◎秩父三十四観音札所巡り◎


☆秩父三十四観音札所巡り Part.01

 西国三十三観音札所を巡拝したのは二昔も前で、坂東三十三観音札所は数回に分けて巡拝したのは一昔前のことになります。いつかは秩父三十四観音札所をめぐって、日本百観音札所巡拝を達成したいと思いながら、なかなかできずにいました。何度か、機会はあったのですが、仕事の都合などでそれも叶わず、のびのびになってしまいました。
 ところが平成28年5月10日から13日まではほとんど予定も入らず、この機会を逃してはまたいつできるかわからないと思い、出かけることにしました。おそらく、大型連休の後で、宿泊も簡単にとれるだろうと思ってもいました。すぐ探しますと、ナチュラルファームシティ農園ホテルが見つかり、ここに連泊することにしました。12日の宿泊は秩父三十四観音札所の巡拝の進み具合で決めることにしました。
 5月10日、目を覚ますと午前5時でした。すぐ支度を調え、出発したのが午前5時30分でした。先ず福島市に出て、そこから東北自動車道を走り、那須サービスエリアに着いたのが7時25分でした。ここで朝食を食べ、8時に出発。栃木県の岩舟ジャンクションで北関東自動車道路に入り、高崎ジャンクションから関越自動車道を走りました。そして花園インターチェンジで下り、国道140号線を秩父へと向かいました。ナビの案内通りに皆野寄居有料道路に入り、秩父の第1番札所四萬部寺に着いたのが午前10時ちょうどでした。当てずっぽうに10時ぐらいに着けばいいなあ、と思ってはいたのですが、その通りになるとはビックリでした。

 車を駐車場に駐め、石段の下から観音堂が見えます。その山門の右手には「日本百番観音霊場 秩父一番四萬部寺」と彫られた石碑があり、山門の右手には「梵音新響第一霊場」の彫板、そして左手にも同じように「秩父勝境永開和祥」と書かれてありました。
 その山門をくぐると、正面に観音堂があります。参道を歩くと、左手に十二支守り本尊が祀られ、丸い石灯籠もとてもいいものでした。その間を通り、観音堂の前に立ち、ここから始まる秩父三十四観音札所の巡拝の道中安全などを祈りました。
 ここ秩父に来たのは始めてて、まったくわかりません。おそらくナビがなければ、ここまで予定通りに来られなかったかもしれないのです。
 いろいろな思いを込めて、ゆっくりとお詣りしました。
 それでも、家内がご朱印をいただいてくれるので、私はお詣りだけに集中すればいいので、とても有り難いです。この順調な流れで秩父三十四観音札所の巡拝が進んでくれればいいと思いました。もちろん、今回は3泊なのでゆっくりしたものです。でも、初めての所なので、途中で見てみたいところもあると思います。
 自宅を出るときに見た秩父の天気予報では、ときどき雨ということでしたが、まずまずの天気です。おそらく夕方までは降らないようなので、今日は初日ですが、10ヶ寺程度はまわりたいと思っています。
 午前10時15分に秩父第1番札所を出発し、次の第2番札所真福寺を目指しました。ここは無住ということなので、ナビには住所で入力しました。

 第1番札所 誦経山四萬部寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 ありがたや 一巻ならぬ 法のはな 数は四萬部の 寺のいにしえ



☆秩父三十四観音札所巡り Part.02

 秩父第1番札所四萬部寺から、順当に第2番札所真福寺に向かいました。
 地図で見ると高篠山(標高665m)の中腹にあり、しかも無住なので、ナビには住所で入れました。すると細い道を進みながら、なんとなく不安にもなりましたが、駐車場はとても広くとってありました。
 もともとは秩父の観音霊場も33札所だったそうで、そのときにはこの真福寺は入っていなかったそうです。この寺が加わったのが天文年間(1532年〜1555年)で、その当時の室町幕府将軍は足利義晴と足利義輝です。ここから秩父三十四観音札所となり、さらには日本百観音霊場へとつながっていったわけです。とすれば、ここ真福寺は今でこそ無住ですが、その当時は相当な力を持っていたのではないかと想像できます。
 駐車場に車を駐めたのが10時22分です。そこから石段を上ると咲き終わったツツジの花殻が残っていて、アジサイも植えられていました。おそらく花時には、観音詣りの方々の目を楽しませてくれると思います。
 また石段の斜面には、観音石像だけは新しそうでしたが、苔むした石仏もあり、ここは古くからの霊場だと感じさせてくれます。その石段を上りきると、その正面に観音堂が見えてきました。
 お堂は岩盤上にあり、軒下の龍の彫刻も見事です。堂内は薄暗くはっきりとは見えないのですが、猿子の瓔珞が下がっているようでした。この第二番札所のご朱印所は違うところなので、二人でお詣りをしました。こうして、ここまで来れたこと、なによりも有り難いと思いました。
 ご本尊は聖観世音菩薩さまで、室町時代ころの作で一木造りだそうです。しかもご開帳は午歳のときだけで、いつもは秘仏として祀られているそうです。
 この前でご法楽を捧げたあと、また石段を滑らないようにくだり、車に戻りました。そこで再びご朱印所の光明寺の電話番号をナビに入れると、少し離れたところにありました。
 時間にすると7分程度ですが、狭いところなので注意しながら運転をして、ご朱印所に着きました。ここでは家内だけが行き、ご朱印をいただく間、私は本堂前で般若心経を唱えました。
 次は第3番札所常泉寺です。いったん県道11号線を横切り、そして常泉寺に向かいました。

 第2番札所 大棚山真福寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 めぐり来て ねがいをかけし 大棚の 誓いもふかき 谷川の水



☆秩父三十四観音札所巡り Part.03

 第3番札所常泉寺に着いたのは、午前10時50分でした。第2番のご朱印所からはとても近く、車だと4分ぐらいでした。
 駐車場に車を駐め歩き出すと、参道の右側にはキショウブの花が咲いていました。これは帰化植物で、明治時代ころから栽培されていたのが、いつの間にか日本全国の水辺や水田脇などに野生化しているのです。たしかに黄色で目立つのできれいですが、環境省は「要注意外来生物」として駆除を進めています。でも、栽培されているハナショウブには黄色系の花がないので、なかなか引き抜くのは気が引けます。
 その道をまっすぐに進むと常泉寺の本堂があり、そこを左手に曲がると石段があり、その上に観音堂が建っています。
 観音堂は三間四面で、回廊があり、唐破風には見事な龍の透かし彫が施され、鳳凰の彫刻もあり、重厚な造りです。本尊さまは聖観世音菩薩さまで、一木造りの室町時代の作だそうです。
 その前で、ご法楽を捧げました。ここには地元の子どもたちがいて、虫が怖いといって騒いでいたので、虫だって人間を一番怖がっているよ、と話したら、妙に納得してくれました。そして、他の子どもたちにも聞いたままに話していたので、つい笑ってしまいました。
 このようなほのぼのとした想い出があると、巡礼もとても楽しくなります。ただ、スタンプラリーのようにご朱印を集めるだけでは、ちょっと空しくなります。
 ここは高台になっているので、ここを吹き抜ける風もさわやかです。
 ここから、また石段をくだり、本堂わきのご朱印所でご朱印をいただき、またキショウブの咲く参道を歩いて駐車場まで戻りました。時間にして15分程度ですが、ゆったりした時間が流れていると思いました。
 次は第4番札所金昌寺です。第2番札所から次の第4番札所までは、同じ山田地区なので近いのではないかと思います。

 第3番札所 大岩本山常泉寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 補陀落は 岩本寺と おがむべし 峰の松風 ひびく滝津瀬



☆秩父三十四観音札所巡り Part.04

 第4番札所金昌寺はほんとうにすぐ近くでした。山門の左手奥に駐車場があり、そこに車を駐め、山門まで戻ると、ちょうど工事中で山門をくぐることはできませんでした。
 その山門の左手前には、大きな石柱があり、「埼玉県指定文化財 秩父札所四番石佛群」と彫られていました。聞くところによると、この境内には1,319体の石仏があり、参道の両側にもたくさん並んでいました。これらの石仏は、寛永年間に住職をしていた方が江戸まで勧進をおこない、つくられたそうです。
 その石仏に拝まれるようにして参道を上ると、神酒手の石段の奥に観音堂がありました。
 観音堂の回廊右手には、石像の慈母観音像が祀られ、新しいようなのですが、江戸時代の伝説が残っているそうです。ということは、やはり古いのかな、と思ったりもしました。
 鰐口のところには、享保11年と書かれたご詠歌の立派な額が掲げられ、それを見ると、第4番荒木寺とあります。ご本尊は十一面観世音菩薩さまで、木彫りに漆箔された室町時代の作だそうです。
 この観音堂の裏手から石段を上ると奥の院岩屋があり、役行者が安置されているそうです。でも、今回は時間的な制約もあり、観音堂の前で静かにお詣りをさせていただき、戻ることにしました。
 観音堂の裏に回ると、そこにもたくさんの石仏が祀られ、そのわきでシャガの花が咲いていました。いかにも野の石仏に供えられたような風情で、その奥手には大きなツツジも咲いていました。
 参道を下ると、ちょうど山門の工事が中断され、重機も1台片付けられていました。そこで、その脇を抜けることができたのですが、山門には大きなワラジが両側に懸けられていました。そこで、これからの秩父三十四観音札所をしっかりと歩けるようにと、念じながら駐車場に戻りました。
 その駐車場には、秩父市で立てた「ちちぶ観光案内図」の看板があり、それでこれからまわるところの概略を確認しました。
 次は5番札所語歌堂です。ここも無住だそうで、ナビには住所で入れました。

 第4番札所 高谷山金昌寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 あらたかに 参りて拝む 観世音 二世安楽と 誰も祈らん



