☆ 本のたび 2022 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.2061『百歳 いつまでも書いていたい』

 著者の瀬戸内寂聴師は、2021年11月9日に逝去されたのですが、そのニュースを見て、ほんとうにびっくりしました。というのも、現実はどのような体調だったのかはまったくわかりませんが、その活動だけをみると、まさに八面六臂だったように思っていました。
 1ヶ月前から入院治療していたそうですが、2021年11月9日6時3分、心不全のため京都市内の病院でなくなり、99歳だったそうです。大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家であるだけでなく、出家してからの活躍も天台寺の再興だけでなく、法話などもたくさんの人を集めて精力的にこなしていました。法名は「Y文心院大僧正寂聴大法尼」だそうです。
 さて、この本ですが、なくなった方は数えで年齢を書くので、百歳まで書いていたことになります。
 あらためて読んでみると、寂聴節というようなものが随所に見られ、スラスラと読めました。たとえば、「もう生きていることがワクワクすることでしょう。ワクワクしないで生きていてもつまらないじゃないですか。わたしは、ワクワクのほかに、ソワソワが入ったほうが楽しいと思うんです。何か、毎日同じ状態が続いて、何も感動しないというのはつまらないでしょう。ところが、86年も生きてごらんなさい。もう何を見ても驚かないし、何が起こっても、「あ、そう」って感じなのね。ちっともそこで、心躍ったり、血が騒いだりしないんです。それが何かいやで。いかにも年寄り臭いでしよう、そういうの。だから、何かワクワクすることはないかなと思って、考えているんです。それが若さの秘訣かもしれませんね。」とインタビューに若々しさの秘訣を聞かれて答えています。
 たしかに、ワクワクしたりソワソワしたりする気持ちがあれば、若くしていられるような気がします。よく、寂聴さんといえば法話が有名ですが、もともとは好きではないそうです。でも、「自分のために、自分が、心が安らかになるように」と出家したそうですが、僧侶になった以上は法話は義務だといいます。たしかに、「六波羅蜜」という教えのなかに「布施波羅蜜」というのがあり、僧侶としての布施は法を説くということです。だから義務というなくもないのですが、でも、それを聞いてくれる方がいなければ成り立たないわけで、全国からその法話を聞くために天台寺に集まることを考えれば、すごいことです。私も2019年6月25日に奥州三十三観音巡りで第33番札所の天台寺に行きましたが、その駐車場の広さにびっくりしました。私がお詣りしたときは私の車だけでしたが、年に何回か開かれる法話の会のときだけ満車になるのではないかと思いました。
 それほどの魅力はどこにあるのかを本人に聞くと、「笑いたくて来るんじゃないですか。みんな、グラグラ笑って。だって、笑わなければ元気が出ませんものね。だから、いいんじゃないですか、お金をかけないで笑わせてもらえば。」とあっけらかんと答えています。
 この明るさがいいようです。どんな悩みも、明るく接してもらえれば、元気にもなります。そして、「自分自身が幸せにならないと、人を幸せにすることはできません。だから、やっぱり、自分がまず幸せになって、それで、その幸せになった人は、そばに行っただけで、何か幸せなものが来るじゃないですか、雰囲気がね。それでいいんじゃないですか。まず自分が幸せになって、その余波で人さまも幸せにすれば、それでいいんじゃないかな。自分が不幸せで、人を幸せになんて、そんなことできませんよ。」といわれれば、たしかにそうかな、と思います。
 これは私も実感することで、明るくて元気な人に話し相手になってもらうと、なぜか自分もそのようになるようです。
 しかし、寂聴さんでも、2019年12月9日の「寂聴サミット」で、自分の身体が少々悪くても「法話はするんですよ。そのときは起きて、でも、着物を着るのがもう面倒くさくてね。だけどちゃんと着る。これは自分で着るのよ。終わったら自分でたたむの。「ああ、面倒くさい」と思いながら、それでも、着物を着て、袈裟をかけて、それでみんなの前に行ったらね、しゃべりまくる。」というから、やはり義務感だけではなく、人と愉快に話しをするのが好きなんでしょうね。
 下に抜き書きしたのは、著者87歳のときの「ラジオ宅急便 こころの時代」で「悔いなく生きる」で話したことです。
 これは第3章の「書くこと」は自分を発見すること、の中にある「はじめに」のところにあるもので、今の日本では「死」を隠しがちな傾向があるとして、平安時代から平成の時代までの30編を集めたといいます。
 よく、死ぬことは、よく生きることと同じだといいますが、この本を読むと、その人となりがわかるような気がします。
(2022.5.9)

書名著者発行所発行日ISBN
百歳 いつまでも書いていたい(NHK出版新書)瀬戸内寂聴NHK出版2022年3月10日9784140886724

☆ Extract passages ☆

やっぱり、死ぬまで人間は、自分の中の可能性を引き出す力があると思います。生まれたときにいろんな可能性をいただいているんですよ、先祖からも、仏さまからも、神さまからも。それはみんな、同じ分量をいただいていると思うんです。それを、生きている間に、どれだけ外に出すことができるか、引き出すことができるかということで人生が変わってくると思うんです。死ぬまで可能性はあります。
(瀬戸内寂聴 著『百歳 いつまでも書いていたい』より)




No.2060『[ヴィジュアル版] プラント・ハンティングの歴史百科』

 昔からプラント・ハンターには興味があり、なぜあのような困難の旅を繰り返すのか不思議でしたが、私も何度か中国の奥地を行き、それに近い経験をすると、そのプラント・ハンティングそのものの魅力に取り付かれたしまったのではないかと思うようになりました。今でも思い出すのがブータン王国へ行ったときで、密林のなかに入ってヒルにあちこち吸われながらも見たシャクナゲは、とても筆舌に尽くせないほどきれいでした。
 だから、この本のなかで一番興味を持ったのは「シャクナゲ」で、だいぶ前から1度でいいからJ.D.フッカーの『Rhododendrons of Sikkim-Himalaya』という本を見てみたいと思っていました。ところが偶然に、2014年7月にイギリスのキューガーデンで見せてもらえることになり、その本だけでなく、描かれた原画も目の前にあり、研究所の方にそろそろと言われるまで見ていました。
この本では、「フッカーがより長い遠征に出ることができたのは、1849年5月のことだった。シッキムのラジャは、チベットを統治する北側の強力な隣国である中国を怒らせることを警戒していた。フッカーは、日立たないように国に潜入したデヴィッド・ダグラスとは違い、木登り係、射撃手、ポーター、警備員など50人以上の側近を連れて旅をした。その中でも、最も重要だったのは、毎晩1時間以内に「テーブルとベッド台」を備えた「防水の家」を準備できる頼れるレプチャ人たちであり、フッカーはそこでシェリー酒を飲みながらその日の発見をゆっくりと見返すことができた。」と書かれていて、おそらく、このような優雅なプラント・ハンティングをした人は一握りではなかったかと思います。たとえばジョージ・フォレストもこの本で詳しく解説していますが、まさに命を懸けるような危険な目に何度も遭っています。たとえば、「唯一の脱出方法は、鬱蒼とした竹やシャクナゲの森を抜け、雪に覆われた高い峠を越えることだったが、裸足では足が「粉々になってしまった」。「このような標高の高い場所で、何の覆いもせずに寝るのは、ひどく寒かった。ある夜は、大雨が降って火が使えず、マツの皮に含まれたごく少量の雨水でしのぐしかなかった」さらに辛かったのは、彼が歩いていた場所は、花の楽園だった。そこには何エーカーもの土地にプリムラやシャクナゲ、「この上なく美しい」ポピーなど、数えきれないほどの見事な花が咲いていたが、彼はどれも集めることができなかったのだ。しかし、彼の苦しみは、かつての同僚たちに比べれば微々たるものだった。助手17人のうち生き残ったのはひとりだけで、神父たちは何目もひどい拷間を受けた後、長く苦しい死を迎えた。フォレストが足をひきずりながら大理に行くと、彼は自分が死亡したと報告されていることを知った。そして、スコットランドで喪に服していたフォレストの家族に、彼の無事を知らせる電報が届けられた。」とあり、結局は1932年1月に雲南省の謄沖の近くで心臓発作で亡くなっています。
 このなかに出てくる「この上なく美しい」ポピーというのは、ヒマラヤの青ケシのことで、私も雲南省の大中甸で見たときには、写真も撮らずにそこに座ったまま見つけていたことがあります。それをただ見ながら逃げざるを得ないというのは、本当に残念だったと思います。また、このような状況下でほとんどのプラントハンターは必死に夢に浮かされるようにしていたような気がします。
 私も、この大理にはなんども行ったことがありますが、昔は外国人は入れず、1985年5月に開放されて私たちも始めてそのときに入りました。
 そういえば、2017年にイギリスのエジンバラ植物園に行ったときに、そこの標本館でフォレストの採取した標本を見せてもらったことがあります。そのなかには、1917年に採取した「R haematodes subsp chaetomallum」や同じく1917年の「R edgeworthii」、1918年に採取したR roxieanum var cuculatum、1921に採取した「R forresti var repens」などもありました。それらを見ているだけで、どのような状況で採取したのかと考えるだけでワクワクしました。
 極めつけは、ダーウィンがビーグル号で公開したときに採取した標本を見せてもらったときで、ここまで来てよかったと何度も思いました。
 この本も、読んでいるだけでワクワクして、自分がプラント・ハンティングをしているかのような雰囲気を味わえます。ヴィジュアル版ということで、その当時のイラストなどもたくさん掲載してあり、私がキューガーデンで見せてもらった「R.thomsonii」も載っていて、時を忘れたかのように何度も見ていました。
 下に抜き書きしたのは、フランク・キングドン・ウォードについての話しです。
 私も彼が書いた岩波文庫の『植物巡礼: プラント・ハンターの回想』を読みながらネパールのシャクナゲを訪ね歩いたことがあり、そのときのことを思い出しました。また、同じ岩波文庫の『ツアンポー峡谷の謎』を読み、2020年3月にそこに入る許可をもらい、航空券も予約していたのですが、新型コロナウイルス感染症の拡がりで行けなくなってしまいました。今も、なかなか諦めきれずに、その航空券の予約コピーをときどき見ては、ため息をついています。
(2022.5.6)

書名著者発行所発行日ISBN
[ヴィジュアル版] プラント・ハンティングの歴史百科アンバー・エドワーズ 著、美修かおり 訳原書房2022年3月30日9784562071623

☆ Extract passages ☆

 高所恐怖症で、蛇も怖くて、寒さが大嫌いな男が、中国――ヒマラヤ地方でプラント・ハンターになろうと決心し、50年もの間、ジャングルで迷子になり、永遠に雪に閉ざされた土地で数々の困難に耐えてきたのは、なぜだろうか。
 フランク・キングドン・ウォード(1885〜1958年)の場合、それは単に必要性に迫られてである。プラント・ハンティングは、彼の飽くなき探究心を満たすための最も現実的な手段だったのだ。
(アンバー・エドワーズ 著『[ヴィジュアル版] プラント・ハンティングの歴史百科』より)




No.2059『フォンターネ 山小屋の生活』

 この本は、30歳になった僕が都会での生活で何もかもが枯渇してしまい、アルプスの山小屋にこもった話しです。実際の著者も、2022年2月現在、1年の半分をミラノで暮らし、残りをアルプス山麓で過ごしながら執筆活動を続けているそうです。代表的著書は『帰れない山』で、これは山小屋での生活と四季の美しさを綴っているそうで、いつか読んでみたいと思います。
 さて、この本は、今の新型コロナウイルス感染症の時代には、まさに不要不急といわれない生活で、ほとんど人と触れ合うことのない山小屋での生活です。そして、フォンターネというのは、ブァッレ・ダオスタ自治州の標高1900メートルの山の中にある小さな村、ブリュソンの「フォンターネ」という集落です。私はこの「フォンターネ」を見たときには、もしかして、ドイツのハインリヒ・テオドール・フォンターネという小説家・詩人のことではないかと思ったのですが、翻訳者は、無意識のうちに「フォンターネ(fontane)には「源泉」「給水所」といった意味がある」ので、「書けない」ということで山小屋暮らしを考えたのだから、そこから抜け出すためにここに決めたのではないかと「役者あとがき」に書いています。
 どちらにしても、山小屋の暮らしは孤独であり、主人公は、「孤独感というのは時間の経過とともに増すものだと思っていたが、逆だった。僕は最初の数日こそ戸惑っていたものの、すぐに、すべきことがいくらでもあると気づいた。辺り一帯の様子を地図に書き込み、見つけた動物や花を分類し、森で薪を集め、樅の樹脂で実験をし、山小屋の周囲の草を手入れする。徐々に融けてくる雪の下から意外なものを見つけることもあった。アルプスマーモットの骸骨、野外で焚いた火の消じ炭、トラクターの轍。冬眠から目覚めた鼠があけた穴からは勇気をもらった。鼠が雪の下で半年生き延びられたなら、僕がこれから太陽の下で過ごす季節など子どもの遊びのようなものだろう。」と書いています。
 私は、もともと孤独というのは多くの人たちとの間に生まれるもので、大都会であればなおさら、孤独感というのは強く感じられるのではないかと思っています。それが山のなかであればあるほど、人と接触する機会がなければないほど、孤独を感じることはないと思います。
 むしろ、山の自然のなかにはたくさんの興味深いことがあり、動物たちとの触れ合いもあります。毎日、風景も変化すると、植物たちも次々と咲いては実を結んでいきます。それらを考えただけでも、主人公のように「すべきことがいくらでもある」と気づくのではないかと思います。
 コロナ禍になってから、なかなか旅行にも行けなくなりましたが、それでもほぼ毎日、小町山自然遊歩道を歩いていると、日々新たな発見があり、ワクワクします。そういう意味では、私の現在の生活は、この『フォンターネ 山小屋の生活』に近いのではないかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、山小屋のあたりの歴史を語るうちに、その人間の営みの変化について書いているところです。
 このような状態は、ヨーロッパアルプスだけの問題ではなく、日本の奥山の過疎化だって、似たようなことが起きています。昔、大変な思いで新田開拓をしたのに、今では柳などが生え、田んぼの形さえわからないほどです。おそらく、子どもたちに、昔はここに田んぼがあり、稲が実っていたと話しても、信じてはくれないかもしれません。それほど、変わってしまいました。
 もし、食糧事情が変化して、また田んぼが必要になったとしたら、最初の新田開発と同じぐらいの労力が必要になります。だとしたら、やはり手軽に輸入したほうがよいとなるでしょうが、もし輸入すら出来なかったら、自分たちで食料を自給するしかないので、そのときになってからでは遅すぎるような気がします。
(2022.5.2)

書名著者発行所発行日ISBN
フォンターネ 山小屋の生活パオロ・コニェッティ 著、関口英子 訳新潮社2022年2月25日9784105901790

☆ Extract passages ☆

僕の周囲にある、樹木や草原や渓流からなる、一見したところひどく手つかずで野性的に見える景色も、実のところ人間の手によって何世紀もかけて造りあげられたもので、都会のそれと変わらぬ人工的な風景なのだ。もし人間がいなかったら、山の上のものはひとつとして現在とおなじ姿をしていなかっただろう。渓流も然り、荘厳な巨木も然り。いま僕がこうして陽射しを浴びて寝そべっている牧草地も、人間がいなければ鬱蒼とした森で、倒れた幹や折れた枝、苔むした岩塊があちこちに転がり、林床には柏槙やブルーベリーが生い茂り、根が絡み合い、足を踏み入れることすらできなかったにちがいない。アルプスの山々には荒野は存在せず、長い人間の営みの歴史があるのだ。それがいま、放棄の時代に直面している。
(パオロ・コニェッティ 著『フォンターネ 山小屋の生活』より)




No.2058『ポピーの文化誌』

 この本は、「花と木の図書館」シリーズで、『松の文化誌』や『チューリップの文化誌』、『リンゴの文化誌』などは読みましたが、いずれも写真が多く、楽しみながら植物たちの話しに興味を持ちました。今回はポピーで、私がこの仲間で一番思い出に残っているのは、1997年の中国雲南省の中甸で出合った「ヒマラヤの青ケシ」です。
 その後も、なんどか自生地で見ましたが、やはり最初に見た印象が強く、今でもときどき思い出します。この「ヒマラヤの青ケシ」といわれるメコノプシス属は、現在では40種を超えるといわれていますが、そのほとんどが多年生で、なかには1回結実性のものや、ロゼットの状態で1年以上過ごして結実すると枯れてしまうものもあります。
 一般的なケシ科の植物は、刮ハのなかに「たいてい多数の種子を含んでいる。熟すと、各子房の先端に小さな孔が開く。孔の上に1本ずつすじがあり、柱頭に由来するので、すじの数は子房の数と同じである。ヒナゲシの場合、花が受精したら種子が大量にできて、孔を通って刮ハからまき散らされる。種子は非常に小さく、1個の重さが約0.1ミリグラムで、1個の刮ハに平均で1300個以上の種子ができる。そういうわけで、本当に大きな株だと1度の生育期で30万個もの種子を作ることができる。十分に成長したものなら、3万〜5万個が普通である。茎は細くしなやかで、いつも風に吹かれて揺れているので種子が効果的にまかれ、よく食卓のコショウ入れからコショウをまき散らすのにたとえられる。」とこの本には書かれていて、そういえば、小さいもののたとえに「ケシ粒のような」という言葉もあります。
 気になるのは、このケシの実がパンなどの上にトッピングされていますが、これらパンやそのほかの食品に使われているのには、麻薬成分が感知できるほどの量は含まれていないそうです。
 それよりも、このケシのなかのポピーは、「多くの国でポピーは戦争で死んだ人々の追悼のシンボルになり、ほとんどどこでもどんな花か知られている。紙やそのほかの材料で作られた何百万個ものポピーが、11月に停戦を記念して販売され、リメンブランス・デーと呼ばれる11月の第2日曜日ー―1918年に休戦協定が調印された日時である11月11日11時にもっとも近い日曜ー― に式典が催される。」とあり、今、ロシアによるウクライナへの侵攻で毎日悲惨な状況がリアルタイムで伝えられていることから、一日も早い休戦が望まれています。
 このきっかけになった詩は、1873年生まれのカナダの軍医、ジョン・マクレー中佐によって書かれたもので、彼は1914年に西部戦線で従軍していたそうで、1915年の第2次イーペル戦で野戦病院を任され、たくさんの惨事を目にしていたと思われます。この「フランダースの野に」という詩は、1915年12月8日に雑誌『パンチ』に匿名で発表したそうで、ちょっと長いのですがここに掲載しますと、

 フランダースの野にポピーが揺らぐ
 十字架の間に、何列も何列も、
 ここがぼくたちの場所 空には
 今でも元気な声で飛ぶひばり
 かすかに聞こえる地上の砲声の中で

 ぼくたちは死んだ 数日前には
 生きていて、夜明けを感じ、輝く夕焼けを見た
 愛して、愛された、それなのに今では
 フランダースの野に横たわる

 敵との争いを終わりにしよう
 弱ってきた手でぼくたちはトーチを投げる
 受け止めて高くかかげてくれないか
 死んだぼくたちとの約束を守れないなら
 ぼくたちは眠れない、ポピーの花が
 フランダースの野に咲き誇っても
  [小沼通二訳/『図書』2015年11月号所収/岩波書店]

 この詩をきっかけに、第1次世界人戦以降、戦死者を追悼する詩のなかにしばしばポピーが取り上げられ、さらにマイケルやジェイクスの詩のようにこの詩そのものを引用しているものもあるそうです。そして今も、紙やシルクで作ったポピーの花が戦没者追悼のシンボルとなり、日本の赤い羽根募金のように、戦争被害者の救済のために使われていることを知りました。
 もし、このことに興味があれば、ぜひこの本の第6章「戦没者追悼のシンボルとしてのポピー」を読んでみてください。
 もちろん、ケシの仲間には、アヘンをつくるケシもあり、むしろそれの方が有名かもしれませんが、個人的にはあまり興味がないので、さらっと読んだだけです。
 下に抜き書きしたのは、第1章「ポピーとは何か」の最初に書かれていたものです。
 ただ、農家にとっては畑にポピーが生えると作物に被害が出るので、あまり好ましい植物ではないのですが、ヨーロッパで農業が始まったころからの花だそうです。つまり、農業と切っても切れない深い関係があり、現在では、むしろ「ポピー・デー」に戦死者を追討するシンボルとしてよく知られているのではないかと、この本を読んで思いました。
(2022.4.29)

書名著者発行所発行日ISBN
ポピーの文化誌アンドリュー・ラック 著、上原ゆうこ 訳原書房2022年2月24日9784562059584

☆ Extract passages ☆

さまざまな意味で、ポピーは麦畑の代表的な雑草だ。農地など耕された土地や攪乱地[造成されたり掘り返されたりしてかき乱された土地]にだけ生える。特有の色をした成長の速い植物なので、かならず気づき、ほとんど誰でもそれがポピーだとわかる。麦畑全体がとても鮮やかな緋色に染まるほど大量に発生することがあり、すると何キロも離れたところからでも見える。
 そんなポピーの花畑は古くから受け継がれてきた文化の一部であり、画家、詩人、そのほかの文筆家たちに多大な影響を与えてきた。
(アンドリュー・ラック 著『ポピーの文化誌』より)




No.2057『お茶と権力 信長・利休・秀吉』

 著者の田中仙堂さんは、大日本茶道学会の会長だそうで、だとすればお茶人です。その立場から「お茶と権力」を書くとどのようになるか、とても興味があり、読むことにしました。
 先ずは、足利幕府においては、唐物と称して、大陸から招来されてきた道具を飾り、闘茶などをしていましたが、信長は茶道具や茶会を家臣評価のバロメーターとして利用したといいます。そして秀吉は、「信長の茶会政策を「御茶湯御政道」(家臣に茶会を禁じた)と振り返ってみせたが、それはあくまでも自分の貢献を際立たせるための方便である。秀吉自身は、これまで検討してきた信長の茶会政策の本質を正しく見極めており、そちらを踏襲して、茶会を政治的メッセージを発する場として使っていく。」と見ています。
 そういう意味では、もともと茶道というのは男の世界であり、いわばお茶室という密室のなかで政略の話しもしていたのではないかと思います。だから、外に刀掛けがあるのも理解できます。
 そういえば、織田信長が「蘭奢待」を切り取らせたというのは有名な話しですが、どのようにしたのかはわかりませんでした。この本では、「『信長公記』は、寛正6年(1465)の八代将軍足利義政の奈良下向以来、開封は絶えてなかったのが、百十年ぶりに主君信長のもとで叶ったことを、織田家最大の名誉として記録している。これが、信長が当時、周囲に期待した受け止め方であろう。この切り取りには、津田宗及をはじめとする堺衆も同行していた。信長は、三千名の軍勢を引き連れ、27日の夕刻に奈良の多聞山城に入る。多聞山城は、松永久秀の居城だったところである。蘭奢待は多聞山城に持ち込まれて、東大寺の大仏師によって、切り取られた。切り取られたのは二片で、一つは朝廷に献上された。もう一つは言うまでもなく信長用である」と書いてあり、蘭奢待を切り取らせることにも、権力者として知らしめることがあったようです。
 やはり、権威というのは、どこかにその裏付けを求めるようで、それが名物茶道具や官位などにも表れているようです。
 しかし、権力者というのは、いつの世も気まぐれで、いつどのように気持ちが変わるかわかりません。たとえば、もともと利休は秀吉の相談役のような役目で、大友宗麟が大阪城を訪ねたときには秀吉自らが城内を案内し、その後で秀長と面会したときに、「帰り際に秀長は何事も自分が心得ているから安心するように言った後に、「内々之儀者、宗易、公儀之事者、宰相存候」(内々のことは利休、公儀のことは自分がわかっているから、悪いようにはしない)と付け加え、人が見ている前で手を取って別れた秀長に宗麟は感じ入り、秀長を頼っていこうと決心する。」と書いてあり、相当頼りにしていた様子がうかがえます。
 しかし、自宅に蟄居を命じられ、切腹させられてしまいます。
 下に抜き書きしたのは、第8章「利休はなぜ追放されたのか」に書かれていたものです。
 この問題は、お茶に関わる人たちだけでなく、いろいろな人たちの興味をひく問題で、昔からいろいろな説があります。たとえば、米原正義著『天下一名人 千利休』には、主な説だけで12説あるとしていますし、この本の著者の説は「利休の「天下一」の自負説」を加えると13になるといいます。それ以外には、中村修也さんは切腹そのものを否定していますので、さらに増えます。つまり、本当のところはわからないとしかいいようがありません。
 下に書き写したものは、信長が家臣たちへの褒美として茶道具の価値を高め、茶会を開催できることも信長から重用されている証しとしていました。それを秀吉はどのように継承していったのかということについてです。
(2022.4.26)

書名著者発行所発行日ISBN
お茶と権力 信長・利休・秀吉(文春新書)田中仙堂文藝春秋2022年2月20日9784166613304

☆ Extract passages ☆

 足利将軍家の蒐集を由緒とする茶道具の名物を集めた信長が、将軍を立てるようでありながら、実質的な権能を自分のものにしていったことをなぞるかのように、信長旧蔵の由緒も加わった茶道具を集める秀吉は、織田家を立てるようでありながら、実質的な権力を自らのものにしていく。そして、軍門に降した信雄、家康にも茶道具を下賜し、信長が配下に茶道具を下賜したように、今や自分が上位者であることを示したのである。
 ここまでは、信長を手本にしてきた秀吉だが、もっと明白に自分が上位者であることを示す手段を手に入れた。
 それが官位であった。官位を独占的に仲介することで服従の手段とすることは、不完全ながら鎌倉幕府以来試みられて来たことである(本郷恵子『将軍権力の発見』)。豊臣姓を 下賜され、氏の長者となった秀吉は、室町幕府はもとより、徳川幕府にもできなかった官位制に加えて、氏姓制度も利用することができた。
 秀吉は、もはや「茶会」に頼らずとも、「威光」を示し上下関係を明白にする手段を手にしてしまったことになる。
(田中仙堂 著『お茶と権力 信長・利休・秀吉』より)




