☆ 本のたび 2023 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.2146『芭蕉のあそび』

 芭蕉というと俳聖というイメージがありますが、俳諧というのはもともとは「笑いの文学」であるととらえ、俳諧師である芭蕉も仲間たちや読者を「笑い」でもてなそうとしていた、ということを例を出して確認をしています。
 そういう意味では、新たな芭蕉像をさぐる試みだと思いました。読んでみると、謡いの記号であるゴマ点や声点などの譜点などが記された発句懐紙などがあり、これらを見ると、なるほど、そうとう謡曲などの影響を受けたのではないかと思いました。昔は古典文学に造詣のある人たちも多く、和歌や文学、謡いなどとそれらを土台にして本歌取などにも親しんできたようです。だとすれば、芭蕉やその他の俳諧師もそのようにして古典に親しんだことは間違いないと思います。
 たとえば、芭蕉の「からさきの松は小町が身の朧」などは、典拠が謡曲の「鸚鵡小町」であることは明白で、新大納言行家が「雲の上は有し昔にかはらねど見し玉だれのうちやゆかしき」と歌を詠んだのに対し、百歳の小野小町は「雲の上は有し昔にかはらねど見し玉だれのうちぞゆかしき」とたった一文字を変えただけで返歌をしたことから鸚鵡返しの歌といわれています。この琵琶湖西岸の松は唐崎にあり、ここは唐崎夜雨でも有名で、ぼんやりと朧に見えることも多いそうです。
 つまり、今の時代はこのような解説書がなければ、なかなかそのつながりはわからないので、つい芭蕉といえばわびさびの世界で考えてしまいそうです。
 そういえば、1つの句を何度も推敲し、つくり変えていることもあります。私は「奥の細道」を読んだり、その解説書なども何冊か読んでいますが、旅の途中でその体験から詠んだ句だけでなく、後から何度も推敲し、書き改めているものもたくさんあります。だから、むしろ文学作品として読まなければならないと思っています。よく聞くのは、平成20年7月31日に発行された大類孝子さんの朗読「奥の細道」が好きで、車のオーディオにも収録してあります。それを耳で聞くと、さらに熟考されたあとが感じられます。
 この本を読んで思ったのは、句を書き換えるだけでなく、その書き換えたところを訂正する文を送っていることです。たとえば、有名な「古池や蛙飛こむ水のおと」というのは、最初は「山吹や蛙とびこむ水の音」だったそうで、尾張滞在中に懐紙にも書き残したといいます。ところが、このときの尾張の下里勘兵衛(知足)宛てに、「せんだっての「山吹」の句の上五文字を、このたび句の発想を変えまして(「古池」に改め)、別の懐紙にしたためてお送りしました。初めの懐紙は反古になさってください。(このように詠み変えましたのは)このたび其角が上方を行脚いたしました(からなのです)。これまたお世話をお頼み申します。芭蕉/知足様」と書いてあります。
 もちろん、本文は読みやすいように現代文にしましたが、この本には原文も載っていて、芭蕉の息づかいが聞こえてきそうです。
 このような俳句の変更は他にも載っていて、その関係者ひとりひとりにこのような文を送っていますが、今のように便利な通信手段がないときですから、なおさらびっくりしました。
 そういえば、だいぶ前に西国三十三観音第12番札所の正法寺、通称岩間寺にお詣りに行ったときに、そこの境内の小さな池に「古池や蛙飛こむ水のおと」を詠むきっかけになった池であるという案内板がありましたが、この本では、山城国の歌枕「井堤の玉川」には2つの名物があり「山吹」と「蛙」を組み合わせるそうです。そう考えれば、山吹から蛙に変更しても、それはしっかりと根っこでつながっていると考えられます。だとすれば、山吹の咲く頃に、井堤の玉川まで出かけていって蛙をつかまえようと追い回したら、蛙たちはポッチャンポッチャンと水のなかに逃げてしまったという現実的な解釈もできそうです。
 この本を読んで一番興味を引いたのは、井原西鶴の「好色一代女」巻1の第1話「老女のかくれ家」の書き出しのところに、「美女は命を断つ斧と古人もいへり」とあるそうで、これは「昔の人の物言いで、美女は命を断つ斧のようなものだ」ということです。私が住んでいる小野川温泉にも小町伝説がありますが、昔の絵図を見ると「斧川」と書いてあります。つまり小野小町と斧とはどこかでつながっているかもしれないと思い、新しい発見でした。
 下に抜き書きしたのは、第3章の最初にある「教養としての謡曲」のなかに書いてあったものです。
 つまり、このような謡曲の基礎教養がなければ、理解できないだけでなく、おもしろさもひねりもまったくわかりません。だからといって今から謡曲などの古典を学びなおすこともできないので、このような解説本を読むしかなさそうです。
 でも、この本を読んだことで、松尾芭蕉の新たな側面がわかったような気がします。
(2023.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
芭蕉のあそび(岩波新書)深沢眞二岩波書店2022年11月18日9784004319498

