の立場の気持ちをしっかりと代弁することも必要だと感じます。やはり、伝え方ひとつで、流れが変わることがあり、そのことについてもこの本には触れられています。
 この本のなかで、なるほどと思ったのは、取材のときになるべくメモをとらないという姿勢です。その理由は、「メモを取っていると、いかにも「取材を受けている」という印象を相手に与える。もちろん取材をしているのだが、その意識が薄れた方が本音の話が出やすい。だからメモはなるべく控える。まして、初対面の相手に直撃取材に行った時などは、メモは決して取らない。とにかく相手とのやり取りに集中し、発言を記憶し、その場で切り返しを考えて言葉をつなぐ。「取材されている」という印象を極力薄めるように努める。そして取材先の方と別れた後、見えないところで大急ぎでメモを残す。記憶が薄れないうちに。」と書いています。
 たしかに、メモをとっていると、話しがときどき止まってしまいます。私もある聞き取りで、なるべくメモらないようにしていますが、そのほうが話しの流れがよく、いろいろなことが聞けます。たまたまですが、2人で行ったときに、もう1人の方がしっかりとメモをとる方で、ときどき聞き返します。そうすると、だんだんと話しのテンポが悪くなり、内容も紋切り型のようになるのがわかります。やはり、本当は話すつもりはなかったのですが、ついしゃべってしまったというような内容がこちらとしては欲しいのです。
 また、私の場合は講演を頼まれたときにも、話す内容などはしっかりと準備していきますが、その原稿は懐にしまっておいて、机の上には出さないようにしています。そうすると、聞いて下さる方たちの表情もわかり、話している内容がわかっているか、それともわからないのかも見えてきます。また、話しの流れもスムーズにいくので、話しやすいようです。
 下に抜き書きしたのは、「人の不幸」を取材する意味についてです。
 というのは、ときどきニュースを見ていて思うのですが、被害者なのにあそこまで強引に取材をしなくてもいいのではないかという場面が多いからです。たしかに報道の大切さはわかりますが、どうしても違和感を感じていました。
 しかし、「不幸が二度と起きない世の中につなげていくため」というためには、しっかりと報道することも大切で、ますます現場で取材をしている記者たちのご苦労が理解できました。もし機会があれば、読んで見てください。
(2021.4.15)

書名著者発行所発行日ISBN
真実をつかむ(角川新書)相澤冬樹KADOKAWA2021年2月10日9784040823805

☆ Extract passages ☆

 私たちは事件の被害者、加害者、その周囲にいる人、多くの関係者を取材する。それは多くの人の「不幸」を取材することでもある。……
それは被害者のご遺族も、加害者の関係者も、大勢の方を傷つけることになっただろう。では私たち記者が「人の不幸」を取材する意味は何か?「人の不幸」を報じることで、不幸が二度と起きない世の中につなげていくためだ。それがなければ、「人の不幸」を取材する意味はない。
(相澤冬樹 著『真実をつかむ』より)




No.1913『ニッポン巡礼』

 表紙は日本のかや葺き屋根の家で、手前で焚き火をしている写真でした。なんとも古びた感じで、しっとりした情緒が感じられました。でも、著者はアメリカ人で、なぜこのような日本の風景に魅せられているのか、それを知りたいと思いました。
 すると、「はじめに」のなかで、1994年に白洲正子さんとの「本物とは何か」という対談のことに触れ、それ以来、白洲さんのものを見る厳しい目からたくさんのことを教わったといいます。そして、古民家再生の仕事をするなかで、全国を走り回り、ますますその世界に癒やされ魅せられていったといいます。むしろ、日本人が忘れてしまったものを教えてもらうような気持ちをこの本を読みました。
 この本を書くことで、「日本を旅する行為、つまり「ニッポン巡礼」には、心の琴線に触れる発見がたくさんあると同時に、儚さへの憂い、とめどなく進む破壊に対しての恐怖が常に同居しています。日本では、こうした感情をスリルとして楽しむべきなのでしょうか。今回の旅は甘くほろ青いものでした。」といいます。
 私も、新型コロナウイルス感染症が流行する前までは、このような気持ちでいました。でも、この感染症の影響で、海外からの旅行者がほとんど来れなくなり、日本人も不要不急の外出自粛の要請などで、遠くへ旅行に行くことはできなくなりました。そこで、ほとんど感染者がいなかった会津の観音さまをお詣りしようと出かけましたが、今まであまりにも近いので行かなかったところに、日本的な素晴らしさを感じました。たとえば、柳津の「瀞流の宿 かわち」に泊まったときに見た只見川の夜霧の風景とか、会津三十三観音第21番札所の「左下り観音」などです。この観音堂は、だいぶ歩いたところにあり、中腹の岩にへばりつくように三層閣で五間四面の舞台造りのみごとなお堂です。この廻り縁に立つと、近くには大川の清流を見下ろし、遠くに磐梯山まで望むこともできました。しかも、人っ子一人いないので、まったくの独り占めです。
 おそらく、ほかにも知られていないところがあると思いますが、この本に書いてあった、南会津の前沢集落にも行ってみたいと思います。ここは昔ながらのかや葺き屋根の曲り家があるそうで、私の小さいときにこういう農家の家に行ったことがあります。玄関の脇に牛や馬などを飼い、たしかカイコも飼っていました。まさにいろいろな生きものといっしょに生活していました。この南会津には、この他にも南泉寺の鐘楼門もあり、この写真を見て、白川郷の明善寺の茅葺きの鐘楼門を思い出しました。たしかに、白川郷も大内宿も独特の雰囲気を持ったところですが、観光客が多すぎます。
 だから、著者は、「私には執筆家としての責任もあります。これまでは自由にいろいろな場所を取材して、美しい景観や文化的価値の高い町や村を紹介することが私の楽しみでもありました。しかし、オーバーツーリズムの時代では、知る人ぞ知る京都の寺院や、三浦半島の静かな人り江について、どこまで紹介していいのか、慎重に考えるようになっています。もう一歩踏み込んで「旅の哲学」に思いを馳せると、本来の紀行文がどんなものだったか、気になってきました。『おくのほそ道』にしても、松尾芭蕉は、読んだ人に自分の足跡を辿ってもらおうという発想は一切なかったと思います。昔の紀行文には、「世界にこんな面白い場所があるんだ」ということを著者が紹介した時、読者は想像を膨らませ、心の中で人事にしようとする姿勢がありました。」と書いています。
 たしかに、昔なら行きたくても行けなかったでしょうし、それで満足できたかもしれません。ところが、今はテレビ等で放映されると、あっという間にその情報が拡散され、さらにSNSなどでも個人の情報ですら、大きな影響を及ぼします。だとすれば、そろそろ考えなければならない時期にきているのかもしれません。
 考えてみれば、下に抜き書きしたものも同じで、あまりにも人工物に頼った公共工事などもそうだと思います。
 家の近くを流れる鬼面川でも、コンクリートでかためた護岸を作る予定でしたが、反対運動が功を奏して、そのかわりに洪水のときに一時的に水を貯めておく遊水池を確保することにしました。今では、そこに野鳥が来たり、昆虫がたくさん棲みつくようになりました。さらに、以前より水かさが増すこともなくなり、洪水の危険も少なくなってきたように思います。
 コンクリートで作ったものには、劣化する危険や壊すときの高額な負担もありますが、自然そのものの遊水池は、永久にそのままです。これからは、旅行だけでなく、生活そのものも昔の生活から多くのことを学ばなければならない時期にきていると思っています。
(2021.4.12)

書名著者発行所発行日ISBN
ニッポン巡礼(集英社新書ビジュアル版)アレックス・カー集英社2020年12月22日9784087211467

☆ Extract passages ☆

公共工事に依存した地域は、次から次へと過剰な工事を繰り返します。それが変えられない日本の仕組みであるならば、そうした工事の代わりに、毎年、立派な予算をつけた「海岸の大掃除部隊」を編成したらどうでしようか。これなら大規模工事がなくなっても、島民の生活は今まで同様に保証されますし、同時に浜と海もきれいになって一石二鳥です。
(アレックス・カー 著『ニッポン巡礼』より)




No.1912『気候変動から世界をまもる30の方法』

 冬の比較的ヒマな時期になると、今年はどんな植物を小町山自然遊歩道に植えようかとか、どこへ植物たちと出合うために出かけようかと考えます。しかし、今現在、新型コロナウイルス感染症がなかなか収まらない状況もあり、出かけることもままなりません。
 今年も海外に出かけるのは無理かな、と思っていたら、なぜかネパールの氷河湖はいまどのようになっているか心配になりました。ネパールの友人たちといっしょにシャクナゲを見に行ったときに、もし氷河湖が決壊したら村や人々が流され、大災害になるという話しでした。でも、その村にはまだ電気もなく、気候変動に影響を及ぼすような生活はしていません。しかし、先進国といわれるような国々は、すでに多くの二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスを排出していて、それらが自然や人間活動にも大きな影響を及ぼしています。だとすれば、その責任の多くは今までそれらの温室効果ガスを排出してきた先進国にあり、率先して取り組まなければならない問題です。
 そのようなことを考えていたとき、この本に出会いました。
 たとえば、「2019年に起こった気象災害によって住むところを追われた人びとが一番多かったのは、インドの500万人、次いで、フィリピンとバングラデシュが2位で、それぞれ410万人、そして3位が中国で400万人が住むところを失いました。ほとんどがモンスーンの降雨、洪水、サイクロンや台風によって避難しなければならなくなった人びとです。この アジアの4カ国で、全体の約70%以上になります。」と書いてあり、そのインドのケララ州に私が行ったのは2018年9月20日でしたが、8月の大洪水のときにはコチ・ネイバル空港も閉鎖され、12年に1度咲くという花を見られないかもしれないと思いました。ところが、9月中旬に再開され、なんとか行けたのですが、道路のあちこちが崖崩れで通れず、迂回したところもありました。そして、10月3日に帰国したのですが、その数日後にまた豪雨におそわれ、受け入れてくれたインドの教授から「もし数日帰国が遅れていたら帰れなくなったよ」と言われました。
 これはインドだけの話しではなく、2018年7月には広島や岡山などで台風7号による豪雨で、2万棟以上の被害が出て、3万人以上の方々が避難されました。ほんとうに近年は、大きな台風が日本列島を横切り、今までかんがえられないような大被害をもたらしています。おそらく、これも地球温暖化で海水温が上昇したのではないかとこの本にも書いてありました。思い出せば、千葉県内でも台風の影響などで停電などがあり、避難生活を余儀なくされたところもかなりあったようです。
 この本で初めて知ったことですが、コスタリカは約70年ほど前に日本に次いで平和憲法をつくり、常備軍を廃止しているそうです。そして、その軍事費を教育費などにあて、現在でも国家予算の3割ほどが教育費だそうです。さらに、「コスタリカはここ5年、98%以上を水や風、太陽などの自然の力を使う再生可能エネルギーでまかなっており、その内訳は水力が約78%、残りを風カ10%、地熱エネルギー10%、そして太陽光発電0.8%」だといいます。まさにカーボンフリーを目指している世界トップの国のようです。しかもコスタリカは乾季と雨季がはっきりしているので、乾季の終わり頃には水不足が起きますが、その水力発電を補うために地熱発電に力をいれているのだそうです。
 つまり、この計算からいくと、残り0.2%が火力発電ですが、あくまでも火力発電は緊急時のバックアップ電源と考えていて、実際にもここ数年は稼働することなくメンテナンスだけにとどめていると書いてありました。
 下に抜き書きしたのは、26番目の「持続可能な農業を取り戻したい」(中澤健一)のなかに書いてあったものです。
 このように文章にしてみると、今の暮らしがいかに多くのエネルギーを消費しているかがわかります。やはり、今の便利な生活を一人一人が考え、少しでも地元産の野菜を使ったり、自分で野菜を育てるようなことをしなければならないと思いました。私のところでもミニトマトを庭の片隅に植えていますが、ほんとうにおいしく、なる時期にはトマトをまったく買わなくても間に合います。
 でも、以前はミニトマトだけでなく、いろいろな野菜を作っていましたが、野生のサルが出没してからは、つくることをやめました。とても残念ですが、仕方のないこともあります。
(2021.4.9)

書名著者発行所発行日ISBN
気候変動から世界をまもる30の方法国際環境NGO FoE Japan 編合同出版2021年1月15日9784772614450

☆ Extract passages ☆

 数千キロ離れた海外の農地で化学肥料と農薬を使って生産し、航空機で輸送し、冷房された工場で加工調理し、プラスチックで包装し、冷凍冷蔵トラックで運び、スーパーの店頭に並び、自家用車で買い物に行く。現代の食料システムでは私たちが食事から摂取するエネルギーの10倍をはるかに超えるエネルギーが消費されています。
 同じ献立でも、地元産食材を使った場合の食材の輸送に伴う二酸化炭素排出量は、輸入食材を使って調理した場合と比べ、約47分の1に縮小されるという試算もあります。日本でもほんの数十年前までは、多くの国民が農村で暮らし、お米や野菜を自らの手で作り出していました。そこには無駄な輸送や加工エネルギーも過剰なパッケージ包装もありませんでした。
(国際環境NGO FoE Japan 編『気候変動から世界をまもる30の方法』より)




No.1911『老いる意味』

 この本の副題は「うつ、勇気、夢」で、自分が体験した老人性うつ病などから書き始め、健康や明日に向かって夢を見ることの大切さなどについて書いています。
 私自身も、古希を過ぎたあたりから、歳をとったという自覚らしきものがあり、このような本を読むようにもなりました。ある意味、人生の先輩からどのようの歳のとり方がいいのか、教えてもらいたいということかもしれません。
 たとえば、身辺整理についてですが、じつはつい最近、近くの方が突然亡くなり、残された遺族はどこになにがあるかもわからず、大変だったと聞きました。預金通帳はもちろん、実印や保険証券など、まったくどこにしまってあったのかさえわからず、だいぶ時間がかかったといいます。やはり、ある程度の年齢になったら、大切なものは1ヵ所にまとめておいて、気に入った写真があれば、それを使ってもらうように頼んでいてもいいと思います。著者は、「身辺整理を進めていくと、身軽になるというより、見通しがよくなる感じがする。春や夏の樹々より、冬木立は見通しがいい。それと同じようなものである。自分自身の見通しをよくすることを目的としながら、人から見ても、すっきりしていると感じられるようにする。」と書いていますが、たしかに身辺整理をすると身軽になるばかりでなく、他の人から見てもすっきりして感じられるかもしれません。
 また、著者もいうように、「なんでも買い足していれば、物とゴミとの区別がつかなくなっていく」というのも当然のことです。とくに、思い出の物などというのは、その人にとっては宝物のように大切だかもしれないけど、他人にとってはゴミのようなものにしか見えないものもたくさんあります。これらだって、自分が整理できるうちにしっかりと整理して、最後は物はなく思い出だけにしてしまうことも身辺整理だと思います。
 また、「一味一会」ということも、なるほどと思いました。著者は、「ある時期から私は、まずいと感じるものを無理して食べるのはやめた。贅沢に聞こえるかもしれないが、いつまで普通に食事できるかわからないのだから、そのうちの一回でも無駄にしたくないからである。食事は食べ直しがきかない。まずいと感じたものを我慢して食べれば、それでお腹は張ってしまうので、一回を失う。そのほうが「もったいない」と考えている。」といいますが、私もこの歳になると、あまり食べられなくなるし、さらに、いつ、まったく食べられなくなるかもしれません。しかも、身辺整理でないですが、食べるものはカタチが残らないから、自分が美味しく食べられればそれだけでいいわけです。
 お茶の世界では一期一会といいますが、食べものだって、そのときどきの出会いです。それを大事にしながら楽しめるなら、それこそいいことだと思います。
 私もなんどかお茶会をしましたが、珍しい茶道具よりも、美味しかった懐石料理のことをよく思い出します。しかも、自分たちで料理をしてお出ししたときのことなどは、鮮明に覚えています。12月になり、寒くなったころ、お抹茶も口切りなどをしておいしくなったころに、その年にとれたダイコンを厚切りにして、いろいろな味噌をつくり、勝手に「大根茶事」などと銘打って、やったこともあります。ケーキを作るのが得意の方がいて、「クリスマス茶会」もしたことがあります。
 下に抜き書きしたのは、第5章の「老人は、明日に向かって夢を見る」というところに書いてあった読書の型です。
 このホームページは『本のたび』なので、読書そのものと深く結びついているので、あえてこれを選びました。でも、私としては、老人になってからの読書は好き勝手なジャンルから選んでもなんら差し支えないと思っています。
 おそらく、この『本のたび』をみて、これが論より証拠かな、と思った方がいても不思議ではなさそうです。
(2021.4.6)

書名著者発行所発行日ISBN
老いる意味(中公新書ラクレ)森村誠一中央公論新社2021年2月10日9784121507181

☆ Extract passages ☆

 読書には大別すると三つの型がある。
 第一型は、自分の知識や教養を高めるための読書である。人間としての情緒を高め、現代人としての基礎的教養を身につけることができる。これはとくに精神が柔軟な「若者の時代」に期待される読書である。……
 第二型は、職業に関する読書である。弁護士が六法全書を読み、医者が医学書を読み、銀行員が金融経済の本を読むように、職業生活上、必要不可欠の読書である。専門知識は日々アップデイトしていかなければならないので、怠ることはできない。「現役時代の読書」だ。……
 第三型は、趣味や娯楽に関する読書、エンターテインメントの読書である。小説や詩集などもこれに入る。料理の好きな人にとっての料理本、写真が好きな人の写真集などもこれに含まれるであろう。「どの世代にも共通する読書」といえる。
(森村誠一 著『老いる意味』より)




No.1910『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』

 2021年2月17日から医療従事者からワクチン接種が始まり、この日は125人だったそうですが、順次進められているようです。しかし、3月11日にはアストラゼネカの新型コロナウイルスワクチン接種でオーストリアで女性が死亡するなどがあり、イタリアやデンマークなどでは予防的措置として一部または全ての接種停止に踏み切ったというニュースが流れました。考えてみれば、開発には最短でも数年かかるといわれていたのに、これでほんとうに臨床試験がちゃんとできたのだろうかと心配していました。そこで、この本を見つけ、読んでみることにしました。
 たしかに、なぜだろうと疑問に思っていたことがわかったりしましたが、むしろ疑問が生まれたりもしました。この本は、現在アメリカの国立研究機関で研究をしている峰宗太郎研究員と、日経ビジネス編集部に属する山中浩之氏との対談で構成され、第8章の「根拠の薄い話に惑わされない思考法」だけ、鈴木貞夫名古屋市立大学大学院医学研究科教授がその対談に加わっています。このなかで、鈴木教授の「アイスクリーム理論」がおもしろく、「北半球では夏は暑いからアイスクリームが売れますよね。そして、夏は海に出かける人が増えて、海難事故が起きます。「夏→アイス」「夏→海の事故」は因果関係がありますが、それぞれは独立した事象です。でも、「アイスクリームが売れると、海で事故に遭う人が増えるんだ」という取り違えって、案外やってしまうものなのです。」と鈴木教授が話すと、今度は峰研究員が、「そうです。アイスも海の事故にも共通の原因(夏の暑さ)があるから、数字には相関がある。そこまではいいんですが、「だから、アイスの販売を禁止すれば海での事故が減る」というアイデアというか、謎理論が出てくることがあるわけですよ。」と続けます。
 この話しを聞いていると、世の中にはこの手のことがよくあるような気がして、なるほどと思いました。
 そういえば、新型コロナウイルス感染症のファイザー社のワクチンもそうですが、2度打たなければならないのはなぜかと山中浩之氏が質問すると、峰研究員は、「具体的には、免疫記憶といって、「メモリーB細胞」「メモリーT細胞」が、1回目の刺激を受けたとき、つまりこの場合は感染をしたか、ワクチンを受けたかですけれども、そのときにたくさん増えます。そのうちの一部が、メモリーと言って、記憶しながらレスト、体む状況になります。このレストの状況にいる細胞は、次に同じ刺激が入ると、即応部隊になってわーっとすぐに反応するんですね。既知の敵に関してはもう瞬時に自然免疫と同じぐらいの速度で反応します。なので、2回日は即座に抑え込みができると。」と答えます。そしてさらに、「1回目のワクチンの段階での、細胞への刺激が不十分なことがあるんですね。なので、これを十分に刺激してあげるために、ブーストしてあげる。実はこれも、2回目も同じT/B細胞が刺激されてさらにブーストするというんじゃなくて、対応できるレパートリー、さつき言ったレパトアの中での割合を増やしているんだ、ということも分かっていたりします。」と、さらに付け足しています。
 やはり、対談ですから、素人の山中浩之氏の突っ込みこそが普通の人の感覚でしょうから、このなぜワクチンは2度も打たないとだめなのという質問も、素人目線です。それに峰研究員が専門家の立場からしっかりと説明してくれるので、とてもわかりやすかったのです。
 下に抜き書きしたのは、第9章の「誰を信じるのか、信じていいのか?」というところで、述べていることです。
 たしかに、今回の新型コロナウイルス感染症に関しても、最初のころに高齢者で成人病などの既往歴のある方は要注意といわれていましたが、若い人でも重症化することもあり、後遺症などについてはまったくわからなかったのですが、けっこう長引く方もいて、いろいろな意見が出ては引っ込んでいきました。もちろん、新型ですから当然でしょうが、それでも、それらのなかにはいかにも眉唾らしきものも混ざっていたと今では思います。
 この峰研究員の言葉は、新型コロナウイルス感染症についてだけではなく、その他の病気などについても同じで、さらにはものの考え方にも当てはまるような気がします。それで、ここに抜書きさせてもらいました。ぜひ読んでみてください。
(2021.4.3)

