☆ 本のたび 2024 ☆



 学生のころから読書カードを作っていましたが、今時の若者はあまり本を読まないということを聞き、こんなにも楽しいことをなぜしないのかという問いかけから掲載をはじめました。
 海野弘著『本を旅する』に、「自分の読書について語ることは、自分の書斎や書棚、いわば、自分の頭や心の内部をさらけ出すことだ。・・・・・自分を語ることをずっと控えてきた。恥ずかしいからであるし、そのような私的なことは読者の興味をひかないだろう、と思ったからだ。」と書かれていますが、私もそのように思っていました。しかし、活字離れが進む今だからこそ、本を読む楽しさを伝えたいと思うようになりました。
 そのあたりをお酌み取りいただき、お読みくださるようお願いいたします。
 また、抜き書きに関してですが、学問の神さま、菅原道真公が49才の時に書いたと言われる『書斎記』のなかに、「学問の道は抄出を宗と為す。抄出の用は稾草を本と為す」とあり、簡単にいってしまえば学問の道は抜き書きを中心とするもので、抜き書きは紙に写して利用するのが基本だ、ということです。でも、今は紙よりパソコンに入れてしまったほうが便利なので、ここでもそうしています。もちろん、今でも、自分用のカードは手書きですし、それが何万枚とあり、最高の宝ものです。
 なお、No.800 を機に、『ホンの旅』を『本のたび』というわかりやすい名称に変更しました。最初は「ホンの」思いつきではじめたコーナーでしたが、こんなにも続くとは自分でも本当に考えていませんでした。今後とも、よろしくお願いいたします。



No.2278『免疫学夜話』

 前書きは「遺伝子が語る」で、副題が「事故を攻撃する体はなぜ生まれたか?」です。
 今年の初めまで猛威を振るっていた新型コロナウイルス感染症のこともあり、興味を持って読みましたが、予想以上におもしろいことが書いてあり、あっという間に読み、それから何度か引き返しながらも読みました。最近では珍しく、抜き書きカードも10枚近くなりました。
 著者は、自己免疫疾患を専門とする医師で、ではなぜ自己免疫が起こるとやっかいなのかについて、「感染微生物に対して免疫が攻撃するときは、その微生物がいなくなれば戦いは終わります。ところが、「自己」を相手に免疫が戦いを始めた場合は、その戦いは「自己」の臓器を破壊しつくすまで終わらない、という点です。そしてその結果、生体にとって大切な臓器の機能が失われてしまうのです。例えば1型糖尿病では、膵臓が自己免疫によって攻撃、破壊されるため、膵臓が分泌しているインスリンという物質を全く作れなくなって、糖尿病になってしまいます。そのため、この病気になった人は一生、インスリンを打ち続けなければなりません。あるいは関節リウマチでは、関節が免疫の主たる攻撃対象になって壊されますので、患者さんの身体機能が大きく障害されます。」と書いてあり、知り合いに糖尿病なのでインスリン注射を打っている方がいますが、これで納得です。つまり一生し続けなければならないということは、大変なことです。
 日本に初めて天然痘が入ったときの話しは、とてもインパクトがあります。この前の新型コロナウイルス感染症のときもそうでしたが、世界中が大きなパニックに襲われ、今までの生活が一変してしまいました。孫たちも学校に行けなくなり、不要不急の外出はできず、買いもの難民も生まれました。何もかも初めての体験でした。
 しかし、同じようなことが昔にもあったわけで、津波と同じように何百年も経てば忘れてしまいます。そこで、これを抜き書きしますと、「日本でも、奈良時代の天平9年(西暦737年)に天然痘が初めて入ってきたときは、当時の日本の人口の約30%に当たる100万〜150万人が死亡する大惨事となりました。続日本紀の天平9年是年条には、「是の年の春、疫瘡大きに発る。初め筑紫より来りて、 夏を経て秋に渉る。公卿以下、天下の百姓、相継ぎて没死ぬること、勝げて計うべからず。近き代より以来、未だこれ有らざる也」と書かれています。当時権力の絶頂期にあった藤原四兄弟もこの天然痘で死にました。この未曾有の大疫禍を受け、聖武天皇が仏教の力でこれを退散させることを願い、巨大な毘盧遮那仏の建立を詔勅したことはよく知られています。」  おそらく、今までこのような未曾有の大疫禍は何度か繰り返されてきたと思いますが、徳川時代の初期にはあまりなかったそうです。考えて見れば、鎖国をしていたこともあり、海外との交流はほとんどなく、新型コロナウイルス感染症の流れをみていても、外国から入ってくることが多いので、今のように公共交通機関が世界中に張り巡らされていればあっという間にまん延してしまいます。
 だからといって、今さら、海外にも行かず、なるべく動かないというのも現実的ではありません。だとすれば、この本に書いてあるような知識を身につけて、気をつけなければならないのですが、ある意味、いつ誰が自己免疫疾患になるか、あるいはガンになるかはわかりません。だからといって、ときどき人間ドックに行って調べるとしても、むしろ不安になったりします。
 このような病気に関しては、なってから考えるという選択肢もあってもいいのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、第7章「清潔」という病に書いてあったものです。
 そういえば、私の小さいころには寄生虫を体外に出すということで虫下しを飲ませられ、太陽が黄色く見えるなどと話していましたし、青洟を垂らして袖口をベタベタにしている子どももいました。今では考えられないような環境でしたが、笹で作った鉄砲に杉の実をなめてから詰め込み、パチッとはじいては楽しんでいました。
 この本を読んで、だから私たちの時代には花粉症がなかったのだと納得しました。
 下の1989年のベルリンの壁の話しは、すごく納得できました。そして、今の子どもたちに、私たちが育ったときのような生活をしてほしいとは思いませんが、あまり清潔にこだわり過ぎないことも大切だと話したいと思います。

(2024.2.25)

書名著者発行所発行日ISBN
免疫学夜話橋本 求晶文社2023年12月20日9784794973993

☆ Extract passages ☆

 1989年のベルリンの壁の崩壊によっても、興味深いことがわかりました。壁の崩壊前、西ドイツは東ドイツよりも経済状況がよく、西ドイツ市民は東ドイツ市民に比べて衛生的な環境に住んでいました。また、東ドイツでは石炭などによる大気汚染も西ドイツよりもはるかにひどい状態だったのです。ところが、東ドイツと西ドイツの住民を比べると、西ドイツに住んでいる人たちのほうが、気管支喘息などのアレルギー疾患の発症が多かったのです。
 そして、ベルリンの壁の崩壊の翌年に東西ドイツが統一され、東ドイツの衛生環境も大幅に改善しました。ところが、この壁の崩壊後に、東ドイツでアトピー性皮膚炎や気管支喘息などのアンルギー疾患が多発したのです。そしてアレルギーの発症は、その人たちが生まれた年によって大きな違いがありました。壁が崩壊したときに、すでに3歳以上であった人たちの間ではアレルギーは増加せず、それ以降に東ドイツで生まれた人たちの間で、アレルギーが多発していたのです。
(橋本 求 著『免疫学夜話』より)




No.2277『ブッダに学ぶ 老いと死』

 著者の本は何冊かは読んでいますが、この本は昨年末に出版されたので、92歳になるそうです。
 だとすれば、宗教学者としてよりは、今まで生きてきてこれから迎える「老いと死」の話しになるかもしれないと思い、読むことにしました。お釈迦さまもそうですが、あの当時に80歳まで生きるということは、今の100歳より何倍もすごいことだと思います。
 しかも、最近は西洋の「ゆりかごから墓場まで」という福祉施策が拡がり、たしかにいいこともありますが、老人も赤ちゃんと同じように公的に面倒を見なければならない存在になってしまいました。しかし、東洋の考え方としては、敬老思想があります。これは介護しなければならないというよりは、いわば落語の世界でいえば、ご隠居さんです。落語を聴くと、熊さんや八っつあんにいろいろ教えてやったり、夫婦喧嘩の仲裁をしたり、町内の世話役をしていました。まさに、いなければならない存在だったわけです。
 特に日本の翁崇拝は、著者も書いてあるように「たとえば、日本の仏教の中にはお浄土は山の中にあるという山中浄土観がありますが、それはこの伝統に列するものと言えます。死んだ人の魂は山に登る。それが供養を受けると、やがて氏神になる、山の神になる。いわゆる山岳信仰です。要するに日本では、伝統的に神は人間がなるものなんですね。翁は人が年を取った姿だから、人と同じように神さまも無数に存在するわけです。これが日本の宗教的土壌です。さて、人の一生の中で一番死に近い、つまり神に近いライフステージはどこか。それは老人の段階です。年を取り、老いていくことはそれだけ神に近づいている。老人であればあるほど神への最短距離にある。これが日本の翁崇拝の基本です。」と書いています。
 そういえば、だいぶ昔に読んだ本に、熱帯のある部族人々は、老人が亡くなると高い山に葬るそうですが、娘たちはその山に赤い花を摘みに行くと身ごもるそうです。おそらく、亡くなられた人がまた娘さんの子となって再生するという思想ではないかと思ったことがありますが、いかにもアジア的です。こういう輪廻転生もあるのかなと思いました。
 この本でおもしろいと思ったのは、インドのヒンドゥー教の考え方で、四住期というのがあります。それは第1が「学生期」で学びの期間、第2が「家住期」で家に住み仕事をして家庭を営み活動する期間です。第3は「林住期」で家督を譲り家を出て自由な生活を送る期間です。そして第4が「遊行期」で死ぬための準備をします。とくにこの「林住期」的な生き方として、中国では仙人などにそれに近い生き方がありますが、日本の場合は、「林住期という人生観の特徴は、世俗的な生き方と聖的な生き方が入り混じっているところがあることです。欲望の世俗的世界に徹底するわけでもなく、禁欲の聖的世界に徹底するわけでもない。中途半端に俗と聖を出たり入ったり、行ったり来たりする。その意味では、自由気ままで遊戯的な生き方です。この点、日本には古来、「半僧半俗」「非僧非俗」という仏教者たちの生き方があります。それは平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄』に「遊びをせんとや生まれけむ」とあるような人生観です。これが日本に継承されている林住期的生き方です。」と書いています。
 私もそのような生き方ができればと思います。あまりにも禁欲の世界に徹底するのでもなく、だからといって自分が欲するままに生きるというのでもなく、いわば中道を歩くようなものです。そして老いながらも、死を迎えるまではそのように生きたいと願っています。
 そういえば、一世を風靡した100歳のきんさんは、息子さんの成田幸男氏によると、「きんさんの大往生は2000年、107歳だった。自宅でいったん起床したが「眠てえで、もうちょっと寝てるわあ」と言って再び目を閉じた。30分後、そのまま息を引き取った。」そうで、まさにこれこそ生ききったといえるのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、第1章「ブッダの教えを体感する」の最初に書いてあったものです。
 実は、私もなんどかインドの仏跡を歩いたことがあり、この本を読みながらそれらを思い出しましたが、今は簡単にクルまで移動できますが、お釈迦さまはほとんど歩いて移動していました。すると、歩きながら考えたりできます。
 そういえば、私自身も山に登ったり、野原を散歩したりすると、いろいろと考えます。つまり、歩くということは、考えることだとあらためて思いました。

