☆ 本のたび 2022 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.2107『空海』

 秋の彼岸ということもあり、空海についての本を読みたいと思っていたら、たまたま岩波新書から『空海』が出版されました。しかも著者は、現在も高野山の補陀落院に住持している松長有慶師で、ぜひ読みたいと思いました。しかも、第1の「果てしない宇宙と有限世界」の扉写真は、四国八十八ヵ所でお詣りした御厨人窟で、空海はここで自分の僧名を「空海」としたと伝えられています。今でも、このときの青い空と、真っ青な海の印象が残っていて、改めてそのときの写真を見てしまいました。
 私も山登りや山に入って修行することは好きで、空海は良峯安世(良相公)からの問いに答えた文章を、著者は格調高く訳しておられます。それを抜書きすると、

 あなたはご存じありませんか。またお聞きになっていませんでしょうか。
 尊い釈迦牟尼世尊は霊鷲山に、中国では文殊菩薩が五台山に住まわれる。
 私は出家した沙門であるから、宇宙を我が家と見て人に尽す使命をもつ。
 善無畏は王位を捨て出家した。父母の恩を断ち弟子入りする比丘も多い。
 出家者は国もなく故郷もなく、家も捨てて位階勲等をもつ官吏でもない。
 水一杯で朝にはいのちを支え、山霞を一飲みさえすればこころは安らぐ。
 蔓草を編めば身体は覆われる。茨や杉の葉っぱを敷けば立派な床となる。
 天は行者に同情し煙幕を垂れ、竜王は私の信者で自雲を垂れ雨を降らす。
 山鳥が訪れ一声を上げて歌う。山猿が飛び廻るがその技は人にできない。
 春に花が秋に菊が笑みかける。早朝の月や朝の風が俗なる塵を洗い去る。

 と書いてありました。私はまだまだ俗っ気が抜けませんが、このような生き様に憧れがあります。
 もちろん、空海といえども人間ですから病気にもなります。この本には、人生において三度、生死をさまようほどの病気をしたと書いてありましたが、1回は唐から帰国して5年目のこれからというときの病気は、だいぶショックだったらしく、せっかく恵果和尚から密教の正系の付法を授けてもらいながらという気持ちもあり、最澄に授けようとしたようです。3回目のときの831年のときには夢に棺桶が出てきたようで、大僧都の位の辞退を朝廷に願い出ています。
 著者は、「空海は自らの病や死に対しては、何らの不安や恐怖をもたなかったようである。喩伽の観法によって大日如来との一体化を果たし、大字宙の生命と融合した喩伽行者にとって、そこでは生とか死に対する苦を超越していて当然のことと言えるであろう。ただ心残りであったのは、世俗に関する事柄であったと思われる。」と書いてあり、正系の密教をしかるべき者に伝授したいとか、自分の弟子たちがこれから後もしっかりと修行できるようにとか、さまざまな不安があったようです。
 たしかに、現代もいろいろな不安が渦巻き、考えれば考えるほど、行きにくい時代だと思います。だからこそ、いつの時代も勉学は大切なことです。空海は、日本で最初の私立の学問所、綜芸種智院を作りましたが、この名の由来は、「綜芸種智院の名称の「綜芸」とは『大日経』の具縁品に出てくる言葉で、あらゆる学芸を総合的に捉えるという意味である。また「種智」とは一切種智の略で、無限の知恵すなわち仏の知恵を身につけることを表す。」と書いています。
 つまり、僧侶だからといって経典だけを学べばいいということではなく、医学や薬学、工学、論理学など、宗教以外の学問も必要だということです。考えてみれば、空海の生き方そのものが多角的でしたし、全てにおいてパーフェクトでした。これは学ぼうと思ってもできることではありませんが、そのようにしたいという気概を持つことは必要です。
 下に抜き書きしたのは、第5「読み替え」に書いてある密教の深い意味の読み込みについてです。
 空海は、このような読み込みをしたり、読み替えなどもたくさんあります。つまり、いろいろなやり方でなんとか衆生を導きたいという強い思いがあったのではないかと思います。
 もし、機会があれば、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
(2022.9.24)

書名著者発行所発行日ISBN
空海(岩波新書)松長有慶岩波書店2022年6月17日9784004319337

☆ Extract passages ☆

 密教とは、秘密仏教を略した言葉である。……
 秘密という言葉は、現在では他人は誰も知らない、あるいは他人には知らせたくない、自分だけのもの、という意味で用いられている。しかし密教では、何も惜しくて隠しているのではない。じつは、すべて公開されている。だが衆生は自己の能力が劣っていて、物事の真実の姿が見えていない。だから秘密になっているに過ぎない。衆生の自己責任で見えないだけのこと。それを衆生の自秘という。……
 如来の秘密とは、仏の覚りの内容が一般の言葉では解き明かせないから、秘密になっているだけで、如来が秘密を教えるのを渋っているのではない。衆生の宗教的な能力の向上によって、如来は秘密事項を解除する。
(松長有慶 著『空海』より)




No.2106『人生ミスっても自殺しないで、旅』

 旅をすればいろいろな思いを断ち切れる、と勝手に解釈して、読むことにしました。
 著者はルートヴィック・ヴイトゲンシュタインに私淑しているというか、勝手に師事していて、そこにつながる欧州を全財産の40万円で旅した記録でもあります。しかし、そのときまで、7年間ほど引きこもっていたそうで、ある意味、引きこもりと哲学とのつながりにも興味がありました。
 ときどき、話しの流れに脈絡がなくなり、あれっ、と思って読み進めると、ここでつながるのだと合点がいくこともありましたが、なぜ、ここでこの話しになるの、と思うこともありました。そういえば、ところどころで『発達界隈通信』を思い出す場面もありました。
 さらに、何々と同じだ、同じではない、とすぐ否定したり、私は知っているといいながら、私は知らないといったり、理解するにはちょっと時間もかかりました。でも、結局は最後まで読んだところをみると、それなりに興味を引くところがあったからかもしれません。
 たとえば、「一人旅は一人旅で楽しいが、一抹の寂しさを覚えるのが食事の時である。美味しいものや不味いもの、珍しいものを食べても感動や驚きを分かち合えないし、レストランヘ入ろうにも、お独り様だと断られる場合もある。ない。そういう畏まった高級レストランには初めから縁がない。だから断られることすらない。それがまた寂しさをより募らせる。」と書いてあり、私もそのような経験をしたことがあると思いました。
 ただ、新型コロナウイルス感染症の影響で、外食産業そのものが客の入りが少なくなり一人でも入り易くなったのと、人数制限もあり、さらになるべく黙食をするようにとの注意書きがあったりして、一人で食べやすくなったような気がします。
 また、「思うが結局のところ人間は、自分の知識を前提に旅先の景色を眺め、過去の体験を材料に土地の雰囲気を感じとり、今ある語彙の中から感想を述べるしかないのである。その事実から導かれる侵しがたく決定的な真理は「この言語(私が理解する唯一の言語)の限界が、私の世界の限界を意味することに示されている」(『論考』5・62節)と言いたいところだが、この思想もどうかと思う。むしろ今の自分は「言語ゲームの限界が、我々の世界像の限界を意味する」と言いたい。結局のところ人間は、自分たちが育った環境や生活する文化の影響下で世界を眺め、そうした世界観を通じて物事を理解し、認識し、その繰り返しによって一層強岡な世界観の礎を築く。晩期ヴィトゲンシュタイン哲学の言葉でいえば、そうした強固な「世界像」を前提に行われ、生まれては消える多種多様な、無数の言語ゲームの現場に、我々は投げ込まれ、日々参加し続けるのである。」とあり、同じ著者がこのような哲学的な言い回しをすることに興味を持ちました。
 でも、もともとはヴイトゲンシュタインに私淑していると冒頭で書いているので、著者にしてみれば当たり前かもしれませんが、つい、それで引き込まれてしまったと私は思います。
 下に抜き書きしたのは、アイルランドを訪ねていたときの言葉です。
 たしかに「死ぬ」と簡単に言葉にする人は、それほど簡単には死なないと思うが、ただ気になったのは、自分が稼いで生活するという意識よりは、父親が現役のサラリー何で稼いでいるから、自分はあまり心配しなくてもいいという考え方です。
 誰が考えても、父親は早くなくなるはずだし、それ以降の生活はどうするのと聞いてみたいものです。だが、それまでも引きこもりをしながら、少しのアルバイトみたいな仕事で食べてきたわけで、おそらく将来の心配までしなくてもいいのかもしれないと思いました。
(2022.9.20)

書名著者発行所発行日ISBN
人生ミスっても自殺しないで、旅諸隈 元晶文社2021年7月20日9784794972453

☆ Extract passages ☆

「死ねばよい」
 そう安易に考えられる人間は死なない。どこか余裕があるから「死ねば」と仮定の話ができる。いま思えば自分の現状をアスペクト変換したのだろう。即ち、貯金も保険も年金もなく、職歴もない無職の30歳童貞。――その現実は変わらないが、それを「人生ミスった」と見るか「人生これから」と見るか、見方によって世界も人生も変わってこよう。幸い父親は現役のサラリーマンだった。たとえ息子が100万円散財したって未だ稼げるし、いずれ退職金が入るから老後資金も賄える。
(諸隈 元 著『人生ミスっても自殺しないで、旅』より)




No.2105『発達界隈通信』

 最近、なぜか精神障害にすごく関心があり、この本の副題の「ぼくたちは障害と脳の多様性を生きています」という言葉に惹かれました。よく障害も個性だといいますが、多様性のほうが未来が開けているような気がします。
 私は発達障害などと聞くと、精神科医に行って、そう告げられるとショックだろうなと思ってましたが、意外とそれまでのいろいろな失敗が腑に落ちたことで、良かったと感じる人が多いのにはびっくりしました。考えてみれば、おそらくはそれまで何度も繰り返していたおかしいことを、何故だろうと考えていたからではないかと思います。それが病院を受診し、ADHDなどの診断を受け、それで納得できたのではないかと思いました。
 やはり、人はなぜと思っていたとしても、その原因がわからないと不安になるものです。だから、その原因がわかれば納得もするし、その治療もできます。この本のなかにも、治療薬の話しが出てきますが、それを飲むとそれまでの自分と違うということがはっきり意識できる人もいました。ただ、それほどでもない人もいて、やはりいろいろな問題が複雑に絡み合っていると思いました。
 でも、はっきりと診断されたことで、これで上司にしっかりと説明できるという人や、家族に対しても納得してもらえるという人もいて、なるほどと思いました。しかし、自分の子どもが同じようなADHDやASDになったとしたら、そうとうショックだろうなと思ったが、意外と淡々と書いていて、本心ではないのではと思いました。
 それでも、ある発達界隈に入った方は、「悶々とした悩みことを吐きだす場がなかったこと」に気づき、自助会でいろいろな話しをしたことで心がすっきりしたといい、悩んでいるのは自分だけではないと感じたといいます。たしかに、それはあると思いました。
 だれでも、一人で生きるには寂しいけど、みんなと手と手を取り合えることは楽しさにつながります。そして、徐々に自分の特性を受け入れられるようになると、生きづらさのようなものも消えていくそうです。つまり、自分自身を認められるということではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、この本で取りあげられているアライタツヤさんの言葉です。
 現在31歳で東京都内在住、ADHDとパニック症候群と診断されているそうですが、バンドをしていて、障がい者雇用のリーダーを目指しているそうです。
 パニック症候群でありながらバンドをしているということに、びっくりしました。その他にも、この本にはびっくりすることがたくさんあり、機会があればぜひ読んでいただきたいと思います。
(2022.9.17)

書名著者発行所発行日ISBN
発達界隈通信横道 誠教育評論社2022年6月23日9784866240626

☆ Extract passages ☆

 アライさんは語る。「下の世代の人たちに、発達障害だから自分の人生はダメだって、ぼくらが思わせちゃいけないなと思っています。それがバンドの目標。一方仕事では、障害 者雇用のリーダー役を務められるようになりたい。ちゃんと働けて、ご飯が食えるんだよってことを、証明できる人間になりたいんです」。
「発達障害は大きな免罪符にならない。発達障害だから仕方ないと考えると、未来はありません。障害があったら、人の10倍は考えて、工夫しないといけないと思ってます。発達障 害や精神障害があっても、それに引っ張られすぎてはいけない。楽しいことはたくさんあります」。
(横道 誠 著『発達界隈通信』より)




No.2104『ひとかけらの木片が教えてくれること』

 9月11日から秋田三十三観音の札所巡りをしてきましたが、そのときに持っていった本です。副題が「木材×科学×歴史」とあり、とても興味を持って旅先で読むことができました。
 著者は「あとがき」で、「自分の遠い先祖たちについて勝手に思いを巡らす、そんな時間が昔から好きです。先祖がたどった歴史が一つでも違えば、例えば先祖がめくるめく出逢いとかけおちをしなければ、戦争中に砲弾から逃げた方向が逆だったなら………、今私がいなかった可能性も大いにあります。そんな奇跡をかみしめながら今に伝わる文化財をみつめると、その時代にたしかに生きていたであろう先祖と隣に並んでいるかのような感覚に陥ります。私にとってひとかけらの木片は、木材である以上に、時をこえて歴史を教えてくれる先祖たちから渡されたタイムカプセルです。顕微鏡で木片をのぞくたび、悠久の歴史と当時の人々の息遣いが、色彩豊かにそしてリアルに感じられるようです。」と語っていますが、私も各地で大切に守り育てられてきた木々を見るたびに、その歴史に思いを馳せます。
 たとえば屋久杉のように、屋久島の山のなかでひっそりと生き続けてきた木もあれば、今回の秋田の旅では、道の真ん中に木があり、そこに祠があることから、この木は切ることができなくて、その木を避けるように両側に道を別け、左右を通るようにしたのではないかと思いました。
 また、秋田のなまはげのように、お面の文化もありますが、この本では「日本では能面をはじめとして、なまはげや獅子舞も含めると、様々な仮面を見る機会があります。そのため、世界中どこにでも仮面の文化があると思いがちですが、仮面を使う文化がある社会は、世界の一部の地域に限定されています。東アジアなどユーラシア大陸においては、広範囲 で仮面文化が認められますが、それでも仮面文化が存在しない社会もあるようです。例えばイスラム教のコーランでは、人や動物をかたどったものをつけて演じることが禁じられています。限定的だとはいえ、世界のあちこちで見かける仮面は、形や大きさ、材料など多様性に富む一方で、類似性が高いものも多く、人間の普遍的な精神世界の表れとも考えられます。」とあり、ブータンで見た仮面をかぶった踊りを思い出しました。
 それは、言葉の問題もあり、なかなかわからないのですが、おそらく仏教説話のようでした。だが、その仮面から想像でき、目に見えることの大切さのようなものを感じました。この仮面も木が多く、古いものも残っているので、そこから歴史が見え隠れするのかもしれません。
 また、「神様を守り続ける獅子と狛犬」のところで、「中国やオリエントに源流を見ることができ、大陸からの影響を受けつつ、日本独自の展開を見せてきたとされています。仏像の前に守護獣としての獅子(いわゆるライオン像)一対を置く習慣は、古代インドでも行われており、今も類似の文化を世界各地で見ることができます。私が訪れたヨーロツパの各地やアジアのいくつかの国でも、古城の前やお墓の前など、様々な場所でユニークな獅子像を見たことがあります。」と書いてあり、これらは必ずしも木ではなく、石や青銅製などもありますが、その想いはほとんど変わらないようです。
 下に抜き書きしたのは、第3章「何の木から作られた? 日本の仏像」のなかに書いてあったものです。
 今ではコウヤマキもカヤも、なかなか建築材に使えるほどの大きな木はありませんが、その当時はさまざまに利用されてきたようです。そのことなどを考えると、日本人の木に対する信仰心のようなものが垣間見えるような気がします。
 この本は先にも書いたように旅さきで読んだもので、来るまで移動しながらも、あちこちで巨木を見ることができました。たとえば、第33番札所の信正寺の本堂左脇に植えられているイチョウの木は、大館市の保存木に指定されていました。このイチョウは、昔から神社仏閣に多く植えられていて、個人宅には大きくなることもあり植えないといわれていますが、各地に巨木が残っていて、この木もそのひとつです。
(2022.9.14)

書名著者発行所発行日ISBN
ひとかけらの木片が教えてくれること田鶴寿弥子淡交社2022年8月14日9784473044990

☆ Extract passages ☆

 古墳時代に、棺材として珍重されたコウヤマキが奈良時代に入って建築材として重宝された背景には、古代人がすでにコウヤマキの物性を高く評価していたか、あるいはコウヤマキに対してなんらかの信仰心があったのかもしれません。カヤもコウヤマキと同様、建築に多用されていた事例も認められることから、奈良時代の人々はすでにその物性の高さを知っていたと推定できます。そして、コウヤマキ同様、「なんらかの信仰心」を持つ対象木として、カヤを認識していた可能性も考えられます。
(田鶴寿弥子 著『ひとかけらの木片が教えてくれること』より)




No.2103『好日絵巻』

 No.2102『ゼロからわかる量子コンピュータ』は、なかなか理解できず、頭の中がこんがらかったので、今回は楽しく読める本を選びました。この著者の本で印象に残っているのは、『日日是好日』で映画も観ました。自分もお茶を若いときから習っているので、とても懐かしく、親近感を感じました。
 この本は、『日日是好日』の続々編で、続編は『日日日記』だそうで、まだ読んでいません。
 著者は、「まえがき」の最初で、「お茶」の稽古場に足を踏み入れたのは40数年前のこと、と書きだしていますが、私がお稽古に通うようになったのは50数年前のことです。それでも、今もはっきりと稽古場の様子がわかるのは、先生が亡くなり、そこに通うことがなくなるまで、ほとんど休むこともなく行っていたからのようです。
 お茶のお点前もそうで、手が勝手に動くようになるまで稽古をするので、いわば無意識です。だからこそ、お点前中でもお正客から声が掛かると返事もできますし、お話しだってできます。
 この本のなかに出てくることは、ほとんど、「そうそう」とか「私もそう感じた」ということが多く、お点前と同じように流れるように読みました。なかでも、茶席のお菓子は、この本では主菓子が15種、干菓子が8種イラストで出ていますが、そのほとんどを私も食べたことがあります。ということは、どこのお茶席でも地方色のある菓子より、季節感のある菓子のほうが重宝されます。この本のなかに、「目の前に置かれた菓子器の蓋を開けるたび、私は「わぁ、きれい!」、声を出さずにいられなかった。季節の花や景色の一瞬をとらえた美しいお菓子が、私の目と舌を蕩(とろ)かせた。けれど、「あぁ、またあのお菓子が食べたい!」と思っても、翌週、同じお菓子に出会うことはなかった。菓子器の蓋を開けるたびに、見たことのないお菓子が現れる。そして、そのお菓子もまた、美しくおいしく、心に残るのだった。」と書いてあり、私も何度もこのように思ったものです。
 でも、その季節がまたやってくると似たような菓子が出てくるので、もう1年も経ったのかと不思議な気持ちになることもありました。私は今でも、ほぼ毎日、自分でお抹茶を点てていただくのですが、そのときに準備した菓子といっしょにFacebookに載せています。だから、「着せ綿」という銘のお菓子が出ると、そろそろ重陽の日が近づいてきたと感じます。しかも、ピンク色の菊の花の上にふんわりとした綿のようなキントンをのせてあり、食べるのがもったいないと思います。
 ちなみに昨日食べたお菓子は、杵屋本店の銘「鶴亀」で、白色と紫色に染めた練切を亀甲にして、そのなかは抹茶あん、その上には型抜きした白い鶴がのっていて、そのわきに金粉が散らしてありました。これを食べながら、そろそろ敬老の日が近づいたと思いました。
 ただ残念だったのは、著者もお断りをしているのですが、お茶席で一番大切な掛け物のイラストがありませんでした。おそらく、これは描くのは難しく、その雰囲気もなかなか出せないのではと思います。
 下に抜き書きしたのは、同じ稽古場に通っていると感じる変化についてです。
 これは、私もそう感じますし、玄関に入る手前の庭先でも、季節の変わり目を敏感に思います。だから、今も少しずつお茶を続けていますが、若いときにお茶と出合えて良かったと、いつも思います。
(2022.9.10)

書名著者発行所発行日ISBN
好日絵巻森下典子PARCO出版2020年7月3日9784865063370

☆ Extract passages ☆

 毎週同じ時刻、同じ稽古場に座っていると、一年の陽ざしの変化がよくわかる。
 夏至の頃は強烈な陽ざしが、縁側の端近くを焼けるほど熱く照らしていた。それが今は、薄寂しく和らいで、部屋の奥へと伸びている。
「冬至まで、もう少しね」
(森下典子 著『好日絵巻』より)




No.2102『ゼロからわかる量子コンピュータ』

 この本も旅のお伴に持っていったのですが、量子コンピュータというものの仕組みを知りたくて読んだものですが、ゼロからわかったのは、わからないということでした。だから、何度も読み直したことで、時間ばかりかかってしまいました。
 一番わからなかったのは、「0であると同時に1でもある」ということです。それを数式で示されても、まったくちんぷんかんぷんでした。
 たとえば、今までの汎用コンピュータは19世紀のイギリスの数学者が開拓した「プール代数」が基本で、「真(1)」と「偽(0)」という2つの値だけで記述するものです。この本では、「このブール代数を、コンピュータの基本的な演算素子(部品)に転化したものが「ゲート」である。それらは2進数・算術演算の掛け算に相似するAND回路、同じく足し算に相似するOR回路、さらに2進数の1と0を反転させるNOT回路等から構成される。これら各種ゲートを数限りなく組み合わせることによって、汎用コンピュータは極めて複雑で高度な演算(計算)を行い、現代社会における様々な情報処理をこなすことができる。これらのゲートは、物理的にはトランジスタ等の電子部品から作られる。これらを微細化して何千万〜何十億個をも半導体の基盤上に集積したものが「LSI(大規模集積回路)」、つまり現代コンピュータの演算処理などを担う主要部品だ。」と書いていました。
 ところが量子コンピュータというのは、「どちらに転ぶか宇宙にもわからないということは、そのどちらでもあり得る。つまり同時にそれら2つの状態を取り得るということだ。」そうで、どちらに転ぶかわからない量子で現実的なコンピュータが作れるのだろうかというのが、私の素朴な疑問です。つまりこれが、「シュレディンガーの猫」が「生きていると同時に死んでもいる」というパラドックスにも通底する考え方だそうです。
 また、他のところでは、「それは言わば「ビーフは肉であると同時に野菜でもある」と主張するようなもので、たとえ貴方が「ヴイーガン(厳格な菜食主義者)」でなくても、なかなか受け入れることはできないであろう。このように手強い量子コンピュータの理論をよく噛んで無理なく呑み込むには、ある程度の数学的議論(数字や記号の調理)が自ずと必要になってくるのである。」と表現していますが、ますますわからなくなってしまいます。著者は、「はじめに」のところで、自然科学というより「宗教の教義」に近いと書いていましたが、たしかに、そう思うか信じるしかなさそうです。
 今読んでいる松長有慶師の『空海』のなかに、金剛界と大悲胎蔵の話しが出てきますが、別々な流れで成立した経典なのに、不空の弟子の恵果によって両系統をともに継承し、それがそっくり空海に伝えられました。つまり、別々に考えることも出来るし、いっしょにすることもできるわけで、まさに「0であると同時に1でもある」という理論が成り立ちます。
 だからといってすぐに理解できるわけではなく、私のような素人がなんとなくわかるのは、この量子コンピュータで何ができるようになるのかということです。この本では、先ずは製薬業界の創薬にかかる膨大な時間とコストが圧縮されること、また自動車の渋滞を解消してサプライチェーンを最適化すること、最適な組み合わせを見つけバッテリー開発に活かすこと、物流の配達ルートや輸送手段の効率化など、いままでのスーパーコンピュータでは時間がかかりすぎてできなかったことなどができるようになるといいます。単純にいえば、今までのスーパーコンピュータが数万年から数億年もかかるような計算をわずか数分でやり遂げるというから驚きです。
 ただし、これを今使われているRSA、公開鍵方式の暗号は、大規模な素因数分解によって実現されているので、社会的に共有されている「公開鍵」でも、この「合成数」は巨大な数ですが、「秘密鍵」はクレジットカード会社や銀行などの金融機関、あるいはEコマースを手がけるインターネット企業など特定の業者や団体などが持っています。これだととんでもない大きな数字になり、これを素因数分解するのは今のスーパーコンピュータでも数万年以上はかかるそうです。しかし、量子コンピュータになれば、これだって安心はできません。さらに軍事機密などの暗号化が破られるようなことになれば、世界が混乱するのはあきらかです。
 量子コンピュータの仕組みは、なかなかすんなりとはわかりませんでしたが、そのすごさはわかりました。おそらく、Ai、人工知能に使われれば、飛躍的な進化を遂げることは間違いないと思います。今の自動運転とは比較にならないような自動化になりそうです。実際、今回の新型コロナウイルス感染拡大を可能な限り食い止めようとするワクチン開発でも、「このワクチンを開発する過程で、コンピユータによる同ウイルスのゲノム解析が重要な役割を果たした。かっては「最短でも5〜10年はかかる」と言われたワクチンの開発・製品化が、今では最先端のバイオ情報技術を活用することで約1年にまで短縮された。今後、量子コンピユータが実用化に成功すれば、こうした人類にとって死活的な問題の解決やブレークスルーを一層加速してくれるはずだ。」といいます。
 下に抜き書きしたのは、第3章「量子コンピュータは世界をどう変えるのか」の最後に書いてあるもので、先端技術開発よりも優先すべきことを取りあげています。
 たしかに、ロシア軍がウクライナに侵攻して甚大な被害をもたらしていますが、原子力発電所を攻撃したり要塞化したり、AI技術を軍事転用したさまざまな軍事用武器、たとえば攻撃用ドローンや無人で動く装甲車や戦闘機など、その一部は実戦配備されているようです。だとすれば、量子コンピュータなどの超先端技術なども適切に管理し、平和利用するよう道筋を立てることも大切なことだと私も思いました。
(2022.9.8)

書名著者発行所発行日ISBN
ゼロからわかる量子コンピュータ(講談社現代新書)小林雅一講談社2022年6月20日9784065282991

☆ Extract passages ☆

「0であると同時に1でもある」という不可思議な物理状態を扱う量子コンピュータは人類の科学技術、いや文明を次なるフェーズヘと導く歴史的な発明だ。ちょうど古代の人類が青銅器から鉄器時代へと移行したような、いや恐らくそれ以上に大きな意味とインパクトを世界にもたらすだろう。しかし、そのようにパヮフルな超高度技術を適切に管理し、平和的に使いこなせるほどの倫理水準に現在の人類は到達したと言えるだろうか。
(小林雅一 著『ゼロからわかる量子コンピュータ』より)




No.2101『植物園の世紀』

 この本は、8月29日から寒河江に行ったときから読み始め、31日には読み終わりましたが、なかなかまとめることができず、とうとう今日になってしまいました。
 というのは、今回の旅は息抜きということで、あまり出歩くことはせずに、温泉に入ったり本を読んだり、近くのお菓子屋さんで和菓子を買い、部屋でお抹茶を点てて飲んでいました。ただ、中日はじっと部屋にいることもないので、鶴岡の奥田シェフの「アル・ケッチァーノ」が7月7日に新しい場所に移転したと聞き、行ってきました。
 しかも今回も「やまがた秋旅キャンペーン」で、ホテルの宿泊は1人1泊最大5千円割引で、さらに旅行先で使える地域限定クーポン2千円がついてきます。だから、この昼食にこのクーポンを使ったのでほとんど無料のようなものでした。
 さて、この本を読みながら、イギリスのキューガーデンやカルカッタ植物園などの植物園や地域などに行ったところもあり、いろいろなことを思い出しました。たとえば、2018年9月に12年に1度だけ咲くクリンジの花を見に南インドのケララ州に行きましたが、この本には「バスコ・ダ・ガマが喜望峰を経由して、はじめてノンドヘ到達したのが、マラバール海岸のカリカット。その後ポルトガル人はこの海岸の北にゴアを建設し、胡椒貿易の拠点とした。マラバール海岸は、その背後に、海岸とほとんど並行して南北に走る山脈をもつ。海抜2000メートルを超えるこの山地の西の裾野は、インドにおける胡椒の最大産地であった。」と書いてあり、そのスパイスロードを通ったことを思い出したり、コーチンの聖フランシス教会のなかのバスコ・ダ・ガマが埋葬されたところをおまいりしたことなどを思い出しました。
 また、カルカッタ植物園には1986年4月に友人と2人でバスに乗っていき、大きなベンガルボダイジュを見たり、池のなかに生えていたオオオニバスの花を、そこで洗濯をしていた娘さんにとってもらったり、さらにはそこで出合った若者たちに連れられて、彼らの家に行き、カレーをご馳走になったりしました。
 今なら、もしこれを食べたらお腹をこわすかもしれないと考えるでしょうが、そのときは若さゆえの無鉄砲さで、なんでも平気でできました。そのときの写真もありますが、ちょっと冷や汗ものです。
 下に抜き書きしたのは、第1章「植物帝国主義」に書いてあったものです。
 私も、常々、植物は動かないのではなく動く必要がないとか、世代を超えて動いているという話しをしますが、これは当然のことです。だからこそ、植物は進化することができるし、むしろ、他の動物たちよりは早く進化できると思います。
 そういえば、イギリスの自然史博物館でいろいろな進化の過程を見ましたが、そのときもそう思いました。
 ここで植物帝国主義というのは、「植物が、植物であるためにもつ条件、大地から離れることができず生育する場所を選ぶこと、同時に同種の環境であれば地球上の遠く離れた地域にも移動しうること、この2つの条件が本章でいう植物帝国主義というものを規定している。それは植物資源を安定して獲得するために、国家がおもてにたち、植物を支配・独占し、さらに植物が生長するのに必要な時間、土地を支配・管理し、さらには植物の環境にはたらきかける労働力を支配・管理するあらゆる意図的な試みをいう。」とあり、私が学生のころに習ったマル系の先生のような話しだと思いました。
 そういえば、今の時代は、ほとんど帝国主義という言葉を聞かなくなったような気がします。やはり、私たちの世代は、学生運動の激しいときでした。
(2022.9.4)

書名著者発行所発行日ISBN
植物園の世紀川島昭夫共和国2020年7月10日9784907986667

☆ Extract passages ☆

植物の個体は大地に束縛されているが、個体間の世代の交代を利用して植物は移動するのである。種子植物は世代交代にあたって、生殖質を種子のなかに保存する。種子は、一般に軽いか、固いか、数多いかのいずれかであり、また環境への耐性がきわめて強い。こうして一種の厳重なカプセルにくるまれた植物は、自ら弾けとび、あるいは風の力を利用したり、鳥や動物に食べられることによつて親の世代が生きた場所から遠ざかろうとするのである。そのことで植物は群落の範囲を広げると同時に、種として環境それ自体の変化に対応することが可能になる。
 このカプセルとしての種子は、人が植物をもち運び、移動させるさいにも便利であった。
(川島昭夫 著『植物園の世紀』より)




No.2100『目に見えない戦争』

 この本の副題は「デジタル化に脅かされる世界の安全と安定」で、まさに今現在のロシアとウクライナのような問題です。以前から気になっていたので、即、読むことにしました。
 そういえば、8月20日のロシアのタス通信によると、「クリミア半島の都市セバストポリで20日、ロシア黒海艦隊の司令部がドローンを使った攻撃を受けた」という報道があり、以前にもカメラマンの宮嶋茂樹さんがハルキウ州北部のロシア国境地帯を取材し、ウクライナ軍のドローン情報小隊の記事を載せていましたが、別な情報では数万円のドローンが何億もする戦車を破壊していると伝えていました。
 この本でも、「今日の技術水準における商用ドローンに少し手を加えれば、あらゆる意味で危険なものにチューニングすることができる。「アマゾンで買ったドローンは、カメラをつけ替えたり、手榴弾をつけたりすることができる」ことを、防衛アドバイザーのリックリは知っている。「これは、西側諸国に戦争を突きつけるための、まったく新しい方法だ」。考えうるのは武器の設置だけではない。位置情報把握ソフトウェアを搭載すれば、対象に定めた人物を密着追跡することができる。地上の拠点との電波が途絶した場合、統制された非常プログラムが作動し、ドローンは安全に着陸する。熱感知カメラ、赤外線カメラ、対ドローン防衛を困難にする周波数ホッピングなどのスペクトラム拡散など、商品として提供されるドローンの仕様は、ますます専門性が高いものになってきている。」と書いています。この周波数ホッピングというのは、周波数を一定の規則に従い高速に切り替え、送受信機間で通信を行うことで、スペクトラム拡散の1つの方式です。
 さらに中国では最大1トンもの重さを運ぶドローンを中国郵政のために製造しているそうで、今までのドローンの概念を大きく変えてしまうようです。さらに怖いのは、このあとに、「キラーロボット反対キャンペーンを引き起こした昆虫大のマイクロドローンに関するアメリカの研究活動を挙げることができる。蚊によく似たこのドローンは、屋内を飛びまわって人間を攻撃し、致死性のある薬物を注射する。マイクロドローンには偵察やレーダーを使用した領空の監視といった今日の手法が通用せず、大変危険なものである。」といい、レーダーでもとらえられない微小な飛行物というのであれば、事前に警戒することも不可能です。
 今までは、SFの世界のような話しと思っていましたが、それが現実となればまさに女に見えない戦争といえます。
 ただ、見えなくても、確実に大量の死者を出すことになり、以前の化学兵器に勝るとも劣らない卑劣な兵器にもなりうるわけです。
 しかも、今のようなインターネットにどっぷりとつかっている状況では、数時間ネットがつながらないだけで、大混乱が起きます。そのいい例が、今年の7月2日にauなどで発生した通信障害ですが、約81時間にわたり合計3043万回線に影響を与えたそうです。その原因は KDDIの7月29日の会見では、「ルーターの設定ミス」で、「作業マニュアルの取り違え」から起きたそうです。
 もし、これが意図的に引き起こされたと考えれば、約81時間ほどで解決できるわけはなく、多方面にも大きな影響を及ぼします。この本では、「インフラストラクチャーの機能不全は、誰彼の区別なく人々に影響を与える。誰もが生活まるごとをポケットのスマホに持ち歩く時代だ。デジタルな命綱が途絶えることは、四肢の切断に等しい。特に打撃を受けるのは経済活動である。テレビ放送局から近所の小売業者まで、あらゆる事業は休止してしまう。人々は医療制度や教育機関、交通システムといったあらゆるものから遮断される。機能不全は街全体を麻痺させる。デジタル時代の生命の源とも言える情報の流れが止まるとともに、デジタル化に勢いづけられていた商品や資金の流れも停滞する。」と書いています。
 さらにこの影響が軍にも及ぶとなれば、ほんとうに危険きわまりないものですが、じつは何度かこのような状態になったことがあるそうです。しかし、それも軍事機密のひとつとして、公開はされていないようです。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」に書かれていたことで、普遍的なテクノロジーが21世紀の戦争にとって、ますます重要になってきているといいます。
 だからこそ、著者は、戦争の手段そのものが把握しにくくなっているとしてこの本のテーマに選んだそうです。
 たしかに、デジタルそのものもわかりにくいのですが、さらに膨大なネットワークでつながっていることを知ろうとすると、素人ではまったく理解不能です。でも、それらを少しでも知ろうとしないと、これからの世界は何も理解できなくなります。だとすれば、このような本を読むことで、少しでも理解しようとする努力は必要だと思います。
(2022.9.1)

書名著者発行所発行日ISBN
目に見えない戦争(講談社選書メチエ)イヴォンヌ・ホフシュテッター 著、渡辺 玲 訳講談社2022年7月12日9784065289235

☆ Extract passages ☆

 デジタル技術において、これまで疑うことなくトップの座にあったアメリカ合衆国は、かつての玉座が溶けていくのを横目に、望もうと望むまいと、その影響力を猛烈な成り上がり(特に中国)に譲り渡すのだ。アメリカは後退し、複数の勢力がしのぎを削って地理的に広がっていく。その熾烈なさまは、情報窃盗や妨害・破壊工作に限らない、新たな恐るべき軍拡競争の訪れを告げている。何もかもがつながり合うすべてのモノのインターネット〔Internet of Everything (IoE)〕を通じて、デジタルな軍拡競争は物質世界に食い込んでいく。その物質世界はといえば、スマートフォンやスマートハウス、スマートカーよりもっとスマートに賢くなっている。戦闘ロボット、ドローンの大群、スマート・インプラント〔体内に埋入する医療機器で、治療だけでなく診断機能をともなうもの〕やネットワークでつながり合った核兵器、時速3万3000キロメートルの超音速で数分以内に目標に到達する飛翔体から発射されるスマート弾丸。
 すべてのモノのインターネットの拡大によって21世紀の戦争の手段が把握じづらいものになっていることこそ、私が本書にこのテーマを選んだ理由でもある。
(イヴォンヌ・ホフシュテッター 著『目に見えない戦争』より)




No.2099『Step Back 一歩引いて考える』

 この本の題名の『Step Back 一歩引いて考える』という言葉に惹かれて、読むことにしました。
 たしかに、忙しい毎日を送っていると、つい一歩引いて考えることが少なくなり、つい先走ってしまいますが、この副題のように、「多忙な日々にリフレクションを取り入れる技」とあるように、忙しくしているときこそ、リフレクションは必要なようです。
 では、そもそも、このリフレクションというのは、この本によれば、「リフレクションとは、一歩引いて、現在体験していること、理解しようとしていること、または行っていることについて、本当に大切なのは何かを把握することである。だからこそリフレクションは、極めて現実的かつ根源的な意味で、非常に人きな価値を持つ。会社全体を率いているとか、タスクフォースのリーダーであるとか、年老いた家族のために医療制度を活用しているとか、日々の家事をこなしているとか、その他難しいあれこれに奮闘しているとかに関わらず、今何が重要であるかを理解することは極めて重要である。」と書いてありました。
 そして、それを実践するというのは、「主要な伝統宗教の多くは、特別の場所に赴いて礼拝することを信者に求める。これは決して偶然ではない。そこで、大抵はリフレクション実践の一環として、立ったり、座ったり、脆いたり、歌ったり、唱えたり、あるいは意識的な呼吸をしたりを繰り返す。同様のアプローチは、伝続的な宗教行事ではない現代風の瞑想の実践現場でも数多く見受けられる。」と書いていて、リフレクションというのは目新しいことではないといいます。
 たしかに、私も経験したことがありますが、たとえば座禅にしても、一時的に意識をしないことを目指します。いわゆる無想の境地です。
 ただ、現在のように忙しい世の中になると、つい、そのような時間をとることもできなくなって、無我夢中で走ってしまい勝ちです。だからこそ、このような本が出てくるのではないかと思います。
 読んでみると、なぜ今さらという気持ちがしましたし、今までもそれなりにしてきたことだと思います。もともと修行というのは、本当に大切なことは何かを考えることでもあります。それを見つけ出すためにも、修行するわけで、私も滝に入って修行をしたときに、水って冷たいだけではなく、温かく感じるときもあると知りました。水がなければ生きていけないということも、実感としてわかりました。いわば、気づき、でもあります。
 下に抜き書きしたのは、もともと私たち人間には、一歩下がる本能が備わっているといいます。
 つまり、それほど意識しなくても、ある程度の人たちは知らず知らずのうちに、リフレクションをしているということになります。
 そして、著者は、今まで数多くのインタビューをしていて、そこからもこのような本能的な傾向を読み取れるといいます。ただ、私としては、何でも進化論的に考えることには無理があると思っているので、そのへんは割引きして考えることも必要だと思っています。
(2022.8.28)

書名著者発行所発行日ISBN
Step Back 一歩引いて考えるジョセフ・L・バダラッコ 著、河野俊明 監訳丸善プラネット2022年6月30日9784863455269

☆ Extract passages ☆

 幸い私たち人間には一歩下がる本能が備わっているようで、単なる意志の力だけに頼る必要はない。恐らくこの本能は太占の祖先に出来するものだろう。初期の人類の中で、過去から学び、未来の計画を立てることができた者が生き残る町能性が高く、その生き残った人類がやがて私たち人間へと進化した。このような本能的な傾向を示す証拠として、世界中の多くの文化や伝統がリフレクションを実践するための独自の技を編み出している点が挙げられる。インタビューでも同じ方向性が示されている。
(ジョセフ・L・バダラッコ 著『Step Back 一歩引いて考える』より)




No.2098『昆虫学者はやめられない』

 この文庫本は、もともと2018年4月に新潮社から刊行されたものに、加筆し、再編集したものだそうで、とても興味深く読みました。
 ただ、昔は大学院を修了後、そのまま大学で助手などとして採用され、そして准教授や教授となることが多かったのですが、最近では修了後にポスドクの期間を経てから大学教員などとして採用されるのが増えているようです。私の知り合いにも、海外でポスドクを10年以上もしながら、なんとか大学の教員に滑り込んだのがいます。
 しかも、ポスドクの場合は期限付き雇用ですからとても不安定で、いつも次のポジションを考えていたのが今も印象に残っています。だも、この本の著者は、そういうことをみじんも感じさせず、ただ好きな昆虫学者をしている、というのがとても印象的でした。
 だから、「私はこれまで、様々な書籍出版ないし講演会の際に、肩書として「博物館の無給研究員」と名乗っていたが、今年からは「在野の研究者」と言うことにした。単にカッ コ悪く思えてきたのと、それ以上に見虫の研究は肩書などなくてもできる「生き方」であることを、世間に広く知らしめようと思うようになったからだ。わからないことをわかりたい、その好奇心を持つ限り、人は誰でも「昆虫学者」になれるのである。」と書いてあったのは、ある意味、すごいことだと思いました。
 私も植物が好きで、植物研究者とのお付き合いもたくさんありますが、私もこれからは「在野の研究者」と言おうかと思ったぐらいです。ただ、困るのは、たとえば植物標本を見たいと思っても、研究者ではないので、なかなか見せてもらえないことです。だから、このような時は権威のある大学の研究者といっしょに行き、見せてもらうしかないのです。それでも、イギリスのある研究所に行ったら、ダーウィンがビーグル号で航海したときにつくった標本を見せてもらい、だただ感激したことを覚えています。
 そういう研究者と海外に植物調査に行くと、やはりその地区の大学などの研究者たちといっしょでなければ、目当ての植物を見つけるのも大変です。だから、この本のなかで、「東南アジアに、ハナカマキリという有名なカマキリがいる。外見がランの花そっくりな姿をしており、特に幼虫期の外見は花そのものにしか見えず、とても美しい。ひと昔前の、外国産昆虫を紹介するような図鑑を見ると、このカマキリがランの花の上に止まって獲物を待つ写真が高頻度で掲載されている。これを見て、ハナカマキリという虫の存在を知る日本人は10人が10人、この虫は花に紛れて獲物を捕るために自身を花に似せたのだと思う。しかし、実はこれらの写真は全部ヤラセと思っていい。当時、写真家が広大なジャングルの中から、限られた現地滞在期間内にハナカマキリを自力で見つけてくるなど、まず不可能だった。……だから、写真家はあらかじめ現地人に頼んで、撮影用のハナカマキリを捕獲のうえ生かして確保しておいてもらう。……だから、虫だけポンと渡された写真家は、本来どういう環境にいるかも分からないその虫を、いかにも自然の中で偶然見つけるべくして見つけたかのように撮影せねばならなかったのだ。そんな状況下、東西南北どこからどう見てもランの花そっくりの虫を自然っぱく撮影するとなれば、ランの花に乗せるのは致し方ないやり方だったに違いない。」と書いていて、私もなるほどと思いました。
 このハナカマキリは、著者自身も十数年間、東南アジアに行ってはいるものの、野外で生きたハナカマキリを見たのはたった2回だそうです。
 そういえば、私の経験では、中国四川省の峨眉山で木に着生するシャクナゲ「デンドロカリス」を見たいと四川大学の先生にお願いし、その場所まで連れて行ってもらったことがあります。あの木のあの枝といわれても、10mほど先の小さなシャクナゲはなかなか見つけられなかったのです。最後は、望遠レンズをつけて、やっと確認し、写真を撮ることができました。
 つまり、たった一人であの峨眉山に登ったからといって、見つけられる可能性は限りなくゼロに近いわけで、だからこそ、地元の人たちの協力が必要なのです。
 下に抜き書きしたのは、カラスについての話しです。
 著者もそうですが、解説を書いているヤマザキマリさんもカラスが大好きだそうで、私自身も小学生のころに負傷したカラスを飼っていたことがあります。もちろん、その当時も野鳥を無断で飼うことはできないと聞き、近くの交番に聞きにいくと、負傷して飛べないなら仕方ないから治るまでということで飼育したのです。私が学校から帰ってくるのがわかるらしく、鳴き声が聞こえると私も急ぎ足になったぐらいです。
 どのぐらいの期間飼っていたのかは覚えていませんが、治ってから野外に放すと、1週間ぐらいは帰ってくると近くの木の枝にとまって鳴いていました。でも、それからは、ふと気配を感じたことはありますが、私はそのカラスを識別できなかったので、そのままになってしまいました。
 著者の話しを聞いて、そのときのことを思い出しました。
 そういえば、カラスが屋根の上からホウノキの実を転がして、地面に落ちる寸前にキャッチするという遊びをしていることも思い出しました。さらに、マダガスカルで「ムナジロガラス」というのを見たら、首周りと腹にかけてが白い羽毛で覆われていて、カラスは黒いと思っていたことは間違いだったと気づいたこともありました。
(2022.8.25)

書名著者発行所発行日ISBN
昆虫学者はやめられない(新潮文庫)小松 貴新潮社2022年7月1日9784101041216

☆ Extract passages ☆

 カラスはとても賢く、その時の状況によって柔軟に行動を変えることができる。目的を果たすための選択肢をいくつも持っているから、他の鳥に比べて、生きるためとか自分の子孫を残すためとか、生物として最低限やり遂げなければいけないこと以外のことをする余裕がある。無駄なことをできるようになったわけである。時々、テレビのワイドショーなどの「おもしろ動物映像」みたいなコーナーで、カラスが公園の滑り台に登って滑る映像が流れることがある。餌を探すわけでもなしに、木の枝にさかさまにぶらさがったり、強風の吹き荒れる危険な天候の日に、ビルの屋上など高いところから舞い上がり、数秒間風に逆らいつつ浮遊する様を見ることもある。カラスが自分の遺伝子を後代に伝え残す上で、滑り台から滑り降りたり、荒天のなか、宙に浮かばねばならぬ必然性など、本来ならまったくないはずである。要は、ただ楽しいからやっているだけの無意味な行為で、人間の世界でいう「遊び」である。遊んで暮らせるほどの余裕が、カラスにはあるのだ。
(小松 貴 著『昆虫学者はやめられない』より)




No.2097『戦時下の日常と子どもたち』

 ロシアがウクライナに侵攻して、半年が過ぎましたが、いまだに終わりが見通せない状況が続いています。でも、マスコミなどの報道で、戦争に関わりない女性や子どもたちの命や生活の悲惨さが伝えられるたびに、憤りさえ感じます。しかも、それを報道する当事国の正反対の言葉に、むなしささえも覚えてしまいます。ビスマルクは、「人が決まってウソをつくとき。それは狩りの後、戦争の最中、そして選挙の前。」といいましたが、まったくその通りです。
 それで、図書館でこの本を見つけたので、読むことにしました。しかも、今年の8月15日の終戦記念日は77年目で、考えるにはいいときだと思いました。
 この本は、昨年の12月15日に発行されたもので、まさかウクライナ侵攻があるとは、世界中のほとんどの人が考えなかったことですが、それが現実に起こった今こそ、戦争と子どもたちのことを考えるべきだと思います。たとえば、この本に、16歳から18歳の少女たち150人が補助看護婦の「挺身隊」として招集され、終戦後にシベリアに抑留されたときに、「ロシア人の子どもたちから「ヤポンスキー(日本人)! ハラキリ!」と言われて、石が投げつけられた。子どもたちに罪はない。日本でも「チャンコロ・チャンチャンボウ」(『爆弾三勇士』高踏社、1932年)とか「これが敵だ!野獣民族アメリカ」(主婦の友社、1944年雑誌表紙)に書かれていた。戦時の国家権力は必ず嘘をつき、「敵国」の人々を罵倒する。だが、敗戦と同時に、国家はアメリカ人を救世主のように崇めた。」と書いてあり、たしかに子どもたちに罪はないと思いました。
 それよりも、このように子どもたちを教育すれば、その思いは大人とは違い、長く意識のなかに残るはずです。だとすれば、これぐらい罪深いこともないはずです。
 これは今もほとんど変わらないようで、ロシアとウクライナの発表を聞いていても、真実は1つしかないのに、真逆の発表がなされています。この本では「政府の発表報道は嘘が多い。特に戦時では九割が嘘であった。」と書いてあり、たしかにそうだと思いました。でも、怖いのは戦時だけでなく、日常でもこのような発表や報道があり得ることです。
 しかも、嘘の発表報道をすることよりも、釈明すらしないこともありますから、私たちは自分で情報を選び取ることを考えなければならないと思います。
 この本には、子どもが自分で短波ラジオを作っていろいろなことを知ったり、戦後は電気パン焼き器を作ったという15歳の科学少年の話しも載っていました。
 ただ、軍事機密というのは、幅があるので、いかようにも解釈できるのが怖いところです。この本にも軍事機密に触れたところがあり、「1939年に軍事機密保護法が出され、俯瞰撮影が禁止された。20メートル以上の上から下を写してはならず、スケッチも禁止された。違反するとスパイと看做された。列車窓から海を見ることが禁止され、「自主的」に浜側の窓の鎧戸を下ろし、沖合の軍艦を見ないようにした。」とあり、今考えるとなぜと思うものもあります。
 そういえば、初めて中国に行ったときには、車にガソリンをつめるときには、全員がガソリンスタンドの入口で下ろされ、出口で待っていたこともありました。なぜと聞くと、ガソリンの保有量がわかると困るからという話しで、ちょっとびっくりしたことがありました。
 おそらく、あまり意味のないことでも、制限をかけることに意味があるのかもしれず、争うということは大変なことだと思います。
 下に抜き書きしたのは、戦争になると国はなりふり構わず心まで捜査しようとするそうです。
 話しのきっかけは、妹尾河童氏のことですが、彼は神戸市に生まれたので、その当時は国際都市でもあり、どこの国の人とでも自然につきあっていたといいます。しかし、戦争になると、個人より国籍を意識するようになったそうです。
 つまり、戦争が国と国を分断し、人々を差別し、意図的に分断させるということで、だからこそ、なかなか戦争を終わらせることができなくなるようです。今まで、相手国の多くの人の命を奪い、明日から仲良くしようとしても、それはお互いに無理な話です。
(2022.8.22)

書名著者発行所発行日ISBN
戦時下の日常と子どもたち佐々木 賢清土社2021年12月15日9784791774340

☆ Extract passages ☆

 戦争をするには、国が庶民に「敵を憎む」ように心の操作をする。人種差別と優性思想(人種や民族や個人に生まれ付きの優劣があり、優秀な人材を多くすれば社会がよくなる、という偏見)を利用する。戦時中に「鬼畜米英」との標語があったのを思い出す。
 ナチ政権は1936年のベルリン・オリンピックで、国威高揚のために、「ロマ(以前は「ジプシー」と呼んでいた)」の人々を一斉検挙し、スウェーデン人、チェコ人、 ユダヤ人、ロシア人を追放した(レニ・リーフェンシュタール監督「民族の祭典」参照)。
(佐々木 賢 著『戦時下の日常と子どもたち』より)