書名著者発行所発行日ISBN
新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実峰 宗太郎・山中浩之日経BP2020年12月8日9784532264505

☆ Extract passages ☆

要は自分で考えていないから、その不確定要素に対して判断が付かない。不安が消せない。そこを解消できるのが大事なことの一つです。
 そして自分で考えるためには、結局、個々人の「しなやかさと、強さ」が必要なんですよ、手に入れてもらいたいものはこれなんです。
 個人個人が、時には苦い、だけど正しい理解、事実をしなやかに受け止めて、ある程度強くなっていかないと、この先の時代を乗り越えるのが難しい。「それでどうすればいいの」とばかり聞いているうちは、やはり強さが足りないんですょね。
 答えがないと安心できない、とか、回答をすぐに与えてほしい、とか。そういう姿勢だと、トンデモな本を読んだら、すぐそっちに引っ張られちゃうでしょう。
(峰 宗太郎・山中浩之 著『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』より)




No.1909『老いへの「ケジメ」』

 斎藤茂太さんの本は、何冊か読んでいますが、とても読みやすく、すぐ頭に入ってきます。
 それと、書いてあることも、だいたい想像でき、たまに先読みをしてしまうこともあります。でも、著者の人柄なのか、なるほどと思いながら読んでいます。
 そういえば、先日、あるSNSにお抹茶を点てて、買ってきた和菓子といっしょに写真を撮って載せたのですが、ある方からお菓子と抹茶碗が似合っているというコメントがありました。たしかに、なるべくお似合いの茶碗を選んでいたのですが、たくさんあるのですかと問われ、数えてみました。もちろん、箱に入ったものもあり、正確ではないのですが、少なくとも50個以上はありそうです。
 そのなかの数点を飾っていて、そのなかからお菓子に合わせて選んでいて、さらに季節が変わるとそれを取り替えていました。やはり、お茶は季節感も大切なので、知らず知らずのうちに数が増えていきます。目の前にないと、あまり考えもしないのですが、この本に書いてある「モノに対する未練を少なくすることは、アイデンティティをモノで感じるのではないような、別の生きがいを見つけることではないだろうか。たとえば、旅を趣味にするとか、絵を描くとか、そういう「行為」によって自分の存在感を感じるような生活を実現する。旅にいったらなるべく土産モノは買わない。思い出だけが財産となるような、そういう旅行を心がける。この世の未練を少なくすることは、モノに頼るような生活でなく、生きがいを充実させることだと思う。生きがいは、充実すれば充実するほど、いい人生だったと感じるから、それだけ未練が少なくなる。」を読んで、そろそろ私も断捨離をしなければと思いました。
 そして、これからはモノよりもすることを最優先し、なるべくカタチとして残らないよう心がけたいと思います。そして、あるものを手を替え品を替え、今持っているものだけで楽しむことも大切なことです。
 この本を読んで、年1会はいい顔をした写真を撮るというのも大切だと思いました。というのは、ここ1ヶ月の間に亡くなられた方がいて、2人とも葬儀で使う写真がなくて困ったのを見ていたからです。なんとか探して、間に合わせたのですが、あくまでも一時凌ぎです。
 そういえば、5〜6年前に2人で中国四川省に行き、彼が冗談で遺影に使う写真を撮ってやるといいながら、九寨溝で何枚か撮りました。ところが、皮肉なことに、彼が2年前にS状結腸がんで亡くなられ、遺影を準備してもらった私のほうは、まだまだ元気で暮らしています。だからといって、人間はどこでどうなるかはわからないので、これも大切なことだと思います。著者は、「あの世に旅立ったとき、かねて伝えておいた引き出しを開けると、預金通帳にハンコ、家の権利書、連絡すべき人びとのメモ、形見分けのメモ、遺言書、葬式の段取り、それに遺影となるべき写真まで入っていれば、まさに至れり尽くせりということになる。ここでポイントとなるのが、最後の仕上げとしての遺影だ。「あの人は、自分の遺影まで残していつた」といわれるのは、この日があることを覚悟し、準備を怠らなかつたということだろう。」と書いています。
 たしかに、このように準備をしたとしても、葬式の段取りまでしてしまうというのは、ちょっとやり過ぎのような気もしますが、それは後に残された人たちによっても違います。それが強制と感じられるようなら、問題だと思います。
 下に抜き書きしたのは、第2章のなかの「こころの整理のひとつとして、夢を持つ」に書いてあったことで、これは大切なことだと思いました。
 よく、夢というと、若い人たちの専売特許のように思っている人もいますが、夢というのは、誰にとっても大切なものだと思っています。ただ、どのような夢かといわれれば、その年、その歳に応じたものがあるのは当然で、むしろできるかどうかとはあまり関係ないような気がします。
 私は、この本を読む前から、そうありたいと思っていたので、迷わずこれを抜書きしました。

(2021.4.1)

書名著者発行所発行日ISBN
老いへの「ケジメ」斎藤茂太新講社2015年6月26日9784860815325

☆ Extract passages ☆

 計画は、立てるまでは楽しいが、一度立ててしまうと後は実現するだけしか楽しみがなくなってしまう。だが、夢は違う。かなえばうれしいが、かなわなくてもそのことを考えているだけで十分に楽しい。それが夢を持つ効用である。
 夢を持ち続けることで、気持ちのめりはりが維持できる。
 実現するかもしれないけれど、かなわないかもしれない。そんな気持ちでいるだけで、こころが豊かになる。
(斎藤茂太 著『老いへの「ケジメ」』より)




No.1908『「食」の図書館 エビの歴史』

 この『「食」の図書館』シリーズは、何冊か読みましたが、カラー写真もたくさんあり、特に海外のことに関しては知らなかったことが多々ありました。それで、この本も図書館で見つけ、読んでみようと思ったのです。
 私もそうですが、日本人はエビ好きが多く、この本を読むと、意外と外国でもエビ好きが多いようです。でも、もともとはエビが獲れるところでは相当昔から食べているようですが、そこから離れているところでは痛みやすいこともあり、食べる機会は少なかったようです。
 そういえば、西アフリカのカメルーンでは、昔から食べていたようで、「実際、国名のカメルーン(Cameroon)自体が「小エビ」を意味するポルトガル語「カマラウン(camarao)」が由来なのである。カメルーンの国民的料理である「ンドレ(ndole)」は、ピーナツ、ンドレという苦みのある青菜、それに熱を通したエビを組み合わせたものだ。また料理に複雑な風味を出すため、グレービーソースに乾燥エビをくわえるレシピも多数ある。」と書かれています。
 だから、エビがたくさん獲れるところでは、いろいろな料理をして食べていますが、それがどこでも食べられるようになったのは、エビを冷凍する技術が確立されてからで、その普及の一助になったのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期にアメリカ南部の観光地に多くの旅行者が訪れるようになり、それが戦後も自動車や飛行機の急速な発展により、さらに旅行ブームになったからだそうです。
 やはり、異国情緒を楽しむには、それまであまり食べていなかったエビがとくに喜ばれ、多くのレストランで新鮮なシーフードやフルーツを南国の味として提供したそうです。そして、旅先で食べたエビ料理を自分の家でも食べたいと思ったときに、冷凍エビが多量にお店に並ぶようになったというわけです。
 そういえば、エビの天麩羅は和食の定番ですが、じつはイエズス会の宣教師たちがそのレシピを伝えたのだそうです。つまり、宣教師たちを国外追放にしたのですが、彼らが伝えたエビの天麩羅のレシピだけは残ったというわけです。この本によると、「四季の斎日[四季の祈りと断食を行う期間で、肉食を避ける]に食べる、エビに衣をつけて揚げる料理だ。カトリックの典礼暦で年に4回あるこの斎目を、ラテン語では「カトゥール・テンポラ(quatuor tempora)」という。日本人はこのエビの揚げ物をもっと自分たちに合うものにできるのではないかと考え、手をくわえた。まず揚げ油を、数種類を混ぜてもっと軽いものにした。揚げる温度についてもいろいろと試し、衣を薄くした。揚げ方も工夫した。そしてこれを「エビのでんぷら」という名にした。」というわけです。
 これが正しいかどうかはわかりませんが、この本にはそのような由来が書かれていました。
 下に抜き書きしたのは、殻付きエビについての話しです。
 殻が付いていると、ほんとうに食べにくいのですが、殻が付いていたほうが美味しく感じます。なぜだろうか、と思っていたのですが、このように理由があったのだと知りました。見た目だけではないとわかり、納得しました。
(2021.3.30)

書名著者発行所発行日ISBN
「食」の図書館 エビの歴史イヴェット・フロリオ・レーン 著、龍 和子 訳原書房2020年12月23日9784562058563

☆ Extract passages ☆

 料理人はたいてい殻付きエビを買うのを好む。まず、殻はエビの身の鮮度や風味を守り、傷つくのを防ぐ。さらに、腕がよくやりくり上手な料理人は、エビの殻(と頭)を使えば、クリームやトマトソース、スープ、シチュー、リゾットやマリネに最適のダシがとれることを知っている。後述するように殻にはさまざまな栄養がたっぷり含まれ、煮るとそれらが簡単に煮汁に出るのだ。
(イヴェット・フロリオ・レーン 著『「食」の図書館 エビの歴史』より)




No.1907『「超・長寿」の秘密』

 特に長生きしたいとは思いませんが、老後を元気に過ごしたいとは思います。もし、自分のことは自分でなんでもできるなら、長生きもいいかな、とは思っています。でも、入院しながらとか介護をうけながらとか、それで長生きをしたいとは思っていません。
 この本の副題は、「110歳まで生きるには何が必要か」とあり、長生きするにはするだけの理由があると思って、この本を読み始めました。
 この本では、長生きする方には、楽しそうに生きているのがわかるといいます。つまり、屈託なく、湯会に過ごしているそうです。普通の老人は、どうも年を重ねると頑固になりがちです。これは自分の考えに固執するだけでなく、モノに対しても執着します。著者は、「融通の利かなさ、モノや自分の考えに対する一種の「依存症」の発来は、イライラ感や不機嫌さを増し、不幸な気持ちにさせます」と書いていて、さらに、最近の研究では、これらが高じてくると認知症を進めるということがわかってきたそうです。
 だから、そうならない長寿者は、認知症にもならず、笑顔でいられるのかもしれません。
 2012年の内閣府の調査では、80歳以上の方で、自分が健康であると思っている人、普通と思っている人、良くないと思っている人の割合は、ほぼ3分の1ずつだったといいます。そして、これからの人生100年の時代には、100歳まで生き生きと生活して115歳の天寿を全うする人たちと、あっぷあっぷで100歳まで周りの人たちの介護でなんとか生きている人たちと、二極化すると著者はいいます。
 だとすれば、前者のように生きたいと思うのは当然です。
 よくあそこは長生きの家系だとか、あそこは短命な家系だとか、もうすでに決まっているかのようなことを言う人がいますが、すべてが家系で決まるわけでもDNAで決まるわけでもありません。ただ、世の中には、新潮新書『言ってはいけない 残酷すぎる真実』橘玲著、のように、ある程度は決まっているかのように書いてある本もあります。私も読んだことがありますが、そこまで言わなくても、ということが書いてあります。
 でも、私は『「超・長寿」の秘密』の著者が、医局員の結婚式でスピーチをしたようなことを信じたいと思います。これはちょっと長いのですが、ここに掲載しますと、「本日は、「ヤマメとサクラマス」の話をしたいと思います。これが、その写真です。サクラマスのほうが、はるかに大きく立派な姿をしています。2匹は見た目も、大きさも違いますが、実は同じ遺伝子を持った同じ魚で、生まれた時の姿形はまったく同じです。それでは、どうしてこれほど違うようになったのでしょうか。同じ生物種でも、個性というものがあります。泳ぐことが速くて力が強いものと、運動が苦手なものがいます。彼らは自分の生まれた川で、流れに逆らって体を向け、上流から流れてくるエサを捕って成長します。体力的に恵まれたものは上流に陣取り、流れてきたエサを真っ先に食べます。体力的に劣ったものは下流に押しやられ、おこぼれのエサしか食べられません。その積み重ねで、上流の魚は体が大きくなり、下流の魚はやせて、どんどんその差は大きくなります。このように言うと、みなさんは上流の魚、すなわち体の大きなものがサクラマスになると思われるかもしれません。しかし、事実はその逆です。下流にいるひ弱な魚がサクラマスになるのです。下流にいる体の小さな魚は、その場で競争することをやめます。ここでは負けてしまうことが目に見えていると悟り、発想を転換。一大決心をして下流に下り、見たこともない海に出て行ったのです。海は塩分も多く、流れも複雑で、さまざまな敵が待ち構えています。多くは死んでいったでしょう。しかし、そのなかに、新しい環境で、川より豊富にあるエサを食べることに成功するものが出てきます。そうした魚がサクラマスに成長し、故郷の川に錦を飾って戻ってくるのです。」という話しです。
 つまりは、「人よりやや劣るかもしれないと思える遺伝子を自分が持っていても、その特性を逆に強みに変え、前進するチャレンジ精神が大切なのです。」と著者は締めくくっています。
 下に抜き書きしたのは、「寿命は見た目が9割!?」のところに書いてあったものです。
 たしかに、いつも若々しく振る舞っている方は、動きも軽やかですし、笑顔も素敵です。つまり、自分からつねにそうしてきたことが、ある種の記憶になり、そして未来を変えていくのかもしれません。だとすれば、そのように振る舞っていくほうが、幸せにもなれそうです。
(2021.3.28)

書名著者発行所発行日ISBN
「超・長寿」の秘密(祥伝社新書)伊藤 裕祥伝社2019年6月10日9784396115722

☆ Extract passages ☆

この2人は一卵性双生児です。もちろん、よく似ていますが、明らかに"老け方"に差があります。
 一卵性双生児の染色体は、生まれた時の遺伝子はまったく同じですが、その遺伝子に起こったエピゲノムの変化を見ると、異なります。つまり、生まれたあとのエピゲノムの変化の違いが、2人の見た目を大きく変えたのです。
 70歳以上のデンマーク人の双子187組を12年間追跡した結果、外見が実際の年齢よりも若く見えるほうが長生きしたことも報告されています。
(伊藤 裕 著『「超・長寿」の秘密』より)




No.1906『世界は贈与でできている』

 副題は「資本主義の「すきま」を埋める倫理学」で、この贈与の考えはどこかで読んだと思いっていましたが、この本のなかに内田樹さんのことが書いてあり、そこではっきりと思い出しました。
 でも、その贈与論とは違うといい、内田さんが「人間であるならば、受け取った贈与に対する反対給付義務を感じなければならない」という規範性は強制であり、自責の念としてかんじられるとしています。そして、むしろ、「自身が受け取った贈与の不当性をきちんと感じ、なおかつそれを届けるべき宛先をきちんと持つことができれば、その人は宛先から逆向きに、多くのものを受け取ることができるからだったのです。だから贈与は与え合うのではなく、受け取り合うものなのです。」という結論が導かれます。
 これを読んで、インドに行ったときに、「バクシーシー」といわれて、何度か喜捨をしましたが、彼らは感謝の言葉を口にしませんでした。よく見ていると、喜捨した人のほうが感謝しているようにも感じられました。インドの友人は、それが布施だよ、とこともなげに言ったのが今でも強く印象に残っています。
 お釈迦さまは、「布施ができるほうが幸い」という話しをされています。つまり、受け取る方がいるからこそ布施が成り立つわけで、ある意味、この『世界は贈与でできている』という本の著者の考えに近いものを感じました。
 たしかに、受け取ってくださる方がいなければ、布施は成り立ちません。これは、一般的な生活においても同じことです。受け取り、そして与えるという関係は、たしかに相互交流です。どちらが主というわけでもなく、どちらが従ということでもありません。お互いに主であり従でもあります。
 この本のなかで、孫が見たいという話しが載っていて、その前に、「子がすこやかに成長することを通して、親は自身の贈与が意味あるものだったと一応は納得できます。ですが、人間は社会的な存在でもあります。身体的な成長というだけではなく、精神的な成長にいたったか否かが贈与をうまく渡せたか否かの指標となります。」と書いてあり、そして、最終的には「贈与の宛先である子がふたたび贈与主体となるという事実を通して初めて完了したと認識できるのです。」といいます。
 つまり、それが祖父母にとっては孫が生まれて初めて、それらの贈与の義務から解放された証しになるわけです。だからこそ、無条件でかわいがれるのは、ある種の余裕と考えることもできます。
 下に抜き書きしたのは、第9章「贈与のメッセンジャー」のところに書いてあり、贈与は市場経済の「すきま」にあるといいます。
 つまり、資本主義はすべてのものやサービスを「商品」にしてしまうので、まさに私たちはそれら商品で覆い尽くされているようなものです。その「すきま」に贈与というものがあるといいます。
 そういえば、「お金で買えないものはなにもない」と豪語した経営者がいましたが、まさに資本主義の究極の姿だったのかもしれない、とこの本を読んで思いました。そして、むしろ、贈与という市場経済の「すきま」を考えられる程度の余裕があったら、あのような発言は生まれなかったのではないかと考えました。
(2021.3.25)

書名著者発行所発行日ISBN
世界は贈与でできている近内悠太ニューズピックス2020年3月13日9784910063058

☆ Extract passages ☆

他者から贈与されることによって「商品としての履歴が消去されたもの(値段がつけられなくなったもの)」も、サービスではない「他者からの無償の援助」も、市場における交換を逸脱する。それゆえに、僕らはそれに目を向けることができ、それに気づくことができるのです。
 だから、贈与は市場経済の「すきま」に存在すると言えます。
 いや、市場経済のシステムの中に存在する無数の「すきま」そのものが贈与なのです。
(近内悠太 著『世界は贈与でできている』より)




No.1905『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』

 最近の旅の本は、新型コロナウイルス感染症の影響で海外ものはほとんどなく、新刊もそれ以前に行ったときのものがほとんどです。この本も、そうでした。
 それでも、このコロナ時代で大変な「国境なき医師団」を推察することはでき、とても興味深く読みました。そのなかでも、アンマンの再生外科病院の壁に描かれていた絵を説明してくれた医療ディレクターのイブ・ブルースさんの「マーティン・トラバースという素晴らしいアーティストがこれを描いてくれたんです。全部きれいな草花ですよね。左からポピー、コーヒー、バラ、菖蒲、ジャスミンになっていて、それぞれがパレスチナ、イエメン、イラク、ヨルダン、シリアを表しているの。患者は違う国から違う文化を持ってきて、同じ希望のもとで生きる。それがこの病院のモットーだから」という話しは、印象的でした。
 著者は、その花の間に蝶が描かれていて、おそらく医療者をあらわしているのだろうと書いていました。
 それにしても、著者たちがイスラエルに入国するときにパスポートにスタンプを押さないと書いていて、そのことはある方からも聞いていました。でも具体的には知らなかったのですが、「P14」ということで、もしイスラエルのスタンプが押されているとアラブ諸国に入りにくくなるということはありそうです。この本に出てくる舘さんによると、特にイランはイスラエルのスタンプがあると絶対に入れないといいます。
 そういえば、イスラエルに住んでいる方と少しだけつながりがあり、もし機会があればと誘われているのですが、入国の審査の厳重さとか読んでいると、軽い気持ちで行けそうな場所ではなさそうです。よくニュースなどでパレスチナ自治区という言葉が流れますが、実際には「そもそもパレスチナは自治区とはいえ、イスラエルによる厳しい移動制限がかけられていて、区域内には多くのチェックポイントがある。パレスチナの人びとは、それらのチェックポイントでしばしば足止めされ、通行を許可されない場合もある。通勤、病院の予約、家族のお迎え、映画の始まる時間、生活をするうえで大切な計画や約束は、チェックポイントを守る兵士の気まぐれによってたびたび破られてしまうのだそうだ。」と著者はいいます。
 もちろん、お互いに自分たちの命がかかっているのですから、慎重になるのは仕方のないことです。たんなる気まぐれとばかりはいえないと思います。それが、紛争地の現実だと知り、いささか気が滅入りました。
 しかし、そのような状況下でも「国境なき医師団」は活動しているわけで、すごいことだと思います。むしろ、このような人道的活動が世界中の人たちに認知されるべきだと思いました。No.1898『希望の一滴』の中村哲さんのときも感じたのですが、なぜこのような人たちの活動に制限を加えるのか理解できません。そして、2021年2月27日に、中村哲さんの記念碑が地元の福岡県朝倉市の筑後川に築造された山田堰前の展望広場に完成したそうです。
 たしかに顕彰するということは大切ですが、なぜアフガニスタンのために尽力してきたのに殺されなければならなかったのかという憤りは強く感じます。
 下に抜き書きしたのは、OCB(オペレーションセンター・ブリュッセル)所属のジョルシンさんの話しです。こういう方も「国境なき医師団」を支えているんだな、と思いました。
 彼女はアンマンに8ヶ月弱いて、その週いっぱいで帰国することになっていたそうです。平均で18ヵ月ずつミッションに参加して、最長はインドでの20ヵ月とか。その話しを読んで、もし自分がもう少し若かったらできるかといったら、それでも無理ではないかとつくづく思いました。
(2021.3.21)

書名著者発行所発行日ISBN
ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行くいとうせいこう講談社2021年1月18日9784065222348