(2024.2.21)

書名著者発行所発行日ISBN
ブッダに学ぶ 老いと死(朝日新書)山折哲雄朝日新聞出版2023年12月30日9784022952455

☆ Extract passages ☆

 旅の道中では、インド古来のバラモン教(ヒンドゥー教)の経典をはじめ、さまざまな書物を読んでいたことでしょう。何に向かって生きたらよいのかというような人生問題について、先人たちが何を主張し、何を考えていたのか。勉強する中で一つひとつ吟味しながら自分の考えを深めていったはずです。
 歩いては読み、読んでは考え、考えてはまた歩き出す。釈迦は家出後、そんな生活をずっと繰り返していたと想像できます。
 私が特に注日するのは、私たち現代人と異なり、釈迦にとって歩くことが日常生活の上で重要な役割を占めていたという点です。
(山折哲雄 著『ブッダに学ぶ 老いと死』より)




No.2276『井上ひさしの読書眼鏡』

 この本の最初に、「その日に届いた書物を、書庫から仕事部屋へ運んで、「すぐ読む」「そのうちに読む」「いつか読む」の三つの山に分ける。読み終えた書物は、これもまた、「机の近くに置く」「後日のために書架に並べる」「郷里の図書館、遅筆堂文庫に送る」の三種に分ける。これがわたしのもとへ届いた書物の、おおよその動きです。」と書いてあり、私はその遅筆堂文庫に泊まるという企画があり、井上ひさしの作品が並んでいるスペースの下に寝袋を広げて寝たことがあります。
 もちろん、夜遅くまで手当たり次第に持って来て読み、朝もまだ明けきらない時間が図書館のなかを歩き回ったことを思い出します。過去に2回、同じような企画があり、2回とも参加しました。
 これほどの本に囲まれて眠るということは至福の時間で、まさに本の海にうたた寝をしてしまったような感覚でした。もし、これからもこのような企画があれば、ぜひ参加してみたいと思っています。
 この『井上ひさしの読書眼鏡』は、解説の松山巌氏によると、読売新聞の書評欄に2001年から2004年にかけ断続的に書いたものを集めたものだそうです。ですから、今では手に入らない本もありますが、これは読んでみたいと思う本もあり、さっさく注文しました。
 そのなかで、経済学者の金子勝氏と社会学者の大澤真幸氏の『見たくない思想的現実を見る』(岩波書店)に書いてあるという「〈沖縄県が基地を引き受ける代わりに公共事業の増分を求める思考法は、危険=リスクの発生源である原子力発電所を引き受ける代わりに、補助金の増額を受けるケースに似ている。要するに、危険を引き受ける代わりに多くの公共事業を割り当ててもらうという発想である。……問題は、「危険物」を引き受ける代わりに、多くの公共事業と補助金を受けるという「論理」は、永久にその「危険物」を必要とするようになるという点にある。〉」と書いてあり、このときに思い出したのが、ある原発近くのお年寄りがテレビの取材で聞かれて、「このお弁当が補助金で100円で買えるんです」と話していたことです。
 もちろん、どこの弁当屋さんに行っても買えるような弁当ではなく、しかも各家に配達してくれるというから、ほとんどが補助金暮らしです。
 人は、見たくないものは見たくないから、自分に都合のよいところだけを見るようになります。だから、将来に禍根を残すということであっても、なるべみ触れないようにしたがるのです。
 それと似たようなことですが、「軍事裁判に三つの意義」というところに、アメリカの歴史家、ジョゼフ・パーシコの『ニュルンベルク軍事裁判』(原書房)があり、このなかにヘルマン・ゲーリング(航空相・国家元帥)が、つぎのような話しをしたといいます。「〈もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無傷で帰ってくるぐらいしかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて思うはずがありません。 一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに、その指導者のいいなりになるように仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと場り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやり方はどんな国でも有効ですよ。〉」と書いてありました。
 まさに、今現在も行われている戦争も、まったく同じような図式です。今でも一般国民は絶対に戦争を望んではいません。それでもなぜ戦争が起こるのか、その思考法は今も昔もまったく同じような気がしました。
 下に抜き書きしたのは、「未来見据える知者の英知」に書いてあったものです。
 その根拠となる本は、山崎正和氏の『二十一世紀の遠景』で、それを読むとたんなる物知りか英知を創り出すことのできる真の知者かがわかるといいます。そして、そのような人は思いのほか少ないと井上ひさしはがっかりしてしまいます。
 たしかに、その通りです。昨年、NHKの『らんまん』で牧野富太郎博士の人生がモデルになったのですが、彼は東大では助手でした。つまり、研究者というよりは、昔の本草学者のような植物をたくさん知っている方です。そのとき、知り合いの植物研究者に彼との違いを聞いたときに、今の植物の研究は、ある植物に着目して、それを徹底的に研究しその生態系や生き方を調べ、全容解明を目指すということでした。
 この話しを聞き、「未来見据える知者の英知」とクロス部分があり、なんとなく納得できました。

(2024.2.19)

書名著者発行所発行日ISBN
井上ひさしの読書眼鏡(中公文庫)井上ひさし中央公論新社2015年10月25日9784122061804

☆ Extract passages ☆

自分の知っていること、学んだこと、考えたことを、揉んで叩いて鍛えて編集し直して、もう一つも二つも上の「英知」を創り出すことのできる真の知者が、思いのほか少ないのでがっかりしてしまうのです。
(井上ひさし 著『井上ひさしの読書眼鏡』より)




No.2275『庭仕事の神髄』

 2023年12月16日に朝日新聞の書評に載っていたり、その前にもタイムズ紙に「今年読むべき1冊」として紹介されたり、何かと話題になった本です。
 しかし、実際に手に取ってみるとずっしりと重く、368ページもあり、原書柱や引用文献も30ページあり、よほど根気よく読まないと続かないと思いました。以前なら、そんなことを考えずに読み続けられたのですが、最近はそうもいかず、つい、諦めてしまいます。
 ところが、この副題が「老・病・トラウマ・孤独を癒やす庭」で、私自身もだんだんと直面する話題なので、節分が終わってから、腰を落ち着けて読むことにしました。
 イメージとしては、私自身も植物を育てたり、土に触れたりしていると楽しいし、自然と触れ合っているという気持ちにもなります。著者は、イギリスの精神科医で心理療法士です。また夫は世界的に有名なガーデン・デザイナーだそうで、庭仕事に人間の深層的な癒やしがあるのではないかと思いました。
 第1章「始まり」のところで、「庭はしっかり守られた物理的な空間であり、精神的な空間のありかを教えてくれる。そして静寂の中で自分自身の考えに耳を澄ませることができる。手を使う作業に没頭すればするほど、自分の内面で自由に感情をより分け、それを処理することができるのだ。最近私は、心を静め、心にのしかかる圧力から自由になるために、庭仕事に向かう。どういうわけか、バケツが雑草でいっぱいになるにつれて、私の頭の中でジャングルのようにからみ合いせめぎ合っていた考えはすっきりと片付いていくのだ。眠っていた考えが浮かび上がってきたり、ほとんど形を取ることのなかった思いが、結合し合って、予想に反して具体化することもある。このような時、ありとあらゆる身体的な活動と並んで、私は自分自身の心のガーデニングをしているように感じる。」と書いてあり、「心のガーデニング」という言葉はいいなあ、と思いました。
 私の経験からも、修行から帰ってきてから小町山自然遊歩道を作り始めましたが、時間を見つけては外に出ていました。今のようにスマホもなかったので、何度山まで呼びに来られたかわかりません。それでも冬の夕方に誰も来なくなってから、林業用の一本はしごで杉の木に上り、下枝を落としましたが、そのお陰もあって、木々のすき間もでき、下草も元気に育っています。やはり、今も元気に育っているのを見ると、うれしくなります。
 この本のなかで、特に印象的だったのは、戦争で深い傷を負ったり、人間性を破壊するような衝撃を受けた軍人たちの話しです。今も世界のどこかで戦争が行われていますが、どこでも殺戮と破壊の連鎖が起きています。戦争の救護所に所属していた司祭ジョン・スタンホープ・ウォーカーは、「これほどまで破壊された人間性を見つめながら働くことで、ウォーカーは断続的にひどい無力感に襲われた。回復期の患者のほんのわずかしか彼の礼拝に出席しようとせず落胆した。ウォーカーの説教は傷病兵たちの興味をひかなかったが、彼のつくった庭には関心が集まった。七月半ば、彼はこう書いている。「庭は花々で本当に輝く明るさだ。エンドウマメの最初の一列はもう食べられる。血まみれの兵士たちが皆、大きな豆の鞘を大いに褒めてくれる。緑のトマトは形になってきたし、それに小さなカボチャ、ニンジンはとてもいいものができた」。彼の庭への称賛は他の宿舎からも届いた。」とあります。
 いかに戦争というのは人間性に深刻なダメージを与えることか、でもそれを癒やすのに自然や植物たちの新鮮な輝きが大切で、しかもそれが口に入る野菜たちだと直感的に興味を引きます。人間、いかに植物たちの存在が大切かがわかるエピソードです。
 下に抜き書きしたのは、第2章「病院からの眺め」に書いてあったものです。
 そういえば、だいぶ昔に、心臓病の患者の手術に際し、1日も早く治るように祈願をするという実験を聴いたことがありますが、この場合も同じように手術から回復するときに花や緑の植物たちが手助けになるという話しです。
 これはカンザス大学の研究チームが最近行った研究結果ですから、それなりの信頼性はありますし、私も長年植物たちと接してみて、そうだと思いました。

(2024.2.16)

書名著者発行所発行日ISBN
庭仕事の神髄スー・スチュアート・スミス 著、和田佐規子 訳築地書館2021年11月10日9784806716266

☆ Extract passages ☆

患者は全員テレビを持っていて、半分の患者はさらにベッドの近くに花の咲いている植物があった。合計で90人の患者が虫垂を切除されたあと、ランダムにどちらかのタイプの病室に割り当てられた。手術からの回復期に、花が部屋にある患者のほうが、機嫌がよく、不安も少ないし、血圧も、心拍数の測定値も他方のグループよりも低いと報告された。また、鎮痛剤の投与も明らかに少なかった。この調査から、花の咲いている植物は「手術からの回復期の患者のための廉価で効果的な薬」であると結論づけられた。他にも、実験参加者たちは植物の存在を、病院はいたわってくれる場所だという印なのだと解釈していたという報告もあった。言い換えると、緑の植物や花の存在は信頼感や安心感を強めてくれるということなのだ。
(スー・スチュアート・スミス 著『庭仕事の神髄』より)