No.2096『国連安保理とウクライナ侵攻』

 ロシアのウクライナ侵攻は、なかなか終わりが見えないのですが、やはり戦争ですから、簡単には終結しないようです。フランスの政治家であるクレマンソー氏は、「平和を手に入れるより、戦争を始める方がはるかに易しい」と言ったり、ロシアのフルシチョフは、「戦争は小銃の偶発から始めることができる。しかし戦争を終結させることは、経験豊かな国家指導者でさえ容易な事ではない。流血をとどめるのは、ただ理性だけである。」と言ってますが、今の状況を見ると、なるほどと思います。
 ただ、このような状況で、国連の安保理は何をしているのかと思っていたら、この本を見つけ、即、読むことにしました。
 よく知らなかったのですが、旧ソ連の共和国だったウクライナには、旧ソ連の1000発以上の核弾頭を配備していたそうで、ソ連が崩壊したときに米英ロの3ヶ国とさらに中国とフランスの2ヶ国も加わり、1994年12月にハンガリーのブダペストでこれらの核を放棄することを引き換えに安全保障をすると約束したのが「ブダペスト覚書」です。この本から引用すると、「内容を簡単に要約すると、ウクライナが非核保有国として核兵器拡散防止条約(NPT)へ加盟、領土内に現存するすべての核兵器を廃棄する。その代わりに米英口はウクライナの独立、主権と領土の保全を尊重し、もし外部から攻撃を受けたら安保理に持ち込み、解決を図ると約束していた。要は自分たちが戦争を仕掛けることはなく、もしほかの国から侵略を受けたら味方するということである。」と文書で保証していました。
 ところが、ロシアは、「2014年の政変で政権が変わった以上守る必要がない」として侵攻し、中国外務省報道官は覚書について「安全保障には内容の制限がある」と話し、つまりはウクライナにすれば「ブダペスト覚書」をまったく反古にされてしまったていうことです。しかも、安保理の常任理事国であるロシアが侵攻したのですから、当然のことながら拒否権を行使するわけです。つまりは、国連としては何もできないということになります。しかし、それでいいのだろうか。
 今回のロシア侵攻で、欧米などが一番最初にしたのは経済制裁で、この目的は「その国の戦争を継続する能力を奪うことだ。具体的には戦争遂行に関係する「モノ・カネ・ヒト」の流れを遮断する。まず行われるのは兵器や兵器材料などの物資の輸出の禁止や制限だ。しかしロシァは兵器輸出大国なのでこれはあまり意味がない。次に、金融機関が外国で米ドルや英ポンドでの取引をできないようにしたり、資金調達を制限したりする。これがいわゆる金融制裁だ。世界の基軸通貨ドルを握っている米国だからできる制裁ともいえる。現在も国際的な決済の四割は米ドルで行われているのだ。これが今回の対口制裁でもっとも有効だと考えられていた。さらに政府要人や軍の幹部、軍需産業の幹部らに渡航禁止や外国での資産を凍結し、懲罰を与える。これで効かない場合はその国の経済を直接揺さぶる手段をとる。」と書いてあり、さらに戦略物資である原油や鉱産物などの禁輸措置などですが、ロシアは資源大国ですから石油や石炭、天然ガスなどを止められても、痛くもかゆくもないわけです。ただ、それらを輸出できなくなれば、資金がなくなり戦争を継続できなくなります。
 やはり、なるべく早く侵攻をやめ、殺し合いをしないことですが、これはマスコミを見ているだけで本当のことはわかりませんが、とても難しいことだと思います。広島や長崎に原爆投下された日の前後に、ウクライナ南部のザポリージャ原発への攻撃を巡りロシアとウクライナ双方から攻撃されているというショッキングなニュースが流れました。戦争は、お互いに相手を攻撃するので、誰にも本当のことがわかりません。ただ、もしこの原発が破壊されれば、ヨーロッパ全体だけでなく、地球そのものが危険にさらされてしまいます。
 下に抜き書きしたのは、台湾の問題です。
 このウクライナ侵攻によってロシアは世界から非難されるだけでなく、孤立化しつつあります。一時は、これで中国は台湾へ侵攻するのではないかと思われましたが、今ではこれらのマイナスの状況をみて、すぐにはないだろうと私も思います。
 ただ、世界の動きは、誰にもわかりません。おそらく、独裁者といえども、どのようになるかは読めないと思います。だから、何もしなくていいわけではなく、今できることをしっかりとやるしかないと私は思っています。
(2022.8.19)

書名著者発行所発行日ISBN
国連安保理とウクライナ侵攻(ちくま新書)小林義久筑摩書房2022年7月10日9784480074911

☆ Extract passages ☆

 ウクライナ侵攻後、米国内では台湾への支援を拡大すべきとの声が相次ぎ、中国にとって逆風が強まっているといえよう。中国自身もロシア軍の苦戦、国際批判の激しさ、欧米からの厳しい対口制裁をみてたじろいでいるとみられ、ただちに台湾統一に乗り出す可能性は低くなったとの見方が強い。しかしある日本の外交官は「中国にとっては台湾統一はゆるがせにできない目標。決してその旗を降ろすことはない」と指摘。ウクライナ侵攻の影響で短期的には可能性が低くなったとしても、中国が台湾統一をあきらめることはありえないと語った。
(小林義久 著『国連安保理とウクライナ侵攻』より)




No.2095『日本のいいもの おいしいもの』

 著者のケイリーン フォールズ(KAILENE FALLS)さんは、まったく知らないと思っていたら、読んでいるうちに、なんとなくどこかのテレビ局のリポーターで見たことがあるような気がしてきました。イラストがとてもおいしそうで、食べて見たくなります。
 それと、日本の良さというのは、日本人にとっては当たり前だと思っていたのが、外国の人の目を通して見ると、日本独特のものだったりします。たとえば、フルーツパーラーというのは、外国から入ってきたような雰囲気はありますが、この本では「日本の独特な文化」と書いてあり、そういえば海外ではあまり見たことがないと思いました。
 もともと果物は、海外ではあまり高級品という扱いではないようで、日本のようにきれいに並べて売っているところもあまりないようです。だからこそ、日本の果物は、きれいというだけではなく、美味しいし、まさに高品質・高価格です。でも、このような風習が高級な果物の栽培へとつながっていったようです。だから、著者も、「味から見た目までこだわりが強いので、今は果物を高級なものとして考えるようになりました」と書いています。
 また、外国から日本に来て、「あんこ」が苦手という人が多いと聞きますが、この本では、欧米では豆はあまり甘くして使わず、しょっぱい料理でしか食べないので、少し抵抗があるのではと書いていますが、それはたしかにありそうです。以前、豆の本を読んだことがありますが、海外ではたくさんの豆の種類がありますが、料理法は意外と同じでした。日本のように甘く煮るということもほとんどないようで、だから小豆を甘く煮たあんこというのには、なじみがないのかもしれません。
 それでも著者は、このあんこは、「和菓子には欠かせない存在で、優しい食感と甘い味がいろいろな組み合わせによく合います」と書いてあり、おそらく今では大好きになったようです。
 あんこといえば、和菓子ですが、そのなかでも上生菓子は季節感もあり、美味しいものです。著者は、「抹茶はお湯でたててそのまま飲むとすごく苦くて、私には正直飲みづらいとも思います。練切も同じように、それだけで食べると甘すぎます。けれど、ペアリングすると苦味と甘味バランスが取れて絶妙な美味しさになります。」と書いていて、この本は日本語だけでなく英語でも書いてあるので、海外の人たちも読めます。ということは、日本の文化をよく知ってもらうきっかけにもなる本ではないかと思いました。ちなみに、この抹茶の部分の英語は、「Traditional matcha is prepared with only matcha powder and hot water. lt is very bitter and difficult to drink by itself. Therefore, it is nearly always served alongside some kind of traditiona Japanese sweet. The dessert by itself is too sweet. The matcha by itself is too bitter. However together, they balance beautifully.」です。
 この本を読むと、日本から海外に日本文化を発信することも大切ですが、海外に日本のファンを増やすことも大事だと思います。つまり、今まであまりにも当たり前だと思っていたことも、外国の人たちにとってはすごく珍しいことだってあります。たとえば、私も経験したことがありますが、イギリスのパン屋さんなどは、品数が少なく、日本のような菓子パンはあまりありません。さらに日本のパン屋さんには総菜パンなども多く、見ているだけでも食べたくなるものばかりです。
 ただ、日本のパンは柔らかく、ちょっと甘めのものが多いので、それを嫌う人もいるのは仕方ありません。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」に書いてあるもので、その右のページにはその三色団子のイラストが載っています。
 たしかに、コンビニの三色団子も美味しく、旅に出て近くにお菓子屋さんがないときには、私もコンビニで和菓子を買います。ただ、残念ながら地方色がないので、その地でしか食べられないような和菓子を探すようにはしています。
 ただ、これだけコンビニに洋菓子や和菓子が並ぶと、既存のお菓子屋さんはたいへんではないかと内心、心配です。というのも、お菓子に季節感と同じように地方色がなくなればと思うからです。
(2022.8.16)

書名著者発行所発行日ISBN
日本のいいもの おいしいものケイリーン フォールズ朝日新聞出版2022年6月30日9784023347120

☆ Extract passages ☆

 私が初めて描いた水彩フードイラストは2018年に描いたコンビニの三色団子です。あまりにも楽しくて、日本の食べ物をいろいろ描いてみたいと思いました。気軽に始めた趣味で、日本の食文化のいい・おいしい奥行きを徐々に知って、いつの間にか食べものの絵だけで作品が数百枚を超えました。
 この本はフードイラストをまとめたアートブックというだけではありません。アメリカ人の私が来日して、日本の食文化や歴史について気づいたこと、思ったこともまとめた本です。
(ケイリーン フォールズ 著『日本のいいもの おいしいもの』より)




No.2094『古今東西スイーツ物語』

 旧盆のあいだは、いつお客さまがいらっしゃるかわからないので、このようなどこで読み終わってもいいような本が最適です。しかも、大好きなスイーツに関してですから、いくら忙しくても、読み続けられます。
 第1章は「世界のスイーツ物語」で、先史時代や古代エジプトやギリシャ、ローマ時代から近代や現代まで、お菓子や歴史的背景まで、多方面にわたり書いています。そして第2章は「日本のスイーツ物語」で、神代の時代から令和の時代まで、お菓子に関するさまざまなことを書いていて、飽きることはありませんでした。
 そういえば、お菓子という文字は、果物の「果」の上に草冠がのっているので、もともとは山野にある木の実や果実をお菓子のように食べていたと思っていたら、主食の合間、つまり間食用に食べていたのが引き継がれているのだそうです。だから、今でも10時とか3時のお茶受けというニュアンスがあるとも書かれていました。
 インドに行った時、路上でサトウキビを売っていましたが、この本には、砂糖はインド由来のもので、「マケドニアのアレクサンドロス大王は紀元前327年、インドに送った遠征隊の司令官から「インドでは蜂の力を借りずに葦の茎から蜜を採っている」との驚きの報告を受けている。砂糖黍との出会いである。そしてそれ以降これは「インドの塩」、「葦の蜜」などと呼ばれて広く世を席捲していくことになる。なお、英語で sugar、フランス語で sucre(シュクル)、ドイツ語で Zucker(ツッカー)の語源が、東インドで砂糖を意味する sheker、あるいはサンスクリット語の sakara であることも、砂糖の基点がここにあることを示している。」と書いてあり、おそらくこのサトウキビが初めて入ってきたときにはその甘さにビックリしたのではないかと思います。
 私も何度かサトウキビをかじったり、つぶしてジュースにして飲んだこともありますが、あの甘さは独特です。それが蜂蜜の甘さしか知らない人にしてみれば、やはり驚いたとしか思えません。そこから、一気にお菓子の世界がかわっていったのは当然です。
 そういえば、昔は西洋料理といえばフランス料理でしたが、それが明治3年に明治天皇が「これからの重要な宴席料理はフランス式に」との方針を打ち出したからとのことがきっかけだと書いていて、いつの時代のツルの一声というのはあると思いました。でも今は、西洋料理というよりは洋食というのが多く、日本料理というのも和食というのが多くなったような気がします。それに従って、西洋菓子というのも洋菓子となり、日本のお菓子は和菓子といい、私がFacebookのグループに入っているのも「和菓子の会 society of Japanese confectioneries」です。
 その趣旨は、「季節感があり、食べる芸術品である和菓子に関する情報交換の場」として位置づけられています。
 私は和菓子も洋菓子もどちにも好きなので、和菓子の場合にはお抹茶や煎茶で、洋菓子の場合はコーヒーや紅茶で楽しみますが、どちらかというと、和菓子を食べる機会のほうが多いようです。
 下に抜き書きしたのは、ボーロとカステラのことについてのものです。
 まさか、1つの言葉が別々に表記され、別々なお菓子になったと知り、いささかビックリしました。しかも、旧盆前に、京都中京区姉小路の「川道屋」の蕎麦ぼうろをいただいたので、食べたばかりでした。
 ボーロにもいろいろあるとは知ってましたが、このように書いてもらうと、たしかに地域色もあり、楽しいと思います。
 ちなみに、カステラはやわらかい食感で抵抗なく受け入れられたようで、長崎の山口屋(後の松翁軒と改称)や福砂屋などが最初に手がけたようで、私が好きな福砂屋は安永4(1771)年に6代目大助のときに長崎の現在地に移り、今日まで続いているとのことです。
(2022.8.14)

書名著者発行所発行日ISBN
古今東西スイーツ物語吉田菊次郎松柏社2022年5月31日9784775402863

☆ Extract passages ☆

元々カスティーリャ・ボーロ(カスティーリャのお菓子)というひとつの名で日本に入ってきたものの、どうしたわけか上と下の語が分かれて歩き出してしまった。上の方はカステラとしてスポンジケーキそのままに、下の方は、落し焼きのように小さな形で焼かれていった。容積、面積小さければ自ずと乾燥気味に、ちょうど一ロサィズのクッキーのように焼き上がる。いわばカステラのビスケットヘの先祖帰りといったところか。これが九州から四国を経て京の都に伝わるにつれ、ゴマが入ったり、花型の型取られたり、丸くなったり、あるいはそば粉を加えてそばぼうろの名が付されたりと、いろいろな変化がもたらされていく。
(吉田菊次郎 著『古今東西スイーツ物語』より)




No.2093『旅のことばを読む』

 この本の書き出しに、「ひとつの旅は、計画や準備(前)、旅そのもの(中)、想い出(後)と三回楽しめる。とはいえ、いつもいつも旅をし続けるわけにはなかなかいかない。そこにプラス1。普段の暮らしのなかで旅に入っていけるのが、いつかどこかへの旅を読むこと。この旅を読む楽しみを加えて、3プラス1と思うようになった。プラス1のよいところは「どこかに行きたいな」状態で、とくに具体的な行先が決まっていないことが多いこと。だから、列車やら食事やらといった旅のパーツを気にせず、未だ見ぬ土地に想いを馳せられる。旅の楽しみは3プラス1なのだ。」とあり、たしかに旅に出たいと思いながら悶々としているより、いつか、このような旅をしたいと思いながら旅関連の本を読むのもいいかもしれないと思いました。
 私はどちらかというと奥地への旅が好きで、さらにそこに植物を訪ねるというのがあれば、強く興味を持ちます。今までも中国雲南省やミャンマー、インドやネパールなどの奥地です。もし、もう1回しか海外に行けないという状況になれば、36年前に行ったブータン王国にはもう1度行ってみたいと思ってます。
 この本のなかに、「近代になると、未知の地は空白として描かれ、正直な地図になっていった。そして徐々に科学的測量によつて空白が縮小していく。アジア、アフリカ、新世界の空白を埋めていったのはヨーロツパだ。空白だった土地には名前がなく、その所有権を主張できぬ先住民をよそに、探検し測量し、空自でなくなった地に命名し、自らのものだと一方的に宣言した。まさに、まったくかわいくないウソだ。仏領アルジェリア、ベルギー領コンゴ、ポルトガル領アンゴラなどなど。大英帝国が膨張した十九世紀、時の女王ビクトリアの名を冠した都市、湖、滝、島が生まれ、いまでさえ世界のあちらこちらにたくさんある。闇に包まれている先住民を「文明化」すると表明した行為の結果は、資源搾取、奴隷化、そして植民地化だった。」と書いています。そして『オン・ザ・マップ 地図と人類の物語』の作者サイモン・ガーフィールドは、このことを「真の暗黒時代の到来」といいます。
 そういえば、ミャンマーにシャクナゲを訪ねて行ったときに、ナマタン国立公園の最高峰はビクトリア山で、標高3,053メートルです。これはチン州では最も高く、ミャンマーでは3番目に高いそうです。そのような名山であっても、今も「ビクトリア山」といいますから、いったん付けられた名前というのはなかなか変更できないようです。
 でも、地図帳を広げたり、地球儀を見たりすると、たしかに不自然に国境が直線だったり、ギザギザだったりします。本来ならば、山なりだったり、川の流れが境だったりすれば、ほとんどが曲線になるはずです。その不自然さが、ヨーロッパ列強の植民地化された結果だとすれば、その土地のもともとの住民にすれば暗黒の時代だったのは無間違いなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、この本を読んで、さてどこへ行きたいかと考えたときのものです。
 それはカレル・チャペックの本で、小さな美しいものに惹かれる優しい表現です。でも、後ろの「旅のためのブックレビュ−」を読むと、ちょっぴり辛口の論評も添えてあると知り、さらに太めの線描によるイラストがたくさんあるということで、興味をそそられました。
 なによりも、植物の名前がたくさん出てくるそうで、いつかは読みたいと思います。
(2022.8.10)

書名著者発行所発行日ISBN
旅のことばを読む小柳 淳書肆梓2022年6月10日9784910260020

☆ Extract passages ☆

 ことばの豊饒さとお茶目な語り口で、ニコニコしながら著者と街歩きをしているような気分になる。ぐぅ―ん、とクローズァップして花や草や柵や教会や町屋や公園やそして人々を具体的に、そう、一般名詞だけでなく植物の名、タイルやレンガの固有名詞で次々と描写していく。スペイン、セビーリャならこうだ。マジョルカ焼きのタイル、ファヤンス焼きの噴水、芭蕉と棕櫚とフェニックスの長い葉のアーチ、フィロデンドロン、ヤツデ、君子蘭、ユッカ、シダ、ベゴニアとカメリア、夾竹桃、紫露草。小さなパティオ(中庭)を描写するだけでこれでもかこれでもかと目に映る名前が続く。かと思うと、北欧やブリテン島では、パッと視界を広げて山々や草原や氷河の大風景が現れる。
(小柳 淳 著『旅のことばを読む』より)




No.2092『かんたん識別! 身近なチョウ』

 図鑑というと、植物図鑑はいつもお世話になっていますが、野鳥図鑑などは年に数回程度見ています。でも、チョウチョの図鑑は持っていないからか、本屋さんで見るだけです。
 この本は、たまたま図書館で見たときに、今年の春に小町山自然遊歩道で「オオムラサキ」の幼虫を見たという方がいて、それを思い出しました。成虫はなんどか見ていますが、幼虫となるとほとんどわかりません。それでこの本をパラパラと開いて見ると、チョウチョもおもしろそうだと思い、借りてきたのです。
 とくに本の後ろに載っていた「原寸大標本カタログ」は、その大きさを比較できて、新しい発見もありました。
 たとえば、ここ小町山自然遊歩道でも「ヤマトシジミ」は見たことがありますが、名前を調べたときに、それと似ている「ルリシジミ」があり、比べたことがあります。この本では、少し「ヤマトシジミ」のほうが小さいと知り、この次に出合ったときにはすぐにわかりそうです。
 この本のなかで、「チョウのおすすめ観察法」が載っていて、先ずは吸蜜シーンを狙うとあり、そのためにもチョウの行動を知らなければならないわけです。それを「吸蜜だけでなく、樹液の吸汁(ゴマダラチョウなど)や水たまりなどでの吸水(カラスアゲハなど)、占有行動や日光浴、葉の上での静止、交尾など、チョウのさまざまな行動を知ることが、観察の技をみがく王道だ。経験を積んで目が慣れてくれば、同じように見えていたえていたチョウの飛び方も、種類や雌雄によって違うことに気がつくはずだ。」と書いてあり、先ずは知ることから始めないとと思いました。
 もともと、毛虫の仲間はあまり好きではないので、なるべく避けていましたが、考えてみればその成長のサイクルがわからなければ興味も持てません。
 下に抜き書きしたのは、チョウの一生を記したものです。
 たしかに、考えてみると、植物は好きなのでよく写真を撮りますが、そこにはチョウなどもやって来て、いっしょに写り込むときもあります。そうすると、そのチョウの名前を知りたくなり、そのチョウの生態を知りたくなります。そうして、自然のサイクルのおもしろさにひかれていきます。
 たまには、本を読むだけではなく、本を見る、つまりこの本のような図鑑もおもしろいと思いました。たしか、この『本のたび』は、写真集の『世界の窓 〜Windows〜』から始まったのですから、ときどきは写真集や図鑑などを見るということも楽しそうだと改めて思いました。
 おそらく、この本は子どもたちの夏休みに見てもらおうと出版されたようなので、早めに図書館に返し、多くの子どもたちにも見てもらいたいと思います。
(2022.8.6)

書名著者発行所発行日ISBN
かんたん識別! 身近なチョウ森地重博・清水聡司・奥山清市文一総合出版2022年6月12日9784829972403

☆ Extract passages ☆

 チョウは「完全変態」といって、卵・幼虫・蛹・成虫の4つの段階を経て育つ昆虫である。一方、トンボやバッタなどの不完全変態の昆虫は、幼虫と成虫の間に「蛹」の段階がない。卵から孵化した幼虫は、チョウとは似ても似つかないイモムシやケムシで、何度かの脱皮の後、蛹になり、やがて幼虫から大きく姿が変わった成虫が羽化してくる。成虫になると、オスとメスは交尾をし、卵を残すことで次の世代へと命をつないでいく。
(森地重博・清水聡司・奥山清市 著『かんたん識別! 身近なチョウ』より)




No.2091『日本の絶滅危惧知識』

 この本は、「百年先まで保護していきたい」と表題にあり、今では知っている人も少なくなったような日本古来の風習をゆるっと解説してあり、監修は国立歴史民俗博物館の名誉教授の新谷尚紀さんです。
 この本を作るきっかけになったのは、お母さんが南天をモチーフとしたブローチを、「難を転じるから縁起がいいね」と言った一言だそうです。そういえば、日本のしきたりや風習などは、縁起にまつわるものが多く、おそらくは日本が災害の多い国だからなのかもしれないと思ったりしますが、どちらにしても幸せになりたいというのは皆の願いでもあります。
 だとすれば、これらのことを絶滅させていいとは私も思いません。なるべくなら、孫たちにも伝えて行きたいと願っています。
 たとえば、私は毎日お抹茶を夕食後にいただいていますが、これには和菓子がないと味気ないものになってしまいます。甘味というだけでなく、四季折々の風情が菓子にも込められていて、見ているだけでも楽しくなります。そういえば、6月16日は「和菓子の日」だそうですが、この由来は、この本によれば「仁明天皇の時代に疫病がひどく流行したため、年号を「嘉祥(かじょう)」と改め、神前に16個の菓子を供えて祈願したところ、流行が無事におさまったといわれている。江戸時代には16個の菓子を16文で買って無言で食べるという風習が広まり、今でも一部の神社では和菓子を神前に奉納する行事が行われている。」ということです。
 そういえば、新型コロナウイルス感染症が広まりつつあった一昨年前に「アマビエ」という和菓子があちこちのお菓子屋さんから売り出されましたが、昔から疫病が流行ったりすると和菓子に何かを託したのかもしれません。
 でも、大きさにもよりますが、16個の菓子を食べるというのは、なかなかたいへんなようです。
 下に抜き書きしたのは、「山笑う」という春の季語についての話しですが、さらに夏の「山滴る」、秋の「山装う」、そして冬の「山眠る」と続きます。
 この本によれば、「冬景色から一変して草木が芽吹き、色とりどりの花で華やぎだした春の山を「笑う」と擬人化するとは、なかなか粋で気の利いた表現ではないか。……夏の「山滴る」というのは新緑が滴るようにみずみずしい夏山の様子のこと。「山粧う」は、紅葉で山が美しく彩られた姿を、「山眠る」は眠るように静まり返った冬の山を表現している。 いずれも「山笑う」に負けず劣らず詩的で、まさに日本的な表現と思いきや、実際は日本発祥ではなく中国からきたものだという。」と書いてあり、その由来となったのは北宋の山水画家、郭熙が記したものだそうです。それを抜書きしました。
(2022.8.4)

書名著者発行所発行日ISBN
日本の絶滅危惧知識吉川さやかKKベストセラーズ2022年6月30日9784584139851

☆ Extract passages ☆

「春山澹冶にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として睡るが如し」という一節。このいかにも画家らしい絵画的な言い回しが日本の言葉のなかにも取り込まれ、季語として今もなお受け継がれているのだ。
(吉川さやか 著『日本の絶滅危惧知識』より)




No.2090『アフリカにょろり旅』

 この本は、今回の秋田駒ヶ岳に登るときに持って行った本で、帰る前日から読み始め、帰ってきてからもおもしろくて読んだ本です。
 最初は、この題名からしてわからず、「にょろり」ってなに、と思いましたが、読めばすぐにわかりました。しかも著者は、あの有名な東大海洋研究所の「ウナギグループ」の研究者で、世界に18種しかいないのに最後の「ラビアータ」を見つける旅がこの本です。まさに昔のバックパッカーの旅そのものですが、まさに冒険や探検といっても不思議ではない分野の本のようです。
 でも、文章のところどころに研究者魂のようなものが垣間見えて、そういえば、私の知り合いで同じ東大の先生で、昔、フィールドワークをしていて、1日中汗だくで歩いていて、シャワーもないので、水たまりで身体を洗ったそうですが、朝になって明るくなってみると、そこは像の水浴び場だったという話しを聞いたことがあります。その話しを若い研究者がいっしょに聞いていて、今はそういう時代ではないと話していましたが、この本が出版されたのは2007年2月だそうですから、その当時のフィールドワークというのは、そのようなものだったのかもしれません。
 そういえば、この本のなかに、「私たちはどこの国へ行っても、まずマーケットに立ち寄る。そこへ行けば、ウナギの情報はもちろん、その国の食べ物や習慣、治安や経済状態、大げさにいえば文化そのものを理解することができるからだ。現地の生の音や色、そして匂いを全身で感じることができる。」という話しが載っていますが、私も2000年以前には、同じように中国雲南省の奥地に行くと必ずバザールにまわり、仏具などを物色して歩きました。そのときに手に入れた山サンゴなどは、今もときどき見て、昔ヒマラヤの高地も海で、それが隆起して海のなかにあったサンゴも今では山のなかから見つかるという話しを思い出したりします。
 まあ、ウナギも植物などをさがすのも、基本的には同じようなもので、だからとこかにシンパシーを感じるのかもしれません。
 そういえば、この本に野良象の話しが出てきますが、「湖の対岸の葦の中に、四頭の巨大なアフリカ象がそびえ立っているのが見えた。体は真っ黒で、大きな耳をバタバタと動かしている。百メートルは離れているため、鳴き声や息づかいは聞こえず、どこかテレビの画面を見ているようであった。一頭が高々と鼻を持ち上げ、象の基本ポーズをとった。…… 私もはしゃぐ。すると、アホは相手にしておれんといつた表情のカタヤが私たちを促す。村へ走れというのだ。何でも半年ほど前、この村は象に踏みつぶされたことがあるらしい。」と書いてあります。私も2018年の9月から10月にかけてインドのケララ州に12年に1度咲くという植物を見に行ったことがありますが、そのとき通った村のひとつが野良象に家をつぶされたり、人が踏みつけられたりした話しを聞きました。そこで泊まった部屋の窓枠は、刑務所のような鉄格子になっていたのを思い出しますが、象が本気になればあんな程度のものは簡単に壊して侵入するのではないかと思いました。
 ただ、本気で野良象を怖がっていたとは思えず、その翌日に河原で象の糞を見つけて、何枚も写真を撮りながら、これは比較的新しいと思ったりしただけで、近くにいるかもしれない恐怖は感じませんでした。
 下に抜き書きしたのは、「11待ちぼうけ地獄」のなかに書いてあったもので、海外で目的としているものが手に入らないと、その矛先をどこに向けていいのかわからなくなります。つい、その目的なるものを捨てて、帰国したくもなります。
 そして、日本に早く帰り、おいしい寿司やラーメンなどをたらふく食べたくなります。このような心理、実は私も味わったことがあり、他人事だとは思えませんでした。
(2022.8.2)

書名著者発行所発行日ISBN
アフリカにょろり旅(講談社文庫)青山 潤講談社2009年1月15日9784062762397

☆ Extract passages ☆

 私たちの心は、この時すでに擦り切れ始めていたのかもしれない。日本を出る時には、ラビアータを見たぃという思いと、困難に立ち向かう機会を得た喜びに満ちあふれていた。冒険への、非日常への好奇心ではち切れんばかりの心には、道行く人々の衣装の色や、どこまでも続く茶色の大地、風に向かつて立つ象の姿や水面を滑るユーモラスなカバの動き、日にするすべてが生き生きと感動的に映った。しかし、二ヵ月近くアフリカを放浪した今、それらはすでに当たり前の風景となっていた。残念ながら、私たちは「日常となった非日常」に、いちいち感動できる感性を持ち合わせていなかった。
(青山 潤 著『アフリカにょろり旅』より)




No.2089『アジアでくつろぐ』

 今回の秋田駒ヶ岳に登るときに持って行き、読んだ本です。
 副題が「ケチケチ旅行の達人が教える極楽一人旅」とあり、このなかの「一人旅」というフレーズに興味を持ちました。ただ、今から20年以上も前の本なので、今では昔はこんなこともあったのか、という箇所もいくつかありますが、今も参考になる旅のヒントが隠されてもいます。
 たとえば、海外での語学勉強の方法ですが、著者がベトナムに行った時に空港へ出迎えに来てくれたのが若い女性のハーンさんだそうですが、3ヵ月前から日本語の勉強を始めたばかりで、挨拶ぐらいの会話しかできないそうです。でも、「休み時間、ハーンさんはホテルの道路脇に椅子を出して日本語の勉強をする。小学1年生の漢字練習帳みたいなノートのQ&Aに、ていねいに答えを書き込んでいる姿は、まるで子どもが勉強するようだ。ボクの顔を見ると、初歩の会話を投げかけてくる。間違いを指摘すれば、正しく話せるようになるまで繰り返し発音のチェックを要求する。基本会話は30〜40語、漢字はまだ数十字しか書けないが、初歩だからと恥ずかしがらずに、根気よく勉強を重ねる。」とあり、やはり語学学習には簡単な方法はなく、子どもが言葉を覚えるように、わかるようになるまで話して覚えるしかなさそうです。
 たしかに、会話の基礎を練習するのは単調で退屈になるかもしれませんが、やはり、基本をみっちり身につけることが大切で、そのほうが上達も早いといいます。
 このような話しを読むと、私ももう少し海外に行くときにはその国の会話を勉強してからと思うのですが、特に今は新型コロナウイルス感染症の影響で海外に行く機会もなく、実際に行けるようになってからと考えてしまいます。でも、今は行けないからこそ、今のうちにしっかりと学んでおけばいいのではないかという気持ちもあり、それでもなかなかとっかかりがないままでいます。
 下に抜き書きしたのは、ラオスの人たちののんびりとした過ごし方は、ちょっと憧れます。
 おそらく、今の日本人はアメリカをお手本としているからこその忙しさで、私の少ない経験のなかでもアジアの人たちの日常にはゆったりとした時間が流れています。また、ヨーロッパの人たちの旅先での過ごし方も、ホテルでのんびりと本を読んだり昼寝をしたりしていて、朝からホテルを飛び出すのは日本人や中国人などのようです。
 私も今月上旬に泊まった旭岳温泉のホテルには、図書室や音楽を聴くリスニングルームなどもあり、ここならゆっくりできそうです。私も午前中は旭岳にロープウェイで上り、高山植物を見たり写真を撮ったりしてお昼過ぎに下山し、誰もいない温泉でのんびり過ごし、部屋で富良野産のメロンを食べながら、本を読みました。
 1回こういう過ごし方をしてみると、なかなかいいものです。
 これからはラオスの人たちのように、心豊かにのんびりと人生を生きていきたいと思いました。
(2022.7.30)

書名著者発行所発行日ISBN
アジアでくつろぐ(PHP文庫)長崎快宏PHP研究所2000年2月15日9784569573670

☆ Extract passages ☆

 ビエンチャンのメコン川沿いには、午前中はフランスパンのバゲットを売る露店が並ぶ。午後、屋台のレストランで悠々と食事をとる庶民の姿は、のどかで優雅な時間のつぶし方を熟知したラオス人の特長。隣国の人たちはこれをバカにするが、物欲にドップリと浸った先進国の人々には「豊か」に映るから不思議だ。心の豊かさと、物を持っていることは必ずしも正比例しないのである。
(長崎快宏 著『アジアでくつろぐ』より)




No.2088『日本の山と高山植物』

 7月25日から28日まで、秋田駒ヶ岳に登るときに、この本を持って行き、読みました。実は、7月1日から北海道の旭岳に登るために出かけたときも持っていったのですが、なかなか読めずに持ち帰ったのです。でも、今回は、天気にも恵まれ、26日に秋田駒ヶ岳に登り、撮ろうと思っていた植物をほとんど撮ってしまったので、ホテルでのんびりと本を読む機会が多かったのです。
 そして、この本もしっかりと読み切ってしまいました。
 ここ秋田駒ヶ岳もそうですが、7月初旬に登った旭岳にも、たくさんのハイマツが生えていて、高い山に行くとほとんどあると単純に考えていたのですが、この本によると、ハイマツは雪があるからこそ育つのですが、その積雪が多すぎても少なすぎてもだめだといいますから、微妙なバランスのなかで生育しているようです。このことを、「ハイマツは雪のつかないような稜線沿いでは生育が困難になってしまう。ごくおおざっぱにいうと、夏場、私たちがみるハイマツの樹高は冬の積雪深にほぼ一致しており、樹高からおおよその冬の雪の深さを推定することができる。ハイマツは強風地では地面すれすれに枝葉をのばしているが、その生育には少なくとも10cmくらいの厚さの積雪が必要であり、それ以下の場所では、生育することはできない。」と書いてあり、雪が多くても少なくても、ハイマツは枯れてしまい、そこに分布はしないといいます。
 たしかに、ハイマツの生育しているところをみると、雪が吹き溜まって遅くまで残っているようなところでは光合成ができなくて枯れてしまうし、雪が早く消えてしまうと葉先が低温や強風に合いやすく、これもだんだんと枯れてしまいます。そういうば、今年は里では大雪でしたが、山は意外と少なかったようで、ハイマツの葉が茶色くなっているのが多かったようです。それからも、自然の変化が読みとれると思いました。
 びっくりしたのは、「大陸氷河が成長すると、膨大な量の氷が陸上に畜えられるため、海に戻る水の量が減ってその分だけ海面が下がる。たとえば2万年前の最終氷期後半のピーク時には海面はマイナス130m程度まで下がっていた。」とあり、その地球のダイナミックな動きに驚きました。でも、この大陸氷河が成長するためには、毎年少しずつ雪が溜まり、それが氷河に変わっていくので、何万年もの長い時間がかかります。だから、ダイナミックとはいいながらも、少しずつゆっくりと変化するわけで、今の地球の温暖化も、気づくほど変わってしまってからでは遅すぎると思います。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「日本の高山植物の起源」のなかに書いてあったものです。
 しかも、旭岳でも、ここ秋田駒ヶ岳でも、たしかに高山植物といわれるものは、みるからに厳しい環境で生きていて、その姿を見ただけでも感動します。たとえば、コマクサなども、あの砂礫の何も生えていないようなところに、コマクサだけがポツポツと生えていて、生き強いように見えるのですが、それが避難所といわれると戸惑ってしまいます。
 でも、この本を読むと、納得できます。
 この本を読みながら、高山植物を見て歩いたからこその理解かもしれませんが、日本の山々の素晴らしさも合わせて知ることができました。
 後半の地質とか山の成り立ちなどのところは、学術的であまりおもしろくはなかったのですが、それが土台になってきれいな高山植物があるとわかり、読み進めることができました。
(2022.7.28)

書名著者発行所発行日ISBN
日本の山と高山植物(平凡社新書)小泉武栄平凡社2009年9月15日9784582854855

☆ Extract passages ☆

 高山のお花畑は色とりどりの植物が咲き乱れ、たいへん美しい。しかしこれも、本来はもっと広い範囲に生育していた高山植物が、ごく狭い範囲に押し込められたために生じた現象であって、いわば避難所と同じである。そこに棲む植物にとってはけっして望ましいことではない。
(小泉武栄 著『日本の山と高山植物』より)




No.2087『木下杢太郎 荒庭の観察者』

 この本は、平凡社の「STANDARD BOOKS」シリーズの1冊で、現在4期目で10冊程度は読んでいると思います。たしかに、その作者のもっともスタンダードな文章を載せていて、とても興味引かれる内容でした。
 この本も同じで、らしさが表れている文章ですが、木下杢太郎がハンセン病の世界的権威だったとは知りませんでしたし、そのきっかけとなる皮膚科に進むように助言したのは森鴎外だったとは意外でした。それでも、「パンの会の回想」などを読むと、その当時の著名な文化人たちとのつき合いが手に取るようにわかり、まさに日本にもカフェをつくろうとした心意気も伝わってきます。
 そういう意味では、時代の先端を歩いていたと考えても間違いではなさそうです。
 この本の題名にもなった「荒庭の観察者」は1934年49歳のときの作品だそうですが、そのなかに「十年見あきた十坪の庭にも春になると思いがけない芽が出て花を結ぶこともある。無論まるで種子の無いところに芽が出ようはない。また雑草の中では良い種子の生えぬことがあり、耕転せられた畠の中では珍らしい芽の刈られることがある。凡て伊曽保の話の如くである。」と書いたところがあり、このなかの「伊曽保」とはイソップ物語だそうで、なるほどと思いました。
 また、1908年23歳のときの「浅草観世音」のなかに、「何故か予は落日の浅草を好む。暮光が渺々たる蒼穹上より落ちて、彼の巨堂の屋背に迫るとき、大なる人生の模型ともいう可きこの堂の今日しも亦無限時間の一波を潜り去らむとするとき、堂の前幾間にして龍神の水盤がある。水は金龍の口より出でて、跳って中空に飜り、再び乱れてはさんさんとして落ち砕ける。「時」は点滴の一つ一つによって刻々の律を刻むでいる。刻々の人の心にもたぐえつ可き、水の曲節は斜日の投ぐる刹那の影によって、淡紅に、はた濃藍に、わずらいの、はたはほえみの、執のはた迷の色を浮べる。」などの文章を読むと、絵画のような音楽のような趣きさえ感じます。
 著者は、若いときは画家や文学者になろうと夢見たそうですが、これらを読むとなるほどと思います。しかし生家の反対で東京帝国大学医科大学に入学したそうで、才能のある方はいろいろなことに挑戦できることがうらやましくもありました。
 下に抜き書きしたのは、1945年60歳のときの「すかんぽ」のなかに書いてあったものです。
 この文章を読んだときに、昔は牧野富太郎のような博識な方がおられたというものと、著者がさく葉標本をつくっていたことを知り、さらに興味を覚えました。このさく葉標本というのは、もっとも一般的な押し葉標本で、四国で牧野富太郎のものすごい標本を見たときのことを思い出しました。
 そして、現在、屋久島でウイルソン株として有名な屋久杉の切り株を見たときのことを思い出し、もしかするとそこに大沼宏平さんもいたのかもしれないとも考えました。
 たしかに、昔の作家の本ですが、今にもつながるさまざまな物事が絡み合っていると感じました。また、この平凡社の「STANDARD BOOKS」シリーズが出たときには、読んでみたいと思いました。
(2022.7.25)

書名著者発行所発行日ISBN
木下杢太郎 荒庭の観察者木下杢太郎平凡社2022年4月20日9784582531824

☆ Extract passages ☆

 僕は満洲時代以後植物の?葉を作る道楽を覚えた。然し決して熱心な蒐集家ではなかった。唯往年支那を旅行して集めたものは当時理科大学に勤務していた大沼宏平さんと云う老人に鑑定して貰った。この人は学者ではなかったが、アメリカのウィルソンなどと云う人が、日本の植物を採集しに来た時も案内者に選ばれたほどで、日本の植物の名をば好く知っていた。支那産のものは属名は分っても大半は、直ぐと種名は判じ難かった。「支那南北記」や「大同石仏寺」のうちに植物の事をも顧慮することの出来たのは、洵に是人のお蔭である。
(木下杢太郎 著『木下杢太郎 荒庭の観察者』より)




No.2086『感性のある人が習慣にしていること』

 表紙のイラストがなんとなく女性を意識していると思ったので、スルーして、次の棚に進んだのですが、「感性」という言葉にひかれて、読んでみることにしました。
 すると、ときどきお茶の話しが出てきたり、京都の生活が出てきたりしたので略歴をみると、真葛焼の窯元に生まれたそうです。それで納得したわけではないのですが、持って生まれた感性と、自分で少しずつ磨いてきた感性がひとつになって、新しいものの見方ができるようになったのではないかと思いながら読みました。
 最初のところで、「感性とは持って生まれた「能力」や「才能」のことで、自分にはそんなものはないと感じてしまう。そう考える人が多いのではないでしょうか。ですが、「感性」は特別な人だけが持ち得るものではありません。「観察する」「整える」「視点を変える」「好奇心を持つ」「決める」この5つの習慣によって、身につけられるものなのです。」と書いてます。
 だから、この本では、この5つの習慣を続けることにより「感性」を身につけることができるという流れで、進んでいきます。
 それぞれにいろいろな具体例をあげて、書いてありますが、なかでも、「決める」というなかに、お茶のお点前のことがあり、「心地よさには必ず理由があります。そして、その調和の乱れに気づくには、ふだんから意識を向け、心地よい状態を意識的に保っていなくてはいけません。調和がとれたモノの配置を、身体感覚を研ぎ澄まして感じることにより、調和が乱れたときに違和感を持つことができます。茶道にかぎらず、身の回りにあるモノにも定位置を決めてあげることで、そのわずかな変化にも気づく観察力が養われていくのです。」といいます。
 たしかに、私もお茶を習いがけのころは、畳み目がいくつ目とかいわれても、そんなに細いことをしなくてもと思いましたが、今ではそこにぴったりと来ないと違和感さえ感じます。定位置にあるということは、ほんとうに大事だと思います。また、カバンのなかの入れるところも、私の場合は決めておくので、探すこともほとんどありませんし、なくなってもすぐに気づきます。
 また定位置が決まっていると、そこを少しずらしたりすると、意外なおもしろさが見つかったり、季節の変化を感じたり、視点の変化や好奇心にもつながります。
 この本の中で金継ぎの話しも出てきますが、、私は道具を大切に使おうという意識から生まれたと思っていましたが、この本を読んで、そういえば、いにしえの茶人のなかには、わざわざ壊して金継ぎをして楽しんだという故事を思い出しました。
 そして、「形あるものはいつかは壊れますし、人間も歳を重ねます。過去の良かった時期をいつまでも心に留め置いたり、変化を悲しんだりする必要はありません。金継ぎとその精神を学ぶことで、過去を惜しまず、つねに今を肯定し、未来に向けて前向きに歩んでいける視点を得られることでしょう。変化を好きになり、長い時間を想像するための視点を、金継ぎは教えてくれるのです。」とあり、私もこれからは金継ぎの精神で変化を楽しもうと思いました。
 おそらく、だんだんと身体もいうことをきかなくなるだろうし、頭もいろいろなことを忘れやすくなるだろうし、それも経年変化だと思い、あちこちを金継ぎしながら生きていこうと思います。
 下に抜き書きしたのは、「おわりに」に書いてあったもので、人生は「感性」を養うための旅であると著者はいいます。
 考えてみればみな同じで、人生にゴールはあってないようなものです。もし、あるとすれば死という結果しかありません。それまでは、歩き続けなければならないようで、まさに旅人と同じです。
(2022.7.22)

書名著者発行所発行日ISBN
感性のある人が習慣にしていることSHOWKO(ショウコ)クロスメディア・パブリッシング2022年1月21日9784295406402

☆ Extract passages ☆

 答えのないことを決めることは、大きな覚悟と自分への責任が伴います。
 誰しもはじめるときに、最終の形まで見えているはずがなく、考え方も時代も、必ず未来に向けて変わります。
「絶対」などということは存在し得ないのです。
 しかし、そのときの自分の感性で決断し、行動したことは、たとえ予想が外れても、必ずその後の人生の大きな自信となって返ってくるはずです。
(SHOWKO(ショウコ) 著『感性のある人が習慣にしていること』より)




No.2085『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』

 副題の「三蔵法師の旅路をなぞってみた」という言葉にひかれて、読むことにしました。
 著者の本は、おそらく5〜6冊は読んでいますが、なんとなく北海道への旅で読んだ本にそのままつられるようにして、選んだような気もします。
 やはり、私にとっては「旅」というキーワードは強烈な印象があるようです。とくに玄奘三蔵の旅のなかで、一番興味のあったのが高昌国で、私が読んだ本のなかに、この国で梵語で書かれた般若心経と出会い、それから旅が順調に進んだということが書かれていました。この本のなかでも、高昌国の王様がそれから先の旅が安全にできるように各国の王様に手紙や貢ぎ物などを与え、約20年分の勉学の資金も添えたとあります。そして、「玄奘が辿り着いた高昌の北側には、東突厥と西突厥という国があった。東突厥は現在のモンゴルあたり、西突厥はキルギスあたりに本拠を置いていた。その両国の勢力がぶっかるあたりが、高昌国の北側だった。勢力関係が複雑だった。……しかし高昌国の王は、妹を西突厥の王の長男に嫁がせ、均衡を保っていた。高昌国の王は、東突厥と西突厥という遊牧国家が拮抗するエリアを避け、自ら関係の深い西突厥の勢力圏にダイレクトに入るコースをすすめた。それが天山南路ルートだった。」と書いています。
 たしかに、今の時代は入出国の手続きや国の事情等により、入国できなかったり、行動制限などもあり、自由に泊まることさえもできないところもあります。著者は、それを魔王がいると表現していますが、そのような制限をなんどか経験しています。
 そういえば、この本のなかで、「車内はますます暑くなってきた。吹き込む風も暑いから逃げる場所はない。ただ耐えるしかない。炎熱列車――。ふやけた頭のなかに、そんな言葉が浮かんできた。集中力はなにもない。夢を見ているように、言葉の断片だけが細い糸のように脳細胞の間を動きまわる。しかしその翌日、さらに高温の列車に乗ることになる。」と書いてあり、そういえば、私もインドにいったときに48.5℃という気温にあい、とても動くことすらできなかったことを思い出しました。
 たしかその時でしたが、インド人が裸足で歩いているのを見て、私も靴と靴下を脱いで歩こうとしましたが、片脚を地面に着けた途端、すぐ靴を履いたことを思い出します。そして、その日の夕方、少し涼しくなってから私は動きだしましたが、みんなもそれまで木の下などで休んでいたのに仕事を始めたのにはびっくりしました。
 この本は、「三蔵法師の旅路をなぞってみた」というだけで、今の旅をしているのですが、よくニュースに出てくるウイグル民族の話しにも触れています。たとえば、列車のウイグル人女性の車掌さんですが、「漢民族が怖いのかもしれなかった。漢民族は、あらゆるシーンでウイグル人を見くだしていた。バス、ホテル、食堂……漢民族はウイグル人に対し、いい争いになるのでは……と心配になるほど横柄な態度で接した。支配と被支配の関係は、あまりに露骨だった。検間所でウイグル人に接する公安は、しばしば大声で怒鳴った。列を乱した程度のことで、顔つきを変える。車掌になったウイグル人女性は、漢民族を管理する役割を負わされている。ルールを守らない漢民族を、彼女らが注意しなくてはならないのだ。」とあり、これなどは今どきの問題だと思いました。
 下に抜き書きしたのは、玄奘三蔵の旅の目的地についての話しです。
 著者は「ナーランダー学院」と書いてますが、私が一人でインドの仏跡巡りをして、ここにも行ったのですが、彼らは「ナーランダー大学」と言ってました。しかも、その遺跡のなかに、玄奘三蔵の部屋だというのがあり、本棚だというレンガを組んだのもありました。
 玄奘は、ここで学んだのですが、だんだんと先生のように教えてもいたようで、だから個人部屋も与えられていたようです。
 私は、出国から16年もの長い間旅をして学んできて、657部の経典を長安に持ち帰ったこともすごいと思いますが、それから19年をかけてそれらを翻訳したことの方が偉大なことと思っています。そして、最後に翻訳したのが「大般若経」で、その百日後に寂しています。今でも大般若会を各寺院で修していますが、玄奘三蔵が翻訳してくれたからこその修法だと思っています。
(2022.7.19)

書名著者発行所発行日ISBN
ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅(中経の文庫)下川裕治KADOKAWA2019年3月22日9784046021939

☆ Extract passages ☆

……玄奘の時代は唯識だった。そして彼が最も長く学んだのがナーランダー学院だった。彼はシーラパドラ法師について学んでいる。大きな枠組みでとらえれば、玄奘の目的地はナーランダー学院、いまの街でいうとガヤだった。ガヤからオートリキシャで三十分ほどのブッダガヤには、ブッダが悟りを開いたといわれる菩提樹がある大菩提寺(マハーボーディ寺)がある。仏教の聖地ともいわれ、世界から仏教徒が集まってくる。しかし玄奘がめざしたのは、ナーランダー学院だった。
(下川裕治 著『ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅』より)




No.2084『ガセネッタ&シモネッタ』

 この本も下の本と同じように北海道への一人旅で持っていって読んだものですが、最後まで読み切れず、帰宅してから読み終わりました。
 結構読み切れなかったり、旅の途中で頭に入りきれなかったりして、帰ってからのんびりと読むこともあります。
 旅に出るときには、読む本がなくなると困るので、多少は多めに持っていくのですが、今回は自分の車で行くということで、5冊ぐらいは持っていきました。ただ、小泉武栄さんの『日本の山と高山植物』は、なかなか読む機会がなく、そのまま持ち帰りました。
 さて、この『ガセネッタ&シモネッタ』は、とてもおもしろく、ちょっとした時間の間にも読みました。どこで読み終わってもいいような内容で、それが旅の本としては有難いものです。たとえば、食事中とか、ちょっとの待ち時間とか、チェックインまであと少しあるというときに読めます。だから、気がついたら読み終わっていたということもあります。
 そういえば、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』も読んだことがありますが、たしかにガセネタっぽいものやシモネタッぽいものもあり、だじゃれもあちこちにちりばめられています。読んでいて退屈する暇もないような本で、著者は独身を通しましたが、妹の井上ユリは作家の井上ひさしと結婚しましたが、その妹は書いたものより本人の方がよっぽどおもしろかったと話しています。
 だから、この本にもいろいろなエピソードが書かれていますが、もっともっとおもしろいものが実体験のなかにはあったと思います。ただ、第三者を巻き込むとたいへんなので、そっとオブラートに包んでいるようなところもあり、優しさも感じられました。
 ただ、同時通訳という世界は、とてもシビアーな世界のようで、その知らない世界をのぞき込むこともでき、世の中にはいろいろなことがあると思いました。たとえば、学生時代ににロシア語の同時通訳の草分け的達人が、「朝起きてから寝るまで目に入るもの、耳に入るもの、心に浮かんだ思い、とにかく片っ端からロシア語にしていくんです。電車の吊革広告も、昼食で出た料理も、テレビのコマーシャルのキャッチコピーも」と教えてくれたそうです。そういえば、英会話の本にも「起きてから寝るまで」というシリーズものがありますが、やはり言葉を習得するというのは努力が必要です。
 また、「ピオニール・キャンプの収穫」のところに、「それは、学友たちや先生を見る目が、というよりも人間そのものを見る物差しの蓄えが豊かになったことである。勉強が抜群にできる非の打ち所のない感じのいい優等生が、実は気が弱いマザコンだったり、2年続けて落第している劣等生が森の中で道に迷ったとき、樹木や草の茂り具合から方角を正確に言い当てて、皆を窮地から救い出したり、厳しいだけの数学教師が、魚釣りと本登りの名手だったり。人間というのは、実に多面的で神秘的な生き物だ。どんな人にも長所があり、短所がある。当たり前かもしれないそんな真実を、多感な少女期に実感できたのは、幸運だったと思う。」と書いてあり、外国で少女時代を過ごしたことも、大きな収穫だったと知りました。
 このピオニール・キャンプというのは、ロシア革命の父レーニンが創設した少年団のことだそうで、私も昔、ボーイスカウトに入っていたのでだいたいの様子はわかります。
 下に抜き書きしたのは、「単数か複数か、それが問題だ」に書かれていることですが、やはり言葉というのは意思の疎通をはかることが一番だと思いました。
 私も中国四川省に、自称中国語が話せるという方と旅をしたことがありましたが、ところがなかなか通じないようで、私が片言の中国語で話した方が向こうは理解してくれました。数などは、指で示したほうがわかってくれたりして、つまりは言葉よりは分かってもらえればよい、と思いました。
 たしかに言葉は難しいですが、旅行で使うぐらいの程度は、なんとか通じれば用は足ります。まず、旅に出かけることです。
(2022.7.16)

書名著者発行所発行日ISBN
ガセネッタ&シモネッタ(文春文庫)米原万里文藝春秋2003年6月10日9784167671013

☆ Extract passages ☆

 高校で英語教師をしている友人によると、外国人助手もはじめのうちは本格的な発話で通そうとするらしい。だが通じない。聞き取ってもらえない。するとどうなるか。生徒の耳がネイテイブの発音とイントネーションに慣れるのではなく、ネイティブ・スピーカーの方が無意識のうちに、日本人教師や生徒の耳に合わせた発話をするようになってしまうらしい。来日後半年もして故国に電話したら、
「お前の英語、かなり変になったな」
 と親や友人に言われる外国人助手が結構いるのだそうである。
 これはこれで「言語の究極の目的は意思疎通」という真理を突いていて、なかなかいい話ではある。
(米原万里 著『ガセネッタ&シモネッタ』より)