☆ Extract passages ☆

……漱石や子規の語彙のひきだしには、謡曲の小道具がふんだんに入っていた。つい120年ほど前の青年たちのはなしである。現代のわれわれのほとんどにはそれがないから、悲しい哉、彼らの謡曲ネタの冗談にもピンとこないのだった。
 芭蕉も、俳諧のネタとして謡曲を使いこなした。その点で芭蕉と漱石は地続きである(そういえば漱石は俳人でもあった)。だが、われわれと芭蕉・漱石のあいだには深い谷がある。
(深沢眞二 著『芭蕉のあそび』より)




No.2145『インド文化読本』

 2023年は、おそらく中国を抜いてインドが世界一の人口になるというニュースを見て、改めて今のインドを知りたいと思いました。たしか、インドには5回ほど行ったことがありますが、2018年9月にインドのケララ州に行ったのが最後です。しかも、2022年1月にGoogleがインド通信最大手のBharti Airtelに最大10億ドルの投資をするというニュースが流れたことで、人口増加のメリットを先物買いしたのではないかと思いました。
 今はコロナ禍でなかなか海外には行けませんが、だいぶ変わったのかなという気持ちと、インドってそんなには変わらないのではないかという気持ちが交差しています。それで、本からだけの情報でもと思っていたら、この本と出合いました。
 本の「まえがき」に、「人口も2023年には中国を抜き、14億人を超える見込み」と書いてあり、しかも最近はIT大国としても知られているので、まさにこれからの国でもあります。よくインドはカースト制の国だと思われていますが、この本によると、「インドのカーストは、結婚、職業、食事などに関してさまざまな規制をもつ排他的な人口集団である。そもそも「カースト(caste)」という言葉はインドにはなく、かつてホルトガルの航海者がインドで目にした社会慣行に対して与えた「カスタ(casta)」に由来する。その「カスタ」は、16世紀にボルトガルからやって来た宣教師たちによってもたらされたラテン語での「カストゥス(castus)」の「混ざってはならないもの、純血」から派生し、「血筋、人種、種」を意味する。しばしば「カースト制」、「カースト制度」とよばれるが、カーストは国が定めた制度ではなく、社会的な身分制である。長い年月をかけて根付いていった。」と説明されています。
 ちなみに、私がインド人に聞いたときには、ある意味必要悪で、自分たちの仕事に第三者が入り込めないようにするものだといいました。たとえば、日本ならクリーニングが儲かると思うと、他の人たちもクリーニングを始めますが、インドではクリーニングはもともとそれを職業としてきた人しかできないそうです。つまり、新規参入者はないということです。ただ、そこから抜け出ることもなかなか大変なようです。だから、ITのように今までなかった職業は縛りがないので誰でもできるそうで、収入も多いことから人気があるということでした。
 また、知らなかったのですが、今では世界の薬局といわれるぐらい、世界のジェネリック医薬品の約20%を供給しているそうです。さらに「インドは世界最大のワクチン製造国で、世界のワクチン需要の50%以上を満たしており、最近では、新型コロナウイルス感染症のワクチン製造拠点としても大きな注目を集め、新型コロナウイルス感染症のワクチンを複数国で共同購入し、公平に分配するための国際的枠組みである「COVAX(コバックス) ファシリティ」にもワクチンを供給している。世界の薬局として、新型コロナウイルス感染症との戦いにおいて、インドは大きな役割を果たしている。」ということです。
 最近は、ロシアに近いといわれたり、どちらにも組みしないといわれたり、世界の中でも独自の外交をしていますが、これからは国際的にはとても重要な国になることは間違いないと思います。そのためにも、インドという国をしっかりと知っておきたいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、インドの宗教についての話しです。
 仏教はインドで起こった宗教ですが、現在は人口の0.7%ぐらいで、2011年の国勢調査では、ヒンドゥー教が79.8%、イスラム教が14.23%、キリスト教が2.3%、シク教が1.72%、その次が仏教です。だから、今では仏教はインドではほんの少ししかいないということです。
 でも、その教えは、意外と生活に根ざしていて、布施の心とか生き物を大切にすることとかはおそらくお釈迦さまの教えではないかと思います。
 もし、機会があれば、読んでいただきたい1冊です。
(2023.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
インド文化読本小磯千尋・小松久恵丸善出版2022年11月30日9784621307571