No.2274『ぼくは猟師になった』

 忘れもしないのですが、2023年11月13日に会議があって田沢に行くので中山峠を通ろうとしていたのですが、その手前の簗沢の作業場で、でクマの解体作業をしていました。もちろん初めて見たので、つい声を掛けると、写真を撮ってもいいということでした。そこで、何枚もスマホで撮りましたが、帰り際にその解体したばかりのクマのヒレ肉を持っていって食べてみろといわれ、だいぶ断ったのですが、それでもナイロン袋に入れて手渡されました。
 そういえば、この本でも、「野生動物というだけで、イノシシやシカの肉が「臭い」「硬い」と思われ、敬遠されるのは残念なことだと思います。それぞれの動物の肉には、それぞれの特徴があって味も異るのが当然です。こういった誤解をなくすには、たくさんの人においしい野生動物の肉を食べてもらうのが一番です。そのためにも、狩猟で獲った肉の処理施設や受け入れ態勢の整備が望まれます。そうやって多くの人がその肉のおいしさに気づき需要が増えれば、猟師もよろこんでより多くの獲物を獲るでしょう。その結果増えすぎた野生動物による農業被害なども減り、すべてがうまく回っていくはずです。」と書いてあり、食べたこともないのに敬遠ばかりしていては誤解も生じます。
 この本には、主にイノシシやシカなどの話しは出てきますが、クマは著者のテリトリーにはあまりいないのか、まったく出てきません。昨年の秋には、野生のクマが人里に下りてきて、多くの人たちがケガをしたり命を落としたりしたので、ある程度の頭数制限や人間はこわいということを教えることも必要ではないかと思います。
 この本は、いろいろな野生動物たちの話しが出てきて、とてもおもしろかったのですが、スズメを無双網で獲るときにおとりのスズメやカラスの剥製を使うとは知りませんでした。「カラスは賢い鳥のため、スズメはカラスがいる場所を本能的に安全な場所だと察知するらしく、カラスと一緒にいることが多いです。その習性を利用します。ただ、カラスのすぐそばは怖がって近寄らないので、設置場所には注意が必要です。スズメが下りて欲しくない藪などが近くにあれば、そこに設置することもあります。風向きなどでカラスを置く向きなども気をつけないとスズメに不自然だと思われてしまいます。カラスは風上を向いていなくてはなりません。」と書いてあり、やはりカラスは賢いとスズメたちも思っていることを知り、鳥の世界にも弱肉強食だけでない世界もあると思いました。
 そういえば、小学生のころ、ケガをしたカラスを見つけ、駐在所に届けたら、しばらく手当てをしたみたらといわれ、飼ったことがあります。私が学校から帰ってくるとわかるらしく、ガァーガァーと鳴きました。傷も治り、戸を開けっぱなしにしていてもなかなか外に出ないので、そのままにして学校へ行くと、いつの間にかいなくなりました。しかし、帰ってくると、近くの木に止まっていたカラスが何日か鳴いていましたが、いつのまにかそれもなくなりちょっと寂しかったことを思い出しました。もちろん、カラスの識別はできないのですが、おそらく、その傷の手当てをしたカラスに違いないと思っていました。
 下に抜き書きしたのは、「あとがき」に書いてあったものです。
 そういえば、魚を釣っては逃がすという釣りがあるそうですが、別な釣り人は釣った魚を調理して食べなければダメだともいいます。これはとても難しい問題ですが、私は人間というのは動物でも魚でも野菜でも、その命をいただいて生きていますから、きれいことだけではすまされないと思っています。だから、食事のたびごとに「いただきます」と言うわけだし、著者のいうこともよくわかります。
 私は、近くの農家の方たちが野生のサルやイノシシなどに農作物を荒らされていることを知っていますから、野生動物が増えすぎると困ることもわかります。しかも最近はそれら動物たちが人をおそれず、かえって襲ってくることもあり、子どもたちの登下校も不安です。この本を読んで、若い人たちにも猟師になる人が少しでも増えてくれればいいのではと思いました。

(2024.2.10)

書名著者発行所発行日ISBN
ぼくは猟師になった(新潮文庫)千松信也新潮社2012年12月1日9784101368412

☆ Extract passages ☆

 七度目の猟期を迎えて思ったのは、やはり狩猟というのは非常に原始的なレベルでの動物との対峙であるが故に、自分自身の存在自体が常に問われる行為であるということです。地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。そのすべてに関して自分に責任があるということは、とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います。逆説的ですが、自分自身でその命を奪うからこそ、そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います。
(千松信也 著『ぼくは猟師になった』より)




No.2273『歴史は予言する』

 この本は、もともと週刊新潮に連載された「夏裘冬扇」(2019年5月2日号から2023年5月4日号)に連載されたものだそうです。
 この「夏裘冬扇」というのは、「はじめに」のところに解説があり、これは万葉集にある柿本人麻呂の「とこしへに夏冬行けや裘(かわごろも)扇放たぬ山に住む人」からとったそうです。そして「仙人は夏にも冬にも獣の厚い皮のコートと扇子の両方を持っている。そういう意味だろう。夏にも暖房、冬にも冷房の用意を欠かさない。さすが仙人!浮世離れした行動だ。調子っ外れもなんのその。斜め目線で妄言を述べるコラムの題名に相応しい。だが歌のままでは長い。そこで漢字だけに縮めて「夏裘冬扇」はどうだろう。」と書いています。
 ちょっとテレもあるのでしょうが、令和という年号も出典は万葉集だから、という話しもおもしろいと思います。
 また、この本には、意外と知られていることでも、その由来は聞かれるとわからないことが多いのですが、たとえば、日本サッカー協会のシンボルマークの八咫烏もそうです。この本には、「烏のキックカは並人抵でない。しかも八咫烏となると神話に登場するこの世ならぬ烏だ。脚が3本もある。きっと蹴転がしの天才だ。そのうえ八咫烏は導きの神でもある。日向の国から大和の国への神武天皇の東征を成功させるべく、高天原から遣わされた烏なのだ。蹴るだけではない。ゴールヘの道筋も機敏に見つけられる。これぞ攻撃力の権化。」とあり、八咫烏のことは知っていても、ゴールへの道筋も機敏に見つけるというのは、初耳でした。
 たしかに、サッカーはボールを蹴るだけではだめで、それをネットに押し込まなければ得点になりません。またおもしろいと思ったのは、サッカー上達のための祈願所が京都の白峯神官で、日本サッカー協会もボールを奉納しているそうです。
 もともと、この神社は崇徳上皇を祀っていて、常光の側近に公卿の難波頼輔おり、彼が蹴鞠に優れていたので、保元の乱の際の罪も赦されたそうです。そして、子孫に蹴鞠の技を伝え、頼輔の孫の雅経が飛鳥井家を開き、その屋敷跡に白峯神宮を建て代々精大明神と呼ばれる蹴鞠の精を祀ったことによります。
 このような話しは聞かないとまったくわからず、初めて知りました。
 この本のなかで、政治向きの話しは、いろいろと予言のような話しは書いてありましたが、もともと政治家というのは時の流れによって紆余曲折するのは常の話しで、ほとんど政治評論家の話もあたらないことが多いようです。だからあまり興味を持って読みませんでしたが、新型コロナウイルス感染症流行の話しはつい最近までのことなので、よくわかります。
 たとえば、平安時代の物忌みの話しですが、あのコロナ禍のときの不要不急の外出自粛の話しとよく似ています。著者は、「要するに物忌とは、外来との接触を一切断つ生活様式だ。平安期の約100年のあいだに疫病は、どうやら100回以上、大流行している。新型インフルエンザか新型コロナか、しゃくりあげるような咳に苦しめられた挙句の果てに多くが死に至る病の長期流行だけで、最低7回もある。細菌やウイルスが発見されていなくても、邪気とは伝染するものだという観念は共有されていた。元気がなければ、もののけに負ける。そこで不調時には物忌する習慣も生まれる。しかし物忌は退屈だ。そこで詩歌づくりに楽器の稽古にと励み、碁や双六に耽る。平安期に文芸や雅楽やゲームが発達したのは、巣ごもり生活が多かったせいなのだろう。」と書いてあり、私も外出できずに自宅で本を読んだり音楽を聴いたりしたことを思い出しました。
 下に抜き書きしたのは、コロナ禍についての話しで、「コロナ禍は人間不要の鬨の声」に書いてありました。
 たしかに、あのときの不要不急の外出を遠慮するように政府からの話しがあり、買いものさえためらうこともありました。また、お店によっては、一家から一人だけ代表してきてほしいというのもあったりして、あるお店では、一人ずつの来店をお願いしますというのもありました。
 いままでの、ワイワイと品定めするような買いものではなく、レジでさえ黙って黙々と買いものをする風景が当たり前になってきました。そのうちに、セルフレジになり、さらに普通のお店でも、合計した金額を自分で機械に入れ、おつりもそこから出てくるというようなシステムになったりしました。
 つまり、この「3つの不要」は、全てに通じるもので、いったん入らないとわかれば、すべて省力化されていまう性質のものです。たとえば、結婚式だって、今まで多くの人たちを招待して、盛大にやっていたものでも、簡単に身内だけでやっても同じだと思えば、多くの人たちがそのようになっていまいます。こうなれば、「非常時が去っても、元には戻れまい」と思います。

(2024.2.7)

書名著者発行所発行日ISBN
歴史は予言する(新潮新書)片山杜秀新潮社2023年12月20日9784106110214

☆ Extract passages ☆

第一に人が要らない。技術革新で、仕事によっては従来の7割も8割も減らせる。第二に場所が要らない。役所や会社で一堂に会して働くのは、そうしなければ連携が難しく、効率が上がらぬとされてきたからで、事情が変われば、場所代を節約するのが資本主義だ。第三に移動が要らない。リニア新幹線的な大量高速移動の発想は時代遅れになる。……
 もちろん「三つの不要」は、疫病禍という非常時への緊急対応の中で顕在化した。が、無理やりに、ではない。条件は整っていた。既にそうできて当たり前だった。疫病禍はきっかけに過ぎない。一度みなが気づいてしまえば、非常時が去っても、元には戻れまい。
(片山杜秀 著『歴史は予言する』より)