No.2056『モチベーションの心理学』

 著者の苗字が読めなくて、「しかげ」とパソコンに入力したら、「かげ」の誤読と表示され、鹿毛(かげ)と読むことを知りました。近ごろのワープロは、ほんとうに賢いです。
 もともとモチベーションが高いほうではありませんが、好きなことだと時間を忘れて続けてしまうこともあります。たとえば、本を読んでいるうちに暗くなり、電気も付けずに読んでいたということも昔はよくありました。今は、集中力も視力もなくなり、ちょっと暗くなっただけで、すぐ気づくようになりました。
 そういえば、よく、モチベーションを説明するのに目標という言葉を掲げますが、この本では、『目標は「人が成し遂げようと努力する最終段階について、心の中に主観的に思い浮かべる具体的なイメージ(認知的表象)」と定義される。この定義によれば、「ダイェット」も「おやつの我慢」も「チョコレートを食べるのを土曜日だけにする」もすべて目標だということになる。人は目標を設定することで、それを達成するための計画を具体化し、実際に行動を起こす。このように「ある結果を望み、それを意識し、その実現のために努力する存在」として人をとらえ、目標という用語によってモチベーションを説明する考え方を「目標説」と総称することができる。』と書いています。
 たしかに、目標がモチベーションに直接影響を及ぼす要因であるということは、誰しも考えることですが、その目標にアプローチする方法にはだいぶ個人差もあり、それこそが「その人らしさ」が現れるようです。
 ですから、この本を読み始めたときには、どうすればモチベーションを保てるかとか、どうすればやる気が出てくるかという現実的なことを考えていましたが、この本はそのようなハウ・ツー本ではなく、むしろ、モチベーションそのものを研究し、それを体系化してきた業績なども紹介しています。
 なかでもおもしろいと思ったのは、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが、「意識と非意識の性質やはたらきを二重プロセスと呼んでいる」ことについてです。「まず、われわれは誰でも2つのシステム、すなわち、 システム1とシステム2を持っているという。システム1とは、速い思考、 つまり、自動的に高速ではたらき、努力はまったく不要か、必要であってもわずかで、自分がコントロールしているという感覚が一切ない非意識的な「自動操縦モード」を指す。それに対して、システム2とは、遅い思考、つまり、時間をかけて注意を傾けたり、熟考が必要だったりする際に起動する「意識的で努力や自制が必要なモード」を指す。」という内容についてです。
 つまり、システム1とシステム2とで役割を分担することで、問題を効率的に解決するというのです。これはたしかに理解できることで、だからこそ、システム2で十分に時間をかけて問題解決ができるわけです。おそらく、日常生活でもこのようなことはしているはずで、ほとんどが習慣化して考えることもなくしていても、これはということに関しては、しっかりと考えて対処しています。
 やはり、脳というのは、とても効率的で利己的だなと改めて思いました。
 下に抜き書きしたのは、達成の公式といわれるものです。
 もちろん、達成にも個人差があり、「何を達成とするか」や「どの程度で達成とみなすか」などの問題もありますが、どちらにしても、「当人にとって価値ある行為をすること」という、それをやり遂げることが達成感につながるようです。
 この『モチベーションの心理学』を読んで、いかにモチベーションが大切で、それを維持することが大変かもわかりました。抜書きカードも、知らず知らずのうちに、8枚にもなっていました。
(2022.4.24)

書名著者発行所発行日ISBN
モチベーションの心理学(中公新書)鹿毛雅治中央公論新社2022年1月25日9784121026804

☆ Extract passages ☆

 達成(パフォーマンス)=能力×モチベーション
 この式は、達成が「能力」と「モチベーション」の積であることを示している。つまり、@達成は当人の能力とモチベーションに規定されること、A能力が高いほど、あるいはモチベーションが強いほど、達成も大きくなること、Bたとえ能力があっても、モチベーションがゼロであれば成果が出ないこと、Cいくらモチベーションがあっても能力がゼロであれば成果が出ないことを意味している。
(鹿毛雅治 著『モチベーションの心理学』より)




No.2055『もういいかい まあだだよ』

 小椋佳といえば、私にとっては、「シクラメンのかほり」ですが、植物のシクラメンにはほとんど香りがないし、「香り」の仮名遣いでいえば、「かほり」ではなく「かをり」が正しいと思ってます。でも歌の歌詞では、やはり「シクラメンのかほり」でないと慣れ親しんだ歌ではないような気がします。
 この「シクラメンのかほり」について小椋佳は、本のなかで「できるだけ新しい言葉を創って、もっともっと、今までになかったような新しいイメージ世界を表現したい。そのためには、"かおり″ではダメだった。″かほり"でなくてはならなかったんです。もともと、シクラメンは匂いのない花です。でも、匂い、つまり"かおり″はなくとも、「匂い立つ」ものはある。その匂い立つものを、″かほり″と表現し、男女が出会つて、愛し合って、別れていく風景へと重ねたわけですね。そんなふうにして生まれてきた『シクラメンのかほり』。その後、何年かして、品種改良の末に本当に匂いのあるシクラメンが誕生したと聞き、ちょっと驚きました。」と書いています。
 やはり、想像した通り、新しい言葉のイメージがあったわけです。さらに、この歌は、「営業先のオランダ航空のオフィスに飾られていた鉢植えのシクラメンから想起した歌」だそうで、「実際に形にするのは帰宅してから。改めて机に向かって詩を書いていると、書きながら、それがメロディーになってくる。だいたい口ずさんで創っちゃう。」というから、すこいことで、しかもギターなどの楽器は使わないそうです。この本のなかでも書いていますが、もともとギターは弾けないし、ピアノは76歳の手習いだそうで、ほとんどの曲は頭のなかでイメージできたようです。
 そういえば、名前の小椋佳というのは、福島県の早稲沢の民宿に泊まったことの縁で「小椋」というのは知っていましたが、「佳」というのは、奥さんの佳穂里さんの名前の一字からとは知りませんでした。だから、「シクラメンのかほり」の「かほり」も奥さんのことではないかとまことしやかに言われたのかもしれません。
 それにしても、銀行員時代はまったくのベールに包まれていましたし、退職してからもあまり私生活については語らなかったと思います。でも、この本の最後に、「本書は語り下ろしです。」とありますから、小椋佳が語ったことを、誰かが書いてくれたもののようで、ところどころに(笑)とあったのも納得です。そして、ラストアルバム『もういいかい』を発表し、歌手活動に一区切りをつけたのを機会に、「誰のようにも生きられず、誰のようにも生きもしなかった」自分の人生をつれづれに振り返ったもの、それがこの本というわけです。
 でも、端から見ると人生が順風満帆のように見えても、いろいろな苦労はあったようで、聴いてきた曲からはまったく想像もできないことばかりです。銀行員時代に、単身赴任で浜松支店長のときに「個職双善」でいこうと話したそうですが、これは「個人の個と、職場の職と、両方の双、ふたつという意味ですね。善は善悪の善。「個人としても、職場人間としても、両方善い」という暮らしをしようじゃないか。そんな思いを込めた「個職双善」だったんです。」と書いています。そして、「だいたい、寝る間を惜しんで仕事するようなヤツに、 いい仕事をする人間なんかいません。寝る間を惜しんで遊ぶんなら、わかるんですけどね。」あり、だからこそ、銀行員と音楽の両立ができたのではないかと思いました。
 でも、両方とも超一流というのはさすがです。
 下に抜き書きしたのは、お迎えが来る日までの生活の指針です。
 シャキシャキ動くことをあきらめて、ゆっくりとしか動けない自分を受容する、といいますが、その現状をそのまま受け入れることは、意外と難しいのではないかと思います。でも、結果的には受け入れざるを得ないところもあり、なかなか生きることって大変だなと思います。
(2022.4.20)

書名著者発行所発行日ISBN
もういいかい まあだだよ小椋 佳双葉社2021年12月25日9784575316834

☆ Extract passages ☆

 シンプル〜代わり映えのない暮らしでよし
 スロー〜ゆっくりでよし
 ステディ〜一歩一歩、しっかり歩こう
 スマート〜頭を使って賢く生きよう
 それぞれの英語の頭文字を取って、「4つのS」です。
 年を取ると、速く動けません。体がもう、言うことをきかなくなってしまうから。いろんなことに手を出しても疲れるばかりです。
 そんな自分を、まずは受け入れる。
(小椋 佳 著『もういいかい まあだだよ』より)




No.2054『もういちど、あなたと食べたい』

 ほとんどテレビを見ないので、脚本家も知らないのですが、この本の装丁のイラストがおもしろくて、つい手にとって読みました。すると食べものの話しがあちこちに出ていたので、借りて読むことにしました。
 この本は、「小説新潮」の2019年12月から2021年3月号までに掲載したものに、いくつかの書き下ろしなどをまとめたもので、いろいろな方たちとのエピソードも載っています。目次をひろい上げただけでも、『加藤治子さんと「おかちん」』、『松田優作さんと「にぎり寿司」』、『深作欣二さんと「キムチ鍋」』、『北林谷栄さんと「宅配ピザ」』、『久世光彦さんと「ビーフステーキ」』、『和田勉さんと「もずく雑炊」』、『岸田今日子さんと「うな重」』、『麗しき男たち――もういちど、食べられなかったあなたヘ 森雅之さん 工藤栄一さん 原田芳雄さん』、『藤田敏八さんと「コンニャク」』、『向田邦子さんと「おうちごはん」』、『佐野洋子さんと「チャチャッと野菜の炒め煮」』、『須賀敦子さんと「フ・リ・カ・ケ」』、『美々しき女たち――もういちど、食べられなかったあなたへ 大原麗子さん 金久美子さん 夏目雅子さん』、『岡田周三さんと「ヘン屈オヤジの江戸前寿司」』、『樹木希林さんと「玄米の味噌雑炊とうち糠漬け」』、『野上龍雄さんと「アルコール飲料」』、『森田芳光さんと「桃の冷製パスタ」』、『マイ・ディア・ファミリーと「母の作った朝鮮漬け」』です。
 まさに多士済々の方々ばかりで、それぞれにおもしろかったです。
 なかでも、『深作欣二さんと「キムチ鍋」』のなかに、「映画作りという玩具(おもちゃ)箱から出たくない」という表現があり、いかにも映画人という印象を持ちました。誰だって、好きなことは無条件に好きだし、そのなかにはまり込んだままで過ごしたいものです。それを玩具箱と言い表すのは、やはり脚本家だからなのかもしれません。
 また、『須賀敦子さんと「フ・リ・カ・ケ」』のなかに、須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」という本の脚本を書くことになり、先ずはシナリオをつくろうということでイタリアにシナリオハンティング(取材)に行くことになったときの話しのなかにも興味深いエピソードがありました。それは、案内をしてくれたヴィットーリオ・ダレ・オーレさんが連れて行ってくれた貴族の老嬢の話しです。今の時代、貴族といえども生活をするのは大変ですから、仕事をしています。そのときのことで、「お暇するとき、老嬢は私を抱きしめて握手をしてくれた。その手のがっしりとした大きさと質感に、私は感動した。貴族の老嬢が職人のような手をしている。そして八十代の終りに近い今も働いて、ちゃんと生きている。この人も、歯医者の老嬢も。たぶん須賀さんも、こんなに大きな手ではないかもしれないが、日本に戻ってきてから、エマウス運動(カトリックの思想に基づく廃品回収業)にも深く係わってきたのだから、しっかりとした手の持ち主だったと思う。」と書いていて、私も長く仕事をしてきた手というのは、本当にいいものだと思っていたので、納得しました。
 「フ・リ・カ・ケ」というのは、案内してくれたヴィットーリオさんが、彼も貴族ですが、日本のフリカケが大好きで、奥さんの誕生日の食事にフリカケをかけて祝うというから、おもしろいと思いました。  この他にもおもしろいところはたくさんありますが、もし興味があれば、ぜひ読んでみてください。
 下に抜き書きしたのは、北林谷栄さんと「宅配ピザ」に載っていたものです。
 今、ロシアがウクライナに侵攻して、とんでもない被害と人命が失われていますが、戦争というのは、なかなかやめることは難しいようです。しかも、流す情報がほとんどがニセで、具合の悪いのは、まったく国民に伝えなくなります。ニホンも、戦前、戦中はそうでした。
 この抜書きしたのも、北林谷栄さんと赤木蘭子さんとの話しです。やはり、当事者に近い人でなければ知り得ないことなので、なるほどと思いました。
(2022.4.18)

書名著者発行所発行日ISBN
もういちど、あなたと食べたい筒井ともみ新潮社2021年12月20日9784103807032

☆ Extract passages ☆

 昭和十年代になり時代がキナ臭さを増していくと、ふたりの女優娘はあたりまえのように、弾圧や戦争を正当化する国家に対して初々しい憤りを抱くようになっていった。同じように若かった俳優仲間の宇野重吉や信欣三たちと小さな劇団を作り、御国万歳の押しつけ芝居を拒否するのではなく(そんなことをすればすぐに潰される)、そんな芝居をしながらでも移動演劇の巡業を続けていた。若い彼等彼女等には秘かな企みがあった。国家が差し出す芝居をやったとしても、同じ科白であったとしても、その言い方で、役者の主体によって意味を変えることができる。「万歳!」を心酔して言うか、口惜しさと哀しみを込めて言うかでは、客に伝わるものはまるでちがってくる。そんな反骨を抱いて、若い北林さんもみんなも、熱い青春の日々を過ごしていたのだろう。
(筒井ともみ 著『もういちど、あなたと食べたい』より)




No.2053『3色だけでセンスのいい色』

 前回のNo.2052『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』を読んで、配色は3ステップで考えるといいそうで、ステップ1は「配色のジャンルを決める」、ステップ2は「色の3の役者を決める」、そして「出番を決める」の3つのステップで考えたほうがいいそうです。しかも3食で決めるのが基本だといいますから、この本の考え方と同じです。
 これも図書館にあったので、『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』といっしょに借りてきました。全体を1.「NATURAL 自然体で優しい印象に」、2.「POP カラフルで元気が出る!」、3.「ELEGANT 大人っぽい品のある雰囲気に」、4.「MODERN 現代的でスタイリッシュに」、5.「SEASON 四季の移ろいを感じる配色」、6.「JAPAN 色で生み出す和の趣」、7.「OVERSEAS 異国情緒を感じる色で飾る」、8.「SERVICE サービーシーンで使えるカラーリング」に分かれていて、最後にこの本に掲載してある全276色をグループ分けして並べてあります。
 さらに「Special特典」として、「配色見本帳」がPDFファイルでサイトからダウンロードできるので、これも利用価値がありそうです。
 私も、この本のなかに出てくるさまざまなシーンの色を見比べながら、自分の好きな配色を見つけました。たとえば、「上品なロマンティックアンティーク」は、ベースがリヨン・ベージュで、アクセントがマダム・ピンク、そしてサブがフレンチ・カーテンで、彩度の低いベージュやピンクを使っているので、とても柔らかくおだやかな印象を受けます。いかにも、ヨーロッパの古い家具などのアンティークを連想させます。
 また、「陶磁器のような深みと温もり」は、とても落ち着いた温もりが感じられ、ベースはコロニアル・ベージュで、アクセントはヤドリギ・グリーン、サブはクラシック・ペイントで、落ち着いた写真と組み合わせると、深みがでそうです。
 さらに、「知を感じる重厚な図書館」は、ベースがロースト・コーヒーで、アクセントがブラウン・マスタード、サブがキャラメル・サンドで、落ち着いた茶系の色合いがレトロでクラシックな印象を作り出していました。そういえば、イギリスの自然史博物館に行ったときに、このような雰囲気を感じたことがあり、知を感じるという意味も理解できます。
 日本的なというデザインでは、「京都のかわいいはんなり色」で、ベースがアイス・アイボリーで、アクセントがウイロウ・ピンク、そしてサブがジャパン・ティーです。全体の雰囲気は落ち着いたなかにも上品で明るい印象を与え、かわいらしい和菓子を連想させるといいます。特に、このジャパン・ティーがはんなりとした色合いになっていて、京都の竹林や町屋の雰囲気にも似合いそうです。
 このように見てくると、3色を効果的に見せるには、そのベースカラー、アクセントカラー、サブカラーの配色バランスが重要で、それを面積比として表しているのも、とても役立ちます。このベースカラーというのは基本色で、使用量が一番多く、これで全体の印象が決まります。またアクセントカラーというのは強調色で、使用量は少ないのですが、全体を引き締めたり注意を引いたりするので、変化がでます。さらにサブカラーというのは補完色で、ベースカラーとの組み合わせでニュアンスを加えたり、イメージの表情を豊かにする色だといいます。
 これらの組み合わせで、さまざまなイメージに仕上がるので、その変化をこの本から感じとれました。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」に書いてあったものです。
 この本は、ほとんど実践的な内容で、あまり文章はなく、これぐらいしか抜書きできるところはなかったというのが本音です。
 でも、たしかに、たった3色ですが、センスよくまとまるようです。これを、次にホームページを作りかえるときに、参考にしたいと思います。
(2022.4.15)

書名著者発行所発行日ISBN
3色だけでセンスのいい色engectar-eインプレス2020年6月11日9784295008897

☆ Extract passages ☆

 本書の配色で使っている色は3色のみ。デザインはたった3色でもセンスよくまとまります。
 3色だからシンプルで簡単。見てわかるので、すぐ実践できる。3色配色のコツを覚えるだけで、誰でもセンスよくまとめられます。
(engectar-e 著『3色だけでセンスのいい色』より)




No.2052『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』

 私もデザインが好きで、自分でパンフレットや絵ハガキを作ったりしていますが、あまり人の作品と比べないので、その出来はイマイチわかりません。でも、この本を図書館で見つけたので、ちょっと読んでみることにしました。
 もちろん、これからデザイナーになれるわけはないのですが、自分が作るパンフレットや絵ハガキがプロが作ったかのような風合いになれば楽しいと思います。もし、参考になるのならと思い、デザインノートに書き込みました。このノートは、昭和58年ころからつくっていて、これはいいと思う名刺や絵ハガキなど、なんでも気に入ったものを書き込んでいます。この本からは、デザインの4原則やデザインの引き算や足し算などや、文字を一工夫するだけで見違えるようになるなど、いくつか抜書きさせてもらいました。
 フォントの使い方も、ちょっとした工夫、たとえばIllustratorで簡単にアレンジしただけで、デザインに奥行きが生まれるといいます。そして、フォントを斜めにしたり、ちょっと太めにしたり、あるいはにじみ効果を持たせたりすれば、やはり変化が生まれ、ひと味違う雰囲気になります。
 これは、下に抜き書きしたような「違和感」にも通じることで、私もこれからは真似させてもらいたいと思います。
   私は、クリエイティブなことに関わっている人たちって、すごい集中力があるだろうな、と勝手に思っていたのですが、この本のなかに、おもしろい研究結果が載っていました。それは、「2015年、アメリカのノースゥェスタン大学の研究によって「クリェイティブな人ほど、外部の音をシャットアウトできない」という可能性が示唆されました。ある行為に集中する際に、必要のない感覚は解像度が落ち認識されなくなる、という脳の機能を「感覚ゲーティング」と呼びます。スマホに集中しすぎて家族に話しかけられても気付かない「アレ」です。先の研究では、現実世界での業績(クリエイティブであるか/勉強ができるか)アンケートと、時間内に多くの質問に答えてもらいながら独創的な認識力と多様な思考力を測るテストを行いました。100人の被験者にこのテストを実施したところ、現実世界でのクリエイティブ評価が高い人ほど、感覚ゲーティングの能力が低いことがわかりました。反して、感覚ゲーティングテストの能力が高かった人は多様性のある考え方が得意で、勉強ができるタイプであるということもわかりました。」ということです。
 ということは、クリエィティブな人ほど注意力が散漫で忘れっぽいだけでなく、フィルタリングせずに無意識のうちに「膨大な情報を感知しアイデアと融合させてクリエィティビティを発揮しているのかもしれません。」と書いています。
 私たちは、クリエィティブな人たちに対する過剰評価から、ひとつのことに熱中しやすいタイプと思ってしまいますが、逆に気が散りやすいと知り、ちょっと安心しました。
 下に抜き書きしたのは、第3章「思考力」のなかの「つまらないデザインにならないコツはありますか?」に書いてあったものです。
 えぇっ、このような質問をする人がいるの、と思いましたが、これはおそらく著者が「違和感」を引き出すために似たような質問から設定したのではないかと思いました。でも、これって、本当に大事なことだと思います。
 もし、デザイナーにならなくても、たとえば地区の広報誌であっても、とても参考になると思います。
(2022.4.13)

書名著者発行所発行日ISBN
一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。シブヤ領一翔泳社2022年1月27日9784798172583

☆ Extract passages ☆

 つまらないデザインはなぜつまらないのでしょうか? と聞かれると答えに詰まってしまうかもしれません。では聞き方を変えてみます。明日も明後日も、予想できる範囲内でしか物事が起こらない。そんな未来しかやってこないとしたらどうですか? ワクワクしますか? 心は動きましたか? 予想できないことが起こると、心が動きますよね。音楽も映画も、予想と違う展開があるから面白い。デザインも同じです。本来こうなるハズだろう、という予想をいい意味で裏切る「違和感」をデザインに盛り込めば、面白いデザインに仕上がります。積極的に取り入れましょう。
(シブヤ領一 著『一生懸命デザインしたのに プロっぽくなりません。』より)




No.2051『死ぬまで歩きたい!』

 今現在、新型コロナウイルス感染症がなかなか収束しないので、あまり外出はできませんが、小町山自然遊歩道の雪も少しとけてきたので、なるべく歩くようにしています。
 副題は「人生100年時代と足病医学」で、私もなんとか死ぬまで歩きたい、なんとか自分のことは自分でしたいと思って、この本を読み始めました。
 でも、足の耐用年数は50年と書いてあり、びっくりしました。でも、人生の三分の一は寝ているわけで、それから計算すると、67〜8年は伸びますが、それでも人生100年時代には足りません。やはり、無理をしないで、ときどきはメンテナンスをするしかなさそうで、もし悪くなったら、早めに治療をしてもらいます。
 そういえば、以前は1日1万歩は歩こう、という話しを聞いたことがありますが、この本では、「強いて歩くときの基準を示すとすれば、歩いていて快適だと感じられる、痛みを感 じないレベルを意識するということです。歩いていて気分が悪くなったり、足が痛くなったりしてきたら、それは明らかに「もう歩くな」というサインです。たとえ1000歩しか歩いていなくても、休んだほうがいいでしょう。自分の外に基準を求めるのではなく、あくまでも内なる声に耳を傾けながら歩いてください。歩くのが快適で、痛みも感じないなら、何万歩でも好きなだけ歩けばいいのです。「どれだけ歩くか」にはそれほどこだわらないのが継続するコツかもしれません。」と書いてありました。
 これは、考えてみれば当たり前のことで、つねにスポーツをしている人と、室内であまり動かない人を同一に考えることはできません。私の場合は、今の時期は雪があり滑るおそれもあるので歩きませんが、買いものに行ったときには、エレベーターやエスカレーターを使わないで、端から端まで歩くように心がけています。
 でも、春から秋にかけては、小町山自然遊歩道をカメラを持って植物の写真を撮ったりするので、だいぶ歩いています。この小町山自然遊歩道は、昭和59年ごろから作り始めたのですが、新型コロナウイルス感染症の影響であまり出歩くことができなくなってから、ほぼ毎日ここを歩いています。だから、歩き方も教科書通りではなく、写真を撮ったり、また歩いたり、ほとんど足への負荷はなさそうで、歩く効果があるかどうかもわかりませんが、家の中にいるより気持ちがよいので、つい出かけます。
 よく、歩るかなければ身体によくないからという理由で無理しても歩こうとする方がいますが、意外と長続きはしないようです。私のところから川縁の道路が見えるのですが、イヌを連れて散歩をしている人がけっこういます。つまり、イヌの散歩を理由付けにして、自分も散歩をするのはいいことかもしれません。人というのは、むしろ他のためにという理由付けがあると、長続きするものです。
 どんな理由であろうとも、歩くようにするのがいいようです。歩けなくなると、自分のことが自分できなくなります。つまり介護されなければならず、その生活は激変してしまいます。それは、私の父母を見ていて、はっきりとわかります。死ぬまで歩けるのは本当にうらやましいことですが、少なくとも、そのような気持ちでこれからは過ごしたいとこの本を読んで思いました。
 下に抜き書きしたのは、第3章「100年歩くために今日からできること」のなかに書いてあったものです。
 あまり意識はしていなかったのですが、考えてみれば、歩くことはとても大事なことです。ここでは、3つのステップを取りあげ、先ずは歩行、排泄、食事ができなくなると、最後に死を迎えると書いています。つまり、最初の歩行ができなくなれば排泄も困難になるし、食事に行くこともできなくなります。
 つまり、「歩行は自立の要であり、象徴的な行為」ということです。
 ぜひ、私もこの本に書いてあることを参考にして、死ぬまで歩いていたいと思います。
(2022.4.10)

書名著者発行所発行日ISBN
死ぬまで歩きたい!久道勝也大和書房2019年3月31日9784479784586

☆ Extract passages ☆

 足の健康は全身に影響を与えます。たとえば血流の停滞、心血管機能の負担、慢性的な便秘、筋力低下、骨密度低下(骨粗鬆症)、失禁、褥瘡などの原因となります。さらに肺炎や尿路感染のリスクが増えることも指摘されています。加えて、怒りや不安など精神的なアツプダウンから、うつ、食欲低下につながり、その人の社会生活にも影響を及ぼします。
 たとえば、友人や家族とのつきあいなどの社交性が低下し、周囲に溶け込むことが難しくなります。そこから社交活動への参加意欲、食欲が低下し、人浴や更衣の能力も衰えていきます。
 さらに排尿や排便を自己管理する機能そのものも低下します。睡眠障害も併発し、最終的には他者への興味も失われ、人生をまっとうする意欲や人間関係を育む意欲そのものが消えていきます。まさに負のスパイラルです。
(久道勝也 著『死ぬまで歩きたい!』より)




No.2050『人間が生きているって こういうことかしら?』

 この本は対談なので、とてもわかりやすく、理解できました。やはり女性らしい、目の付け所が違うと感じました。
 科学というと、どうしても論理的な思考を考えますが、むしろ人間の立場に立って考えることも非常に大切なことだと思います。たとえば、笑顔は大切だとは誰しも思いますが、内藤さんの「心は見えませんが、笑顔は見えますから」という話しには、なるほどと思いました。そして、中村さんは、赤ちゃんが生まれたときに周囲を笑顔にするのだから、亡くなるときも周囲を笑顔にしていくことが大事だといい、これにも納得しました。もちろん、亡くなることは悲しいけれど、自分らしい生き方を全うされたとしたら、家族にも何かが伝わっていくし、その想いはずっと続いていくと私も思います。
 だいぶ前に読んだ本のなかに、カリマンタンのマレーシア・サバ州にあるキナバル山(標高4,095m)は、あの世の山という意味で、この辺りの人々は亡くなると霊魂はこの山に上っていくといいます。そこで、何年が過ごしてから、その魂が赤い花になって咲き、村の若い娘さんがその花を食べるとその子どもとなって生き返ると伝えられています。つまり、人はあの世とこの世を往復するという考え方ですが、このような考え方も、生死を考えるときにはありえる話しではないかと思っています。
 そういえば、中村さんのお母さんは83歳で亡くなられたそうですが、最後は、お手伝いさんが「昨晩アイスクリームを美味しいと召し上がってお休みになったのに、今朝はお目覚めにならないんです」と言ったそうで、その晩に一言も言葉を交わさずに亡くなられたそうです。そして「その時に思ったのは生きるのもプロセスなら亡くなるのもプロセス。だんだん離れていく感じで本当に亡くなる前から別の世界にいるという感じがしました。一方、亡くなった後もまだ自分と同じ世界にいるという感じがある。生と死は別のものではありませんでした。つながっていて。実は今もそのつながり方は続いています。生きている時とおなじような気持ちで向き合っている時がありますから。生と死は死亡時刻で区切られるものではありませんね。とくに身近な人は。」と書いていて、キナバル山の話しと呼応するように感じました。
 おそらく、人間の生死と同じように、自然界もすべてが同じようにつながっているのではないかと私は思っています。よく、海のカキとそこに流れ出る川の上流域の山林とが微妙なつながりをもって影響しているという話しを聞いたことがありますが、それだけではなさそうです。この本でも、中村さんがイチジクコバチの話しをしていますが、私もミャンマーに行ったときに、イチジクの大木を見て、そのときいっしょだった学者から同じような話しを聞きました。
 中村さんは、イチジクコバチの「メスは中にある花粉を身につけて飛び立っていきます。でも、小さな穴から入れるのは、そのハチしかいないという関係をつくっているわけですね。一方、イチジクはハチのおかげで受粉して、一年中、実をつけるんです。その実が森の生きものを養っているから、森が続いていく。森は樹木だけではなく、昆虫や鳥や動物といろいろな生きものがいて初めて森になるわけだけれど、その基本のところにこの小さなハチがいることがわかりました。」書いています。
 私が聞いたときには、このイチジクの仲間は熱帯や亜熱帯を中心として700種ほどあるそうですが、それぞれに中に入るハチが違うのだそうです。つまり、一対一の関係を結びながら、自然界とつながっています。もちろん、人間もこの恩恵を受けていて、このイチジクのジャムはとても美味しく、私もお土産に買って帰りました。
 下に抜き書きしたのは、中村さんの話しで、DNAの話しです。
 DNAはデオキシリボ核酸の略で、遺伝子としてとても大切な役割をしています。その細胞が入っているすべてのDNAをゲノムとしてみると、いろいろな見方ができると話しています。
 この本を読んで、たまには対談もわかりやすくておもしろいと思いました。
 とくにわかりやすかったのは、中村さんの「きりがありませんから」という話しは、庭の掃除をするのも大変で、ある程度のところでやめないと無理をしてしまうので、やめるきっかけとして使っているということでした。たしかに、年を重ねてきて、体力がなくなってくれば「できなくなる」ことは当然で、できないからと落ち込まないためにも寅さんの「きりがありませんから」というフレーズがいいといいます。これも、できることはやった、という達成感につながると思いました。
(2022.4.5)