No.2083『旅する力 ―深夜特急ノート―』

 この本も下の本と同じように北海道への一人旅で持っていって読んだものです。
 私の本棚には、いつ旅に出てもいいように、そのための本棚のコーナーがあり、20〜30冊程度の文庫本や新書版が置いてあります。今回も、そのなかから選びだしたもので、旅に出ようとする力はどのようなものかなどと考えて選びました。
 著者の増補新版の『深夜特急3―インド・ネパール―』や『深夜特急4―シルクロード―』、『深夜特急5―トルコ・ギリシャ・地中海―』、『深夜特急6―南ヨーロッパ・ロンドン― 』など、何れも新潮文庫ですが、今年になってから読みました。だいぶ前にも旧版で読みましたが、やはり、それを読んだ年代によっても受ける印象は違うようです。
 若いときには、私も行って見たいと思う気持ちが強かったのですが、今は、このような旅はできそうもないから、もう少しお金がかかっても快適な旅をしたいと思うようになりました。1泊で行けるなら、2泊してのんびりしたいですし、なるべくなら1ヵ所で1週間ぐらいは過ごしたいと思います。
 そういえば、この本は北海道への旅で読んだのですが、学生のころは大きなリックを背負って周遊券でまわったのですが、今ではそのような旅はできません。
 この本には、「金を使うということは、旅をスムーズにさせるということにつながる。できるだけ快適な旅にしたいとは誰でも思う。しかし、そのスムーズさが、その旅を深めてくれるかというと、そう簡単なものではない。少なくとも、『深夜特急』の場合には、金がないために摩擦が生じ、そのおかげで人との関わりが生まれ、結果として旅が深くなるということがよくあった。」と書いていますが、この歳になると、あまり人との摩擦を少なくしたいと思うようになりました。
 でも、旅する心は、昔も今もほとんど変わりないようで、私も著者のようにガイドブックを持ちません。著者は、「確かに、ガイドブックを持たないことで訪れた国や街に対して新鮮に向かい合うことができる。しかし、私がガイドブツクを持たない理由はそれだけでもないような気がする。」といい、さらに、クライマーの山野井泰史氏が「できるだけ素のままの自分を山に放ちたいんです」と言ったそうで、「なぜなら、その方が面白いからだ。すべてがわかり、完璧に安全だとわかっているならクライミングなどしなくてもいい。わからない中で、自分の力を全開にして立ち向かぅところに面白さがあるのだ。」といいます。たしかに、その気持ちはよくわかります。
 私も、旅をするときには、偶然に出合うことのおもしろさを感じるときがあります。ガイドブックを持つと、どうしてもそのなかに書いてあるところに意識が向きますし、そこに行かないとと思う気持ちもあります。そうすると、それに縛られてしまい、偶然性が削ぎ落とされてしまいます。
 ただ、たとえば各地の三十三観音巡りをする場合などは、先ず、その場所がわからなければお詣りできませんし、そのことを書く場合なども、それらの故事来歴を知らなければなりません。
 だから、ほとんど目的のない旅の場合には、そのガイドブックは必要ないわけで、著者も、「ガイドブックを持たない旅ができるのは、たっぷりと時間のある、つまりどんな失敗をしてもいいひとり旅のときに限られている」としています。
 下に抜き書きしたのは、第5章の「旅の記憶」のなかに書かれていたもので、私もできるなら旅をしたほうがいいと思っています。
 というのは、だんだんと歳をとるとできなくなりますし、動けるうちに動いたほうがいいとも思います。そして、旅は年代によっても受ける印象は違ってくるので、そのときにしかできない旅をするのが一番だと思います。
 たとえば、この北海道への旅も、学生のことのときとも違うし、シャクナゲの仲間たちとのときとも違い、この年代になったからこそできる旅だったと思います。まさに、それこそが旅の力かもしれません。
(2022.7.13)

書名著者発行所発行日ISBN
旅する力 ―深夜特急ノート―(新潮文庫)沢木耕太郎新潮社2011年5月1日9784101235189

☆ Extract passages ☆

 旅は人を変える。しかし変わらない人というのも間違いなくいる。旅がその人を変えないということは、旅に対するその人の対応の仕方の問題なのだろうと思う。人が変わることができる機会というのが人生のうちにそう何度もあるゎけではない。だからやはり、旅には出ていった方がいい。危険はいっぱいあるけれど、困難はいっぱいあるけれど、やはり出ていった方がいい。いろいろなところに行き、いろいろなことを経験した方がいい、と私は思うのだ。
(沢木耕太郎 著『旅する力 ―深夜特急ノート―』より)




No.2082『探検家の日々本本』

 この本の著者のものは、『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む 』や『地図のない場所で眠りたい』など、何冊かは読んでいますが、この本は、直接冒険をしているときのものではなく、これもおもしろいと思いました。
 「はじめに」のところで、「本書はその私のこれまでの人生ゃ探検と、読書との相互作用を述べたものである。私がどのような本と出会い、行動をした結果、どのような読み方をしたか。あるいはどのような行動をした結果、どのような読み方をしたか。そのような本にまつわる個人的な雑多な履歴をまとめたものである。従って、いわゆる通常の読書エッセイとは異なり、読んだ本の内容についての論評や感想を述べたものではなく、それぞれの本が私に与えた影響のようなものについて書いているので、取り上げた本の内容についてほとんど触れていない文章もある。」と書いてあり、なんか著者らしいと重いながら読むことにしました。
 しかも、北海道を旅しながら読むにも、どこで途切れても読めそうな気がして、泊まったところで読んだり、時間が開いてしまったときに読んだりしました。
 著者がそもそも探検家という肩書きを持つようになったのは、たまたま「脱サラしてフリーになったときに思い切って名刺に探検家という肩書を書いてしまったから」だそうです。そして、「探検家を名乗った以上、探検とは何かということを追求しなければならず、真剣に考察をくわえた結果、当たり前といえば当たり前だが、探検とは身体的リスクを背負いながら未知を追求する行為であるとの認識に至った。」といいます。
 だから、何が未知かは人によって違うわけで、つまりは探検そのものも違ってくることになります。
 だとすれば、私もプラントハンターのまねごとみたいなことをしているとき、何となく探検とか冒険とかをしている気持ちになるのもうなずけます。それが、たとえば中国奥地の国境線沿いだったりすると、以前はほとんど外国人が立ち寄れなかったところが多く、そのような気持ちになることがありました。
 下に抜き書きしたのは、読書日記2で紹介したジョン・ガイガー『奇跡の生還へ導く人』のなかで触れてあるものです。
 たしかに極限状態のなかでは、ある種の「サードマン現象」が起きるかもしれないと思いました。そういえば、私も修行時代に睡眠時間が極端に少なくなったとき、それでも意識ははっきりしていたのですが、自分一人しかいないのに誰かがそばにいてくれているように感じたことがあります。
 それがさらに大きな意識へと向かえば、奇跡というものも、もしかするとあるのではないかと思いました。
(2022.7.10)

書名著者発行所発行日ISBN
探検家の日々本本(幻冬舎文庫)角幡唯介幻冬舎2017年6月10日9784344426160

☆ Extract passages ☆

 興味深かったのは、探検家や冒険家によるこうした体験と、宗教の始まりの間には、何らかの共通点がありそうだという指摘である。山野井泰史さんも言っているように、極限的な冒険は精神的な要素が強い行為である。現在だと、こうした現象を体験しても脳認知学や神経学、心理学による解釈で説明を試みるだろう。しかしもし、初期のキリスト教の修道士やチベット仏教の隠者が山岳や洞穴で瞑想中にサードマン現象を体験したら、そこに神や天使の姿を見るはずだ。つまり現代の探検家や冒険家が体験している状況は、世界の真理を見つけるために荒野に向かった昔の修道士や隠者の体験に近い、ということである。
(角幡唯介 著『探検家の日々本本』より)




No.2081『男なら、ひとり旅』

 旅に出るときには、なるべく旅に関する本を持って行くことにしているので、この本を持ってきました。今回の旅は、まさに一人旅で、7月1日の夕方に仙台港からフェリーに乗り、翌2日の午前11時に北海道の苫小牧西港に着きました。
 最初の考えでは、格安の大人の休日倶楽部パスでも買って北海道を電車で回ろうと思ったのですが、そういえば、2009年7月2〜5日にかけてシャクナゲの仲間たちと旭岳でキバナシャクナゲを見たことを思い出し、そこを目的に考えたのですが、電車の乗り継ぎの大変さや、ジリジリと新型コロナウイルス感染症が増えてきたこともあり、自分の車を使うことにしました。当然、フェリーを使わざるをえませんし、せっかくの機会なので一人部屋にしました。だから、フェリーのなかでも、のんびりと本を読むことができ、このような船旅もいいと思いました。
 この本はいつ求めたのかも忘れましたが、この『男なら、ひとり旅』という題名にひかれたのではないかと思いますが、今回の旅にはぴったりだと思いました。
 著者は、大学生のころ、「ひとりで勝手気ままに行くのを、旅の理想型と思い始めた。わたしは、日本全国できるだけ多くの場所に行きたかった。山岳や無人島のような秘境ではなく、人の住むところにれ 興味があった。未知の地名を地図上で見つけると、そこにはどのような人間の暮らしがあるのか、無性に知りたくなった。」と書いてますが、私の旅は、ちゃんとした目標のようなものがあり、今回は旭岳のキバナシャクナゲを見るということでした。
 でも、せっかくそこまで行くのだから、美瑛や富良野のラベンダー畑も見たいとか、前田真三の「拓真館」にも行きたいと思ったり、ちょっとミーハーなところもありました。でも、ラベンダーは真っ盛りだったし、拓真館も前田真三生誕10周年記念展があり、とても楽しい時間を過ごしました。
 そういえば、私の学生時代には、北海道周遊券を手に入れ、大きなリックを背負い旅したことなどが思い出され、しばし、そのときに戻ったかのような錯覚さえしました。だから、旅は楽しいのかもしれません。
 北海道は、今回で3度目で、それぞれに楽しい時間でしたが、一人旅だからこそできることもあります。
 下に抜き書きしたのは、第5章の「ひとり旅と人生」のなかに書いてあったものです。
 たしかに、一人旅というのは、一般的な旅行とは違い、それなりの目的があります。たとえば、京都に行くとすれば、気のあう仲間たちと行くのは、ある程度名の知れた名所旧跡が多くなりそうですし、一人で行くとすれば、あまりごちゃごちゃしない京都人しか知らないような隠れたところが多くなりそうです。
 だから、今回の北海道の旅は、のんびりと旭岳に上り、じっくりとカメラを構え、空の雲の動きなどを見ながらシャッターを押すということもできるわけです。一人だからこそ、雨が降れば、部屋でのんびりと本を読むこともできます。そう考えれば、夫婦や家族での旅行とも違います。
 おそらく、これからはますますこのような一人旅が増えていくような気がします。
(2022.7.7)

書名著者発行所発行日ISBN
男なら、ひとり旅(PHP新書)布施克彦PHP研究所2007年11月29日9784569696553

☆ Extract passages ☆

 ひとり旅は、やはり手作りであるべきだ。人衆をターゲットとするありふれた旅行企画に、ひとり旅オプションを単純搭載しても相性はよくない。
 わたしのひとり旅の場合も、観光スポットを目指すものではない。旅の目的地は、特に壮麗でもない神社仏閣であったり、路傍の遺跡や記念碑であったり、ふつうの田舎町だったり、どこにでも見られる山河や海岸風景の場所であったりする。
(布施克彦 著『男なら、ひとり旅』より)




No.2080『毒があるのになぜ食べられるのか』

 本の題名にあるように、『毒があるのになぜ食べられるのか』というのは不思議なことですが、ちょっと考えれば、それが食文化かもしれないと思います。むしろ、毒にも薬にもなる食べものとうまくつき合うことが健康で暮らす秘訣かもしれません。
 新型コロナウイルス感染症が広がってからは、海外にはまったく行けなくなりましたが、それまでは中国には毎年行ってました。そこでは、医食同源という考えがあり、その専門店もあります。それ以外にも、日本ではまったく食べないものもあり、少しおっかなびっくりですが試し喰いをしたこともあります。おそらく、まだまだ不思議な食べものがあるのが中国です。
 ところが日本には日本独特の食べものがあり、それが発酵と深く結びついています。この本では、毒と薬は人間の都合で呼び方が変わっただけと書いてあり、「似たようなものに腐敗と発酵もあります。どちらも微生物の生命活動であるわけですが、そのうち、人間に都合の悪い場合を腐敗、都合の良い場合を発酵と呼んでいるにすぎません。日本には、発酵 による独特の食品が多く、日本酒のほか、味噌、醤油、納豆やかつお節、漬け物などがありますが、各種の抗生物質も発酵による産物です。」とあり、なるほどと思いました。
 最近は海外でも日本食はブームで、寿司や天麩羅だけでく、日本独特の発酵食品も食べるようになったそうです。そういえば、インドで抹茶を勧めたら、美味しいといって、飲んだ研究者もいました。もしかすると、美味しいというよりは、身体にいい飲み物かもしれないと思い、飲んだのかもしれません。
 この三沢地区では、毎年、春の山野草展を開いていますが、三沢の花を「エンレイソウ」に選定しています。名前が延齢草なので、身体にも良いのかと聞かれることもありますが、ほとんどの山野草の本には毒草として載っています。ところが、近くの綱木地区では、昔は食べていたという話しを聞きましたが、だからといって私が食べてみようとは思いません。この本には、「エンレイソウ(ユリ科)を食べると苦く、激しい嘔吐をもよおし、下痢をします。バイケイソウやコバイケイソウもユリ科の植物ですが、これらの植物は猛毒で、食後10〜30分ほどで嘔吐が始まり、手足のしびれや脱力感、めまいを感じ、重篤の場合はけいれんの後、虚脱状態に陥り、死に至る場合もあります。」と書いてあり、コバイケイソウほどではないにしても、試してみようとは考えもしません。
 ほんとうのところは、何か専門家の方に聞く機会でもあれば、聞いてみたいと思ってます。
 下に抜き書きしたのは、フグ毒についてです。
 おそらく、フグは昔から毒があるのに食べていることを考えれば、それほど美味しいからだと思っていたのですが、まさか養殖したトラフグに毒がないとは知りませんでした。
 毒と薬、まだまだ知らないことがいっぱいあることと思いますが、命にかかわることですので、これからも関心を持ち続けていこうと思います。
(2022.7.4)

書名著者発行所発行日ISBN
毒があるのになぜ食べられるのか(PHP新書)船山信次PHP研究所2015年2月27日9784569821382

☆ Extract passages ☆

 東日本においては毒きのこによる中毒が多いのに対して、西日本においてはフグ毒による中毒の発生が多いといいます。フグは、あたれば死ぬので「鉄砲」と呼ばれたり、「河豚は食いたし命は惜しし」などといわれ、古くからその毒が恐れられてきました。その有毒主成分はフグの属名(Tetraodon)にちなんでテトロドトキシン(TTX)と命名されました。現在、いけすで養殖したトラフグには毒がないことがわかり、食物連鎖を調べた結果、フグ毒の起源はフグ自身ではなく、微生物由来であることが解明されています。
(船山信次 著『毒があるのになぜ食べられるのか』より)




No.2080『絶対に行けない! 世界の秘境101』

 この本の著者は、アフロとなっていますが、1980年に設立された「アフロフォトエージェンシー」で、2006年に「アフロ」と社名を変更しました。
 もともとフォトエージェンシーなので、世界各地に契約しているカメラマンがいるので、まさに彼らによる写真集でもあります。ただ、『絶対に行けない! 世界の秘境101』という題名なのに、パッと目次を見るとすでに行ったことがあるところが何ヶ所かありました。
 でも、7月1日から北海道の大雪山に行くので、まだまだ知らない秘境があるのではないかと思い、この文庫本を持っていくことにしました。この大雪山は、2009年7月2日から5日にかけて行ったことがありますが、このときは友人の車に同乗させてもらい、すでに予約してあった山小屋に泊まるということで、なかなか自分の思うような旅ではありませんでした。そこで、今回は7月1日に仙台港から太平洋フェリーの「きたかみ」に自分の車ごと乗り込み、翌2日11時には苫小牧西港フェリーターミナルに着き、そこから国道234号線から追分町ICから北海道横断自動車道に入り、占冠ICでおり、国道237号線で富良野町まで来ました。
 この本はほとんどをフェリーのなかで読みましたが、カラー版なので見る楽しみもありました。しかもプロカメラマンの写真なので、見応えもあり、ときどきお茶やコーヒーなどを飲みながら、しかも仙台市の売茶翁のお菓子を食べながらですから、何が主役なのかもわからなくなるほどでした。
 しかし、船旅もあり、「秘境」という言葉にも、だいぶ好奇心を揺さぶられ、のんびりと読んでいたことは間違いありません。苫小牧に着いてからは、まったくの知らない道を走るので、そちらのほうに好奇心が向き、泊まるところでしか本を読む時間はありませんでした。
 さて、この本に出てくる秘境のなかで、私が行ったことがあるところはインドのムンナールとニュージーランドのワカティプ湖、そしてマダガスカルのムロンダバで、その近くまで行ったのはさらに3ヵ所ほどあります。
 今でも強く印象に残っているのは、2019年9月に行ったマダガスカルで、バオバブの並木があるムロンダバには3日間いました。だから、ここの朝日の昇るときから、夕陽が沈むまでのいろいろな風景をしっかりと撮りました。今でも、このときの写真を本のしおりにしています。
 しかも、ここは新型コロナウイルス感染症が広がる前年だったこともあり、これ以降は海外はもちろん、国内の旅行もなかなかできずにいましたが、今回の北海道の旭岳にはなんとか来ることができました。ほんとうに感慨無量です。これを機会に、少しずつ旅行の範囲を広げ、また海外にいけるようになればと思っています。
 だとすれば、この本の中に出てくる秘境のなかで行ってみたいのは、アメリカのバーミリオン国立公園内にある「ザ・ウェーブ」です。ただし、ここは「もろい砂岩質ため1日20名限定の人場制限をしている。10名はインターネツトでの抽選(4ヶ月前に中し込み、結果はメールで通知)。残り10名は、前日の朝9時から現地管理局でくじ引き抽選だ。地図とGPSを渡され、片道約5キロ、未舗装の道なき道を歩いて絶景に辿り着く。」と書いてあり、なかなか難しそうです。もちろん、まったく知らないところを地図とGPSだけで歩けるわけはなく、この本でも、「遭難する可能性もあり、個人の場合はなるべくガイド同伴で」と書いてありました。
 だとすれば、コロナ前にはほぼ毎年行っていた中国雲南省のシャクナゲ自生地に、満開の時期にまた行ってみたいと思います。そして、この本に出てくる雲南省の羅平の菜の花も見てみたいと思ってます。というのも、ここには何度か行く機会がありながらも、つい別なところへの話しに乗ってしまい、まだ行ったことがないからです。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」の冒頭に書いてあるもので、このあとに、「本書では、そうした知られざる秘境101件を集約しました。北極から南極まで、なかなか行けない地の貴重なベストショツトは、フォトエージェンシー・アフロが世界各国で契約するプロカメラマンと、現地フォトエージェンシーによるものです。」と書いています。
 さすがフォトエージェンシーだけに、見応えのある写真ばかりです。
 今、北海道を旅しながら、いつかは、これらの世界の絶景を見に行けるという夢をみています。
(2022.7.3)

書名著者発行所発行日ISBN
絶対に行けない! 世界の秘境101(中経の文庫)アフロ中経出版2012年5月5日9784806143673

☆ Extract passages ☆

「秘境」という言葉に、未知への好奇心をくすぐられる人も多いはず。世界には、いまだに石の貨幣が使われる島や、浮き島に暮らす先住民族たち、抽選で1日20名しか見られない絶景など、アクセスも不便な辺境地だからこそ出会える感動があります。
(アフロ 著『絶対に行けない! 世界の秘境101』より)




No.2079『「健康」から生活をまもる』

 たしかに健康は大切なものですが、だからといって健康が最優先だとは限らず、むしろそこそこ健康だからこそ楽しめることも多いはずです。あまり健康を前面に押し出すと、ちょっと窮屈な生活になってしまうかもしれないと思っていたので、この本の序には納得しました。
 副題は「最新医学と12の迷信」で、昔から健康にまつわる迷信は多いようですが、ここでは最新医学ですから、そこにも迷信があるということです。
 たとえば、タバコも酒も身体にいいか悪いかといえば、飲まないほうがいいようです。しかし、どちらかというとタバコの場合は百害あつて一利なしといわれるが、酒は百薬の長などといって、意外と寛容な扱いをされています。ということは、どちらも吸いたいから吸う、飲みたいから飲むという理由だけでいいような気がします。でも、健康とからめて考えるから、それなりの理由が考えられてきたのではないかと思います。
 そのこともそうですが、血圧やコレステロールなども多くの迷信があると著者はいいます。たしかに気にしすぎる面もあり、すぐ薬などを使う弊害もあるような気がします。しかし糖尿病については、「糖尿病は、血圧やコレステロールに比べるとはるかに迷信じみた部分の少ない、病気らしい病気だ。血糖値が高いとのどが渇く。その状態が続くと、早い人では数年ほどで目が見えにくくなってくる。手足の感覚が鈍くなったり、しびれるような痛みが出たりする。ひどくなると足がバイキンにやられて真っ黒になったりもする。ある日突然息が苦しくなって気を失ぅこともある。程度に個人差はあるが、糖尿病を10年間治療しなければ何らかの症状を感じる人はかなり多い。」そうです。
 だとすれば、これは気を付けなければと思いますが、食事療法はあまりできそうもありません。ただ薬は、「副作用もあるが、糖尿病の薬は競争がものすごく激しいので、フェブリクのように疑われた薬は市場から消えている」そうですから、少しは安心しました。
 また認知症についても、「これらは認知症の進行をゆっくりにするが、一度悪くなった症状をもとに戻す効果はない。だから「認知症の薬が効かない」という話はしばしば食い違う。認知症の薬が「効く」とは、一認知症がゆっくり進んでいく」という意味だ。そんな薬は要らないと思うなら断ってもいい。実際、認知症の薬を始めてしばらくすると中止を申し出る人は多い。」といいます。
 こうして、この本を読んで行くと、たしかに健康第一とばかり考えていると、日常生活は窮屈になるだけでなく、強くゆがんでしまうような気がします。むしろ、ゆったりした生活をするためには、あまり健康を意識しすぎないことが大切かもしれないと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第12章の「誰がファッションフードを笑えるか」の最後に書き記しているものです。
 この前に、「健康は宗教で、医学はファッションだ」と書いているので、下の場合のファッションも医学について書いてあると思います。つまり、医学というファッションを好きになれるかどうか、あるいは次にくるファッションは何か、という問題だと言い切ります。
 でも、そう考えれば、今の健康第一という考え方がやはりおかしいのではないかと思えてきます。
(2022.6.30)

書名著者発行所発行日ISBN
「健康」から生活をまもる大脇幸志郎生活の医療社2020年6月11日9784990917678

☆ Extract passages ☆

 健康という罠に立ち向かう力は、ファッションから生まれる。私たちが自分の好みと身近な人たちのファッションに従って、時に疑って、食べたいものを食べること。人と人との関わりに上から割り込んでくる権力には毅然と抗議すること。自由に生きること。それこそが、より深い意味で20世紀を反省するということであり、医学が本来の役割を思い出して人を幸せにするために必要なことでもあるのだ。
(大脇幸志郎 著『「健康」から生活をまもる』より)




No.2078『和辻哲郎 建築と風土』

 和辻哲郎といえば、真っ先に思い浮かべるのが『風土』で、今でも読んだときの衝撃を覚えています。風土が人間の生き方や考え方を左右するというのは、今もそうではないかと思っています。
 たしかに、緑豊かなインドの大地で生まれた仏教は、母のような優しさを持っていますし、砂漠のなかで生まれたキリスト教は、父のような厳しさが感じられます。だから、イスラム教の激しさも、そこに起源があるのではないかと思うときがあります。
 だから、私の和辻哲郎といえば、『風土』であり、『古寺巡礼』なのです。
 ところが、6月12日にNHKの「日曜美術館」で放送された「落慶 唐招提寺御影堂 ?鑑真和上と障壁画?」を見ていたこともあり、この本の第2章「天平の甍――『古寺巡礼』と唐招提寺論」は、とても興味深く読みました。
 唐招提寺は鑑真和上が開創されたお寺ですが、6月5日に御影堂が7年に及ぶ修理が完成し、落慶法要が行われました。このとき、初めて知ったのですが、このお寺は時の有力者が庇護してきたのではなく、寺を信仰する多くの人々の寄進で維持されてきたのです。つまり、まさに一般大衆に寄り添ってきた仏教本来の姿です。
 この御影堂の建物の由来や、ここに移築されてきた理由などとともに、国宝の鑑真和上坐像も拝見できました。さらに驚いたのは、8Kで撮影された御影堂内を彩る東山魁夷画伯の障壁画空間です。外陣は日本の風景で、内陣は中国の風景を墨絵で描かれ、その想いなどの解説を聞きながら、ぜひ、いつかはお詣りしたいと思いました。
 だからこそ、この本を読んだときの印象は強く、たとえば、唐招提寺金堂の「その美しさは「細かい芸術家の直観」に由来するのであり、それは、「寄せ棟になった屋根の四方へ流れ下るあらゆる面と線との微妙な曲がり方、その広さや長さの的確な釣り合い、――それがいかに微妙な力の格闘(といっても、現実的な力の関係ではなく、表現された力の関係である)によって成っているかは、大棟の両端にある鴟尾のはね返った形や、屋根の四隅降り棟の末端にある鬼瓦の巻き反ったようにとがった形が、言い現わし難いほど強い力をもって全体を引きしめているのを見てもわかる」とあり、このような表現は、かすかに『古寺巡礼』で読んだような記憶があり、思い出しました。
 さらに、屋根の勾配の「美しい調和」について述べたあとに、その建物の周囲についても、「大きい松の林がこの堂を取り巻いていて、何とも言えず親しい情緒を起こさせる。松林とこの建築との間には確かにピッタリと合うものがあるようである。西洋建築には、たとえどの様式を持って来ても、かほどまで松の情趣に似つかわしいものがあるとは思えない。パルテノンを松林の間に置くことは不可能である。ゴシツクの寺院があの優しい松の枝に似合わないことも同様であろう。これらの建築はただその国上の都市と原野と森林とに結 びつけて考えるべきである」といい、さらに松や檜の関連性を示唆しつつ、「東洋の本造建築がそういう根源を持っていることは、文化の相違を風土の相違にまで還元する上にも興味の多いことである」と述べていて、まさに『風土』的な考え方をしています。
 この松林に囲まれた唐招提寺の全体の風景を、「日曜美術館」ではドローンの映像で俯瞰的に映像化しており、さらに和辻氏の考え方が納得できました。
 この唐招提寺だけでなく、桂離宮やイタリアの建築と風土なども興味がありましたが、どちらかというと「日曜美術館」の映像に洗脳されたようで、唐招提寺のところだけは、何度も読み返しました。
 下に抜き書きしたのは、著者が「おわりに」のところの最後に書き記しているものです。
 和辻というと、どうしても哲学や論理学に関するものと考えてしまいますが、この本のように、建築学という視点で見ると、新たなものに出合ったような感じがします。でも、考えてみると、私が読んでいた『風土』や『古寺巡礼』でも、このような視点はあったはずで、あらためてこれらの本を時間をかけて読んでみたいと思いました。
(2022.6.27)

書名著者発行所発行日ISBN
和辻哲郎 建築と風土(ちくま新書)三嶋輝夫筑摩書房2022年3月10日9784480074690

☆ Extract passages ☆

和辻の建築論の魅力は、決してその理論的魅力に尽きるものではない。我々は大和路に始まって、アルプスの南と北をめぐり、最後の桂に至るまで、和辻と歩みを共にしてきたのであるが、我々読者を惹き付けるのは、その「イデエを見る眼」を以て捉えられた建築と風土の生彩に富む描写なのではないだろうか。和辻の眼と筆を通して、それぞれの建築と風土がもつ多様かつ多彩な相貌に接して、我々読者は新鮮な驚きと喜びを覚えるのである。
(三嶋輝夫 著『和辻哲郎 建築と風土』より)




No.2077『ゾウが教えてくれたこと』

 この本の副題が「ゾウオロジーのすすめ」とあり、ゾウオロジーってなんだろうと思ったのが、この本を読むきっかけになりました。
 「はじめに」のところに、ゾウオロジーとは「ゾウを知り、ゾウから学ぶ」と書いてあり、人間の生き方を探るためにも大きなヒントになるはずと著者はいいます。
 じつは、私も南インドに行ったときにゾウに乗ったことがあり、ゾウに襲われた村も見たり、トラに襲われたゾウの写真を見せてもらったこともありますが、それ以上のことは知らないと思い、読み進めました。
 著者がゾウの研究を始めたのは、「おわりに」を読むと大学3年製の終わりころで、卒論研究がきっかけだったそうです。その当時はほとんどゾウの研究をしている人はなく、1957年に発表されたレンシュの論文だけだったようで、上野動物園に研究の申込みと挨拶にうかがったときに、始めて「生のゾウ」を体感したといいます。
 でも、人はおもしろいと思った瞬間から新しいことが始まるようで、それから大学院に進み、ずっとゾウの研究をして、それがこの本に凝縮していました。
 ゾウは母系社会だとは知っていましたが、それ以外はほとんど知らず、マンモスは訳1萬年前に絶滅しましたが、氷河期や狩りなどにあいながらも、アジアに広く生息するアジアゾウ、アフリカのサバンナに生息するサバンナゾウ、そしてアフリカの森林に生息するマルミミゾウの3種類が生き延びてきたそうです。
 よく聞くのは、ゾウは優しいとか家族の絆が強いとかいいますが、この本には、年配のメスほど良いリーダーになるという事実についての実験、これは2011年のカレン・マッコム氏らがケニアのアンボセリ国立公園に暮らす29のゾウの群れを対象にして実施されてものだそうです。
 彼らは「リーダーメスの年齢によって、ライオンに対する群れの警戒行動に違いが出るかを調べました。ライオンに出くわしたとき、ゾウの群れの行動パターンは、@耳を立ててライオンのいる方向の音を注意深く聞く、A思い思いに過ごしていた群れのメンバーが集まってくる、Bリーダーメスがライオンのいる方向を調べに行くなどがあります。これらの行動について、リーダーメスが40歳以下、41歳から50歳、51歳から60歳、61歳以上の群れ間で違いが見られるか比較したのです。」もちろん、本物のライオンを実験に使うわけにはいかないので、ライオンのうなり声をスピーカーから流したそうです。そのうなり声は、「メスライオン1頭だけの場合VSメスライオン3頭の場合、オスライオン1頭の場合VSオスライオン3頭の場合、メスライオンVSオスライオンの場合で比較されました。その結果、どの群れにおいても、1頭のライオンよりも3頭のライオンが警戒されました。リーダーメスの年齢によって違いが出たのはライオンの性別に対する反応です。より年配のリーダーメスが率いる群れのほうが、オスライオンに対して、より強い警戒行動を群れに取らせました。」という結果だったそうです。
 たしかにテレビなどでライオンを見ると、狩りをするのはメスライオンで、しかもチームワークもみごとです。しかし、やはり強いのは雄ライオンで、何をするかわからないので、年配のメスゾウは、長年の経験からそれを知っているようです。そこのことが、この実験からもわかり、なるほどと思いました。
 さらに、「スリランカで野生ゾウを観察していたとき、群れによって健康状態がどうやら違うようだということに気がつきました。同じ国立公園内に暮らすゾウたちでも、ある群れのゾウはなんだか痩せていてあまり元気がないようなものが多い一方で、ほかの群れはどのゾウもお肌もぴちぴちしていて動きが活発で、健康そのものでした。群れの間で、このような違いが出るのは、もしかしたら、その群れのリーダーメスの器量によるのかもしれません。」と書いてあり、人間もそうですが、ゾウの世界も経験が大切だと思いました。これこそが、まさにゾウが教えてくれたものです。
 下に抜き書きしたのは、現在もゾウを狩猟対象としているバカ・ピグミーの人たちの話です。
 ゾウ狩りをするのはマルミミゾウだそうですが、たしかにあの大きなゾウを狩るわけですから命がけです。その命がけで手に入れたゾウの尻尾というトロフィーを、その妻たちは、庭を掃くときになどにこっそりと箒として使うこともあるといいますから、著者もいうように、「男性と女性の間に価値観の相違があるのはどの国でも、同じ」かもしれません。
(2022.6.24)

書名著者発行所発行日ISBN
ゾウが教えてくれたこと(DOJIN SENSHO)入江尚子化学同人2021年12月25日9784759816907

☆ Extract passages ☆

かれらについて調査をしている林耕次氏によると、バカ・ピグミーの人々にとってゾウ狩りは、認められた男性のみが有する特権であり、どのようなゾウをどのように狩ったかという記録は、その男性にとって一生涯の誇りとなる特別なものだそうです。狩ったゾウの肉はすべて村のみんなへ分け与えられ、狩った本人は口にしない掟があります。一頭のゾウは村人の胃袋を二週間にわたって満たしてくれます。それはブウを狩った本人にとっては最高の名誉であり、みんなから尊敬され感謝されるのです。さらに本人へ、トロフィーとしてゾウの尻尾が与えられます。自分が狩ったゾウの尻尾を生涯大切に保管するのです。男性はそれを見せながら、その尻尾の持ち主との死闘を語り継ぐのだそうです。
(入江尚子 著『ゾウが教えてくれたこと』より)




No.2076『いのりの海へ』

 この本は、いわゆる旅行記ですが、新型コロナウイルス感染症がおきる前年に出版されたもので、どこへでも気軽に旅行できるときのものです。
 だから、今読むと、なんとも懐かしいような、うらやましいような気持ちになります。
 そうはいっても、旅先でそうとう歩かなければならないとすれば、体力的にもだんだんときつくなります。ほんとうは歩かなければ見られないと分かっていても、ついタクシーに乗ろうかと思ってしまいます。この本のなかで、佐原の伊能忠敬を訪ねる話しが載っていましたが、彼は56歳から17年間、歩数は約4千万歩、距離にして3万5千q、そして歩いて歩いて実測の日本地図を初めて完成させたのです。今の56歳と江戸時代の人生50年時代のときの56歳では、まったく違います。だから「まだまだもう一歩先へ」と私の背中を押すという表現は、実感がこもっています。
 この本は全4章で、第1章は「安らぎの旅路」、第2章は「自由への旅路」、第3章は「青春の回廊」、第4章は「いのりの海へ」です。この本のもとになったのは、『明日の友』149号〜184号、229号と、自由学園最高学部長ブログに掲載したものだそうで、どちらもなかなか読む機会がなかったので、とてもおもしろかったです。
 もちろん、足利とか平泉、青森の太宰治の『津軽』を旅するところとか、行ったことがあるところもあり、また、行きたくてもいけなかったヘンリー・デイビット・ソローの『森の生活』の舞台、ボストンのコンコードなどは、いつかは行ってみたいと思いました。ただ、「私はかつてこの作品の「ウオールデンのほとりに住んでいれば神と天国にいちばん近づけるのだから」「いっそこの湖を″神の滴″と名づけることにしてはどうだろうか」(『森の生活』飯田実訳)等といった一節を読みながら勝手な思いこみで、人をよせ付けないような神秘的な湖を想像していた。そうではなかった。夏には多くの人がここで泳ぐという。私が行った時にも泳いでいる人がいたし、釣り人が今日は何も釣れないね等と話しかけてくる。湖の周囲は歩いて一時間ほど。散歩を楽しむ人も多い。やはり観光地なのだ。」と書いてあり、おそらくはソローの「森の生活」に憧れて集まってきただけで、彼が住んでいたころは、まったくの素朴でほとんど人のいない所だったのではないかと思いました。
 ただ済われるのは、日本の観光地とはまったく違い、「土産物店も自動販売機もない」というところがいいな、と思いました。
 このほかにも、行きたいところはたくさんあり、たとえば、第4章の「安らぎと鎮魂の島 小豆島」に書いてあった八十八ヵ所の島遍路なども、のんびりと島の人たちと触れ合いながら歩いてみたいと思いました。2017年の春に四国八十八ヵ所をお詣りしましたが、あまりにも広く、次々とまわらないと2週間ではやっとやっとでした。でもここの島遍路は、歩いても1週間だとか。ネットで調べたら電動自転車の貸し出しもあるそうで、それなら狭い道でも楽々通れるし、駐車場の心配もなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、第1章の最初に書いてあった「水清きふるさと 甘楽」に載っていたものです。
 この甘楽というのは、高崎から上信電鉄で30分ほどの小幡の町です。昔は旧中山道の脇街道、下仁田街道の宿場町として栄えたところで、いわゆる城下町でもあります。今でも、しっとりとした武家屋敷の白壁が続いている通りがあり、そのわきには小川が流れているそうです。それは網の目のようにめぐる雄川堰の分流で、日本の名水百選にも選ばれている用水路です。
 下に記すように、やはり水はとても大切なものだと改めて感じました。
(2022.6.21)

書名著者発行所発行日ISBN
いのりの海へ渡辺憲司主婦之友社2018年3月15日9784829208601

☆ Extract passages ☆

 どこの田舎も競って都会化を急ぎ、急速な時の流れに遅れまいとして、大事なものを失っていった。その最たるものが「水」である。
 水や小川に関する日本語は実に美しい。水玉・水鏡・水盤・水滴・浅瀬・苔清水等等、この町には美しい日本語の「水」が残っている。約二時間半の短い散策、小川のせせらぎが、心のひだに長く沈殿していた悲しみを洗い流してくれるような気がした。忘れていた幼い日の原景が、水の音と共によみがえる町である。
(渡辺憲司 著『いのりの海へ』より)




No.2075『不倫と正義』

 本の題名から考えると、対談をしている中野信子さんと三浦瑠麗さんは、すごく適役のような気がしました。このような問題は、あまり湿っぽくなってもダメだし、すっきりと離してもらったほうが、読みやすいと思います。
 たとえば、複数愛は可能かという話しでも、中野さんは「そう考えると水族館みたいで面白いですけどね、みんな違う魚を求めて泳いでいるみたいな感じで。だから不倫も悪いことだとは思わないですよ。だつて楽しいだろうし、別に自由だと思う、それは。私はあんまりそうじゃないかもしれないけど、恋愛は個人の裁量だなと思います。ただ、そうは言いながらも、一夫多妻の人の話を聞いたりすると、結構大変そうだなとは思うんですよね。」と話し、イスラム教の人たちの一夫多妻制の大変さを話したりして、どんどん広がっていきます。
 すると、三浦さんは、週刊誌などの不倫報道について、「民事訴訟がすごく面倒くさい手続なのに対して、編集部にタレ込むだけでいいわけですもんね。取材に応じさえすれば、私怨が晴らせて、自分は匿名の「A子さん」という形で身分を守られる。そういう安心感で機能しちゃっているところもあるんだと思うんですね。」といい、自らのもめごと相談の経験などから話しをするということで、次の話しの展開がわからなくなるほど、あっちこっちに飛ぶおもしろさもありました。
 私も週刊誌などの報道について、いくら芸能人や政治家だからといって、まったくのプライベートの話しを写真付きで報道されるのは、いささか行き過ぎだと思っていますが、だからといって、それが倫理的にどうこうというのではありません。昔、刑務所の塀の上を歩くようなという表現がありましたが、はっきり白黒が付くまでは報道を自粛してもいいのではないかと思います。
 もともと、中野さんが「人間って基準をはっきり持っていない生き物なんです。目で見て長さを測ることすらできない。それくらい基準というのを持たない生物なので、何かと比べることでしか自分のステータスというのを確認できないんですよ。」というように、すぐ人と比べようとします。
 たしかに比べないとわからないこともありますが、比べなくてもよいことまで比べてしまう、それが問題です。たとえば、成績でも、誰それさんが80点で自分が70点だから劣っていると考えるより、前回は60点だったのに今回は70点だったと自分自身と比べれば、それでいいと思います。だとすれば、次はもう少しがんばって80点をとろうかな、と思えるわけです。それこそが成長です。
 そういえば、お釈迦さまは、「苦しみを消すには、自分自身を変えるしかない」といいました。つまり、自分自身がとう変われるかが一番の問題です。
 下に抜き書きしたのは、三浦さんが結婚生活についての秘訣として披露している話しです。
 たしかに、「相手に期待しすぎないこと、追い詰めないこと、相手のことを思ってお互いを大切にすること」が大切で、それ以外の細かなことで縛って窮屈な思いをすることはないのではないかと思います。
 私もよく、「放し飼い」というような表現をするのですが、いい意味でも悪い意味でも、それ以上でもそれ以下でもありません。
(2022.6.18)

書名著者発行所発行日ISBN
不倫と正義(新潮選書)中野信子・三浦瑠麗新潮社2022年4月20日9784106109492

☆ Extract passages ☆

 損得勘定を避けてなおかつ相手からいい行動を引き出したかったら、やっぱり自分が利他的に振る舞う。そうすれば、相手からもいい反応が返ってくるんですよ。私はそれが夫婦の基本だと思っているので。結婚とか人間関係における最善の姿勢は、相手に期待しすぎないこと、追い詰めないこと、相手のことを思ってお互いを大切にすることだと思うんですよ。それさえ実施できれば、ほかはどうでもよくない?
(中野信子・三浦瑠麗 著『不倫と正義』より)




No.2074『いちばん探しの世界旅』

 海外へ旅行できなくなって、2年半ほどになりますが、早く出かけたいという思いと、なぜか億劫なような気がしないでもありません。
 そのような時に、この本を見つけ、読んでみました。この本には24ヶ国の話しが載っていて、私が行ったことのある国々もあり、懐かしく感じました。読んでいるうちに、新型コロナウイルス感染症がおさまったら、また海外に飛び出そうと思いました。
 この本は、「国際人流」という公益財団法人入管協会が発行している機関紙に、2019年4月から2021年3月まで連載していたそうで、だから24ヶ国だったようです。
 このような機関紙があることさえ知らなかったので、もし、この本が出なければ読むこともなかったのです。
 この本のなかでいいなと思ったのは、キューバでのエピソードです。本には「その日は、街の市場で雑貨を購入した後、ルンバのパーティに遊びに行っていた。いわゆる社交ダンスで、観客も積極的に参加するのがキューバ流だ。踊りの輪に入って、周りの人を真似して腰を揺らし始めたときだった――。足下で、ガチャンと大きな音がした。嫌な予感がした。ついさっき市場で買ったばかりの民芸品が入った袋を落としてしまったのだ。恐る恐る中を見てみると、陶器の置物が見事に割れていた。しょんぼりである。すると、隣で一緒におしゃべりしていた、英語のできるキューバ人の女性が言った。「キューバではね、物が壊れたときは、その物が自分に起きるはずの災難を受け止めてくれたって考えるの。だから本当はアナタに災難が起こるはずだったのに、この置物が代わりになってくれたんだよ。喜ばなくちゃ」。落ち込む我々を慰めてくれたわけだが、彼女の台詞を聞いて、なんて前向きな思考なのだろう!と衝撃を受けた。」と載っていました。
 たしかに壊れたものは元に戻らないし、だとしたらポジティブに考えて、むしろ壊れたからよかったと思えば、すべてが丸く収まります。
 世界をまわってみると、このような考え方もあるということがわかり、それが旅の良さにもつながるような気がします。旅そのものも、できないと思えばどこにも出かけられないし、言葉なんかわからなくてもどうにかなると思えば、どうにかなるものです。
 この本を読んで行ってみたいと思ったのはシンガポールです。「クリーンに加えてグリーンであることもシンガポールの特徴である。ハイテクなビルが立ち並ぶ未来都市といった風景ながらも、街は驚くほど緑豊かで、自然と共生している。シンガポール最大の植物園「ボタニック・ガーデン」が世界遺産に登録されたことも、同国のグリーンに対する力の入れ具合を象徴する出来事といえそうだ。何度か訪れているが、園内がめちゃくちゃきれいに手入れされていていつも日をみはる。蚊がいないのも素晴らしい。」と書いてあり、植物に興味があるので、ここにはぜひ行ってみたいです。
 下に抜き書きしたのは、ネパールについての話しです。
 私もネパールとインドとを何度か往復したことがありますが、人々の優しさはまったく違います。ただ、著者がいうように中国人も個性は強いのですが、長くつき合うと意外と優しく、親身になってくれます。おそらく、もしかするとインド人もそうかもしれませんが、それほど深くつき合ったことはないので、わからないだけかもしれません。
 でも、ネパールは見どころが豊富だという意見には、賛成です。ネパールに友人がいるので以前は毎年行ってましたが、最近はなかなか行けずにいます。
 はやくコロナ禍がおさまってくれればといつも思ってます。
(2022.6.15)

書名著者発行所発行日ISBN
いちばん探しの世界旅吉田友和産業編集センター2021年10月13日9784863113121

☆ Extract passages ☆

 その旅ではネパールの後はさらに南下してインドヘ抜けたのだが、インドに入った途端に旅は一気に手強さを増した。それまでの極楽な日々からの落差が激しく、余計にネパールのやさしさが身に染みた。中国とインドというアクが強い大国に挟まれた小国だからこそ、「癒しの地」として旅人の目に映るのかもしれない。
 小さな国の割には、ネパールは見どころが豊富だ。ヒンドゥー教やチベット仏教など、宗教関連の施設が点在しており、民族の多様さもあいまって、広がる風景は異国情緒にあふれる。
(吉田友和 著『いちばん探しの世界旅』より)




No.2073『世界遺産ガイド ウクライナ編』

 毎日、ロシアによるウクライナの侵略破壊を見ていると、ふと、ウクライナにもユネスコの世界遺産があるのではないかと思いました。だとすれば、いくら侵略とはいえ、何らかの破壊防止策をとれないものかと考えました。
 そこで、図書館に行くと、この『世界遺産ガイド ウクライナ編』を見つけ、さっそく借りてきて読みました。
 ウクライナには、現在、7つの世界遺産が登録されていて、1つは「キエフの聖ソフィア大聖堂と修道院群。キエフ・ペチェルスカヤ大修道院」で1990年12月に登録されました。2つめは「リヴィフの歴史地区」で1998年12月の京都会議で登録されました。3つめは「シユトルーヴェの測地弧」で2005年7月に、そして4つめは自然遺産で「カルパチア山脈とヨーロッパの他の地域の原生ブナ林群」で2007年7月にニュージーランドで開催された会議で登録されました。
 5つめは、「ブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅」で2011年6月、6つめは「ポーランドとウクライナのカルパチア地方の木造教会群」で2013年6月、そして7つめは、「タウリカ・ケルソネソスの古代都市とそのホラ」で同じく2013年6月に登録されました。
 もちろん、この他に暫定リストには17件が記載されていて、ウクライナには貴重な世界遺産がたくさんあります。
 それが戦闘によって次々と破壊されてしまう危険にさらされていると思うと、なんとかしてほしいと思うのは、私だけではないと思います。
 このほうに、世界無形文化遺産は3つあり、1つは「ウクライナ装飾民俗芸術の事象としてのペトリキフカの装飾絵画」、2つめは「コシウの彩色陶器の伝統」、3つめは「オルネック、クリミア・タタール人の装飾と関連知識」です。この3つめは、2021年に登録されたばかりです。また緊急保護リストに登録されているのは「ドニプロペトロウシク州コサックの歌」で後継者難などの理由から登録されたそうです。
 また、記録遺産は、4つありますが、なかでも「チェルノブイリ原子力発電所事故に関連する記録遺産」は有名で、今回のロシアによる侵攻で一部が破壊されたというニュースも流れました。さらに、ロシア兵がその近くの土を掘り返したとも伝えられ、とても心配です。
 現在、危機にさらされている世界遺産は、52件(自然遺産16件、文化遺産36件)ですが、その多くが戦乱や紛争などによる破壊行為だそうです。ここに記載されているのは、2022年3月現在で、ロシアがウクライナに軍事侵攻したのは2022年2月24日ですから、これには載っていません。それでも、世界は民族紛争や国内紛争などで世界遺産が危機にさらされているわけです。
 そういえば、第45回世界遺産委員会の議長国はロシア連邦で議長がアレクサンダホ・クズネツォフ氏ですが、予定としては6月19日から20日までロシアのカザンで開くとなっていますが、さてどうなりますか。おそらく全世界が注目しているはずで、世界遺産の大切さから、軍事行動を即時停戦するという選択肢もあってほしいと願っています。
 下に抜き書きしたのは、唯一の自然遺産である「カルパチア山脈とヨーロッパの他の地域の原生ブナ林群」についての概要です。
 もちろん、行ったことはないのですが、この記載を読むだけでいかに貴重な自然かがよくわかります。とくに、進行しつつある氷河期以降の地球上の生態系の生物学的、生態学的な進化の代表的な事例だそうです。
(2022.6.12)

書名著者発行所発行日ISBN
世界遺産ガイド ウクライナ編古田陽久シンクタンクせとうち総合研究機構2022年3月31日9784862002600

☆ Extract passages ☆

 カルパチア山脈の原生ブナ林群は、世界最大のヨーロッパブナの原生地域で、スロヴァキア側は、ボコヴスヶ.ヴルヒ・ヴイホルァト山脈、ゥクライナ側は、ラヒフ山脈とチョルノヒルスキー山地の東西185knにわたって、10の原生ブナ林群が展開している。東カルパチア国立公園、ポロニニ国立公園、それにカルバチア生物圏保護区に指定され保護されている。ブナ1種の優占林のみならず、モミ、裸子植物やカシなど別の樹種との混交林も見られるため、植物多様性の観点からも重要な存在である。ウクライナ側だけでも100種類以上の植物群落が確認され、ウクライナ版レッドリスト記載の動物114種も生息している。
(古田陽久 著『世界遺産ガイド ウクライナ編』より)




No.2072『ツツジの文化誌』

 題名は『ツツジの文化誌』ですが、本の表紙に「Rhododendron」と書かれていて、内容もほとんどがシャクナゲについてです。この本は、「花と木の図書館」シリーズの1冊で、著者のリチャード・ミルンはエジンバラ大学の生物学部の上級講師だそうです。そういえば、私もエジンバラ植物園の標本館に行ったことがありますが、その間で調整してくれたのがエジンバラ大学の先生でした。
 ここの植物園は、シャクナゲの収集でも有名で、Dawyck分園にもたくさんのシャクナゲがあり、この本に出てくるアーネスト・ウィルソンやジョージ・フォーレストなどの標本もたくさん所蔵していて、びっくりしたのはダーウィンがビーグル号で世界一周をしたときに作成した標本も見せてもらいました。それらは写真撮影もでき、今でも、思い出したときにはその写真を見て、楽しんでいます。
 この「花と木の図書館」シリーズは、とても図版が多く読みやすいのですが、この『ツツジの文化誌』は100点も掲載され、やはり植物の本は写真が多いとすぐ理解できます。ただ、このツツジという表現はちょっと問題で、この本で扱っているのは日本でツツジと呼んでいるものではなく、そのほとんどがシャクナゲです。しかも、野生種だけでなく園芸種も多く、まさにシャクナゲの文化誌のようなものです。
 巻末の追加参考文献のなかで日本語訳で出ているものはほとんど読んでますし、それ以外のキングドン・ウォードの『植物巡礼:プラント・ハンターの回想』(岩波文庫)は、ネパールにシャクナゲをたずね歩くときに持っていき、その旅先で読みました。そして、『ツアンポー峡谷の謎』(岩波文庫)を読み、ここに行って見たいと思い、何度も申請し、やっと2020年3月に行けることになり、往復の航空券も準備していたのに、新型コロナウイルス感染症の世界的拡がりで断念せざるを得なくなりました。そのときの航空券のコピーは、今でも捨てられずに持っています。
 この本の中に出てくるシャクナゲのプラントハンターの人たちのことも、園芸家の人たちも、ほとんどなじみのある方々ばかりです。とくにジョセフ・フッカーは、イギリスのキュー・ガーデンで貴重な本を見せてもらい、たまたま出版されたばかりの復刻版を手に入れてきました。この本では、「フッカーは、自分が発見した種子を分類し、それらを豪華な図版入りの2巻本にまとめて出版した。 フッカーを巧みに補佐したのは、若き植物学者トマス・トムソン[1817〜78年]だった。トムソンにちなんで、フッカーは自分が発見した5つのツツジのうちひとつをR・ソムソニイイ(R.thomsonii)と命名した。フッカーが発見した5つのツツジは、キュー・ガーデン内にある聖アン教会のフッカーの墓石に刻まれている。フッカーはその後、父親のあとを継いでキュー・ガーデンの園長になり、多くのツツジ採集家と違って、恵まれた老年時代を送った。」と書かれています。
 たしかにその豪華本はみごとなもので、その原画も見せてもらいましたが、それなりの資産家でなければできなかったと思います。彼は28種のシャクナゲを発見し、イギリスに持ち帰りましたが、そのほとんどは寒さに弱く、それを交配親として寒さに強い品種が生まれました。やはりイギリスは園芸大国で、いろいろな形でサポートしてくれる人々がいます。
 私がイギリスに行った時に、たまたまポンティカムが自然破壊の脅威になっているという話しを聞き、その現況を見に行ったことがあります。たしかに道路の脇はすべてポンチカムに占領されていました。でも、この本でも指摘してますが、これは人間の関わりで広がっていったようです。この本では、その理由を、「手がかりはトルコで見つかった。R・ポンティクムは、トルコの固有種だが、森林で木材の伐採がはじまってから侵略的になった。人間の活動によって、生息環境や地勢に変化が生じたことが、R・ポンティクムに有利に働いたとしか考えられない。同じことがアバラチア山脈のR・マキシムムにも起きている。ある特定の土地管理システムのもとでは、サワギク、ワラビ、ハリエニシダのようなイギリス原産の品種も、同様に侵略的になる可能性がある。人間の活動によって生態系のバランスが崩れ、それがある種には有利に働き、別の種には不利になる。草食動物がR・ボンティクムは食べられないとすぐに学習する一方、キラーニーのシカやほかの場所のヒツジのように、増えすぎた家畜が土壌を掘り起こして若木が根を下ろすのに最適な環境を作り、R・ボンティクムの侵略に手を貸している。……人間は、うっかり別の方法でもR・ポンティクムに協力したかもしれない。遺伝子組み換えだ。イギリスに帰化した個体群を注意深く見てみると、少なくともイギリス北部では、毛深い子房や、花弁についた濃い深紅の斑点に遭遇することがある――原産地であるスペインの個体群にはない特徴だ。」とあり、私もいろいろな理由があってこのような脅威になっているのではないかと感じました。
 下に抜き書きしたのは、キングドン・ウォードの弱点についてです。でも、私の経験では、ネパールでも中国雲南省でも、奥地に入ると川を渡るときに吊り橋やロープだけというところもあります。それなのに「病的な高所恐怖症」だとすれば、どのようにして渡ったのか興味があります。
 また、「笑ってしまうほどの方向音痴」だとすれば、地図もない奥地でどのようにして歩いていたのかも不思議です。しかもジョージ・フォレストと違って、たくさんの人を連れてプラントハンティングするわけでもないのに、彼は100種ほどのシャクナゲの仲間を見つけたのです。でも、さすがというか種子の採種に関しては、とてつもない能力を持っていたようです。私などは、山に上るときに見つけながらも、帰り道でもう1度写真を撮ろうと思っていても、その場所が見つからなかったことが何度もありました。
(2022.6.10)