No.2272『わたし、世界を走っています』

 副題は「20代で43ヵ国のマラソンを走って見えてきたこと」で、最初にこの本を見たときには、だからなんなの、と思いました。
 でも、読んでみると、そのマラソンがすべて42.195qだというから、驚きました。しかもほとんどすべて自分でお金を工面して、エントリーして、そのマラソンの会場まで行くわけですから、度胸もあります。読んでいるうちに、もしかすると、あまり深く考えないからできたのかとも思いましたが、そうではないようです。
 もし、それを自分に置き換えてみると、そもそもフルマラソンだけではなく、走ることすらできないし、コロナ禍もあったこともあり、海外に一人で行くことも億劫になってしまいました。以前は、一人で海外にも行ったし、仲間たちを連れて、ネパールにも行ったことがありますが、だんだん体力がなくなってくると、自分の荷物を持つだけでも大変になってきます。
 だから、一人で海外に出かけて、フルマラソンを走るというのは、単純にすごいと思うようになりました。
 この本のなかで、ビクトリアの滝マラソンに参加したとき出会ったサンフランシスコ在住の中国人のアナリストの話しが載っていますが、「お湯が使える、きれいなベッドで寝るよりも、知らない人と過ごす共同生活のほうが価値があるのだろうか。そのときのわたしは、「お湯が使えるほうが絶対にいいと思うなあ」と返答したんだけど、そこから5年以上が過ぎた今、彼の言わんとすることもちょっとわかるようになった。普段出会わない人と会うためには、自分が動かないといけない。しかも、本来なら出会わないはずの人と会うと、知らなかったことを知ることができて、自分の生きている世界が少しずつ広がっていく。」ということも、さまざまな経験から少しずつ分かってくるのではないかと思いました。
 この本には、コロナ禍でどこへも行けなくなったことも書いてあり、「海外のレースはもちろん軒並み中止で、エントリー済みだったウィーン、プラハ、ルクセンブルクマラソンからはキャンセルのメールが届いた。状況を加味したら仕方のないことだけど、あらためてメールの文面に目を這わせると、やっぱりつらい。なんだか自分を取り巻く環境が、いい方向に流れ始めた途端のこれだから、いかんせん悔しくなった。」と書いてます。
 私だってそうで、仕事を息子に譲って、これから自由に海外に行けると思った矢先に、新型コロナウイルス感染症が流行り始めました。実は、2020年3月2日から中国雲南省に行く予定で、航空券も予約していました。しかし、受け入れ先の中国科学院の先生からも延期したほうがいいというメールがあり、乗る予定だった中国東方航空からもキャンセルの連絡があり、それでも全額を払い戻してもらったからいいものの、それから先は海外に行くことは難しくなりました。今でも、そのときの「eチケットお客様控え」を持っています。
 これは誰もが同じですから、ある意味、仕方のないことですが、なかなか納得できませんでした。
 この本の著者は、「どうあがいても変えられないけれど、ここから何かを生み出すことによって"未来"を明るいものにすることくらいはできる。大きなことはできなくても、日常に花を添えることで、日々の彩りを多少なりとも鮮やかにすることができると信じた。」そうで、先が見えないというつらさはみんな同じだと思いました。
 下に抜き書きしたのは、「エピローグ」に書いてあったものです。
 よくマラソンは目標達成や自己実現のツールだとかいいますが、著者は、楽しいから走っただけで、いわば、「フェスのような雰囲気、イケてる音楽、そして陽気な人々に囲まれて走るレースは、わたしの魂を躍動させた」と書いています。
 おそらく、長続きするのは楽しいからで、そうでなければ、どこかで止めてしまうかもしれません。そういう意味では、楽しむための秘訣みたいなものがありそうで、ついつい最後まで読み通しました。

(2024.2.3)

書名著者発行所発行日ISBN
わたし、世界を走っています鈴木ゆうり徳間書店2023年12月31日9784198657536

☆ Extract passages ☆

 わたしにとってマラソンは、人間が同じであることを教えてくれる大切なツールだ。
 世界を変えるのは難しい。わたしが寝ている間にも、戦争や貧困、さまざまな理由で人は亡くなつていく。
 それでも、わたしなりに、世界が少しでもよくなるために、できることをしていきたい。
(鈴木ゆうり 著『わたし、世界を走っています』より)




No.2271『昭和の青春』

 私もいわば団塊の世代ですが、著者も昭和25年生まれですから、この世代の1歳したということになります。でも、ほとんど同じ世代なので、考え方やものの見方なども似通っているようです。
 副題は、「日本を動かした世代の原動力」で、良くも悪くも同年代が多いので、動かす力もあります。ちなみに私の生まれた年代が、2,696,638で出生率が最高で、2022年は770,759人ですから、その差は歴然です。何をするにも人が多いので、受験も生活も大変でしたが、ボリュームのメリットもありました。
 おそらく、このような本が出版されるのは、私達のような団塊の世代が高齢化を迎え、若き日の想い出が蘇ってくるからかもしれません。昔はやった音楽を聞いたり、昔読んだ本をまた読みたくなったり、昔旅行したところを訪ねてみたり、いわば想い出に浸りたいのです。そういう私も、時々そのような想いに駆られます。
 たとえば、「トマト。私が子供の頃はトマトに塩をかけて食べていました。その頃のトマトはとても酸っぱかったので、少しでも甘みを引き出すためです。ご馳走だったのはマクワウリですが、若い人は見たことがないかもしれません。あっさりした甘さの小さいメロンのようなものです。その後、メロンが店に並ぶようになると、その濃厚な甘さにびっくりしたものでした。現在は安い値段で購入できるバナナは高級品で、特別な贈答品に使われていました。輸入制限が設けられていたためで、63年に輸入が解禁されて一般に普及していきました。」と書いてあり、そうそう、とつい頷いてしまいました。
 トマトは、栽培している畑の近くへ行くと、その匂いだけでわかりますし、マクワウリはお盆のときに仏さまにお供えするので、そのときだけ食べられました。またバナナは、病気をしたときとか誰かからいただいたときだけ食べられる高級な果物で、今のように安売りされるようなものではありませんでした。
 もう、思い出すだけで頷くばかりですが、学校帰りの道草で、クワゴやグミなどを食べたことがあり、それは載っていませんでした。おそらく、どこにでもあるものではないのでしょうが、私は今でもよく覚えています。ただ、今食べても、マクワウリと同じようにあまりおいしくはないと思いますが、少しばかり酸っぱくても苦くても、お腹に入ればいいと思っていました。それほど、お腹が空いていたのかもしれません。
 そういえば、高度経済成長の基でも、男女平等ではなかったようです。私は勤めたことがなかったので知らないのですが、「月刊誌『文藝春秋』の最後には、「社中日記」という編集部内の出来事を面白おかしく書くページがあります。当時、個人の名前が出ているのはすべて男性の編集部員で、女性は「女性社員」としか表記されませんでした。それが変わって女性の名前が登場するようになるのは男女雇用機会均等法ができて、女性も編集部員として採用されるようになってからのことです。」とあり、そんなに後までそのようなことが残っていたと知り、びっくりしました。
 おそらく、今では、あの「文春砲」で一撃にされることは間違いありません。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「青春の昭和文化・社会風俗」のなかに書いてあったものです。
 著者は1973年にNHKに報道記者として入局していますから、ある程度は放送の現場のことも知っていると思います。この新しくておもしろいものをつくるのは「はぐれ者」というのは、私もその通りだと感じています。
 あまりにも順風満帆に来た人とかよりは、少し屈折した生き方をしてきた者のほうがむちゃなこともできます。
 もし、他の時代の生き方なども、機会があれば読んでみたいと思いました。

(2024.1.31)

書名著者発行所発行日ISBN
昭和の青春(講談社現代新書)池上 彰講談社2023年11月20日9784065331064

☆ Extract passages ☆

 テレビ放送が始まったばかりの頃、放送局の本流はラジオでした。ですからまだ海の物とも山の物ともつかないテレビ制作に送り込まれたのは、放送局のはぐれ者たちでした。
 本流のラジオ放送を担うエリートとは異なる、扱いに困るような連中を押し付けて始まったテレビ放送は、はぐれ者たちがめちゃくちゃな番組をつくってヒットを生み出していきました。
 これはインターネットの草創期と同じ構図です。エリートは本流であるテレビを担当し、可能性が不明なインターネットにははぐれ者が送り込まれ、ユニークなことを始めて面白がられる、という具合です。世の中で新しいものができるときは、だいたいそんなものなのでしょう。
(池上 彰 著『昭和の青春』より)




No.2270『成功する人は、おみくじのウラを読んでいる!』

 この本の監修は三橋健氏で、神道学者だそうです。著者は渋谷申博(のぶひろ)氏で、日本宗教史研究者だそうです。
 どちらの方も知らなかったのですが、この題名の『成功する人は、おみくじのウラを読んでいる!』というのに惹かれ、おみくじに裏も表のないと思っていたので、読むことにしました。
 「はじめに」のところで、おみくじは、「自分の状況や何を願って引いたかをよく考えた上で、お告げ文を正しく読み解く必要があります。吉凶や願意(何を占いたいのか)別の運勢などは、そのための参考意見にしかすぎません。そのお告げ文を使って神様はあなたに何を伝えようとされているのか、あなた自身が読み取らなければならないのです。神様はお告げ文という形で、現状をどう理解し何をなすべきかを伝えています。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 たしかに、人それぞれの願いや思いは違いますので、この読み取るということはとても大切です。この文の前に、もし「雨が降る」というお告げがあったとして、もし明日が遠足という子どもにとっては凶かもしれませんが、日照りで困っている農家の人にとっては大吉です。このように人それぞれにとって、凶にも吉にもなるわけで、ただそれだけで判断することはできません。
 この本では、お告げ文のほとんどは和歌の形式で、その一例としてあげると、万葉集に載っている有名な志貴皇子の「石走る垂水の上のさわらびの 萌え出づる春になりにけるかも」という和歌があります。それをおみくじの解釈で考えると、「この場面は志貴皇子が住んでおられた館の近くではないでしょう。山の中の風景に違いありません。ワラビ採りのために出かけた時の思い出なのかもしれません。つまり、山道を登るという努力を経て、この光景を目にしているのです。このことは、あなたが今甘受しようとしている「春」は、あなたの努力の結果だということを示しています。そのご褒美がワラビなのですが、ワラビは毒があって生では食べられません。成果から実利を得るには、もう一段上の努力が必要だと告げているのです。」と解釈しています。
 この歌を春がきたことを寿ぐものと思っていたのですが、このような解釈もできるとはおもしろいものです。つまり、ある意味、どのような解釈をしてもいいということになります。
 おみくじについて、監修者の三橋健氏は、「監修者あとがき」のところで、おみくじは、「「お」「み」「くじ」からなる大和言葉で、 これに漢字をあてると「御御籤」「御神籤」となる。「御(お)」も「神(み)」も、神さまに関するものにつく接頭語で、ここでは「籤(くじ)」を尊敬または美称している。たとえば、「おみこし(御御輿。御神輿)」「おみき(御御酒・御神酒)」なども同じである。……「籤」という漢字には、さまざまな意味がある。そのなかで興味を引かれるのは「ものを数えるときの竹の棒」「物をさし通す竹串」との説明である。さらに伝間であるが、「くじ」を古くは「孔子(くじ)」と表記し、その意味は「子どもが生まれ出ようとしている穴」の意という。」と書いてあり、そういえば、おみくじを引くときに箱を振って小さな穴から出てくる竹串の番号であてるということと似ています。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「なりわいの言葉」のなかの「山深みなお影寒し春の月 空かき曇り雪は降りつつ」という新古今和歌集に載っていて嘉陽門院越前の和歌について書いてあったものです。
 たしかにあまりよいお神籤ではありませんが、どうにもできないときはじっとやり過ごすしかありません。そういうときでも、ちょっとしたゆとりがあれば、次によいことがきっときます。