書名著者発行所発行日ISBN
人間が生きているって こういうことかしら?中村桂子・内藤いづみポプラ社2022年2月7日9784591171653

☆ Extract passages ☆

中村 ……私たちの細胞の中にあるDNAは、塩基と呼ばれる小さな分子が、ヒトの場合、32億個も並んでいるわけです。新しい細胞が生まれる時には、必ずこの32億個を新しく並べなければいけない。紫外線やいろんな化学物質の影響も、いつも受けている。その時に、間違いがないということは、ありえないんですね。それを間違いと言うのなら、ひとり残らずみんな間違いをもっているので、あらゆる生きものが間違っていることになってしまう。本来、生きものには、正しいとか間違っているということはないんです。そのように変化したというだけだし、これからも変化し続けていく。
内藤 ……どんどん変わっていくから、「生命とは何か」ではなく、「生きているとはどういうことか」という動詞の問いかけが生まれたんですね。
(中村桂子・内藤いづみ 著『人間が生きているって こういうことかしら?』より)




No.2049『タネとヒト』

 私は植物が好きなので、今でもタネを蒔きます。とくにヒマラヤのシャクナゲは、タネを蒔いてから花を咲かすまで40年はかかるといわれていましたが、それでも蒔きました。というのも、だいぶ昔に知り合った山野草を栽培している方を訪ねたとき、もしかしてタネを蒔いても自分が花を見ることができないときもあるのではないかと尋ねたら、自分が見られなくても誰かが見ることができたらそれでいいと話されたことがあり、私もそれ以来、自分で見ることよりも大切なことだと思っています。
 だから、タネを採取できるところなら、ときどきタネを採取し、持ち帰ります。とくに、新芽が出てくるときが一番うれしくて、それを見ただけでも元気が出ます。
 このような下地があり、この本を図書館で見つけたときには、すぐに借りてきました。とくに、タネの大切さとか、以前からワサビの自生地はどこかと考えていたこともあり、山根京子さんの第5章「豊かな食は遺伝資源から――ワサビが教えてくれること」や、ネパールでソバを食べたことなどを思い出し、冨吉満之・西川芳昭・Bimal Dulaiさんの第7章「アジアの小農とタネとの関係A ネパールにおけるソバとカラシナの調査からみえてきたもの」は興味深く読みました。
 たとえば、ワサビについては、「全国を調査するなかで、現在のワサビ栽培が盛んな地域と、野生ワサビの分布は必ずしも一致していないことがわかってきた。栽培植物起源学の観点からも興味深く、1つの仮説をたてるに至った。それは、「野生ワサビが身近に自生する場所は、ワサビ文化の多様性も高い」というものだった。この考え方は生物文化多様性を理解するためにも重要な論点といえる。この仮説に取り組むうえで必要なスキルがある。それは、野生種と栽培種を区別できること。山でワサビに出会っても、日の前のワサビは誰かが持ち込んだのか、野生なのかを、見た目だけで見分けることは非常に難しい。私たちの研究室では、DNA分析の力も借りて10年以上かかった末やっと理解できるようになったのである。その結果わかったことは、真の野生ワサビが主に自生しているのは日本海側の多雪地帯である、というものだった。」と書いてあります。
 私は今まで、ワサビを栽培している静岡県や長野県などはもともと自生していて、栽培環境もいいからではないかと思っていましたが、そうではなかったのです。また、「野生ワサビが身近に自生する場所は、ワサビ文化の多様性も高い」という仮説も、とても興味のあることでした。
 この近くの山にも、ワサビの仲間が自生していて、それを山菜のように親しんでいる方もいますし、食べ方も伝わっています。だとすれば、この辺りも野生ワサビの自生地かもしれないと思いました。
 また、ネパールで信州でソバ修行をしてきたという方のお店でざる蕎麦を食べたこともあり、そのときにネパールのソバの花は赤いと聞き、後日、そのタネを送ってもらい、蒔いたこともあります。たしかに、赤かったので、日本のソバの花のわきに植えて、紅白でお目出度いのではないかと思ったりもしましたが、近くにソバ畑があるので、交雑しては申し訳ないと思い、やめました。ネパールでも韃靼ソバを蒔いてるそうで、「韃靼ソバは、カトマンズ近郊でもポカラ近郊でも栽培されており、農家は自家消費するとともに、必要に応じ他の穀類と集落内で交換していた。交換比率は、食用の場合も種子の場合もトウモロコシや米と1対1であった。穀物の場合、種子と食用との区別が必ずしも明確ではないことが窺える。また、薬用利用も行なわれており、興味深いのは、薬として利用する場合は村のなかでは無料で贈与される点である。ただし、村外の人へ分分ける場合は他の穀物との交換で行なわれる。」とあり、薬として利用するなら村人たちは無料だと知り、なるほどと思いました。
 まさに、村人たちが、お互いに助け合いながら暮らしている様子がわかり、とてもうれしくなりました。おそらく、その村外れには、大きなシャクナゲ、これはアルボレウムという自生のシャクナゲですが、花を咲かせているはずです。このシャクナゲはネパールの国花になっているので、あちこちにあります。その写真も、私はたくさん撮っています。
 下に抜き書きしたのは、宇根豊さんの「西川さんたちへの手紙」に書いてあってものです。
 もしかすると、今もこのように考えている農家の方は少なくなっているかもしれませんが、とても大事なことだと思いました。だからこそ、あの辛い農作業ができるのかもしれません。
 実は、この本の題名が「タネとヒト」なので、タネそのものの生物資源としての価値と、そのタネが持つ遺伝資源としての価値についての話しをここに抜書きしようと思ったのですが、農家としての考え方も伝えたいと思い、最終的には下に抜き書きしたものになりました。
(2022.4.3)

書名著者発行所発行日ISBN
タネとヒト西川芳昭 編著農文協2022年1月30日9784540211560

☆ Extract passages ☆

 百姓は、田んばに行けば、稲に話しかけます。考えてみるとこれは不思議なことですが、誰だってかわいがっている生きもの(ペツトなど)とは、平気で声に出して会話するでしょう。稲は百姓にとっては、家族同様です。私も声には出しませんが、小鬼田平子や沼蛙や青鷺とよく話をします。「いのち」を確かめ合う習慣の土台にあるのが、生きもの同士という感覚のです。
「種とり」とは、稲が種を残したい、いのちをまた会えるように引き継ぎたいという頼みに応えて、百姓が行なう仕事でした。いや、そう考える、そう感じることによって、種とりに限らず農業技術は百姓の懐に取り込むことができるのです。
(西川芳昭 編著『タネとヒト』より)




No.2048『松と日本人』

 松といえば、昔から「松竹梅」として吉祥を表すしたり、また日本的な代表的風景の「白砂青松」として自然風景として描かれたり、さらには、お茶の世界では釜の湯のたぎる音を「松風」といったりもします。あるいは、静寂さを表すのに「松風」ともいい、松は日本人の感覚ととても密接な関係があると私も思っていました。
 ところが、『魏志倭人伝』ではまったく松について触れてはいないと知り、驚きました。それというのも、この本によれば、「『魏志倭人伝』の編者は、東海の小さな島国の倭国で、目に留まった代表的な植物を取り上げたのではなくて、倭人にどの程度中国文化が普及しているかをみる材料として、中国の代表的な樹木ウメ、スモモ、クスノキなどを取り上げたというのが、もっとも理にかないそうである。そして、サンショウ、ショウガなどはあるけれども、それを使いこなして、味のよい料理を作ることはできないと、食べ物文化の王者は、倭の国はまだまだ野蛮であると評価したのである。」とあり、考えてみれば、中国の編者がまとめたものだけに、そこに日本人の視点はないわけです。
 意外とこれは盲点で、見過ごされていることかもしれません。
 この本では、日本に自生のある松は、アカマツ、クロマツ、ハッコウダゴヨウ、チョウセンゴヨウ、ヒメコマツ、ハイマツの6種としていますが、このハッコウダゴヨウは、ハイマツとキタゴヨウの雑種だとして牧野富太郎により命名されたものです。私が調べたところによると、アカマツ、クロマツ、チョウセンゴヨウ、リュウキュウマツ、ゴヨウマツ、ハイマツの6種です。
 また、松はフロンティア植物で、何もない荒れ果てたところに芽を出し、時間をかけて成長します。でも、あくまでも二次林で、最後は他の植物に置き換わっていきます。ということは、ある程度、意識的に残さない限り松は消えてしまいます。特に、マツノザイセンチュウの被害は最悪でした。おそらく、これで日本の風景が変わってしまったのは確かなようです。
 私自身、松にも関心があり、北半球には、寒帯から亜熱帯にかけて9種ほど分布していて、中国には何度も行き、三葉の雲南松も調べたことがあります。おそらく、これが高野山などにある三鈷の松と同じではないかと思います。また、白松というのがあり、これも三葉ですが、数年前に私のところへも植えました。
 この本によれば、松の根というのは、「松の根は直根といって幹の延長ともいえるくらい、まっすぐに地中深くまでもぐりこんだ根と、地表近くを網の目のように張っている根とがある。そして根株からはるか遠くまで根が続いている。松の根株掘りは、その遠くまで伸びた根の、細い部分は切断してしまうとしても、直径2メートル、深さも同じくらいの穴を山の斜面に掘り上げることになるのである。」と書いてあり、たいまつなどの灯に使うには、松のジンがたくさんある方がいいわけで、それで根を掘り上げるのです。
 松といっても、その扱いにはいろいろあって、縁起がよい場合もあれば、墓に植えられることもあります。この本によれば、墓の上に植えられる樹木は、マツの他に、スギ、アテ、ツバキ、モチノキ、シャクナゲ、シイ、ヒノキ、ヒサカキ、シキミなどが上げられています。この中で、アテというのは、漢字で書くと「档」で、アスナロの変種であるヒノキアスナロのことです。石川県では、能登ヒバといい、県木になっています。
 そういえば、お隣の富山県砺波市栗谷では、墳墓に松も杉も植えるそうで、それを「ハカマツ」とひとくくりに呼んでいるそうです。まさに、ところ変われば呼び名もかわり、それが文化の多様性でもあります。この本は、もともとは1993年4月に人文書院から刊行されたそうですが、松が日本の文化や文明に大きな影響を与えてきたと考え、そのことを確認するために、古代から平安末期あたりまでの足跡をたどったものだそうです。
 下に抜き書きしたのは、第2章「やまとたけると松」に書いてあったものです。
 これを読むと、そうとう昔から松は神の依り代と考えられていたことがわかります。
(2022.3.31)

書名著者発行所発行日ISBN
松と日本人(講談社学術文庫)有岡利幸講談社2022年1月11日9784065267615

☆ Extract passages ☆

 神は、人々の呼びかけや、嘆願に感応しても、清浄な場所でなければ、その場所に降り立つことはできないのである。人々が生活していくために必要とされる種々のものは、人の世の垢に汚れているので、神はそこに宿ることができない。
 松は、人々の暮しとは切り離すことのできない樹木ではあるが、四季を通じて、みずみずしい緑の葉を保ち、厳しい冬の寒さのなかでも、色を失わないところから、人の垢に汚れない清浄な樹木であると、見立てられたのである。
(有岡利幸 著『松と日本人』より)




No.2047『知っておきたい和食の文化』

 先日、米沢市内の和食のお店で食事をしてきて、改めて和食っていいなと思いました。ここの調理人は、「分とく山」で10年ほど板前修業をしてきた方で、お店も古い建物を生かした構えで、庭も四季折々の風情があります。
 さらに、3月17日には、南陽市に新しくオープンした「壹傳」にも行きましたが、ここの調理人は、新宿のパークハイアットの日本料理店「梢」の総料理長を務めた方で、お店に懸けてあった千住博さんの「ウォーターフォール」の話しから、このお店の名を書いてくれたのが千住さんという話しで、その原本を見せてくれました。ここの懐石膳も、とても美味しかったです。
 このようないろいろな縁からこの本と出合ったのですが、この本のなかに書いてあったのですが、「店名もわからなかったので入ってよいものかどうか躊躇していると、中から人が出てきて「ご予約の方ですか?」と声をかけてくれた。簡単に入店させないことによって、店の人間が客を出迎えに行き、導き入れるという接客サービスの提供が可能になっているわけである。案内されつつ前庭を歩き入店することになるが、その導線は大きく膨らんでいて、庭自体は広くないにもかかわらず、客は少し歩くことになる。これにより客は庭をみて目を楽しませ、また、外部とは隔絶された空間へと入る感覚を得る。このように、店舗内外の環境(中の見えない囲い)、庭園、道、従業員の態度、物腰、言葉遣い、情報の提供(店名を掲げない)などの多種多様な資源を、一定の仕方で工夫して配置することによつて、客は店の人に導かれながら、別世界へと足を踏みいれていくという体験を得て、それに価値を感じるようになる。」と書いてあり、私が行ったお店はそれほど仰々しいものではなく、暖簾も下がり、それに小さく店名も書いてありました。それでも、ここに書いてあるような雰囲気はありました。
 では、改めて和食というのは何かといいますと、この本では、農水省がユネスコ無形文化遺産に登録申請したとき定めた定義、1-多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重 2-健康的な食生活を支える栄養バランス 3-自然の美しさや季節の移ろいの表現 4-正月などの年中行事との密接な関わり、の4つを掲げています。
 でも、考えてみれば、これらはどこの国でも同じように考えていそうで、特別に和食だけに限ったものではなさそうです。だとすれば、外国に行ったときにある和食の店にあるような料理が一番わかりやすいような気がします。
 この本のなかで、一番興味深く読んだのは、自分も茶道をしていて、新型コロナウイルス感染症が流行する前までは、年に数回はお茶事をしていたこともあり、第12章「和食と教養」です。
 このなかに、「茶道に「亭主七分に客三分」という言葉がある。客として招かれることが茶会の楽しみと思われがちだが、亭主側の経験を重なると、客を招き、人に喜んでいただけることの喜びを知ることになる。亭主の喜びの方が大きいということを表している。こうして、「もてなし」のための知恵が積み重ねられていく。茶道が究極のもてなし文化と呼ばれるようになる所以である。」とありますが、私も経験してみると、たしかにそうだと思います。
 それと、茶懐石の場合は、亭主も客も、その流れや作法を知らないと、スムーズに食事もできませんし、楽しさも生まれてはきません。ただ、窮屈な思いだけが残るということになりかねません。
 しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大にともなって、「黙食」なる言葉が推奨され、しかも大きなアクリル板越しでは、会話もできません。それまでは、楽しくお話しをしながら食べるのが食事だと思っていたのですから、真逆のことになってしまいました。
 下に抜き書きしたのは、第11章「茄子の花と食育」に書いてあったものです。
 たしかに食は文化ですから、長い時間を経て形作られてきたもので、一朝一夕にできるものではありません。だとすれば、子どものときから食の大切さを知ってもらうような取り組みが必要です。もちろん、学校での教育も大切ですが、家庭での食の取り組みもなければダメです。
 そういう意味では、まさに知育、徳育および体育の基礎となるべきものだと思います。
(2022.3.28)

書名著者発行所発行日ISBN
知っておきたい和食の文化佐藤洋一郎 編勉誠出版2022年2月10日9784585330011

☆ Extract passages ☆

 食育を語る上で、2005年に成立した食育基本法は避けては通れない。この中で、食育とは「1、生きる上での基本であって、知育、徳育および体育の基礎となるべきもの。2、様々な経験を通して『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること。」と定められている。……日本の食育は自分の意思でよりよい食を選択し実践できる人の育成に止まらないところが特徴と言える。『知育』として知識、『体育』として身体のことに加えて、『徳育』として道徳やモラルを同等にしていてる。この三つの基礎となるのが食育としているからである。
(佐藤洋一郎 編『知っておきたい和食の文化』より)




No.2046『昔話の扉をひらこう』

 昔話には少し興味があり、2009年8月の夏休みには、東村山地区小中教育研究会の国語研究部会の方々へ、「置賜の民話」と題して講話をしたこともあります。たしか、そのときには地元小野川の民話や小野小町の伝承などを話した記憶がありますが、みんな楽しそうに聞いてくれたようでした。
 その他に、地元の小学生にも話したりしましたが、いろいろある昔話からどれを選ぶかが難しく、今回の本でもあれば、もっと見つけやすかったかもしれません。というのは、「昔話を語り伝えてきた、おじいちゃん、おばあちゃんは、自分も子どもを育ててきたし、自分の子どもが子どもを育てているところも見ています。まわりのいろんな人生を見てきているから、子どもへの信頼をよせて、ゆつたりと育てています。お話のなかには、「大丈夫だよ、子どもには生きる力があるんだよ」という、あたたかい眼差しが感じられます。このように見てくると、わたしは、昔話というものは、「人生ってこういうもんだよ」といって、いろいろな人生を語ってくれているのだと思うのです。」とあり、そしてこのような昔話ならいくつかすぐに思い浮かびます。
 それと、世界中の昔話に共通するものとして、「動物にやさしい」ということだそうです。それをこの本では、「苦しんでいる生き物を助けてやったり、動物の言葉がわかる主人公は、必ず肯定されて幸せになります。わたしの好きな話はスイスの昔話ですが、世界中の昔話で、力の弱い子が動物に親切をすることによって道が拓けてくる大きな流れがあります。それは、道徳を守りなさいと受け取るよりも、動物が苦しんでいる姿を見て、かわいそうだな、助けてやろう、と思う、その気持ちが大事なのだと思います。親切な心は、世の中をあたたかいものに保つということを、口伝えの物語が教えてくれているのです。」と書いてあり、たしかにそうだと思いました。
 人を大切にとか、動物をとか、すべての生きものを大切にとか口で言うよりは、昔話を聞かせることによって、自然に大切にしなければならないということを学んでいくことが大切だと思います。あまりに道徳を教えるということよりも、昔話のなかで、意識することもなく自然に身につくことのほうが生きていく上には大切なことです。
   本の最後に、「親子鼎談・2人の息子と語る」というのが載っていて、題名が「子どもとことば」ですが、バイリンガルについておもしろい話しが載っていました。それは次男の健二さんの話しですが、「ただ、人間って、まわりで聴いている人のことを意識しているから。誰が聴いているかで、それに合わせて、その人にわかることばで喋っている。だから、人間っていうのは、相手だけじゃなく、宇宙のようなものの何かを感じながらことばを喋っているんだなあって、すごく思った。」と自分の子どもが話していることを聞きながら、感じたそうです。つまり、子どもたちが自然と言葉を覚えながら、学んでいると意識すらしないし、周りの人たちに合わせて、言葉を使い分けているということです。
 やはり、言葉というのは、早い段階から学ぶことが大切だと思いました。ただ、なかには日本人なら、先ず日本語をしっかり話せないと困るという意見もありますが、この話しを聞くと、まんざら心配することもなさそうです。
 下に抜き書きしたのは、「はじめに」に書いてあったものです。
 私は絵本になっているものも昔話と思っていたのですが、この文章を読むと、話すということがとても大切だと思いました。そのことは、この本全体を通しても何度も出てくるので、納得しました。でも、著者の弟があの指揮者の小澤征爾だとはびっくりしました。そして、『こわがることを習いに出かけた若者の話』のあとに、「P47」のエピソードをさりげなく語っています。
 そういえば、グリム兄弟もとても仲が良かったそうですから、同じような気持ちの兄弟だったのではないかと思いました。
(2022.3.25)

書名著者発行所発行日ISBN
昔話の扉をひらこう小澤俊夫暮しの手帖社2022年1月26日9784766002256

☆ Extract passages ☆

 言葉は、もともと「音」です。人間は、文字で物語を楽しむ前に、まず耳で物語を聴き、物語を楽しんできました。子どもは、親や身近なおとなの声でお話を聴いて、あたたかい時間を心の中にためていき、その声に守られていることを、知らず知らずのうちに感じながら成長していきます。そして、何かのときに思い出して、励まされたり、愛されていたことを実感したりするのです。
(小澤俊夫 著『昔話の扉をひらこう』より)




No.2045『人の心に働きかける経済政策』

 もともと経済学を学んでいたこともあり、この本の題名には、すぐに興味を持ちました。
 私たちのころは、経済学というとマクロ経済学やミクロ経済学などと分類されていて、どこに焦点を当ててみるかということでした。でも、それらの経済を動かしているのは結局は人間なので、なかなか見えにくいことは間違いありません。だから、ほとんどの経済政策が失敗したり、結果的には違う方向に進んで行ってしまうことになります。
 そういう意味では、おもしろいと思ったのはイギリスの何回泡沫事件で、あの著名なアイザック・ニュートンも巻き込まれていたと知り、びっくりしました。それは、「18世紀の英国における南海泡沫事件(1713年頃〜1720年8月18日)では、南米貿易の独占権を持つ南海会社が1713年に設立されたことをきっかけに株式ブームが生じた。新時代にふさわしい夢の事業を謳う多数の株式会社(無限運動装置開発、塩水の淡水化事業、鉛から銀を抽出する事業などなど)が設立され、値上がり期待でブームになった。1720年6月11日に泡沫会社禁止法が施行されたが、それでもブームを抑えられず、同年、8月18日に個別の会社名を列記し訴訟手続きを命じた第二次泡沫会社禁止法でついにバブルが崩壊した。この南海泡沫事件の際には、高名な物理学者であると同時に王立造幣局長官を長年つとめ、金融経済問題の有識者でもあったアイザック・ニュートン(いかにもエコンとしての合理的判断ができそうな人に思える)が、投機の誘惑に負けて大損失を被り「天体の動きは計算できるが人々の行動は計算できない」、という名言を残している。」ということです。
 この泡沫というのは「あぶく」のことで、まさに「うたかた」でもあります。あの有名な鴨長明の「方丈記」の冒頭部分の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……」というものです。
 しかも、あの万有引力の法則を発見した大先生が巻き込まれてしまったといえば、ちょっと笑ってしまう人も多いのではないかと思います。
 このようなことやあの有名な豊川信用金庫の取り付け騒ぎの顛末などが第1章に書かれていたので、ついその流れで最後まで読んでしまいました。
 また、第2章の「ヒトはどのように判断・行動しているのか」では、サンクコストの罠について書いています。このサンクコストというのは、すでに払ってしまい、取り戻せない費用のことで、サンクコストの罠というのは、「取り戻せない費用を「もったいない」と思うことで合理的な判断ができないことを指す。典型的な例は、映画館に入ったが、映画が自分の好みには全く合わない内容だった場合の行動だ。この場合、チケット代は映画を見続けても、見るのをやめても取り戻せない。このチケット代がサンクコストである。本来は、好みに合わない映画を見続けるより、自分の好きなことに時間を使った方が楽しいはずだ。だから、入場料がタダなら、すぐ映画を見るのをやめる。しかし、高価なチケットを買って入場した場合、多くの人は「チケット代がもったいない」、と思い、つい映画を見続けてしまう。これがサンクコスト・バイアスとかサンクコストの罠と呼ばれる現象である。」と書いています。
 またイギリスとフランスで共同開発したコンコルドの場合もこれに当てはまるので、この現象を「コンコルド効果」ということもあるそうです。
 たしかに、ヒトというのは、意外と合理的な判断をしないこともあり、それが経済政策を難しくしているともいえます。
 だから、この後の章は、第3章『マクロ的な社会現象へのフレーミングやナッジ』、第4章が『メインストリームの経済学の「期待への働きかけ」』、第5章『「期待に働きかける金融政策」としての異次元緩和』へと続きます。
 下に抜き書きしたのは、第6章「物価安定と無関心」に書かれていたことです。
 よく無関心はよくないといわれますが、ある意味、無関心でいられることぐらいいいことはないのかもしれません。
 久しぶりに経済学の本を読んで、私たちのころとは隔世の感があるな、と感じました。
(2022.3.22)

書名著者発行所発行日ISBN
人の心に働きかける経済政策(岩波新書)翁 邦雄岩波書店2022年1月20日9784004319085

☆ Extract passages ☆

一般の人々にとっては、物価の変化を考慮しないですむという無関心状態=物価安定、というグリーンスパンの考え方が最も自然に感じられるのではないだろうか。すでにふれたように、トイレットペーパーなどの生活必需品が買えるかどうかや、取引先銀行の経営に関心を持たなくてよい状態、心臓の鼓動の規則性や胃の痛みなどに神経を集中しなくてよい状態こそが健康で安定的な状態だからだ。正常性バイアスが破れ、神経を集中せぎるを得ない状態は人々にとって、緊張を強いるおおむね快適でない状態だ。人々がインフレ率の変化に敏感に反応せざるを得ない状態が望ましいはずはないだろう。
(翁 邦雄 著『人の心に働きかける経済政策』より)