書名著者発行所発行日ISBN
ツツジの文化誌(花と木の図書館)リチャード・ミルン 著、竹田 円 訳原書房2022年4月27日9784562071661

☆ Extract passages ☆

 キングドン=ウォードにはふたつの弱点があった。病的な高所恐怖症と、笑ってしまうほどの方向音痴だ。植物を探すあいだに道を逸れてしまうのはしょっちゅうで、完全に迷ってしまったことも幾度かあった。あるときは、飢えをしのぐためにツツジの花を食べて、軽い中毒を起こした。ところが不思議なことに、植物が生育していた場所は信じられないくらい正確に覚えていて、美しい花を見て数か月後に種子を集めに戻るときなど、この記憶力が非常に役立った。多くの採集家たちより幸運にも恵まれたが、若いときはそれなりに病気もした。険しい崖から幾度か滑落し、その都度命拾いした。倒壊した家の下敷きになったこともある。
(リチャード・ミルン 著『ツツジの文化誌』より)




No.2071『薬草ハンター、世界をゆく』

 薬草ハンターというだけで、なんとなく興味がありましたが、副題が「義足の女性民俗植物学者、新たな薬を求めて」とあり、ますます読んでみたくなりました。
 というのも、前回の本が「異なれ」で、東京パラリンピックの車いすバスケットに出た方でしたが、なんかどこかでつながっていたような気になりました。さらに、私自身も薬学部の先生たちと海外の植物調査のようなことをしたことがあり、その大変さを知っていたからでもあります。ネパールでは、テント生活だったし、今では中国も快適な宿泊所ですが、以前は奥地に行くと衣食住すべてが大変でした。
 それでも、珍しい植物を見ることができるので、イヤだとは思ったことはないのですが、それを生活の基本にするのはやはり大変なことではないかと思います。
 たとえば、今でこそ民俗植物学というのも認知されていますが、中国に行ったときに聞いたのは、「民俗植物学の研究は、薬用植物の発見とその利用に関する知識に緊密に結びついている」といい、「キジュ(喜樹)」を見せてもらいました。もうだいぶ前のことですが、今ではこのキジュが癌の治療薬として使われています。
 著者は民俗植物学のことを「民族植物学は、その存在自体が希望のシグナルである。人間の経験と科学的な精査が出会い、すばらしいことが起こる場所だ。研究をとおして、わたしは植物が強力な力を持っていること、毒と薬はしばしば表裏一体であることを学んだ。また、植物について実際にわかっていることがいかに少ないかということも知った。わたしの仕事は、自然界には大きな可能性があり、その豊かな資源が秘める力を解き放てば、世界をよりよくできるという信念に基づいている。」と語っています。
 植物をさがす旅には、いろいろなリスクもあり、今まで私が聞いた話しのなかでは、採取した植物そのものがなくなってしまうということもあります。それはだいぶ前のことですが、私も同行したブータンの旅で、他の人が採取した植物を飛行機に預けたのに行方不明になってしまったことがあります。もちろん、航空会社では探してくれたのでしょうが、結局は見つかりませんでした。
 この本でも、イタリアで採取した植物が届かず、それでイタリアの郵便局や米国農務省受け取りセンター、アメリカ郵政公社などに問い合わせたそうですが、マイアミには到着したことまではわかったそうです。しかし、それがなぜかイタリアに送り返されていたことが判明したようです。でも、届かなかったという事実はそのままで、おそらくまったくの無駄骨になってしまいました。
 植物は生きものですから、もし見つかったとしても、扱いが悪いとどうしようもなくなってしまいます。
 この本でも、「フィールド調査は魅力的な反面、肉体的にも精神的にもひどく疲れるものであり、単独でやる場合は孤独にも悩まされる。野外で過ごせる時間はかぎられており、研究計画の立て方によっては初日から時間との戦いの幕が切って落とされる。そしてこの100メートル全力疾走の前には、準備作業のマラソンがある――承認を得るための調査企画書の作成、調査資金のための助成金申請書提出、必要な調査の許可取得、船積み許可、滞在のためのビザ申請、陸路と海路での物流手配など、準備に何か月も費やす。さらに、どんなにきっちり準備しても、思いもよらない事態は発生する。科学の進む道に直線コースはめったにないのだ。日標の植物を野外で見つける難しさ、最適な取材相手の選定、採集検体がじゅうぶん乾燥せずにカビが発生したことにあとから気づくなど、トラブルはどこにでもひそんでいる。同時にそれは、 ハードではあるがめまぐるしい知的成長に没頭する経験でもある。」と書いています。
 私の場合は、事前の準備は大学の先生たちがやってくれますし、いつも同じメンバーなので気を遣うこともなく、楽しくやっていますが、もしトラブルにでもなればやはり大変です。それでも、フィールド調査の魅力はたくさんあります。
 下に抜き書きしたのは、「終章」に書かれていたもので、新型コロナウイルス感染症による死者数はよく知られていますが、薬剤耐性菌感染症が毎年70万人以上の命を奪っていることを忘れてはならないと著者は警告します。そして、薬剤耐性菌感染症による死者は、2050年には今の5倍以上になると予測しています。
 だとすれば、新型コロナウイルス感染症も大きな問題ですが、むしろそれ以上に切実な問題になるといい、これからの時代はまさに感染症やウイルスとの戦いになりそうだということを痛感しました。
(2022.6.7)

書名著者発行所発行日ISBN
薬草ハンター、世界をゆくカサンドラ・リア・クウェイヴ 著、駒木 令 訳原書房2022年3月24日9784562071630

☆ Extract passages ☆

 たしかに困難な状況だが、希望がないわけではない。自然には、地球とわたしたちを癒やすための秘密がある。人類は、時代、言語、文化の違いにかかわりなく、ほかの動物の植物使用法などを継続的に観察し、自然の豊かな恵みを使って実験をおひなってきた。欧米の化学者のあいだでは、このような植物成分の薬効に関する知識は、しばしばくだらない迷信として一笑に付されてきたが、けっしてそうではない。これらの伝統医療は、何千年もかけて熟成され、世代ごとに改良されてきた自然の薬局なのである。現代の科学者は、どの植物薬がもっとも効果的なのか、どのように作用するのか、どの化合物がもっとも重要なのかを完全には理解していないが、世界中で使用されているもっとも重要な医薬品のいくつかは、最初にこのような植物から発見されたことがわかっている。
(カサンドラ・リア・クウェイヴ 著『薬草ハンター、世界をゆく』より)




No.2070『異なれ』

 著者の鳥海連志さんのことは、ほとんど知らず、表紙を見て、東京パラリンピックの車いすバスケットに出ていたことを思い出しました。
 あの格闘技みたいなパフォーマンスにびっくりしたし、銀メダルをとったことで、それで記憶に残っていたのかもしれません。副題は「東京パラリンピックの車いすバスケ銀メダリストの限界を超える思考」で、とても興味を持ちました。
 「はじめに」のところに、「小学生の僕の考えはみんな対等。実際には「障がいのある子」なのだけど僕の感覚は「普通の子」。「目がいい子、悪い子」「足が速い子、遅い子」「障がいのある子、ない子」。僕の中ではそんな感じ。全て同じだったんだ。みんな普通だったんだ。そんなわけで、楽しい小学校生活を送った。」と書いてあって、自分でも障がい者だと思っていなかったようで、たしかに人それぞれ個性があるようなもののようです。
 でも、この本のなかでは何も書いていなかったのですが、おそらく、心の中では相当な葛藤はあったと思います。ただ、それを表にださないというだけでも、すごいことです。
 この本の題名の「異なれ」というのは、「東京パラスタメン計画」で厳しい状況に追い込まれたときに出会ったそうで、「優れるな、異なれ」ということだそうです。本人の言葉では、「アキラさんと同じ道を走って、背中を追いかけていても仕方がないんだ。僕は前に誰もいない僕だけの道で、ぶっちぎりの先頭になろう。」と考えたそうです。そう考えると、視界がパッと開けたといいます。
 そして、「言ってしまえば、僕からすればみんな違っていて、それぞれが唯一無二の存在だ。ただ、そんな集団の中で強い意思を持って「異なること」を磨いていたから、僕は東京パラのスタメンを勝ち取ることができたと思っている。」と語ります。
 ただ、人と異なると、人とぶつかることも多くなります。私自身もそのような傾向があるのでわかるのですが、空気を読んで右習いしたほうが楽なことはわかります。ところが、それが性格的にできないのです。この自分ではわかっていても、できないということは、ちょっと大変ですが、他の人からそう思ってもらえるようになると、すごく楽にことが進むようになります。
 それまでが、なかなか大変です。
 下に抜き書きしたのは、お母さんより「連志へ」というなかに書いてあったもので、おそらく辛い悲しいこともたくさんあったのでしょうが、ときどき忘れられるからこそ、生きていけるような気がします。
 そういえば、インドの原始経典である『中部経典』のなかに、「過去を追うな。未来を願うな。今日一日を精一杯生きろ」という言葉がありますが、忘れることも非常に大切なことです。だから、ボケるということも、ある意味、死の恐怖から逃れられるように人間に備わっているのではないかとさえ思います。
(2022.6.2)

書名著者発行所発行日ISBN
異なれ鳥海連志ワニブックス2022年3月15日9784847071386

☆ Extract passages ☆

 まぁそんなこんなでつらいと思うこともあったけれど、楽しかったことの方が全然多くて、なんなら連志に脚がないことをいっつも忘れてしまいます。
 ついこの間も「今度一緒に足湯に行こうよ!」と誘ったら「お母さん、オレ脚ないけど!」と突っ込まれ、大爆笑。
(鳥海連志 著『異なれ』より)




No.2069『私たちのサステイナビリティ』

 最近よく聞く言葉に、「SDGs(Sustainable Development Goalsの略)」がありますが、それと似た言葉に「サステイナビリティ」もあります。でも、よくよく考えてみると、その中味は意外と漠然としていて、はっきりとはわかりません。そこで、この本を見つけたので、読むことにしました。
 特に、この岩波ジュニア新書は、著者も「はじめに」で書いていますが、サステイナビリティに関心を持っている中学・高校生、大学生、そして社会人の皆さんに読んでもらいたいということですから、内容もわかりやすく解説してあります。
 では、そもそもこのサステイナビリティ(Sustainability)とは何かというと、日本語では「持続可能な」と訳していますが、それでも何となくぼゃっとした印象です。では、この言葉が最初に使われたのは1987年で、コクレン内部に組織されていた「環境と開発に関する世界委員会」が作成した『我ら共有の未来』という報告書だとこの本には書いてありました。この委員会の委員長は、当時ノルウェー外相のグロ・ハーレム・ブルントラントさんだったことで、「ブルントラント・レポート」と呼ばれています。
 ここでは、著者の訳で「持続可能な開発とは、将来世代が彼らのニーズを満たすために必要な能力を損なうことなく、現行世代が自らのニーズを満たすことができるような開発」とあります。つまり、次の世代のことも考えて持続させようという意識です。
 そういえ意味では、この後に書いてある「現行世代の私たちが将来世代の彼らのニーズを言い当てることはできませんが、私たちが彼らのことに思いを馳せることはできます。このように将来世代が暮らす未来のことを考慮しながら、現行世代の私たちの開発のあり方を考える、ということが「持続可能な開発」という概念が意味するところなのです。つまり、持続可能な開発という考え方は、半分は現行世代の開発のあり方を将来世代との公平な関係性のなかで問い直していくこと、そしてもう半分は次世代への思いやりによってできていると言えます。」とあり、自分たちの世代だけでなく、次の世代のこともしっかりと考えなければならないということです。
 下に抜き書きしたのは、著者自身の言葉でサステイナビリティを解釈したもので、もともとの意味でもある「ある物や事を下から支え続けながら、次世代に手渡していく」とい う意味を含めて考えた表現だそうです。
 たしかに、この「まもる。つくる。つなげる」という言葉のほうが、わかりやすいと思います。
 そういう意味では、五穀豊穣代表の西居豊さんたちが取り組んでいる「和食給食応援団」というのは、とてもわかりやすいと思います。この本の説明では、「和食給食応援団が日本社会のなかで実現したいことは、この国で農業と漁業に携わっている人たちが自分たちの仕事できちんと稼ぎを得て暮らしていけるようにすることです。そのような状況が将来的にも長く続いていくためには、食に関心やこだわりを持った次世代を育成する必要があります。和食給食を全国に広めていくことで、自分たちの国の食文化の特徴と価値を理解できる大人が増え、やがて農業や漁業に携わる人たちの生活を支えられる消費者になっていく、そんな将来像を五穀豊穣は描いています。」と書いています。
 このことはとても大切なことで、No2066で読んだ『海を越えたジャパン・ティー』のなかにも、緑茶から紅茶へと流れを変えたのは長い間の取り組みの成果で、その積み重ねが大切だとありましたが、この「和食給食応援団」の取り組みも同じです。
 みんなに和食を食べてもらいたいという願いだけでは流れは変えられません。むしろ、学校給食の献立のときから考えるべきで、しかもその食材を提供してくれる農業や漁業に携わっている人たちが、その生業で暮らしていけることも大切です。だから続いていくわけで、一時のボランティア的な考え方では、行き詰まってきます。
 やはり持続可能な取り組みというのは、持続できるような仕組みこそが大切ではないかと、この本を読みながら思いました。
(2022.5.31)

書名著者発行所発行日ISBN
私たちのサステイナビリティ(岩波ジュニア新書)工藤尚悟岩波書店2022年2月18日9784005009480

☆ Extract passages ☆

 サステイナビリティとは、今日まで私たちの社会のなかで大事にされてきたことをまもりながら、これから新しく私たちの社会のなかで大切にされてほしいことをきちんと大切にできるような仕組みをつくり、さらにそのような考え方を次世代につなげる、という考え方のこと。
(工藤尚悟 著『私たちのサステイナビリティ』より)




No.2068『海を越えたジャパン・ティー』

 アメリカも昔はよく緑茶を飲んでいたという話しを聞いたことがあり、そのことを確かめることもなくいたのですが、たまたま、この本を見つけ、読むことにしました。
 副題は「緑茶の日米交易史と茶商人たち」で、私の疑問に答えてくれる本でした。しかも著者のロバート・ヘリヤー氏は、明治時代に日本で活躍した茶貿易商の末裔で、まさに緑茶を中心にした交易史でした。おそらく、ほとんどの人は、この本を読んで、緑茶の歴史物語に驚くのではないかと思います。
 しかも、第一次世界大戦終了のころの緑茶の飲み方が、紅茶と同じように、ミルクや砂糖を加えて飲んでいたそうで、何も加えずに飲んで居たのは8人中1人だけだったということもこのなかに書かれています。だからなのか、表紙の写真には、今の紅茶缶のような緑色の容器に、「GREEN with MILK and SUGAR」と大きく書かれているのが印象的です。
 では、アメリカにお茶を輸出するきっかけになったのは、「1783年のパリ条約締結によってアメリカ合衆国の独立が認められ、商人や貿易商が海上通商に乗りだしたことで、アメリカ合衆国の茶の消費の道筋はなおさら切り開かれていく。それまでアメリカ人が茶やほかのアジアの商品を得るには、英国の東インド会社のようにほとんど独占されていた既存のヨーロッハの販路に頼らぎるをえなかった。だが独立により選択肢を与えられた。独立した商業者として、中国などの有益な国外市場と直接取引する機会を得たのだ。」と書いてあり、そのころからアメリカ人の緑茶嗜好が高まったようです。
 この辺りの事情は、この本に詳しく書いてありますので、機会があれば読んでみてくたさい。アメリカに日本茶を売り込むには、日本人だけでなく、長崎のグラバー邸で有名なスコットランド出身の商人トーマス・グラバーやウィリアム・J・オルト、さらにはこの本の著者の先祖のヘリヤ商会創業者のフレデリック・ヘリヤーなどの活躍もあったそうです。
 さまざまな紆余曲折があり、アメリカ人にも次第に受け入れられるようになりましたが、アメリカ人の嗜好が緑茶から紅茶へと変わっていったのは1940年あたりだそうで、この本には、「紅茶への移行は、英国とオラングの植民地の栽培者たちが創設した団体によって仕掛けられた、さらなる宣伝広告展開で加速した。カラーの漫画も取り入れた広告を新聞や雑誌に掲載し、紅茶はアイスティーにぴったりだと宣伝したのだ。広告看板も使って、アイスティーは暑ぃ夏に涼しくさせてくれるだけでなく、元気づけてくれることを表現した。それに付随して、インド茶支持用販拡委員会が檸檬の栽培野江かと大手製糖会社と組んで、アイスティーにレモンと砂糖を加えるよう働きかけ、これこそアメリカ式の茶なのだとますます印象づけて普及させようと取り組んだ。」という、その結果ではないかと書いています。
 今も昔も、宣伝というのは大切なことで、嗜好品にまで大きく影響を及ぼすようです。そして、日本茶のアメリカでの終焉は、やはり真珠湾攻撃により始まった太平洋戦争の勃発です。このとき、なんとか定着してきたジャパンティーというブランドも終わってしまったようです。
 もちろん、終戦後からそれなりの再チャレンジがなされたようですが、なかなか実を結ばず、今ではアメリカ人は紅茶からコーヒーに嗜好も変化してきたようで、それは日本でも同じことです。
 下に抜き書きしたのは、「おわりに」のところに書かれているもので、1920年代にも煎茶にビタミンCが多く含まれていて、身体によいといわれたことがあります。この本のなかにもそのように書かれていますが、今でも同じような内容のことが印刷されていて、流行というのは繰り返すものだと思いました。
 そして、その自販機を見てみると、以前よりは健康志向が強くなったこともあり、いろいろな種類のお茶が増えてきたようにも感じます。この本を読んで、今では当たり前のように飲んでいる煎茶も、もともとはその多くをアメリカに輸出されていたのに、突如その販売先がなくなってしまい、そのために国内でなんとか消費しなければならなくなった結果だとわかり、なんとも不思議が感じがしました。
 やはり、事実は小説より奇なり、です。
(2022.5.29)

書名著者発行所発行日ISBN
海を越えたジャパン・ティーロバート・ヘリヤー 著、村山美雪 訳原書房2022年3月17日9784562071487

☆ Extract passages ☆

 1920年代には、両国で煎茶にビタミンCが多く含まれていると謳われた歴史があった。1970年代に使い捨ての容器が開発されて以降、現代の日本では茶はおもに缶やペットボトルに入って売られている。どこででも見つかりそうな自動販売機で、消費者は温かいものでも冷たいものでも、あらゆる種類の緑茶(紅茶や鳥龍茶もある)から好きなものを選んで購入できる。多<の緑茶のペットボトルに貼られたラベルにはビタミンCが含まれていることが記されている。
(ロバート・ヘリヤー 著『海を越えたジャパン・ティー』より)




No.2067『おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる』

 前回読んだのが石丸謙二郎さんの『蕎麦は食ってみなけりゃ分からない』ですが、おそらく地域の良さも住んでみなければわからないことが多いのではないかと思います。それなのに、地域興しというと、都会に住むデザイナーなどに依頼し、ほとんど実を結ばないだけでなく、経費だけかけて終わりということが多いと思ってました。
 だから、この本を見つけたときには、たしかにそうだなあ、と思いました。しかもページを繰ってみると、「地域×デザインの実践」がたくさん載っていて、これは読んでみなければと思いました。
 この本は、日本各地で活躍している方たちの生の記事で、編著者の坂本大祐さんが「あとがき」のなかで、「地域は、よくも悪くも顔の見える距離感で仕事が進んでいる。それゆえに、自分たちの活動が、そのまま自分たちに返ってくる。だから、その上地に根ざすということは、退路を断ったとも言える。いつの間にか、この場所で腹を括っている。そんなじわじわと湧き上がるような決意から、地域のデザインの現場は、はじまるのかもしれない。」と書いてますが、たしかにそうかもしれないと思います。
 この本には、山形県内で活動しているデザイナーが3人も含まれていて、それも読んでみようと思ったきっかけです。たとえば、山形県大江町の「吉勝製作所」の吉田勝信さんは、最初は川西町の地域おこし協力隊に着任し、それから実家の染色工房を手伝ったりして、大江町に「吉勝製作所」を設立したそうです。彼は地域の行事にも深く関わり、たとえば、「地域にいるといろいろなことを求められる。それは、デザイン以外の職能だけではなく、一人の男性として行事の重労働を手伝ったりする。小正月に行なう「オサイトウ」という年中行事では、昼に田んばの雪を踏み固め、中心の切り出した竹を突き立て、その周りに藁を敷き詰め、重ねていき高さが5mほどの円錐状のものを建てる。夜、その藁の塔に火をつけ、火が回りはじめ、ついには大きな火柱となる。その火で焼いた餅やスルメを食べると病ならず、子は健やかに育っと言われている。」と書いています。
 私のところでは「サイトヤキ」といい、餅は焼きますが、スルメなどは焼かず、同じようにそれを食べると病気にならないといわれています。ただ、1月15日が成人の日で休みだったときは、みんなが集まって「サイトヤキ」を作ったのですが、祝日が移動すると休めない方も多くなり、今では少なくなってきています。おそらく政治家の人たちは、休みを連続させることだけで、もともと文化と密着していた行事を考えることはしなかったようで、今思うととても残念です。
 やはり、著者がいうように、「芸術の流れの先端に現代のデザインがあるとすれば、地域で学ぶべきことは多い」はずです。そういう意味でも、これからは日本の中心で考えるより、その地域、地域で考えなければならないと思います。
 下に抜き書きしたのは、同じく山形市で活動している「akaoni」の小板橋基希さんの話しです。
 彼は群馬出身で、山形の大学で学び、そのまま居着いたという感じです。彼のいうように、私も山形は食べものがおいしいと思ってますが、他県から来れば、なおさら感じるのではないかと思います。
 私は特に山形産の果物が大好きで、サクランボやモモやブドウ、ラフランスやリンゴなどもいろいろとれるので、季節ごとに楽しみがあります。また、春の山菜は、採れたてを味わえるので、これまた大きな楽しみのひとつです。
 でも、なかには、新庄市で活動している「吉野敏充デザイン事務所」の吉野さんが言うように、「おいしい野菜をつくっても、一度東京を経由する流通」が問題です。しかし、それも産直などのお店が増え、解消されつつあります。これは、とても大事なことです。
 私は、このコロナ禍で一極集中した大都会より、人の少ない地域こそ、生活するには快適だと思っています。
(2022.5.25)

書名著者発行所発行日ISBN
おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる新山直広・坂本大祐 編著学芸出版社2022年3月20日9784761528102

☆ Extract passages ☆

 山形は自然が豊かで、なによりも食べ物がおいしいところ。そんなことはローカルと呼ばれる地域では当たり前のことかもしれないけれど、その「当たり前」が暮らしだけでなく、仕事にも確実に影響しているフィーリング。自然のパワーを感じ取り、おいしい食べ物からエネルギーを摂取。季節の移り変わりや旬の食べ物など、この「どこにでもある当たり前」を感じながら生活をするということは基本的なことで、それはつまり、物事の個性や微差、おもしろさを感じ取るということでもあり、その感覚はクリェィティブを行う際にも非常に重要になってくると、日々考えが巡る。
(新山直広・坂本大祐 編著『おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる』より)




No.2066『蕎麦は食ってみなけりゃ分からない』

 著者の石丸謙二郎さんは、俳優だけでなく、ナレーターや声優としても活躍していて、ほとんどの人は知っているのではないかと思います。そういえば、私の印象に残っているのがテレビ朝日系列の「世界の車窓から」で、短い時間だからなのか、つい見てしまいます。
 この題名の『蕎麦は食ってみなけりゃ分からない』というのは、たまたま青森県の岩木山の周りをグルリと巡っているときに見つけたプレハブのお店の話しのようで、「《店の外観にお金をいっさい使いませんでした》宣言をした店といえる。《そのお金をすべて蕎麦に使います》宣言の店ともいえる。」と書いています。つまり、こういうお店の蕎麦は総じて期待外れはない、と書いていますが、やはり「蕎麦は食ってみなけりゃ分からない」と結んでいます。
 山形県は、あちこちに蕎麦の美味しいところはあり、「蕎麦街道」なる場所もあります。しかも、普通の民家風の建物で、看板がないとわからないところだってあります。これなどは、プレハブのお店などよりは店を作るのにほとんどお金はかかっていないわけで、石丸さんの説にしたがえば、さらに美味しいかもと思ってしまいます。
 特に、古民家のようなかや葺き屋根の昔の建物なら、さらに雰囲気もあり、美味しそうに感じます。ここ米沢市内にもこのようなお店が何軒かありますが、ある1軒は曲り家を移築して建ててありますから、普通のお店より建築費はかかっているはずです。
 だから、蕎麦というのは、プレハブであろうと古民家であろうと、高級な数寄屋造りのお店であろうと、やはり食べてみないことにはわからないようです。さらに、食べる人によっても、更級がいいとか十割が好きとか、いろいろあるわけで、皆それぞれの好みではないかと思いました。
 この本のなかで、海外旅行から帰国して、一番最初に食べたいモノは何だろうかという話しが載っていました。人によってはラーメンだとか天麩羅だとかいろいろですが、石丸さんは「立ち食いそば」だそうです。
 私の場合は、学生の頃は米沢に帰ってくると、真っ先に食べるのがラーメンで、これを食べるとやはり米沢に帰ってきたという実感がありました。海外に行くようになると、帰国して真っ先に食べるのは寿司です。やはり、向こうでは生ものが食べられないことが多く、これを食べるといかにも日本に帰ってきたという感じがします。
 おそらく、これだって蕎麦のお店の話しと同じで、それぞれに好みがあるわけで、しかも年代によって変わってくる可能性もあります。
 そうそう、コラムには、調味料の砂糖、塩、酢、醤油、味噌の「さしすせそ」が取りあげられていて、それぞれにおもしろかったのですが、特に醤油は、米沢の話が出ていて、それがテレビ番組の「ごちそうさま」で取りあげようとこだわりの醤油を使っている食堂に向かっていたら、その直前にそのお店に車が突っ込んだらしく、取材中止になったそうです。それで、後日、再度取材に行くと、そのとき突っ込んだ乗用車の運転手が救急車で運ばれたのですが、それを心配した息子さんがお見舞いに行ったりして、いつの間にか仲良くなって結婚されたそうです。この世の中、ほんとうに何があるかわかりません。
 下に抜き書きしたのは、この本の最初に登場した駅長さんですが、「おわりに」にも再度出ています。
 著者の石丸さんが言うには、「食事は楽しいほうがいいに決まっている。その昔の我が家の周りには、食事をおもしろくする人たちで溢れていた。……だからいま、駅長さんの代わりになれればと語り部を繋いでいるつもりである。」と自分のやっていることを表現していました。
 たしかに、私もワイワイと楽しく食べたいのですが、最近の新型コロナウイルス感染症の拡がりで、「黙食」なる言葉も生まれ、自宅外では難しくなってきています。先ずは、早く収束してほしいと願っています。
(2022.5.22)

書名著者発行所発行日ISBN
蕎麦は食ってみなけりゃ分からない石丸謙二郎敬文舎2021年7月15日9784906822393

☆ Extract passages ☆

「大きなアタリがあってですな、グィと竿を立てると、ものすごい引きでしてナァ、大きなブリがかかっちょって、グイグイ取り込んで、最後にヨイショとあげたら、勢い余って船の反対側まで跳んでいって海にドボンと。んでもう一回エイッと引っこ抜いたら…こげなモノになっちょったんですワ」と言って、大きなタケノコを差し出すのである。
 要は、釣りに行ったものの一匹も釣れず、おみやげがないので、タケノコを掘ってきたという顛末を、駅長さんなりに演出しているのである。……
 おなじタケノコを貰うにも、楽しいほうがいいに決まっている。その夜、夕食に出された夕ヶノコの煮ものには、駅長さん話が付いてきて食草に笑いが漏れる。
(石丸謙二郎 著『蕎麦は食ってみなけりゃ分からない』より)




No.2065『カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎』

 昨日まで信濃三十三観音の旅に出てましたが、そのときの道案内の本が『地学でめぐる 信濃三十三番札所』でしたが、それといっしょに『カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎』と堀辰雄の『大和路・信濃路』(新潮文庫)も持っていきました。
 というのは、『地学でめぐる 信濃三十三番札所』を読んで、観音堂の建立が地形や地質などにも相当影響を受けていると知り、それなら出版されたばかりのこの『カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎』と、せっかく信濃路を巡るので堀辰雄の本もと考えたのです。
 先ずはこのカラー版ですが、写真や地勢図などのイラストもカラーで、とても見やすく、理解しやすかったです。第1章は「なぜ、そこに祀られているのか――神社編」で、第2章が「なぜ、そこに建立されたのか――寺院編」、第3章は「なぜ、そこが聖地になったのか――聖地・霊場編」です。
 それぞれに多くの人たちが知っている神社仏閣や霊場で、私も巡礼の旅で訪れたところもありました。やはり、ただ知っているところよりも、自分が行ったことがあるところは親近感もあるし、理解しやすいと思います。たとえば、第1章の「17.なぜ、八坂神社に防疫の神が祀られたのか」では、八坂神社も行ったことがありますが、インドの祇園精舎跡にも行ったことがあり、しかも、今の新型コロナウイルス感染症流行下では、防疫のことは切実な問題です。この本には、「牛頭天王はインドの祗園精舎を守護する神で、このため八坂神社は"祗園さん"として親しまれている。牛頭天王は、頭が牛で、憤怒の形相をした防疫神である。『日本書紀』一書では、スサノオは天上世界を追放されたのちに朝鮮半島の新羅に降り立ち、船で出雲の地に渡ったとする異説を紹介している。こうしたことからスサノオと牛頭天王は同一視された。貞観11年(869)に、京都で疫病が流行し、死人が多数出た。そこで東山の祠に祈願し、六十六本の矛を立て、悪疫を封じ込む御霊会を行ったところ疫病が収まったという。これが祗園祭のはじまりとされる。ちなみに八坂神社はかつては祗園感神院と呼ばれる神仏習合の施設で、比叡山延暦寺の末寺だった。」とあります。
 もともと日本は、夏の暑さと湿度をさけるために住宅を建てたぐらい、夏の疫病が大きな天敵でもあったようです。だから、ある意味、秋祭りというのは、豊作の喜びもあったでしょうが、そろそろ涼しくなって悪気や疫病もすくなくなるという安堵感もあったように私は思います。
 この本には、「現在、各地で繰り広げられている夏の祭りも、もとは病気除けを願う牛頭信仰まで行き着く。」と書かれていました。今年のインドは猛烈に熱いようで、マスコミの報道では生活を脅かすような影響があるそうです。そういえば、私がインドへ行ったときに、着いた飛行場で気温を測ったら、48.5℃でした。もちろん、日中に道路を歩くことはできず、夕方から動き出しました。その翌日の新聞を買ったら、その高気温で死者がだいぶ出たという記事が載っていました。
 やはり、どこの国も夏越しというのは大変なようで、そういう経験があるからなのか、秋になって涼しくなるととても気分がよくなります。
 以前から不思議だったのが、厳島神社のように海の中に鳥居が立てられているのはなぜかと思っていたら、「古くから神の島として侵攻されてきたので、島そのものを傷つけないように入り江に社殿が建てられたそうです。だから、鳥居もその入り江に立てられたので、潮が満ちてくると海のなかに立つということになります。そういうことを考えると、神社仏閣の建物も地形に応じてというだけでなく、歴史的なことなども調べなければならないと思います。
 また、熊野三山についても、たしかに那智の滝は落差が133mで、一段の滝としては日本一ですが、それでもなぜという疑問は残ります。この本には、「熊野の地形的特徴は山岳地帯と海が一体となった点にある。このような地形的特徴は珍しく、同じ特徴を持つ足招岬、国東半島、屋久島なども信仰の聖地となっている。那智川河国の浜辺から那智の大滝までの直線距離はわずか5キロ、水源まではそこから約1キロにも満たない。」と書いてあり、さらに「海からも見える景観とその背後にある豊富な鉱物資源が、那智の大滝の信仰の源泉になったと考えられるのだ。」といいます。
 たしかに、海と山が一体化して信仰の対象になるということは考えられます。私もそこを旅して、天地自然を肌で感じたことがあり、そうかもしれないと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第1章の「03.なぜ、鹿島神宮と香取神宮は利根川河口に祀られたのか」に書いてあったものです。
 私も坂東三十三観音霊場の旅をしたときに、この鹿島神宮と香取神宮をお参りしましたが、なぜ、こんなにも離れているのか不思議でした。しかし、この説明を読むとすっきりと理解できます。また第1番目に取りあげられている出雲大社にしても、私たちは今の地図で理解しようとしますが、古代出雲地方の海岸線を見ると、これもなるほどと思いました。よく、今の時代で昔のことを考えてもわからないといいますが、たしかにその通りだと思います。
 信濃三十三観音の旅をしながら、そのことも考えながら札所を巡りました。
(2022.5.19)

書名著者発行所発行日ISBN
カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎(宝島社新書)古川順弘・青木 康宝島社2022年3月24日9784299027702

☆ Extract passages ☆

 街道が整備されていない古代における遠距離の移動手段の主役は海上ルートだ。鹿島・香取両神官がある地は半島のように海に突き出た場所であり、関東にまで広がる内海と東北地方へとつながる外洋の出入り口にあたる海上交通の要衝となった。
『常陸国風土記』には、タケミカヅチが陸と海に自由に船を往来させたとあり、フツヌシが山河の荒ぶる神を平定したと記されている。また最後まで抵抗した神は星の神カカセオとされる。このことは目標物を見ながら沿岸部近くの水上交通から、星を頼りに航行する遠洋航海への移行を象徴的にあらわしているとも読み取れる。
(古川順弘・青木 康 著『カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎』より)




No.2064『地学でめぐる 信濃三十三番札所』

 今日、5月16日は「旅の記念日」で、1689(元禄2)年5月16日に松尾芭蕉が「おくのほそ道」に旅立ったそうです。
 そこで、私もこの日から信濃三十三観音の旅に出ることにしましたが、その道案内の本が、この『地学でめぐる 信濃三十三番札所』です。もちろん、札所の案内は書いてありますが、基本的には地学の話しが7割ほどで、「はじめに」のところで、「お寺と地学、どんな接点があるのでしょうか。お寺の立地と地質、断層、石造物などの石材利用、まわりの景観、隣接地の地学的特徴など、各方向から札所となっているお寺を紹介しました。お寺を通して、人びとと大地とのかかわりについて考え、大地の魅力をお伝えすることに努めました。」と書いてあり、この元々の話しは、長野市民新聞に「長野の大地。見どころ100選」(2001〜2003年)、「長野の大地・やさしい地学小事典」(2010〜2012年)、そして「長野の大地・地学歳時記」(2015〜2017年)を連載してきたものだそうです。
 たしかに、今回の信濃三十三番札所をまわり、観音堂付近の環境とか地元の人たちの取り組みとか、さらに怪奇な大岩などもたくさん見ました。たとえば、千曲市にある第14番札所の姥捨山長楽寺は、高さ20mほどある大きな「姥石」に添うようにして観音堂が建っていて、しかもその屋根はかや葺きで、周囲の木々の緑に映えます。この下にあるお寺もかや葺きで、しっとりとした静かな環境でした。聞くところによると、ここは松尾芭蕉があこがれていたところでもあり、ここで「更科紀行」を著したということです。とすれば、私も芭蕉の「おくのほそ道」をきっかけにしてこの旅を思い立ったので、何かししらの縁を感じました。
 また、この近くの「姥捨の棚田」は、過去に何度も地滑りが起きたところだそうで、ここの米がおいしいのは地滑りによって地表の土壌と粘土が深部まで練り込まれているからだそうです。やはり、ただお詣りするより、お堂のまわりのことなども見たり考えたりすると、たくさんのヒントがもらえます。
 そういう意味では、この本は案内書というだけでなく、新たな地学という見方を教えていただいたようです。
 また、第9番蓑堂山蓑堂(みのんどう)は、須坂市にあり、在家の方が管理しています。しかし、1965(昭和40)年から続いた松代群発地震によって参道が壊れ、蓑堂も傾いたそうです。案内書にも現在は入山禁止だと書いてあり、在家の方宅に祀られている十一面観音像をお詣りしました。それでも、なんとか近くまで行きたいと話すと、止めはしないけど、道はないので、電気柵を開けてそこから上るということだけを聞きました。そこで車に戻り、長靴に履き替え、電気柵を開けて入ると、「蓑堂山 九番 観世音」とだけ刻まれた石塔があり、その先は山道すらありませんでした。
 そこで、上ることを諦め、道路に戻り、蓑堂がよく見えそうなところを探しました。すると、柱状節理が見え、その山の頂に少し傾いたお堂が見えました。そういえば、この規則的な縦の割れ目が、なんとなく雨具の「蓑」に似ているかもしれません。
 たしかに、直接お堂まで行ってお詣りはできませんでしたが、下から見上げるように遙拝できたことで、満足しました。
 まだ、札所の半分もまわっていないので、この本はこれからもお世話になります。座右に置き、なるべく早く残りをお詣りしたいと思っています。
 下に抜き書きしたのは、今回のお詣りで最後に立ち寄った第11番 仏智山明真寺 清滝観音堂の開設です。ここだけをみると、やはり信濃三十三番札所案内ですが、やはり中味は地学に多くをさいています。でも、それがまた、楽しく読ませていただきました。
 ここに出てくる滝の下の阿弥陀堂や滝そのものも見てきましたが、やはり水量は少なく、それでも滝をみただけでもよかったと思いました。そういえば、その滝ツボをよく見ると、ここにも柱状節理のはがれ落ちて砕けた石がたくさんありました。
 また、「善光寺の鐘の音が聞こえる地域でアンズは実をつける」といわれているそうですが、今回の旅で7年に1度の善光寺「前立本尊」ご開帳の期間に朝参りができたことも旅の記念になりました。
(2022.5.16)

書名著者発行所発行日ISBN
地学でめぐる 信濃三十三番札所長野の大地編集委員会 編しなのき書房2020年2月4日9784903002613

☆ Extract passages ☆

 千手観音は、等身大の一木造りであるが、秘仏であり、前立観音がまつられている。縁起によると本尊は天平年間(729〜749)の行基の作と伝えられ、この地を訪れた際に桑の巨木から刻んだ3体のうちの1体といわれる。ほか2体は桑台院(7番)と清水寺(16番)に安置されている。当初、観音堂は清滝の上の堂平にあったが、その後、滝の下に移された。移された観音堂は、高さ3丈(約9m)もある舞台づくりであったが、江戸時代に火事で焼失し、さらに下った現在地に再建された。現在、滝の下には阿弥陀堂が建てられている。滝の水量は最近少なくなり、水が落ちる時期は限られる。
(長野の大地編集委員会 編『地学でめぐる 信濃三十三番札所』より)




No.2063『茶碗と茶室 茶の湯に未来はあるか』

 ほぼ10年前のこの本を読んで、おそらく新型コロナウイルス感染症の影響で、さらに「茶の湯に未来はあるか」と問わざるを得ないような気がしました。
 というのも、お茶会そのものも開くのは難しく、それが飲食をともなうお茶事であればなおさらのことです。しかも、お稽古もままならず、今までは濃茶の飲み回しも当然のようにしていたのですが、今では一人分だけの濃茶がほとんどで、少ないと点てるのもなかなか大変です。
 そのような状況のなかでこの本を見つけたので、読むことにしました。というのも、第15代樂吉左衛門さんは、私と同じ歳で、何年か前に山形市の「山形テルサ」で開かれた講演会で、誰も質問しないので私がしたのですが、「奇数代の方はとても革新的で、偶数代の方はどちらかというと保守的なような気がしますが」という問いに、「たしかにそういう面はありますが、私個人のなかにもその葛藤はあります」と答えられ、なるほどと思ったことがあります。
 このときの問いは、1998年6月30日から8月9日までサントリー美術館で開かれた『樂茶碗の400年 伝統と創造』を観たときの印象で感じたことでした。そして、何代も続くということは、伝統を守ることと新たな創造をすることの繰り返しにあるのではないかと思ったからです。今でも、そのときに求めた図録をときおり見ていますが、今でもそのときの印象は変わっていません。その後もいろいろな展示会で実物を拝見していますが、なんとか樂さんの茶碗が欲しいと思っていたら、10数年前に表千家の14代而妙斎宗匠の書付のある赤楽茶碗が手には入り、今も大切にしています。
 この本のなかで、「黒楽窯は年に二日しか焚かない。四月と十一月。それぞれ二、三十碗ずつ焼く。赤楽茶碗は黒楽のあいまにつくる。壁ぎわに赤楽用の窯がある。こちらは鞴をつかわず、したがって低火度で、匣鉢に三、四碗ずつ入れて焼く。黒楽と赤楽は釉葉がちがう。赤楽の釉は透明で、だから赤といっても、あれは土の色なんだと樂さんはいった。黒楽の釉は加茂川上流の川原石をくだき、自で粉にしたものを溶いてつかう。つくりかたに秘伝はない。」と書いていますが、赤楽の釉は透明で、土の色だと知り、さらに黒楽のあいまに3〜4碗ずつ入れて焼くということから、ちょっと遊び心があるのかもしれないと勝手に思いました。
 また、川瀬敏郎さんとの対談で、川瀬さんが「茶碗作りを継がない、という選択肢もありましたか」と聞くと、樂さんは「あったと思いたい。東京へ出て彫刻をやったのも、それから逃れるためだったような気もするし。でも結局、彫刻は作れなかった。そのときイタリアで、茶碗のことを考えたんです。茶碗なら作れるかもしれないと思った。」と答えています。
 ところが、川瀬さんの方は、「私は逆に、小さいときから花をいけるのが好きでした。実家は花屋で、池坊発祥の地とされる頂法寺六角堂の前にあり、代々池坊に花を納めていた。昔は花を売るだけでなく、いけるのも花屋の仕事だったから、四、五歳のころから番頭にくっついて京都の町家をまわって、私も花をいけていた。」そうです。
 たしかに樂さんと川瀬さんとでは正反対のような気がしますが、結果的にはどちらもその道では誰も近づけない独自の境地を開いています。つまり、悩みながらも進むことと、最初からほとんど悩まずに進むことも、その人なりの個性かもしれません。
 下に抜き書きしたのは、その話とつながりますが、樂吉左衛門著さんが茶碗作りの道に入る決心をしたのは、光悦の「乙御前(おとごぜ)」の茶碗だそうで、これを島原の角屋の2階「御簾の間」に置いてみたときのことです。
 私もこの茶碗を見たことがありますが、光悦は現在まで残っているのが40碗近くあるそうです。この茶碗を見ている樂さんの写真が載っていますが、なんともおだやかな表情で、自身も「優しい揺らぎ」と書いているほどです。
 私もときどきは樂さんの赤楽を持ち出して、ゆっくりとお抹茶を飲みたいと思いました。
(2022.5.14)

書名著者発行所発行日ISBN
茶碗と茶室 茶の湯に未来はあるか(とんぼの本)樂吉左衛門・川瀬敏郎・木村宗慎新潮社2012年5月25日9784106022326

☆ Extract passages ☆

 ふり返れば、彫刻家志望の学生として行き悩んでいた僕が、茶碗作りの道に入ることを決心したのは、この「乙御前」のもつ優しさに触れたからともいえる。何かを表現するのではなく、使われることで手から手へ伝わる、ほのばのとした心情。芸術が何であろうと、表現の意味がどうであろうと、それが使われるということの暖かさ、その心情さえ在れば、物を作り続けることができる。「乙御前」を愛することで、茶碗作りという自らの宿命を受け容れたともいえるかも知れない。あれからずっと僕の心の中心には、「乙御前」があ った。光悦はまさに僕にとって心の導き手であり、同伴者だった。
(樂吉左衛門・川瀬敏郎・木村宗慎 著『茶碗と茶室 茶の湯に未来はあるか』より)




No.2062『音読したい 偉人たちの最期のことば』

 この本を読んで、30人のそれぞれの生き方が垣間見え、知らなかったこともあり、何度か読み返したところもあります。
 著者がいうように、「人生の最期に残したことば(辞世の句、遺言状など)には、強く心に訴えかける名文や美しいことばがたくさん散りばめられています。」と思いました。
 たとえば、太田道灌は1486(文明18)年7月26日に54歳で暗殺されたのですが、しかも、代々仕えてきた扇谷上杉家の当主、定正の屋敷で入浴直後に襲われたといいます。そのときの刺客の問いかけに「かかる時 さこそ命の惜しからめ かねてなき身と 思ひ知らずば」と答えたといいますが、別な説もあるそうです。たしかに、いまわの時に、このような辞世の句を詠むことはなかなかできないと思うし、後世の付け足しもありそうです。私が知っている道灌の話しは、鷹狩りの途中でにわか雨にあい、近くの民家で蓑を借りようとすると、そこの女の人が「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」という『後拾遺和歌集』に載っている和歌を詠んだけれどわからなかったのを恥じて、それから和歌や漢学などを学び、一流の文化人になったということぐらいです。
 そういえば、皇居内に道灌濠があり、ここは道灌が作ったお城だったと思い返したこともありました。しかし、この逸話もじつは江戸時代の逸話集『常山紀談』によって広まったというのが定説だそうで、今では本当にあったかどうかもわからないようです。
 おそらく、この本に出てくる偉人たちの最期のことばも、その真偽の程はわからないものもありますが、その人らしいという雰囲気は伝わってきます。
 たとえば、1867(慶應3)年4月14日に27歳で亡くなった高杉晋作は、暴れ牛、快男児、風雲児ともいわれたそうですが、辞世の句は、「おもしろくもないこの世を おもしろく 住みなすものは心なりけり」と詠んだと『高杉家史料』に出ているそうです。しかも、これを詠んだときには、「結核を病んでいた晋作はこの後が書けず、そこで付き添っていた野村望東尼が「生きるのはその人の心がけしだいですね」と付句した、いわば合作です。晋作は「おもしろいのう」と微笑んで目を閉じたといいます。」とこの本には書かれています。
 つまり、辞世の句も合作というのは、ほとんど聞いたことがありません。やはり、剣や詩歌、さらには酒と女をも好んだといわれている、その性格が表れていると思います。
 この野村望東尼は、女流歌人であり、このときには61歳だそうで、福岡に平尾山荘を持っていて、高杉晋作のような志士をかくまい、密談の場所として提供していた勤皇派の人だったそうで、やはり、その当時の勤王の志士たちは、いろいろな方々に助けられながら活動をしていたということがわかります。
 こうして振り返ってみると、偉人たちの最期のことばには、彼ららしい辞世の句があると改めて思いました。著者がいうように、今の時代だからこそ、いかに生きるかを考えるためにも改めて読み直したいと思います。
 下に抜き書きしたのは、著者が「はじめに」に書き記したもので、今の日本では「死」を隠しがちな傾向があるとして、平安時代から平成の時代までの30編を集めたといいます。
 よく、死ぬことは、よく生きることと同じだといいますが、この本を読むと、その人となりがわかるような気がします。
(2022.5.12)

書名著者発行所発行日ISBN
音読したい 偉人たちの最期のことば齋藤 孝KADOKAWA2022年3月1日9784105901790

☆ Extract passages ☆

 人生を謳歌した者、志半ばで倒れてしまった者、どのような局面で死を迎えるにせよ、最期のことばには、その人の生き様が表われています。
 それらは声に出して読んでみると、新たな輝きを持って、私たちの心に響いてきます。
 大きな社会変化が起きているいま、日々「生」に悩んでいたり苦しんでいたりする私たちに、感動や希望、勇気を与えてくれるものも少なくありません。
(齋藤 孝 著『音読したい 偉人たちの最期のことば』より)




No.2061『百歳 いつまでも書いていたい』

 著者の瀬戸内寂聴師は、2021年11月9日に逝去されたのですが、そのニュースを見て、ほんとうにびっくりしました。というのも、現実はどのような体調だったのかはまったくわかりませんが、その活動だけをみると、まさに八面六臂だったように思っていました。
 1ヶ月前から入院治療していたそうですが、2021年11月9日6時3分、心不全のため京都市内の病院でなくなり、99歳だったそうです。大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家であるだけでなく、出家してからの活躍も天台寺の再興だけでなく、法話などもたくさんの人を集めて精力的にこなしていました。法名は「Y文心院大僧正寂聴大法尼」だそうです。
 さて、この本ですが、なくなった方は数えで年齢を書くので、百歳まで書いていたことになります。
 あらためて読んでみると、寂聴節というようなものが随所に見られ、スラスラと読めました。たとえば、「もう生きていることがワクワクすることでしょう。ワクワクしないで生きていてもつまらないじゃないですか。わたしは、ワクワクのほかに、ソワソワが入ったほうが楽しいと思うんです。何か、毎日同じ状態が続いて、何も感動しないというのはつまらないでしょう。ところが、86年も生きてごらんなさい。もう何を見ても驚かないし、何が起こっても、「あ、そう」って感じなのね。ちっともそこで、心躍ったり、血が騒いだりしないんです。それが何かいやで。いかにも年寄り臭いでしよう、そういうの。だから、何かワクワクすることはないかなと思って、考えているんです。それが若さの秘訣かもしれませんね。」とインタビューに若々しさの秘訣を聞かれて答えています。
 たしかに、ワクワクしたりソワソワしたりする気持ちがあれば、若くしていられるような気がします。よく、寂聴さんといえば法話が有名ですが、もともとは好きではないそうです。でも、「自分のために、自分が、心が安らかになるように」と出家したそうですが、僧侶になった以上は法話は義務だといいます。たしかに、「六波羅蜜」という教えのなかに「布施波羅蜜」というのがあり、僧侶としての布施は法を説くということです。だから義務というなくもないのですが、でも、それを聞いてくれる方がいなければ成り立たないわけで、全国からその法話を聞くために天台寺に集まることを考えれば、すごいことです。私も2019年6月25日に奥州三十三観音巡りで第33番札所の天台寺に行きましたが、その駐車場の広さにびっくりしました。私がお詣りしたときは私の車だけでしたが、年に何回か開かれる法話の会のときだけ満車になるのではないかと思いました。
 それほどの魅力はどこにあるのかを本人に聞くと、「笑いたくて来るんじゃないですか。みんな、グラグラ笑って。だって、笑わなければ元気が出ませんものね。だから、いいんじゃないですか、お金をかけないで笑わせてもらえば。」とあっけらかんと答えています。
 この明るさがいいようです。どんな悩みも、明るく接してもらえれば、元気にもなります。そして、「自分自身が幸せにならないと、人を幸せにすることはできません。だから、やっぱり、自分がまず幸せになって、それで、その幸せになった人は、そばに行っただけで、何か幸せなものが来るじゃないですか、雰囲気がね。それでいいんじゃないですか。まず自分が幸せになって、その余波で人さまも幸せにすれば、それでいいんじゃないかな。自分が不幸せで、人を幸せになんて、そんなことできませんよ。」といわれれば、たしかにそうかな、と思います。
 これは私も実感することで、明るくて元気な人に話し相手になってもらうと、なぜか自分もそのようになるようです。
 しかし、寂聴さんでも、2019年12月9日の「寂聴サミット」で、自分の身体が少々悪くても「法話はするんですよ。そのときは起きて、でも、着物を着るのがもう面倒くさくてね。だけどちゃんと着る。これは自分で着るのよ。終わったら自分でたたむの。「ああ、面倒くさい」と思いながら、それでも、着物を着て、袈裟をかけて、それでみんなの前に行ったらね、しゃべりまくる。」というから、やはり義務感だけではなく、人と愉快に話しをするのが好きなんでしょうね。
 下に抜き書きしたのは、著者87歳のときの「ラジオ宅急便 こころの時代」で「悔いなく生きる」で話したことです。
 これは第3章の「書くこと」は自分を発見すること、の中にある「はじめに」のところにあるもので、今の日本では「死」を隠しがちな傾向があるとして、平安時代から平成の時代までの30編を集めたといいます。
 よく、死ぬことは、よく生きることと同じだといいますが、この本を読むと、その人となりがわかるような気がします。
(2022.5.9)

書名著者発行所発行日ISBN
百歳 いつまでも書いていたい(NHK出版新書)瀬戸内寂聴NHK出版2022年3月10日9784140886724

☆ Extract passages ☆

やっぱり、死ぬまで人間は、自分の中の可能性を引き出す力があると思います。生まれたときにいろんな可能性をいただいているんですよ、先祖からも、仏さまからも、神さまからも。それはみんな、同じ分量をいただいていると思うんです。それを、生きている間に、どれだけ外に出すことができるか、引き出すことができるかということで人生が変わってくると思うんです。死ぬまで可能性はあります。
(瀬戸内寂聴 著『百歳 いつまでも書いていたい』より)