☆ Extract passages ☆

 ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教と加えてシク教は、輪廻の慨念を共有する。これらの宗教は死をもって魂が肉体を脱すると考え、基本的に遺体を火葬する。一方、イスラームとキリスト教とユダヤ教(わずかながらユダヤ教徒もいる)の、いわゆる「アブラハムの宗教」は、人間はただ一度この世に生まれて死に、その後終末の到来にあたって復活し「最後の審判」を受けると考えるため、その日に備えて遺体をそのまま埋葬することを求めてきた。また、ゾロアスター教も明確な終末論をもっており輪廻の概念はない。ただし、アブラハムの宗教とは違い土葬をせず、また火葬も水葬もせず、沈黙の塔という施設で鳥葬・風葬して遺体を消減させる。これは本来清浄であるべき土や水や火を死という悪の要素で汚さないためとされる。
(小磯千尋・小松久恵 編『インド文化読本』より)




No.2144『旅から 全国聞き歩き民俗誌』

 著者の斎藤たまさんは、山形県山辺市の出身で、東京で書店員として働きながら民俗収集の旅にでていたそうで、この本は2017年1月26日に亡くなられてから出版されたものです。生前に校正作業をしていたそうですが、それ以降は遺族が協力してくれたそうで、こうして1冊にまとまると、読み応えがあります。
 とくに興味の引いたのは、なじみのある「正月にヒョウを食べること」で、地元紙の山形新聞に1990年12月27日に掲載されたもので、最近はあまり食べないのですがヒョウ干しについての話しです。それでも家内が好きで、以前はよく干して食べていましたが、孫たちはまったく食べないので、干さなくなりました。このヒョウは、スベリヒユのことで、まさに畑の雑草で、むしり取ってそのまま近くにまとめて置いておくと、また根っこが出てきて増えていきます。
 この本のなかに、「沖縄を歩いている時、道端の畑で、大きく茂ったスベリヒユを背負い籠に集めている婦人がいたので、食べるのかと尋ねたら、どこに置いても根つくので、海に投げ入れるのだといっていた。さて、子どもの遊びは別として、入口に吊るして何かをよけることと、殺しても殺しても死なない強い草であることと、そして、一年の始めにあたってこれを食べるという、これらのことがらは、何かしら縁続きなように思われる。」と書いてあり、なるほどと思いました。
   また、「秩父だより」では、自分自身のことが述べられていて、よほど前の話かと思いながら読んでいましたが、よくよく考えてみると、昭和11年の生まれで38歳のときに秩父に住むようになったのですから、昭和49年ということになります。この年は私が故郷に戻ったときで、ありありとその当時のことを思い出すことができるので、そんなに昔の話しではありません。でも、この本を読むかぎり、相当な昔の話しのように思えるから不思議です。
 まさに、民話の世界にどっぷりと浸かってしまったかのようです。
 下に抜き書きしたのは、ヒカゲノカズラの話しです。紀伊半島の十津川あたりでは、これを「ヤマンバノタスキ」というそうで、「悪病入らんといって家の入り口に吊ってある家があった」といいます。
 そういえば、初めてネパールに行ったときに、東ネパールの奥地の村の祠に、同じように鳥居のような形のところにこのヒカゲノカズラが巻かれていました。そこで、地元の方に伺うと、昔からこのようにするというだけで、その理由はわからないということでした。
 でも、おそらく日本と同じように結界とか、厄除けのような意味があるのではないかと思います。また、伝説では、天岩戸の前で天鈿女命が踊ったときに素肌にまとったといわれていますし、『古事記』には「天香山の日影蔓を手襁に懸け」とあり、この「日影蔓」がヒカゲノカズラだといいます。また『万葉集』にもこの名を詠んだ歌があります。
 また、2019年12月3日に、大嘗宮の儀が行われたところを見に行きましたが、天皇が通る雨儀御廊下の天井からヒカゲノカズラが吊り下げられていましたし、テレビで見ると、衛門(衛士)は、冠にヒカゲノカズラを飾っていました。
 そういうことなどを考えると、そうとう昔からこのヒカゲノカズラをいろいろな意味で使ってきたのではないかと思います。
 この本のような、民間伝承の話しを読むと、何気なく見ているものですら考えさせられてしまいますので、これからもいろいろな方が書いたものを読んでみたいと思いました。
(2023.1.19)

書名著者発行所発行日ISBN
旅から 全国聞き歩き民俗誌斎藤たま論創社2022年11月10日9784846015954

☆ Extract passages ☆

前に九州五木村でも、病気がはやった折家の入口に張った話を聞いた。それ以来、私にはこの草が気にかかるものの一つになっていたのだが、この度も熊野に入って新しい事例に出合った。
 このあたりではオニノクチヒゲなどという、これも楽しい名で呼び、節分にイワシ頭やらヒイラギ枝やらとともに家の出入口に掲げ置くのであった。じっさい、ここに至る前に通った三重県側の紀和町板屋とか、和歌山に入っての熊野川町請川などでは、ほとんど軒並みといっていいほどにこれが吊るしあつたものだ。
(斎藤たま 著『旅から 全国聞き歩き民俗誌』より)