(2024.1.28)

書名著者発行所発行日ISBN
成功する人は、おみくじのウラを読んでいる!渋谷申博かんき出版2019年12月2日9784761274559

☆ Extract passages ☆

 古代中国の思想家荘子は「窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ」と言いました。すなわち、窮地に至った時もその状況を楽しみ、うまくいっている時もその状況を楽しむのです(正確には「窮」は貧乏なことをいうそうですが)。……
 でも、苦しさをアピールしても自分のダメさを宣伝するようなものです。やせ我慢でも窮地を楽しんでいるように装えば、人はあなたに余裕があると思います。新たに仕事を頼むとしたらどちらか、言うまでもないことです。
(渋谷申博 著『成功する人は、おみくじのウラを読んでいる!』より)




No.2269『「逆張り」の研究』

 この本の題名の『「逆張り」の研究』の「逆」の文字が逆に印刷されていて、最初は何と読むのかわかりませんでした。そこで中を少しだけ読むと、「逆」だとわかり、次はこの「逆張り」って何と思いました。
 この本に、その説明が載っていて、「逆張りは相場の流れに逆らって売買する手法のことだ。株価が下落したときに買って、上昇したときに売る(その反対に、株価が上昇したときに買い、下落したときに売ることは「順張り」である)。たとえば、「投資の神様」と呼ばれるウォーレン・バフェットは逆張りで知られている。2009年のリーマンショックでは、経営危機に陥った資産運用会社ゴールドマン・サックスに巨額の投資をして、莫大な利益をあげた。」と書いています。
 ということは、人と同じことをしたり考えたりしていてはダメということで、そこに「逆張り」も大切だということになります。
 そういえば、「いじめ」問題もこれと同じように、流れに乗ってしまうという一面がありそうです。この本では3つの認知バイアスというのを第6章で取りあげていますが、それは道徳的な非難を回避するための「思考のクセ」だとか、「行為者と行為のあいだに距離を置く」ことだとしていますが、いわば責任逃れでもあります。この3つのバイアスというのは、「不作為バイアス」(人は何かをするよりも何もしないほうを選ぶ)、「副作用バイアス」(主要な目標が害をもたらさないようにする)、「非接触バイアス」(危害をくわえられている人に触れるのを避ける行動をとる)、の3つですが、行動を起こしてそれに巻き込まれたり大変な結果になるよりは傍観者になってしまうということです。
 この本では、「何も行動しなければ、「気づかなかった」「わからなかった」「知らなかった」「何もしていない」といくらでも言い訳できる」と書いてあり、まさに傍観者そのものです。
 ということは、逆張りの立場で流れに乗らないということも、大切です。3つの認知バイアスが傍観者の立場をつくるなら、そのような認知ではなく、逆張りも大切な役割です。そして、自分が逆張りに立っているという自己認識も必要ではないかと思います。
 これはいじめだけの問題ではなく、政治でも同じです。自分一人がどうのこうのといっても何もかわらないと言ってしまえば、先に言ってしまったほうに流れてしまいます。
 これはポピュリズムでも同じで、訳すると「大衆迎合主義」ともいい、民主主義にはあまり好ましいものではないといわれます。しかし、あのアラブの春だって、ラテンアメリカの人民解放だって、その大きな力になったことは間違いありません。
 しかし、この本には、「ポピュリズムは、ぼくたちの部族主義的な本能を利用している。ぼくたちの脳は「われわれ」(味方)なのか、「あいつら」(敵)なのかを自動的に判別する。そして「われわれ」(味方)をひいきして、「あいつら」(敵)を蹴落とすような傾向がある。敵か味方かを判別する目印には、性別、年齢、人種、民族などがなりやすい。とはいえ、Tシャツの色でグループを分けただけでも、同じ色のTシャツを着た人には「われわれ」という仲間意識を持ち、ちがう色のTシャツを考た人には「あいつら」と敵意を向けるようになる。ポピュリズムはぼくたちのこのような本能を利用して、敵への憎しみをかきたてるわけだ。」と書いていて、どちらかというと、色分けして考える傾向が強いようです。
 ただ、多くの人たちにわかりやすくするには、これも必要なことですが、現実には民族主義的な方向に片寄りつつあります。たとえばデンマークやオランダなどでは、福祉や環境をめぐって先駆的政策を実現する傍ら、移民・難民の規制が厳格化しているようです。
 だから、この逆張りということも、この本を読んで思いました。
 下に抜き書きしたのは、第9章の「逆張りは多数派の敵でありつつ、友でなければならない」のなかにあったものです。
 私も、こうして『本のたび』を書いたり、別のホームページに各地の三十三観音霊場巡りを書いたりしているのでわかるのですが、時間があれば少しそのままにしておいて、しばらくしてから読み直すようにしています。そうすると、そのときに気づかなかったことや、別な表現にしたりしると、なんとなく文章が締まって見えます。
 おそらく、「原稿が育つ」というのも、同じようなことなのかもしれない、と思いました。

(2024.1.25)

書名著者発行所発行日ISBN
「逆張り」の研究綿野恵太筑摩書房2023年6月30日9784480823830

☆ Extract passages ☆

言葉がある一定の量を超えるとコントロールが効かなくなる。ぼくの意思ではどうもできない、自立した「もの」になる。もちろん、実際に書いているのは自分だ。しかし、こっちが絶対に主導権を握れない。植物が成長したり、食べ物が発酵するのと同じように、あっちのスピードに合わせるしかない。ぼくにできるのは手入れをしたり、寝かせたりするぐらいで、基本的には文章が育ってくれるのを待つしかない。
 もしかしたら、たくさんの言葉を前にして脳が処理できる情報量をオーバーするために生まれる錯覚なのかもしれない。しかし、そんな錯覚に付き合うのも楽しいものである。
(綿野恵太 著『「逆張り」の研究』より)




No.2268『あまカラ食い道楽』

 初出雑誌は、いずれも月刊誌『あまカラ』で、1953年から1964年までの間の執筆で、よく知られた方々ばかりです。
 ある意味、昔の文人は、どのようなものを食べて飲んでいたかを知りたいという気持ちもあり、なぜ今ごろになって出版するのだろうかと興味を持ちました。
 今は、食べものも飲みものもかなり洋風になり、その当時にはまったくなかったものもありますし、同じ麺類でも鰻などでも、その味などはかなり変わってきたのではないかと思います。
 たとえば、酒についても、今は日本酒や洋酒などという区別よりも、麦酒やウイスキー、それも銘柄などによる嗜好もあり、好みが多岐にわたっています。吉野秀雄の「凡人の酒」には、彼の父親が酒について話したことが載っていました。それは、「一つは、酒をうまく飲みたければまめに手足を動かして腹を空かせろという平凡な感想だが、今も時折思い出してはうなずく。も一つは、酒の銘柄にばかり気をとられるのは酒道の初歩で、どんな酒にしろ、うまいまずいはむろんあるにしろ、それぞれの個性を見てやれば結局はうまからぬ筈はないというのであったが、これも七割まで同感できる。」と書いています。
 味覚というのは、人それぞれに違うのが当たり前で、うまいとかまずいというのも、みな違うように思います。だから、旅番組や料理番組などで、「うまい〜」と連発するのはどうかと思います。でも、そう言ってしまうと、番組をつくれないので、仕方の無いことかもしれません。
 そういえば、名取洋之助の「筋の通ったはなし」のなかに、「旅先などでは、知らないこともあり、気軽にやたらな店に飛びこむこともできるのですが、東京は自分のホーム・グランドだと考え、慎重になり、食でもまずい物を食べては損と思って冒険をせず、結局、いつも行きつけのところへ行ってしまうことになります。」と書いてあり、これには納得しました。
 私も同じで、旅先ではほとんど情報がないので、行き当たりばったりで食べるものを選んでしまいますが、それでも和菓子などは、その土地の銘菓などを検索して、そのお店を探し出して買います。そして、ホテルなどに着いて、さっそくお抹茶を点てて、その和菓子を食べます。それが旅先での習慣です。
 だから、茶碗と茶筅と抹茶は必ず持っていきます。海外に出かけるときも同じです。また、移動する列車のなかでも抹茶を飲むことがあり、そのときには水筒にお湯を詰めて行きます。
 下に抜き書きしたのは、窪田空穂の「京阪と和菓子」のなかに出てくるものです。私も和菓子が大好きで、ほぼ毎日お抹茶を点てて飲んでいるので、実感としてもよくかわります。
 たしかに、煎茶の場合はお菓子がなくてもいいかもしれませんが、抹茶の場合は菓子がないとその味も変わってしまいそうです。
   このなかの表現で、「眼も口もほしくなる」というのは、まさにその通りだと合点しました。

(2024.1.22)

書名著者発行所発行日ISBN
あまカラ食い道楽谷崎潤一郎ほか河出書房新社2023年11月30日9784309031521

☆ Extract passages ☆

 私は菓子という物を尊重している人間の一人である。菓子はいわゆる茶菓子で、茶とは離れられない物である。私は煎茶好きで、日に幾度も滝れかえて飲んでいるものであり、茶が実用品であると共に、菓子も実用品である。実を言うと、茶は菓子が無くても飲めるのであるが、無いとさみしくほしくなる。ほしがるのは、菓子は実用品だけではなく芸術品であり、その芸術味を、眼も口もほしくなるからのことである。
(谷崎潤一郎ほか 著『あまカラ食い道楽』より)