No.2060『[ヴィジュアル版] プラント・ハンティングの歴史百科』

 昔からプラント・ハンターには興味があり、なぜあのような困難の旅を繰り返すのか不思議でしたが、私も何度か中国の奥地を行き、それに近い経験をすると、そのプラント・ハンティングそのものの魅力に取り付かれたしまったのではないかと思うようになりました。今でも思い出すのがブータン王国へ行ったときで、密林のなかに入ってヒルにあちこち吸われながらも見たシャクナゲは、とても筆舌に尽くせないほどきれいでした。
 だから、この本のなかで一番興味を持ったのは「シャクナゲ」で、だいぶ前から1度でいいからJ.D.フッカーの『Rhododendrons of Sikkim-Himalaya』という本を見てみたいと思っていました。ところが偶然に、2014年7月にイギリスのキューガーデンで見せてもらえることになり、その本だけでなく、描かれた原画も目の前にあり、研究所の方にそろそろと言われるまで見ていました。
この本では、「フッカーがより長い遠征に出ることができたのは、1849年5月のことだった。シッキムのラジャは、チベットを統治する北側の強力な隣国である中国を怒らせることを警戒していた。フッカーは、日立たないように国に潜入したデヴィッド・ダグラスとは違い、木登り係、射撃手、ポーター、警備員など50人以上の側近を連れて旅をした。その中でも、最も重要だったのは、毎晩1時間以内に「テーブルとベッド台」を備えた「防水の家」を準備できる頼れるレプチャ人たちであり、フッカーはそこでシェリー酒を飲みながらその日の発見をゆっくりと見返すことができた。」と書かれていて、おそらく、このような優雅なプラント・ハンティングをした人は一握りではなかったかと思います。たとえばジョージ・フォレストもこの本で詳しく解説していますが、まさに命を懸けるような危険な目に何度も遭っています。たとえば、「唯一の脱出方法は、鬱蒼とした竹やシャクナゲの森を抜け、雪に覆われた高い峠を越えることだったが、裸足では足が「粉々になってしまった」。「このような標高の高い場所で、何の覆いもせずに寝るのは、ひどく寒かった。ある夜は、大雨が降って火が使えず、マツの皮に含まれたごく少量の雨水でしのぐしかなかった」さらに辛かったのは、彼が歩いていた場所は、花の楽園だった。そこには何エーカーもの土地にプリムラやシャクナゲ、「この上なく美しい」ポピーなど、数えきれないほどの見事な花が咲いていたが、彼はどれも集めることができなかったのだ。しかし、彼の苦しみは、かつての同僚たちに比べれば微々たるものだった。助手17人のうち生き残ったのはひとりだけで、神父たちは何目もひどい拷間を受けた後、長く苦しい死を迎えた。フォレストが足をひきずりながら大理に行くと、彼は自分が死亡したと報告されていることを知った。そして、スコットランドで喪に服していたフォレストの家族に、彼の無事を知らせる電報が届けられた。」とあり、結局は1932年1月に雲南省の謄沖の近くで心臓発作で亡くなっています。
 このなかに出てくる「この上なく美しい」ポピーというのは、ヒマラヤの青ケシのことで、私も雲南省の大中甸で見たときには、写真も撮らずにそこに座ったまま見つけていたことがあります。それをただ見ながら逃げざるを得ないというのは、本当に残念だったと思います。また、このような状況下でほとんどのプラントハンターは必死に夢に浮かされるようにしていたような気がします。
 私も、この大理にはなんども行ったことがありますが、昔は外国人は入れず、1985年5月に開放されて私たちも始めてそのときに入りました。
 そういえば、2017年にイギリスのエジンバラ植物園に行ったときに、そこの標本館でフォレストの採取した標本を見せてもらったことがあります。そのなかには、1917年に採取した「R haematodes subsp chaetomallum」や同じく1917年の「R edgeworthii」、1918年に採取したR roxieanum var cuculatum、1921に採取した「R forresti var repens」などもありました。それらを見ているだけで、どのような状況で採取したのかと考えるだけでワクワクしました。
 極めつけは、ダーウィンがビーグル号で公開したときに採取した標本を見せてもらったときで、ここまで来てよかったと何度も思いました。
 この本も、読んでいるだけでワクワクして、自分がプラント・ハンティングをしているかのような雰囲気を味わえます。ヴィジュアル版ということで、その当時のイラストなどもたくさん掲載してあり、私がキューガーデンで見せてもらった「R.thomsonii」も載っていて、時を忘れたかのように何度も見ていました。
 下に抜き書きしたのは、フランク・キングドン・ウォードについての話しです。
 私も彼が書いた岩波文庫の『植物巡礼: プラント・ハンターの回想』を読みながらネパールのシャクナゲを訪ね歩いたことがあり、そのときのことを思い出しました。また、同じ岩波文庫の『ツアンポー峡谷の謎』を読み、2020年3月にそこに入る許可をもらい、航空券も予約していたのですが、新型コロナウイルス感染症の拡がりで行けなくなってしまいました。今も、なかなか諦めきれずに、その航空券の予約コピーをときどき見ては、ため息をついています。
(2022.5.6)

書名著者発行所発行日ISBN
[ヴィジュアル版] プラント・ハンティングの歴史百科アンバー・エドワーズ 著、美修かおり 訳原書房2022年3月30日9784562071623

☆ Extract passages ☆

 高所恐怖症で、蛇も怖くて、寒さが大嫌いな男が、中国――ヒマラヤ地方でプラント・ハンターになろうと決心し、50年もの間、ジャングルで迷子になり、永遠に雪に閉ざされた土地で数々の困難に耐えてきたのは、なぜだろうか。
 フランク・キングドン・ウォード(1885〜1958年)の場合、それは単に必要性に迫られてである。プラント・ハンティングは、彼の飽くなき探究心を満たすための最も現実的な手段だったのだ。
(アンバー・エドワーズ 著『[ヴィジュアル版] プラント・ハンティングの歴史百科』より)




No.2059『フォンターネ 山小屋の生活』

 この本は、30歳になった僕が都会での生活で何もかもが枯渇してしまい、アルプスの山小屋にこもった話しです。実際の著者も、2022年2月現在、1年の半分をミラノで暮らし、残りをアルプス山麓で過ごしながら執筆活動を続けているそうです。代表的著書は『帰れない山』で、これは山小屋での生活と四季の美しさを綴っているそうで、いつか読んでみたいと思います。
 さて、この本は、今の新型コロナウイルス感染症の時代には、まさに不要不急といわれない生活で、ほとんど人と触れ合うことのない山小屋での生活です。そして、フォンターネというのは、ブァッレ・ダオスタ自治州の標高1900メートルの山の中にある小さな村、ブリュソンの「フォンターネ」という集落です。私はこの「フォンターネ」を見たときには、もしかして、ドイツのハインリヒ・テオドール・フォンターネという小説家・詩人のことではないかと思ったのですが、翻訳者は、無意識のうちに「フォンターネ(fontane)には「源泉」「給水所」といった意味がある」ので、「書けない」ということで山小屋暮らしを考えたのだから、そこから抜け出すためにここに決めたのではないかと「役者あとがき」に書いています。
 どちらにしても、山小屋の暮らしは孤独であり、主人公は、「孤独感というのは時間の経過とともに増すものだと思っていたが、逆だった。僕は最初の数日こそ戸惑っていたものの、すぐに、すべきことがいくらでもあると気づいた。辺り一帯の様子を地図に書き込み、見つけた動物や花を分類し、森で薪を集め、樅の樹脂で実験をし、山小屋の周囲の草を手入れする。徐々に融けてくる雪の下から意外なものを見つけることもあった。アルプスマーモットの骸骨、野外で焚いた火の消じ炭、トラクターの轍。冬眠から目覚めた鼠があけた穴からは勇気をもらった。鼠が雪の下で半年生き延びられたなら、僕がこれから太陽の下で過ごす季節など子どもの遊びのようなものだろう。」と書いています。
 私は、もともと孤独というのは多くの人たちとの間に生まれるもので、大都会であればなおさら、孤独感というのは強く感じられるのではないかと思っています。それが山のなかであればあるほど、人と接触する機会がなければないほど、孤独を感じることはないと思います。
 むしろ、山の自然のなかにはたくさんの興味深いことがあり、動物たちとの触れ合いもあります。毎日、風景も変化すると、植物たちも次々と咲いては実を結んでいきます。それらを考えただけでも、主人公のように「すべきことがいくらでもある」と気づくのではないかと思います。
 コロナ禍になってから、なかなか旅行にも行けなくなりましたが、それでもほぼ毎日、小町山自然遊歩道を歩いていると、日々新たな発見があり、ワクワクします。そういう意味では、私の現在の生活は、この『フォンターネ 山小屋の生活』に近いのではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、山小屋のあたりの歴史を語るうちに、その人間の営みの変化について書いているところです。
 このような状態は、ヨーロッパアルプスだけの問題ではなく、日本の奥山の過疎化だって、似たようなことが起きています。昔、大変な思いで新田開拓をしたのに、今では柳などが生え、田んぼの形さえわからないほどです。おそらく、子どもたちに、昔はここに田んぼがあり、稲が実っていたと話しても、信じてはくれないかもしれません。それほど、変わってしまいました。
 もし、食糧事情が変化して、また田んぼが必要になったとしたら、最初の新田開発と同じぐらいの労力が必要になります。だとしたら、やはり手軽に輸入したほうがよいとなるでしょうが、もし輸入すら出来なかったら、自分たちで食料を自給するしかないので、そのときになってからでは遅すぎるような気がします。
(2022.5.2)

書名著者発行所発行日ISBN
フォンターネ 山小屋の生活パオロ・コニェッティ 著、関口英子 訳新潮社2022年2月25日9784105901790

☆ Extract passages ☆

僕の周囲にある、樹木や草原や渓流からなる、一見したところひどく手つかずで野性的に見える景色も、実のところ人間の手によって何世紀もかけて造りあげられたもので、都会のそれと変わらぬ人工的な風景なのだ。もし人間がいなかったら、山の上のものはひとつとして現在とおなじ姿をしていなかっただろう。渓流も然り、荘厳な巨木も然り。いま僕がこうして陽射しを浴びて寝そべっている牧草地も、人間がいなければ鬱蒼とした森で、倒れた幹や折れた枝、苔むした岩塊があちこちに転がり、林床には柏槙やブルーベリーが生い茂り、根が絡み合い、足を踏み入れることすらできなかったにちがいない。アルプスの山々には荒野は存在せず、長い人間の営みの歴史があるのだ。それがいま、放棄の時代に直面している。
(パオロ・コニェッティ 著『フォンターネ 山小屋の生活』より)




No.2058『ポピーの文化誌』

 この本は、「花と木の図書館」シリーズで、『松の文化誌』や『チューリップの文化誌』、『リンゴの文化誌』などは読みましたが、いずれも写真が多く、楽しみながら植物たちの話しに興味を持ちました。今回はポピーで、私がこの仲間で一番思い出に残っているのは、1997年の中国雲南省の中甸で出合った「ヒマラヤの青ケシ」です。
 その後も、なんどか自生地で見ましたが、やはり最初に見た印象が強く、今でもときどき思い出します。この「ヒマラヤの青ケシ」といわれるメコノプシス属は、現在では40種を超えるといわれていますが、そのほとんどが多年生で、なかには1回結実性のものや、ロゼットの状態で1年以上過ごして結実すると枯れてしまうものもあります。
 一般的なケシ科の植物は、刮ハのなかに「たいてい多数の種子を含んでいる。熟すと、各子房の先端に小さな孔が開く。孔の上に1本ずつすじがあり、柱頭に由来するので、すじの数は子房の数と同じである。ヒナゲシの場合、花が受精したら種子が大量にできて、孔を通って刮ハからまき散らされる。種子は非常に小さく、1個の重さが約0.1ミリグラムで、1個の刮ハに平均で1300個以上の種子ができる。そういうわけで、本当に大きな株だと1度の生育期で30万個もの種子を作ることができる。十分に成長したものなら、3万〜5万個が普通である。茎は細くしなやかで、いつも風に吹かれて揺れているので種子が効果的にまかれ、よく食卓のコショウ入れからコショウをまき散らすのにたとえられる。」とこの本には書かれていて、そういえば、小さいもののたとえに「ケシ粒のような」という言葉もあります。
 気になるのは、このケシの実がパンなどの上にトッピングされていますが、これらパンやそのほかの食品に使われているのには、麻薬成分が感知できるほどの量は含まれていないそうです。
 それよりも、このケシのなかのポピーは、「多くの国でポピーは戦争で死んだ人々の追悼のシンボルになり、ほとんどどこでもどんな花か知られている。紙やそのほかの材料で作られた何百万個ものポピーが、11月に停戦を記念して販売され、リメンブランス・デーと呼ばれる11月の第2日曜日ー―1918年に休戦協定が調印された日時である11月11日11時にもっとも近い日曜ー― に式典が催される。」とあり、今、ロシアによるウクライナへの侵攻で毎日悲惨な状況がリアルタイムで伝えられていることから、一日も早い休戦が望まれています。
 このきっかけになった詩は、1873年生まれのカナダの軍医、ジョン・マクレー中佐によって書かれたもので、彼は1914年に西部戦線で従軍していたそうで、1915年の第2次イーペル戦で野戦病院を任され、たくさんの惨事を目にしていたと思われます。この「フランダースの野に」という詩は、1915年12月8日に雑誌『パンチ』に匿名で発表したそうで、ちょっと長いのですがここに掲載しますと、

 フランダースの野にポピーが揺らぐ
 十字架の間に、何列も何列も、
 ここがぼくたちの場所 空には
 今でも元気な声で飛ぶひばり
 かすかに聞こえる地上の砲声の中で

 ぼくたちは死んだ 数日前には
 生きていて、夜明けを感じ、輝く夕焼けを見た
 愛して、愛された、それなのに今では
 フランダースの野に横たわる

 敵との争いを終わりにしよう
 弱ってきた手でぼくたちはトーチを投げる
 受け止めて高くかかげてくれないか
 死んだぼくたちとの約束を守れないなら
 ぼくたちは眠れない、ポピーの花が
 フランダースの野に咲き誇っても
  [小沼通二訳/『図書』2015年11月号所収/岩波書店]

 この詩をきっかけに、第1次世界人戦以降、戦死者を追悼する詩のなかにしばしばポピーが取り上げられ、さらにマイケルやジェイクスの詩のようにこの詩そのものを引用しているものもあるそうです。そして今も、紙やシルクで作ったポピーの花が戦没者追悼のシンボルとなり、日本の赤い羽根募金のように、戦争被害者の救済のために使われていることを知りました。
 もし、このことに興味があれば、ぜひこの本の第6章「戦没者追悼のシンボルとしてのポピー」を読んでみてください。
 もちろん、ケシの仲間には、アヘンをつくるケシもあり、むしろそれの方が有名かもしれませんが、個人的にはあまり興味がないので、さらっと読んだだけです。
 下に抜き書きしたのは、第1章「ポピーとは何か」の最初に書かれていたものです。
 ただ、農家にとっては畑にポピーが生えると作物に被害が出るので、あまり好ましい植物ではないのですが、ヨーロッパで農業が始まったころからの花だそうです。つまり、農業と切っても切れない深い関係があり、現在では、むしろ「ポピー・デー」に戦死者を追討するシンボルとしてよく知られているのではないかと、この本を読んで思いました。
(2022.4.29)

書名著者発行所発行日ISBN
ポピーの文化誌アンドリュー・ラック 著、上原ゆうこ 訳原書房2022年2月24日9784562059584

☆ Extract passages ☆

さまざまな意味で、ポピーは麦畑の代表的な雑草だ。農地など耕された土地や攪乱地[造成されたり掘り返されたりしてかき乱された土地]にだけ生える。特有の色をした成長の速い植物なので、かならず気づき、ほとんど誰でもそれがポピーだとわかる。麦畑全体がとても鮮やかな緋色に染まるほど大量に発生することがあり、すると何キロも離れたところからでも見える。
 そんなポピーの花畑は古くから受け継がれてきた文化の一部であり、画家、詩人、そのほかの文筆家たちに多大な影響を与えてきた。
(アンドリュー・ラック 著『ポピーの文化誌』より)




No.2057『お茶と権力 信長・利休・秀吉』

 著者の田中仙堂さんは、大日本茶道学会の会長だそうで、だとすればお茶人です。その立場から「お茶と権力」を書くとどのようになるか、とても興味があり、読むことにしました。
 先ずは、足利幕府においては、唐物と称して、大陸から招来されてきた道具を飾り、闘茶などをしていましたが、信長は茶道具や茶会を家臣評価のバロメーターとして利用したといいます。そして秀吉は、「信長の茶会政策を「御茶湯御政道」(家臣に茶会を禁じた)と振り返ってみせたが、それはあくまでも自分の貢献を際立たせるための方便である。秀吉自身は、これまで検討してきた信長の茶会政策の本質を正しく見極めており、そちらを踏襲して、茶会を政治的メッセージを発する場として使っていく。」と見ています。
 そういう意味では、もともと茶道というのは男の世界であり、いわばお茶室という密室のなかで政略の話しもしていたのではないかと思います。だから、外に刀掛けがあるのも理解できます。
 そういえば、織田信長が「蘭奢待」を切り取らせたというのは有名な話しですが、どのようにしたのかはわかりませんでした。この本では、「『信長公記』は、寛正6年(1465)の八代将軍足利義政の奈良下向以来、開封は絶えてなかったのが、百十年ぶりに主君信長のもとで叶ったことを、織田家最大の名誉として記録している。これが、信長が当時、周囲に期待した受け止め方であろう。この切り取りには、津田宗及をはじめとする堺衆も同行していた。信長は、三千名の軍勢を引き連れ、27日の夕刻に奈良の多聞山城に入る。多聞山城は、松永久秀の居城だったところである。蘭奢待は多聞山城に持ち込まれて、東大寺の大仏師によって、切り取られた。切り取られたのは二片で、一つは朝廷に献上された。もう一つは言うまでもなく信長用である」と書いてあり、蘭奢待を切り取らせることにも、権力者として知らしめることがあったようです。
 やはり、権威というのは、どこかにその裏付けを求めるようで、それが名物茶道具や官位などにも表れているようです。
 しかし、権力者というのは、いつの世も気まぐれで、いつどのように気持ちが変わるかわかりません。たとえば、もともと利休は秀吉の相談役のような役目で、大友宗麟が大阪城を訪ねたときには秀吉自らが城内を案内し、その後で秀長と面会したときに、「帰り際に秀長は何事も自分が心得ているから安心するように言った後に、「内々之儀者、宗易、公儀之事者、宰相存候」(内々のことは利休、公儀のことは自分がわかっているから、悪いようにはしない)と付け加え、人が見ている前で手を取って別れた秀長に宗麟は感じ入り、秀長を頼っていこうと決心する。」と書いてあり、相当頼りにしていた様子がうかがえます。
 しかし、自宅に蟄居を命じられ、切腹させられてしまいます。
 下に抜き書きしたのは、第8章「利休はなぜ追放されたのか」に書かれていたものです。
 この問題は、お茶に関わる人たちだけでなく、いろいろな人たちの興味をひく問題で、昔からいろいろな説があります。たとえば、米原正義著『天下一名人 千利休』には、主な説だけで12説あるとしていますし、この本の著者の説は「利休の「天下一」の自負説」を加えると13になるといいます。それ以外には、中村修也さんは切腹そのものを否定していますので、さらに増えます。つまり、本当のところはわからないとしかいいようがありません。
 下に書き写したものは、信長が家臣たちへの褒美として茶道具の価値を高め、茶会を開催できることも信長から重用されている証しとしていました。それを秀吉はどのように継承していったのかということについてです。
(2022.4.26)

書名著者発行所発行日ISBN
お茶と権力 信長・利休・秀吉(文春新書)田中仙堂文藝春秋2022年2月20日9784166613304

☆ Extract passages ☆

 足利将軍家の蒐集を由緒とする茶道具の名物を集めた信長が、将軍を立てるようでありながら、実質的な権能を自分のものにしていったことをなぞるかのように、信長旧蔵の由緒も加わった茶道具を集める秀吉は、織田家を立てるようでありながら、実質的な権力を自らのものにしていく。そして、軍門に降した信雄、家康にも茶道具を下賜し、信長が配下に茶道具を下賜したように、今や自分が上位者であることを示したのである。
 ここまでは、信長を手本にしてきた秀吉だが、もっと明白に自分が上位者であることを示す手段を手に入れた。
 それが官位であった。官位を独占的に仲介することで服従の手段とすることは、不完全ながら鎌倉幕府以来試みられて来たことである(本郷恵子『将軍権力の発見』)。豊臣姓を 下賜され、氏の長者となった秀吉は、室町幕府はもとより、徳川幕府にもできなかった官位制に加えて、氏姓制度も利用することができた。
 秀吉は、もはや「茶会」に頼らずとも、「威光」を示し上下関係を明白にする手段を手にしてしまったことになる。
(田中仙堂 著『お茶と権力 信長・利休・秀吉』より)




No.2056『モチベーションの心理学』

 著者の苗字が読めなくて、「しかげ」とパソコンに入力したら、「かげ」の誤読と表示され、鹿毛(かげ)と読むことを知りました。近ごろのワープロは、ほんとうに賢いです。
 もともとモチベーションが高いほうではありませんが、好きなことだと時間を忘れて続けてしまうこともあります。たとえば、本を読んでいるうちに暗くなり、電気も付けずに読んでいたということも昔はよくありました。今は、集中力も視力もなくなり、ちょっと暗くなっただけで、すぐ気づくようになりました。
 そういえば、よく、モチベーションを説明するのに目標という言葉を掲げますが、この本では、『目標は「人が成し遂げようと努力する最終段階について、心の中に主観的に思い浮かべる具体的なイメージ(認知的表象)」と定義される。この定義によれば、「ダイェット」も「おやつの我慢」も「チョコレートを食べるのを土曜日だけにする」もすべて目標だということになる。人は目標を設定することで、それを達成するための計画を具体化し、実際に行動を起こす。このように「ある結果を望み、それを意識し、その実現のために努力する存在」として人をとらえ、目標という用語によってモチベーションを説明する考え方を「目標説」と総称することができる。』と書いています。
 たしかに、目標がモチベーションに直接影響を及ぼす要因であるということは、誰しも考えることですが、その目標にアプローチする方法にはだいぶ個人差もあり、それこそが「その人らしさ」が現れるようです。
 ですから、この本を読み始めたときには、どうすればモチベーションを保てるかとか、どうすればやる気が出てくるかという現実的なことを考えていましたが、この本はそのようなハウ・ツー本ではなく、むしろ、モチベーションそのものを研究し、それを体系化してきた業績なども紹介しています。
 なかでもおもしろいと思ったのは、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが、「意識と非意識の性質やはたらきを二重プロセスと呼んでいる」ことについてです。「まず、われわれは誰でも2つのシステム、すなわち、 システム1とシステム2を持っているという。システム1とは、速い思考、 つまり、自動的に高速ではたらき、努力はまったく不要か、必要であってもわずかで、自分がコントロールしているという感覚が一切ない非意識的な「自動操縦モード」を指す。それに対して、システム2とは、遅い思考、つまり、時間をかけて注意を傾けたり、熟考が必要だったりする際に起動する「意識的で努力や自制が必要なモード」を指す。」という内容についてです。
 つまり、システム1とシステム2とで役割を分担することで、問題を効率的に解決するというのです。これはたしかに理解できることで、だからこそ、システム2で十分に時間をかけて問題解決ができるわけです。おそらく、日常生活でもこのようなことはしているはずで、ほとんどが習慣化して考えることもなくしていても、これはということに関しては、しっかりと考えて対処しています。
 やはり、脳というのは、とても効率的で利己的だなと改めて思いました。
 下に抜き書きしたのは、達成の公式といわれるものです。
 もちろん、達成にも個人差があり、「何を達成とするか」や「どの程度で達成とみなすか」などの問題もありますが、どちらにしても、「当人にとって価値ある行為をすること」という、それをやり遂げることが達成感につながるようです。
 この『モチベーションの心理学』を読んで、いかにモチベーションが大切で、それを維持することが大変かもわかりました。抜書きカードも、知らず知らずのうちに、8枚にもなっていました。
(2022.4.24)

書名著者発行所発行日ISBN
モチベーションの心理学(中公新書)鹿毛雅治中央公論新社2022年1月25日9784121026804

☆ Extract passages ☆

 達成(パフォーマンス)=能力×モチベーション
 この式は、達成が「能力」と「モチベーション」の積であることを示している。つまり、@達成は当人の能力とモチベーションに規定されること、A能力が高いほど、あるいはモチベーションが強いほど、達成も大きくなること、Bたとえ能力があっても、モチベーションがゼロであれば成果が出ないこと、Cいくらモチベーションがあっても能力がゼロであれば成果が出ないことを意味している。
(鹿毛雅治 著『モチベーションの心理学』より)




No.2055『もういいかい まあだだよ』

 小椋佳といえば、私にとっては、「シクラメンのかほり」ですが、植物のシクラメンにはほとんど香りがないし、「香り」の仮名遣いでいえば、「かほり」ではなく「かをり」が正しいと思ってます。でも歌の歌詞では、やはり「シクラメンのかほり」でないと慣れ親しんだ歌ではないような気がします。
 この「シクラメンのかほり」について小椋佳は、本のなかで「できるだけ新しい言葉を創って、もっともっと、今までになかったような新しいイメージ世界を表現したい。そのためには、"かおり″ではダメだった。″かほり"でなくてはならなかったんです。もともと、シクラメンは匂いのない花です。でも、匂い、つまり"かおり″はなくとも、「匂い立つ」ものはある。その匂い立つものを、″かほり″と表現し、男女が出会つて、愛し合って、別れていく風景へと重ねたわけですね。そんなふうにして生まれてきた『シクラメンのかほり』。その後、何年かして、品種改良の末に本当に匂いのあるシクラメンが誕生したと聞き、ちょっと驚きました。」と書いています。
 やはり、想像した通り、新しい言葉のイメージがあったわけです。さらに、この歌は、「営業先のオランダ航空のオフィスに飾られていた鉢植えのシクラメンから想起した歌」だそうで、「実際に形にするのは帰宅してから。改めて机に向かって詩を書いていると、書きながら、それがメロディーになってくる。だいたい口ずさんで創っちゃう。」というから、すこいことで、しかもギターなどの楽器は使わないそうです。この本のなかでも書いていますが、もともとギターは弾けないし、ピアノは76歳の手習いだそうで、ほとんどの曲は頭のなかでイメージできたようです。
 そういえば、名前の小椋佳というのは、福島県の早稲沢の民宿に泊まったことの縁で「小椋」というのは知っていましたが、「佳」というのは、奥さんの佳穂里さんの名前の一字からとは知りませんでした。だから、「シクラメンのかほり」の「かほり」も奥さんのことではないかとまことしやかに言われたのかもしれません。
 それにしても、銀行員時代はまったくのベールに包まれていましたし、退職してからもあまり私生活については語らなかったと思います。でも、この本の最後に、「本書は語り下ろしです。」とありますから、小椋佳が語ったことを、誰かが書いてくれたもののようで、ところどころに(笑)とあったのも納得です。そして、ラストアルバム『もういいかい』を発表し、歌手活動に一区切りをつけたのを機会に、「誰のようにも生きられず、誰のようにも生きもしなかった」自分の人生をつれづれに振り返ったもの、それがこの本というわけです。
 でも、端から見ると人生が順風満帆のように見えても、いろいろな苦労はあったようで、聴いてきた曲からはまったく想像もできないことばかりです。銀行員時代に、単身赴任で浜松支店長のときに「個職双善」でいこうと話したそうですが、これは「個人の個と、職場の職と、両方の双、ふたつという意味ですね。善は善悪の善。「個人としても、職場人間としても、両方善い」という暮らしをしようじゃないか。そんな思いを込めた「個職双善」だったんです。」と書いています。そして、「だいたい、寝る間を惜しんで仕事するようなヤツに、 いい仕事をする人間なんかいません。寝る間を惜しんで遊ぶんなら、わかるんですけどね。」あり、だからこそ、銀行員と音楽の両立ができたのではないかと思いました。
 でも、両方とも超一流というのはさすがです。
 下に抜き書きしたのは、お迎えが来る日までの生活の指針です。
 シャキシャキ動くことをあきらめて、ゆっくりとしか動けない自分を受容する、といいますが、その現状をそのまま受け入れることは、意外と難しいのではないかと思います。でも、結果的には受け入れざるを得ないところもあり、なかなか生きることって大変だなと思います。
(2022.4.20)

書名著者発行所発行日ISBN
もういいかい まあだだよ小椋 佳双葉社2021年12月25日9784575316834

☆ Extract passages ☆

 シンプル〜代わり映えのない暮らしでよし
 スロー〜ゆっくりでよし
 ステディ〜一歩一歩、しっかり歩こう
 スマート〜頭を使って賢く生きよう
 それぞれの英語の頭文字を取って、「4つのS」です。
 年を取ると、速く動けません。体がもう、言うことをきかなくなってしまうから。いろんなことに手を出しても疲れるばかりです。
 そんな自分を、まずは受け入れる。
(小椋 佳 著『もういいかい まあだだよ』より)




No.2054『もういちど、あなたと食べたい』

 ほとんどテレビを見ないので、脚本家も知らないのですが、この本の装丁のイラストがおもしろくて、つい手にとって読みました。すると食べものの話しがあちこちに出ていたので、借りて読むことにしました。
 この本は、「小説新潮」の2019年12月から2021年3月号までに掲載したものに、いくつかの書き下ろしなどをまとめたもので、いろいろな方たちとのエピソードも載っています。目次をひろい上げただけでも、『加藤治子さんと「おかちん」』、『松田優作さんと「にぎり寿司」』、『深作欣二さんと「キムチ鍋」』、『北林谷栄さんと「宅配ピザ」』、『久世光彦さんと「ビーフステーキ」』、『和田勉さんと「もずく雑炊」』、『岸田今日子さんと「うな重」』、『麗しき男たち――もういちど、食べられなかったあなたヘ 森雅之さん 工藤栄一さん 原田芳雄さん』、『藤田敏八さんと「コンニャク」』、『向田邦子さんと「おうちごはん」』、『佐野洋子さんと「チャチャッと野菜の炒め煮」』、『須賀敦子さんと「フ・リ・カ・ケ」』、『美々しき女たち――もういちど、食べられなかったあなたへ 大原麗子さん 金久美子さん 夏目雅子さん』、『岡田周三さんと「ヘン屈オヤジの江戸前寿司」』、『樹木希林さんと「玄米の味噌雑炊とうち糠漬け」』、『野上龍雄さんと「アルコール飲料」』、『森田芳光さんと「桃の冷製パスタ」』、『マイ・ディア・ファミリーと「母の作った朝鮮漬け」』です。
 まさに多士済々の方々ばかりで、それぞれにおもしろかったです。
 なかでも、『深作欣二さんと「キムチ鍋」』のなかに、「映画作りという玩具(おもちゃ)箱から出たくない」という表現があり、いかにも映画人という印象を持ちました。誰だって、好きなことは無条件に好きだし、そのなかにはまり込んだままで過ごしたいものです。それを玩具箱と言い表すのは、やはり脚本家だからなのかもしれません。
 また、『須賀敦子さんと「フ・リ・カ・ケ」』のなかに、須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」という本の脚本を書くことになり、先ずはシナリオをつくろうということでイタリアにシナリオハンティング(取材)に行くことになったときの話しのなかにも興味深いエピソードがありました。それは、案内をしてくれたヴィットーリオ・ダレ・オーレさんが連れて行ってくれた貴族の老嬢の話しです。今の時代、貴族といえども生活をするのは大変ですから、仕事をしています。そのときのことで、「お暇するとき、老嬢は私を抱きしめて握手をしてくれた。その手のがっしりとした大きさと質感に、私は感動した。貴族の老嬢が職人のような手をしている。そして八十代の終りに近い今も働いて、ちゃんと生きている。この人も、歯医者の老嬢も。たぶん須賀さんも、こんなに大きな手ではないかもしれないが、日本に戻ってきてから、エマウス運動(カトリックの思想に基づく廃品回収業)にも深く係わってきたのだから、しっかりとした手の持ち主だったと思う。」と書いていて、私も長く仕事をしてきた手というのは、本当にいいものだと思っていたので、納得しました。
 「フ・リ・カ・ケ」というのは、案内してくれたヴィットーリオさんが、彼も貴族ですが、日本のフリカケが大好きで、奥さんの誕生日の食事にフリカケをかけて祝うというから、おもしろいと思いました。  この他にもおもしろいところはたくさんありますが、もし興味があれば、ぜひ読んでみてください。
 下に抜き書きしたのは、北林谷栄さんと「宅配ピザ」に載っていたものです。
 今、ロシアがウクライナに侵攻して、とんでもない被害と人命が失われていますが、戦争というのは、なかなかやめることは難しいようです。しかも、流す情報がほとんどがニセで、具合の悪いのは、まったく国民に伝えなくなります。ニホンも、戦前、戦中はそうでした。
 この抜書きしたのも、北林谷栄さんと赤木蘭子さんとの話しです。やはり、当事者に近い人でなければ知り得ないことなので、なるほどと思いました。
(2022.4.18)

書名著者発行所発行日ISBN
もういちど、あなたと食べたい筒井ともみ新潮社2021年12月20日9784103807032

☆ Extract passages ☆

 昭和十年代になり時代がキナ臭さを増していくと、ふたりの女優娘はあたりまえのように、弾圧や戦争を正当化する国家に対して初々しい憤りを抱くようになっていった。同じように若かった俳優仲間の宇野重吉や信欣三たちと小さな劇団を作り、御国万歳の押しつけ芝居を拒否するのではなく(そんなことをすればすぐに潰される)、そんな芝居をしながらでも移動演劇の巡業を続けていた。若い彼等彼女等には秘かな企みがあった。国家が差し出す芝居をやったとしても、同じ科白であったとしても、その言い方で、役者の主体によって意味を変えることができる。「万歳!」を心酔して言うか、口惜しさと哀しみを込めて言うかでは、客に伝わるものはまるでちがってくる。そんな反骨を抱いて、若い北林さんもみんなも、熱い青春の日々を過ごしていたのだろう。
(筒井ともみ 著『もういちど、あなたと食べたい』より)




No.2053『3色だけでセンスのいい色』

 前回のNo.2052『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』を読んで、配色は3ステップで考えるといいそうで、ステップ1は「配色のジャンルを決める」、ステップ2は「色の3の役者を決める」、そして「出番を決める」の3つのステップで考えたほうがいいそうです。しかも3食で決めるのが基本だといいますから、この本の考え方と同じです。
 これも図書館にあったので、『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』といっしょに借りてきました。全体を1.「NATURAL 自然体で優しい印象に」、2.「POP カラフルで元気が出る!」、3.「ELEGANT 大人っぽい品のある雰囲気に」、4.「MODERN 現代的でスタイリッシュに」、5.「SEASON 四季の移ろいを感じる配色」、6.「JAPAN 色で生み出す和の趣」、7.「OVERSEAS 異国情緒を感じる色で飾る」、8.「SERVICE サービーシーンで使えるカラーリング」に分かれていて、最後にこの本に掲載してある全276色をグループ分けして並べてあります。
 さらに「Special特典」として、「配色見本帳」がPDFファイルでサイトからダウンロードできるので、これも利用価値がありそうです。
 私も、この本のなかに出てくるさまざまなシーンの色を見比べながら、自分の好きな配色を見つけました。たとえば、「上品なロマンティックアンティーク」は、ベースがリヨン・ベージュで、アクセントがマダム・ピンク、そしてサブがフレンチ・カーテンで、彩度の低いベージュやピンクを使っているので、とても柔らかくおだやかな印象を受けます。いかにも、ヨーロッパの古い家具などのアンティークを連想させます。
 また、「陶磁器のような深みと温もり」は、とても落ち着いた温もりが感じられ、ベースはコロニアル・ベージュで、アクセントはヤドリギ・グリーン、サブはクラシック・ペイントで、落ち着いた写真と組み合わせると、深みがでそうです。
 さらに、「知を感じる重厚な図書館」は、ベースがロースト・コーヒーで、アクセントがブラウン・マスタード、サブがキャラメル・サンドで、落ち着いた茶系の色合いがレトロでクラシックな印象を作り出していました。そういえば、イギリスの自然史博物館に行ったときに、このような雰囲気を感じたことがあり、知を感じるという意味も理解できます。
 日本的なというデザインでは、「京都のかわいいはんなり色」で、ベースがアイス・アイボリーで、アクセントがウイロウ・ピンク、そしてサブがジャパン・ティーです。全体の雰囲気は落ち着いたなかにも上品で明るい印象を与え、かわいらしい和菓子を連想させるといいます。特に、このジャパン・ティーがはんなりとした色合いになっていて、京都の竹林や町屋の雰囲気にも似合いそうです。
 このように見てくると、3色を効果的に見せるには、そのベースカラー、アクセントカラー、サブカラーの配色バランスが重要で、それを面積比として表しているのも、とても役立ちます。このベースカラーというのは基本色で、使用量が一番多く、これで全体の印象が決まります。またアクセントカラーというのは強調色で、使用量は少ないのですが、全体を引き締めたり注意を引いたりするので、変化がでます。さらにサブカラーというのは補完色で、ベースカラーとの組み合わせでニュアンスを加えたり、イメージの表情を豊かにする色だといいます。
 これらの組み合わせで、さまざまなイメージに仕上がるので、その変化をこの本から感じとれました。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」に書いてあったものです。
 この本は、ほとんど実践的な内容で、あまり文章はなく、これぐらいしか抜書きできるところはなかったというのが本音です。
 でも、たしかに、たった3色ですが、センスよくまとまるようです。これを、次にホームページを作りかえるときに、参考にしたいと思います。
(2022.4.15)

書名著者発行所発行日ISBN
3色だけでセンスのいい色engectar-eインプレス2020年6月11日9784295008897

☆ Extract passages ☆

 本書の配色で使っている色は3色のみ。デザインはたった3色でもセンスよくまとまります。
 3色だからシンプルで簡単。見てわかるので、すぐ実践できる。3色配色のコツを覚えるだけで、誰でもセンスよくまとめられます。
(engectar-e 著『3色だけでセンスのいい色』より)




No.2052『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』

 私もデザインが好きで、自分でパンフレットや絵ハガキを作ったりしていますが、あまり人の作品と比べないので、その出来はイマイチわかりません。でも、この本を図書館で見つけたので、ちょっと読んでみることにしました。
 もちろん、これからデザイナーになれるわけはないのですが、自分が作るパンフレットや絵ハガキがプロが作ったかのような風合いになれば楽しいと思います。もし、参考になるのならと思い、デザインノートに書き込みました。このノートは、昭和58年ころからつくっていて、これはいいと思う名刺や絵ハガキなど、なんでも気に入ったものを書き込んでいます。この本からは、デザインの4原則やデザインの引き算や足し算などや、文字を一工夫するだけで見違えるようになるなど、いくつか抜書きさせてもらいました。
 フォントの使い方も、ちょっとした工夫、たとえばIllustratorで簡単にアレンジしただけで、デザインに奥行きが生まれるといいます。そして、フォントを斜めにしたり、ちょっと太めにしたり、あるいはにじみ効果を持たせたりすれば、やはり変化が生まれ、ひと味違う雰囲気になります。
 これは、下に抜き書きしたような「違和感」にも通じることで、私もこれからは真似させてもらいたいと思います。
   私は、クリエイティブなことに関わっている人たちって、すごい集中力があるだろうな、と勝手に思っていたのですが、この本のなかに、おもしろい研究結果が載っていました。それは、「2015年、アメリカのノースゥェスタン大学の研究によって「クリェイティブな人ほど、外部の音をシャットアウトできない」という可能性が示唆されました。ある行為に集中する際に、必要のない感覚は解像度が落ち認識されなくなる、という脳の機能を「感覚ゲーティング」と呼びます。スマホに集中しすぎて家族に話しかけられても気付かない「アレ」です。先の研究では、現実世界での業績(クリエイティブであるか/勉強ができるか)アンケートと、時間内に多くの質問に答えてもらいながら独創的な認識力と多様な思考力を測るテストを行いました。100人の被験者にこのテストを実施したところ、現実世界でのクリエイティブ評価が高い人ほど、感覚ゲーティングの能力が低いことがわかりました。反して、感覚ゲーティングテストの能力が高かった人は多様性のある考え方が得意で、勉強ができるタイプであるということもわかりました。」ということです。
 ということは、クリエィティブな人ほど注意力が散漫で忘れっぽいだけでなく、フィルタリングせずに無意識のうちに「膨大な情報を感知しアイデアと融合させてクリエィティビティを発揮しているのかもしれません。」と書いています。
 私たちは、クリエィティブな人たちに対する過剰評価から、ひとつのことに熱中しやすいタイプと思ってしまいますが、逆に気が散りやすいと知り、ちょっと安心しました。
 下に抜き書きしたのは、第3章「思考力」のなかの「つまらないデザインにならないコツはありますか?」に書いてあったものです。
 えぇっ、このような質問をする人がいるの、と思いましたが、これはおそらく著者が「違和感」を引き出すために似たような質問から設定したのではないかと思いました。でも、これって、本当に大事なことだと思います。
 もし、デザイナーにならなくても、たとえば地区の広報誌であっても、とても参考になると思います。
(2022.4.13)

書名著者発行所発行日ISBN
一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。シブヤ領一翔泳社2022年1月27日9784798172583

☆ Extract passages ☆

 つまらないデザインはなぜつまらないのでしょうか? と聞かれると答えに詰まってしまうかもしれません。では聞き方を変えてみます。明日も明後日も、予想できる範囲内でしか物事が起こらない。そんな未来しかやってこないとしたらどうですか? ワクワクしますか? 心は動きましたか? 予想できないことが起こると、心が動きますよね。音楽も映画も、予想と違う展開があるから面白い。デザインも同じです。本来こうなるハズだろう、という予想をいい意味で裏切る「違和感」をデザインに盛り込めば、面白いデザインに仕上がります。積極的に取り入れましょう。
(シブヤ領一 著『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』より)




No.2051『死ぬまで歩きたい!』

 今現在、新型コロナウイルス感染症がなかなか収束しないので、あまり外出はできませんが、小町山自然遊歩道の雪も少しとけてきたので、なるべく歩くようにしています。
 副題は「人生100年時代と足病医学」で、私もなんとか死ぬまで歩きたい、なんとか自分のことは自分でしたいと思って、この本を読み始めました。
 でも、足の耐用年数は50年と書いてあり、びっくりしました。でも、人生の三分の一は寝ているわけで、それから計算すると、67〜8年は伸びますが、それでも人生100年時代には足りません。やはり、無理をしないで、ときどきはメンテナンスをするしかなさそうで、もし悪くなったら、早めに治療をしてもらいます。
 そういえば、以前は1日1万歩は歩こう、という話しを聞いたことがありますが、この本では、「強いて歩くときの基準を示すとすれば、歩いていて快適だと感じられる、痛みを感 じないレベルを意識するということです。歩いていて気分が悪くなったり、足が痛くなったりしてきたら、それは明らかに「もう歩くな」というサインです。たとえ1000歩しか歩いていなくても、休んだほうがいいでしょう。自分の外に基準を求めるのではなく、あくまでも内なる声に耳を傾けながら歩いてください。歩くのが快適で、痛みも感じないなら、何万歩でも好きなだけ歩けばいいのです。「どれだけ歩くか」にはそれほどこだわらないのが継続するコツかもしれません。」と書いてありました。
 これは、考えてみれば当たり前のことで、つねにスポーツをしている人と、室内であまり動かない人を同一に考えることはできません。私の場合は、今の時期は雪があり滑るおそれもあるので歩きませんが、買いものに行ったときには、エレベーターやエスカレーターを使わないで、端から端まで歩くように心がけています。
 でも、春から秋にかけては、小町山自然遊歩道をカメラを持って植物の写真を撮ったりするので、だいぶ歩いています。この小町山自然遊歩道は、昭和59年ごろから作り始めたのですが、新型コロナウイルス感染症の影響であまり出歩くことができなくなってから、ほぼ毎日ここを歩いています。だから、歩き方も教科書通りではなく、写真を撮ったり、また歩いたり、ほとんど足への負荷はなさそうで、歩く効果があるかどうかもわかりませんが、家の中にいるより気持ちがよいので、つい出かけます。
 よく、歩るかなければ身体によくないからという理由で無理しても歩こうとする方がいますが、意外と長続きはしないようです。私のところから川縁の道路が見えるのですが、イヌを連れて散歩をしている人がけっこういます。つまり、イヌの散歩を理由付けにして、自分も散歩をするのはいいことかもしれません。人というのは、むしろ他のためにという理由付けがあると、長続きするものです。
 どんな理由であろうとも、歩くようにするのがいいようです。歩けなくなると、自分のことが自分できなくなります。つまり介護されなければならず、その生活は激変してしまいます。それは、私の父母を見ていて、はっきりとわかります。死ぬまで歩けるのは本当にうらやましいことですが、少なくとも、そのような気持ちでこれからは過ごしたいとこの本を読んで思いました。
 下に抜き書きしたのは、第3章「100年歩くために今日からできること」のなかに書いてあったものです。
 あまり意識はしていなかったのですが、考えてみれば、歩くことはとても大事なことです。ここでは、3つのステップを取りあげ、先ずは歩行、排泄、食事ができなくなると、最後に死を迎えると書いています。つまり、最初の歩行ができなくなれば排泄も困難になるし、食事に行くこともできなくなります。
 つまり、「歩行は自立の要であり、象徴的な行為」ということです。
 ぜひ、私もこの本に書いてあることを参考にして、死ぬまで歩いていたいと思います。
(2022.4.10)

書名著者発行所発行日ISBN
死ぬまで歩きたい!久道勝也大和書房2019年3月31日9784479784586

☆ Extract passages ☆

 足の健康は全身に影響を与えます。たとえば血流の停滞、心血管機能の負担、慢性的な便秘、筋力低下、骨密度低下(骨粗鬆症)、失禁、褥瘡などの原因となります。さらに肺炎や尿路感染のリスクが増えることも指摘されています。加えて、怒りや不安など精神的なアツプダウンから、うつ、食欲低下につながり、その人の社会生活にも影響を及ぼします。
 たとえば、友人や家族とのつきあいなどの社交性が低下し、周囲に溶け込むことが難しくなります。そこから社交活動への参加意欲、食欲が低下し、人浴や更衣の能力も衰えていきます。
 さらに排尿や排便を自己管理する機能そのものも低下します。睡眠障害も併発し、最終的には他者への興味も失われ、人生をまっとうする意欲や人間関係を育む意欲そのものが消えていきます。まさに負のスパイラルです。
(久道勝也 著『死ぬまで歩きたい!』より)




No.2050『人間が生きているって こういうことかしら?』

 この本は対談なので、とてもわかりやすく、理解できました。やはり女性らしい、目の付け所が違うと感じました。
 科学というと、どうしても論理的な思考を考えますが、むしろ人間の立場に立って考えることも非常に大切なことだと思います。たとえば、笑顔は大切だとは誰しも思いますが、内藤さんの「心は見えませんが、笑顔は見えますから」という話しには、なるほどと思いました。そして、中村さんは、赤ちゃんが生まれたときに周囲を笑顔にするのだから、亡くなるときも周囲を笑顔にしていくことが大事だといい、これにも納得しました。もちろん、亡くなることは悲しいけれど、自分らしい生き方を全うされたとしたら、家族にも何かが伝わっていくし、その想いはずっと続いていくと私も思います。
 だいぶ前に読んだ本のなかに、カリマンタンのマレーシア・サバ州にあるキナバル山(標高4,095m)は、あの世の山という意味で、この辺りの人々は亡くなると霊魂はこの山に上っていくといいます。そこで、何年が過ごしてから、その魂が赤い花になって咲き、村の若い娘さんがその花を食べるとその子どもとなって生き返ると伝えられています。つまり、人はあの世とこの世を往復するという考え方ですが、このような考え方も、生死を考えるときにはありえる話しではないかと思っています。
 そういえば、中村さんのお母さんは83歳で亡くなられたそうですが、最後は、お手伝いさんが「昨晩アイスクリームを美味しいと召し上がってお休みになったのに、今朝はお目覚めにならないんです」と言ったそうで、その晩に一言も言葉を交わさずに亡くなられたそうです。そして「その時に思ったのは生きるのもプロセスなら亡くなるのもプロセス。だんだん離れていく感じで本当に亡くなる前から別の世界にいるという感じがしました。一方、亡くなった後もまだ自分と同じ世界にいるという感じがある。生と死は別のものではありませんでした。つながっていて。実は今もそのつながり方は続いています。生きている時とおなじような気持ちで向き合っている時がありますから。生と死は死亡時刻で区切られるものではありませんね。とくに身近な人は。」と書いていて、キナバル山の話しと呼応するように感じました。
 おそらく、人間の生死と同じように、自然界もすべてが同じようにつながっているのではないかと私は思っています。よく、海のカキとそこに流れ出る川の上流域の山林とが微妙なつながりをもって影響しているという話しを聞いたことがありますが、それだけではなさそうです。この本でも、中村さんがイチジクコバチの話しをしていますが、私もミャンマーに行ったときに、イチジクの大木を見て、そのときいっしょだった学者から同じような話しを聞きました。
 中村さんは、イチジクコバチの「メスは中にある花粉を身につけて飛び立っていきます。でも、小さな穴から入れるのは、そのハチしかいないという関係をつくっているわけですね。一方、イチジクはハチのおかげで受粉して、一年中、実をつけるんです。その実が森の生きものを養っているから、森が続いていく。森は樹木だけではなく、昆虫や鳥や動物といろいろな生きものがいて初めて森になるわけだけれど、その基本のところにこの小さなハチがいることがわかりました。」書いています。
 私が聞いたときには、このイチジクの仲間は熱帯や亜熱帯を中心として700種ほどあるそうですが、それぞれに中に入るハチが違うのだそうです。つまり、一対一の関係を結びながら、自然界とつながっています。もちろん、人間もこの恩恵を受けていて、このイチジクのジャムはとても美味しく、私もお土産に買って帰りました。
 下に抜き書きしたのは、中村さんの話しで、DNAの話しです。
 DNAはデオキシリボ核酸の略で、遺伝子としてとても大切な役割をしています。その細胞が入っているすべてのDNAをゲノムとしてみると、いろいろな見方ができると話しています。
 この本を読んで、たまには対談もわかりやすくておもしろいと思いました。
 とくにわかりやすかったのは、中村さんの「きりがありませんから」という話しは、庭の掃除をするのも大変で、ある程度のところでやめないと無理をしてしまうので、やめるきっかけとして使っているということでした。たしかに、年を重ねてきて、体力がなくなってくれば「できなくなる」ことは当然で、できないからと落ち込まないためにも寅さんの「きりがありませんから」というフレーズがいいといいます。これも、できることはやった、という達成感につながると思いました。
(2022.4.5)

書名著者発行所発行日ISBN
人間が生きているって こういうことかしら?中村桂子・内藤いづみポプラ社2022年2月7日9784591171653

☆ Extract passages ☆

中村 ……私たちの細胞の中にあるDNAは、塩基と呼ばれる小さな分子が、ヒトの場合、32億個も並んでいるわけです。新しい細胞が生まれる時には、必ずこの32億個を新しく並べなければいけない。紫外線やいろんな化学物質の影響も、いつも受けている。その時に、間違いがないということは、ありえないんですね。それを間違いと言うのなら、ひとり残らずみんな間違いをもっているので、あらゆる生きものが間違っていることになってしまう。本来、生きものには、正しいとか間違っているということはないんです。そのように変化したというだけだし、これからも変化し続けていく。
内藤 ……どんどん変わっていくから、「生命とは何か」ではなく、「生きているとはどういうことか」という動詞の問いかけが生まれたんですね。
(中村桂子・内藤いづみ 著『人間が生きているって こういうことかしら?』より)




No.2049『タネとヒト』

 私は植物が好きなので、今でもタネを蒔きます。とくにヒマラヤのシャクナゲは、タネを蒔いてから花を咲かすまで40年はかかるといわれていましたが、それでも蒔きました。というのも、だいぶ昔に知り合った山野草を栽培している方を訪ねたとき、もしかしてタネを蒔いても自分が花を見ることができないときもあるのではないかと尋ねたら、自分が見られなくても誰かが見ることができたらそれでいいと話されたことがあり、私もそれ以来、自分で見ることよりも大切なことだと思っています。
 だから、タネを採取できるところなら、ときどきタネを採取し、持ち帰ります。とくに、新芽が出てくるときが一番うれしくて、それを見ただけでも元気が出ます。
 このような下地があり、この本を図書館で見つけたときには、すぐに借りてきました。とくに、タネの大切さとか、以前からワサビの自生地はどこかと考えていたこともあり、山根京子さんの第5章「豊かな食は遺伝資源から――ワサビが教えてくれること」や、ネパールでソバを食べたことなどを思い出し、冨吉満之・西川芳昭・Bimal Dulaiさんの第7章「アジアの小農とタネとの関係A ネパールにおけるソバとカラシナの調査からみえてきたもの」は興味深く読みました。
 たとえば、ワサビについては、「全国を調査するなかで、現在のワサビ栽培が盛んな地域と、野生ワサビの分布は必ずしも一致していないことがわかってきた。栽培植物起源学の観点からも興味深く、1つの仮説をたてるに至った。それは、「野生ワサビが身近に自生する場所は、ワサビ文化の多様性も高い」というものだった。この考え方は生物文化多様性を理解するためにも重要な論点といえる。この仮説に取り組むうえで必要なスキルがある。それは、野生種と栽培種を区別できること。山でワサビに出会っても、日の前のワサビは誰かが持ち込んだのか、野生なのかを、見た目だけで見分けることは非常に難しい。私たちの研究室では、DNA分析の力も借りて10年以上かかった末やっと理解できるようになったのである。その結果わかったことは、真の野生ワサビが主に自生しているのは日本海側の多雪地帯である、というものだった。」と書いてあります。
 私は今まで、ワサビを栽培している静岡県や長野県などはもともと自生していて、栽培環境もいいからではないかと思っていましたが、そうではなかったのです。また、「野生ワサビが身近に自生する場所は、ワサビ文化の多様性も高い」という仮説も、とても興味のあることでした。
 この近くの山にも、ワサビの仲間が自生していて、それを山菜のように親しんでいる方もいますし、食べ方も伝わっています。だとすれば、この辺りも野生ワサビの自生地かもしれないと思いました。
 また、ネパールで信州でソバ修行をしてきたという方のお店でざる蕎麦を食べたこともあり、そのときにネパールのソバの花は赤いと聞き、後日、そのタネを送ってもらい、蒔いたこともあります。たしかに、赤かったので、日本のソバの花のわきに植えて、紅白でお目出度いのではないかと思ったりもしましたが、近くにソバ畑があるので、交雑しては申し訳ないと思い、やめました。ネパールでも韃靼ソバを蒔いてるそうで、「韃靼ソバは、カトマンズ近郊でもポカラ近郊でも栽培されており、農家は自家消費するとともに、必要に応じ他の穀類と集落内で交換していた。交換比率は、食用の場合も種子の場合もトウモロコシや米と1対1であった。穀物の場合、種子と食用との区別が必ずしも明確ではないことが窺える。また、薬用利用も行なわれており、興味深いのは、薬として利用する場合は村のなかでは無料で贈与される点である。ただし、村外の人へ分分ける場合は他の穀物との交換で行なわれる。」とあり、薬として利用するなら村人たちは無料だと知り、なるほどと思いました。
 まさに、村人たちが、お互いに助け合いながら暮らしている様子がわかり、とてもうれしくなりました。おそらく、その村外れには、大きなシャクナゲ、これはアルボレウムという自生のシャクナゲですが、花を咲かせているはずです。このシャクナゲはネパールの国花になっているので、あちこちにあります。その写真も、私はたくさん撮っています。
 下に抜き書きしたのは、宇根豊さんの「西川さんたちへの手紙」に書いてあってものです。
 もしかすると、今もこのように考えている農家の方は少なくなっているかもしれませんが、とても大事なことだと思いました。だからこそ、あの辛い農作業ができるのかもしれません。
 実は、この本の題名が「タネとヒト」なので、タネそのものの生物資源としての価値と、そのタネが持つ遺伝資源としての価値についての話しをここに抜書きしようと思ったのですが、農家としての考え方も伝えたいと思い、最終的には下に抜き書きしたものになりました。
(2022.4.3)