☆秩父三十四観音札所巡り Part.05

 第5番札所語歌堂は、仁王門の脇に藤棚がつくられていて、ちょうど盛りに咲いていました。このほかの札所でもフジを植えてあるところは多かったのですが、ほとんどのところで花も散ってしまい、ちょっと残念でした。おそらく、今年はいろいろな花の開花が早かったので、例年ならフジも真っ盛りのころではないかと思います。
 その仁王門のわきの駐車場に車を駐め、藤棚の脇を通って、仁王門をくぐりました。
 ここも無住の札所で、語歌堂という名前も珍しく、ちょっと調べてみると、昔々、ここに観音堂を建てた本間孫八という方が、お金持ちでしたが和歌の道には暗く、なんとか上達しようとこのお堂にこもって勉強したそうです。すると、あるとき、旅の僧があらわれ、ここで一晩和歌の道を談じあったということで、それからここを語歌堂というようになったそうです。
 この仁王門のすぐ前に、観音堂があります。このお堂付近には塀や柵もなく、自由に出入りできるのが開放的です。
 現在の観音堂は文化年間に再建されたそうで、宝形造りの銅板ぶき、ご本尊は准抵観音さまで、慈覚大師作と伝えられているそうです。ここも午歳以外は秘仏で、ちなみに日本百観音霊場で准抵観音さまを本尊としているのはここと西国11番札所の上醍醐寺だけです。
 ここは無住なので、ご朱印はここから少し離れた長興寺なので、また車に乗り、そこに向かいました。おそらく歩いても数分だと思いますが、車だと1〜2分でした。
 駐車スペースは乗用車2台分なので、混み合うときには大変でしょうが、今日は誰もいないので家内がご朱印をもらう間、本堂の前でご法楽を捧げました。このお寺は臨済宗南禅寺派で、山門をくぐって左手には六地蔵が祀られていました。
 次は道のりの都合で、第7番札所法長寺です。ここをまわってから、第6番札所の卜雲寺に向かいます。ちょうど12時を少し過ぎたところです。

 第5番札所 小川山語歌堂 (臨済宗南禅寺派) 本尊さま 准抵観音菩薩
 ご詠歌 父母の 恵みもふかき 語歌の堂 大慈大悲の 誓いたのもし



☆秩父三十四観音札所巡り Part.06

 第7番札所法長寺は、第5番札所語歌堂と第6番札所卜雲寺との間にあり、ほとんどの案内書には先に第7番札所をお詣りすることを薦めています。ナビで確認してもそのようなので、その通りに入力しました。
 ここは語歌堂と同じ横瀬地区にあり、車で8分程度です。狭い曲がりくねった道の先に広々とした駐車場があり、そこに車を駐めました。山門には右側に「法長禅寺」、左側に「日本百番観音秩父霊場 札所第七番」と書かれた板額が掲げられ、その左手前には大きな石柱に「不許葷酒入山門」と刻まれています。
 この戒壇石はよく禅寺などで見かけることが多く、やはり酒やにおいのきつい野菜などは修行の妨げになると思うのですが、酒を一切飲まない身では、あまり切実感がありません。むしろ、このようにはっきりと書いておいて、いつでも見ることによって身を引き締めているのかな、という程度です。
 その山門をくぐると、正面に大きな本堂が見えます。
 ここが十一面観世音菩薩さまを安置してあるお堂です。
 現在のお堂は、昭和になってから改修されているそうですが、間口が24.4m、奥行きが18mで、堂々とした建物です。お堂の左手前には白い玉砂利が敷き詰められ、右手は丸く刈り込まれたツツジが咲いていました。この右手にはたくさんの樹木が植栽され、左手の白い玉砂利との対比が際立っています。まさに、左手側を見ると、山号の青苔山というのが実感できます。
 ただ、残念なことに、お堂の前に鰐口はなく、なんとなく手持ちぶさたでお詣りしました。
 お堂の前には平成18年に奉納された恵比須大黒さまが祀られ、そらにその右手のほうの露地には白御影石の灯籠が立てられ、よく見ると、そこには大黒天が透かし彫されています。
 さらにその右手には自然石に彫られた仏足石が立ててありました。
 ご朱印所は、お堂の前の建物の中でしていただき、その脇を通り抜けて、駐車場へと戻りました。
 次は第6番札所卜雲寺です。ここも同じ横瀬地区にあります。

 第7番札所 青苔山法長寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 六道を 兼ねて巡りて 拝むべし またのちの世を 聞くも牛伏



☆秩父三十四観音札所巡り Part.07

 第6番札所卜雲寺へは、第7番法長寺から一般道に出るとすぐに左折し、曲がりくねった道をそのまま進むと、途中に札所の案内があり、急な坂道を上って右に曲がると、その突き当たりが駐車場でした。ここに着いたのは、お昼を少しまわっていました。
 そこに車を駐め、石段を上ると、円柱形に剪定された日光ヒバが両側にあり、いかにも山門のようでした。そこを上りきると、真正面にお堂があります。
 本尊は聖観世音菩薩さまで、もともとは武甲山頂の蔵王権現社内にあつたそうで、行基作と伝えられています。そして、現在の場所より西のほうの池のほとりにお祀りされていたそうです。だとすれば、昔は順番通りに5番札所から6番札所、そして第7番札所をまわっていたかもしれません。
 今、ほとんどの観音霊場は、順番通りにまわろうとすると、道順通りにはいかないようです。昔はちゃんと順番通りになっていたのでしょうが、ここのように、移転したりすれば、それもできなくなります。お寺の世界も栄枯盛衰はありますから、ある意味、仕方のないことです。
 ご本尊さまにご法楽を捧げ、ふと、後ろを振り返ると、武甲山が見えました。やはり、ここのご本尊さまは武甲山とつながっているのではないかと思いました。
 それにしても、この武甲山の削り取られたような姿は、痛々しく感じました。だから、まだ一度も写真を撮っていませんでした。ここでも、撮ろうかとだいぶ迷いましたが、とうとう撮れませんでした。
 駐車場に戻る途中で、ご朱印をいただき、車に乗り、次の第8番札所の西善寺をナビに入力しました。
 あの狭い坂道を緊張しながら下り、一般道に出ると、手が汗ばんでいるようでした。秩父三十四観音巡拝は、なるべく小さな車がおすすめだと思いました。

 第6番札所 向陽山卜雲寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 初秋に 風吹き結ぶ 荻の堂 宿かりの世の 夢ぞさめける



☆秩父三十四観音札所巡り Part.08

 第8番札所西善寺も同じ横瀬地区にあり、いったん国道299号線を走り、そこから右折して西武秩父線を横切り、左手の坂道を上った右側にありました。
 山門の両側には、「秩父三十四観音霊場」の赤い旗と、「東国花の寺百ヶ寺」のピンク色の旗と、さらに「阿弥陀三尊」の旗とが仲良く並んでいました。その左手前にはタイサンボクがあり、花時にはその香りが漂って来そうです。まさに花の寺らしいたたずまいです。その山門の左手に駐車場があります。
 車を駐めてから山門から入ると、いったん下がる石段があり、そこから右手に見えるのがコミネカエデの大木です。もう、これはとても圧巻でした。樹齢は600年とか、上から見ても大きさがわかりますが、石段を下って行くと、さらに太い幹が見えてくると樹齢も納得できます。その左手には「なで佛」があり、いかにも多くの参詣者になでられているような感じでした。
 その正面に本堂があります。
 現在のお堂は軒唐破風の向拝をもち、外陣は土間になっています。ここの部分は新しい修復されたようで、ここでお詣りをしました。
 改めてその大きなコミネカエデを見ると、その大木の下に如意輪観音石像が祀られていました。おそらく、夏の暑いときには如意輪観音さまも涼しく過ごされているのではないかと思いました。また、その右手に回り込んだところには、六地蔵の石像が祀られ、こちらも大きな枝で護られているかのように安置されていました。
 このコミネカエデの全体を撮ろうとしたのですが、持って行ったレンズでは24ミリが広角なので、それ以上広くは写せませんでした。それでも、そこで記念撮影をして、意のままに願いが叶うという如意輪観音さまに健康で毎日を笑顔で過ごせますようにと祈りました。
 そして帰りに「なで佛」をなで、石段を上り山門を出ました。その道の向う側には、麦畑が広がっていました。
 すると、その近くに「蕎麦屋」の案内板を見つけ、時間も12時40分なので、ここで昼食にすることにしました。蕎麦屋さんはご夫婦で営んでおられるようで、蕎麦と天丼のセットで1,000円でした。とても、美味しかったです。
 ここを出たのは午後1時10分です。次は第9番札所明智寺です。ここも同じ横瀬地区にあります。

 第8番札所 清泰山西善寺 (臨済宗南禅寺派) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 ただたのめ まことの時は 西善寺 きたりむかえん 弥陀の三尊



☆秩父三十四観音札所巡り Part.09

 第9番札所明智寺へは、西善寺から再び西武秩父線を横切り、国道299号線を左折して少し走って町民会館前の三叉路を左折し、そこからちょっと走るとすぐにありました。西善寺からは10分ほどです。
 ほとんど結界もないようなところで、すぐ目の前が駐車場です。ここは明治16(1883)年に落雷で落雷で焼失したあと、ずっと仮のお堂だったそうで、再建されたのが平成2(1990)年の午歳です。ですから、観音堂も庫裡もご朱印所も新しい建物です。
 お堂は二間六面の六角堂で、本尊は恵心僧都作と伝えられる如意輪観音さまです。とくに安産と子育てのご利益があるそうで、お堂と向かい合うように子育て観音像が祀られていました。
 土間になっているお堂に入り、誰もいないなかで、ゆっくりと経を唱え法楽を捧げました。ここ秩父は初めての地なのに、なぜか親しさがわいてきました。あまり大きなお堂よりも、如意輪観音さまも身近に感じられます。先ほどの西善寺のコミネカエデの大木の下の如意輪観音さまと同じですが、続けてお詣りできるのも何かの縁かもしれません。
 ここでも、健康で毎日を笑顔で過ごせますようにと祈りました。
 ご朱印所は、観音堂と庫裡の間にあり、すぐご朱印をいただくことができました。
 次は第10番札所大慈寺です。ここも同じ横瀬地区にあり、案内本では、初日はあまり無理をせず、次の第10番札所までと書いてありましたが、まだ午後1時30分です。今夜とまるホテルのチェックインは午後4時30分と連絡してあるので、まだまだ時間はあります。