☆ Extract passages ☆

「6ヵ月じゃ現地の変化がわからないんですよ。9ヵ月過ぎるとようやく見えてくる。だからやるなら長期で臨んで、業務を見直し、改善し、そして安定させるとこまでやりたいんです」
 そして長期の滞在から帰るとゆっくり休む。
「とはいえ、間に必ずエマージェンシー入れるようにしてるんです」
 つまり緊急事態に対応する短めのミッションに参加することで、MSF本来のスピリットを忘れずに済むとジョンシルさんは言った。すごいストイシズムだと胸を打たれ、
「やっぱり緊急だと心構えも違いますか?」と聞くと、答えは明快だった。
「例えば3ヵ月なら無理もきくんですよ。エボラでアフリカに入った時もそうでした。もう必死で。あの、赤ん坊の上にタンスが倒れそうになったら、お母さんが飛び込んで助けるじゃないですか、絶対。あれと同じで力が出ちゃうんです。考える暇もなく、体が先に動いてる。心構えがあろうがなかろうが」
(いとうせいこう 著『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』より)




No.1904『ホンモノの偽物』

 この本の題名「ホンモノの偽物」とはなんだろう、と思ったのがこの本を読むきっかけでした。副題は「模造と新作をめぐる8つの奇妙な物語」とあり、表紙にダイヤモンドが描かれていました。このなかで、GEがダイヤモンドを製造するという話しも載っていて、相当前からダイヤモンドは炭素であるとわかっていたものの、それをどのようにすればダイヤモンドになるのかはわからなかったようです。
 ただ、この本では、その製造されたダイヤモンドが工業用に使われているうちは問題なかったのですが、それが「ラボグロウンダイヤモンドはダイヤモンド産業に具体的かつ有形の影響を与えうるものになった。そしてその後の数十年のうちに、科学と工業の世界の仮説から、現代のダイヤモンド市場に具体的な影響を持つ有形物になった。今日、ダイヤモンド販売者は、ラボグロウンダイヤモンドの物質的真実を、21世紀の消費者にふさわしい象徴、文化的規範に変換しようと取り組んでいる。20世紀はラボグロウングイヤモンドを現実のものに変ぇた。それが天然物と同等の真正なものになるか、すなわちホンモノになるかどうかは21世紀次第だ。」といいます。
 私もテレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』は好きでよく見るのですが、イギリスでも『アンティーク・ロードショー』というのが1977年から放送されているそうで、鑑定士がイギリス中に出張し、地元の人たちが持ってくる骨董品の価値を査定するそうで、カナダやアメリカなどでも放送されているといいます。やはり、いつの時代もホンモノと偽物があり、世の中を惑わせているようです。
 そして、偽物というのは、ホンモノより立派に見えるようです。この本には、「すべての偽物に共通しているのは、本物にしては立派すぎるということだ。スパニッシュ・フォージャーの絵画やウィリアム・ヘンリー・アイアランドのシェイクスピア、ヨハン・ベリンガーの模造化石のようなものは、専門家たちの懐疑論を正当化しているように思える。つまり、アート、人工遺物、骨董品の世界で、壮大な、世界を揺るがすような、バラダイムを変えるような、前例のない新発見は偽物だと考えられる、なぜならたしかにほとんどが偽物だからだ、ということである。」と書かれていて、『開運!なんでも鑑定団』でも、かつて中島誠之助さんが曜変天目茶碗をまぼろしの茶碗として、すごい金額を提示していましたが、後からそれを造った本人が現れ、訂正されたこともありました。おそらく、ホンモノと偽物との問題は、当然ながらひっくり返ることもあります。
 この本の中でおもしろいと思ったのは、アメリカでバナナが紹介されたのは、1876年のフィラデルフィア万国博覧会のときで、それまではほとんどのアメリカ人は天然のバナナを食べたことがなかったそうです。しかし、それより10年以上も前に、人工のバナナフレーバーがあり、使われていたといいます。つまり、ある意味、偽物のほうが先に拡がり、あとからホンモノが入ってきたというようなことです。そして、天然のバナナが入ってきてからも、人工のバナナフレーバーの人気は衰えなかったようです。
 しかも、このフレーバーの問題は、その作る過程で「天然」にするか、あるいは「人工」にするかの問題もあり、現代では細かな食品表示や成分リストなどの法規制があるので、はっきりとわかりますが、最終的には「天然」はよい、「人工」はわるいと単純に判断できないということもあります。
 このような問題は、製造されたダイヤモンドにもあり、たとえば、現在ダイヤモンドを掘っているところはアフリカのコンゴ民主共和国やアンゴラ、シェラレオネ、コートジボワールなどの国で、その収益が暴動や武器の取引、テロなどの資金になっているかもしれないので、むしろ製造されたダイヤモンド、これをラボグロウンダイヤモンドといいますが、これを使いたいという人たちもいます。つまり、安いだけではなく、採掘による人間と環境の犠牲もなく、人為的に価格をつり上げられた天然のダイヤモンドは買わないという選択もあります。
 それと、第8章の「旧石器時代を生き返らせる技法」のなかで、フランスのドルドーニュ県のヴェゼール川の左岸で発見されたラスコーですが、ここも有名な洞窟壁画です。たまたま、2016年11月から開催された特別展『世界遺産 ラスコー展』で「クロマニョン人が残した洞窟壁画」が実物大で再現されたのを見ました。これは600頭もの動物のなかで、ひときわ大きく描かれた黒い牝牛の姿が思い出しますが、ここは現在誰も見ることはできないので、非常に貴重な経験でした。この本では、「この洞窟の最も有名な壁画は《牡牛の広問》だ。動いているかのように見える全長5.2メートルの牡牛をはじめ、36種の生物が描かれている。パブロ・ビカソはラスコーを訪れ、「わたしたちは1万2000年のあいだに何も学んでいない」と言ったという」と書いてありました。
 下に抜き書きしたのは、「結 大英博物館に見られるように」のなかに書いてあったものです。
 最初にイギリスのアーティスト、バンクシーが大英博物館のローマ時代のコレクションの部屋に行き、ガラスケースに「ベッカム・ロック」と名づけられたものを貼り付け、3日間も展示されてしまったことなどを紹介し、偽物もひとつの分類であるといいます。そして、それを理解するには、オープンな存在であることが必要だとしています。
(2021.3.19)

書名著者発行所発行日ISBN
ホンモノの偽物リディア・パイン 著、菅野楽章 訳亜紀書房2020年11月6日9784750516714

☆ Extract passages ☆

 偽物に必要なのは、ストーリー、 エピソード、多層的なコンテクスト、「そんなの信じられない」という事例、劇的な暴露、捏造品や贋作を追いかける科学の進化、真正だとみなされる(それがあれば)成り行きである。変化のない一生を送るモノはなく、それは「ホンモノの偽物」も同様だ。
(リディア・パイン 著『ホンモノの偽物』より)




No.1903『歴史を活かす力』

 この本は、「文藝春秋digital」の連載「腹落ちする超・歴史講義」2019年11月7日から2020年8月27日までのものを、大幅に加筆し再構成したものだそうです。読んでみると、たしかに新しい視点で書かれていて、とても興味を持ちました。
 たとえば、次のお札の顔になる渋沢栄一について、「あちこちの実業家に「こんなことやったらええで」とアドバィスし、火をつけてまわる触媒のような人でした。個人的には「花咲かじいさん」のようなイメージを抱いています。」と書いていて、たしかに岩崎弥太郎などのような財閥を築かず、生涯で約500の会社の設立に関わったというからすごいことです。
 この本の副題は「人生に役立つ80のQ&A」で、未来のことは誰にもわからないわけで、唯一、手がかりになるのは過去に起こったできごとですから、そういう意味では今の新型コロナウイルス感染症の時代でも、とても参考になることが書かれていました。たとえば、モンゴル帝国が滅びた直接の原因は地球の気候変動だそうですが、さらに「モンゴル軍は、中国雲南省やビルマヘ遠征したとき、各地のペスト菌をノミと一緒に持ち帰りました。モンゴル軍や商人の移動に伴って草原地帯のネズミが保菌し、地域によっては、当時の人口の三分の一から半分が死んだといわれるほどペストが大流行します。」と書いてあります。そのペスト菌が黒海を経由してヨーロッパに伝播し、ここでもおおくの人たちが亡くなっています。つまり、よその土地からきた病原菌はそこの人たちの体内に免疫がないので、猛威をふるいます。2019年12月から拡がり始めた新型コロナウイルス感染症も、世界中の誰にも免疫がないので、世界中で大流行しました。
 だから、世界の歴史の裏側にも、このウイルスなどの感染症が大きく作用していたことは間違いなさそうです。
 それと同じぐらい、気候変動も大きく作用したようで、この本には、「ローマ帝国も大元ウルスも、リーダーの失敗で滅びたのではなく、きっかけは地球の気候変動でした。産業革命以前に滅びた大帝国のほとんどは、気候変動に伴う諸部族の移動や病原菌の移動が主な原因となっています。産業革命までは農業が主たる産業でしたから、当たり前といえば当たり前です。人間に失敗があったとすれば、気候変動によって大帝国は滅びるものだということに気づいて対処しなかったことかもしれません。」と書いてあります。
 また、仏教推進はの蘇我氏と反対派の物部氏との対立については、「技術の塊である仏教の導入によって、日本にはこれまでにいなかった種類の職人が育ち、まったく新しい雇用が生れました。このような大きな経済効果をもたらす話に、みんなが乗らないはずはありません。物部氏が「仏教は日本の伝統を壊す」と反対したところで、儲からないので誰も賛同しません。「みんなが儲け話をしているときに、このおっさん、何をごねてるんや」というように見られていたのかもしれません。」とわかりやすい言葉で解説していますが、そういうこともあったと思います。
 たしかに、いつの時代も、遠くから来た人たちが発展の起爆剤になります。たとえば、地方の活性化なども同じで、その土地に長く住んでいる人たちよりも、まったく関わりの無い人たちが来て、新しいことを始めるというのが多いようです。だからこそ、このような目で歴史を見直すことが必要なのだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、世界のどこでも中華料理が食べることができますが、それについての話しです。
 私も海外に行き、その土地の料理に飽きると、本当は和食を食べたいのですが、生ものはどうも危ないので、一番安全な中華料理を食べます。私の知り合いで、中華料理を食べるとき、必ず北京ダックを頼む人がいますが、おそらく好きだからでしょうが、これを食べるとその国の中華料理の味がわかるといいます。そういえば、日本の中華料理も日本人に合わせた味なので、そういう味わい方もありそうです。
(2021.3.15)

書名著者発行所発行日ISBN
歴史を活かす力(文春新書)出口治明文藝春秋2020年12月20日9784166612918

☆ Extract passages ☆

 どんな食材でも中華料理にできるのは、宋の時代に高温の油で揚げたり炒めたりする調理法が開発されたおかげです。アツアツの油で炒めれば、たいていの食材は殺菌されてお腹を壊すことはありません。
 この調理法が完成したのは、宋の時代に「火力革命」が起きたことが要因です。石炭とコークスによって比較的簡単に高温にすることが可能になったのです。これによって製鉄技術が高まり、鉄製農機具を作れるようになり、農業の生産性が飛躍的に向上しましたが、料理の世界では、高温の油で調理する中華料理の原型がその頃に誕生したのです。
 つまり、この調理法さえ知っていれば、どこに住もうと、その土地で手に入る食材を使って中華料理が作れるのです。……世界中で中華料理が食べられるのは、中国人が各地に移り住んだからだけではなく、現地の食材を簡単な方法で調理することができたからなのです。
(出口治明 著『歴史を活かす力』より)




No.1902『ブッダと歩く神秘の国スリランカ』

 2011年3月11日、東日本大震災のとき、私はスリランカにいました。
 ここには、インドのブッタガヤで見たボダイジュの親木があると知ってから、行きたかったところです。3月10日に成田を出発し、その日にバンダラナイケ国際空港に着き、ネゴンボ(Negombo)のホテルに宿泊、翌日にはヌワラ・エリヤ(Nuwara Eliya)の山のなかに入っていました。そして、山から宿に着くと、真っ先に日本が大地震で大変なことになっていると教えられました。さっそく、宿の人が何度も電話を自宅にかけてくれて、数時間後につながったのですが、自宅は被害がないとわかっただけで、東北全体がとんでもない大津波の被害を受けたということでした。
 それから10年、たまたまこの本を図書館で見つけて、行ったところもあるので読んでみることにしました。著者は、1969年7月18日にスリランカのキャンディで生まれたにしゃんた(Nishantha)さんで、羽衣国際大学教授だそうです。そういえば、キャンディには、13〜14日と滞在し、仏歯寺やPeradeniyaの植物研究所の標本館などを訪ねました。
 さて、この本ですが、私が訪ねたところもあり、鮮やかに思い出され、とても懐かしく感じました。たとえば、アヌラーダプラですが、スリランカに行きませんかと誘ってくれた教授に、もしここにまわるなら行きたいと正直に話したら、行程に組み込んでくれ、3月15日にスリーマハ・ボーディヤを見ることができました。ここのボダイジュは、お釈迦さまが悟りを開かれたブッタガヤにあったもので、ここから株分けをして紀元前3世紀にここに植えられたものです。ちなみに、現在のブッタガヤのボダイジュはここから株分けされたもので、まさに3代目になります。
 私が訪ねたときには、ここを軍隊が護っていて、いかに大切にされてきたかということがわかりました。もちろん、そこから落ちた葉を拾うこともできずに、半分諦めかけたときに、なかで護っていた方が数枚を拾ってくれ、私に手渡してくれました。もちろん、今も大切に持っていますが、私のところにはブッタガヤの3代目のボダイジュの葉もあります。
 あまり旅先でお土産を買うということはないのですが、このような思い出の品はいくつかあり、それをときどき引っ張りだしては楽しんでいます。
 そういえば、14日の早朝に仏歯寺をお詣りし、朝食後に再び訪ね、そのなかに掲げられていた仏教物語の絵を1枚1枚写真におさめてきたので、それらもパソコンでときどき見ています。むしろ、カタチにならない思い出のほうが置き場所も必要ないし、これからの終活にはとても理想的です。
 でも、この本にも出てきますが、アルウィハーラ寺で行李葉椰子に書かれた経典を見て、そして、そこで名刺の大きさに自分の名前をシンハラ語で書いてくれたので、そこで見たような経典を買い求めてきました。やはり、写真ではわからない、実物の重みみたいなものは感じます。また、Hakgala Gardensでいただいた「サンドペーパー・バイン(Sandpaper Vine)」の葉も、まさにサンドペーパーのような肌触りなので、今は標本にしています。
 下に抜き書きしたのは、スリランカの人たちの仏教徒としての生活がわかるものです。そういえば、キャンディで泊まったのは、この本にも出てくるかつてのイギリス総督の住まいをホテルにしているところで、そのすぐわきのスピーカーから早朝にお経を詠む声が聞こえてきます。
 それで目を覚まし、せっかくの機会なので仏歯寺にお詣りに行きましたが、着いてすぐに仏歯がおさめられている塔の扉が閉じられてしまいました。しかたなく、その前で般若心経を唱えていると、立派な衣装を着た門番が戸を開いてくれて、なかに招き入れてくれたのです。そこで、その仏歯のおさめられた金色の容器の前でしっかりとお詣りできたのです。
 よく、スリランカの人たちは日本人に対して親近感を持っているといわれますが、ほんとうにそうだと思いました。そして、写真を撮りたいというと、撮ってよい場所まで案内してくれて、そこから撮ることができました。
(2021.3.12)

書名著者発行所発行日ISBN
ブッダと歩く神秘の国スリランカにしゃんたキノブックス2015年9月25日9784908059186

☆ Extract passages ☆

満月の中でも、5月はさらに特別です。スリランカでは、ブツダが生まれた日と、悟りを開いた日、入減(亡くなった)の日が、5月の満月の日だったと信じられているからです。5月の満月の日には、ブツダの生涯を祝う「ウェサック」という名の祭が、スリランカ中で盛大に開催されます。
 大小さまざまな仏教関連の行事が目自押しのスリランカ。スリランカ人は日常的に、仏教の話を読み、聞き、語ります。この国は仏教と切り離すことも、仏教抜きにして語ることも不可能で、スリランカのどこを切っても、旅を充実させてくれる仏教の香りがぷんぷん漂ってきます。
(にしゃんた 著『ブッダと歩く神秘の国スリランカ』より)




No.1901『北欧が教えてくれた、「ヒュッゲ」な暮らしの秘密』

 この本の題名に使われている「ヒュッゲ」とは、何だろうと思って読み始めました。最初のほうで、この「ヒュッゲとは、デンマークとノルウェーの「居心地のよい雰囲気」というニュアンスを伝える言葉。「仲間との絆」や「思いやり」も意味します。気づきが自分の内面に目を向けることなら、ヒュッゲは自分の外面、人とのつながりやまわりのものに目を向けること。自分の人生や人とのふれあいにおける、ささやかなできごとによろこびを見いだすことです。」と説明されています。
 よく、北欧デザインという言葉を聞きますが、おそらくその流れにあるような気がしました。たとえば、イケアのようなものですが、そのビジョンとビジネス理念については、ホームページには「より快適な毎日を、より多くの方々に」、それがイケアのビジョンです。イケアのビジネス理念は、「優れたデザインと機能性を兼ね備えたホームファニッシング製品を幅広く取りそろえ、より多くの方々にご購入いただけるよう、できる限り手ごろな価格でご提供すること」です、と書かれています。
 この本を読むと、たしかにそういう意味が「ヒュッゲ」にはあります。
 また、この本には、さまざまな料理のレシピまで載っていますが、そのどれもが自然素材をうまく使っていて、素人にも作りやすそうです。ただ、私は料理がほとんどダメなので、ただ見るだけでした。その料理のまとめのところで、「料理は人と人をつなげる」とあり、次の4つのことが書いてありました。
 ∞北欧にはみんなでティータイムをたのしむフィーカや、週末に集まって食事をする習慣がある。
 ∞自分はもちろん、だれかのために料理をつくり、ともにテーブルを囲む幸せを感じて。おいしい料理を囲めば笑顔でうちとけ、わかりあえる。
 ∞子どもにとっては、人とのつきあい方や成熟した考え方をやしなう学びの場にもなる。
 ∞レシピも人から人へ。見よう見まねでつくるほうが身につく。
 とあり、料理が「ヒュッゲ」な暮らしにとって、とても大切な役割をしているそうです。しかも、それらの料理が北欧風の食器に盛られて出されれば、さらに雰囲気が増します。私が好きな食器は、アラビアのマグカップです。それを外に持ち出してコーヒーを飲んでいるだけで、風を感じ、木々の声が聞こえてくるようです。
 下に抜き書きしたのは、イギリスの作家ロバート・マクファーレンが「いにしえの方法、歩き旅」のなかで述べていることだそうです。
 たしかに、この自然享受権とは、自然と親しむためにはとても大切な権利で、それが古くから認められているということはさすが北欧です。今の日本では、自分の土地であっても焚き火をするにはいろいろな問題があるし、消防署の許可がいることもあるいいます。
 そういえば、私がイギリスに行ったときにも、いろいろなトレイルが各地にあり、そこを自由に歩けると聞き、それが権利として認められているということでした。私もその一部を歩いたのですが、たまたまですが、そこに咲くヒースを見たときには、いかにもイギリスの風景だと感じました。
(2021.3.10)

書名著者発行所発行日ISBN
北欧が教えてくれた、「ヒュッゲ」な暮らしの秘密シグナ・ヨハンセン 著、柴田里芽 訳日本文芸社2017年11月30日9784537215311

☆ Extract passages ☆

「北欧の人々の自然享受権という慣例がうらやましい。この法律は、数世紀にもわたる封建制度を経験することがなかったために、地主階級に代々服従することがなかった地域で生まれた。市民は害をおよばさないかぎり、未耕作の土地をどこでも歩くことができる。また、たき火をしたり、ほかの人の敷地内で野宿をしたり、花や本の実や果実をつんだり、川で泳げる」。
(シグナ・ヨハンセン 著『北欧が教えてくれた、「ヒュッゲ」な暮らしの秘密』より)