No.2143『世はすべて美しい織物』

 なるべく小説を読まないようにしていましたが、たまたま図書館からこの本の題名に惹かれて借りてきてしまいました。なぜ読まないかというと、読み始めると止まられなくなり、つい読み終わるまで、他のことが手に着かなくなるからです。
 この本の主人公も、織物を織り始めると没頭しすぎて、何も見えなくなるといいますから、ある意味、似たようなことなのかもしれません。
 ただ小説だからなのか、桐生から吾妻山が見えると書いてあり、それって本当なのかなと思いました。ただ、米沢も昔は機織りの町で、近くには蚕の神様を祀ってあるところもあり、すごく似たような雰囲気を感じました。
 そういえば、この本のなかで、新田家の先祖の方が若いころに諸国を巡ったとき、ブータンという国に行って織物の図案を白黒写真で撮ってきたそうで、しかも、その実際の布もあり、兄嫁と弟嫁が身を乗り出して見ているところがありました。そして、その布を復元したそうで、そのブータンがどこにある国かもわからないのに、その布に対する憧れが描かれています。その様子を「ブータン織りの図案や布の実物を、上から下から、それこそ砥めるように眺めて、芳乃なりに試作したものだ。おそらく使われている織機の構造自体も違うのだが、それでも細いヘラを自作し、経糸の一部に隙間を開けて模様糸を織り込むというやり方で進めた。」とあり、試し織りなのに、すごい力の入れようです。
 じつは、私も30数年前にそのブータン王国に行き、植物や文化を調べるなかで、ブータン独特の布とも出会いました。龍の国ともいわれるぐらいなので、龍をデザインした模様もあり、なぜか日本人にもしっくりくるような図案が多かったようです。帰国に際して、とくに気に入った数点の布地を母屋偈に買ってきたことを思い出しました。
 この本のクライマックスのところで、新田家の代々の女性が護ってきたという山奥の石造りの古びた祠が蚕神様ですが、その周りに天蚕がありました。その様子を、「細い茎や葉裏にぶらさがるように、あるいは包まれるようにして、淡い緑の繭がたわわに在った。天然の蚕から紡がれた糸は、森の息吹を存分に蓄え、艶やかな蛍光の緑色となる。木漏れ日の中で羽化を待つ繭の群れは、全き山の子だった。」とあり、家蚕と違い飛ぶこともでき、つがいを見つけて、命をつないでいくといいます。
 なるほど、だからこそ、女性が代々護ってきたのか、と妙に納得できました。この本では、「商売の裏方に徹して家を切り盛りし、子を産み、代をつないできた新田の女達の、ここは祈りの場でもあり、拠り所でもあったのだろう」と書いています。
 そういえば、私もこの天蚕を小町山自然遊歩道で見たことがあり、色も薄緑色で、形も家蚕と違い、一目ですぐにわかりました。でも、自然のなかの天蚕をたくさん集めて糸にして織ることなどできるだろうかと思いました。
 下に抜き書きしたのは、詩織と従妹の沙羅と初めて会い、その沙羅もADHDなのに、さらっと言った言葉です。
 最近は、不自由なことでも、それがその人の特性だといいますが、ここでは神様からのギフトだというのですから、すごいです。さらに、その前に連兄が自分も創作のためにはADHDだったら良かったのにと言っているのを、「ないものねだり」してもダメだよね、と言うんです。
 たしかに、人はいろいろなものを背負って生きていかなければならないのですが、だとすれば、全てを神様からのギフトだと考えられればいいな、と思いました。
(2023.1.16)

書名著者発行所発行日ISBN
世はすべて美しい織物成田名璃子新潮社2022年11月15日9784103548416

☆ Extract passages ☆

「これでも一応ね、思春期の頃なんて失敗するたびに悩んで、お婆ちやんに泣きついてたんだ。でも、今はこのやりすぎなくらい集中しちゃうところとか、閃き即行動の衝動性とか、神様からのギフトだって思えるようになったん。どうあがいたって、この自分と生きていくしかないんだしね」
(成田名璃子 著『世はすべて美しい織物』より)