 第9番札所 明星山明智寺 (臨済宗南禅寺派) 本尊さま 如意輪観世音菩薩
 ご詠歌 巡り来て その名を聞けば あけち寺 心の月は くもらざるらん



☆秩父三十四観音札所巡り Part.10

 第10番札所大慈寺へは、再び国道299号線に入り、県道11号線へ右折し、ナビに案内された通りに進むとお寺の石段の前に出ました。しかし、近くに駐車場はなさそうで、案内板を見ると、県道11号線沿いにあるそうで、そこまで戻りました。
 そこに車を駐め、たんぼ道を歩いて元の石段のところから上りました。石段の途中には大慈寺の案内が両側に立ててあり、左側には昭和48年に町の文化財に指定されていることが書かれていました。
 その石段は24段あり、それを上りきると楼門があり、「阿吽」の額が掛けられています。
 そこをくぐり抜けると、真正面が本堂です。
 お堂は普通の本堂に、軒唐破風の向拝があり、その土間のところでお詣りしました。
 ふと右手を見ると、「張り札等は全山禁止です」とあり、山形の最上三十三観音霊場のように、いつでも堂内に入りお詣りできて、しかも納め札が張られた風景もいいものだと改めて思いました。もちろん、お堂を管理する立場からは、問題もあるでしょう。納め札もただ箱に入れておしまいでは、なんとも寂しいものです。おみくじのように、どこかに張るスペースを設けるのも一案ではないかと思いました。
 本尊は聖観音さまで、恵心僧都作と伝わっているそうで、その厨子の前に子育て観音さまが安置されていました。前にお詣りした明智寺の境内地にも子育て観音さまが祀られていましたが、ここ秩父では人気があるのかもしれません。
 そういえば、第1番札所からここ第10番札所まで、横瀬川に沿ってありました。だからなのか、お堂の雰囲気も似ているような感じがしました。
 お堂の右手にご朱印所があり、そこでご朱印をいただき、楼門をくぐり両側を見ると、仁王像が祀られていました。だから阿吽か、と、やっと帰りになってから気づきました。
 県道沿いの駐車場に戻り、次は第11番札所常楽寺です。ここで横瀬から離れ、秩父市熊木町地区に向かいます。

 第10番札所 万松山大慈寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 ひたすらに 頼みをかけよ 大慈寺 六のちまたの 苦にかわるべし



☆秩父三十四観音札所巡り Part.11

 第11番札所常楽寺へは、再び県道11号線に入り、坂氷の交差点を右折し国道299号線を進むと右手に案内板があり、そこが駐車場になっていました。
 そこに車を駐め、右手から進むと、すぐに「本尊十一面観世音 厄除元三大師 南石山常樂寺」と彫られた石塔が立っていました。そのすぐ後ろには石の鳥居があり、くぐってもくぐらなくてもいいような形に設置されていました。つまり、鳥居の左足が道の中央に立てられ、その右足は道の外に立ててあるのです。
 いろいろなところにお詣りをしますが、このような立て方はあまりなかったように思います。
 そこを過ぎると、その先に観音堂とご朱印所がありました。
 現在のお堂は、明治11年の秩父大火のときに焼失したので翌々年に再建されたそうで、それ以前は大きなお寺だったそうです。
 元三大師をお祀りしていることから、もとは天台宗だったようですが、現在は曹洞宗に属しています。ここ秩父三十四観音札所で一番多いのが曹洞宗で、20ヶ寺ほどあるようです。でも、それらも時代によっていろいろと変遷があるようで、お寺の世界も栄枯盛衰とは無縁ではないようです。
 お堂の右手にあるご朱印所でご朱印をいただき、坂を下り、車に戻りました。ナビを見ると、先ほど右折した坂氷の交差点をそのまま進むと、羊山公園だそうです。
 そういえば、この札所巡りをする前にあるテレビでこの羊山公園の芝桜が放映されていました。たしか連休ころのことですから、すでに芝桜も終わっているとは思いながらも、すぐ近くなので、ちょっと寄り道をしてみることにしました。
 行ってみると、屋台などの後片付けをしていて、芝桜はほとんど終わっていました。今年は、秩父も春の花の開花が早かったようです。
 すぐに駐車場に戻り、元の道を引き返し、次の第12番札所野坂寺に向かいました。

 第11番札所 南石山常楽寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 つみとがも 消えよと祈る 坂氷 朝日はささで 夕日かがやく



☆秩父三十四観音札所巡り Part.12

 第12番札所野坂寺は、国道299号線を左折し、細い道路をそのまま進み、再び左折すると、その先にありました。
 楼門への参道の左手に駐車場があり、そこに車を駐め、もう一度引き返して参道を歩くと、右手にシロフジが盛りに咲いていました。それを見ながら進むとすぐに楼門です。
 珍しいことに、その楼門の真ん中に「あずかり観音」が祀られていましたが、平成14年にご開眼されたそうです。お姿の上の額を見ると、「右側 怒り・腹立ちを預けて平常心にもどりましょう」とあり、「中央 病気・痛みを預けて楽しい日々をすごしましょう」、そして「左側 煩い・悩みを預けて安らぎの心にもどりましょう」と書いてありました。
 でも、預けるということは、後から大きな利息を付けて返さなくてはダメなのかなあ、と思いながらお堂に向かいました。
 お堂は正面が8間半、奥行7間のりっぱな建物で、堂内には御前立ちの聖観世音菩薩さまが祀られ、左手には薬師三尊像なども安置されているようです。案内書には堂内でお詣りができると書かれていましたが、外から鰐口をならし、お経を唱え、お詣りをさせていただきました。
 本堂に至る参道の左手には見事なフジ棚があり、しかも満開でした。その長い花房を見ながら、自分たちの命も長くあることを祈りました。
 ここの境内は、とてもよく整備されていて、蓮鉢がたくさんあるところをみると、これに蓮を植えて花を咲かせるのではないかと思いました。またドウダンツツジやアジサイ、そしてサルスベリなどもあり、花の絶えないお寺だと思いながら、駐車場まで戻ると、そこには行くときには気づかなかったのですがハクウンボクの白い花が咲いていました。
 この花は、なかなか珍しいもので、私のところでも挿し木で増やして植えてあります。個人的には、この名前も気に入っています。
 時計をみると、まだ午後2時52分です。予定では、この辺りで今日のお詣りを止めようと思っていたのですが、まだもう少しお詣りできそうです。
 そこで、次は第26番札所圓融寺を目指すことにしました。

 第12番札所 佛道山野坂寺 (臨済宗南禅寺派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 老いの身に 苦しきものは 野坂寺 今おもひ知れ 後の世の道



☆秩父三十四観音札所巡り Part.13

 第12番札所から、もと来た道路に戻り、そこを左折し、そのまま10分ほど走り左折すると、その先がちょっとややこしいのですが、その奥に第26番札所圓融寺はありました。
 左手に大きな駐車場があり、そこに車を駐め、石段を上ると正面にお堂がありました。その石段から見ると、周りが石垣と板塀に囲まれていて、その石垣の手前にはボタンなどが植えられて、よく整備されていました。
 お堂は間口が8間ほどあり、7段ほどの石段を上ったところに鰐口が下がり、そこでお詣りをさせていただきました。
 御前立ちのお姿にはスポットライトが当てられ、唐金の灯籠や提灯にも灯火がつけられていました。
 お詣りを済ませ、右手の庫裡でご朱印をいただき、その前を下ると坂道になっていて、そこがちょうど牡丹園になっています。まだいろいろなボタンが咲いていたので、ゆつくりと鑑賞し、正面の石段の右手に祀られている唐金の観音さまにお詣りし、その右手のマニ車をまわしてから、車に戻りました。
 車に戻ってからも、この新しい石垣と板塀が、どの秩父三十四観音札所の案内書に写真が載っていなくて、おそらく最近作られたのではないかと想像しました。でも、このように札所を整備していくのはなかなか大変だと感じながら、ここを後にしました。
 次は第27番札所大渕寺です。

 第26番札所 萬松山圓融寺 (臨済宗建長寺派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 尋ね入り むすぶ清水の 岩井堂 心の垢を すすがぬはなし



☆秩父三十四観音札所巡り Part.14

 第27番札所大渕寺へは、ややこしいところからもとの道路まで戻り、そこを左折して、そのまま7〜8分ほど走ると、左側に案内板があり、そこを左折すると右手に駐車場があります。
 そこに車を駐め、石柱に注連縄が張ってある間を通り、両側が緩いスロープになっている石段を上ると、山門があります。そこを入ると、左手に本堂と庫裡があり、そこでご朱印がいただけます。
 その山門を入って少し歩くと正面が石段になっていて、そこをつづら折りに進むと、左に曲がったところに観音堂がありました。。
 観音堂には「月影堂」という扁額が掲げられていて、屋根の勾配もおだやかに感じられ、そのちょうど中央に宝珠がのっています。この観音堂は大正8年の火災で焼失してしまったのを平成8年に新たに再建されたのだそうです。つまり、大正8年は1917年、平成8年は1996年ですから、再建に79年もかかったということになります。
 札所を護っていくというのは、本当に大変だと思いました。また、札所をお詣りする巡礼者の人たちの流れもあり、今は多くの方々がお詣りするようになったとしても、それが永遠に続くわけではありません。しかし、ここを護る人たちは、途切れることなく護っていくことが大切ですから、ここの観音堂では、ここを護ってこられた歴代のご住職の方々へもご法楽を捧げました。
 ちょうどお詣りで一緒になった方から、観音堂の左手にある四角の御影石の上に立つと、山の上に立つ護国観音さまがよく拝めると聞き、そこから山上を見上げるとほんとうによく見えました。聞くと、昭和10年11月に第7番札所法長寺前住職が発願し開眼されたコンクリート製の観音像で、戦前から高崎、大船の観音像とともに関東三大観音といわれてきたそうです。
 山門をぬけ、駐車場まで戻り、ナビを確認すると、この先の第28番札所橋立堂まで行けそうです。
 また、車道までもどり、ナビの案内通りに進みました。

 第27番札所 龍河山大渕寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 夏山や しげきが下の 露までも 心へだてぬ 月の影森