No.2267『わたくしが旅から学んだこと』

 この本は、ちょっと出かけたときとか、待ち時間のあるときとか、時間のすき間に読んだもので、いつから読み始めていつ読み終わったのかもさだかではありません。
 考えて見れば、『兼高かおる 世界の旅』というテレビ番組も、小さいときに見た記憶はあるのですが、いつごろなのかどこの国だったのか、まったく記憶がありません。でも、あの独特の語り口と見たことのない国の風景は覚えています。私が外国に行ったのは1985年5月20日から30日まで中国雲南省でした。そのときは、シャクナゲ愛好者訪中団の一行に参加し、空路にて香港から広州を経由して昆明に入り、そこを起点に車で楚雄、大理、麗江へと車で移動しました。
 麗江は、この年に初めて外国人に開放され、世界の花好きがほぼ同時に行ったようで、泊まるところも麗江県第一招待所という政府の役人の宿舎でした。トイレも離れたところにあり、ほとんど仕切りもないところで、暗くなってから、懐中電灯を持って行ったことを思い出します。そのときの玉龍雪山や蒼山の風景は今でもしっかりと覚えていますし、その後、何度かここを訪ねただけでなく、さらにその奥地へまでも足を運びましたが、やはり最初の第一印象は強烈でした。
 ですから、この『兼高かおる 世界の旅』は、1959年から1990年まで続いたそうですから、旅を続けることの大変さは、私が経験した以上に困難の連続だったかもしれません。だからこそ、テレビを見ている人たちに感動を届けられたようです。たとえば、「ロケの現場ではハプニングはつきもの。でも、何が起きても落ち着いて対処することが肝心です。慌てると事態は収拾せずに、さらに悪化していきます。わたくしは子どものころから独立心が旺盛で、何が起こるかわからないスリルを心から楽しめましたし、とっさの事態には機転が利きました。そういう意味では、「世界の旅」の仕事はとても自分に向いていたと思います。それまでのわたくしは、あまり物事に熱中するほうではなかったので、母は「世界の旅」の仕事もすぐ飽きるだろうと思っていたようでしたが、結局、当時のわたくしには飽きる暇さえなかったのです。」と書いていますが、旅には向き不向きがあるようです。
 そういえば、何度目かの中国雲南省に行ったとき、外事弁公室の方が通訳や行く先ざきの手配などをしてくれたのですが、自然といろいろなことを話すようになり、個人でも彼のところに行くことがありました。彼の本職は、外国との調整や交渉、出入国管理などをするようですが、それ意外の話しをするときは小声になりました。でも、日本語ができることもあり、日本に興味もあり、いろいろなことを聞いてきます。
 この本のなかでも、「外国人の皆さんは、そういう日本の文化について興味を持って話を聞いてくださいますし、また、おもしろい質問も飛び出します。まずは母国の歴史、文化を知る。それを基礎として相手の国について質問し、日本と比較して互いの国の違いと共通点を学ぶのです。外国の方から自国の文化にっいてお聞きする。相手が自分の国に興味を持ってくれているとわかれば、気持ちよく教えてくれるものです。これこそ、お互いがお互いの国について知る、国際交流の第一歩です。」と書いてあり、なるほどと思いました。
 下に抜き書きしたのは、第2章の「旅をしながら見えてきた世界、そして、日本」のなかに書いてあったものです。
 私も、若い時に行ったところを訪ねると、懐かしさだけでなく、また違った味わいを感じることがあります。そういえば、自分の子どもたちの修学旅行に行くときの挨拶で、旅行というのは行く前の計画段階から始まっていて、旅行そのものはもちろん、帰ってきてからお土産を渡したり、写真を整理したり、友だちと旅の思い出話しをすることも楽しいものだから、そのためにはたくさん楽しんできてください、と話したことがあります。
   さらに、同じようなところに行くことができれは、さらに旅のおもしろさに深みを増すと思います。

(2024.1.19)

書名著者発行所発行日ISBN
わたくしが旅から学んだこと(小学館文庫)兼高かおる小学館2013年3月11日9784094088069

☆ Extract passages ☆

 日本も世界も変われば、自分自身の考え方や見方も変わります。
 若いときに旅した地をもう一度訪ねてみる。懐かしさを味わうとともに、新しい感動があるでしよう。
 わたくしもアメリカやイギリスには何度も何度も訪れて、そのときどき、年齢なりの味わいを楽しんできました。そして、これからも。
 こんなふうに旅の楽しさは尽きることがないのです。
(兼高かおる 著『わたくしが旅から学んだこと』より)




No.2266『異邦人のロンドン』

 私は、イギリスにまだ二度しか行ったことがなく、ロンドンのヒースロー空港に下り立つので、ロンドンにも二度ということになります。それでも、イギリスのスコットランドに行ってもまたロンドンに戻ってくるので、そのたびごとに市内を歩き回りました。
 しかし、著者はロンドンに住んでいるので、そこに住んでみないとわからないことも多く、最後までイギリス人ってわからないな、と思いながら読みました。
 たとえば、イギリス人は犬を大切に飼うというのは知っていましたが、それは「その昔、犬を飼うことがステータス・シンボルだったから。ヴィクトリア朝に確立した良き家庭のイメージに犬が欠かせなかったから。イギリス人は誰かを従属させるのが好きだから。散歩が好きな国民なので連れ合いとして。核家族化が進んだイギリス社会において絆の役目として、等々。最近聞いた説明に次のようなものがあった。なかなか説得力のある説だ。イギリス人は恥ずかしがり屋だがいつも誰かとの会話を求めている。空模様を会話のきっかけに使うのはよくある手だが、天気は自然現象にすぎず、話者の感情が乗らない。だが犬に関することがらだとイギリス人はガードをはずすことができ、感情をちょっと出しても恥にはならない。イギリス人にしてみたら稀な機会である。つまり、イギリス人にとって、大はよそよそしくない会話を始めるための便利な小道具なのである。」だそうで、なるほどと思いました。やはり、そこに長く住んでみてわかることです。
 最近は、日本でもただ歩いているだけではサマにならないという理由で、犬を連れて散歩する人がいると聞きました。おそらく、犬の散歩にかこつけて、歩くのも楽しんでいるようで、意外と人間の考えることは同じだなと思いました。
 また、イギリスは階級社会が今でも残っているといいますが、それは旅行者にはイマイチわかりません。聞くところによると、英語の発音も違うといいますが、もともと英語がよくわからないので、発音の微妙な違いがわかるはずもありません。イギリスの個人宅にお邪魔したことがありますが、それだって相手はお客さんと思って接してくれるので、そういうものかとしか考えません。
 ところが、長年ロンドンに暮らしている著者でさえ気づかないことが、彼の娘さんは気づいているようで、イギリスの南北の違いを尋ねると、「娘は「まずは言葉」と言い、「次に食べ物かな」と言った。北部出身の学生はヘビーな朝食を好む。いわゆるフル・イングリッシユュ・ブレックファストで、ロンドンっ子はポリッジとかコーンフレーク、シリアルなどの軽い朝食を好むらしい。蛇足ながら、すでに述べたディナー問題についていうと、北部の人は昼食をディナーと言い、夕食をティーと言う場合が多い。」とありました。
 ということは、私がウイズレーガーデンに行ったときに、そこの研究者の家で午後のティーに誘われたとき、3時のおやつにしてはこんなにも出るのかなと思ったのですが、それが夕方までゆっくりと食べるのです。これが、もしかすると「夕食をティーと言う場合が多い」にあたるのかもしれません。
 下に抜き書きしたのは、「日本を憎んだ人たち」のなかに出てくるもので、ちょっとショックを受けました。これは、シャーウィン裕子さんが話したことで、彼女は日本を離れて60年以上もイギリスのウィルトシャー州に住んでいる作家だそうです。
 日本人は、意外と忘れっぽいと思うこともありますが、イギリス人のなかにはこんなにも古いことにこだわる人たちもいるということがわかりました。そういえば、韓国の人たちのなかにも徴用工問題を今でも考えるのと同じで、昔のことにいつまでも心にとどめているようです。
 私は、世の中には忘れるということも大切なことだと、あらためて思いました。そういえば、エジンバラである男の老人からどつかれたことがありますが、もしかすると、彼も日本の捕虜になった経験があったのかもしれません。
 
(2024.1.17)

書名著者発行所発行日ISBN
異邦人のロンドン園部 哲集英社インターナショナル2023年9月30日9784797674354

☆ Extract passages ☆

「捕虜になった英連邦の兵士たちの体験記、どれくらいあるかご存じ?」
「どうでしょう、三十冊……四十冊?」
「ゆうに百冊は超えるでしょう。日本人として読むのがつらいのはわたしも同じですよ。でもなかには日本人の悪口をひとことも語らず、逆境のなかで前向きな精神を維持した人もいる。そういうのを読むと、気分が高揚してきます」
 ある学者によると、英国で書かれた日本関連本としては、経済や文化などよりも、日本軍捕虜収容所での体験を書いたものが一番多いらしい。僕がVJデイに無知だったのと同時に英国人たちが「根に持っている」ように感じたという非対称的認識を裏から照射するような情報だ。
(園部 哲 著『異邦人のロンドン』より)




No.2265『文庫旅館で待つ本は』

 久しぶりに小説を読みましたが、何より、この『文庫旅館で待つ本は』という題名に興味を持ちました。文庫旅館って、なに、と思いました。
 私も旅行へ行くときには、必ず文庫本を持っていきますが、その文庫のある旅館というのは、図書館でも併設されているのだろうかとも思いました。でも、文庫と限るのは、なぜ、と思います。やはり、読んでみないことにはわからないということです。
 久しぶりの小説ということで、一気に読みました。文庫旅館というのは、主人公の凧屋旅館の若女将、丹家円さんの曾祖父の丹家清さんの戦友の海老澤呉一が集めた文庫本を一括購入して「海老澤文庫」として旅館の一角に設置してあるからで、誰もなぜこの文庫がここにあるのかわからないといいます。そして、最後になり、そのいきさつが明らかになるわけです。
 これは書き下ろしだそうで、文庫本は、川端康成の「むすめごころ」、横光利一の「春は馬車に乗って」、芥川龍之介の「藪の中」、志賀直哉の「小僧の神様」、夏目漱石の「こころ」の5冊です。それぞれが1つの物語で、最初の1冊目と5冊目がつながっているというのが後からわかります。
 ただ、この手の本は、種明かしをすると読んでもおもしろくないので、興味のある方は読んでもらうしかありません。
 私にとっては、とてもおもしろくて、5冊目のどんでん返しというか、されなりのつながりがわかって、推理小説を読むより、あらすじだけでなく興味を持ちました。そしてなにより、文庫旅館という不思議な設定も、また主人公の丹家円さんが本を開くとなぜか「鼻がツーンとして目がチカチカして涙が出て、読めない」というのはとても理解できませんでした。
 しかし、5冊目の最後のところで、それがなぜなのかがわかり、そして普通に本を開いて読めるようになったところなど、なるほど、そういう設定だったのかとわかりました。
 人というのは不思議な存在で、まさに、いろいろなことに左右されながら生きているということがわかります。彼女も、直接にはなんの関係もないのに、そういうことになったようで、人というのは先祖からの様々な思いで生きているのかもしれないと思いました。
 下に抜き書きしたのは、5冊目のところに出てくる海老澤呉朗さんの台詞です。そして、ここには2冊目の芦原の奥さんも出てきて、なんとなくつながっている気配もします。
 それにしても、痴呆症も含めて、忘れるということは、とても大切なことだと思いました。