No.2142『旅行鞄のガラクタ』

 伊集院 静氏は1997年に仙台市に移住し、2020年にくも膜下出血で緊急搬送され、翌日に手術をして治られたようで、後遺症もないと聞いていますが、現在はどうなされているかはわかりません。でも、新刊を出されるわけですから、元気だと思います。
 さて、この本は、全日空機内誌『翼の王国』に2017年6月から2020年3月まで連載された「旅行鞄のガラクタ」に加筆、再編集したものです。要するに、もともとお土産など買わない著者が、飼い始めた犬のために小さなぬいぐるみなどを旅行鞄の隅に入れて帰ったものを写真にして、そこから旅行の物語を紡いでいったものです。
 たしか、私も何度か機内で読んだことがありますが、内容までは思い出せません。でも、2019年までは何度も全日空を利用したことがあり、マイルもたまっているので、思い出せないだけのようです。
 そういえば、「ハビエル城の白い石」というところに載っていた丸いジャガイモみたいな石は、私も海外で拾ってきたことがあり、今、改めて見なおしてもどこだったのか思い出せません。著者のように、「ザビエル」とだけでも書いてあればいいのですが、たしかミャンマーだったかもしれないと不確かな記憶では、まさにただの石でしかないようです。そのうち、思い出したら、書いておこうと思います。
 著者は、「この文字で、二十数年前、スベインのナバラ州にあるハビエル城の前に転がっていた石を拾い上げ、ポケットに入れた記憶がよみがえる」と書いています。このハビエル城こそ、フランシスコ・ザビエルが生まれ育ったところなんだそうです。つまり、ザビエルはここの王様の三男として誕生し、幼いころから勉学にはげんだそうで、ザビエル少年がつねに座っていた椅子があり、その中央部分がへこんでいて、しかも偶然でしょうが、その小さな窓が東方を向いていたと著者は語ります。
 さらに、この石だけでは信憑性がないということで、同伴した家人が「XAVIER」と書いてあるロザリオを買い求めたそうです。これは、中世スペイン語で「ザビエル」のことだそうです。私の場合は、石だけを拾ってきたので、それを裏付けるものが何もなく、ただの石ころになってしまったのです。
 このように見てくると、旅行鞄の片隅に入るものであっても、旅のお土産になると思います。そして、そのようなモノから旅の思い出につながれば、それはそれで楽しいと思います。
 下に抜き書きしたのは、若い人たちに旅をしなさいと勧めるところです。
 そして、自分自身も城山三郎氏にせっかく遠い国まで出かけるなら、無所属の時間を持ちなさいと言われたそうです。著者は、無所属の時間というのは何かと考え、「簡単に言えば、私は作家であるから、歩いていても、酒を飲んでいても、小説のことを考えてしまう。そういう発想をどこかに仕舞って、作家以前の自分、作家以外の自分になって歩いてみることなのである。やってみるとこれがなかなか難しい。気が付けば、小説のことを考えている。」とあり、たしかにせっかくの一人旅なのに、それができないというのはわかるような気がします。
 私自身も、若い時は、せっかくここまで来たのだからあそこまでは行こうとか考えたのですが、今では、無理してそこまで行かなくてもいつかは行けるかもしれないと考えるようになりました。日程も、2泊のときは3泊にし、1週間のときは10日にしたりして、なるべくゆっくりと旅をするようになりました。
 そうすると、思わぬ出会いがあったり、偶然にもガイドブックにも載らないような絶景を見つけたりします。
 でも、よくよく考えて見ると、年をとってきたからこそ、時間が生まれ、余裕ができて、旅ができるようになったのかもしれません。今年も、ゆとりのある旅をしたいと、この本を読みながら思いました。
(2023.1.13)

書名著者発行所発行日ISBN
旅行鞄のガラクタ伊集院 静小学館2022年12月3日9784093888837

☆ Extract passages ☆

……私が若い人に、自由になる時間があれば、一番安いチケットを買って、君の知らない国を旅しなさい、と常に言うのは、旅というものが人間に与える力が、他にたとえるものがないほど、さまざまなことを身に付けさせてくれるからだ。何を具体的に授かるか? とその答えを一言で申せぬほど、十人の旅人は、十色の貴石を手に入れる。
(伊集院 静 著『旅行鞄のガラクタ』より)