No.2044『ボン教』

 ボン教というのを始めて知ったのは、2000年3月にネパールに始めて一人で行ったときで、その後、何度もネパールや中国雲南省、そして2015年5月に四川省の黄龍や九寨溝に行ったときには、特にたくさんのボン教という存在に触れました。そのときには、九寨溝から花湖に行く途中で真新しいボン教寺院を見たり、建設途中に出合ったりしました。
 今、このときに撮った写真を見ると、この本のなかに掲載されている「2017年に完成したキャンツァン僧院の集会堂の落慶法要」の写真にそっくりです。そういえば、九寨溝に泊まったのは寺院の宿坊みたいでしたが、もしかするとそこもボン教のお寺だったかもしれません。
 もう1つの印象は、日本の山岳宗教と同じような流れを感じたことです。これが修験道になり、明治時代には修験道廃止令により壊滅的な打撃を受けながらも神道や寺院に鞍替えし、今もその名残が色濃く感じられるところもあります。
 最後の終章のまとめで、シャルコク地域がボン教地域として生き続けることができたのは、
i 周縁的・辺境であるという地理的制約のおかげで長きにわたって伝統が守られた。
A 文革という危機においてすら、相手と闘わずに、カモフラージュさえ行いながら、ラマと経典を隠し、耐え凌いだ。
B 中国の経済成長もうまく利用しながら回復をした。
 と書いています。
 これを考えると、日本の修験道も同じで、地理的なハンデがポジティブに働いたことや、2つめの争わないという姿勢がフレキシビリティといえるかもしれません。
 それだけではなく、ボン教のアンガ・アクは髪を長く伸ばした行者の姿だったそうで、「1908年にシャルコクを訪れたフランスの軍人ドローヌは、ボン教徒と仏教徒、イスラム教徒が並んだ写真を撮影している。その写真の中で、ボン教徒とされる人物は伸ばした髪を編んで垂らしている。この写真だけからは断定できないが、当時のシャルコクではこうした行者の姿が珍しくなかったとみられる。」と書いてあります。
 日本の修験道の行者も、剃髪しない場合が多く、優婆塞の姿だといわれていて、似通ったところがたくさんあります。さらに、第2章の「ボン教の文化」に出てくるシャルコクの風景のなかで、世俗の人々が暮らす村と出家者が暮らす僧院、そして聖山との関係は、修験道行者の暮らす地域と、ほぼ同じです。もともとの行者は山里の人たちのなかで一緒に暮らしながら、半僧半俗のような生き方をしていました。そして時々は聖なる山、この辺りでは出羽三山や飯豊山、吾妻山に登り修行をしたり、村人たちの案内をしたりしていました。その行場も、ところどころに残っています。
 ただ違うのは、ボン教の場合はその集落のなかから、家族の男の子一人が僧侶になるというような規範があり、僧侶の供給源にもなっていたということです。そういえば、ネパールの奥地に行ったときに、シェルパの一人の子が僧院に入っているということで会いに行ったことがあり、その生活を見せてもらったことがあります。
 それと、うらやましいと思ったのは、儀礼や行事のときだけでなく、日常的にも世俗の人々と僧院が密接なつながりを持っていることです。私が訪ねたときも、ある農家のおばあちゃんが自分のところで獲れたものを持ってきてくれたようで、ときどきこのようにしているということでした。そういえば、ミャンマーに行ったときにも、地区の人たちと僧侶やお寺とのつながりは密接でしたが、ボン教とはそれとも違うようで、ほんとうに親しげな雰囲気でした。
 でも、昔の寺と檀家の関係も、これに近いものがあり、さまざまなつながりを持っていたようですが、戦後は葬式や法事などの儀式だけのつながりがほとんどで、困ったことがあったらお寺に相談に行くということもなくなったようです。
 この本のなかで、第8章の「ボン教のドリームヨガ」のなかに、毒についての話しが載っていて、「普通の人は毒を避けます。これは顕教に似ています。しかし、医学においては毒を薬に変えていきます。これは、密教的といえるでしょう。他方、クジャクは毒を食べてしまいます。毒を捨てることもせず、変えることもせず、毒をそのまま飲み込んでしまう。これはゾクチェン的です。」とあり、なるほど、おもしろい譬えだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第5章「ボン教教義における密教の位置づけ」の最後のまとめに出てくるものです。
 もしかすると、この本の副題「弱者を生き抜くチベットの知恵」というのは、この辺りの感覚ではないかと思いました。それにしても、日本でこのボン教の本が出るとは、考えてもいなくて、図書館で見つけてすぐに借りてきました。私自身、このボン教の出会いを振り返りながら、ゆっくりと読みました。
(2022.3.19)

書名著者発行所発行日ISBN
ボン教熊谷誠慈 編著創元社2022年1月20日9784422140308

☆ Extract passages ☆

僧院の中で集団で修行をする出家修行者たち、洞窟の中で一人で瞑想修行をする瞑想家たち、さらには、世俗社会において日常生活を行う在家者たちのために、ボン教の教えは説かれている。それらの教えには優劣は存在しない。ボン教の特質の一つは、一部のエリートだけが優遇される宗教とは異なり、弱者にも強者と同等の権利が与えられているということであろう。すなわち、ボン教は、弱者が弱者のまま社会を生き抜くための知恵ともいえるのである。
 ゾウとネズミを比べたとき、多くの人はゾウのほうがネズミよりも優れていると考えるであろう。ゾウは力強く、多くの荷物を運ぶことができる動物であると。しかし、ネズミしか通れないような穴を、ゾウは通り抜けることはできない。すなわち、ネズミはゾウにはできない能力をもっている。
(熊谷誠慈 編著『ボン教』より)




No.2043『ふしぎな日本人』

 何回か「対談もわかりやすくておもしろい」と書きましたが、今回も対談の本を選びました。副題は「外国人に理解されないのはなぜか」です。
 たしかに、海外に行くと、ちょっと戸惑うこともあり、こういうふうに考えるのは日本人だけかな、と思うこともあります。今は新型コロナウイルス感染症の影響で、なかなか海外に出かけることもなくなりましたが、こういうときだからこそ、ちょっと考えてみたいと思いました。
 それともう1つ、ロシアがウクライナに侵攻したことで、ヨーロッパと日本との対応の仕方がだいぶ違うような気がします。もともと民主主義というのは、フランス革命などで自分たちが勝ち取ったもので、日本のように戦後にアメリカなどから与えられたものではないのです。だから、ウクライナの人たちの権利が奪われそうになると、みんなで助け合いながら、それに立ち向かおうとしています。テレビなどで見ていると、避難民の受け入れなどでもボランティアの人たちの真剣さが手に取るようにわかります。たとえ着の身着のままで脱出したとしても、着物から食事、移動手段までもが無料で提供されています。
 この様子を見ていると、西欧の民主主義というのは、個人の幸せと地域全体の幸せとがイコールで、そのためには個人の権利も制限されるのは当然だといえます。ところが日本の民主主義は、個人が大切なのはもちろんですが、その個人の利益を先ず考えるので、どうしてもエゴイズムが先に立ち、個人の権利を主張し過ぎるようです。
 だから、今回の侵略に対しても、国を守ろうという気概がまったく違うように感じました。この本で、日本は今でもムラ社会を引きずっているのではないか、つまり、「欧米社会ではスノーデンやアサンジに対して、「あんたは正しい、正義だ」と言って本気で援助したり、助けるサポーターが大勢出てきます。それが欧米社会の良い部分で、命を張った正義は賞賛されて当たり前だということです。それにより欧米にはダイナミックな社会変革を可能とする原動力があるのです。残念ですが日本には、そんな勇気も正義もないんです。日本の稲作は、数千年前に日本人の定住とともに普及したと言われています。その出発点から今日まで、ずっと「まわりの目を気にしながら、みんながするように」してきたので、あえて危険を冒さないことが保身につながることを体で覚えているのだと思います。お上に対して余計なことを言わない、しないことによって飯が食べてこられて生きてこられたのです。」と書いています。
 ちなみに、スノーデンはアメリカ政府による恐るべき情報収集を告発した人で、アサンジは内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者です。今回の侵略でも、国際的ハッカー集団のアノニマスがロシアの国営放送や映像配信サービスをハッキングしたということが伝えられていますが、どこまでが本当の情報なのかはわかりませんが、ありうることです。
 これとはまったく話しは違いますが、イギリスに行った時に聞いた話しで、空港でたまたま知り合いにあったりすると、後ろに人が並んでいても平気で話し続けることがあるそうです。この本でも、「オランダの銀行では、銀行の窓口がどんなに混雑していても、用事が終わった客が銀行窓口の行員と世間話を始める光景をよく見かけました。後ろに長い列ができていてもお構いなしです。窓口の行員は、おしゃべりをやめさせようとはしませんし、後ろに並んでいる客も文句一つ言わず、じっと耐えて待っているのです。オランダに来ていたァメリカ人の友人は、 この光景を見て「アメリカでは窓口でぺちゃくちゃ関係ない話をしてたら、後ろから文句は出るし、オレも絶対に文句を言うよ」と、呆れ顔でした。自分が会話を楽しむためには、他人がどう思おうとも、その場の空気を読まないで話をし続けるのです。デンマークやオランダに限ったことではなく、ヨーロッパではごく当たり前に見られる光景です。」と書いてあり、日本人にはなかなか理解できない話しです。
 下に抜き書きしたのは、北国のお米はおいしいのはなぜかという話しです。
 じつは、今日、青森から「雪むろりんご」を送っていただきましたが、これは「サンふじ」と黄色いりんごの「シナノゴールド」です。それを3ヶ月ほど雪のなかに貯蔵したもので、その雪から自然に解けだした水分により雪室のなかは適度な温度・湿度が保たれ、採れたてに近い状態で保存されるのだそうです。
 令和3年は、約7,200個ほどこのようにして貯蔵され、糖度が増しているそうです。
 まだ、食べてはいませんが、このチラシを見ただけでも、おいしそうです。
(2022.3.15)

書名著者発行所発行日ISBN
ふしぎな日本人(ちくま新書)塚谷泰生/ピーター・バラカン筑摩書房2022年1月10日9784480074577

☆ Extract passages ☆

 北のほうでは、冷害でコメがとれないこともあったので、寒い東北でも安定して収穫できるように、品種改良をしてきて、寒さに強い品種が出てきました。現在では東北はコメどころですからね。そして、今は北海道でもコメがとれるようになっていますが、稲は寒さに当たると身を守るために実(コメ)に糖を蓄えようとするから、甘くて美味しいコメになるんです。
(塚谷泰生/ピーター・バラカン 著『ふしぎな日本人』より)




No.2042『バンクシー』

 私がバンクシーの名前を知ったのは、2018年10月のサザビーズがロンドンで開催したオークションにかけられたバンクシーの「フウセンと少女」が、1億5千万円で落札された瞬間に、額縁に仕掛けられていたシュレッダーで裁断されたというニュースだったかもしれません。
 現在、その絵は「愛はゴミ箱の中に」と改称され、さらに絵の価値が上がっているというから驚きです。副題は、「アート・テロリスト」とありますが、まさに面目躍如といったところです。
 でも、それ以前から知っていたようで、この本を読みながら、2005年の大英博物館に侵入し、勝手に展示した壁画も、イギリスに行ったときに聞いていました。3日間も気づかなかった博物館側もちょっと間抜けた話しですが、バンクシーから指摘されて始めてわかったというから、これもびっくりです。バンクシーは、危険を冒しても自分の作品を美術館や博物館に展示する理由について、「ガーディアン」2003年10月18日付けで「誰かが絵画を選択するプロセスを実際に辿ってみるのは退屈なんだ。自分自身の作品を持っていって展示する方がはるかに楽しいじゃないか。これは、間に入っている人、テートの場合はキュレーターを排除することなんだ。」と書いています。
 このテートというのは、イギリスを代表するテート・ブリテンで、テムズ川畔のミルバンク地区にある国立美術館で、私も行ったことがあります。バンクシーは、ここでも2003年に自分の作品を壁にかけて展示しましたが、そのときは接着剤の力が弱かったらしく、その日のうちに壁から落ちてしまったそうです。でも、それまでは誰も気づかなかったといいます。おそらく、そのときのことを書いているのではないかと思います。
 この本に書かれているなかで、一番おもしろいと思ったのは、 2013年10月1日から1ヶ月にわたってニューヨーク市で開催された「ベター・アウト・ザン・イン」と名づけられたプロジェクトで、10月13日にセントラル・パークでお土産物店風の露店を出して、自分の本物の作品を1枚60ドル均一で販売したそうです。この本には、「販売していたのは、帽子をかぶり、薄い色のサングラスをかけたやる気のなさそうな初老の男です。露店は、「スプレーアート」と「60ドル」と書かれた札があり、バンクシーの代表的なステンシル作品が乱雑に並べられていました。BBCの報道によれば、1枚平均3万ポンド(約300万円)くらいの作品ではないかということです。ものによっては1000万円の値がつくバンクシーの作品が7000円くらいで売られていたのでした。」と書いてあります。
 ところが午前11時に店を開けたのですが、売れたのは午後3時半、「女性客が子どもたちのためにということで2枚買ったのですが、それも2枚買うから半額に負けるという交渉の末でした。結局、夕方6時まで店を開けて売れたのは、420ドル。」だったそうです。
 この露店を出したことは、「この作品は作品を売ることが目的だったのではなく、逆に売れないことを示すことで、美術作品の商品価値が文脈によって簡単に変わってしまうことを椰楡したものでした。最初に紹介した、作品シュレッダー事件にもつながる美術市場を批判したスタントでしょう。」と結んでいます。
 それにしても、60ドルで2枚も買った女性客は、本物だと気づいたときには、そうとうびっくりしたのではないかと思います。バンクシーは自分の作品が高額になっていることに関して、「ニューヨーカー」誌2007年5月14日付けで「最近自分の作品が生み出すお金には、少し居心地が悪く感じているんだ。けど、簡単に解決できる問題でもある――単にぐちぐち悩むのをやめて、全部そのお金をどこかにあげてしまえばいい。世界の貧困についてのアート作品を作って、その売り上げを全部いただくというのは、さすがのオレにもアイロニーが効きすぎている。」と語っています。
 そういえば、日本の日の出駅付近の防潮堤でバンクシーが描いたと思われるネズミの絵が見つかり、大騒ぎになったことがありますが、著者は、断定はできないとしながらも、本物ではないかと考えているそうです。
 下に抜き書きしたのは、バンクシーのブラックユーモアについてです。
 このなかに現代美術の難解さについても書かれていますが、私は自分がおもしろければそれでよいと思っていて、理解できるかできないかなんて、どうでもよいと考えています。さらにいえば、きれいな方が好きで、あまりにも残酷なものや生々しいものは見たいとも思いません。
 そういう意味では、バンクシーの作品はたのしく見ることができます。
(2022.3.12)

書名著者発行所発行日ISBN
バンクシー(光文社新書)毛利嘉孝光文社2019年12月30日9784334044466

☆ Extract passages ☆

現代美術は一般に難解だと考えられています。興味がない人に現代美術の話をすると、「ああ、私はそういう難しいものはわからないから」という反応が返ってくることは少なくありません。多くの場合に、「わからない」という反応には「私には知識がないから」とか「教養がないから」という謙遜が付け加えられます。
 美術の専門家はそれを字義通り受け取り、現代美術について「教えよう」としたり、極端な場合は美術の鑑賞教育の必要性を説いたりしがちなのですが、実際には「私はそういう難しいものはわからないから」という発言の背後には、もっと複雑なメッセージが込められています。それは、しばしば反権威主義や反エリート主義、反スノビズム、あるいは専門的知識に耽溺するあまりにほかの知識のありかたに不寛容な人びとに対する軽蔑が含まれているのです。
 ボップ・カルチャーがユーモアとともに救い出そうとするのは、公的な言語から消されてしまっている複雑な感情の起伏です。バンクシーの人気は、このポップのブラックユーモアに支えられているのです。
(毛利嘉孝 著『バンクシー』より)




No.2041『豆くう人々』

 著者は、北海道の遠軽にある豆専門店「べにや長谷川商店」の長女だそうで、世界中の「豆くう人々」訪れる度を約10年ほど続けているそうです。この本は、2012年から2019年までの間に世界66ヶ国を取材し、そのなかから約30の国や地域を選んでまとめたものです。
 おそらく、新型コロナウイルス感染症の拡がりで、海外に行けなくなり、今まで取材した記録をまとめる時間もあったのではないかと思います。
 私も海外に行くと、市民の集まるバザールとかマーケットに行くのが楽しみで、そこに行くとその国の台所事情が垣間見えてきます。とくに印象的だったのはネパールの豆を使った「ダルスープ」で、ほとんど毎回出てきました。ホームスティしていた友人に聞くと、日本の味噌汁みたいなものだということでしたが、必ず何種類かの豆が入っていました。
 そのような体験もあり、この本を見つけたので、読むことにしました。副題は「世界の豆探訪記」です。
 この本のなかに出てくる国で行ったことがあるのは、中国とミャンマーと台湾ぐらいで、エチオピアはマダガスカルに行くときに立ち寄っただけで、空港でコーヒー豆を買いました。それがとてもおいしかった記憶があります。ここに塩味のコーヒーがあると聞き、びっくりしました。それは「エチオピアでは農村でも、1日3回コーヒーを飲む。コーヒーを淹れるのは生豆の焙煎から始まるのでちょっと時間がかかる。儀式的な意味合いもあるのかもしれない。淹れてくれたコーヒーをひと口飲んで、腰が抜けるほどびっくりした。しょっぱい!。それだけではなぃ。ギー(バターオイルの一種で高純度の乳脂肪)を入れる場合もあるというから、面食らったなんてもんじゃない。以前、世界的に大流行したバターコーヒーは、エチオピアの片田合では当たり前の飲み物だったらしい。それにしても、塩味コーヒーはカルチャーショックのみならず、わたしの味覚は最後まで受け入れられなかった。」と書いています。
 そういえば、私もだいぶ前にネパールの奥地に行ったときにバター茶を飲み、同じように思いました。つくり方は、とても興味深く、写真も撮ったのですが、いざ飲んでみると、なかなか飲み込めなくて、辛い思いをしました。こちらの願いで、せっかくつくってくれたお茶を飲まないなんていうことは許されないと思い、なんとか少しだけ飲みましたが、後は話題を変えて、知らないふりをしました。今でも、ちょっと気の毒なことをしたと思い出します。
 また、びっくりしたのは、ルピナスの種を食べるということです。花はとてもなじみがあり、よく知ってはいるのですが、食べられることは知りませんでした。この本では、「地中海原産の白花ルピナスはアク抜きの必要がなく、スペインやポルトガル、イタリアなどでは、お酒のおつまみとしてルピナスの塩茄でがよく登場する。それに対してアンデス原産のルピナスは、アルカロイドを含み苦ぃため、数日から数週間かけてアク抜きが必要となる。ボリビアなどの一部の国では"貧民の食べ物"と蔑まれている。だが、栄養学的には優等生で、タンパク質含量が42〜44%と高く、アンデス先住民の貴重なタンパク源として「アンデスの大豆」ともいうべき存在なのである。」と紹介されていて、地中海やアンデスではよく食べられているそうです。
 まさに、世界中には、思いもかけないような豆が存在するものです。この本は海外の豆をくう人たちの話なので、日本の豆はほとんど出てこないのですが、わが山形県の最上地域の「漆野いんげん」と、すぐ近くの川西町の「紅大豆」が在来種として紹介されていました。紅大豆は食べたことがあるのですが、漆野いんげんは始めて聞く名前で、もし機会があれば食べてみたいと思います。
 下に抜き書きしたのは、エクアドルで出合った首都キトから北東に100qほど離れたコタカチ郊外のインバブラ・カントンに住むホセ・マヌエルさん、38歳の話しです。著者は、彼に「なぜこんなにたくさんの種類の豆をつくっているの?」と聞くと、答えてくれたそうです。
 それがとても納得できたそうで、ここに抜書きさせてもらいます。マヌエルさんは、「豆だけでなく、販売用も含めて72種類も作物を栽培していて、買う食材といえば肉、魚、塩、調味料くらい。食べるものには、ほとんど困らない生活を送っている。基本、タネは自家採種だが、日曜日に開かれるタネの交換会で、豆以外にもトウモロコシ、じやがいもなどの穀物、野菜のタネも入手して、定期的に更新しているようだ。」というから、なんか日本の昔の農家みたいです。
 たしかに、タネもある程度、新しいものに更新していかないと、品質や収量が落ちてくるものもあります。まさに、経験の積み重ねの生活です。
(2022.3.10)

書名著者発行所発行日ISBN
豆くう人々長谷川清美農文協2021年12月15日9784540211072

☆ Extract passages ☆

「豆は毎日食べるからバリエーションがほしい。それにいろいろな種類を栽培する方が虫が付きにくいし、凶作に備えて品種のバリエーションが多いに越したことはないからね」とマヌエル。なるほど多品種をつくることは、栽培上のリスク分散も兼ねているのだ。
(長谷川清美 著『豆くう人々』より)




No.2040『非接触の恋愛事情』

 新型コロナウイルス感染症が拡がり始めてから、マスクをしたり手洗いうがいなどはもちろん、さらには相手と適度な距離をとるソーシャル・ディスタンスや外出自粛など、直接触れ合う機会が激減しました。会社でも時差出勤やリモート会議、テレワークなど、人流抑制、アクリル板の設置、黙食など、今まで当たり前のようにしていたことができなくなってしまいました。
 このような状況下で、若者たちはどのように暮らしているのかとか、その恋愛事情はなどと考えていると、たまたま図書館でこの本を見つけました。この本は、短編プロジェクトが編集し、7名の作家、つまり相沢沙呼「拝啓コロナさま」、北國ばらっど「仮面学級」、朱白あおい「過渡期の僕らと受け入れない彼女」、十和田シン「ああ、鬱くしき日々よ!」、上遠野浩平「しずるさんと見えない妖怪〜あるいは、恐怖と脅威について〜」、半田畔「グット・ローカス」、柴田勝家「アエノコト」の小説集です。
 もともとは、「JUMP j BOOKS公式note」2020年7月〜2021年9月に配信された作品に、書き下ろしの「拝啓コロナさま」を加えたオリジナル文庫だそうです。
 この書き下ろし作品が、特に私はおもしろかったというか、興味を引きました。なるほど、コロナも禍だけでなく、福と考える人もいるのだと改めて考えました。この主人公は、小学校も中学校もクラスの仲間外れにされ、ばい菌扱いされてきたそうで、学校にも通えなくなった、つまり不登校です。しかし高校進学と同時に新型コロナウイルスの拡がりで、マスクをしなければならなくなり、顔の表情もあまり見えなくなり、笑い方が気持ち悪いとか陰気だとか、誰もいう人がいなくなったそうです。この本では、「わたしは、みんなに散々陰気だと罵られてきたこの表情を、マスクで覆い隠すことができる。そのことに、誰も疑間を抱かない。当たり前だ。もうみんなマスクを付けていて、そうではない人間の方が非常識な世界なのだから。だから、もう誰もわたしのことを見て顔を顰めたりはしない。笑い方が気持ち悪いとか、陰鬱な空気が怖気立っとか、そんなことを言う人はもう誰もいない。アサヒ菌で散々騒いでいた同じ中学校出身の子たちも、もっと恐ろしいウイルスを目の前にして、あの菌の存在なんて忘れ去ってしまっていた。世界に恐ろしい脅威が蔓延する代わりに、わたしを襲う脅威は呆気なく消えてしまった。」と書いています。
 そういわれれば、たしかにそうで、このコロナ禍の時代にはいままでは不自然とされてきたことでさえも、まさに正反対のことになってしまうこともあります。
 たとえば、今までは不登校だと隣近所でも目立ったのですが、みんなが登校できなければ、それが当たり前になります。考えてみれば、すべての生活習慣を見なおさざるをえなくなったようです。
 とても不思議だったのは、柴田勝家さんの「アエノコト」という小説で、まさに非接触の夫婦生活です。ちょっとだけ引用しますと、「ちなみに非接触同棲のルールは三つ。お互いの部屋には人らないこと。対面する時は事前に相手の許可を取ること。会話は付箋に書いてすること。最後の一つはLINEとかじゃ味気ないから、っていう彼女の発案だ。」とあり、まさに非接触そのものです。顔を合わせることもないのですから、これで生活といえるかどうかも問題ですが、逆に考えれば、それらが夫婦生活には大切なことだということです。
 結果を書いてしまうとおもしろくないのですが、同棲から結婚して、さらに赤ちゃんも生まれました。それでも、いくつかの非接触は残り、赤ちゃんを世話するのも一人ずつというのも味気ないような気がしました。
 下に抜き書きしたのは、この本の編集者がコロナ禍で恋愛事情も変化するのではないかと思いこの連載を企画したそうで、そのときの文章の一部です。
 ここに載っていたのですが、「コロナ禍になり恋愛をすることが難しくなったと感じますか?」という質問に、「とても感じる」と「少し感じる」を合わせて60.2%の人たちが感じているそうです。おそらく、新型コロナウイルス感染症の収束もあまり見通せない状況では、このままの状態が続けば、それが当たり前に近い状態になりそうで、少し不安です。
(2022.3.7)

書名著者発行所発行日ISBN
非接触の恋愛事情(集英社文庫)短編プロジェクト 編集英社2021年12月25日9784087443349

☆ Extract passages ☆

「コロナ禍の時代に生きる以上、生活様式の変容は避けられないと言います。
 エンターティンメントにおける重要な要素、恋愛もまた、変容は免れないでしょう。
 学校は、男女の出会いが生まれるイベントに満ち満ちた空間だったが、今後はどうか。酒場で隣り合った男女が恋に落ちることは、果たしてこれから先ありえるのか。
 きっと将来、この災厄は克服されるはずだと思います。しかし疫病が去ったあと、人と触れ合う、出会うことは、2020年の春より前と同じでしょうか。どうもそうは思えない。
 アフターコロナの時代、どんな恋愛ならありえるのか?
 その答えを少しでも探るため、今回『アフターコロナの恋愛』をテーマにした短編小説を、気鋭の作家に依頼しました」
(短編プロジェクト 編『非接触の恋愛事情』より)




No.2039『ヒトの壁』

 この本は、月刊『新潮』2020年7月号から12月号、2021年2月号の「コロナの認識論」などに連載したものに加筆訂正しまとめたもののようです。でも、今のコロナ禍を著者はどのように考えているのか興味があり読み始めました。
 先ずは現在の新型コロナウイルス感染症についてですが、「ヒトとウイルスの、不要不急の関係がいかに深いか、それはヒトゲノムの解析が進んでわかったことである。ヒトゲノムの四割がウィルス由来だとする報告を読んだことがある。その四割がどのような機能を持つか、ほとんどまったく不明である。むしろゲノムの中で明瞭な機能が知られている部分は、全体のニパーセント足らずに過ぎない。つまリヒトゲノムをとっても、そのほとんどが不要不急である。それはジャンクDNAと呼ばれている。ジャンクの方が量的にはむしろ大半を占める。そういうことであれば、要であり、急であることが、生物学的には例外ではないのか。ジャンクDNAについても、遺伝情報を担うという枠の中では機能がない。しかし別の枠組みの機能があっても、何の不思議もない。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 勝手に「不要不急」といわれても、人それぞれの考え方で違ってくるのは当たり前です。全て一元的に解釈するのはおかしな話しです。ヒトゲノムだってたくさんのジャンクDNAがあって、そのジャンクといわれているものであっても、もしかするととても大切な機能があるのかもしれません。
 こういう考え方は、人々を統制しようと考える人たちにとっては、あまり好ましいものではないかもしれませんが、みなそれぞれに心に秘めています。ただ、口に出すか出さないかの違いです。
 また、おもしろいと思ったのは、ウィルスの大きさとヒトの大きさを比較するという考えです。最初のころの新型コロナウイルスの画像は、なぜかおどろおどろしたようなもので、いかにも地球外から来た雰囲気でした。ほんとうにこれに罹ったら怖い、という恐怖心にかられるようでした。でも、著者のように、そのニュースに出てくるアナウンサーの大きさと比べてみると、えぇっと思うほど小さなものです。著者は、「ウィルスがあの大きさで見える倍率の顕微鏡で、アナウンサーを見たら、どのくらいの大きさになるだろうか。私の概算では、百万メートル、千キロの桁に達する。」といいます。
 これでもなかなか直感的にはわかりにくいのですが、ウィルス1個の細胞をヒトの細胞と比較すると100mほどの立体になるそうです。ということは、ウィルスとヒトを比べると、地球以上の大きさになるというから、もう比較もできないぐらいです。まちがっても、同じテレビ画面には収まりきれないほどの違いです。
 そういえば、最近の新型コロナウイルスの画像は、最初のころと違って、普通の細胞のように見えますから、見慣れてきた感もあります。ただ、昔のスペイン風邪のときには、そのウィルスも見えなかったのですから、やはり脅威です。それが電子顕微鏡の発明で可視化できるわけですから、科学技術の進展は素晴らしいものがあります。
 この本では、あまり書いてなかったと思うのですが、父親が4歳の頃に亡くなられたとか、母親が小児科医でありながら、著者は違う小児科医で診察してもらったり入院したりしたことなどが書いてあり、それも興味深いものがありました。そのつながりで、第8章の「ヒト、猫を飼う」というのは、著者の生き方からするとあまり思いつかないことのようですが、こんなにも猫といっしょに生活できるとは驚きでした。何もしない、という生き方も、それはそれで有意義なのかもしれないと思いました。
 ただ、ヒトそれぞれでしょうが、骨になっても猫といっしょにいるというのは、私にはちょっと考えられません。
(2022.3.6)