(2024.1.14)

書名著者発行所発行日ISBN
文庫旅館で待つ本は名取佐和子筑摩書房2023年12月15日9784480805133

☆ Extract passages ☆

「海老澤の血も丹家の血も混じり合った今、私達はもうお互いに償いを終え、赦し、赦されている。私達の人生は誰かの懺悔や復讐のために存在するのではない。私達の人生は私達のものだ。わかったな?」
(名取佐和子 著『文庫旅館で待つ本は』より)




No.2264『旅の人、島の人』

 著者の「サラダ記念日」や「チョコレート革命」などを読んでいますが、東日本大震災のときに仙台市から沖縄に移住したと聞き、たしかにいろいろな問題があったとは思うけど、なんとなく、逃げたという印象が拭いきれませんでした。
 それでしばらくは遠ざかっていたのですが、たまたま図書館でこの本を見つけ、久しぶりに読んでみることにしました。
 やはり、女性はわが子を守るというのは本能のようで、なんとなく納得し、この本のなかに出てくる短歌にも共感するところがありました。そういえば、この本に、東日本大震災のときに仙台市から沖縄の那覇に行き、それから知り合いを頼って石垣島に移住したことが書いてありました。それによると、「東日本大震災のあと、余震と原発が落ち着くまでと思い、息子と私は、住んでいた仙台をひとまず離れた。那覇に2週間ほど滞在していたのだが、不安定な私の精神状態が影響したのだろう。息子には指しゃぶりや赤ちゃんがえりの症状が出はじめた。これはまずいと思い、石垣に移住していた友人を頼って、島に来たのだった。こころよく迎えてくれた友人夫婦が連れていってくれた近くの海。そこでモズク採りをした。海に足を浸し、夢中になってモズクを探す 密集しているところを、息子は「モズクの森!」と呼んで、 おおはじゃぎ。食べられると聞いて、海水で洗ったモズクをおそるおそる日にしたときの、「うめえ!」の顔が忘れられない。同じ浜辺に来ていた近所の子どもたちと、鬼ごっこや砂のかけあい。ほんとうにその一日で、息子は劇的に蘇った。」と書いてありました。
 たしかに、あの東日本大震災は多くの人たちの人生を狂わせてしまったようです。NHKが2023年3月に発表した資料によると、これまでに確認された死者と行方不明者は、避難生活などで亡くなった「震災関連死」も含めると、22,212人だそうです。さらに、慣れない避難生活をせざるをえない方なども含めると、ものすごく多くの方々が直接的な影響を受けたことになります。
 だとすれば、それ以外の間接的な影響まで含めると、まさに未曾有の大震災だったと思います。そのなかで、いろいろな苦悩や葛藤があったのは間違いないことで、著者もその1人でした。
 そういう意味では、いいとか悪いとかという問題ではなく、そうせざるを得ないことだったと思いますし、ある意味、できるからこそだとも思いました。経営コンサルタントの神田昌典さんは、「安定とは、焼け野原でも紙とペンがあれば、翌日から稼げる能力である。」といいましたが、まさに著者にとってはその通りです。しかも、今の時代だからこそ、どこに居ても原稿をメールに添付して送ることができます。
 それにしても、著者の感覚はおもしろいと思いました。その一つは、「人間、誰しも優しい面と意地悪な面を持っている。そして美人に遭遇した場合、多くの人は優しい面を彼女に向ける。みんなに優しくされれば、みんなにも優しくなれるのが人というものだろう。結果、私の仮説にたどりつくというわけだ。もちろん、逆は必ずしも真ならず。美人じゃなくても性格のいい人はたくさんいる。美人じゃないほうの立場を代表して言わせてもらえば、人に優しくされる前に、こちらから優しくすればいいのだ。ほうっておいても好かれるわけではないが、こちらから好きになっていけば、たいていの人は、やはり優しい面をこちらに向けてくれる。そうなれば、あとは、美人と同じ仕組みと展開が待っている(と信じたい)。」と書いてます。
 でも、ある人に聞くと、美人はいつも優しくされることになれてしまい、それが当たり前になってしまい、感謝の心を忘れがちだといいます。
 つまり、どっちもどっちだというわけで、人それぞれのような気がします。
 下に抜き書きしたのは、「カヤック体験」のなかに書いてあったもので、著者の息子さんが石垣島の自然について書いた作文が観光協会章をもらったその副賞で、親子でカヤック体験をさせてもらったそうです。
 20年も前に釧路湿原の取材でカヌーに乗ったことがあり、そのときには、「蛇行する川には蛇行の理由あり急げばいいってもんじゃないよと」という短歌を詠んだそうです。
 そして親子でのカヤック体験では、短歌は載っていなかったのですが、「いずれは彼も、この舟を降りる日がくるのだろう」と子育ての楽しさと一抹の寂しさが感じられました。

(2024.1.12)

書名著者発行所発行日ISBN
旅の人、島の人俵 万智ハモニカブックス2014年8月30日9784309920269

☆ Extract passages ☆

 カヤックは二人乗りで、息子と気持ちを合わせて漕がなくてはならない。
「おかあさん、右、右! あっ行きすぎだよ、少し左にもどして」など、前方の息子が指示を出し、主に私は方向の調節係ということになった。まっすぐのところでは、息子が精を出して漕いでくれる。
 釧路では、川の蛇行に人生を感じたが、二人乗りのカヤックは、それそのものが人生の小舟という、まあ陳腐ではあるけれど、どうしてもその比喩が思い浮かんでしまう。今はこうして、二人で力を合わせて進んでいるが、いずれは彼も、この舟を降りる日がくるのだろう。
(俵 万智 著『旅の人、島の人』より)




No.2263『ようこそ! 富士山測候所へ』

 副題は「日本のてっぺんで化学の最前線に挑む」で、富士山の頂上に観測所があるということだけは知っていましたが、そこで誰がどのようなことをしているのかはわかりませんでした。もともと気象庁の観測所なので、おそらく気象観測はしていると思っていましたが、2004年10月1日に職員は山を下り、無人になったそうです。というのも、職員が山頂にいなくても、自動観測機器があれば観測が可能になったからです。この有人観測は、1932年に林寺富士山頂観測所が開設されてから72年の年月が経ち、さらに野中至・千代子夫妻が冬の富士山頂で観測を試みたときから109年も経っていたことになります。
 しかし、日本一高い富士山だからできることは、気象観測だけではありません。この本では、地球温暖化や大気汚染など、さまざまなデータもここでしか集められないとして、「NPO法人富士山測候所を活用する会」が2006年に発足し、現在も活動しているそうです。
 そのときの様子を、この本には、「ただし、富士山測候所から気象庁の職員は去りましたが、今ではこの建物を活用する人がまったくいなくなったかというと、そんなことはありません。夏の2か月間だけ滞在して、地球温暖化や大気汚染、雷、高山病などについて研究している科学者や学生たちのグループが気象庁から建物を借りて、ここでさまざまな観測に取り組んでいるからです。かれらは「気象庁が富士山測候所を無人化することを決めた」というニュースを聞いた直後から、「このまま富士山測候所を閉鎖させるわけにはいかない」と動き出しました。「気象庁にとって、富士山測候所は重要ではなくなったかもしれないけれども、自分たちには必要な存在だ。なぜなら富士山頂でしかできない研究があるからだ」と考えたからです。そこで国に一生懸命働きかけて、測候所を借りられるようにしたのです。」と書いてありました。
 なくすのは簡単ですが、それを維持するのはとても大変なことで、それでも、「富士山頂でしかできない研究がある」という思いがみんなを動かしたに違いありません。
 富士山といえば、夏になれば20〜30万人ほどの人々が登るといわれていますが、なかには軽装でサンダル履きという外国人もいるようです。登山家でもある山本正嘉さんは、登山家の死亡率や事故率を減らしたいという思いから、富士山でいろいろな実験をしているそうです。それによると、深呼吸や腹式呼吸を心がけると酸素不足になりにくいことや、1時間に300メートル以下のペースで歩くと、心臓への負担が小さくなるそうです。もちろん、これらには個人差もあり、私などはブータンの4千メートルを越える峠で走り回ったこともあり、ある程度高山病には強いと思ってますが、友人などは2,700メートルを越えると急に頭が痛くなったり、吐き気がしたりするそうです。
 ですから、富士山は3,776メートルありますから、そこで長時間仕事をするというのはかなりの負担になります。この本のなかで、富士山測候所で働く職員のなかに南極に行きたいという希望者がいるといいますが、この本には、富士山測候所の元所長の佐藤政博さんの話しとして、「……実際に希望が通った人を見てみると、協調性が高い人が多かったそうです。南極も富士山測候所と同じく、集団で長期間生活することになるので、協調性が重視されていたのです。ちなみに佐藤さんが、南極観測隊から帰ってきた何人かにたずねたところ、多くの人が「富士山頂と南極とでは、富士山頂の勤務のほうが大変だった」と答えたそうです。寒さは南極のほうがきびしいですが、気圧が低く、空気が少ない富士山頂のほうがつらかつたというのです。」とあり、たしかにそうだと思います。
 富士山頂に登ってちょっとだけいて、すぐ下るのとは訳が違います。そこで観測業務をこなしながら生活もするのですから、かなりの身体的負担になります。
 下に抜き書きしたのは、富士山で最初に気象観測をした野中至と千代子夫妻の話しです。もちろん、この前に富士山でひと冬を越した人はいませんし、そのようなことを考える人さえもありませんでした。それなのに、野中至は1895年10月1日にどの組織にも属さない28歳の青年が、いちおう中央気象台から富士山頂の観測機器を借りることで、あとは全て自費だったそうです。しかも、その12日後に妻の千代子が小さな子を実家に預けて富士山に登ってきたのですから驚きです。
 それでも、心配した中央気象台の和田雄治たちが富士山頂まで来て、下山するよう強く説得して担ぎ下ろしたそうです。それは12月22日のことで、その観測期間は82日間ということになりました。