No.2141『「食」の図書館 イチジクの歴史』

 この「食」の図書館シリーズは、写真やイラストが多く、とてもおもしろいので、10冊程度は読んでいます。とくに、果物が好きなので、それに関連したのが多いのですが、このイチジクも、その流れで読み始めました。
 イチジクで一番印象に残っているのは、ミャンマーに行ったときに、ある大学の先生が以前植物調査をしたときに食べたイチジクのジャムがとても美味しかったという話しをしたので、今度はぜひそれを作っているところにまわろうということになり、ポパの町に行きました。たしか2013年2月だったと思います。
 小さなお店で、そのポパジャムの作り方を見せていただき、さらにそのイチジクが生えている山を教えてもらい、そこへも行きました。とんでもない大木で、幹や枝先まで、たくさんの小さなイチジクが鈴なりになっていました。そのときの印象が強く、このイチジクの本もとても楽しく読みました。
 もともと、このイチジクは生で食べるのが一番美味しいそうですが、この本には「イチジクは木から摘み取ったばかりのものを生で食べるのが一番おいしいが、入手できる機会は限られている。食物の風味のヶミストリー(相性)や味覚について誰よりも詳しいハロルド・マクギーは、完熟したイチジクには独特のアロマがあり、これは主にスパイシーなフェノール化合物と花のような香りのテルペン(リナロール)によるものだという。このアロマは、本で熟した新鮮なイチジク特有の風味のひとつである。しかし、イチジクほど傷みやすい果物はない。収穫が1日でも遅れると、柔らかくなってぐちゃぐちゃにつぶれてしまう。……人類が古くからイチジクを乾燥させて保存しようとしてきたのは、こうした理由からだ。」と書いてあります。
 では、このイチジクの原産地はとこかというと、はっきりしたことはわからないそうですが、考古学や古植物額の研究などから、「カプリイチジクは1万1000年以上前から存在していたことが示されている一方で、イチジク栽培の起源は約6000年前のアラビアやメソポタミアにある可能性が最も高い」そうです。
 そして、イチジクが注目されるようになったもうひとつのきっかけは、トルコのアソスで2008年に発見された約2400年前のアソスの墓のひとつに、食用のイチジクが埋められていたことです。そのアンス遺跡発掘の責任者ヌレッティン・アルスランは、「このイチジクは、熟す前の状態で墓に入れられたおかげで、腐ることなく今日まで残ったのだろう」と話しているそうです。
 でも、熟す前の状態だからといっても、腐ることがなかったというのは、ちょっと不思議ですが、それが自然のドライフルーツになってしまっていたからかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、序章の「イチジクとは」に書いてあったものです。
 そもそも、日本ではあまりメジャーな果物ではないので、世界、特に中東地域では盛んに栽培されているようですが、たしかにドライフルーツという印象の方が多いようです。
 ただ、それすらもあまり食べる機会がなく、この本を読んで、今度見つけたら食べて見たいと思いました。
(2023.1.10)

書名著者発行所発行日ISBN
「食」の図書館 イチジクの歴史デイヴィット・C・サットン 著、目時能理子 訳原書房2022年10月31日9784562072149

☆ Extract passages ☆

生のイチジクは贅沢な果物として扱われ、栽培がさかんな国でもときには最高級の果物と称される。乾燥イチジクは生に比べると目立たない存在だが、地中海沿岸の国々では古くから主食とされてきた。古代ローマでも、進軍中の兵十たちにパンの代用品として乾燥イチジクを食べさせたと言われている。世界で収穫されるイチジクのうち、85パーセント以上がドライフルーツに加工され、10パーセント以上が缶詰または瓶詰にされる。生で食べられるイチジクは約3パーセントにすぎない。
(デイヴィット・C・サットン 著『「食」の図書館 イチジクの歴史』より)