No.1900『みんなの民俗学』

 民俗学というと、どうも柳田國男や折口信夫、宮本常一などを思い浮かべるのですが、どうも、それとは違い、口頭伝承や民間伝承を重視してきた旧来のやり方とは異なっているようです。そこで、この本の最初に、民俗学というのはどのような学問かについて、「民俗学とは、人間(人びと=〈民〉)について、〈俗〉の観点から研究する学問である。ここで〈俗〉とは、@支配的権力になじまないもの、A啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの、B「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの、C公式的な制度からは距離があるもの、のいずれか、もしくはその組み合わせのことをさす。本書のサブタイトルにある「ヴァナキュラー(vernacular)」は、この〈俗〉を意味する英語である。」と書いていて、副題の「ヴァナキュラーってなんだ?」にも触れています。
 ですから、この本では、喫茶店のモーニングサービスや、B級グルメ、さらにはパワーストーンやパワースポットまで取りあげています。そして、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡がるなかで、「アマビエ」もある意味でブームになっていますが、それも解説しています。
 そういえば、私も大学時代には、授業を受けるより先に、先ずは喫茶店に行き、そこでモーニングサービスを食べて、仲間たちと情報交換をして、休講などを知ったこともあります。ほぼ、日曜日以外は毎日その喫茶店に行き、なかには小田原から通っていた旧友は、休講とわかっていてもここに顔を出し、そして数時間だべったりして帰ったということもありました。だから、このモーニングサービスのところを読んでいて、だいぶ昔の学生生活を懐かしく思い出しました。
 本の効用は、新しい知識を得ることだけではなく、古い事柄を思い出したり、それを土台にして、いろいろな想像を巡らすこともあります。
 またパワーストーンにしても、その流れはあまり理解していなかったのですが、この本では「バワーストーンは、もともとアメリカのニューエイジ(新しい神秘主義的運動)を起源 とする宗教グッズとして、1980年代に日本へ輸入されたものである。パワーストーンが日本に入って間もない1990年代のはじめ頃、ちょうど私は大学院生で新宗教の研究をしており、宗教現象にアンテナを張っていたので、パワーストーンが日本のニューエイジ関係者を中心に受容されていくのを直接目にしていた。パワーストーン信奉者にインタビューしたこともある。パワーストーンに対する当時の私の印象は、ニューエイジ関係者だけがこれに関心を持っており、世の中に広く浸透しているわけではないというものであった。それに対して、2000年代以降は、いわゆるスピリチュアル・ブーム(メディアを介して広がった精神的。霊的なものに対する一連の強い関心)の中で、特定の層を超えて広く世の中に受け入れ られているといえそうである。」と書いてあり、著者が大学院生のときだから、その流れははっきりととらえられていたようです。
 下に抜き書きしたのは、一連のアマビエ現象についても、 フォークロレスクの観点で捉えることができるとしています。そして、それらがどのようにして摺物としてつくられていったのだろうか、と書いています。
 そして、その少し後に、江戸時代の摺物は現代のタブロイド紙のようなもので、「あることないこと、虚実入り混じった記事を面白おかしく描き出したものが少なくない」という森田健司氏の『かわら版で読み解く江戸の大事件』彩図社、2015年)を参考にして、「仮にアマビエ系怪物伝承の発端が、実在の人物による幻視であったとしても、これが摺物に取り上げられていく過程で、誇張を合めた創造的な図像化が行われたことは十分想像できる。」としています。
 私もいくつかのアマビエ系の怪物伝承から摺物業者の手で、それらしく図像化されたのではないかと考えていたので、とてもよく理解できました。それにしても、流行というのはすごいもので、あっという間に拡がり、今現在でも新型コロナウイルス感染症の収束の兆しすら見えないのにあまり取りあげられなくなってきたようです。
 むしろ、そのような状況を考えると、そのとき時のこのような俗な流れも記録しておくことが大切だと思いました。
(2021.3.7)

書名著者発行所発行日ISBN
みんなの民俗学(平凡社新書)島村恭則平凡社2020年11月13日9784582859607

☆ Extract passages ☆

江戸時代、アマビエに類似した怪物の話は多く伝えられていたらしい。アマビコ(海彦、尼彦、天EI子)、神社姫など、疫病の流行を予言したり、自分(=怪物)の姿を写して持っていれば疫病から守られると語ったりした怪物についての摺物がいくつも残されている。
 もっとも、これらの怪物伝承のそもそもの出発点がどのようなものだったのかは、いまとなっては誰にもわからない。どこかの誰かが海中から出現する不思議な生き物を幻視し、それについて語った内容が記録されたのか、あるいは最初から摺物業者がこれらの怪物を創作してそれを摺物に描いたのだろうか。
(島村恭則 著『みんなの民俗学』より)




No.1899『こころ 曇りのち青空』

 前回の中村哲さんの『希望の一滴』に続いて、地方新聞社が発行する本を読みましたが、地方にはまだまだ地道な活動をしている方々がいるんでしょうね。この本も、副題は「Dr.あやこ 精神科医の処方箋」という通り、各地で診察に当たってこられた著者のもので、たいへん示唆に富む内容でした。
 たとえば、「枠づけ」というものは「境界線をつくることで、気持ちが引き締まったり、規律を守りやすかったりするということだ。反対に、我慢強くない患者さんを周囲がとても甘やかすと、患者さんのわがままが増長して症状が悪化することがある。」と書いています。
 この「枠づけ」というものも、たとえば子育てなどでも大変役立つ考え方のように思います。それだけでなく、自分自身に対しても、一定の枠づけをしておいたほうが生活の乱れや無理などを未然に防ぐことができそうです。たとえば、小遣いなどもそうですし、人間関係などもそうで、少しは窮屈かもしれませんが、そのなかで精一杯いろいろなことができると考えれば、羽目を外さないで生きていけそうです。
 また、流れ的には「枠づけ」と同じようなものですが、選択肢を絞るということも大切だと著者は言います。「人はあれこれ迷ったり心配したりするのが好きだが、選択肢が1つしかないと悩もうとしても悩めない。「行くこと」を先に決めておくと余計な心配や迷いがないので、そのぶん身体の回復にエネルギーを集中できるのかもしれない。」とあり、そういえば、あるセールスマンが売る種類を広げるより、むしろ絞ったほうが売上が伸びると話していたことを思い出しました。
 なんでも同じかもしれませんが、たくさんの選択肢があれば選ぶのに時間がかかると、むしろ選べないこともあります。この場合のように、精神的に追い詰められている人にとっては、選択肢を1つに絞ることも必要だと思います。著者は、「退路を断ち、選択肢を1つにする。その覚悟が、持っている力を最大限に引き出してくれる。「一念岩をも通す」じゃないけれど、願望を先に決め、迷いなくそれに向かっていると、念願がかないやすい。」書いていて、たしかにそうだと思います。
 ただ、私などは、いろいろある選択肢のなかで、どれがいいかと悩んでいるそのことも楽しみの1つですから、まさに人それぞれだと思います。
 下に抜き書きしたのは、こころのブレーキの外し方に書いてあったもので、うつ病がなかなか治らない方に「不安や思い込みなどのブレーキがかかっている」といいます。
 なかには、アクセルを踏みながら、ブレーキもかけていることもあるそうで、なかなかこのこころのブレーキに気づかない方も多いそうです。だとしたら、その外し方として下のようなことを考えればと教えてくれています。私も、この「自分が見たことのない景色は見えない」というフレーズになるほどと思いました。だからといって、テレビ等で放映された風景を観ても、なかなかわからないこともあります。
 たとえば、私が中国四川省の黄龍に言ったときに見た風景は、まさに見てみないとわからないような絶景でした。今、そのときに撮った写真で、本のしおりを作って使っていますが、見るたびにそのときの風景が甦ってきます。
(2021.3.4)

書名著者発行所発行日ISBN
こころ 曇りのち青空北村絢子山梨日日新聞社2018年12月26日9784897106304

☆ Extract passages ☆

人間には「自分が見たことのない景色は見えない」という特徴がある。……
 そう。人間は体験することで、立場が変わることで別の景色を見、別の思いを経験し、その結果、今までできないと「呪文」をかけていたことがやれていたりする。私だけ特別だろうか。いや、そんなことはない。実は誰にでも平等に変化の機会は訪れている。「機会」だと気づいていないだけだ。
 そんな時、後ずさりしないで一歩前に進んでみよう。自分では気づけないからこそ、素直に人の忠告を受け入れながら、または訪れた機会を逃さず、人は変化することで違う景色を見ることができる。人の忠告を受け入れること、機会を生かし一歩踏み出してみること。それが心のブレーキが外れるきっかけとなり、成長へと自分を運んでくれる気がする。
(北村絢子 著『こころ 曇りのち青空』より)




No.1898『希望の一滴』

 中村哲さんは、アフガニスタンのジャララバードで、2019年12月4日の朝に車に乗っていたところを武装集団に道をふさがれ、銃撃を受けて死亡しました。同行していた運転手1人と警備員4人も死亡したそうです。
 このニュースを見て、なぜアフガニスタンの復興支援のためにあれほど頑張っていたのに、寄りによってアフガニスタン人によって殺害されなければならないのかと強い憤りを感じました。その後の捜査で、運転手が1人逮捕されましたが、首謀者はTTP地方幹部だということでした。ところが、今年の1月29日に仲間とパキスタンの首都カブールで襲撃事件を起こし、その現場で警備員に撃たれて死亡したということです。生前、彼は「共犯者が(中村さんを)撃ってしまった」と懇意にしていたTTPのメンバーに話していたそうです。
 だからといって、生き返ってくるわけではないのですが、少しは救われたような気持ちになりました。このニュースは、今月2月10日の朝日新聞デジタルで知ったばかりで、発信者はバンコクの乗京真知さんです。
 そのような想いでいたときに、この本を見つけました。本の副題は、「中村哲、アフガン最後の言葉」で、第1部は西日本新聞の朝刊に寄稿連載された「アフガンの地で」、第2部は、同じ西日本新聞の夕刊、そして第3部は西日本新聞の朝刊に寄稿連載された「アフガンの地で」とペシャワール会報号外、第4部はペシャワール会報からの原稿をまとめたものだそうです。この第4部のペシャワール会報142号は、2019年12月4日に発行されたもので、まさに銃弾に倒れたその日のものです。
 そもそも、医師であった中村さんがなぜ灌漑事業までしなければならなかったのかがイマイチ理解できずにいました。それが、第1部に「PMSはもともと医療団体で、1990年代から山村部に無医地区診療モデルを目指していた。転機は2000年、凄まじい干ばつとの遭遇であった。アフガンの山村部は自給自足の農民がほとんどで、水不足は飢餓と難民化に直結する。 一時診療所の周辺は一本一草も生えない荒野に帰し、村民は一斉に難民化した。WHO(世界保健機関)は同年6月、飢餓線上400万人、餓死線上100万人と警告を発し、餓死者が続出する中、医療だけでは命を助けられないことを思い知った。行政も僻地の末端までケアできる態勢ではなく、技術者も皆無であった。いきおいPMSが住民と協力して灌漑事業を進める以外に打開策がなかったのである。」と書かれていて、納得しました。でも、クナール川というアフガニスタン最大の水量を誇る川から直接取水するためのカマ堰が8年もの歳月をかけて完成したのが2019年2月です。その10ヶ月後に殺されたわけで、これは絶対に人間として納得できるものではありません。
 もともと中村さんが井戸掘りを始めたのが2000年で、「診療を待つ間に、体が冷たくなっていく子供を母親が抱きしめている」ことから、2006年までに1600ヵ所の井戸をほったといいます。そして2003年から本格的に用水路建設に着手し、「百の診療所より一本の用水路を」と近隣の農民の助けを借りて進めていったそうです。もちろん、その現地の人たちにも賃金を渡すので、それが生活の助けにもなります。そして、2019年までに用水路で潤うようになった土地は、16,500ヘクタールで、その広さは福岡市の約半分に相当するといいます。そのこともあって、アフガニスタン政府から、名誉市民権を授与されています。
 それで思い出すのですが、ネパール友好協会が小型の水力発電を寄贈しようとしたとき、私の友人がなるべくならそのお金でネパール製の水力発電の機械を購入したいと話していたことです。というのは、日本製はたしかに優秀だが、故障すると日本から技術者を呼んで修理しなければならず、それが高額になることからついそのままになってしまうといいます。ところがネパール製だと、すぐに修理ができ、いつまでも使えるそうです。この本では、すでに日本では行われていない用水路工事ですが、住民地震の手で維持可能な技術で作るので、将来にわたって維持できると書いてありました。
 この本を読んでとくに印象的だった言葉は、「西側には時計があるが、我々には時間がある」というフレーズです。たしかにアフガニスタンは、長い内線のなかでいつ果てるともない戦争状態のなかで、それでもいずれは外国軍は去って行く、今までの歴史のなかでも、「攻め込んだ者が音を上げて去っていった」といいます。そのような悲惨な状態のなかでつぶやかれたアフガンの人の言葉には、諦めてはいない粘り強さを感じました。
 下に抜き書きしたのは、2001年の夏、著者の次男が悪性の脳腫瘍に罹り、それを聞いたペシャワールのPMS病院の事務長が「ザムザムの水」という聖水を届けてくれたときのことです。それを著者は心魂込めて祈り、一縷の望みを託して、毎日数滴ずつをジュースに混ぜて与え、回復を祈ったそうです。
 私もガンジス河のほとりに立ち、その聖水を汲む人たちを見ましたが、「ザムザムの水」はメッカ巡礼の際に持ち帰り、大切に保存していたものだそうです。まさに、聖水です。
 著者は、このような気持ちを持っているからこそ、アフガニスタンの人たちに受け入れられたのではないかと思いました。
(2021.3.1)

書名著者発行所発行日ISBN
希望の一滴中村 哲西日本新聞社2020年12月25日9784816709883

☆ Extract passages ☆

 医師生活の最後の奉公と見て手を尽くしたが、次男は宣告された通りに死んだ。享年10歳であった。ザムザム水の効き目がなかったではないかと、のちに心ない冗談を言う者もいたが、胸中に残る温かい余韻を忘れることができない。我々の持つ世界観、いわゆる「科学的常識」は、しばしば味気ない理屈と計算で構成されている。水を届けた者のまごころがうれしかっただけではない。あの水は、紛れもなく「聖水」であったと思っている。さかしい理屈の世界から解放され、その奥に厳然とある温かい摂理を垣間見られたことに、今でも感謝している――今日も川のほとりで眺める水は、天空を映してあくまで青く、真っ白に砕ける水しぶきが凛として、とりとめもなく何かを語る。
(中村 哲 著『希望の一滴』より)




No.1897『遊行を生きる』

 この本は、月刊『清流』に2012年5月号から連載し、約5年がかりでこの1冊になったそうです。それが元になったとはいえ、1年以上かけて大幅に書き換えたそうです。
 副題は「悩み、迷う自分を劇的に変える124の言葉」とあり、まさにこの本も悩みに悩んで書かれた本のようです。
 この遊行とは、インドの古くからの生き方で、日本でもいろいろな方がこれについて書いています。でも、著者は、流れというよりは、この生き方を多層的にとらえ、若くしても遊行があるといいます。そして遊行を、『「遊行」とは、人によっては、解脱、煩悩から自由になることを目標にする時期だといいます。でも僕は字の通り、「遊び、行く」と考え、フラフラしてもいいと考えています。この時期こそ、自分の好きな仕事や、やりたいことをするときでもあるのです。「遊行」を、死に向かうための厳かな時間と考えず、野垂れ死にしてもいいほどに自由になれる時間と考えると、人生がおもしろくなります。人生が楽になります。「遊行」とは、 一人の人間が子どもの頃のような、自由な心で生きること。先入観などにとらわれず、こだわりなど捨てて、″遊び″を意識するのです。さまざまな殻を打ち破って、姓名のもっと根っこの部分で世界を生きることです。』と解釈しています。
 いわゆるインドの遊行期というのは、古代インドの理想的な生き方の分類で4番目です。これは、人生の最後の期間で、普通は森羅万象とこの世の真理を知ることにより物質世界の煩悩を離れた生き方を指します。もう少し言うと、今までの日常生活から解放されて自由に生き、そして遊びの感覚で精神的に放浪することを意味します。でも、著者は、この遊行期を人生の4番目とは考えず、学生期、家住期、林住期、遊行期のいずれのときも、「遊行」を意識したほうがいいと書いています。
 著者は、「僕はかねてから、「よい人生はよい言葉でつくられる」と信じて生きてきました。自分の言葉や、古今東西の偉人や天才たちが格闘の末にたどり着いた含蓄のある言葉 ……。そんな哲人たちの言葉を自分流に噛み砕いたり、発酵させたりしながら、人生のバイブルにしてきました。」と書いていて、そういえば、私も『大黒さまの一言』というサイトのなかで、毎週、日本や世界の名言を載せています。これを始めたのは2001年1月8日でしたから、かれこれ20年になります。1年を単純に52週とすれば、この20年間で1,040もの名言などを取りあげたことになります。
 このほとんどが読んでいた本のなかに出てきたもので、これらの名言を思い出すたびに、その本の内容もかすかですが思い出されます。
 下に抜き書きしたのは、第1章『「遊行」を意識すると生きるのが楽になる』のところに書いてあるもので、この3つを忘れなければ人生を愉しく過ごせるといいます。
 たしかに、この「ホモ・ルーデンス」という意味は、「遊ぶ生きもの」ということです。つまり、人間は遊ぶようにできているということでもあります。
 だとすれば、いかに時間を忘れるほど楽しく過ごせるかということは、とても大切なことだと思います。
(2021.2.27)

書名著者発行所発行日ISBN
遊行を生きる鎌田 實清流出版2017年2月1日9784860294540

☆ Extract passages ☆

ホモサピエンスが「出アフリカ」を果たした背景にあるもの、それは「好奇心」です。好奇心は人間を成長させます。人類の歴史の中で、常に新しいものをつくりだす源泉は好奇心です。
 好奇心は若い時代特有のものではありません。いくつになつても好奇心はもち続けられるし、それがあれば、人間は元気になれる。
「好奇心」「陽気でいること」「人間は負けるようにはつくられていない」
 この3つを忘れなければ、どんな絶望に出合っても、人生をおもしろくつくり直すことができるのです。
(鎌田 實 著『遊行を生きる』より)




No.1896『レイシズム』

 この本の初出は、1940年にアメリカの Modern Age 社から出たそうで、その後、イギリスやアメリカの改訂版などが出て、著者が亡くなった1948年後も1959年版、2019年版などが出版されているそうです。
 この『レイシズム』は、講談社学術文庫のための新訳で、とても読みやすく感じました。そもそも著者のルース・ベネディクトは、『菊と刀――日本文化の型』の著者としても知られ、これは今も絶版にならずに読まれ続けているそうです。
 おそらく、だいぶ前に読んだような気もしますが、新訳ということで読み始めました。でも、トランプ前大統領のときにレイシズムの兆候のようなものがあったので、改めて深く思うものがありました。第1部の「人種とは何か」のなかで、はっきりと人種と国家領土とは無関係だし、それらの理由もはっきりと書いています。そして第2部では「レイシズムとは何か」と具体的な内容に踏み込んでいます。
 この「レイシズム」を辞書で引くと、「人種間に根本的な優劣の差異があり、優等人種が劣等人種を支配するのは当然であるという思想」とあり、いわゆる人種主義です。これに対して、著者は、「ある民族集団が先天的に劣っており、別の集団が先天的に優等であるように運命づけられている、と語るドグマ」のことであるといいます。
 これは、おそらく人種的偏見を持った民族主義のようなもので、この本には、これをはっきりと否定し、「人種というのは遺伝によって受け継がれた身体的特徴の組み合わせに過ぎず、大昔に野蛮であったこととか、現代において立派な文化を誇っていることとは関係がない。かつて粗野な生活を送っていたとしても、その人種が現在においても劣等であるということには決してならない。」と書いています。これ本が、第二次世界大戦のさなかに書かれたことにびっくりします。そして、その後の歴史を知っている私たちにすれば、その洞察力はすごいものがあります。
 たとえば、昨年のアメリカ大統領選挙のときでも、このレイシズムを感じました。あのアメリカ議会に乱入したときの映像を見たときに、これが現代のアメリカなのか、と驚愕しました。そして、この本の「この世界の現況では、あらゆる差別を撤廃するなんて全く実現不可能なことと思われるだろう。しかしこれは単に人種差別をなくすためだけのプログラムではない。ただマイノリティの人権を法律によって保護するよう求めているのでもない。少数派の生活を保障することは、 マジョリティの側も、つまり今のところ迫害する側に立っているひとも、将来の生活について安心できるよう仕組みを作ることである。そうでなければ、どんな条文も、保護政策も、結局はまた新たな犠牲者を、絶望を忘れるための生贄を探し出してくることだろう。」と書かれたところを読んだときには、まったく今でも同じような問題を抱えていると感じました。
 人を更生させるということも同じで、とくに若者の場合は家庭内に問題があり、結果的にそこから非行に走ることが多いようです。だから、1対1で話しをして、相手の不満などを優しく聞いていると、だんだんと相手も変わってきて、話しを聞くようになってきます。そして、そこに信頼関係が築ければ、あるとき、ピタッと非行が止まることもあり、何度か私も経験をしたことがあります。やはり、その相手の環境を変えることが大切で、次に一人じゃないことを気づかせることも大事な要素です。
 また、人それぞれに長所と欠点を持っています。その長所を伸ばすということも相手が成長するためには必要なことです。この本にも書いてありましたが、私たちの視力は欧米人とほとんど変わりはないようです。でも、ネパールに行ったときに、まだ飛行機は来ないだろうと言ったら、もう、山の端のところまで来ているとシェルパの人が言いました。でも、私にはまったく見えません。それから少し経ってから飛行機の音が聞こえてきて、やっと見えるようになったのです。おそらく、彼らの目の視力は少なくても4.0ぐらいはあると思いました。
 下に抜き書きしたのは、第8章「どうしたら人種差別はなくなるだろうか?」の「人種差別をなくす方法」に書いてあったものです。
 このような文章を読むと、まさに今もこの本に書いてあることが何度も起こっていることがわかります。そして、「人種差別をなくす方法」をいつも考え、いかに民主主義を護っていくかと同じように継続的に実行していくことの大切なのかが実感できます。
 この本を読んで、ほんとうに良かったと思いました。皆さまにもお勧めいたします。
(2021.2.25)