(2024.1.9)

書名著者発行所発行日ISBN
ようこそ! 富士山測候所へ長谷川 敦旬報社2023年10月10日9784845118403

☆ Extract passages ☆

気象台から借りていた温度計や風力計などの器械が、富士山の過酷な自然環境に耐えられず、動かなくなったりこわれたりしたのです。また富士山頂は予想以上に気圧が低かったため、持ってきた気圧計では正確な気圧が測れないといったことも起きました。
 さらにふたりをおそったのが、体の不調でした。11月はじめに、まず千代子がのどの痛みや熱などがでる扁桃腺炎になり、お湯や水を飲むのもつらい状態になりました。ようやく治ったと思ったら、今度は全身がむくみ出し、歩くのもむずかしくなりました。そして次には至にもむくみが生じます。むくみは野菜不足が原因でした。
 結局富士山での観測活動は、82日間で終えることになります。至たちのことを心配した中央気象台の和田雄治たちが富士山頂にまでやってきて、下山するように強く説得して担ぎ下ろしたのです。
(長谷川 敦 著『ようこそ! 富士山測候所へ』より)




No.2262『農はいのちをつなぐ』

 著者は「はじめに」のところで、「百姓」という呼び名のことと、生きものの名前の表記について説明をしています。
 この「百姓」というのは、以前はマスコミなどで差別用語ではないかということで、あまり使わなくなりました。ところが、若いときに山形大学の中国から留学している学生に中国語を習い、その実践も兼ねて中国旅行をしたことがあります。そして、蘇州から杭州まで運河を船で航行中に、ある乗り合わせた中国の人に、「われわれ百姓は‥‥」という話しになり、農家の方かと思ったのですが、お茶の仲買人でした。つまり、われわれ国民はという意味のようで、もともと姓名の数が少ないから、百の姓名であればほぼ国民の多数になるという話しでした。
 だとすれば、著者がいうように、百姓は差別用語でもなんでもなく、むしろ誇りを持って使うべきだと思います。
 また、生きものの名前は、1946年に政府の内閣告示により漢字制限と「当用漢字表」のまえがきで「動植物名はかな書きにする」と指示ことがはじまりで、それが今も定着しているようです。でも、漢字で書くと、その名前の由来やおもしろさが伝わってきて、よくわかることも多いようです。
 そういえば、前回のNo.2262『種をあやす』で在来種のタネを採る話しでしたが、この本には稲のタネを採る話しが載っていました。それは「私は翌年に播く稲のタネを、わが家の田んぼから採っています。タネ採りの時に目立った変異を見つけると「これもタネ採りをして、増やしてみよう」と思います。そうやってヒノヒカリという品種から、長・宇根ヒノヒカリと短・宇根ヒノヒカリを選抜して、もう25年も栽培しています。以前は、私が発見した新品種だと自慢することもありました。しかし、よくよく考えてみると、稲とミツバチが力を合わせて生み出した新品種であって、私はただ気づいたにすぎません。あらためて、稲とミッバチにお礼を言いました。」とあり、なるほどと思いました。
 昨年、NHKの朝の連続テレビ小説『らんまん』で主人公が植物の新種を発見するところがありましたが、考えてみるとあれだって、以前からあったのに人が気づかなかったに過ぎない話しです。
 では、これからの農業はどうすればいいのかというと、この本ではドイツの農業政策を紹介しています。『「農」は、市場では評価できないもの、つまり市場価値(経済価値)がないので「取引できないもの=めぐみ」を生み出しています。このことの大切さにドイツの人たちは気づいただけでなく、それを評価する新しい行動を始めたところがすごいと思いました。「農」は他の産業とは決定的に異なる本質・原理を持っているからこそ、このように人を動かすのです。』といいます。そして、ドイツの人たちは農業を守るために税金から「環境支払い」が始まったといいます。日本でも、水が不足しないのは水田があるからだとか、田んぼこそが日本の原風景だといいますが、それらは自然に備わっているかのように考えています。昔は水と空気はタダと考えていましたが、今ではお金を出して水を買っています。ということは、日本の原風景はタダではなく、守っていかなければならないものです。だとすれば、ドイツのように、その環境を守っていくためにそれなりの負担は必要ではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、第3章の「いのちといのちをつなぐ田んぼ」に書いてあったものです。
 たしかに、「かえる」という言葉は不思議です。インドでは、お釈迦さまが雨安居をするようになったのは、雨季の期間は外出するのが大変だということもありますが、もともとは雨季に動植物が生き生きとするそのときに歩いて踏みつけたり、殺したりするのを防ぐためだと聞いたことがあります。そして、お盆は『仏説盂蘭盆経』に基づく行事ですが、この雨安居を終えたときにあたり、仏弟子の目連尊者が餓鬼道に落ちて苦しむ母親を救うために、お釈迦さまに教えられた通りに雨安居後の僧たちに供養し、その功徳でもって母親を救ったという話しから自分たちの先祖も供養するようになったものです。
 また、インドにはジャイナ教という仏教と同時代に開かれた宗教があり、徹底して不殺生の実践を重視することから、口に入れる食材に対しても非常に気をつかいます。だから、農業に従事することはなく、多くは商業、とくに宝石や貴金属を扱う仕事に十字しているようです。
 この抜き書きを読みながら、インドのことなどを思い出しました。

(2024.1.6)

書名著者発行所発行日ISBN
農はいのちをつなぐ(岩波ジュニア新書)宇根 豊岩波書店2023年11月17日9784005009787

☆ Extract passages ☆

いのちを奪われた生きものたちは、土に「かえる」のですが、時間を経て次の世代が生まれてきます。すると、百姓たちは「また今年も生まれてきたね」「また今年も会えたね」と出会いを喜ぶことができるからです。「かえって」きた生きものの姿を見ることで、自分が奪ってしまったいのちが、またいのちをつないでかえってきた喜びに出会えるからです。その一方で去年のことをすっかり忘れてしまえるからです。このことで私たちはどれほど救われているかしれません。
「かえる」という言葉は実に不思議な言葉です。死んでいく時だけでなく、生まれてくる時にも使われます。鳥の雛や、虫たちが、卵から孵化するのも「かえる」と言います。
(宇根 豊 著『農はいのちをつなぐ』より)




No.2261『種をあやす』

 著者のことを知ったのは、10月2日の夜に放送されたNHKのEテレ「タネの箱舟」を見てからです。世の中には、すごいことを淡々とこなしている方がいるというのが第一印象です。
 この本の副題が「在来種野菜と暮らした40年のことば」で、ひとつのことをやり続けることの大切さを知りました。今年は辰年ですが、辰という字は手偏をつけると「振」になり、まずは動かすことにつながります。つまり、小槌などを振り上げて行動することです。
 著者は、有明海を望む長崎の雲仙に住み、在来種野菜のタネを採ろうとした最初のきっかけは「黒田五寸ニンジン」だそうです。現在は50種類ほどの在来種野菜のタネを護っていますが、私もシャクナゲのタネを採ったことがあるのでわかりますが、品種改良とかではないので50種類を守り続けるというのは大変なことです。まさに、野菜の命を未来につなぐ「箱船」です。
 ほとんどの農家で使っているのはF1の種子で、それを翌年に播いてもほとんど収穫はできません。この種子は、形や味がよくそろい、収穫時期も予測がつきます。これは、よく学校で習うメンデルの法則のなかで、優性の法則である「顕性の法則」と「分離の法則」が関係しています。つまり、雑種、ハイブリッドですから、毎年新しくF1種のタネを購入しなければならないということになります。
 しかし、固定種である在来種は自家採種が可能で、地域のブランド伝統野菜などとしてつながっていきます。ただ、農家が自分たちで種取りして繰り返し栽培しなければならず、その野菜を自分たちで売っていかなければならないのです。それでも、最近は、農家のお店、ここらはJA米沢直売所『愛菜館』などがあり、地元特産の野菜なども売っています。
 しかし、タネを採取し育てていくというのは大変で、著者は、「農法のなかでも種はとても地味で、当時、誰からも見向きもされていませんでした。だからこそやってみたいと思ったのです。毎年欠かさず採ることで、種は年々よくなっていく。それは自分の目で確かめることもできますし、できあがった野菜の質でちゃんと答えを出してくれる。そうやってコツコツと地道に取り組むことも、自分の性格に合っているように思いました。少しずっ変化しながらも、種をつないでいくことにはけっして終わりがありませんでした。種には限界がないのです。そしてもうひとつ、種は品種の多様性にもあふれていました。各地域に、それこそ日本全国、いや世界じゅうで固有の、伝統的な種が存在する。」といいます。
 たしかに、そう考えれば、たくさんのタネがあり、そのタネを守り伝えていくのが大切になります。著者は、「守るということにはふたつあって、ひとつは種をつなげて守ること。そしてもうひとつは種を外に出さず、地域のなかできちんと流通させながら守ること。どちらも同じくらい大切で、そうやっていかないと種を維持していくことは難しい気がしています。」といい、タネを外に出さずに地域で守っていくことも大切だといいます。つまり、自分たちの宝物だから守っていかなければという強い気持ちです。
 おそらく、この両方のことがなければ、せっかく守ってきたタネも農家の一代限りで消えてしまうのかもしれません。だからこそ、地域の文化として伝えて行くような気持ちが必要なのではないかと思います。
 下に抜き書きしたのは、第2章の「野菜の一生」に書いてあったものです。
 たしかに、人のことを考えれば個性というのは当たり前ですが、それが長崎地方に伝わる黒田五寸人参にも当てはまるというから驚きです。この考え方というのは、とてもよくわかります。そして、とても大切なことだと思います。
 今年は、どんなものにも個性があり、それを大切にしなければならないと思いながらこの1年を過ごしたいものです。

(2024.1.3)

書名著者発行所発行日ISBN
種をあやす岩ア政利亜紀書房2023年5月4日9784750517636

☆ Extract passages ☆

 でも、厳しくやればやるほど、だんだんと毎年、種の採れる量が減ってきてしまったのです。なぜなのか、その理由を考えました。もしかすると、純粋ないいものばかりを選んでいたために、ニンジンそのものの生命力が弱くなってしまったのではないか。
 これではいけないと、それからは選ぶ母本の姿に少し幅をもたせるようにしてみました。たとえば、少し大めのエンジンなども取り混ぜて、母本を選ぶことにしたのです。そうした種を蒔くようになると、しだいに元気なニンジンヘと戻っていきました。
 そこでやっと、ニンジンにはニンジンの世界における多様性があるということに気がついたのです。
(岩ア政利 著『種をあやす』より)




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