No.2140『After Steve』

 おそらくスティーブ・ジョブズを知らない人はいないと思うが、自分のガレージで、友人のエンジニアであったスティーブ・ウォズニアックと2人でアップルを創業し、そこから追い出され、業績不信に陥ったアップルに自分が創業したNeXTを売却するという形で復帰し、そしてアップルを世界的企業に育て上げました。このときの給料は年1ドルだったという話しがありますが、この本でも、本人の弁として載っています。しかし、2011年10月5日、56歳で膵臓腫瘍の転移による呼吸停止により亡くなられましたが、この本はその後のアップルについて書いた本です。
 まさに、スティーブ・ジョブズ亡き後の「3兆ドル企業を支えた不揃いの林檎たち」の物語です。このアップルという社名は、スティーブ・ジョブズが好きだったビートルズとそのレコード会社、アップル・レコードにちなんでつけられたそうです。
 この本のなかに、スティーブが亡くなる2年も前からほとんど仕事はしていなかったようですが、いかにも自分が全てを統括しているかのような印象を与えていました。だから、亡くなられても、アップルの仕事はそのまま続けられたのでしょうが、世間はスティーブがいないアップルに魅力を感じなくなるのではないかという危惧は多くの社員も思っていました。
 このときの様子を、「熱烈なアップルファンはカルト信者のように熱狂し、同社を擁護した。手首にアップルのロゴや宣伝文句のクトゥーを入れる人までいた。CEOジョブズは救世主のように崇め奉られ、黒いタートルネックに、リーバイス501のジーンズ、ニューバランスのスニーカーというカジユアルな服装が、聖職者のようなたたずまいを際立たせた。彼は現実を歪曲できた。自分の着想の妨げになる「工学や製造の限界」を受け入れず、不可能と思われることでも実現は可能であるとデザイナーとエンジニアを説きつけた。その説得力から、この男なら死をも克服できると信じる人たちもいた。」というから、まさにカリスマです。
 そのジョブズがいなくなけば、アップルそのものの存在も危ういと考えるのは当然ですし、株式市場もそのように考えていたのではないかと思います。
 しかし、ティム・クックとジョニー・アイブ等は、なんとかそれを乗り越え、さらにジョブズのときよりもさらに大きな会社にしていったのです。そのことが、この本の大きな流れです。これを読めば、といっても493ページもあるのですが、アップルという会社のことがわかるような気がします。
 「21 機能不全」に書いてあったのですが、ジョブズの遺志を継ぎ、アップルが推定50億ドルをかけて本社ビル「アップル・パーク」を建設しました。その建設に主に関わったのがアイブで、ジョブズは彼を「魂のパートナー」だと語ったこともあります。
 しかし、不思議なことに、大きな建設をするとそこから下降期に入りこむようです。この本には「資本主義の聖堂はこれまで、企業の幸運が反転する前触れだった。好景気中に潤沢な現金を持つ企業が虚勢を張って大きな建物を造るのはよくあることだが、絶頂期に浮かれていただけのこととあとから気づくのがオチだった。1970年、製缶大手アメリカン・キャンはコネティカット州グリニッジの約63万平方メートルの広大な敷地へ移転後、一連の人員削減と売却に手をつけるはめになった。エネルギー大手エンロンは50階建て本社ビルの建設途上で破産申請した。破壊的な勝利と迅速な衰退が繰り返されるシリコンバレーという事業環境で、この傾向は顕著だった。アップルが購入した70万平方メートルの土地は、パソコン市場の低迷後にヒューレット・パッカードが手放した土地にあとからさらに買い足したものだ。サン・マイクロシステムズの化石化した本社ビル(2000年完成)をフェイスブックは引き継いだが、それはドットコムバブルの崩壊でサンの事業が壊滅的打撃を被ったときだった。マーク・ザッカーバーグは2011年、この敷地を引き継ぐにあたり、成功に安住する危険を社員が忘れないようサンの看板をそのままにした。」と書いてあります。
 たしかに、企業には波があり、よい時もあれば悪いときもありますが、その波にうまく乗るのが経営のトップの責任です。だから、「アップルの宮殿もいつか、愚かだったとわかる日が来るのだろうか?」と書いていました。
 それにしても、もともとアップルは秘密主義で有名なのに、これだけのことを書くには、相当な情報源がなければ書けません。それで、この本の最後に、「情報源について」という1項目を付け足していますが、そこに「成功は秘密主義にかかっているという信念が共有されている。メディアに話を漏らす人間は会社に不利益をもたらすと、みんなが信じている。アップルを辞めたあとでも、記者に話した者は仲間はずれに遭う。解雇された者や、訴えられた者もいる。こういう文化があるおかげで、アップルにまつわる報道は非常に難しい。社員どうしでもたがいに固く口を開ざしてしまうことがある。夫婦であっても異なる部署にいれば、何年も仕事の話をしない。ある夫婦は退職して長い時間が経ってようやく、自分がどんなことをしていたかを打ち明けたという。それだけ勇気が必要なことなのだ。」と書いていて、そのような環境のなかでこれだけの話しを導き出すということはすごいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「エピローグ」の最初に書かれていたものです。
 たしかに、アップルは「二人組」に支えられてきたと思います。この本を読んだあとも、たしかにそうだと思いました。おそらく、すごい革新性をもった人と、それを現実に商品化する人、あるいはホンダのように、本田宗一郎がバイクにのめり込み、藤沢武夫が販売や財務に集中するというように、また井深大と盛田昭夫との関係のように、二人組の強さはあります。
 でも、この本を読むと、その強さがうまく調和しているのはアップルかもしれないと思いました。
(2023.1.8)

書名著者発行所発行日ISBN
After Steveトリップ・ミックル 著、棚橋志行 訳ハーバーコリンズ・ジャパン2022年10月21日9784596754134

☆ Extract passages ☆

 アップルの錬金術は長らく、先見性を備えた「二人組」に支えられてきた。それはスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズによって誕生し、ジョブズとジョニー.アイブによって復活し、アイブとティム・クックによって維持されてきた。
 ジョブズの死後何年か、シリコンバレーはアップルの事業の行き詰まりを予想した。ウォール街もその前途に不安を抱いた。忠実な顧客たちは愛する製品イノベーター、アップルの未来を心配した。
 10年後、アップルの株価は過去最高を記録した。時価総額は8倍以上の3兆ドル近くまで上がり、世界のスマートフォン市場を支配する勢いに衰えは見えない。破壊的イノベーターとしての輝きは失われつつも、ウォール街の寵児となった。
(トリップ・ミックル 著『After Steve』より)