書名著者発行所発行日ISBN
ヒトの壁(新潮新書)養老孟司新潮社2021年12月20日9784106109331

☆ Extract passages ☆

学者の世界では「新しい」発見が重視される。私はベつに「新しい」考えを提出したいなんて思っていなかった。なにを考えていたかというと、こうした学者の世界とくに自然科学の研究で当然とされる考え方と、日常の生活での考え方のズレがなんとも気になっていた。そのズレが「考える」ための動機になっていたと思う。大学での研究生活を辞めてもはや三十年近くになるから、その動機は消えたに近い。ただ社会の中で、その種のズレは相変わらず存在している。そこが気になって、それで本が書けるのである。
(養老孟司 著『ヒトの壁』より)




No.2038『忘却の野に春を想う』

 題名からすると、ひな祭りにでもあいそうな名前ですが、読んでみると、まったく違っていて、どちらかというと国家権力や自然の猛威との戦いのようなアナーキーな雰囲気をもった本です。
 この本は、姜信子さんと山内明美さんとの往復書簡というかたちで、2018年12月14日から2020年12月29日までの日付けがあります。姜信子さんは奈良に住み、山内明美さんは宮城県仙台市に住み、お互いに行ったり来たりの交流をしながら自分の想いを伝えています。
 本の題名の『忘却の野に春を想う』は、慶尚北道大邱生まれの詩人、李相和の「奪われし野にも春は来るか」からとられたもののようで、彼は1901〜1943年に生きて、植民地下の人々の悲哀をうたい、朝鮮民衆の心を代弁しようとした詩人です。そして朝鮮プロレタリア芸術同盟にも参加したそうで、この詩のなかにある「私は全身に陽射(ひざ)しをうけ 青い空 緑の野の合わさるところへ 髪の分け目のような畦をつたい 夢の中をゆくごとく 歩きつづける」という最初の書き出しに、東日本大地震と福島第1原発事故が起こる前の福島の風景を見るようでした。
 それが10年も経つと忘却の野になりつつありますが、事故処理はまだ途に就いたばかりのようで、50年とか60年とか、もしかするともっともっとかかるかもしれない気の遠くなるものです。だからこそ、忘れてはならないことなのです。
 この本を読んで思ったのは、明治初期の神仏分離令の発布で廃仏毀釈運動が起き、今まで信仰してきたものをあっという間に変えざるをえなかった先人たちのことです。火で焼いてしまう、川に流してしまう、土に埋めてしまう、先ずは自分たちの前から強制的に消してしまうことで、一般大衆は時間とともに忘れていけたでしょうが、営々と護ってきた立場の人たちにとっては、どのようにして納得していったかと考えると切ないものがあります。いや、納得はできなくてもそうせざるを得ない強い力のまえに、嫌々でも従ったのかもしれません。私の蔵書のなかに、「明治維新 神仏分離資料 全5巻」がありますが、読んでいるだけで「なぜこんなことが?」と絶句してしまいます。
 姜信子さんの「あとがきにかえて」のなかで、祈りについて「ことさらにそのための時間を取って、手を合わせて祈らずとも、無になって命の糧をつくっている時間、それ自体が祈りなのでした。暮らすこと、生きること、命をつないでいくためのささやかな積み重ね、それこそが祈りなのでした。祈りというのは人の命と同じように、土によって育まれるもののようにも思われました。それぞれの風土にそれぞれの花があり草や本があり、(酵母も風土の賜物だ)、それぞれの言葉があり、歌があり、踊りがあるように、祈りもまたそれぞれの風土の、それぞれの暮らし、日々の営みの中で、命に謙虚に誠実に生きてゆく体とともに育まれるものなのだと思ったのでした。」と書いてありましたが、おそらく神仏分離のときにも、外向きは政府のやり方に従いながらも、心の奥底では、それに順応しない反骨の思いがしっかりと残っていたのではないかと思います。やはり、それが生活の中での祈りです。
 姜信子さんの手紙のなかに、「山内さんの言うとおり。近代国家というのは確かに「排他的な愛」で貫かれています。排除される他者、在日とかアイヌとか障がい者とかハンセン病者とか難民とか、あるいは地域まるごと沖縄とか水俣とか福島とか……、いやなことだけど、「排他的な愛」というやつは、一見かなり分かりやすいですね。それが罠なんですね。自分はそこには当てはまらない、これは他人事だと安心している者たちにも平等に、排他的な愛はますます暴力的に降り注いでいるというのに、それを見えなくさせる。」と書いてますが、いわゆる仮想敵国と同じように味方をまとめるには好都合なやり方のようです。
 下に抜き書きしたのは、山内明美さんの落ち込んだときの打開法のひとつです。山内さんは宮城教育大学教育学部准教授ですから、ここに出てくる学生はそこの学生ではないかと思います。
 これは私もよくやるのでわかりますが、植物の種を蒔くと、気長に待つしかありません。たとえば、シャクナゲだと、花が咲くまでは10年以上もじっと待つしかありません。気が長くないと続かないけど、結果ははっきりと花が咲くことでわかります。
 そして、山内さんは、「百姓の子どもとして育った自分は、タネを蒔けば、芽がでて、花が咲いて、結実してくれることのなかで、人を信じることを学んだように思います」と「あとがきにかえて」で述べています。
(2022.3.4)

書名著者発行所発行日ISBN
忘却の野に春を想う姜信子・山内明美白水社2022年1月10日9784560098776

☆ Extract passages ☆

 わたしは時々、ちょっと落ち込んだ時なんかに、何でもいいから種を植えるってことをやります。そうすると、だいたいの種は1、2週間くらいで芽がでてくるでしょう。その頃には、自分が何に思い悩んでいたのかを忘れているんですが、種が芽生えて、うまくいけば花が咲いて、結実してくれたりすると、小躍りします。子どもの頃、やたらといろいろ植えましたが、芽がでる喜びって、自分にとってはえらく大事な経験だったと思っています。それでよく、学生には「しんどい時は種でも蒔いてね」って言っています。
(姜信子・山内明美 著『忘却の野に春を想う』より)




No.2037『アウシュヴイッツ生還者からあなたへ』

 今、この本を読んでいるときに、ロシアがウクライナに侵攻をしています。今朝のニュースでは、ウクライナに侵攻しているロシアとウクライナの代表団が昨日28日、ベラルーシ南東部ゴメリで初めての停戦協議を終えたそうです。しかし、お互いの主張がぶつかり合っただけのようですが、双方が近く次回協議を実施することで合意したことはとてもよかったと思います。
 ただ、戦争というのは、なかなか落し所がなく、つい泥沼化しやすいので、お互いが自制するしかないようですが、著者が最後の証言をしたトスカーナ州ロンディネ村にある「平和の砦」はこれらを考えるときに、最適なところです。というのも、ここは「紛争を起こした国の若者同士、あるいは国内で対立関係にある若者同士が寝食をともにしながら対話を重ね、未来の平和を築く場所として1997年に創設された。最初に招かれた若者たちは、激しい戦争を繰り広げ、多くの血を流したロシアとチェチェンの出身者だった。若い世代の力を信じ、彼らの歩みを後押しするように証言を続けていたセグレさんが、未来を託す場としてこれ以上にふさわしい場所はなかったといえるだろう。」と訳者の中村秀明さんは最初に書いています。
 さらに訳者は、直接、最後の証言をされたリリアナ・セグレさんに電話インタビューをされたとき、「隣人愛を考える前に、憎悪を世の中からなくすことを始めなくてはいけない」と話しますが、戦争というのはこの憎悪がさらに憎悪を生むということの繰り返しです。さらに、「無関心は暴力そのもの以上に暴力的であり、世の中を動かす力がある」ともいいます。自分自身も、死ぬ宣告をされたいっしょに働いていたジャニーンに、声も掛けられなかったことを今でも恥ずべき振る舞いをしたとして重く記憶に残っているといいます。
 でも、戦争というのは、人を人の心をなくさせてしまうもののようで、そうでなければ人を殺すということはできません。今回の報道で、ロシア兵が思いのほか苦戦しているのは、戦争の大義名分がなく、戸惑っているからではないかという報道もありました。
 先ほど取りあげた「平和の砦」では、ロシア人とチェチェン人の若者が同じ部屋で最初はなかなかなじめず、同じ洗濯機で衣類を一緒に洗うことを嫌がって拒絶したそうですが、ルールではすべての若者は下着を含めた衣類をいっしょに洗うことになっていたので、従わざるを得なく、この洗濯部屋が「偏見や憎悪を洗い落とし、対話と理解の道を歩み出すための場」になっていたと書いてありました。さらに食事も大切で、「一日三回の食事をともにするのは、とても重要な経験です。雑談をしながら、多くを学んだ。そして食後の皿洗いの時間も大事でした」とあり、相手を理解するにはとても大切なことだと感じました。
 この本は、リリアナ・セグレさんが14歳で体験した収容所でのことを伝えていて、その語り部としての最後、90歳のときの話しをまとめたもので、とても筆舌に堪えないことも述べられています。だからこそ、これからもこのようなことのないように、伝えていかなければならないと強く思います。そして、一人でも多くの方に、このような本を読んでいただきたいと思います。
 下に抜き書きしたのは、「死の行進」ののちにたどり着いたドイツ北部のマルヒョー収容所で春を感じたときの印象です。
 その後、数日でドイツが戦争に負け、生きることができましたが、おそらく、それ以降も季節の移ろいに励まされたのではないかと思います。
 私たちでも、今年の冬は大雪で屋根の雪おろしから道路の雪片付けなどで大変でしたが、もう、春の目の前まで来ているようです。3月3日は桃の節句ですから、その桃が咲くぐらいの季節がやって来ます。
(2022.3.1)

書名著者発行所発行日ISBN
アウシュヴイッツ生還者からあなたへ(岩波ブックレット)リリアナ・セグレ 著、中村秀明 訳岩波書店2021年11月5日9784585330011

☆ Extract passages ☆

 そのマルヒョー収容所では、もう働かされることはありませんでした。しかし、食べ物はろくにありません。体は弱って、もはや何も感じなくなっていました。戦争があのまま続いていれば、ナチスが手を下さなくても私たちは死んでいったでしょう。そのくらいに弱り、死にかけていたのです。
 それでも、ここでは素晴らしいものに出会いました。小さな敷地の先、鉄条網の向こうに野原があり、本々が茂っていました。そこに春の訪れを見つけたのです。春の始まりが、私たちの心に喜びを運んでくれました。新緑を楽しみ、自然に思いをはせる喜びを感じることができたのです。戦争があろうと、街が破壊されようと、人がどんな悪い行いに手を染めようとも、自然の営みは左右されることなく、その歩みを止めないのだと気づきました。木々の枝に新しい緑が芽吹いていました。
(リリアナ・セグレ 著『アウシュヴイッツ生還者からあなたへ』より)




No.2036『コロナ後』

 先のアカデミックの世界でも、こちらは「ハーバード知日派10人が語る未来」で、元NHK局員で、現在は作家でコンサルタントの佐藤知恵さんがインタビューしてまとめたものです。
 第1章はマルコ・イアンシティの「日本企業にはAI時代を勝ち抜く独自の方法がある」、第2章はレベッカ・ヘンダーソンの「今こそ公正でで持続可能な社会を実現するチャンスだ」、第3章サンドラ・サッチャーの「コロナ後の世界では「信頼」こそがキーワードになる」、第4章ジェフリー・ジョーンスの「渋沢栄一が世界的に評価される理由」、第5章リカルド・アウスマンの「技術革新に成功すれば日本経済は大きく飛躍する」、第6章ウィリー・シーの「21世紀のリーダーに不可欠なのは科学技術の知識だ」、第7章ラモン・カザダスス=マサネルの「コロナかの東京ディズニーランドから世界が学ぶべきこと」、第8章リンダ・ヒルの「社内に眠る能力を結集すれば「集合天才」を生み出せる」、第9章エイミー・エドモンドソンの「危機下のリーダーに求められる「謙遜の精神」」、第10章はマイケル・タッシュマンの「「両利きの経営」が未来を切り拓く」の10人です。
 この他に章の最後に、「2030年の展望」が載っていて、とても参考になります。
 このインタビューは、ほぼすべてがオンラインで行われたそうで、このような時期だからこその話しが多く、しかも、編著者によると教授陣がキャンパスでお目にかかったときよりもリラックスした雰囲気だったそうです。ということは、いろいろな話しを多く引き出せたかもしれないので、オンラインもいいこともあると思いました。
 たとえば、第1章のマルコ・イアンシティ氏の話しのなかに、「モデルナが今回のワクチン設計に要したのはわずか2日と伝えられています。このような短期間での設計が可能になった理由は主に2つあると思います。1つは「mRNAワクチン」の特性です。 mRNAワクチンは、ウイルスの表面にあるタンパク質(スパイクタンパク質)のゲノム配列を解析し、そのデータをもとにmRNAを人工的に合成し、脂質でコーテイングして、製剤化します。つまり、ウイルスの表面にあるタンパク質の遺伝情報さえ解析できれば、短期間に設計することが可能です。もう1つはモデルナが2010年の創業以来、一貫して「mRNAワクチン」を開発してきたことです。モデルナにはすでにmRNAワクチンに関する豊富な知識と技術が蓄積され、mRNAプラットフォーム」もありました。こうした背景から、新型コロナウイルスの感染が確認されたとき、すぐにウイルスのゲノム配列を解析して、ワクチンの設計にとりかかることができたのです。」とあり、それまではワクチン開発には5〜10年もかかると聞いていたのになぜ早かったのかが理解できました。
 しかも、モデルナだけでなく、歴史のある大企業のファイザーについても、なぜ迅速にワクチン開発できたのかに触れていて、それぞれに興味深く読みました。
 おそらく、この新型コロナウイルス感染症をワクチンや治療薬の開発でそれほど心配することはなくなるかもしれませんが、まったくなくなることは考えにくく、いわばインフルエンザのように共存していく可能性もあります。そうなれば、以前の生活スタイルを見直さざるをえなくなりますが、いままでパソコンの有効活用を何度も取り上げられながらもできなかったのに今では小学生たちもリモート授業をしています。だとすれば、北海道で暮らしながら、1ヶ月に1度程度東京に出張しながらでも仕事を続けられる職種もありそうです。
 そうなれば、企業の意識も違ってきて、従業員からも消費者からも信頼されなければ生き残れなくなります。第3章のサンドラ・サッチャー氏によれば、人々は次の4つの要素を見て、企業を信頼するかどうか決めているといいます。それは、
(1)コンピタンス(能力)=自分が期待する製品やサービスを提供しているか
(2)動機=自社の利益だけではなく、社会全体の利益のために事業を行っているか
(3)手段=公正な行動をとっているか
(4)影響=社会によい影響を与えているか
 ということです。今まではコンピタンスだけを満たせばよかったのですが、これからはそうではないないようです。
「信頼される企業」になるには、これらの4つをすべて満たすことが大切です。一般的には(1)を満たす企業、つまり期待する製品やサービスを確実に提供する企業が、信頼される企業だと思われていますが、それだけでは不十分なのです。
 下に抜き書きしたのは、第6章のウィリー・シー氏の「21世紀のリーダーに不可欠なのは科学技術の知識だ」のなかに出てくる話です。
 これを読んで、そういえばマクドナルドなどのフライドポテトが販売停止になった要因がこれではないかと思いました。やはりサプライチェーンが機能しなくなれば、意外なところにその影響が出ます。やはり、現在進行形のパンデミックは、これからも相当影響するのではないかと思います。
(2022.2.28)

書名著者発行所発行日ISBN
コロナ後(新潮新書)佐藤知恵 編著新潮社2021年11月20日9784106109317

☆ Extract passages ☆

 このサプライチェーンを構成する1社が操業停止になったりすれば、それが仮に3層日、4層目の会社であったとしても、サプライチェーン全体が機能しなくなってしまいます。すべてのサプライチェーンを組み直さなくてはならない。これが現在のパンデミック下でおこっていることです。またコロナ禍で海上貨物輸送費も急騰しています。安い労働力をもとめて国外で製造しても、輸送費が高ければ、割にあいません。これまで国外生産が経済的だったのは、人件費に加え、輸送費も安かったからです。それが高くなれば、サプライチェーンを大幅に見直す必要が出てくるでしょう。にもかかわらず、なぜいまも多くのグローバルメーカーが国外で製造しつづけているかといえば、パンデミック下で代替サプライヤーを見つけられていないからです。2020年に世界中から中国企業への発注が急増したのも、他の国のサプライヤーが仕事を受けられなかったことが要因です。
(佐藤知恵 編著『コロナ後』より)




No.2035『すばらしきアカデミックワールド』

 副題が「オモシロ論文ではじめる心理学研究」で、表紙絵もちょっとユニークで、どのような論文を取りあげているのか興味がありました。
 読み始めると、このようなマニアックな論文があるのだと感心したり、これでも論文なのかと半分あきれたり、それなりにおもしろく読み進めました。たとえば、最後の方に載っているもので、アメリカのマサチューセッツ州のブロンクトン在郷軍人局病院の行動治療法ユニットに所属するデニス・アッパー氏がJournal of Applied Behavior Analysisに投稿した『ライターズブロックの一事例:うまくいかなかった自己療法』で、タイトルと著者名に続いて空白のスペースだけが続いて、その空白の真ん中に「REFERENCES」という単語だけがぽつんとあるだけだそうです。しかも、査読済みの論文だそうで、さらにこの研究は追試もされているというから驚きです。これが論文といえるかどうかですが、落語家が高座に上がって何も話さず、お囃子の音で下りてくるようなものです。
 もちろん、なるほどという論文もあり、たとえば、「ファーストクラスの存在は攻撃行動を促進する」という論文は、ありえる話しです。これはデュセルとノートンの研究ですが、おもしろいのは「このような効果はニコノミークラスの乗客が機体の前方から搭乗するかどうかとも関係しており、その搭乗の場合のほうがトラブルが多かったのである。これは機体の前方から搭乗するとファーストクラスの座席を通ってエコノミークラスに移動する必要があり、より階級の違いが顕在化しやすいからではないかと考えられた。ちなみに分析 はロジスティック回帰分析によって行なわれており、トラブルの数を従属変数、その他の要因(たとぇば、シートピッチやキャビンサイズ、路線など)を独立変数として分析している。エコノミークラスのトラブルはフアーストクラスが存在することや、機体前方からの搭乗(ファーストクラスを通ってェコノミークラスに行く必要がある)で増加した。シートピッチやシートの広さはトラブルと関係していなかった。ついでだが、データを詳細に見てみると、飛行機が遅れるに従ってトラブルが増加すること(イライラするからだと思われる)や、なぜかカリブや中央アメリカと北アメリカを結ぶ便では、トラブルが多いこともわかった。」そうです。
 私は、ファーストクラスの座席を通ってエコノミークラスに移動しても、よく同じ距離を飛ぶのに何倍も高いお金を払うものだと思うだけですが、なかにはそう思わない人たちもいるということです。でも、ありえない話しではなく、路線によっても違うところが国民性の違いなのかもしれません。
 私はほぼ毎日お抹茶を飲んでいますが、この本には、長生きする職業として茶人の研究ものっています。この研究は、サダカタら(Sadakata, Fukao & Hisamichi,1992)で、「1980年の裏千家の名簿に掲載されている東京在住の50歳以上の女性の師匠(registered as teachers)3380人を10年間追跡調査した。このうち、280人が追跡期間中に死亡した。日本全国、あるいは東京に住む同年代の女性の死亡率から考えると、この集団における死亡率の期待値は、512.4(日本全体)、あるいは、493.9(東京)であるので、この死亡者数は、全国平均や東京都平均に比べて有意に少なく、裏千家の茶人は長生きすることが示された。」と結論づけています。
 たしかにお茶そのものも身体によいし、生徒をもっていれば若い人たちと触れ合う機会も多いので、精神的にも張りを以て生活できそうです。私が知っているお茶の先生たちも、みな長生きですから、たしかにそのような面もありそうです。
 下に抜き書きしたのは、それらの論文が本当に妥当なものかどうかを見抜く具体的な方法についてです。そういえば、論文のデータの捏造や改変があったというニュースをみますが、研究者だからそのようなことが絶対にないわけではありません。
 この本のなかに、「倫理学者は図書館の本を盗みやすい」という論文がありましたが、倫理学というのは人間の行動における道徳性や正義について研究をしている人たちです。その人たちが図書館の本を盗むというのは、いくら考えても理解できません。しかし、論文にも載っているそうですが、紛失に関する調査では、非倫理学書とほとんど倫理学者くらいしか借りない本と比較すると、紛失率は1.5倍、さらに別な研究では2倍にもなったというから驚きです。
 この本は、へたな落語本よりも楽しい読みものです。
(2022.2.26)

書名著者発行所発行日ISBN
すばらしきアカデミックワールド越智啓太北大路書房2021年12月20日9784762831775

☆ Extract passages ☆

@ポストホックなストーリーづくり
 探索的に実験して、たまたま得られた結果について、はじめからそのような結論を仮説として設定したように論文を構成する。
Aデータの選択
 収集したデータの一部分のみ(とくに有意差が認められた部分のみ)を報告し、他の部分(従属変数や独立変数を合む)を意図的に報告しない。
B恣意的なデータ収集の中止
 継続的にデータを収集し、有意差が出るまで繰り返す。あるいは有意差が得られたところでデータ収集を停止する。
C外れ値の恣意的な削除
 思いどおりの結果にならない方向に外れているデータを意図的に「外れ値」として削除する。
(越智啓太 著『すばらしきアカデミックワールド』より)




No.2034『絵の旅人 安野光雅』

 安野光雅さんは2020年12月24日に亡くなられましたが、この本は安野産との思い出を語る人たちを、伊藤元雄さんが編集したものです。
 私も『ふしぎなえ』などが好きだったので、どのような方々と交流があったのかと思い、読み始めました。やはり出版関係の方が多いのですが、普通にはなかなかわからない分野なので、興味深く読みました。
 安野さんの絵本は、あまりよくは知らないのですが、アメリカの編集者で評論家のレナード・S・マーカスさんの「『ABCの本』は視覚的な重層構造になっており、彩色もデザインも絶妙だった。遊び心いっぱいでスマートで、少しばかりミステリアスでもある。この絵本は、文字の形を書き言葉の積み木というメタファーで表現し、またコミュニケーションを人間の性(さが)にとって不可欠な要素という哲学で表現している。安野はこういったことをひとつも言葉を用いずにやってのけたのだ。」というのが、的確に評価しているように思いました。まさに絵本は言葉が少ないので絵で訴えかけることも多く、絵は世界共通言語でもあります。だからこそ、このような深い洞察ができたのかもしれません。
 また、安野さんは、(株)紫野和久傳会長の桑村綾さんによれば、生涯に4千点余の絵画と、何百冊という本を残されたそうですが、それでももし、「仕事がなくなったとしたら、どうなるんだろう。何をするんだろう」と自問し、やはり「そうしたら、やっぱり一人で絵を描いているだろうね」(『のこす言葉』平凡社)と書かれているそうです。
 つまり、本当に好きな絵と出会い、それを仕事にして94歳の死の間際まで全うされたわけですから、幸せとしかいいようがないのではないかと思います。しかも、私たちと違い、これらの絵や本は、これからも生き続けるわけですから、ほんとうにすごいことだと思います。
 それから津和野安野光雅美術館長の大矢鞆音館長の話しのなかに、安野さんが「名人の碁は、はじめいくつかの布石がなされると、あとは棋士の考えというよりも、石に心があるかのように、石を置く必然の場所がつぎつぎに照らし出されてくる。タピエスの場合も、はじめに置いたひとつの形が形を生み、つぎつぎと絵の成り行きを決めていくのだと思っていい。それは頭の中に住み着いている何ものかが、タピエスの意思を操っているかのように思える」と語っていたといい、さらにアントニ・タピエスの作品について、「落書きのような筆の痕跡までが、絵になっているというのはうらやましい」と話したことがあったそうです。
 ということは、おそらくそのように見えていたということは、自分のなかにもそのようなひらめきがあったのではないかと私には思えました。
 下に抜き書きしたのは、IBBY講演記録集のなかの「自然は芸術を模倣するか」というなかに書かれていたもので、「絵と窓」についての話しです。
 安野光雅さんは、「絵がわからない」という人に対して、「絵は窓だ、と考えればいい」と話していたそうで、窓から外の世界を眺めるように、絵という窓からそこに描かれた世界をのぞくのだといいます。
 そう考えると、たしかに絵の変遷の流れが少しだけわかったような気になりました。
 私からも、ぜひおすすめします。
(2022.2.24)

書名著者発行所発行日ISBN
絵の旅人 安野光雅伊藤元雄 編ブックローブ社2021年12月5日9784938624286

☆ Extract passages ☆

 絵は、むかし、天国や地獄や、神話の世界をのぞかせてくれました。
 あるときは、記念すべきできごとを、いつでも思い出すことができるように、王様や、勇者のために描かれたこともありました。
 時がたって、風景画というものが生まれ、文字通り外の風景にむかってひらく窓となったこともあります。
 そして、遠近法が発見され、絵具も改良され、技術も進歩して、今日の写真と同じか、あるいはそれ以上に写実的になって絵という窓が、本物の窓と大差がなくなったときに、人々は「この窓はどうもおかしいぞ」と気がつきはじめます。
 美術の歴史は、本物の窓を志向して進んできたはずだったのに、かえって「こんな窓がほしかったのではない」と思いはじめたのです。
(伊藤元雄 編『絵の旅人 安野光雅』より)




No.2033『はじめての茶箱あそび』

 今日は「2」が6つも並ぶ日で、しかも少しずつ春めいたように感ずる日もあり、この本を選びました。
 私が習っているお茶の流派には、「茶箱」の手前はないのですが、持ち運びしやすいものにお茶を点てるための必要最小限度の道具を入れて、旅に持ち出します。たとえば、海外だと、頑丈なプラスチックの保存容器にぴったり合うような茶碗を入れ、そのなかにお抹茶と茶杓を入れて持って行きます。以前は、茶碗も現地で探したのですが、中国だと気に入ったものが手に入る場合もありますが、他ではなかなか見つからず、困ったことがあります。それとお菓子はなるべく現地調達を心がけていますが、どうしてもない場合には、日本から持って行った一口羊羹を食べます。
 国内だと、和菓子が手に入らないところはないので、その地方に昔から伝わるような銘菓を見つけて、それでお茶を点てて、いただくのが楽しみです。
 この本を読んでよかったのは、今までは自分流の茶箱遊びしか知らなかったのですが、茶筅を茶筅筒に入れて持って行くのも素敵だと思いました。今までは、茶筅が入ってきたプラスチックの容器にそのまま入れて持っていったのですが、この茶筅筒を使えば、絵にもなります。お抹茶を点てる場合に絶対必要なのはこの茶筅とお抹茶ぐらいです。茶杓は、忘れていったときに、プリンを食べるためのプラ匙を使ったこともあり、茶碗もなければどんな容器でも代替えできますが、茶杓だけは他のもので代用はできませんでした。
 それと、茶巾筒もあればきれいだし、楽しそうです。また茶杓は自分で削りますが、竹の茶杓筒に入れて持って行くと割れそうなので、ついそのまま持って行きますが、有職布の茶杓入れにいれれば、それも楽しそうです。
 著者の茶箱の5原則は、@「ちゃんとお茶が点つか」、A「清潔であるか」、B「テーマは何か」、C「どこで点てるか」、D「誰に点てるか」、だそうです。このなかで私が大切だと思うのは、「清潔であるか」と「どこで点てるか」です。お茶は飲むものですから、やはり清潔でなければ困ります。までどこで点てるかによって、当然道具組みも違ってきます。せっかく野外でお茶を楽しむのに、あまり豪華で華奢な道具では、壊す心配もあり、その場にも似合わないと思います。そう考えれば、どこで点てるかによって、持って行く道具も決まり、ゆっくりと楽しめます。
 そこで、オークションサイトで、この茶箱を検索したら、良さそうなものがいろいろと出てきました。でも、私は入れ物だけを見繕って、その中に入れる道具は、一つずつゆっくりと楽しみながら集めていこうと思っています。先ずは、和三盆糖が入るような口の広い振出しがほしいです。
 あっ、そういえば、10年ほど前にインドを一人旅したときに見つけた、金属製の小さな小箱があったはずで、先ずはそれを使ってみようかな。だとすれば、今まで旅先で買い求めた品々を見立てで使うのも楽しそうだと気づきました。
 下に抜き書きしたのは、ページの次に書いてあったもので、いわば茶箱あそびのすすめ、みたいなものです。
 たしかに、このようなお茶は、気楽なものですが、だからこそ難しいと考える人もいます。私の場合は考えずにしていますが、この本のなかのいいところだけを真似して、楽しみたいと思います。
 私からも、ぜひおすすめします。
(2022.2.22)