☆秩父三十四観音札所巡り Part.15

 第28番札所橋立堂へは、第27番札所から7〜8分で着きました。
 車を駐められそうな空き地があったので、その脇の土産物屋さんらしきところで聞くと、そこに駐めていいということなので、駐めさせてもらいました。
 そして、左手に進むと、土産物屋さんも2〜3軒あるらしく、そこの前を通り過ぎていくと、右手に垂直にそそり立つ大きな岩壁があり、その下にご朱印所がありました。ここは目の前なので、先にご朱印をお願いし、その岩壁の下にくい込むように建てられている観音堂にお詣りすることにしました。
 石段を上り、見上げると観音堂は宝形造りで朱塗りだったことがわかります。聞くと江戸中期ころに建立されたといいますから、風雪にさらされて、なんともいえない風格が感じられます。
 その前でお詣りをすると、この大きな岩壁にお経の声が反響するようで、とても不思議な感覚です。やはり、自然の造形は素晴らしく、いかにお堂が立派でも、この大自然の大きさにはとてもかなわないと思いました。
 本尊は馬頭観音さまで、ここ秩父ではここだけだそうで、思い出すと西国三十三観音札所でも第29番松尾寺だけだったようです。むかしは、馬が交通の大事な手段でしたから、それなりの需要もあり、お詣りの方々も多かったに違いありません。そういえば、地元の置賜三十三観音札所には、第20番札所仏坂観音と第10番札所宮ノ観音が馬道観音さまをお祀りしています。ということは、それだけ馬に頼った生活をしていたということなのでしょう。
 ここ橋立堂まで車で来ましたが、山道なのでほんとうにこの先にあるのかと心配になるほどでした。昔はこれ以上大変な山道だったと思いますが、大切な馬たちが病気やけがをしないようにと祈るために、ここまで上った来たのです。信仰に違いはないのでしょうが、その思いにはなぜか違いがあるように感じられます。
 無料で車を駐めても悪いと思い、帰り際にお土産屋さんでソフトクリームを買い、食べました。そこで聞いたのですが、ここには鍾乳洞があり、この橋立堂の奥の院にもなっているということでした。しかし、時計をみるともう午後3時45分なので、またの機会にということで車に戻りました。

 第28番札所 石龍山橋立堂 (曹洞宗) 本尊さま 馬頭観世音菩薩
 ご詠歌 霧の海 たち重なるは 雲の波 たぐひあらじと わたる橋立



☆秩父三十四観音札所巡り Part.16

 第29番札所長泉寺へは、国道140号線にもどり、そこを左折し7〜8分で案内板が見え、そこを左折しました。すると参道の斜め向かいに駐車場があり、そこに車を駐め、道を横断し、「笹戸山長泉禅寺」と彫られた石柱の立つ参道を歩きました。右手には、茶畑が広がり、北国ではなかなか見ることができない風景に感動しました。
 また左手には、ツツジの丸刈りが整然と並び、とても良く手入れされています。ここは花の寺としても有名らしく、ところどころに蓮鉢もありました。
 その参道を進むと右手に庫裡があり、その先を右に曲がると大きな本堂があります。ここに聖観世音さまがお祀りされています。
 本堂のお詣りする真上には、「観世音」と書かれた扁額が掲げられ、白壁には所狭しと張り札が貼られ、それが独特の雰囲気を醸し出しています。
 また本堂の縁側には、おもしろそうな石がいくつも並べられていたので、参道入口に「笹戸山 石打道場」と彫られた石碑と関係があるのではないかと思いましたが、そうではなく、石札堂といわれるようになったのは、1234年に性空上人が秩父巡礼のときにおさめた「石札定置巡礼」と彫られた石がここに保存されているからだそうです。
 現在はこの石は観音さまの前に安置されているそうで、外からは見ることはできませんでした。
 そして、改めて縁側の石を見ると、なんとダルマさんの絵が描かれていました。やはり、ここは禅寺です。
 たくさんのツツジの刈り込みを見ながら、ぜひツツジの盛りにもう一度訪ねてみたいと思いながら、駐車場に戻りました。
 ご朱印をいただきなから、この時間だとまだ第30番札所法雲寺まで行けそうだという話しでしたが、ホテルには4時30分ごろのチェックインという連絡をしていたので、ここから引き返し、途中の第25番札所久昌寺にまわることにしました。
 最初に考えていたより、だいぶ多くお詣りできそうです。そして、ナビを設定しました。

 第29番札所 笹戸山長泉寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 分けのぼり むすぶ笹の戸 おしひらき 佛をおがむ 身こそたのもし



☆秩父三十四観音札所巡り Part.17

 第25番札所久昌寺へは、国道140号線をもどり、途中で左折し久那橋を渡った久那地区にあります。
 道路の右側に大きな仁王門だけがあり、そのすぐわきに駐車場がありました。そこに車を駐め、「二十五番」とだけ彫られた大きな石柱の脇から仁王門をくぐり、また、普通の車道を歩くと、左手に観音堂に上る20段ほどの石段があります。その周りは石垣で囲われ、ここからは聖域ですよという雰囲気です。
 石段を上ると、右側に1本の檜があり、真新しい白御影石の灯籠が対になっている間を通ると、すぐに観音堂です。
 観音堂は真新しく、案内本には古いお堂しか写真が載っていないので、あとからネットで調べたら2014年の午歳の総開帳を期して修繕されたらしく、この写真のような新しいお堂はあまり掲載されていませんでした。
 また観音堂の左側には、以前からある脱依婆のお堂だそうで、なかには三途婆像が安置されていました。
 ここにはご朱印所がなく、弁天池の横の小道を通って行くか、あるいは車道を歩いて本堂の方へ行きご朱印をいただきます。
 そして、再び、仁王門のわきの駐車場に戻りました。そのときに見たのですが、ここに「江戸巡礼古道」の案内板があり、荒川西岸秩父札所20番から25番の地図がのっていました。やはり、昔からここは歩きの巡礼道だというのがわかります。
 今は車などの交通機関を利用しての巡礼者が多いと思いますが、それでも秩父は歩く方もいらっしゃると聞きました。現に、歩いて巡礼される方も何度か見かけました。
 この歳になるとなかなか難しいでしょうが、希望としてはいつかやってみたいと思いながら、車に乗り込みました。
 時間を確認すると午後4時25分です。でも、すぐ近くに第24番札所法泉寺があります。ここからだと、ホテルに向かう途中ですし、まだご朱印をいただけそうな時間です。
 ちょっと欲張り過ぎかとも思ったのですが、明日以降が少しでも楽になるようにとまわることにしました。
 次は第24番札所法泉寺です。

 第25番札所 岩谷山久昌寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 みなかみは いずくなるらん 岩谷堂 朝日もくなく 夕日かがやく



☆秩父三十四観音札所巡り Part.18

 第24番札所法泉寺へは県道72号線を秩父市内の方に進んだところで、県道の脇に駐車場があるらしいのですが、狭い道を入り、ご朱印所の近くで車を駐めました。
 でも、すぐ近くからお詣りしてもと考え、車をおり、上ってきた道をいったん下ると、その右側に長い石段がありました。その両側にはツツジが咲き、それも見たいのですが、石段が狭く、滑りやすそうなので、一歩ずつ確認しながら上りました。
 数えながら上ると116段ありました。上りきった右側には、「一休み 一休み 一休さん」と書かれた板札のところに石造りの一休さんらしき小僧さんが木魚を枕にしてうたた寝をしていました。
 本当に一休みしたくなるような石段でした。その石段を上った左手前に、観音堂がありました。
 観音堂の板階段を上ると、回廊になり、その両側にはお仁王様が祀られ、いかにも仁王門のような雰囲気です。その中央にお賽銭箱があり、その両端から手前に入ってお詣りできます。これはいいと思いました。
 お堂の大きさは三間四面、柱も八角形で、小さいながらもすっきりとした構えです。聞くと、江戸時代の中期のころに建立されたといいますから、その当時から珍しかったのではないかと思います。
 ご本尊さまは秘仏だそうですが、御前立ちご本尊さまはすぐ目の前に安置されているので、いつでもお詣りできます。この観音堂の造りが、ご本尊さまとの距離を縮めているように感じます。
 これはとても大事なことではないかと思いました。もちろん、仏さまを盗難から守るということは当然ですが、間近でお詣りできるということはたいへん有り難いものです。これからは、その距離感も考えるべきことではないかと思いました。
 また、お詣りする場所が入り込む形になっているので、お経の声がこもり、とても反響します。
 とてもいい気分で、今日のお詣りを終えることができました。そして、隣のご朱印所で印をいただき、車に戻りました。
 時間を確認すると、午後4時40分です。秩父三十四観音札所の案内には、ご朱印は午後5時までと書かれていますから、ここで精一杯です。
 ナビに今夜泊まることになっているナチュラルファームシティ農園ホテルの電話番号を入力して、そこを目指しました。ここからたった10分ほどで着きました。
 部屋のベランダから見ると、秩父市内が一望でき、今日一日お詣りして歩いた観音さまを1ヶ寺1ヶ寺、思い出しながら夕食をごちそうになりました。
 今日はほんとうに長い1日でした。明日はもう少しゆっくりと秩父三十四観音札所をまわろうと思いながら、眠りに就きました。

 第24番札所 光智山法泉寺 (臨済宗南禅寺派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 天照らす 神の母祖の 色かへて なおも降りぬる 雪の白山



☆秩父三十四観音札所巡り Part.19

 ホテルを出発したのが午前8寺48分でした。そこから国道140号線を南下して、昨日何度か通った道を思い出しながら、車を走らせました。第27番札所大渕寺の案内板を見ながらさらに進むと、平和橋入口を左折し、秩父鉄道の線路を横切りさらに山道に入ります。
 もう、これから先には家がないのではというところに、第30番札所法雲寺はありました。ここまでホテルから25分ほどかかりました。
 参道の手前右側に駐車場があり、そこに車を駐め、参道を進みます。すると、左手に大きな石柱があり、「三十番入口」とだけ彫られていました。もちろん、ここまで来れば秩父三十四観音札所の第三十番だとわかります。とてもシンプルでとてもわかりやすいと思いました。
 さらに進むと、右手に庫裡が見え、そこがご朱印所になっていました。その前には、見事なフジ棚があり、ちょうど満開でした。おそらく、ここは標高が高いので秩父市内では花が終わったのですが、ここではまだツツジも咲いていました。しかも、ここの正面の斜面には、白花のツツジが大きな丸刈りに整えられて咲いていて、とても見事でした。
 案内書をみると、真っ赤なサツキも写真にあるので、おそらく、まだ咲かないのではないかと思います。ここの庭園にはいろいろな花が植えられていて、とても楽しみなところです。
 その左手に石段があり、そこを上ると正面に観音堂がありました。
 観音堂は、回廊があり、宝形造りで、江戸時代の初期の建立ですが、その後に改修もされているそうです。
 ここでは、自分で正面の戸を開けてお詣りし、終わったら自分で閉めて帰るというようになっていて、これも近くに野生のサルがいるからとのことでした。
 このサルの被害はあちこちで聞きますが、これもある程度は、人が近づけない工夫をすることで防ぐことができます。しかし、サルはかしこいので、なかなか手こずっているのも事実で、適度な棲み分けが必要ではないかと思います。
 とくに農家の方々の被害は大きく、栽培地を放棄してしまったということも聞きます。
 観音さまをお詣りして歩くと、いろいろなことが実感できます。でも、ここのように、たくさんの植物たちが出迎えてくれると、とても気分良くお詣りできます。まさに花々が咲き乱れる天上に紛れ込んだかのような錯覚さえ覚えます。
 もちろん、私自身が花好きだからなのかもしれませんが、でも花の嫌いな人はいないはずです。
 栽培には好き嫌いはあるでしょうが、ただ見るだけなら誰でも好きだと思います。
 ここの庭園も、管理は大変でしょうが、いつまでも花の絶えないところとして護ってもらいたいと思いながら、下山しました。
 ここで聞いたら、次は第31番札所観音院に行かれたらとの話しなので、そこに迎えことにしました。計画では、3日目の明日の予定でしたが、すぐに予定変更です。