書名著者発行所発行日ISBN
レイシズム(講談社学術文庫)ルース・ベネディクト 著、阿部大樹 訳講談社2020年4月8日9784065193877

☆ Extract passages ☆

 異人種に対して本能的な敵愾心があるのだとか、目に見える差異があるから反発するのだとかは机上の空論であって、人種差別の本質を考えるうえで大した意味はない。人種の対立を理解するためには、人種とはなにかではなく、対立とは何であるかを突き止める必要がある。人種差別として表面化したものの奥に、あるいはその根本に何があるのかを知る必要がある。文明を自負する私たちが差別をなくそうとするなら、まずは社会の不公正を解決する手立てを見つけなくてはならない。人種とか宗教に寄りかかるのではない形で不公正を是正して、そのことを一人ひとりが共有財産とする必要がある。権力の無責任な濫用をなくし、日々の尊厳ある生活を可能にしてくれる方策ならば、それがどの領域で行われるのだとしても、人種差別を減らす方向に働くだろう。逆に言えば、これ以外の方法で人種差別をなくすことはできない。
(ルース・ベネディクト 著『レイシズム』より)




No.1895『科学とはなにか』

 このBLUE BACKSシリーズは、よく読みますが、ちなみに本棚をチラッとみただけで、30数冊はありそうです。ということは、科学に興味や関心はあるということなのかもしれません。
 この本の題名にも『科学とはなにか』とありますし、副題は「新しい科学論、いま必要な三つの視点」とあり、おもしろそうだと思い、読み始めました。特に、東日本大震災で福島第一原発の事故があり、その信頼も少し揺らいできているように思います。また、科学者と一般の人たちとの距離感もあり、何をどのように研究しているのかさえもわからないという人さえいます。
 この本では、科学技術のガバナンスとして、「もう少し過激な表現を使えば、科学技術をいかに「飼い慣らす」かともいえる。基礎研究であろうと実用化された技術であろうと、科学技術は時に人々に大きな被害を与える。原爆のようにもともと人を殺傷することを目的として開発されたものに限らず、原子力発電のように本来は人々の生活を豊かで快適なものにすることを目的にしていた技術であっても、事故が起これば多くの人々の生活を破壊する。科学技術を活かすも殺すも、その社会的デザイン(飼い慣らし方)によるところが大きいのだ。もちろん、このデザインを考えるのは、科学技術の「外側」の人間だけの役目ではない。専門家たちも重要なプレイヤーである。ぼくたちは、科学技術は暴走するものとして、事故を起こすものとして、さまざまなバッファーを用意しておく必要がありそうだ。」と書いています。
 たしかに、2011年の東日本大震災のときの福島第一原発の事故は、多分に人災的なものもありそうです。それまで、原発は絶対に安全だという神話は、科学者の方から発信されたから信じたわけで、もし政府や官僚の方からだけ発信されたとしても、ある程度は疑っていたかもしれません。それほど、科学者の言葉には重みがありました。
 でも、今は、政府や官僚などと同じように、科学者の言葉といえども懐疑的にみるようになったと思います。
 この本のなかで、科学者と一般人との間にある、ある種のわかりにくさを解消するために、日本建築の「縁側」のような考え方を活用しようと提案していますが、これはいいことだと思います。「公と私のあいまいな境界に、日本の家屋は「縁側」を設置している。公式にその家を訪問する人は、表玄関から自身を名乗って入らなければいけない。しかし縁側では、裏口からご近所さんが入ってきて、一緒に座ってお茶を飲んでほっこりしたりしている。それが許されるあいまいな領域が縁側だ。日本における専門家と一般社会の関係を見ると、科学技術と社会のあいだにも縁側があるように思える。これをもっと活用しよう。」とあり、越えがたい垣根を取り払うためにも、これは大切なことだと思います。
 そもそもこの本はもとは、2018年9月から2020年3月までに講談社のウェブサイトに掲載された11回の連載ですが、最初はそれをまとめて1冊にする予定だったようです。でも、なかなか統一感のある1冊にはならず、新たに書き下ろすようなつもりで再編集したものです。なかなか手が込んでいますが、科学という大きなくくりの中でまとめるわけですから、大変だったようです。これらのことは、「あとがき」に詳しく書かれていましたが、ある意味、この本の内容にはあまり関わりないことですが、本をつくるということからすれば、とても興味のあるものでした。
 下に抜き書きしたのは、今はあまりにも当たり前になっているスマホのカメラですが、その開発秘話です。
 読んでしまえば、なるほどと簡単に思ってしまいますが、その着眼点はすごいと思いました。それこそ、科学と技術の融合、さらには使う人の視点というものではないかと思いました。
 あらためて自分が常に使っているスマホを眺めて、おそらくこのようなユーザー視点から開発され、しかもアプリなどもそうではないかと思いました。また、これからは、時計なども、いろいろと機能が加わり、いろいろな使い方が生まれてくるような気がします。いわゆる、「スマートウォッチ」です。
(2021.2.22)

書名著者発行所発行日ISBN
科学とはなにか(BLUE BACKS)佐倉 統講談社2020年12月20日9784065221426

☆ Extract passages ☆

これは当時、J-フォンにいた電気工学エンジニアの高尾慶二が箱根でロープウェイに乗った際、乗り合わせた女性がせっせと携帯メールを打っているのを目撃し、目の前の景色の美しさを伝えているのならば、いっそ「携帯電話で写真を撮れるようにし、それをメールで送ることができたらもっと便利になるのではないか」と思いついたことに端を発している。
 興味深いことに、高尾は「開発者である前に、生活者である自分が最も欲しいと思う機能を具現化した」と述懐している。これはまさに、技術の新しい機能が技術開発側の視点ではなく、ユーザー側の視点からなされたことを示している。
(佐倉 統 著『科学とはなにか』より)




No.1894『大人のカタチを語ろう』

 著者は2020年1月21日にくも膜下出血で倒れて病院に救急搬送され、翌22日に手術を受けて、2月には退院されたそうです。おそらく、その後はリハビリなどをしていると思いますが、この新型コロナウイルス感染症が拡大するなかですから心配ですが、連載もされていますから、回復していることは間違いなさそうです。
 大人といわれて、私が一番考えるのは、仕事です。つまり、仕事をして家庭を支え、その仕事を通して社会とつながり、いくらかでも社会貢献をしたり人のために役立ちたいと思っています。もちろん、その仕事にはお金が絡んでくるのですが、私の学生のときの先生は、お金を第一義に考えてはならないとよく話しをされていました。それは、この本でも書いてあり、「金に翻弄される人間になるな、というのが、私の考えである。所詮、金は人間がこしらえた価値を量る道具でしかない。人間がこしらえたもので、人間が悲劇の中に立たされるのは、愚か以外の何ものでもない。……金は厄介なもので、持てば人間を傲慢にさせる。当人がそう思っていなくとも、言葉の端々や文章の中に、傲慢さは出る。金を持つ人間には、己のその傲慢さは見えない。」と書いていて、なるほどと思いました。
 たしかにお金がなければ生活はできませんが、それがすべてではないと思います。お金ですべてが買えるといった人がいますが、これこそ傲慢の極みです。
 絶対にそのような気持ちでこの大切な人生を生きたいとは思いません。
 また、この本の第4章「故郷」の引力のところで、旅について書いてますが、「旅をすることで人はさまざまなことを得るのだと思うが、旅の途上にあると、初めて目にする土地であればことさらに、その折々は興味を抱き、こんな人たちがいて、こんなふうに生きているのだ、と感心する。しかし夜になり、街の灯りが消え、安いホテルや木賃宿のベッドに横になり、天丼を見つめていると、――自分はなぜこんなふうに見知らぬ土地でこうしているのか? と問うことになる。若い時の旅は、何かを探し求めてきまようのだろうが、その興味、意欲が強いうちは、己のことをなかなか考えられない。それでも旅を続けていけば、否応なしに、人は己と対峙せぎるをえない。」と書いています。
 この文章を読んで思いだしたのが、私の友人で、若いときに海外を放ろうしていて、中東のある飛行場の近くの安ホテルに泊まったとき、急激な腹痛で七転八倒したそうです。病院に行くこともできず、ただ、3〜4日寝っぱなしでうなっていたとか、そのときに、自分はなぜこんなことをしているのかと自問自答したそうです。それから、彼はアメリカに渡り、したい仕事を見つけ、現在は自分が創業した会社の会長として後進の指導にあたっています。
 彼も、脳梗塞で倒れてから、リハビリをしてなんとか以前に近いところまで回復していますが、それをきっかけとして自己とあらためて対峙したのではないかと思います。やはり、何もないときに自分を見つめ直しなさいといわれてもなかなかできませんが、旅とか病気とか、普段の日常から外れたときにだと、できるようです。
 そういう意味でも、私はよく旅に出ますが、もちろん興味や関心があるからでしょうが、このような側面もあるのではないかと思っています。
 下に抜き書きしたのは、祈るという行為についての著者の言葉です。
 これは、友人かどうかは本に書いてなかったからわからないが、屈強な体躯の持ち主で、まずはくたばらないと思っていた彼が末期癌を患い、「俺は死なない。俺には"永遠"ってやつが見えてきた」と言い、その翌日に病院から亡くなったという連絡があったそうです。家族も身寄りもないので、医療費の片付けに病院に行ったときの看護師さんに言われたことです。
 たしかに、私も祈ることによって救われるということはあると思っています。
(2021.2.19)

書名著者発行所発行日ISBN
大人のカタチを語ろう伊集院 静集英社2019年12月10日9784087816709

☆ Extract passages ☆

「今までいろんな末期癌の患者さんの最期を見てきましたが、あんなにおだやかで、私には笑っているようにさえ見えた方は初めてでした」
「そうですか」
――それはあいつが何かに出逢ったからでしょう。と彼女に言っても理解しないと思った。
 私には彼が出逢ったものの正体はわからない。それが神でも、″永遠″でもかまわない。ただそれは、祈るという行為をはじめたことで何かが起こったのだろうと想像した。悪くはない気がした。
 男の一件から、私は積極的に神社仏閣に足をむけるようになった。かたちだけでもと、祈ることもはじめた。
(伊集院 静 著『大人のカタチを語ろう』より)




No.1893『和食の地理学』

 この本も何気なくとったのですが、たまたま去年の私の誕生日に発行されたので、読むことにしました。本を読むきっかけというのは、ある意味、何でもいいわけで、読もうとする後押しをしてくれればいいように思います。
 でも、読んでみて、なるほどと思うところもあり、最後は読んでとてもよかったと思いました。
 それと、食事にはアルコールがあれば、より楽しめるとも思いました。ある地方の名物料理も、その土地の地酒があれば、より印象深いものになりそうです。この本の著者は、かなりいけそうで、日本車だけでなく麦酒やワインなどにも精通していて、題名が『和食の地理学』なのに、第8章では「ブドウ園とワイナリーの文化的景観」のなかで、山梨の日本ワインに少しだけ触れ、あとはオーストラリアやイタリアなどのブドウ園やワイナリーを取りあげています。でも、その味の表現は、「すっきりしたコクのある、腰の強い味」などと日本酒に使うような言葉です。
 それがどうのこうのということではありませんが、私がまったく飲めない質なので、いささかうらやましくもあり、ついこのような言いぐさになるのかもしれません。
 私の友人のなかに、まったく飲めないのに、オーストラリアやニュージーランドに行ったときに、その土地のワインを買って帰国する人がいます。聞くと、お土産にすると喜ばれるといいます。たしかにたしなむ人にとっては喜ばれるかもしれませんが、もし、私が買ってプレゼントすると、飲まないことを知っているので、単に酔狂と思われるかもしれません。
 よく、お茶の宣伝などで富士山と茶畑などの写真がありますが、この茶畑の畝の形にも時代的な変化があるそうで、この本を読んで初めてわかりました。著者によると、「1つ目の種類は、……手摘みの茶ノ木のやや不規則な形状である。2つ目の種類は、かまばこ型の畝である。この形状は、各畝の両側から2人(多くの場合夫婦によって)がかりで、袋付の大きなハサミによって茶葉を刈り取った結果として生じた形である。……3つ目の種類は、茶葉を刈り取った後の畝がやや平坦に見え、また畝間の間隔が非常に狭いのが特徴である。平坦地や緩やかな傾斜の茶園に見られるこのような畝の形状は、人が乗って操作する、乗用茶摘み機による作業の結果としてできたものである。従って、比較的新しい形状でもある。」と3つの種類が載っています。
 ということは、イメージだけは2つめの手刈りのかまぼこ型ですが、今、普通に見られるのは、おそらく乗用茶摘み機による平坦な形ではないかと思います。
 茶畑でさえそうですから、昔のイメージからするとだいぶ変わってきた作業風景もありそうです。そういえば、身近な田んぼを考えただけでも、田植えは手植えから田植機械になり、農繁期などという言葉さえあまり使われなくなってきました。あっという間に終わるからです。収穫した稲を干すのもハセにかけたり稲ぐいにかけたりすることから、コンバインで収穫してそのまま乾燥機に入れておしまいというところがほとんどです。
 下に抜き書きしたのは、その稲の種もみについての話しです。
 近くに農家の方がいるので、ある程度のことは知ってはいましたが、契約農家の種もみ生産について詳しくは知りませんでした。おそらく、意外と知らない方もいるかと思い、ここに掲載しますので、読んでみてください。
(2021.2.17)

書名著者発行所発行日ISBN
和食の地理学(平凡社新書)金田章裕平凡社2020年12月15日9784582859621

☆ Extract passages ☆

 稲種センターでは、種もみをつくるための種もみを厳重に管理し、販売計画に従って契約農家に栽培を委託する。契約農家での栽培手順は食べる米の栽培と変わらないが、普通の3倍以上の手間が必要だという。例えば農家は毎日、早朝や夕刻に水田に入り、異質な稲を抜き取って品種の純粋さを維持する。こうして契約農家の種もみ生産は、高い発芽率と純粋な品種を維持すべく、細心の注意を払って行われるのである。
 このセンターの近くには、1坪(約3.3平方メートル)にも満たない区画が並んでおり、それぞれの区画ごとに、背の高い稲や生育度の違う稲が育てられていた。それぞれ違う品種の稲であった。花粉が混じって自然に交配が起こらないのかと質問したが、まずその心配はないという。品種ごとに稲の開花期が違うのが最大の理由であった。万一開化期の近いのがあれば、それを相互に近づけることはない。
(金田章裕 著『和食の地理学』より)




No.1892『こころの匙加減』

 何気なくとった1冊ですが、まさか100歳の方の本とは思いませんでした。たしかに、今では100歳も珍しくありませんが、副題に「100歳の精神科医が見つけた」とあり、現役の医師ということで、読んでみたくなりました。
 でも、この本が出版されたのは2016年ですから、現在は何をされているのかと思い調べてみると、桜美林学園のホームページに「橋幸枝先生(医療法人社団秦和会 理事長)が、2020年1月16日、享年103歳をもって逝去されました」と出ていました。なぜ学園のニュースに載っているのかと思い、さらに調べてみると、医師免許取得後、地元の病院勤務を経て、1953年に桜美林学園へ校医として2年間赴任されたそうです。そして、この本にも出てくる秦野病院は、1966年に神奈川県秦野市に開院し、そして開業医になったということです。
 ちょうど1年前のことで、なにがしかの縁を感じました。
 おそらくその当時は、精神病院というと、いったん入院するとなかなか出てこられないとか、閉ざされたイメージがありました。著者は、「年月が流れ、向精神薬の研究開発が飛躍的に進むと、薬の効果で良くなるケースが増え、従来の精神科の治療スタイルががらりと変わりました。そのため、「精神科の病棟は、より開放すべき」「長期入院は不要」「治療は入院より、通院で」という方針が国から打ち出され、私たちも従うことになりました。このように方針が大きく変わるときは、現場は少なからず影響を受けます。たとえば、本来は入院していたレベルの患者さんが、通院治療に切り替えたゆえに、事件や事故を起こしてしまうという例もありました。このような問題を見るにつけ、「絶対の正解」はないのだろうと思えます。」と書いていて、ひとつのことに執着しすぎると本当に必要なものを見失うといいます。たしかに、今、このときの大きな問題でも、解決策が見つかり、あれよあれよという間に良い方向に進むことがよくあります。
 今日も新型コロナウイルス感染症のニュースが流れましたが、この感染症だって、新型だから当然かもしれませんが、最初のころの症状や経過とだいぶ違ってきています。若者は無症状が多いといっていたのが、無症状だったとしても後遺症は残る場合もあるといいますし、ワクチンさえできれば怖くはないといっていたけれど、変異種には効かないかもしれないと変わってきたり、まだまだ本当のところはわからないようです。
 だとすれば、ニュースに一喜一憂するよりは、自分たちができる感染予防をしっかりする、つまり三密にならないようにするとか、手洗いやうがいなど基本的なことをするしかないようです。まさに、匙加減です。
 下に抜き書きしたのは、「さみしくなったら、緑を育ててごらんなさい」という暮らしの匙加減のところに書いてある文章です。
 私も植物は大好きで、たくさん育てているからわかりますが、春になって新しい芽が出てくるときは、ほんとうに嬉しいものです。毎日世話をしていると、毎日違う表情を見せてくれます。ただ、今は雪の中ですが、だからこそ、春の芽生えは飛び切り嬉しく感じるのかもしれません。
 そして、昨年もそうでしたが、自宅でこれら植物の管理をしていると、遠くに出かけることもできませんし、毎日が張りのある暮らしができます。ここでは、まだほとんどの植物たちは雪の中なのでもう少し待たなくてはならないのですが、早くあの可愛らしい新芽を見たいものです。
(2021.2.14)

書名著者発行所発行日ISBN
こころの匙加減橋幸枝飛鳥新社2016年9月16日9784864105125

☆ Extract passages ☆

 まず、観察力が磨かれます。これは脳を鍛えたり、認知症を遠ざけることにひと役買ってくれるでしよう。
 また観察することで想像力もかき立てられるので、よい時間潰しになります。
 そして、「精一杯生きようとしている」という植物の無言の声に気づくことができれば、″孤独な気持ち″なんて、あっという間に吹き飛んでしまいます。
 人の心というものは、孤独なまま放置していると、どんどん感度を鈍らせていきます。たとえて言うと、喜怒哀楽といった感情の波が、さざ波のように小さくなり、やがて凪になり、ついには引き潮になって干上がってしまうのです。……また、植物を育てることには、必ずドラマティックな展開がつきまといます。それは「芽吹き」など、新しい変化が起こることです。
(橋幸枝 著『こころの匙加減』より)




No.1891『自分を励ます 英語名言 101』

 岩波ジュニア新書の1冊ですから、若い世代向けですが、私の英語はそれより劣りそうなので、英語の勉強を兼ねて読みました。
 思っていた通りの内容で、英語の文法などもくわしく書いてあり、とてもわかりやすい内容でした。ただ、若い人向けなので、そこに照準を合わせた名言で、もう少しひねりがきいていてもよかったかなと思いました。
 私は昔からサン=テグジュベリが好きで、とくに子どものときは『星の王子さま』が大好きでした。そういえば、そのことを「日本の古本屋」のなかの「シリーズ古本マニア採集帖」に取りあげられていますので、もし機会があれば読んでみてください。著者は南陀楼綾繁さんで、取材に来られたのは昨年の9月でした。
 そこで、ここでもサン=テグジュベリの名言を1つ、「It is only with the heart that one can see rightly ; what is essential is invisible to the eye. (訳:心によってのみ正しく見ることができる。本質的なものは目には見えないのだ。)」、とりあげます。
 このような名言にはバラエティがあり、本当に大切なものはお金では買えない、とかもあり、ぜひ若い人たちにも伝えていきたいものです。今の時代、「お金で買えないものはなにもない」なんて考える人はほとんどいないでしょうが、数10年前には、マスコミでもこのような発言があり、ビックリしたことがあります。
 そういえば、そのころは自分探しとかいうのが流行っていましたが、イギリスの脚本家、バーナード・ショーは、「Life isn't about finding yourself. Life is about creating yourself. (訳:人生の目的は自分を見つけることではない。人生は自分を作り出すためにある。)」という名言をこの本では取りあげています。
 これなども、経験してみないとわからないことがたくさんあり、しもしないで探そうといってもできないことは日の目を見るよりあきらかです。
 私がバーナード・ショーは、生涯独身でしたが、ある女優さんに「わたしの容姿とあなたの頭脳を持った子どもが生れたら、素晴らしいと思いませんか?」と迫られたとき、彼は「わたしの容姿とあなたの頭脳をもつ子どもができたら悲惨です」からと断った話しは有名です。たしかに、彼は皮肉屋でしたが、「あなたが人生で一番影響を受けた本は何ですか?」と問われて、「銀行の通帳かな?」と答えたこともそうですが、たんなる皮肉ではなく、あるものの本質を突いているような気がします。
 下に抜き書きしたのは、99番目に取りあげられた名言です。今、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡がり、その収束のめどさえたっていません。
 このような感染症は、誰でも感染します。お金があろうとなかろうと、白人でも黄色人でも黒人でも、関係なくかかります。いわば、平等にななるといってもいいのかもしれません。でも、ある専門家は、男性より女性のほうが感染する確率は少ないといいます。
 でも、このような情報だって、いつ覆されるかわからず、お互いに気を付けるしかなさそうです。
(2021.2.12)

書名著者発行所発行日ISBN
自分を励ます 英語名言 101(岩波ジュニア新書)小池直己・佐藤誠司岩波書店2020年12月18日9784005009282

☆ Extract passages ☆

It is only when the rich are sick that thev fully feel the impotence of wealth.
訳: 金持ちは病気になったときに初めて富の無力さを心から感じる。(ベンジャミン・フランクリン、1706-1790、アメリカ合衆国、政治家)
(小池直己・佐藤誠司 著『自分を励ます 英語名言 101』より)