書名著者発行所発行日ISBN
タネとヒト西川芳昭 編著農文協2022年1月30日9784540211560

☆ Extract passages ☆

 百姓は、田んばに行けば、稲に話しかけます。考えてみるとこれは不思議なことですが、誰だってかわいがっている生きもの(ペツトなど)とは、平気で声に出して会話するでしょう。稲は百姓にとっては、家族同様です。私も声には出しませんが、小鬼田平子や沼蛙や青鷺とよく話をします。「いのち」を確かめ合う習慣の土台にあるのが、生きもの同士という感覚のです。
「種とり」とは、稲が種を残したい、いのちをまた会えるように引き継ぎたいという頼みに応えて、百姓が行なう仕事でした。いや、そう考える、そう感じることによって、種とりに限らず農業技術は百姓の懐に取り込むことができるのです。
(西川芳昭 編著『タネとヒト』より)




No.2048『松と日本人』

 松といえば、昔から「松竹梅」として吉祥を表すしたり、また日本的な代表的風景の「白砂青松」として自然風景として描かれたり、さらには、お茶の世界では釜の湯のたぎる音を「松風」といったりもします。あるいは、静寂さを表すのに「松風」ともいい、松は日本人の感覚ととても密接な関係があると私も思っていました。
 ところが、『魏志倭人伝』ではまったく松について触れてはいないと知り、驚きました。それというのも、この本によれば、「『魏志倭人伝』の編者は、東海の小さな島国の倭国で、目に留まった代表的な植物を取り上げたのではなくて、倭人にどの程度中国文化が普及しているかをみる材料として、中国の代表的な樹木ウメ、スモモ、クスノキなどを取り上げたというのが、もっとも理にかないそうである。そして、サンショウ、ショウガなどはあるけれども、それを使いこなして、味のよい料理を作ることはできないと、食べ物文化の王者は、倭の国はまだまだ野蛮であると評価したのである。」とあり、考えてみれば、中国の編者がまとめたものだけに、そこに日本人の視点はないわけです。
 意外とこれは盲点で、見過ごされていることかもしれません。
 この本では、日本に自生のある松は、アカマツ、クロマツ、ハッコウダゴヨウ、チョウセンゴヨウ、ヒメコマツ、ハイマツの6種としていますが、このハッコウダゴヨウは、ハイマツとキタゴヨウの雑種だとして牧野富太郎により命名されたものです。私が調べたところによると、アカマツ、クロマツ、チョウセンゴヨウ、リュウキュウマツ、ゴヨウマツ、ハイマツの6種です。
 また、松はフロンティア植物で、何もない荒れ果てたところに芽を出し、時間をかけて成長します。でも、あくまでも二次林で、最後は他の植物に置き換わっていきます。ということは、ある程度、意識的に残さない限り松は消えてしまいます。特に、マツノザイセンチュウの被害は最悪でした。おそらく、これで日本の風景が変わってしまったのは確かなようです。
 私自身、松にも関心があり、北半球には、寒帯から亜熱帯にかけて9種ほど分布していて、中国には何度も行き、三葉の雲南松も調べたことがあります。おそらく、これが高野山などにある三鈷の松と同じではないかと思います。また、白松というのがあり、これも三葉ですが、数年前に私のところへも植えました。
 この本によれば、松の根というのは、「松の根は直根といって幹の延長ともいえるくらい、まっすぐに地中深くまでもぐりこんだ根と、地表近くを網の目のように張っている根とがある。そして根株からはるか遠くまで根が続いている。松の根株掘りは、その遠くまで伸びた根の、細い部分は切断してしまうとしても、直径2メートル、深さも同じくらいの穴を山の斜面に掘り上げることになるのである。」と書いてあり、たいまつなどの灯に使うには、松のジンがたくさんある方がいいわけで、それで根を掘り上げるのです。
 松といっても、その扱いにはいろいろあって、縁起がよい場合もあれば、墓に植えられることもあります。この本によれば、墓の上に植えられる樹木は、マツの他に、スギ、アテ、ツバキ、モチノキ、シャクナゲ、シイ、ヒノキ、ヒサカキ、シキミなどが上げられています。この中で、アテというのは、漢字で書くと「档」で、アスナロの変種であるヒノキアスナロのことです。石川県では、能登ヒバといい、県木になっています。
 そういえば、お隣の富山県砺波市栗谷では、墳墓に松も杉も植えるそうで、それを「ハカマツ」とひとくくりに呼んでいるそうです。まさに、ところ変われば呼び名もかわり、それが文化の多様性でもあります。この本は、もともとは1993年4月に人文書院から刊行されたそうですが、松が日本の文化や文明に大きな影響を与えてきたと考え、そのことを確認するために、古代から平安末期あたりまでの足跡をたどったものだそうです。
 下に抜き書きしたのは、第2章「やまとたけると松」に書いてあったものです。
 これを読むと、そうとう昔から松は神の依り代と考えられていたことがわかります。
(2022.3.31)

書名著者発行所発行日ISBN
松と日本人(講談社学術文庫)有岡利幸講談社2022年1月11日9784065267615

☆ Extract passages ☆

 神は、人々の呼びかけや、嘆願に感応しても、清浄な場所でなければ、その場所に降り立つことはできないのである。人々が生活していくために必要とされる種々のものは、人の世の垢に汚れているので、神はそこに宿ることができない。
 松は、人々の暮しとは切り離すことのできない樹木ではあるが、四季を通じて、みずみずしい緑の葉を保ち、厳しい冬の寒さのなかでも、色を失わないところから、人の垢に汚れない清浄な樹木であると、見立てられたのである。
(有岡利幸 著『松と日本人』より)




No.2047『知っておきたい和食の文化』

 先日、米沢市内の和食のお店で食事をしてきて、改めて和食っていいなと思いました。ここの調理人は、「分とく山」で10年ほど板前修業をしてきた方で、お店も古い建物を生かした構えで、庭も四季折々の風情があります。
 さらに、3月17日には、南陽市に新しくオープンした「壹傳」にも行きましたが、ここの調理人は、新宿のパークハイアットの日本料理店「梢」の総料理長を務めた方で、お店に懸けてあった千住博さんの「ウォーターフォール」の話しから、このお店の名を書いてくれたのが千住さんという話しで、その原本を見せてくれました。ここの懐石膳も、とても美味しかったです。
 このようないろいろな縁からこの本と出合ったのですが、この本のなかに書いてあったのですが、「店名もわからなかったので入ってよいものかどうか躊躇していると、中から人が出てきて「ご予約の方ですか?」と声をかけてくれた。簡単に入店させないことによって、店の人間が客を出迎えに行き、導き入れるという接客サービスの提供が可能になっているわけである。案内されつつ前庭を歩き入店することになるが、その導線は大きく膨らんでいて、庭自体は広くないにもかかわらず、客は少し歩くことになる。これにより客は庭をみて目を楽しませ、また、外部とは隔絶された空間へと入る感覚を得る。このように、店舗内外の環境(中の見えない囲い)、庭園、道、従業員の態度、物腰、言葉遣い、情報の提供(店名を掲げない)などの多種多様な資源を、一定の仕方で工夫して配置することによつて、客は店の人に導かれながら、別世界へと足を踏みいれていくという体験を得て、それに価値を感じるようになる。」と書いてあり、私が行ったお店はそれほど仰々しいものではなく、暖簾も下がり、それに小さく店名も書いてありました。それでも、ここに書いてあるような雰囲気はありました。
 では、改めて和食というのは何かといいますと、この本では、農水省がユネスコ無形文化遺産に登録申請したとき定めた定義、1-多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重 2-健康的な食生活を支える栄養バランス 3-自然の美しさや季節の移ろいの表現 4-正月などの年中行事との密接な関わり、の4つを掲げています。
 でも、考えてみれば、これらはどこの国でも同じように考えていそうで、特別に和食だけに限ったものではなさそうです。だとすれば、外国に行ったときにある和食の店にあるような料理が一番わかりやすいような気がします。
 この本のなかで、一番興味深く読んだのは、自分も茶道をしていて、新型コロナウイルス感染症が流行する前までは、年に数回はお茶事をしていたこともあり、第12章「和食と教養」です。
 このなかに、「茶道に「亭主七分に客三分」という言葉がある。客として招かれることが茶会の楽しみと思われがちだが、亭主側の経験を重なると、客を招き、人に喜んでいただけることの喜びを知ることになる。亭主の喜びの方が大きいということを表している。こうして、「もてなし」のための知恵が積み重ねられていく。茶道が究極のもてなし文化と呼ばれるようになる所以である。」とありますが、私も経験してみると、たしかにそうだと思います。
 それと、茶懐石の場合は、亭主も客も、その流れや作法を知らないと、スムーズに食事もできませんし、楽しさも生まれてはきません。ただ、窮屈な思いだけが残るということになりかねません。
 しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大にともなって、「黙食」なる言葉が推奨され、しかも大きなアクリル板越しでは、会話もできません。それまでは、楽しくお話しをしながら食べるのが食事だと思っていたのですから、真逆のことになってしまいました。
 下に抜き書きしたのは、第11章「茄子の花と食育」に書いてあったものです。
 たしかに食は文化ですから、長い時間を経て形作られてきたもので、一朝一夕にできるものではありません。だとすれば、子どものときから食の大切さを知ってもらうような取り組みが必要です。もちろん、学校での教育も大切ですが、家庭での食の取り組みもなければダメです。
 そういう意味では、まさに知育、徳育および体育の基礎となるべきものだと思います。
(2022.3.28)

書名著者発行所発行日ISBN
知っておきたい和食の文化佐藤洋一郎 編勉誠出版2022年2月10日9784585330011

☆ Extract passages ☆

 食育を語る上で、2005年に成立した食育基本法は避けては通れない。この中で、食育とは「1、生きる上での基本であって、知育、徳育および体育の基礎となるべきもの。2、様々な経験を通して『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること。」と定められている。……日本の食育は自分の意思でよりよい食を選択し実践できる人の育成に止まらないところが特徴と言える。『知育』として知識、『体育』として身体のことに加えて、『徳育』として道徳やモラルを同等にしていてる。この三つの基礎となるのが食育としているからである。
(佐藤洋一郎 編『知っておきたい和食の文化』より)




No.2046『昔話の扉をひらこう』

 昔話には少し興味があり、2009年8月の夏休みには、東村山地区小中教育研究会の国語研究部会の方々へ、「置賜の民話」と題して講話をしたこともあります。たしか、そのときには地元小野川の民話や小野小町の伝承などを話した記憶がありますが、みんな楽しそうに聞いてくれたようでした。
 その他に、地元の小学生にも話したりしましたが、いろいろある昔話からどれを選ぶかが難しく、今回の本でもあれば、もっと見つけやすかったかもしれません。というのは、「昔話を語り伝えてきた、おじいちゃん、おばあちゃんは、自分も子どもを育ててきたし、自分の子どもが子どもを育てているところも見ています。まわりのいろんな人生を見てきているから、子どもへの信頼をよせて、ゆつたりと育てています。お話のなかには、「大丈夫だよ、子どもには生きる力があるんだよ」という、あたたかい眼差しが感じられます。このように見てくると、わたしは、昔話というものは、「人生ってこういうもんだよ」といって、いろいろな人生を語ってくれているのだと思うのです。」とあり、そしてこのような昔話ならいくつかすぐに思い浮かびます。
 それと、世界中の昔話に共通するものとして、「動物にやさしい」ということだそうです。それをこの本では、「苦しんでいる生き物を助けてやったり、動物の言葉がわかる主人公は、必ず肯定されて幸せになります。わたしの好きな話はスイスの昔話ですが、世界中の昔話で、力の弱い子が動物に親切をすることによって道が拓けてくる大きな流れがあります。それは、道徳を守りなさいと受け取るよりも、動物が苦しんでいる姿を見て、かわいそうだな、助けてやろう、と思う、その気持ちが大事なのだと思います。親切な心は、世の中をあたたかいものに保つということを、口伝えの物語が教えてくれているのです。」と書いてあり、たしかにそうだと思いました。
 人を大切にとか、動物をとか、すべての生きものを大切にとか口で言うよりは、昔話を聞かせることによって、自然に大切にしなければならないということを学んでいくことが大切だと思います。あまりに道徳を教えるということよりも、昔話のなかで、意識することもなく自然に身につくことのほうが生きていく上には大切なことです。
   本の最後に、「親子鼎談・2人の息子と語る」というのが載っていて、題名が「子どもとことば」ですが、バイリンガルについておもしろい話しが載っていました。それは次男の健二さんの話しですが、「ただ、人間って、まわりで聴いている人のことを意識しているから。誰が聴いているかで、それに合わせて、その人にわかることばで喋っている。だから、人間っていうのは、相手だけじゃなく、宇宙のようなものの何かを感じながらことばを喋っているんだなあって、すごく思った。」と自分の子どもが話していることを聞きながら、感じたそうです。つまり、子どもたちが自然と言葉を覚えながら、学んでいると意識すらしないし、周りの人たちに合わせて、言葉を使い分けているということです。
 やはり、言葉というのは、早い段階から学ぶことが大切だと思いました。ただ、なかには日本人なら、先ず日本語をしっかり話せないと困るという意見もありますが、この話しを聞くと、まんざら心配することもなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」に書いてあったものです。
 私は絵本になっているものも昔話と思っていたのですが、この文章を読むと、話すということがとても大切だと思いました。そのことは、この本全体を通しても何度も出てくるので、納得しました。でも、著者の弟があの指揮者の小澤征爾だとはびっくりしました。そして、『こわがることを習いに出かけた若者の話』のあとに、「P47」のエピソードをさりげなく語っています。
 そういえば、グリム兄弟もとても仲が良かったそうですから、同じような気持ちの兄弟だったのではないかと思いました。
(2022.3.25)

書名著者発行所発行日ISBN
昔話の扉をひらこう小澤俊夫暮しの手帖社2022年1月26日9784766002256

☆ Extract passages ☆

 言葉は、もともと「音」です。人間は、文字で物語を楽しむ前に、まず耳で物語を聴き、物語を楽しんできました。子どもは、親や身近なおとなの声でお話を聴いて、あたたかい時間を心の中にためていき、その声に守られていることを、知らず知らずのうちに感じながら成長していきます。そして、何かのときに思い出して、励まされたり、愛されていたことを実感したりするのです。
(小澤俊夫 著『昔話の扉をひらこう』より)




No.2045『人の心に働きかける経済政策』

 もともと経済学を学んでいたこともあり、この本の題名には、すぐに興味を持ちました。
 私たちのころは、経済学というとマクロ経済学やミクロ経済学などと分類されていて、どこに焦点を当ててみるかということでした。でも、それらの経済を動かしているのは結局は人間なので、なかなか見えにくいことは間違いありません。だから、ほとんどの経済政策が失敗したり、結果的には違う方向に進んで行ってしまうことになります。
 そういう意味では、おもしろいと思ったのはイギリスの何回泡沫事件で、あの著名なアイザック・ニュートンも巻き込まれていたと知り、びっくりしました。それは、「18世紀の英国における南海泡沫事件(1713年頃〜1720年8月18日)では、南米貿易の独占権を持つ南海会社が1713年に設立されたことをきっかけに株式ブームが生じた。新時代にふさわしい夢の事業を謳う多数の株式会社(無限運動装置開発、塩水の淡水化事業、鉛から銀を抽出する事業などなど)が設立され、値上がり期待でブームになった。1720年6月11日に泡沫会社禁止法が施行されたが、それでもブームを抑えられず、同年、8月18日に個別の会社名を列記し訴訟手続きを命じた第二次泡沫会社禁止法でついにバブルが崩壊した。この南海泡沫事件の際には、高名な物理学者であると同時に王立造幣局長官を長年つとめ、金融経済問題の有識者でもあったアイザック・ニュートン(いかにもエコンとしての合理的判断ができそうな人に思える)が、投機の誘惑に負けて大損失を被り「天体の動きは計算できるが人々の行動は計算できない」、という名言を残している。」ということです。
 この泡沫というのは「あぶく」のことで、まさに「うたかた」でもあります。あの有名な鴨長明の「方丈記」の冒頭部分の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……」というものです。
 しかも、あの万有引力の法則を発見した大先生が巻き込まれてしまったといえば、ちょっと笑ってしまう人も多いのではないかと思います。
 このようなことやあの有名な豊川信用金庫の取り付け騒ぎの顛末などが第1章に書かれていたので、ついその流れで最後まで読んでしまいました。
 また、第2章の「ヒトはどのように判断・行動しているのか」では、サンクコストの罠について書いています。このサンクコストというのは、すでに払ってしまい、取り戻せない費用のことで、サンクコストの罠というのは、「取り戻せない費用を「もったいない」と思うことで合理的な判断ができないことを指す。典型的な例は、映画館に入ったが、映画が自分の好みには全く合わない内容だった場合の行動だ。この場合、チケット代は映画を見続けても、見るのをやめても取り戻せない。このチケット代がサンクコストである。本来は、好みに合わない映画を見続けるより、自分の好きなことに時間を使った方が楽しいはずだ。だから、入場料がタダなら、すぐ映画を見るのをやめる。しかし、高価なチケットを買って入場した場合、多くの人は「チケット代がもったいない」、と思い、つい映画を見続けてしまう。これがサンクコスト・バイアスとかサンクコストの罠と呼ばれる現象である。」と書いています。
 またイギリスとフランスで共同開発したコンコルドの場合もこれに当てはまるので、この現象を「コンコルド効果」ということもあるそうです。
 たしかに、ヒトというのは、意外と合理的な判断をしないこともあり、それが経済政策を難しくしているともいえます。
 だから、この後の章は、第3章『マクロ的な社会現象へのフレーミングやナッジ』、第4章が『メインストリームの経済学の「期待への働きかけ」』、第5章『「期待に働きかける金融政策」としての異次元緩和』へと続きます。
 下に抜き書きしたのは、第6章「物価安定と無関心」に書かれていたことです。
 よく無関心はよくないといわれますが、ある意味、無関心でいられることぐらいいいことはないのかもしれません。
 久しぶりに経済学の本を読んで、私たちのころとは隔世の感があるな、と感じました。
(2022.3.22)

書名著者発行所発行日ISBN
人の心に働きかける経済政策(岩波新書)翁 邦雄岩波書店2022年1月20日9784004319085

☆ Extract passages ☆

一般の人々にとっては、物価の変化を考慮しないですむという無関心状態=物価安定、というグリーンスパンの考え方が最も自然に感じられるのではないだろうか。すでにふれたように、トイレットペーパーなどの生活必需品が買えるかどうかや、取引先銀行の経営に関心を持たなくてよい状態、心臓の鼓動の規則性や胃の痛みなどに神経を集中しなくてよい状態こそが健康で安定的な状態だからだ。正常性バイアスが破れ、神経を集中せぎるを得ない状態は人々にとって、緊張を強いるおおむね快適でない状態だ。人々がインフレ率の変化に敏感に反応せざるを得ない状態が望ましいはずはないだろう。
(翁 邦雄 著『人の心に働きかける経済政策』より)




No.2044『ボン教』

 ボン教というのを始めて知ったのは、2000年3月にネパールに始めて一人で行ったときで、その後、何度もネパールや中国雲南省、そして2015年5月に四川省の黄龍や九寨溝に行ったときには、特にたくさんのボン教という存在に触れました。そのときには、九寨溝から花湖に行く途中で真新しいボン教寺院を見たり、建設途中に出合ったりしました。
 今、このときに撮った写真を見ると、この本のなかに掲載されている「2017年に完成したキャンツァン僧院の集会堂の落慶法要」の写真にそっくりです。そういえば、九寨溝に泊まったのは寺院の宿坊みたいでしたが、もしかするとそこもボン教のお寺だったかもしれません。
 もう1つの印象は、日本の山岳宗教と同じような流れを感じたことです。これが修験道になり、明治時代には修験道廃止令により壊滅的な打撃を受けながらも神道や寺院に鞍替えし、今もその名残が色濃く感じられるところもあります。
 最後の終章のまとめで、シャルコク地域がボン教地域として生き続けることができたのは、
i 周縁的・辺境であるという地理的制約のおかげで長きにわたって伝統が守られた。
A 文革という危機においてすら、相手と闘わずに、カモフラージュさえ行いながら、ラマと経典を隠し、耐え凌いだ。
B 中国の経済成長もうまく利用しながら回復をした。
 と書いています。
 これを考えると、日本の修験道も同じで、地理的なハンデがポジティブに働いたことや、2つめの争わないという姿勢がフレキシビリティといえるかもしれません。
 それだけではなく、ボン教のアンガ・アクは髪を長く伸ばした行者の姿だったそうで、「1908年にシャルコクを訪れたフランスの軍人ドローヌは、ボン教徒と仏教徒、イスラム教徒が並んだ写真を撮影している。その写真の中で、ボン教徒とされる人物は伸ばした髪を編んで垂らしている。この写真だけからは断定できないが、当時のシャルコクではこうした行者の姿が珍しくなかったとみられる。」と書いてあります。
 日本の修験道の行者も、剃髪しない場合が多く、優婆塞の姿だといわれていて、似通ったところがたくさんあります。さらに、第2章の「ボン教の文化」に出てくるシャルコクの風景のなかで、世俗の人々が暮らす村と出家者が暮らす僧院、そして聖山との関係は、修験道行者の暮らす地域と、ほぼ同じです。もともとの行者は山里の人たちのなかで一緒に暮らしながら、半僧半俗のような生き方をしていました。そして時々は聖なる山、この辺りでは出羽三山や飯豊山、吾妻山に登り修行をしたり、村人たちの案内をしたりしていました。その行場も、ところどころに残っています。
 ただ違うのは、ボン教の場合はその集落のなかから、家族の男の子一人が僧侶になるというような規範があり、僧侶の供給源にもなっていたということです。そういえば、ネパールの奥地に行ったときに、シェルパの一人の子が僧院に入っているということで会いに行ったことがあり、その生活を見せてもらったことがあります。
 それと、うらやましいと思ったのは、儀礼や行事のときだけでなく、日常的にも世俗の人々と僧院が密接なつながりを持っていることです。私が訪ねたときも、ある農家のおばあちゃんが自分のところで獲れたものを持ってきてくれたようで、ときどきこのようにしているということでした。そういえば、ミャンマーに行ったときにも、地区の人たちと僧侶やお寺とのつながりは密接でしたが、ボン教とはそれとも違うようで、ほんとうに親しげな雰囲気でした。
 でも、昔の寺と檀家の関係も、これに近いものがあり、さまざまなつながりを持っていたようですが、戦後は葬式や法事などの儀式だけのつながりがほとんどで、困ったことがあったらお寺に相談に行くということもなくなったようです。
 この本のなかで、第8章の「ボン教のドリームヨガ」のなかに、毒についての話しが載っていて、「普通の人は毒を避けます。これは顕教に似ています。しかし、医学においては毒を薬に変えていきます。これは、密教的といえるでしょう。他方、クジャクは毒を食べてしまいます。毒を捨てることもせず、変えることもせず、毒をそのまま飲み込んでしまう。これはゾクチェン的です。」とあり、なるほど、おもしろい譬えだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第5章「ボン教教義における密教の位置づけ」の最後のまとめに出てくるものです。
 もしかすると、この本の副題「弱者を生き抜くチベットの知恵」というのは、この辺りの感覚ではないかと思いました。それにしても、日本でこのボン教の本が出るとは、考えてもいなくて、図書館で見つけてすぐに借りてきました。私自身、このボン教の出会いを振り返りながら、ゆっくりと読みました。
(2022.3.19)

書名著者発行所発行日ISBN
ボン教熊谷誠慈 編著創元社2022年1月20日9784422140308

☆ Extract passages ☆

僧院の中で集団で修行をする出家修行者たち、洞窟の中で一人で瞑想修行をする瞑想家たち、さらには、世俗社会において日常生活を行う在家者たちのために、ボン教の教えは説かれている。それらの教えには優劣は存在しない。ボン教の特質の一つは、一部のエリートだけが優遇される宗教とは異なり、弱者にも強者と同等の権利が与えられているということであろう。すなわち、ボン教は、弱者が弱者のまま社会を生き抜くための知恵ともいえるのである。
 ゾウとネズミを比べたとき、多くの人はゾウのほうがネズミよりも優れていると考えるであろう。ゾウは力強く、多くの荷物を運ぶことができる動物であると。しかし、ネズミしか通れないような穴を、ゾウは通り抜けることはできない。すなわち、ネズミはゾウにはできない能力をもっている。
(熊谷誠慈 編著『ボン教』より)




No.2043『ふしぎな日本人』

 何回か「対談もわかりやすくておもしろい」と書きましたが、今回も対談の本を選びました。副題は「外国人に理解されないのはなぜか」です。
 たしかに、海外に行くと、ちょっと戸惑うこともあり、こういうふうに考えるのは日本人だけかな、と思うこともあります。今は新型コロナウイルス感染症の影響で、なかなか海外に出かけることもなくなりましたが、こういうときだからこそ、ちょっと考えてみたいと思いました。
 それともう1つ、ロシアがウクライナに侵攻したことで、ヨーロッパと日本との対応の仕方がだいぶ違うような気がします。もともと民主主義というのは、フランス革命などで自分たちが勝ち取ったもので、日本のように戦後にアメリカなどから与えられたものではないのです。だから、ウクライナの人たちの権利が奪われそうになると、みんなで助け合いながら、それに立ち向かおうとしています。テレビなどで見ていると、避難民の受け入れなどでもボランティアの人たちの真剣さが手に取るようにわかります。たとえ着の身着のままで脱出したとしても、着物から食事、移動手段までもが無料で提供されています。
 この様子を見ていると、西欧の民主主義というのは、個人の幸せと地域全体の幸せとがイコールで、そのためには個人の権利も制限されるのは当然だといえます。ところが日本の民主主義は、個人が大切なのはもちろんですが、その個人の利益を先ず考えるので、どうしてもエゴイズムが先に立ち、個人の権利を主張し過ぎるようです。
 だから、今回の侵略に対しても、国を守ろうという気概がまったく違うように感じました。この本で、日本は今でもムラ社会を引きずっているのではないか、つまり、「欧米社会ではスノーデンやアサンジに対して、「あんたは正しい、正義だ」と言って本気で援助したり、助けるサポーターが大勢出てきます。それが欧米社会の良い部分で、命を張った正義は賞賛されて当たり前だということです。それにより欧米にはダイナミックな社会変革を可能とする原動力があるのです。残念ですが日本には、そんな勇気も正義もないんです。日本の稲作は、数千年前に日本人の定住とともに普及したと言われています。その出発点から今日まで、ずっと「まわりの目を気にしながら、みんながするように」してきたので、あえて危険を冒さないことが保身につながることを体で覚えているのだと思います。お上に対して余計なことを言わない、しないことによって飯が食べてこられて生きてこられたのです。」と書いています。
 ちなみに、スノーデンはアメリカ政府による恐るべき情報収集を告発した人で、アサンジは内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者です。今回の侵略でも、国際的ハッカー集団のアノニマスがロシアの国営放送や映像配信サービスをハッキングしたということが伝えられていますが、どこまでが本当の情報なのかはわかりませんが、ありうることです。
 これとはまったく話しは違いますが、イギリスに行った時に聞いた話しで、空港でたまたま知り合いにあったりすると、後ろに人が並んでいても平気で話し続けることがあるそうです。この本でも、「オランダの銀行では、銀行の窓口がどんなに混雑していても、用事が終わった客が銀行窓口の行員と世間話を始める光景をよく見かけました。後ろに長い列ができていてもお構いなしです。窓口の行員は、おしゃべりをやめさせようとはしませんし、後ろに並んでいる客も文句一つ言わず、じっと耐えて待っているのです。オランダに来ていたァメリカ人の友人は、 この光景を見て「アメリカでは窓口でぺちゃくちゃ関係ない話をしてたら、後ろから文句は出るし、オレも絶対に文句を言うよ」と、呆れ顔でした。自分が会話を楽しむためには、他人がどう思おうとも、その場の空気を読まないで話をし続けるのです。デンマークやオランダに限ったことではなく、ヨーロッパではごく当たり前に見られる光景です。」と書いてあり、日本人にはなかなか理解できない話しです。
 下に抜き書きしたのは、北国のお米はおいしいのはなぜかという話しです。
 じつは、今日、青森から「雪むろりんご」を送っていただきましたが、これは「サンふじ」と黄色いりんごの「シナノゴールド」です。それを3ヶ月ほど雪のなかに貯蔵したもので、その雪から自然に解けだした水分により雪室のなかは適度な温度・湿度が保たれ、採れたてに近い状態で保存されるのだそうです。
 令和3年は、約7,200個ほどこのようにして貯蔵され、糖度が増しているそうです。
 まだ、食べてはいませんが、このチラシを見ただけでも、おいしそうです。
(2022.3.15)

書名著者発行所発行日ISBN
ふしぎな日本人(ちくま新書)塚谷泰生/ピーター・バラカン筑摩書房2022年1月10日9784480074577

☆ Extract passages ☆

 北のほうでは、冷害でコメがとれないこともあったので、寒い東北でも安定して収穫できるように、品種改良をしてきて、寒さに強い品種が出てきました。現在では東北はコメどころですからね。そして、今は北海道でもコメがとれるようになっていますが、稲は寒さに当たると身を守るために実(コメ)に糖を蓄えようとするから、甘くて美味しいコメになるんです。
(塚谷泰生/ピーター・バラカン 著『ふしぎな日本人』より)




No.2042『バンクシー』

 私がバンクシーの名前を知ったのは、2018年10月のサザビーズがロンドンで開催したオークションにかけられたバンクシーの「フウセンと少女」が、1億5千万円で落札された瞬間に、額縁に仕掛けられていたシュレッダーで裁断されたというニュースだったかもしれません。
 現在、その絵は「愛はゴミ箱の中に」と改称され、さらに絵の価値が上がっているというから驚きです。副題は、「アート・テロリスト」とありますが、まさに面目躍如といったところです。
 でも、それ以前から知っていたようで、この本を読みながら、2005年の大英博物館に侵入し、勝手に展示した壁画も、イギリスに行ったときに聞いていました。3日間も気づかなかった博物館側もちょっと間抜けた話しですが、バンクシーから指摘されて始めてわかったというから、これもびっくりです。バンクシーは、危険を冒しても自分の作品を美術館や博物館に展示する理由について、「ガーディアン」2003年10月18日付けで「誰かが絵画を選択するプロセスを実際に辿ってみるのは退屈なんだ。自分自身の作品を持っていって展示する方がはるかに楽しいじゃないか。これは、間に入っている人、テートの場合はキュレーターを排除することなんだ。」と書いています。
 このテートというのは、イギリスを代表するテート・ブリテンで、テムズ川畔のミルバンク地区にある国立美術館で、私も行ったことがあります。バンクシーは、ここでも2003年に自分の作品を壁にかけて展示しましたが、そのときは接着剤の力が弱かったらしく、その日のうちに壁から落ちてしまったそうです。でも、それまでは誰も気づかなかったといいます。おそらく、そのときのことを書いているのではないかと思います。
 この本に書かれているなかで、一番おもしろいと思ったのは、 2013年10月1日から1ヶ月にわたってニューヨーク市で開催された「ベター・アウト・ザン・イン」と名づけられたプロジェクトで、10月13日にセントラル・パークでお土産物店風の露店を出して、自分の本物の作品を1枚60ドル均一で販売したそうです。この本には、「販売していたのは、帽子をかぶり、薄い色のサングラスをかけたやる気のなさそうな初老の男です。露店は、「スプレーアート」と「60ドル」と書かれた札があり、バンクシーの代表的なステンシル作品が乱雑に並べられていました。BBCの報道によれば、1枚平均3万ポンド(約300万円)くらいの作品ではないかということです。ものによっては1000万円の値がつくバンクシーの作品が7000円くらいで売られていたのでした。」と書いてあります。
 ところが午前11時に店を開けたのですが、売れたのは午後3時半、「女性客が子どもたちのためにということで2枚買ったのですが、それも2枚買うから半額に負けるという交渉の末でした。結局、夕方6時まで店を開けて売れたのは、420ドル。」だったそうです。
 この露店を出したことは、「この作品は作品を売ることが目的だったのではなく、逆に売れないことを示すことで、美術作品の商品価値が文脈によって簡単に変わってしまうことを椰楡したものでした。最初に紹介した、作品シュレッダー事件にもつながる美術市場を批判したスタントでしょう。」と結んでいます。
 それにしても、60ドルで2枚も買った女性客は、本物だと気づいたときには、そうとうびっくりしたのではないかと思います。バンクシーは自分の作品が高額になっていることに関して、「ニューヨーカー」誌2007年5月14日付けで「最近自分の作品が生み出すお金には、少し居心地が悪く感じているんだ。けど、簡単に解決できる問題でもある――単にぐちぐち悩むのをやめて、全部そのお金をどこかにあげてしまえばいい。世界の貧困についてのアート作品を作って、その売り上げを全部いただくというのは、さすがのオレにもアイロニーが効きすぎている。」と語っています。
 そういえば、日本の日の出駅付近の防潮堤でバンクシーが描いたと思われるネズミの絵が見つかり、大騒ぎになったことがありますが、著者は、断定はできないとしながらも、本物ではないかと考えているそうです。
 下に抜き書きしたのは、バンクシーのブラックユーモアについてです。
 このなかに現代美術の難解さについても書かれていますが、私は自分がおもしろければそれでよいと思っていて、理解できるかできないかなんて、どうでもよいと考えています。さらにいえば、きれいな方が好きで、あまりにも残酷なものや生々しいものは見たいとも思いません。
 そういう意味では、バンクシーの作品はたのしく見ることができます。
(2022.3.12)

書名著者発行所発行日ISBN
バンクシー(光文社新書)毛利嘉孝光文社2019年12月30日9784334044466

☆ Extract passages ☆

現代美術は一般に難解だと考えられています。興味がない人に現代美術の話をすると、「ああ、私はそういう難しいものはわからないから」という反応が返ってくることは少なくありません。多くの場合に、「わからない」という反応には「私には知識がないから」とか「教養がないから」という謙遜が付け加えられます。
 美術の専門家はそれを字義通り受け取り、現代美術について「教えよう」としたり、極端な場合は美術の鑑賞教育の必要性を説いたりしがちなのですが、実際には「私はそういう難しいものはわからないから」という発言の背後には、もっと複雑なメッセージが込められています。それは、しばしば反権威主義や反エリート主義、反スノビズム、あるいは専門的知識に耽溺するあまりにほかの知識のありかたに不寛容な人びとに対する軽蔑が含まれているのです。
 ボップ・カルチャーがユーモアとともに救い出そうとするのは、公的な言語から消されてしまっている複雑な感情の起伏です。バンクシーの人気は、このポップのブラックユーモアに支えられているのです。
(毛利嘉孝 著『バンクシー』より)




No.2041『豆くう人々』

 著者は、北海道の遠軽にある豆専門店「べにや長谷川商店」の長女だそうで、世界中の「豆くう人々」訪れる度を約10年ほど続けているそうです。この本は、2012年から2019年までの間に世界66ヶ国を取材し、そのなかから約30の国や地域を選んでまとめたものです。
 おそらく、新型コロナウイルス感染症の拡がりで、海外に行けなくなり、今まで取材した記録をまとめる時間もあったのではないかと思います。
 私も海外に行くと、市民の集まるバザールとかマーケットに行くのが楽しみで、そこに行くとその国の台所事情が垣間見えてきます。とくに印象的だったのはネパールの豆を使った「ダルスープ」で、ほとんど毎回出てきました。ホームスティしていた友人に聞くと、日本の味噌汁みたいなものだということでしたが、必ず何種類かの豆が入っていました。
 そのような体験もあり、この本を見つけたので、読むことにしました。副題は「世界の豆探訪記」です。
 この本のなかに出てくる国で行ったことがあるのは、中国とミャンマーと台湾ぐらいで、エチオピアはマダガスカルに行くときに立ち寄っただけで、空港でコーヒー豆を買いました。それがとてもおいしかった記憶があります。ここに塩味のコーヒーがあると聞き、びっくりしました。それは「エチオピアでは農村でも、1日3回コーヒーを飲む。コーヒーを淹れるのは生豆の焙煎から始まるのでちょっと時間がかかる。儀式的な意味合いもあるのかもしれない。淹れてくれたコーヒーをひと口飲んで、腰が抜けるほどびっくりした。しょっぱい!。それだけではなぃ。ギー(バターオイルの一種で高純度の乳脂肪)を入れる場合もあるというから、面食らったなんてもんじゃない。以前、世界的に大流行したバターコーヒーは、エチオピアの片田合では当たり前の飲み物だったらしい。それにしても、塩味コーヒーはカルチャーショックのみならず、わたしの味覚は最後まで受け入れられなかった。」と書いています。
 そういえば、私もだいぶ前にネパールの奥地に行ったときにバター茶を飲み、同じように思いました。つくり方は、とても興味深く、写真も撮ったのですが、いざ飲んでみると、なかなか飲み込めなくて、辛い思いをしました。こちらの願いで、せっかくつくってくれたお茶を飲まないなんていうことは許されないと思い、なんとか少しだけ飲みましたが、後は話題を変えて、知らないふりをしました。今でも、ちょっと気の毒なことをしたと思い出します。
 また、びっくりしたのは、ルピナスの種を食べるということです。花はとてもなじみがあり、よく知ってはいるのですが、食べられることは知りませんでした。この本では、「地中海原産の白花ルピナスはアク抜きの必要がなく、スペインやポルトガル、イタリアなどでは、お酒のおつまみとしてルピナスの塩茄でがよく登場する。それに対してアンデス原産のルピナスは、アルカロイドを含み苦ぃため、数日から数週間かけてアク抜きが必要となる。ボリビアなどの一部の国では"貧民の食べ物"と蔑まれている。だが、栄養学的には優等生で、タンパク質含量が42〜44%と高く、アンデス先住民の貴重なタンパク源として「アンデスの大豆」ともいうべき存在なのである。」と紹介されていて、地中海やアンデスではよく食べられているそうです。
 まさに、世界中には、思いもかけないような豆が存在するものです。この本は海外の豆をくう人たちの話なので、日本の豆はほとんど出てこないのですが、わが山形県の最上地域の「漆野いんげん」と、すぐ近くの川西町の「紅大豆」が在来種として紹介されていました。紅大豆は食べたことがあるのですが、漆野いんげんは始めて聞く名前で、もし機会があれば食べてみたいと思います。
 下に抜き書きしたのは、エクアドルで出合った首都キトから北東に100qほど離れたコタカチ郊外のインバブラ・カントンに住むホセ・マヌエルさん、38歳の話しです。著者は、彼に「なぜこんなにたくさんの種類の豆をつくっているの?」と聞くと、答えてくれたそうです。
 それがとても納得できたそうで、ここに抜書きさせてもらいます。マヌエルさんは、「豆だけでなく、販売用も含めて72種類も作物を栽培していて、買う食材といえば肉、魚、塩、調味料くらい。食べるものには、ほとんど困らない生活を送っている。基本、タネは自家採種だが、日曜日に開かれるタネの交換会で、豆以外にもトウモロコシ、じやがいもなどの穀物、野菜のタネも入手して、定期的に更新しているようだ。」というから、なんか日本の昔の農家みたいです。
 たしかに、タネもある程度、新しいものに更新していかないと、品質や収量が落ちてくるものもあります。まさに、経験の積み重ねの生活です。
(2022.3.10)

書名著者発行所発行日ISBN
豆くう人々長谷川清美農文協2021年12月15日9784540211072

☆ Extract passages ☆

「豆は毎日食べるからバリエーションがほしい。それにいろいろな種類を栽培する方が虫が付きにくいし、凶作に備えて品種のバリエーションが多いに越したことはないからね」とマヌエル。なるほど多品種をつくることは、栽培上のリスク分散も兼ねているのだ。
(長谷川清美 著『豆くう人々』より)




No.2040『非接触の恋愛事情』

 新型コロナウイルス感染症が拡がり始めてから、マスクをしたり手洗いうがいなどはもちろん、さらには相手と適度な距離をとるソーシャル・ディスタンスや外出自粛など、直接触れ合う機会が激減しました。会社でも時差出勤やリモート会議、テレワークなど、人流抑制、アクリル板の設置、黙食など、今まで当たり前のようにしていたことができなくなってしまいました。
 このような状況下で、若者たちはどのように暮らしているのかとか、その恋愛事情はなどと考えていると、たまたま図書館でこの本を見つけました。この本は、短編プロジェクトが編集し、7名の作家、つまり相沢沙呼「拝啓コロナさま」、北國ばらっど「仮面学級」、朱白あおい「過渡期の僕らと受け入れない彼女」、十和田シン「ああ、鬱くしき日々よ!」、上遠野浩平「しずるさんと見えない妖怪〜あるいは、恐怖と脅威について〜」、半田畔「グット・ローカス」、柴田勝家「アエノコト」の小説集です。
 もともとは、「JUMP j BOOKS公式note」2020年7月〜2021年9月に配信された作品に、書き下ろしの「拝啓コロナさま」を加えたオリジナル文庫だそうです。
 この書き下ろし作品が、特に私はおもしろかったというか、興味を引きました。なるほど、コロナも禍だけでなく、福と考える人もいるのだと改めて考えました。この主人公は、小学校も中学校もクラスの仲間外れにされ、ばい菌扱いされてきたそうで、学校にも通えなくなった、つまり不登校です。しかし高校進学と同時に新型コロナウイルスの拡がりで、マスクをしなければならなくなり、顔の表情もあまり見えなくなり、笑い方が気持ち悪いとか陰気だとか、誰もいう人がいなくなったそうです。この本では、「わたしは、みんなに散々陰気だと罵られてきたこの表情を、マスクで覆い隠すことができる。そのことに、誰も疑間を抱かない。当たり前だ。もうみんなマスクを付けていて、そうではない人間の方が非常識な世界なのだから。だから、もう誰もわたしのことを見て顔を顰めたりはしない。笑い方が気持ち悪いとか、陰鬱な空気が怖気立っとか、そんなことを言う人はもう誰もいない。アサヒ菌で散々騒いでいた同じ中学校出身の子たちも、もっと恐ろしいウイルスを目の前にして、あの菌の存在なんて忘れ去ってしまっていた。世界に恐ろしい脅威が蔓延する代わりに、わたしを襲う脅威は呆気なく消えてしまった。」と書いています。
 そういわれれば、たしかにそうで、このコロナ禍の時代にはいままでは不自然とされてきたことでさえも、まさに正反対のことになってしまうこともあります。
 たとえば、今までは不登校だと隣近所でも目立ったのですが、みんなが登校できなければ、それが当たり前になります。考えてみれば、すべての生活習慣を見なおさざるをえなくなったようです。
 とても不思議だったのは、柴田勝家さんの「アエノコト」という小説で、まさに非接触の夫婦生活です。ちょっとだけ引用しますと、「ちなみに非接触同棲のルールは三つ。お互いの部屋には人らないこと。対面する時は事前に相手の許可を取ること。会話は付箋に書いてすること。最後の一つはLINEとかじゃ味気ないから、っていう彼女の発案だ。」とあり、まさに非接触そのものです。顔を合わせることもないのですから、これで生活といえるかどうかも問題ですが、逆に考えれば、それらが夫婦生活には大切なことだということです。
 結果を書いてしまうとおもしろくないのですが、同棲から結婚して、さらに赤ちゃんも生まれました。それでも、いくつかの非接触は残り、赤ちゃんを世話するのも一人ずつというのも味気ないような気がしました。
 下に抜き書きしたのは、この本の編集者がコロナ禍で恋愛事情も変化するのではないかと思いこの連載を企画したそうで、そのときの文章の一部です。
 ここに載っていたのですが、「コロナ禍になり恋愛をすることが難しくなったと感じますか?」という質問に、「とても感じる」と「少し感じる」を合わせて60.2%の人たちが感じているそうです。おそらく、新型コロナウイルス感染症の収束もあまり見通せない状況では、このままの状態が続けば、それが当たり前に近い状態になりそうで、少し不安です。
(2022.3.7)

書名著者発行所発行日ISBN
非接触の恋愛事情(集英社文庫)短編プロジェクト 編集英社2021年12月25日9784087443349

☆ Extract passages ☆

「コロナ禍の時代に生きる以上、生活様式の変容は避けられないと言います。
 エンターティンメントにおける重要な要素、恋愛もまた、変容は免れないでしょう。
 学校は、男女の出会いが生まれるイベントに満ち満ちた空間だったが、今後はどうか。酒場で隣り合った男女が恋に落ちることは、果たしてこれから先ありえるのか。
 きっと将来、この災厄は克服されるはずだと思います。しかし疫病が去ったあと、人と触れ合う、出会うことは、2020年の春より前と同じでしょうか。どうもそうは思えない。
 アフターコロナの時代、どんな恋愛ならありえるのか?
 その答えを少しでも探るため、今回『アフターコロナの恋愛』をテーマにした短編小説を、気鋭の作家に依頼しました」
(短編プロジェクト 編『非接触の恋愛事情』より)




No.2039『ヒトの壁』

 この本は、月刊『新潮』2020年7月号から12月号、2021年2月号の「コロナの認識論」などに連載したものに加筆訂正しまとめたもののようです。でも、今のコロナ禍を著者はどのように考えているのか興味があり読み始めました。
 先ずは現在の新型コロナウイルス感染症についてですが、「ヒトとウイルスの、不要不急の関係がいかに深いか、それはヒトゲノムの解析が進んでわかったことである。ヒトゲノムの四割がウィルス由来だとする報告を読んだことがある。その四割がどのような機能を持つか、ほとんどまったく不明である。むしろゲノムの中で明瞭な機能が知られている部分は、全体のニパーセント足らずに過ぎない。つまリヒトゲノムをとっても、そのほとんどが不要不急である。それはジャンクDNAと呼ばれている。ジャンクの方が量的にはむしろ大半を占める。そういうことであれば、要であり、急であることが、生物学的には例外ではないのか。ジャンクDNAについても、遺伝情報を担うという枠の中では機能がない。しかし別の枠組みの機能があっても、何の不思議もない。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 勝手に「不要不急」といわれても、人それぞれの考え方で違ってくるのは当たり前です。全て一元的に解釈するのはおかしな話しです。ヒトゲノムだってたくさんのジャンクDNAがあって、そのジャンクといわれているものであっても、もしかするととても大切な機能があるのかもしれません。
 こういう考え方は、人々を統制しようと考える人たちにとっては、あまり好ましいものではないかもしれませんが、みなそれぞれに心に秘めています。ただ、口に出すか出さないかの違いです。
 また、おもしろいと思ったのは、ウィルスの大きさとヒトの大きさを比較するという考えです。最初のころの新型コロナウイルスの画像は、なぜかおどろおどろしたようなもので、いかにも地球外から来た雰囲気でした。ほんとうにこれに罹ったら怖い、という恐怖心にかられるようでした。でも、著者のように、そのニュースに出てくるアナウンサーの大きさと比べてみると、えぇっと思うほど小さなものです。著者は、「ウィルスがあの大きさで見える倍率の顕微鏡で、アナウンサーを見たら、どのくらいの大きさになるだろうか。私の概算では、百万メートル、千キロの桁に達する。」といいます。
 これでもなかなか直感的にはわかりにくいのですが、ウィルス1個の細胞をヒトの細胞と比較すると100mほどの立体になるそうです。ということは、ウィルスとヒトを比べると、地球以上の大きさになるというから、もう比較もできないぐらいです。まちがっても、同じテレビ画面には収まりきれないほどの違いです。
 そういえば、最近の新型コロナウイルスの画像は、最初のころと違って、普通の細胞のように見えますから、見慣れてきた感もあります。ただ、昔のスペイン風邪のときには、そのウィルスも見えなかったのですから、やはり脅威です。それが電子顕微鏡の発明で可視化できるわけですから、科学技術の進展は素晴らしいものがあります。
 この本では、あまり書いてなかったと思うのですが、父親が4歳の頃に亡くなられたとか、母親が小児科医でありながら、著者は違う小児科医で診察してもらったり入院したりしたことなどが書いてあり、それも興味深いものがありました。そのつながりで、第8章の「ヒト、猫を飼う」というのは、著者の生き方からするとあまり思いつかないことのようですが、こんなにも猫といっしょに生活できるとは驚きでした。何もしない、という生き方も、それはそれで有意義なのかもしれないと思いました。
 ただ、ヒトそれぞれでしょうが、骨になっても猫といっしょにいるというのは、私にはちょっと考えられません。
(2022.3.6)

書名著者発行所発行日ISBN
ヒトの壁(新潮新書)養老孟司新潮社2021年12月20日9784106109331

☆ Extract passages ☆

学者の世界では「新しい」発見が重視される。私はベつに「新しい」考えを提出したいなんて思っていなかった。なにを考えていたかというと、こうした学者の世界とくに自然科学の研究で当然とされる考え方と、日常の生活での考え方のズレがなんとも気になっていた。そのズレが「考える」ための動機になっていたと思う。大学での研究生活を辞めてもはや三十年近くになるから、その動機は消えたに近い。ただ社会の中で、その種のズレは相変わらず存在している。そこが気になって、それで本が書けるのである。
(養老孟司 著『ヒトの壁』より)




No.2038『忘却の野に春を想う』

 題名からすると、ひな祭りにでもあいそうな名前ですが、読んでみると、まったく違っていて、どちらかというと国家権力や自然の猛威との戦いのようなアナーキーな雰囲気をもった本です。
 この本は、姜信子さんと山内明美さんとの往復書簡というかたちで、2018年12月14日から2020年12月29日までの日付けがあります。姜信子さんは奈良に住み、山内明美さんは宮城県仙台市に住み、お互いに行ったり来たりの交流をしながら自分の想いを伝えています。
 本の題名の『忘却の野に春を想う』は、慶尚北道大邱生まれの詩人、李相和の「奪われし野にも春は来るか」からとられたもののようで、彼は1901〜1943年に生きて、植民地下の人々の悲哀をうたい、朝鮮民衆の心を代弁しようとした詩人です。そして朝鮮プロレタリア芸術同盟にも参加したそうで、この詩のなかにある「私は全身に陽射(ひざ)しをうけ 青い空 緑の野の合わさるところへ 髪の分け目のような畦をつたい 夢の中をゆくごとく 歩きつづける」という最初の書き出しに、東日本大地震と福島第1原発事故が起こる前の福島の風景を見るようでした。
 それが10年も経つと忘却の野になりつつありますが、事故処理はまだ途に就いたばかりのようで、50年とか60年とか、もしかするともっともっとかかるかもしれない気の遠くなるものです。だからこそ、忘れてはならないことなのです。
 この本を読んで思ったのは、明治初期の神仏分離令の発布で廃仏毀釈運動が起き、今まで信仰してきたものをあっという間に変えざるをえなかった先人たちのことです。火で焼いてしまう、川に流してしまう、土に埋めてしまう、先ずは自分たちの前から強制的に消してしまうことで、一般大衆は時間とともに忘れていけたでしょうが、営々と護ってきた立場の人たちにとっては、どのようにして納得していったかと考えると切ないものがあります。いや、納得はできなくてもそうせざるを得ない強い力のまえに、嫌々でも従ったのかもしれません。私の蔵書のなかに、「明治維新 神仏分離資料 全5巻」がありますが、読んでいるだけで「なぜこんなことが?」と絶句してしまいます。
 姜信子さんの「あとがきにかえて」のなかで、祈りについて「ことさらにそのための時間を取って、手を合わせて祈らずとも、無になって命の糧をつくっている時間、それ自体が祈りなのでした。暮らすこと、生きること、命をつないでいくためのささやかな積み重ね、それこそが祈りなのでした。祈りというのは人の命と同じように、土によって育まれるもののようにも思われました。それぞれの風土にそれぞれの花があり草や本があり、(酵母も風土の賜物だ)、それぞれの言葉があり、歌があり、踊りがあるように、祈りもまたそれぞれの風土の、それぞれの暮らし、日々の営みの中で、命に謙虚に誠実に生きてゆく体とともに育まれるものなのだと思ったのでした。」と書いてありましたが、おそらく神仏分離のときにも、外向きは政府のやり方に従いながらも、心の奥底では、それに順応しない反骨の思いがしっかりと残っていたのではないかと思います。やはり、それが生活の中での祈りです。
 姜信子さんの手紙のなかに、「山内さんの言うとおり。近代国家というのは確かに「排他的な愛」で貫かれています。排除される他者、在日とかアイヌとか障がい者とかハンセン病者とか難民とか、あるいは地域まるごと沖縄とか水俣とか福島とか……、いやなことだけど、「排他的な愛」というやつは、一見かなり分かりやすいですね。それが罠なんですね。自分はそこには当てはまらない、これは他人事だと安心している者たちにも平等に、排他的な愛はますます暴力的に降り注いでいるというのに、それを見えなくさせる。」と書いてますが、いわゆる仮想敵国と同じように味方をまとめるには好都合なやり方のようです。
 下に抜き書きしたのは、山内明美さんの落ち込んだときの打開法のひとつです。山内さんは宮城教育大学教育学部准教授ですから、ここに出てくる学生はそこの学生ではないかと思います。
 これは私もよくやるのでわかりますが、植物の種を蒔くと、気長に待つしかありません。たとえば、シャクナゲだと、花が咲くまでは10年以上もじっと待つしかありません。気が長くないと続かないけど、結果ははっきりと花が咲くことでわかります。
 そして、山内さんは、「百姓の子どもとして育った自分は、タネを蒔けば、芽がでて、花が咲いて、結実してくれることのなかで、人を信じることを学んだように思います」と「あとがきにかえて」で述べています。
(2022.3.4)