 第30番札所 瑞龍山法雲寺 (臨済宗建長寺派) 本尊さま 如意輪観世音菩薩
 ご詠歌 一心に 南無観音と 唱うれば 慈悲ふか谷の 誓いたのもし



☆秩父三十四観音札所巡り Part.20

 第30番札所でもらった案内図では、第31番札所観音院へ行くには県道37号線を進むルートなので、ナビを参考にしながら、その道を進みました。
 峠の道を越えると、国道299号線に出て、そこを左折して少し進むと、案内板がありました。途中にたくさんの水子地蔵さんが祀られた地蔵寺があり、さらに進むと観音山トンネルがあり、そこをくぐり抜けてその先の一番奥の右手に駐車場がありました。
 そこに車を駐め、時計をみると、ここまで25分ほどかかりました。そこから歩き出し、仁王門をくぐると、すぐに石段が続きます。その石段の最初のところに石段の案内が彫られていて、ここは296段あり、その1段1段をお経を唱えながら上ってください、とありました。たしかに般若心経は276文字ですが、残りの20文字は廻向のためとあり、なるほどと思いました。
 たしかに何かに夢中になりながら上れば、苦しさもつらさも忘れられるかもしれません。
 でも、観音堂が見える頃には、だいぶ息も切れてきました。その上りきった正面に観音堂はありました。
 観音堂は、真後ろに大きな岸壁になっていて、それに護られるようにして建っています。まさに山号の鷲窟山というのが実感されます。しかし、この山号は別の意味があるそうで、畠山重忠がここに狩りに来たときに梢の鷲の巣を家臣に命じて矢で打ち落とそうとしてもはね返るので、その巣を調べてみると行基菩薩の咲くと伝えられ所在不明となっていた観音像が現れたといいます。そこで、重忠はここにお堂を建てて祀ったというのがここの始まりだといいます。
 やはり、聞いてみたいとわからないものです。
 観音堂の前でお経をあげていると、ご朱印所のほうから係の人が出てきて、観音堂の隣にある聖浄の滝とお不動さまのこと、宝篋印塔、さらには「爪彫り千体仏」のことなどを話してくれました。
 ご朱印の方は3人いて、交代でここまで上ってきたいるとのこと、ほんとうに大変だと思いました。これもやはり聞いてみないとわからないことです。
 観音さまとも、お詣りして出会う人たちとも、すべては縁です。その縁があるからこそ、こうして秩父まで来て、お詣りをさせていただくのです。本来はおととしのご縁年のときに、仲間たちとここを巡礼することにしていました。しかし、仕事の都合でできなかったのです。しかし、今、こうして夫婦でお詣りしているということは、とても有り難いことです。健康でなければできませんが、それだけではお詣りもできません。いろいろと支えることがあって、できるようになるのです。
 この長い石段を上りながら、自分の今までのことを考え、そしてこれからもゆっくりでも上ることができるようにと祈りながら歩を進めました。
 だから、上るときにはあまり気にもしなかったのですが、石段を下るときには、石仏や句碑が多く、それらをゆっくりと拝んだり見たりしました。
 下の駐車場にたどり着くと、あらためてここの観音霊場が一番お詣りするにたいへんだと聞いていたのですが、それほどでもなく感じました。時間は午前10時40分です。
 次は、順番通り第32番札所法性寺に向かいます。

 第31番札所 鷲窟山観音院 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 みやま路を かきわけ尋ね 行きみれば 鷲のいわやに ひびく滝つ瀬



☆秩父三十四観音札所巡り Part.21

 第32番札所法性寺は、第31番札所と同じ小鹿野町にありますが、どちらも県道209号線から入り込んだところにあるので、ナビでもなければ道に迷いそうです。
 秩父市内に向かって進み、長若交差点のところを右折し、道なりに進むと、しばらくして左側にありました。
 駐車場に車を駐め、釣り鐘楼門の前に出て、大きな「三十二番目」と彫られた石柱を右に見てくぐりました。すると、長い石段が目の前にあらわれ、その右手には六地蔵を浮き彫りにした石仏が立っていました。その石段を上ると、左右にはさまざまな植物が植えられていて、そこを吹き抜けるさわやかな風を感じながら、足下に気を付けます。
 その長い石段を上りきると、右側に本堂と庫裡があり、その木の階段のところに花祭りのお釈迦さまが安置されていました。そして、いつでも甘茶をかけることができるようになっていて、いつもこのようになっているのかどうかはわかりませんが、その脇にご住職の手書きの色紙が飾られていました。値段が書かれているところをみると、頒布されるようです。
 その左側に「観音堂70米先」と書かれてあり、その前を進むと、檜の林の中に石段があり、そこを上りました。目を上げると、その真正面に舞台造りの観音堂が見えてきました。
 ところが、そこに上るには、ぐるっと迂回して上るようで、苔むした石段に気をつけながらお堂の左手から入りました。
 靴を脱ぎ、用意してあるスリッパに履き替えて、観音堂の正面に立つと、立派な極彩色のご詠歌の書かれた扁額がありました。格子のすき間からお賽銭を入れ、お経を唱えながらご本尊さまを拝むと、御前立ちとはいえ、やはり岩舟観音といわれるように船に乗っているお姿でした。
 それから後ろにまわると、なんと岩屋になっていて、そのなかには子授け地蔵さまが小さなお堂に祀られているだけでなく、たくさんの石仏や石塔が立てられていました。まさに神秘的な雰囲気があります。
 お堂の右手からは、自分たちが上ってきた石段が見え、その石段もところどころは大きな石をくりぬいて石段にしているようです。まさに、深山幽谷の趣です。
 お堂から少し下ったところには、奥の院に上る小道がありましたが、現在は通行止めになっているそうで、その小道の写真を撮っただけで引き返しました。その石段の周りにはツツジなどが咲き、湿気があるのでシュウカイドウやイワタバコ、イワヒバなどの植物もあります。
 帰りにご朱印をいただき、また長い石段を気をつけながら下りました。途中で止まって楼門を眺めると、鐘撞き堂をも兼ねていることがわかります。このような門はあまり見たことがなく、ここで突く鐘の音が山々に響くとどのように聞こえるのだろうか、などと考えながら駐車場にもどりました。
 次は順番通り第33番札所菊水寺です。
 もう手慣れたようで、その電話番号をナビに入れて、出発しました。時間は午前11時25分でした。

 第32番札所 般若山法性寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 願わくば 般若の舟に のりをえん いかなる罪も 浮かぶとぞ聞く



☆秩父三十四観音札所巡り Part.22

 第33番札所菊水寺へは、再び国道299号線を秩父市内に向かい、泉田の三叉路を県道283号線へと進みます。途中から右折し、奈倉橋を渡り道なりに進むと右手に見えてきます。
 駐車場は道の左手にあり、そこに車を駐め、道を横断すると左に「大櫻山長福寺」と彫られた大きな石柱があり、その側面に「巡礼三十三番延命山菊水寺」と彫られているので、ここが札所だとわかります。これは、もともとは長福寺が菊水寺の別当寺で、1820年に長福寺本堂改築のときにそれまで別当をしていた札所の観音さまを本尊としてお祀りするようになったことから、このような石柱になつたみたいです。そういえば、右手には「札所三十三番 本尊正観世音」と彫られた石版もあり、その間の参道を歩きました。両側は桜並木になっていて、その根際にツツジの刈り込みがあり、花時には見事だと思います。
 手をすすごうと手水に行くと、白いろう石のようなものに菊の花が彫られ、その中から水で出ています。案内書にはこの写真が載っていないので、最近のものではないかと思いますが、まさに菊水寺らしい風情です。
 左側には、しだれ桜らしい大きな木が植えられていて、その先に観音堂がありました。
 正面には「正大悲殿」と書かれた扁額が掲げられ、間口は8間ほど、入母屋造の本堂でもあります。
 その扁額の下に鰐口が下げられていて、さらにそこからが土間になっているので、踏み込んでお詣りできます。このような造りが何ヶ寺かありましたが、お堂のほとんどが土間というのはここが初めてです。こうすれば、気軽にお詣りできるのでとても助かりますし、おそらく、昔は草鞋履きだったとすれば、なおさらのことです。
 また、ご本尊さまとの距離も近くなり、親しさもわきます。
 その土間になった右手には、ご朱印所もあり、お守りなども受けられます。ちなみに、ご本尊さまは平安時代の作で高さが88センチほどの立像で、県指定の彫刻部門第1号の文化財指定だそうです。
 つねには、その前に御前立ちがあり、同じような舟形光背を持つ観音さまで、やはり平安時代の作ということでした。このような歴史のある観音さまですから、本寺のご本尊として祀られるのも宜なるかなです。
 でも、境内には「正観世音菩薩」と書いてあるところと、「聖観世音菩薩」と書いてあるところがあり、さて、どちらが正しいのかとも思いましたが、お詣りするときには観音さまのお姿のみ見えているわけですから、あまり面倒くさい理屈は必要ないのではないとか思いました。
 西国も坂東の各札所も、ほとんどは33観音で終わりです。なぜ、秩父だけが34観音なのかはいろいろと書かれていますが、昔のことですから、本当の理由はわかりません。でも、34観音だということで、日本100観音霊場が生まれたのですから、それはそれでいいのかと、これもあまり考えないことにしました。
 長く有り続ける、ということは、それだけでいいと思います。
 駐車場にもどると、まだ午前11時53分でした。朝食をしっかり食べたので、まだお腹が空きません。そこで、次は第19番札所龍石寺に行くことにしました。