No.1890『超クリエイティブ』

 この本の題名を見て、なかには何が書いてあるのか気になり、副題をみると『「発想」×「実装」で現実を動かす』とあり、ますますわからなくなりました。でも、わからないままにしておくのもどうかと思い、読み始めました。
 ちなみに、クリエイティブというのは、「はじめに」に書いていて、「クリエイティブとは、ちょっとやそっとの努力では変えられない凝り固まった社会の現実に、新しい意味を与えることで、未来を切り拓く力です。」とあります。辞書をひくと、クリエイティブは「創造する」とあり、「創造」という言葉をみると、「新たに造ること」と書いてあります。つまり、今の新型コロナウイルス感染症の時代には、この時代だからこその突破口があるということです。
 この本を読んでいると、自分もできそうな気がして、ワクワクしました。人をワクワクさせることも、クリエイティブだと思いました。
 もちろん、今までもクリエイティブという言葉はいろいろなところで使われてきましたが、とくに広告業界では売るためで、この本では「広告代理店の仕事の大部分は、言うなれば、価値の「証明」でした。価値の証明は、 コミュニケーションの領域です。あらかじめ、すでにわかっている商品・サービスの価値を、より魅力的に見えるよう広告をつくり、メディアに載せて多くの人に伝播する。もちろん魅力的な広告をつくるのにセンスと技術が必要です。これを狭義のクリエイティブと呼ぶとすれば、本書で取り扱う、すなわち僕がこれからの時代に必要だと考えているのは広義のクリエイティブと言えます。」と書いていて、第1章のところで、この広義のクリエイティブについて丁寧に説明しています。
 たしかに、新型コロナウイルス感染症が拡がってきて、外出自粛や働き方が変わってくると、さまざまなところで変化が起きてきます。今まで満員電車で何時間も通勤をしていたのに、リモートワークになれば、その浮いた時間で何か新しいことをしたくなります。あるいは、会社に着ていくスーツはあまり着ないので、普段着の着心地の良いものを買うようになります。今まで、みんなが持っているからとブランド品を買っていたのに、外出をしなくなるとそれも必要を感じなくなります。
 このように考えて行くと、今まで、一極集中はダメだから首都を移転しなければという動きがあったけど、結局はできなかったのが、むしろ一般の会社が本社機能を地方に移転しようという動きもみられるようです。著者は、「収入8割、労働6割」と書いていて、つまり収入が8割になったとしても、働く時間が6割になればいいと考える人が多くなったといいます。たしかに、首都圏で働いていた人でも、もし収入が8割になったとしても、地方で住めば家賃も安いし、新鮮な野菜なども安く買えます。それで労働時間が減れば、家族と過ごす時間も、あるいは一人で自分の趣味にあてる時間が増えれば、いいわけです。むしろ、その方がいいと考える若い人たちも増えているように感じます。
 いままでは仕様がないと諦めていたことも、新型コロナウイルス感染症の影響で、せざるを得なくなり、そのほうがよかったということもありそうです。だとすれば、これができない、あれもできないと考えるより、クリエイティブに考えて、いろいろとできることを考え、そしてしていった方が楽しいと思います。
 下に抜き書きしたのは、自ら変化を起こすためのクリエイティブな思考法、「トリプルA」についてです。この「トリプルA」というのは、アンガー(anger)、アライアンス(alliance)、アクシデント(accident)の頭文字です。
 著者は、この「トリプルA」がこの複雑な時代において、その本質をとらえ、世界の複雑性を踏まえたコアアイデアを発想し、実装していくプロセスとして役立つといいます。たしかに、この流れは考え方を整理する上でも、大切だと思いました。
(2021.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
超クリエイティブ三浦崇宏文藝春秋2020年10月30日9784163912837

☆ Extract passages ☆

 怒れ――。5年後の未来はわからないけれど、今、胸の内にある怒りは確かに社会とつながっている。怒りを社会課題と向き合う思考の立脚点に、現実を変えるパワーにしよう。
 連帯せよ――。その怒りは世の中の多くの人もまた共通して抱えているものかもしれない。一人よりも共に闘ったほうが新しい価値は生まれる。
 事件を起こせ――。多くの人を驚かせ、感情を揺さぶる事件性を宿すものが変化の触媒となる。新しい価値が生まれるLき、それは既存の価値観においてはアクシデントでしかない。
(三浦崇宏 著『超クリエイティブ』より)




No.1889『コモンの再生』

 内田 樹さんの本は何冊かは読んでいますが、その独特な切り込み方がスッキリしていて、とてもわかりやすいと思っています。
 この本は、『GQ JAPAN』に連載しているエッセイを単行本化したそうで、2016年以降のものをまとめたそうです。この『GQ JAPAN』というのは知らなかったのですが、『VOGUE』の姉妹誌だそうで、これだって名前こそ知ってはいますが、読んだことはありません。ですから、このなかのエッセイはまったく初めて読むものばかりです。
 この題名の「コモン(common)」というのは、辞書的な解釈は形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味だそうです。でも、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」のことで、どちらかというと、この名詞的な使い方のようです。つまり、日本でも村落共同体には「共有地」を持っていて、薪をひろったり、堆肥のための草刈りをしたり、かや葺き屋根のカヤを刈ったりしていましたし、そこでの共同作業もありました。つまり、「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」ということです。
 だから、著者も、いつでもなにかの機会にこの本を読んでそのなかに参考にするものがあればという気持ちのようです。
 著者独特の考え方のひとつとして、たとえば、「苦学するというのは、要するに、親や先生や周りの人間たちが口を揃えて「そんな大学のそんな学科に行くな」と言っても、それに従わないで自分のしたい学問をすることです。苦学できた時代には、僕たちは自分の行きたい学科を選ぶことができた。もちろん、親たちはその頃も今と同じで「実学」を子どもに求めました。でも、子どもたちはそれを聞かないことができた。「哲学がやりたい」とか「映画を作りたい」とか「天文学がやりたい」とか「シュメール語がやりたい」とか、全然お金になりそうもない非実学分野にふらふらとさまよい込んだ。子どもってそういうものですからね。」と書いていますが、たしかに昔は苦学生がいて、役に立ちそうもない学問を必死にしていたという印象があります。
 私の知り合いでも、親からはまったく仕送りがなかったけど、親族のお菓子屋さんでアルバイトをして、念願の国家公務員になった方もいたし、海外に飛び出し、その後の消息がつかめない方もいます。いろいろな生き方ができた、そのような時代でした。
 ところが、入学金や授業料が高くなり、学生のアルバイトだけでは払えなくなり、さらには奨学金をもらっても、卒業してからの負担がのしかかり、なかなか自分の思うようなことができなくなってきたように思います。著者の考え方は、たしかに私もその通りだと思える部分もあります。
 なんか、斜に構えたようなところもありますが、世の中は真正面から見るだけではなかなか本質が見えてこないこともあります。そのときには、著者のようなものの考え方がすっきりと馴染むこともあり、読んだ後味もスッキリします。
 そういえば、著者の『サル化する世界』というのがありますが、これもとても楽しかったことを思い出します。
 下に抜き書きしたのは、前安倍政権でも感じたのですが、権力者の考えることはいずれも似通っていて、この権力の誇示にしても同じです。
 この話しを読んで思いだしたのがギリシャ神話の『シーシュポス』で、神を欺いたシーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂におして運ぶという罰を受けました。しかし、せっかく山頂まで運び終えるとすぐに、その岩はまた転がり落ちてしまいます。カミュはこの神話から、生きる人間のむなしさを描きました。
(2021.2.7)

書名著者発行所発行日ISBN
コモンの再生内田 樹文藝春秋2020年11月10日9784163912929

☆ Extract passages ☆

 権力者がその権力を誇示する最も効果的な方法は「無意味な作業をさせること」です。合理的な根拠に基づいて、合理的な判断を下し、合理的なタスクを課す機関に対しては誰も畏怖の念も持たないし、おもねることもしません。でも、何の合理的根拠もなしに、理不尽な命令を強制し、服従しないと処罰する機関に対して、人々は恐怖を感じるし、つい顔色を窺ってしまう。
(内田 樹 著『コモンの再生』より)




No.1888『ぐっどいう゛にんぐ』

 本をパラパラと開くと、短い文章が並び、たくさんの絵もあり、著者が描いたそうです。でも、ページが印刷されていないので、思い出して戻ろうとしてもその手がかりがありません。たしか、この辺りかなと思いながら、探すしか方法がないのです。これは非常に不便ですが、慣れてくると、意外と簡単に目的の箇所にたどり着けるから不思議なものです。
 著者は、小さなときからこのような小さなノートを作っていたそうで、本人の言葉によると、「子供のときからお話のようなものを書いていた。小説とは云えない。どちらかというと、詩に近かった。しかし、詩でもない。いずれも短いもので、その短い「なんだかよく分からないもの」を小さなノートに書いていた。」といいます。
 たしかに、この本も、小説でも随筆でもない、だからといって詩でもないような文章が並んでいます。でも、そのなかに、これはおもしろい表現だなと感ずるところがあり、たとえば、
「試してみた。同じ店で同じパンを買い、同じ店でバターとマスタードとハムとレタスを買い、同じ店でパン切り包丁とバター・ナイフを買った。レタスの水分をとるためのベーパー・タオル、マスタードを瓶からすくいあげる木べら――そんなものまですべて同じものにした。手順もそっくり同じ。同じひとつのダンスを踊るように寸分違わず、われわれは、それぞれにサンドイッチをつくった。完成。同じ皿に盛り付け、トマトとポテト・チップスを添えて、コーヒーも入れた。しかしだ。何もかもが違っている。その味、その食感、舌にパンが触れた最初の瞬間からして、彼女のつくったサンドイッチの方が美味しい。」という文章も、なんとなく、文章にしなくても直感的にわかるような気がします。
 だって、同じ材料を使ったとしても、料理人が違えば味も違うわけで、その些細なひとつひとつが大きな味の違いになると思います。
 でも、このように何から何まで同じにしたということが大切なことで、それでも違ってくるのがサンドイッチだけでなく、いろいろあるということです。
 また、「昔の風景が撮れるカメラというのを私は浅草で買ったのです」という文章があり、そのカメラ屋の店主に聞くと、「撮ってごらんなさい」と含み笑いをしたと書いています。私は即座に、カメラで撮った風景はすぐ過去の映像ではないかと思いました。つまり、撮っていくそばからすべて過去の風景になっていくのが当たり前です。今の瞬間を切り取るという表現がありますが、そのときの今は一瞬で、すぐに過去のものになってしまうというのが現実です。
 このような話しも、このように提起されないと気づかなかったかもしれないと思いました。また、人間が冬眠するという発想も奇抜かもしれないけど、一呼吸置いて考えるには、楽しいことだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、笑顔が好きという文章です。著者は他のところで、「好き」という言葉はあまり使いたくないと書いていますが、この本では、けっこう使っています。そのひとつがここの部分です。2回も使っていて、「笑う」という言葉は5回で、笑顔は2回です。
 でも、最後の「楽しく過ごしたいですよ」という言葉は、今の新型コロナウイルス感染症が拡大している状況では、なおさら身にしむ言葉です。
(2021.2.4)

書名著者発行所発行日ISBN
ぐっどいう゛にんぐ吉田篤弘平凡社2020年11月20日9784582838527

☆ Extract passages ☆

 みんな、笑ってる。
 僕は君の笑顔が好きです。
 というか、僕はみんなの笑顔が好きなんだと思う。
 「みんな」というのは、みんなのことだけど、
 たとえば、鳥たちは笑わないのか、と思う。犬や猫はどうなんだろう。
 笑っているよね? 笑いたいときがあるよね?
 じゃあ、鉛筆はどうか。もちろん、鈴筆だって、笑いたいですよ。
 楽しく過ごしたいですよ。
(吉田篤弘 著『ぐっどいう゛にんぐ』より)




No.1887『新型コロナの科学』

 今年の節分は2月2日で、2日が節分というのは明治30(1897)年以来のことで、じつに124年ぶりのことです。ちなみに4日が節分だったのは昭和59(1984)年でした。つまり、節分は2月3日だというわけではないのです。この暦を割り出すのは、国立天文台の暦計算室で、暦要項として官報に記載されています。それには、国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、朔弦望、東京の日出入、日食・月食なども含まれます。
 さて、この本ですが、副題は「パンデミック、そして共生の未来へ」です。たしかに、昨年の1月16日に日本で最初の感染者が見つかり、1年以上経過していますが、現在も非常事態制限が発出されています。いつ収束するかというよりも、現実問題としていかに共生していくかに変化しているような気がします。
 もともとこのウイルスという言葉は、この本には「カタカナで書いているが、ウイルスは日本語である。1953年、日本ウイルス学会が創立されたとき、ヴァイラス(Virus、英語)でもなく、ヴィールス(Virus、ドイツ語)でも、ヴィリュス(Virus、フランス語)でもなく、ウイルスという名前で学会を作ったのが始まりである。」と書いています。それまでは、日本では「病毒」と言っていたそうですが、これは今も中国で使われているそうで、今回の新型コロナウイルスの中国名は「新型冠状病毒」だそうです。
 著者は、この「病毒」のほうがわかりやすいと書いていますが、すでにウイルスというのが一般にも浸透しているので、いまさら「病毒」といわれても混乱するだけのような気がします。
 そういえば、同じコロナウイルスのSARSウイルスのときには、ちょうどネパールに行こうと考えていたときだったのでよく覚えているのですが、2003年3月にWHOから「グローバルアラート」が出され、とうとうその年はネパールに行けませんでした。でも、その年の7月5日に終息宣言がだされたので、結果的には翌年の2004年には行くことができました。この本には、新型コロナウイルスと比べると、SARSの症状は急激かつ劇症であるために、いきなり肺炎になりやすかったといいます。そして、「急激な進行、そして高い致死率が、結局SARSウイルスの収束を早める結果となった。SARSの患者は、コロナ感染者のように動き回って感染を広めることはできず、死に至る。ホストがつぎつぎに死ぬと、ウイルスは生きる場を失い、自らも消え去るほかにない。」といいます。
 ところが今回の新型コロナウイルスの場合は、國松淳和医師によると、「潜伏期間がほどよく長い」、「最初はまさしく”ただのかぜ”にしかみえない」、「全員が重症化するわけではない」、「高齢になればなるほど死亡率が高い」、「多くの人の、”命”ではなく”距離や会話”を奪うウイルス」ということです。つまり、なかなか手強い油断ならないウイルスです。とくに、1年以上も続くと、人と人との関係すら断ち切られてしまうような気がします。
 だから、先ずはワクチンや治療薬の開発が進むことを願うしかなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、新型コロナウイルス感染症を収束させる一番の決め手といわれているワクチンについてです。
 この本でも免疫というのは、「自然免疫」と「獲得免疫」があり、この獲得免疫に相当するのがワクチンですが、なかなか一般的にはわかりにくいものです。でも、このようなたとえ話だと、とてもよく理解できると思い、ここに掲載させてもらいました。
(2021.2.2)

書名著者発行所発行日ISBN
新型コロナの科学(中公新書)黒木登志夫中央公論新社2020年12月25日9784121026255

☆ Extract passages ☆

 ワクチンは、感染してから免疫に至る過程を安全なかたちで再現し、身体に免疫を作ろうという戦略である。このため、相手とそっくりなまがいものが、ワクチンとして使われることになる。ワクチンを投与すると、感染と同じ免疫のメカニズムが動き出す。樹状細胞がワクチンを取り込み、ヘルパーT細胞を介して免疫を発動し、病気を治すという戦略である。
 ワクチンは、釣り餌のようなものである。生きている餌を使うこともあれば、死んでいる餌、疑似餌を使うこともある。餌をすりつぶした練り餌もある。どのような餌を作るかがワクチンの成否を握っている。
(黒木登志夫 著『新型コロナの科学』より)




No.1886『歌う外科医、介護と出逢う』

 前回は『がんと外科医』で、今回は『歌う外科医、介護と出逢う』で、どちらも何気なく手に取っただけで、外科医にこだわって選んだのではありません。ただ、結果的にそうなっただけですが、しかも肝臓という臓器でもつながっていました。
 そして、どちらの本からも、外科医の大変さが伝わってきましたが、特に若い人の命を救ったときは外科医としての仕事の大きな喜びと書いてありました。この本の著者は、小児外科医ということもあり、いろいろなところで手術に立ち会ったようです。第1章から第2章までは、外科医としての話ですが、第3章から第7章までは高齢者医療と出逢ってからの話しが中心です。だから、どちらかというと、介護と出逢ってからの話しが活き活きと書かれているような気がします。
 この本のなかで、「平穏死」という言葉が出てきますが、つまりは「最後は食べられなくなって死ぬ」ことで、つまり餓死だとはっきりと書いています。いわれてみれば、それこそ自然なことで、老衰というのもこのことだと感じました。別な本で読んだのですが、そのような状態になると苦しさはないといいます。まさに大往生です。
 いまでもときどき思い出すのですが、最後の最後にお医者さんが細い身体の上から心臓マッサージをしていたのが忘れられません。こんなことをしなくてもいいのにと思いながら、一生懸命にしてくださっている姿をみると、なかなかもういいですとは言えませんでした。でも、今ははっきりともういいですと言えそうな気がします。もちろん、私も人生最後の段階で、特別な延命治療を受けたいとは思いませんし、自然体で死を受け止めたいと願っています。
  「死に方としてよく望まれるのは、PPK、つまリピンピンコロリですが、それと対称的なのが、NNKといわれ、一時期はネンネンコロリ(寝たきりになっての死)とされていましたが、最近はニンニンコロリ(認知症になっての死)とも椰楡されています。しかしながら、ピンピンコロリというのはあくまでも机上の空論、理想に過ぎません。もしあちこちでピンピンコロリがあったら、世の中、不審死の山となり、我々医師はたまったものではありません。」と書いていますが、私の知り合いで、母親をくも膜下出血でなくした方がいて、少しでも看病したかったという言葉が今でも残っています。
 現実問題として、あまりにも過重な介護も大変ですが、だからといって何もできないというのも心の負担になってしまいます。やはり、医療や介護を受けながら、どのように看取られて逝くかということが問題ではないかと著者は書いています。
 下に抜き書きしたのは、「ユマニチュード」についてですが、そもそもユマニチュードというのは、1980年にクロフェンスタインが「人間らしくある」状況を「ネグリチュード」を踏まえて、ユマニチュードと命名したそうです。つまり、この本によれば、「ユマニチュードとは、加齢によってさまざまな機能が低下した高齢者が、最期の日まで尊厳をもって暮らしていけるよう、ケアを行う人々がケアの対象者に、「あなたのことを、私は大切に思っています」というメッセージを常に発信し、その人の「人間らしさ」を尊重する状況である」と1995年に定義しているそうです。
 この4つの他にも人間関係をつくるための5つのステップや150を越える実践技術などがあるそうですが、あくまでも基本はこの4つの柱だそうです。
 たしかに、認知症の高齢者でも、このように接してもらえれば笑顔になると思いました。
(2021.1.30)

書名著者発行所発行日ISBN
歌う外科医、介護と出逢う(学術選書)阿曽沼克弘京都大学学術出版社2020年12月10日9784814003044

☆ Extract passages ☆

 ユマニチュードは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの柱から成り立ちます。まず、「見る」こと。認知症の人の正面で、日の高さを同じにして、近い距離から見つめます。……
 次に、「話す」こと。優しく前向きな言葉を使って、繰う返し話しかけます。……
 3つ目は「触れる」こと。認知症の人の体に触れてスキンシップをはかることも重要です。……
 最後は「立つ」ですが、正確に言うと、「立つことの支援」です。寝たきりにならないよう自力で立つことを大切にします。
(阿曽沼克弘 著『歌う外科医、介護と出逢う』より)