書名著者発行所発行日ISBN
忘却の野に春を想う姜信子・山内明美白水社2022年1月10日9784560098776

☆ Extract passages ☆

 わたしは時々、ちょっと落ち込んだ時なんかに、何でもいいから種を植えるってことをやります。そうすると、だいたいの種は1、2週間くらいで芽がでてくるでしょう。その頃には、自分が何に思い悩んでいたのかを忘れているんですが、種が芽生えて、うまくいけば花が咲いて、結実してくれたりすると、小躍りします。子どもの頃、やたらといろいろ植えましたが、芽がでる喜びって、自分にとってはえらく大事な経験だったと思っています。それでよく、学生には「しんどい時は種でも蒔いてね」って言っています。
(姜信子・山内明美 著『忘却の野に春を想う』より)




No.2037『アウシュヴイッツ生還者からあなたへ』

 今、この本を読んでいるときに、ロシアがウクライナに侵攻をしています。今朝のニュースでは、ウクライナに侵攻しているロシアとウクライナの代表団が昨日28日、ベラルーシ南東部ゴメリで初めての停戦協議を終えたそうです。しかし、お互いの主張がぶつかり合っただけのようですが、双方が近く次回協議を実施することで合意したことはとてもよかったと思います。
 ただ、戦争というのは、なかなか落し所がなく、つい泥沼化しやすいので、お互いが自制するしかないようですが、著者が最後の証言をしたトスカーナ州ロンディネ村にある「平和の砦」はこれらを考えるときに、最適なところです。というのも、ここは「紛争を起こした国の若者同士、あるいは国内で対立関係にある若者同士が寝食をともにしながら対話を重ね、未来の平和を築く場所として1997年に創設された。最初に招かれた若者たちは、激しい戦争を繰り広げ、多くの血を流したロシアとチェチェンの出身者だった。若い世代の力を信じ、彼らの歩みを後押しするように証言を続けていたセグレさんが、未来を託す場としてこれ以上にふさわしい場所はなかったといえるだろう。」と訳者の中村秀明さんは最初に書いています。
 さらに訳者は、直接、最後の証言をされたリリアナ・セグレさんに電話インタビューをされたとき、「隣人愛を考える前に、憎悪を世の中からなくすことを始めなくてはいけない」と話しますが、戦争というのはこの憎悪がさらに憎悪を生むということの繰り返しです。さらに、「無関心は暴力そのもの以上に暴力的であり、世の中を動かす力がある」ともいいます。自分自身も、死ぬ宣告をされたいっしょに働いていたジャニーンに、声も掛けられなかったことを今でも恥ずべき振る舞いをしたとして重く記憶に残っているといいます。
 でも、戦争というのは、人を人の心をなくさせてしまうもののようで、そうでなければ人を殺すということはできません。今回の報道で、ロシア兵が思いのほか苦戦しているのは、戦争の大義名分がなく、戸惑っているからではないかという報道もありました。
 先ほど取りあげた「平和の砦」では、ロシア人とチェチェン人の若者が同じ部屋で最初はなかなかなじめず、同じ洗濯機で衣類を一緒に洗うことを嫌がって拒絶したそうですが、ルールではすべての若者は下着を含めた衣類をいっしょに洗うことになっていたので、従わざるを得なく、この洗濯部屋が「偏見や憎悪を洗い落とし、対話と理解の道を歩み出すための場」になっていたと書いてありました。さらに食事も大切で、「一日三回の食事をともにするのは、とても重要な経験です。雑談をしながら、多くを学んだ。そして食後の皿洗いの時間も大事でした」とあり、相手を理解するにはとても大切なことだと感じました。
 この本は、リリアナ・セグレさんが14歳で体験した収容所でのことを伝えていて、その語り部としての最後、90歳のときの話しをまとめたもので、とても筆舌に堪えないことも述べられています。だからこそ、これからもこのようなことのないように、伝えていかなければならないと強く思います。そして、一人でも多くの方に、このような本を読んでいただきたいと思います。
 下に抜き書きしたのは、「死の行進」ののちにたどり着いたドイツ北部のマルヒョー収容所で春を感じたときの印象です。
 その後、数日でドイツが戦争に負け、生きることができましたが、おそらく、それ以降も季節の移ろいに励まされたのではないかと思います。
 私たちでも、今年の冬は大雪で屋根の雪おろしから道路の雪片付けなどで大変でしたが、もう、春の目の前まで来ているようです。3月3日は桃の節句ですから、その桃が咲くぐらいの季節がやって来ます。
(2022.3.1)

書名著者発行所発行日ISBN
アウシュヴイッツ生還者からあなたへ(岩波ブックレット)リリアナ・セグレ 著、中村秀明 訳岩波書店2021年11月5日9784585330011

☆ Extract passages ☆

 そのマルヒョー収容所では、もう働かされることはありませんでした。しかし、食べ物はろくにありません。体は弱って、もはや何も感じなくなっていました。戦争があのまま続いていれば、ナチスが手を下さなくても私たちは死んでいったでしょう。そのくらいに弱り、死にかけていたのです。
 それでも、ここでは素晴らしいものに出会いました。小さな敷地の先、鉄条網の向こうに野原があり、本々が茂っていました。そこに春の訪れを見つけたのです。春の始まりが、私たちの心に喜びを運んでくれました。新緑を楽しみ、自然に思いをはせる喜びを感じることができたのです。戦争があろうと、街が破壊されようと、人がどんな悪い行いに手を染めようとも、自然の営みは左右されることなく、その歩みを止めないのだと気づきました。木々の枝に新しい緑が芽吹いていました。
(リリアナ・セグレ 著『アウシュヴイッツ生還者からあなたへ』より)




No.2036『コロナ後』

 先のアカデミックの世界でも、こちらは「ハーバード知日派10人が語る未来」で、元NHK局員で、現在は作家でコンサルタントの佐藤知恵さんがインタビューしてまとめたものです。
 第1章はマルコ・イアンシティの「日本企業にはAI時代を勝ち抜く独自の方法がある」、第2章はレベッカ・ヘンダーソンの「今こそ公正でで持続可能な社会を実現するチャンスだ」、第3章サンドラ・サッチャーの「コロナ後の世界では「信頼」こそがキーワードになる」、第4章ジェフリー・ジョーンスの「渋沢栄一が世界的に評価される理由」、第5章リカルド・アウスマンの「技術革新に成功すれば日本経済は大きく飛躍する」、第6章ウィリー・シーの「21世紀のリーダーに不可欠なのは科学技術の知識だ」、第7章ラモン・カザダスス=マサネルの「コロナかの東京ディズニーランドから世界が学ぶべきこと」、第8章リンダ・ヒルの「社内に眠る能力を結集すれば「集合天才」を生み出せる」、第9章エイミー・エドモンドソンの「危機下のリーダーに求められる「謙遜の精神」」、第10章はマイケル・タッシュマンの「「両利きの経営」が未来を切り拓く」の10人です。
 この他に章の最後に、「2030年の展望」が載っていて、とても参考になります。
 このインタビューは、ほぼすべてがオンラインで行われたそうで、このような時期だからこその話しが多く、しかも、編著者によると教授陣がキャンパスでお目にかかったときよりもリラックスした雰囲気だったそうです。ということは、いろいろな話しを多く引き出せたかもしれないので、オンラインもいいこともあると思いました。
 たとえば、第1章のマルコ・イアンシティ氏の話しのなかに、「モデルナが今回のワクチン設計に要したのはわずか2日と伝えられています。このような短期間での設計が可能になった理由は主に2つあると思います。1つは「mRNAワクチン」の特性です。 mRNAワクチンは、ウイルスの表面にあるタンパク質(スパイクタンパク質)のゲノム配列を解析し、そのデータをもとにmRNAを人工的に合成し、脂質でコーテイングして、製剤化します。つまり、ウイルスの表面にあるタンパク質の遺伝情報さえ解析できれば、短期間に設計することが可能です。もう1つはモデルナが2010年の創業以来、一貫して「mRNAワクチン」を開発してきたことです。モデルナにはすでにmRNAワクチンに関する豊富な知識と技術が蓄積され、mRNAプラットフォーム」もありました。こうした背景から、新型コロナウイルスの感染が確認されたとき、すぐにウイルスのゲノム配列を解析して、ワクチンの設計にとりかかることができたのです。」とあり、それまではワクチン開発には5〜10年もかかると聞いていたのになぜ早かったのかが理解できました。
 しかも、モデルナだけでなく、歴史のある大企業のファイザーについても、なぜ迅速にワクチン開発できたのかに触れていて、それぞれに興味深く読みました。
 おそらく、この新型コロナウイルス感染症をワクチンや治療薬の開発でそれほど心配することはなくなるかもしれませんが、まったくなくなることは考えにくく、いわばインフルエンザのように共存していく可能性もあります。そうなれば、以前の生活スタイルを見直さざるをえなくなりますが、いままでパソコンの有効活用を何度も取り上げられながらもできなかったのに今では小学生たちもリモート授業をしています。だとすれば、北海道で暮らしながら、1ヶ月に1度程度東京に出張しながらでも仕事を続けられる職種もありそうです。
 そうなれば、企業の意識も違ってきて、従業員からも消費者からも信頼されなければ生き残れなくなります。第3章のサンドラ・サッチャー氏によれば、人々は次の4つの要素を見て、企業を信頼するかどうか決めているといいます。それは、
(1)コンピタンス(能力)=自分が期待する製品やサービスを提供しているか
(2)動機=自社の利益だけではなく、社会全体の利益のために事業を行っているか
(3)手段=公正な行動をとっているか
(4)影響=社会によい影響を与えているか
 ということです。今まではコンピタンスだけを満たせばよかったのですが、これからはそうではないないようです。
「信頼される企業」になるには、これらの4つをすべて満たすことが大切です。一般的には(1)を満たす企業、つまり期待する製品やサービスを確実に提供する企業が、信頼される企業だと思われていますが、それだけでは不十分なのです。
 下に抜き書きしたのは、第6章のウィリー・シー氏の「21世紀のリーダーに不可欠なのは科学技術の知識だ」のなかに出てくる話です。
 これを読んで、そういえばマクドナルドなどのフライドポテトが販売停止になった要因がこれではないかと思いました。やはりサプライチェーンが機能しなくなれば、意外なところにその影響が出ます。やはり、現在進行形のパンデミックは、これからも相当影響するのではないかと思います。
(2022.2.28)

書名著者発行所発行日ISBN
コロナ後(新潮新書)佐藤知恵 編著新潮社2021年11月20日9784106109317

☆ Extract passages ☆

 このサプライチェーンを構成する1社が操業停止になったりすれば、それが仮に3層日、4層目の会社であったとしても、サプライチェーン全体が機能しなくなってしまいます。すべてのサプライチェーンを組み直さなくてはならない。これが現在のパンデミック下でおこっていることです。またコロナ禍で海上貨物輸送費も急騰しています。安い労働力をもとめて国外で製造しても、輸送費が高ければ、割にあいません。これまで国外生産が経済的だったのは、人件費に加え、輸送費も安かったからです。それが高くなれば、サプライチェーンを大幅に見直す必要が出てくるでしょう。にもかかわらず、なぜいまも多くのグローバルメーカーが国外で製造しつづけているかといえば、パンデミック下で代替サプライヤーを見つけられていないからです。2020年に世界中から中国企業への発注が急増したのも、他の国のサプライヤーが仕事を受けられなかったことが要因です。
(佐藤知恵 編著『コロナ後』より)




No.2035『すばらしきアカデミックワールド』

 副題が「オモシロ論文ではじめる心理学研究」で、表紙絵もちょっとユニークで、どのような論文を取りあげているのか興味がありました。
 読み始めると、このようなマニアックな論文があるのだと感心したり、これでも論文なのかと半分あきれたり、それなりにおもしろく読み進めました。たとえば、最後の方に載っているもので、アメリカのマサチューセッツ州のブロンクトン在郷軍人局病院の行動治療法ユニットに所属するデニス・アッパー氏がJournal of Applied Behavior Analysisに投稿した『ライターズブロックの一事例:うまくいかなかった自己療法』で、タイトルと著者名に続いて空白のスペースだけが続いて、その空白の真ん中に「REFERENCES」という単語だけがぽつんとあるだけだそうです。しかも、査読済みの論文だそうで、さらにこの研究は追試もされているというから驚きです。これが論文といえるかどうかですが、落語家が高座に上がって何も話さず、お囃子の音で下りてくるようなものです。
 もちろん、なるほどという論文もあり、たとえば、「ファーストクラスの存在は攻撃行動を促進する」という論文は、ありえる話しです。これはデュセルとノートンの研究ですが、おもしろいのは「このような効果はニコノミークラスの乗客が機体の前方から搭乗するかどうかとも関係しており、その搭乗の場合のほうがトラブルが多かったのである。これは機体の前方から搭乗するとファーストクラスの座席を通ってエコノミークラスに移動する必要があり、より階級の違いが顕在化しやすいからではないかと考えられた。ちなみに分析 はロジスティック回帰分析によって行なわれており、トラブルの数を従属変数、その他の要因(たとぇば、シートピッチやキャビンサイズ、路線など)を独立変数として分析している。エコノミークラスのトラブルはフアーストクラスが存在することや、機体前方からの搭乗(ファーストクラスを通ってェコノミークラスに行く必要がある)で増加した。シートピッチやシートの広さはトラブルと関係していなかった。ついでだが、データを詳細に見てみると、飛行機が遅れるに従ってトラブルが増加すること(イライラするからだと思われる)や、なぜかカリブや中央アメリカと北アメリカを結ぶ便では、トラブルが多いこともわかった。」そうです。
 私は、ファーストクラスの座席を通ってエコノミークラスに移動しても、よく同じ距離を飛ぶのに何倍も高いお金を払うものだと思うだけですが、なかにはそう思わない人たちもいるということです。でも、ありえない話しではなく、路線によっても違うところが国民性の違いなのかもしれません。
 私はほぼ毎日お抹茶を飲んでいますが、この本には、長生きする職業として茶人の研究ものっています。この研究は、サダカタら(Sadakata, Fukao & Hisamichi,1992)で、「1980年の裏千家の名簿に掲載されている東京在住の50歳以上の女性の師匠(registered as teachers)3380人を10年間追跡調査した。このうち、280人が追跡期間中に死亡した。日本全国、あるいは東京に住む同年代の女性の死亡率から考えると、この集団における死亡率の期待値は、512.4(日本全体)、あるいは、493.9(東京)であるので、この死亡者数は、全国平均や東京都平均に比べて有意に少なく、裏千家の茶人は長生きすることが示された。」と結論づけています。
 たしかにお茶そのものも身体によいし、生徒をもっていれば若い人たちと触れ合う機会も多いので、精神的にも張りを以て生活できそうです。私が知っているお茶の先生たちも、みな長生きですから、たしかにそのような面もありそうです。
 下に抜き書きしたのは、それらの論文が本当に妥当なものかどうかを見抜く具体的な方法についてです。そういえば、論文のデータの捏造や改変があったというニュースをみますが、研究者だからそのようなことが絶対にないわけではありません。
 この本のなかに、「倫理学者は図書館の本を盗みやすい」という論文がありましたが、倫理学というのは人間の行動における道徳性や正義について研究をしている人たちです。その人たちが図書館の本を盗むというのは、いくら考えても理解できません。しかし、論文にも載っているそうですが、紛失に関する調査では、非倫理学書とほとんど倫理学者くらいしか借りない本と比較すると、紛失率は1.5倍、さらに別な研究では2倍にもなったというから驚きです。
 この本は、へたな落語本よりも楽しい読みものです。
(2022.2.26)

書名著者発行所発行日ISBN
すばらしきアカデミックワールド越智啓太北大路書房2021年12月20日9784762831775

☆ Extract passages ☆

@ポストホックなストーリーづくり
 探索的に実験して、たまたま得られた結果について、はじめからそのような結論を仮説として設定したように論文を構成する。
Aデータの選択
 収集したデータの一部分のみ(とくに有意差が認められた部分のみ)を報告し、他の部分(従属変数や独立変数を合む)を意図的に報告しない。
B恣意的なデータ収集の中止
 継続的にデータを収集し、有意差が出るまで繰り返す。あるいは有意差が得られたところでデータ収集を停止する。
C外れ値の恣意的な削除
 思いどおりの結果にならない方向に外れているデータを意図的に「外れ値」として削除する。
(越智啓太 著『すばらしきアカデミックワールド』より)




No.2034『絵の旅人 安野光雅』

 安野光雅さんは2020年12月24日に亡くなられましたが、この本は安野産との思い出を語る人たちを、伊藤元雄さんが編集したものです。
 私も『ふしぎなえ』などが好きだったので、どのような方々と交流があったのかと思い、読み始めました。やはり出版関係の方が多いのですが、普通にはなかなかわからない分野なので、興味深く読みました。
 安野さんの絵本は、あまりよくは知らないのですが、アメリカの編集者で評論家のレナード・S・マーカスさんの「『ABCの本』は視覚的な重層構造になっており、彩色もデザインも絶妙だった。遊び心いっぱいでスマートで、少しばかりミステリアスでもある。この絵本は、文字の形を書き言葉の積み木というメタファーで表現し、またコミュニケーションを人間の性(さが)にとって不可欠な要素という哲学で表現している。安野はこういったことをひとつも言葉を用いずにやってのけたのだ。」というのが、的確に評価しているように思いました。まさに絵本は言葉が少ないので絵で訴えかけることも多く、絵は世界共通言語でもあります。だからこそ、このような深い洞察ができたのかもしれません。
 また、安野さんは、(株)紫野和久傳会長の桑村綾さんによれば、生涯に4千点余の絵画と、何百冊という本を残されたそうですが、それでももし、「仕事がなくなったとしたら、どうなるんだろう。何をするんだろう」と自問し、やはり「そうしたら、やっぱり一人で絵を描いているだろうね」(『のこす言葉』平凡社)と書かれているそうです。
 つまり、本当に好きな絵と出会い、それを仕事にして94歳の死の間際まで全うされたわけですから、幸せとしかいいようがないのではないかと思います。しかも、私たちと違い、これらの絵や本は、これからも生き続けるわけですから、ほんとうにすごいことだと思います。
 それから津和野安野光雅美術館長の大矢鞆音館長の話しのなかに、安野さんが「名人の碁は、はじめいくつかの布石がなされると、あとは棋士の考えというよりも、石に心があるかのように、石を置く必然の場所がつぎつぎに照らし出されてくる。タピエスの場合も、はじめに置いたひとつの形が形を生み、つぎつぎと絵の成り行きを決めていくのだと思っていい。それは頭の中に住み着いている何ものかが、タピエスの意思を操っているかのように思える」と語っていたといい、さらにアントニ・タピエスの作品について、「落書きのような筆の痕跡までが、絵になっているというのはうらやましい」と話したことがあったそうです。
 ということは、おそらくそのように見えていたということは、自分のなかにもそのようなひらめきがあったのではないかと私には思えました。
 下に抜き書きしたのは、IBBY講演記録集のなかの「自然は芸術を模倣するか」というなかに書かれていたもので、「絵と窓」についての話しです。
 安野光雅さんは、「絵がわからない」という人に対して、「絵は窓だ、と考えればいい」と話していたそうで、窓から外の世界を眺めるように、絵という窓からそこに描かれた世界をのぞくのだといいます。
 そう考えると、たしかに絵の変遷の流れが少しだけわかったような気になりました。
 私からも、ぜひおすすめします。
(2022.2.24)

書名著者発行所発行日ISBN
絵の旅人 安野光雅伊藤元雄 編ブックローブ社2021年12月5日9784938624286

☆ Extract passages ☆

 絵は、むかし、天国や地獄や、神話の世界をのぞかせてくれました。
 あるときは、記念すべきできごとを、いつでも思い出すことができるように、王様や、勇者のために描かれたこともありました。
 時がたって、風景画というものが生まれ、文字通り外の風景にむかってひらく窓となったこともあります。
 そして、遠近法が発見され、絵具も改良され、技術も進歩して、今日の写真と同じか、あるいはそれ以上に写実的になって絵という窓が、本物の窓と大差がなくなったときに、人々は「この窓はどうもおかしいぞ」と気がつきはじめます。
 美術の歴史は、本物の窓を志向して進んできたはずだったのに、かえって「こんな窓がほしかったのではない」と思いはじめたのです。
(伊藤元雄 編『絵の旅人 安野光雅』より)




No.2033『はじめての茶箱あそび』

 今日は「2」が6つも並ぶ日で、しかも少しずつ春めいたように感ずる日もあり、この本を選びました。
 私が習っているお茶の流派には、「茶箱」の手前はないのですが、持ち運びしやすいものにお茶を点てるための必要最小限度の道具を入れて、旅に持ち出します。たとえば、海外だと、頑丈なプラスチックの保存容器にぴったり合うような茶碗を入れ、そのなかにお抹茶と茶杓を入れて持って行きます。以前は、茶碗も現地で探したのですが、中国だと気に入ったものが手に入る場合もありますが、他ではなかなか見つからず、困ったことがあります。それとお菓子はなるべく現地調達を心がけていますが、どうしてもない場合には、日本から持って行った一口羊羹を食べます。
 国内だと、和菓子が手に入らないところはないので、その地方に昔から伝わるような銘菓を見つけて、それでお茶を点てて、いただくのが楽しみです。
 この本を読んでよかったのは、今までは自分流の茶箱遊びしか知らなかったのですが、茶筅を茶筅筒に入れて持って行くのも素敵だと思いました。今までは、茶筅が入ってきたプラスチックの容器にそのまま入れて持っていったのですが、この茶筅筒を使えば、絵にもなります。お抹茶を点てる場合に絶対必要なのはこの茶筅とお抹茶ぐらいです。茶杓は、忘れていったときに、プリンを食べるためのプラ匙を使ったこともあり、茶碗もなければどんな容器でも代替えできますが、茶杓だけは他のもので代用はできませんでした。
 それと、茶巾筒もあればきれいだし、楽しそうです。また茶杓は自分で削りますが、竹の茶杓筒に入れて持って行くと割れそうなので、ついそのまま持って行きますが、有職布の茶杓入れにいれれば、それも楽しそうです。
 著者の茶箱の5原則は、@「ちゃんとお茶が点つか」、A「清潔であるか」、B「テーマは何か」、C「どこで点てるか」、D「誰に点てるか」、だそうです。このなかで私が大切だと思うのは、「清潔であるか」と「どこで点てるか」です。お茶は飲むものですから、やはり清潔でなければ困ります。までどこで点てるかによって、当然道具組みも違ってきます。せっかく野外でお茶を楽しむのに、あまり豪華で華奢な道具では、壊す心配もあり、その場にも似合わないと思います。そう考えれば、どこで点てるかによって、持って行く道具も決まり、ゆっくりと楽しめます。
 そこで、オークションサイトで、この茶箱を検索したら、良さそうなものがいろいろと出てきました。でも、私は入れ物だけを見繕って、その中に入れる道具は、一つずつゆっくりと楽しみながら集めていこうと思っています。先ずは、和三盆糖が入るような口の広い振出しがほしいです。
 あっ、そういえば、10年ほど前にインドを一人旅したときに見つけた、金属製の小さな小箱があったはずで、先ずはそれを使ってみようかな。だとすれば、今まで旅先で買い求めた品々を見立てで使うのも楽しそうだと気づきました。
 下に抜き書きしたのは、ページの次に書いてあったもので、いわば茶箱あそびのすすめ、みたいなものです。
 たしかに、このようなお茶は、気楽なものですが、だからこそ難しいと考える人もいます。私の場合は考えずにしていますが、この本のなかのいいところだけを真似して、楽しみたいと思います。
 私からも、ぜひおすすめします。
(2022.2.22)

書名著者発行所発行日ISBN
はじめての茶箱あそびふくいひろこ世界文化社2017年3月30日9784418173105

☆ Extract passages ☆

「茶箱」とは抹茶を点てる道具一式を入れた小箱、どこでもお茶が楽しめる便利なアイテムです。日々の暮らしの中での一服、旅先での一服、友人宅の鍋パーティにも持ってゆけます。そして、本格的な茶会だつてできてしまいます。あなたも茶箱を組んで、自分だけのお茶時間を楽しんでみませんか。
(ふくいひろこ 著『はじめての茶箱あそび』より)




No.2032『いのちは誘う』

 副題が「宮本隆司 写真随想」とあり、どのような視点で写真を撮っているのだろうかという素朴な思いで読み始めました。すると、第1部「見るためには闇がなければならない」では、写真の視点というよりは、写真そのものをいわば哲学的にとらえたような文章で、「カメラ・オブスキュラ」や「パノラマ館」というのは始めて知りました。
 また、ピンホールカメラというのは知ってはいましたが、そこから見えてくるものにはあまり関心もなく、また、そのピンホールカメラのなかに入り込むというのも意外でした。
 それでも第2部の「いのちは誘う」は、両親の生まれた島、徳之島のことを描いているので、これは随想かな、と思いながら読みました。そして、お父さんの名前が宮本寛隆といい、まさか自分の父親と同じ名前とは、びっくりしました。でも、もともとの苗字は宮本ではなく、宮寛隆であったそうで、この一字苗字から二字苗字にかわった由来がとても興味深く、このことは「一字姓だった宮に本がつけられた」に詳しく書かれています。もし、興味のある方は、ぜひこの本で読んでほしいと思います。
 さて、第1部「見るためには闇がなければならない」ですが、ここには、人間の眼もカメラも同じように闇がないと見えないといい、くわしく説明をしています。その部分を引用すると、「人体の内奥は暗闇である。その闇に光を導き入れるための二つの球体が眼球である。球体内部に闇が保たれた眼球は、前面にレンズとなる角膜に覆われた水晶体があり、透明な硝子体で理まっている。水晶体レンズを通過した光が限球の内面にある網膜上で像を結び、光を感ずる視細胞に知覚され、神経信号となって脳に伝わる仕組みになっている。感光材料となるのは受光装置である眼の網膜と、認識と記憶装置としての脳である。逆さま裏返しになった左右二つの画像が脳に送られ、画像処理され認識されると、そこで「見ること」が成立する。人がものを見るためには、闇と光と、感光材料として眼の網膜や脳が必要なのである。眼という受光装置が機能するためには、光とともに闇が必要なのである。物理的な必然といっていい。」と書いています。
 たしかに見るためには、眼があって光がなければ見ることはできないが、さらに厳密に言うと、闇がなければみえないというのは、眼そのものの構造からいっても必要だといいます。なるほど、普通は気づかないのですが、カメラマンだからこそ、その闇の重要姓に気づいたといえるのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、第1部「見るためには闇がなければならない」の「受動としての写真」に書かれていたものです。
 じつは、私も何度かこのような受け身の写真だと思えるような体験をしています。たとえば、2015年5月18日から29日までの中国四川省の旅で、黄龍や九寨溝などの写真をたくさん撮ってきました。ところが2017年8月8日、九寨溝県でマグニチュード7.0の大地震が発生し、大きな被害を受けたそうです。すぐにネットで調べると、情報が錯綜していて、正確なことはほとんどわかりませんでした。おそらく、誰も九寨溝には入れなかったのかもしれません。しばらくしてから、中国の知り合いから入った情報によると、九寨溝の「火花海」などが決壊して、湖水が干上がってしまい、湖底も見えているといいます。
 私たちが泊まったチベット族のお寺の宿から、歩いて「火花海」に行ったのですが、そのときは青々とした樹林のなかに、エメラルドグリーンなどの複色の「火花海」の湖面が朝日にキラキラと輝いて、透き通って見えました。ところが、その後はどのようになっているか詳しくはわかりませんが、もし、まだ湖水が干上がっているとすれば、あの幻想的な風景を見ることができません。
 この本を読んで、そのときに写した九寨溝や黄龍の写真を見なおしましたが、その写真を見るかぎり、あの2015年5月22日に撮ったその風景がまだ残っていますが、現実にはそのときの風景は四川省の九寨溝にはありません。まさに写真も一期一会です。
 だとすれば、これからも出合った風景を、このときの1枚として、大切に撮ろうと思いました。
(2022.2.21)

書名著者発行所発行日ISBN
いのちは誘う宮本隆司平凡社2021年8月4日9784582231311

☆ Extract passages ☆

 よく誤解されるんですけど、写真はハンターのようにものを狙って撮るんだというふうに思われがちですけど、決定的なところでは、光景を受け入れる、光を受け止めるという、うけ身の部分があるんです。
 撮るまでに非常にアクティブになにかを追っかけて、ということはあるかもしれない。しかし、写真の最終的な、像を感光材料に反応させるときは、受け身なんです。その受け身であるという状態のときに、ある時間――動かしようのない時間といえばいいか――が刻まれる。その操作できなさ、時間の動かしようのなさが写真にはありますね。
(宮本隆司 著『いのちは誘う』より)




No.2031『日々のきのこ』

 この題名からして、おそらくきのこに関するいろいろなことが書かれているものと勝手に想像して、さらに表紙のきのこのイラストが人格化されているのもおもしろいと思い、図書館から借りてきました。
 ところが、聞いたこともないキノコの話しで、ホコリタケを「ばふんばふんと踏んで歩く仕事を「ばふ屋」と呼び、正しくは「地胞子拡散業」というとあり、聞いたこともないので広辞苑で調べてみるとまったく出てなくて、それからネットで調べると、「バフ研磨のバフとは、ステンレスを研磨する時に使う研磨道具のこと」とありました。
 つまりバフというのは、英語の「buff(=磨いて輝かせる)」からきているそうで、それは綿、フェルト、ウール、スポンジでつくられており、そのバフを回転させステンレスに当てることで表面を削ったり磨いたりするそうです。だから、この本に出てくる「ばふ屋」というのは現実の世界にはなく、著者の空想から生まれたものだと知りました。さらに読み進めると、「108型粘菌」というのがあるらしく、それに寄生された人間は、1年に1回だけ空を飛べるようになると書いてあり、これはきのこを題材にした空想小説だと気づきました。そのことがはっきりわかるまで、「108型粘菌は体表に付着し、寄生主の汗と老廃物を養分に活動するが、内臓は侵さない。比較的安全で共生可能な粘菌とされるが、100系統の粘菌の特性として、神経に強く接続してしまうので、あらゆる感覚器がこれに左右され、さらには脳にまで影響が出る。粘菌の考えや意識などは知れないものの、なんとなく、自分に寄生している者たちの総意のようなものが伝わってくる。雨が近いと機嫌がよい。大方は陽の下が嫌いである。ある種の菌人とはひどく相性が悪い。やたらにこの世界がうとましくなる日もあって、それは粘菌の何割かが死減して新たな組織と交代するときらしい。」という話しにも、半信半疑ながらとてもおもしろいと思っていました。
 この本には、「所々のきのこ」、「思い思いのきのこ」、「時々のきのこ」の3編が載っていて、この話しは最初の「所々のきのこ」に載っていたもので、この本に載っていた著者の略歴をみると、1985年第1回幻想文学新人賞を受賞したそうです。ということは、これも幻想文学のひとつかと思い、納得しました。
 でも、最後に書かれていた参考文献もきのこや菌類の数々の本が掲載されていて、さながら研究論文のようです。そういえば著者も東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程を修了していて、博士号を持っているそうです。
 だからといって、書いてある内容が正しいわけではなく、あくまでもあり得ないような話しだったので、とうとう「所々のきのこ」だけ読んで、本を閉じました。こういうときには、図書館から借りてきて読むと、軽く踏ん切ることができます。しかも税込み2420円もするので、自腹で買ってきて読んだら、もしかして無理をしてでも最後まで読み切ったかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、ばふ屋についての記述で、いかにも本当にあるかのように書かれています。
 この辺りまでは、なぜかありそうな気がしていましたが、これからさらに読み進むと半信半疑になり、そして幻想的だと思うようになりました。
(2022.2.19)

書名著者発行所発行日ISBN
日々のきのこ高原英理河出書房新社2021年12月30日9784309030159

☆ Extract passages ☆

「ばふ屋」と呼ばれているが、正しくは「地胞子拡散業」、一応は行政機関にも登録のある職業で、ただし専業者はいない。季節労働者に分類される。毎年秋になると、森へやってきて、 ホコリタケのたぐいを踏んでまわる。それによって地方公務員の一箇月分と等しい給与を役所から得る。
 といって人の役にたっているとも思えない。昔から行われてきたので、なぜ必要なことなのかわからない。慣習である。だがこの「きのこ踏み」を行うとより多く菌が拡散し、きのこが繁茂する。
(高原英理 著『日々のきのこ』より)




No.2030『昭和の名短篇』

 節分が過ぎると、少しは時間的なゆとりが出て、こういうときには小説でも読んでみようと思います。
 そして、手に取ったのがこの『昭和の名短篇』で、収録されているのは「灰色の月」志賀直哉、「草のいのちを」高見順、「萩のもんかきや」中野重治、「橋づくし」三島由紀夫、「軍用露語教程」小林勝、「水」佐多稲子、「おくま嘘歌」深沢七郎、「一条の光」耕治人、「明治四十二年夏」阿部昭、「神馬」竹西寛子、「ポロポロ」田中小実昌、「泥海」野間宏、「葛飾」吉行淳之介、「百」色川武大、の14編です。
 ところが、かつて読んだことのある小説は一つもなく、知らない作家もいて、それなりに一気に読みました。
 なかには、私が育った時期と重なる部分があったりして、そうそうと思った箇所もいくつかありました。また、戦争が絡むものもあり、わからないまでも、そうかもしれないと感じるものもありました。
 たとえば、中野重治の「萩のもんかきや」は、この題名からだけではなにがなんだかわからなかったのですが、だいぶ昔、萩の窯元を訪ね歩きたいと思ったことがあり、その街の様子がとても気になりました。そして、夏蜜柑の砂糖漬けが出てきて、そういえば萩の出身者からお土産にいただいたことを思い出しました。そして、最後のところで、「――戦死者の寡婦で「もんかきや」だということが、その「もんかきや」という仕事が、機械も動力も使わない全くの手仕事だということが、また紋つきの紋をかくというその商売が、女の鼻が西洋人のように高いだけにつらいものに見えてくる。「もんかきや」―― 言い方が古いだけ、その分量だけ逆にあたらしい辛さがそこからひびいてくるようにも思う。」という箇所を読み、萩の古さやあの夏蜜柑の砂糖漬けの甘さが際立つように感じられました。
 長編小説を読もうとは思わないのですが、もう少し、時間的なゆとりでもあれば、小説も読んでみたい、その小説のなかに没頭してその世界にすっぽりと入り込みたいと思いました。そういえば、中学生のころ読んだのはほとんどが小説で、大学生になり専門書を読まなければならなくなり、卒業してからは自分の仕事に関わるような本を読むことが多くなりました。
 でも、第一線からリタイアした今、また中学生のころのように次々と小説を読んでみたいと思いますが、部屋にはまだまだ読んでいない本が積んであるので、それを読んでからになりそうです。
 下に抜き書きしたのは、吉行淳之介の「葛飾」の最後のところの文章です。
 いくら整体の先生でも、癌治療の名のある先生でも、ケガや癌になることはあります。とは考えながら、ある一方では、もしかすると大家ならそうならないのではないかという期待もあります。そういえば、太宰府八幡宮の息子さんが書かれた本を読んだことがありますが、受験のときにすごいプレッシャーがあったといいます。まさか、受験の神様のお膝元にいて不合格では困ってしまいます。
 そういう意味では、生きる義務とか責任なんてまったくありませんが、生きてほしいという願望はあるような気がします。
(2022.2.17)

書名著者発行所発行日ISBN
昭和の名短篇(中公文庫)荒川洋治 編中央公論新社2021年11月25日9784122071339

☆ Extract passages ☆

 歩いて五分のところに大邸宅を構えている整体の先生が亡くなった。その後、間もなく、葛飾の先生が亡くなったという噂が届いた。二人とも、年齢は七十代の前半だった。
 あれだけ居丈高に振舞った大邸宅の先生は、せめて八十歳まで生きる義務……、というか責任がありはしまいか。それは、葛飾の先生のほうも同じ立場だとおもうのだが、しかし、違う気もしてくる。
(荒川洋治 編『昭和の名短篇』より)




No.2029『視覚化する味覚』

 この本の題名を見たときに、そういえば最近は何でも写真を撮ってSNSでながすので、当然ながら食べものも視覚化せざるをえないと思って読み始めたら、そのような単純な話しではありませんでした。副題が「食を彩る資本主義」で、その歴史的背景から描き始めていました。
 とくに興味を引いたのは、スーパーマーケットの出現により、お店の人からいろいろなアドバイスをもらいながら買いものをすることはなくなり、客がみずからカートを引いて食品棚から選ぶようになったことで、新鮮さやおいしさなどを視覚的にアピールすることが重要視されるようになったということです。そこに食品の着色料の普及が加速し、そしてセロファンでラッピングするようになり、視覚以外の情報を得ることが難しくなったといいます。
 このセロファンは、1908年にスイス人化学者ジャック・ブランデンバーガーによって開発されたもので、木材パルプ(セルロース)から作られたもので、ブランデンバーガーは「セルロース(cellulose)」とギリシャ語で透明を意味する「ダイアフェイン(diaphane)」を合わせた造語から「セロファン(cellophne)」と名づけたそうです。もちろん、その当時のセロファンはいろいろな欠点はあったそうですが、そのしばらく後には「パッヶージ越しに見えるようになった商品は、食品のありのままの(あるいは「自然な」)姿のようでありながら、実はそれは入念に作り出された姿であった。セロファンは、透明なフィルムを通して中身を見せているだけでなく、パッケージ内の湿度や空気をコントロールすることで、野菜や肉など生鮮食品の見た目や新鮮さを長持ちさせるよう開発されたものだからである。よって、見せる包装は、見えないコントロールによって成り立っていたのだ。」と、著者は書いています。
 たしかに、どんな商品でも、見栄えがよくなければ客は手にとってくれません。しかし、世の中は皮肉なもので、その見栄えのなかに隠されたものがマスコミなどで暴露されたり、時代が自然に帰れというようになると、「自然」や「有機」などという言葉が注目されるようになってきます。
 最近はフードロスなども問題になり、下に抜き書きしたようなSNSが極端になれば、ただ写真を撮るためだけに食べもしない料理を注文するという事態になります。この本でも取りあげていますが、2019年8月に大阪のレストランで人数分以上の料理を注文した客が、大量の料理を写真に撮り、8割以上の料理を残して帰ったそうです。この問題は、お金を支払えばよいという単純なことではありません。食には農家の方々だけでなく、それらを加工したり流通させたりと多くの方々が関わっています。その過程を踏みにじるような大きな問題です。
 この時期、私は「訳あり」のデコポンを買っています。もともとは農家の方たちが市場などで規格外とされたものを、味はほとんど同じなのに捨てられるということで、買うことにしたのです。何度か買っていますが、安いし、大きさがまちまちなので、そのときの腹の空き具合で選んで食べています。ときには、とんでもなくおいしいものが混ざっていたりして、選ぶ楽しさもあります。そして、フードロスに少しだけでも貢献していると思うと、いい気持ちです。
 この本のなかにはコラムが3編ほどあり、そのひとつに「和菓子の美学」があり、「和菓子は五感の総合芸術である」といいます。そして、これは「和菓子の老舗「虎屋」16代店主、黒川光朝氏の言葉である。和菓子は、味や香り、見た目はもちろんのこと、舌触り、そして名前(菓銘)の響きといった、五感を通して楽しむ「芸術」で、季節感や自然、時代・時節の移り変わりなどを感じ取ることのできるものだという。」と書いてありました。
 ほぼ、毎日、お抹茶を点て、和菓子を食べているので、まさに私自身も実感しています。
 下に抜き書きしたのは、最近のSNSなどに見られるように、おいしそうと思うものより、「見栄え」というか、「おもしろい」というか、ある種の「盛る」ことが多くなってきている状況を捉えています。
(2022.2.15)

書名著者発行所発行日ISBN
視覚化する味覚(岩波新書)久野 愛岩波書店2021年11月19日9784004319023

☆ Extract passages ☆

SNSの写真には、日常の記録や思い出の保存というだけではなく、むしろそれ以上に、ユニークな見た目であることが求められる。よって映える被写体というのは、単に綺麗な色をしているとか、撮影者がおいしそうと思うものというよりは、多くの人の目にとって「面白い」ものということになる。それはSNS写真独特の美学である。佐藤卓己が論じるように、こうした写真は、見栄えを優先させる一方、被写体・素材の事実性は軽視されがちである。つまり、「データ素材としてどのような加工もできるデジタル写真は、記録のメディアというより表現のメディア」となったのである。
(久野 愛 著『視覚化する味覚』より)




No.2028『数えないで生きる』

『数えないで生きる』って、年齢を気にしないで生きるという意味なのか、それとも他と比較しないということなのか、いろいろと考えて、考えているより読んだほうがいいと思い、図書館から借りてきました。買うわけでもないのに、読もうとするとだいぶ考えてから借りてくることが多いようで、自分でも不思議です。
 この答えは第2章「本当に大事なことを考えるためにはじっくり問題と向き合い、考え抜かなければならない」の「数えないで生きる」にありました。この章は「立ち止まる私」とあり、自分が本を選ぶときと同じだと思い、苦笑いしました。
 サマーセット・モームは、次のように言っているそうで、「あまりに時間がかかるというので若い時は避けるような仕事にも、老年になると造作なく取りかかれるものである、と。これは普通に考えられていることと反対である。老人は人生に限りがあると考えて、大きな仕事に着手しようとしない。他方、若い人は自分の前に長い人生があるので、大きな仕事でも手がけると考えられるが、実際には、老人と違って若い人の方が時間が十分あっても、人生に限りがあることを、直面する仕事に取り組むことを回避するための理由にする。なぜそうなるのか。若い人は数えるからだ。老人は残りの人生が短いことを当然のこととして受け止めているので、数えないのである。手がけた仕事が完成しなくても、それも想定内である。そのことで誰からも責められることはないだろう。若い人であればそうはいかない。時間はあったのになぜ途中で仕事を投げ出すのかといわれかねない。」と書いています。
 たしかに、数えてしまうとできなくなるかもしれません。だとすれば、数えなければいいのかというと、若いときにはなかなか難しいのではないかと思います。というのは、受験にしろ、社会に出てからも数えなければならないことはたくさんあり、そのなかで生きていかなければならないのです。
 そういえば、この話しを読んで気づいたことは、年を重ねないとわからないということです。私の知り合いに、90歳を過ぎても山野草の種子を蒔いている方がいて、おそらく花を咲かせるまで5年以上はかかります。だとすれば、自分でその花を見ることができるかどうかはわからないのですが、それでも毎年種蒔きをします。そういえば、蒔くという漢字は、草冠に時と書きますから、種を蒔くということは、時間のかかることです。このサマーセット・モームの話しを聞いて、なるほどと思いました。そして、私も還暦を過ぎたあたりから、あまり時間を考えないですることが多くなったような気がします。
 この本のなかに出てくる伝説上の盗賊プロクルステスの話しは、「捕らえてきた旅人を寝台に寝かせる。そして、もしも身長が寝台よりも短ければ、頭と足を引っ張って引き延ばし、長ければ寝台からはみ出た足を切り落とした。この話に即していえば、理解するというのは、自分の寝台に合うように人を伸ばしたり切ったりすることである。たしかに理解(寝台の長さ)に「合う」かもしれないが、このようなことは対象を自分の都合のいいように合わせただけであつて、理解したことにはならないだろう。理解するというのは、寝台の長さに合わせることではない。そうではなく、対象をあるがままに認めなければならない。」とあり、他者を理解するときには心しなければならないと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第2章「本当に大事なことを考えるためにはじっくり問題と向き合い、考え抜かなければならない」に書いてあったもので、なるほどと思いました。
 これは数えないで生きるというよりも、時間そのものを止めてしまおうということで、たしかに一理あります。ただ、いつまでもその時間のなかにいるわけにはいかないので、それから先はどうするかという問題もあります。でも、幸せというのは、そう思うことが大切で、あまり考えないということも必要です。
(2022.2.12)

書名著者発行所発行日ISBN
数えないで生きる岸見一郎扶桑社2021年2月11日9784594087142

☆ Extract passages ☆

 まず、これから起きることについて、ただ起きるに任せ自分では何もしないというのではなく、自分が何とかできることはないか考えることである。対人関係についていえば「影の面」を見るのではなく、「光の面」を見るように努めなければならない。
 次に、幸せなことが続いた後に、その幸せな時間をふいにするような不幸なことが起こったとしても、両者には因果関係はないということを知らなければならない。幸せなことが続いたので不幸なことが起こったのではない。反対に、不幸なことが続いたので、次は幸せなことが起こるということはない。それぞれの出来事はただ起こるのである。
 第三に、人は今においてしか幸福であることはできないのだから、今幸福を感じているのであれば、なおさら先のことを考えてはいけない。先に不幸な出来事が起こりそうなので今楽しめないのではなく、今、心から楽しまないために先のことを考えて不安になるというのが本当である。
(岸見一郎 著『数えないで生きる』より)




No.2027『一万円選書』

 この本を見て、単純に1万円もする選書という本と勘違いしました。よく見ると、1万円で本屋さんが選んでくれる本を送ってくれるということでした。でも、本というのは、自分で読みたい本を自分で選ばなければおもしろくないのではないかと思い、なぜ選んでもらうのか不思議でした。
 この本を読んでいるうちに、いろいろな理由で自分の読みたい本を選べない方もいるということを知りました。私の場合は、1冊読むとそのつながりの中から次に読みたい本が何冊か出てくるし、新聞などで書評が出ると、それも読んでみたいと思い、たえず読みたい本が目の前にあります。だから、誰かに本を選んでもらう必要もないのですが、この本を読んでいるうちに、もしかすると、自分が選んでいる本に偏りがあるのではないかとか、それでも自分が好きで読んでいるのだからそれは当然だと思ったり、いろいろと本について考えることができました。
 それでも、この本を読んで、ここで紹介されている本の何冊かは読んでみたいと思い、それを抜き書きしてノートに書きました。
 つまり、自分が勝手に選んでいるばかりでは、読書の幅が広がらないし、それでもいいと考えてしまうと、おもしろそうな本と出合う機会も少なくなるのではないかと思いました。おそらく、この1万円選書を申し込む方のなかにも、私と似たような考え方の人もいるような気がします。
 私も著者と同じように、学生時代から本が好きで読んでいて、この本には「本の世界がおもしろいのは、読めば読むほど自分は何も知らなかった!ということに気づかされることです。僕は69年生きてきてこれまで1万冊くらいの本を読んできたけれど、それでもまだまだ知らないことがあって、読むたびに驚かされます。」と書いてありましたが、おそらく私も1万冊以上は読んでいると思います。そして、いつもいろいろな世界があるものだと感心させられます。
 そういえば、本屋さんとも親しかったので、その仕組みを聞いたことがありますが、この本のなかで、流通を担う「取次」についても「必要な機能ではあるのですが、いわた書店のような売り上げ規模が小さい町の書店はそのシステムの網日からこばれてしまうこともあるんですね。取次業者は、出版社から本を仕入れて、全国の書店に「配本」します。つまり新刊や雑誌、話題の本は、書店が注文しなくても、過去の売り上げデータを見て、取次業者から決められた部数が送られてくる。送られてこない場合もありますよ。するとどうなるか。たとえばお客さんから新刊の注文があっても、入ってこない。なぜなら、配本がないから。注文を受けたのにお客さんに届けられない本が、札幌や旭川の大型書店に積まれてあって、非常に悔しい思いをするわけです。逆に配本でたくさん入ってきた商品を積んでも売れない。お客さんが求めている本、本屋として売りたい本に関係なく、取次から送られてきた本をただ並べるしかできない。配られた本を並べてお金にかえて、売れなかったら返本する。自分に主導権がないんです。それでは仕事にやりがいは見出せない。「おまえの代わりはいくらでもいる」と言われているような気がしました。」と書いてありました。
 たしかに、この通りでは本屋さんとしてのおもしろみは少ないと思います。本が好きであればあるほど、やりがいは見いだせないでしょう。この本のなかに、「本屋のお客さんは「消費者」ではなく、「読者」です。本は消費されるものではなく、読者の傍らに立って励ましてくれるもの。本屋の使命は、作家が命を削って書いたおもしろい本を必要としている読者に届けていくことなのです。」とあり、このような考えの本屋さんこそ、本屋さんだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「僕はこうやって本を選ぶ」に書いてあった言葉です。
 私もだいぶ前に、テレビを見ているのと本を読んでいるのとでは、どの程度覚えているか実験みたいなことをしたことがあります。本は比較的時間が経っても覚えていますが、テレビは2週間もするとあまり覚えてなくて、1ヶ月もするとほとんど記憶に残っていませんでした。それ以来、本は毎日読みますが、テレビはほとんど見なくなりました。それから50年以上は経っていると思いますが、そのころ読んだ本の内容もおぼろげながら覚えています。
(2022.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
一万円選書(ポプラ新書)岩田 徹ポプラ社2021年12月6日9784591172087

☆ Extract passages ☆

僕自身もよくテレビ取材を受けたりラジオに出演したりするんですが、テレビは「秒」単位、ラジオは「分」単位、そして本は「年」単位なんですね。時間の流れが。中にはすぐに陳腐化してしまうものもありますが、100年の時を超えて燦然と光り輝く「言葉」を体現する名著があるのが、本が本たるゆえんなのでしょう。
(岩田 徹 著『一万円選書』より)




No.2026『茶の湯日和』

 節分が過ぎ、立春を迎えると、太陽の光もほんの少し春めいてくるような気がします。そこで、お茶関係の本でも読んでみようと取り出したのが、この本です。副題は「うんちくに遊ぶ」ですが、いろいろなところに掲載していたものを、たとえば「お一人様のお茶」は文藝春秋、「かたちとこころ」は清流出版、「うんちくに遊ぶ」は山陽新聞、「茶の湯日和」は「孤峰―江戸千家の茶道」に載せていたそうです。
 それでも比較的新しいコラムから選ばれたようで、とても興味深く読みました。たとえば、毎年、ある方から中津川のすやの「栗きんとん」を送っていただくのですが、その話しもここに載っていました。それは昭和37年の秋に浅草の伝法院で叔母さんが大寄せの茶会を開いたとき、著者もお手前をしたそうですが、注文していたその「栗きんとん」が時間までに届くかどうかとても心配していたと書かれています。たしかに、今と違って宅配便があるわけでもなく、どのようにして運んでもらったかは書いてなかったのですが、とても珍しく大好評だったと記しています。
 それに引き替え、現在は京都のお菓子屋さんからでも翌日には届くので、ある意味、有難みは少なくなってきているかもしれませんが、私もよく利用しています。
 そして、ほぼ毎日、夕食後にお抹茶を点てて飲んでいますが、新型コロナウイルス感染症が広がってから、お茶会もないので、夫婦で楽しんでいます。この本には、300年ほど前にできた『南方録』という本のなかに、「お茶とは「朝、薪をとり湯をわかし、茶を点てて、仏に供え、人にもほどこし、自分も飲む」ということである、と書かれている。人事なことは、自分も飲むことである。」とあり、自分自信で楽しんだり飲むことも大切だと思いました。
 そういえば、小野川温泉に日本一たくさん独楽を作る工房がありましたが、なぜこまを「独楽」と書くのか不思議でした。この本では「人の手で強く回転が与えられるものの、いったん手を離れれば、独楽はひとりで勝手に動く。……まるで、ひとりで気ままに楽しんでいるようだ。そんな境地でいられたら、どんなによいか、と思う気持が、独楽の文字を与えたのであろう。と書いています。
 たしかにそういわれれば、そのような気もしますが、その後に、「千利休は晩年、独楽庵という茶室をつくった。床柱に小間の茶室には不似合いな巨大な材を使った。大阪の長柄川にかかってぃた橋柱の古材である。おそらく、独り楽しむという意味と、心棒にあたるような巨大な床柱がある席を、独楽に見たてたのだと思う。」と書いてあり、利休が晩年に独楽庵(どくらくあん)という茶室を作ったことも知らなかったが、俗事から離れて、一人楽しむということもあったのではないかと想像すると、お茶というものの深さを感じます。
 下に抜き書きしたのは、「うんちくに遊ぶ」のなかの「結ぶ」というところに書いてあったものです。
 お茶の世界でも、桐箱にかかる真田紐を結んだり、茶器の仕覆のひもを結んだり、さらには茶壺の飾り紐のような複雑なものまであり、飾り結びも美しいものです。まさにこのムスビも連想が広がっていきます。
(2022.2.7)