 第33番札所 延命山菊水寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 春や夏 冬もさかりの 菊水寺 秋のながめに 送る年月



☆秩父三十四観音札所巡り Part.23

 第19番札所龍石寺は、秩父市大畑町にあり、そこへは再び国道299号線まで出て、秩父橋を渡り、すぐ変則的な三叉路を左折して、狭い道をナビを頼りに進むと、ぐるっと回り込むようになったところにありました。
 境内地が駐車場になっていて、そこに車を駐めました。どこにも山門や塀などもなく、駐めた近くにご朱印所があるだけで、すっきりとしています。
 ただ、歩くと岩の上を歩いているような感覚で、でこぼことしています。ところどころに岩を削ったようなところもあり、小さなお堂は三途婆堂で、真ん中に奪衣婆が祀られていました。その左には閻魔大王、右には賓頭盧尊者が祀られ、この地方の信仰が垣間見えるような気がしました。
 そして、まったく開放感溢れる中央に観音堂はありました。
 この観音堂は、昭和48年に復元されたそうで、住職もいない龍石寺は荒廃寸前だったそうです。しかし、地元の青年たちが中心になり、東京などでも托鉢をし、さらに県内外からの寄進も集まり、現在の観音堂が建立されたそうです。
 お堂には「圓通堂」と彫られた扁額が掲げられ、これが「周円融通」の略だとすれば、まさしく「智慧によって悟られた絶対の真理は、あまねくゆきわたり、その作用は自在であること。また、真理を悟る智慧の実践。」ということです。教えというのは、知識ではなく、あくまでも実践を通してこそ磨かれるものだと思います。
 お堂の前にたつと、このお堂が大きな岩盤の上に立っているのが見てもわかります。ところどころにその岩盤が見えているのです。最近、とくに日本でも、地震が多いような気がします。あの東日本大震災を経験したことで、さらにその怖さを実感します。
 昔から、地震・雷・火事・親父といいますが、あまり怖くなったのは親父だけで、他はますますその怖さが際立ってきているように思います。だからこそ、その自然災害の怖さなどもあって、人間では防ぎ切れないようなことを神仏に祈り、心の安寧を願ってきたのです。
 ここ龍石寺は、小高いところにあるので、どこからでもお詣りできます。その親しさもあって再建につながったのではないかと思いました。
 お詣りをすませ、ご朱印所で印をいただき、車にもどりました。
 次は第20番札所岩ノ上堂です。ここからだと、少しもどるような道筋ですが、その先のお詣りがスムーズに行きそうなので、そこに決めました。
 では出発です。

 第19番札所 飛淵山龍石寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 あめつちを 動かすほどの 龍石寺 詣る人には 利生あるべし



☆秩父三十四観音札所巡り Part.24

 第20番札所岩ノ上堂へは、また秩父橋を渡り、国道299号線の道筋に左折し、またすぐに左折して進むとお堂の屋根が見えるところの入口に着きます。その左手が駐車場で、そこに車を駐めました。
 その入口の右側には、「秩父霊場第二十番 法王山岩上堂」と彫られた石柱が立っていて、そこの階段を下がります。
 ほとんどの観音堂は、下から上るのが多いので、おそらく歩いてお詣りした当時は、下からの参拝道があったのだろうと思います。
 石段の上に立って眺めると、木々を通して対岸の秩父市の家並が見えます。たまには、上から下るのもいいものだと思いました。
 途中で右に折れ、また左に曲がるとご朱印所があり、ちょっと見にはチケット売り場のようでした。すぐ近くなので、先にご朱印を頼んで、左手にある観音堂に行きました。
 観音堂は江戸時代の前期に、現在の堂守である内田家の先祖が建立したものだそうで、寺名は願上寺といっていたそうです。現在の堂守は16代目で、在家で護るのもたいへんだったのではないかと思います。
 お堂は三間四面のしっかりとした造りで、お堂の前のモミジの大木がその歴史を語ってくれるようです。また、その枝先がたおやかに伸び、春の青葉、秋の紅葉もいいのではないかと思いました。参道にはシランが咲いていて、ツツジなども植え込まれていました。
 お堂のなかの観音さまの前でお経を唱え、上を見ると、たくさんの猿子がぶら下がっていました。今年はサル年だから、これも何かの縁と思っていたら、この地方では「千疋猿」と呼び、子供の無事出産や生育を願って母親たちが夜なべをして作って奉納したものだそうです。
 よく見ると、いろいろな布があり、そのなかに綿が入っていて、小猿のような形に縫ってあるようです。そういえば、これまでお詣りした観音堂のなかにも、この「千疋猿」が瓔珞のように下がっていました。
 さらに良く見ると、千羽鶴などもあり、お詣りが日常的になされているような雰囲気でした。こういうところが、観光寺院にはない、信仰寺院の良さではないかと思いました。拝観料をいただいて維持するというより、ご朱印やご寄付などで維持できれば、それのほうが本来の生きたお寺です。
 今回巡拝しても駐車場料金などはなかったのですが、西国三十三観音札所に行くと、あるところもあります。ある意味、仕方のないこともあるでしょうが、気持ち良くお詣りしてもらうにはない方が良いと思います。たかが駐車場料金ですが、なぜかとられたという印象が残ります。維持するのは大変でしょうが、なんとか徴収しなくてもいいような管理をしてほしいと思っています。
 次は、この道なりに進めば第21番札所観音寺です。地図でみると5分ほどのようです。

 第20番札所 法王山岩ノ上堂 (臨済宗南禅寺派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 苔むしろ 敷きてもとまれ 岩の上 玉のうてなも 朽ちはつる身を



☆秩父三十四観音札所巡り Part.25

 第21番札所観音寺は、いったん国道299号線までもどり、そこを少し進み、尾田蒔交差点を左折し県道72号線に入ります。それを道なりに進むと右手に見えてきます。
 駐車場は県道の左脇にあり、そこに車を駐め、観音堂を望むと、山門はなく、その入口の右側に「秩父霊場 第二十一番観音寺」と彫られた石柱があり、その左側には石像の六地蔵が祀られていました。お地蔵さまには、お約束通りに赤いずきんと前掛けがかけられていて、小さくてかわいい感じでした。
 そして境内に入ると、正面に観音堂、左手には庫裡があり、そこがご朱印所でした。
 観音堂は、大正12年の付近の小学校の火災の飛び火で全焼したそうで、翌年に小鹿野町にあった解体寺院の材料で再建されたそうです。でも、庫裡のほうは平成9年に建てられたそうで、まだ新しそうでした。
 お堂の左上に掲げられた額を見ると、観音寺矢之堂と書かれていて、さらに正面の上にある「秩父廿一番」と彫られた額の上に、「矢之堂」と群青色で書かれた扁額もあり、こちらのほうが通称として通りやすいのかもしれないと思いました。
 観音寺では、どこにでもありそうな名前です。それよりも、矢之堂ってなぜそのような名前が付いたのだろうかと気になります。お堂の右側に立つ秩父市指定史跡の案内板には、「邪神悪魔を除いて仏地にしようと八幡大菩薩が放った神矢が、ここに落ち、悪魔退散したるため、名づけて矢之堂となす」という縁起が書かれていました。
 ご朱印をいただき、車にもどり、そろそろ昼食にしなければと思ったのですが、近くにはそのようなところがありません。
 そこで、順番では第22番札所童子堂なのですが、先に第23番札所音楽寺に行くことにしました。ここは秩父ミューズパークの近くなので食べるところがありそうです。

 第21番札所 要光山観音寺 (真言宗豊山派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 あづさ弓 射る矢の堂に 詣で来て 願いし法に あたる嬉しさ



☆秩父三十四観音札所巡り Part.26

 第23番札音楽寺は、県道72号線を進み、秩父ミューズパーク北口の交差点を右折し、道なりに上って行くと、案内板があり、右側に大きな駐車場もありました。
 ここはトイレも付いていて、何台でも駐車できそうです。ここに車を駐め、そこから音楽寺への案内板に従って進みました。
 すると、左折する細い道があり、その奥にご朱印所がありました。ここは、もとは客殿だったそうで、そこを左折すると、石段のところに出ます。
 その石段の両側には、シロツツジが咲いていて、上りきると、左手に六地蔵の石仏が祀られています。その前には、青竹が横に置かれ、それを結界としてその内側には花鉢が置かれていました。しかも、その青竹には6つの切れ込みがあり、そこからもポット植えの花が顔を出していて、いかにも花を生けてあるというような雰囲気でした。
 その六地蔵の右側には、手をすすぐところがあり、それを使ってから観音堂に向かいました。
 観音堂は、三間四面の宝形造りで、広い回廊があります。その正面には、卍の印の金属製のお賽銭箱があり、扁額には「観音堂」と彫られていました。ご本尊は平安時代作の聖観音さまで、お詣りをしながら、格子窓からではわからないので、想像しながらお経を上げました。
 案内書によれば、左手に蓮花を持ち、頭上には阿弥陀さまの小さなお姿を戴いているそうです。でも、想像で思うと、そこには必ずどこかで一度みたことのあるお姿があります。つまり、初めてのことには、想像するということができません。
 やはり、その観音さまがそこだけのお姿とすれば、やはり御前立ちでもはっきりと拝めるようにしていただければ有り難いのではないかと思いました。
 人は見えるものから考えやすいものです。
 お詣りをして、観音さまに自分が護られていることを実感できれば、それこそ有り難いと思います。有り難いというのは、有ることが難いわけですから、滅多にないことです。考えてみれば、ここ秩父までやって来て、観音さまをお詣りして歩くことができるのは、本当に滅多にないことで、私は初めてです。それをできることを、とても有り難いと思いながら、こうしてお寺を巡拝して歩いているのです。
 時計をみると午後1時25分です。
 でも、お詣りをしている満足感からか、お腹はすいていないような感覚です。ここは秩父ミューズパーク近くですから、そこまで行ってみようということになりました。

 第23番札所 松風山音楽寺 (臨済宗南禅寺派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 音楽の み声なりける 小鹿坂の 調べにかよう 峰の松風