No.1885『がんと外科医』

 この本を読んでいて、専門的なことが多く、手術の詳細を書かれたところを見ても、外科医というのは大変な仕事だと思いながらも、その内容はなかなか理解できませんでした。たとえば、「肝臓は右上腹部に位置する体重の約2%の重量のある臓器で(体重60sの人なら1200g)、腹腔内で最大の臓器である。腹部臓器が収められている腹部の内腔スペースを腹腔と呼び、腹腔を開くことを開腹と呼んでいる。肝臓はまた、右の第8-10肋骨に囲まれているため、開腹して肝臓の切除をする場合には、みぞおちから臍までの切開だけでは手術のための十分な視野が得られない。臍上から真横に切開を加える必要があり、さらに今回は腫瘍が大きいため、13本ある肋骨のうち、上から9番目の第9肋骨に付着した肋間筋を切り上げて、肺が収まっている胸腔というスペースに入り込み、十分な術野(手術をおこなううえでの臓器の配置)を確保することにした。」と書いてありましたが、肝臓というのは意外と大きな臓器だとかけっこう奥の方に収まっているとかはわかります。でも、そこに至る手術の過程や内容などは、なかなか理解できません。それでも、「我慢して丹念に作業を続ける」とか、「我慢に我慢を積み重ねて」という内容には、外科医の大変さと責任感がひしひしと伝わってきました。
 それが後半になると、たまたまこの『本のたび』のNo.1646『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』の著者坂井律子さんの話しになり、にわかに本の内容に引きつけられました。つまり、先に患者としての思いなどを読んでいて、次はその主治医としての考え方と手術の内容などを知ったからです。このNo.1646を読んでいたときには、私の友人がS状結腸がんでなくなったと知ったときでした。その数ヶ月前に、彼からのメールで肝臓などの臓器にも転移しているので抗がん剤治療をしているとのことでした。
 そのときに全国がんセンター協議会の生存率共同調査(2018年6月集計)を見ると、病期別5年相対生存率は、友人の結腸がんの場合は全症例では76%ですが、膵臓がんの場合は8%前後だそうです。もちろん、そのステージによっても変わりますからなんともいえないのですが、坂井律子さんの場合は、「膵がんの肝転移再発に対して、全身化学療法後のコンバージョン手術に挑み、さらなる再発に対して再度化学療法を導入したが、初回切除から2年半の経過でお亡くなりになった」とこの本には書いてありました。つまり、その間に『〈いのち〉とがん 患者となって考えたこと』を書いたわけです。
 そういえば、今年に入ってからも首都圏などには緊急事態宣言が発出されましたが、この本の著者は、「あとがき」のなかで、「日々刻々変化する感染者数や世間の動向をフォローし、じっと耐えながら対策を立てて行動し続けることは、日頃われわれがおこなっている、患者データに気を配りつつ進める臨床の現場の仕事の感覚と非常に似通っている。患者さんの病状は必ずしもわれわれの思い通りには改善しないし、同様に、ウイルスも人間社会の思い通りにはならない。今回のコロナウイルス感染対策の流れを見ていると、各国で有効だとされる政策が意外にそうではなかったり、有効と目された治療薬がランダム化比較試験の結果、生存には寄与していないことが明らかになったりしている。一方、当初他国から疑間視された三密を避けることをスローガンにした日本の罰則を伴わない自主的隔離政策が、強固なロックダウンを強いている先進国の対策に劣らず有効であるとされたり、他方で環太平洋地域の中では特筆すべき結果でもないとする冷静な見解が加えられたりしている。このように、複雑な自然界の変化を理解し、本質を科学的に解析、対策を立てることはなかなか容易ではないのだ。われわれの日常診療の中でも、良かれと思った処置が必ずしも功を奏さなかったり、あるいは意外な処置が患者さんの状態を改善させたりする。ヒトの体という自然をコントロールするのは容易ではないと日々痛感している。」と書いています。
 たしかに、がんも新型コロナウイルス感染症もこれさえやれば大丈夫とはいかないようです。だからこそ、しっかりした対策をしなければならないのだと痛切に感じました。
 下に抜き書きしたのは、肝臓の働きについてです。大事な臓器だとは知っていましたが、こんなにもいろいろな働きをするとは理解できていませんでした。むしろ、自分はお酒を飲まないから大丈夫だと勝手に考えていたのかもしれません。
 人間の身体のなかのすべては、必要だからあるのだと改めて思いました。少しでも大事にしながら、元気で老後を暮らしたいと思っています。
(2021.1.28)

書名著者発行所発行日ISBN
がんと外科医(岩波新書)阪本良弘岩波書店2020年11月20日9784004318569

☆ Extract passages ☆

 肝臓は胃、十二指腸、小腸、大腸という体内の消化管から「門脈」という静脈系の血流を受け、@タンパクの合成や糖分の貯蔵などの代謝機能、A分解・解毒機能、B消化液である胆汁の産生、などを担っている。食事によって得られた糖分を貯蓄し、必要なときにタンパクを合成してわれわれの体を作り上げたり、お酒の成分であるエチルアルコールを代謝してアセトアルデヒドを介して水と二酸化炭素に分解したりする。肝機能が低下すると、タンパクを合成する機能や消化機能が低下し、低タンパク血症ゃ低栄養状態になる。
(阪本良弘 著『がんと外科医』より)




No.1884『ルポ 人は科学が苦手』

 この本を読みながら、1月8日のトランプ米大統領の支持者が米連邦議会議事堂へ乱入した事件などを考えると、まさにそうかもしれないと思いました。
 副題は「アメリカ「科学不信」の現場から」で、あの様子を見ていると民主主義などとはだいぶかけ離れた、まさに相当昔の出来事のような気がしました。この本のなかで、リック・シェンクマン氏は、「数百万年間にわたり小さな集団で暮らした野生の生活では、「恐れ」と「怒り」が重要な役割を果たしていたと考えている。野生動物に襲われる危険と隣り合わせの生活では「恐れ」が重要だったし、小さな集団をまとめたり敵と戦ったりする時には「怒り」が大きな力になった。そして、「恐れ」と「怒り」の本能は現代の私たちの脳にも、しっかりと受け継がれているようだ。」といいます。
 たしかに、子供でもわかるようなウソをほぼ毎日ツイッターで流していて、それでアメリカの大統領になったのですから、とても信じられませんでした。でも、この本を読んで、いろいろな恐れが土台にあって、それを克服できるようなメッセージを聞けば、それに縋ろうとするだけでなく、それを信じて、反対派にその怒りの矛先を向けることは考えられないことではありません。
 もうひとつ、この本を読んで初めて知ったのは、「フラット・アーサーズ」という、実は「地球が平ら」だと考える人たちが今もアメリカにはいるということです。しかも国際会議も開かれていて、2017年11月に南部ノースカロライナ州で開かれたときには約500人も参加したそうです。普通の日本人なら、宇宙から映像を見れば一目瞭然だというかもしれませんが、あのアポロ計画で月面着陸したことさえも、「NASAが映画会社を巻き込んで光明に作り出したフィクション」だといいます。
 それなのに、UFOの存在を信じて、ニューメキシコ州のロズウェルに「国際UHO博物館」があり、かなりの見学者がいるというから驚きです。
 また、進化論さえも信じない方が相当数いるようで、創造論の世界観を再現した「創造博物館」があり、ここでは約6000年前に神が創造したという聖書の話しが生きています。そここの展示責任者のティム・チャイフィーさんに、そういう考え方では学校のテストに落第しないのかと著者が聞いたそうですが、彼は、「中学1年の時、理科の授業で出された地球誕生にっいてのテストで、『先生は約46億年前と教えたけれど、僕は約6000年前だと信じている』と答えた。先生は、それを間違いとはしなかつた。私の信仰を認めてくれた」といいます。おそらく日本だったら、絶対に間違いとされると思いますが、アメリカは違うようです。そういえば、大統領就任式のとき、聖書に片手を置いて宣誓するわけですから、これはありえると思いました。
 よく、アメリカは科学万能だと勘違いする方もいますが、意外と信仰心が優先されることも多いようです。
 ただ、科学を否定されると困るのも事実で、たとえばトランプ大統領が地球温暖化を疑うような発言をされ、結果時には世界の潮流に背を向けたことです。このようなことは、たくさんあり、今までのアメリカはどうしたのかと疑問にさえ思っていました。
 この本を読んでわかったことは、地球温暖化を強く主張されるといままでの仕事がなくなるということもあり、それで大きな損をするということもあります。だとすれば、そんなことはないといって、その流れに背を向けてしまうということです。その人たちに理解してもらうというのは、至難のことです。
 下に抜き書きしたのは、科学的だからとしてその事実だけに頼りすぎては伝わらないとして、2018年2月に開催された「米国科学振興協会」で司会をされたマーク・バイヤー氏の話しです。
 たしかに、科学を否定する人だっているわけで、そのような人たちにもわかつていただくことがこれからは大切だと思いました。
(2021.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)三井 誠光文社2019年5月30日9784334044107

☆ Extract passages ☆

 バイヤー氏は古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉を引用して、情報を伝える上で重要なことを紹介した。
「アリストテレスは演説に大切なものとして3つを挙げた。 一つはロゴス(Logos=論理)。論理的であり、事実であるということだ。これはじつは3分の1でしかない。アリストテレスが次に挙げたのはエトス(Ethos=信頼)だ。聞き手と話し手の関係であり、話し手の信用の問題だ。私はこのセッションを自己紹介から始めた。議会で長く働いた経験を伝えることで、『この人は何かを知っているのだろう。話を聞く価値はある」と思ってもらうためだ。三つ目はパトス(Pathos=共感)だ。この3つの要素が効果的なコミュニケーションに必要だ。」
 科学者が冷徹な論理にしたがって事実を話しても、「信頼」と「共感」がなければ、うまく伝わらない。「事実だけで十分ということは決してない」。バイヤー氏はそう指摘した。
(三井 誠 著『ルポ 人は科学が苦手』より)




No.1883『地図にない国を行く』

 最近、新型コロナウイルス感染症の急激な拡大で、まだまだ遠くへは行けそうもないと思うと、なおさら旅に出たいという想いが募ってきます。だからなのか、最近読む本は、旅つながりのものが多いような気がします。
 でも、この題名を見たときに、今どき地図のない国なんてあるのかと疑問に思いました。ただ、地図が不正確な国はありそうで、もしかするとそのような国なのかとも思いました。著者は、「ともかくグーグルの時代、宇宙を遊弋する観測衛星のデータは、地上20センチの物体さえも鮮明な画像として地球の人々に送り届けてくれる。外国の町を歩いていても、スマホのGPSで目的地や行きたい博物館などの行き方も分かる。これほど便利な時代はかってなかった。約三百年前、殿中「松の廊下」で起きた吉良上野介への刃傷沙汰は、4日間かけての早駕籠で赤穂に伝わった。いま世界のいずこかで起こる災害もテロ事件も、祝賀のお祭りもSNSの発達により、世界各地で同時に見ることができる。」と書いています。
 たしかに、毎日、世界中の新型コロナウイルス感染症のことも伝えられ、さらにはSNSでトランプ大統領が呼びかけ、支持者が連邦議会議事堂を一時占拠したことなども即時に世界中に伝えられました。おそらく、本格的に5G時代に入れば、そのような状況がさらに加速することは間違いなさそうです。このようなときに、この地球上にいまだ地図に描かれない場所なぞあるはずがないと思います。
 ただ、地図ですぐいろいろな世界の状況がわかるはずもなく、この本で取りあげたボルネオ島、ミャンマー、ネパール、ブータン、そしてインドなどもそうですが、その国の端から端まで見て歩くというわけではなく、しかも人によって見方が違います。同じものを見たとしても、感じ方もちがえば、そのとき時の状況も違います。
 ただ、テレビなどで見ても、気温や湿度、ニオイなど、まったく伝わってこないのですが、このような本だと理解できます。そういう意味では、今、新型コロナウイルス感染症の影響で海外には行けないので、このような本を読んで想像を膨らませ、もし海外に行けるようになったら行ってみたいと思いました。また、戦後生まれではなかなか理解できない戦時中の話しなども詳しく書いてあり、初めてわかったこともあります。一昨年、マダガスカルに行ったとき、日本軍と戦ったという砲台の跡を見て、こんなにも遠くまで来て闘っていたんだと知りました。いつか、そのようなところに行ったときには、花でも手向け、慰霊したいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、ネパールの外交などについて書いてあるところですが、たしかにそのその通りだと思います。たとえば、インドを嫌って、インドが日本と3時間の時差があるが、ネパールとの時差は3時間15分です。ネパールの友人に聞くと、たった15分だが、同じでないというところが大事だといいます。
 また、ネパールの仏教徒は高山に住むシェルパ族などで、カトマンドゥに住むネワール族はヒンドゥー教徒です。友人の家に泊めてもらい数週間過ごし、帰国するときに無事の祈りをしてくれましたが、それもヒンドゥー教のやり方でした。
 やはり、ある程度の長い期間いるか、親しい友人がいて、本音で話してくれないとなかなかわからないことも多いようです。この本に出てくるパシュパティナートも、ここに入れるのはヒンドゥー教徒だけで、入口に門衛が立っていて一人一人チェックしています。ただ観光客は、寺院の後ろからのぞき込むようにして火葬場などを撮影していました。だから、友人といっしょだからといえ、私も寺院のなかには入れませんでした。
(2021.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
地図にない国を行く宮崎正弘海竜社2019年6月24日9784759316667

☆ Extract passages ☆

 ネパールは外交的に誇りを重んじ、時に頑固でさえある。ブータンのように一辺倒の純朴、木訥、純真きはない。つまり北に中国、南にインドという大国に挟まれた地政学上の宿命を受け入れ、したたかに健気に生きている英知がある。
 ネパール国民は仏教をあつく信仰している上に向学心が高く、親切で日本人を尊敬している。
(宮崎正弘 著『地図にない国を行く』より)




No.1882『地球のはしからはしまで走って考えたこと』

 本には、著者の肩書きが「アドベンチャーランナー」とあり、これって何と思いました。そのような経木があることを、まったく知りませんでした。
 この本によると、「実際のところ明確な定義はないが、「砂漠、山岳、極寒の氷雪、ジャングルなど厳しい大自然を舞台に道なき道を進む」、「賞金なし」、「自給自足のセルフ サポート」が基本ルールの世界一過酷なマラソンのことだ。多くは距離200キロ以上のステージ制で、毎日決められた距離を設定時間内に走る。夜は同じ場所で選手一同が野営し、翌朝一斉にスタートする。そして各ステージの総合タイムで順位を競う。」と書いてあります。
 たとえば、最初にチャレンジした「ゴビ・マーチ」の場合は、48キロ、40キロ、40キロ、41キロ、67キロ、14キロの6ステージに分かれ、合計250キロとなっていて、各ステージには「チェックポイント」が設けられており、水の補給のみが許されているそうです。つまり、それ以外は自分で持って走らなければならないそうで、その途中で何が起きても自分の力だけで切り抜けなければならないという過酷なレースです。
 私も修行をしたからわかりますが、修行中はある一定の範囲から出ることは許されず、一番困るのは病気やケガなどをしたときです。そこから出られないというのはまさにそのことで、このアドベンチャーランナーの場合には「万が一に備えてドクターもいて、足のマメが潰れたり、爪が剥がれたり、捻挫ゃ骨折した際に治療をお願いすることができる」そうです。しかし、修行の場合は、それもないのです。一度、そこから出れば、最初からやるしかありません。
 この本を読んでいて思ったのは、どんな世界も最初にチャレンジする方はたいへんだな、ということです。まさに、右も左もわからない状態ですから、やってみないと何もわからないわけです。少し進んでは戻り、あるいは方向転換をし、次に進むしかないのです。しか、このアドベンチャーランナーの場合は、主催者によって、かなり内容が違うようで、それらのことも毎回考えなくてはならないとすれば、やはりたいへんです。
 このような状況のなかで、たとえば2015年にチャレンジした「ザ・トラック」というオーストラリアの荒野を521qを走ったとき、「ここから少し勝負してみようと3位集団についていくことにした。現状の順位や走りに慣れてしまった体に鞭を打つことで、自分の中の未知なる潜在能力を引き出したかった。長く走っていると、つい今のポジションを守るという理由をつけて、現状維持に慣れてしまうことがある。そのまま放っておくと守り一方になる。それが習慣になることは嫌だ。」と書いています。
 どんな状況のなかでも挑戦し続けるという意識が大切だと、思いました。これでいいと思った瞬間から、あとは惰性で動いてしまいます。そういう意味では、アドベンチャーランナーだけでなく、いろいろなものに挑戦しようとする方々にも大きなヒントを与えてくれそうな気がします。
 下に抜き書きしたのは、地球のはしからはしまで走って知り合った人たちの生き方です。
 たしかに、世界中にはいろいろな人たちがいますが、とくにアドベンチャーランナーをしようとする人たちには、「ろくに走れなくても長距離レースに参加する人、60歳を超えてもなお高みを目指す人、言葉が話せなくても海外レースに飛び込んでいく人」などがいたと書いています。
 たしかに、何ができないから、というのはできない理由を探しているだけかもしれません。本当に前に進む人たちは、いい意味で前のことしか考えないからできるようです。
(2021.1.20)

書名著者発行所発行日ISBN
地球のはしからはしまで走って考えたこと北田雄夫集英社2020年10月31日9784087880465

☆ Extract passages ☆

 みんなまわりの目なんで気にしてはいない。目分はできない、自分は弱い、そのことを真正面から受け入れた上で自分なりの挑戦をしている。決して独りよがりではない。家族や友人に感謝しながら生きている。過酷な自然環境で死をリアルに感じるから、むしろ生きるありがたみをより深く感じている。プライドや見栄など無駄な飾りや邪念は捨てて、ただ人間としての命をまっとうしようとしている。そんな人たちに出会うことで、僕も「この命をどう使い切るか」と本気で思うようになった。
(北田雄夫 著『地球のはしからはしまで走って考えたこと』より)




No.1881『世界を変えた100のスピーチ 下』

 私が思い出すスピーチといえば、バラク・オバマが「イエス ウィ キャン!」といったことを思い出しますが、たまたまそれがこの本でも取りあげられていたので、図書館が借りてきました。読み始めて気づいたのですが、これは下巻で、ということは上巻もあるはずで、ネットで調べてみると、2020年9月19日に発売されていました。これは、何らかの機会にぜひ借りてこなければと思いました。
 スピーチや演説は、たった一言で世界を大きく変えることができます。おそらく、この本で取りあげられているスピーチは、そのような力を持っていると思いながら、読みました。でも、思いつきで話したことが残るというのは案外まれなことで、何度も何度も推敲して話されたことが多いと思いました。たとえば、初めて月に降り立ったニール・アームストロングの「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」というコメントは、いくつかの説があるようですが、本人は月面陸船から月に降りるのを待っているあいだに考えたと語っています。しかし、彼の弟のディーン・アームストロングは、アポロ11号の打ち上げの数ヶ月前に原稿を作っていたと明かしています。あるいは、NASAの広報担当者がその場にふさわしい感動的な言葉を考えてアームストロングに託したという人もいます。
 でも、いずれにしても、多くの人たちに感動を与えたことに違いないことだけは本当です。英語では「One small step for [a] man,one giant leap for mankind.」というそうですが、やはり本人の話した言語で聞いたほうが、より良く聞こえるような気がします。
 それにしても、この本に書いてあった「地球の大気圏外に人間を運び、宇宙空間にある別の天体に降り立たせることが1969年にはどれほど並外れた大事業だったかを、私たちはつい忘れてしまう。宇宙飛行に必要な技術の大半は1から開発されたもので、そのほとんどは初期のミッションで試験済みだったとはいえ、今日の基準から見れば、その多くはまだ初歩的なものに過ぎなかった。たとえばアポロの誘導コンピューターのメモリは64キロバイトしかなかった。アームストロングが月面の安全な着陸地点に向かって月着陸船を操縦していたとき、コンピューターが過負荷の状態になったのは無理もなかった。」ということは、自分もパソコンを組み立てて使っていたので、よくわかります。メモリーの64キロバイトというのは、0.0625メガバイト(MB)で、今のメモリーは桁違いのギガバイト(GB)やテラバイト(TB)を普通のパソコンでさえ使っています。だから、その程度の機能のコンピューターで月に着陸し戻ってくるというわけですから、すごいことだったと理解できます。
 また、世界を変えたスピーチのなかには、つい口を滑らせてしまったものもあるようで、たとえばビートルズのジョン・レノンが1966年8月12日に「僕らはイエスより人気がある」と発言したことが新聞などに掲載され、大きな騒ぎになったこともありました。そして、その10年後に、その発言に憤ったマーク・チャップマンはジョン・レノンの背後から4発の弾丸を撃ち込んで殺害したといいます。まさに、命取りの一言だったわけです。
 下に抜き書きしたのは、フェイスブックの創業者であるマーク・ザッカーバーグがハーバード大学の卒業式の式辞のなかで述べた言葉です。この言葉は、月に人類を送るために30万人以上が働いたことや、世界中の子供たちにポリオの免疫をつけるために数百万人のボランティアが活動したこと、そして数百万人以上がフーバーダム建設に協力したことなどを紹介したあとに述べたことです。
 彼は2017年にハーバード大学の名誉学位が授与され、卒業する学生たちに式辞を述べましたが、そういえば、あのマイクロソフトを友人のポール・アレンといっしょに創業したビル・ゲイツも同じハーバード大学を中退したのですが、2007年に名誉学位を授与され、その卒業式のときに式辞を述べているのだから不思議なものです。
(2021.1.18)

書名著者発行所発行日ISBN
世界を変えた100のスピーチ 下コリン・ソルター 著、大間知知子 訳原書房2020年9月30日9784562057870

☆ Extract passages ☆

今度は私たちが偉大なことを成し遂げる番です。みなさんはおそらくこう思っているでしょう。ダムの作り方など知らないし、百万人もの人々が関わる事業をどう始めればいいのかもわからないと。
 しかしひとつ秘密を教えましよう。最初は誰にもわからないのです。アイデアは完全な形になってから浮かんでくるわけではありません。取り組んでみて初めて明確な形が見えてくるものです。だからとりあえず始めてみる必要があります。
 映画や大衆文化はその点で大きく間違っています。アイデアが一瞬にしてひらめくという考えは危険な嘘です。それではアイデアが浮かばないうちは、何もできないと思ってしまうでしょう。すぐれたアイデアの種を持っている人が、一歩踏み出すのを妨げることになります。
(コリン・ソルター 著、大間知知子 訳『世界を変えた100のスピーチ 下』より)