書名著者発行所発行日ISBN
はじめての茶箱あそびふくいひろこ世界文化社2017年3月30日9784418173105

☆ Extract passages ☆

「茶箱」とは抹茶を点てる道具一式を入れた小箱、どこでもお茶が楽しめる便利なアイテムです。日々の暮らしの中での一服、旅先での一服、友人宅の鍋パーティにも持ってゆけます。そして、本格的な茶会だつてできてしまいます。あなたも茶箱を組んで、自分だけのお茶時間を楽しんでみませんか。
(ふくいひろこ 著『はじめての茶箱あそび』より)




No.2032『いのちは誘う』

 副題が「宮本隆司 写真随想」とあり、どのような視点で写真を撮っているのだろうかという素朴な思いで読み始めました。すると、第1部「見るためには闇がなければならない」では、写真の視点というよりは、写真そのものをいわば哲学的にとらえたような文章で、「カメラ・オブスキュラ」や「パノラマ館」というのは始めて知りました。
 また、ピンホールカメラというのは知ってはいましたが、そこから見えてくるものにはあまり関心もなく、また、そのピンホールカメラのなかに入り込むというのも意外でした。
 それでも第2部の「いのちは誘う」は、両親の生まれた島、徳之島のことを描いているので、これは随想かな、と思いながら読みました。そして、お父さんの名前が宮本寛隆といい、まさか自分の父親と同じ名前とは、びっくりしました。でも、もともとの苗字は宮本ではなく、宮寛隆であったそうで、この一字苗字から二字苗字にかわった由来がとても興味深く、このことは「一字姓だった宮に本がつけられた」に詳しく書かれています。もし、興味のある方は、ぜひこの本で読んでほしいと思います。
 さて、第1部「見るためには闇がなければならない」ですが、ここには、人間の眼もカメラも同じように闇がないと見えないといい、くわしく説明をしています。その部分を引用すると、「人体の内奥は暗闇である。その闇に光を導き入れるための二つの球体が眼球である。球体内部に闇が保たれた眼球は、前面にレンズとなる角膜に覆われた水晶体があり、透明な硝子体で理まっている。水晶体レンズを通過した光が限球の内面にある網膜上で像を結び、光を感ずる視細胞に知覚され、神経信号となって脳に伝わる仕組みになっている。感光材料となるのは受光装置である眼の網膜と、認識と記憶装置としての脳である。逆さま裏返しになった左右二つの画像が脳に送られ、画像処理され認識されると、そこで「見ること」が成立する。人がものを見るためには、闇と光と、感光材料として眼の網膜や脳が必要なのである。眼という受光装置が機能するためには、光とともに闇が必要なのである。物理的な必然といっていい。」と書いています。
 たしかに見るためには、眼があって光がなければ見ることはできないが、さらに厳密に言うと、闇がなければみえないというのは、眼そのものの構造からいっても必要だといいます。なるほど、普通は気づかないのですが、カメラマンだからこそ、その闇の重要姓に気づいたといえるのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、第1部「見るためには闇がなければならない」の「受動としての写真」に書かれていたものです。
 じつは、私も何度かこのような受け身の写真だと思えるような体験をしています。たとえば、2015年5月18日から29日までの中国四川省の旅で、黄龍や九寨溝などの写真をたくさん撮ってきました。ところが2017年8月8日、九寨溝県でマグニチュード7.0の大地震が発生し、大きな被害を受けたそうです。すぐにネットで調べると、情報が錯綜していて、正確なことはほとんどわかりませんでした。おそらく、誰も九寨溝には入れなかったのかもしれません。しばらくしてから、中国の知り合いから入った情報によると、九寨溝の「火花海」などが決壊して、湖水が干上がってしまい、湖底も見えているといいます。
 私たちが泊まったチベット族のお寺の宿から、歩いて「火花海」に行ったのですが、そのときは青々とした樹林のなかに、エメラルドグリーンなどの複色の「火花海」の湖面が朝日にキラキラと輝いて、透き通って見えました。ところが、その後はどのようになっているか詳しくはわかりませんが、もし、まだ湖水が干上がっているとすれば、あの幻想的な風景を見ることができません。
 この本を読んで、そのときに写した九寨溝や黄龍の写真を見なおしましたが、その写真を見るかぎり、あの2015年5月22日に撮ったその風景がまだ残っていますが、現実にはそのときの風景は四川省の九寨溝にはありません。まさに写真も一期一会です。
 だとすれば、これからも出合った風景を、このときの1枚として、大切に撮ろうと思いました。
(2022.2.21)

書名著者発行所発行日ISBN
いのちは誘う宮本隆司平凡社2021年8月4日9784582231311

☆ Extract passages ☆

 よく誤解されるんですけど、写真はハンターのようにものを狙って撮るんだというふうに思われがちですけど、決定的なところでは、光景を受け入れる、光を受け止めるという、うけ身の部分があるんです。
 撮るまでに非常にアクティブになにかを追っかけて、ということはあるかもしれない。しかし、写真の最終的な、像を感光材料に反応させるときは、受け身なんです。その受け身であるという状態のときに、ある時間――動かしようのない時間といえばいいか――が刻まれる。その操作できなさ、時間の動かしようのなさが写真にはありますね。
(宮本隆司 著『いのちは誘う』より)




No.2031『日々のきのこ』

 この題名からして、おそらくきのこに関するいろいろなことが書かれているものと勝手に想像して、さらに表紙のきのこのイラストが人格化されているのもおもしろいと思い、図書館から借りてきました。
 ところが、聞いたこともないキノコの話しで、ホコリタケを「ばふんばふんと踏んで歩く仕事を「ばふ屋」と呼び、正しくは「地胞子拡散業」というとあり、聞いたこともないので広辞苑で調べてみるとまったく出てなくて、それからネットで調べると、「バフ研磨のバフとは、ステンレスを研磨する時に使う研磨道具のこと」とありました。
 つまりバフというのは、英語の「buff(=磨いて輝かせる)」からきているそうで、それは綿、フェルト、ウール、スポンジでつくられており、そのバフを回転させステンレスに当てることで表面を削ったり磨いたりするそうです。だから、この本に出てくる「ばふ屋」というのは現実の世界にはなく、著者の空想から生まれたものだと知りました。さらに読み進めると、「108型粘菌」というのがあるらしく、それに寄生された人間は、1年に1回だけ空を飛べるようになると書いてあり、これはきのこを題材にした空想小説だと気づきました。そのことがはっきりわかるまで、「108型粘菌は体表に付着し、寄生主の汗と老廃物を養分に活動するが、内臓は侵さない。比較的安全で共生可能な粘菌とされるが、100系統の粘菌の特性として、神経に強く接続してしまうので、あらゆる感覚器がこれに左右され、さらには脳にまで影響が出る。粘菌の考えや意識などは知れないものの、なんとなく、自分に寄生している者たちの総意のようなものが伝わってくる。雨が近いと機嫌がよい。大方は陽の下が嫌いである。ある種の菌人とはひどく相性が悪い。やたらにこの世界がうとましくなる日もあって、それは粘菌の何割かが死減して新たな組織と交代するときらしい。」という話しにも、半信半疑ながらとてもおもしろいと思っていました。
 この本には、「所々のきのこ」、「思い思いのきのこ」、「時々のきのこ」の3編が載っていて、この話しは最初の「所々のきのこ」に載っていたもので、この本に載っていた著者の略歴をみると、1985年第1回幻想文学新人賞を受賞したそうです。ということは、これも幻想文学のひとつかと思い、納得しました。
 でも、最後に書かれていた参考文献もきのこや菌類の数々の本が掲載されていて、さながら研究論文のようです。そういえば著者も東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程を修了していて、博士号を持っているそうです。
 だからといって、書いてある内容が正しいわけではなく、あくまでもあり得ないような話しだったので、とうとう「所々のきのこ」だけ読んで、本を閉じました。こういうときには、図書館から借りてきて読むと、軽く踏ん切ることができます。しかも税込み2420円もするので、自腹で買ってきて読んだら、もしかして無理をしてでも最後まで読み切ったかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、ばふ屋についての記述で、いかにも本当にあるかのように書かれています。
 この辺りまでは、なぜかありそうな気がしていましたが、これからさらに読み進むと半信半疑になり、そして幻想的だと思うようになりました。
(2022.2.19)

書名著者発行所発行日ISBN
日々のきのこ高原英理河出書房新社2021年12月30日9784309030159

☆ Extract passages ☆

「ばふ屋」と呼ばれているが、正しくは「地胞子拡散業」、一応は行政機関にも登録のある職業で、ただし専業者はいない。季節労働者に分類される。毎年秋になると、森へやってきて、 ホコリタケのたぐいを踏んでまわる。それによって地方公務員の一箇月分と等しい給与を役所から得る。
 といって人の役にたっているとも思えない。昔から行われてきたので、なぜ必要なことなのかわからない。慣習である。だがこの「きのこ踏み」を行うとより多く菌が拡散し、きのこが繁茂する。
(高原英理 著『日々のきのこ』より)




No.2030『昭和の名短篇』

 節分が過ぎると、少しは時間的なゆとりが出て、こういうときには小説でも読んでみようと思います。
 そして、手に取ったのがこの『昭和の名短篇』で、収録されているのは「灰色の月」志賀直哉、「草のいのちを」高見順、「萩のもんかきや」中野重治、「橋づくし」三島由紀夫、「軍用露語教程」小林勝、「水」佐多稲子、「おくま嘘歌」深沢七郎、「一条の光」耕治人、「明治四十二年夏」阿部昭、「神馬」竹西寛子、「ポロポロ」田中小実昌、「泥海」野間宏、「葛飾」吉行淳之介、「百」色川武大、の14編です。
 ところが、かつて読んだことのある小説は一つもなく、知らない作家もいて、それなりに一気に読みました。
 なかには、私が育った時期と重なる部分があったりして、そうそうと思った箇所もいくつかありました。また、戦争が絡むものもあり、わからないまでも、そうかもしれないと感じるものもありました。
 たとえば、中野重治の「萩のもんかきや」は、この題名からだけではなにがなんだかわからなかったのですが、だいぶ昔、萩の窯元を訪ね歩きたいと思ったことがあり、その街の様子がとても気になりました。そして、夏蜜柑の砂糖漬けが出てきて、そういえば萩の出身者からお土産にいただいたことを思い出しました。そして、最後のところで、「――戦死者の寡婦で「もんかきや」だということが、その「もんかきや」という仕事が、機械も動力も使わない全くの手仕事だということが、また紋つきの紋をかくというその商売が、女の鼻が西洋人のように高いだけにつらいものに見えてくる。「もんかきや」―― 言い方が古いだけ、その分量だけ逆にあたらしい辛さがそこからひびいてくるようにも思う。」という箇所を読み、萩の古さやあの夏蜜柑の砂糖漬けの甘さが際立つように感じられました。
 長編小説を読もうとは思わないのですが、もう少し、時間的なゆとりでもあれば、小説も読んでみたい、その小説のなかに没頭してその世界にすっぽりと入り込みたいと思いました。そういえば、中学生のころ読んだのはほとんどが小説で、大学生になり専門書を読まなければならなくなり、卒業してからは自分の仕事に関わるような本を読むことが多くなりました。
 でも、第一線からリタイアした今、また中学生のころのように次々と小説を読んでみたいと思いますが、部屋にはまだまだ読んでいない本が積んであるので、それを読んでからになりそうです。
 下に抜き書きしたのは、吉行淳之介の「葛飾」の最後のところの文章です。
 いくら整体の先生でも、癌治療の名のある先生でも、ケガや癌になることはあります。とは考えながら、ある一方では、もしかすると大家ならそうならないのではないかという期待もあります。そういえば、太宰府八幡宮の息子さんが書かれた本を読んだことがありますが、受験のときにすごいプレッシャーがあったといいます。まさか、受験の神様のお膝元にいて不合格では困ってしまいます。
 そういう意味では、生きる義務とか責任なんてまったくありませんが、生きてほしいという願望はあるような気がします。
(2022.2.17)

書名著者発行所発行日ISBN
昭和の名短篇(中公文庫)荒川洋治 編中央公論新社2021年11月25日9784122071339

☆ Extract passages ☆

 歩いて五分のところに大邸宅を構えている整体の先生が亡くなった。その後、間もなく、葛飾の先生が亡くなったという噂が届いた。二人とも、年齢は七十代の前半だった。
 あれだけ居丈高に振舞った大邸宅の先生は、せめて八十歳まで生きる義務……、というか責任がありはしまいか。それは、葛飾の先生のほうも同じ立場だとおもうのだが、しかし、違う気もしてくる。
(荒川洋治 編『昭和の名短篇』より)




No.2029『視覚化する味覚』

 この本の題名を見たときに、そういえば最近は何でも写真を撮ってSNSでながすので、当然ながら食べものも視覚化せざるをえないと思って読み始めたら、そのような単純な話しではありませんでした。副題が「食を彩る資本主義」で、その歴史的背景から描き始めていました。
 とくに興味を引いたのは、スーパーマーケットの出現により、お店の人からいろいろなアドバイスをもらいながら買いものをすることはなくなり、客がみずからカートを引いて食品棚から選ぶようになったことで、新鮮さやおいしさなどを視覚的にアピールすることが重要視されるようになったということです。そこに食品の着色料の普及が加速し、そしてセロファンでラッピングするようになり、視覚以外の情報を得ることが難しくなったといいます。
 このセロファンは、1908年にスイス人化学者ジャック・ブランデンバーガーによって開発されたもので、木材パルプ(セルロース)から作られたもので、ブランデンバーガーは「セルロース(cellulose)」とギリシャ語で透明を意味する「ダイアフェイン(diaphane)」を合わせた造語から「セロファン(cellophne)」と名づけたそうです。もちろん、その当時のセロファンはいろいろな欠点はあったそうですが、そのしばらく後には「パッヶージ越しに見えるようになった商品は、食品のありのままの(あるいは「自然な」)姿のようでありながら、実はそれは入念に作り出された姿であった。セロファンは、透明なフィルムを通して中身を見せているだけでなく、パッケージ内の湿度や空気をコントロールすることで、野菜や肉など生鮮食品の見た目や新鮮さを長持ちさせるよう開発されたものだからである。よって、見せる包装は、見えないコントロールによって成り立っていたのだ。」と、著者は書いています。
 たしかに、どんな商品でも、見栄えがよくなければ客は手にとってくれません。しかし、世の中は皮肉なもので、その見栄えのなかに隠されたものがマスコミなどで暴露されたり、時代が自然に帰れというようになると、「自然」や「有機」などという言葉が注目されるようになってきます。
 最近はフードロスなども問題になり、下に抜き書きしたようなSNSが極端になれば、ただ写真を撮るためだけに食べもしない料理を注文するという事態になります。この本でも取りあげていますが、2019年8月に大阪のレストランで人数分以上の料理を注文した客が、大量の料理を写真に撮り、8割以上の料理を残して帰ったそうです。この問題は、お金を支払えばよいという単純なことではありません。食には農家の方々だけでなく、それらを加工したり流通させたりと多くの方々が関わっています。その過程を踏みにじるような大きな問題です。
 この時期、私は「訳あり」のデコポンを買っています。もともとは農家の方たちが市場などで規格外とされたものを、味はほとんど同じなのに捨てられるということで、買うことにしたのです。何度か買っていますが、安いし、大きさがまちまちなので、そのときの腹の空き具合で選んで食べています。ときには、とんでもなくおいしいものが混ざっていたりして、選ぶ楽しさもあります。そして、フードロスに少しだけでも貢献していると思うと、いい気持ちです。
 この本のなかにはコラムが3編ほどあり、そのひとつに「和菓子の美学」があり、「和菓子は五感の総合芸術である」といいます。そして、これは「和菓子の老舗「虎屋」16代店主、黒川光朝氏の言葉である。和菓子は、味や香り、見た目はもちろんのこと、舌触り、そして名前(菓銘)の響きといった、五感を通して楽しむ「芸術」で、季節感や自然、時代・時節の移り変わりなどを感じ取ることのできるものだという。」と書いてありました。
 ほぼ、毎日、お抹茶を点て、和菓子を食べているので、まさに私自身も実感しています。
 下に抜き書きしたのは、最近のSNSなどに見られるように、おいしそうと思うものより、「見栄え」というか、「おもしろい」というか、ある種の「盛る」ことが多くなってきている状況を捉えています。
(2022.2.15)

書名著者発行所発行日ISBN
視覚化する味覚(岩波新書)久野 愛岩波書店2021年11月19日9784004319023

☆ Extract passages ☆

SNSの写真には、日常の記録や思い出の保存というだけではなく、むしろそれ以上に、ユニークな見た目であることが求められる。よって映える被写体というのは、単に綺麗な色をしているとか、撮影者がおいしそうと思うものというよりは、多くの人の目にとって「面白い」ものということになる。それはSNS写真独特の美学である。佐藤卓己が論じるように、こうした写真は、見栄えを優先させる一方、被写体・素材の事実性は軽視されがちである。つまり、「データ素材としてどのような加工もできるデジタル写真は、記録のメディアというより表現のメディア」となったのである。
(久野 愛 著『視覚化する味覚』より)




No.2028『数えないで生きる』

『数えないで生きる』って、年齢を気にしないで生きるという意味なのか、それとも他と比較しないということなのか、いろいろと考えて、考えているより読んだほうがいいと思い、図書館から借りてきました。買うわけでもないのに、読もうとするとだいぶ考えてから借りてくることが多いようで、自分でも不思議です。
 この答えは第2章「本当に大事なことを考えるためにはじっくり問題と向き合い、考え抜かなければならない」の「数えないで生きる」にありました。この章は「立ち止まる私」とあり、自分が本を選ぶときと同じだと思い、苦笑いしました。
 サマーセット・モームは、次のように言っているそうで、「あまりに時間がかかるというので若い時は避けるような仕事にも、老年になると造作なく取りかかれるものである、と。これは普通に考えられていることと反対である。老人は人生に限りがあると考えて、大きな仕事に着手しようとしない。他方、若い人は自分の前に長い人生があるので、大きな仕事でも手がけると考えられるが、実際には、老人と違って若い人の方が時間が十分あっても、人生に限りがあることを、直面する仕事に取り組むことを回避するための理由にする。なぜそうなるのか。若い人は数えるからだ。老人は残りの人生が短いことを当然のこととして受け止めているので、数えないのである。手がけた仕事が完成しなくても、それも想定内である。そのことで誰からも責められることはないだろう。若い人であればそうはいかない。時間はあったのになぜ途中で仕事を投げ出すのかといわれかねない。」と書いています。
 たしかに、数えてしまうとできなくなるかもしれません。だとすれば、数えなければいいのかというと、若いときにはなかなか難しいのではないかと思います。というのは、受験にしろ、社会に出てからも数えなければならないことはたくさんあり、そのなかで生きていかなければならないのです。
 そういえば、この話しを読んで気づいたことは、年を重ねないとわからないということです。私の知り合いに、90歳を過ぎても山野草の種子を蒔いている方がいて、おそらく花を咲かせるまで5年以上はかかります。だとすれば、自分でその花を見ることができるかどうかはわからないのですが、それでも毎年種蒔きをします。そういえば、蒔くという漢字は、草冠に時と書きますから、種を蒔くということは、時間のかかることです。このサマーセット・モームの話しを聞いて、なるほどと思いました。そして、私も還暦を過ぎたあたりから、あまり時間を考えないですることが多くなったような気がします。
 この本のなかに出てくる伝説上の盗賊プロクルステスの話しは、「捕らえてきた旅人を寝台に寝かせる。そして、もしも身長が寝台よりも短ければ、頭と足を引っ張って引き延ばし、長ければ寝台からはみ出た足を切り落とした。この話に即していえば、理解するというのは、自分の寝台に合うように人を伸ばしたり切ったりすることである。たしかに理解(寝台の長さ)に「合う」かもしれないが、このようなことは対象を自分の都合のいいように合わせただけであつて、理解したことにはならないだろう。理解するというのは、寝台の長さに合わせることではない。そうではなく、対象をあるがままに認めなければならない。」とあり、他者を理解するときには心しなければならないと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第2章「本当に大事なことを考えるためにはじっくり問題と向き合い、考え抜かなければならない」に書いてあったもので、なるほどと思いました。
 これは数えないで生きるというよりも、時間そのものを止めてしまおうということで、たしかに一理あります。ただ、いつまでもその時間のなかにいるわけにはいかないので、それから先はどうするかという問題もあります。でも、幸せというのは、そう思うことが大切で、あまり考えないということも必要です。
(2022.2.12)

書名著者発行所発行日ISBN
数えないで生きる岸見一郎扶桑社2021年2月11日9784594087142

☆ Extract passages ☆

 まず、これから起きることについて、ただ起きるに任せ自分では何もしないというのではなく、自分が何とかできることはないか考えることである。対人関係についていえば「影の面」を見るのではなく、「光の面」を見るように努めなければならない。
 次に、幸せなことが続いた後に、その幸せな時間をふいにするような不幸なことが起こったとしても、両者には因果関係はないということを知らなければならない。幸せなことが続いたので不幸なことが起こったのではない。反対に、不幸なことが続いたので、次は幸せなことが起こるということはない。それぞれの出来事はただ起こるのである。
 第三に、人は今においてしか幸福であることはできないのだから、今幸福を感じているのであれば、なおさら先のことを考えてはいけない。先に不幸な出来事が起こりそうなので今楽しめないのではなく、今、心から楽しまないために先のことを考えて不安になるというのが本当である。
(岸見一郎 著『数えないで生きる』より)




No.2027『一万円選書』

 この本を見て、単純に1万円もする選書という本と勘違いしました。よく見ると、1万円で本屋さんが選んでくれる本を送ってくれるということでした。でも、本というのは、自分で読みたい本を自分で選ばなければおもしろくないのではないかと思い、なぜ選んでもらうのか不思議でした。
 この本を読んでいるうちに、いろいろな理由で自分の読みたい本を選べない方もいるということを知りました。私の場合は、1冊読むとそのつながりの中から次に読みたい本が何冊か出てくるし、新聞などで書評が出ると、それも読んでみたいと思い、たえず読みたい本が目の前にあります。だから、誰かに本を選んでもらう必要もないのですが、この本を読んでいるうちに、もしかすると、自分が選んでいる本に偏りがあるのではないかとか、それでも自分が好きで読んでいるのだからそれは当然だと思ったり、いろいろと本について考えることができました。
 それでも、この本を読んで、ここで紹介されている本の何冊かは読んでみたいと思い、それを抜き書きしてノートに書きました。
 つまり、自分が勝手に選んでいるばかりでは、読書の幅が広がらないし、それでもいいと考えてしまうと、おもしろそうな本と出合う機会も少なくなるのではないかと思いました。おそらく、この1万円選書を申し込む方のなかにも、私と似たような考え方の人もいるような気がします。
 私も著者と同じように、学生時代から本が好きで読んでいて、この本には「本の世界がおもしろいのは、読めば読むほど自分は何も知らなかった!ということに気づかされることです。僕は69年生きてきてこれまで1万冊くらいの本を読んできたけれど、それでもまだまだ知らないことがあって、読むたびに驚かされます。」と書いてありましたが、おそらく私も1万冊以上は読んでいると思います。そして、いつもいろいろな世界があるものだと感心させられます。
 そういえば、本屋さんとも親しかったので、その仕組みを聞いたことがありますが、この本のなかで、流通を担う「取次」についても「必要な機能ではあるのですが、いわた書店のような売り上げ規模が小さい町の書店はそのシステムの網日からこばれてしまうこともあるんですね。取次業者は、出版社から本を仕入れて、全国の書店に「配本」します。つまり新刊や雑誌、話題の本は、書店が注文しなくても、過去の売り上げデータを見て、取次業者から決められた部数が送られてくる。送られてこない場合もありますよ。するとどうなるか。たとえばお客さんから新刊の注文があっても、入ってこない。なぜなら、配本がないから。注文を受けたのにお客さんに届けられない本が、札幌や旭川の大型書店に積まれてあって、非常に悔しい思いをするわけです。逆に配本でたくさん入ってきた商品を積んでも売れない。お客さんが求めている本、本屋として売りたい本に関係なく、取次から送られてきた本をただ並べるしかできない。配られた本を並べてお金にかえて、売れなかったら返本する。自分に主導権がないんです。それでは仕事にやりがいは見出せない。「おまえの代わりはいくらでもいる」と言われているような気がしました。」と書いてありました。
 たしかに、この通りでは本屋さんとしてのおもしろみは少ないと思います。本が好きであればあるほど、やりがいは見いだせないでしょう。この本のなかに、「本屋のお客さんは「消費者」ではなく、「読者」です。本は消費されるものではなく、読者の傍らに立って励ましてくれるもの。本屋の使命は、作家が命を削って書いたおもしろい本を必要としている読者に届けていくことなのです。」とあり、このような考えの本屋さんこそ、本屋さんだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「僕はこうやって本を選ぶ」に書いてあった言葉です。
 私もだいぶ前に、テレビを見ているのと本を読んでいるのとでは、どの程度覚えているか実験みたいなことをしたことがあります。本は比較的時間が経っても覚えていますが、テレビは2週間もするとあまり覚えてなくて、1ヶ月もするとほとんど記憶に残っていませんでした。それ以来、本は毎日読みますが、テレビはほとんど見なくなりました。それから50年以上は経っていると思いますが、そのころ読んだ本の内容もおぼろげながら覚えています。
(2022.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
一万円選書(ポプラ新書)岩田 徹ポプラ社2021年12月6日9784591172087

☆ Extract passages ☆

僕自身もよくテレビ取材を受けたりラジオに出演したりするんですが、テレビは「秒」単位、ラジオは「分」単位、そして本は「年」単位なんですね。時間の流れが。中にはすぐに陳腐化してしまうものもありますが、100年の時を超えて燦然と光り輝く「言葉」を体現する名著があるのが、本が本たるゆえんなのでしょう。
(岩田 徹 著『一万円選書』より)