☆秩父三十四観音札所巡り Part.27

 次は第22番札所童子堂ですが、お昼時間を過ぎているので、秩父ミューズパークの食べるところでも探そうとしたのですが、音楽寺の少し上の駐車場で「しゃくなげ園」の案内板を見つけました。
 シャクナゲと聞いて見過ごすわけにはいかないので、展望台駐車場に車を駐め、来た道を横切り、コナラ林の斜面を下って行きました。すると、そこにアンナローズ・ホイットニーやハイドンハンターなどの西洋シャクナゲが咲いていました。案内板によると、園内は約1ヘクタールで2,400本ほどのシャクナゲが植えられているそうです。
 でも、ここでゆっくりしているわけにはいかないので、下ってきた道をまた上り、駐車場にもどると午後2時でした。すぐに次の童子堂に向かいました。
 第22番札所童子堂は、先ほど通ってきた県道72号線の上寺尾町公会堂の手前から右折します。そのかどには「二十二番入口」という大きな石柱が立ち、さらに武甲山を背にお地蔵さまも立っておられました。
 少し道は狭くなりますが、その先の左側に駐車場があり、大きなかや葺きの仁王門がありました。そこをくぐって参道進むと、右手に観音堂がありました。
 観音堂はすごい彫刻が施され、唐戸にまで風神雷神などが彫られています。つい、お詣りをするのも忘れて、見入ってしまいました。でも、先ずはお詣りをと思い直し、お経を唱え孫たちの順調な生育もあわせて祈りました。ここは童子堂ということもあるのか、先ほどくぐり抜けた仁王門の仁王さまも童子仁王といわれているそうですが、それにしても素朴で可愛らしいお姿です。
 お堂の左手には大きなフジ棚があり、まだ花が残っていました。その近くにはベンチもあり、参詣者が座っていました。
 ご朱印所はお堂の右側にあり、そこで印をいただき、何か大きな音がすると思って見ると、お堂の左側にある建物が解体されていました。何だったのだろうと、近づいてみると、そこから先は工事中なので進入禁止になっていて、詳しくはわかりませんでした。
 参道の左手は畑になっていて、その右手は駐車場です。だから、お堂のすぐ近くまで車で入れるようです。
 でも、もときた参道をもどり、仁王門でその可愛らしい仁王さまを拝み、さらに駐車場に立つ六地蔵を拝み、車にもどりました。
 次は第16番札所西光寺です。ここ秩父市寺尾から中村町まで7〜8分ほどだそうです。

 第22番札所 西陽山栄福寺(童子堂) (真言宗豊山派) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 極楽を ここで見つけて わらう堂 後の世までも たのもしきかな



☆秩父三十四観音札所巡り Part.28

 第16番札所西光寺は、また県道72号線を少しもどり、秩父ミューズパーク北口の交差点を左折し、秩父公園橋を渡って行きます。
 その道を右折し進むと、左側に「西参道」と書かれた案内板があり、そこが駐車場になっていました。この西参道は狭いのですが、両側に観音さまの幟旗が立ち、ここを進めば観音堂に至る安心感があります。この幟旗は近年どこにでも立っていますが、道しるべとしてはとてもわかりやすいと思います。
 この参道を進むと、左手に山門が見えてきます。この山門前の境内地は広くて、山門前にはウメの古木が両側にあり、土塀の近くにはしだれ桜やサルスベリなども植えられていて、石組みなども添えられています。
 また、山門の右手には、大きな「弘法大師生誕千二百年記念」の石碑が立てられ、四国八十八ヶ所の回廊堂についてのことも彫られていました。
 その山門の左側には郵便受けがあり、ここで受け取りますよという優しさを感じました。その山門をくぐると、真正面に本堂がありました。
 本堂には千手観音菩薩と書かれた提灯が両側にさがり、一目でここに観音さまがお祀りされているとわかります。観音堂だと観音さまのお堂ですから一目瞭然ですが、本堂だとなかなかわかりにくいこともあります。ここのご本尊さまは行基作の千手観音さまですが、その他にも仏さまがまつられています。
 本堂の右手には、回廊堂の入口があり、中に入ると、四国八十八ヶ所のご本尊さまと大日如来さまも安置されていました。一体ずつお詣りして進むと、全体がコの字型になっていて、参道に出ることができます。外の石碑に書かれたいたのは、浅間山大噴火(1783年)の被災者のご供養と世情安寧を願って作られたようです。
 本堂の右手には金毘羅堂や納札堂、そして左手には大きな酒樽のお堂がありました。この酒樽のお堂の前に、「招福酒樽大黒」と案内板があり、その左側の由来板には、「招福・酒樽大黒 一日三合 三十年分が入ります」と書かれていて、単純に計算すると36,000升になります。やはり、一日一日は三合でも、積み重ねるとすごい量になると思いました。もしそれを飲まなければ、一合200円と計算すれば、七千二百万となり、これまたすごい金額になります。もし一合300円ならば、1億円を軽く越えてしまいます。ちょっと考えさせられる数字ではありました。
 境内にはしだれ桜やビワの木などもあり、緑にあふれています。町中にありながらも、こういう静かなところでお詣りできるのは、とても有り難いものです。
 山門から出て、また西参道を通り、駐車場にもどりました。もう午後2時30分を過ぎていました。そこで、今日は昼食抜きで、このままお詣りを続けることにしました。
 次は第14番札所今宮坊です。おそらく5〜6分で着くのではないかと思います。

 第16番札所 無量山西光寺 (真言宗豊山派) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 西光寺 誓いを人に 尋ぬれば ついのすみかは 西とこそ聞け



☆秩父三十四観音札所巡り Part.29

 第14番札所今宮坊は、秩父市内の中町にあります。狭い道を右に曲がったり左に曲がったり、対向車が来ると待っていたりで、なかなか順調には進みませんでした。それでもナビ通りに進むと、観音堂がありました。
 昔は今宮神社の境内もここの境内地だったそうですが、明治の神仏分離で現在のようなこじんまりとしたところになったようです。
 正面には4段ほどの石段があり、それを上がったところの右側には「秩父札所十四番観世音」の石柱があり、左側には「秩父札所第十四番 今宮観音堂」と自然石に彫られた碑が立ち、ここが目的の観音堂だとすぐにわかります。
 そして、正面に観音堂がありました。
 お堂は三間四面で、宝珠が屋根の中央に添えられています。江戸時代の中期に建てられたそうで、すっきりとしています。「圓通閣」の扁額が飾られ、外からもはっきりと御前立ち観音さまが見え、お姿を直接に拝むことができます。
 左手の柱にはご詠歌が板に彫られ、その脇にはご本尊の聖観音さまのご真言が書かれたものもあり、お詣りをする人はこれを見てできるようになっています。
 今回、秩父札所をまわってきた印象では、観音堂のどこかにはご詠歌とご真言はあるのでしょうが、なるべくならお詣りをしているときにすぐわかるようなところにあればいいのではないかと思いました。そういう意味では、ここはとても親切です。
 そういえば、ご本尊さまは弘法大師作だといいますから、もともとは真言宗だったのでしょうが、その後、天台宗の聖護院末になり、現在は臨済宗のお寺です。そういえば、この観音堂の左手奥に不動堂があり、聖護院は修験道の流れをくんでいるので、その寺歴の変遷がわかります。
 ご朱印所はすぐ近くなので、そこで印をいただき、車にもどりました。すぐ近くに第13番札所慈眼寺があります。
 そこを今日の最後のお詣りにしたいと思い、向かいました。中町から東町まで、約3〜4分です。

 第14番札所 長岳山今宮坊 (臨済宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 昔より 立つとも知らぬ 今宮に まいる心は 浄土なるらん



☆秩父三十四観音札所巡り Part.30

 第13番札所慈眼寺は、秩父鉄道の御花畑駅近くの市街地のまん中にあるお寺です。駐車場には、一方通行なので、ちょっと回り込んで入るのですが、ナビの案内なので、すぐにわかりました。
 幼稚園も経営されているようで、送り迎え用のマイクロバスも駐車場にありました。
 その駐車場のすぐわきが本堂です。そこで、いったん外に出て、山門をくぐりました。山門のわきは土塀になっていて、右の柱には「日本百番霊場 秩父札所十三番 旗下山慈眼寺」と彫られた板がさがり、左の柱には「秩父札所連合会事務所」と彫られていました。
 本堂は明治11(1878)年の秩父大火で焼失し、明治34(1901)年に再建されたそうで、3間4面の唐破風の流れ向拝をつけた造りで、彫刻なども施されています。
 このお堂の手前右手には一切経堂があり、堂内に入って六角輪蔵を動かすことができます。このなかには一切経1630巻がおさめられているそうで、1755年に奉納されたものということです。
 後から調べたら、この一切経典は京都の黄檗山で刷られた黄檗版1,630巻、74箱だそうです。そういえば、黄檗山にある鉄眼一切経版木(重要文化財)収蔵庫のある寶藏院にお詣りに行ったことがあり、そのとき、そこで刷られた般若心経をわけていただいたことがあります。今でも持っていますが、大般若会などのときに、思い出します。
 境内にはメグスリノキがあり、このメグスリノキが目に良いということで、この樹皮から作ったというお茶をご朱印所で販売しています。そういえば、寺名の慈眼寺からもその由来があるそうです。
 そこで、ご朱印をいただいたついでに、それを1袋買いました。
 そして、車にもどり、時間を確認すると、もう午後3時を少しまわっていました。昨日はだいぶ頑張ってまわったので、今日はここで終わりにし、遅めの昼食をホテルで食べることにしました。
 途中、コンビニにまわりおにぎりや飲み物を買い、昨夜泊まったナチュラルファームシティ農園ホテルに向かいました。ホテルには午後3時40分に着きました。
 秩父市内を眺めながらおにぎりをほおばると、昨日と今日にまわった観音堂が思い出されます。ここは小高い丘の上に建つというだけでなく、最上階の5階なので見張らしも格別です。食べ終わって少し休んでからお風呂に行くと、その露天風呂からも秩父市内が見渡せました。
 明日は今日よりもゆっくりとまわり、時間があれば三峯神社にでも行こうかと計画を練り直しました。

 第13番札所 旗下山慈眼寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 み手に持つ 蓮のははき 残りなく 浮世の塵を はけの下寺