No.1880『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』

 毎年、お正月には餅をのどにつまらせてしまう事故が多くなりますが、それ以外でも、私の経験では一度むせかえるとなかなかのどがピリピリして治らないことがあります。もしかすると、それなども飲み込む力が弱まってきたからではないかと思っていたら、この本を見つけました。
 なんとも強烈な題名ですが、たしかに胃瘻や点滴などの食事以外での栄養補給ではなんとも味気なそうです。もし歯がなくなったとしても、やはり口から食べたいというのが本音です。そのためには、と思いながら、あっという間に読んでしまいました。この時期は、朝夕は静かなので、読書時間はあります。
 食べるということはとても巧妙な仕組みだそうで、この本では「食べ物を口に入れ、咀嚼してのどに送り、それらを飲み込むときには、「喉頭を上げる(のど仏が上がる)」→「気管の入り口を閉じる」→「食道を開く」→「食べ物を食道へ送り込む」という一連の動きが、わずか0.5〜0.8秒の間に行われています。なんと1秒にも満たない時間で、この複雑な動きがなされているのです。」と書いてあり、さらに、むせるというのは、この「奇跡のような連携ブレーは、ほんの少しでもタイミングがずれるとうまくいかなくなります」といい、そのサインがむせるということだそうです。
 つまり、本来なら食道に送られるはずの食べものが気管のほうに落ちてしまったこで、むせたり、せき込んだりするということです。だから、すぐに困るということではなく、のどの機能が落ち込んでいることのサインですから、気を付けたり、のど筋トレなどをして飲み込む力を回復させなければならないということです。
 そういえば、新型コロナウイルス感染症の流行でうがい薬を使う機会が増えていますが、この本では、それについても注意を促しています。それは、「実は、感染予防という目的であれば、水うがいで十分です。口やのどの乾燥を防いで免疫カアップにつながりますし、水がのどの粘膜に付着した細菌やウイルスを洗い流してくれます。殺菌消毒効果が強いうがい薬は、病原菌だけでなく口の中にいる有用な菌まで殺してしまうので、咽頭痛が生じます。長期間使用していると、国の中の細菌バランスを崩してしまうことが指摘されているので、頻繁に使用することはおすすめできません。」と書いています。
 そして、水うがいだけで心配なら、緑茶でうがいすることを勧めています。たしかに、緑茶にはカテキンが含まれ、それは風邪などのウイルスを殺す強力な殺菌作用があるといろいろなところで言われています。孫に聞いたら、小学校でも実践しているそうで、これはぜひ実行したいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、のど周辺の筋肉も衰えるのものどの老化サインだそうです。
 最近は、新型コロナウイルス感染症の影響で、三密だけでなく、会食するときには少人数で、あまり話しをせず、短時間ですませるようになどといわれ、どうも声を出す機会が少なくなってきているように感じます。だとすれば、別な方法で声を出すようにしなければと思います。
 たとえば、音読をするとか、誰もいない自然のなかで歌を歌うとか、工夫次第でいろいろありそうです。もちろんカラオケでもいいわけですが、室内のカラオケで感染が拡がったというニュースを聞いたことがあるので、なるべくなら野外のほうが良さそうです。
(2021.1.15)

書名著者発行所発行日ISBN
誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい(幻冬舎新書)西山耕一郎幻冬舎2020年11月25日9784344986077

☆ Extract passages ☆

「声のかすれ」や「人とあまりしゃべらない」ことと同じなのですが、「声が小さくなること」も、のどの老化サインです。
 声帯は声を大きく出すほど大きく動きます。もともと声が小さい人は、それだけのどが老化しやすい、ということになりますし、年をとって大きい声が出せなくなった場合は、のどの筋肉が衰えているサインです。
 声帯を動かす筋肉は、いくつになっても鍛えることができますし、使うほど強くなっていきます。ふだんから声が小さいと指摘される人も、大きな声を出せるように、のど筋トレを行うことをおすすめします。
(西山耕一郎 著 『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』より)




No.1879『自然に生きる力』

 著者はモンベル創業者で、副題は「24時間の自然を満喫する」で、英語で「Do what you like.Like what you do.」とも書いています。
 この意味は、「好きなことをやりなさい。そして、やっていることを好きになりなさい」ということだとこの本には書いてあり、これはアメリカの友人から教えてもらった言葉だそうです。そして、自分では「それが何であれ、自分で選んだ道なのだから、もっと楽しみなさい」というメッセージだと解釈しているそうです。
 たしかに、自分のしたいことを探して悩んでいる方もいますが、すんなりと見つかることも少ないような気がします。だとすれば、縁があって今の仕事に就いたのだから、それを好きになることも大事なことのような気がします。著者は、自分が好きな山登りの道具をつくるために今の仕事に就いただけのことで、この本のなかでも「登山家のための商品をつくること」が自分のやりたかったことだと書いています。
 私もモンベルのものを使っていますが、たしかに機能的だし、使いやすいと思います。以前はちょっと高いと思いましたが、これだけの機能性をもとめれば当然の価格だと最近は思っています。とくに、海外に行くとわかりますが、Tシャツなんかはとても乾きやすく、夜に洗濯すると次の朝には着ていくことができます。ただ、野点セットは、あまりにも高くて、これを使ってお茶を点てようとは思いません。お茶を点てるに絶対に必要なものは、お抹茶と茶筅です。茶杓なんかは、プリンの匙でも代用できますし、茶碗だってなんでも使えます。とはいうものの、10年ほど前から、プラスチックの容器に入るような筒茶碗の小さめなものを持って行くと、今、お茶をしているような雰囲気になれます。
 茶杓は、自分で削って、小さめなものを持っていきます。お菓子は以前は現地で探して見繕いますが、もし見つからなかったら困るので、海外の場合などは虎屋の一口羊羹を持っていくことがあります。
 私も山は好きなのですが、著者は「山が好きな理由はいくつもありますが、そのひとつが「登山には勝ち負けがない」ことです。「100メートルを何秒で走れるか」を競い合うものでもなければ、相撲や柔道のような勝ち負けもありません。登山にはさまざまなスタイルがあるし、天候や季節によって条件が違います。優劣をつけることにあまり意味がない。登山も冒険も、人と比べるものではなく、自らへの挑戦です。」と書いていますが、たしかにそうです。ところが高校で山岳部に入っていたとき、登山にも点数をつけようということがあり、テントの張り方やザックのパッキング、さらには登山の時間なども参考にするということでした。私が部長だったこともあり、そんなことに左右されずに、純粋に登山そのものを楽しもうと部員に話したことがあります。
 著者は、この本のなかで、自分の手相を「マスカケ線」であるといい、この手相の持ち主は「お金に不自由しない人」だそうだと書いています。でも、実際にはお金に不自由しないのではなく、お金に不自由したと思ったことがないだけだといいます。たしかに、あるないというのは、主観的なもので、不自由を感じなければそれでいいと私も思います。そして、じつは私も「マスカケ線」があり、手相の本を初めて見たときにビックリしたことがあります。
 下に抜き書きしたのは、コメディアンの萩本欽一さんの話しから、いっそ台本を捨ててみることも大切ではないかと書いてあるところです。
 どうも、台本があると少しの寄り道もできなくて、なんとなく型どおりに進むだけです。間合いも、計ったようなもので、隙がないだけにおもしろみもありません。そういえば、山なども気候に左右されるだけでなく、自分の体調にも、いっしょに登る人たちの思いにも左右されるので、登るたびごとに違います。だから、おもしろいし、また行きたいと思うのかもしれません。
  (2021.1.12)

書名著者発行所発行日ISBN
自然に生きる力辰野 勇KADOKAWA2020年11月25日9784041093788

☆ Extract passages ☆

 台本通りにいかないのが人生です。そこをアドリブで切り抜けていくのが醍醐味です。大きな目標を決めたら、あとはその時々で瞬問的に判断し、決断をしながら対応しなけねばなりません。
 台本をあてにしすぎると、予想外の事態が発生したときに、うろたえてしまうことがしばしばあります。……
 そもそも、野遊びには台本がありません。自然の中は、予定外のことばかり起きます。台本があったほうが実力を発揮できる人もいれば、私のように、ないほうがうまくいく人間もいます。
 いっそのこと、台本を持たない人生を楽しんでみるのもいいかもしれません。
(辰野 勇 著 『自然に生きる力』より)




No.1878『「食」の図書館 豆の歴史』

 この『「食」の図書館』シリーズは、少し前に『「食」の図書館 コーヒーの歴史』を読んだことがあり、カラー写真などが多く掲載されていて、とても読みやすかったのを思い出しました。それで、即、読むことにしました。
 著者は、フードシステム・インストラクター、食と文化の研究者、料理研究家などの肩書きが書かれていて、現在はアメリカのアリゾナ州に住んでいるそうです。
 この本を読んで、一番びっくりしたのは、「訳者あとがき」にも書いてありましたが、「豆は負け犬」という書き出しです。日本では、豆は主役ではないものの、間違っても負け犬などと表現されるものではなく、むしろ好意的に思っている方がほとんどだと思います。もし、豆がなければ、日本の料理は考えられないと考えている人すら多いのではないかと思っています。
 それなのに「負け犬」という表現は気になりますが、その後を読むと、欧米の人たちにとっては肉が主役であって、豆類は肉を食べられない「貧者の食べもの」だと考えられたからのようです。この他にも、これは違うということがありましたが、外国人の書いたものを読む楽しみは、ものの考え方の違いが浮彫にされたり、意外な発見があったりするので、それは楽しみのひとつです。
 たとえば、日本人にはなじみ深い小豆に関しても、この本では「アジアの食文化でよく見かける小豆は、もっぱらお菓子の材料として利用されている。小豆はおよそ1000年前に中国から日本に伝わり、どちらの国の料理にも欠かせない素材となった。その後、韓国、インド、台湾、タイ、フィリピンにも普及した。繊細な風味に加え、小豆を入れた料理が深い赤に染まることからとりわけ重宝されている。中国では春節(新年)など祝日用のお菓子作りに小豆が用いられる。小豆を煮て砂糖を加えた餡と呼ばれる練り物は、饅頭や餅菓子に詰めたりのせたりする。水に浸せば大豆のように豆乳になり、炒ればヌニャのようにスナックになり、焙煎すればコーヒーの代用にもなる。」と説明していますが、なんとも歯がゆい解説です。日本人だったら「餡を饅頭や餅菓子に詰めたりのせたりする」といわれれば、すぐ餡子の饅頭や大福などを思い浮かべますが、他国の人ならすぐには理解できないてしょう。ましてや、焙煎してコーヒーの代用になるといわれても、飲みたいと思う人はいないはずです。
 そういえば、ネパールに初めて行ったときに、彼らの食事にも豆は欠かせないものでした。毎日、ダール豆を煮込んだスープ、これを「ダール」といいますが、日本の味噌汁のように食べます。ときには、日に三度も食事のたびに出ることもあります。ネパールの友人に飽きないのかと聞くと、こんなに美味しいものだから飽きるということはない、と言い切りました。まさに国民食のようなものだと思いました。考えてみれば、日本の味噌汁だって、その味噌の原料は大豆ですから、豆の仲間です。食べ方は違っていても、豆に対する思いというのは、やはり欧米人とは違うとこの本を読んでいて思いました。
 下に抜き書きしたのは、第3章「豆の文化」に書いてあった「新世界の豆」についてですが、それ以外にもこの時代に動いていったもののリストです。
 これをみると、今食べているものの多くが、この大航海時代にもたらされたことに驚くばかりです。もちろん、ここにも書いてありましたが、すぐに受け入れられたものもあれば、300年ほどの歳月がかかったものもあります。でも、七面鳥と煙草、そして豆だけはすぐに受け入れられたというから、やはりそこは豆の力です。
 もし、このあとにも『「食」の図書館』シリーズのなかで興味のあるものがあれば、読んでみたいと思いました。
  (2021.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
「食」の図書館 豆の歴史ナタリー・レイチェル・モリス 著、竹田 円 訳原書房2020年10月28日9784562058549

☆ Extract passages ☆

 大西洋を渡って旧世界に到来した品々は、そのほとんどが南米大陸原産だ。じつに壮観なリストを次に挙げよう。ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、アボカド、パイナップル、チョコレート、バニラ、コショウ、そして、金、銀、ゴム、チューインガム、キニーネ。リストには豆類も含まれる。ピーナッツ、バタービーン、リマ豆、ベニバナインゲン、いんげん豆などなど。
 新大陸も恩恵を受けた。コロンブスはのちにさまざまな品種の小麦、ひよこ豆、サトウキビをカリブ海諸島にもたらした。ヤムイモとささげは、旧世界の探検家たちがアフリカから奴隷を連れてくるようになったときに伝来した。
(ナタリー・レイチェル・モリス 著 『「食」の図書館 豆の歴史』より)




No.1877『吉岡幸雄の色百話 男達の色彩』

 この本は、なんと重い本かと思ったのが第一印象です。327ページですが、おそらく印刷をきれいにしようとして、紙質も選び抜いたからではないかと思います。
 そして、出版社を見ると世界文化社ですから、納得しました。それにしてもビックリしたのは、いくら物語の世界とはいえ、『源氏物語』のなかで光源氏が桜色の直衣を着て花見に行ったことが書かれているそうで、おしゃれというか、さすが雅なものだと思いました。
 この本のなかには、カラー写真が随所にあり、それだけでも初春らしい雰囲気の本でした。ただ残念なことに、著者の吉岡幸雄氏は2019年9月30日に心筋梗塞のために73歳で急死されたそうです。ですから、この本はちょうど1周忌にあわせて出版されたことになります。
 著者は、「吉岡幸雄の紫」ということも書いていて、そうとう紫色にはこだわっていたようです。ところが、この紫色を出す「紫草」という植物はやっかいで、花は白いのですが、その根に紫の色素を含んでいるそうです。しかも、2年以上育てないと根に紫の色素を蓄えないらしく、水分が多いと根腐れを起こしやすいといいます。でも、昔の人は、花が白花なのにその根が紫色の色素を含むということで名づけたということは、しっかりとその植物を見ていて名前をつけたのではないかと想像します。
 それにしても、染色というのは大変な作業です。たとえば、この紫色ですが、この本によると、「椿灰は紫の発色剤の役目を担う。工房の庭で、自家製の貴重な椿灰をつくるのは、代々大事な務めになっている。 深紫に染めるのに8日間の日数を要する。それも毎朝、紫草の根を叩いて、新鮮な染液をとらねばならない。 「紫は灰指すものぞ海石相市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢へる児や誰れ」 「万葉集』に、紫の染色方法さながらを詠んだ、男の恋歌がある。」と万葉集の歌まで紹介しながら書いていて、とても興味深く読みました。
 そういえば、山形県はベニバナの栽培が多いのですが、これを使って染める場合に必ず烏梅というものを使うそうです。これは、その名の通り、烏のように真黒な梅という意味で、しかも白梅の実を使ってつくるというから不思議なものです。現在では、奈良市の月ヶ瀬というところで作っているそうですが、たった1軒しかないそうです。しかし、この烏梅がないと紅花の鮮烈な赤い色にはならないそうで、伝統的なものはさまざまなところで支えられていると感じました。
 たとえば、染色で使う灰汁ですが、これはわら灰から作るのですが、その残りの灰は捨てるのではなく、ある程度貯めておいて、春から夏にかけて陶芸家が釉薬に使うためにもらいに来るそうです。つまり、わら灰から作る灰汁も灰も、それぞれに使い道があるということです。
 下に抜き書きしたのは、天平勝宝4(752)年4月に東大寺大仏殿の開眼法要の導師を努めた菩提僊那僧正のことです。
 彼は、インドから中国、そして奈良の都へとやって来ただけでなく、聖武天皇に請われて、大仏開眼という大儀式を担った僧侶です。そのときの開眼で使ったのが「開眼縷(る)」で、そのことを初めて知っただけでなく、東大寺1250年慶讃大法要で使ったこの五彩の「開眼縷」の写真を見て、その色合いの素晴らしさにも感じ入りました。
 そして、今でもこのような復元ができる方がいらっしゃるということに驚きました。
(2021.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
吉岡幸雄の色百話 男達の色彩吉岡幸雄世界文化社2020年9月30日9784418204151

☆ Extract passages ☆

 その盛大な儀式の演出に、色彩に関して興味深いものがある。「開眼縷」という紐のことである。僊那(菩提僊那僧正のこと)は儀式の頂点を、開眼、すなわち大仏の眼に筆を入れる場面と考えた。大仏の眼に筆を入れる瞬間の喜びを、1万人もの参列者に伝えるのに、大仏の顔に近づいて、自らが墨の筆を握り、入れる。その筆には縷、すなわち長い紐が結びつけられていて、その紐は大仏殿の前庭に参集した人びとに長く幾本となくのびている。それを皆が手にとり、眼に墨を入れる感動を分かち合い、功徳にあずかるという工夫であった。
(吉岡幸雄 著 『吉岡幸雄の色百話 男達の色彩』より)




No.1876『人類はパンデミックをどう生き延びたか』

 今年最初の本を何にしようかと思いましたが、先ずは仕事に合間に読むので手軽な文庫本にして、それから昨年は新型コロナウイルス感染症の拡がりが続く中で、年末年始も不要不急の自粛だったこともあり、この『人類はパンデミックをどう生き延びたか』を選びました。
 あらためて、感染症は歴史をも変えてしまうような大きな影響を与えたことがわかり、そして、おもしろいと思ったのはその感染症を人命を救うためにつかったことがあると知り、興味を持ちました。それは、1943年のナチス時代のローマで実際にあったことで、この本には、「当時、ローマ市内を流れるテヴェレ川の中州には、修道院が経営する「ファーテ ベネフラテッリ病院」が建てられていたが、10月16日を境として、そこには「K症候群」という正体不明の病気の治療を受ける患者たちが増えていった。結核を意味するイタリア語と発音が酷似していることから、ファシスト党政権の軍警もナチス兵たちも感染を恐れ、K症候群患者が収容されている病棟には近づこうとしなかった。」と書いてあります。
 しかし、この病院にもこの年の10月末にナチス兵が病棟内の捜索にやってきたことがあったそうですが、スタッフの冷静な対処で、その惨状を聞いただけではやめに切り上げて帰ったそうです。つまり、これは「医長ジョヴァンニ・ボロメオをはじめ、心ある医療スタッフや修道士たちの狙いで、K症候群はユダヤ人を匿うために考案した偽りの病気だった」ということです。でも考え方を変えれば、感染症はそれほど怖い存在だったということです。
 この本のなかには、その怖さがこれでもかというほど書いてありますが、あの有名な」メイフラワー号」が1620年12月26日にマサチューセッツ湾沿岸部に接岸したときには、その地域の原住民はスペイン人などが持ち込んだ天然痘に感染して、ほぼ全滅していたということです。そのことを、ピルグリム・フアーザーズは「神が感染症を遣わして、われらの行く手を清掃し給うた」と言ったそうで、武力の行使も物々交換をすることもなく土地を手に入れたことに感謝の祈りを捧げたと書いてありました。
 しかも、このことを知った植民者たちは、友好を装い、天然痘患者が身にまとっていた毛布を贈りったというから言葉を失います。まさにこれは現代の生物兵器そのものです。
 これとは逆に、感染症が拡がったことで、大きな発見をした人もいて、それはアイザック・ニュートンです。彼は、リンゴが木から落ちるところを見て「万有引力の法則」を発見したという話しは有名ですが、実はこの話しには感染症も関係しています。というのは、彼の故郷は東イングランドにある田舎町ウールスソープでしたが、「二ユ―トンは、19歳のときにケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。出だしこそよくなかったが、学びのコツを身につけてからは他の追随を許さない成長を見せ3年余りで卒業。その後は同大学で数学を教えることになっていたが、折あしくペストの流行により大学が一時閉鎖されたので、ニュートンはウールスソープに戻り、静かに研究生活を送る。そのなかで大発見に至ったのである。」ということです。
 そういえば、昨年の3月から6月にかけて、多くの学校で臨時休校や閉鎖があり、行きたくても行けないような状況が続きました。ニュートンは教えるほうの立場とはいえ、同じように閉鎖で1年ほど行けなかったわけですが、この間に「万有引力の法則」だけでなく、数々の発見をしているそうです。私もニュートンが学んだトリニティ・カレッジやそのリンゴの木を実際に見ましたが、写真を撮っただけですから、やはり同じには考えられないようです。
 下に抜き書きしたのは、祇園祭や茅の輪くぐりの由来で、これももともとは863年に咳逆(がいぎゃく、インフルエンザ)が流行したことから始まったようです。
 この話しは、いろいろなところでバリエーションもありますが、流れはほとんど同じようなものです。ちょっと長いですが、ここに書き出しますので、興味のある方は読んで見てください。
  (2021.1.3)

書名著者発行所発行日ISBN
人類はパンデミックをどう生き延びたか(青春文庫)島崎 晋青春出版社2020年5月20日9784413097543

☆ Extract passages ☆

 祗園とは京都祗園にある八坂神社のことで、祗園の神とは「武塔神」を指す。これは「素戔嗚尊」の別名で、生前の仏陀が暮らした祗園精合の守護神「牛頭天王」とも同一視される。
 この神と感染症の関係については、「出雲国風上記」と同時期に編纂された「備後国風上記」逸文に次のような話が見られる。
 北の海の住む武塔神が南海に住む女神を訪ねていったとき、途中で日が暮れてしまった。そこで蘇民将来と巨旦(こたん)将来兄弟がいる集落で一夜の宿を借りようとしたところ、裕福な巨旦将来には断られたが、貧しい蘇民将来からは温かくもてなされた。
 それから数年後、他の神々を従えた武塔神が蘇民将来の家を訪れ、茅でつくった茅の輪を贈り、蘇民将来の子孫はすべてこれを腰に着けておくようにと告げて立ち去った。後年、感染症が流行したとき、茅の輪を着けた蘇民将来の子孫以外の者はみな死んでしまった。
 869年6月の祇園御霊会はこの神話を受けて開催されたもので、現在も多くの神社で「茅の輪くぐり」という病除けの神事が行われ、「蘇民将来之子孫也」などと記された護符の類が売られているのも同じ理由による。
(島崎 晋 著 『人類はパンデミックをどう生き延びたか』より)




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