書名著者発行所発行日ISBN
茶の湯日和熊倉功夫里文出版2012年8月11日9784898063897

☆ Extract passages ☆

 生命というものを考えると、結ばれる前は形がなかったのに、結ばれると日に見える形となって姿をあらわしてくる。つまり形のないものに形を与えることも「ムスブ」ではないかと思う。水には形がない。しかし両の手のひらで水をすくってやると、水に形ができる。水を掬(むす)ぶ、という言葉も「ムスビ」と関係ありそうだ。おむすびコロリンの「おむすび」は、水を結ぶ時の手の形でご飯を結ぶのではないか。連想はいろいろ広がっていく。
 結ぶという言葉の中には「ゆわえる」という意味が加わる。ぎゅっと口を締めることは「一文字に口を結ぶ」などと表現する。結ぶことは締め切ること。結んでしまったら最後、外からはなかなか中に入りこめない。邪悪な神やケガレを締めだすために、ここからは入れないと境界線を結んでやる。これが結界である。
(熊倉功夫 著『茶の湯日和』より)




No.2025『背筋がスッと伸びる日本語』

 背筋が伸びる日本語って、なんだろうと思ったのが、この本を読むきっかけでした。たしかに、格調の高い日本語というのはあると思いますが、それはあくまでも使い方であって、むやみやたらに使えるわけでもなさそうです。だとすれば、読んでみるしかありません。
 それでも、このままの言葉で使うには、ちょっと勇気がいるばかりではなく、使う相手だって考えてしまいます。たとえば、孫に使ったら、今は令和の時代だよ、といわれそうです。しかし、その意味するところは大切なことばかりで、その使う人の心意気だけはわかるような気がします。たとえば「一意専心」という言葉ですが、「命がけで」というよりは悲壮感はなく、「一生懸命」というとあまりにも一般的でなかなか伝わらないかもしれません。似たような言葉に「一心不乱」ということもありますが、これもちょっと大げさなような気がします。
 私だったら、もっとかみ砕いて、「一つのことに集中して取り組む」といいます。これだと相手に宣言するということは伝わらないかもしれませんが、自分がやることを相手に強く宣言することもないというのが私の考えです。相手に認めてもらうことも大切なことですが、先ずは自分の気持ちを一つにして、仕事も他のこともやっていれば、他人はだんだんと認めてくれると思っています。もし、それで認めてもらえなければ、それだけの話しで、相手の問題です。
 この本のなかで、「量稽古」というのがありますが、これはなるほどと思いました。昔、山登りをしていて、毎週のように山に行っていると、だんだんと見えてくる風景が違ってきます。おそらく、山に登る数が多くなればなるほど、体力もつき、自信も出てくるし、いろいろとできることも増えてきます。この本では、「量稽古」とは、それをやることに意味があるかを考える前に、まずは徹底的に「量」をこなしてみることの大切さを教える言葉です。質より量と考え、とにかく実践する。不器用に量をこなしつづけるのです。「量稽古」を行った者だけに見えてくる世界があります。「量稽古」を実践した者だけに持てる言葉があります。そして、その人の言葉には重みが出てきます。」と書いてあり、自分の今までのことを思い出しながら読みました。
 この本のなかで始めて知ったことですが、「宮沢賢治の有名な詩、「雨ニモマケズ」は、彼の死後、トランクの中から発見された手帳に書きつけられていたものでした。人に見せるためのものではなく、自分自身への励ましのメッセージだったのです。その中の一行「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」。個人的に大好きな言葉です。」ということです。
 いわれてみれば、たしかに詩の締めくくりで「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書いています。
 下に抜き書きしたのは、「陰徳あれば陽報あり」のなかに出てくる言葉ですが、タネを蒔くというときの、「蒔く」という文字の説明もなるほどと思いました。
 この蒔くという漢字は、草冠に時間の時と書きますが、蒔かれた種が芽を出し大きく育つのには時間がかかります。今の時代はすぐに結果を出せないと成果が見えないといいますが、成果が出るまでには時間のかかるものもたくさんあります。たとえば、ノーベル賞を受賞するような研究は、まさに一生をかけての時間です。そして、受賞するまででも数十年もかかるのが普通です。
 だとすれば、この「事実+ありがとう」も、言い続けることが大切で、それを蒔き続けることに意義があり、それも「量稽古」につながるのではないかと思いながらこの本を読みました。
(2022.2.4)

書名著者発行所発行日ISBN
背筋がスッと伸びる日本語西村貴好サンマーク出版2021年12月15日9784763139405

☆ Extract passages ☆

 特に感謝を伝える言葉として「事実+ありがとう」は、とてもおすすめの表現です。
 たとえば、「いつも的確なアドバイスをありがとう」「会議でフォローしてくれてありがとう」などと伝えます。人は、自分が誰かの役に立っていることを実感したい、感謝されたいものなのです。
「事実+ありがとう」、この事実は、小さな事実の方がいいと思ってください。
 相手の行動という小さな事実が、誰かの役に立っているのだと伝える「事実+ありがとう」は、最高のプレゼントになります。
(西村貴好 著『背筋がスッと伸びる日本語』より)




No.2024『次の角を曲がったら話そう』

 この本は、TBSラジオで毎週月曜日から木曜日まで朝8時半から11時まで生放送の番組のなかで、木曜日の9時半頃に放送する「伊集院光とらじおと放哉と山頭火と」のコーナーに投稿されてきた自由律俳句を取りあげたものです。
 まさに尾崎放哉も種田山頭火も自由律俳句の世界では代表者ともいうべき方々で、それを番組のコーナータイトルにしてしまうのですから、とても大胆です。おそらく、それすらも自由律だと考えているのかもしれません。しかし、この「伊集院光とらじおと」のディレクターの「あとがき」を読むと、実は伊集院さんがもともと自由律俳句が好きで、しかも放哉と山頭火の句がものすごく好きなので、ある程度の準備期間を経て始めたそうです。
 なるほど、言葉のはしはしに好きさがにじみ出ていたのは、だからだったのかもしれません。ところが、今年の1月11日放送の「伊集院光とらじおと」の番組のなかで、伊集院さんがこの番組が今春で終了すると発表しました。ネットでは、数日前から終了するかもしれないという話しが出ていましたが、2016年4月から始まったこの番組もこれではっきりとなくなることに決まったということです。まさに、『次の角を曲がったら話そう』という状況だったようです。
 ところで、私がこの本のなかでいいと思ったのは、千葉県の「わいおか」さんの『損していいから単品で』です。伊集院さんは「セットだとお得になりますけど」と言いますが、柴田理恵さんは「いや、いいんです。これだけが食べたいんで」と答えています。ちなみに、私は若いときには腹一杯食べられるセットのほうがよかったのですが、最近では食も細くなり、好きなものを少しだけ食べたいと思うようになり、それだけ単品で食べたいのです。だから、この句は、若いか若くないかを判断する基準になるのではないかと思います。
 次は、大阪府の「煮え湯500杯」さんの『あらゆる選択を間違えてここにいる』です。柴田さんは「そうそう。なんか「よかったこれで」っていう気持ちになるのよね。間違えはしたけど。」と言い、伊集院さんは「なんかね、道を間違えて間違えて花畑にいるみたいな。」と表現しています。私は「あらゆる選択を間違えて」とは思わないけど、ある程度の選択の間違いはあったけど、今が良ければそれもよしと思っています。それが伊集院さんのいうような花畑なら最高です。
いくら考えても、先々のことはわからないし、その周りの状況も変化しますから、間違えて当然です。煮え湯という言葉がちょっと気にはなりますが、ときどきこのように自分自身のことを振り返ることは必要ではないかと思います。
 さらに次は栃木県の「お肉マート」さんの『USB いつも逆』です。私もいつもたった二択なのに、間違えてしまう派です。そしていつも間違ってばかりいると、つい差し込むときに必要以上に気を遣ったりします。ところが、このような人が多いからかどうかはわかりませんが、最近のtypeCは上下どちらでも入るようになっています。つまり、逆ということはなくなり、『type-C どちらでもOKタイプです』なのです。
 下に抜き書きしたのは、監修の伊集院光さんの「まえがき」に書いてあったものです。
 たしかに自由というのは、なかなかとらえどころがなく難しいと思います。お茶の世界だって、こうして次はこうしてという手順があるから誰でもやれるし、その限られた手順のなかで少しははみだすこともできます。お茶を50年もやっていると、早くお茶を飲みたいときには、立ったままでお茶を点て、2服目はしっかりとお点前をしていただくこともあります。
 世の中というのは、いろいろあるからおもしろい、といつも思っています。
(2022.2.1)

書名著者発行所発行日ISBN
次の角を曲がったら話そう伊集院光 監修小学館2021年11月23日9784093106962

☆ Extract passages ☆

 いきなり話がそれますが、誰かに聞きました。自由=不安定ということで、逆に安定しているということはすでに決まった形があって変えられず、安定=不自由なのだとか。何の縛りもなく、すべて自由が故に書くのがかえって難しかったり、どう解釈されるのか不安だったり、読むほうも作者の気持ちをちゃんと受け取れているのか不安だったり。でも、それを飛び越えて、たった数文字で心動かされる時の楽しさときたら。
(伊集院光 監修『次の角を曲がったら話そう』より)




No.2023『町田忍の縁起物のひみつ』

 この本の副題は、『「福」はいつも隣にいる』で、実は私もそのように思っていました。というのは、せっかく福が近づいているのに気付かなったり、隣りの福を考えるだけで幸せになれるのにと思っていました。
 まさか、このような本があるとは知らなかったのですが、最近発行されたばかりなので、それも宜なるかなと思いました。著者自身が文章は当然ですが、写真や絵も自分で撮ったり描いたりしたもので、とても個性的な本に仕上がっていると感じました。
 さて、学生のころ、近くの骨董屋さんの玄関先に「道祖神」があり、店主に尋ねると昨日あるところから仕入れたもので、石仏で重いので、なかなか売れないのではないかという話しでした。それでも気になり、値段を聞くと、ちょっと高めで、そのときは帰宅しました。ところが夜本を読んでいると、なぜかその道祖神が気になり、なかなか寝付かれず、とうとう翌日にその骨董屋さんに行きました。ところが、前日の夕方に関東方面から買い出しに来た同業者が求めて行ったと聞き、がっかりしたのを今も覚えています。それ以来、そのときの道祖神が思い出され、旅先でも道祖神があると聞けば、必ず訪ねて行くようになりました。
 この本によると、「道祖神はその文字に「道」とあるように、街道を通る人やその地域に暮らす人々を守る神様である。村落の入口、辻や追分、峠などに祀られ、邪悪なものをさえぎる、 いわゆる「塞の神」(塞は防ぐ、さえぎるの意)である。そのルーツは中国の道教思想と関係があるとされる。……道祖神信仰が広まり、定着したのは、平安時代とされる。当時は朝廷を中心に貴族たちが政治を動かしていたが、地方には豪族たちが竜蟠虎踞して対峙し、広大な荘園や寺社領もあった。それらが互いに牽制し合い、世情が不安定なため、一種の自衛手段として道祖神信仰が育まれたのである。」と書いてあります。
 そういえば、中国四川省の道教の聖地、青城山に上ったときに、土地の区切りのようなところに石仏がまつってあり、道士に聞くと結界のようなものだという話しでした。さらに大きな区切りには門があり、それらにすべて意味があるということでした。
 日本の一番古い道祖神は、長野県辰野町沢底にあり、永正2(1505)年に建立されたものだそうで、機会があればぜひ訪ねてみたいと思います。
 また富士山も縁起のよい山で、今年の1月9日の午後6時からのTBSの「世界遺産」で、「富士山 信仰の対象と芸術の源泉 放送25周年スペシャル4K8K特別編 富士山の四季」が放映され、そのなかに江戸時代中期以降になると、「御師」という先達が宿泊や登山などの案内をしていたそうで、その建物が紹介されていました。この本には、登山口が6ヵ所整備されていて、1年間に1万数千人と記録されているそうです。現在は交通機関も便利になり、世界遺産に登録されたこともあり、環境省の調べによると約24万人もの人たちが富士山に登っているそうです。
 でも、江戸時代に1万人を越える人たちが富士山に登っていたことはすごいことで、昔は女人禁制ですから、登れない人たちは、近くの富士塚に上ったそうです。ここで、富士山が信仰の対象であったことがわかるのです。
 下に抜き書きしたのは、「あとがき」に書いてあったものです。
 たしかに日本人は、切なる願いをするときには、神仏の区別はなく、神仏習合が当たり前です。すこしでも良かれと思うと、縁起ものを近くに置いておきたくなります。
 仏教ではご利益といい、神道ではご神徳といいますが、それすらご利益という言葉で一元化してしまいます。それがまさに日本人です。
(2022.1.30)

書名著者発行所発行日ISBN
町田忍の縁起物のひみつ町田 忍天夢人2021年12月22日9784635823685

☆ Extract passages ☆

われわれは霊的なものへの関心が高く、疑うことなく対象物を崇敬し、ご加護を求めようとしてきた。それは日本人が農耕民族であり、漁労民族であるためだ。山や川、海にいる神様の機嫌を損ねたら、千ばつや不漁で生活は成り立たない。庶民は神仏の区別なく、両者を一緒くたにして五穀豊穣や大漁、そして子孫繁栄を祈願してきたのである。庶民の切なる願いの前には、神も仏もない。神仏習合は当たり前なのだ。……
御利益というのは、自然の恵みや子孫繁栄に対する感謝の気持ちの裏返しであり、この気持ちさえあれば、御利益も御神徳もありがたい"授かり物"だからである。
(町田 忍 著『町田忍の縁起物のひみつ』より)




No.2022『優しい語り手』

 著者のオルガ・トカルチュクは、2019年10月に、2018年度のノーベル文学賞を受賞しましたが、ポーランドの作家では5人目で、女性としては15人目の受賞者になったそうです。この本には、その「ノーベル文学賞記念講演」の『優しい語り手』が載っています。
 著者は現在、菜食主義者のフェミニストとしても世界的に知られる作家であり、代表作は2007年に出された『逃亡派』で、ポーランドの最も権威ある文学賞である「ニレ賞」を受賞したそうです。また、この英訳版は「ブッカー国際賞」を2018年に受賞しています。私もまだ読んでませんが、ノーベル文学賞を受賞するような作家は、どのような講演をするのか興味があって、この本を読み始めました。
 そして、ここに収録されているもうひとつの『「中欧」の幻影(ファントム)は文学に映し出される――中欧小説は存在するか』は、2013年に来日したときの講演だそうです。これはもちろん日本オリジナルの構成で、トカルチュクの邦訳書としては5冊目です。
 最初の『優しい語り手』で印象に残ったのは、本のジャンルについての話しで、「わたしはいつも直感的に、そういう秩序に反対してきました。というのも、それは作家の自由を制限し、実験と逸脱を避ける気持ちに通じているからです。概してそれこそ、創作の本質であるというのに。そしてそうした秩序は、奇抜さ(これなくして芸術はありえませんが)を創造するいかなるプロセスをも排除します。よい本は、自分がどんなジャンルに入るのかという所属を述べる必要などありません。ジャンル分けは文学全体の商業化の結果です。文学を、ブランド化やターゲットマーケティングといった、現代資本主義によって発明されたその種の哲学をくっつけた、販売目的の製品として取り扱ちた影響なのです。」というところです。
 これなどは、1989年の東欧革命後に民主化されたポーランドの作家のなかでも、「新世代」としての価値観が垣間見えるような気がします。
 次の『「中欧」の幻影(ファントム)は文学に映し出される――中欧小説は存在するか』は、あまりにも地理的に離れているせいか、あるいはヨーロッパというひとくくりのなかでしか考えられないせいか、私はあまり興味の湧く内容ではありませんでした。
 この本では、中欧というのは「バルト海が北の境界線であるのは確かです。同様にして、西の境界線はエルベ川とライタ川(それらは、ローマ帝国の勢力圏と農奴制の境界線でもあります)、東はドニエプル川です。」と書いていますが、そもそもバルト海はわかりますが、エルベ川とかライタ川というのは、まったくわかりません。それで地図で見たのですが、マイセンのわきを流れるのがエルベ川で、ライタ川というのはなんとか見つけましたが、それが境界線というほどの川には見えませんでした。
 あまり興味の湧かない本をわかるまで精読する気力もないので、サラッと読み進めました。
 下に抜き書きしたのは、『優しい語り手』の後半部に載っていた「優しさ」についての話しです。
 文学は「自分以外の存在への、まさに優しさの上に建てられています」というのは、たしかにそうだと私も思います。最近のテレビなどは、人をあやめたり殺したりばかりで、観ているとますます気が滅入るので、ほとんど観ないようになりました。もう少し、「優しさ」が感じられるようなほのぼのとした番組も作ってもらいたいと思っています。
(2022.1.27)

書名著者発行所発行日ISBN
優しい語り手オルガ・トカルチュク 著、小椋 彩/久山宏一 訳岩波書店2021年9月28日9784000253604

☆ Extract passages ☆

 優しさは、自発的で無欲です。それは感情移入の彼方へ超えゆく感情です。それはむしろ意識です。あるいは多少の憂鬱、運命の共有かもしれません。優しさは、他者を深く受け入れること、その壊れやすさや掛け替えのなさや、苦悩に傷つきやすく、時の影響を免れないことを、深く受け入れることなのです。
 優しさは、わたしたちの間にある結びつきや類似点、同一性に気づかせてくれます。それは世界を命ある、生きている、結びあい、協働する、互いに頼りあうものとして示す、そういうものの見方です。
(オルガ・トカルチュク 著、小椋 彩/久山宏一 訳『優しい語り手』より)




No.2021『旅する練習』

 この『旅する練習』は、第164回芥川賞(令和2年/2020年下期)の候補作になり、第34回三島由紀夫賞(令和2年/2020年度)を受賞したそうで、翌年の第166回芥川賞(令和3年/2021年下期)でも『皆のあらばしり』が候補作品にノミネートされています。
 1986年生まれですから、次世代を担う小説家ではないかと思いながら読みました。最近はほとんど小説を読まないのですが、新型コロナウイルス感染症の拡がりのなかで、なかなか旅行にも行けなくなったこともあり、この『旅する練習』という題名にひかれたのです。
 読んでいると、この旅の始まりが新型コロナウイルス感染症が広まるころの話しで、なかなか旅ができなくなる本の少し前のようです。そういえば、私が水戸の偕楽園に梅を見に行ったのは2020年2月25日で、始めて行ったので、あまりの閑散とした様子にむしろ戸惑いさえ感じました。その同じ入場券で夜も入れると聞き、ホテルから歩き、翌朝の朝食前にも行ったので、3回も見たことになります。この小説の設定も、3月2日の臨時休校についてのお知らせ以降のことで、日記によれば3月9日とありますから、ほとんど似たような時期に我孫子の手賀沼から始まり、3月14日の鹿島アントラーズのスタジアム近くの合宿所まで歩いての旅です。その後のこともほんの少しは書いてありますが、それはぜひこの小説を読んでみてください。
 この小説のなかに、不動明王や馬頭観音のご真言が出てくるとは意外でしたが、それが重要な要素になっていることにさらにびっくりしました。とくに馬頭観音は再会のキーワードになっていて、その描写もすごく克明に描かれています。本堂のわきに2体の石仏があり、「左の小さい方は輪郭と膨らみをなんとか保ったのっべらぼうで、かろうじて馬の細長い顔が認められ、水気の抜ける暇もないのか、苔がびっしり溝を埋めている。右の大きい方は1メートル足らず。野ざらしなのに綺麗なもので、作者の彫り出す手つきまで見てとれる。蓮華座を敷いた馬の上に趺坐している観音は柔和な顔つきで宝冠をかぶり、左手に蓮の蕾を持ち、右手の鉾以外はどう見ても聖観音である。しかし、人々の発願が馬を悼み大事に思う心にあるなら、こんな柔和な顔に作りたくなるのも頷ける。さぞ心をこめて作られたか、石質もよく一時の湿りもじきに乾くようで、水滴の集まる胸から腹の広いところ、光の届かない顔の左側など、ところどころだけ青白い苔の乾きをあしらいつつも、緑濃い藪の前に美しく立っている。」と書いています。
 この馬乗り馬頭観音を、ネットで調べると、なんと千葉県内に確認されているだけで262基もあるそうで、千葉県固有の石仏だそうです。でも、馬頭観音が馬に乗っている像容も変わっていて、あそらく仏教本来の儀軌にはないようだし、本来の馬頭観音は忿怒相ですが、ほとんどが観世音菩薩のような顔だったり、笑顔だったりしています。
 そういえば、今思い出したのですが、ある図像に「水牛に乗る三面八臂」の馬頭があり、それは水牛の上で火焔を放つ姿として描かれていました。三面は、いずれも牙をむき三眼をつける忿怒相で、本面の頭上には大きな馬頭がありましたが、それとはだいぶ趣きが違うようです。
 昨年の10月に信達三十三観音霊場をお詣りしましたが、第21番札所の地蔵庵観音も第23晩札所の平寺観音も馬頭観音ですが、厨子のなかに入っていて直接拝むことはできませんでした。でも、少なくとも馬に乗ったお姿ではなさそうで、もし千葉県に行く機会があれば、ぜひお詣りしたいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、旅で出会ったみどりさんと最後の晩に亜美がいっしょのベットで寝て、いろいろ話しをしたときの言葉です。
 もし、本当に大切なことを見つけて、それに合わせて生きられれば、それは最高の幸せかもしれません。その大切なことは、亜美の場合はサッカーでしたが、私はなんだっていいと思います。さて、私の場合はその大切なことは何なのかを、いまさらながら考えてしまいました。
(2022.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
旅する練習乗代雄介講談社2021年1月12日9784065221631

☆ Extract passages ☆

あたしが本当にずっとサッカーについて考えてたら、カワウも何も、この世の全部がサッカーに関係があるようになっちゃう。この旅のおかげでそれがわかったの。まだサッカーは仕事じゃないけどさ、本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きるのって、すっごく楽しい。
(乗代雄介 著『旅する練習』より)




No.2020『いさぎよく生きる』

 著者の名前をみて、飛騨千光寺住職と書いてあり、すぐに東京国立博物館140周年の特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」を思い出しました。というのも、この特別展は、2013年1月12日(土)〜4月7日(日)までの開催で、なかなか観に行く機会がなく、ある植物学の先生からミャンマーの奥地に入る特別許可が下りたからという連絡があり、2月25日から3月8日まで、行くことになったのです。でも、強行スケジュールだったので、帰りの飛行機ではずっと寝ていました。成田空港に着いたのは朝で、この特別展のことを思い出しました。飛行場でゆっくりと帰国の手続きをして、上野駅に着いたのは8時40分ぐらいで、開館時間の9時30分はだいぶありました。そこで、駅構内で買ったパンを上野公園のベンチで食べながら待ちました。今でも覚えているのですが、そのときスズメが足元に来たので、そのパンをちぎってやると、ハトも来ました。なんかあっという間に時間が過ぎてしまいました。
 ミャンマーの荷物もあり、とても図録を持ち帰ることもできなかったので、しっかりと頭に残そうとゆっくり見て、午後の山形新幹線で帰りました。特に印象に残ったのは「三十三観音立像」や「不動明王および二童子立像」などで、どちらも千光寺蔵となっていました。
 この思い出があったから、この本を選んだのですが、副題は「仏教的シンプルライフ」で、とてもおもしろかったです。
 よく、慈悲喜捨という言葉を使いますが、もともとは慈・悲・喜・捨で、別々なものです。それを著者は、「慈(マイトリー)とは、いつくしむ心です。あらゆる物事に大いなる愛情をもってかかわることです。友愛の心であり、他人に楽を与えることで、作用としては父性的な原理を表します。悲(カルナー)とは、他者の苦しみを自分のごとく感じていく思いやりの心をいいます。ともに苦しむ関係性(共苦)を保持することです。他人の苦しみを摂取し救済することで、母性的な原理を表します。喜(ムディター)とは、生きる感謝や他者への配慮を意味します。どのような人生であっても、人はその生き方に意味があります。命の長さではなく、命の質を問います。先祖や大自然からいただいた命に感謝し、生きる喜びを創出することです。他者を幸福にする喜びであり、人びとに楽があることを妬まないことです。捨(ウペクサー)とは、文字通り捨てることを意味しますが、じつはその前段階の心境としては、知り合いや親しい関係であっても、ときに憎み合ったり、相手を排除したり差別する心が生じます。そういった負の想念を捨てる勇気です。そして平安な心を呼び起こし、あらゆる我執や執着心を離れることへの決意を意味します。」と、まとめられています。
 また、私は音楽療法にも興味があり、ときどきスピリチュアルな音楽を流し、目を閉じて瞑想みたいなことをしてますが、日野原重明さんによれば、「音楽はその人の内的な感情表現を高め、自信を感じさせる」といいます。でも、なかなかそこまではいけてないようで、機会があればもう少し勉強してみたい気持ちもあります。
 下に抜き書きしたのは、第1章「執着ととらわれを手放す」のなかの「人間関係の執着を手放す」に書いてあったものです。
 そういえば、今年の箱根駅伝で、初出場の駿河台大の4区を走った31歳の今井隆生さんが5区の永井竜二さんにたすきを渡したのですが、報道では今井さんは埼玉県内の中学校の教師でしたが、「教師として力不足を実感することがあり、今まで勉強していなかった心理学を学んで、もっと生徒に寄り添える先生になりたい」という思いから編入学し、その中学教師のときに教え子だった永井さんにたすきをつないだということでした。
 この話しを聞いたときには、教師になる人たちには、もっともっと心理学や人間関係から生じるストレスを勉強してもらいたいと思いました。
 そして、「中学生だった永井と大学でチームメートになるなんて想像できなかったけど、楽しい。ショボい姿は見せたくないし、絶対に負けたくないですね」と話していたのも印象的でした。
(2022.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
いさぎよく生きる大下大圓日本評論社2012年1月20日9784535586154

☆ Extract passages ☆

 人間関係から生じるストレスは、私たちの心身にさまざまな影響を与えます。ストレッサーには、物理学的(気温、騒音、痛みなど)、化学的(汚染物質、薬物など)、生物学的(炎症、細菌やウイルスなど)、心理的(怒り、不安など)、身体的(過重労働、体形など)があり、その原因の違いによらず、自律神経系、免疫系、ホルモン系などに作用して同じ反応を起こします。過度のストレスは生理的、心理的反応を引き起こすのです。たとえば生理的には、瞳孔が開く、血圧が上がる、脈拍が高まるという反応を示し、体内では副腎髄質からアドレナリンの分泌が起こり、自律神経系もそれに呼応して変化します。交感神経と副交感神経のバランスが崩れるのです.そのことによって心理的には、自分の日の前にあるネガティブな脅威や恐怖に対して、積極的に回避する緊急防御反応が生まれてきます。
(大下大圓 著『いさぎよく生きる』より)




No.2019『シニア鉄道旅の魅力』

 一昨年からの新型コロナウイルス感染症の拡がりの中で、なかなか旅行に行くこともままならず、しかも鉄道の旅となると車の旅よりもハードルが高くなっています。それ以前は、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」などを使って、思いっきり鉄道の旅を楽しんでいたのですが、本当に残念です。しかも、昨年の12月初旬ころまでは、感染者も少なくなり、このままだと今年の早い時期にもしかすると収束するのではないかという淡い期待もありました。
 ところが残念なことに、新しいオミクロン株が世界的に急速に流行り始め、日本でも市中感染が現実のものになってきました。おそらく、まだ自由に鉄道の旅をするところまではなっていないようです。この本の副題は、「二人旅から妄想テツ旅まで」とあり、おそらくこの妄想テツ旅というのは、そうとう新型コロナウイルス感染症を意識して書いたのではないかと思いました。
 つまり、これは時刻表を読んで楽しむような旅の疑似体験だそうです。著者のように達道の旅が好き方々にとっては古くからある鉄道旅行のジャンルのひとつだそうで、過去の時刻表でも、復刻版や電子版もあるそうです。たとえば、自分の若いときに旅したときのことをその当時の時刻表を読み取りながら追憶するようなものです。これだと、実際に旅行に行くわけではないので幹線する心配はありませんし、お金がかかるわけでもなく、好きなときに好きなだけ楽しむことができます。この本には、「今ある新しい時刻表でも、妄想旅行は可能だ。しかし、不自由な日々にあっては、逆に実際に行きたいというストレスと闘わなければならなくなる。そうであれば、いっそのこと過去にタイムスリップしてしまおう。いくら乗りたいと思っても、過去の列車に乗ることはできない。あくまでも、時刻表の数字を読み取りながら、追憶の旅路をたどるのだ。」と書いてありました。
 たしかに、旅に出る本を読むと、そこに行ってみたくなるのが人情で、たまたま大人の休日倶楽部の「旅マガジン 1月号」のなかに「サンライズ出雲・瀬戸で行く 寝台特急の旅」というのが載っていて、それを見ながら、一度は同じルートで乗ったことはありますが、また行きたいと強く思いました。現在では、寝台特急はこの「サンライズ出雲・瀬戸」しかないので、もしなくなれば諦めもつきますが、ある以上はもう一度乗ってみたいと思います。
 だから、もしなくなればこの本に書かれているように「妄想テツ旅」をするしかできなくなります。あるいは、自分が体調を崩し、なかなか外を出歩くことができなくなれば、今まで旅したことを追想することで諦めるしかなさそうです。
 ところが、私の青春時代に乗った都電荒川線は今も現役で走っているそうです。このことが書かれているところを読み、懐かしさはもちろん、今でも乗ることができると知り、ちょっとワクワクしました。この本では、「都電荒川線が存続したのは、専用軌道が多かったからだ。都電砂町線も緑道となっている専用軌道がかなりあったので、せめて亀戸〜東陽町間だけでも残っていれば、江東区の南北の路線として存在価値があったのではと妄想してしまう。JRの貨物専用の越中島線の旅客線化や、有楽町線支線部分の住吉〜東陽町〜豊洲の建設計画はあるものの、遅々として進まない現状をみるにつけ、都電砂町線の廃止は返す返すも残念だったと思わずにはいられない。」とあります。
 私は都電砂町線には数回しか乗ったことはありませんが、都電荒川線には通学に使っていましたから、日曜日以外はほぼ毎日乗っていたわけで、だからこそ懐かしさもひとしおです。
 下に抜き書きしたのは、第1章「大人のテツの二人旅」のなかの「1、日本一の誉れ高い観光列車「雪月花」に乗る」のなかに書いてあったものです。
 この文章を読んで、私もこれにはぜひ乗ってみたいと思いました。やはり大人の旅は、効率や時間などというものを考えない旅ではないかと思っていたので、まさにぴったりです。ぜひ新型コロナウイルス感染症が収束したら、先ず最初に乗ってみたいと思いました。
(2022.1.19)

書名著者発行所発行日ISBN
シニア鉄道旅の魅力(平凡社新書)野田 隆平凡社2021年10月15日9784582859898

☆ Extract passages ☆

 3時間の旅は終わってみればあっという間だった。食事もさることながら、様々なおもてなしや停車駅でのミニツァーもあり、盛り沢山なメニューに大満足だった。車窓も、山あり、渓谷あり、海ありと変化に富んでいて、大いに楽しめた。
 上越妙高駅から糸魚川駅までは、北陸新幹線なら僅か12分で行ける距離である。しかし、回り道や長時間停車を繰り返しながら、およそ3時間かけて鉄道旅を楽しむ人がいるのは、速さだけの新幹線では味わえない旅の魅力が数えきれないくらい詰まっていることの証である。
(野田 隆 著『シニア鉄道旅の魅力』より)




No.2018『禅の言葉とジブリ』

 もともとアニメには興味はないのですが、孫たちが見てる側で何かしていたりすると、自然に耳に入ってきたり、その動きが目に飛び込んでくることもあります。
 つまり、ある程度は意識しないまでも、題名ぐらいはわかります。それで、そのジブリと仏教の禅とがどのように関連があるのか、と興味を持ちました。著者は、臨済宗の龍雲寺住職で、お寺は東京都世田谷区にあるそうです。
 著者本人は、ところどころで「祖父の松原泰道師」という話しが出てきますが、円覚寺派管長の横田南嶺師との対談のなかで、横田師は母親は松原師の娘さんで、父親は野沢の龍雲寺住職の細川景一師という話しをされていて、まさに臨済宗妙心寺派のサラブレッドだと評していました。でも、周辺から期待されればされるほど、本人は大変だろうなと思うのですが、次男で跡取りということもあり、それほどでもなさそうです。
 この本のなかに、「自分が本当に欲しい答えは、他人から教えられるものではなく、学んだり、読書したり、感動したり、挑戦し失敗したりする中で、自分が本来持っているものに気が付くしかありません。禅は何より「気づき」を大切にするのです。今まで存在していないもの、なかったものを、ゼロから創造するのではなく、多忙な毎日の中で今まで見過ごしてしまっていたものに、ただ気づくだけでいいのです。目の前の雲さえ晴れれば、すぐそこに求めていた心があるのです。」と書いています。
 これはジブリ作品の「となりのトトロ」との関わりで書いてあるところですが、これを読むと、出来上がっている土台の上にのったとしても、有難いと気づくことにこそ禅の目指すところがあるといいます。この作品は、その企画書によれば、「幸せな心温まる映画です。楽しい、清々した心で家路をたどれる映画。恋人たちはいとおしさを募らせ、親たちはしみじみと子供時代を想い出し、子供たちはトトロに会いたくて、神社の裏の探検や樹のぼりを始める。」そんな映画をつくりたいとあります。
 そういう意味では、その制作意図は達成されたと私も思います。とはいっても、孫たちが一心に見ている側で見ていただけですが、なんかほのぼのとした雰囲気が伝わってきました。
 この本に書いてあった「芭蕉臨終記 花屋日記」のことは始めて知ったのですが、いかにも芭蕉らしいと思いました。それは、「きのふの発句はけふの辞世、今日の発句はあすの辞世、我生涯云捨てし句々、一句として辞世ならぎるはなし。若我辞世はいかにと問う人あらば、此年ごろいひ捨おきし句、いづれなりとも辞世なりと申したまはれかし」とあるそうです。たしかに芭蕉は一句に何度も何度も推敲を重ねていますから、身を削るようにして俳句を詠んでいたようです。ただ、この「芭蕉臨終記 花屋日記」というのは、偽書であるという研究者もいますが、その俳句に対する姿勢はそのようであったと思います。
 下に抜き書きしたのは、「魔女の宅急便」のなかで、キキがそれまで当たり前のように空を飛んでいたのに飛べなくなったときの話しです。その当たり前のことが、じつは当たり前ではなく、とても有難いことだと気づいたとき、著者は、この『碧巌録』に出てくる「大死一番、絶後再び蘇る」という禅語を解説しています。
 実は私の孫娘もこの「魔女の宅急便」が大好きで、何回もDVDを見ているのですが、そこに出てくる黒猫のジジも好きらしく、そのぬいぐるみをお土産に買ってきたことがありました。今でも大切に飾ってあるところを見ると、いつまでもジジのことも好きであって欲しいと蔭ながら思っています。
(2022.1.16)

書名著者発行所発行日ISBN
禅の言葉とジブリ細川晋輔徳間書店2020年10月31日9784198651831

☆ Extract passages ☆

 私たちは「無の境地」とは、何もない真っ暗闇の世界ではないかと考えてしまいます。しかし、「夜行を許さず」というように、そのようなものではないのです。夜が明けて、真昼間のように明るく、はっきりとそれぞれが輝いている世界こそ、私たちが求める「無の境地」なのです。自分自身が「大死一番」という極限の状態を経験してこそ初めて「無の境地」に到り得て、人は自由自在に生きてぃくことができると、この禅語は教えてくれているのです。
(細川晋輔 著『禅の言葉とジブリ』より)




No.2017『「色」の心理学』

 「色」に関する本は何冊か読んでますが、この本は科学的な見方というよりは色の心理的効果をねらったような気がしました。
 特におもしろいと思ったのは、色の流行を実シーズンの訳2年前に世界的レベルで決められているというところです。たしかに流行というのは色から決まると思うし、その流行色はマスコミなどで今年の色はなどという話しを聞くと、なるほどと思い当たることもあります。この本によると、国際流行色委員会という組織があり、日本もその発起国の1つで、流動的ではありますが、2020年12月現在で17ヶ国が加盟しているそうです。そこで6月には2年後の春夏カラー、12月には2年後の秋冬カラーをそれぞれの国内での色彩調査や生活者の意識調査を行い、その結果を持ち寄って決めるということです。
 日本を代表するのは「一般社団法人日本流行色協会」で、1953年に設立され、この国際流行色委員会で決定された情報をもとに、日本の産業にむけた最先端のカラートレンドを剪定・発信するといいます。そのカテゴリーは、メンズウェア、レディーウェア、メイクアップ、プロダクツ&インテリアの4つがあるそうです。
 ここまで具体的に説明されると、流行はつくられる、というのは本当だったと思いました。私などは、だとしたら、なるべく今年の流行色などは着たくはないと思うのですが、流れとしてはその通りになるんでしょう。
 それと、この本のなかで気になったのは、色光と色料に関するところです。「色は紙(印刷など)で再現することもあります。そのように「光以外で再現される色」と「光で再現される色」は、実はまるで異なります。光の三原色はレッド・グリーン・ブルーの、略して「RGB」で、加法混色の三原色とも言います。対して、染料や顔料など色料の三原色はシアン・マゼンタ・イエローの、略して「CMY」で、減法混色の三原色とも言います。また、光の三原色は混ぜれば混ぜるほど明るくなり最終的には白になり、色料の三原色は混ぜれば混ぜるほど暗くなり最終的には黒になります。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 というのは、印刷に出すときに、パソコンで普段使っているRGBではなく、CMYKカラーモードでデータを作成しなければならないのです。それでAdobe RGBが出力できるディスプレーを使ったり、微妙な色の調整ができるカラーマネジメント用のアプリケーションソフトを使ったもしていました。それでも、印刷から出来上がってくるまで、心配でした。
 それぐらい気をつかったとしても、パソコンのディスプレーで見たときと印刷物では、若干の違いはありました。そして、何度か印刷を依頼してからは、そういうものだとある意味、納得しました。
 それと、この本のなかに、ただカラフルにするのではなく、色数を押さえることも大切なことと書いてあり、これも何度か失敗をして、私自身も気づいたことです。ここには、「ノートでもプレゼン資料でもチラシでも、メインカラー(約70%)、サブ(アソート)カラー(約25%)、アクセントカラー(約5%)と、3色くらいまでに抑えるのが妥当です。ダイバーシテイ(多様性)を色で強調したいなら別ですが、それ以上の色数になると煩雑で散漫になり、記憶にも残りにくくなる傾向があります。」と具体的にあり、これからの参考になります。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「色が人に与える影響とは?」のなかに書いてあったものです。
 このあたりから色の心理的な影響を強調するようになり、後ろに載っていた参考サイトを見てみると、そのなかの第5章にあった「バースカラー診断」を開くと、「35億通りのバースカラー診断+個人コンサル(3h)\58,000+税」と記載があり、この個人コンサルでは1人1人の要望に合わせて、より具体的な相談が可能とのことです。
 私は、ファッションにもトレンドにもほとんど関心はないので、ここから後は、サッと読みました。
(2022.1.13)

書名著者発行所発行日ISBN
「色」の心理学都外川八恵総合法令出版2021年11月24日9784862808226

☆ Extract passages ☆

 1つは、日に見える外見の世界。見せ方や組み合わせ方といった、「やり方」やテクニックの世界です。もう一つは、日に見えない内面の世界。波長や波動、エネルギーといった「あり方」や本質の世界です。
 色は「物理的な世界」と「心理的な世界」の両方があって存在し、どちらにもアプローチするので、あなたの日に見える「顕在意識」の世界も目に見えない「潜在意識」の世界 も変えることができます。
(都外川八恵 著『「色」の心理学』より)




No.2016『暮らしの図鑑 木のもの』

 もともと木のものは好きですし、額縁ひとつとっても、なかの写真より、額縁の木のほうが主役になりそうなものもあります。これは岩手の盛岡の「ギャラリー純木家具」で求めたもので、木そのものをくりぬいて作ってあります。木の厚みは27oほどあり、木目もはっきりとしていて、小さいながら重厚な雰囲気さえあります。
 また、東京の秋葉原駅近くのガード下の「Hacoaダイレクトストア」で求めた眼鏡架けやテープカッターなども、今でも大切に使っています。やはり、自分で気に入ったものは、ちょっとは高くても大切に使うので、長持ちします。
 そういえば、今から40年ほど前に長野で修行してきた中村君に作ってもらった椅子は、椅子の上であぐらをかけるようにと大きめで、しかも塗装をしなかったので、米ぬかで拭いて磨き、今ではいい色になっています。これはロッキングチェーもおなじデザインで作ってもらったので、これにもたれかかるだけでもいい気分です。この本には、「17世紀後半、イギリスでは「ウィンザーチェア」が生まれました。分厚い木製の座板に、挽物の脚や背棒などが直接差し込まれた椅子です。また18世紀後期以降には、イギリスからアメリカに移住したシェーカー教徒の手により、地元で入手しやすい材(メープルなど)を使ったシンプルな椅子が生まれました(シェーカーチェア)。どちらも用と美を兼ね備えた逸品です。」とあり、私が作ってもらった椅子も、座板が厚く、おしりの形に合うようになっていて、とてもシンプルですが存在感があります。
 机は、やはり中村君に作ってもらい、デスクトップのパソコンを置いても奥行きがあるように80pほどあり、幅も155pとちょっと広めのトチノキの1枚板を使っています。そして、注文するときに、コーヒーカップを置いたときに、いい音がするようにとだけ言ったようです。おそらく、彼はそれらの要望をしっかり聞いて、今使っている机を作ってくれたようです。
 木工作家のうだまさしさんは、この本のなかで、「木のものはツヤが出たり風合いが変わったり、壊れてもちょっと手を加えるとまた使えるのもいいところ」と話しています。私も、自分たちと同じように木のものもいっしょに育っているのではないかと思うときがあります。また、ちょっとしたキズなどは、それが思い出になっていたりして、懐かしく思うときもあります。本当に、木というのは不思議なものです。
 北海道在住のAKIさんは、「キズもシミも、ものがまとっている物語や時間を感じる味わい」と表現しています。なるほど、使い込むことでますます愛着がわくというのは本当だと思います。
 正月そうそうに、時間の開いたときにこのような木の温もりを感じさせてくれる本を見ていると、今年はどのような木のものを買おうかな、と考えてしまいます。まさに1年の計は元旦にあり、です。
 下に抜き書きしたのは、「木にまつわる基本知識@」に書いてある「木工のきほん」です。
 これは「樹木はどうやって木材のなるの?」という疑問に答えるもので、まさかこんなことと思いながら、今の時代はここまで説明しなければわからないかも、と思いました。
 しかも、これはとても大切なことなので、ここに抜書きしました。この本は写真集ぐらいたくさんの写真が載っていて、見ているだけで楽しいので、もし、機会があれば、ぜひ読んでみてください。そうすれば、自分たちの生活にもっと木の温もりをと考えるのではないかと思います。
(2022.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
暮らしの図鑑 木のもの暮らしの図鑑編集部 編翔泳社2021年11月17日9784798169798

☆ Extract passages ☆

 樹木を木材にする工程は、昔も今も大きくは変わりません。立ち木を伐採して運び出し、木の性質や用途に合わせて切り分け、乾燥させます。乾燥は大切な工程で、水分の代わりに空気が細胞を満たすことで強度が生まれます。木材は乾燥する工程で変形したり収縮するため、反ったり曲がったり割れたりしてしまうことがあります。そのため、あらかじめしっかり乾燥させることが大切です。
(暮らしの図鑑編集部 編『暮らしの図鑑 木のもの』より)




No.2015『南極の氷に何が起きているのか』

 副題が「気候変動と氷床の科学」ですが、温暖化で南極の氷がとけると大変な問題になるということなので、読みたいと思いました。
 それと、昨年の10月に気候モデル開発の眞鍋淑カ氏がノーベル物理学賞を受賞したので、その気候変動に関する本も読んでみたかった理由のひとつです。
 読んでみてわかったのですが、以前は南極を知るデータはあまりなかったそうですが、現在では人工衛星からいろいろなデータが送られてきて、それを解析することで研究が進むのだそうです。この本を読んで始めて知ったのですが、南極は意外と雪が少ないそうです。映画『南極物語』などを見ると、一面の雪のシーンが出てきますが、降るのは少ないけど、あまり消えないそうです。だから、結果的には雪がたくさん積もっているように見えるのだそうです。この本では、「南極内陸では、晴れた日にもダイヤモンドダストが舞っていることが多く、重要な降水プロセスとなっている。つまり南極氷床は、ごくたまにやってくる低気圧がもたらすまとまった降雪と、少量ながら頻繁に降ってくるダイヤモンドダストによって「涵養」されているのである。」と書いてありました。
 たしかにダイヤモンドダストは私も見たことがあり、とてもきれいですが、それだって頻繁に降ってくれば雪になり、結果的には氷になると知り、さすが南極だと思いました。
 ではなぜ南極の氷がとけると問題なのかというと、先ず南極氷床がすべて融けると海水準が58mほど数字的には上昇するそうです。ただ実際のところ、どの程度の影響があるのかはまだわからず、それを探るための研究が各国で進められています。今までのデータでは、1900年から2018年までに海水準は18p上昇したそうですが、その原因の一つは海水が温まったことによる体積の増加と、二つめは海水量の増加です。ただ、これからもこの水準で上昇するかどうかはわからず、これよりは急激に上昇する可能性もあるといいます。もし58mではなく、たとえ5mと控えめに見積もっても、首都圏の東京や神奈川、千葉、そして愛知や大阪などではかなり内陸部まで海水が入り込むそうです。
 ただ、それだけではなく、地球を1周する海の流れ、海洋大循環が弱まると考えられていて、気候や水産資源などにも大きな影響を与えると予想されています。そして、大気循環システムにも影響を与え、南極の成層圏ではオゾン層の破壊や、他の国々などにも気候変動をもたらすということです。あまりにも遠く離れている南極の氷が、世界中に大きな影響を与えるというのはなかなか理解しにくいのですが、昨今の異常気象などを考えると、少しはわかるような気がします。
 では、今までの研究でわかった南極の氷床変動については、この本によると、
@最新の観測技術によって、南極氷床で氷が減っていることがわかった。1年で失われる氷の量は、氷床全体の10万分の1よりも小さい。しかしながら、この量は観測精度よりも十分 に大きく、明らかな変化が始まっている。
Aこの変化は氷床全体で同じように起きているわけではない。氷の減少は沿岸部で生じており、西南極と南極半島、および東南極の一部に集中している。特に大きく氷が失われているのは、流れが速い氷河・氷流である。
B温暖化で氷床表面の融解が増えて、表面質量収支がマイナスになったわけではない。氷河の加速によって海へと排出される氷の量が増えたことが、変化の原因である。加速の原因とメカニズムは複雑で地域によって違いもあるが、多くは棚氷の変化が引き金となっている。
C氷の減り方が激しい地域に共通しているのは、棚氷の縮小である。棚氷が薄くなり、面積が減少し、場合によっては崩壊する。そのようなプロセスを受けて接地線が後退し、内陸の氷河が加速している。
 の4つにまとめています。そして、IPCCの報告書には、過去に例のない気候変動が起きていることやその原因が化石燃料や土地利用といった人間活動によるもの、とはっきりと明言しているそうです。
 下に抜き書きしたのは、特殊なドリルで「氷コア」という直径10pほどの細長い氷サンプルを氷床の奥深くから採取した分析結果です。
 これは、気温や大気の成分など、過去数十万年にわたる地球環境の記録だそうです。
 だとすれば、海水準が58m上昇するというのも頷けますし、そうならないためにも、今できるかぎり南極の氷を減少させないようにしていかなければならないと思いました。
(2022.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
南極の氷に何が起きているのか(中公新書)杉山 慎中央公論新社2021年11月25日9784121026729

☆ Extract passages ☆

……約2万年のあいだに100メートルを超える海水準上昇があり、その変化は南極における急激な気温上昇とぴったり一致している。この海水準の上昇は氷床の融解によるものである。南極氷床とグリーンランド氷床だけでなく、特に北米を覆っていたローレンタイド氷床の消失が、海水準を急激に押し上げた。
 最後に、氷コアに含まれる塵の量は、気温が低いときに増加している。すなわち南極では、氷期には空気中をたくさんの塵が舞っており、現代のような間氷期には空気が澄んでいたようだ。その主要因は氷床と海水準にあると考えられている。
(杉山 慎 著『南極の氷に何が起きているのか』より)




No.2014『歴史というもの』

 『歴史というもの』井上 靖、というこの本を見て、たしか著者は今はいないし、同じく対談をしている松本清張氏も司馬遼太郎氏も同じだと思いました。それで調べてみると、著者は平成3年、松本清張氏は平成4年、司馬遼太郎氏は平成8年に亡くなられていました。では、なぜ今ごろの出版になったのか、それはこの本のどこにも書かれていませんでしたが、題名の『歴史というもの』のありのままの姿のような気もします。世の中、新しく始まる年もあれば、終わってしまうものもあります。まさに歴史そのものです。
 そして、お正月だからこそ、歴史というものを考えるいい機会ではないかと思えたのです。
 そこで見つけたのが、「乱世のさまざまな武将」という座談会で、著者と松本清張氏と司馬遼太郎氏が対談するのですが、司馬氏は家康のことを「特に、三河の松平家の主従というのは、いなかの庄屋の主人と下男、旦那と下男の感じで、あの感じというのは、ひどく中世的ですね、隣の尾張の先進性とくらべれば。とにかく三河での家康の主従のもっている″におい"は中世人のもつ美しい面であるといえますね。なにしろ隣の尾張は平野で、交通が四通発達し、商業がさかんで、上から下まで商人の感覚があって、三河とまったく違う人間ですし、信長とか秀吉は機略縦横というよりも、商人の感覚でしょうね。家康というと、百姓のにおいですね。ですから、尾張と三河というのは発想も違い、社会の形態や構造までも違ってるんじゃないかと思いますね。」と評しているのです。このように考えると、たしかに織田信長や羽柴秀吉などとの違いがよく見えてきます。また、「歴史というもの」という座談会でも、司馬氏は家康は一人も殺してたことがなく、「モーレツに気を使った」上で権力を手に入れているとしています。つまり、一種の調整能力みたいなものだといいます。
 そういえば、今年の秋の自民党の総裁選挙のときも感じたのですが、自分自身の主義主張というものより、派閥の動きや将来の自分の立場など、この調整をうまくした人が総裁に選ばれるような感じです。だから司馬氏も「日本人が体制変化したということはない」と言っています。
 私の今年の年賀状に、「今年は寅年、この文字は両手をもって矢柄の曲直を正す形だそうです。そこで、今までのゆがみや曲がりを整え直し、トラのような強い気概で障がいを乗り越え、あまり細かなことにとらわれず、いろいろなことにトライして、今年しかできないことをじっくりとやっていこうと思っています」と書きました。
 でも、それだって日本人の調整的な考え方とほとんど変わらないとこの本を読みながら考えました。つまり、弓矢はそのままですから、矢のゆがみや曲がりを整え直すだけですから、大きな変化はできそうもありません。しかし、もう古希を過ぎたので、それで十分だという気持ちもどこかにあります。
 下に抜き書きした「歴史と小説をめぐって」という講演で、著者が話したことです。
 これは著者が『額田女王』という小説を書いたときに感じたことだそうですが、特に戦後の高度経済成長のころには、変わってしまうのが当たり前の時代でした。そして、阪神・淡路大震災や東日本大震災などを経験すると、天災によって激変する自然もあります。
 だから、変わらないということは、とてもいいことだと考えることもできます。今、新しい年を迎え、毎年変わらないことの有り難さを身にしみて感じています。
(2022.1.3)

書名著者発行所発行日ISBN
歴史というもの井上 靖中央公論新社2021年10月10日9784120054679

☆ Extract passages ☆

 わたくしがこのように飛鳥を大和朝廷の郷里と感じましたのも、ありがたいことに、それほど大きくあの飛鳥の地が、その地形が、風景が、変わっていなかったためであります。耳成山とか、香久山とか、いずれにしてもそう大きい山ではありませんから、ああいう山が崩されるのはわけもないことでありまして、崩されてしまいますと、もう大和朝廷のふる里の飛鳥というもの、昔の都の飛鳥というものはぜんぜん判らなくなってしまうと思います。もちろんたくさんの陵墓や都跡というものはありますけれども、やはりあの飛鳥の昔の都を取り巻いている山とか、丘とか、そうしたものが変わらないでそのままあること、飛鳥川は変わっておりますけれども、山は変わらない。あれだけは間違いなく昔のままであるということで、飛鳥の都というものが初めて気持ちの上でわたくしたちみんなに判ります。
(井上 靖 著『歴史というもの』より)




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