No.2026『茶の湯日和』

 節分が過ぎ、立春を迎えると、太陽の光もほんの少し春めいてくるような気がします。そこで、お茶関係の本でも読んでみようと取り出したのが、この本です。副題は「うんちくに遊ぶ」ですが、いろいろなところに掲載していたものを、たとえば「お一人様のお茶」は文藝春秋、「かたちとこころ」は清流出版、「うんちくに遊ぶ」は山陽新聞、「茶の湯日和」は「孤峰―江戸千家の茶道」に載せていたそうです。
 それでも比較的新しいコラムから選ばれたようで、とても興味深く読みました。たとえば、毎年、ある方から中津川のすやの「栗きんとん」を送っていただくのですが、その話しもここに載っていました。それは昭和37年の秋に浅草の伝法院で叔母さんが大寄せの茶会を開いたとき、著者もお手前をしたそうですが、注文していたその「栗きんとん」が時間までに届くかどうかとても心配していたと書かれています。たしかに、今と違って宅配便があるわけでもなく、どのようにして運んでもらったかは書いてなかったのですが、とても珍しく大好評だったと記しています。
 それに引き替え、現在は京都のお菓子屋さんからでも翌日には届くので、ある意味、有難みは少なくなってきているかもしれませんが、私もよく利用しています。
 そして、ほぼ毎日、夕食後にお抹茶を点てて飲んでいますが、新型コロナウイルス感染症が広がってから、お茶会もないので、夫婦で楽しんでいます。この本には、300年ほど前にできた『南方録』という本のなかに、「お茶とは「朝、薪をとり湯をわかし、茶を点てて、仏に供え、人にもほどこし、自分も飲む」ということである、と書かれている。人事なことは、自分も飲むことである。」とあり、自分自信で楽しんだり飲むことも大切だと思いました。
 そういえば、小野川温泉に日本一たくさん独楽を作る工房がありましたが、なぜこまを「独楽」と書くのか不思議でした。この本では「人の手で強く回転が与えられるものの、いったん手を離れれば、独楽はひとりで勝手に動く。……まるで、ひとりで気ままに楽しんでいるようだ。そんな境地でいられたら、どんなによいか、と思う気持が、独楽の文字を与えたのであろう。と書いています。
 たしかにそういわれれば、そのような気もしますが、その後に、「千利休は晩年、独楽庵という茶室をつくった。床柱に小間の茶室には不似合いな巨大な材を使った。大阪の長柄川にかかってぃた橋柱の古材である。おそらく、独り楽しむという意味と、心棒にあたるような巨大な床柱がある席を、独楽に見たてたのだと思う。」と書いてあり、利休が晩年に独楽庵(どくらくあん)という茶室を作ったことも知らなかったが、俗事から離れて、一人楽しむということもあったのではないかと想像すると、お茶というものの深さを感じます。
 下に抜き書きしたのは、「うんちくに遊ぶ」のなかの「結ぶ」というところに書いてあったものです。
 お茶の世界でも、桐箱にかかる真田紐を結んだり、茶器の仕覆のひもを結んだり、さらには茶壺の飾り紐のような複雑なものまであり、飾り結びも美しいものです。まさにこのムスビも連想が広がっていきます。
(2022.2.7)

書名著者発行所発行日ISBN
茶の湯日和熊倉功夫里文出版2012年8月11日9784898063897

☆ Extract passages ☆

 生命というものを考えると、結ばれる前は形がなかったのに、結ばれると日に見える形となって姿をあらわしてくる。つまり形のないものに形を与えることも「ムスブ」ではないかと思う。水には形がない。しかし両の手のひらで水をすくってやると、水に形ができる。水を掬(むす)ぶ、という言葉も「ムスビ」と関係ありそうだ。おむすびコロリンの「おむすび」は、水を結ぶ時の手の形でご飯を結ぶのではないか。連想はいろいろ広がっていく。
 結ぶという言葉の中には「ゆわえる」という意味が加わる。ぎゅっと口を締めることは「一文字に口を結ぶ」などと表現する。結ぶことは締め切ること。結んでしまったら最後、外からはなかなか中に入りこめない。邪悪な神やケガレを締めだすために、ここからは入れないと境界線を結んでやる。これが結界である。
(熊倉功夫 著『茶の湯日和』より)




No.2025『背筋がスッと伸びる日本語』

 背筋が伸びる日本語って、なんだろうと思ったのが、この本を読むきっかけでした。たしかに、格調の高い日本語というのはあると思いますが、それはあくまでも使い方であって、むやみやたらに使えるわけでもなさそうです。だとすれば、読んでみるしかありません。
 それでも、このままの言葉で使うには、ちょっと勇気がいるばかりではなく、使う相手だって考えてしまいます。たとえば、孫に使ったら、今は令和の時代だよ、といわれそうです。しかし、その意味するところは大切なことばかりで、その使う人の心意気だけはわかるような気がします。たとえば「一意専心」という言葉ですが、「命がけで」というよりは悲壮感はなく、「一生懸命」というとあまりにも一般的でなかなか伝わらないかもしれません。似たような言葉に「一心不乱」ということもありますが、これもちょっと大げさなような気がします。
 私だったら、もっとかみ砕いて、「一つのことに集中して取り組む」といいます。これだと相手に宣言するということは伝わらないかもしれませんが、自分がやることを相手に強く宣言することもないというのが私の考えです。相手に認めてもらうことも大切なことですが、先ずは自分の気持ちを一つにして、仕事も他のこともやっていれば、他人はだんだんと認めてくれると思っています。もし、それで認めてもらえなければ、それだけの話しで、相手の問題です。
 この本のなかで、「量稽古」というのがありますが、これはなるほどと思いました。昔、山登りをしていて、毎週のように山に行っていると、だんだんと見えてくる風景が違ってきます。おそらく、山に登る数が多くなればなるほど、体力もつき、自信も出てくるし、いろいろとできることも増えてきます。この本では、「量稽古」とは、それをやることに意味があるかを考える前に、まずは徹底的に「量」をこなしてみることの大切さを教える言葉です。質より量と考え、とにかく実践する。不器用に量をこなしつづけるのです。「量稽古」を行った者だけに見えてくる世界があります。「量稽古」を実践した者だけに持てる言葉があります。そして、その人の言葉には重みが出てきます。」と書いてあり、自分の今までのことを思い出しながら読みました。
 この本のなかで始めて知ったことですが、「宮沢賢治の有名な詩、「雨ニモマケズ」は、彼の死後、トランクの中から発見された手帳に書きつけられていたものでした。人に見せるためのものではなく、自分自身への励ましのメッセージだったのです。その中の一行「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」。個人的に大好きな言葉です。」ということです。
 いわれてみれば、たしかに詩の締めくくりで「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書いています。
 下に抜き書きしたのは、「陰徳あれば陽報あり」のなかに出てくる言葉ですが、タネを蒔くというときの、「蒔く」という文字の説明もなるほどと思いました。
 この蒔くという漢字は、草冠に時間の時と書きますが、蒔かれた種が芽を出し大きく育つのには時間がかかります。今の時代はすぐに結果を出せないと成果が見えないといいますが、成果が出るまでには時間のかかるものもたくさんあります。たとえば、ノーベル賞を受賞するような研究は、まさに一生をかけての時間です。そして、受賞するまででも数十年もかかるのが普通です。
 だとすれば、この「事実+ありがとう」も、言い続けることが大切で、それを蒔き続けることに意義があり、それも「量稽古」につながるのではないかと思いながらこの本を読みました。
(2022.2.4)

書名著者発行所発行日ISBN
背筋がスッと伸びる日本語西村貴好サンマーク出版2021年12月15日9784763139405

☆ Extract passages ☆

 特に感謝を伝える言葉として「事実+ありがとう」は、とてもおすすめの表現です。
 たとえば、「いつも的確なアドバイスをありがとう」「会議でフォローしてくれてありがとう」などと伝えます。人は、自分が誰かの役に立っていることを実感したい、感謝されたいものなのです。
「事実+ありがとう」、この事実は、小さな事実の方がいいと思ってください。
 相手の行動という小さな事実が、誰かの役に立っているのだと伝える「事実+ありがとう」は、最高のプレゼントになります。
(西村貴好 著『背筋がスッと伸びる日本語』より)




No.2024『次の角を曲がったら話そう』

 この本は、TBSラジオで毎週月曜日から木曜日まで朝8時半から11時まで生放送の番組のなかで、木曜日の9時半頃に放送する「伊集院光とらじおと放哉と山頭火と」のコーナーに投稿されてきた自由律俳句を取りあげたものです。
 まさに尾崎放哉も種田山頭火も自由律俳句の世界では代表者ともいうべき方々で、それを番組のコーナータイトルにしてしまうのですから、とても大胆です。おそらく、それすらも自由律だと考えているのかもしれません。しかし、この「伊集院光とらじおと」のディレクターの「あとがき」を読むと、実は伊集院さんがもともと自由律俳句が好きで、しかも放哉と山頭火の句がものすごく好きなので、ある程度の準備期間を経て始めたそうです。
 なるほど、言葉のはしはしに好きさがにじみ出ていたのは、だからだったのかもしれません。ところが、今年の1月11日放送の「伊集院光とらじおと」の番組のなかで、伊集院さんがこの番組が今春で終了すると発表しました。ネットでは、数日前から終了するかもしれないという話しが出ていましたが、2016年4月から始まったこの番組もこれではっきりとなくなることに決まったということです。まさに、『次の角を曲がったら話そう』という状況だったようです。
 ところで、私がこの本のなかでいいと思ったのは、千葉県の「わいおか」さんの『損していいから単品で』です。伊集院さんは「セットだとお得になりますけど」と言いますが、柴田理恵さんは「いや、いいんです。これだけが食べたいんで」と答えています。ちなみに、私は若いときには腹一杯食べられるセットのほうがよかったのですが、最近では食も細くなり、好きなものを少しだけ食べたいと思うようになり、それだけ単品で食べたいのです。だから、この句は、若いか若くないかを判断する基準になるのではないかと思います。
 次は、大阪府の「煮え湯500杯」さんの『あらゆる選択を間違えてここにいる』です。柴田さんは「そうそう。なんか「よかったこれで」っていう気持ちになるのよね。間違えはしたけど。」と言い、伊集院さんは「なんかね、道を間違えて間違えて花畑にいるみたいな。」と表現しています。私は「あらゆる選択を間違えて」とは思わないけど、ある程度の選択の間違いはあったけど、今が良ければそれもよしと思っています。それが伊集院さんのいうような花畑なら最高です。
いくら考えても、先々のことはわからないし、その周りの状況も変化しますから、間違えて当然です。煮え湯という言葉がちょっと気にはなりますが、ときどきこのように自分自身のことを振り返ることは必要ではないかと思います。
 さらに次は栃木県の「お肉マート」さんの『USB いつも逆』です。私もいつもたった二択なのに、間違えてしまう派です。そしていつも間違ってばかりいると、つい差し込むときに必要以上に気を遣ったりします。ところが、このような人が多いからかどうかはわかりませんが、最近のtypeCは上下どちらでも入るようになっています。つまり、逆ということはなくなり、『type-C どちらでもOKタイプです』なのです。
 下に抜き書きしたのは、監修の伊集院光さんの「まえがき」に書いてあったものです。
 たしかに自由というのは、なかなかとらえどころがなく難しいと思います。お茶の世界だって、こうして次はこうしてという手順があるから誰でもやれるし、その限られた手順のなかで少しははみだすこともできます。お茶を50年もやっていると、早くお茶を飲みたいときには、立ったままでお茶を点て、2服目はしっかりとお点前をしていただくこともあります。
 世の中というのは、いろいろあるからおもしろい、といつも思っています。
(2022.2.1)

書名著者発行所発行日ISBN
次の角を曲がったら話そう伊集院光 監修小学館2021年11月23日9784093106962

☆ Extract passages ☆

 いきなり話がそれますが、誰かに聞きました。自由=不安定ということで、逆に安定しているということはすでに決まった形があって変えられず、安定=不自由なのだとか。何の縛りもなく、すべて自由が故に書くのがかえって難しかったり、どう解釈されるのか不安だったり、読むほうも作者の気持ちをちゃんと受け取れているのか不安だったり。でも、それを飛び越えて、たった数文字で心動かされる時の楽しさときたら。
(伊集院光 監修『次の角を曲がったら話そう』より)




No.2023『町田忍の縁起物のひみつ』

 この本の副題は、『「福」はいつも隣にいる』で、実は私もそのように思っていました。というのは、せっかく福が近づいているのに気付かなったり、隣りの福を考えるだけで幸せになれるのにと思っていました。
 まさか、このような本があるとは知らなかったのですが、最近発行されたばかりなので、それも宜なるかなと思いました。著者自身が文章は当然ですが、写真や絵も自分で撮ったり描いたりしたもので、とても個性的な本に仕上がっていると感じました。
 さて、学生のころ、近くの骨董屋さんの玄関先に「道祖神」があり、店主に尋ねると昨日あるところから仕入れたもので、石仏で重いので、なかなか売れないのではないかという話しでした。それでも気になり、値段を聞くと、ちょっと高めで、そのときは帰宅しました。ところが夜本を読んでいると、なぜかその道祖神が気になり、なかなか寝付かれず、とうとう翌日にその骨董屋さんに行きました。ところが、前日の夕方に関東方面から買い出しに来た同業者が求めて行ったと聞き、がっかりしたのを今も覚えています。それ以来、そのときの道祖神が思い出され、旅先でも道祖神があると聞けば、必ず訪ねて行くようになりました。
 この本によると、「道祖神はその文字に「道」とあるように、街道を通る人やその地域に暮らす人々を守る神様である。村落の入口、辻や追分、峠などに祀られ、邪悪なものをさえぎる、 いわゆる「塞の神」(塞は防ぐ、さえぎるの意)である。そのルーツは中国の道教思想と関係があるとされる。……道祖神信仰が広まり、定着したのは、平安時代とされる。当時は朝廷を中心に貴族たちが政治を動かしていたが、地方には豪族たちが竜蟠虎踞して対峙し、広大な荘園や寺社領もあった。それらが互いに牽制し合い、世情が不安定なため、一種の自衛手段として道祖神信仰が育まれたのである。」と書いてあります。
 そういえば、中国四川省の道教の聖地、青城山に上ったときに、土地の区切りのようなところに石仏がまつってあり、道士に聞くと結界のようなものだという話しでした。さらに大きな区切りには門があり、それらにすべて意味があるということでした。
 日本の一番古い道祖神は、長野県辰野町沢底にあり、永正2(1505)年に建立されたものだそうで、機会があればぜひ訪ねてみたいと思います。
 また富士山も縁起のよい山で、今年の1月9日の午後6時からのTBSの「世界遺産」で、「富士山 信仰の対象と芸術の源泉 放送25周年スペシャル4K8K特別編 富士山の四季」が放映され、そのなかに江戸時代中期以降になると、「御師」という先達が宿泊や登山などの案内をしていたそうで、その建物が紹介されていました。この本には、登山口が6ヵ所整備されていて、1年間に1万数千人と記録されているそうです。現在は交通機関も便利になり、世界遺産に登録されたこともあり、環境省の調べによると約24万人もの人たちが富士山に登っているそうです。
 でも、江戸時代に1万人を越える人たちが富士山に登っていたことはすごいことで、昔は女人禁制ですから、登れない人たちは、近くの富士塚に上ったそうです。ここで、富士山が信仰の対象であったことがわかるのです。
 下に抜き書きしたのは、「あとがき」に書いてあったものです。
 たしかに日本人は、切なる願いをするときには、神仏の区別はなく、神仏習合が当たり前です。すこしでも良かれと思うと、縁起ものを近くに置いておきたくなります。
 仏教ではご利益といい、神道ではご神徳といいますが、それすらご利益という言葉で一元化してしまいます。それがまさに日本人です。
(2022.1.30)

書名著者発行所発行日ISBN
町田忍の縁起物のひみつ町田 忍天夢人2021年12月22日9784635823685

☆ Extract passages ☆

われわれは霊的なものへの関心が高く、疑うことなく対象物を崇敬し、ご加護を求めようとしてきた。それは日本人が農耕民族であり、漁労民族であるためだ。山や川、海にいる神様の機嫌を損ねたら、千ばつや不漁で生活は成り立たない。庶民は神仏の区別なく、両者を一緒くたにして五穀豊穣や大漁、そして子孫繁栄を祈願してきたのである。庶民の切なる願いの前には、神も仏もない。神仏習合は当たり前なのだ。……
御利益というのは、自然の恵みや子孫繁栄に対する感謝の気持ちの裏返しであり、この気持ちさえあれば、御利益も御神徳もありがたい"授かり物"だからである。
(町田 忍 著『町田忍の縁起物のひみつ』より)




No.2022『優しい語り手』

 著者のオルガ・トカルチュクは、2019年10月に、2018年度のノーベル文学賞を受賞しましたが、ポーランドの作家では5人目で、女性としては15人目の受賞者になったそうです。この本には、その「ノーベル文学賞記念講演」の『優しい語り手』が載っています。
 著者は現在、菜食主義者のフェミニストとしても世界的に知られる作家であり、代表作は2007年に出された『逃亡派』で、ポーランドの最も権威ある文学賞である「ニレ賞」を受賞したそうです。また、この英訳版は「ブッカー国際賞」を2018年に受賞しています。私もまだ読んでませんが、ノーベル文学賞を受賞するような作家は、どのような講演をするのか興味があって、この本を読み始めました。
 そして、ここに収録されているもうひとつの『「中欧」の幻影(ファントム)は文学に映し出される――中欧小説は存在するか』は、2013年に来日したときの講演だそうです。これはもちろん日本オリジナルの構成で、トカルチュクの邦訳書としては5冊目です。
 最初の『優しい語り手』で印象に残ったのは、本のジャンルについての話しで、「わたしはいつも直感的に、そういう秩序に反対してきました。というのも、それは作家の自由を制限し、実験と逸脱を避ける気持ちに通じているからです。概してそれこそ、創作の本質であるというのに。そしてそうした秩序は、奇抜さ(これなくして芸術はありえませんが)を創造するいかなるプロセスをも排除します。よい本は、自分がどんなジャンルに入るのかという所属を述べる必要などありません。ジャンル分けは文学全体の商業化の結果です。文学を、ブランド化やターゲットマーケティングといった、現代資本主義によって発明されたその種の哲学をくっつけた、販売目的の製品として取り扱ちた影響なのです。」というところです。
 これなどは、1989年の東欧革命後に民主化されたポーランドの作家のなかでも、「新世代」としての価値観が垣間見えるような気がします。
 次の『「中欧」の幻影(ファントム)は文学に映し出される――中欧小説は存在するか』は、あまりにも地理的に離れているせいか、あるいはヨーロッパというひとくくりのなかでしか考えられないせいか、私はあまり興味の湧く内容ではありませんでした。
 この本では、中欧というのは「バルト海が北の境界線であるのは確かです。同様にして、西の境界線はエルベ川とライタ川(それらは、ローマ帝国の勢力圏と農奴制の境界線でもあります)、東はドニエプル川です。」と書いていますが、そもそもバルト海はわかりますが、エルベ川とかライタ川というのは、まったくわかりません。それで地図で見たのですが、マイセンのわきを流れるのがエルベ川で、ライタ川というのはなんとか見つけましたが、それが境界線というほどの川には見えませんでした。
 あまり興味の湧かない本をわかるまで精読する気力もないので、サラッと読み進めました。
 下に抜き書きしたのは、『優しい語り手』の後半部に載っていた「優しさ」についての話しです。
 文学は「自分以外の存在への、まさに優しさの上に建てられています」というのは、たしかにそうだと私も思います。最近のテレビなどは、人をあやめたり殺したりばかりで、観ているとますます気が滅入るので、ほとんど観ないようになりました。もう少し、「優しさ」が感じられるようなほのぼのとした番組も作ってもらいたいと思っています。
(2022.1.27)

書名著者発行所発行日ISBN
優しい語り手オルガ・トカルチュク 著、小椋 彩/久山宏一 訳岩波書店2021年9月28日9784000253604

☆ Extract passages ☆

 優しさは、自発的で無欲です。それは感情移入の彼方へ超えゆく感情です。それはむしろ意識です。あるいは多少の憂鬱、運命の共有かもしれません。優しさは、他者を深く受け入れること、その壊れやすさや掛け替えのなさや、苦悩に傷つきやすく、時の影響を免れないことを、深く受け入れることなのです。
 優しさは、わたしたちの間にある結びつきや類似点、同一性に気づかせてくれます。それは世界を命ある、生きている、結びあい、協働する、互いに頼りあうものとして示す、そういうものの見方です。
(オルガ・トカルチュク 著、小椋 彩/久山宏一 訳『優しい語り手』より)




No.2021『旅する練習』

 この『旅する練習』は、第164回芥川賞(令和2年/2020年下期)の候補作になり、第34回三島由紀夫賞(令和2年/2020年度)を受賞したそうで、翌年の第166回芥川賞(令和3年/2021年下期)でも『皆のあらばしり』が候補作品にノミネートされています。
 1986年生まれですから、次世代を担う小説家ではないかと思いながら読みました。最近はほとんど小説を読まないのですが、新型コロナウイルス感染症の拡がりのなかで、なかなか旅行にも行けなくなったこともあり、この『旅する練習』という題名にひかれたのです。
 読んでいると、この旅の始まりが新型コロナウイルス感染症が広まるころの話しで、なかなか旅ができなくなる本の少し前のようです。そういえば、私が水戸の偕楽園に梅を見に行ったのは2020年2月25日で、始めて行ったので、あまりの閑散とした様子にむしろ戸惑いさえ感じました。その同じ入場券で夜も入れると聞き、ホテルから歩き、翌朝の朝食前にも行ったので、3回も見たことになります。この小説の設定も、3月2日の臨時休校についてのお知らせ以降のことで、日記によれば3月9日とありますから、ほとんど似たような時期に我孫子の手賀沼から始まり、3月14日の鹿島アントラーズのスタジアム近くの合宿所まで歩いての旅です。その後のこともほんの少しは書いてありますが、それはぜひこの小説を読んでみてください。
 この小説のなかに、不動明王や馬頭観音のご真言が出てくるとは意外でしたが、それが重要な要素になっていることにさらにびっくりしました。とくに馬頭観音は再会のキーワードになっていて、その描写もすごく克明に描かれています。本堂のわきに2体の石仏があり、「左の小さい方は輪郭と膨らみをなんとか保ったのっべらぼうで、かろうじて馬の細長い顔が認められ、水気の抜ける暇もないのか、苔がびっしり溝を埋めている。右の大きい方は1メートル足らず。野ざらしなのに綺麗なもので、作者の彫り出す手つきまで見てとれる。蓮華座を敷いた馬の上に趺坐している観音は柔和な顔つきで宝冠をかぶり、左手に蓮の蕾を持ち、右手の鉾以外はどう見ても聖観音である。しかし、人々の発願が馬を悼み大事に思う心にあるなら、こんな柔和な顔に作りたくなるのも頷ける。さぞ心をこめて作られたか、石質もよく一時の湿りもじきに乾くようで、水滴の集まる胸から腹の広いところ、光の届かない顔の左側など、ところどころだけ青白い苔の乾きをあしらいつつも、緑濃い藪の前に美しく立っている。」と書いています。
 この馬乗り馬頭観音を、ネットで調べると、なんと千葉県内に確認されているだけで262基もあるそうで、千葉県固有の石仏だそうです。でも、馬頭観音が馬に乗っている像容も変わっていて、あそらく仏教本来の儀軌にはないようだし、本来の馬頭観音は忿怒相ですが、ほとんどが観世音菩薩のような顔だったり、笑顔だったりしています。
 そういえば、今思い出したのですが、ある図像に「水牛に乗る三面八臂」の馬頭があり、それは水牛の上で火焔を放つ姿として描かれていました。三面は、いずれも牙をむき三眼をつける忿怒相で、本面の頭上には大きな馬頭がありましたが、それとはだいぶ趣きが違うようです。
 昨年の10月に信達三十三観音霊場をお詣りしましたが、第21番札所の地蔵庵観音も第23晩札所の平寺観音も馬頭観音ですが、厨子のなかに入っていて直接拝むことはできませんでした。でも、少なくとも馬に乗ったお姿ではなさそうで、もし千葉県に行く機会があれば、ぜひお詣りしたいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、旅で出会ったみどりさんと最後の晩に亜美がいっしょのベットで寝て、いろいろ話しをしたときの言葉です。
 もし、本当に大切なことを見つけて、それに合わせて生きられれば、それは最高の幸せかもしれません。その大切なことは、亜美の場合はサッカーでしたが、私はなんだっていいと思います。さて、私の場合はその大切なことは何なのかを、いまさらながら考えてしまいました。
(2022.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
旅する練習乗代雄介講談社2021年1月12日9784065221631

☆ Extract passages ☆

あたしが本当にずっとサッカーについて考えてたら、カワウも何も、この世の全部がサッカーに関係があるようになっちゃう。この旅のおかげでそれがわかったの。まだサッカーは仕事じゃないけどさ、本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きるのって、すっごく楽しい。
(乗代雄介 著『旅する練習』より)




No.2020『いさぎよく生きる』

 著者の名前をみて、飛騨千光寺住職と書いてあり、すぐに東京国立博物館140周年の特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」を思い出しました。というのも、この特別展は、2013年1月12日(土)〜4月7日(日)までの開催で、なかなか観に行く機会がなく、ある植物学の先生からミャンマーの奥地に入る特別許可が下りたからという連絡があり、2月25日から3月8日まで、行くことになったのです。でも、強行スケジュールだったので、帰りの飛行機ではずっと寝ていました。成田空港に着いたのは朝で、この特別展のことを思い出しました。飛行場でゆっくりと帰国の手続きをして、上野駅に着いたのは8時40分ぐらいで、開館時間の9時30分はだいぶありました。そこで、駅構内で買ったパンを上野公園のベンチで食べながら待ちました。今でも覚えているのですが、そのときスズメが足元に来たので、そのパンをちぎってやると、ハトも来ました。なんかあっという間に時間が過ぎてしまいました。
 ミャンマーの荷物もあり、とても図録を持ち帰ることもできなかったので、しっかりと頭に残そうとゆっくり見て、午後の山形新幹線で帰りました。特に印象に残ったのは「三十三観音立像」や「不動明王および二童子立像」などで、どちらも千光寺蔵となっていました。
 この思い出があったから、この本を選んだのですが、副題は「仏教的シンプルライフ」で、とてもおもしろかったです。
 よく、慈悲喜捨という言葉を使いますが、もともとは慈・悲・喜・捨で、別々なものです。それを著者は、「慈(マイトリー)とは、いつくしむ心です。あらゆる物事に大いなる愛情をもってかかわることです。友愛の心であり、他人に楽を与えることで、作用としては父性的な原理を表します。悲(カルナー)とは、他者の苦しみを自分のごとく感じていく思いやりの心をいいます。ともに苦しむ関係性(共苦)を保持することです。他人の苦しみを摂取し救済することで、母性的な原理を表します。喜(ムディター)とは、生きる感謝や他者への配慮を意味します。どのような人生であっても、人はその生き方に意味があります。命の長さではなく、命の質を問います。先祖や大自然からいただいた命に感謝し、生きる喜びを創出することです。他者を幸福にする喜びであり、人びとに楽があることを妬まないことです。捨(ウペクサー)とは、文字通り捨てることを意味しますが、じつはその前段階の心境としては、知り合いや親しい関係であっても、ときに憎み合ったり、相手を排除したり差別する心が生じます。そういった負の想念を捨てる勇気です。そして平安な心を呼び起こし、あらゆる我執や執着心を離れることへの決意を意味します。」と、まとめられています。
 また、私は音楽療法にも興味があり、ときどきスピリチュアルな音楽を流し、目を閉じて瞑想みたいなことをしてますが、日野原重明さんによれば、「音楽はその人の内的な感情表現を高め、自信を感じさせる」といいます。でも、なかなかそこまではいけてないようで、機会があればもう少し勉強してみたい気持ちもあります。
 下に抜き書きしたのは、第1章「執着ととらわれを手放す」のなかの「人間関係の執着を手放す」に書いてあったものです。
 そういえば、今年の箱根駅伝で、初出場の駿河台大の4区を走った31歳の今井隆生さんが5区の永井竜二さんにたすきを渡したのですが、報道では今井さんは埼玉県内の中学校の教師でしたが、「教師として力不足を実感することがあり、今まで勉強していなかった心理学を学んで、もっと生徒に寄り添える先生になりたい」という思いから編入学し、その中学教師のときに教え子だった永井さんにたすきをつないだということでした。
 この話しを聞いたときには、教師になる人たちには、もっともっと心理学や人間関係から生じるストレスを勉強してもらいたいと思いました。
 そして、「中学生だった永井と大学でチームメートになるなんて想像できなかったけど、楽しい。ショボい姿は見せたくないし、絶対に負けたくないですね」と話していたのも印象的でした。
(2022.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
いさぎよく生きる大下大圓日本評論社2012年1月20日9784535586154