☆秩父三十四観音札所巡り Part.31

 ナチュラルファームシティ農園ホテルを出発したのは午前8時20分ごろです。ここの朝食はバイキング形式で野菜なども多いので、もしかすると今日も昼食を食べるのが遅れるかもしれないと思い、しっかりと食べました。
 第18番札所神門寺へは、ホテルから左折し、道なりに進み、国道140号線を右折し少し進むと、右側に案内板が見えてきました。
 そこに駐車場があり、建物そのものに「札所十八番納経所」と墨書きされていた、すぐにわかりました。そこは塀に囲まれていて、その入口の左側にここの案内板と秩父探訪ウォーキングの地図がありました。
 その案内板によると、この神門寺(ごうどじ)は修験寺で神戸山長生院といい、多くの建物があったそうですが、江戸時代中期の寛政のころに焼失してしまい、観音堂のみが再建されたと書かれていました。
 でも、すぐわきを国道が走っているにもかかわらず、木々が囲っているためか静かな雰囲気です。その入口のところにあるご朱印所に先にお願いし院をいただき、それから観音堂にお詣りしました。
 お堂は三間四面の宝形銅板葺で、彫刻が勢いがあり、先ほどの案内板を思い出したのですが、当時の名匠藤田家の末孫藤田若狭の手になるものだそうです。たしかに、大きくはないのですが、よく整っていて、重厚ささえ感じられます。
 でも、ところどころ新しそうな部材もあり、おそらくきちんと修繕を繰り返しているからこそ、このように残っているのだと思います。古いものをただ古いままに残すというより、古いものをしっかり修繕しながら末永く残そうとすることこそ、大切だと思いました。これから仕事をしようとする地元のお詣りの方々もありましたが、雨の日も雪の日も安全にお詣りできなければなりません。そのためには、滑りやすくなった木製階段を取り替えるとか、ひさしの部分の傷んできたところを修繕するとかはやはり必要です。
 それには、遠くからお詣りされる人たちだけではなく、地元に密着した信仰も大切です。地元の人たちが護っていこうとする気持ちが何より大切です。
 ここをお詣りしながら、町中のお寺の信仰というのを考えてしまいました。やはり、ここは修験の寺だったので、ただ儀式をするということだけではなく、信仰が生きていると感じました。今、ここで生きている人たちがお詣りする、それこそが大切なことだと思います。
 次は第17番札所定林寺です。

 第18番札所 白道山神門寺 (曹洞宗) 本尊さま 聖観世音菩薩
 ご詠歌 ただたのめ 六則ともに 大悲をば 神門に立ちて たすけたまえる



☆秩父三十四観音札所巡り Part.32

 第17番札所定林寺は秩父市桜木町にあります。秩父市内は細い露地のような道もあり、ちょっと迷いましたが、なんとか「参拝車両進入禁止 30m先に駐車場」という看板を見つけ、車を駐めてもどろうとすると、抜け道のようなところがあり、染め物の山崎捺染の前の小道を進みました。
 そこを右折すると、右側のブロック塀のところに観音さまの幟旗がたくさん立ててあって、その先に目指す観音堂がありました。
 石段は8段で、右には「大東亜戦争 支那事変 従軍祈念碑」と彫られた自然石が立ち、左にはお地蔵さまの小さなお堂があります。ここも地元の方たちが多くお詣りされるところのようです。
 その石段の両側には、真新しいような灯籠が立っていました。
 観音堂は、四間四面の宝形造りで、広い回廊をめぐらしています。その正面の回廊の上の格天井には花鳥図が描かれていますが、やはり外の吹きさらしということもあり、はっきりとわからない図柄もありました。それでも風格が感じられ、その下でお詣りをすると気分が落ち着きます。扁額にご詠歌が書かれていて、林寺の名があるので、ちょっと気になり案内板を見ると、林家の個人の持ち寺であったことに由来しているそうです。だから定林寺というのだろうか、とも考えたりしました。
 この観音堂の後ろのほうにご朱印所があり、右側にはお手洗いがあります。そして、石段を上ってすぐの右手には鐘楼があり、この梵鐘は県の有形文化財に指定されているそうです。しかも、その梵鐘には、西国、坂東、そして秩父の観音札所のそれぞれのご本尊さまとご詠歌が刻まれていて、現在のものは1758年に再鋳されたものだと書いてありました。
 元来た道を引き返し、山崎捺染のウインドーをのぞきながら、藍染めの優しい色を見て欲しいと思いましたが、先を急ぐのでまたの機会にしました。
 次は第15番札所少林寺です。

 第17番札所 実正山定林寺 (曹洞宗) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 あらましを 思い定めし 林寺 鐘ききあえづ 夢ぞさめける



☆秩父三十四観音札所巡り Part.33

 第15番札所少林寺は、一昨日にまわったときに第11番札所のあとにと思っていたのですが、そのまま羊山公園に行ってしまったので、今日まわることになったのです。
 ここは秩父市番場町にあり、案内書によると秩父鉄道を横切って階段を上ると書いてありますが、車だと一方通行の道を右折し、少し進んだところにある駐車場に駐めて行きます。
 その道を横切って、境内地に入り、そこを左に折れて進むと中庭のようなところに出ます。ここはいろいろな花がたくさん植えられていて、ちょうど木陰に白花シランが咲いていました。よく見ると斑入りで、さわやかな葉の色です。また、岩には長生ランがイワヒバのところに着生し、その下にミズヒキソウが植えられていました。
 そして、十三層の石塔のわきに、本堂がありました。
 お堂は、案内板によると、壁面を漆喰で塗り立てられているとあり、蔵造りのようでもあります。でも、見方によっては洋風にも見え、秩父の札所でも、このようなお堂はないようです。
 話しでは、明治の大火の後に建てられたので、防火を第一に考えたからということですが、それだけではなさそうです。「五葉聖臺」と彫られた扁額が掲げられていて、たしかにここの辺りは高台になっているようです。
 ここも神仏分離の影響があり、この札所も秩父神社境内の母巣山蔵福寺にあったそうです。だからご詠歌にもこの寺名が出てくので、そこは森のように広い境内があったことがわかります。それが廃寺になり、地区民の札所を残したというたっての願いが通じ、市内柳島にあった少林寺と合併し、ここに移転されたということです。
 たしかにご詠歌には、その歴史がわかることもあり、途中で内容が変えられてしまうこともあるといいます。でもここのように、その昔のご詠歌を場所が変わってもそのまま唱え継がれることによって、歴史も伝えられることになります。こうして、秩父札所をお詣りして歩くと、いろいろなことを教えてもらえます。ここは花が多かったこともあり、唐代の詩人 劉希夷の「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」という一節を思い出しました。
 でも、いくら歳を重ねても、もう一度同じようにここ秩父三十四観音札所をお詣りしいと思いました。
 次は最後の第34番札所水潜寺です。でも、せっかく秩父に来たので、このまま三峯神社にお参りして、そこからまた戻ってきた水潜寺のある秩父郡皆野町下日野沢に行こうと思います。では、ちょっと回り道です。

 第15番札所 母巣山少林寺 (臨済宗建長寺派) 本尊さま 十一面観世音菩薩
 ご詠歌 みどり子の ははその森の 蔵福寺 父もろともに 誓いもらすな



☆秩父三十四観音札所巡り Part.34

 第34番札所水潜寺へは、三峯神社から秩父湖のわきを通り国道140号線を右折し、さらに秩父往還と彩甲斐街道の交わるところを右折し荒川の橋を渡り、そのまま進みます。
 秩父市内ではいつも見上げていた武甲山の写真を撮り、そのままナビの案内通りに進みました。そろそろガソリンでも入れようかと思ったのですが、なかなかスタンドが見つかりません。そのまま国道140号線から皆野町に入り、県道284号線を通り、とうとう最後の札所、第34番札所水潜寺の駐車場に着きました。
 そこに車を駐め、いったん道路から参道に入ります。その入口には「自動車進入禁止 札所まで徒歩二分」と書かれた看板がありました。
 30メートルほど進むと、参道が広くなっていて、道が二股に分かれます。左の道には「日本百観音結願所」と彫られた石塔が立ち、右の道には「秩父三十四番札所」の石塔があり、その先に「参拝順路」の立て札があったので、右の道を進みました。でも、私にとっては日本百観音の結願でも、秩父三十四番札所の結願でもあります。そういう意味では、とても記念になるお詣りです。しかも、空は真っ青で、雲一つありません。
 そこを進むと、古びた石段があり、途中に六地蔵さまが祀られていました。そこを上りきると、正面に観音堂があります。
 お堂は六間四面の宝形造りで、江戸時代後期に再建されたものだそうで、手前が狭いので屋根の上の宝形が脇にずれないと見えませんでした。でも、お詣りをする上を見上げると飛天の彫刻があり、ここで結願を迎える喜びを表しているようです。
 もともと飛天は、さまざまな仏さまの周りを飛行遊泳し、礼賛する天人といわれていますが、三十四ヶ寺すべての周りにもおられるかのようで、なんとも楽しく感じられます。それが、ここ結願寺に直接その姿をあらわしてくれるわけですから、有り難いことです。
 すでに堂内では結願の喜びの声明が唱えられていました。みな笈摺を身につけ、数珠を手に持っておられます。おそらく、あちこちの霊場を巡礼して歩く方々ばかりのようです。
 私はここで観音経を唱え、秩父三十四観音札所をすべてまわることができたことを報告しました。そして、次はどこをお詣りして歩こうかな、とまで思いました。
 やはり、人は一つの目標を達成してしまうと、なんとなくだらけるような気がして、次の新たな目標を探したくなります。次は、次は、などと考えているうちに、ここのお詣りも終わり、上ってきたところと違う道を下っておりました。その参道で、オドリコソウを見つけました。最近増えているのはヒメオドリコソウで、これは帰化植物です。在来のオドリコソウは少なくなってきて、まさかここで見つけられるとは思ってもいませんでした。
 天女の彫刻を見て、オドリコソウを見て、いろいろなところで結願を祝って踊ってくれているかのようです。
 後は自宅に戻るだけですが、すでに午後1時30分です。帰る途中の国道122号線の草木ダム湖畔の富弘美術館をぜひ拝観したいと思っていたので、そこにまわり、ついでにどこかへ泊まることになるかもしれません。
 でも、先ずは秩父三十四観音札所巡りもここで結願を迎え終了しました。

 第34番札所 日沢山水潜寺 (曹洞宗) 本尊さま 千手観世音菩薩
 ご詠歌 萬代の 願いをここに 納めおく 苔の下より 出づる水かな