No.2139『世界の紙と日本の和紙』

 今年最初に読む本を探していたら、この本に出合いました。題名の前に「紙の温度」が出会ったとあり、私も偶然ですが、いい本と出合いました。
 この「紙の温度」という名前は、紙のぬくもりを伝えたいという思いが込められているそうですが、私自身も紙は大好きで、海外でもその国の紙を探したり、偶然出会ったりしています。たとえば、韓国に陶磁器を見に行ったときに韓紙を見つけたり、ネパールで日本で紙漉きを習ってきて漉いている工房を訪ねたり、中国雲南省でおもしろい紙に出会ったりもしています。おそらく、好きだからこそ、自然と足が向くのかもしれませんが、本屋さんにも行くので、そこで紙を扱っていることも多いようです。
 今では、紙箪笥にしっかりとたくさん保管しているので、そこから選んで手紙を出すときなどに使っています。
 さて、この本は、「紙の温度」を創業して30年の花岡成治さんと創業時からそれを支えるスタッフである店長の城ゆう子さんの話しを鈴木里子さんが文章にまとめ、紙の写真は井上佐由紀さんが担当したようです。2014年に「和紙 日本の手漉和紙技術」がユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、これはすでに遺産ですから、斜陽化はだいぶ進んでいます。今年の夏に会津若松の武藤紙店に行きましたが、紙そのものより他の商品が多かったようで、紙だけで商売ができる時代ではなさそうです。そこで、珍しい紙を探そうと思いましたが、自分で見ることはできず、この本には、「たとえロスが出てもいいからとにかく触ってもらおう」というのはとても有難いと思います。和紙は触ってみないとわからないところがありますが、そこが売る側にとっては神経を使うわけです。
 たしかに、洋紙と和紙の風合いは違いますが、大きな違いは「洋紙はすべて目的があって生まれてきます。目的が明確でない紙はなかなか売りにくいのですが、でもうちにあることで新たな用途が見つかるのではないかという期待を抱いて置いています」と書いてあり、なるほどと思いました。
 というのも、私も何に使うかわからないで求めてきた紙も多く、そのまま紙箪笥のなかに入れてあり、何か必要なものがあるときに開いては中から引っ張り出すことがあります。紙は、必要だからその都度買うだけでなく、ある程度のストックがあると、もしかするとこれに使えるかもかもしれないというときもあります。毛筆に適した紙が必要だったり、万年筆に書くときもあり、あるいは何も書かずにラッピングに使うときもあります。
 この本を読んですごいと思ったのは、もともと名古屋に和紙を作っているところはなかったそうですが、自分たちで名古屋オリジナルの紙を作ろうと、1998年から呉服の「名古屋友禅」と「有松絞り」を和紙に染めてもらうことにチャレンジしていることで、ほしいものがなければ自分たちで作ってしまおうというところがいいと思いました。
 下に抜き書きしたのは、この本の一番最初に書いてあったネパールの「ロクタ紙」についてです。
 私もネパールには6回ほど行っていますが、ここに出てくるような紙の工房にも行ったことがあります。ネパールの友人に頼んで、シャクナゲのパターン柄の紙を探し出してもらい、だいぶ買ってきましたが、それは木版で押したもので、今ではなかなか手に入らないかもしれません。他にも、手帳とか便箋とか、いろいろと買ってきましたが、この本によると、「ミシンで縫うこともできます。近年はその丈夫さを活かしたバッグやペンケース、小物入れなども人気です。「紙の温度」でも、巻いた紙を持ち連びできるオリジナルの肩掛けエコバッグをつくっています。素朴で強くて、しかも安価。……内装材としても人気があり、和紙にはないラフな質感がかえっていいという建築家やインテリアデザイナーの方も多いです。」とあり、いろいろな用途にネパールの「ロクタ紙」を使っているようです。
 私も自分で買ってきたさまざまな紙製品を見て、ネパールの旅を思い出しながら、何かに使ってみようと思いました。
 今年もたくさんの本と出会って、本との一期一会を楽しみたいと年の初めに考えました。
(2023.1.4)

書名著者発行所発行日ISBN
世界の紙と日本の和紙紙の温度差株式会社グラフィック社2022年11月20日9784766136715

☆ Extract passages ☆

 ネパールの紙は生成りや染め紙以外に、プリントもあります。以前は手彫りの木版でバターン柄を押す「ブロックプリント」が主流でした。彫り師に会いに行ったりもしましたが、最近はスクリーン印刷がブロックプリントに取って代わるようになりました。少し残念な気もします。モダンな柄が増えてきていて、これはヨーロッパのデザイナーが現地に滞在して指導に当たっているからです。ネパールは、ゆっくりと変化のときを迎えています。
(紙の温度差株式会社 著『世界の紙と日本の和紙』より)




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