☆ Extract passages ☆

 人間関係から生じるストレスは、私たちの心身にさまざまな影響を与えます。ストレッサーには、物理学的(気温、騒音、痛みなど)、化学的(汚染物質、薬物など)、生物学的(炎症、細菌やウイルスなど)、心理的(怒り、不安など)、身体的(過重労働、体形など)があり、その原因の違いによらず、自律神経系、免疫系、ホルモン系などに作用して同じ反応を起こします。過度のストレスは生理的、心理的反応を引き起こすのです。たとえば生理的には、瞳孔が開く、血圧が上がる、脈拍が高まるという反応を示し、体内では副腎髄質からアドレナリンの分泌が起こり、自律神経系もそれに呼応して変化します。交感神経と副交感神経のバランスが崩れるのです.そのことによって心理的には、自分の日の前にあるネガティブな脅威や恐怖に対して、積極的に回避する緊急防御反応が生まれてきます。
(大下大圓 著『いさぎよく生きる』より)




No.2019『シニア鉄道旅の魅力』

 一昨年からの新型コロナウイルス感染症の拡がりの中で、なかなか旅行に行くこともままならず、しかも鉄道の旅となると車の旅よりもハードルが高くなっています。それ以前は、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」などを使って、思いっきり鉄道の旅を楽しんでいたのですが、本当に残念です。しかも、昨年の12月初旬ころまでは、感染者も少なくなり、このままだと今年の早い時期にもしかすると収束するのではないかという淡い期待もありました。
 ところが残念なことに、新しいオミクロン株が世界的に急速に流行り始め、日本でも市中感染が現実のものになってきました。おそらく、まだ自由に鉄道の旅をするところまではなっていないようです。この本の副題は、「二人旅から妄想テツ旅まで」とあり、おそらくこの妄想テツ旅というのは、そうとう新型コロナウイルス感染症を意識して書いたのではないかと思いました。
 つまり、これは時刻表を読んで楽しむような旅の疑似体験だそうです。著者のように達道の旅が好き方々にとっては古くからある鉄道旅行のジャンルのひとつだそうで、過去の時刻表でも、復刻版や電子版もあるそうです。たとえば、自分の若いときに旅したときのことをその当時の時刻表を読み取りながら追憶するようなものです。これだと、実際に旅行に行くわけではないので幹線する心配はありませんし、お金がかかるわけでもなく、好きなときに好きなだけ楽しむことができます。この本には、「今ある新しい時刻表でも、妄想旅行は可能だ。しかし、不自由な日々にあっては、逆に実際に行きたいというストレスと闘わなければならなくなる。そうであれば、いっそのこと過去にタイムスリップしてしまおう。いくら乗りたいと思っても、過去の列車に乗ることはできない。あくまでも、時刻表の数字を読み取りながら、追憶の旅路をたどるのだ。」と書いてありました。
 たしかに、旅に出る本を読むと、そこに行ってみたくなるのが人情で、たまたま大人の休日倶楽部の「旅マガジン 1月号」のなかに「サンライズ出雲・瀬戸で行く 寝台特急の旅」というのが載っていて、それを見ながら、一度は同じルートで乗ったことはありますが、また行きたいと強く思いました。現在では、寝台特急はこの「サンライズ出雲・瀬戸」しかないので、もしなくなれば諦めもつきますが、ある以上はもう一度乗ってみたいと思います。
 だから、もしなくなればこの本に書かれているように「妄想テツ旅」をするしかできなくなります。あるいは、自分が体調を崩し、なかなか外を出歩くことができなくなれば、今まで旅したことを追想することで諦めるしかなさそうです。
 ところが、私の青春時代に乗った都電荒川線は今も現役で走っているそうです。このことが書かれているところを読み、懐かしさはもちろん、今でも乗ることができると知り、ちょっとワクワクしました。この本では、「都電荒川線が存続したのは、専用軌道が多かったからだ。都電砂町線も緑道となっている専用軌道がかなりあったので、せめて亀戸〜東陽町間だけでも残っていれば、江東区の南北の路線として存在価値があったのではと妄想してしまう。JRの貨物専用の越中島線の旅客線化や、有楽町線支線部分の住吉〜東陽町〜豊洲の建設計画はあるものの、遅々として進まない現状をみるにつけ、都電砂町線の廃止は返す返すも残念だったと思わずにはいられない。」とあります。
 私は都電砂町線には数回しか乗ったことはありませんが、都電荒川線には通学に使っていましたから、日曜日以外はほぼ毎日乗っていたわけで、だからこそ懐かしさもひとしおです。
 下に抜き書きしたのは、第1章「大人のテツの二人旅」のなかの「1、日本一の誉れ高い観光列車「雪月花」に乗る」のなかに書いてあったものです。
 この文章を読んで、私もこれにはぜひ乗ってみたいと思いました。やはり大人の旅は、効率や時間などというものを考えない旅ではないかと思っていたので、まさにぴったりです。ぜひ新型コロナウイルス感染症が収束したら、先ず最初に乗ってみたいと思いました。
(2022.1.19)

書名著者発行所発行日ISBN
シニア鉄道旅の魅力(平凡社新書)野田 隆平凡社2021年10月15日9784582859898

☆ Extract passages ☆

 3時間の旅は終わってみればあっという間だった。食事もさることながら、様々なおもてなしや停車駅でのミニツァーもあり、盛り沢山なメニューに大満足だった。車窓も、山あり、渓谷あり、海ありと変化に富んでいて、大いに楽しめた。
 上越妙高駅から糸魚川駅までは、北陸新幹線なら僅か12分で行ける距離である。しかし、回り道や長時間停車を繰り返しながら、およそ3時間かけて鉄道旅を楽しむ人がいるのは、速さだけの新幹線では味わえない旅の魅力が数えきれないくらい詰まっていることの証である。
(野田 隆 著『シニア鉄道旅の魅力』より)




No.2018『禅の言葉とジブリ』

 もともとアニメには興味はないのですが、孫たちが見てる側で何かしていたりすると、自然に耳に入ってきたり、その動きが目に飛び込んでくることもあります。
 つまり、ある程度は意識しないまでも、題名ぐらいはわかります。それで、そのジブリと仏教の禅とがどのように関連があるのか、と興味を持ちました。著者は、臨済宗の龍雲寺住職で、お寺は東京都世田谷区にあるそうです。
 著者本人は、ところどころで「祖父の松原泰道師」という話しが出てきますが、円覚寺派管長の横田南嶺師との対談のなかで、横田師は母親は松原師の娘さんで、父親は野沢の龍雲寺住職の細川景一師という話しをされていて、まさに臨済宗妙心寺派のサラブレッドだと評していました。でも、周辺から期待されればされるほど、本人は大変だろうなと思うのですが、次男で跡取りということもあり、それほどでもなさそうです。
 この本のなかに、「自分が本当に欲しい答えは、他人から教えられるものではなく、学んだり、読書したり、感動したり、挑戦し失敗したりする中で、自分が本来持っているものに気が付くしかありません。禅は何より「気づき」を大切にするのです。今まで存在していないもの、なかったものを、ゼロから創造するのではなく、多忙な毎日の中で今まで見過ごしてしまっていたものに、ただ気づくだけでいいのです。目の前の雲さえ晴れれば、すぐそこに求めていた心があるのです。」と書いています。
 これはジブリ作品の「となりのトトロ」との関わりで書いてあるところですが、これを読むと、出来上がっている土台の上にのったとしても、有難いと気づくことにこそ禅の目指すところがあるといいます。この作品は、その企画書によれば、「幸せな心温まる映画です。楽しい、清々した心で家路をたどれる映画。恋人たちはいとおしさを募らせ、親たちはしみじみと子供時代を想い出し、子供たちはトトロに会いたくて、神社の裏の探検や樹のぼりを始める。」そんな映画をつくりたいとあります。
 そういう意味では、その制作意図は達成されたと私も思います。とはいっても、孫たちが一心に見ている側で見ていただけですが、なんかほのぼのとした雰囲気が伝わってきました。
 この本に書いてあった「芭蕉臨終記 花屋日記」のことは始めて知ったのですが、いかにも芭蕉らしいと思いました。それは、「きのふの発句はけふの辞世、今日の発句はあすの辞世、我生涯云捨てし句々、一句として辞世ならぎるはなし。若我辞世はいかにと問う人あらば、此年ごろいひ捨おきし句、いづれなりとも辞世なりと申したまはれかし」とあるそうです。たしかに芭蕉は一句に何度も何度も推敲を重ねていますから、身を削るようにして俳句を詠んでいたようです。ただ、この「芭蕉臨終記 花屋日記」というのは、偽書であるという研究者もいますが、その俳句に対する姿勢はそのようであったと思います。
 下に抜き書きしたのは、「魔女の宅急便」のなかで、キキがそれまで当たり前のように空を飛んでいたのに飛べなくなったときの話しです。その当たり前のことが、じつは当たり前ではなく、とても有難いことだと気づいたとき、著者は、この『碧巌録』に出てくる「大死一番、絶後再び蘇る」という禅語を解説しています。
 実は私の孫娘もこの「魔女の宅急便」が大好きで、何回もDVDを見ているのですが、そこに出てくる黒猫のジジも好きらしく、そのぬいぐるみをお土産に買ってきたことがありました。今でも大切に飾ってあるところを見ると、いつまでもジジのことも好きであって欲しいと蔭ながら思っています。
(2022.1.16)

書名著者発行所発行日ISBN
禅の言葉とジブリ細川晋輔徳間書店2020年10月31日9784198651831

☆ Extract passages ☆

 私たちは「無の境地」とは、何もない真っ暗闇の世界ではないかと考えてしまいます。しかし、「夜行を許さず」というように、そのようなものではないのです。夜が明けて、真昼間のように明るく、はっきりとそれぞれが輝いている世界こそ、私たちが求める「無の境地」なのです。自分自身が「大死一番」という極限の状態を経験してこそ初めて「無の境地」に到り得て、人は自由自在に生きてぃくことができると、この禅語は教えてくれているのです。
(細川晋輔 著『禅の言葉とジブリ』より)




No.2017『「色」の心理学』

 「色」に関する本は何冊か読んでますが、この本は科学的な見方というよりは色の心理的効果をねらったような気がしました。
 特におもしろいと思ったのは、色の流行を実シーズンの訳2年前に世界的レベルで決められているというところです。たしかに流行というのは色から決まると思うし、その流行色はマスコミなどで今年の色はなどという話しを聞くと、なるほどと思い当たることもあります。この本によると、国際流行色委員会という組織があり、日本もその発起国の1つで、流動的ではありますが、2020年12月現在で17ヶ国が加盟しているそうです。そこで6月には2年後の春夏カラー、12月には2年後の秋冬カラーをそれぞれの国内での色彩調査や生活者の意識調査を行い、その結果を持ち寄って決めるということです。
 日本を代表するのは「一般社団法人日本流行色協会」で、1953年に設立され、この国際流行色委員会で決定された情報をもとに、日本の産業にむけた最先端のカラートレンドを剪定・発信するといいます。そのカテゴリーは、メンズウェア、レディーウェア、メイクアップ、プロダクツ&インテリアの4つがあるそうです。
 ここまで具体的に説明されると、流行はつくられる、というのは本当だったと思いました。私などは、だとしたら、なるべく今年の流行色などは着たくはないと思うのですが、流れとしてはその通りになるんでしょう。
 それと、この本のなかで気になったのは、色光と色料に関するところです。「色は紙(印刷など)で再現することもあります。そのように「光以外で再現される色」と「光で再現される色」は、実はまるで異なります。光の三原色はレッド・グリーン・ブルーの、略して「RGB」で、加法混色の三原色とも言います。対して、染料や顔料など色料の三原色はシアン・マゼンタ・イエローの、略して「CMY」で、減法混色の三原色とも言います。また、光の三原色は混ぜれば混ぜるほど明るくなり最終的には白になり、色料の三原色は混ぜれば混ぜるほど暗くなり最終的には黒になります。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 というのは、印刷に出すときに、パソコンで普段使っているRGBではなく、CMYKカラーモードでデータを作成しなければならないのです。それでAdobe RGBが出力できるディスプレーを使ったり、微妙な色の調整ができるカラーマネジメント用のアプリケーションソフトを使ったもしていました。それでも、印刷から出来上がってくるまで、心配でした。
 それぐらい気をつかったとしても、パソコンのディスプレーで見たときと印刷物では、若干の違いはありました。そして、何度か印刷を依頼してからは、そういうものだとある意味、納得しました。
 それと、この本のなかに、ただカラフルにするのではなく、色数を押さえることも大切なことと書いてあり、これも何度か失敗をして、私自身も気づいたことです。ここには、「ノートでもプレゼン資料でもチラシでも、メインカラー(約70%)、サブ(アソート)カラー(約25%)、アクセントカラー(約5%)と、3色くらいまでに抑えるのが妥当です。ダイバーシテイ(多様性)を色で強調したいなら別ですが、それ以上の色数になると煩雑で散漫になり、記憶にも残りにくくなる傾向があります。」と具体的にあり、これからの参考になります。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「色が人に与える影響とは?」のなかに書いてあったものです。
 このあたりから色の心理的な影響を強調するようになり、後ろに載っていた参考サイトを見てみると、そのなかの第5章にあった「バースカラー診断」を開くと、「35億通りのバースカラー診断+個人コンサル(3h)\58,000+税」と記載があり、この個人コンサルでは1人1人の要望に合わせて、より具体的な相談が可能とのことです。
 私は、ファッションにもトレンドにもほとんど関心はないので、ここから後は、サッと読みました。
(2022.1.13)

書名著者発行所発行日ISBN
「色」の心理学都外川八恵総合法令出版2021年11月24日9784862808226

☆ Extract passages ☆

 1つは、日に見える外見の世界。見せ方や組み合わせ方といった、「やり方」やテクニックの世界です。もう一つは、日に見えない内面の世界。波長や波動、エネルギーといった「あり方」や本質の世界です。
 色は「物理的な世界」と「心理的な世界」の両方があって存在し、どちらにもアプローチするので、あなたの日に見える「顕在意識」の世界も目に見えない「潜在意識」の世界 も変えることができます。
(都外川八恵 著『「色」の心理学』より)




No.2016『暮らしの図鑑 木のもの』

 もともと木のものは好きですし、額縁ひとつとっても、なかの写真より、額縁の木のほうが主役になりそうなものもあります。これは岩手の盛岡の「ギャラリー純木家具」で求めたもので、木そのものをくりぬいて作ってあります。木の厚みは27oほどあり、木目もはっきりとしていて、小さいながら重厚な雰囲気さえあります。
 また、東京の秋葉原駅近くのガード下の「Hacoaダイレクトストア」で求めた眼鏡架けやテープカッターなども、今でも大切に使っています。やはり、自分で気に入ったものは、ちょっとは高くても大切に使うので、長持ちします。
 そういえば、今から40年ほど前に長野で修行してきた中村君に作ってもらった椅子は、椅子の上であぐらをかけるようにと大きめで、しかも塗装をしなかったので、米ぬかで拭いて磨き、今ではいい色になっています。これはロッキングチェーもおなじデザインで作ってもらったので、これにもたれかかるだけでもいい気分です。この本には、「17世紀後半、イギリスでは「ウィンザーチェア」が生まれました。分厚い木製の座板に、挽物の脚や背棒などが直接差し込まれた椅子です。また18世紀後期以降には、イギリスからアメリカに移住したシェーカー教徒の手により、地元で入手しやすい材(メープルなど)を使ったシンプルな椅子が生まれました(シェーカーチェア)。どちらも用と美を兼ね備えた逸品です。」とあり、私が作ってもらった椅子も、座板が厚く、おしりの形に合うようになっていて、とてもシンプルですが存在感があります。
 机は、やはり中村君に作ってもらい、デスクトップのパソコンを置いても奥行きがあるように80pほどあり、幅も155pとちょっと広めのトチノキの1枚板を使っています。そして、注文するときに、コーヒーカップを置いたときに、いい音がするようにとだけ言ったようです。おそらく、彼はそれらの要望をしっかり聞いて、今使っている机を作ってくれたようです。
 木工作家のうだまさしさんは、この本のなかで、「木のものはツヤが出たり風合いが変わったり、壊れてもちょっと手を加えるとまた使えるのもいいところ」と話しています。私も、自分たちと同じように木のものもいっしょに育っているのではないかと思うときがあります。また、ちょっとしたキズなどは、それが思い出になっていたりして、懐かしく思うときもあります。本当に、木というのは不思議なものです。
 北海道在住のAKIさんは、「キズもシミも、ものがまとっている物語や時間を感じる味わい」と表現しています。なるほど、使い込むことでますます愛着がわくというのは本当だと思います。
 正月そうそうに、時間の開いたときにこのような木の温もりを感じさせてくれる本を見ていると、今年はどのような木のものを買おうかな、と考えてしまいます。まさに1年の計は元旦にあり、です。
 下に抜き書きしたのは、「木にまつわる基本知識@」に書いてある「木工のきほん」です。
 これは「樹木はどうやって木材のなるの?」という疑問に答えるもので、まさかこんなことと思いながら、今の時代はここまで説明しなければわからないかも、と思いました。
 しかも、これはとても大切なことなので、ここに抜書きしました。この本は写真集ぐらいたくさんの写真が載っていて、見ているだけで楽しいので、もし、機会があれば、ぜひ読んでみてください。そうすれば、自分たちの生活にもっと木の温もりをと考えるのではないかと思います。
(2022.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
暮らしの図鑑 木のもの暮らしの図鑑編集部 編翔泳社2021年11月17日9784798169798

☆ Extract passages ☆

 樹木を木材にする工程は、昔も今も大きくは変わりません。立ち木を伐採して運び出し、木の性質や用途に合わせて切り分け、乾燥させます。乾燥は大切な工程で、水分の代わりに空気が細胞を満たすことで強度が生まれます。木材は乾燥する工程で変形したり収縮するため、反ったり曲がったり割れたりしてしまうことがあります。そのため、あらかじめしっかり乾燥させることが大切です。
(暮らしの図鑑編集部 編『暮らしの図鑑 木のもの』より)




No.2015『南極の氷に何が起きているのか』

 副題が「気候変動と氷床の科学」ですが、温暖化で南極の氷がとけると大変な問題になるということなので、読みたいと思いました。
 それと、昨年の10月に気候モデル開発の眞鍋淑カ氏がノーベル物理学賞を受賞したので、その気候変動に関する本も読んでみたかった理由のひとつです。
 読んでみてわかったのですが、以前は南極を知るデータはあまりなかったそうですが、現在では人工衛星からいろいろなデータが送られてきて、それを解析することで研究が進むのだそうです。この本を読んで始めて知ったのですが、南極は意外と雪が少ないそうです。映画『南極物語』などを見ると、一面の雪のシーンが出てきますが、降るのは少ないけど、あまり消えないそうです。だから、結果的には雪がたくさん積もっているように見えるのだそうです。この本では、「南極内陸では、晴れた日にもダイヤモンドダストが舞っていることが多く、重要な降水プロセスとなっている。つまり南極氷床は、ごくたまにやってくる低気圧がもたらすまとまった降雪と、少量ながら頻繁に降ってくるダイヤモンドダストによって「涵養」されているのである。」と書いてありました。
 たしかにダイヤモンドダストは私も見たことがあり、とてもきれいですが、それだって頻繁に降ってくれば雪になり、結果的には氷になると知り、さすが南極だと思いました。
 ではなぜ南極の氷がとけると問題なのかというと、先ず南極氷床がすべて融けると海水準が58mほど数字的には上昇するそうです。ただ実際のところ、どの程度の影響があるのかはまだわからず、それを探るための研究が各国で進められています。今までのデータでは、1900年から2018年までに海水準は18p上昇したそうですが、その原因の一つは海水が温まったことによる体積の増加と、二つめは海水量の増加です。ただ、これからもこの水準で上昇するかどうかはわからず、これよりは急激に上昇する可能性もあるといいます。もし58mではなく、たとえ5mと控えめに見積もっても、首都圏の東京や神奈川、千葉、そして愛知や大阪などではかなり内陸部まで海水が入り込むそうです。
 ただ、それだけではなく、地球を1周する海の流れ、海洋大循環が弱まると考えられていて、気候や水産資源などにも大きな影響を与えると予想されています。そして、大気循環システムにも影響を与え、南極の成層圏ではオゾン層の破壊や、他の国々などにも気候変動をもたらすということです。あまりにも遠く離れている南極の氷が、世界中に大きな影響を与えるというのはなかなか理解しにくいのですが、昨今の異常気象などを考えると、少しはわかるような気がします。
 では、今までの研究でわかった南極の氷床変動については、この本によると、
@最新の観測技術によって、南極氷床で氷が減っていることがわかった。1年で失われる氷の量は、氷床全体の10万分の1よりも小さい。しかしながら、この量は観測精度よりも十分 に大きく、明らかな変化が始まっている。
Aこの変化は氷床全体で同じように起きているわけではない。氷の減少は沿岸部で生じており、西南極と南極半島、および東南極の一部に集中している。特に大きく氷が失われているのは、流れが速い氷河・氷流である。
B温暖化で氷床表面の融解が増えて、表面質量収支がマイナスになったわけではない。氷河の加速によって海へと排出される氷の量が増えたことが、変化の原因である。加速の原因とメカニズムは複雑で地域によって違いもあるが、多くは棚氷の変化が引き金となっている。
C氷の減り方が激しい地域に共通しているのは、棚氷の縮小である。棚氷が薄くなり、面積が減少し、場合によっては崩壊する。そのようなプロセスを受けて接地線が後退し、内陸の氷河が加速している。
 の4つにまとめています。そして、IPCCの報告書には、過去に例のない気候変動が起きていることやその原因が化石燃料や土地利用といった人間活動によるもの、とはっきりと明言しているそうです。
 下に抜き書きしたのは、特殊なドリルで「氷コア」という直径10pほどの細長い氷サンプルを氷床の奥深くから採取した分析結果です。
 これは、気温や大気の成分など、過去数十万年にわたる地球環境の記録だそうです。
 だとすれば、海水準が58m上昇するというのも頷けますし、そうならないためにも、今できるかぎり南極の氷を減少させないようにしていかなければならないと思いました。
(2022.1.7)

書名著者発行所発行日ISBN
南極の氷に何が起きているのか(中公新書)杉山 慎中央公論新社2021年11月25日9784121026729

☆ Extract passages ☆

……約2万年のあいだに100メートルを超える海水準上昇があり、その変化は南極における急激な気温上昇とぴったり一致している。この海水準の上昇は氷床の融解によるものである。南極氷床とグリーンランド氷床だけでなく、特に北米を覆っていたローレンタイド氷床の消失が、海水準を急激に押し上げた。
 最後に、氷コアに含まれる塵の量は、気温が低いときに増加している。すなわち南極では、氷期には空気中をたくさんの塵が舞っており、現代のような間氷期には空気が澄んでいたようだ。その主要因は氷床と海水準にあると考えられている。
(杉山 慎 著『南極の氷に何が起きているのか』より)




No.2014『歴史というもの』

 『歴史というもの』井上 靖、というこの本を見て、たしか著者は今はいないし、同じく対談をしている松本清張氏も司馬遼太郎氏も同じだと思いました。それで調べてみると、著者は平成3年、松本清張氏は平成4年、司馬遼太郎氏は平成8年に亡くなられていました。では、なぜ今ごろの出版になったのか、それはこの本のどこにも書かれていませんでしたが、題名の『歴史というもの』のありのままの姿のような気もします。世の中、新しく始まる年もあれば、終わってしまうものもあります。まさに歴史そのものです。
 そして、お正月だからこそ、歴史というものを考えるいい機会ではないかと思えたのです。
 そこで見つけたのが、「乱世のさまざまな武将」という座談会で、著者と松本清張氏と司馬遼太郎氏が対談するのですが、司馬氏は家康のことを「特に、三河の松平家の主従というのは、いなかの庄屋の主人と下男、旦那と下男の感じで、あの感じというのは、ひどく中世的ですね、隣の尾張の先進性とくらべれば。とにかく三河での家康の主従のもっている″におい"は中世人のもつ美しい面であるといえますね。なにしろ隣の尾張は平野で、交通が四通発達し、商業がさかんで、上から下まで商人の感覚があって、三河とまったく違う人間ですし、信長とか秀吉は機略縦横というよりも、商人の感覚でしょうね。家康というと、百姓のにおいですね。ですから、尾張と三河というのは発想も違い、社会の形態や構造までも違ってるんじゃないかと思いますね。」と評しているのです。このように考えると、たしかに織田信長や羽柴秀吉などとの違いがよく見えてきます。また、「歴史というもの」という座談会でも、司馬氏は家康は一人も殺してたことがなく、「モーレツに気を使った」上で権力を手に入れているとしています。つまり、一種の調整能力みたいなものだといいます。
 そういえば、今年の秋の自民党の総裁選挙のときも感じたのですが、自分自身の主義主張というものより、派閥の動きや将来の自分の立場など、この調整をうまくした人が総裁に選ばれるような感じです。だから司馬氏も「日本人が体制変化したということはない」と言っています。
 私の今年の年賀状に、「今年は寅年、この文字は両手をもって矢柄の曲直を正す形だそうです。そこで、今までのゆがみや曲がりを整え直し、トラのような強い気概で障がいを乗り越え、あまり細かなことにとらわれず、いろいろなことにトライして、今年しかできないことをじっくりとやっていこうと思っています」と書きました。
 でも、それだって日本人の調整的な考え方とほとんど変わらないとこの本を読みながら考えました。つまり、弓矢はそのままですから、矢のゆがみや曲がりを整え直すだけですから、大きな変化はできそうもありません。しかし、もう古希を過ぎたので、それで十分だという気持ちもどこかにあります。
 下に抜き書きした「歴史と小説をめぐって」という講演で、著者が話したことです。
 これは著者が『額田女王』という小説を書いたときに感じたことだそうですが、特に戦後の高度経済成長のころには、変わってしまうのが当たり前の時代でした。そして、阪神・淡路大震災や東日本大震災などを経験すると、天災によって激変する自然もあります。
 だから、変わらないということは、とてもいいことだと考えることもできます。今、新しい年を迎え、毎年変わらないことの有り難さを身にしみて感じています。
(2022.1.3)

書名著者発行所発行日ISBN
歴史というもの井上 靖中央公論新社2021年10月10日9784120054679

☆ Extract passages ☆

 わたくしがこのように飛鳥を大和朝廷の郷里と感じましたのも、ありがたいことに、それほど大きくあの飛鳥の地が、その地形が、風景が、変わっていなかったためであります。耳成山とか、香久山とか、いずれにしてもそう大きい山ではありませんから、ああいう山が崩されるのはわけもないことでありまして、崩されてしまいますと、もう大和朝廷のふる里の飛鳥というもの、昔の都の飛鳥というものはぜんぜん判らなくなってしまうと思います。もちろんたくさんの陵墓や都跡というものはありますけれども、やはりあの飛鳥の昔の都を取り巻いている山とか、丘とか、そうしたものが変わらないでそのままあること、飛鳥川は変わっておりますけれども、山は変わらない。あれだけは間違いなく昔のままであるということで、飛鳥の都というものが初めて気持ちの上でわたくしたちみんなに判ります。
(井上 靖 著『歴史というもの』より)




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